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1979-03-02 第87回国会 衆議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十四年三月二日(金曜日)     午前十時三十一分開議  出席委員    委員長 坂本三十次君    理事 石橋 一弥君 理事 小島 静馬君    理事 近藤 鉄雄君 理事 森  喜朗君    理事 木島喜兵衞君 理事 嶋崎  譲君    理事 石田幸四郎君 理事 中野 寛成君       唐沢俊二郎君    久保田円次君       坂田 道太君    塩崎  潤君       菅波  茂君    塚原 俊平君       藤波 孝生君    千葉千代世君       中西 績介君    長谷川正三君       湯山  勇君    池田 克也君       鍛冶  清君    伏屋 修治君       玉置 一弥君    山原健二郎君       西岡 武夫君  出席国務大臣         文 部 大 臣 内藤誉三郎君  出席政府委員         文部大臣官房長 宮地 貫一君         文部大臣官房会         計課長     西崎 清久君         文部省初等中等         教育局長    諸澤 正道君         文部省大学局長 佐野文一郎君         文部省学術国際         局長      篠澤 公平君         文部省体育局長 柳川 覺治君         文化庁次長   吉久 勝美君  委員外出席者         国立国会図書館         副館長     酒井  悌君         公正取引委員会         事務局取引部取         引課長     川井 克倭君         文化庁文化部著         作権課長    小山 忠男君         自治大臣官房総         務課長     大林 勝臣君         文教委員会調査         室長      中嶋 米夫君     ————————————— 委員の異動 二月二十三日  辞任         補欠選任   西岡 武夫君     永原  稔君 同日  辞任         補欠選任   永原  稔君     西岡 武夫君 同月二十七日  辞任         補欠選任   池田 克也君     二見 伸明君   西岡 武夫君     永原  稔君 同日  辞任         補欠選任   二見 伸明君     池田 克也君   永原  稔君     西岡 武夫君 同月二十八日  辞任         補欠選任   中西 績介君     安井 吉典君   長谷川正三君     石橋 政嗣君   伏屋 修治君     坂口  力君   山原健二郎君     不破 哲三君   西岡 武夫君     永原  稔君 同日  辞任         補欠選任   石橋 政嗣君     長谷川正三君   安井 吉典君     中西 績介君   坂口  力君     伏屋 修治君   不破 哲三君     山原健二郎君   永原  稔君     西岡 武夫君 三月一日  辞任         補欠選任   中西 績介君     安宅 常彦君   山原健二郎君     不破 哲三君 同日  辞任         補欠選任   安宅 常彦君     中西 績介君   不破 哲三君     山原健二郎君 同月二日  辞任         補欠選任   湯山  勇君     稲葉 誠一君   鍛冶  清君     坂井 弘一君   玉置 一弥君     大内 啓伍君   西岡 武夫君     永原  稔君 同日  辞任         補欠選任   稲葉 誠一君     湯山  勇君   坂井 弘一君     鍛冶  清君   大内 啓伍君     玉置 一弥君   永原  稔君     西岡 武夫君     ————————————— 二月二十一日  私学助成にに関する請願井上一成紹介)(  第一一〇一号)  私学学費値上げ抑制等にに関する請願池田  克也君紹介)(第一一〇二号)  同外二件(池端清一紹介)(第一一〇三号)  同(浦井洋紹介)(第一一〇四号)  同外三件(岡田春夫紹介)(第一一〇五号)  同外一件(長田武士紹介)(第一一〇六号)  同外三件(北山愛郎紹介)(第一一〇七号)  同(島本虎三紹介)(第一一〇八号)  同外一件(長田武士紹介)(第一一三四号)  同(野村光雄紹介)(第一一三五号)  同外二件(和田一郎紹介)(第一一九二号)  同外四件(岡田利春紹介)(第一二二四号)  同外十六件(加藤清二紹介)(第一二二五  号)  同(北側義一紹介)(第一二二六号)  同(斎藤実紹介)(第一二二七号)  同(島田琢郎紹介)(第一二二八号)  同外二件(塚田庄平紹介)(第一二二九号)  同外四件(芳賀貢紹介)(第一二三〇号)  同外二件(美濃政市紹介)(第一二三一号)  同(安井吉典紹介)(第一二三二号)  四十名学級実現等に関する請願野口幸一君  紹介)(第一一三六号)  同(野口幸一紹介)(第一一九一号) 同月二十六日  希望するすべての子供高校教育保障に関する  請願長谷川正三紹介)(第一二五〇号)  私学学費値上げ抑制等に関する請願池田克  也君紹介)(第一二七六号)  同(島本虎三紹介)(第一二七七号)  同外二件(横路孝弘紹介)(第一二七八号)  同(草川昭三紹介)(第一三七一号)  就学援助改善に関する請願枝村要作君紹  介)(第一二七九号)  四十名学級実現等に関する請願野口幸一君  紹介)(第一二八〇号)  私立大学学費負担軽減等に関する請願(宮田  早苗君紹介)(第一二八一号)  私立大学教育研究条件改善等に関する請願  (永末英一紹介)(第一三三六号)  同(永末英一紹介)(第一三七二号)  同(嶋崎譲紹介)(第一三八九号)  障害児義務教育保障に関する請願山原健二  郎君紹介)(第一三三七号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法  の一部を改正する法律案内閣提出第二九号)  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 坂本三十次

    ○坂本委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。湯山勇君。
  3. 湯山勇

    湯山委員 内藤文部大臣にこうして質問申し上げますのは、振り返りてみますともう二十何年ぶりのことでございまして、大変なつかしく思いますとともに、この際改めて大臣御就任をお祝い申し上げたいと思います。  偶然かもしれませんけれども、この部屋のあそこに当時の清瀬文部大臣の肖像もございまして、こう舞台がそろいますとやはり教育行政の問題ということについて聞かなければならないというような感じもいたしますし、たまたま私はきょうは教育行政教育委員会の問題についてお尋ねいたしたいと思います。  この一年ばかりの間に、教育行政教育委員会の問題で非常に大きな出来事だと思うことが二つございました。その一つは、東京都の中野区で教育委員の準公選——正確には公選ではありませんが準公選の決議が行われて条例が制定されたという問題で、いま一つは、昨年の六月の十二日に、都道府県とそれから指定都市教育委員会委員長教育長会議がございまして、その際文部大臣から教育長人事について要請があったというのか、注文をつけたというのか、かってなかったことでございますけれども、ともかく教育長人事についての発言があった。この二つの問題でございます。  この二つの問題の一つ中野区民といいますか、住民サイドの問題であるし、いま一つ教育行政最高責任者である文部大臣の問題であって、これも非常に対照的な面を持っていると思います。私はきょうは後者の方を中心にして取り上げたいのですけれども、前者もまた非常に重要でございますから、この二つについていろいろお尋ねをしていきたいと思います。  もう一度確認しておきたいと思いますことは、教育基本法の第十条に教育行政ということについての規定がございますが、それによれば、御存じのとおり、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件整備確立を目標として行われなければならない。」とあって、つまり、教育行政心構えとして、一つは不当な支配に服してはならないということ、いま一つ国民全体に直接責任を負って行われなければならないということ、この二つが非常に強く示されております。いまお尋ねする二つの問題は、この二つのことに非常に強く関連してきている。こういう観点からのお尋ねでございます。  まず、中野区の問題ですけれども、これは区民の直接請求で、それも法定数は何でも五千くらいだそうですけれども署名の数は二万を超えている。そういう署名によって直接請求がなされて、教育委員任命するのは区長でございますから、公選によって選ばれた人の中から区長任命する。任命基本は崩していないのですけれども、そういうことを請求して、これが昨年の十二月の十五日に議決されたという問題がございました。この十二月の十五日の日なのか、その直前にとにかく文部省はそのことは違法あるいは違法のおそれがあるというコメントを発表しておりますが、そういうことがあったにもかかわらずこの条例は可決された。  区長はそれに対して、これは違法の疑いがある、違法であるということから自治法百七十六条によって再議に付した。けれども、十二月の二十六日の臨時議会で再議決を行った。そこでさらに区長は本年の一月八日に、自治法の百七十六条の四項によりまして都の方へ審査請求をいたしております。審査請求は、これも九十日以内に裁定しなければならないということで、一月の八日ですから四月四日くらいでしょう。もうあと一カ月余りということになっておりますが、こういう事実を一応確認しておきたいと思うのですが、局長御存じですか。
  4. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 承知いたしております。
  5. 湯山勇

    湯山委員 そこで、私はきょうは法律論でそれは違法だとか違法でないとか、そういうことを議論しようというつもりはございません。申し上げたい問題はそれじゃなくて、このことをどう受けとめなければならないかという問題なのです。  御存じのとおり、公選制教育委員任命制になるという、あの法律を審議する過程においては、議場の中に警官が入るとか、ずいぶん大混乱、大波乱がございました。しかし、今度のこの中野区の住民要求というのは、それが尾を引いて再燃したとか、それにつながりを持った人たちがどうこうしたというのではなくて、いわば全く自然発生的に住民の間から出たものだというように都の方も理解しておるようですが、文部省もそのように理解しておられるかどうか。局長から伺いたい。
  6. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 私は、三十一年の公選制廃止という経緯と全く関係ないというふうには見られないのではないか、やはり、今回の中野区民運動もそういう歴史的な背景を踏まえた上の議論ではないか、というふうに考えます。
  7. 湯山勇

    湯山委員 私が東京都の担当をしておる庶務部から聞いたところでは、そういう当時の団体がやったとか、あるいはそれにつながりを持っていた人がやったのではなくて、理由として挙げているところは、住民の間で、今日の教育の荒廃、落ちこぼれの問題、それから非行の問題、それからきょうも新聞にも出ておりましたし、ニュースにも出ておりました青少年自殺の問題、こういった問題が多い。このときに教育委員会がもっと教育委員会としての機能を発揮してもらいたい。  もともと中野区の区長は、自分の政治の姿勢として住民参加ということを常に言っておりますし、けさも朝日新聞を見ますと、中野区長がやめる言葉にも住民参加ということがあります。それを局長はあえて前の問題とつながっておるというように独断するというのは一体どういうわけですか。この経緯を踏まえておりますか。
  8. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 私が申し上げたのは、いまの先生の御指摘のように、今回の関係者議論というのは、いわば教育行政あり方としてこうあるべきだというようなことで意見が集約されたという、そのことをさらさら否定するつもりじゃありませんけれども、およそ制度改正ということになれば、これまでの歴史経過を検討するというようなことは当然あり縛るだろうと、こういう趣旨でございます。
  9. 湯山勇

    湯山委員 それならわかりました。かつてそういう制度があった。そういうふうになればという願いがあったこと、形式的にはそうですが、実質的にはいま私が言ったことをお認めになっておられますので、それでいいと思います。  そこで、これは基本法のいまの心構えとして、直接国民責任を持つという、そういう対応がやはり欠けていた。現に中野区にも教育委員会はあるわけですからね。しかし、これがどうも機能していない。このときに教育委員会がもっと本当に地域住民国民のためにやってもらいたい、それにはどうするか、いまの状態ではどうもぐあいが悪い、もっとわれわれにつながる教育委員会になってもらうためには委員を、公選じゃないけれどもその一線は守る、任命は守るけれどもわれわれが選んだ中から選んでもらいたい、こういうことですから、まず、その間の経緯も踏まえた上でのやむにやまれぬ要求であると受け取るべきだと私は素直に思いますが、大臣はどうお考えでしょうか。
  10. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 湯山先生もよく御存じだと思いますが、私もあの当時文部省におりまして、たしか大連文相のときだったと思いますが、御説のとおりアメリカは教育委員を全部公選制にしたのですよ。公選制でやったところが、やはり結果は———————————というおそれが非常に強かったので、それで警官隊の導入までして教育委員任命制にした。しかし、任命制にしたからといって、これは知事や市長が公選されていますから、その方々議会承認を得て任命する。だから、教育委員が公正に任命されるという趣旨でございまして、不当な支配に属さない、そして国民に直接責任を負うという基本方針は、私は変わっていないと思っておるのです。
  11. 湯山勇

    湯山委員 大臣の御答弁に多少問題もありますけれども、それをいま聞いておるのじゃないのです。中野区の今度の動きというものは、いまのような不当な支配とかなんとかというものじゃなくて、地域住民の、そういう現在の経過、現在の制度を踏まえた上で、いまの教育委員会というのは基本法にあるように住民にもっとこたえてもらいたい、現在起こっておる落ちこぼれだとか非行だとか自殺とか、そういうものにもつと対応してもらいたいという気持ちから出てきたものだということを大臣はお認めになりますかと、こう言っておるのです。
  12. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 住民のお気持ちはわからぬわけではございませんけれども、しかし、教育というものは非常に大事なものでございますから……
  13. 湯山勇

    湯山委員 それだけでいいのです。そこまでで結構です。私は、いま、この制度の問題を議論しようと思っていないと申し上げた。  そこで、今度は大臣お尋ねしたいのですが、大臣は当時社会教育局長もされましたね。公選制教育委員というのは、学校教育はもう体系づけられて整っておったので、何をやるかというと、まあ学校教育の方は任しておけ、むしろわれわれのすることは社会教育だというので、公選制教委になって社会教育が非常に振興した。ところが、任命制になってみるともう今度は変わってきますから、そこでそのことを一つの契機にして社会教育が、ずっと潮が引くように従来の盛り上がりが欠けていった。こういう事実を御記憶になっておられると思うのですが、いかがですか。
  14. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お説のとおり、文部省は六・三制に追われておりまして、御承知のとおりなんです。大変なんですよ。六・三制を発足させて今日教育が非常に普及したことは、私は成果だと思っておりますけれども、確かに社会教育体育の面がおろそかで——おろそかにしたわけじゃないのですけれども学校教育に追われていた。そういう意味でいま体育社会教育に大いに力を入れてこれからやりたい、こう思っておるわけでございます。
  15. 湯山勇

    湯山委員 それじゃ質問を続けます。  そこで、私が申し上げたい点は、公選制の民主的に選ばれた教育委員というものは、学校教育の方は文部省とかそれぞれ従来の系統的なものが秩序立ててやっておるということもあって、住民にこたえるというのはむしろ社会教育の面で、これは非常に振興した。しかし、任命制になると、今度は社会教育面への対応がずっと弱まっていった。これも事実であったし、当時大きな社会教育法改正があって、私も取り上げまして、あるいは大臣もお認めになっておった点だと思うのです。  そこで、私がここで指摘したいのは、いま起こっておる運動あるいはこの動きというものは、現行の教育委員会というものに対する飽き足りないものあるいは不満、そういうものがその根底にあるということは否めないと思うのですが、この点はいかがお考えでしょうか。
  16. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 公選制あるいは準公選制を主張される方々理由といいますか、そういうものはいま先生がおっしゃったような考え方だろうと思います。  ただ、私からちょっとわれわれの考えをつけ加えさせていただきますと……
  17. 湯山勇

    湯山委員 それは後でいいです。文部省考えは後で聞きます。  まず聞きたいのは、東京都がこれを認めたらどうなさいますか。東京都が認めたら文部省はどうなさるか。
  18. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 これはそのときになって判断すべきことだと思いますけれども、ただ、制度上は今度は区の当局が裁判に持ち込むという道があるはずでございますから、その結果を見た上で私どもは判断をしたいと思います。
  19. 湯山勇

    湯山委員 そういう対応でいいかどうか、これは一つ問題として残します。後で結論的なものは申し上げます。  それから、これとは別に、都内の三区ですか、四区ですか、ここからやはり、いまの区の教育委員会ではいろいろ不便である、せめて普通の市並み権限を持った教育委員会にしてもらいたいということから、地方教育行政組織及び運営に関する法律の第五十九条を廃止してもらいたいという意見書が区の議決を経て文部省に来ておりますが、局長御存じですか。
  20. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 承知しております。
  21. 湯山勇

    湯山委員 これに対して、たてまえから言えばちゃんと法律で決められておることでもあるし、それなりの区分もあるし、整合性を持っておるので文部省は変える意思はないということを回答しておりますが、そのとおりですか。
  22. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ただ変える意思はないということは申し上げておりません。その理由は、ちょっと先生がおっしゃるとおりではないと思います。
  23. 湯山勇

    湯山委員 とにかく、変える意思なしと……。
  24. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 はい。
  25. 湯山勇

    湯山委員 これだけ法律的には整っておっても、これは三区あるいは四区かもしれませんが、それだけの問題じゃなくて、東京都の二十三区全区の何か審議会がありますね。特別区政調査会、この答申もやはりそうしてほしい、つまりいまのままじゃ住民要求にこたえられないということで同じように五十九条廃止答申がなされ、中野区初めそういうことを痛感しておる幾つかの区が意見書議決して文部大臣に出しておる。こういう状態です。いいですね。  そこで、これに対して文部省は一体どういう態度をおとりになっておるのですか。
  26. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるように、三区からは意見書が出ておるわけでございますが、この問題は東京都と特別区との間の権限あり方の問題でございますから、特別区の方である希望を持ち、東京都がそれにどういうふうに対応するか、両者の意見というものがはっきりしなければいけないわけですが、私どもはこういう御要望がありましたから都の方にも連絡いたしまして、東京都は一月の末に教育委員会を開催してこの問題を議論した。  しかし、なお慎重に検討すべき課題であるからもう少し検討したいというふうにわれわれに回答がございましたので、そこでいま申し上げましたように、文部省としては現時点で改正する意図はないけれどもなお慎重に検討したいと、こういうふうに申し上げているわけでございます。
  27. 湯山勇

    湯山委員 これは法律改正ですが、東京都の問題ですか。
  28. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 法律改正の問題でございますね。東京都にかかわる法律改正の問題だと思います。
  29. 湯山勇

    湯山委員 それならどこの責任ですか。法律改正はどこの責任ですか。
  30. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 責任といいますか、改正するのは地方教育行政組織及び運営に関する法律でございますから、文部省が所管する法律でございます。
  31. 湯山勇

    湯山委員 いまのは東京都の問題だというので、あなた、文書でそう答えておるのです。これは文部省の問題じゃないとは書いてないのですけれども、とにかく東京都と特別区の問題だと答えておるので、一体いつこの意見書は出たのですか。
  32. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 去年の四月から六月の間でございます。
  33. 湯山勇

    湯山委員 回答はいつなさいましたか。
  34. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ことしの一月三十日でございます。
  35. 湯山勇

    湯山委員 何カ月かかっておるのですか。
  36. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 約半年でございます。
  37. 湯山勇

    湯山委員 そこに問題があるのじゃないですか。こんな簡単なもので、この回答は何行ありますか。
  38. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるように、その回答は紙一枚でございますからきわめて簡単で、数えておりませんけれども四、五行だと思いますが、ただ、これはここの回答にもありますように、東京都と特別区との合意を待って処理すべき問題だと  いうふうに文部省考えております。  したがって、東京都には何回かどういうふうに考えますかということを申し上げて、先ほど申し上げましたように一月末の教育委員会ではまだ結論に達しない、こういうことでございますからなお慎重に検討したい、こういうふうに申し上げたのであります。
  39. 湯山勇

    湯山委員 この答えは一日でできるのです。ちっとも基本的に変わっていないのです。  これだけ住民要求があって、教育委員会は実際に今日の教育の問題の多い中で住民要求にこたえていない、何とかこたえるようにしてもらいたいということで、その一つ市並み権限を与えてほしいという要求で、しかも区議会議決を経た民主的な順序を経た意見書です。しかも、文部大臣に直接来ている。それを、これだけのことを、いま言ったことを七カ月も八カ月もほっておいて、年を越して、砂田文部大臣に出たものの答え内藤文部大臣がする。これで一体姿勢としていいかどうか、大臣、どうお考えですか。
  40. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 恐らく文部省予算編成で忙しかっただろうと思いますが、そういうことはよくないと思います。やっぱり速やかに回答すべきです。
  41. 湯山勇

    湯山委員 本当にそうですよ。こういうことでは、いまの教育について本当に心配しているのはひょっとすると文部省の役人の皆さんではなくて、子供を持っている親、国民全体でしょう。それに対して何とかしてほしいという住民要求にこたえていない。だから、これは東京都だけの問題じゃないのです。中野区だけの問題ではなくて、その底流は私は全国にあると思う。このことを大臣局長もひとつしっかり踏まえて対処しないと、こんな簡単な答えを、きょう言うてくればすぐにでも出る答えを半年も一年近くも延ばして、しかも文部省は変える意思はない、慎重に対処するでは済まぬです。厳重に御注意申し上げます。  これから本当の文部省の問題へ移りますが、昨年の六月十二日の都道府県指定都市教育委員会委員長教育長会議文部大臣が言われたことですが、従来は、先ほど大臣が言われましたように教育長人事文部大臣承認事項になっておるけれども、しかし、教育委員というのは人格高潔で、教育文化あらゆるものに見識を有する人がなっておる。そういう人が選んだ教育長文部省が拒否するということはない。しかもこれには干渉しないということは当時から言い続けておったし、いまさっきも大臣はそういう意味のことをおっしゃいました。これはそのとおりだし、正しいと思います。ですから、このことは文部省はかなり厳重に守ってきて、過去において、京都とか大分とかで、ごく特殊な条件のもとに勤評反対だというようなことを言った教育長さんの承認を渋ったこと、あるいは大分のように特殊な経歴の人を、どういうことがあったのか渋った例はありますけれども、それを除いては教育長人事にとやかく言ったことはありませんでした。私は、そのことを守ってきたことについてはある意味で非常に敬意を表しております。  しかし、今度は特別なそういうものじゃないのです。全国の教育委員長、教育長に、教育長はこうあるべきだ、これじゃいかぬからこうせいということを言ったということなんです。従来の文部省の方針ががらっと変わっている。これはいろいろな意味できわめて重要である。それで、当時の新聞はこう伝えています。ある新聞には「教育長には適任者を」「文相 人事再考を促す発言」とあり、ある新聞には「教育長人事に注文」「文相プロの登用を求める」とあります。  そこで、局長お尋ねいたしたいが、一体どういう状況でこういうことを発言したか。こういうことをあえて——あえてという言葉を私は使いますが、あえて文部省が従来タブーとしておったそういうことを破って、しかも全国の教育委員長、教育長にこのことを言ったのか。それはなぜかということが一つです。  それから、大臣、木田事務次官、諸澤初中教育局長の三者がそれぞれに発言をしていますが、その概要を御報告願いたい。
  42. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 初めに当日の文部大臣以下の発言の要旨を申し上げます。  文部大臣は、「教育行政事務の主要な担い手である教育長その他の事務職員に、」と、「事務職員」と言っておりますが、これは主として指導主事等専門職的な意味だろうと思いますが、「教育行政の特質を十分理解した適任者を充てることは、住民教育委員会への期待に応え教育行政を進展させる上で特に重要なことでありますので、」云々と申して、これは教育行政の特質を十分に理解した適任者を充てるということを主眼としておるわけであります。  これにつきまして、当時の木田事務次官が補足説明をいたしておりますが、その趣旨は、「教育行政は息の長い継続的な性格を有することにかんがみ、教育長任命に当たっては、短期間に異動させることなく、じっくり腰のすわった教育行政が行われるよう配慮していただきたい。」ということでありまして、事務次官の趣旨は、選任そのものもさることながら、余りくるくると短期間に教育長をかえないようにしてほしいという趣旨でございます。  私は、このお二人の説明を十分体してひとつ今後お願いしますと、こういうような話でございます。  それで、その背景は何があったか……
  43. 湯山勇

    湯山委員 ちょっと待ってください。いまの木田次官の発言の中に、教育委員会の仕事はりっぱな教育長をつくることだと、こういう言葉がありましたか。
  44. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 前段にあったと思います。  それで、ではなぜこういうお話をされたかということでございますが、これは一般論としまして、現在の都道府県教育長そのものに不適格者がいるというふうには私どもはさらさら考えておりませんけれども、やはり、立法の趣旨に従って教育行政の特質を十分理解していただけるという意味で、より教育長としてふさわしい方を選任してほしいという要望がありますことと、関連しまして、最近の教育長の人事等を見ますと短期間で異動されるというケースがありますので、そういうことを踏まえまして、今後は一層教育行政の充実を図るためにいまのような点を留意して教育長を選任していただきたいと、こういう趣旨でございます。
  45. 湯山勇

    湯山委員 局長、この問題は余り遠慮せずに答えてください。私はこの一連の動きというものは評価しておるのですから、決してあなた方をどうこう言うつもりはないのです。これはあなたにも申し上げたと思いますけれども、近ごろ文部省のやったことでは非常にいいことだと言っておるんです。  それで、いまのように余り不適当な人はいないと思うけれどもなんか言うのならば、大臣はなぜ適任者を充ててほしいと言うのですか。おかしいでしょう。どうですか。
  46. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 いま申しましたように、私は、この趣旨はより適任者を選任するという趣旨だと思うのです。
  47. 湯山勇

    湯山委員 文部大臣は「より」なんと言っていないのです。それはないでしょう。もう一遍答えてください。
  48. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 この原稿にはございません。
  49. 湯山勇

    湯山委員 原稿はあなたが書いたんでしょう。  大臣、聞いておってください。これは大事なんですからね。ああいうふうに大臣が言ったことをまともに答えないで、「より」をつけたりするから事がおかしくなるのです。そうじゃないですか。局長の書いた原稿に「より」がないのを自分で「より」をつけて答弁するのは、これは教育行政の最高の責任者のとるべき態度じゃない。これはあとまだあるのですけれども、時間の関係もありますから進めます。  現在の実態は、文部大臣が言ったように、局長の原稿にあるように、本当に教育行政の特質を理解した適任者がだんだんなくなっていっておる。このことです。でなければ、おまえのところ、おまえのところで済むのを、なぜ一体全国を集めてやったか。ここに問題がある。  そこでお尋ねしますが、その後で初中局長かだれか知らぬけれども、「初中局長によれば」という表現等で、こういうふうになっておるからだというふうに記者団に状況説明をしましたか。
  50. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 記者団に説明をしたことはございません。  ただ、その後で個々の新聞関係の方が見えて話したことはあったかと思います。
  51. 湯山勇

    湯山委員 話した内容を、ちょっと概略言ってください。
  52. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ちょっと記憶いたしておりません。
  53. 湯山勇

    湯山委員 どの新聞も大体共通しておることは、「教育長に素人の就任が多い」ということ、「任期が短い」ということ、それから「部長のたらい回し」ということで、ここから向こうは言ったかどうか若干問題があると私も思うのですが、「教育長のポストを知事選挙の論功行賞に使ったり、教育長の動向を知事部局が左右する傾向が少なくない」。これは「文部省初中局によると」という見出しと、いま一つの新聞は「文部省初中局は」と響いてありますが、これも私はまんざら間違っていないと思うのです。  そこで、お聞きしますが、現在の教育長都道府県の四十七名の中で、知事部局からいまのようにたらい回しの形で就任した教育長は何名おりますか。
  54. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 これもまた注釈をつけるとしかられるかもしれませんけれども、とにかく前に教育委員会にいた方で知事部局に行った方もありますけれども、そういう者も含めて二十四名でございます。
  55. 湯山勇

    湯山委員 四十七名ですね。その中の二十四名。そのほかに政府の中央官庁から直接ストレートに行っておる教育長、これが何名ありますか。
  56. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ストレートに行っておりますのは四名でございます。
  57. 湯山勇

    湯山委員 それを二十四名に加えると二十八名ですね。この二十八名は教育職責の前歴がありますか。
  58. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 そこであと教職歴がある方が何名いるかということになると思うのですけれども、これは五十四年三月現在で二十名でございます。
  59. 湯山勇

    湯山委員 二十八名の中に何名ですか。
  60. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ちょっとそういう調査をしておりません。
  61. 湯山勇

    湯山委員 私が地方から聞きますと、どうも一名ぐらいのようです。ですから、あとの二十七名ですか、それはそれを持っておりません。  そこで、教育長の資質です。免許制のときもあったし、条件がつけられていた。資格条件があったこともありました。しかしそれは取り払われた。これはいいことだ、構わぬとして、資格条件が取り払われたけれども教育長教育公務員です。これは厳として動かない。そこで文部省は、免許制、資格要件がなくなったとしても、教育長に求められる資質というものは変わったと考えておるのか、変わったと考えていないのか、これをまず伺いたい。
  62. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 免許制度ないしはその任用資格は取り払いましたから、具体的に経験年数その他を要求はいたしませんけれども基本的には先ほど大臣のお話にもありましたように、教育行政の特質を十分理解した、いわば教育に対して理解と識見を持たれる方という意味では同じだと思います。
  63. 湯山勇

    湯山委員 文部省の言葉で言えば、常に言っておる言葉があるのです。教育長の持っておる資質について、どういう言葉ですか、これはもう二十年来言い続けてきておる言葉です。問い方が悪いが、ずっと文部省から教育委員会月報へ「講座註解 地教行法」というのが出ています。これは五十二年の三月号ですが、特に教育長のことがあるのです。  それで、免許あるいは資格要件がなくなっても教育長に求める資質というものはやはり変わりないのだ。それはずっと言っておるとおり、「教育に関し専門的識見を有するとともに、行政的にも練達した人」、これが教育長の資質だと言っています。これは変わりありませんね。
  64. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるとおりです。
  65. 湯山勇

    湯山委員 そうすると、これらの二十七、八名の人はこの条件に合いますか。
  66. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 二十七、八名の方とおっしゃるのは、要するに教職歴のない方という意味だろうと思いますが、私はこの全部の方について承認の際関係したわけではございませんけれども、教職歴がなくても、いまの教育長さん方を見れば、教育そのものについての識見なりあるいは教育行政家としての行政能力なりはそれぞれおありになる方だというふうに考えております。
  67. 湯山勇

    湯山委員 私がさっききちっと言ったのをよく聞いておってくださいよ。「教育に関し専門的識見を有する」とあります。専門的識見がある方ですか。
  68. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 教育に関する専門的識見というのは一体何かという議論にもなるわけでございますけれども、そういう意味では皆教職経験はないわけですから、先生の経験があられる方のような意味での教職に対する経験、能力というものはないかもしれませんけれども、やはり、教育についてそれぞれの方がそれなりの見識を持っておられるという意味では、広い意味で教育的識見があるというふうに考えてよろしいのではないかと私は思っております。
  69. 湯山勇

    湯山委員 だれも教育的識見があるかないかを聞いておるのじゃないのです。あなたは教職というのは専門職だと言っておられますね。それからこの解説はあなたのところが、初中局がやっておるのですよ。それには教職の前歴持つ人ということが書いてあるのですよ。どうしてそんな御答弁が出るのですか。しかもこれは五十二年ですよ。(「正直に」と呼ぶ者あり)
  70. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 非常に正直に申し上げているつもりですけれども、確かに教育長は、現在でも教育公務員特例法で専門職だということになっておるわけです。だから、そういう意味で教育専門職でなければならぬというわけですが、特例法の対象になる専門職と言っても教育長もあり、指導主事もあり、社会教育主事もあり、一般の教員もあり、校長もありということですから、その専門性というのは、教員に要求される専門性と教育長要求される専門性というのはおのずから幅があってしかるべきじゃないかと私は思います。
  71. 湯山勇

    湯山委員 残念ながら、諸澤局長の言は三代前の文部大臣の言われたことと同じです。この問題は私は二度取り上げました。一つは奥野文部大臣のとき、昭和四十八、九年でしたかに取り上げたのです。それはいまのように知事部局の人事の一環としてなされている、その傾向が強まってきている、これでは教育委員会の自主性は守れないということで取り上げました。そのときの奥野文部大臣の答弁と同じ答弁を諸澤局長はしている。どう言われたかというと、教育行政の中には教育もあるし、それから予算や事務折衝もある、だからどっちか軽重は言えない、だから教育長としていいというのは幅があってどっちでもいい、だからこのことは気にならない、こういうことです。これが奥野理論です。だけれども、奥野文部大臣はずいぶんおわかりになっていないからというので問答をやめました。わからぬ人に言ってもしようがないからということでやめました。これは議事録を見てください。ですけれども、諸澤局長まで同じようなことを言うのでは、これは大変です。  次は永井文部大臣です。これはわかっていました。どう答えたかというと、いまのように教育長の拒否権はない、拒否はしない、だからどうかと思うのがある、むしろ部課長人事でやるというのは例外だ、しかし、いまのは例外が多くなり過ぎておる、残念ながら、例外というのは少ないのが普通だけれども例外の方が多くなりそうだ、しかしぼっておけない、教育公務員である教育長には教育公務員特例法によって研修というのがある、研修で補う、それしか手がないと、これが永井文部大臣の答弁です。  諸澤局長、あなたより永井文部大臣の方がよほどよくわかっておるのですよ。これはどうですか。
  72. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 それではちょっとしゃべらせていただきますけれども、実際に教育長承認で、例外だと先生が言われるような人をいっぱい持ってくるのです。私がこういう人じゃなくてもっと教育経験のある人はいないのかと言って聞きますと、委員長さんはいろいろ考えて、首をひねりながら、いることはいるのだが、いまの県の実情からすれば、先輩がまだ何人もいていきなり教育長に持ってくることはできないと言う。そうすると、年功序列の順序はけしからぬと言われるかもしれませんけれども、いまの日本の現状としてある程度やむを得ないと私は思うのです。  そういうことを考えますと、やはり、教育長の選考というものは、余り制約をしないで自由に候補者を選べるということ、その中から一番いい人はだれかということで選ばざるを得ないというのが現状だと思います。それを永井先生は例外措置とおっしゃったのかもしれぬけれども、例外というよりはそういう広い立場で見る方が実情やむを得ないのじゃないか。たてまえ論から言って、やむを得ないというのは例外だと言えば例外かもしれませんけれども、私はそういうふうに考えております。
  73. 湯山勇

    湯山委員 これは局長との論議ではどうも尽きないようです。  大臣はどうお考えですか。とにかく、教育長である以上は従来の方針どおり教育に関しては専門的識見を持つ、教育委員はレイマンコントロール、これは結構です。教育長はエキスパートでなければならないということは常に言われてきたことなのですが、いまのような形で局長の言うようになったのでは大変なことになると私は思うのです。大臣、どうお思いですか。
  74. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 教育長は非常に重要な職でございます。そういう意味で文部省はこれを承認制にしたわけでございます。ですから、承認制にしたけれども、せっかく県からお出しになったので、県の自主性も尊重しなければなりません。  ですから、教育委員長に適任者を選ぶように私もふだんから十分指導したいと思っておりますが、教育的な専門的な識見がなければならぬ。これは確かにおっしゃるとおりです。同時に人柄がよくなければならない。教育長というのは上に立つ人ですから、全教員から信頼され尊敬されるような人物でないと、いかに識見があってもだめだと私は思うので、そういうりっぱな人を選ぶように教育委員の皆さんに御指導申し上げたいと思う。
  75. 湯山勇

    湯山委員 大変結構だと思うのです。木田次官も大臣と同じことを言っているのです。局長は大事なことをみんな落として要らぬことばかり言うからおかしくなる。木田さんの言っておるのは、教育委員会の一番大事な仕事はいい教育長をつくることだ、教育長は全部の人たちから信頼される——どういう言い方をしたのですかね。どういう言い方をしたか覚えていませんか。木田さんの言ったのはいいことですよ。人柄が教育現場に影響を与えるような人が望ましいと言っておるのです。大臣と同じです。そう言ったでしょう。
  76. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 お聞きしております。
  77. 湯山勇

    湯山委員 そうでしょう。そういうことを言うてくださいよ。  そこで、文部省から二人行っていますね。文部省の前歴は何ですか。
  78. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 一人は官房の企画室長、一人は文化庁の著作権課長でございます。
  79. 湯山勇

    湯山委員 これは教育の専門職の経験がある方ですか。
  80. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 文部省にいたり県にいて教育行政には関係いたしておりますが、直接教職の経験はおありにならないと思います。
  81. 湯山勇

    湯山委員 そこから破られておりますね。  自治省から二人出ておられますが、前歴はどういう方ですか。
  82. 大林勝臣

    ○大林説明員 一人は自治省の市町村税課に勤めておりました者、もう一人は本四公団契約課に勤めておりました者でございます。
  83. 湯山勇

    湯山委員 本四架橋、瀬戸内海に橋をかける仕事の人が教育長適任者ということで、それから地方税ですか、その人が教育長適任者ということで教育長にぼっと行っておるのです。一体これでいいのですか。まず政府みずからえりを正すべきじゃないか。  自治省から一般の部長で行って教育長になっている人は何名おりますか。
  84. 大林勝臣

    ○大林説明員 県の中で知事部局に勤めておりまして教育長になっております者が六名おります。
  85. 湯山勇

    湯山委員 そういう状態です。  局長、知事部局の人事の支配というのはだれがするのですか。
  86. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 知事部局は知事でございます。
  87. 湯山勇

    湯山委員 知事部局の一環として教育人事が行われるということになれば、形式はともかくも、実質はだれの支配下にありますか。
  88. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 一環という意味でございますが、通常的な意味で言えば知事が実質的にコントロールするということだろうと思います。
  89. 湯山勇

    湯山委員 非常に素直にお答えいただいて結構でした。問題はそこなのです。教育委員会教育長を決める。これを破ってはいけない。ところが、教育委員会権限のもとにある教育長を、いま局長が正直に言われたように実質的に知事が支配している。こうなっている。だから任期も短い。二年で終わるのか、一年でかえられるのかわからない。そして、いまのように教育の専門的識見を持っていない者がじゃんじゃん来る。いまの言で言いますと、すでに全国四十七都道府県の中の二十八、過半数をはるかに超えています。これは正当な支配でしょうか。教育基本法の心得べきこととして、教育行政心構えとして、「不当な支配に服することなく、」ということがありますが、少なくとも正当な支配じゃないですね。  教育委員会の仕事は教育長をつくることだ、これも正しい。その教育長は、教育職員全体からりっぱな人だと言われる人でなければならぬ。任期もちゃんと落ちついてやれるようにしなければならぬ。みなそうです。しかし、根本は、教育委員会の唯一の権限である教育長の任免が知事によって支配されている。これは不当な支配とは言えないかどうか。大臣、どう思いますか。
  90. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は必ずしも不当とは申しませんけれども、要するに、知事の方から提案があった場合に、教育委員会が主体性を持ってこれは困ると言うぐらい、教育委員会がしっかりしてほしいと私は思うのです。  ですから、選考権は教育委員会にあるわけですから、知事の御要望は十分伺っても、無理な人事は教育委員会は拒否すべきだと私は思っています。
  91. 湯山勇

    湯山委員 大臣のお考えは非常に結構です。  自治省にお尋ねしますが、いまお聞きのとおりです。特に自治省からは六名も行っておる。そしてストレートで税金を取る人や橋をかける人が教育長になる。そういう場合、これは自治省が推薦されるのですか。
  92. 大林勝臣

    ○大林説明員 知事部局に参ります場合も、それから教育長に直接参る場合はちょっと例外と存じますけれども、いずれの場合も地元の任命権者からの御要請がございまして、任命権者と十分協議して行っております。
  93. 湯山勇

    湯山委員 あなたは、教育公務員特例法とか地方教育行政組織及びに運営に関する法律をごらんになって、それに照らして推薦しておりますか。
  94. 大林勝臣

    ○大林説明員 そういう教育公務員特例法その他の文部省関係法律については直接所管はしておりませんが、地元教育委員会の御要請に応じて当方があっせんをいたしまして、地元教育委員会の方が文部省とさらに協議をされまして教育委員会任命されるという手続になっていることは承知しております。
  95. 湯山勇

    湯山委員 教育行政の主管官庁は一体自治省ですか、文部省ですか。  教育長任命のそれは、部局人事の一環としてやられるから知事にイニシアがある、それからいまの自治省の方はこうやる、しかもとにかく全部で六名も送り出しておるということになると、文部省教育行政の主管官庁なのか自治省が主管官庁なのかわからぬことになりますね。どうですか文部大臣、残念でしょう。
  96. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 文部省が主管官庁でございますから、文部省教育長の人事を承認しているわけです。  ただ、これは湯山先生にも私は申し上げたいのですが、自治省の方もやはり教育行政に対して十分な理解を持ってもらいたい。とにかく地方行政で一番大きいのは文教関係ですから、そういう意味でお勉強していただくのは大事だと私は思うのです。  私自身が実は戦前に鳥取県の学務課長で行ったのが教育の始まりなんです。ですから、そのころ私も十分な識見はないですよ。ないけれども、私も本当に一生懸命やりましたよ。それで教育一筋に四十年来ましたから、勉強することもあるのですから、それは適任者ではないかもしれませんけれども、私は一生懸命やったつもりでございますから、そういう意味で自治省の方もお出になり文部省から出ることは、私どももよく指導いたしますから、ひとつその点はお認めいただきたいと思います。
  97. 湯山勇

    湯山委員 文部大臣はそれは二十何歳で課長で行かれたかも知りませんけれども、あなたはちゃんと高等師範という専門の教員養成の学校を出て、教育学もまともに勉強されて、しかもきわめて優秀な学生であった。本当にそうなんです。特に内藤さんの英語というのはまことに達者で、もしあなたが教職にずっとあって英語の学習書でも書けばベストセラーになるだろう。そういう人ですからできたのです。  いまは教育をぼっとやるというようなことは、本人あるいは行政はそれでいいかもしらぬけれども、それにつながる全国の教員のことを考えてください。それにつながる子供のことを考えてください。これだけ非行落ちこぼれがあり、とにかく何かの世論調査で見ると、日本の高校生は学校はおもしろくない、アメリカの方はおもしろい、それを考えたらそんな人情論や何かで済ませる問題ではない。ですから、大臣は注意すると言うなら、閣議で取り上げて、こういう事態は絶対にあってはならぬというようなことを言ってもらいたいのです。  というのは、いま自治省からだけを言いましたけれども、それだけではないのです。まだあるのですよ。農林省から農林部長か何かで行って教育長、建設省から土木部長か何かで行って教育長、通産省から商工部長か何かで行って教育長、こういうケースもあるのです。局長御存じでしょう。
  98. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 承知しています。
  99. 湯山勇

    湯山委員 いま何名おりますか。
  100. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 農林、通産、建設、各一名ずつでございます。
  101. 湯山勇

    湯山委員 そういうことなんです。いまに教育長というのは各省のなわ張り争いコンクールになる。だから教育長になって、当然教育に関し専門的識見を有しなければならぬ人が、「このたびはからずも教育長に就任いたしまして、教育のことは何にもわかりませんけれども」と、これですよ。  そこで、大臣は、この事態を憂えるならば、閣議でしっかりこのことを訴えて確認してもらうというぐらいなことは当然しなければならぬと思うのですが、いかがですか。
  102. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 この問題は府県の問題ですから、私はやはりこれは文部省として、府県がたらい回し人事をやったりいろいろなことをしないように、お説のように、教育に対する専門的知識を持ち、理解のある人柄のいい人、全教員から信頼されるような人でなければいかぬと思うので、私は文部省の初中局長時代全部自分で面接いたしました。  それで、教育長はりっぱな人であってほしいと思う。これがやはり教育行政の柱ですから、今後私もできるだけ努力いたしまして、教育長にりっぱな人がなっていただくように——たらい回しが全部いかぬというわけにもまいらぬと私も思うのですけれども、いい人ならいいと私は思うので、やはりりっぱな人が教育長になっていただいて、柱がしっかりしなければ教育は失敗してしまうと思いますから、今後とも改善いたしたいと思います。
  103. 湯山勇

    湯山委員 おっしゃることは大変よくわかるのですが、やはりちょっと足りないのは、毅然たる姿勢がもっとあってほしいのです。  というのは、たらい回しが必ずしも悪いとは言わないなんということを言わずに、それは悪いとなぜ言えないのですか。あなたは最高責任者でしょう。それはいけないとなぜ言えないか。ごく例外でそういう人があれば、たとえば文部省の大学局長から大学の学長になる人もありますが、それを悪いと私も言いませんよ。適当な人があればですが、それは例外なんです。原則はいけないのだということだって言い切るべきだと思うが、どうですか、大臣
  104. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 教育委員会議にもよく指導し、自治省にもよく御協力を願って、おっしゃるようにりっぱな人が教育長になっていただきたいと私は念願しております。
  105. 湯山勇

    湯山委員 念願だけではいかぬのですよ。あなたは承認責任がある人です。幾ら念願したってごらんのとおりです。  私は、この警告は四十九年にしておるのですよ。そのときは幅広くなっていいじゃないかと言い、その次は、まあそうは言うけれども今日の状態でやむを得ぬ、しかしこうやってカバーしますと、こうきておるのですが、今度は、清瀬さんも肖像でそこから見ておるのですから、あの当時言ったように、そういうことはいけないことだということをあなたが断言しないと、いまの地方行財政の状態では、農林省からもらっていこう、そうすればこの事業がよくできる、建設からももらっていこう、自治省からもらっていけば交付税が少しよくなるかもしれぬというようなことで、持っていってやりかねない。言い方は悪いけれども、あえて言えば教育長は捨て場所ですよ。そう思いませんか。そうも言えるんじゃないですか。
  106. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 教育長が捨て場になったら大変なことですよ。日本の国は滅びてしまいますよ。  ですから、そういうことのないように自治大臣にも私から直接お願いするし、教育委員会にも、知事さんに対しても、少なくとも教育長にはりっぱな人材を入れたいと——私は、おっしゃったような高速な学識経験も大事ですけれども、やはり人柄だと思うのです。本当に人柄で、全教員の信頼を得るような人を私はお願いしたいと思うのです。
  107. 湯山勇

    湯山委員 それは大臣としての御発言とそれからお気持ちとやはり若干違うところがあると思うのですよ。そこで大臣としては、こうでなくてはならないということをきちっとしていただきたい。  これは制度的に言えば、おっしゃったように、現場の先生たちというものは、教育の仕事とそれから一般社会のそれとはかなり違った評価はあります。たとえば極端な例を言うと、これは戦争中のことですけれども、戦争中ですから並んで朝礼をやりますが、ある女の先生のクラスの子供はびくともしない。実にきちっとしている。それであの組はいいというので、その先生はいい先生だと言われたのですよ。それで後でいろいろ調べてみると、その女の先生は針を持っておって、お行儀の悪い生徒に対しては針でちょっとちくりとやる。だから、こわいから子供たちはそうなっておるのです。これがわかりまして、長年やっておる先生が、おれたちも一生懸命やったけれども、あの女の先生の針一本にかなわぬのかと嘆いたという話が残っております。教育というものはそういうものです。  いま教育の本当の経験のある人ならば、われわれの教育は針一本にかなわないのかと言えるのですが、ほかの人だったら、ああやったら勤務評定もいいのならおれもやろうとなったらどうしますか。本当の教育の目で見てくれるのは校長、教育長でしょう。それが教育の専門職でなかったらそれはわからない。市町村の教育長はそれでもいいけれども、県の教育長は見てくれるだろう、それも横滑り、これも部課長の横滑り、ここも横滑りということで、まして文部大臣も、幅広くていいじゃないかという局長のような意見文部大臣で、一体本当の教育者はどこを見て教育したらいいのか、だれを信じて教育するか、こういう問題が私は教育行政に一貫していなければならないと思うのです。そうあってこそ本当に信頼される教育長もできるし、教育もできる。こう考えてみると、このことだけはしっかり文部省がきちっとした姿勢を持っていなければならない。  そういう意味で、私が諸灘局長に今度のことは非常によかったということは、あの当時申し上げたが、そこなんです。本当の教育長をつくるということがどんなに大事かということを考えて、大臣に毅然としておってもらいたい。内藤さんだけが毅然としたのではだめなんで、歴代の文部大臣が毅然とするように、ここでしっかりした礎をつくってもらいたいと思うのですが、いかがですか。
  108. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お説のとおりでございまして、これは私の責任でございますから、お話しのようにりっぱな教育長を選んで、そして各県の教育がますます振興するように、それがかなめでございますから、私もできるだけの努力をいたしたいと思っております。
  109. 湯山勇

    湯山委員 よくわかりました。具体的にやっていただきたい。  それから局長、あなたのような論法でいくと、中野区のやり方が間違っておるということは言えませんね。
  110. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 私は、いままで申し上げておりますことと、中野区の準公選と言われるものが法律的に違反であるという視点の考えは変わらないつもりでございます。
  111. 湯山勇

    湯山委員 区長任命というのは変わりませんね。中野区のようなやり方でも、ですね。
  112. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 現行の制度上、教育委員区長が推薦し、議会の同意を得るという点は変わらないわけでございます。
  113. 湯山勇

    湯山委員 そういうことですから局長にもお願いしたいのです。現状に妥協したり、たとえばいまのように部課長からの横滑りが必ずしも不適当ではないというようなことじゃなくて、やはり、初中局長というものがしっかりしていないといけません。当時の姿勢に私どもは相入れぬものがありました。大変けんかもよくしましたけれども、内藤局長はその点りっぱでした。とにかく自信を持って歯切れよく処理したです。  それを考えますと、やはり局長というものの立場は非常に重要なのですから、その辺を十分考えて、余り能吏にならないで、能吏ではなくて本筋をしっかり踏まえてやってもらわないと、幾ら教育の内容、教育課程を改めても、学習指導要領を改めても、入試の制度を改めても、しょせん教育行政というものは文部省から教育委員会、それから学校と、こういうコースをとる。その教育行政がゆがんでおったら、いまのように不当な圧力で教育長が、本来教育委員会任命するものが不当な支配を受けているというようなことがあったのでは新幹線は走りっこないのです。幾らきれいな水を流していっても、途中から詰まったり横から汚れた水が入ったりして本当の教育ができないということになるわけですから、私は、教育行政というものをもっと大切にしてほしい。  そうしないと、あの法律ができるときに、ああいう雰囲気でしたから私はついしゃべり過ぎたかもしれませんけれども、いまもしこの法律が通ったならば、それは国民の手から教育が取り上げられるし、その国民の手から教育を取り上げた手がやがて新たちの手から子供を取り上げることになるのじゃないか。こういう心配がありますということを私は指摘した記憶があります。いままさに親たちの気持ちというものはそこにあるんじゃないでしょうか。自分の子供がいま入学試験で、あるいは落ちこぼれで、何か親離れして取り上げられていっておるんじゃないかという不安がある。それから中野区に出ておるように、教育がもうわれわれの手からは離れていったのじゃないか、少しでも取り返したい、それには準公選制にするか、あるいは区にもうちょっと教育委員会権限を与えてほしいということになる。こうなってきている。  このように考えてくると、この二つの出来事というものは、今日の教育行政に対する非常に大きな警鐘であると受け取らなければならないと思って取り上げたのですが、おわかりいただけるでしょうか。
  114. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 これまでお話しいただきましたことは、私も担当局長としてこれまで教育長承認人事をずいぶん扱ってまいりまして、個々のケースにつきしては、簡単に知事部局のたらい回しのような一環としてやることは非常に因るというようなことで、再三教育委員の方と折衝をして変えてもらったりしたようなこともいろいろあるわけでございます。  どういう人を教育長に選ぶかという、その観点につきましては、私は湯山先生のおっしゃることとわれわれと変わりないと思うのですが、ただ、現実の運営という問題になりますと、これはいろいろございますので、せっかく先生にきょうこういう御提案をしていただきまして、四月以降、ちょうど新しい年度になってまたいろいろな教育長人事もあるかと思いますが、おっしゃる趣旨もよく体しまして今後の対応に努めたいというふうに思うわけでございます。
  115. 湯山勇

    湯山委員 自治省へも、あなたから行政局長大臣かにきょうのことを十分話してもらって、いずれ文部大唐からお話があると思いますけれども、自治省がそういう過ちをしないように十分御留意願いたいと思いますが、お伝え願えますか。
  116. 大林勝臣

    ○大林説明員 御趣旨は伝えます。
  117. 湯山勇

    湯山委員 私の質問は文部大臣の御所信に対する質問としてきょうやったわけですが、大臣の御所信は大部分が教育行政の当面している諸問題、文教行政の諸問題ということで各般のことを取り上げておられます。しかし、私がきょう申し上げたのは、行政の当面する諸問題じゃなくて、行政自体の問題、これを取り上げたわけです。  ここで申し上げたい点は、こういうふうに教育行政の最高の責任者である文部大臣として、今日の教育行政には大変な問題がある、だから適当な人を選んでほしいというのは、いま適当でないから、そういう指摘です。だから、いまの教育行政に対してのそういう反省というものは大臣から出ている。これが一つと、もう一つ国民の側、基本法で言っておる直接責任を持って行われなければならない住民のサイド、この上下の関係というのはあるかないか。一審上、一番底辺、そこから今日の教育行政に対する問題提起が起きておる。これは決して軽視できない問題であって、この制度ができて三十年近くになりますし、大臣は四十年間の文教生活と言われますが、そのほとんどはやはり教育行政であったということを考えますと、この機会にやはり教育行政そのものを検討してみるべきである。  これはいま任命制公選制にするとか、法律をどうするとか、そういうことを申し上げておるのじゃありません。教育行政あり方姿勢というものの全体がこれでいいかどうかということを再検討するべきときに来ておると私は考えますが、大臣はどうお考えでしょうか。
  118. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 湯山先生は私がまだ初中局長のときに参議院議員で、いろいろ御指導していただいた大先輩でございますから、大先輩の言うことは私もよく慎重に伺っておるわけですが、特に、いまおっしゃいましたように教育行政その他各般に問題であることは確かなんです。  私が大臣ですから、全責任は私の問題ですから、悪い点は私は改善に努力したい。それが私の生きがいですから、ほかに生きがいはないのですよ。ほかに能力はないのだから、教育だけですから、私も一生懸命やらせていただきます。
  119. 湯山勇

    湯山委員 私はもっとお聞きしようかと思ったが、大臣の大変心丈夫な御発言がありましたので、質問はこれで終わりたいと思うのですが、最後に御要望を申し上げたいのです。  これも老婆心というと悪いのですけれども、やはりいまのお気持ちはよくわかるし、評価もします。大臣も当時の初心に返って、言い方は悪いけれども、謙虚に本当の教育の本質は何かと——早い話が、教育勅語云々とかあるいは何やらがどうかという、そういう枝葉末節と言っては悪いけれども、そういう問題じゃなくて、本当の教育がどうなければならないかと、子供たちのために日本の将来をしっかりお考えいただいて、落ちついた、しかも情熱を込めた対応をお願いいたしたい。このことを申し上げて、私の質問を終わります。(拍手)
  120. 坂本三十次

    ○坂本委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。木島喜兵衞君。
  121. 木島喜兵衞

    ○木島委員 先ほどの湯山先生の御質問に関連して……。大臣教育一筋四十年ですが、湯山先生教育一筋五十年ですから、その御質問の中で、大臣の答弁に湯山先生はお気づきになっておられましたけれども湯山先生は質問の大筋を進まれるためにあえて御発言がなかったのでありますけれども公選制から任命制教育委員会を切りかえたときのことに関するあなたの答弁で、「公選制でやったところが、やはり結果は━━━━━━━━━━━というおそれが非常に強かったので、それで警官隊の導入までして教育委員任命制にした。」というお答えがありました。公選制にしたところが結果的には━━━━━━━━━━━━とは、どういう意味でございましょうか。
  122. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 その当時のことを私もつまびらかにしておりませんが、ともかく警官隊まで導入してやったんですから、命がけでやったのですよ。(木島委員「それは任命制でしょう」と呼ぶ)だから、任命制にしたわけなんです。それで、したわけですから、その━━━━━に教育委員会というのは属しちゃいかぬ、あくまでも政治的中立性を保つというのがこの委員会趣旨でございますから、私は、せっかく法律改正した趣旨は、これはやはり尊重していきたいと思います。
  123. 木島喜兵衞

    ○木島委員 私がいま質問したのは、任命制にしたのがよかったとか悪かったとか、いいとか悪いとかじゃなくて、あなたの御答弁で「公選制でやったところが、やはり結果は━━━━━━━━━━━というおそれが非常に強かったので、それで警官隊を導入までして」と、公選制でやったそのことが━━━━━だとあなたは御答弁でおっしゃったわけです。したがって、その━━━━━━とは、一体あなたのおっしゃる意味はどういう意味でございますかと聞いているのです。
  124. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 要するに、教育の政治的中立性が阻害されるおそれがあったわけです。
  125. 木島喜兵衞

    ○木島委員 法律によって被選挙権を有する者が選挙権を有する者によって選ばれた、その結果が━━━━━だということであれば、民主主義というものをあなたは否定するのですか。その結果は━━━━━なんですか。  そうすると、もしいまそのことで言うなら、いま自民党がよけいである。被選挙権を持つところのこういうりっぱな先生方が選挙権を持っている選挙民によって選ばれた。それが大変によけいである。これは━━━━━━━━━━━━━━ということと同じことにはなりませんか。なぜこれが不当なんですか。選挙民が選挙で選んだ、その結果を━━━━━だと言うのですか。——取り消せばいいんだ。取り消せば。
  126. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 実は、あのとき、私もいま正確に覚えておりませんが、要するに初め公選制にしたのです。ところが、これは教育委員なんというのはよくわからぬですから、結局まあ政治勢力が介入して、それで適正な人事ができなかったということが中立性が侵されるということで改正したわけでございます。
  127. 木島喜兵衞

    ○木島委員 だから、いろいろ批判があったとか、よりよい道を求めるためにとかというならわかります。被選挙権を持っている者が選挙民によって選ばれたことが━━━━━なら、坂本委員長もこのとき公選制でもって出たし、山原先生もそのとき公選制で出たが、これは━━━━━━かな。——大臣の答弁。大臣の答弁なんだから、大臣
  128. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ちょっと一言言わせてください。  この記録で見ますと、公選制の結果━━━━━━━━━━━というのは、ちょっとその表現として意を尽くしていないと思うのですけれども、要するに、あの当時の審議の経緯等を見ますと、公選制をすることによって、選挙に出られる方は特定の組織なり勢力をバックにして出る。そうしますと、選挙の結果教育委員が構成されますけれども、その教育委員会の中に、やはりそれぞれの背景を持った方がおられるので、そこにいろいろな確執をもたらす、そういうことを言っている意味でございます。
  129. 木島喜兵衞

    ○木島委員 どうしてあなたがそんなことわかるの。あなたが答えたことでなくて大臣が答弁したのに、あなたが、意を尽くさなかったとか……。
  130. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 いま大臣にお聞きしたら、そうだとおっしゃいましたから、私が代弁したわけです。
  131. 木島喜兵衞

    ○木島委員 大臣答えたらいいじゃないの。大臣、取り消すなら取り消したらいいのだ。
  132. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 大臣の御意思を確認して私が申し上げたのですから、ひとつそういう意味で御了解いただきたいと思います。お願いします。(木島委員大臣大臣」と呼ぶ)
  133. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、公選制がいかぬと言っているんじゃなくて、公選制の結果、いま局長が言いましたように、それはやはり教育委員というのはよくわからないものですから、特定の勢力によって支配されるおそれがあった、そこで改正した、こういう意味でございます。
  134. 木島喜兵衞

    ○木島委員 公選制任命制に切りかえたのがいいとか悪いとか言っているわけじゃない。あなたが答弁されたその━━━━━━━━━━━ということは、それは自民党も立候補したでしょう。社会党も立候補したでしょう。そして同時に、先ほど湯山さんがおっしゃったように専門的識見を持つ者が多分に出たでしょう。だから、選挙民が選んだ者を、その結果が━━━━━━━━━━━というなれば、そのことこそ問題じゃないのですか。民主主義を否定するんじゃありませんか。(山原委員「そういう意見があったかもしれないけれども、それは意見で、公選制が━━━━━━━━━━━なんというのは取り消した方が……」と呼ぶ)
  135. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 だから、それは取り消します。(発言する者あり)
  136. 坂本三十次

    ○坂本委員長 お静かに願います。
  137. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 公選制が━━━━━━ということは私もそれは言葉が足りなかったのですが、その公選制の結果いろいろな政治勢力が介入して教育の中立性が阻害されたと申し上げたわけなんです。
  138. 木島喜兵衞

    ○木島委員 公選制をやったところが、やはり結果は━━━━━公選制をやる前にすでに━━━━━━━━━━━ことがわかっておった、だから結果はあのとき——では、国会で議決をした法律、そしてその法律によって選挙民が選んだ者、その結果がなぜ不当だと言うのですか。  極端に言うなら、先ほどの湯山先生の質問で言えば、公選制から任命制に切りかえた結果の方が、あるいは湯山さんが先ほど指摘されたことの方が━━━━━━教育支配するとさえ言えるのです。しかし、湯山さんは「不当な」という言葉は使いませんでした。それはあなたが先ほどおっしゃったように、任命制であっても、選ばれた知事が選ばれた議会の同意を求めてという、これが実は十条の直接責任を負う——直接であるかどうかというところに問題はあるが、間接かもしれないけれども、そういうことを言わないで、不当という言葉を使わないでおるのですよ。  このことは取り消さなければ、民主主義を前提にしておるいまの政治の中では、いま制度が変わったといえどもそのときには選挙をやったのだから、その結果を━━━━━━だと言うあなたは民主主義を否定することになるから、そこはお取り消しになってはいかがですかと申し上げておるのです。
  139. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 だから、そこは私は取り消しますと言っておる。ただ……(木島委員「それでいいの。あとしゃべらぬでいいの、終わり」と呼び、その他発言する者あり)
  140. 坂本三十次

    ○坂本委員長 午後一時再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時五分休憩      ————◇—————     午後一時四分開議
  141. 坂本三十次

    ○坂本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について質疑を続行いたします。池田克也君。
  142. 池田克也

    池田(克)委員 公明党の池田克也でございます。  私は、出版文化の問題について若干の御質問をしたいと思います。  文部大臣の所信の中には文化について触れられております。まあ、いろいろとございますが、国立劇場、歴史民俗博物館等の問題が特に取り上げられております。私も一生懸命読んだつもりですが、特段に出版文化ということはございませんが、大臣の所管の中に著作権法は所管をしていらっしゃるわけでございますし、「国民が広く優れた芸術文化に接する機会を得られるようにするとともに、」というくだりのあたりに出版文化も含まれているのじゃないかと、このように私は解釈をするわけですが、確認の意味で、出版文化に御関心を示していらっしゃるかどうか、お伺いしたいと思います。
  143. 吉久勝美

    ○吉久政府委員 出版文化につきましては、まことに先生の御指摘のとおりでございまして、私ども文化庁の任務が規定されております文部省設置法におきましても、いわゆる著作権の適正なる管理につきましても任務の一つに上がっておるわけでございます。  私どもといたしましても、そういう見地から、出版文化文化の水準の向上並びに普及に果たす重要なる役目にかんがみまして、出版権の適切なる管理なり運用につきましていろいろ努力をいたしておるところでございます。
  144. 池田克也

    池田(克)委員 大臣に認識をお尋ねしているわけなんです。大臣教育行政の専門家でいらっしゃる。これはわれわれもよく知っているところでありますが、さて、文化の問題になりますとどれほど深い御認識と御理解を持っていらっしゃるか、私はこの席で改めて確認をしたいわけでございます。  昨年の秋から、この出版の流通の問題について、公正取引委員会が問題意識を持っていろいろな発言が出てきておりますが、こういうことについて大臣御存じでしょうか。
  145. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お説のとおり出版文化は非常に大事です。子供たちの本を読むことから始めて、大人もそうですが、やはり出版文化というのは非常に大事な問題だと私は思いますが、いま公正取引委員会のお話が出ましたが、具体的には局長からお答えします。
  146. 吉久勝美

    ○吉久政府委員 私ども文化庁といたしましても、いわゆる出版文化の向上普及につきましてはかねてから意を用いておるところでございますが、ただいまの先生の御指摘の問題につきましては、特に公正取引委員会の方におきまして、従来独禁法第二十四条の二で、いわゆる一般的な再販制度の許可品目の以外に、出版著作物につきましては、法定のものとしまして再販契約の維持契約が認められておるところでございまして、そこらあたりの制度の運用状況等につきましてすでに御調査に相なっておりまして、そこらあたりをどういうふうに今後扱うか、あるいは改善の余地があるかないか等につきましていろいろ御検討に相なっているということにつきましては承知をいたしておるところでございます。
  147. 池田克也

    池田(克)委員 大臣にかわって文化庁次長の御答弁でございますので、大臣、出版文化は大事だとおっしゃるのですが、公取が目をつけたと申しますか、調査をされておるこれについては、文化庁としてもあるいは文部大臣としてもぜひ重大な関心を払っていただきたいと私は思うのです。  私はつい先日の予算委員会の第一分科会でこの問題を取り上げましたが、公取委員長の発言は、出版流通業界というのは病根があるとおっしゃるのですね。かなり病に冒されておるというわけです。しかも、この流通の中で定価制を維持しているがゆえにあぐらをかいて努力をしていない、ショーケースの番人だということで、私はそれを取り消しを求めたくらいなんですが、大変厳しい。物の値段は、これはいろいろ競争をしていって初めて消費者にサービスが行き渡る。これは一般論としては結構だと私は思うのですが、しかし、出版文化に関しては、著作権法にもうたわれているように文化的所産である。単なる産業の産物とはちょっと違うわけですね。  本屋さんというものはショーケースの番人だ、黙ってあぐらをかいておれば、別に値段のサービスをしなくてもやっていけるんだという公取委員長の御認識というものを大臣はどんなようにお考えになるか、私はきょうはお伺いしたいわけでありますが、まず、公取はきょうは課長さんがおいでだと思いますが、橋口委員長がそういう発言をされた事実関係について確認をしたいと思います。
  148. 川井克倭

    ○川井説明員 お答えいたします。  ただいまの池田先生の御質問でございますけれども、第一分科会に私は当日は委員長のお供をしていたわけではございませんので、正確な質疑応答につきましてこの席でお答えするわけにはいきませんけれども基本的な認識といたしまして、私たちの方から見た場合には、いわゆる業界の言う定価販売制といういままでの慣行があるために、本来いわゆる出版の流通というものについて社会的に納得するようなことがもう少し考えられてもいいのではないかという点の検討がややおろそかになっているのではないかというふうな感じは持っていることは事実でございます。
  149. 池田克也

    池田(克)委員 流通の問題で、はっきり言えば私の質問にお答えになっていらっしゃらないのですが、これは後刻議事録が出てまいります。  私の質問に対して橋口委員長はそうおっしゃっている。文化庁として、この出版流通というものは何がゆえに独禁法二十四条の二で守られてきたと考えるのか。そして、公取がみずからが調べたレポートの中にも、価格の問題についてはさして問題はないという一つの結論が出ているのです。これは昭和五十二年の五月二十四日です。かれこれ二年になりますか、というような期間で、そんなに古いものじゃございませんが、この「再販制度の観点からみた出版業の実態について 公正取引委員会事務局」というはっきりとした役所の文書であります。これによりますと、「定価の状況」として、「全体としては、特に過大であるとは認められず、独占禁止法第二十四条の二の「一般消費者の利益を不当に害する場合」に該当する状況ではない。」となっておる。それがいつの間にか、私に言わしめれば突然変異とも言うべき大幅な方向転換がある。確かに独禁法二十四条の二にはその他の項目がございまして、いわゆる生産者が、その立場が有利なためにそれを利して契約状況が不公正に行われるような場合があれば、これを指摘はしております。  一番根本のこの二十四条の二をいじるんですかいじらないんですかと何度も公取さんに私はお伺いしたのですが、これも含めての検討である、決してこれは別な問題じゃない、つまり二十四条の二の改正も十分あり得ると私は理解をすると、こういうお答えだったのですね。この辺についてももう一遍この席で公取さんから確認をいただきたいのです。
  150. 川井克倭

    ○川井説明員 お答えいたします。  私たち公正取引委員会といたしまして、いま御指摘になっております書籍、特に出版物の法定再販、これを廃止するという方針を現在の段階で決めているわけでは決してございません。しかし、また同時に、いわゆる法定再版、二十四条の二の四項、これを将来にわたって維持するという方針を決めているわけでもございません。  現在大切なのは、そういう段階におきまして、いわゆる法定再販に守られているこの書籍の出版、流通が一体どういう状況になっているのか、それを白紙の状況で調査をさせていただいて、そしてその取引の実態の解明に努めていきたいというふうに思っているわけで、それから後でいろいろな問題を提起していくということになるのではないかというふうに思っております。
  151. 池田克也

    池田(克)委員 必ずしも決めていらっしゃらない。私は、決めていらっしゃらないので先へ進ませていただきますけれども、いろいろ物価問題も世の中に取りざたされて、石油の問題等さまざまございます。土地の問題も、高過ぎるじゃないかということも国会でも取り上げられました。しかし、本が高過ぎるという主観的な解釈を持っていらっしゃる方も中にはおります。けれども、今日の社会情勢の中で、本が高過ぎるという話は私は余り聞いていないですね。むしろ欲しい本がないという話は聞いています。確かに欲しい本が特定のところに偏っている事実はあるのですね。  これは名前を出して恐縮でありますが、八重洲口の前に大変大きな本屋さんが昨年出現をいたしました。これについて業界も大変心配をした事実がございました。このことはまた後に触れたいと思うのですが、これは鹿島守之助という実業界あるいは政界にも活躍をされた方が、欲しい本がない、また読まねばならない本があるべきところにない、むしろセンセーショナルなようなものが街にはんらんしておる、自分は自分の意思として、自分の私財をなげうって、かなり資本を投下してもいいから、街に出ているあらゆる本を一遍一堂に集めて、そして国民文化の向上に役立てたい、そしてそれをつくりたいという御意思だった。私はその議論のときには、それは国がやるべきことですよと申し上げたんです。図書館のすごいのみたいなものをつくって、図書館は買えませんが、即売を兼ねたところのそういう出版資料センターみたいなものを鹿島さんがおつくりになるのは大変りっぱだ、しかし採算が合わないかもしれませんよ、むしろ国がそういうものをやるべきじゃないかということまで私は指摘したのです。  あるべきところに本がない。本当に欲しい本が本屋さんのどこにもない。これが実情です。また、そういうふうな配本状態にへんぱがありますので、意外なほど返本が返ってくる。この本は一〇〇%売れるだろうと思った本が、半年ぐらいたつとぽんと戻ってくるのです。この本の配本の状況とか本の置かれている陳列や、大衆、読者に配布されていく状況については問題があることは私は承知をしております。大臣もそういう認識をいままでお持ちでなければ、大変失礼な話でありますけれども、この際ぜひ御理解をいただきたいと思います。  そのほかにも、奥付というのがあるのですが、最近、石油ショック以来それに定価がついていないのですね。これは値段を容易に上げるために——上げるためばかりじゃないんですが、返品してきて、奥付に定価をつけてありますと定価を一々マジックで消さなければなりませんので、ということで、奥付につけないでカバーだけ取りかえる。カバーあるいは帯に定価がついているというようなことで、返本された本の次の定価アップに利するようになっていると解釈されているわけです。こういうふうな事態は私は承知をしております。  問題は、過度に値段が高いとか、それによって競争原理を導入してサービスをしなければならないとかという話は私は承知していないのですね。このことは、公取さんもそういう認識は私とそう違わないんじゃないかと思うのですが、再度確認の意味でお伺いをしたいのです。
  152. 川井克倭

    ○川井説明員 ただいま池田先生が御質問になりました点は、一々私たちがこれから調査をしようと思っている点の問題点に当たっているのではないかと思っております。  ただ、一つ、書籍の価格が高いのではないかというような議論が余りないのではないかという点に関しましては、当方については、高過ぎるのではないかという声もないわけではないというふうな感じを持っております。
  153. 池田克也

    池田(克)委員 それは全然ないわけじゃないですね。大変高くなってきた。これは、千円以下の本より千円を上回る本の方が単行本なんかでは最近多いのが実情なんですね。後ほど私学校図書館の問題にもきょうは触れたいと思うのですが、学校図書館の予算の問題も、そういう点と絡み合わせて大変厳しくなっていることも事実です。  ただ、そういうことをもっと減らしていくのには——これは確かに印刷物ですから、一つの版をつくってたくさんはければ安くなるんですね。ところが、それがどうも余りたくさんはけない。価値観の多様化といいましょうか、さまざまなニーズ、さまざまな情報があるがゆえに一つの版がたくさんはけない。いままで一万部売れた本がどうしても五千ぐらいしかはけない。一万売れるかなと思って出すんですが、四千ぐらい返ってきてしまう。というと、その次にそういう同じ種類のものを出版しようとする出版社は、前に一万刷ったんだけれどもこれは六千ぐらいにしておこうかということになると、原価を六千で割りますからどうしても高いものになってくる。これは値段が高いというのは、ある面では流通の一つの経路の問題、これは整備しなければならない問題だと私は理解します。それが即再販制度という、定価で全国一律にどこでも売りなさいよという文化的な見地から決まっている独禁法二十四条を手直ししなきゃならぬかな、と、私はそういう認識を持っておるわけですね。  特に、出版事業は事業税が免税されております。これは税法上の問題ですが、文化事業として認められている。いまいろいろな意味で決して過保護だと私は思いませんが、そういう意味から、制度上からも文化的な産業として位置づけられているわけですね。そういう意味で、今回取り上げた問題はあくまでもこの二十四条の二の再販制度を外すという意味で私は関心を持っておるわけです。ほかのところの改正は必要ないとは私は言いません。かなりこれは考えなければならない部分もあると思います。  そこで、これは公取さんが去年の十二月に発表いたしましたアンケート調査でありますが、「著作物の再販制度に関する調査報告書」というものを、八百十八人の、公取さんが日ごろいろいろな調査をするために持っているモニターに対して行ったものであります。大体私は拝見しましたが、ある報道によりますと、これはほとんど全員が御婦人だそうであります。物価なんかのモニターをしているんでしょうが、御婦人を対象としたアンケートが出版物に関して行われている。  公取さんにお伺いしますが、八百十八人は御婦人ばかりでしょうか。
  154. 川井克倭

    ○川井説明員 お答えいたします。  公取のモニターは全員婦人でございます。
  155. 池田克也

    池田(克)委員 このモニターの中で、ある面では再販制を少し直してもいいんじゃないかという案に賛成の方が六一%というふうに出ておるんです。御婦人だけの調査はちょっと偏っているなと私は思いますけれども、モニターですからいままでのルートでお調べになったんでしょうが、ここで注目しなければならないのは、この中に設問がございます。  この設問は「問12」としまして、「一定期間(例えば一年間)は価格を維持できるが、一定期間を経過した本については再販契約をはずし自由な価格にできるという制度が外国にはありますが、もし日本で採用されるとしたら、これについてどう思いますか。」という質問なんですね。これは私は公取委員長に伺いましたらば、別に予断を持ってしたんじゃない、幅広くやった一環だという御答弁でございましたが、しかし、幅広い中にこういう一定期間、一年間は本の価格を維持できるが、それを経過した本は再販契約を外して自由な値段にできるということが公取さんの頭の中にアイデアとしてあるんですね。これはやはり著作権から見まして問題があるんじゃないか。  きょう文教委員会であえてこの問題を取り上げたのはこの点なんですね。これについて公取さんとして、どういう御意図でこの設問が入っているのか、お伺いしたいと思うのです。
  156. 川井克倭

    ○川井説明員 お答えいたします。  先ほど申し上げましたように、当方は予断を持って現在事に当たっているということではないということを改めてお答えしたいわけでございますけれども、ただ、いまの制度で果たしていいかという疑問を持っていることは事実でございます。  人に聞く場合に、ただそうやって聞くわけにもいきませんので、たまたま一般的な意見としてわれわれの耳に入っているもの、あるいは外国でそういう制度を利用しているもの、そういうものを例にしまして、こういうふうな制度にしたらどうかということをたまたま聞いただけでございまして、この設問があるから予断があるということには決してならないのではないか、また、質問としてはこういうのはやむを得ないのではないかというふうに私たちは考えております。  それから、各国の例でやっているものでございますから、著作権法のかかわり合いはないのではないかというふうに私は思っております。
  157. 池田克也

    池田(克)委員 予断を持っていらっしゃらなければ結構だと私は思います。ただ、確かにイギリスあたりではそういう制度は、半年を限って、そこから先は自由だということは私も承知しておりますが、ただ、外国の場合は図書館が非常に発達しています。日本はむしろ図書館を使うというより、これは後に図書館の問題になるのですけれども、本を自分でお買いになって、そしてそれをお読みになるという、こういう独特の体質ですね。図書館がもっともっと発展してほしいと私たちは思うのですけれども一つにはそういう社会的な状況があると私は思う。外国の場合には図書館の制度が大変よくできているし、日本なんかは図書館が受験生の勉強場所か何かになってしまっているような場合もありまして、欲しい本を自分で買って自分で読むという体質を持っている。若干同じには論じられませんが、私は、この問題は一遍文教委員会でも詰めておかなければならないな、と、こんなふうに思っているわけなんですね。  そこで、この問題と並行してもう一点私が出したいのは、第三のマーケットという問題なのであります。第三のマーケットというのは公取さんのそういう表現で、第三の市場というふうにおっしゃっていますが、新刊のマーケット、古書のマーケットと二つございまして、そこに第三のマーケットというものを考えてはどうかということがいろいろと関心を持っている人々の間にも情報として伝わっているわけなんですね。つまり、第三のマーケットというのは、一定期間は定価を維持しますが、そこから先はある程度競りといいましょうか、競りという言葉は適当ではないかもしれませんが、一つのマーケットで値をつけていく、こういう状況なわけであります。出版業者の中には、たくさんの在庫を抱えて、それを処分していくために今日の再販制度がじゃまだというふうな認識を持っている人もおります。けれども、著作権法上問題であると私は思っておりますが、それは先にいたしまして、第三のマーケットという考え方があるが、この辺について公取の方ではいかがでしょうか。
  158. 川井克倭

    ○川井説明員 先生がただいまおっしゃった第三の市場は、恐らく業界で言う第二市場の意味ではないかというふうに思います。  本のようなものが、仮に非常に返本率が高いということがいま非常に大きな業界内の問題、あるいはそれ以上に社会的な問題にまでなっているのではないかという感じを私は持っているわけでございますけれども、そういう本をもう一度本の役割りとして社会に出す、このためには、先生がいま御指摘になった第二市場のようなものがやはり必要なのではないかというふうな感じは持っております。  ただ、そのときに、これも先生の御指摘でございますけれども、いまの非常にかたくなになっている再販制度、こういうものに固執している限りこういう市場というものが育たないのではないか、その限りにおいても再販制度というものをやや見直してみる必要があるのではないか、そんな問題点を私たちはいま感じとして持っております。以上です。
  159. 池田克也

    池田(克)委員 その第二の市場というのですか、私も意味するところは同じことでございますが、そうなりますと、一体だれが値段をつけるかということになるわけでございます。  大臣、恐らく大臣も御著作がおありと思いますが、いまのシステムは出版社と著者とで相談いたしまして値段をつけております。これは出版契約書にうたわれて、本にもその値段がうたわれる。これは全国津々浦々同じ値段で売られているわけでありますが、これが外れて、仮にもう一つの新しい市場ができたとしますと、一体だれが値段をつけるかと言いますと、普通の商品であれば仲買というのでしょうか、そういう人たちが値段をつけることになるのですが、出版物というのはそういうことになじまないと私は思うのですね。つまり、たくさんの量の、たとえば魚とか野菜物ならば、その色つやを見たり産地を見たり手にとってみたりできますが、本の場合は読んでみなければなりません。有名な本屋、有名な著者ということになれば評価がつくのでしょうが、営々として一生かかって努力してきた著作物の値段を、出版社と著者をおいでおいで第三の人間がつけるということは文化政策上いかがなものだろうかと思うのです。私は無理だと思うのですね。  であるがゆえに、今日著作権法は、著作権の使用料として法体系の中でそれを認めており、また質権設定を認めており、無体財産として薪作者の財産権を認めているのですね。もし、競りというようなことが第三のマーケットで行われますと、いまの著作権のシステム、つまり印税システムは狂ってくるのじゃないかと私は思うのですが、文化庁としていかがでしょうか。
  160. 吉久勝美

    ○吉久政府委員 現在の再販制度を前提とする著作物の使用につきましては、先生が先ほどおっしゃいましたように、いわゆる出版権を設定する場合及び著作物の使用の許諾の場合と、もう一つは原稿を売る、つまり著作権を譲渡する場合があります。この譲渡する場合は別といたしまして、使用の許諾の場合ないしは出版権を設定する場合、いずれにいたしましても、いわゆる印税につきましては、発行する段階において契約を結び、ただしその契約は著作権者と当該著作物を発行する事業者との契約の自由に任されておるわけでありますが、一応その段階において契約を結びまして部数等を決めると同時に、印税の率につきましても決めておるわけでございます。  それで、そういう再販価格維持制度が撤廃された場合に一体どういうふうになるかということにつきましては、これはにわかにはなかなか判断がむずかしいわけでありまして、私どもも、実は、いろいろと小売価格の問題あるいは流通制度等の問題について責任を持ってお答えできる立場にもないわけでありますが、しかしながら、そうなった場合に、恐らくは小売価格にいろいろ変動があることは想像にかたくないわけでありまして、そういう場合に著作権者としてどういうふうに自分の利益を守っていくかという問題もそれぞれの事態に応じて考えなければならぬと思いますが、いままでのように発行の際に一定の価格を話し合い、それについての印税率も契約の自由のたてまえの中で話し合って決めていくということは恐らくは維持できないだろうと思うわけでございまして、そこらあたりが確かに私どもとしても一応いろいろ心配する材料ではあるわけでございます。  ただ、そういう事態になってみなければわかりませんが、その事態の中である種の標準価格等を両者で話し合って決めていくということもまた運用としては可能だと思いますが、いずれにいたしましても、そこらあたりはどういうようになるのか、現在の状態の中で私ども責任を持ってこうこうこうなるという判断を申し上げる立場にもありませんし、また不可能ではないかとも思うわけでございますが、いままでの再販制度を前提とした著作秩序といいますか、そういうものについての何らかの変更は多分若干あるだろうというふうに思うわけでありまして、そこらあたりはどうなるかについての即断はできませんけれども、出版文化につきましていろいろ考えなければならぬ文化庁といたしましては、この問題の成り行きにつきましては十分慎重に見詰めてまいりたい、また、十分な課題意識を持ちまして見守ってまいりたい、というふうに思うわけでございます。
  161. 池田克也

    池田(克)委員 大変慎重な答弁であります。そうなってみなければわからないと言われる。それは何事もそうです。けれども、出版、著作者というのは徒党を組むことができない。著者一人一人は孤独な立場で物を書いています。この人たちの今日まで営々として築いてきた努力、たとえば芥川賞一つをとるにも、直木賞一つをとるにも、これは一生をかけて大ぜいの志す青年の中から——青年だけじゃない。年配の人もおりますが、そしてようやく一つの賞がとれた。それがとれなくて、志半ばにして筆を折る人も大ぜいおるわけであります。そういう中で一つの創作活動というものが成り立ってきております。  それが一つ物になった。それが雑誌で発表され、単行本となって町へ出ていく。ようやく何十年ぶりかで自分のお金が入るとか、奥さんや家族たちにも少しはいい思いがさせられるとか、一つの希望を持ってくるわけですね。ところがこういう事態になってきますと、実に不安な事態を招くのじゃないか。招いてしまってから、創作意欲が減退してしまってからこれを取り戻すということは容易なことじゃございません。  いま文化庁次長は、立場として慎重な御答弁であったが、文化庁としては、著作権について、そしてそれによって保護されている文化財というものについて、むしろ本気で前向きでもっと積極的に公取さんに対しても真意を確認し、あらかじめその真意を掌握した上で何らかの発言をすべきじゃないか。いま業界ははち巻きを巻いて珍しい行動を起こしておりますが、業界のそういうことによるだけじゃなくて、文化行政を担当する文化庁としてむしろ早くこれについては関心を持ち、アクションを起こすべきじゃないかと私は思うのですが、大臣、いま聞いておられて、ここまでの段階でいかがですか。
  162. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お話のとおり、著作権は非常に大事なものでございまして、文部省としては著作権をいかにして保護するかということが根本問題だと私は思います。  文部省はずっと長年著作権をやってまいりましたから、お説のとおり、販売の問題もあるでしょうけれども、著作権を保護する立場に立ってこれをしっかりやっていきたい、守っていきたいと思います。
  163. 池田克也

    池田(克)委員 しっかりやっていただきたいのでありますが、私はさらに申し上げれば、たとえばこういう定価制、再販制度が外れた場合、強い著者と弱い著者の間に大きな差ができてくると思うのです。たとえばある期間を経て、そこから先は本の値段が自由になってくる場合に、強い著者であれば、おれの本がどうなろうと、これだけのおれに対する印税は確保しておいてくれという契約を出版社と著者の間で要求することができます。ところが弱い著者の場合は、自分の本がどのくらい売れるのか確信がありません。となれば出来高払いです。一年たった、売れなかったという場合、残った分についてはずっとたたかれていきます。そうなって、先生の本はこれだけしか売れませんでした、出来高でございますといって持ってこられる。強い著者が強く要求できるのと、弱い著者がある面では最初の着手金くらいしかもらえなくて、あとは何年かたってからこれだけ売れましたといって手にするのと、それだけ大きな差ができてくるということはどんなものだろうか。不公平じゃないか。それによって、これから育とうとする文筆家が意欲を失うということは十分に予想できると思うのです。私は危ないという認識を持つわけです。  再度お伺いしますが、これについては大臣としてしっかり見守るとおっしゃいますけれども、この際公取に対してきちっとした要望をして、少なくともそういう制度に関しては著作者の保護をしてくれ、その上で流通問題を考えてくれ、と、こういう要望をお出しになるべきじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  164. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 著作者の保護というものと文化の普及と二つの問題が絡んでいるわけですから、できるだけ文化の普及もしなければいかぬし、しかし同時に著作権の保護ということも大事な問題ですから、その点でいまおっしゃるような不公平があってはいかぬと思いますから、この点も慎重に検討して、必要なことは公取にも私は申し上げたいと思っております。
  165. 川井克倭

    ○川井説明員 公取の立場から一言お答え申し上げておきます。  私たち書籍の再販問題について検討する場合、著作権の保護という問題についても十分配慮を払って、そういう点についての侵害のないようにしかるべく配慮してまいりたいと思っております。
  166. 池田克也

    池田(克)委員 ぜひそう願いたいと思うのです。つまり、新しい第三のマーケットなんかができますと、どうしても流通秩序が変わります。特に、著者と出版社で定価が決められないとなりますと、言葉は適当でないかもしれませんが、仮に競って競り売りみたいにして本の値段がついたとなると、それを一々著作者に、著作権の契約上先生の本はこういう値段がつきましたと了解を求めなければならない場合もあるわけですね。ですから、財産として著作権が法律上守られているとすれば大変複雑な手間になってくるわけです。とてもこんなものには応じられないと思うんですね。となれば買い切り状態になってくる。つまり、まとめて先生の本は一万部どれだけの印税で買い切りますかと、あなたの本は買い切れませんから着手金だとか、場合によっては、あなたの本なんか幾ら売れるのだかとてもわからないのだから印刷代ぐらい出しなさいというくらいに、著者が逆に出版社から要求されることも予想されると私は思うのです。現在でもそういう委託出版みたいなものは世間であります。そのことによって、著作権というものはこれでいいのかなと私は思うことがしばしばであります。  大臣からもそういう要望をしてくださるということでありますから私はさらに話を先へ進めますけれども、出版社の行動として、はでな、早く品物が動いていくという本に飛びついていくということも予想されるんですね。一年間は定価どおりいく、そこから先はどんなふうになるかわからないということになりますと、書店の方でも、あるいは出版社の方でもやはり動きが変わってまいります。また、今日の時点では、本の値段あるいは広告というものは全部出版社がしております。個人で広告する例は少ないです。また、本屋さん、小売屋さんが広告する例は少ないです。ところが、こういうふうに再版が変わってまいりますと本屋さんが値段をつけるんだ。ちょうどスーパーの広告のように千円改め九百円とか、たとえば松本清張が千円改め九百円とか、うちの本屋ではこうだ、あっちの方では八百円だとなってきますと、はでな、だれにもわかる、そういうセンセーショナルな問題や著名な作家というものにやはりライトが当たる。この公取さんの案の中にも、学術書等は別にするという案もおありなようですが、ではどこで学術書の線を引くかというと、これもなかなかむずかしい問題ですね。  私は、そういう点ではいろいろ議論もあり、やはりまずい点も承知しておりますが、とにかく最低限いまの出版の制度、少なくとも独禁法の二十四条という、ここは動かさない方がいまの出版文化のためにはいいのではないか。それ以外のいろいろな点についてはあとう限り知恵を結集してやっていかなければならないと、こんなふうに考えるわけなんですね。公取さんの方からもそれについて、法律を犯さないようにという御答弁でございましたので、私はそれで了解して、この両者間で、文化庁と公取さんとでぜひ協議をしていただいて、これは書店の指導をやっておりますので、通産省も入っていただいた方がいいと思うのです。  そして本当にいいかっこうで、読者も喜ぶし、作家の側も、自分のものでいままでもしかしたら扱ってもらえない本もあったのですから喜ぶというような、そういう案を出すようにひとつ協議をする、こういう姿勢大臣として音頭を取っていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
  167. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お説のとおりでございまして、よく公正取引委員会と協議いたしますが、根本は、先ほど申しましたように著作権を保護することが第一であって、文化の普及も大事でございますが、著作権を保護しながらいかにして文化を普及するかという問題であろうと思いますから、恐らく公正取引委員会も同じような見解でやっていただけると私は確信いたしております。
  168. 池田克也

    池田(克)委員 そういう趣旨大臣もお動きいただくように私はお願いしたいと思うのです。  念のために法律の問題を二点だけお伺いしたいのですが、これは著作権課長でも結構ですが、著作権法八十一条ですが、「慣行に従い継続して出版する義務」というのが法律の条文としてうたわれておりますけれども、この「慣行」というのをどう解釈するのか。つまり、品切れしないように適宜な時期に再版を重ねていくというふうに私は理解しているわけでございますが、その点についてだけ簡単にお答えいただきたいと思います。
  169. 小山忠男

    ○小山説明員 八十一条第二号の出版継続義務の関係の御質問でございますけれども、この出版継続義務につきましては、出版権の設定ということの結果著作権者の複製権というものが制限をこうむりまして、それによりまして著作権者の経済的な利益が脅かされるというようなことがないように、出版社の方に出版権といういろいろな権利を与えた代償としまして、その出版継続義務というものを課しまして、それによりまして著作権者と出版社の、その両者の経済的な利益のバランスを図ろう、こういう趣旨でございます。
  170. 池田克也

    池田(克)委員 いまの御答弁でわかりました。要するに慣行が認められております。品切れのないように継続していくのですが、その前提として、いわゆる印税制度というものがある。毎回毎回、要するに値段、その著作物の価値について評価をするのではなくて、一応三年、特別の定めがない場合には三年著作権は出版権として与えられておりますが、その間の継続が前提となってこういう慣行になっていると思うんですね。  もう一点お伺いしたいのですが、いわゆるたたき売りをした場合に、百十三条の二項に、「著作権の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす。」という規定がございます。自分がこれは千円だと思っているものが、知らないところで五百円になったり三百円になったりというふうなことがあるとすれば、百十三条の二項で保護しているこの人格権というものが侵されるのじゃないかと思うのですが、この解釈についてはいかがでしょうか。
  171. 小山忠男

    ○小山説明員 百十三条の第二項の関係でございますが、その「著作者の名誉又は声望を害する方法」による利用行為に本件は該当するのではないかということでございますが、百十三条の第二項と申しますのは、著作者の人格の利益を保護するというサイドでの規定でございます。  それで、その小売価格が変動した場合に、作者の人格的な権利、利益に影響があるかという点につきましては非常に判断がむずかしい問題でございまして、両説あろうと思いますけれども、この段階でちょっと断定を申し上げますのは非常にむずかしいと思います。
  172. 池田克也

    池田(克)委員 法律のことを二つ伺ったのですが、両説ある。確かにそうやってゾッキ本のように売られていくことは百十三条に触れるとかあるいは触れないとか、議論のあるところですが、やはり保護する意味では、こういう条文があるわけで、ぜひとも文化庁としてもこれについて関心を払って、直していただきたい。  そこで、もう一歩先へ話を進めますが、今度は独禁法二十四条じゃない形で、逆に今度は出版の秩序を若干手直ししながら著作権を守るという問題なのです。それは著作権法では、出版権者は六カ月以内に出版する義務を負わされております。著作者から出版社が私のところで出版しますと決めた場合、六カ月以内に本を出さないといけないことになっているんですね。ところが、その出版物をどうするかというと、取次という流通経路の大きな関所がございます。そこへ持っていって扱ってくれるかどうかということを聞くわけですね。いまの日本の出版の流通経路でいきますと、自分で担いで本を売ることはできません。どうしても出版取次業者というものを経由して、そして書店に本を配本していかなければならない仕組みになっているわけです。それ以外の、本当に自分の私家版みたいにして、友人、知人に本を贈るような場合は、これは別であります。ところが、この取次も断る場合があるんですね。  公取さんにもお伺いしたいのですが、そうやって取次で出版物が断られ、あるいはまた逆に、断られないが、あなたの本は余りはかばかしく売れる本じゃないからマージンをこれだけよこせと——普通は取次の場合には七掛けなんて言っているのですが、それを六・五掛けとか六掛けとかいうふうにして出版社に対して取次が要求をしている。あるいは断っている。これは取次の方にも大変言い分があるんですね。自分たちは商売です、全然だめなものが流れていってそっくり返ってくるのです。その間の人件費やいろいろな掛かりはどうするのですかという言い分があるのです。著作者がいて、出版権は六カ月以内に出版しなければなりません。取り次ぎで断られた場合には出版権者は法律に違反してしまうわけです。  このようにして、出版の自由というものは憲法で保障されていながら、それが行使できない。どこかに関所があってどうにもならない。こういう実態が今日あるのですね。公取として、この取り次ぎの行為の中で若干問題であるというものをつかんでいらっしゃいますか。
  173. 川井克倭

    ○川井説明員 お答えいたします。  ただいまの先生の御指摘の点でございますけれども、一部出版社の中には、大手の取次店と取引をしたいという申し出をしたにもかかわらず取引がしてもらえないというふうなことがあるということをわれわれといたしましてもしばしば耳にしているようなわけでございます。しかし、これまでのところ、私たち公正取引委員会に対しまして直接その旨を申し出てきた例というのはございません。  ただ、いずれにいたしましても、先生が御指摘のような点はわれわれの方の問題意識から見ても非常に重要だというふうに思っておりますので、現在、出版社、取り次ぎあるいは書店等に対しまして相当大規模な実態調査を行っているわけでございまして、その結果、ただいまも先生が御指摘になったような事実あるいはそれの原因などについてもう少しはっきりとわかってくるのではないかというふうに思っております。
  174. 池田克也

    池田(克)委員 この取次協会というのがございますが、大体大手の取り次ぎに日販、東販、大阪屋、栗田等がございますが、この大手の取り次ぎ十社ぐらいでいまの本の流通のどのぐらいを扱っていますか。
  175. 川井克倭

    ○川井説明員 十社という形で正確な数字を当方で押さえているわけではございませんけれども、大手十社であれば恐らく九〇%以上の本は取り扱っている。ただし、これは取り次ぎを通す正規ルートと言われているものの九〇%以上は占めているというふうに見ております。
  176. 池田克也

    池田(克)委員 国会図書館からおいでいただいてるわけでありますが、一問だけお伺いしたいのです。  国会図書館は国会図書館法によって出版された本はすべて集める、集めなければ罰金がかかるというぐらい厳しく出版物を集めて文化の蓄積に寄与する、こういう立場にあるわけですが、国会図書館は現在の捕捉率といいますか、出ている出版物のどのぐらいを掌握しておられますか。
  177. 酒井悌

    ○酒井国立国会図書館副館長 お答え申し上げます。  国会図書館に納本されるルートと申しますのは、大きく分けまして二つございまして、一つは、ただいま先生御指摘のように取次協会というものを通して納本するものでございます。この取次協会と申しますのは、国立国会図書館ができましたときに、国会図書館法の二十五条の納本規定と申しますのは各出版会社がその責任を持っておるのでございますけれども、個々の出版会社がやるのはめんどうだというので、出版会社が集まりまして国会図書館の納本のためにできた機関が、昔は取次懇話会だったのがその後は取次協会と申しております。その取次協会の業務を代行しておるのが日販、東販でございます。それからもう一つのルートは直接納本してくるものでございまして、大体大きく民間出版物を分けましてこの二つのルートになると思うのでございますけれども、国会図書館といたしましては、取次協会を経由してくるものというのは、扱ったものは全部入ってまいります。  一番問題になるのは地方でできた出版物でございます。それともう一つは、個人出版と申しますか、自費出版と申しますか、それの把握というものは非常にむずかしいのでございまして、最近におきましては、この地方出版物につきましては地方出版物流通センターというものができまして、そちらの方に入ったものは必ず取次協会を通して私の方に入ってくるようになっておりますけれども、一番問題になるのは、しかも相当重要な価値を持ってくるのは個人出版、自費出版のものでございます。  これはなかなか把握がむずかしゅうございまして、当方といたしましては、専任の職員を置きまして、各地の新聞だとか、そのようなものに載る出版情報というものを集めましてやっておりますけれども、これらのものを集めまして日本の出版量の中でどれくらい国会図書館に入っておるかというようなお問いでございますけれども、何せ全体の把握というものができないものでございますから、われわれといたしましては、大体七〇%から八〇%くらいまでは当館において押さえておる、と、一応のめどでございますが、このように考えておる次第でございます。
  178. 池田克也

    池田(克)委員 大臣、お聞きのような状態です。つまり、取り次ぎが扱わない本は国会図書館にも入れないのですね。法律上は出したものは持っていかなければならないのですけれども、罰則規定があっても余り動いていないようです。  つまり、この取り次ぎというところはきわめて重大な状態になっていまして、ここで係の人が見て、これはだめだと言われればだめなんですね。日の目を見ないのです。こういう状態ですね。大ぜいの人のたくさんの出版物をそこでもってわずかな時間で点検して、これはいける、これはいけないとなるわけです。ところが書いた方にしてみますと、置いてみてくれ、とにかく全国の本屋さんに配ってくれ——おれの本は売れるはすだと思っておるわけですね。ところが、ちょこっとした時間で装丁とか値段とかを見まして、これはだめですよとなる。つくった方としては、置いてもらえば必ず売れるはずだと思っておる。これはいままでのいろいろな経験上、やってみるけれどもやはりだめな場合もあるのですが、著作権というものから見た場合にこれでいいのだろうか。あくまでも民間ベースなんですね。  私は、時間がありませんので、このことは一つの提案なんですが、先ほども私は鹿島さんの御意思で全国の本を集めることの話をしましたが、私は、その限りにおいてこれは大変りっぱだと思いました。将来において、国の力といっても国がまるまるやっていいかどうかわかりませんが、先ほど地方出版センターみたいなもののお話がありましたが、ともかく出版物について、公設市場というのはあれですけれども、要するに著作権を保護し、日本の文化状態をもっと前進させるためにそうした機関を考えて、そして商売ベースでのいい悪いということを越えた段階で出版文化の振興というものを考える。こういう施策というものが必要なんじゃないか。特に、写真なんかは、写真の出版は非常に金がかかるのですね。紙でも印刷でも高い。たくさんネガを持ち、おれの写真はいいんだと思っている人間も出版できないで、発表できないでうつうつとしている人はいっぱいいるのです。  私は、文化庁の仕事の中で著作権の保護という問題は、どっちかというとじみ過ぎる、もうちょっとライトを当てていただきたい感じを持つので、この問題を締めくくる最後に、ひとつ大臣からその点のお答えをいただきたいのです。
  179. 吉久勝美

    ○吉久政府委員 確かに、出版文化というものがわが国の国民生活ないし文化の水準の向上、普及に役立っておることはもとよりでございますが、そのためには先生御指摘のような、いわゆる流通過程の問題の重要性というものについては御指摘のとおりかと思うわけでございます。  私どもといたしましては、りっぱに出版というものができ、それが円滑適切に出版され、これが最終消費者である読者にまた円滑適切に手に入っていくというような適切円滑なドッキングといいますか、これが出版文化のためにはぜひとも必要だと思うわけでございまして、先ほどのような御提案でございますが、そこらあたりと、今後の必要性あるいは今後のわが国における出版の状況といいますか、秩序と申しますか、そういう点が今後どういうふうになるのか、公正取引委員会におきましてもまだ結論を出していない、いろいろ調査研究中ということでございまして、今後の出版文化あり方なり動向なり、全般の中で文化庁といたしましてもひとつ検討させていただくようにお願いしたいというふうに思うわけでございます。
  180. 池田克也

    池田(克)委員 これは時間のかかることだと思いますが、ぜひひとつ脚光を当てていただきたいと思うのですね。  出版流通の問題は以上で終わります。関係の方、ありがとうございました。  問題を変えまして、学校図書館の問題に若干触れてみたいと思いますが、資料を用意いたしましたのでごらんください。  各小学校、中学校に学校図書館が設置されております。これは法律で義務づけられておりますので全国津々浦々にわたっていると思うのですが、この学校図書館の運営について私もいろいろ調べてみましたが、文部省として、学校図書館が今日置かれている状況、運営問題について何らか問題意識を持っていらっしゃるか、あらかじめお伺いしておきたいと思います。
  181. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 学校図書館につきましては、昭和二十八年ですか、議員立法で学校図書館法ができて、学校図書館施設の整備でございますとか、それと司書教諭の設置というようなことが規定されたわけでございますけれども、まず本の方から言いますと、制定当時の法律では、一定の整備基準を定めて、その基準に達するまでは国庫補助をするということで逐年整備をしてまいりまして、一応その目標を達したところで図書の購入費補助金制度廃止をいたしました。その後は、教材費の国庫負担の一環として適宜本を整備していくという措置をしております。  もう一つ、図書館活動を活発ならしめるために司書教諭の制度というものを設けまして、その資格を取るために講習をやって、その講習を終わった人——「司書教諭は、教諭をもつて充てる」ということにして補職の措置をとることを進めたわけですが、こちらの方は司書教諭を置いているところがきわめて少ないというような現状であります。
  182. 池田克也

    池田(克)委員 学校図書館の内容について私は調査をいたしましたが、きょうは時間がありませんので、その調査の状況を踏まえて大臣にぜひ御意見を伺い、改善すべき点は改善していただきたいと思っているわけです。  私が調べましたのは東京の目黒区でございます。公立小学校二十二校、公立中学校十二校についてわが党の組織で調べたわけでございますが、調べてみますと大変驚くべきことが出てまいりました。中学校で見ますと、蔵書数の最高が一万三百冊で、最低が千七百冊ですね。これは余りにも差が大き過ぎるのですね。ここに表を差し上げましたのでぜひごらんをいただきたいのでありますが、小学校の場合はまた申し上げますけれども、中学校の場合、これは二枚目でございますが、一万三百持っているところと千七百のところがある。Eの学校は千七百冊で、Iの学校が一万三百冊である。生徒数は五百四十四と六百九十一である。差があると言えばあるのですが、それはIの学校の方が大きいのですけれども、一万三百と千七百というのは、蔵書数として余りにも開き過ぎていやしないか。局長、これはいかがですか。
  183. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ちょっといま拝見したばかりで、基準と照らすとどうかという判断を正確に申し上げられませんけれども、現在、廃止される前の基準を一応の目安として整備されるように指導しているわけです。  たとえば、小学校で言えば、六百から七百ぐらいの学校ですと、基準は二千冊ぐらいになるのですね。ですから、これで言うと基準そこそこのところから八千冊ぐらいのところまであるという実態でございますし、中学校も恐らく最低基準のところまでは大体行っているんだろうと思いますが、あとはその学校の方針なり努力でかなり上回ったところまで行っているというのが実態ではないかと思います。
  184. 池田克也

    池田(克)委員 この予算を見ましても、少ないところは五十年、五十一年、五十二年、五十三年と、大体年間十万ずつですね。それから予算の多い、つまり一万冊持っているところは大体三十万から二十五万、二十七万と、三倍近い予算をつけているんですね。  これはいまの予算措置の状況では自由裁量で、その学校で一応基準は達したとして、そこから先の拡充とか充実とかいう問題は自由な状況になっているんでしょうか。
  185. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 原則としては自由でございます。ただ、教材費国庫負担の制度で、国庫負担の限度となる金額というものは、図書費も含めて、学校の規模に応じてそれぞれ決まっておりますから、その中で一定の本を買えばそれは負担の対象になる、こういうことでございます。
  186. 池田克也

    池田(克)委員 そこで、いろいろな細かい要望などを聞きますと、大変図書を充実させている小学校は、教師用の予算というものをとらないで全部生徒用にしているんですね。極端なところは別として、平均的にわれわれは見て足りないかなと思いますけれども、やっているところは教師用の図書、資料というものにやはりかなり予算を割いている。確かに学校図書館法の中にも、教師と生徒のためにつくるということになっているんですが、新しい学習指導要領なんかができますと、教師としていろいろ研究したいし、本が必要だそうです。特に制度が変わると、ここにも何校かありますけれども先生用の本としてたくさん予算をとっちゃうんだそうです。それで生徒用への回りが少ない。  先生の方も大事ですけれども、学校図書館は一体何のためにあるかと言えば、やはりこれは生徒のためにあるんですね。生徒のためだけじゃない。これも法律にうたっているんですから両方なんですが、ここで教師用の資料室と生徒用の図書館というものと制度上分けるべきじゃなかろうかと思うのですが、どんなものでしょうか。
  187. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 いま先生がたびたびおっしゃるように、学校図書館法の予定しておりますのは、児童、生徒及び教師のための図書及びその他の教材を整備するということになって一本化しておるわけですけれども、一本化しておりましても、学校図書館の主たる任務は児童、生徒の教育活動を助長するということでありましょうから、分けるかどうかは別としても、私は、やはり、児童、生徒を主体として図書購入等は考えていただきたいと思います。
  188. 池田克也

    池田(克)委員 それから、本の買い方なんですが、人手がないがゆえにカードなんかも業者さんにやってもらう。極端な言い方ですが、本の選定やその他の点についてもかなり業者さんに依存しているところがあるんですね。やはり本の選定は毅然としてやらなければなりませんし、サービスも結構ですが、これは税制上はどうなるのかわかりませんが、学校の設備として本を受け入れる場合にもうちょっと工夫ができるんじゃないだろうか。安く買う、一括買うという場合もあるでしょうし、それからまた、そういうカードなんかのやり方もいろいろ工夫ができるんじゃないかと思うんですね。  そこで、いろいろな繁雑なことがあるので、週二日貸出日以外は図書室にかぎをかけていますというところがあるんですね。その貸出日はどうなっているかというと、生徒の中に図書委員会というのが設けられて、子供たちが机に座って生徒さんからの貸し出しのチェックをしていく。もちろん担任の先生がいらっしゃるのですが、忙しいこともあるでしょうし、常時はできない。学校が終わって家へ帰す。交通安全のこともあるから大体まとまった時間に帰す。子供が図書室というものを使う時間というものは週一回、これはカリキュラムに組まれている図書指導の時間と昼休みで、昼休みも給食でぎりぎりだそうです。放課後のわずかな時間です。ある面では図書室というものはあってなきがごとく、整備しても余り使えないかもしれない。これはちょっと矛盾していると思うのです。整備すべきだと思う。整備したらもっと使えるような体制にしてあげなくてはいけない。それから人手もない。  学校図書館というのは法律ですべての学校に用意されているのですが、その精神が少し崩れてきて、長年の間に、一応基準だけあればいいやというようなことで、一生懸命やっているところとやっていないところでは物すごい差ができている。それはやはり教育に大きい影響を及ぼすと私は思うのです。うちへ帰ればテレビ、漫画です。少なくとも学校の図書館での読書指導はこれからの教育では非常に大事な分野になってくるんじゃないかと私は思うのです。  そういう実態を、大変小さな人口二十八万の一つの地域ですが、一つのサンプルとして私はお示ししているわけなんですが、文部省として、学校図書館という問題についてもう一遍実態について再検討してみようというお考えはいかがでしょうか。
  189. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 実は、私、文部省におりましたときに学校図書館法をつくったのです。そういういきさつがあってそのころは非常によくやったのですが、先ほど局長が申しますように、一段落したものですから、今度は教材費の国庫負担の方から整備するということで、いまお話しのように非常に差が出てしまった。  おっしゃるように、それは図書だけじゃないと思うので、司書教諭の問題もあると思うので、やはり、子供たちが本当に学校の図書館を自分の図書館だというように、楽しく勉強できるような図書館にしたいと思って、私ももう一遍見直してみたいと思います。
  190. 池田克也

    池田(克)委員 その見直しの中にぜひこの司書教諭の配置の問題を——司書教諭の資格を持った方がかなりいらっしゃるそうです。これは先生方もお忙しいことでなかなか大変だと思いますが、これは昭和三十三年ですか、司書教諭を当分の間置かないことができるということになって、以来二十余年間たっているわけです。司書教諭の資格を持った方がせっかくいらっしゃるわけです。私たちがアンケートをとった中には、巡回司書でもいいですよと言う人もいるのですよ。一人の司書の先生が学校を三つか四つ持ってチェックして歩いてもずいぶん違ってくるというくらいのお考えもあり、あるいは図書館大学の学生さんのアルバイトでも来てもらえばずいぶん違うとまで言っているわけです。場合によっては、国の法律は待っていられないから地方自治体で学校図書館条例かなんかつくったらどうだという提案がある。  一生懸命やっているのですが、いまおっしゃったある時期を経た今日の状態は、私は改善していただきたい。ぜひ見直してくださるという大臣のお話の中に、教師用と生徒用の一つの線引きといいますか、それから司書教諭の配置、それから学校の中での時間配分の中でもう少し子供たちが図書に接するような段取り、この三点についてぜひひとつ御配慮を願いたいのですが、いかがでしょうか。
  191. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 御指摘の点、よく検討させていただきます。
  192. 池田克也

    池田(克)委員 図書館の問題だけにわたっているわけにいきませんので次に進みますが、ぜひそういうような方向でお願いをしたいと思います。  最後になりますが、オリンピックの問題についてちょっと触れさせていただきたいと思います。  先ごろ、オリンピック強化のために体協が選手のコマーシャル出演というものを認め、三億円を目標にして企業への協力を要請した。協力を認めた企業からは一千万円ずつちょうだいし、さらにコマーシャル料はまた別にという形で三億円を集めたいのだということが新聞に発表されましたが、体育局にこういうことの御相談はあったんでしょうか。
  193. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 この問題につきましては体育協会が自主的な計画として進めていることでございまして、体協と文部省の間には、毎月二回にわたりまして事務的な連絡会を持って緊密な連携をとり、そごのないようにしようということで行っておりますので、その間この計画につきましてはお聞きしております。
  194. 池田克也

    池田(克)委員 これはオリンピックと文部省という関係なんですが、オリンピックの強化は、これはアマチュアスポーツですから文部省としてどの程度かめるか私もよくわかりませんが、先般も愛知県の方のオリンピック招致の話がこの委員会で取り上げられました。  オリンピックという問題について、文部省はどういう機構でどの程度の関心と指導といいますか、影響を行使できるのか、その状況、体制についてお聞かせをいただきたいと思うのです。
  195. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 わが国のスポーツの振興でございますが、私ども二つの点でこの問題の行政を進めるに当たっての背景をとらえております。  その一つは、広く国民にスポーツの普及振興を図ると同時に、いま基礎体力づくりと言っておりますが、子供たちのスポーツに入る前の基礎体力づくり、これとの連携をとりながら、生涯にわたって国民がスポーツを生活化、習慣化して、その上に明るく活力ある生涯を送れるようにするということにつながるスポーツの普及振興、それとこれと密接な関連にあるわけでございますが、スポーツはそれ自体可能性の追求でございます。自己の可能性の追求、商さへの挑戦でございます。また、その面から特に国際競技におけるわが国の、日本人の活躍に対する期待は大変国民の間に高い問題でございまして、スポーツの持つその本来的な性格と国民の期待、これにこたえるということで国際競技力の向上を大いに図る必要があるということの考え方を持っております。  その面から、特に国際競技の最も中心でございますオリンピックは来年はモスクワで開催されるわけでございますが、ここに日本人が参加して、その競技の会におきまして栄光を得るということは大変国民の期待の高いことで、また、そのことが最初の、国民への広くスポーツの普及振興に寄与するということでございますので、五十二年から競技力の向上のための予算化を図りまして、強化事業費に対しまして一億八千万円の補助金を体協に補助いたしておりますが、五十三年度はこれを倍以上にいたしまして四億五百万の予算が計上されて、いま執行されているわけでございます。来年度に当たりましてはさらに五割増を図りまして、六億一千五百万の選手強化事業費を体育協会に対して補助しておるということでございます。それらの関係もありまして、国の補助金は体育協会の——いま予算規模は四十五億ほどが来年度見込まれておりますが、体育協会自体自己調達の資金を調達する必要もございます。その面から、国の補助金にも見合いまして自己資金の調達を図るということでキャンペーンを行うということで、この三億円の募金活動でございます。  これにつきましては、アメリカ等でも、「あなたの協力なくしてはわれわれは勝てない」ということで、二千六百万ドルほどの募金活動がなされておる。イギリス等でも行われております。各国にもこの例がございまして、体協がこのたび踏み切りまして、「がんばれニッポン」、サブタイトルでは「最善を尽くそう」というテーマでこのキャンペーンを行うということでございますので、私どももこれについてできる限りの協力をしてまいりたいと思っておるところでございます。
  196. 池田克也

    池田(克)委員 この企業とオリンピックですが、お金が足らないから企業からお金をもらう、私はそれはその限りでまた別の機会に議論しなければならぬと思いますけれども、今度はオリンピックになったときに、おれのところで金を出してやったんだからこういう宣伝をさせろとか、そういうことはないですか。
  197. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 体育協会自体がアマチュア規程を設けまして、アマチュア競技者が商業ベース等での利用に陥らないような措置を講じておりますし、また、たとえばオリンピック委員会では、オリンピック規則の中で宣伝等への自分自身あるいは自己の氏名、映像等の使用を禁止しておりますが、ただし、国内オリンピック委員会あるいは国内の体育協会が特に認めて行う場合はこの限りでないというような規程が設けられております。  したがいまして、競技団体みずからその規程の定めに基づきましてアマチュア競技者の適格性を保持していくということの努力は一方なされておるわけでございますが、このオリンピック規則あるいは国際競技連盟のアマチュア規程、またみずから定めております規程のその範囲内で特例措置を講じていこうということでございますので、私ども関係者が十分このことを心得て誤りなき推進がなされると思っておりますし、また、十分その面の連携をとってまいりたいと思っておるところでございます。
  198. 池田克也

    池田(克)委員 その三億円が集まれば勝てるのかということなんですね。また、金をかければ切りがないということなんですけれども、私は、オリンピックは必ずしも勝つばかりが能じゃないと思います。けれども、先ほどお話があったように、国民のスポーツというものを振興する上で国際競技に勝つというのはやはり非常に効果があるわけですね。バレーボールなんかもああいうことになりましてから非常に地域にも根を張り、国民のスポーツとして人口もふえてきたと思うのですね。そういう意味では、私は、オリンピックを強くするということに日本の文部行政の中でかなり力を入れていいのじゃないかと思うのですね。  ですから、率直に言って、いまのところはモスクワオリンピックというのはある程度国民の期待にこたえられるという目算があるんですか。
  199. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 正直申しまして、なかなか世界が強くなってきておるわけでございまして、さきのモントリオールの大会におきましても、たとえば陸上、水泳につきまして、これは最もメインのスポーツでございますが、残念ながら六位入賞がゼロというような結果を招いた。この辺のところに大きな反省と次への最善を尽くそうという問題があるわけでございまして、モスクワはそれなりに大変厳しい状態でございますが、いま体育協会の方では重点の種目を決めまして、そこに焦点を合わせて金メダルあるいは入賞を期していくということの取り組みをしておりますので、それなりの関係者の共援、また国民の絶大な声援のもとでその実効を上げるような努力がなされておるというところでございます。
  200. 池田克也

    池田(克)委員 モスクワオリンピックも近々に迫っているわけですが、いまごろになってお金を集める。私は、このオリンピックの問題だけでも本委員会でもっと時間をかけて取り上げて、そして国民の合意を得て大々的な募金運動をするのなら、企業に十社に一千万円ずつくださいなんという話を——これもいまここへ来て発表されてわれわれもなるほどというような状態ですけれども、もっと早くから国民運動としてそういう意識を持たせるということも必要じゃないかと思うのですね。とにかく、どこか人ごとみたいなかっこうで、負けると何やってんだという話が出てくる。このスポーツという問題は、先ほど大臣もおっしゃっていましたが、知育、体育、徳育の中で知育ばかり偏重しておったが、もう少しこの点について文部省としても積極的にやるべきである。  いま、一億八千万円から四億円、四億円から六億円と相当な予算がふえていることはお伺いしましたが、そこで、私は前から指摘しているのですが、金ばかりじゃなく、オリンピック選手の老後の保障が非常に大事だと言うのです。社会主義国がだんだん強くなってくる原因の一つは、メダルを一つ取ると一生食べていけるそうですね。お隣の韓国なんかでも何か年金が出ているんじゃないですか。いまの若者に、あなたはスポーツ選手として優秀だからオリンピックでやりなさいと言うといやだと言うんですってね。なぜかというと、オリンピックまではいいけれども、そこで幾ら青春をオリンピックにかけても、メダルを取って帰ってきてから全然めんどうを見てもらえないからと言うらしいのです。私は、それではいかぬと思うのですね。ある意味では実業団でもだめかもしれませんが、専門に強化するという、そういう形のきちっとした体制で学生にしても練っていかなければならぬ。そういう意味では、老後というとずいぶん先の話ですけれども、オリンピックで仮に勝って帰ってきたとしても、その後の自分たちの生活について不安を持っているという声を私は聞いているのです。  文部省としてそういう実態を御承知でしょうか。また、それに対して何らかの対策を立てていらっしゃいますか。
  201. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 世界のトップの水準にある方が練習に励んでいる傍らそういう不安を持つということを私どもも知っております。スポーツマンはまさに世の指導者であるということが言われておりますし、この方々の処遇の改善の問題につきましてはそれなりのゆえあることだというように考えておりまして、いまなかなかに端的な施策はないわけでございますが、種々検討しております。  一つは、本年度から体育・スポーツ功労者派遣指導道業ということを行いまして、いま三十六人ほどのゴールドメダリストの方々を全国に派遣させていただきまして、特に子供たちと触れ合うということを通してスポーツの普及、振興とまた青少年の健全な体づくりの御指導を賜るということを行っております。  来年度新しく行いたいと思っておりますことに、オリンピック等で活躍された方々の中から、さしあたり三人の方ですが、海外に二年間の長期派遣で行っていただきまして、外国の大学あるいは研究所等で御研究をされまして、将来にわたってわが国のりっぱな指導者に育っていただくと同時に、スポーツの世界は国際社会でございますので、国際スポーツ界においてその人が指導者に育っていただくということに資したいということで、三人の方の長期派遣の予算を計上いたしました。  それから、もう一つ、スポーツのコーチ、指導あるいはトレーニングドクターの面が諸外国に比してなかなか日の浅い問題でございますので、この面のコーチの指導力の向上等に資したいということで、十人のコーチ等の方を一年間、むしろこれは外国の厳しいコーチのワーキンググループでトレーニングしていただくということで、そのようなことをいま新しく行うような仕組みをいたしまして、選手の方々がそれぞれ今後スポーツ指導者としてお立ちいただくことに少しでも役立てばということで取り組んでおるところでございます。
  202. 池田克也

    池田(克)委員 たとえばバレーボールの女子の選手が勝って帰ってくる。実業団等で選ばれて行くのですけれども、帰ってきてから、それから先さあどういうふうになるか。中には、体育の指導者になるために学校へ入りたいという人もいて、それについて何らかの奨学制度なんかもお考えになっていらっしゃるということは非常にいいことだと思うのですが、そういう事実はありますか。
  203. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 いま外国等でスポーツの選手に対して、アメリカ等は特に大学で特別の奨学制度を持っておりますが、これにつきましてはわが国でもそれぞれの大学等でその面の配慮がなされておると思いますが、スポーツ選手なるがゆえにというところまでわが国ではまだいっておらないというところでございます。  文部省といたしましても、奨学育英の事業の方で対応しておるというところでございまして、なかなかにスポーツの問題はなお口の浅い課題でございますので、これらの面につきましては必ずしも国がやるのかどうかいろいろ問題はございますが、各方面の御意見を聞いてそれなりの研究をしてまいりたいと思っております。
  204. 池田克也

    池田(克)委員 最後になりますけれども、私は、日本の文化勲章というのは文化の最高の栄誉だと思います。  この文化勲章の選考基準の中に、スポーツで国家に功労を残した人というのが基準として入っていないのだそうですね。そうですが、大臣
  205. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 広い意味でスポーツも文化の範疇に入るわけでございます。  したがいまして、従来文化勲章等を受章された方には、エベレストの登山を日本人として初めて行いました槇先生がおられますし、また、国民スポーツの普及を図られた平沼先生文化功労者になっておられるということで、現在広い意味で文化の範疇に入る問題でございますので、そういう対応をしてきたということでございます。
  206. 池田克也

    池田(克)委員 それは確かに幾つか例はあるのですね。しかし、教育の知育と、体育、徳育と言って並立して大臣も強調していらっしゃる。学士院、芸術院とありますね。そこで、体育院みたいなものがあって、わが国の体育の最高峰というものが生涯保障されたり、またその人格、識見を選んで国民のリーダーになっていくという考え方もあってしかるべきだと私は思うのです。知育、体育が大事だと言いながら、その実大学教育の中で体育はどうだというと、何とか単位をとれればいいやということも事実ある。そういう意味でこれは振興を考えていかなければならない。  私がいまちょっと申し上げたそういうことに準ずるような案が文部省内でも一部議論されたやに伺っておりますが、事実ですか。
  207. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 いま、体育協会の関係先生方からも、仮称でございますが、スポーツ院という制度ができないのかという御意見は承っております。これは片方に芸術院あり学士院があるというときにスポーツ院がないということでございますが、これにつきましては、人間の高さへの追求という意味では共通の問題でございますが、いまスポーツ院の設置に踏み切るにはなおもう少し、スポーツマンは世の指導者であるとか、スポーツに対する日本全体の認識とか、その辺の背景がある課題だろうという率直な感じがいたしております。  きょうは先生からこの面の御提案がなされましたが、今後各方面の意見、合意を得ての問題であろうというように受けとめておるところでございます。
  208. 池田克也

    池田(克)委員 最後に、大臣に伺います。  いまスポーツ院の話が出ました。名前はどうあれ、そういう功労者あるいは指導者をもっと顕彰したり生活の安定のめんどうを見たりしていかないと、やはり知育、徳育の状態になってうまくないんじゃないかという気が私はするのですが、いまの話のスポーツ院のような考えについては文部大臣としては賛成ですか。いかがでしょうか。
  209. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 先生のお話はよくわかりましたから、今後慎重に検討させていただきます。
  210. 池田克也

    池田(克)委員 終わります。      ————◇—————
  211. 坂本三十次

    ○坂本委員長 これより内閣提出国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  まず、提案理由の説明を聴取いたします。内藤文部大臣。     —————————————  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  212. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 このたび政府から提出しました国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  この法律案は、昭和五十四年度における国立の大学の新設、学部及び大学院の設置、短期大学部の併設、附置研究所の廃止、国立養護教諭養成所の廃止等について規定しているものであります。  まず、第一は、図書館情報大学の新設等についてであります。  この図書館情報大学は、図書館短期大学の筑波研究学園都市への移転を契機として構想されたものであり、高度の専門性を備えた図書館職員等の養成及び図書館情報学に関する研究の推進に資するため筑波研究学園都市に設置するものであります。  なお、同大学は昭和五十四年十月に設置し、昭和五十五年度から学生を入学させることといたしております。これに伴い図書館短期大学については、昭和五十六年四月に廃止することといたしております。  第二は、学部の設置等についてであります。  まず、医師養成の拡充を図るとともに、医学研究の一層の推進に資するため琉球大学に医学部を設置することとしております。これにより昭和四十八年度以来進めてまいりました無医大県解消の計画を達成することとなります。  なお、同学部は昭和五十四年十月に設置し、昭和五十六年度から学生を入学させることといたしております。また、同大学の保健学部につきましては、昭和五十六年四月に廃止し、医学部の中に発展的に転換することといたしております。  さらに、岡山大学及び長崎大学にそれぞれ歯学部を設置し、歯科医療需要の増大と歯科医師及び歯学部の地域的偏在に対処することとしております。両大学の歯学部は、それぞれ昭和五十四年十月に設置し、昭和五十五年度から学生を入学させることといたしております。  このほか、広島大学に水畜産学部を改組して生物生産学部を、熊本大学に法文学部を改組して文学部及び法学部を、琉球大学に理工学部を分離して理学部及び工学部をそれぞれ設置し、これら地方における国立大学の教育研究体制の整備を図ることといたしております。  第三は、大学院の設置についてであります。  これは、これまで大学院を置いていなかった旭川医科大学に医学の博士課程の大学院を新たに設置し、同大学における教育研究の水準を高めるとともに、研究能力のある人材の養成に資することとするものであります。  第四は、短期大学部の併設についてであります。  これは山口大学に医療技術短期大学部を新たに併設し、近年における医学の進歩と医療技術の高度化、専門化に伴い、看護婦の養成及び資質の向上に資することとするものであります。  なお、同短期大学部は、昭和五十四年十月に設置し、昭和五十五年度から学生を入学させることといたしております。  第五は、附置研究所の廃止等についてであります。  九州大学の産業労働研究所については、研究対象である産業の推移や最近における学術研究上の要請に対応するため、関係学部の充実及び石炭研究資料センターの新設により関連する研究の発展を図ることとして、これを廃止するものであります。  また、東京工業大学の工業材料研究所については、研究体制の整備充実を図るため、神奈川県長津田地区へ移転することとし、その位置を東京都から神奈川県に変更するものであります。  以上のほか、このたび新設しようとする図書館情報大学並びに岡山大学及び長崎大学の各歯学部を含め、昭和四十八年度以後に設置された医科大学等の職員の昭和五十四年度の定員を定めるとともに、昭和五十二年度において教育学部の養護教諭養成課程に発展的に転換し、以来学生の募集を停止してきておりました徳島大学養護教諭養成所及び熊本大学養護教諭養成所を廃止することといたしております。  以上が、この法律案を提出いたしました理由及びその内容の概要であります。  何とぞ十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますよう、お願い申し上げます。
  213. 坂本三十次

    ○坂本委員長 これにて提案理由の説明は終わりました。     —————————————
  214. 坂本三十次

    ○坂本委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。森喜朗君。
  215. 森喜朗

    ○森(喜)委員 ただいま提案をされました国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案に関連をいたしまして大臣に若干御質問を申し上げて、私ども与党でございますから、予算化をされますまで、また法律提案までは与党としての責任を持って進めてまいりましたので、むしろこれに関連をいたしまして一般的なお話をお伺いいたしたいと思うのです。特に大臣は大変お疲れのようでございますし、手短にというように考えております。  先ほどのお話の中にもございましたように、大臣はこの道一筋に、そして戦後の文部省教育行政にずっと責任あるお立場で今日まで御担当をされておるわけですが、いまの国立大学も含めまして、高等教育全体につきましては社会的にもかなり大きな問題を抱えておると思いますが、しばらくの間余り細かいことにこだわらずに、教育に生涯をささげてこられた内藤先生の思い切ったお気持ちを披瀝していただいて、これからの高等教育に何らかの示唆を与えていただきたい。こんなふうに冒頭にお願いを申し上げて質問を始めたいと思うのであります。  そこで、先ほど社会党の湯山委員もちょっと触れておられましたが、この間二十八日の各朝刊でしたか、日米高等学校の高校生の意識調査、両方の違いが出ておりました。これは大臣も十分お読みになられたと思うのです。そしてここに読売の夕刊の「よみうり寸評」というのがございまして、ちょっと最初の方だけ読みますが、「ああ、ボクら、高校三年生——は、日本の場合、受験勉強に遣われて余り楽しくない。これに反し、アメリカでは高校生活がとても楽しい。平均的な高校生の意識は、日本が憂うつな灰色なら、アメリカは明るいバラ色とはっきり色分けされた」という出だしで「よみうり寸評」には出ておるわけであります。  大臣、この意識調査と、そしていま私がちょっと読み上げましたものについては十分御存じのことだと思いますので、まず、その感想を伺っておきたいと思います。
  216. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 アメリカも日本も同じ六・三制でございますけれども、私はこの間あなたと同じようにアメリカの教育を見て、子供たちが非常に楽しく遊んでいるのを見て非常に感激したのですが、日本の場合は試験地獄で、子供が塾へ通っておって、何か私はまことに気の毒なような感じがするのです。  やはり、これからの日本人は、本当にたくましい特質のある子供たちであってほしいし、そして資源のない日本ですから、本当に世界じゅうからさすが日本人だというふうに国際的に信頼され尊敬されるような、そういう人間づくりをやりたいなというのが私の願いでございます。
  217. 森喜朗

    ○森(喜)委員 いまのお話とまたちょっと外れますけれども、後ほど御質問申し上げます中にすべて参考にさせていただきたいと思いますので、最初にいろいろなことを若干伺っておきたいと思います。  私は、昨年ちょうど官邸で副長官をいたしておりました。福田総理の肝いりで「人づくり懇談会」というのを何回か開いたわけであります。その中で中学校の先生あるいは高等学校の先生ども官邸にお見えになりましていろいろなお話し合いをしたのですが、いまの高校生は、「なぜ大学に進むのですか」ということに対しては、どうもはっきりわからないと言うのですね。「みんなが行くから」とか「親が行かせるから」とか、そんな問題意識で大学へ進んでいるというケースが非常に多いのです。  大学の価値あるいは高等教育を受ける価値、そういうものの価値というものは、大臣、どのように考えておられますか。
  218. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、これはやはり根本的には日本の学歴社会であろうと思うのです。何か、大学でも出ないといいところへ就職できないとか、根本的にはそういう学歴社会が災いしているのじゃなかろうか。そういう意味で、今度皆さんにお世話になった放送大学なんかは、世間に広く開放していますから、学歴社会を是正する一つのきっかけになりはせぬかと思って私は期待をいたしておるのであります。
  219. 森喜朗

    ○森(喜)委員 それではもう一つ、また別の問題になりますが、入学試験のための競争というものはあっていいか悪いか。これは大臣はどのように考えておりますか。
  220. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 人間社会ですから多少の競争はやむを得ないと私は思うのですね。ただ、いまのような試験地獄で、子供が朝から晩まで、学校へ行って帰ってくると今度は塾へ行って、遊ぶ間もない。こんなことは本当に情けないと思っている。  ですから、大学入試改善というのは私の多年の懸案でございまして、どうやら今度第一次テストが済みまして、第二次テストがこれから始まるわけですけれども、何とかして過当競争はやめて、まじめに勉強しておれば入っていけるという制度考えるべきじゃなかろうかと私は思っております。
  221. 森喜朗

    ○森(喜)委員 それでは、いま共通一次試験のお話も大臣は出されておるわけでありますが、多年入試の改善ということで文部省を挙げて、また国民に多くの期待を持たれてこの制度を始めたわけであります。  一応この制度に踏み切られて今日まで——もっともまだ国立も終わっておりませんし、いま試験制度全体について論評あるいは感想を求めるのはむずかしいのかもしれませんが、この制度を取り入れられました今回の感想を伺いたいのと、それからこれは文部省からいただいた資料でありますが、志願の倍率が国立で三倍、公立がえらくふえまして六・七倍になっておりますが、全体で三・四倍という、こういう倍率は大臣としては適当なものと思うかどうか。それから逆に、これは細かいことはちょっと資料がありませんが、新聞だけで見ましたところでは、東大なんかでも京大なんかでも、一部は二倍ぐらいのところが学部によってはあったと聞いておりますが、そういう倍率というものはちょうどほどよいものであるかというようなこと、そういうこともあわせてお聞きしたいのであります。
  222. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 共通一次テストの目的は、高等学校における普通の課程を履修しておればできる程度の問題で、余り難問奇問を出さないようにということでやったのですが、私は、この間の成績を見てみまして、平均点が六十何点、おおむね妥当ではなかったかと思いますが、二次テストがこれからありますけれども、二次テストは学科目はなるべく最小限にして、内申書とか、それから論文とか人物考査というものを中心にやっていただきたいと私は思いますけれども、もう二次テストはすでにスタートしましたからことしはことしで仕方がございませんが、今後は関係者意見を聞きながら改善に努力をしてまいりたいと思っております。  詳細は局長からお答えします。
  223. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 倍率の問題についてだけお答えを申し上げます。  御指摘のように、国立が三・〇倍、公立が六・七倍で、昨年の平均国公立合わせての六・七倍を大きく下回ったわけでございます。  国立大学につきましては、大多数の大学が二倍から四倍ないし五倍、前年度は二倍から七倍ないし八倍でございましたから、全国的にかなり平準化をいたしておりますが、やはり、これは共通一次の実施あるいは国立大学の一期、二期の一元化に伴って、従来の見せかけだけの倍率が減った、あるいは受験生が慎重に自分の進路を検討して決定するようになった、そういったことのあらわれであると思います。  ことし出てきた状況というのは、受験準備の過熱を鎮静化する上でも好ましい結果であると私は考えております。
  224. 森喜朗

    ○森(喜)委員 大臣、私はさっき一つ御質問申し上げた中でちょっとお答えがまだないところがあるのですが、たとえばというように申し上げたのでまずいのかもしれませんが、ちょうど二倍、三倍ぐらいの入学倍率というのはよろしゅうございますか。この程度でよろしいかなということを私はお尋ね申し上げて、大臣の感想はどうですかということをお尋ねしたのですが……。
  225. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 二倍、三倍が妥当かどうか、私もよく存じませんが、余りたくさんの人をやりますと、あと二次の選考が大変でございますから、倍率がどの程度か知りませんが、なるべく少なくした方がいいと私は思っています。
  226. 森喜朗

    ○森(喜)委員 私は、そこで最初に高等教育の価値というものをお尋ねしたのですが、社会現象として入学が大変だ、そのために家庭がいろいろ問題があるとか、それから高校生の生活が灰色なんだとかという、その辺のことに対応しなければならぬということで、どうもこの入学試験の問題というのをとらえ過ぎているのじゃないかなという感じも私は持つのですね。  私は、先ほど申し上げたように、また大臣もそうだとおっしゃっていましたが、自由主義社会というものはやはり競争の中からエネルギーを生んでくるのだと思うのですね。ですから、みんながただのんべんだらりと高等教育に入れるということが本当は好ましいことなのかどうか。大臣、これはどうですか。
  227. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、やはり、みんなが入ることが望ましいというわけではなくて、能力のある者ができるだけその能力を伸ばすように大学に入ってほしいと思います。
  228. 森喜朗

    ○森(喜)委員 それでは、これは局長にお伺いいたします。  たしか、はっきりは申されませんが、大臣はこの程度の二倍から四倍ぐらいの倍率がちょうどいいなというふうにお考えになっているというふうに大体私は受けとめているのですが、しかし、その反面しわ寄せが私学にいっているという感じがしますね。それから、公立の六・七倍というのはやっぱり多いのでしょう。六・七倍ですね。去年より減っていますか。これはこんなものですか。私学が非常に多くなってきている。それだけ私学の方に皆回った。この現象を佐野さんはどういうふうに受けとめておられますか。
  229. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 公立の倍率が高くなっているのは、御案内のように公立大学の中には、一部の大学で国立と二次の試験日をずらして国立との併願が可能なようにしたところがございますので、そこの倍率が非常にふえております。それが響いてきた結果が六・七というような数字になったということであろうかと思います。  私学に対して、共通入試を実施したことに伴っていわゆる国立離れの現象が起こり、私学の入試が非常に激しくなるのではないかということが事前には言われたわけでございますけれども、実際に進行している過程でございますからまだ確たることは申せませんけれども、必ずしもそういう現象にはなっていない。むしろ従前よりも、受験生がいわゆる二つも三つも数を重複して受けるその態様というのは、昨年よりもことしの方がしぼられてきているのではないか。それに伴って、各大学のそれぞれの倍率というのは、そう事前に言われているような形でふえているわけではなかろう。もちろん、大学によって、受験科目の数を減らしたり何かしたことに伴って非常に受験生が殺到しているところもないわけではございませんけれども、全体としては決して過熱の状況にないというふうに考えております。
  230. 森喜朗

    ○森(喜)委員 そうしますと、いままでの見せかけの倍率といいますか、私も実はそういう見方をいつもしているのですが、数年前で、大体の全国の高等学校三年生の数とそれから大学側が受け入れる定員というものとでは、恐らく大学の定員数の方が多いというふうに私は記憶をいたしていたわけでありますが、結局いい大学にというふうにみんな進んだ。一遍物は試しに受けてみようということもあったというふうに考えられるわけですが、そういう意味から言いますと、緩和させたという面で共通一次テストは一応成功した、好ましい方向にいったというふうに私は今回の時点では判断できると思うのです。  ただ、問題はこれからだろうと思うのですけれども、つまり、先ほど大臣もちょっとおっしゃいましたが、第二次試験のやり方ですね。これは現状はすでに始まったことでありますがということで、いまやっておる大学側の第二次試験のあり方については、必ずしも国が考えているような方向をとっていなかったというふうに大臣はお考えになっていらっしゃるわけですね。そういう御発言だと受けとめておりますが、それでよろしゅうございますか。
  231. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 とにかく、まだ第一回でございますから不備な点はあろうかと私は思いますが、それはこれから関係者とよく協議して、より完全なものにして、とにかくこの試験地獄を何とか解消するように努力したいと思います。
  232. 森喜朗

    ○森(喜)委員 それでは佐野さん、さっき私はバラ色とか灰色の生活というふうに申し上げたのですが、高校生活というのは必ずしもパラ色にしなければならぬとも思いませんけれども、しかし、入試というものが基本的にいまの高等学校の生活の様式を定めているというふうに判断していいと思いますから、せっかくここまできたわけですから、文部省として、第二次試験のあり方というものにもう少し強いと言ったらいかぬのかもしれませんが、やり方にもう少し指導力があってもいいのじゃないか。強制するというのはいけないのかもしれませんがね。  佐野さん、この辺は今回の一次の第一回目のやつをどんなふうに指導されたのか、それから、これからどうされていこうとするのか、そんなことを少しお話し願います。
  233. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 これから二次試験をやる段階ですから、二次試験をやった後に、いろいろ問題点があることは御指摘のとおりですから、関係者意見を聞いて、より完全なものにしていきたいと私は思っておるところであります。
  234. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 ことしの大学の行っております二次試験の実施方法につきましては、従来に比べまして学力検査の科目数が全体としてははるかに少なくなっている、あるいは推薦入学、面接、小論文の実施を取り入れている大学が非常にふえているというようなことがございまして、各大学それぞれ努力はしていると思います。  しかし、二段階選抜の問題であるとか、あるいは入試の二次試験の科目数の問題であるとか、それらについては問題が残っているわけでございますし、そもそも共通一次を取り入れて新しい入学試験のあり方というものを考え趣旨は、共通一次とあわせて二次試験の段階で、それぞれの大学でそれぞれの大学の特色を生かした二次試験を考えていただき、それによってそれぞれの大学の特色を伸ばし、またそれぞれの大学の個性に合った人材を迎え入れることができるような選抜方法をやろうということにあるわけでございますから、そういう趣旨に沿って国立大学協会においても検討をしていただきたいし、また、各大学においてもそういう趣旨でことしの経験を生かしてさらに改善に取り組むように文部省としても強く指導をしてまいりたいと考えております。
  235. 森喜朗

    ○森(喜)委員 大学局としての取り組み方はぜひそうあってほしいと思うわけであります。  高等学校側はたしかいまの七科目に対して五科目ぐらいにしてほしいという希望があるわけであります。それと同時に、これだけの膨大なる国のお金を使って入試センターに共通テストをやらせておるわけですから、やはり私学が参加をすることが望ましいと私は思うのです。全体で八割近いのが私学ですから、私学もこれに参加することが一番いい。この議論はもちろん賛否両論あると思います、ずいぶん国会の中だっていろいろあったと思います。しかし、これに対する受けとめ方を文部省としてどうされているのか。この七科目という大変多い科目では、私学はそれに応ずることができないという私学側の言い分ももちろん当然でありましょうが、やり方によってはどのようにでもできるのではないかという感じがするのですね。  先ほどの高校側の五科目ぐらいにしてほしいという希望も、たとえばセンターとしては七科目であろうと八科目であろうといいと思うのですが、むしろ高校生に選択の自由を与えさせるということ、アラカルト方式とかメニュー方式とかいろいろあると思うのですけれども私学でもそういうやり方をされることもできると思うのです。こんなことを少し改善されて来年に備えていただきたいなと私は思うのです。まだまだ大学では一部私学の有名校に偏り過ぎているきらいは今日もなおあると思いますので、その辺、本当に全国の大学にまんべんなく自分の力に応じて——力に応じてというと悪い者は悪いところに行けということになってしまいますけれども、そうではなくて、本当に個性豊かなそれぞれの大挙をつくっていくということから言っても、国公私立あわせてこれに参加するという方向の方法、ノウハウをいろいろお考えになってみたらいかがかと思うのですが、いかがなものでしょうか。
  236. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お説のとおり国公立だけではだめで、八割が私学ですから、私学の参加をお願いしなければならぬと私は思っています。  私も、終戦後アメリカから言われて進学適性検査、進適をやったが、二重食掛だということでとうとうだめになってしまった。その後能研テストを私は文部省時代にやりまして、これで三回目なんです。何とか今度はひとつ成功させたい。その場合に国公私立を含めたものでないと効果がないですから、私学の意向も十分お伺いして、積極的に努力してみたいと思います。  詳細は局長からお答えさせます。
  237. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 共通一次の科目について、五教科六ないし七科目というのは多過ぎる、これを五教科五科目にしてはどうかという意見は共通一次実施の前から高等学校側にはあったわけでございます。逆に大学側が心配しておるのは、共通一次は高等学校における共通必修の科目について、その達成度を見るということである、したがって共通一次の科目数をしぼるということになると、そのことが高等学校における学習のあり方に影響を与えるのではないか、むしろ本来からすれば高等学校の全教科について共通入試をやった方がいいのかもしれぬという議論があって、最終的にはいまの五教科六ないし七科目に落ちついているわけでございます。私は、このことは理解できることだと思います。  しかし、一面で、特に私立大学を含めた共通入試を実施していく場合に、日程の関係あるいは実施科目の数等が非常に大きなネックになることも事実でございます。国公私立を通じた入試の改善を共通一次を通じて考えていくということであれば、そのネックを何とかして解消することを考えなければいけない。もちろん私立の医科大学のように、現在の五教科六ないし七科目の状態においても、それに対して積極的に参加することを検討しているところもございますけれども、必ずしもそういう私立大学だけではない。  その場合に、先生の御指摘のように、入試センターは五教科六ないし七科目を実施する、しかし、私立大学は、そのうちそれぞれの私立大学が指定をする幾つかの科目について、当該大学を受験する受験生にその共通入試を受けてくることを求める、それで入試センターはその成績を提供するということで、少なくともそれぞれの大学における一次の段階での難問奇問を排することはできるわけだし、それとあわせて各大学が特色のある二次試験を実施すれば全体として入試改善の実が上がるではないかという、その御指摘は私も理解できないわけではございません。しかし、一番最初に申し上げましたような、共通入試が高等学校の共通必修について実施をする、そしてそのことが高等学校の学習のあり方を害さないようにするという配慮のもとに行われているという点、これまた非常に大事な点でございます。  いずれにしても、国公立だけにとどめないで、私立大学まで含めて入試のあり方を共通入試を通じて考えていくということでございますから、先生のいまの御指摘の点はこれからの非常に大事な一つの検討課題として、大学入試センターあるいは国立大学協会、公立大学協会の方でも検討されていくことであろうと思います。
  238. 森喜朗

    ○森(喜)委員 余りこの問題で時間を費やしてはいけないのですが、要は、先ほど大臣もおっしゃったように、今度のは高等学校の学校生活をまじめに勉強しておれば大体それで適性がある、そして大学に入るだけの条件は一応整っている、こういうことの一つの判断材料だろうと思うのです。だから、私は、これはある意味では資格試験みたいなものだろうと思います。ですから、その後の第二次試験、それぞれの大学における試験はできるだけ個性豊かなものにして、委員長の大好きな剣道が非常によければそれで入れてやろうとか、三年までまじめに生徒会の会長をやっていたからとか、そういうことに非常に励みを持ち、意欲を持たせるようにして、そういう生徒さんならば大体六〇%、六十五点程度取っておる者ならそれでいいんだというような入試方法を進めていけば、高校生活はむしろバラ色になるのじゃないかなという感じを私は持つのです。  要は、第一回目でございますし、いままだ進めておられるときでもありますから、そういうことも含めた来年度の方向づけにぜひ積極的にお取り組みいただきたいということを希望を申し上げて、この問題につきましては終わらせて、次に進ませていただきます。  そこで、私は先ほど大臣に大学の価値みたいなことのお話を伺ったわけですが、これは文部省の資料でございますが、進学率の推移というのがずっと出ております。昭和三十五年の一〇・三%から始まりまして、五十一年が三八・六%、これが大体ピークでございます。その後このあたりを一進一退しているわけでありますが、五十三年が三八・四%でございますから、十人のうちの四人弱が大学に進んでいる。こういう数字は教育国家としてときどき宣伝材料なんかに使いますけれども、青年の十人のうち四人くらいが大学に進んでいることが本当に誇り得ることだと大臣はお思いになりますか。また、こういう数字が非常にいい数字なんだ、大体この程度がいいだろうなとお考えになられますか。感想を伺っておきたいと思います。
  239. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 どの程度がいいのか私も存じませんけれども、アメリカと比較しまして日本はまだ低いような気がしますが、お説のように、能力がある者にできるだけ多く進学できる機会を与えてやることがいいと私は思っているのです。
  240. 森喜朗

    ○森(喜)委員 学歴社会ということを最初に質問申し上げたときに大臣はおっしゃったわけですけれども、逆に、どんどん大学生をふやすことによって大学生の価値というものを下げてしまう。この間も、「東大卒も課長どまり」なんという記事が週刊誌に出ていましたし、私は、最近見ておりますと、大学を出た人たちのその後の去就といいましょうか、自分たちが次の社会へ進んでいく道というものは必ずしも当初考えていた方向に進んでいないという感じがするのです。そのことは逆に言えば、皮肉に見れば、大学生をどんどんふやすことによってむしろ学歴社会に対して、学校なんか出たってしようがないんだというふうに無言の教えを文部省はやっているんじゃないかなという感じを私は持つのですが、それだけ高等教育機関の程度がまた非常に下がりつつある。  要は、入学試験というものをできるだけ社会問題化させることを避けていこうということが、高等教育機関として、いわゆる大学としてこれでいいのかなというような、そういう程度のものにしかなっていない。私はそんな感じも持つのですが、大臣、いかがですか。
  241. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 やはり、大学でございますから、本当に国民から信頼され、尊敬されるようなものでなければいかぬと思うので、あんな大学へ行ったんじゃだめだというような御批判を受けるような大学であってはいかぬ。やはり、大学というものは特色のある大学で、みんなあそこへ行きたいという大学であってほしいと思っています。
  242. 森喜朗

    ○森(喜)委員 これは私が最近ぶつかった例でありますけれども、私のちょっと知っている方がお子さんのことで相談に来られたのですが、一生懸命に百姓をしながら息子を東大にやった、東京大学さえ出せばいいのだろうと思って、一生懸命がんばって仕送りをして出した、そうしたら今度は、お父さん、大学院に行って博士になりたいと言う、そうか、末は博士か大臣かというのだから、うちの息子も東大を出て博士になったら相当なものになるだろうと思って大学院に行かせて、そしてめでたくドクターを取った、ところが今日三十五を過ぎてもまだきちっとした仕事につかない、大学で何をやっているのかわからない、うちの息子に何か欠陥があるのでしょうか、と、こんな相談を受けたことがあるのですね。これは何もこんなことだけではなくて、こういうケースはずいぶん多いのですね。特に理工系の専門課程で学ばれてドクターを取得された方々が、田舎のお父さん、お母さんにすればすぐ大学の先生くらいになれると思っておったのでしょうけれども、全くそんな望みはないというケースが最近非常に多い。  私は、この間大学課長さんにちょっと伺ったら、そういうのはオーバードクターと言うのですね。私ども博士浪人と称しておりますが、こういう者の数が非常に多いというふうに聞いておりますが、佐野さん、そういう方は国公私立合わせてどの程度いらっしゃるのですか。
  243. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 オーバードクターの定義がむずかしいわけですが、一応博士課程を修了し、博士の学位を取得した、あるいは所定の修業年限以上在学をじて必要な単位は修得したけれども博士の学位を取らないで退学した者であって、定職につかないで大学院の研究室等に残って研究を継続している人、それを通常オーバードクターと呼んでいるわけでございますが、これらの数は五十三年十二月現在で千四百四十二名ということでございます。
  244. 森喜朗

    ○森(喜)委員 国公私立で、ですか。——教育を受けるのに大変なお金をかけて、そしてこれだけのすばらしいエネルギーが、実際眠ってはいないのでしょうけれども、現実にこうした形として残っている。これはどういうことからきているのでしょうか。
  245. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 これらの方々がどういう理由で学内になおとどまっているのかは、事情は必ずしも一様ではないと思いますけれども、博士課程を修了して博士の学位を取得したけれどもなお残って研究しているというのは、これは主として研究者としての適切な就職の機会を待っているということであろうと思いますし、博士の学位を取得するに至らないで退学した者であってなお研究室に残っているというのは、これは主として学位論文の準備に当たっているということであろうと思います。  専攻分野から言うと、理、工、農の系統に多いわけでございます。
  246. 森喜朗

    ○森(喜)委員 つまり、大学に残って将来そういう研究教官になっていきたいというのが、やはり学問研究を進めている方々一つの理想だろうと思うし、望みだろうと思うのです。  しかし、一方、逆に、社会の企業の中にはそういう形がなかなか入りにくいという現象もあるのではないかと思うのですが、局長、これはやはりそういうことでしょう。
  247. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 わが国の大学院の場合には、ほかの外国の場合と比べますと、学部学生に対する大学院学生の比率というのはむしろ非常に小さいのです。そういう意味ではわが国の大学院についてもっと拡充整備を図るべきであるという御指摘が従来からあるわけでございますが、しかし、わが国の場合には、専門分野によって違いますけれども、大学院、ことに博士課程が社会的に機能している態様がばらばらであるし、御指摘のように、ドクターというものについて社会が各方面に広くその進出を求めるというような形で受け入れる状況になっていないということがあるわけでございます。
  248. 森喜朗

    ○森(喜)委員 これも学歴社会、あるいはまたいまの企業の一つの物の考え方でしょう。なかなかこれも是正することはむずかしいと思う。  一方、学生たちは大学に残り、そして自分たちの最も勉強したいことを研究し、また、世に役立てていきたいという理想を持つのも、これまた正しいことだと思うのです。しかし、現実には、いまの大学の人事管理というのは、講座制をしいているわけでありますから、とにかく教授がやめてくれなければ助教授は上へ上がれないし、助教授がやめてくれなければ講師も上がれないわけでありますから、そのポストが出てこない限りは、講座によっては、研究分野によっては、四十になっても五十になってもなかなか偉くなれないと言うと変でありますが、そういう形をとることができないというおかしな現象になっていると思うのです。  そういう講座制の問題はいままでもずいぶんいろいろな議論が出てきておると思うのですけれども、このシステムというのはかなり古い昔の考え方だと私は思うのですね。これは恐らく内藤先生なんか一番よく御存じだろうと思う。このあたりで、この道に命をかけたという内藤先生なんですから、少し思い切って抜本的な方策をお考えになってみる必要があるのではないか。たとえば人事なんというのも教授会中心にやっているわけですが、もっと全体的な組織的人事というものを考えてみるとか、あるいは学問研究を進める上にはむずかしいのかもしれませんが、大学の先生方の努力についての信賞必罰というものももっと考えてもらわなければならない。そういう意味では、配置転換というようなことももう少し自由にやってみるとか、あるいは任期制みたいなものも考えてみるとか、もちろん学問の研究を進める上に支障があってはなりませんが、これはやり方によってはどのようにでもなる。要は、そういうことに取り組んでみようという、そういう姿勢がそろそろあっていいのじゃないだろうかと思うのです。  そして、いま千四百人という佐野さんのお話でありますけれども、これはまだどんどんふえていくと思うのですね。私が言いたいのは、希望を持って大学に入って、そしてどんどん学問研究を進めていく——しかし、恐らく高等学校の生徒さんはこんなことを知らないんじゃないかと思うのですね。逆に言えば、これは国が誇大宣伝をしていることになってしまう。ここへ入ってこうなれば将来の夢がかなえられると思って彼らは受けるわけですが、しかし、現実にはせっかく勉強しても勤めるところがないのですよ。それでは国が高校生にうそをついていることになる。私はそんな気がしてならない。  とは言っても、もっと就職の場を広げよとか、教授や助教授や教官人事をもっとふやせということですが、これはいまの国の行財政のことから考えて、そんなことは無定見に行うことができないことはだれもが承知の上だ。とするならば、いまのこの人事管理のやり方について、何か思い切った措置をそろそろ考える時期が来ているのではないかと私は思いますが、これは大臣は特に御専門でずっとやってこられたと思いますから、お考え方や希望等もあわせてお答えをいただければ幸いであります。
  249. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お説のとおり、やはり、今日の大学の管理運営あり方には問題があろうと私も思うのですが、ただ、問題点は、大学自治の原則というものがありまして、私ども外部からああしろこうしろと言ってもなかなかやりませんので、大学協会とも私はこれからよく懇談したいと思いますが、あなたのおっしゃる任期制の問題とか、あるいは審査制度の問題とか、いろいろ課題はあろうと私は思う。それから講座制と学科目制の問題がありますが、戦後の大学の発足時は講座制は旧制大学だけなんですよ。新制大学は講座制はやっていませんでした。ですから、全然別なんですから、そういうあり方も違いますし、いずれにしても大学は、国立大学は本当に国民の税金で賄っている大学ですから、そのことを十分頭に置いて、国民の信頼にこたえるようにやっていただくように、私も積極的に大学の総長さんたちにお願いしてみたいと思っています。
  250. 森喜朗

    ○森(喜)委員 国立大学だけではなくて、たとえば最近では女子大生の問題で、特に自分たちがこういう仕事をいたしておりますとわれわれのところに相談に来るのは、逆に言うと余り程度がよくないかもしれませんが、そんなことを選挙区の人に言うとしかられるかもしれませんが、しかし、現実にはそういう相談がたくさん来る。それで一番かわいそうだなあと思うのは、短大のたとえば栄養科であるとか薬学とか、あるいは保育ですか、そういう大学に入ればもうすぐに専門の保育所の先生になり、あるいは薬剤師で病院やお医者のところにすぐに入れるとか、そんなふうに非常に安易にみんな考えている。どこへお進みになるのですか、ここへ行くんですよと言うお父さんお母さんが来られたら、私はやめなさいと言うのです。たとえば私どもの石川県なら石川県のキャパシティーは決まっているので、なだらかにしてみるとまだ全国的にはどうかと思いますが、しかし、これは女性ですから、そうすると、出られる数字と比べて、現実に保育所だとか病院などの薬剤師とか、そんなもののあきというものは決まっているわけです。ところが、年々そういう短大生がどんどん出てくる。こういう人たちもみんなお先真っ暗といいますか、本人はともかくとして、特に親などは実に無責任考え方をしているのですね。  私は、これは文部省のやるべき仕事なのかどうかということにも若干問題はありますけれども、さっきのああいう国立大学のマスターの問題も含めて、特に高等学校の先生の指導ぶりというものに私は疑問を持っているのですが、そんなところに進んでもだめなんですよということをもっと周知徹底させるような、そういう教育というものが文部省として必要なんじゃないだろうか。あるいは親に対してももっと文部省がきちっと説明すべきじゃないか。それをさっき私が申し上げたら、大臣は、いやアメリカに比べればまだ少ないんですよとおっしゃったけれども、進学率が三八%になって、私はこれにこだわったのはそこなんですよ。何もそんなことをやらなくたっていいんじゃないだろうか。  本当に社会のため人のために尽くす若者たちがもっともっとあっていいと思うし、現に、戦後これだけ日本の国が復興してすばらしい世界のリーダー国になったのは、それは教育がしっかりしておったからだとよく言われるわけでありますけれども、しかし、何もそんな高等教育に行っている人はたくさんいたわけじゃないので、みんな本当に自分の職業を天職と考えながら、世のため人のためにがんばってきた。そういう人たちによっていまの日本の国があるんだと私は思っているのです。そういう点も、私は、文部省対応の仕方というか、国民に対する理解、説得の仕方も間違っているのじゃないか、むしろそういうことに努力していないのじゃないかという感じを持ちますが、大臣、いかがですか。
  251. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 不十分な点があれば、これは全部私の責任ですからおわびします。  ともかく、森先生はそうおっしゃるけれども、いままでは、保母の問題にしても栄養士の問題でも、景気が上昇しておりましたから、正直言って不足しておったのですよ。最近になって景気が悪くなったから余ってしまった。それは確かにおっしゃるとおりなんです。就職がないという点で非常に気の毒だが、やはり、そういう情報は親たちにも子供にもよく与えて、親切な指導をしていかなければいかぬと思っている。  そういう点で文部省の不備な点がありますれば、私も、改善してお説のように改めていきたいと思います。
  252. 森喜朗

    ○森(喜)委員 大学局長、いまの点はよろしいですか。文部省対応の仕方は、ですね。  それで、この法律の中に図書館情報大学というのがありますが、佐野さん、これは図書館短期大学を新たにつくり直していこうということでしょう。  図書館情報大学は定数百二十でしたか。これは社会にとって必要なことなんですか。確かに、私どもは、これが本当に質が充実しておって、そして社会が本当に求めているものならば、少なくとも国税を割いてつくる国立大学としては必要だろうと思うのですが、これはいま社会が求めているものであるというふうに考えていらっしゃいますか。大学局長で結構です。
  253. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 現在全国にある図書館については、もちろん図書館法の規定に従って司書を置かなければならないということになっておりますし、司書の養成はいろいろなところで行われておりますし、あるいは講習によって資格が付与されているという条件はございます。  しかし、最近の図書館というのは、単に書籍を閲覧に供するということだけではなくて、いろいろな種類の情報を集めて、それを提供していかなければならぬ。情報の量も質もきわめて複雑になってきているし、その情報の収集、検索あるいは提供ということについて、従来のようなものではなく、より高度な、コンピューターその他の知識を持って対処をしなければならないような状況になってきています。従来の図書館学的な素養だけではなくて、そういう情報科学の素養も華ね備えたような図書館職員というものがこれからの新しい図書館のあり方考えていく場合にはどうしても必要であり、そういう職員を基幹として、そういう職員が先駆的に働くことによって日本の図書館のあり方をより近代的なものに変えていくということが要請されているわけでございます。  したがって、図書館大学の学生の数というものは決して多くありませんけれども、この学生が図書館情報大学で新しい角度からの図書館情報学の勉強をしていき、それによって図書館等の基幹的な職員の養成なりあるいは新しい図書館情報学の研究の推進を図っていくということは、これは非常に意義のあることであると考えているわけでございます。
  254. 森喜朗

    ○森(喜)委員 文部省としては十分研究もされ、社会のそういうニーズに応じておつくりになるということは言うまでもないと思います。この法律の中にも入っております山口大学の医療技術短期大学にしてもそうでありますが、確かに医療技術短期大学というのは非常に喜ばれてもおり、社会にとっても、これからの医学教育にとっても、医療体制にとっても大事なことだと思います。私が先ほどからいろいろなおしゃべりを申し上げておりますのも、本当に社会にとって必要な高等教育機関というものをきちっとつくっていき、必要なものなら思い切ってエネルギーを出してつくるのは当然だろうと思いますが、ただいたずらに総合的に総花的に大学院をふやしていくのだとか、学部をふやしていくの、毅、そういうような行き方は転換をさせていかなければならぬ時期ではないかと感ずるからです。  そういう意味で、無医大県の解消も、先ほどの大臣の御説明の中で琉球大学で最後であるということでありますが、これにいたしましても、琉球大学の医学部が実際に学生を外に出すのは、計算するとたしか昭和六十二年です。佐野さん、大体そんなものですね。そこで、全国の各県にある国立医科大学からどんどん出ていく。これが社会の本当に——いま確かに医師不足なんて言われていますけれども、現実にはいろいろなところに偏っているわけですが、将来どんどんこういうものが出てきた場合、それと社会が受け入れるだけのお医者さんの数字がぴったり合っているのか。私は、逆に、いろいろ問題のある私立の医科大学なんかの悪いものはこういうときに取り締まっていく、逆に言えば閉鎖していくというときもあわせ考えていく時期が来ているのじゃないだろうかと思うのです。  ただし、この無医大県解消によって、各県の国立大学から全部出ていっても十分余力があるのだということであれば結構でありますが、お医者さんがあり余ってくるのではないかということを武見さんが何かのときに書いておられたような気もするのです。そういうことになれば、現実に裏金を取らなければ絶対に学部維持ができないような私立医科大学は、現実がそうですから、そういういまいろいろと問題の多いものは指導して改めさせていくということも、無理な借金と悪い——現実には文部省は裏金みたいなものを認めているわけですから、そんな方向をむしろ直させるということだって必要なんじゃないかというような感じを私は持ちますが、いかがですか。大学局長にお願いします。
  255. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 琉大の医学部の設置によって無医大県解消計画が一応完了をするわけでございますが、これによって、当初無医大県解消計画がスタートするときに厚生省が必要な数として掲げていた人口十万人当たり百五十七人の医師数というのは昭和六十年を待たないで達成をされる見込みでございます。さらに、その後の新設の大学から卒業生が次々と出てまいりますから、国家試験の合格率その他の問題があるから正確には言えないにしても、いずれ医師数は人口十万人当たり百七十人を超え百九十人に迫るということになるわけでございます。この水準というのは、欧米の先進国の持っている医師数に十分匹敵をする数になります。  医師の場合には、単に全体的な医師数の問題だけではなくて、医師の地域的な偏在への対応であるとか、あるいはそれぞれの地域における医療のセンター的な役割りを国立の医学大学の附属病院が果たしていくというふうな問題もありますから、そういう意味を兼ね備えたものとして無医大県解消計画を進めてきたわけでございます。しかし、無医大県解消計画の進行と並行して、多数の新設の私立の医科大学が誕生したということも御指摘のとおりでございますし、これからの医学教育あり方というものを、新設の国立医大の問題としてだけではなくて、もちろん私立の医科大学を含めて、文部省としてはその改善についてできるだけの努力をしていくということが必要なことは当然であると思います。
  256. 森喜朗

    ○森(喜)委員 大学局長も承知しておられるわけでありますから、いまからそのようなことに対して文部省は厚生省とも対応して、その辺の処置に十分対処をしていってほしいと私は思っております。  同時に、いまお答えがありませんでしたし、これは所管外なのかもしれませんけれども、私立医科大学に対する改善については十分大臣も頭に入れておいていただきたいというふうに思います。これはまさに高度経済成長の悪の権化だと私は考えております。医学教育を通じ、高等教育を通じて金もうけをしようなんという、実に愚かな人間が多かったと、私はそういうふうに断じていいと思っているのです。  これで文部省の国立高等教育機関に対するこれからの対応の仕方というもの、考え方もわかりました。無医大県解消は、これは大変な国の財政を投入したと思うのです。自民党が大きな政策の一つとしてやってきたわけでありますが、このエネルギーをもってすれば、これからの新しい高等教育というのはどんどんまた整備拡充をしていける。何もどんどんつくればいいというものではなくて、本当に世の中の進歩に適応したものをつくっていく、あるいは改善をしていくということかと思います。そんなふうに考えておりますが、これからの高等教育機関前期計画五十五年度までに質的な充実を図るとか、必要な規模の量的な拡大も図るというようなことも言っておりますけれども文部省としてはこれからの高等教育というものに対してどのような整備計画を持っておられますか。これをまず伺っておきたいと思います。
  257. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、たくさん国立大学がございますが、それぞれ各国立大学が特色のある国立大学であってほしいと思っております。  具体的には局長から答えさせます。
  258. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 御指摘のように、現在、文部省では、高等教育懇談会の報告に基づきまして、五十一年度から五十五年度までは十八歳人口が横ばいであること等も考えまして、量的な拡大よりは質的な充実を図るということに施策の重点を置き、そして大学等の拡充については、地域間の格差あるいは専門分野構成の不均衡の是正、あるいは医師、歯科医師等の人材の計画養成にどうしても必要なものにとどめるということで進めてきております。  五年間の拡充の規模としてとっている目途は約三万二千で、これは高度成長期の一年分の規模の拡大の量にほぼ匹敵をするくらいのものでございます。五十六年度以降が問題になるわけですが、五十六年度以降十八歳人口は年度によってかなり激しい変動がありますけれども、全体としての傾向は増加の傾向にございます。そして昭和六十一年度には百八十六万という数字になって、現在よりも三十万人近い増加を示すわけでございます。こういった十八歳人口の増加ということが片方にあり、しかも片方にはここ二、三年出てきておりますように、高等教育に対する進学希望なりあるいは進学率なりが停滞あるいは低下の傾向を示しているという注目すべき現象がございます。そうした高等教育に対する需要の変動が今後とも続くものなのか、あるいはどういう理由によってそういう状況が起きているのかということはなおしばらく推移を見る必要があるとは思いますけれども、いずれにしましても、高等教育の将来というものをこの時点で見通すということはかなりむずかしい状況にございます。  そういった状況のもとで、現在、大学設置審議会関係分科会で、五十六年度から六十一年度までの計画的な整備のあり方というものについて検討が進められておるわけでございますが、近くその結果を中間報告として公表して、各方面の御意見をいただきながら、さらに審議会における検討を続けていただく。なるべく早く、五十四年度の余り遅くない時期までに五十六年から六十一年までの整備の方向というものをお定めいただきたいと考えておりますが、現在のところ、基本的な方向としては、やはり五十五年度までの整備についてとってきた方向というものを維持する、そして同時に、高等教育というものを大学、短大、高専に限らないで、もっと広く、放送大学、通信教育あるいは専門学校といったものを含む広いものとしてとらえて、それによって国民の多様なニーズというものをより柔軟に受けとめていこう、そういう施策がより強くなっていくであろう、と、これまでの審議会の御審議を伺っていてそういうことを感じておりますし、私は、そういう方向は文部省としてもとっていくべき方向ではなかろうかと考えております。
  259. 森喜朗

    ○森(喜)委員 十八歳人口がこれからピークで三十万くらいふえるだろうと、そういうお話も承りましたが、私は、人口がふえるのは大体都市部じゃないかと見るのです。大体大阪、東京、名古屋あたりじゃありませんか。私は、それに対応してまた高等教育機関の拡充をやるというのは反対なんです。先ほどから申し上げているように頭打ち傾向にあることも事実でありますし、それから放送大学というような、ただ大学に進めばいいんだという安易なものじゃないんだ、本当に学ぼうと思う人はどこだってだれでもいつでもやれるんだということで画期的な放送大学をやろうということでありますし、そういうことを考えますと、量的な拡大というのはむしろ抑えるべきであるというふうに私は考えます。  そこで、三全総の中の定住周構想とも関連をさせまして地方の大学を充実していく、これはもう多くの先生方からもそういう御意見があると思いますし、また、いままさに大平内閣が地方の充実、地方の時代というふうにおっしゃっておられるわけで、内藤大臣もまさにその幕閣であるわけでありますから、そういう意味から言いまして、私は、大学の大都市集中性というものをむしろ抑制していく、そして地方大学を育てていくという、こういう考え方が国是に合っているのではないかという感じを持ちます。都会の喧騒の中で学問をしても、これは単に学校に行ったというだけのことであって、本当に山紫水明の地で一生懸命に学問研究をする、真理の探求ができるということが大事なことだというふうに私は考えますが、文部省の地方大学の拡充の方策について文部大臣はどのように考えておられますか、承っておきたいと思います。
  260. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、大都市の大学は地域的にもいろいろな点においてもとてもいっぱいなんで、これ以上の拡大は無理じゃないかと思って、むしろ、おっしゃるように地方大学を充実して特色のある大学に育てていくことが文部省としては必要だ、こういうふうに思っております。
  261. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 先生の御指摘のように、これから増加をしていく十八歳人口というのは、南関東あるいは近畿あるいは名古屋周辺といったところで増加をするわけで、ほかのところはむしろ横ばいの状況でございます。ですから、大都市における高等教育への機会と申しますか、高等教育の門の広さというのは、大都市における大学の増設を抑制すれば相対的には狭くなるということはあり得るわけでございますが、しかし、私どもは、これまでとってきている大都市における大学の新増設は原則として認めない、抑制をするという方針はやはり貫かれていった方がいいだろうと思います。  そういうことを前提とした上で地方の大学の整備というものに力を入れていく、そして全国的に均衡のとれた高等教育あり方というものを実現していく、その努力をやはり後期においても続けるべきだと考えているわけでございます。
  262. 森喜朗

    ○森(喜)委員 そこで、これまでの大学はやはり国の産業中心の、そういう国是といいますか、考え方から理工系中心だった。その理工系中心が、もちろんこれは先ほどお話をしました大学院、ドクターコースだけでございましたけれども、若干上へ集まっているような傾向もあるわけでありまして、社会的なニーズから言えば人文社会等の学部等の設置が非常に望まれているわけであります。  そういう中で、この法律の中にも熊本大学の法文改組というのがございますが、残された新潟、金沢それからもう一つ岡山ですか、そこなんかの法文改組等はどういうふうになっておりますか。大学局長
  263. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 新潟、金沢、岡山三大学の法文学部は、熊本大学の法文学部の場合と同じように、昭和二十四年に新制大学が発足すると同時に、旧制の高等学校を母体としてそれぞれ、学科構成に多少の相違はございますけれども、法学科と文学科を中心とする複合的な学部としてスタートしたものでございます。その後これらの学部についてはいずれも整備が図られまして、現在では法学科、経済学科、哲学科、史学科、文学科の五学科を擁する規模になっております。これをさらに整備をしていくということになりますと、やはり学部自体の改組ということを考えることが必要であり、かつ適当な状況になってきたわけでございます。  これらの法文学部につきましては五十二年度から、新潟大学については五十三年度からでございますが、改革調査経費を配分いたしまして、それぞれの大学において改組の方向を検討していただいているところでございます。金沢大学につきましては、すでに三学部に改組をするという方針のもとに、五十四年度においては改組準備費を計上いたしております。その他の大学についても、今後それぞれの大学における具体的な検討の結果を受けまして五十四年度以降の対応を検討することとしております。
  264. 森喜朗

    ○森(喜)委員 いま三大学のお話がございましたが、自分の県のことだけで申し上げて大変恐縮でありますが、金沢大学がこの予算で改組というふうに予算掲上をしておられるわけですが、この形でまいりますと、恐らく五十五年の国立学校設置法の中には当然三学部に分離したものがのせられていくというスケジュールになるかなという感じを持ちますが、大学局長、そういう方向で進みました場合には、実質的に学部がスタートして学生をどのような形で募集していくというような、そういうプログラムはどういうような形になるわけですか。
  265. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 わが国の高等教育の配置を考えた場合に、日本海側の高等教育というものが太平洋側に比べてかなり整備が立ちおくれているということは否定できないだろうと思います。高等教育の全国的に均衡のとれた発展ということを考えた場合に、そういう意味で日本海側の大学にどのように整備を図っていくかということは、これからの高等教育の整備を考える場合に非常に大事な課題の一つであるという認識を持っております。そういう意味で、日本海側の大学の中でも非常に伝統のある金沢大学の位置というのは、私どもとしては非常に大切に受けとめているわけでございます。  ただ、金沢の場合には残念ながらキャンパスの問題がございまして、いまでも非常に狭隘であり、かつ、お城の中にありますので、文化財保護との関係があってなかなか思うように整備ができない。そういう制約のもとで法文学部の改組ということを考えても、構想は固まってもなかなかそれを実現をするだけの物理的な条件が整わないということがあったわけでございます。そういうこともあって、金沢大学の場合にはどのような形で大学のキャンパスの問題を考えるかということが大事な課題になっていて、そのことが大学全体の改革構想の実現に一つのネックになっていたわけでございますが、大学側もこの点について検討をして、法文学部の改組を先決としながら、総合移転の方向で検討をするという基本的な方向はすでにお決めになっていると承知をしております。  大学が、こうしたかねての懸案であったキャンパスの問題について一つの方向をお出しになって、それによって学内の意思を統一したということについては文部省は評価をしておりますけれども、いずれにしても法文学部を改組するためにはキャンパスについて何らかの措置が必要でございます。ただ、その場合に、大学が考えているような総合移転の構想については、これは事がきわめて重大でございますから、さらに大学における検討状況に応じてこちらも慎重に対処をしていかなければなりません。  そういうむずかしい問題をこの大学は抱えておりますけれども、いずれにしても、最初に申し上げたような趣旨で、金沢大学の法文の改組というものはもうすでに五十四年度から改組準備に入るということをお願いをしているわけでございます。キャンパスの問題の見通しを得ながら、五十五年からさらに前進をさせたいと念じているわけでございます。
  266. 森喜朗

    ○森(喜)委員 大学局長は、いろいろ財政的なものが伴うものですから言葉をずいぶん選んでお答えをいただいておるわけでありますが、確かに、お城の中という狭隘な場所の中にあることと、それからやはり金沢城という重要文化財、国宝がたくさんあるわけでございまして、これの中から出ろということではなくて、やはりここは金沢市の中心でございまして、大事に残しておく必要がある。お互いにそんな気持ちで、県や市がみんな一生懸命に努力をして、大学も大変な努力をなさったわけです。将来問題検討委員会とかいろいろな委員会をつくられて、豊田学長が中心になって努力されて、そのために法文学部の改組が若干足踏みをした。いずれにしても、改組をすることは結構だけれども、外へ出すとどうしても建物が必要になってくる、その建物をまたばらばらにあっちこっちにつくるのかという考え方ですね。それはどうもとり得ないということから、むしろ足踏みをしながら今日のこの改組にまでやっときたわけでございます。  そんな中で、大学も挙げていま新しいキャンパスを移転して、昔から一周、二高、三高、四高と言って四高が金沢にあったくらいでありますから、金沢に本当にいい大学をつくろうという気持ちで、県民みんながそんな方向を望んでいるわけであります。そういう意味で、大学も県も市もみんな努力をしてやっているわけでありますから、さっきおっしゃったように地方大学の充実が国是だということ、それから佐野さんの言葉を借りれば日本海側の中心地である金沢というのは充実させなければならぬのだということから考えれば、総合移転に対しては文部省を挙げて積極的な協力体制をぜひとっていただきたい。  このことを特にお願いを申し上げておくわけでありますが、文部大臣もずっと教育行政を見てこられたわけでありますから、その辺のことも十分承知の上でお考えを披瀝しておいていただきたいというように思います。
  267. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私も、金沢大学にはたびたび伺いまして、大変りっぱなお城の中にある大学で、隣には兼六公園があるし、すばらしいところだし、日本海に面した一大拠点であることはよく存じ上げております。  いま移転計画があるそうですけれども、いろいろな問題もあるところでありますけれども、これからは私も積極的にあの大学をよくしていきたいという気持ちでおりますから、できるだけの努力をさせていただきます。
  268. 森喜朗

    ○森(喜)委員 ありがとうございました。  それで、何も私は金沢のことだけにこだわっているわけではございませんが、たまたま地方大学の充実という一つの機会に、しかも金沢の法文改組という問題がございましたので、文部省考え方を定めておきたかったわけでございます。  同時に、これは佐野さんに伺っておきますが、高等教育の国際化に関する調査費というのがたしか予算の中についておったと思うのですが、先ほど申し上げたように、これからの高等教育機関というのは、無医大県解消で医大をつくることにこれだけ大きなエネルギーを集中したわけですから、そういうエネルギーがあれば、これから本当に日本民族のために世界のために誇り得るような、そして世界に役立てるような、そしてまた日本の将来にとって本当に必要な、二十一世紀に向けてのそういうユニークな大学といいますか、構想を考えられてもいいのじゃないかというように私は思います。そういうこともあわせてこの国際化に関する調査費というものには織り込まれているのじゃないかと思うのですが、私のこんな考え方に対しては佐野局長はどういうふうな御意見をお持ちでしょうか、伺っておきたいと思います。
  269. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 高等教育の国際化に関する調査費は、高等教育の国際化ということが非常に重要な課題になってまいっておりまして、大学の入学資格の問題あるいは教官、学生の国際交流の問題、あるいは日本における教育あり方として、外国語による教育というものをどのように考えるのかというふうな問題がございます。そういったことを含めて御検討を願おうということで調査費を計上しているわけでございます。  最近、私学の側でも国際関係学部というような形で、従来とは違った形での高等教育あり方を求める動きが幾つか出てきておりますけれども、国立の場合であってもやはり常にそういった問題意識を持ってこれからの整備を考えていかなければならない点は事実でございますので、この調査を通じて、これからの高等教育の整備のために何らか意義のある方向が出てくることを期待しているわけでございます。
  270. 森喜朗

    ○森(喜)委員 どうぞひとつ文部省が本当に、それこそ二十一世紀のわれわれの子孫のために尽くすような、そういう高等教育計画にぜひ取り組んでいただきたいということもお願い申し上げて、時間が余りありませんが、最後の問題だけちょっと触れておきたいと思います。  国立大学の設置法を審議する以上はこの問題を避けて通れないという感じがいたします。もうかれこれ九年から十年ということでございますが、例の東大病院精神科病棟の問題、それから文学部長室の火事のその後の問題、これにその後文部省は一体どう対応しておられますか。報告をしていただければと思うのです。
  271. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 全国の大学の状況について初めに申し上げますと、昨年四月、事務次官通達をもって、施設の管理の不正常なものについて、それを早急に是正をするように各大学の努力を求めたわけでございます。この時点では、管理の不正常な施設が国立で十二大学二十九カ所、公立で二大学六カ所、私立で六大学六カ所、計二十大学四十一カ所あったわけでございます。しかし、その後大学の努力によりまして、長きにわたって学生が占拠していた京都大学の経済学部長室あるいは大分大学の学生会館等を含めて相次いで管理が正常化されまして、現在なお施設の管理の不正常なところは八大学十六カ所。国立が六大学十三カ所、公立が一大学二カ所、私立が一大学一カ所でございます。  このほとんどは学生寮でございます。学生が自主管理を主張することによって大学の管理が十分でないというものでございますが、これらにつきましても、各大学に対して学寮の管理の正常化について強くお願いをしております。大学側も、場合によっては廃寮を含む強力な措置を講ずるということでそれぞれ対応をしていただいておりますので、ほとんどの大学が三月中には正常化に向かってステップを切っていくということは現時点でも見通せる状況にございます。  東大の文学部長室の火災事件の事後措置でございますけれども、御案内のように東大は五十三年十月二十五日付で、向坊学長、今道文学部長を含む管理責任者に対してかつてない処分を実施をして、社会に対する東大の責任をみずから明らかにしたわけでございます。  問題は学生処分でございますけれども文部省としては、文学部の教授会がすでに明らかにしている責任追及の方針を学内がすべて支持をして、そして適切な決定に至ることを期待をして、現在東大当局の検討を重大な関心を持って見守っているところでございます。  学生に対する責任の追及につきましては、例の火災事件の原因の追及あるいはその責任の追及が片方で捜査当局によって進められていることでもございます。その経過を東大も考えながら学内で検討をされているわけでございますが、いずれにしても、東京大学がこの問題について、先般の機動隊導入による学生の座り込みの排除等を含めて強い方針で対応していることは間違いがない。ただ、結論が出るのにはもう少しかかるのではなかろうかと思います。  それから、東大の精神科病棟でございますけれども、これも大学当局に対してかねてから強い決意を持って解決に臨むようにお願いをしてきました。一時に比べればかなり事態は改善されております。すでに長い間欠員であった教授、助教授が選任されて、精神神経科における教育、診療の責任体制というものがとられたわけでございますし、徐々にではございますけれどもいい方へ向かってきていると思います。  施設設備については病院当局による管理がすでに行われております。しかし、まだ、正常化されたと言える状況からはなお遠いという点はまことに申しわけないことだと思っております。  これからそういう正常化に向かってどうしても大学当局に考えていただかなければならないことは、一つは、現在なお東大の医師以外の、部外の医師が病棟における診療に参加をしているという状況がございますが、この状況をやめること。それからもう一つは、すでに方針としては、入院患者については、外来で教授、助教授が診療した者について病棟に入れるという方針が決まっておりますけれども、実際にはまだ入っておりませんので、したがって外来の診療を通じて患者を病棟に入れる、そして部外の者の紹介によって患者が入院をするという状況をやめるという点が二番目。それから三番目は、病棟における臨床実習を完全に実施してもらうこと。この三点を早急に実現をする必要があるわけでございます。この点は東大当局も私どもと問題意識を同じくいたしております。  今後とも大学当局に、これらの問題点を早急に解決をして、名実ともに正常化ということができるような状態が一日も早く来るように強く努力してもらいたいと思っております。
  272. 森喜朗

    ○森(喜)委員 局長の御苦心、御苦労の点はよくわかるのです。しかし、学問の自由だとか大学の自治ということを言えば、これはだれだってそのとおりだということになる。大体、それを一つの盾にして、国立大学、私立も含めて、少なくとも最高学府でこういうばかげたことが行われているということ自体が狂っていると私は思うのです。  この内容や経緯は先輩議員の皆さんが過去の国会でも十分言い尽くされていることですし、そんなことにいまさらもう触れませんが、内藤文部大臣、大学の自治とか学問の自由ということと、社会における倫理、秩序ということと、どっちが優先すると思いますか。
  273. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 それはお説のとおり、やはり国家の秩序が根本だと思います。
  274. 森喜朗

    ○森(喜)委員 ということになれば、この問題が始まってから、たしか四十四年の九月からというように記憶しておりますが、ことしの秋になればかれこれ十年ですね。ちょうどくしくも私が国会議員になったのが四十四年十二月ですから、ちょうど十年です。とにかくこんなばかげたことがこれからあって、しかもいま佐野さんのおっしゃるとおり、なお道遠いということでしょう。恐らく、このままだったら十年たってもできないのじゃないかなという感じも私は持つのです。  ここに二月十九日の確認書というのがあるのですね。これは局長御存じですか。ちょっと私はコピーしてくればよかったのですが、院長織田さんと向こうの何というのですか、精医連の連中ですが、その確認書というのがあるのです。これです。これを見てまたびっくりしたのですが、いろいろ勝手なことを書いてありますが、この中の三番目のところに「東大精医連、精神科病棟看護室、精神科担当作業療法士の自主的諸活動に一切干渉しない。」と、こういうことを約束されているのですね。精医連の動きには一切干渉しない。これは院長織田敏次という先生がちゃんと書いておられます。そしてなおかつ、いま大学に「自主管理闘争貫徹」というビラが大きく下がっているそうです。少なくとも国税で、国民の税金で建てた建物を自主管理闘争なんて言っても、自主管理なんてできっこないのですから、そんなものをまだ掲げて、そしてこんな約束もいろいろさせられて、それで一生懸命に努力をしているという大学側の頭というものを私は本当に疑うのです。  いま大臣がおっしゃったように、いわゆる国家の秩序、社会の常識というものは優先するわけですから、私は、もうきちっとした毅然とした態度をとるべきだと思うのです。幾ら大学に任せたって、この十年間やられなかった大学の先生方に、何がこんなことをすぐ解決できますか。しかも、これも、中野委員が前の前の国会の八十四国会で御質疑をされていましたが、森山さんとかいうのが助手に入っていますね。これだって何のことはない。精医連の一番の親分でしょう。悪いことをしていた親分を入れて助手にして、公務員にしちゃってこの中に入れてしまえば、それこそ合法的になっちゃうのですよ。こういうようになでながらなでながら、そして反省を待つのだなんて言っていますが、反体制というこういう人たちに反省なんということがあり得るはずがない。  内藤大臣、生涯を教育に命をかけましたとおっしゃるなら、これぐらいのことはきちんとなさった方がいいと私は思いますが、いろいろ申し上げましたけれども大臣からでも局長からでもいいのですが、お答えいただきたい。
  275. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 全く私の微力のいたすところで申しわけないと私も思いますが、今後ともこういうことのないように、私もひとつ大学長会議なりで学長さんに直接会って、それは厳重に注意もするし、また御指導もしたいと思っているのは、これは国民の税金で賄われているのですからね。あなたのおっしゃるとおりですよ。自分の金じゃないのだから、国民の税金で賄われている大学が国民に模範を示さなかったら、これは教育は失敗だと私は思いますから、私も一生懸命努力しますから、ひとつお助けを願いたいと思います。
  276. 森喜朗

    ○森(喜)委員 その答弁はずっと歴代大臣皆そういうふうにおっしゃってこられたのです。これこそさっきちょっとおしかりを皆さんからいただいたけれども、—————なんというものじゃないので、これこそまさに不法の勢力なんだ。これを法にのっとってきちっとなさるということがなぜできないのか。大学管理法を私どももっときちっとしたものにしておきたいなんて当時思ったのですが、いまのままになっているわけですが、その辺との関連もあわせて、できないのかどうか。これは大学局長、どうなんですか。
  277. 佐野文一郎

    ○佐野政府委員 先ほど御指摘の確認書について、私どもも一体どういうことなのかということが心配でございまして、直ちに病院側の病院長あるいは医学部長を呼んで事情を聞いているわけでございます。  一月十日の教授総会で精神神経科の教授、助教授が選出されましたので、それはいわば病棟側にとっては、彼らの知らないうちに教授会が自主的に決めたわけでございます。そのことで確認の会合が持たれて、いわば、これまで分担教官と精医連との間でいろいろと議論が行われてきた状況というものを新たに選任された教授、助教授との間で彼らが再び話し合いをするということ、言いかえれば教授、助教授の任用というものを彼らが認めるという形に事実上なったということが、むしろこの確認書の持つ非常に大きな意味であろうというふうに理解をしております。  いずれにしても、先ほども申しましたように、確かに昨年の一月以来非常に大学当局が努力をして、病棟の状況が変わってきていることは事実でございますけれども、なお、私がいま申し上げました三点については、これはどうしても直さないと正常化ということを言うことのできない事柄でございますから、そのことを病院側、大学側にさらに強く求めていく、そういうことでございます。
  278. 森喜朗

    ○森(喜)委員 私は、佐野さんや内藤さんにもちろん毅然としてやってもらいたいと思うのですが、幾らそういうことを申し上げても、佐野さんとしてのお答えは大学に強く求めるということしかないわけですね。  私はとにかくこの中身も若干知っておりますけれども、赤レンガ派と外来派とか、そういうことが結局いざ警官を導入しようとすると、結果的にはこれは反対になっちゃうのだとか、こんな無責任な——私が一番言いたいのは、さっき言ったのはそこなんです。大学の先生の能力のない者は、任期制をしくなり人事管理をきちっとしてどこかへ吹っ飛ばしてしまうなり、はっきり言えばみんなかえちゃえばいいのですよ。一番簡単だ。そんなことを少し思い切っておやりなさいというのです。赤レンガ派がどこどこで外来派が民青だとか、いろいろ言っていますけれども、こういうことの自分たちのなわ張り意識みたいなもののために、これだけ曲がったこと、世の中の間違ったことに平気でいるということ自体が、大学の教授というものは、私は逆に言えば人間のくずだと思うのですよ。社会人としての資格がないですよ。それでもなお象牙の塔とかなんとかいうところに平気で君臨しているのだと思うと、私は、本当に大学の先生方というのは日本人じゃないのじゃないかなというような感じを持つのです。  私はもう時間が参りましたからやめますが、きょうのサンケイ新聞の「記者ノート」というところに出ていますが、「東大受験生はゼヒ見学を」といって出ているのです。みんなさめた目で見ているというのです。また、教授会はもちろん団交に応ずる必要はないからストということになる。そうすると、この学生たちはまた「三学友逮捕弾劾、機動隊導入抗議、処分粉砕」を掲げて全学集会を開く。入試の下見にやってくる受験生諸君はこの集会なるものを見学している。「全学と銘打っているが、集まる人は一握りである。そこに、今の学生の“闘争”の実態をみることができる」と書いてある。  大臣、一番大事なのは、こういう事態があってもしようがないというさめた気持ちで、白けた気持ちでみんな見逃していくわけですね。おれたち関係ねえんだという大学生の方が圧倒的に多いわけです。こういう学生が東京大学を出ましたといって国家公務員になったり、いいところの会社に就職して、偉そうな社会的指導者になっていくことに私はむしろ恐れを持つのですよ。そうでしょう。それは佐野さんも頭を痛めておられる。大臣も頭を痛めておられる。よくわかる。自主的にやれ大学の自治だ、学問の自由だというなら、大学の先生方が、大学の学生たちがこの連中と闘わなければいけないのですよ。そんな気力はないでしょう。ないのですよ。  だから、法的に何かしてあげることがあれば考えなければならぬことだと思う。それも余りにもひどいということであるなら、多分そういう法律的なものをやろうと言うとまた野党の先生方怒るのでしょう。ほかの関係大学に及ぶからどうのこうのとまた反対になるのです。総論賛成各論反対になっちゃう。ですから、そういうこともどうぞ含めて考えていただきたいが、こういうことに知らぬ顔をして通る、見ながら見ないふりをして行くという学生がどんどん東京大学から十年ぐらい出てきたということですよ。それから、そういうことを知っておって平気で私は東大の教授でございなんて偉そうなことを言って給料をもらっているやつの顔も見たいという気持ちに私はなるのです。  私は、ついまた癖が出て乱暴なことを言って大臣のお体にさわるといけないので、恐縮してきょうはできるだけ静かに、控え目に控え目にお話ししているのですけれども、本当にこの程度でやめますけれども、いまの東京大学がまさに日本の最高の最高の学府であるということであるならば、こういうことの社会的な正悪の見きわめのつかない学生を幾らつくり上げてもだめです。私はそう思います。だから、財政的な問題でも、現行法でやれることを駆使してもっときちっとやる。もしそれでもできないというなら、これは法律改正するか何かしなければならぬ。こうなるとなかなか皆さんの御意見がまとまらないということであるならば、最近何でも国会決議ばやりなんで、よくないですけれども、せめて文教委員会で決議くらいきちっとして、それに基づいて行動しやすいようにしてあげるというようなことも含めて、いま私の申し上げた意見に対する大臣のお考えを御披瀝していただきたいと思います。
  279. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 これは全く私の微力のいたすところで、皆さんに申しわけないと思いますが、私は、先ほど申しましたように、教育一筋に四十年参りまして、教育だけが生きがいですから、私のいる間全力を傾けてやってみます。しばらくお待ちをいただきたいと思います。
  280. 森喜朗

    ○森(喜)委員 大臣の御熱意を本当にかけてください。あなたはこの間大変な重病をなさって、本当によく回復されたんで、私も敬服しているんです。それはまさに日本の教育を正常化しようということですが、教育を正常化するにはいろいろあると思うんです。高等教育もいろいろあります。初等、中等教育もいろいろありますけれども、いまあるこの社会に対するこんなおかしな現象だけをきちっとされたら、私は、大臣は歴史に残る名文部大臣ということになるだろうと思うのであります。  そういうこともあわせまして、国立学校設置法が提出されました機会に、また新たなる日本の高等教育への大きな振興あるいは発展にどうぞ御尽力いただきたい。また、文部省もそういうこともあわせてお取り組みをいただきたいということを申し上げて、私の質問を終わらせていただきます。
  281. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 ありがとうございました。
  282. 坂本三十次

    ○坂本委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時十二分散会