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1979-02-14 第87回国会 衆議院 文教委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十四年二月九日(金曜日)委員長の指名で、 次のとおり小委員及び小委員長を選任した。  入試問題に関する小委員       石川 要三君    石橋 一弥君       唐沢俊二郎君    小島 静馬君       近藤 鉄雄君    長谷川 峻君       藤波 孝生君    小川 仁一君       木島喜兵衞君    嶋崎  譲君       中西 績介君    池田 克也君       鍛冶  清君    中野 寛成君       山原健二郎君    西岡 武夫君  入試問題に関する小委員長   近藤 鉄雄————————————————————— 昭和五十四年二月十四日(水曜日)     午前十時三十一分開議  出席委員    委員長 坂本三十次君    理事 石橋 一弥君 理事 小島 静馬君    理事 近藤 鉄雄君 理事 森  喜朗君    理事 木島喜兵衞君 理事 嶋崎  譲君    理事 石田幸四郎君       石川 要三君    唐沢俊二郎君       久保田円次君    坂田 道太君       塩崎  潤君    菅波  茂君       塚原 俊平君    小川 仁一君       千葉千代世君    中西 績介君       長谷川正三君    湯山  勇君       鍛冶  清君    伏屋 修治君       玉置 一弥君    山原健二郎君       西岡 武夫君  出席国務大臣         文 部 大 臣 内藤誉三郎君  出席政府委員         文部政務次官  高村 坂彦君         文部大臣官房長 宮地 貫一君         文部大臣官房会         計課長     西崎 清久君         文部省初等中等         教育局長    諸澤 正道君         文部省大学局長 佐野文一郎君         文部省学術国際         局長      篠澤 公平君         文部省社会教育         局長      望月哲太郎君         文部省管理局長 三角 哲生君         文化庁次長   吉久 勝美君  委員外出席者         経済企画庁総合         計画局計画官  御巫 清泰君         大蔵省主計局主         計企画官    伊藤 博行君         文部大臣官房審         議官      鈴木  勲君         文部省大学局審         議官      阿部 充夫君         労働大臣官房国         際労働課長   平賀 俊行君         自治省財政局交         付税課長    柳  庸夫君         文教委員会調査         室長      中嶋 米夫君     ————————————— 委員の異動 二月十四日  辞任         補欠選任   池田 克也君     矢野 絢也君     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 坂本三十次

    ○坂本委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小島静馬君。
  3. 小島静馬

    小島委員 先ごろ行われました内藤文部大臣所信に対しまして、いささかの質問を行うものでございます。  御所信を拝聴いたしておりまして、大変充実した文教行政の展開が昭和五十四年度予算にも期待されるということは御同慶にたえないところでございます。  顧みまして、戦後三十三年有余、わが日本は本当にあの敗戦後の混乱の中から立ち上がりまして、今日の経済大国あるいは文化国家の体裁を整えつつあることは各般の施策にまつところが大なるものがあると思うのでございます。しかも、教育という観点に立って考えてみますと、非常に大きな転換のときを迎えているのではないだろうかというふうに思量されるわけでございます。  大臣所信の表明につきましても、よく読んでみますと非常に意欲的な幾つかの面が感じられるわけでございますが、なお、さらに大臣の御所信を明確にしてまいりたいというふうに考えるわけでございます。  まず、大臣は、「わが国は、戦後の混乱窮乏の中で、国家再建の根本を教育に求め、六・三制による教育改革を断行し、」云々と言われまして、「いまや学校教育比類を見ない拡充を遂げております。」というふうに述べておられるわけでございます。「比類を見ない拡充」ということは、世界比類を見ないというふうな意味だろうと思うのでございますが、果たしてそのようなレベルにいっているだろうか。就学率を見てみますと、なるほど世界最高の水準にいっているわけでございます。教育は、制度あるいは中身という、そういった本質的な問題等もたくさん出てくるわけでございます。したがいまして、比類を見ない拡充を遂げている内容とは一体何を指しているのか。  さらに、「解決すべき幾多課題を抱えております。」ということでありますが、この「解決すべき幾多課題」とは一体何を指して言っておられるのでございましょうか。一々全部を申すということはできないと存じますが、代表的なもの二、三を承りたいと思います。
  4. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いま小島委員が御指摘のように、わが国は戦後学校教育の面では確かに量的拡充はなし遂げたと思いますが、初等中等教育における教育内容改善充実——先般指導要領改定をいたしましたが、中身がむずかし過ぎますから、基礎的、基本的なものに精選して人間性豊かなりっぱな子供を育てたいというので、教育内容改善充実を行ったのであります。  その次に大きな課題は、やはり、何といっても教員の資質向上でございます。先生がしっかりしなければいい子供は育ちませんので、そういう意味資質向上について努力したい。  それから、その次に、高等教育機関整備充実でございます。特に、地方の大学を充実するとか、それぞれ特色のある大学を育てるというような整備充実の問題があります。  それから、私学振興でございます。日本では八割が私学でございますので、私学振興が大きな課題でございます。  そのほかにもいろいろございますけれども、当面そのくらいの程度が大きな課題であると考えております。どうぞよろしくお願いします。
  5. 小島静馬

    小島委員 大臣の言われました各項目にわたりましては、私はいずれも賛成でございます。ぜひその施策方向をさらに推進をされたいと思うのでございますが、これらとも当然関連をいたしてまいりますけれども、学制改革の問題をどういうふうにとらえていかれるかという問題についてお伺いをしてみたいと思います。  いわゆる六・三制が施行されましたのは終戦の後でございます。従前複線型の学校教育単線型の形に変わったわけでございます。これがよかったかどうかという評価というものを考えてみたいわけでありますが、大臣は一応ここを戦後というふうに区切っておられますけれども、日本近代化の歴史というものを考えてみますと、これはやはり明治御一新だろうと思います。明治御一新以来百十年の間に、いずれも日本教育に対しては非常に力を注いできた。このことがあって、あの窮乏の中から立ち上がって今日の日本を築き上げもいたしましたし、幾たびの試練にも耐える民族的な底力を養った根底はそこにあるものだと思うのでございます。  そして戦後三十三年たったわけでございますが、戦前と戦後の教育対比あるいは制度としての対比、そして長短あるいは優劣を論じ合いながら、この辺で、そろそろ、新しい学校教育制度はどうあるべきであろうかというふうな学制の問題にも当然触れていい時期を迎えているのではないかと思うのでございます。  大臣は、ここにも述べておられますように、その生涯を文教行政にお尽くしになってこられました。恐らくあの六・三制改革当時におかれましても文部省の中枢におられたと思うのでありますが、どういう形で六・三制の改革に携わられたか。そしてそれをどうお考えになっておられるか。そして今後はどういうふうにしていったらいいだろうか。中教審答申にも、先導的試行でございますか、そういう言葉でお触れになっておられますが、実は、これに対する具体的な動きというものをまだ文教行政の中で見ることはできませんが、それらを含めまして、どのようにお考えであるかということをお伺いしたいと思います。
  6. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いま小島先生のおっしゃるとおり、私も戦後ちょうど文部省におりましたが、六・三制をやるときに——それまでは複線型教育でございました。御承知のとおり、中学校から高等学校専門学校に行く制度と、あとの者は二割の者が実業学校を含めて行ったのですが、八割は全部青年学校等へ行ってそのまま終わってしまったのです。そこへ司令部からどうしても六・三制をやれと非常に強い要請がございまして、財政的に非常に不如意でございましたけれども、とにかく思い切って六・三制に踏み切ったわけでございます。単線型でございますから、みんな中学校高等学校大学に行くという制度で、いまや高等学校進学率が九三%、大学には四割近くの者が行くほど教育が普及したことは事実でございます。  ただ、いまお話しのように、三十数年たったからこの辺で六・三制の見直し論はどうかという御意見もございますが、いまのところ生徒の急増で、これからまだ校舎の整備もしなければならぬし、いろいろ多くの問題を抱えておりますので、この問題についてはもう少し慎重に検討させていただきたいと思います。
  7. 小島静馬

    小島委員 六・三・三制の問題ですけれども、これはこれのよさもございましょうし、また欠陥もあろうかと思います。  中教審教育改革のための基本的施策答申の中で、「初等中等教育改革基本構想」の冒頭に、「1 人間の発達過程に応じた学校体系開発」ということで、「四、五歳児から小学校の低学年の児童までを同じ教育機関で一貫した教育を行なうことによって、幼年期教育効果を高めること。」とか、「中等教育中学校高等学校とに分割されていることに伴う問題を解決するため、これらを一貫した学校として教育を行ない、」とか、この二項を特に取り上げまして、「小学校中学校中学校高等学校のくぎり方を変えることによって、各学校段階教育効果的に行なうこと。」「現在の高等専門学校のように中等教育から前期の高等教育まで一貫した教育を行なうことを、その他の目的または専門分野教育にまで拡張すること。」というふうにございます。これはこの答申の中でも非常に大きな目であったと理解がされるわけでございます。あるいは六・六・四制への移行であるとか、五・四制であるとか、四・五制とか、つまり小学校五年で中学を四年はどうかとか、その逆はどうであろうかとか、いろいろ論議をされておるわけでございます。  特に、また、幼児教育の問題がいま幼保一元化という論争の中で時たまに論議をされるわけでありますけれども、これが非常に未整理でございます。片方厚生省保育という福祉の観点から見ておりますし、片方は純粋に文部省的な教育という立場から見ておるわけでございまして、それらの整理を行っていかなければならぬという問題がございます。また、年齢的に見ましても、四歳、五歳——特に小学校にまいりますと、小学校の一年生というのはまだ幼児の部類に入るんじゃないか、ところが小学校の六年生ぐらいになると、このごろは体も十分発達をしていて、大人までいかなくても「ことな」ぐらいになっているということで、一年生から六年生まで一緒にしておるということが教育上の効果からある意味では非常に芳しくないという面があるわけでございます。  あるいは中学教育が非常に腰が据わらない、中学高校を一貫してやるべきじゃないかということで、私学あたりではすでにこれを取り上げまして、なかなか成果を上げているところも実はあるわけでございます。  このほかにもいろいろ挙げておることがございますけれども、それらについては文部省も非常に積極的に取り上げまして、具体的な施策の中にどんどん織り込んでいるように拝するわけでございますが、確かに金もかかります。しかし、何か具体的な方途を、これだということをもうそろそろ出していい時期が来ているんじゃないだろうかというふうに実は感ずるわけでございますけれども、そういう学年区切り方の問題について、財政的な見地はともかくといたしまして、これを将来に向かってどういうふうにすることがいいだろうか。その辺のお考えをぜひお聞かせいただきたいと思います。
  8. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 御指摘の点はまことにごもっともでございますが、幼保一元化の問題にしても、保育所というのは保育に欠ける子供についてやっており、幼稚園の方は就学教育をやっておりますので、目的も性格も違うわけでございます。しかしながら、これは同一年齢層でございますから、厚生省関係と十分緊密な連絡をとって協調していきたいと思っております。  それから、いま御指摘小学校の場合、特に中学校高校の場合、中高一元化の問題も課題でございます。私立学校あたりでは中高が非常に協力してやっており、これもなかなか成果が上がっておると私は思うのですが、ただ、わが国の場合には中学校義務制でありまして、市町村設置義務を負わされておる。高等学校の場合は県の方でございまして、設置主体が異なっておるという点でいろいろ問題があります。  そして、いまお話しのような問題があるので、そこで文部省でも先導的試行ということで検討はいたしておりますけれども、どうするかという点にはまだ話が煮詰まっていないのでございます。
  9. 小島静馬

    小島委員 話はもちろん煮詰まっていないのでございますが、大臣としては、一体これを煮詰めるような方向に努力をなさるのかどうか、その必要性が早急にあるかどうかという問題につきまして、さらにお伺いをしたいわけでございます。  幼保一元化の問題も、言うべくしてなかなか——お役所のなわ張り主義のようなものもございまして、保育という面でなかなか手放しません。しかし、実際の末端市町村に参りますと、保育に欠ける子が保育園へ行って、教育的な観点から幼稚園へ行くのだというような、そんなことは実は全くないわけでございますので、その辺の整理というものをそろそろやっていいのじゃないか。文部省だけではできませんけれども、厚生省とじっくり話し合っていく姿勢が必要ではないかと私は思うのです。  何もこれは全部厚生省から取り上げるのじゃなくて、逆に言いますれば、やはり、乳児の教育というものは母親の乳房による教育最高のものだろうと私は思うのです。しかし、現実に共かせぎ夫婦もございますから、そういうものに対する託児所等保育関係を、これを一、二歳児については厚生省が担当したらいいじゃないか。これは私見でございますけれども、そういうふうなきちっとした教育立場からの整理というものを積極的に働きかけていく必要があるのではないかと存じます。  それから、中高一元化という言葉で御表現をなさいましたけれども、中学が三年で、その三年の間にはもう高等学校進学準備をする、成績もよくしなければならぬということになるわけでございますし、高校に入りますれば、これまた大学入試だということになります。今日の学歴偏重社会の是正のために共通一次等も導入いたしまして、思い切った今度の大学入試改善があったわけでございますけれども、考えてみますと、従前は、小学校も何とはなしに六年を終わってしまっておる。中学はもう渡り廊下である。高校渡り廊下である。ようやく大学という部屋に入りましたら、もうくたびれ切ってしまっておって、ここでは勉強する意欲もわかないということになってしまっても、何でもかんでもその大学の卒業という肩書きを得ればどこかいいところへ入れるんだからということで、言うなれば、高校から大学へ入るときにまんべんなく知識を集めておった者が、一生これで何々大学卒であるというエリート意識の中でいける、また、恵まれたそういうエリートとしての人生コースを歩むことができるというふうな、そういう一つ学歴偏重というものが生まれているわけであります。  そういう中で、私は、申し上げたような新しい学制を目指していく方向というものは相当の決意を持って取り組んでいかなければならぬというふうな気がするわけでございますので、この点についてお考えをお聞かせいただきたいと思うのでございます。
  10. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いま、事務的なこともございますので、初中局長から御説明をさせていただきたいと思います。
  11. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ただいま御指摘のございました四十六年の中教審答申による先導的試行の問題でございますが、この問題は、いわば学制改革という制度基本にかかわる問題でございますから、先生の御指摘のいまの答申にもありますように、事前に十分な厳密な科学的な検討の上に立って試みるべきだと、こういうことでございます。  そこで、私どもは、まず幼小連関にしても、現在の幼稚園の体育とか、情操教育とか、徳育とか、そういうものを中心にした総合的な教育から、小学校一年に入って教科中心系統学習に入る、その辺のところを、制度の問題としてよりも、教育方法内容の問題としてどう連関づけるかというようなことを、いわば教育課程検討課題としてずっと検討してきたわけです。  それから中高一貫の問題にしましても、確かに、三年、三年で区切ることによる入学試験問題等非常に問題はございますけれども、一方、四十六年の答申当時に比べますと、現在高等学校就学率というのは二〇%も高くなってしまった。そのことは高等学校生徒の質がきわめて多様化したということですから、そうなりますと、六年間一つ教育施設でそれらの多様な子供教育することが妥当かどうか、また、するとすればその教育課程はどうするかというような問題がございまして、これも教育課程の問題に深くかかわり合いを持つというようなことで、いままで、答申を受けましてから主として教育課程の面からのそういった幼小連関中高一貫というような問題を検討してきておるということでございます。  それから、また、幼稚園幼保一元化の問題でございますが、これも確かにおっしゃるように、事実上幼稚園保育所の機能が相互補完的になって、そう明確に区別がないというような現実はございますけれども、また、実際にその普及状況を見ますと、たとえば兵庫県であるとか香川県であるとかいうように、幼稚園普及率が八〇%を超えるところがあるかと思うと一〇%ぐらいしかないところがあるというようなことで、一昨々年ですか、行管幼保行政監察でも、まずそれらの施設の整合性ある整備充実が第一だというような指摘がございますので、現在、文部省幼保問題の懇談会厚生省と合同で設置しまして、その辺を検討していただいておるということでございます。  もう一つ幼稚園の問題としては、いまの年齢別幼保役割り分担というようなこと、あるいは幼稚園義務化というようなことも、幼稚園教育の七割くらいは実質上私立幼稚園に依存しておるということが問題の扱いを非常にむずかしくしておるわけでございまして、ごらんになりますと、なかなか進展がないというふうに御指摘のことは十分承知いたしますけれども、われわれとしてはそういう現実にどういうふうに対応していくかということで検討を重ねておる、こういうことでございます。
  12. 小島静馬

    小島委員 検討に入ったということで了承いたします。なかなかむずかしい問題もたくさんあることは承知をいたしておりますが、やはり学校教育基本にかかわる問題でございますので、ぜひ真剣な御検討をいただきまして、結論を出していただきたいと思います。  それから、そういう検討の時期であるからあえて申し上げるのでございますが、戦前教育と戦後の教育とを比較して、これはいろいろあるわけですけれども、特に戦後も大きな問題となっておりますところの、あるいは落ちこぼれであるとか、そういった問題でございます。能力主義能力開発をどういうふうにやっていくかということが一番大切なことであって、非常に優秀な頭脳はどんどん伸ばしていく。これは体でも同じでありますが、優秀な者をどんどん伸ばし、同時に落ちこぼれを出さないこと、これが個々人に対処していく教育のあり方であろうと私は思うわけでございます。ところが、今度学習指導要領改定もやったわけでございますけれども、おくれている子供を待っておれないから、ともすれば落ちこぼれが起きる。しかし、全体としてはある程度待つわけでございますので、非常に進んでいるという子供はある域で足踏みをしなければならないという時期が生まれてくるわけでございます。  そういう意味で、あるいは飛び級なんというものがあります。一年から一遍に三年になったり、あるいは小学校が六年ならばそれを五年でも卒業させるとか、大学は何も四年やらなければならぬものではなくて、三年でも卒業させるとか、逆に言いますと、そういった意味での英才教育というものも、遅進児対策と同じように、能力主義的な見地から新しい学校制度の中では考えられるべきではなかろうかというような気がいたしております。これまた、非常にむずかしい問題には違いがございませんけれども……。  それから、単線型だけではなくて複線型を一部に入れていくという形ですが、そういったことがいま真剣に検討されるべきだと私は思いますが、これらについてどのようにお考えでございますか。
  13. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 今度の教育課程の改正に当たりまして、いま先生が御指摘のように、基礎的、基本的なものに精選して能力のある子供はうんと伸ばしていく、そして、できない子供もやはり学校に興味を持たせるように多様性に富んだ教育内容に変えてあるので、この新しい教育課程が定着すれば御期待にこたえることができると思うのであります。
  14. 小島静馬

    小島委員 次に、大臣所信でございますけれども、「活力に富んだ国家社会を築いていくためには、豊かな教養を身につけ、創造力に富んだ、国際的にも信頼と尊敬をかち得るたくましい日本人を育成することが、国政の最重要な課題であると確信いたします。」と言っておられます。私も同感でございますが、実は、従前言い方とは非常に変わった言い方ではないかというふうに、皮肉に見ますと言うことができるのではないかと思います。実は、それはある意味では戦後の教育における基本理念の混迷と、それに対するあるいは一つの解答かもしれないというふうに考えるわけでございますが、大臣はこの言葉を一体どういうふうな形でお使いになったかということについてお伺いをしてみたいわけでございます。  たとえば、いま申し上げた言葉をそのまま読みますと、「活力に富んだ国家社会を築いていくためには」というのは、つまり目的というふうにとってよろしゅうございます。それから、かくかくの「日本人を育成する」というのが手段であって、それはイコール「国政の最重要な課題であると確信いたします。」という国家目的をそこに挙げておられるわけでございます。つまり、目的は全体であり、手段個人である。そしてその目指すところが国家目的に集約をされていく。そしてその国家目的を持つ国家とは、つまり日本でありますけれども、それは物質的な先進国であり、しかも資源小国であるという前提に立っておられるわけでございます。  実は、私はつくづく感じているわけでありますが、終戦前の日本教育というのは、言うまでもなく全体主義国家主義教育でございました。全体の中に個人が埋没するということによって、あの第二次世界大戦の中で演じたところの日本役割りが生まれてまいりましたし、あるいは赤紙一枚で若いつぼみの命を戦場に散らさなければならないという惨禍を生んだと思うのでございます。そのことが今日どういう形で評価されなければならないかということは言うまでもございませんけれども、同時に、それに対する反動として、戦後の日本教育というものは、個人が全く優先をされた、個人の人格の形成を教育目的とするということを明示いたしております。教育基本法におきましても、学校教育法におきましても、学習指導要領改定中身を見ましても、実は、国家とか民族とか、そういう思想とか考え方というものは一番すみの方に押しやられております。あるいは言葉としても出てきておらないのでございます。  しかし、私は思うのでありますが、個人個人だけで存在するものではないわけであります。世界個人と社会と国家、そういう関連をどういうふうに把握をしながら子供たちの教育に当たっていくかという指導理念が今日まで最も混迷しておった点ではないかとすら私は思うのでございます。  その中で勇敢にこういう表現をなさった内藤大臣の意図はどこにあるか、私が申し上げましたような考え方でいいのであるかどうか、その点についてお伺いをしてみたいと思います。
  15. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 子供はやはり国家社会の成員であることは間違いございません。そういう意味で、国家社会の成員であるという自覚と、そして公民的な素質を十分持たなきゃいかぬと思うので、これがやはり大事だと私は思うのです。  同時に、日本は御指摘のように資源小国でございますが、いまや国際的に信頼と尊敬をかち得るような日本人でなきゃならぬ、国際人でなきゃならぬ、この点がこれからの課題ではなかろうかと考えておるのであります。
  16. 小島静馬

    小島委員 もう一度お伺いしますが、いま大臣の御答弁でおっしゃったことはそのまま教育基本法であり、あるいは学習指導要領であり、あるいは学校教育法であり、そのままの文言だと思うのです。ただ、やはり、個人というものをどこまでもアピールいたしまして、そして最後の方に、国際平和に寄与するような、そういう日本国民でなければならぬと——もちろん表現は少し違いますけれども、そういう形で取り上げられ、なおかつ実際の場の中では個人ということだけが尊重されておった、正しい国家観の涵養であるとか、民族に対する考え方というものは非常に後退をしておった、と思うのでございます。  はしなくも今回の所信表明の中におきましては、「活力に富んだ国家社会を築いていくために」、その成員としての日本人を育成するのだ、それはかくかくしかじかの日本人だと、これがある意味では、この読み方を皮肉に読めば手段であるということであるわけでありますが、そしてそれが国家目的につながっていく。私はこれも少し疑問があるわけです。  国家個人とをどの程度どういうふうにとらえていくのか。そして、国際社会なりいろいろな社会というものがあるわけですが、その関係の中で個人だけを強調しているのがいままでのいき方でございまして、ですから、内藤大臣文部大臣に御就任と同時に、個人というものは国家に奉仕する者なんだ、国家目的に奉仕する者なんだ、そのためにこういう教育をやるんだというふうにこれを言っているとすれば、もしかしたらそれは少し行き過ぎではないかと私は思うのでありまして、個人があって国家があり、国家があって個人がある。  そういうふうな関係のとらえ方として、目的手段というふうなとらえ方は若干間違ってはいないだろうか、それではいままでの行き方とは少し逆になり過ぎはしないだろうか、その辺のバランスはどの辺のところへ求めていかれるのか、もう一度お伺いしたいと思います。
  17. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、個人国家手段とは考えておりません。やはり、一番大事なのは個人ですから、自分が人間性豊かでたくましい人間でなければならない。それが根本でございます。しかし、個人は同時に国家社会の成員であることも事実でありますから、公民的な素養を身につけて、国家社会の一員であるということを忘れてはいけないと思うのです。余りひとりよがりになってもいかぬですからね。  そういう意味で、まず人間的素質を豊かにすることが根本だと私は思う。同時に、国家社会の一員であることも忘れてはいかぬ。そして国際社会の一員であり、国際協調しなければならぬということも忘れてはならぬ。この三つは相関連していると私は思うのです。
  18. 小島静馬

    小島委員 この辺で次に移ります。  もう一つ所信表明の中で、二ページですが、「初等中等教育については、ゆとりあるしかも充実した学校生活を実現し、徳育、知育、体育の調和のとれた創造力豊かで心身ともに健全な国民の育成を期してまいります。」と言っておられる。当然のことであろうと思うわけでありますが、ここで非常に大きな変化が見られるわけでございますが、従前は知・徳・体というふうに言っております。知育、徳育、体育と呼んでおるわけでございますけれども、文部大臣は初めて徳・知・体というふうに、徳育をまず先に持ってきたわけでございます。  徳育を重視していこうというお考えのあらわれであろうと思いますから、非常に結構なことだろうと思うわけでございますが、その辺についてのお気持ちをお聞かせいいただきたいと存じます。
  19. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 人間は、特に子供教育の中では、知育、徳育、体育はいずれも大事ですけれども、その中で何が一番大事かといったら、私は、このごろの子供たちの自殺だとか非行などを見ておりまして、やはりいま強調するのは徳育ではなかろうか、そういう意味で徳育、知育、体育の三つのバランスがとれなければいかぬ、と思うのです。  バランスのとれた人間を育成する、特に徳育には配慮してほしい、こういう意味で徳育を出したわけでございます。
  20. 小島静馬

    小島委員 知・徳・体はもちろんバランスがとれていなければなりませんが、その中から特に徳育を重視していこうという大臣のお考えには全面的に賛成でございまして、ぜひがんばっていただきたいと思うのでございます。  いま大臣もお触れになりましたが、私もいまゆうべの新聞の切り抜きを持ってきましたけれども、切り抜きを一々御紹介するまでもなく、最近の世相の中で、実は児童生徒の自殺が非常に頻発をいたしておるわけでございます。最近の傾向であろうかと思って調べてみますと、必ずしも最近激増したというふうなことでもないようでございまして、戦前から比べますと、児童生徒の自殺の数というのはむしろ減っているというふうなこともあるわけでございますが、さらに一歩突き詰めてみますと、その自殺の原因とか、そういうものではきわめて短絡的なものを感じざるを得ないわけでございます。また、国際比較の中では、日本の児童生徒の自殺率なんというのは非常に高いわけでございまして、これも日本の特異な現象であるというふうに言えるのではないかと思うわけでございます。こういうふうな悲しむべき事件というものを考えながら、御指摘にあったような戦後の道徳教育というものが実は何か欠陥がありはしないだろうかと私は言わざるを得ないわけでございます。  たとえば小学校中学校の道徳教育の真っ先には生命の尊重ということをうたっておるわけであります。十数項目と三十数項目でございましたか、そういうふうないわゆる一つ一つを徳目として挙げるということは適切ではないかもしれませんけれども、その真っ先に、まず生命を尊重するということを小学校中学校ともに指導要領の中で言っているわけでございます。そのことを考えながら、道徳教育というものをどういうふうに持っていったらいいだろうかということを考えてみる必要があるのではないかと思うのです。  戦前、戦中は、私どもが小学生のころでございましたけれども、そのころには修身の時間というのがございました。ある意味ではこれは非常におもしろくない時間でもあったわけでありますが、修身、歴史、地理というものがマッカーサーの占領軍によって、実は一時的にではございますけれども墨が塗られてしまった。そしてとだえた。道徳教育が復興したのは昭和三十三年の春ごろではなかったかと思うのでございます。それから週に一時間というようなことで、中学でもあるいは小学校でもやっておりました。その内容についても、私も一読をいたしてみました。それらを見まして、それはそれなりに非常な価値を持っているものだなと思うわけでありますが一これが学校教育の中で位置づけられていくべき性質のものではもちろんございません。  道徳教育というのは、家庭教育、社会教育学校教育の、それらの三位一体の中から実は行われていくべきものでございますし、学校教育の中でも、道徳の時間だけでできるものではないわけでありますが、しかし、必要な徳目というものは道徳という時間でもっていろいろなことを教えていかなければならぬだろうというふうに考えるわけでございます。  そういう道徳教育の腰のすわらなさといいましょうか、そういうものを感じているわけでございますが、大臣は、今後において、それでは徳育を大いに尊重していこうということの中でどういうふうな具体的な施策をお持ちでございましょうか。
  21. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 昭和三十二年に道徳教育の時間を特設したのは、私が文部省初等中等教育局長のころでございまして、やっぱり道徳教育は大事だというので、これは教科にしないで特設の時間でやったわけでございます。そしていまお話しのように、これは学校教育全体を通じて教育の指針にしたいということでやったわけですが、十分な成果が上がっていないことを私も大変遺憾に思っておりまして、今度指導要領改定をいたしました。  この点については、いまお話しのように、道徳はただ学校だけの問題じゃないんで、社会の問題であり、家庭の問題だと思うのです。そういう意味で、家庭、学校、社会を通じて子供の指導を徹底しなければならぬ。これは単に道徳の教科だけではいかぬと思うので、やっぱり全体をそういうふうに指導していくことが大事じゃなかろうかと思って、文部省としても、指導要領改定したこの機会に道徳教育の充実向上を図っていきたい、かように考えておるのであります。
  22. 小島静馬

    小島委員 戦前教育の指針というものは、特に道徳に関しましては教育勅語に依存しておりましたが、文部大臣教育勅語についてどういうふうにお考えでございましょうか。
  23. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 教育勅語は、ちょうど昭和二十二年だと思いますが、これは衆参両院で失効ないし廃止の決議をされておりますから、私は、教育勅語を復活する意思はございません。  ただ、私は、教育勅語が戦前において果たした役割りは相当大きかったと思うし、教育勅語の中に大変いい言葉もあるわけなんで、そういう意味で、やっぱりいい点はこれを尊重していきたいと思っておりますが、私は、教育勅語を復活する意思は毛頭ございません。
  24. 小島静馬

    小島委員 教育勅語を復活する御意思は毛頭ないということでございますが、私も教育勅語を復活してほしいということを言う気持ちもございません。  ただ、教育勅語を見てみますと、「皇運ヲ扶翼スヘシ」とか「皇祖皇宗」なんという、君主の教えのような形で、それは私は非常にまずいと思いますし、その一つの歴史的な経過というものを見ますと、大変これがいいとか、そういうことを言うわけじゃないのですけれども、ただ、徳目を例示的に非常にわかりやすく出していますね。まあ、「克ク忠ニ」というのは、これはどうかと思いますけれども、しかし、国家に対して、公に対して奉仕をするという考え方でこの辺を読み返してみますと、子供は親に対して孝行しなければならぬ、あるいは兄弟は仲よくしなければいかぬ、夫婦はこれまた相和していかなければならぬというふうな、具体的な徳目の取り上げ方というものは非常にすぐれたものではなかったかと私は思うわけであります。  いま使っております小学校中学校学習指導要領を見てみますと、実は非常にこれが抽象的であると言わざるを得ないわけでございます。たとえば小学校で見てみますと、「生命を尊び、健康を増進し、安全の保持に努める。」となっていまして、もちろんこれは大事なことでありますけれども、その「生命を尊び」ということが具体的にはどれだけ浸透しているだろうか。たとえば自殺事件等を見るわけでありますが、「身の回りを整理・整とんし、物や金銭を活用する。」とか、「自分の正しいと信ずるところに従って行動し、みだりに他人に動かされない。」とか、「自他の自由を尊重し、自分の行動に責任をもつ。」というようなことはごくあたりまえのことですけれども、やはり教えていかなければならないことでしょう。  そして一番最後の方に行って、「家族の人々を敬愛し、よい家庭を作ろうとする。」となっていて、さらに読んでみますと、「(低学年においては、父母などに対して感謝の念や親愛の情をもつことを、中学年においては、家族の一員としての役割を果たすことを加え、高学年においては、更に、家族の立場を理解し、楽しい家庭にしようとすることを加えて、主な内容とする。)」というふうに、はっきり親に孝行しようじゃないか、兄弟仲よくしようじゃないかというふうな端的な言い方というものを何となく避けているような印象を受けるわけでございます。  また、27としては、「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家の発展に尽くそうとする。」と、これもはっきり書いてありますし、28として、「広く世界の人々に対して正しい理解と愛情をもち、人類の幸福に役立つ人間になろうとする。」となっていて、いずれも結構なことでありますが、何か恐る恐る出てきたような印象を受けるわけであります。  そういうふうな徳目の取り上げ方というものが、新しい学習指導要領改定をやったばかりですからなんですけれども、具体的な道徳教育の中でどういうふうに取り扱われていくだろうか、こういうことがはっきりいまの子供たちに理解ができるような教え方がなされるだろうか、というふうな気もするわけでありますが、局長の方で結構ですから、どうぞ御答弁願います。
  25. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 確かに、昔の修身の教科書は、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」という式の、端的に道徳項目を挙げてこれを指導したという形になっておるわけでございますが、それらの点について私が聞きますところでは、そういった端的な徳目主義というものは、むしろ実際に教育する場合には形式的に流れて、本当に子供に身につかない。  そこで、いまの指導要領では、おっしゃるようにたとえば家族の親愛を深めるというようなことを指導の眼目として、個々の授業の展開において、一人一人の先生がその教材に応じて、兄弟愛というものをこういうふうに深めた例があるとか、あるいは親子の情というものはこういうものだということを取り上げて教えてほしいのだと、こういう考え方でいまの指導要領はできておりますので、したがって、御指摘のように、はなはだ抽象的であるという御指摘はあろうかと思いますが、われわれがつくっておりますこのもう一つ下の各教科の指導書というようなものにつきまして、あるいは指導事例集というようなものをつくっておりますが、その辺において、具体的に、こういう教材を使って、こういう意図でこれを教えた例がありますというようなことで展開をさせておるという現状でございます。
  26. 小島静馬

    小島委員 道徳教育というのは、何か昔から古めかしいような、また、かた苦しいような印象を受けるわけですけれども、やはり、どういうふうにして人間として生きるかという、ごくあたりまえの人間の生き方を教えるのが道徳という言葉で表現をされているのではないかというふうに私は理解をしたいと思うのです。いまの、具体的な徳目をこういうふうに教えるのだということは非常に結構だと私は思いますので、ぜひそういう形で、すんなりと素直に教えていくような方向というものを御指導を願いたいと思うわけでございます。  それから、大臣が言われましたし、私も申し上げましたが、人間の生き方というものを支えているものは学校教育だけではございません。家庭教育の中でどういうふうにやっていったらいいだろうかということを、それぞれの家庭が自覚を高めていくという必要がございます。幾つかの不祥事件を見ましても、そういった家庭の問題というものが必ず絡み合っているように感じますし、それから社会の問題としても、今日の日本はなるほど物質的な繁栄は築いておりますけれども、人の心の触れ合いなんという問題になりますと果たしてどうでしょうか、お寒い限りでございます。  政治においても、あるいは経済、実業界においても、われわれもまた戒心しなければならない問題がたくさんあるわけでございますけれども、それらを踏まえましたところの、本当に文化の香り高いわれわれの国家、社会を築き上げていく、そういう一つの道しるべとなるような家庭教育、社会教育文教行政国家の中核にあるという認識の中で、さらにさらに御健闘を賜りたいということを実はお願いを申し上げたいと思うのでございます。  次に進みます。  「教育は人にあり」。これはもう当然のことでございます。そして、「教育成果は個々の教員の指導力の向上に負うところがきわめて大きい」として、このために新たにいろいろな施策をこういうふうに行って、「資質能力のすぐれた教員の養成確保についての国民の強い期待にこたえるよう努めてまいります。」と述べておられるわけでありますが、非常に結構なことであります。何と申しましても、教育はまさに人にあるわけでございまして、教育の現場にお立ちの先生方の資質向上を図っていくということが、これは日本だけではございませんで、世界じゅうどこへ行きましても教育というものの本質につながっている問題であろうと思うのでございます。  そういう状況の中で、幾たびか議論をされた問題として、教職は果たして聖職なりや、あるいは専門職なりや、あるいは専門性を持った労働者なりや、あるいは特別職なりや。これはいろいろな言い方があると思うのでございますが、森戸辰男先生は、教員の地位というものをプロフェッションに高めていくことが必要である、それはよく専門職というふうに訳されるけれども、それは適当ではない、有識職とも訳すべきものである、幅広い知識と技術を身につけ、これを心の触れ合いの中に子供たちに教えていく、これが教職ではなかろうかというふうに言っておりまして、実は私も全く賛成でございますが、教職はどういうふうな職でございましょうか。一言で結構でございますが、お答えをいただきたいと思います。
  27. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お説のとおり、教師というのは子供に対する影響力が一番深いのですから、子供に対する愛情と使命感を持ってほしいと思うのです。  同時に、いろいろ言われますけれども、私は、やはり、教師というものは高度の専門職であるというふうに考えておるのであります。
  28. 小島静馬

    小島委員 教員の資質向上のための施策として人確法が定まり、そして本年度においてその待遇が改善をされたと存じます。  教員の待遇は給与的にどの程度のレベルに達しているのか、他の公務員あるいは国立大学等と比べてどの程度であるか、局長にお伺いしたいと思います。
  29. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 この一連の人確法による改善は四十九年の一月から始まったわけですけれども、予算措置としては四十七年度のベースをもとにして計算をしておりますので、それで一般的に申し上げますと、四十七年当時の給与ベースを一〇〇としますと、五十三年で大体平均して二五〇ぐらいになっているわけでございます。そのうち、これは非常に大幅なベースアップがございましたから、全部人確法によるあれではございませんけれども、人確法による部分が大体二五%ぐらいございます。  そこで、具体的に申しますと、四十七年当時初任給が四万ちょっとぐらいなのが、現在では大体十万くらいになっておるわけでございまして、これは他の一般の上級職試験に合格した公務員に比べましても非常に高いレベルになっておりますし、また、中堅職員——校長、教頭といったような人のベースをたとえば県の幹部職員のベースと比べましても、四十七年当時ですと教頭あたりも係長ぐらいというところまでしか行けなかったのが、部長に次ぐぐらいまで行けるというふうになっておりますので、全般的に処遇は非常によくなっておるということははっきりしておるかと思います。
  30. 小島静馬

    小島委員 積年の努力がようやく実ってまいったという感じがいたします。生活の繁雑な——特にお金のことで、十分ではないにしましても、そう惑わされずに教職に専念ができる。このことは当然文教行政が責任を持っていくことだろうというふうに理解するわけでございまして、このことに対しまして大きな敬意を表したいと思うのでございます。  教員の地位というものについて、いろいろな見方が実はあろうかと思うわけでございますけれども、現実に、日本教育の戦後の流れの中で教育の中立性ということが教育基本法の中では明確に書かれております。しかし、教育の中立性が侵犯されている事態がしばしば見られたのではなかろうかと理解をいたします。教育の中立性というものは、やはりあくまでも厳正に守られなければならないわけであります。それは文部当局側からもなされてはなりませんし、また、教職員団体の側からもなされてはならないものであろうというふうに思うわけでございます。  教育正常化という問題を考えました場合に、やはり、この問題を避けて通ることはできないのではなかろうかというふうに私は理解をするわけでございまして、文部大臣のかねてのお考えのほどはよく承知をいたしておりますけれども、今後のそういった教職員組合との問の、ある場合におきましては意思の疎通を図るとか、あるいは問題点についてはとことん究明し合うとか、そういうふうな方向についてはどういうふうにお考えになっておられますか。
  31. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、教育の中立性は非常に大事だと思うのです。いまお話しのように、先生の待遇を改善したのは、ちょうど私も国会にいましたときに、その当時——昔は国民の三大義務の兵役さえ免除したのですよ。だから、五割上げるという案を出したけれども、五割は無理で、人確法で三割ということになってしまったけれども、それでも一般の公務員よりは優遇したわけですから、私は、教師は中立性は絶対守ってもらいたいと思う。やはり、国民の信頼を得ないと教育の発展はあり得ないと思うのです。ですから、ストライキをやったり、教育の中立性を侵すようなことは、これは厳に慎んでいただきたいと思う。  そのほかの面については、私はできるだけ組合にも協力したいと思っております。
  32. 小島静馬

    小島委員 いろいろな変遷がございましたけれども、たとえばILOの勧告というものがこういう関係一つのけじめになったと思うのでございます。ILOの「教員の地位に関する勧告」を見てみますと、教師の地位と教職に対する公衆の尊敬というものを強く出しておりまして、そのためにはふさわしい給与待遇をしていかなければならないということを言っているわけでありまして、わが日本教育というものがこういう観点から非常に内容を持ってきたということは喜ばしいことだと思います。  また、教職は公共の役務である。したがって、理由なく生徒教育と福祉を犠牲にしてはならぬ。今日までにしばしば生徒教育と福祉を犠牲にするという事態があったことも率直に認めなければなりませんが、これらに対する大臣の御決意をひとつしっかりとしていただきたい。  もう一つ、教師は専門的な知識及び技能を獲得、維持するために不断の研究努力が要請されている。こういったものがあるわけでございますけれども……  御答弁くださいますか。それではどうぞ。
  33. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 教師は国民の信頼にこたえなければならぬと思うので、やはり、親が一番心配しているのは自分の子供ですから、その子供がりっぱに成長するように愛情と使命感を持ってほしいと思う。  そういう意味ですから、教育の中立性を破るようなことは絶対に避けてほしい。これが私の念願でございます。
  34. 小島静馬

    小島委員 ぜひがんばってください。  次に、小さな問題でございますけれども、公立の文教施設に対する配慮でございますが、児童生徒急増市町村について、「小・中学校用地取得費の国庫補助の交付率を改定する等、急増対策についても特段の配慮を加えてまいりたいと存じます。」というふうに言っておるわけでありますが、非常に結構なことだと思うのでございます。  ただ、現実の適用場面におきまして、実は、村には余りないわけでありますが、市や町におきまして、幾たびかの合併を重ねまして地積が非常に広大にわたっている。その一つの町や市で見まして、学区ごとに見ていきますれば当然急増地域であるけれども、山間部に行きますと実は児童等は減っているということで、全体として急増地区の優遇措置を受けられないというものがあるわけでありますが、これはやはり学区ぐらいにひとつ考え直してみる必要があるのではなかろうか。  せっかくの運用でございますので、局長、そういう点についてどういうふうにお考えですか。
  35. 三角哲生

    ○三角政府委員 御指摘の点につきまして、ただいまの国庫補助制度のたてまえについて御説明申し上げたいと存じます。  児童生徒急増地域の指定につきましては、御指摘のように現在市町村単位ということで行っておるわけでございますが、これは小中学校施設整備のために急増の市町村が非常に大きな財政負担を強いられるということとなりますので、そういう市町村の財政に関しまして、この負担を軽減するように国としても協力をする措置を講ずるというためでございます。したがいまして、指定の単位を通学区域というふうな取り上げ方をすることは、いま申し上げましたような趣旨から照らしましていかがかというふうに考えるわけでございます。  それから、さらに、小中学校の新増設につきましては、やはり御指摘のようないろいろな市町村の状況があろうかと存じますが、通常は市町村の区域内の全体的な計画というものが必要でございまして、学区そのものだけをとらえて、学区単位だけでは十分な計画が作成できかねる場合が非常に多い。それから、もう一つ、通常の場合として、従前の二つ以上の学区のそれぞれの一部を合わせて小中学校を新設する場合には、また新たな学区ができるわけでございますので、そういう流動的な展開になりますので、学区単位の指定ではなかなか現実の仕組みの問題として対応できにくい。  こういったような理由がございまして、現在のところ、急増地域の指定を、学区単位という考え方を導入してこれを改めるということは現状ではまだ適当ではないのではないかと考えておる次第でございます。
  36. 小島静馬

    小島委員 現状では無理だということです。予算ももう間に合いませんしね。これは将来の方向としてぜひ御研究をいただきたいと思います。  次に、高等教育について少し伺いますが、今度放送大学学園法が間もなく提出をされるということでございます。長年の懸案でございましたが、これがようやく実りまして、就学の機会に恵まれなかった人たちがやがてこういう形でもって高等教育に参加ができるということと、さらに、また、これが生涯教育への活用という点から非常に大きな意味があると思うわけでございまして、私も小委員会に所属をしていろいろ審議をしてきましたので、内容はおおむね承知をいたしております。ただ、まだ一般の理解というものが少し足らぬようなところもございますから、その中で一つ気がかりなのは、とりあえず東京タワーの届く範囲ということで、非常に限定された地域になるわけでございますので、将来構想といいますか、そんな点はどうなんだろうか。  それから、入学資格は高校卒業程度ということになっておりますが、こんなのは余り資格のことは言わない方がいいと思うわけでございます。大体、日本学校教育というものは、卒業免状だとか、そんなものばかりが幅をきかしているわけでございますが、修了証書、卒業証書を差し上げることは結構でございますが、入学資格なんかはこだわらないというぐらいなところでいってほしいという気がします。  それから、人員はどのぐらいになるだろうか。  そんな点について、審議官、ひとつお聞きしたいと思います。
  37. 阿部充夫

    ○阿部説明員 放送大学につきましてのお尋ねの点でございますが、まず、第一点の入学資格の問題でございますけれども、入学資格につきましては、一応大学と申しますか、正規の大学でございます関係上他の大学とのバランス等も考えまして、高等学校卒業程度が原則の資格であるというたてまえはとらざるを得ないわけでございます。  しかしながら、生涯教育的な意味を十分に持った大学であるということ等を考えますと、高等学校卒業ということに必ずしも限定しない方法はないかということで、例外的という形になるかもしれませんけれども、高等学校卒業資格を持たない方々についてもこれを受け入れていくという方向検討していきたいと考えておるところでございます。  それから、第二点の将来計画の問題でございますが、御承知のように、この放送大学につきましては、第一期計画といたしましては、東京タワーから電波が届く範囲を原則とし、それからもう一カ所その圏域の外に送信所を一カ所立てまして、届かない部分でもう一カ所だけさらにプラスしてやっていこうというのが第一期計画でございます。  もちろん、この大学の性格からいたしまして、全国各地で大学教育を受けたいという人たちにチャンスを与えるということが必要なことでございますので、できるだけ早急にその後の将来の整備計画等を検討してまいりたいと考えておりますが、現段階ではまだそこまで御報告できる段階になっておらないわけでございます。  それから、第三点のお尋ねは人員というお話がございましたが、これは学生の数ということでございましょうか。(小島委員「そうです」と呼ぶ)  学生数といたしましては、この第一期計画では、一期計画が完成いたしました時点で入学定員一万七千人、それから在学者数が大体三万人くらいになるであろうという計画を持っておるわけでございますが、もちろん、以後拡充整備を図っていく場合にはもっと大きな規模のものになっていくということを予定しております。  以上でございます。
  38. 小島静馬

    小島委員 次に、大学の入試改善についてお伺いいたします。  共通一次テストが行われて、当該校、それぞれの受験校の二次試験がこれから行われるわけでありますが、予想された混乱というものが比較的少なくて済んだことは非常に結構だったと思います。それから、また、ある意味での評価もすでに生まれ始めておりますが、これは二次試験がどういうふうに行われるかということで、実はこれから非常に議論を呼ぶだろう。もちろん試行錯誤的な面もございますので、これからさらにさらに改善を加えていかなければならないわけでありますが、今日の段階で二次の状況はどうか。  それから、私学がこれに協力をするような形に改まってくることが一番望ましいわけでありますが、私学はどういうふうに連動しているだろうか。たとえば早稲田、慶応なんかの受験生が非常に減ったというふうなことが出ておりますが、これは一体どういう現象でございましょうか。  それから、合否の判定でございますが、一番新しい煮詰め方というものを伺いたいわけでありますが、合否の判定は内申書も勘案するということでありますね。一次試験と二次試験と内申書と、ほかに何かあればさらに教えていただきたいのですが、その中で特に内申書は一体どの程度考慮されるだろうか。考慮の余地が一体あるのかないのか。現実にはむずかしい問題じゃなかろうかと思うわけでありますが、そういう点についてひとつお聞かせいただきたいと存じます。
  39. 阿部充夫

    ○阿部説明員 共通入試につきましては、これが二次試験と一次試験と両方合わせて全体の改善を図っていこうという考え方でございます。現段階のところでは、まだこれから二次試験ということでございますので、その成果のことを云々という段階ではなかろうと思いますが、一次試験の状況を見ますと、お話がございましたように若干のミス等がございましたけれども、幸いにも大過なくできたという状況でございます。  各大学の二次試験の状況でございますが、これにつきましては、すでに御案内のように、たとえば試験科目数等につきましても、従来の国公立大学の大体のところが七科目ないし九科目ぐらいをやっておったというようなものにつきまして、平均二・九科目というところまで減少してきたとか、あるいは推薦入学でございますとか、あるいは面接、小論文の実施校がふえたということなど、いろいろと新しい選抜制度の趣旨に即した各大学の努力というものは出てきているというふうに考えているわけでございます。しかしながら、いわゆる二段階選抜、足切りと言われているものでございますが、そういう問題でございますとか、あるいはなお幾つかの大学では、二次試験で相当数の多い科目を課しているというようなケースがある等のことがございまして、問題点として指摘されているところでございます。  これらの問題につきまして、二次試験まで済ませました段階で今回の全体の実施状況を踏まえまして、さらに各大学において改善検討が進められていくということを期待しておるわけでございますが、私ども文部省といたしましても、国立大学協会等と十分連絡、協調をいたしながら、さらに各大学に対しての指導を行っていきたいというように考えておるわけでございます。  それから早稲田、慶応についてのお話がございましたが、私もこの事情を詳しく存じておるわけではございませんが、早慶の場合にはその前年度が異常にふえたという状況でございまして、一般的に見ますと、むしろ通常のペースに今年度の志願者は戻ったのではないかというような見方もあるようでございますが、まだ十分分析をしておりませんので、ちょっと詳しくは申し上げかねるわけでございます。  それから、二次試験の際に内申書がどの程度の利用になるだろうかという御指摘でございますが、従来から、私ども、高校からのいわゆる内申書——調査書と言っておりますが、それにつきましては、学力検査等とともに選抜のための基本的な資料として活用するようにという指導をしてきたところでございまして、昭和五十二年度の調査によりますと、国公私立大学の学部のほとんどが何らかのかっこうでこれを活用しているという報告があるわけでございます。  具体的な活用の方法といたしましては、学力検査等との併用で総合判定に使うという活用の仕方、それから推薦入学の場合に調査書で推薦入学をやったというようなやり方、あるいは調査書だけでいわゆる一次選抜をやったというような形、それからまた調査書のみですべての選抜をやったという形、いろいろなタイプがあるわけでございます。  今回の二次試験でも内申書、調査書の利用が言われておるわけでございますけれども、具体に各大学でどういう使い方をするかという細かい点につきましては、現在私どもの方も十分承知をしておらないわけでございます。今後各大学の状況等はまた十分問い合わせをし、確かめてまいりたいと思っております。  以上でございます。
  40. 小島静馬

    小島委員 私は、入学試験を、競争の原理というものを否定するものではありません。大いに競争して、いい者がどんどん伸びていくということは非常に結構なことなわけですからね。ただ、こういうふうな制度に思い切って切りかえていったということは、余りにも難問奇問が多くて学校で勉強するだけじゃ足らぬ、クラブ活動も何にもできないというふうな——偏った高等学校やあるいは中等教育というものが非常に悪い面を持ってきているということに対する制度の大改革だったと思うのです。この辺が一番論点が大きいと思うのです。  そういう意味で見ますと、推薦入学制度というのがあるわけです。内申書を思い切って活用してくれればいいわけですけれども、なかなかそれが現実には活用しにくいのでしてね。配点ということで具体的に出てきますと、その学校で一番から五番までにいたから、現実の受験の成績がこんなだったけれどもというわけにはいかないわけでございまして、私は、むしろ推薦入学の制度をもう少し拡充したらどうだろうかという気がします。私学でもこれをとっておる学校が非常にふえてまいりましたし、国公立でもこれを取り入れているところが非常にふえております。その中で頑強にこれを否定しているのは旧帝国大学であるわけでございます。  今後の方向でございますけれども、試験の一発勝負という言い方は違うかもしれませんけれども、ふだん学校で相当の高位にある者は推薦入学を——推薦入学といっても全く無試験ではないわけでございますから、そういうものを導入していくという方向がこれからは考えられてしかるべきではなかろうかと思いますが、どうでしょうか。審議官でいいです。
  41. 阿部充夫

    ○阿部説明員 推薦入学の制度につきましては、ただいま先生から御指摘があっとおりであろうと思います。私ども、非常に有意義な方法であるということで、かねてからその活用方を各大学に指導し、助言をしてまいったものでございます。  お話にもございましたように、推薦入学を取り入れる大学は年々増加をしてまいりました。昭和五十三年度の入試におきましては、国公私合わせまして二百十三校という大学でこの推薦入学の制度を取り上げておるわけでございます。なお、五十四年度、今回の入試におきましては、国立大学につきましては、半数を超える四十六大学が実施をするというところまで来ておるわけでございます。  しかしながら、この推薦入学については、全く問題なしとしない面もあるわけでございまして、たとえば一部の大学等におきましては、本来の趣旨を離れまして、入学者を確保する手段として、推薦入学で学生を確保するというようなことで活用されるというケースもあるわけでございまして、私どもといたしましては、今後とも推薦入学が本来の趣旨にのっとって適切に活用されるようにという方向で各大学に指導を重ねてまいりたい、かように考えておる次第でございます。
  42. 小島静馬

    小島委員 次に、大学のあり方の問題でありますが、大学というのは非常に閉鎖的な運営がなされているような感じを受けますね。自由の府である大学が、現実には非常に閉鎖的な面があります。今度外国人の教員の任用というものがこれから審議をされることになりました。大変結構なことだと思っておりますが、従前はこれを頑強に拒否しておりました。  それから、だんだん上がっていくわけですけれども、教授になってしまえばもうそれっきり、安住の地にいるわけでございまして、研究心等も刺激されないで、ぬるま湯的な存在になってしまう。こういうことに対しては、十年なら十年という任用における任期制というものを考えたらどうだろうかなと、素人でございますが、率直に言ってそんな感じがいたします。  それから、もう一つ大学の閉鎖性というものをつくり出している大きな原因だろうと思うのですけれども、大学の教授というものがその大学の出身者によって占められているということですね。これは二分の一以下にするとかいうふうな規制がつくられてもいいのじゃないか。開放的な大学をつくり上げていくために幾つかの施策をやっていかなければならないと思うのです。  三つ挙げましたけれども、外国人教師の問題はこれから議論されますから結構ですが、任用制の問題と任期制、それから大学の教授が出身校に帰りたがるのは結構だけれども、せめて半分以下ぐらいにしてもらいたいというふうな問題ですが、いかがでしょうか。
  43. 阿部充夫

    ○阿部説明員 先生からお話のございました任期制とか、あるいは業績審査をしっかりやっていくとか、あるいはまた同じ大学出身者のいわゆるインブリーディングを避けていくというようなこと、そういう人事の面での新しい工夫というのは大学にとって非常に必要なことだろうと私どもは考えておる次第でございます。  こういった内容につきましては、かねて中教審答申等でも指摘をされ、取り上げられたケースでもございます。また、各大学改革構想等でも出てまいりました。大学関係者の中でも問題意識としてこういう問題を考えておられる機運というのは、ある程度のものはあるというふうに私ども考えておるところでございます。しかしながら、何と申しましても教官の人事のあり方に係る問題でございますので、これについては大学自治という問題もございますので、そういった見地から慎重な対処が必要であろうというところが私どもの気持ちでございます。  したがいまして、現行制度の中でも各大学が自主的にやっていこうとすればできることでもございますので、各大学におきまして十分検討してくれることを期待をすると同時に、各大学の努力を促してまいりたい、かように考えておる次第でございます。
  44. 小島静馬

    小島委員 もう一つ、育英奨学事業については大臣も特にお触れになりまして、このたび充実のための施策が講ぜられましたことは大変結構なことだということで、敬意を表したいと思うのであります。  時間がありませんから、その内容等については細かく伺いませんけれども、今日の実態を見ますと、相当程度生活費にまで食い込む三十何%とか、あるいは四〇%を超えているものもありますね。そういった奨学金の貸与をやっているわけです。そして一般貸与、特別貸与というふうに分かれておりまして、これはそれなりに非常に結構なことでございまして、経済的な理由のために高等教育が受けられないというようなことはぜひなくしていきたいというふうに思うわけです。  私はさらに一歩を進めまして申し上げますが、非常に優秀な才能の持ち主だが、しかし、経済環境がよくなくて進学ができない、特別貸与をもらっても、とてもあとの分が負担できないという人がいるわけですから、一〇〇%生活費を見てやるぐらいの特別な貸与生というものをやったらどうか。これは厳重な試験を課してもいいと思うのですけれども、それをやったらどうだろうか。かつて日本の野口英世が、本当に人情の中から世界大学者に発展したわけですが、それを国の制度でやっていくのだということで、そういう制度をこの奨学資金の中で考えてみたらどうだろうかと思うのですが、これは大臣、どうでしょうか。
  45. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 ことし、御承知のとおり、私学には相当大幅に育英資金の改善をしまして、大学院につきましても同じようにいたしたわけで、ただ、お話のように生活費まで見るというところまでまだ来ていないのですけれども、いまのところ育英と奨学と二つの面でやっておりますので、生活費まではやっていませんのが実情でございます。  これはやはりできるだけ能力のある人にたくさんやりたいという趣旨で、いま先生のおっしゃるような生活費まで見る貸与制度には踏み切っておりませんが、この問題は今後検討させていただきたいと思います。
  46. 小島静馬

    小島委員 現実には学費だけでなくて生活費までを含めたもので、たとえば私立大学では自宅通学で四〇%以上、自宅外通学で三八・四%、相当程度生活費の一部は見ているわけですから、もう少しがんばってもらいたい。これは非常に特殊な才能を持った者というふうに限定してもいいと思うのです。これはそんなむずかしいことじゃないと思うのです。御検討くださるということでございますから、今後ぜひ御検討をいただきたいと思うのでございます。  それから、時間がなくなってしまいましたのではしょらなければなりませんが、私学振興につきましても、私学助成法に基づきました順調な助成、振興対策が行われていることは非常に結構なことだと思いますが、さらに今後とも緩めずに進めていただきたいということを御要望申し上げておきます。  それから、冒頭にも申し上げましたけれども、教育というものは学校だけで終わるものではございませんで、どうも日本人というのは、大学を出ますと、あるいは最終学校を出ますと、それでもう勉強は終わりだということになるわけでございますが、本当の意味での教育というものはやはり生涯教育だろうと思うのです。家庭教育を含めた社会教育振興と、そのためにいろいろな施策がとられておりますね。これは非常に結構なことだと思いますが、これをどこでまとめていくかというと、なかなかまとめているところがないわけでありますが、そういう意味で、私は、生涯教育振興法をつくったらどうだろうか、そして生涯教育振興事業団というものをつくってその束ねをやっていくべきではないかということをきょう提案したかったわけでございますが、これも御要望にとどめておくわけでございます。  それから、文化の問題についてお伺いをしたいと思いますが、私ども戦争に負けたころ、日本国じゅうが再建の目標を文化国家の形成、文化の建設ということで、文化、文化と言われ続けてまいりました。このごろではそれほどでもございませんけれども、今日でも文化国家を目標とするということは私どもの変わらざる目標になっているのではないかと思うのでございます。一体文化とは何だろうかというふうに考えてみますと、いろいろなところに使われているわけでありまして、文化国家の建設はいいのですけれども、文化がまもあるいは文化ぶろもあるわけでございまして、便利なという程度の意味に使われている面もございますが、文化とは一体何でしょうか。何か定義ができるようでしたら、ひとつお聞かせいただきたいと思うのです。
  47. 吉久勝美

    ○吉久政府委員 文化というものの定義につきましては、広狭いろいろと理解をされているようでございまして、広義に解するとするならば、衣食住の様式だとか、あるいは学問、道徳、芸術、ひいては物の見方や考え方など、人間が自然に働きかけながら形成してきたあらゆる物質的あるいは精神的成果の一切を含んでいるのじゃないかと思うわけでございます。  ところで、先生も御案内のとおり、文部省が所管しております文化の範囲につきましては、文部省設置法第二条に規定をされておるところでございまして、ちなみに申し上げますならば、文部省の扱う文化につきましては、「芸術及び国民娯楽、」「文化財、出版及び著作権」「並びにこれらに関する国民の文化的生活向上のための活動」というふうに定められておるわけでございます。  こういうような中でいろいろ多岐に使われておるわけでございますが、私どもといたしましては、一応文部省設置法で定められた文化というものの範囲内でいろいろな各般の諸施策を進めてまいっておるというのが現状でございます。
  48. 小島静馬

    小島委員 非常にすばらしい表現であったわけですが、とらえどころのない観念ですが、要は、やはり具体的なそういうものにつながってくるのではないかと思うわけで、大いに議論を交えたいところでございますけれども、地方文化の振興は非常にいろいろな新しい施策が生まれておりますが、特に文化の都市集中あるいは中央集中というものは、これは寒心すべきものでありまして、やはり、地方文化というものをどういうふうに高めていくかということが大きな文化行政の眼目にならなければならないと思うのでございますが、具体的な施策については、将来まで目指してどういうような方向でやっていかれるか。  それから、大臣所信の中で、「新しい文化を創造して」「新しい文化を創造して」と二つ出てきますけれども、新しい文化というものはそういうもので成り立っていくものなんでしょうな。地方文化の振興の問題とあわせまして、一言御所見を承りたいと思います。
  49. 吉久勝美

    ○吉久政府委員 地方文化の振興につきましては、文化庁といたしまして、開庁以来その拡充普及に努めておるわけでございますが、私ども、地方文化というものを中央文化と相対立する概念としてこれを考えるのはいかがなものかというふうに考えておるわけでございます。  わが国におきましては、それぞれの地域、地域におきまして、これは都会、農村にかかわらず、それぞれの地域の特色ある文化があるわけでございまして、それらの各特色のある文化をそれぞれの地方ごとにこれを保存し育成していくということが一つと、それからもう一つは、やはり、すぐれたいわゆる芸術文化というものの恵沢を、それぞれの地域において住民生活の中でこれを享受できる環境をつくってまいるということ、そういうものも必要であるわけでございます。  この面につきましては、特にそれぞれの拠点でありますところの文化会館というものを、拠点づくりをする、そのために必要な助成を行うと同時に、また、いわゆるすぐれた芸術文化というものを、子供劇場、青少年劇場あるいは移動芸術祭というようなかっこうで、それぞれの年齢段階の各層に比較的低廉あるいは無料な経費で見せてまいるというようなことをやっておるわけでございまして、今後ともそういうような各都道府県、市町村におけるところの文化行政の施策拡充及び施設の設置等についての助成を行うと同時に、国みずからの責任においてそういうすぐれた文化というものを全国に普及してまいるというようなことで、今後とも拡充を講じてまいりたいというふうに考えております。
  50. 小島静馬

    小島委員 大臣は、特に学術の振興教育、学術、文化の国際交流の推進について積極的な姿勢でがんばっていきたい、知的資源の積極的開発が強く期待されていると、こういうような所信をお述べになっておられます。全く賛成でございます。  そこで、これからの日本の将来を考えてみますと、やはり産業構造も非常に変わってくるだろう、ここに強調されるような知識集約型のものになっていくだろうということは自明の理であるわけでございます。あるいは発展途上国の追い上げ等の問題を考えますと、日本がこれから生きていくためにはどうしても科学技術の振興を図っていかなければならないと思うのでございます。  その中で寒心にたえない問題がございます。それは、学術振興を言っておりますが、非常に力を注いだと言っておりますけれども、まだまだわが国のそれに投資する予算というものは非常に少ないわけでございます。  その数字を私の資料について申し上げてみますと、これは科学技術白書の昭和五十一年版からが出典でございますが、一九七六年、日本は七千八百五十億円です。アメリカはこれに対しまして六兆三千百三十八億円です。ソ連は三兆四百二十三億円、西ドイツは一兆三千七百二十一億円、フランスは一兆一千四百三十三億円、イギリスは七千九百六十六億円という投資額でございます。研究者の数は、日本は二十六万二百五十人、アメリカは五十三万三千余人、ソ連は九十四万、西ドイツは十二万、フランスは六万というふうな数字が出ておるわけでありますが、他の先進諸国と比べて投資額が非常に少ないということが言えますね。人数はなかなかいるのですけれども、一人頭にすればこれはまた少ないということにもなるわけです。  それから、これによって帰結するところでありますが、主要国におけるところの技術貿易額というものがあります。日本は戦後なるほどこれだけの高度成長を遂げたかもしれませんが、特許等で実は技術を買って、その上で製品をつくって外国に輸出をしたということで、これからもうそんなに技術を簡単に譲ってくれなくなるという時代が必ず来るわけでして、いまごろからこれはもう十分学術研究をやっていかなければならぬわけでありますが、現状を見てみますと、一九七六年、日本は技術輸入が一億七千三百万ドルです。ドル単位、ドル換算でありますが、一億七千三百万ドル、アメリカは四十二億八千五百万ドル、西ドイツが三億八百万ドル、フランスが十三億三千二百万ドル、イギリスが四億六千五百万ドルです。これに対しまして技術輸出の方は、日本は八億四千六百万ドル、アメリカは四億三千二百万ドル、西ドイツが八億三千四百万ドル、フランスが十億三千五百万ドル、イギリスは四億一千三百万ドル、こういうことになっております。  これは翌年の数字も持っておりますけれども、時間がございませんからやめますが、実は、その対比というものを見てみると、日本は技術の輸出に対して技術の輸入が非常に多いということが言えるわけでありまして、実は、今後の日本の産業構造の問題を考えていきますと非常にこれは心配な数字になるわけであります。ですから、そういう観点から、学術振興費科学の振興費、研究費、研究開発というものはさらにさらにひとつ力点を注いでやっていってもらいたいと思うわけでございます。これも時間の関係で要望にとどめておきます。  それから、最後にもう一つ、実はこれは昨年私は取り上げまして質問いたしたところでございますが、英国人の教師をわが国に招いて中学校高等学校において教鞭をとらせようということですが、そのことは実はわが国の英語の実用化というものを非常に促進するものであるというふうに私は信じておるわけでございます。そしてそれはそればかりではなくて、実は、それによって日本世界に知られる、世界日本を知ってもらうということになる。このことがいかに重要であるか、そうしなければ日本は国際政局の中で孤立をしてしまうだろうという具体的な幾つかの動きがすでに出ているわけでありまして、このことは英語教育という視点の中でも必要なことには違いございません。  しかし、今度は、英語教育振興の中で、たくさんの人をアメリカやイギリスに派遣をしたり、あるいはまたLLを導入したりということで、非常に積極的な施策が取り上げられて非常に結構だと思いますが、顧みて、この英国人教師の招聘の問題は、予算額的にもきわて小さいし、一体これで本当にやる気があるかどうかという気もするわけであります。  もちろん試行錯誤的な面もございましょうし、また、いきなり大量にやって質を落としてはならぬという問題もございましょうが、しかし、私どもがやはり先人は偉かったなあと思うのは、大正から昭和の初めにかけまして、全国の主要な公立の旧制中学校においては英国人の英語教師が一人ずつ配属されておったという事実があるわけであります。先人は非常に偉かったなあという感を深くするわけでありまして、いまごろこんなことをやり出して一体何だろうかとすら私は思うわけであります。今日の国際化社会の中で、こういう施策があるならば私どもはもっと積極的に取り組んでいくべきだろうと思うわけでございますが、余りに額が少ない。  これに対して将来もっと思い切った施策をやっていってもらいたいと思うのですけれども、特に最後に大臣からひとつお考えを承りたいと存じます。
  51. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いま小島先生がおっしゃるとおりで、私も旧制中学のときに外国人に教わったのです。ですから、私はほかのことは余りできなかったけれども、英語だけは自信がある。ですから、私はこれは大変いい施策だと思っております。  去年は実は二十二人、ことしはわずかでございますが二十五人イギリスから採ることにしまして、旅費を計上したのであります。各学校で大変評判がいいので、お話のように、これからもっとこれを拡充して充実を図っていきたいと思います。やはり、日本人が国際社会で生きるためには、英語ぐらいはしっかり勉強させてほしいと思います。  ありがとうございました。
  52. 小島静馬

    小島委員 終わります。
  53. 坂本三十次

    ○坂本委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時二分休憩      ————◇—————     午後一時十分開議
  54. 坂本三十次

    ○坂本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について質疑を続行いたします。木島喜兵衞君。
  55. 木島喜兵衞

    ○木島委員 教育一筋四十年の内藤文部大臣でございますから、あなたの所信表明に期待をいたしたのでありますけれども、大変慎重であります。  そこで、これは当然のことですけれども、大平総理大臣の施政方針演説を前提としての内藤文政と考えてよろしゅうございますね。
  56. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 そのとおりでございます。
  57. 木島喜兵衞

    ○木島委員 大平さんは、一つには信頼と合意というものを基本姿勢にしていらっしゃいますが、その点はあなたもそれを基本姿勢になさいますか。
  58. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 全く同感です。
  59. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今日、政治の基本姿勢というものにはいろいろあろうと思うのでありますけれども、あえて大平さんが信頼と合意というものをいまここでもっておっしゃるということには、信頼と合意が今日の政治において特に必要だという理解の上にそういう基本姿勢をお立てになったと考えてよろしゅうございますか。
  60. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 そのとおりでございます。
  61. 木島喜兵衞

    ○木島委員 とすると、その基本方針に基づいてあなたも文教をなさるとするならば、文教においても特に信頼と合意が今日必要であるとお考えになりますか。
  62. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 全くそのとおりでございます。
  63. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ということは、逆に言うならば、不信と不合意が大変に文教には多かった、よって、今日、信頼と合意が必要であるという理解に立っているというように考えてよろしゅうございますか。
  64. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 全くいまはむずかしいときでございまして、本当に信頼と合意で文教行政を前進させたいと思っております。
  65. 木島喜兵衞

    ○木島委員 信頼を取り戻そう、合意の政治をしようとするには、その不信あるいは不合意の原因を排除しなければ合意や信頼は得られない。  とすると、今日までの文教におけるところの不信や不合意の原因は一体どこにあるのだろうか。その原因を排除しなければ信頼と合意にならないとするならば、合意と信頼を得るために、その原因は一体何であったかという理解がまず大事だと思うのですが、その点はいかがでございましょうか。
  66. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 おっしゃるとおりでございますので、よく私も反省して、信頼と合意に努めたいと思います。
  67. 木島喜兵衞

    ○木島委員 まだ反省は要らないのです。  今日までの文教行政の中において不信や不合意があるとすれば、その原因をなくさなければいかぬですね。その原因は一体何だったんだろうかということです。
  68. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いろいろあると思います、それはいろいろあると思いますが、これはお互いに反省しなければいかぬ問題だと思います。
  69. 木島喜兵衞

    ○木島委員 結構ですが、終戦直後憲法ができ、基本法ができ、学校教育法ができて、そして、これはよく与野党とか日教組と文部省などと言われますけれども、そのときに民主教育をつくろうということで、戦争の反省からみんな一緒になってやったわけであります。だから、たとえばいまの文部省と日教組の対立などに比べて、人呼んでその当時を蜜月時代と言ったことは、その当時あなたも文部省にいらっしゃったから御存じのとおりです。  しかし、やがて占領軍の中におけるところの冷戦構造が始まって、朝鮮戦争を契機として日本に再軍備、憲法改正等の動きが出てきて、そして池田・ロバートソン会談等があって、二十七年まで学者大臣であったのが、岡野清豪から政党大臣になった。以来、たとえば昭和三十一年の教育委員会の公選制から任命制、あるいはその翌年の校長の管理職指定、翌年の勤評、翌年の指導要領改定等、そういう一連の——言うならば教育基本法の第十条におけるところの、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という、この「不当な支配」にはいろいろな理解がありましょうけれども、少なくとも公権力の支配というものを排除しようと努めた中に、その一連の政策展開が歴史的に積み重なってきた。  そしてやがて教頭、そして最近の主任に至るまでの管理主義、そういうものが今日の文教行政におけるところの不信や不合意の一番原因ではなかったのかと私は思うのですが、いかがでございましょうか。
  70. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は必ずしもそうは思わないのでございまして、やはり、教育は中立性を維持するということが根本でございますので、教育委員会を任命制にしても必ずしも行き過ぎではないと私は思う。というのは、首長は公選だし、議会も公選されておる。その議会と首長の同意を得てやるわけですから、これを全部行き過ぎだとおっしゃるのは行き過ぎではないかと私は思っております。文部行政が何かとんでもない間違いをしたというふうにお受け取りになっていらっしゃるけれども、私は必ずしもそうではないと思う。  悪い点は私も改めますけれども、文部行政の中にそう間違ったことはなかったと私は思っておりますけれども、またいろいろ御指導願いたいと思います。
  71. 木島喜兵衞

    ○木島委員 大臣、いま私は公選制、任命制だけを言っているのではなしに、その辺から出発した歴史的な教育政策の展開の系譜を言っているわけです。そういう流れが「不当な支配」だというように私は理解をするのであります。そのことがもしなくなれば、信頼が、合意がきわめて楽になると私は考えておるからです。そういう、言うなれば管理主義の強化と、その管理主義を通しての国民の思想統制というように私は理解しておるのです。教育委員会だけの問題ではないのです。  そういう一連の流れというものが今日不信の原因になっているのではないかと私は思うのですが、いかがですかと聞いているのです。
  72. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いまお話しの点は恐らく昭和二十数年から三十年のころのことで、その昔にさかのぼって御指摘になっていらっしゃるのだけれども、それよりも、これからどうするかということの方が大事じゃないかと私は思うのです。  済んでしまったことをいまここで言われてもしようがないと思うので、これからどういうふうにしたらいいのか、教えていただきたいと思います。
  73. 木島喜兵衞

    ○木島委員 まあ、いいです。ただ、さっきから私が言っていることは、原因があるから不信になり、不合意というものがあるわけですから、その原因を排除せずして信頼や合意ができないであろう、その原因を探ろうじゃないかと申し上げた上で、私はそう考えたと言ったのです。しかし、そのことは、いまたとえば原因を排除しなければならぬということを前提にしましょう。あなたもそうおっしゃった。そこで、私はそう思うと申しました。原因はここにあると思うと申しました。あなたはそれを否定なさらないけれども、過去のことはいいじゃないかとおっしゃった。しかし、そのことが私はそうだと思っておる。その、私たち野党なり社会党と文部省の間に、そこに一番基本的な不合意があるわけです。排除すべき原因が何かということすら、まず第一に不合意なんです。いま、あなたと私の間でね。しかし、その不合意を合意に持っていこうとするのです。しなければならぬといまあなたはおっしゃっているのです。  だから、それでは過去のことを言わないにしても、それでは合意のために、不信を除去するために、信頼を得るところの文教行政のために、これからあなたはこの信頼と合意を基本姿勢になさるとするならば、これからいかなる方策をおとりになるお考えでございますか。
  74. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いまいろいろあなたから御指摘があったけれども、過去のことをいまさらどうしろとおっしゃってもやりようがないので、これから私も誠心誠意、信頼と合意のもとに日本教育の前進を図りたい、こう考えておるのであります。
  75. 木島喜兵衞

    ○木島委員 したがって、過去のことはいいです。過去のことについては私とあなたとまだ合意ができないほど不合意がある。基本的な不合意です。文教行政におけるところの基本的な姿勢におけるところの不合意です。しかし、そのことは言いません。しかし、不合意であるから、さっきから申しますように、あなたは、信頼と合意のために私は誠心誠意やるとおっしゃる。  しからば、これほど深い不信があり、不合意があるところのこの文教行政の中に誠心誠意信頼と合意を求めるとするならば、一体これから具体的にどのような手だてをなさるおつもりかと聞いておるのであります。
  76. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 まず、とにかく教育界での一番の課題は、いま教育課程の改正でございますが、この教育課程の改正はできるだけ基準にとどめて、先生方の自発的に改善する余地を残してやろう。それから大学入試改善という問題についても、国民の世論でございますから、これも改善してまいりたいと思う。  そのほか、私学振興とかいろいろ課題がございますが、その問題を一つ一つとって、日本教育が大きく前進するように私も最善の努力をしていきたいと思っております。
  77. 木島喜兵衞

    ○木島委員 指導要領とか入試だとか、私学助成だとか、何だかんだとそれにもおのおの意見があり、したがって、意見があるから合意を求めなければならないわけでしょう。合意の政治なんだからね。したがって、合意を求めるためにはどのような手だてをなさるのかと言っているのです。  たとえば野党と——野党全体というわけじゃないが、社会党と文部省との間に不信感があり、不合意のことが多かった。日教組と文部省ともよく言われる。そういうものを、まず合意の場をどう確立するかということが手だてとして一つ要るわけでしょう。合意の政治。そういう合意になれば信頼がかち取れるわけですからね。そういう合意の場をどうおつくりになるお考えですかと、まずお聞きしましょう。
  78. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 社会党の先生方もおいでになれば、私はいつでもお目にかかって御意見は拝聴したいと思っております。
  79. 木島喜兵衞

    ○木島委員 野党とも、日教組とも、そういう合意を得るためにいつでも会って腹を割って話し合って合意の道を求めるということですね。わかりました。  先ほどちょっと入試だとか指導要領というお話がございましたけれども、そういう政策の中でもやはりいろいろな意見がありまして、合意になっておりませんものが多いですね。  そこで、一つあるのは、中教審を初めとする各種審議会が、ややもすると、世間ではあれは御用学者だけが多く入っているのじゃないのか、反対派の意見が反映しないのじゃないか、だから隠れみのなんだという式にとかく言われておるように思うのです。野党と与党だとか、あるいは自民党と社会党だとか、文部省と日教組だとかいうことより以上に、国民的合意を求めるなら、国民の中にいろいろな階層の各意見があるのだから、それをまんべんなく公平に審議会に入れる。  そういう国民的合意のために、今日まで、各種審議会の委員というものをそういう国民的合意を得るという立場からの入れかえをすることによって、いま、文教の中でだけでなしに、大平内閣は合意の政治と言い、そしてあなたはその方針どおり文教にも必要だとおっしゃる。ならば、そのことが必要ではないかと思うのですが、いかがですか。
  80. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 やはり、文部省の中央教育審議会その他の機関は公平でなければいかぬ。公正でなければいかぬから、余り極端な人を入れてはちょっとまずいと思いますが、できるだけ各種各方面の人たちの意見を入れて、公正にやりたいと思っております。
  81. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今日多分に一方的であるという批判がある。これはもう率直に言って是認していいだろうと思うのです。  したがって、入れかえるという考え方に立っていらっしゃると考えてよろしゅうございますか。
  82. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 まだそこまで私も各種委員検討しておりませんが、私が見たところ、中央教育審議会の委員でもみんなりっぱな方ばかりでございますので、いま入れかえる意思はございませんが、実態をよく調べてみたいと思います。
  83. 木島喜兵衞

    ○木島委員 それは御答弁はわかります。いまあなたがすぐ入れかえると言ったらいまの方に失礼ですから、それはあなたとしてもそうおっしゃれないことはよくわかります。けれども、さっき言いましたように、多分にそういう批判は定着しておるわけです。  したがって、御検討いただくというお話でございますから、その御検討によっての行動に期待をいたしまして、まずそういう場をつくるということと、もう一つは、合意の政治ということでありますから、極端な不合意なものはそういう政策は実施しないと理解してよろしゅうございますか。
  84. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 極端に不合意なものは、文部省はやっていないはずです。
  85. 木島喜兵衞

    ○木島委員 だって、今日までずっとやってきておるじゃないですか。各常任委員会の中で、文教委員会というのは強行採決が一番多いのじゃございませんか。たとえばさっき言った公選制を任命制にしたときも、参議院は警官を入れたのですよ。  そのくらいの不合意なものを強行したのですから、不合意なことをやっていませんなんてあなたがいばることはないですよ。
  86. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 昔はそういうことがあったけれども、最近はそういうことは余りないと私は記憶しているのです。
  87. 木島喜兵衞

    ○木島委員 だが、やっていませんじゃなくて、合意の政治を求めるならば、不合意なものはやらないということでなければ合意にならないわけでしょう。不合意なものを不合意でやっていれば不合意の政治なんであって、いまさら基本姿勢の中で信頼と合意なんということにはならないじゃありませんか。  過去のことは言わないにしても、これから不合意なものはやらないということでなければ合意の政治はできないと思うのですが、その点はどうでございますか。
  88. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お説のとおり、信頼と合意で努力してまいりたいと思います。
  89. 木島喜兵衞

    ○木島委員 だから、不合意なものはやらないのですか。
  90. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 文部省が不合意な政策をごり押ししていることはないと私は信じております。
  91. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いやいや、これからのことです。はるか前の、そんな過去のことはいいですよ。いま大平内閣ができて、信頼と合意の政治をやろうという基本姿勢を立てて、そのもとにおけるところの内藤文部大臣なんでしょう。先ほどからお聞きしているように、あなたもそれを基本姿勢にしてやるとおっしゃるのでしょう。  それなら、合意の政治だったら、不合意なものはやらぬということでなければ不合意の政治じゃありませんか。
  92. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 不合意なものはやるような考えはございません。
  93. 木島喜兵衞

    ○木島委員 不合意なものはやるという考え方はないとおっしゃるのでありますから、私はいいです。  そこで、今日文教政策を進めていく上において、四十六年の中教審答申というものがあるが、これは先ほど小島さんからも御質問がございましたけれども、あの中には合意できるものはうんとあるのですよ。だけれども、中教審答申反対なんというスローガンが出ちゃったりしているのです。だから、今日の政策というものが、四十六年の中教審答申というものが基盤になされている限りにおいては、個々の政策の中で合意をどう求めるかという問題が一つあると思うのです。  そこで、ただ、四十六年の中教審答申というものの根底は何かというと、高度経済成長政策の時代の高度成長を前提としたところのものであって、基盤が、背景が違ってきておると思うのです。だから、そういう意味で、たとえば一たん白紙に返すか、さもなくば、あれは答申なんですから、とるかとらぬかはあなたの勝手なんだから、不合意な部分はとらないという宣言をなされば、合意する個々の政策はたくさんあるわけですね。そういう合意なら政策は進められるわけなんですよ。ところが、根底において高度成長を前提にしたところの中教審答申ということである。これは後に申しますけれども、大平さんは経済中心の時代から文化中心の時代だとおっしゃる。そういうときに、経済中心基本理念の上に立ってできたところのものでありますから、そのことをもう一回洗い直してみれば、あの中には、個々の政策では、合意して進めなければならないもの、反対なら進められないものもあるわけですよ。  そういう基本が解決すれば、合意の文教政策のために進められる政策はたくさんあると思うのですが、そういう点はどうお考えになりますか。
  94. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 中教審答申の中で、私どもは実現できるものはもちろんやりたいと思いますし、無理なものは検討させてもらおうと思っています。
  95. 木島喜兵衞

    ○木島委員 無理なものというのは、この場合で言うと不合意なものですね。合意できないものですね。そういう意味でしょう。  無理なものというのは、この場合では、不合意なものはなるたけやらないというようにいまの御答弁を理解してよろしいですか。
  96. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 たとえば実現不可能なようなものは、これはとても無理ですから……。
  97. 木島喜兵衞

    ○木島委員 それはあたりまえよ。実現不可能なものはやることはできない。  いま信頼か合意かという問題で言っているのですが、そこで、中教審というものの中に不合意のものがある。基本的にあるわけですね。しかし、時代は変わったのです。だから、そういう部分を除去すれば、個々の政策では合意するものはたくさんあるんじゃないか。先ほど小島さんが御質問なさっていらした中にも合意するものはたくさんあるのです。さっきの小島さんの質問の中でも、そういう根底の思想というものを考えると、それがなければ賛成でも、あると反対だと言う。合意できなくなるというのです。  時代が変わったら、そこを考え直さなければいかぬのじゃないかと私は言っているのです。
  98. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 中教審答申を、私どもはあれを全部実行すると言っているわけじゃないので、あの中でもっともなものもあるし、実現可能なものもあるわけですから、できるものはやっていきたいと、こう言っているのです。
  99. 木島喜兵衞

    ○木島委員 まあ、いいや。余りお体にさわってもいけませんから……。  それから、大変失礼なことを聞いて恐縮でございますが、この信頼と合意ということの中で、新聞によりますと、内藤文部大臣はタカ派なのかハト派変身なのかと言われているわけね。  ハトとかタカとかという場合、この場合には一体どう理解したらいいのか。これはなかなかむずかしい問題でございますけれども……。
  100. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私はタカでもハトでもないのです。  教育一筋に四十年来まして、六・三制発足のときに総司令部と全部折衝した責任者でございますから、やはり六・三制のいきさつは全部私は承知しているつもりなんで、そういう意味で六・三制のいいところは伸ばしていきたいし、まずい点は改めていきたいと思っているので、私はタカでもハトでもない。教育だけが私の生きがいでございますから、その点ひとつ御理解いただきたいと思います。
  101. 木島喜兵衞

    ○木島委員 大変失礼な御質問で恐縮でしたが、タカでもないハトでもないという新しい鳥類の研究をこれからまたやらなければならぬと思っていますが、そこで、よくあなたはタカじゃないんですかと言われる中に、あなたの昭和五十二年の参議院の予算委員会における、あの教育勅語のことがあるんですよ。これをよく言われるんですよ。  そこで、先ほども小島さんから御質問になったら、復活するつもりはないとおっしゃっていらっしゃるんですけれども、あなたはその中でもって、「戦後教育の失敗の第二は、」と言って——第一はさきに述べていらっしゃいますが、「第二は、教育勅語を廃止したことである。」と言っています。そしてずっと質問が続いて、「国際的にも国内的にも道義日本の確立が急務な今日、教育勅語の復活が無理なら、新たに教育憲章を速やかに制定して教育の大方針を確立していただきたいと思いますが、」とおっしゃっていらっしゃるのですね。  戦後教育の失敗は教育勅語の廃止にある、教育勅語の復活が無理なら新たに教育憲章、だから第一は復活しなさい、それが無理なら教育憲章ということです。とすれば、あなたはやはり教育勅語というものを復活させたいというお考えをこのときにはお持ちになっておったのではないのだろうか。論理的にそうなるのじゃないのか。この問題はいかがですか。
  102. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 実は、あのときは、福田総理が教育勅語の話を方々でずいぶんされたので、ですから、私は、福田総理に、総理は教育勅語復活のお考えはあるのですかと聞いたわけですよ。そういう意味です。
  103. 木島喜兵衞

    ○木島委員 違います。「戦後教育の失敗の第二は、教育勅語を廃止したことである。」と、あなたはあなたの意見を言っていらっしゃるのです。そうでしょう。あなたの思想ですよ。
  104. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私の意見は申し上げたけれども、そのときのいきさつは、福田総理が教育勅語を礼賛していらしたから、福田総理にそういうお考えがあるのかなと思って聞いてみたわけです。  福田総理ももちろんないし、私も、国会で廃棄、失効の宣言がされたことは十分承知していますからそれは無理だと思ったけれども、福田総理が方々で礼賛していらしたから念のためにお聞きしただけです。
  105. 木島喜兵衞

    ○木島委員 こういう活字を見ましたときに、確かに、そのときのニュアンスというもの、語感というものはここにあらわれておりませんから、そう理解しておきましょう。  しからば、衆参両院におけるところの教育勅語の失効、廃止の決議は正しかったし、現在も正しいといまお考えでございますか。
  106. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 正しいと思っております。
  107. 木島喜兵衞

    ○木島委員 その理由は何ですか。
  108. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 それは、天皇制でなくなったのですから、天皇の御命令で教育の方針を決めるということは、これは民主主義に反するから、私はそれでいいと思っております。  ですから、特に今度教育課程の改正をいたしまして、内容を精選してりっぱな人間をつくろうというので具体的に指導要領が改正されたから、私はその指導要領改善に期待をいたしております。
  109. 木島喜兵衞

    ○木島委員 あのときの廃棄、失効は、一つは、教育勅語は新しい憲法の三原則、主権在民、平和主義及び基本的人権の、この三つの柱にことごとく相反するという物の考え方であります。すなわち「爾臣民父母ニ孝ニ」という、これは臣民の道徳であって、基本的人権から出ておらない。そしてずっと続いて「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」でありますから、これは平和主義ではなくて、そして「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」であるから、よって主権在民ではないという、憲法の理念にことごとく相反するということが一つの意見であります。  そして、第二は、とかく言われがちなんでありますけれども、しかし、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」というような、これらはいいではないかと言うのでありますけれども、戦前教育、上からの教化、教化主義、教化政策、画一的な教化政策が民主主義的な国の建設への障害になるということがこの失効、廃棄の理由であったわけです。  それらの理由を前提にして、両院におけるその決議を正しいとお考えになっていらっしゃるかといま私は聞いているわけであります。
  110. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は当時文部省におりまして、司令部と折衝した張本人ですが、向こうは、天皇制でやるからいかぬと言うのです。あの内容自体がいかぬとは私には言わなかった。  いまお話しの、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」「古今ニ通シテ謬ラス」「中外ニ施シテ悖ラス」と書いてあるのは、その教えそのものは間違いじゃないけれども、これは天皇制でやったからいかぬということで失効決議をされたので、一々中身のことを司令部は議論していませんでした。
  111. 木島喜兵衞

    ○木島委員 私は衆参の議決のことを聞いているのであって、司令部のことを聞いているのではありません。議決が正しかったかどうかという、その議決のことを言っているのです。  そこで、あなたの、「教育勅語の復活が無理なら、新たに教育憲章を」という、その「教育憲章」というのが具体的にぼくらはわからないのですが、どんなことを発想していらっしゃるのですか。
  112. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 まだ検討の過程ですけれども、教育基本的なものが日本教育に欠けているのはさびしいと思って、何かそういうものがあったら望ましいなという意見を申し上げただけでございます。
  113. 木島喜兵衞

    ○木島委員 教育基本法とどう違うのですか。
  114. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 教育基本法というのは、いろいろ全部書いてありますけれども、教育目的について余り明確にはなっていないので、平和で文化的で健康な国民を育成するということを書いてあります。  もちろんこれは国家のことですけれども、やはり、ある程度教育基本理念が明確になった方がいいという感じは持っていたということであります。
  115. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そこで、先ほどちょっと申しましたように、大平さんは経済中心の時代から文化中心の時代に至ったと言っていらっしゃいますが、この点に対して、大臣は、このようにおっしゃる理由についてはどのようにお考えですか。
  116. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いま世界は経済的に非常に混迷しているわけですけれども、これからの日本が繁栄するためには国際的に信頼と尊敬をかち得る日本じゃなければならない。そのためにはやはり経済中心から文化中心に入り、そして芸術、文化あるいはスポーツとか、各種の文化活動を強力に進めていき、そして日本人は文化的にすばらしい国民だという評価を得ることが国際理解の上でも必要だと私は思うのです。
  117. 木島喜兵衞

    ○木島委員 文化とは何かというのは、先ほど小島さんの質問に対して文化庁の次長がお答えになったが、あれはあれで正しいのだと思います。広義と狭義がありましょうけれども、広義ではそうだと思うのです。  そこで、大平さんも文化とは何ぞやという御答弁では、経済、物質以外の精神のとうとさ、人間関係のとうとさ、これを文化と表現したと御答弁になっていらっしゃるのでありますけれども、そういう物の考え方を施政方針演説の中で見ると、深く精神の内面に根差した生きがい等に必ずしも十分な配慮がいままでなされておらなかったと言っていらっしゃるわけですね。  だから、文化の時代というのは、深く精神の内面に根差した生きがいの中から新しい文化が生まれてくるのだというように私は大平さんの施政方針演説を見て理解するのですが、それでよろしいですか。
  118. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、それでいいと思います。
  119. 木島喜兵衞

    ○木島委員 私もその点は大変に大平哲学には同感であり、評価をするものでありますが、ただ、全体を通じて見まして、そういう大平哲学はあるけれども、それが具体的にそれではどうするかということになるとなかなかちょっと見当たらない。だから、逆に言うとすりかえではないかなんと言う人もありますけれども、私は素直に理解をしたいと思っておるのです。  そうなると、ことに文化という面においては、これはもちろん文教だけじゃありませんけれども、しかし文教はことに深くかかわっておるものでありますから、そうすると、文教政策の中でもって、文化の時代に備えて、すなわち深く精神の内面に根差した生きがいを感ずるという国民をつくる、その中から新しい文化が創造できるための国民をどうつくっていくかということが文教行政中心になるし、そのための具体的な政策というものをいまお互いに話し合い、これから進めていかなければならぬのじゃないかという気がするのですが、そう考えてよろしゅうございますか。
  120. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 まことにそのとおりでございまして、私はことしの予算を見ておりまして、たとえば放送大学の問題にしても、私学助成の問題にしても、公立文教施設——これは体育、スポーツ全部ですけれども、一般がたしか二二%ですが、文教関係は二九・七%と大幅に伸びておりますので、文教充実の予算だと私は思っておるのでございます。
  121. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今日まで経済中心の政治であったということは、文教政策もまた経済中心の時代であったと言っていいのではないか。明治から戦争までの富国強兵という「富国」は、経済中心を国是としての、その教育行政でありました。敗戦後のあの荒廃の中から、高度成長を通して、教育政策もまた経済中心教育であったということは否めなかったろうと思うのです。もちろん文化を全然無視したり否定したりしたのじゃありませんけれども、経済中心の政策であったということが言えるのじゃないかと私は思うのです。  だから、いま経済中心の時代が去って文化中心の時代をつくろうとするならば、富国強兵だとか経済の手段としての教育から、教育そのものが目的であるところの文教政策へどう切りかえるかということ、そのことによって、子供子供としての日々、大人には大人としての日々、その日々が、深く精神の内面に根差した生きがいを感じ得る日々の中から新しい文化が生まれていく。そういう立場に立っての文教政策というものを全面的に洗い直さなければならないということに大平施政方針からはなるのではないかと考えますが、いかがでございましょうか。
  122. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、やはり教育が一番大事だと思っている。総理も同じお考えですが、やはり教育は経済の根底にはなっていますけれども、私は、戦前教育がいまお話しのように経済中心だったとは思わない。やはり、戦前教育も非常に教育重視であったと私は思っている。  ですから、今後教育が伸びていかなければいかぬから、決して経済活動の手段ではなくて、人間形成が根本ですから、そうでなかったら日本の繁栄はないと思うので、やはり人物中心でやっていきたいと私は思うのです。
  123. 木島喜兵衞

    ○木島委員 それでいいのですよ。ただ、ちょっと言いますと、戦前教育はとおっしゃるのは、戦前はそれは文化を考えました。けれども、それは手段でした。国の大方針である富国強兵の手段として使われたところに問題があるのでしょう。もしそこが不合意ならば、さっきあなたがおっしゃった個人的でもまた合意の道を探りましょうけれどもね。  そこで、文化というものは、そして生きがいというものは文教だけでできるものではないのでありまして、たとえばこのごろの子供のことでも、この間あなたは家庭教育が大事だとおっしゃったが、同感であります。しかし、それはいいとしまして、ただそこで教育だけを考えるわけじゃありませんけれども、教育だけにしぼるつもりでありますが、しかし、これを一応こう考えましょうか。  経済中心の時代で、たとえば一般市民は働きます。労働します。労働は賃金を得るためであります。そういう一日一日を働いて賃金を得ておる。だが、一日一日の積み重ねが人生でありますから、その一日を考えれば、一日の八時間、三分の一は働き、三分の一は眠っておる。あとはし家庭とか余暇ですね。その三分の一は働いて賃金を得る。しかし、賃金を得るのは目的ではなく手段であります。賃金を得るのは、人生を豊かにし、幸せにし、人間が人間らしく生きるための、目的のための手段であります。その人間が生きる目的のための半分、寝ている時間を除けば半分の八時間が実は生きがいを感ずるものであるのかどうか。人生の半分の八時間というものを金を得るところの手段として働きながら、しかし、もしそこに生きがいがなかったら、人生の半分は手段目的が逆になっているということになるわけです。そういう意味で、これから職場、家庭、余暇という面でどう生きがいがあるべきかということを、教育面だけで少しお聞きしたいと思うのです。職場ということになりますと広くなりますから、教育だけで言いましょう。  たとえば教師にしましょう。教師は、先ほど小島さんがおっしゃったように、人確法によって賃金が上がりました。それで人材は確保できたという方向をたどるのでありましょう。だが、それだけで生きがいがあるのだろうか。経済中心の時代は金があるからその金を中心に来るかもしれないけれども、金を目当てに来たところの教師によって、文化中心子供たちへの接触は一体どうなるのだろうか。つくることは一体どうなるのだろうか。しかし、金を否定するのではありません一手段としては金は絶対に要るのですから、金がなければ生活がよくならないのですから、それはいいのです。けれども、それだけでいいのかどうか。とすると、働くところに、学校に行くなら行く学校の中に生きがいがあるのかどうかということが、その教師にとっても、そして教育そのものにとっても大変大事なことだと思う。それが現在どうなんだろうかという点では、大臣どのようにごらんになっていらっしゃいますか。
  124. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 やはり、教師は子供を育てるところに生きがいを感じていらっしゃると思うので、その点については、人間としてただお金をもらうだけが生きがいじゃないでしょう。  もちろん生活はしなければなりませんけれども、子供から本当に信頼され、尊敬され、一生感謝されるような教師になることが教師の生きがいではないかと私は思うのです。
  125. 木島喜兵衞

    ○木島委員 理想的な学校ということを一言で言えば、子供先生学校へ行くのが楽しみだというなら理想的ですな。ところが、現に平均的に先生方を見てみると、やや疲れておりますな。やや活力がありませんね。それにはいろいろ原因がありましょう。いろいろとありましょうが、一つは、教師が地域と子供の実情に合わせて創意工夫をするということで子供たちが発達する、その可能性を持っておる子供たちが成長していくというところに生きがいがあるわけですね。自分の努力により、自分の工夫により、自分の創意によって、ですね。  そこで、これは局長に聞きますが、指導要領の法的拘束力ですね。この時間だからいまこれを議論しようとは思っておりませんが、ただ、この間ちょっと見たら、あなた、ここに書いていらっしゃるね。これを見てみた。あなたがお書きになったたのかどうか、あまりぱっとしないね。要するに法的拘束力があるのだ。だけれども、先生により弾力的にうんとやるのですよ。労働基準法の基準というような厳しいものじゃないのですとあえて言っていらっしゃるわけですね。ただ、最後に、その法的拘束力がないと、国語や数学の時間に授業と称して全く異なる指導を行ったようなときには困るのだというようなことぐらいだ。しかし、これだけで言えば、共通一次で一番有名校の進学校なんというのは逆にみんなそういうようにやっていますな。私はいまここでこの是非を論ずるのじゃなくて、こういうことが論ぜられるところから、教師が創意工夫というものに対する拘束性や何かというものを、いまじゃありませんが、長い間に持ってきたということは一つの原因であろうと思うのです。  しかし、実態は基準や大綱がなくていいとだれも言っていないわけですね。そして非常に緩いのだと言っているのです。ただ、数学や国語の時間なのにそうでないのはいかぬのだ。これだけで言えばあなたはこう言っていらっしゃる。とすれば、極端なことを言えば、有名校がやっていることで、それはよくありません。そういうことだと、何か法的拘束力というようなことを言うところに活力を失わせている要素がありはしないのかと率直に思うのです。これは法的やその他理論的に、教育学的に言えば大変興味のあるおもしろい問題で、それはそれなりに感じますけれども、それは除きまして、実際にはそうなんじゃないかと私は思うのですが、その点、大臣、どうですか。
  126. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 今度の指導要領は基準ですから、先生方の裁量の余地はずいぶんあるのですから、私は、その基準は守ってもらいたい。その基準の範囲で、先生方の創意工夫で子供たちが本当に喜ぶような楽しい授業ができるようにしていただきたいと思う。
  127. 木島喜兵衞

    ○木島委員 私も大臣と大体同じことを言っているのですよ。ただ、そこで、法的拘束力というものがずっと長い間来たものですから、教師を内面的に縛っておりはしないのか、そこに生き生きとした活力というものが出てこないのじゃないか、一つの要素として、ですね。これをもう一回検討し直してみませんか。あるいは必要によったら法的な改正も含めて、さっき言った合意を求めたものを検討してみませんか。
  128. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 指導要領は前から基準でございますから、その中でどう教えるかということは先生方の努力で、研修して努力して、一番子供たちが学習しやすいように教えていただくのが——指導要領を読んだからといって教育にならないのです。指導要領はあくまでも基準ですから、やはり、その基準の中で、先生方が自分の努力でどうやったら子供が一番理解しやすいか、そして子供が喜んでくれるか、自分で研究すべき課題だと思うのです。
  129. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そうなんですよ。それだのに指導要領の法的拘束力というものがずっとあって来たものですから、大臣のいまおっしゃるようなことの中に十分にやれないところの要素があったんじゃないのかと言っているのです。そういうものを認めるなら少し考えようじゃないですかということを言っているのです。
  130. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 教育というのは全国義務教育ですから、やはり全国共通のものがなければいかぬ。そういう意味で基準があるわけです。その基準の中で——しかし基準だけでは教育にならないですから、各子供はみんな能力が違うし、程度も違いますから、それをどうして子供たちに理解させ、そして子供が楽しく喜んで授業が受けられるかということは先生方の手腕ですから、先生がしっかり勉強してほしいと思う。
  131. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いいです。なるたけ質問に答えてください。  家庭に入ります。家庭の中の生きがいといいましてもいろいろありますね。だが、しかし、先ほど大臣もおっしゃったように、家庭の中では親は子供中心考えておりますから、子供が幸せになるように親は願っておる。実際に子供が幸せかというといろいろ問題があるということは、先ほど小島さんも御指摘になったとおりですね。これは先ほども申しましたように、学校教育だけではないと思います。これはいろいろな理由があると思います。しかし学校教育にきわめて責任の多いこともまた事実であります。  そこで、非行だとか自殺だとかいろいろあるが、これらのことを学校教育で言えば、その最大の原因は一体どこにあるかということを大臣はどのように御理解になっていらっしゃいますか。
  132. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、学校教育では施設設備も大事だけれども、根本は先生だと思う。りっぱな先生ができるように、これが最大の課題だと私は思っております。
  133. 木島喜兵衞

    ○木島委員 大臣の先ほど読んだ参議院速記録の中で、教育の荒廃の諸悪の根源は入試地獄にあるということは私も同感なんです。入試がある。そのために受験教育に終始しておる。そのために塾に行く。遊べない。学校はテストをやって点をつけ、点によって順位をつけ、順位によって進学校を決めていく。だから、諸悪の根源が入試にあるということは私は同感なんです。  しかし、さらにもう一歩さかのぼれば、なぜ入試地獄になるかといえば、学歴社会が今日存在するからですね。学歴社会がむしろ諸悪の根源だ、学歴社会があるから入試地獄になるのだという理解もできやしないかと思うのですが、どうなんですか。
  134. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お説のとおりです。やはり、学歴社会が根源だと思います。
  135. 木島喜兵衞

    ○木島委員 時間がありませんから急ぎます。  そういう意味で、受験教育というのは子供の人権が認められないで、学校に囲い込まれて既成の価値を押しつけられる。そういう人間疎外が起こる。よく人間疎外、人間疎外と言われますが、労働者なんかが労働は人間疎外だと言いますが、しかし、学校におる子供は、いまの受験教育の中では人間疎外の最たるものではないのかとすら私は思うのですよ。子供に自由はあるのか、子供に人権はあるのかとすら思うのであります。極端な言い方でございますがね。  そこで、一つには、入試をどうするかという問題と、学歴社会をどうするかという問題とが絡んでくるだろうと思うのですが、いま国立大学の入試が始まりますから、われわれもいま共通一次等に余り具体的に入りたくないのです。動揺を与えたくありませんからね。けれども、大臣は、第一次共通テストの反省も含めて新しい制度考えると御答弁になっていらっしゃるが、この共通一次の反省とは、具体的には一体どんなことを反省していらっしゃるのか、そしてこれからどんなことをお考えになるのか、ちょっとお聞かせ願いたい。
  136. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 確かに、お説のとおりに、いまの子供は本当にかわいそうです。昔は塾なんかなかったのですよ。いま何万という塾があって、学校へ行って帰ってくるとまた塾へ行く。見ていて子供がかわいそうで、これは本当に何とかしなければならぬというのが私の考えでして、幸いに共通一次テストをやったわけですが、これは大方の評価は、試験問題も妥当だ、多少ミスもあったし、手違いもあったけれども、大体よかったと言っております。ですから、せっかくやった共通一次テストを、これを育ててやりたいと思うのです。  いまちょうど入試センターで高等学校関係者を集めて検討している最中です。しかし、まだこれから二次テストがあるわけで、二次テストにもいろいろ問題があるわけなので、全体としてはずいぶん科目数も減ったけれども、今後二次テストのあり方をどうするかということも課題でございますが、これは二次テストが済んだ後に高等学校関係者や学識経験者を入れて十分検討していいものにしたいと思うし、それから八割が私学でございますから、私学もできるだけ参加をお願いしたい。特に医学部あたりは積極的でございますが、私学にも協力してもらって何とか試験地獄を——これをなくすというわけにはいかぬけれども、何とか緩和する方向にやっていくことが日本教育を正常な姿に戻すゆえんではなかろうかと思って、私も及ばずながら一生懸命やりたいと思っておりますから、よろしく御指導を願います。
  137. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そうなんです。これから検討なさると言っても、入試の方法には、たとえば競争試験、推薦制、抽せん、あるいはあなたがいつかおっしゃった資格試験、あるいは調査書方式、面接等、そういうものの幾つかの組み合わせというものがいろいろ考えられます。しかし、考えられても、選別がある限りはやはり入試地獄になるということが多分にあるわけです。  そこで、少なくとも高等学校は入試をなくすという方向をわれわれは基本的に考えなければならぬのじゃないかと思うが、どうでしょうか。
  138. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いや、高等学校は非常に地域格差があるのですよ。地域格差があるし、それから私学に依存している者が非常に多いですから、これをなくすということは無理だと私は思う。しかし、できるだけ入試を緩和していく方向に進むべきではなかろうかと思います。なるべく推薦制を取り入れるとか……。
  139. 木島喜兵衞

    ○木島委員 大臣、いまたまたまそういう話がありましたから言いますが、憲法二十六条の第二項は義務教育を目指しておるのではないかと思うのですが、どうですか。
  140. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、それはないと思います。
  141. 木島喜兵衞

    ○木島委員 「すべて國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」とありますが、この場合の「國民」というのは「親」と考えていいですね。親は、その保護する子女に——保護する子女とは未成年を言いますが、しかし、日本の法律では十八歳以下の法律はありませんから、少なくとも十八歳までということになりますが、親は、少なくとも十八歳までは普通教育をする義務を負う。普通教育に対する言葉は高等専門教育とするならば、高等学校までの教育、義務教育は無償とする。  義務教育無償とは生存権的基本権であります。もし、今日で言うならば、中学校まで出なかったならば、それはまともな就職につけず、まともな生存ができないから、義務教育は無償とするとある。とすると、今日九三%まで行っているところの高校がやがて九八%になったならば、高校を出なかったならばまともな就職ができず、まともな生存ができないからゆえにこそ、そういう実態から考えても、憲法二十六条の第二項は義務教育を、いますぐせいと言っているのじゃありませんが、志向しているとお考えになりませんか。
  142. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私は、そこまで志向しているとは考えていないのです。(木島委員「なぜ」と呼ぶ)  いま高等学校義務制にせよとおっしゃっても、非常に地域格差はあるし……(木島委員「いや、憲法論を言っている。憲法の解釈を言っているのじゃないですよ」と呼ぶ)  憲法論ですか。それでは事務当局から答弁させます。
  143. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 憲法も法律ですから、法律の解釈として申し上げますと、「すべて國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」ということで、「法律の定めるところにより、」というので、その法律の定め方いかんによるわけですけれども、いまの小中高等学校学校教育は、学校教育法によれば、小学校初等普通教育中学校が中等普通教育高等学校が高等普通教育と専門教育というふうになっていますから、やはり、憲法のこの時点で予想しておるのは義務教育である小・中というふうに考えるのが妥当ではなかろうかというふうに私は思うわけであります。
  144. 木島喜兵衞

    ○木島委員 もう時間がありませんから議論しませんが、しかし、学校教育法七十五条は、「小学校中学校及び高等学校には、」「特殊学級を置くことができる。」とありますね。今日、高等学校に特殊学級はないのだ。しかし、法律上は小学校中学校及び高等学校に特殊学級を置くことができるのでありますから、高等学校に特殊学級を置くとすれば、中学校の特殊学級の子供はそのまま入れます。現在七%高校へ行っておらない。高校へ行っていないのは、希望していないのではなくて、一つ能力と、一つは経済的なものです。経済的なものは、教育基本法第三条の二項によって、経済の困難な者はその道が開かれる。とすれば、現在の法体系は全入の思想を持っていると思う。  それでは、実際には高等学校の特殊学級は一体どうなるのかというと、果たしてどういう問題があるかというのはいろいろあるように感じますよ。けれども、そういうものを志向していないだろうか。現在七%行っていないところの子供たちはなぜ入れないかという分析、調査がありますか。
  145. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 高等学校に特殊学級が置けるということと、高等学校のその法制は全入を予定しておるということとは別だと私は思います。(木島委員「思想」と呼ぶ)  そういう思想にすぐ結びつくとは私は考えないのです。
  146. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ただ、前々から指導要領指導要領大臣も言っていらっしゃるのですが、指導要領で、精選に弾力性を持たせるということについては、そしてゆとりあるところの子供たちということにおいては確かに大変御努力なさったと思うのですが、しかし、それじゃ満足かというと、私はちっとも満足ではありません。  学校というのは、一つは人類の蓄積したところの文化というものを、だれもが心得なければならない必須な知識というものを与えなければならない。その必須な知識の量が多いものほど社会の有用な構成員である。だから、学校というものはできるだけ多くの知識を詰め込もうとするという信念が定着していると思うのですよ。だから、皆さんが精選、精選と言ったって、各教科の専門の方々からすれば、社会が大きく変化しているんだから、大きく発展しているんだから、これはどうしても要るんだということでだんだんとふえてきたんですよ。いままでの歴史はずっとそうです。それを減らそうとしてもなかなか減らないのですよ。だから、義務教育なりあるいは全入の中で、社会が大きく変化し、発展している中で、必要な必須な知識を九年間でなくて十二年間で、そしてゆとりを持ったということも一面においては考えていいではないか。そういうことで義務制なり全入という道が開かれるならば、少なくとも高校の入試がなくなるならば、中学校高校への予備校化から救うことができはしないか。  確かに、学校というものはみんなやらなければならぬところかどうかという議論はありましょう。逆に言うならば、極端な言い方をすれば、自分で学ぶことの能力のない者だけが学校へ行くんだというような物の認識が国民の中に定着するならば、むしろ入試などはなくなるかもしれません。学歴インフレはなくなるかもしれません。今日、学歴インフレがまさに悪性化の方向にあるわけですからね。そういう大きな立場でなければ、私のいま言っているように、家庭の中におけるところの生きがいというもの、経済中心の時代から文化中心の時代へ行くというときの家庭——その家庭の中心子供であって、その子供に集中している家庭の中に生きがいがあるかというと、文化をつくるところの生きがいなど現在出てくるわけはないでしょう。そういう観点に立って考えることができないのだろうか。既存の物の考え方に立っておるならば、大平さんが大平哲学で、経済中心の時代から文化中心の時代だと言っている、そのことを文教ならどう考えるかという政策というものが、いままでと同じ考え方だったら何で新しい時代ができるのかという観点に立って申し上げているのであります。時間がありませんから、それ以上御答弁は要りません。  自治省の方がいらっしゃいますので伺いますが、今回高校の授業料値上げを指導なさいましたな。あの理由は何ですか。
  147. 柳庸夫

    ○柳説明員 御指摘のように、昭和五十三年度の地方財政計画におきまして高校授業料の引き上げを行っておるわけでございますが、これは国立学校につきましても国の予算において引き上げが行われるということ等を勘案いたしまして、また、私立学校とのバランス等も総合的に勘案いたしまして措置をいたしたものでございます。
  148. 木島喜兵衞

    ○木島委員 一つは財政的な理由ですね。教育的配慮はなさいましたか。高校の授業料というのは一体何ですか。
  149. 柳庸夫

    ○柳説明員 公の施設の使用料としての性格を持っておると考えております。
  150. 木島喜兵衞

    ○木島委員 義務教育化されておりますね。義務教育は営造物の使用料を取っておりませんね。だから、九八%義務教育的だ、準義務教育だということはもはや通念になっていますね。とすれば、なぜ上げなければならぬだろうか。下げていくのがあたりまえじゃないですか。この授業料の中には、いまあなたは営造物の使用料とおっしゃいましたが、受益者負担説あり、営造物使用料説あり、国大協は営造物使用確認料説でありますが、しかし、これはもはや特定個人の受益ではないですね。だから、下げていかねばならない中で、余り法律的な議論は言いませんが、なぜ上げなければならぬのだろうか。  さっき言ったように七%行かないという子供たちの中には経済的困難さがあるわけです。貧富の差によって等しく教育を受けるところの権利というものを阻害されてはならない。そういう教育的な配慮というものがあったのだろうか。その点お聞きいたします。
  151. 柳庸夫

    ○柳説明員 御指摘のように、進学率の上昇に伴いまして準義務化ということも言われているわけでございますけれども、現時点でもなお相当の数の子供さん方が中学卒業と同時に仕事につかれているという実態もあるわけでございます。また、高校進学者の中でも三割近くの方は私立学校に行っているという実態もあるわけでございますから、準義務制といいましても法律上の義務制ではございませんので、やはり適正な負担を求めるということは必要ではないかと考えておるわけでございます。法律上の性格は公の施設の使用料でございますが、財政的に考える場合には広い意味での受益者負担であるというように考えておるわけでございます。  なお、経済的に困難な方々に対しましては授業料免除の措置もあるわけでございまして、この点は地方財政計画上あるいは交付税の積算上も収入に見込まないということで、そういった面での配慮も十分いたしておるつもりでございます。
  152. 木島喜兵衞

    ○木島委員 多くの問題がありますが、だんだん時間がなくなりましたから簡単に聞きますが、これは文部省と協議したのですか。
  153. 柳庸夫

    ○柳説明員 しておりません
  154. 木島喜兵衞

    ○木島委員 しておらない……。
  155. 柳庸夫

    ○柳説明員 それはどういう意味でございましょうか。答弁についてでございますか。それとも計画を組む際にでございますか。——計画を組む際には国立学校も勘案いたしまして御相談をしておるわけでございます。
  156. 木島喜兵衞

    ○木島委員 上げることを文部省も了承したわけですか。
  157. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 文部省では、直接タッチしますのは、要するに国立の大学以下の学校について授業料を幾らにするか、これは予算成立の過程で検討して引き上げをするわけでございますが、それを受けて自治省では、今度は地方財政計画を定める際にどのくらいの単価で積算するかということを検討されるわけでございまして、そういう意味でわれわれとは連絡をしながらやっておる。こういうことになるわけでございます。
  158. 木島喜兵衞

    ○木島委員 国立の授業料は今回ありませんね。それと今回の自治省の通達とは大変な開きがある。教育観点教育的配慮というものが中心になって高校の授業料というものを、大きく社会が変わっているのでありますから、そして大平内閣は経済中心の時代から文化中心の時代なんだから、財政中心から教育中心の物の発想に立ってお考えを願いたいということを要望いたしまして、そっちは終わります。
  159. 柳庸夫

    ○柳説明員 五十四年度は授業料の改定考えておりませんで、国立学校に準じまして検定料と入学金の改定だけを考えておりますので、誤解のないように願います。
  160. 木島喜兵衞

    ○木島委員 次に進みます。  先ほど言いましたように、家庭の中での一つの生きがいということについて、教育の面で言うならば、その障害は一つは入試地獄だとあなたがおっしゃったことは私は同感だと申しましたし、その入試地獄というものが、あなたの言葉で言うならば諸悪の根源である。その上に学歴社会というものが諸悪の根源だろう。そこで、学歴社会というのは教育だけではどうにもならない。社会全体のものでありますが、一つは、それをどう打破するかは明治以来のこの教育全体を大転換しなければならぬことですね。そうでないと、生きがいを感じて日々を生活するということに非常な障害になっていることが事実なんでありますからね。  いろいろな説があります。たとえば人材独占禁止法をつくれという説がある。大企業や官庁なんていうのはある特定の大学だけからたくさん採りますが、そういうものを制限する人材独占禁止法ですね。あるいは国立大学卒業者から採用税を取れ、なぜならば、私立に比べて最も低負担、高サービスの国立大学であり、そしてその得たところよりもっと利潤を上げるなら、その利潤分は大衆に還元したっていいじゃないかという、そういう説もあります。あるいは年金で差別をつけろ、年金の開始時期を、中学校を出た者は五十歳から、高校出は五十五歳から、大学出は六十歳から年金の支給を開始するということにしたらどうかとか、あるいは大学の卒業証明をやめてはどうか、そしたらがらっと変わりやしないかとか、こういうような説があるが、こういう問題について大臣はどのようにお考えでございますか。
  161. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いま、文部省でやっていますのは指定校制度ですね。指定校制度は何とかやめていただいて、あらゆる者に就職の機会を均等にさせて、特定の学校だけに集めるということはやめてほしいと思うのです。
  162. 木島喜兵衞

    ○木島委員 それはあなたがいまおっしゃらなくても、もう何代も前から大臣がやっておってちっとも効果がありません。  今日、学歴社会という、この社会の弊害の根深さを考えたら、相当大きな力の発動がなかったら学歴社会という社会の解決はないんじゃありませんか。ただそれだけずっと何年も何年も願っていますというだけでいいんだろうか。
  163. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 それはお話のように多少時間はかかると私も思いますけれども、そう一遍にできるものじゃないのです。  最近になって私もよく聞いておりますのは、有名会社で聞いてみると、学校の内申書をよく見るとか、あるいはスポーツをやったことがあるかとか——指定校で入社試験なんか余りやらなくなってきた。  やはり、人物を採らぬと会社の繁栄につながらないと思うので、学歴社会もこんなことをやっていくと会社自体もだんだん困るだろうと思います。文部省は、指定校制度をやめて機会だけは均等にさせてほしいと思って、粘り強く努力しているわけです。
  164. 木島喜兵衞

    ○木島委員 指定校制度がなくなれば学歴社会は打破されるものではありません。  最後に余暇ですが、余暇には、労働における時間短縮なり週休二日制というような問題もあれば、あるいは命が長くなっただけに老齢化社会という老齢の年限、あるいは主婦が子供を昔は五人産んだのを、いまは二人になったということを含めて寿命が延びたことと、子育ての期間が短くなったことにおけるところの余暇とかいろいろある。そして国民の側から言うならば、技術革新だとか情報化社会の中におけるところの要求があるわけですから、そこに生涯教育というものがあるわけですね。  その生涯教育というものを考えるときに、およそどういう方向考えたらいいのか。どういう分類をしたらいいのか。
  165. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 ただいま文部省でも、生涯教育について、中央教育審議会の小委員会で目下検討中でございます。
  166. 木島喜兵衞

    ○木島委員 この問題は大きく分けて、一つ大学の開放だと思うのです。いつでも大学に入れるという別枠。たとえば立教がことし法学部に五%成人を入れるようにしましたね。別枠にしないと入試が困難ですからね。そういうものをどう開放するか、あるいは夜間部をどうつくるか、拡大するかという、大学に国民がだれでもいつでも入れるというシステム。それからもう一つは、生涯教育を、成人を中心にしたところのアメリカのコミュニティーカレッジのような全く新しい短大の創設。それからもう一つは、多様なテーマの多様な時間帯の、広い地域におけるところの講座の開設。大きく分けるとこの三つになると思うのです。  その大学の開放の中に放送大学もあるが、それはもう時間がありませんので聞きません。後日また聞きますが、ただ、そこで障害になるのは何かというと、行けないんです。暇がなくて休めないからなんです。どうしても有給教育休暇というものが不可欠であります。放送大学の実験をやっている広島でスクーリングごとに減ってくるというのは、スクーリングに休めないからなんでしょう。減っていくんですよ。この放送大学が成功するかしないかは、一つは有給教育休暇がとれるかどうかということなんです。そういう制度をつくるかどうかなんです。  これからの教育というのは生涯教育、生涯学習というものが世界全体の大きな一つ方向です。日本が取り組まなければならぬことですから、大臣所信表明においても、放送大学は生涯教育の中軸としてとお述べになっていらっしゃいますのはそこです。しかし、そういう生涯教育を進めていく場合において決定的な障害になるのは何かというと、有給休暇がないからなんです。それが確立されない限りだめなんです。その点についてはどうお考えですか。
  167. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 確かに生涯教育は非常に大事で、あなたのお話しのように、放送大学はその趣旨で多年の懸案であって、ことしつくることにしましたから、ぜひ御協力をいただきたい。  それから、有給休暇の件でございますけれども、御趣旨はよくわかるのですけれども、ただ、これは他の官庁との関係もありますので、私どもも今後慎重に検討してまいりたいと思っております。
  168. 木島喜兵衞

    ○木島委員 労働省の方に伺いますが、ILO百四十号条約、すなわち有給教育休暇に関する条約の批准についてはどのように準備を進められておりますか。
  169. 平賀俊行

    ○平賀説明員 百四十号条約、教育訓練休暇の条約は昭和四十九年の総会で成立した条約でございます。  労働省といたしましては、有給教育訓練休暇を与える事業主に対し五十年度から奨励給付金を交付するという制度をつくって、その趣旨の実現を図っております。  ただ、その条約の規定の内容についてはなお検討すべき点がございますので、今後検討させていただきたいと思います。
  170. 木島喜兵衞

    ○木島委員 もう時間がありませんからそれ以上質問いたしませんけれども、大臣、昨年の国会で議決いたしました兵庫及び上越の教育大学大学院の三分の二の人たち、二百人ずつは、大学を出て教師になって三、四年たった者を入れることになっております。それは現職で月給をもらって、休暇、身分、賃金が保障されて大学院二年に就学するわけであります。これはその面から言うならば完全に有給教育休暇であります。しかし、文部省は、直接教師であるからといって、教師だけでいいわけはないので、国民全体に対する教育の責任を持つところの、しかも先ほどから申しますところの生涯教育をこれから進めなければならぬ仕事に放送大学をやるというならば、この制度がなかったならば成功するわけがない。生涯教育ができるわけがない。直接教員だけじゃない。それは技術者、お医者さんも技術革新の中では、情報化社会の中では、すべての者が——教育はもはや学校の独占物ではない。そういう意味では学習社会を目指さなければ文化の時代は来ないと思うのです。  そういう中においての教育というものを国民全体のものにして文化の時代を迎えるとするならば、その制度が確立されなければならぬと思う。しかし、それにはいまおっしゃるようにすぐできない場合もありましょう。民間の給与をどうするかという問題もあります。しかし、二年なり四年なり学校に入る場合の賃金を保障する場合、休暇、身分、賃金を保障する場合、しかし賃金を保障しなくても身分だけ保障いたしましょう、帰ってきたらそのままそこへ入れましょうと、それならばまだいけます。できる人があります。そういう制度あるいは先ほど言った多様なテーマ、多様な時間帯、しかも多様な地域におけるところのいろいろな講座をやるとすれば、それは短期のものでいいわけですね。  労働省の方に伺いますが、たとえばいま基準法に有給休暇二十日がありますけれども、その上に十日間の有給教育休暇というものを新しくつくって、そして多様な講座の中に入れるというところの、そういう道を考えることはできませんでしょうか。
  171. 平賀俊行

    ○平賀説明員 労働基準法の中に使用主の義務としてつくるということはいまの段階ではなかなかむずかしいかと思いますけれども、私どもが先ほどお答えいたしましたように、そういう制度をつくって現実教育なり訓練なりを受けさせた場合に助成金を支給するという、こういう措置をとっているわけでございます。
  172. 木島喜兵衞

    ○木島委員 文部大臣、いまの問題だけで言うと、さっきから繰り返しているので同じことは言いませんが、この有給教育休暇というものを抜きにしてこれからの教育あるいは文化というものは考えられないと思うのですが、これはあなたの大臣のときに、少なくともILOの百四十号条約の批准ぐらいは労働大臣と話して実施しませんか。  全部の職場に教育大学のように二年間身分も賃金も保障してということはなかなか困難でしょうが、しかし、年間五十時間、八十時間のそういうものは保障しよう——これはその分だけ雇用が増大するのですよ。そういうことも含めて大臣の決意を聞きたい。
  173. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 上越と兵庫につきましては、教員の現職教育が大事ですから、現職教育として認めておるのでございます。  一般的に、年次有給休暇制度につきましては、これは文部省だけの問題ではないし、いろいろむずかしい問題もありますので、今後検討させていただきたいと思います。
  174. 木島喜兵衞

    ○木島委員 もう終わりますが、大臣、私は大平哲学を評価したのです。経済中心の時代から文化中心の時代へということ。それをたとえば職場だとか家庭だとか余暇だとかいうように幾つかに分けて文教の中でしか言わなかったのでありますけれども、そういうものをいままでずっと聞きますと、いままでの、すなわち経済中心の時代で言ったことと同じ延長でしか物を考えておらない。  大平内閣の閣員の一人として、そのうちの文教なら文教の中でやらなければならない責任を持つあなたなのだ。そういう発想ではどうもならないのじゃないのか。そういう現状じゃないのか。最後にあなたの御決意を承って終わります。
  175. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 労働省からも先ほど御意見がございましたが、この問題については私はまだあなたのように専門家ではないものですから、少し勉強させていただきたいと思います。
  176. 坂本三十次

    ○坂本委員長 石田幸四郎君。
  177. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 公明党の石田でございます。まず、文部大臣基本的な問題からお伺いをいたしたいと思います。  すでに二人の委員からいろいろな点についての質疑がございましたのでなるべく重復は避けたいとは思いますけれども、やはり基本的な問題でございますので、重復する点があるかもしれませんが御勘弁をいただきたいと思います。  まず、総理の施政方針演説でございますが、私がこの演説の内容を申し上げるまでもなく、いわゆる高度経済成長時代の反省を加えて、経済中心の時代は終わって、新しい文化中心の社会構成にしなければならないという点のお話があったわけでございます。そして総理は結論的にこういうふうにおっしゃった。「私は、このように文化の重視、人間性の回復をあらゆる施策基本に据え、家庭基盤の充実、田園都市構想の推進等を通じて、公正で品格のある日本型福祉社会の建設に力をいたす決意であります。」と述べられておるわけでございますが、私は、やはり中身が非常に問題だと思うわけでございます。特に、文化中心の時代となりますと、教育行政の担う責務というものはいままで以上に非常に大きなものがあると思います。したがって、公正で品格のある日本型福祉社会を建設するという問題についてもその概念を実は明確にしていかなければならない。これは総理がおっしゃった言葉でございますから、総理自身にお伺いをしなければならない問題だとは思いますけれども、今後の文化重視の時代の文教行政を担当される大臣とされて、どのような内容を持つ日本型福祉社会の建設をお考えになっているかをお伺いをしたいわけであります。  ちなみに、わが公明党は、この福祉社会という問題のとらえ方、いわゆる福祉という考え方については、旧来言われてきた公的扶助、狭い意味の社会福祉というような考え方ではなくして、やはり、人間が生きていくための主たる条件というものを包括的に福祉ととらえておるわけでございます。  その一例を申し上げますれば、たとえば勤労の問題ですが、やはり生活の基本は雇用であると考えておるわけでございます。いかなる公的扶助を受けようとも、生活の中心である収入が保障されなければならない。雇用は最大の福祉であると言われるゆえん、これを重視しておるわけでございます。あるいは生活にとって、その基盤となるものは住宅でございますから、今日の日本の状況の中で、住宅というものも、やはりこれは日本人が生きていく基本的な条件として保障されなければならないものと考えております。あるいはまたそれに伴う年金の問題、それから医療の問題、そしてまた教育の問題も、人間が生きていき、いわゆる文化人として生息していく以上きわめて大切な保障さるべき問題ではないか。このように六つの基本的な概念を柱としてわれわれは福祉というものを考えておるわけでございます。そしてそれぞれの目標値を掲げまして、それにいわゆる経済計画というものを合わせていかなければならない。  こういうような考え方に立ってこの福祉社会の建設をわれわれは考えておるわけでございますが、大臣は一体どんな日本型福祉社会を予想していらっしゃるのか、御所見をまず最初に承りたいと思います。
  178. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 石田先生の御説はまことにごもっともであります。  ただ、私は、文教担当でございますし、先ほど申しましたように教育一筋に四十年やって参りまして、やはり教育が一番大事だ、後世に残すものは教育だという気持ちから教育に一生懸命取り組んでいるわけでございますが、幸い大平内閣も教育に大変好意を持っていただきまして、本年度予算では放送大学とか、私学振興とか、あるいは育英奨学その他相当な教育施設についても改善の見るべきものがありましたので、私は感謝しておるのでございます。
  179. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 まだ日本型福祉社会の構想がまとまっていらっしゃらないのかもしれませんけれども、ぜひこれは大臣としてもお考えをまとめていただけば幸いだと思います。  私は、今年度予算を拝見いたしまして、また、大臣所信表明演説等もお伺いをいたしましたけれども、確かに今年度予算の中においては見るべきものもございます。放送大学の問題も、その中身はともかくとしまして、その発想というものはきわめて特徴のある打ち出しであろうと思うわけであります。しかし、その他の問題については、従来の教育行政の延長という点も無視できませんから、むしろそういう面への配慮というものがかなりある。あるいは私学の問題、奨学金の問題等、かなり伸びております点は決してけなすわけではありません。評価をいたすわけでございます。しかし、いわゆる昭和五十四年度が経済成長重点から文化重点という一つの転換期にあるとすれば、これは積極的な教育文化行政のあり方というものを、もう一遍大臣の心の中から広く日本国民全体に呼びかける必要があるのではないかと私は思うわけです。  予算措置としては、これは大平内閣が発足して間がないわけでございますから、特徴を出そうと思ってもなかなか無理な点もあろうかと思いますが、しかし、いわば日本社会の歴史の転換期ともいうべきときに差しかかっているわけでございますから、少なくとも来年度の施策においては、こういった総理大臣のおっしゃっている意味、また、それに伴う教育行政の本格的な特徴が打ち出されてこなければならないと私は思うのでございますが、大臣の御決意のほどを承りたいと思います。
  180. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お話のとおりでございまして、日本は資源がないわけです。あるのは人間だけですから、これが本当に国際的に信頼と尊敬をかち得る日本でなければならぬと思って、及ばずながら私も全力を傾けたいと思っていますが、不十分な点はひとつおしかりをいただいて、これから改善してまいりたいと思います。  確かにいろいろな面において教育の転換期だと私は思っていますから、指導要領の改正もいたしました。大学改善もいたしますが、おっしゃるとおり転換期だと思っておりますから、いろいろな面でこれから経済から文化中心の時代に移るのにふさわしいようにいたしたいと思っております。
  181. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 それではその問題はそのくらいにいたしますが、ただ、私は、ここで言う人間性をあらゆる施策基本概念に据えようじゃないかという総理の呼びかけを大変高く評価するわけなんですけれども、これは当初公明党が衆議院、参議院におきまして人間性の問題を取り上げたときに多分に嘲笑的な批判をいただいたことがございます。しかし、それがいまや社会の大勢となってきたことについて、私どもも喜んではおるのでございますけれども、では、一体その人間性というのは何なんだという突き詰めた議論というものは残念ながらこの国会の中では行われていないわけですが、この文教委員会等において、これらの問題についてより深くいろいろな方々の御意見を伺いながら、どんなことがいわゆる人間性なのか、また、人間が生きていく目的は何か、人間が生きるのは何のためなんだというようなことも、これからの教育考えるためには大いに議論すべき問題ではないかと私は思っているわけでございます。これだけ私の意見を申し上げまして、次の問題へ進むわけでございます。  今日の教育の現状を見ますと、どうしてもまず最初に出てくるのが受験地獄ということでございます。これは小学校中学校高校大学というふうに一貫した受験地獄体系と申しますか、そういうものが存在するような気がしてならないわけでございます。そこには大変没個性的な学習体系が同時に組み込まれてしまう。こういう体系の中に派生してきた教育産業というものも、考えてみますと、この教育産業の肥大化というものも決して喜ぶべき現象ではないと実は思っておるわけでございます。こういうような問題をどこから解決をしていくか、これは非常にむずかしい問題だとは思うのでございますけれども、そういった意味においては、教育本来の目的というものをもう少し体系化した形で国民にわかりやすくアピールできなければいかぬのではないかと思います。いろいろな形の答申もございますし、いろいろな御意見があるのでございますけれども、できればもう少し簡素化した、圧縮した形が望ましいのではないかと思います。  それから教育行政のことでございますけれども、その教育目的達成のための手段としての教育行政だと私は考えておるわけですが、その中で一番軸に据えなければならないものは何かというふうに考えてみますと、先ほどの人間性の問題を取り上げますけれども、やはり人間の中身を、情操の問題にいたしましても、知識の問題にいたしましても、知恵の問題にいたしましても、あるいは哲学の問題にいたしましても高めていかなければならないわけで、そういうものを手助けしていくのが教育行政の立場であろうと思うわけなんでございます。そういうことからいきましても、人間というものは、生涯教育という言葉で呼ばれておりますけれども、私は、むしろ、生涯教育というよりは生涯学習というものの考え方でなければいけないのじゃないかというふうに思っておるわけでございます。  そういった意味で、生涯教育立場からいろいろな問題がまた派生して考えられるわけでございますけれども、やはり、子供のころから大人に至るまでの学習の中での試験地獄体系というものはどうもぐあいが悪い。人間性を非常に抑圧するような教育結果、学習結果と申しますか、そういうものも派生的に出てきていますので、先ほども話に出たのでございますけれども、まず、学歴主義の廃止の問題ですが、これには二つの方法が考えられるわけでございまして、やはり、雇用のときの指定校の廃止問題。これは先ほども出ておりますが、企業は当然企業の体質からいって人材を求めるわけでございますが、先ほども大臣からそういう答弁があったのでございますけれども、これをどういうふうに効果あらしめるか。大臣の御答弁でございますとそう簡単にいく問題ではない。それは私もわかりますけれども、ただ口で言っているばかりではだめで、やはり対抗手段を講じなければならぬわけですね。早い話がペナルティーという方法もあるでしょう。それが正しいかどうかは別としてですね。  しかし、確かに企業は人材を求めるという一つの特質を持っているわけですが、私は先ほどの御答弁の中で大変不満を感じましたものは、特定の企業群と申しても差し支えないと思いますけれども、あるいは多数の企業群と言ってもいいかもしれませんが、しかしそれは社会全体ではないので、仮にその多数の企業群がわがままのために、自分たちが繁栄せんがために社会全体をゆがめているとすれば——私は現実はそうだと思うのですけれども、これはやはり社会全体の力で直していくべきが至当ではないか。これがいわゆる受験地獄体系を解消していく大きな問題点の一つであることはだれ人も否定できないのではないかと私は思います。  そこら辺の対抗手段、あるいは大臣が希望していらっしゃる方向についての具体的なやり方というものをもう少しお示しいただけないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  182. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いまお話しのように、一番の問題は受験地獄であります。塾とか、いまの受験産業なんというのは昔はなかったのです。こういうものが繁盛しているいまの日本を見て、いまの子供たちはかわいそうだと私は思う。そういう意味で受験地獄を何とか緩和したいというので共通テストを始めたわけなんですが、これも今後改善してよりよいものにしていきたいし、それからその根本はいまお話しのような学歴社会で、学歴社会の中心になっているのが指定校制度ですから、私はこのごろ実業界の方とよくお話ししているのですけれども、やはり指定校制度というのはよろしくないとおっしゃっている。  だから、そういう採用をする場合に、いままでのように指定校で試験をするよりも、やはりスポーツをやった子供とか、内申書でよくやってみるという意見が大分このごろふえてきたので、私はこれから産業界によく話して、いまお話しのようにそういう指定校制度を極力やめていただくように努力してまいりたいと思うのです。これは多少時間がかかるけれども、ひとつ御協力をいただきたいと思うのです。  それから、行政で何が一番大事かというお話ですが、私は、やはりお話のように人間性回復だと思う。このごろ本当に人間がエゴイストになっちゃってかわいそうだと思うのですよ。自殺が多くなるし、何としてもやはり人間性回復だということで、その意味でこのたび文部省指導要領改定をいたしまして、人間性豊かな教育をしよう、そしてむずかしい問題を避けて、基礎的、基本的な問題にしぼって、そして活力のある人柄のいい人をつくろうというところに変えましたばかりですから、これから教科書も変わると思いますので、いましばらく経過を見させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
  183. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 大臣のお話はわからぬわけではないのです。私も基本的な話としてはそうなると思いますが、いま私が求めているのは、具体的にたとえば文部大臣が指定校問題について、それぞれの経済界の首脳あたりと懇談会をやるとか、何かやはり積極的な施策方向に歩み出さぬことには片づかないということを申し上げるわけです。あるいはこういう問題が閣議決定になじむかどうかわかりませんけれども、こういう問題を閣議にかけてみるとか、あるいは総理大臣と特別にこの問題についての話し合いをするとか、何かやはりアクションを起こさないことには世間ではわからない。世間がわかれば、そのことによってやはり国全体がそういう方向を望んでいるのかということはわかってくるわけでございますから、その具体的な行動をひとつお願いをするわけであります。  それから、もう一つの問題は、やはり有名校に入ろうと、学歴社会の通弊からそういうふうに来ているわけですが、これも特に言われている問題は、欧米諸国においては入りやすくて出にくい大学というところがたくさんあるのだ、日本もこの問題を考えなければいかぬじゃないかという議論はずいぶん出ているのですけれども、しかし、この問題は絶対進まない。那辺に原因があるのか、あるいはこういう方向へ歩むことがきわめて困難、不可能なのか、そこら辺の御認識はいかがでございますか。
  184. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いまお尋ねの点は、経団連その他経済界の代表に私も会ってお願いしようと思います。  先般経済四団体の代表を自民党でお招きして、大臣も出まして、私も出て皆さんにお願いしたことがありますから、これは行動で示したいと私も思っております。  それから、いまお話しの第二の点の入りやすく出にくいということ、これは私は非常にいいと思うのです。昔、理科大学あたりでは入るはやすく出るはかたしで、天野さんの独協もそうでしたよ。なるべく入るときはやさしくして出る方をむずかしくする。これは非常にいい制度なんですけれども、現実の問題としてたまっちゃってどうも困っちゃって、それで学校経営上困るので余りやっていませんけれども、御趣旨はよくわかるし、私はそういう大学がふえてくることを期待しているのです。
  185. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 生徒がたまっちゃって困るという話も私はよくわかりますけれども、現にいま大学七期生という人がおるのを私は現実に知っておりますが、しかし、そこら辺もこれは日本の国全体というよりは、むしろ父兄の負担という意味から考えても非常にぐあいが悪いわけでありまして、またやはり大学生の自覚を求めていかなければいけないと思うのですね。いわゆる大学は私立大学が多いわけですけれども、そういう私立大学の経営について、あるいは考え方についてタッチしないといえども、こういう問題について積極的に議論することは決して不可能ではないと私は思うのですね。  こういうことを放置することはよくないと私は思うのです。要するに、社会全体にいろいろな意味での規律を求めていかなければならない時代に来ているわけですね。何でも枠へはめるというのはよくありませんけれども、しかし、人間としての責務は明確にしていかなければいけないのではないか。現に、私たちの時代は戦後経済的にも大変貧しい時代でございましたから、親に負担をかけることができないから、何が何でも四年生で卒業しなければならないとがんばってきたわけです。時代が変わったから、親が甘いからという状況を放置していくことはいささかどうかなという気がしてならないわけです。これもひとつ具体的な問題をお考えいただきたいと思うのです。  それから次に、教育環境整備の問題で、御存じのとおり日本の国土は非常に狭いわけですね。特に大都市になりますと人口急増地帯ということになっておりますから、小学校中学校高校が圧倒的に不足しているという状況がございます。この日本の国土利用計画という問題について、国土庁に任せっ放しというのは考えものだと私は思っているわけです。  というのは、総理の施政方針演説にもありますように、田園都市計画あるいは文化的な社会生活ということを考えてみますと、あるいは生涯計画、教育環境整備というものを考えてみますと、文部省独自のそういう計画があってしかるべきではないのかと感じられてならないわけです。これはちょっと大ぶろしきを広げるかもしれませんけれども、日本の国土だけで教育環境を考える必要もないのではないか。あるいは言い方は失礼かもしれませんけれども、後進国等においてはお医者さんの不足に悩んでいる国は幾らでもあるわけで、そこに外国との協力を得て、そういうものの技術輸出といいますか、学問の輸出といいますか、そういうような形をとるなり——あるいは大臣のところにも大変要望が来ていると思いますが、諸外国を回ってみますと、日本人学校の充実について、日本政府に、予算をつけてくれ、先生を何とか探してくれないかという話があるわけで、ここら辺の問題だって、外国の協力を得ることができれば海外協力の非常に大きな実を上げることができる。たとえば中学高校先生を現地に派遣して、一年なら一年担当させるということも語学の修得にとっては大変有意義な効果を生むのではないかと私は思うのです。  そういった意味で、日本の国土計画、教育環境整備という立場からもそういうものを考えてみる必要があるのではないか。もちろん国土庁はやっているわけですから、それはそこで一つの案はあるでしょうが、その上にもう一つ投資的に、いわゆる文教政策の上から考える。文化的な政策の上から考えても、国土計画というものはこうなければならぬという投資的な図面を重ねてみても一つの大きな効果が出てくるのではないかと私は思うのですが、いままでのものになじまない質問かもしれませんが、御意見がありましたら伺いたいと思います。
  186. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 大変示唆に富んだ御指摘をありがとうございました。私も、田園都市構想の中でもっと伸び伸びとした学校をつくったらいいと思います。  私、先般徳島県の鳴門へ行きましたら、鳴門では、あの狭いところですがりっぱな校舎ができて、どうしてこんなに金があるのかと言ったら、市長さんが競艇の金三十何億を全部教育につぎ込むのだと言うわけで、私は非常に感心したのですが、やはり、田園都市として教育環境を整備することが非常に大事だと思うのです。  それから、いまお話しのように外国へも行くことも大事だと思うし、向こうから呼ぶことも大事である。ことしは日本先生方も大体五千人近く外国へ行かせますので、外国との交流を盛んにして国際的な日本にしたいと思って、そういう意味で環境整備を一層推進してまいりたいと思います。
  187. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 この議論をしておると切りがありませんので、一応このくらいにしておきたいと思うのですが、次にお願いをしたい問題は、政府は今度五十四年から六十年にかけての中期経済計画をお立てになっておられるわけでございますが、この「新経済社会七カ年計画の基本構想」の中に、公共投資累積額が二百四十兆、年率実質六・五%の伸びというようなことになっております。その中の文教部門は二十兆八千億ぐらいになるだろうというふうに言われておるのです。  まず、経企庁の方にお伺いをしたいわけですが、新聞の評価を見ますと、この部門別配分を見ると、厚生福祉、文教、環境衛生などが五十四年度以降の重点施設として、配分率は五十一年から五十五年までの五カ年計画よりふえている。これに対して道路、港湾、鉄道などの産業基盤整備というものは、安定成長時代に入るから配分率が落ちていることが目立っているというような評価を与えておるわけでございますが、経企庁はこの評価が正しいとお思いですか。
  188. 御巫清泰

    ○御巫説明員 ただいまお話しがございましたように、二百四十兆の公共投資を五十四年から六十年までの七年間に考えておりますけれども、その中でいわゆる生活環境部門と言われておりますもの一これは必ずしも分類としては正しくない面もありますけれども、一応そういうものを生活環境部門と申しますと、前期計画では二八・八四%でございましたけれども、これが今度の計画では三〇・五四%とかなりシェアを上げております。したがって、その点では生活環境部門がかなり充実されるというふうに考えております。
  189. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 この文教予算の中には、学校設備、学術施設、社会教育設備、社会体育設備、文化施設等が含まれておるわけですが、文部大臣は、この中期経済計画について、この部門で想定されている二十兆八千億に対してどんな評価をお与えになりますか。
  190. 鈴木勲

    ○鈴木説明員 この中期経済計画におきまして、ただいま先生から御指摘がございましたように、従来は百兆の中の六・五五%でございましたものが、今回におきましては二百四十兆円の中の八・六七%でございまして、これはただいま経企庁の方からも御説明がございましたように、教育環境並びに今後ふえてまいります生涯教育あるいはスポーツ、文化環境等を含めまして、今後の将来にわたる文教政策の基本にかかわりますような投資部門をかなり配慮いたしまして認めていただいたものと考えております。  したがいまして、この枠の中で所要の教育計画を進めまして、施設整備とかいろいろな施策を推進してまいることが十分にできるのではないかというふうに評価をしているわけでございます。
  191. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 この計画の伸び率に対して文部省は高く評価をしておられるわけで、まあ当然なことだと思います。  さて、これに対して大蔵省の方から財政収支試算が、やはり五十四年から六十年度のものとして国会に提出をされたわけでありますが、これにはいろいろな前提条件がありますね。赤字国債発行を五十九年度においてゼロにしたい、名目成長率は一〇%強、それから六十年度の租税負担率が国民所得比で二六・五%程度、そういうような前提条件があるので、この財政収支試算に対していろいろな意味での批判があるわけでございます。  私がこの中で問題にしたいのは、六十年度の歳出規模は、経常部門の五十六兆三千八百億、投資部門の十五兆七千八百億、合計七十二兆一千六百億なんですが、この状況を見ておりますと、国債費を除くところの福祉とか文教などの経常経費が年平均九・九%増というようなことでありまして、ことしの予算あたりから見ても大幅に伸び率が減っておる。特に、この五十四年度予算もきわめて抑制型の予算であると言われているのですけれども、それよりも平均がかなり減っておるわけですね。私は、実はこれは大変問題だと思っているわけです。  というのは、大臣施設というものは確かに増改築、特に改築とか建てかえですか、そういうものが必要だということはわかりますけれども、しかし、二百四十兆の中で二十兆八千億もこれからふえていくんですね。これは絶対量がふえていくというわけですね。ところが財政収支試算によれば、経常経費では伸び率がだんだん減っていくんだというのです。そうすると、たとえば学校を建てる場合、学校はふえていってもいわゆる学校先生は、これは収支試算の方から見れば伸び率が減っていくわけですから、その他の施設においても同じことで、そうすると将来だんだんギャップができるんじゃないか。私はこう思っているのですよ。  これについて、私の批判が当たっているかどうか、まずこの点のお考えをちょっと大蔵省から伺っておきたいのです。
  192. 伊藤博行

    ○伊藤説明員 お答え申し上げます。  財政収支試算の性格あるいは手法については先生御案内のとおりでございますが、若干繰り返しになろうかと思いますけれども、これは先ほど企画庁の方で御説明になりました中期計画、今回は「新経済社会七カ年計画の基本構想」というような名称になっておりますけれども、そこで描かれております経済あるいは財政のマクロ的な姿を手がかりにいたしまして、それを一般会計に翻訳するという形で作成しております。  それで、その私どもの財政収支試算の作法の手法といたしましては、個別経費を積み上げていくというやり方ではなくて、経済計画の諸指標を手がかりにしてマクロ的に推計するという形で推計してございます。それで、この中期財政収支試算の性格といいますのは、言うなれば経済計画が中期的な展望を考えるということと軌を一にいたしまして、財政面での中期的な、言うなればマクロ的に見た財政が今後どうなるであろうかという点を見ることに主たるねらいがあるわけでございます。  したがいまして、先生の御質問にございますように、文教関係の経費はどうなっているか、あるいはその他の個々の経費がどうなっているかという形での積み上げ計算をやっておりませんので、これはこの試算の作法、つくり方からくる問題でございますけれども、言うなれば、マクロ的な手法から出てきているものであるという点についての御理解をいただきたいというふうに思います。
  193. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 ありがとうございました。大蔵省、経企庁、結構でございます。  さて、大臣、私は、この財政収支試算について大変批判的な立場におる。予算委員会でうちの書記長がやったことをお聞き及びだと思うのですけれども、これは九兆円からの増税が前提条件になっておりますから、まあ、五十五年度から五十九年度までの間に九兆円の増税ができるかどうかという問題もありましょう。それから、一般消費税だけでこの増税を求めるのか等のいろいろな手法が問題になりますので、それだけでも私は問題だと思っているわけです。  しかし、いま私がそういうような批判を持っているといたしましても、政府の方はそういう試算を出してみたのだ、その前提に立っているのだ、こういうふうにおっしゃっておるわけで、これでいきますと文教予算等は九・九%の伸びと、いままでより大幅に経常経費が少なくなるわけですね。これに対してどうですか。どういう評価をお与えになりますか。
  194. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いまお話しのようにこれは試算でございますから、実際の予算の編成に当たっては、文部省としては経済から文化中心の予算ですから最善の努力をしてみたいと思います。
  195. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 そうですね。いまお答えになったように、これは毎年の財政計画とは違いますので、その年々の政策、それから財政の組み方によって数字は当然変わってくるわけです。しかしながら、政府がこういうような態度でいるということは、ギャップだけでなくて、文化政策、文化重点の新しい日本型福祉社会と言いながら、公共投資部門はふえておっても、人間のいろいろな生活、特に教育、文化に関する生活、そういうものの予算は残念ながらだんだん狭められていくというような方向を示唆していることは間違いないわけなんです。これはこのままでは大変なことになるのですね。基本的な政策と実際の経済の示している方向、財政の示している方向は違うわけですからね。  文教担当の大臣としては、これに対して本当に抵抗してもらわなければいかぬ。来年度の予算編成に当たっても、大平総理大臣がおっしゃった方向が大いに盛られた歳出予算を組んでもらわなければならぬわけで、もう一度御決意のほどを伺いたい。このまま認めたのじゃどうにもならぬ。
  196. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いまお話しのように、これは試算でございますから、これが予算の方向に影響を与えることは私もよく承知しております。しかし、文教重視のたてまえから見ると、私どもはその年の予算編成に当たって最善の努力をしてみたいと思いますから、よろしく御指導を願います。
  197. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 この問題は来年度予算のところに明確に出てくるわけでございますので、格段の御努力をお願い申し上げたい。御要望だけ申し上げて、これは来年の議論にすることにいたしましょう。  次に、私学の問題について若干お伺いをいたしたいわけでございます。  私は、この私学の問題で、いわゆる私学、特に私立大学の経常費総額に対する経常費の補助金の割合がこのところ急速に伸びている点について高く評価するわけでありますが、ただ、政府の補助がふえているわりに、学生が負担すべき納付金については公立と私立の格差が広がる一方でありますし、この経常費の助成が学生納付金の短縮、いわゆる父兄負担の軽減にどうもつながっていないように思うのです。これはもちろんいままでの経過もありますから一遍にいかないことはわかりますが、少なくとも五十年度あたりからは——五十年度は二一・〇%でしょう。五十一年度は二三・五、五十二年度が二五・三、五十三年度が二八・五、五十四年度は三二・四ですから、三分の一まで補助する情勢になってきたわけでしょう。それなのになぜ父兄負担の軽減の方向にはこれがつながっていかないのか。  一体文部省はこの点をどう分析していらっしゃるのか、また、これらの問題が連動しないのはやむを得ないというお考えに立っているのか、あるいは当然父兄負担の軽減の方向につながっていかなければならないが、またどこまで助成すればそれはつながっていくとお思いになるのか、この辺の御見解をひとつ承りたい。
  198. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 ことしも御承知のとおり私学の助成については相当大幅にふやしたのですけれども、なかなか父兄負担が軽減できない。恐らくお話しのとおりです。  その原因はなぜかというと、人件費が上がる。物価が上がる。人件費と物価と、それから学校によっては教員の新しい採用等がありますから、その面で負担がふえていくことはやむを得ないのですけれども、これに対しては、一方において私学振興助成をふやすと同時に育英奨学事業を大幅にことしもふやしていく。それからさらに困っている子供には授業料の減免の措置も講じておりますので、なるべく父兄の負担の軽減を図っていきたいと考えております。
  199. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 大臣、それはちょっと方向が違うのじゃないでしょうか。それは単なる父兄負担の軽減、そちらの方向からの問題あるいは学生の納付金の軽減という問題からは確かに奨学金の増額というものはつながってぐると思うのですよ。しかし、この私学助成の問題は特に五十年度以降見るべき数字になってきているわけでして、もう一つ短絡につながってこなければならないのじゃないかと私は思うのです。  それは確かに学校設備を拡大する、物価は上がる、人件費が上がるというふうにおっしゃいます。大学先生も充実しなければならないが、それは個々の大学の事情でありまして、だからといって大学はどこまでも経費を使っていいという理由にはならぬわけでありまして、それはそういうとらえ方ではまずいのじゃないかと私は思いますよ。もう一度御見解を承りたい。
  200. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 私学振興助成法は経常費の二分の一を目標に補助をふやしておる。だんだんその趣旨に沿っていまふえておるわけです。それからいまおっしゃったように育英奨学制度、これはこれでやっていく。それから授業料の減免措置等もやって、父兄の負担をなるべくふやさないように文部省は最善の努力をしております。  詳しくは局長から……。
  201. 三角哲生

    ○三角政府委員 ただいまの石田先生のお話のように、経常費助成と申しますか補助金、これは必ずしも授業料等の負担の軽減と直接にリンクするという仕組みにはなっておらないわけでございます。ただ、私どもは、私学振興助成法の趣旨に沿って、ただいま大臣が申されましたように、教育、研究にかかる経常費の二分の一以内を目標としておりまして、同法の目的の中にも負担軽減ということがうたわれておるわけでございます。  それで、本年度は、先ほど御指摘のようにかなり多額の経常費補助金を確保いたしましたので、大学につきまして、対経常費総額推計額の比率として四%かさ上げをするという予測が立てられておるわけでございます。一方におきまして、私学の学生納付金が、先刻文部省の方で調査いたしました中間の報告で、大学の昼間部で一三・一%のアップということになってございます。ただ、このアップというのは、大多数の者につきまして、五十四年度入学者の初年度の納付金についてのみ適用があるというのが通常の納付金の姿でございます。その後四年間はその額が据え置かれるという姿でございます。したがいまして、学生総数で平均値をとらえましたアップ率は四%台という数字になるわけでございまして、このアップ率につきましては、近年の経常費補助金の増額に伴いまして、先生指摘のようにかなり増額をしてまいりましたので、鎮静化の方向にあるということは言えるかと存じます。  明年度の大学学生定員一人当たりの経常費の補助金は学部を平均いたしまして約十八万円弱になりますので、その分は当然学費負担の方に寄与しておると私どもは見ておりますが、先ほど大臣からも申されましたように、私学の経費の中には経常費以外に施設費等もございますし、さらには従来の実員をさらに減らして教育効果を上げるといった努力でございますとか、教員の増を図るといった努力もする学校があるわけでございまして、これは個別の大学の事情であることは先生指摘のとおりでございますが、そういった要素もございますので、簡単に経常費助成の伸びと学費の軽減のぐあいとをパラレルに論ずることはできないということでございますが、鎮静化の方向になっているというふうには見てよろしいのではないかというふうに考えておる次第でございます。
  202. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 私の質問の整理の仕方が悪かったかもしれませんが、先ほどの大臣のお話を聞いていまして、いわゆる大学を充実することで、特に私立大学は、公立大学が少ない関係もあり、今後の高等教育の中でも今日でも大きなウエートを占めておるし、将来はそれにまた期待もしていかなければならぬという状況もあるわけですから、そういった意味での経常費補助は大変結構なんでございますけれども、法律によって二分の一に決められていることは私も承知しておりますが、ここら辺までいけばほぼ目的は達するというようなお考えでしょうか。そしてまた大学のそういった維持、発展のためにこちらの方の経常費の補助は積極的にやっていく、これはこちらで助けていく、学生の方は納付金等の軽減については奨学金の方向でやっていく、両方かみ合うわけですけれども、主力はそういう方向でやっていくという意味ですか。その点ちょっと明らかにしてください。
  203. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 御説のとおり、私立学校の経営を楽にさせるには経常費の助成をすることと、それから建築等については私学振興財団からの援助もあるわけでございますが、しかし、今度は学生についてはできるだけ授業料を安くするとか、負担金を少なくする、それでもなお賄えない場合は育英奨学事業とかあるいは授業料の減免措置とか、そういうことで処置してまいりたいと考えています。
  204. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 それにしてもなお問題が残ると私は思うのですね。  文部省から御提出をいただきましたある有名な私立大学の、これは工学部ですが、五十四年度の納付金というのは九十一万円なんですね。いま全労働者の平均賃金はどのくらいか御存じですか。ボーナスを入れて二十万ちょっとでしょう。これは四カ月半ですね。そうすると、これは平均的な労働者はとても有名な大学にはやれないという経済状況になる。そういう実態を物語っていると思うのですね。これを何とかしないことには、いわゆる高等教育というのは高額所得者の子弟を学習させるところというふうにだんだんなりかねないですね。では公立の方は一体どうかというと、非常に競争率が高いものですから、もう中学の時代から月に何万円という教師をつけて、そして高等学校を卒業するまで六年めんどうを見なければならない。そうしていったら、中位家庭にあるところを判断してみると、そんなことはできっこない。  そうすると公立もだめ、私立もだめ、これでは高等教育というのはお金持ちの子弟しか入れないところというふうにだんだんなりかねない。現にそういう傾向があるわけですけれども、ここら辺の問題を今後どう解明されようとしていらっしゃるのか。基本的な問題でございますので、お伺いをいたしたいと思います。
  205. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 お話のように、国立、公立の学校に、授業料は安いけれどもなかなか入学が困難なことは事実でございます。私学も、経常費の助成もやっていきますけれども、だんだん負担が重くなっていることも事実でございます。  その場合に、とり得る道はやはり育英奨学の道だと思っております。あるいは授業料の減免の措置とか、要するに子供たちが余り就学に困らないように文部省の最善の措置を講じたいと思っております。
  206. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 最善の措置と言われるとこれは申し上げようがないわけでありますが、しかし、現実の庶民の生活ということを考えてまいりますと、もう少し方策を講じなければいけないのじゃないかと私は思うのです。先ほど生活費を含めたそういうような奨学金のあり方のお話が出ましたけれども、現に先進国と言われるような国々は、これはかなり積極的にやっていますね。日本のような低率じゃない。ここら辺の問題ももう少し考えようがあるのじゃないかと思うのです。この問題は細かい議論になりますからまた次の機会に譲りますけれども、もう一歩突っ込んだ施策を講じていただきたいと思うわけです。  それの一助にもなるのじゃないかと思うのですが、私は文教委員になったのが四十二、三年でございますから、もう十年空白があったわけです。そのときに税制の問題で教育費控除という問題を大臣に御要望したことがあるのですが、文部省としてはその当時かなり前向きの検討をされておったのでございますが、大蔵省の方でどうしてもこれは一つの差別になりはせぬかという問題で、文部省の取り入れるところとなりませんでした。しかし、私は、教育という問題はそういう短絡的な考え方ではだめだと思うのですよ。本当の教育効果というのは、われわれが生きているうちに出てくるなんということを考えるようなことでは本当の意味教育施策にはならぬのであって、今日日本がこのように発達、発展しているのは、やはり明治の初期、大正にかけての教育への力の入れ方が今日の日本の社会の発展をもたらしてきたと言われておりますけれども、それは事実だと思いますよ。やはりそういうような長期的な考え方に立ってやらなければいかぬのであって、多少不公平がそれでできたとしても、私は、こういう問題は積極的に取り入れるべき研究をしなければならぬと思う。  ただ、私がそんなことを言うときわめて単純方式を考えているように思われますけれども、そうじゃなくて、いろいろ考えればやり方はあると思うのですよ。やはり、文部省としてこれを積極的に推進しようという気持ちにならなければだめじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  207. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 ただ、いま時期が余りよくないのでございまして、ともかく税収がなくて消費税まで取ろうというようなときですから、私は、やはりなかなかむずかしいと思うのです。  そこで、私どもとしては必要な経費だけはどうしても取らなければならぬと思う。いまお話しのように減税までいけばそれは一番いいのですけれども、それができなければやはり必要経費だけは確実に確保する。これをことしもやりましたが、今後も一層推進してまいりたいと思っています。
  208. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 そうですか。わかりました。この辺の問題はこれでやめましょう。  もう一つ高校の転入問題で、これはできるのじゃないかなと思っているのですけれども、実は、別に私はお役人にごまをするわけじゃないのですが、いわゆる役所関係にしても、民間会社にいたしましても、しばしば転勤があるわけですね。そうすると、東京都の公立高校へ入っている子供さんがお父さんと一緒に転地をしなければならぬという場合、現地の県立高校にはなかなか入れてくれないのですね。私立高校へ入らなければならない。これも途中編入ですからなかなか困難なんですけれども、これは日本の社会の体質として、企業の体質として、転勤は避けられませんね。私は、これは相当な数になると思うのです。いま具体的な数字を持っていませんけれども……。  これは全国的に動くのですけれども、一つ学校でそんなに大ぜいになるわけじゃないのですね。二十人も三十人も編入させなければならぬという問題じゃないと思うのですよ。ここら辺は何とか考えられないものですか。そうすると結局子供は一緒に連れていけないから東京に置いていく、経費は倍かかるということで、転勤する人たちは非常に悩んでいるんですね。ここら辺の問題は何とかならぬでしょうか。とっぴな質問になりましたけれども、どうですか。(発言する者あり)
  209. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 まことにごもっともな問題で、私も、親が転任して、学校に余裕があればお話のように進学させてやるべきだと思うのです。  ただ、いま高等学校は地域差が非常に大きいんですよ。急増地域がたくさんあって、急増地域はなかなか困難ですが、そのほかに高等学校私学に依存している部分が非常にあるからなかなか御期待に沿えないのですけれども、私は、親が転任した場合には公立学校でできるだけ受け入れてあげるように努力するよう指導してまいりたいと思います。
  210. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 不規則発言がございまして、指導したからってそう簡単にいくかいという話があるんですけれども、実は、私もしばしば相談の対象になりますので悩みの種なんです。これはぜひそういう効果のある指導方法を考えていただきたい。御要望を申し上げる次第でございます。  それから、先ほどの話に戻るのでございますけれども、大学で納付金のスライド制をとっているところがありますね。物価等の引き上げによってスライド制を考えているところがあります。ただ、これについては、いまのスライド制並びに授業料、納付金のアップも連動して考えなきやならぬのですが、これもかなり高い率で上がっていくわけです。消費者物価に連動しろとは申しませんけれども、これは物価引き上げの要因の大きな一つとは言いませんけれども、やはりそこら辺もしっかり考えながら進んでいかないと物価の引き上げに歯どめがかからぬわけでありまして、ここら辺をもうちょっと考えようがないのか、対策はないのかということを思っているわけですが、このお考えを聞かせていただければ幸いであります。
  211. 三角哲生

    ○三角政府委員 石田先生も御承知のように、私立学校の授業料等の学生納付金につきましては、ただいまの制度の上では国が直接これを規制することはいたさないことになっておりまして、これは私立学校自身の責任において決定される事柄でございます。  私立学校の経営につきましては、学校法人自身が責任を持っていただいておるたてまえであります以上、やはり学生納付金が経営上の一番主要な財源でございますので、その金額の決定についても、私学自身が良識を持って自主的判断と責任で決めていただくということでございます。  それで、その決め方として、現在の私どもの掌握している数字では、五十四年度中間集計におきまして、四十三校の大学がただいま御指摘のいわゆるスライド制を適用しておりまして、その方法はいろいろであるようでございますが、人件費相当部分につきまして人事院勧告の数値を用いましたり、あるいは物件費部分につきまして物価指数を用いましたり、それらの組み合わせをいたしたりしておるわけでございます。  それで、これは毎年スライドするという関係上、先ほど申し上げました一三・何がし%というような数字ではなくて、むしろ初年度納付金のアップ率は少額に抑えられるという状況でございますが、ただ、毎年スライドをするという、そういう面を持っているわけでございます。  それで、スライド制をとるか、あるいは伝統的な学年進行スタイルの授業料の決め方をするかということにつきましては、これは各学校がそれぞれの御方針で決めることでございまして、私どもは一概にどちらの方式が望ましいかということも申しがたいかと思っております。  そして、その率につきましても、これは冒頭に申し上げましたように、各学校がおのおのの教育研究条件をどの程度見込むかといったようなことともかかわってございますので、一概に適切な率を決めるとか指導するとかいうわけにはいかないかと思っております。  しかし、御指摘のように、余り高額なアップ率は極力控えていただくような経営上の努力もしていただきたいと思いまして、そのように要望をしてまいっておる次第でございます。
  212. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 私学の経営について文部省はどうこう言えないということは、こちらは百も承知なわけであります。しかし、そういう特殊な上げ幅が高いなんということについて批判するのもやはり自由だと思うのですよ。下げろと言えば、これは問題になるけれどもね。そういう意味も含めてもうちょっと知恵を出していただくといいんじゃないかと思うのですが、まあ、よろしいでしょう。  それから、国の教職員の定数増の問題ですけれども、五十四年度に国の教職員の定数増計画が一万六千三百三十人というふうになっておるわけですが、この数字は間違いないですか。
  213. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 間違いございません。
  214. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 他方、東京都では大変財政が逼迫している関係で教職員を二百三十名削減しなければいかぬというふうになっておりますね。これは御承知のとおりでございますが、財政を理由にいたしますと、各地方自治体とも東京都ほどではないにしても大変厳しい情勢にあることは間違いないわけで、東京都が一例になってまいりますと、各地方自治体等もこの問題を真剣に取り上げてくるのではないかというふうに思うのです。  そうしますと、これは今後の教育問題、特に小学校中学校教育問題については大変支障を来すようになりますね。特に現場の先生方の意見ですと、いろいろな事務的な問題は事務職に任してくれというようなことも言っておりますし、そっちの方のことも考えてみると、現場の要求等もあるし、あるいはわが党も、この福祉トータルプランの中ではもう少し教員をふやさなければならぬ、むしろ雇用の主体というものを福祉の方へ移動させることによって、いま企業では雇用を創出できませんから、そういう面での雇用の創出の効果もあるじゃないかということをわれわれは言っておるわけですけれども、これは非常に問題なんです。  だから、国で一万六千三百三十名増、東京都の財政問題によって二百三十名削減、一体これは文部省の希望的な数字なのか、あるいは各地方自治体のおのおのの状況を踏まえた上で積算されたものなのか、そこら辺との関係について御答弁をお願いします。
  215. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 義務教育学校先生の数を何人配置し、その財政負担をどうするかという仕組みを簡単に申し上げますと、いま標準法という法律があって、小中学校あるいは養護学校等について、これだけの学校については何人先生を置くという標準があります。その標準まで置く場合には、それに要する人件費については国が半額負担をする。今度増員しました一万六千三百三十というのは、まさにそういう定数なんでございます。  ところが、東京都が今度減らそうとするのはそうではなくて、ちょっとわかりやすくするために例を挙げますと、たとえば十二学級編制の小学校ですと、校長以外の先生は標準法では十四名になっているわけです。それから十八学級だと二十一名。ですから、それまでは国が半分給与費を見るわけです。ところが、東京都の場合は、それにプラスして一名ないし二名の教員を東京都独自の負担において配置をするということをこれまでやってきたわけでございます。それは別に法律では禁止しないわけですけれども、そういう状況なものですから、東京都は、今回、その財政が極度に悪化したというので、その上の部分を若干削ろうということでございますので、国の計画とは直接かかわり合いがない。  そこで、いま先生が御心配の、それなれば、一体、ほかの県で国が半額負担するような教員数まで財政難を理由に減らすような傾向があるかどうかという御指摘でございますが、この点につきましては、いまの一万六千三百三十増のうちに、養護教諭、事務職員のそれぞれ六百名増というものを今度したわけで、それを各県に割り当てますと十名から十五名くらいになるわけですが、その割り当ての問題について、私が各県の教育長等といろいろ話し合いをしたところでは、国が半分持ってもらう分についてはわれわれは削るつもりはない、そのまま予算に乗せますと、全部こう言っていますから、そういう意味で標準法を割るようなことはないと思いますが、いまの東京とか大阪のような、若干例外的に標準法を超えて地方団体独自の負担において増員している部分については、財政事情によっては削ってくるというような事情もあり得るだろう、こういうふうに思っているわけでございます。
  216. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 今回東京都だけですから問題はない。いま御説明のあったことも聞いております。直接連動はしない。結構でございますけれども、私は、その波及効果を非常に恐れているわけでございます。  それと若干関係があるのですが、いわゆる過疎県においては、定員三十名を割るというような状況もぽつぽつ出てきているらしいのですけれども、ここら辺の問題は、この定数増との問題とどんな関係が出てくるのか、ちょっとお伺いしておきたいと思うのです。
  217. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 小中学校の一学級の児童の最高限は四十五名というふうにいまの標準法でなっているわけですけれども、全国平均しますと、小学校が三十三名、中学校が三十七名ということでございますから、過疎県の小中学校へ行きますと、一学級の学級編制が二十五名から三十名というところが相当ある実態でございます。  それにしましても、教員の配置自体はどこの県でも標準法に即して大体やっていただいておる。ただ、実際問題として、たとえば養護教諭とか事務職員、これはせっかく定数は配置しても、非常に僻地へ行きますとなかなか人が採れないというような問題があって、定員と実員に開きができているというようなところが若干ございますので、そういう点をわれわれは指導して、なるべく人を採るようにということでやっておるわけでございます。
  218. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 最後の質問としまして、教育委員の準公選制の問題ですが、これはいままでしばしば話題になってきましたから大臣も御存じのとおりでございます。  文部省は現行法上これは違法だという判断に立っておられるわけですが、しかし、同条例を支持する立場にもいろいろな有意義な議論があるわけですね。教育委員にだれを選ぶかは住民の権利義務にかかわる問題だというようなことで、したがって、議会で条例として定めることもこれは決して憲法に違反する問題ではないのではないかという議論、まあ地方自治体の行政でございますから、住民の意思を取り入れるということにつきましても同様の趣旨に沿うのではないかというような問題それから準公選制の場合、結果的に区長がそれを尊重するというような形になれば、別に、拒否権もあるわけですから、区長の任命制を必ずしも侵害しないのではないか等々、いろいろな議論があると思うのですけれども、これらの見解は後で求めるとしまして、一体その現行法に問題はないのかということですね。この点どのようにお考えになっているでしょうか。教育委員制度も三十年になるわけですね。一体現在の制度が公正な民意を反映するシステムになっているのかどうか。  ちょっと悪口になるかもしれませんけれども、教育委員会が行政の事務局の方にいろいろな問題を委任しているわけですから、やはり行政ペースになっているのじゃないかというような批判もあるわけでございますけれども、この辺の現行法についての問題点を、何か改善の余地があるならば、あるいは問題点として考えておられる点があるならば、まずお伺いをしたいと思いますが、いかがでしょうか。
  219. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 この教育委員の選任については、実は大変もめた問題でございまして、教育の中立性を確保するというところがポイントになっている。私も当時文部省におりましたが、いまの制度は、首長が公選でございますし、議会も公選ですから、首長が議会の承認を得て、間接でございますけれどもやはり県民の意思を代表している。こういうことで決めた制度でございますので、いまの制度が妥当だと私は思っておりますが、改善すべき点があれば改善しなければいかぬけれども、せっかくずいぶんもめてやった制度でございますから、この制度を維持していきたいと思っております。
  220. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 大臣は現行制維持というお話でございます。もちろん間接的な意味での民意の反映ということはあり得るのでございますけれども、そこにも問題はあるわけですよ。  たとえばこの間新聞にも出ましたけれども、九期連続町長をやっている人がいるわけですね。これも確かに選挙を経て当選してくるわけですから文句のつけようがないように思いますけれども、果たしてそれが妥当でしょうか。そういう問題等考えてみますと、民意の反映という点においても、単なる首長さんの任命だけではなくして、もう少しそれに補助的な機能をつけるとか、そういうようなことも必要なんじゃないかと私は思うのです。  これは意見が食い違うようでございますからやめますけれども、ただ現行法を維持すればいいというお考えではなくして、こういう制度を、大事な問題でありますから、何年に一遍かは再検討してみるというような姿勢が必要だと私は思うのですよ。この点についてはどうでしょうか。
  221. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 改善すべき点があれば改善したいと思いますが、私は現行制度がいいと思っていますけれども、現行制度の運営の仕方が不備な点があれば、それは改善するにやぶさかではございません。
  222. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 私の用意した質問は大体これで終わるわけでございますけれども、最後にこういう問題を一つ提起してみたいと思うのです。  たとえばさっきの定員の問題にも関連をしますが、日本のいわゆる基礎教育、義務教育等の科目あるいは内容は、かなり内容がむずかしいのと、それから科目も多いんじゃないかという批判もあるわけですね。諸外国の例をとってみても、三科目ぐらいが基本になっているところもあるというふうに聞いておるわけです。  教育という問題を考えてみるに、いろいろな意見を持った人がこれに参画をいたしておるわけでございますから、必ずしも文部省がお考えになった点がベストであるというふうなことは言えないと思うのですね。ベターであるということは言えるかもしれないけれども、ベストであるということは必ずしも言えないのじゃないかと思う。  そういった意味で、もう少し余裕のある、たとえばその地域なら地域の——いま日本の各県の状況を考えてみても、諸外国に比較して教育レベルが極端に低いなんというところはそうないと思うのです。それぞれの公立大学もあり、国立大学もあり、私立大学もあり、そういった文化の程度は大変高くなっておるわけですから、そういった人たちが参画をして、あるいは父兄も参画をして、教員も参画をして、いままでの歴史的な形態がありますから、そういう意味でもう少し科目なら科目を減らして、そしてその地域の考えられているそういう科目をプラスしてやるとか、そこら辺の余裕をもう少し持つ必要があるのではないか。  いまの教育科目あるいは内容は、小学校あるいは中学校内容を見ても、特に算数関係が非常にむずかしいですね。私たちでも解けない問題がざらにあるというような感じになっておりますでしょう。そういった問題ももう少し余裕を持たして、それぞれの地域でいろいろな人たちが参画して——これは公明党の考え方なんですけれども、教育者、父兄、それから土地の学識文化人というような方たちが参画して、もう少し教育内容についても注文をつけられる制度が必要なのではないかというような、そういう意見もわれわれの中にはあるわけです。  いずれにしても、いまの教育のやり方は、非常にぎゅっと詰め込んだ感じで余裕がない。そういうような感じがしてならないのですけれども、そういった意味での余裕をもう少し持たすような考え方には立てないものでしょうか。お伺いします。
  223. 内藤誉三郎

    内藤国務大臣 いまの石田先生のお話のとおり、いまの教育がむずかし過ぎる。私もそうですが、あなたもそうでして、自分の子供の勉強をとても見れないですよ。ですから、今度の指導要領改定では、基礎的、基本的なものにうんと精選して、そしてゆとりのある人間性形成に役立つように思い切って内容改善したわけでございます。  その意味では関係各方面の御協力のもとにできたものでございますけれども、さらにこれの運営については担当の局長から答弁させてもらいます。
  224. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるように、確かに、教科の数が小学校戦前に比べますと低学年から多いのですね。昔は小学校の低学年ですと国語、算数中心なんですけれども、いまは一年から社会もありますし、理科もやりますし、それから芸能教科もやるというので、これは率直に言いまして教育課程審議会でいろいろ議論してもらって、私なんかもできればもう少し交通整理できないかということを申し上げたのですけれども、これは一遍つくりますとなかなかそう簡単にはいかない。  そこで、それぞれの教科は残すとしても、できるだけ内容を精選して、基礎、基本にしぼるという方針で今度やったわけでございます。これはまだまだ足りないという先生のお考えかもしれませんけれども、いままでの指導要領と今度のものを見ていただきますと、大分これは減ったなという御指摘をいただけるんじゃないかと思いますので、一層努力してまいりたいと思います。  経緯はそういうことでございます。
  225. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 いまのお話につけ加えて意見を言えば、文部省はそういうふうに言うのですよ。ところが、それを補習するということになると結局学習塾や何かでどんどん周りを拡大していくわけです。科目をばさっと削らなければだめですよ。それで試験勉強はいろいろひねるから、それよりちょっとひねった問題を出すでしょう。だから枠がどんどん広がっていくわけですよね。  これは私の意見ですから別に強制すべき問題ではありませんが、しかし、そういうようなことももう一歩突き詰めて研究をしていただきたい。これだけ御要望しまして、終わります。
  226. 坂本三十次

    ○坂本委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時五十三分散会