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塩野参考人 ただいま御
紹介にあずかりました
塩野でございます。
放送大学学園法案について
意見を述べよということでございますので、同
法案の附則に掲げられている事項を含めまして、私の考えるところを申し上げたいと存じます。
最初に、
放送大学に対する私の基本的な考え方について申し上げます。
放送を
大学教育に利用することは、
大学教育にとっても、電波の有効利用という面からいっても適切なことと思われます。さらに一歩進めまして、
放送を主たるといいますか主要な
教育手段の
一つとする
大学、つまり
放送大学を
設置することには、これから申し上げますようにいろいろな
要素を考慮する必要がありますが、
わが国の
高等教育の充実策の
一つとして十分考慮に値すると考えます。
しかしながら、これを
実現していくに当たっては、慎重に考慮しなければならない問題が多々ございます。細かな点は後に
法案との関連で取り上げることにいたしまして、さしあたり
一般論として次の
三つのことを申し上げたいと存じます。
すなわち
一つには、
大学教育と
放送というのは、それぞれの
大学なり
放送なりの従来の
あり方をそのまま前提とする限りでは、相いれないものがあると私は考えます。
大学における
教育の中核と申しますか
中心的部分は、古典的には、教官が自己の
学問研究の成果を
学生に披瀝する、さらに
学生とのコミュニケーションの過程を経てより真理に近づこうとするところにあります。またその際、どういうふうにしてこれを
教育するかという
教授方法の自由も
教授の自由に含まれるものと考えられるわけでございます。これに対しまして
放送においては、
放送事業者の
放送の自由を基礎としながらも、
社会における多様な
意見をこの
放送に反映いたしまして、自由な世論形成の素材を提供することを重要な任務としております。両者はもちろん、現象的には常に相反するというものではございません。しかし、
大学教育と
放送の持つ任務の違いということからいたしまして、現実にあらわれる形では両者は完全には一致するものではございません。したがいまして、
放送と
大学を安易に結びつけて、
放送大学というふうにすればそれで事は終わるというものではございません。また
大学のサイドから見ましても、
放送を主たる
教育手段とするという点におきまして、
放送大学は旧来の
大学とはかなり異質なものを含んでおります。また
放送サイドからも、
放送大学の
放送は、従来の
放送局の観念による
放送では律し切れないものがございます。その意味で私はかつて、いまから八、九年前でございますけれ
ども、
放送大学を正体のよくわからないぬえのようなものであると評したことがございます。
以上の点からいたしますと、
放送大学構想を
実現するに当たりましては、これを
一つの原理原則で割り切ることはできないという認識を持つことが最小限必要なことであろうと考えます。さらに申しますと、仮に
放送大学を設立しようとするならば、自覚ある妥協と申しますか、冷静な比較考量が各種の面で必要であると思います。これが
一般論として私の申し上げたい第一の点でございます。
第二の点は、いま申し上げたことと
関係いたしますが、既存の
放送及び
大学のそれぞれの分野に対して
放送大学が与えるインパクトを十分考慮しておく必要があることでございます。
第三に、私は先ほど
大学教育と
放送の違いというものをやや強調して申し上げました。しかし実は、両者にはきわめて重要な点で共通性がございます。それは、両者ともに国家権力、特に行政のコントロールからできるだけ自由な存在でなければならないということであり、また現にそうであるということでございます。この点は、両者を結合した
放送大学にそのままあるいは一層当てはまることでございます。
以上の基本的前提に立ちまして、次に
法案に関する私の具体的な
意見を申し上げます。
まず、概括的な印象を言わせていただきますと、この
法案は、いま申し上げたような複雑な問題に関しましてかなり目を配ったものであると評価するに私はやぶさかではございません。しかし、なお考慮すべき幾つかの問題があると考えます。この点私はさしあたり、学園及び
大学に対する政府のコントロール、学園及び
大学の
機関、学園における
教育と
放送の
三つにしぼって順次申し上げたいと思います。
最初に、学園及び
大学に対する政府のコントロールについてでございますが、
法案は、コントロールを限定的なものにすることにかなりの意を払っていると思います。たとえば
法案第三十六条は主務大臣の監督命令権を定めておりますが、それは財務、会計事項に限られており、こういったやり方は、通常の
特殊法人には見られない限定の仕方でございます。また、人事に関する
文部大臣の任免権のうち、
学長に関しては、
法案第二十一条により
評議会の申し出に基づくこととされております。
なお、
評議会はほかにも、教官人事等につき
権限を有するものとされていますけれ
ども、それが
諮問機関にすぎないのではないかという批判的見解を聞くことがございます。条文の形は確かにそういうふうに読めますが、実質的には
評議会は決定
機関であると解釈すべきものと考えられます。ちなみに申しますと、国公立の
大学の
評議会も、形式的には
諮問機関でありますが、実質的な決定
機関として解釈、運用が一定の部分についてなされているということからもこの点は明らかでございまして、
放送大学の
評議会をこれと異なって解釈する
理由は全くありませんし、また、
法案の
提出者もそのような考えには立っていない、むしろ
教育公務員特例法と同じような考え方でこの
法案が立案されているものと考えます。
しかしながら、
理事長、
運営審議会の
委員に関する
文部大臣の
任命権の
あり方につきましては、私はかなりの疑問を持っております。この点は、学園の
機関の問題と関連しますので、次にまとめて申し上げます。
そこで、学園に置かれる
機関の
あり方についてでありますが、第一の点として、
理事長、
理事等の
役員の問題があります。
法案第九条によりますと、
理事長が学園の業務を総理し、各
理事が個別に
理事長を補佐してそれぞれ業務を掌理するという
構成がとられております。つまり、
理事長を上司、それぞれの
理事を下僚とするというピラミッド的、階統的
システムがここに見られるわけでございます。言いかえれば、
理事会という合議体は少なくとも法文の形には出てまいりません。しかし、学園の管理機構の
あり方として、こういった独任制的なピラミッド的
構成が適しているのかどうか。私は、
放送大学学園のような業務をつかさどるところでは、むしろ
理事会という合議体によって学園の業務の重要事項についてその意思決定がなされていく、そういった仕組みをとるのが適していると考えます。実行上このような仕組みをとることも可能でありますけれ
ども、法律上この点が明らかにされていることが望ましいと思われます。
この点との関連で、
理事機関と
大学の
機関との人的
関係が問題となります。
法案第十条では、
学長が当然
理事になるまたは
理事長となることもあり得るとされ、そのこと
自体は適切な措置と思われます。しかし、後に見るような学園と
大学の微妙な
関係からいたしますと、
放送大学の教官の
理事ポストをいま少しふやすべきではないか。学校
法人でも
理事に相当数の
大学教官が就任しているということも聞いております。
さらに、現在の
法案の形ではなおさらのことですが、仮に私が御提案した
理事会方式というものを採用した場合でも、
理事長の職はきわめて重要なものであります。この点にかんがみますと、
法案のような、
任命に際しての積極的資格要件も
手続要件も全くなく、まさに裸のままに
文部大臣に
理事長の任免権をゆだねるということには疑問の余地があります。
任命に際して何らかの
手続的手当てが考えられないものでありましょうか。具体的には、他の
大学関係機関等の
意見を徴するといったような手法が考えられます。もっとも、これを法文化するということには立法技術上の困難性も考えられないではありませんが、最小限、実行上、
文部大臣の任免権が公正に行われるよう特段の配慮をお願いしたいところでございます。
学園及び
大学に置かれる
機関について第二に申し上げたいのは、
評議会及び
教授会でございます。
本
法案においては、
大学の意思形成に関し、
評議会に重要な機能を持たしめているようであります。私個人の解釈だけでなぐ、従来の
一般的な解釈、運用に従っても、人事案件等につき、
評議会は単なる
諮問機関ではない、そういうものと見られるべきものではないということはさきに述べたとおりでございます。これに対して、
教授会については本
法案は特段に触れるところがございませんので、
学校教育法第五十九条の
教授会に関する
規定が
放送大学にも適用されることになります。ただ、本
法案における
評議会の審議事項に関する部分については、
評議会の決定というものが
教授会のそれに形成的には優先することになろうかと思われます。このような
あり方は、従来の国立
大学と異なっていることは事実でありますが、
放送大学の教官の勤務条件等を考慮しますと、ある程度はやむを得ないものではないかというふうに考えます。ただ、これによって
教授会が軽視されてはならないのでありまして、評議員の選出
方法であるとかカリキュラムの作成、
教授会メンバーの
意見の反映
方法等、
放送大学において自主的に合理的な方策がとられるよう切望するところでございます。
機関の
関係で申し上げたい第三の点は、
運営審議会でございます。
こういった審議会を置くことに私も賛成でございますが、その
任命権が
文部大臣に完全に留保されているのは、学園に対する
文部大臣のコントロールとの
関係から見て問題のあるところでございます。筑波
大学の参与会あるいは学校
法人の
評議員会の場合を参照いたしますと、
構成メンバーに国公私立
大学関係諸
機関の代表を加えるとか、学園に
メンバーの推薦権を認めるとかいったような点が少なくとも実行上はなされるべきであり、かつ、これを法律の上に明記することも一案かと考えられます。
学園の
組織の
あり方につきましては、
教育部門と
放送部門の
関係の問題がございますが、これは、これから最後の項目として申し上げる
大学と
放送の問題の一環として取り上げることにいたします。
そこで、
大学教育と
放送の
関係でありますが、まず本
法案では、
放送法第四十四条第三項が準用されております。
放送大学の
放送が
一般公衆も受信し得るものである以上、この条項を準用するかどうかという法形式はともかく、この種の
規定を置くことはやむを得ないものではないかと思われます。しかし、その場合には、
教授の自由というものとの抵触が当然問題となってまいります。
先ほど申しましたように、従来の
あり方を前提とすれば、
教授の自由、とりわけ
教授方法の自由というものは
制約を受けることにならざるを得ません。しかし、この
教授方法の自由というものに関するある程度の
制約は、
制約の合理的範囲内に入ると考えられるように思われます。問題は、
教授のたとえば政治的な問題に
関係する
教授自身の研究成果発表の自由であります。これが全く許されないならば、それはもはや
大学における
教育の名に値しないと思われます。しかし、
放送法四十四条三項はそれまで禁止しているのかどうかという点が問題となります。同条の解釈問題としては、一体民間
放送事業者にいわゆる論説
放送が許されるかどうかという点とも関連いたします。この点、かつて私は多少かたい態度をとっておりましたが、現在では、論説
放送がいかなる意味においても禁止されているというわけではないというのが
一般的な解釈であります。まして
放送大学の場合は、
大学の
意見というのではなくして、出演者たる教官の
意見でありまして、いま申し上げましたように、その
意見の述べ方、
教授の
方法という意味での述べ方には一定の
制約は加わるにせよ、述べること
自体は
放送法の枠内でも可能であると考えます。ただ、いま申しましたような筋からいたしますと、本条項の解釈、運用に当たりましては、NHK、さらには
一般放送事業者の場合と異なったものがあってしかるべきであること、それからまた、この点に関する十分な合意が必要であるということを念のために申し上げたいと存じます。
次に、本
法案では、
放送事業者は学園であり、
放送局の免許も学園に対してなされることを予定しているように思われます。そういたしますと、
教育については
大学が
権限と
責任を持ち、
放送については学園、つまり結局のところは
理事者が
権限と
責任を持つことになります。しかし、
放送大学は
放送を主たる
教育の手段といたしますので、両者はその最も重要な部分で重なり合うということになります。そこで両者が緊密な協力
関係に立つということが
要請されるわけですが、仮に両者の間に見解の相違が生じたという場合に一体どうなるのか。
放送局は学園側にあるので、最終的にはその
意見が通用するように法文上は読めます。しかし、それでよいのだろうかという点が問題であります。
この点は、内部
関係でもあり、法律上明文化しがたいところとは思いますけれ
ども、問題が生じましたときに、さきに指摘しましたように、
大学の自律的判断が確保されるような形で、両者の調整を図る場があらかじめ設けられているのが望ましいというふうに考えられるわけであります。この点は十分な
検討を必要とするところと存じます。
以上をとりまとめて申しますと、私は、
放送を主たる
教育手段の
一つとする
大学を設立することの意義は認めます。また、そのために
特殊法人を設立することは、それが国営
放送ないし準国営
放送となるから許されないというふうなことにはならないと思います。また、
放送大学の
放送に
放送法四十四条三項を適用するというふうにいたしましても、そのことにより、
放送大学はいかなる意味でも
大学ではないというふうには言えないと思います。
しかし、
放送大学の健全な発展を期するためには、以上申し上げた点、特に政府のコントロールの抑制の
方法につきなお
検討の余地が残されているとともに、
放送大学の特別の性格につきまして、
関係者のみならず
国民の間にも広く了解が存在していることが必要であるというふうに考えます。
以上でございます。(拍手)