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八百板委員 現御神に連なるというふうなそういうふうな
考え方でなく、たとえば祝詞にも「現御神と大八洲国しろしめす
天皇」なんというような
言葉がありますが、これは大嘗祭の場合に入っているかどうか、確認しておりませんけれ
ども、こういうふうな
考え方で行事をやるのでなくて、祭事をやるのでなくて、もちろん昔の祭政一致という時代の流れと伝統もありますから、いろいろなことが絡まってくるとは思うのですけれ
ども、やはり
一つの時代とともにお祭りも幾らか変わっていく
わけですから、いま申し上げましたように大嘗祭の、新嘗祭の本来的な新穀の豊かさをたたえながら
国民の幸せを祈っていくというような、そういうふうな方向に
位置づけるように持っていくのが望ましいと思うのです。
これはちょっと文化庁の方に関連してお聞きしたいのですが、私は農業の方はあなたよりは専門家だから、ちょっと農業にこじつけるようになってとお
考えになるかもしれませんけれ
ども、
日本の文化というのは稲作文化なんですよね。これはどなたが研究した結論からいっても。稲作とともに
日本の文化、感情、モラル、いろいろな情感、色彩感でも道徳観でも、社会秩序でもでき上がってきているんですね。もともとこれだって
日本古来のものじゃないのです。稲作が
日本に入ってきたのは、大体縄文後期か弥生の始まりころと言われておりますね。ところが、これも
中国から来ていますね。
中国では稲を栽培したという考古学上の証明はずいぶん古いですから、古い出土品の中から出ておりますから、そういうことを
考えますというと、
中国の稲作が
日本に渡ってくるまでには三千五百年ぐらいかかっていますね。それくらい長い歴史の中にいつとはなしに
日本に渡ってきたというふうに見られますね。たとえば律令文化というか、大化にいたしましても、年号を使うのを
日本でまねするようになった、これだって
中国が使うようになってから
日本に移るまでには、たしか七百年か六百何十年たっているんじゃないですか、数字は余りよく覚えていませんが。
とにかくそんなふうな
わけで、やはりそれが
日本に渡って、そして長い
日本の歴史の中ではぐくまれて、
一つの民族的なものに溶け込んできておる
わけでありまして、これはよそから来たからどうだというものではないと思うのです。だから、その中で生きるものは生きていく、また生かさなくてはならぬものは、為政者や将来を
考える人々の努力によって、これを保存して発展さしていく、こういう
立場がわれわれの
立場だと思うのですが、新嘗祭の持っている
意味は、そういう
意味で
日本の起源、文化の起源であるところの稲作の問題として
考えるときに、私は非常に新しい、新しいと申しましょうか、むしろ本来の
意味の発展として新しい方向が出てくるんじゃないかと思うのです。
そういう
意味では、キリスト教暦だという西暦にいたしましても、やはり
日本の実際の生活の必要の中で使われてきておる問題ですから、西洋だからいけないなんと言うんだったらば、あるいはキリスト教だからなんというようなことを言うんだったら、われわれがもう日常化している日曜、ひとつ日曜は
委員会はやらぬことにしようなんという日曜なんという観念は、これはもともとキリスト教の安息日――あれは週を五日ですか、六日ですか、七日ですか、ある時期には週六日ですね。あるときには週七日、これは暦によって、ある時代時代によって違いますけれ
ども、その中に日曜というものを定めたのは、これはキリスト教の安息日をとったものですね。それをもうだれもそんなことを
考えないで、クリスチャンの方々はそういうことを思ってお祈りをされたり教会に行ったりされるんでしょうけれ
ども、そういうように日常化しているんですから、だから、別に、
中国から来たものだから、あるいは西洋がどうだからというふうなことは
考える必要はない。やはりわれわれの近代生活の中で合理的でいいもの、しかも将来にわたって発展さしていくべきものをとる、こういう態度が必要だと思うのです。
稲作のついでに、少しコマーシャルになりますけれ
ども、農業の話を大嘗祭との
関係で少し申し上げますけれ
ども、文化というのは、カルチュアというような
言葉がありまするように、もともと耕すということでありまして、カルチベーターは耕す耕運機でありますが、そういうような
わけで、文化というものは農耕文化に起源を発している
わけでありまして、とり
わけ日本の場合は稲作の農耕文化に端を発しておる。そういう
意味で新嘗祭というものをそういう
日本の伝統として
考えていくというのが私は正しいと思うのですね。
たとえば皇極
天皇が初めて年号をつけた、こういう記録が伝えられておる
わけですが、その皇極
天皇の名前を――これは
元号というのは名前だから、大変重要だから申し上げるんですよ。よけいなことなんて言わないでください。皇極
天皇はこういうお名前なんです。「あめとよたからいかしひたらしひめ」というんですね。これは漢字で書くと「天豊財重日足姫」、これは要するに、いわゆる五穀豊穣を祈念した
天皇の名前なんですね。また、逆に言えば、この時代にそんなに理詰めにうまい名前をくっつけたなんというのはちょっと怪しいという問題もあるんです。後でもってかっこうをつけるためにつくったという説もかなり有力ですね、この時代としては余り名前がよ過ぎるから。
昭和もそうですね。
昭和というのは、御承知のように、これは若槻
内閣の時代に決めたんですけれ
ども、やはり
一つの
国家の方向を出しているんですね。先ほど光文がすっぱ抜かれて、光文のかわりに出てきた、こう言いますけれ
ども、そういう面も、事実はそうですけれ
ども、光文と
昭和とどっちがいいかということになると、私は光文の方が字画が少ないからよかったんじゃないかと思うのですが、しかし
昭和というのは、
意味としては、これは農民の
立場を
考えた名前なんです。農民が安心して暮らしていけるように、国がよく治まるようにという儒教的
国家観念、そういうものを実現、こいねがって示した名前なんです。
ところが、名は体をあらわすと言いますけれ
ども、実際は
昭和は農業をつぶす年号になっちゃったんですね。とんでもない戦争をやり、またがめつい資本主義競争をやって農業をひねりつぶして、そういう
意味では光文の方がよかったんじゃないかと思うのです。年号というのを文字として
考えれば光文が第一候補になるというのはわかるのです。
昭和というのも農業を大事にして農民の豊かさを念じたという
意味では非常にいい
わけです。いいけれ
ども、実際は名は体をあらわすということにならないで、戦争をやって、あるいは高度成長で農業を犠牲にしてというふうな形に進んできたというのが政治の現実ですね。
たとえば、明治の
一世一元によって縁起を担いだりするのを消した、そういうことはやらないようにしようということは進歩ですね。そういう
意味で
一つのすぐれた、打ち出した政策だと私は思うのです。ただ、それをつくったときは元年かな、とにかくそんなにかたく
考えてないと思うのです、陛下も。とにかくあのとき御年十何歳ですからね。いまのようなマスコミ、テレビにうるさく教育される、いろんなことが頭に入る時代と違って非常にナイーブな最も困難な変化の中に立たれておったことは事実ですけれ
ども、それにしても十七歳か十八歳ぐらいの
立場で御即位されたのですから、もしいろいろな問題があれば側の者の方に問題があると思うのです。陛下は御英明な方であったから、いわゆる当事者能力と申しましょうか、そういうものをだんだん発揮するようになって、御承知のような明治を形成したということが言えると思うのですね。
神様という
考えなんだが、東洋的生活の中では死ねば神様になるという
考え方は古くはあるのです。死ねばみんな神様になるという
考え方。みんな神様になるということになると、これはないと同じことになっちゃうんですね。そういうことになると思うのです。そこで明治以後、神道というものを
中心に
国家政策に結びつけてつくってきたんです。そして仏教と分離したのですけれ
ども、
天皇家は仏教徒ですね。お答え願いたい。