○岩垂
委員 日本社会党を代表して、
元号法案に
反対の立場から討論を行います。
最初に私は、去る十八日、わが党の飛鳥田
委員長が、総理大臣であり、自民党の総裁である大平さんに対して行った申し入れを朗読させていただきます。
現在、衆議院内閣
委員会において
元号法案の
審議がおこなわれていますが、この
審議を通して
元号問題について
国民の関心がたかまっております。
最近の新聞社などの世論
調査は、
元号の
法制化に賛成する人々は
調査対象の二〇%前後に過ぎないことを明らかにしています。
これは、
元号に賛成する人も「
法制化してまでやる必要はない」ということを示すものであります。
しかも、
政府がこの
法律を「
国民には強制しない」と強調しながら
国会答弁では「公務員にそれを強制することを通して官公庁の窓口では事実上
国民に強制すること」を言明しています。
もともと、一世一元の
元号法案が
天皇主権の
復活をめざす一部勢力の要求に応えたものであり、これは
憲法の
国民主権に対する重大な制約となりかねません。
日本が国際化の方向に進まねばならないときに、これに逆行して世界中で
日本でだけしか通用しない不合理で不便な
元号を押しつけることは
国民のためになりません。
私
どもは私
どもの時代感覚だけで、未来に生きる子供や孫たちに法的拘束力をもって
元号をおしつけることは許されません。また、それは歴史に禍根を残すものです。
以上の立場にたって次の点を申入れ御回答を
要求します。
一、
元号が事実たる
慣習であるとすれば、
西暦も事実たる
慣習であります。
ですからその
使用を
法律で強制することなく
国民の自由な意志にまかせること。
二、
国民に
元号を強制するこの
法案は撤回し、年号が必要と考える場合には内閣の判断で行うこと。
というものであります。
私は、このように条理を尽くした申し入れに対し、
政府・自民党が誠意をもって
対応しなかったことをはなはだ遺憾とし、
政府に反省を求めざるを得ません。
率直に申します。戦前派、戦中派と言われる人々は、その
教育や
社会生活を通して明治、
大正、
昭和という年号になじまされてきました。かくいう私もその一人であります。そしてその時代は、
天皇陛下のために身命を賭すことを強制され、聖戦の名のもとに侵略戦争に駆り出され、アジア侵略の先兵として戦わされた歴史でありました。一世一元の
天皇の時代は、私
どもにとって暗黒の世代でありました。
戦後の平和
憲法は、主権在民と平和主義、基本的人権の思想を特徴として制定されたことは申し上げるまでもありません。だからこそ行政官布告や旧皇室典範が違憲無効の存在となったのであります。いま
元号法案が提案され、戦後違憲と断定された行政官布告や旧皇室典範と同じ一世一元の
元号が
国民に押しつけられようとしています。
しかも、重視しなければならないのは、これを推進してきた勢力が
天皇主権を要求し、戦後民主主義を形骸化し、
天皇を政治的に利用しようとし、そしてさらに防衛思想というか、軍国主義思想の普及強化を図ろうとしている勢力と共通であるということについてであります。私
どもは、このような政治的背景と動機が
元号法制化を促してきたことに対し、平和
憲法の名において
反対せざるを得ないことを主張したいわけであります。
天皇という一人の人間の死によって中断する
紀年法が、国際化の時代にそぐわない、きわめて不便なものであることは言うまでもありませんが、
改元が
国民生活に及ぼす
影響の大きさを考えるならば、それがいかに不合理なものであるかということは明白であります。
このような不条理、不合理で、その上に大変不便な
元号を、公務員にそれを強制することを通して、官公庁の窓口で事実上
国民に強制することは、
憲法の保障する思想、信条の自由という
国民の基本的人権に背くものであることは明白であります。歴史を後戻りさせ、民主主義と平和に逆らう
元号法案が
国民の理解を得られていない事実を、マスコミを含めての世論
調査を通して
政府がいま改めてみずからに問うべきであります。
三原長官、いま私たちは、私たちの子供や孫たちの時代にまで法的拘束力を持って
元号を押しつける
決定を下そうとしているのであります。このような政治的決断にかかわりを持つことに人間としての恐れを感じませんか。もしその責任を感じないとすれば、それは傲慢だと言われてもやむを得ないと強調せざるを得ません。
私は、いま衆議院内閣
委員会の
審議を終わるに当たって、本
法案に賛成なさる皆さんに対しても、歴史と未来に対し、もっと謙虚であることを心から訴えつつ、
元号法案に対する
反対討論といたします。(拍手)