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1979-04-19 第87回国会 衆議院 内閣委員会 第8号 公式Web版

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  1. 会議録情報

    昭和五十四年四月十九日(木曜日)     午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 藏内 修治君   理事 唐沢俊二郎君 理事 小宮山重四郎君    理事 竹中 修一君 理事 村田敬次郎君    理事 岩垂寿喜男君 理事 上原 康助君    理事 新井 彬之君 理事 吉田 之久君       逢沢 英雄君    石橋 一弥君       稲垣 実男君    宇野  亨君       越智 通雄君    関谷 勝嗣君       中馬 辰猪君    塚原 俊平君       中村 弘海君    西田  司君       福田  一君    藤尾 正行君       水平 豊彦君    森  喜朗君       上田 卓三君    栂野 泰二君       八百板 正君    山花 貞夫君       市川 雄一君    鈴切 康雄君       渡辺 武三君    柴田 睦夫君       中川 秀直君  出席国務大臣         内閣総理大臣  大平 正芳君         外 務 大 臣 園田  直君         文 部 大 臣 内藤誉三郎君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      三原 朝雄君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 山下 元利君  出席政府委員         内閣官房内閣審         議室長内閣総         理大臣官房審議         室長      清水  汪君         内閣法制局長官 真田 秀夫君         内閣法制局第二         部長      味村  治君         総理府総務副長         官       住  栄作君         内閣総理大臣官         房会計課長兼内         閣参事官    京須  実君         内閣総理大臣官         房広報室長兼内         閣官房内閣広報         室長      小玉 正任君         内閣総理大臣官         房総務審議官  大濱 忠志君         宮内庁次長   山本  悟君         防衛庁参事官  佐々 淳行君         防衛庁長官官房         長       塩田  章君         防衛庁人事教育         局長      夏目 晴雄君         法務省民事局長 香川 保一君         文部大臣官房長 宮地 貫一君         文部省初等中等         教育局長    諸澤 正道君         通商産業大臣官         房会計課長   安田 佳三君  委員外出席者         警察庁警備局参         事官      武士  孝君         警察庁警備局公         安第二課長   岡村  健君         宮内庁長官   富田 朝彦君         防衛庁長官官房         防衛審議官   伊藤 参午君         外務大臣官房外         務参事官    枝村 純郎君         外務大臣官房領         事移住部旅券課         長       西方 正直君         大蔵大臣官房企         画官      熊沢 二郎君         大蔵省主計局主         計官      佐藤  浩君         大蔵省理財局国         庫課長     山崎 高司君         造幣局東京支局         長       高瀬 昌明君         文部省初等中等         教育局小学校教         育課長     中島 章夫君         文部省初等中等         教育局教科書検         定課長     上野 保之君         文化庁長官官房         庶務課長    上田 一郎君         農林水産大臣官         房文書課長   高畑 三夫君         農林水産省食品         流通局消費経済         課長      長野不二雄君         通商産業省貿易         局輸入課長   村岡 茂生君         通商産業省貿易         局輸出保険企画         課長      本郷 英一君         通商産業省産業         政策局調査課長 杉山  弘君         通商産業省機械         情報産業局計量         課長      秋山  収君         通商産業省生活         産業局紙業課長 阿久津孝志君         郵政大臣官房資         材部需給課長  寺井 威章君         郵政省郵務局切         手室長     山田 雅之君         郵政省貯金局電         子計算計画課長 小倉 久弥君         内閣委員会調査         室長      長倉 司郎君     ――――――――――――― 委員の異動 四月十九日  辞任         補欠選任   稲垣 実男君     水平 豊彦君   越智 通雄君     石橋 一弥君   関谷 勝嗣君     西田  司君   増田甲子七君     中村 弘海君   受田 新吉君     渡辺 武三君 同日  辞任         補欠選任   石橋 一弥君     越智 通雄君   中村 弘海君     増田甲子七君   西田  司君     関谷 勝嗣君   水平 豊彦君     稲垣 実男君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  外務省設置法の一部を改正する法律案内閣提出第三四号)  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する  外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案内閣提出第四二号)  元号法案内閣提出第二号)      ――――◇―――――
  2. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 これより会議を開きます。  外務省設置法の一部を改正する法律案及び在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案の両案を議題といたします。  趣旨説明を求めます。園田外務大臣
  3. 園田国務大臣(園田直)

    園田国務大臣 ただいま議題となりました外務省設置法の一部を改正する法律案について提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  改正の第一は、中南米局設置であります。中南米地域は域内に二十九カ国を有し、国際政治の上においてもその比重を高めつつある地域であります。また、鉄鉱石食糧等重要資源供給先である等わが国との経済的関係も密接であり、さらに九十万人に及ぶ日系人社会が存在し、わが国とは伝統的に友好関係にある重要な地域であります。したがって、この地域に対する外交政策の一層強力な展開のため、中南米局設置し、もって、外交実施体制の整備を図ろうとするものであります。  改正の第二は、中南米局設置に伴いアメリカ局北米局に改め、また総合的外交政策に関する企画業務の強化に対応するため大臣官房調査部大臣官房調査企画部に改め、あわせて、それぞれ所掌事務の一部について改正を行うものであります。  改正の第三は、中南米局設置に伴う行政機構の改革として、情報文化局文化事業部アジア局次長及び外務省大阪連絡事務所を廃止するものであります。  以上が、この法律案提案理由及びその内容概要であります。  次に、在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案について御説明申し上げます。  改正の第一は、在外公館設置関係であります。今回新たに設置しようとするのは大使館三、総領事館三の計六館であります。大使館は、いずれも他の国に駐在するわが方大使をして兼轄させるものでありまして、大洋州のソロモン、ツバル及びカリブ海にあるドミニカの三国に設置するものであります。これら三国は、いずれも昨年英国の施政下から独立したものであります。他方、総領事館の三館は、いずれも実際に開設するもので、中国広州米国ボストン及び西独フランクフルト設置するものであります。広州中国南部の要地で毎年広州交易会が開かれ、多数の邦人が訪問するところであります。ボストン米国東北部中心であり、その周辺を合わせ二千四百人の邦人が在留しており、また、同市にある米国最高学術研究機関との接触を深めるのは、今後の日米関係緊密化の上でも意義が大きいと存じます。フランクフルトは、西独の金融、商工業中心であるとともに、欧州の国際航空中心一つでもあり、周辺を合わせ七百五十人に上る邦人が在留しております。  改正の第二は、現在インドネシアにある在スラバヤ及び在メダンの各領事館を、それぞれ当該地域重要性にかんがみ、総領事館に昇格させるものであります。  改正の第三は、これらの在外公館に勤務する在外職員在勤基本手当の額を定めるものであります。  最後の改正点は、子女教育手当に関するものであります。すなわち、日本人学校等もないため、多額の教育費負担を余儀なくされる特定の在外公館に勤務する在外職員に対しては、現在の定額部分のほか、一定の範囲教育費に限り、一万八千円を限度として加算を認めようとするものであります。  以上がこの法律案提案理由及びその内容概要であります。  以上二件につき、何とぞ慎重御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願いいたします。
  4. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 これにて趣旨説明は終わりました。  両案に対する質疑は後日に譲ることといたします。      ――――◇―――――
  5. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 次に、元号法案議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。八百板正君。
  6. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 まず、三原長官初め皆さんの御苦労に感謝を申し上げます。  質問は、いろいろ問いただすという問題でもございますけれども、また一面において、よくわからないことを聞く、こういう面もあるわけであります。私は、この道の専門でもございません。そういう意味で、ひとつ国民にわかりやすく、私にわかりやすくお答え、御説明をいただきたいと思います。私は愚鈍な方でありまして、なかなかのみ込みにくい人間でありますが、しかし、私を選んだ何万の有権者は、そういうところがやはり国民の声として選ばれたのではないか、こう思うのでありまして、そういう意味で、できるだけ簡潔に、わかりやすくお答えをいただきたいと存じます。  何分、問題が広範にわたりますので、いろいろ調べますと、私もにわかな調べでございまして、切りも限りもございません。昨夜から大分私も疲れておりますから、余り力んだ話は申し上げませんから、ひとつ静かに、一緒に考えていこう、こういうお気持ちでお願いをしたい、この点をまず最初に申し上げておきます。  端的に申しまして、国体ということが昔から言われておるのですが、日本国体は、と聞かれた場合に何と答えたらいいんでしょうかね。長官ひとつ……。
  7. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 憲法学といいますか、あるいは国家学といいますか、そういう学問の分野で国体という言葉が用いられているわけでございます。これもしかし、いろいろ人によってその内容について議論があるわけなんですが、従来、わが国の通説的な考え方といたしましては、国体というのはどうも主権の存在のあり方に主眼を置いて国体という言葉が使われておったように思うわけなんです。これは、つまり旧憲法下において確立されておったような考えなので、したがって、日本国体は、旧憲法のもとにおいては天皇主権者とする君主国であるというふうに言われておったわけでございます。  その考えが、現在の憲法のもとにおいても日本国体としてはどう見るべきかというような問題があるわけなのですが、これもいろいろ考え方学者によって言っている言い回し方も違うわけです。主権国民にある、主権在民であるという点だけをとらえれば、それは日本はもう君主国ではないというふうな言い方もできましょうし、あるいはまた象徴というお立場ではあるけれども、やはり天皇制をとっておって、そして天皇国事行為としてある限られた部分であるけれども、国を代表するという地位にもあらせられるというような点をとらえれば、やはり日本の元首としては天皇であるというような言い方をしている学者もございます。ですから結局、日本のいまの憲法を見まして、既成の概念日本君主国であるか共和国であるかというようなことを言うのが実は非常にむずかしい問題なので、素直に言えば、日本は結局主権国民にある、しかし、国事行為としての天皇を持っている、象徴天皇制のもとにある主権在民の国である、そういうふうに言うのが一番率直な、素直な内容であろう、言い方であろうというふうに考えわけでございます。
  8. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 静かに聞こうと思ったのだけれども、そういうふうなことを言われると、勢い私も声が高くなってしまうのですね。わけがわからぬじゃないですか。私は、きわめて簡潔な言葉で聞いているのですよ。一体日本国体は何だ、国民からこう言われたときには一口で答えなくてはいけないのです。いまの話を聞いたら、わけがわからぬじゃないですか。ああでもあり、こうでもあり。もっと端的に、国民一口でわかるように、日本はどういう国だ、こう言われたら、日本はこういう国ですと一言で言えるような、そういう頭の整理をしてもらわなくては困る。もう一遍答え直してください。
  9. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 ですから、それは国体という概念の中身をまず決めてかからなければいけないわけなのですが、それがいろいろ説があるわけでございまして、だから一口で簡潔に申しますと、日本国柄主権在民であって、象徴天皇をいただいておる、そういう国柄である、そういう国体である、こういうふうに御理解いただきたいと思います。
  10. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 三原長官からひとつ政治家らしく、有権者にわかるようにお答え願いたいと思います。
  11. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 ただいま法制局長官が申し上げたとおり、私も、主権在民国家でありますが、象徴天皇をいただいておるということだと思っておるのでございます。
  12. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 その問題はおしまいまで質問の中でつながっていく問題だし、また繰り返してもうちょっとお尋ねすることになろうと思いますが、主権あり方である、それによって分ける、こういうことを言われましたが、主権あり方で分けるならば、結局、民主制とか君主制という簡単な分け方が出てくるのじゃないですか。これはまた後でも出てきますけれども、もうそうであるかないかだけひとつお答え願いたいです。
  13. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 憲法にはっきり書いてありますように、主権国民にございます。
  14. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 大事なところを答えないというのが答弁の何といいますかうまさだ、こんなふうに考えてはいけないですね。なるたけ大事なところをはっきりするような答弁政府委員としての立場だと思うのだ。大体国会もずいぶんいいかげんなところがありますから、それは政府委員にだけいいかげんでないことを求めるというのも無理だということも私も承知しておりますけれども、昔、自民党さんの先輩ですけれども広川弘禅という幹事長をやったり、大臣をやった人がおりますが、これは私の同郷の同僚というか先輩でして、あるとき農林大臣になったときに、どうだいと聞いたところが、先生言うに、いや委員会というところは知っている人が知らない人に物を聞くところだね、という話を彼が言っておりまして、なかなかよくつかんだ話だと思って記憶に残っておるのでありますが、私の質問は、知らない人が知っている人に聞く質問でありますから、そういう意味で、知らない人にひとつわかるように答えていただきたい。これは返事要りませんが、ひとつそういう気持ちで御回答を願いたいと思うのです。  憲法論議は、憲法第一条の論議ももちろん、後で素人なりにいろいろお聞きしたい点がたくさんございますから、その際にいろいろ聞かしていただきたいと思うのですが、なるたけ簡潔な点を、まずいまお尋ねをしたわけであります。  昔から国体明徴なんという言葉もあるのでありまして、旧憲法時代といえども、新憲法時代といえども国体を明らかにするということは――何も旧憲法時代に使った言葉だからいけないということになりませんので、新憲法のもとにおいても国体明徴にするという立場がやはり必要だろうと思います。国というものは、何と申しましょうか、国民の統合のしるしであるという象徴のあれがありまするように、やはり国民的なわかりやすい形で統合されたものでなければいけないのでありまして、ああでもあり、こうでもありというふうな、ますますわからなくなるようなことでは困るのでありまして、そういう意味で、新たなる意味における国体明徴という立場がやはり考えられていいと思うのであります。  元号法の問題についてですが、私の手元に福田内閣当時の案というのがあります。それからただいまの大平内閣政府案というのがありますが、ここで違う点は、いままでも取り上げられておりますけれども、「一世の間、これを改めない。」というふうにいわゆる福田内閣当時の案として伝えられておったもの、これを、「皇位継承があつた場合に限り改める。」こういうふうに直したのですが、直したと言えるかどうかわかりませんけれども、とにかく変わっているのですが、これはどういうふうな理由からこんなふうになったのでございましょうか。どなたか、ひとつ私が一番うまく答えられると思う人に答えていただきたい。
  15. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 委員長の御指名でございますので、私から答えさしていただきます。  ただいまおっしゃいました前内閣のときの案というお言葉でございましたけれども、その点は若干釈明をさせていただきたいのでございますが、前内閣の段階におきましては、政府といたしまして、と申しますか、私ども総理府立場といたしましては、政府案というものは直接にはまだお示しをしていなかったわけでございまして、その当時存在しましたものはもちろんございまして、それがただいま先生のお挙げになったものでございます。したがいまして、私どもも、いろいろ物考えます場合には、もちろん一つ参考と申しますか、よりどころと申しますか、そういうものとしてそれを念頭に置いていたということは事実でございます。  ところで、政府案として決定をいたしましたものは、ただいま御提案申し上げているものでございまして、その間の違いでございますが、御指摘の前の方の案におきまして用いられておりました「一世の間、これを改めない。」という表現はないわけでございまして、前から言われておりましたそういう案の表現をとらなかった理由というのは、これは端的に申しますると、「一世」という言葉が現在のほかの法律における用語との関係におきまして使いにくいといいますか、それを使うと紛らわしいことになるということから、それを避けたいということであったわけでございます。  その理由をもう少し申し上げますと、現在の皇室典範の中に「三世」というような用語が出てまいります。これは皇族の称号についての第六条の規定でございますが、三世以下の男を王といい、女を女王という、こういう表現でございまして、これは三親等ということを意味するわけでございます。そのように親等という意味において「三世」という表現が使われておりますので、今度別の法律で「一世」という言葉を使いますと、それはその「三世」と同じレベルの「一世」という意味にならざるを得ないわけでございます。そういたしますと、いま元号の方で考えておりますのは、陛下の御在世中というような、皇位にあられる間というような意味を持つものとして使うわけでございますが、それでは同じ三世とか一世とかいうことの言葉の使い方が違ってくるわけでございますので、それは適当でない、こういうことでございます。そのような理由から、法制審議の観点におきましてそういう表現はとらないことにいたしました。  問題は、では法案内容が実質的にどの程度違うかということになろうかと思いますけれども、その点につきましては、御指摘の古い方のいわゆる案におきましても、皇位継承があったときに元号を改めるということがうたわれておりますし、今度の政府提案におきましても、「皇位継承があつた場合に限り改める。」というふうに表現をいたしておりますから、その辺の内容といたしましては、まず変わりがない、こういうことは申し上げられると思います。  そのような経過で両案の間に違いがあるということでございます。
  16. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これも余りよくわからないのですが、言葉といいますか文字というものをよく検討されたという意味でその程度にわかるのですが、この告示という考え方があったのをやめた理由は、どういう理由でしょうか。議事の進行上、なるたけ私が聞くぐらいの範囲言葉で短くお答え願いたいと思うんですがね。
  17. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 内閣告示ということでやるという考え方が従前から一つ検討の対象にありました。しかしながら、いろいろその後検討を重ねた結果といたしまして、現在提案しておりますように、国会議決を経てお決めいただく法律の形で、昭和の次の元号についてはどういう場合にだれが決めるかという、一番基本的なルールをそういう形でお決めいただくということの方が元号の問題としてもより安定するし、明確になる、また、そういう手続でルールをお決めいただくことが最も民主的と申しますか、順当な考え方である、このように考えまして、内閣告示という方法ではなくて、元号ルール法律でお決めいただきたい、こういうふうに御提案申し上げたわけでございます。
  18. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これも余りよくわからないのだけれども公聴会坂本太郎公述人が述べられたのを、私なりに記憶しているのを、正確でないかもしれませんが申しますと、象徴であるから国民とのつなぎがあってよい、それが天皇の名である、あるいは元号だ、そういうふうな公述があったわけですが、象徴であるから国民とのきずながあってよい、そういう考え方が、言ってみれば法律にすれば国会議決だから、主権の存する国民とつながった国会議決だから国民とつながっていく、こういうふうな考え方法制化した方がいい、そんなふうに考えたのじゃないでしょうか。この点と、それから坂本公述人の言った考え方、そういう考え方なのか、これをお答え願いたい。
  19. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 順序は逆でございますが、政府としてこの法律案を御提案申し上げました場合の考え方といたしましては、元号というものの将来にわたる存続について、国民の大多数が願望をしているという、そうした事実を踏まえまして、しかしながら現状のままでは、そうした願望にこたえるところの方法と申しますか、つまりどういう場合にだれが次の元号をつくるかということのルールがございませんので、そのルールを決める必要があるわけでございますが、そのルールを決めるということは、国会議決によってつくられる法律の形でお決めいただくのが最もベターであろうというふうに判断をしたということでございます。  もう一つ坂本参考人のお述べになりましたことにつきましては、これは坂本先生のお考えということで私どもも理解をいたすわけでございますが、それ以上に直接政府として、その考え方が即今度の元号法制化立法理由であるというふうには申し上げる立場にはないわけでございますので、御了解を賜りたいと思います。
  20. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 この法律は、実体的な部分は政令で出すということになるわけで、そういう意味ルールを決めるんだ、こう言われるとおりだと思うのですが、ところが、そのルールを決めるという、言ってみれば実体のない、と言ってはちょっと言い過ぎかもしらぬが、とにかくルールだけ決めるんだというものを国会に諮って、議決して、そしていわゆる主権の存する国民とのつながりができたんだということでは、これはちょっとうまくないと思うんですよ。ただ袋だけ決めて、中身の方は政令の方だというのでは、国民はその袋の中に何が入るかわからないのだから、また、国民の代表たる国会も、その袋の中に何が入ってくるのだかわからないのだから、そういう意味主権者の意思ときずなと申しましょうか、きずなよりももっと強い代理的な、委任的なつながりがあると言えないのじゃないでしょうかね。その辺はどうですか。
  21. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 その点につきまして二つの点を申し上げさせていただきたいと思うわけでございます。  第一点は、一般論といたしましては、法律に基づきまして、政府に、たとえば政令という形で具体的な問題の処理を御委任をいただくということは、現在の法制のもとにおいて一般的にある例だと思いまして、今回の場合もそのようなケースに当たるかと思いますが、この国会の御審議におきまして、私どもとしてはっきり申し上げたい二点がございます。  その第一点は、ただいまの御質問の中で、どういうものが出てくるかはっきりしないではないかということに関連いたしますけれども、これは法文の第一項をそのまま私どもは実施をすべきものと考えておりまして、したがいまして、予定されております政令におきましては、端的に、昭和にかわる元号名を政令の中身として規定をするということに解しております。もちろん、その昭和にかわる何々という名称がいつからそういうふうに変わるのかということをはっきりさせることがもう一つ必要でございますから、したがいまして、政令の形を想定いたしますと、いつから元号は何々になるというようなことだけがその法律から授権されている政令の内容であるというふうに解しております。  しかしながら、次に、そのようなことであれば、国民が一々参加して、その具体的な名称を選んでいるということになるのか、ならないのか、恐らくならないのではないか、したがいまして、それでは少し国民から切れ過ぎるのではないかというような意味の御指摘だろうと思いますが、その点につきましては、今度は政府といたしまして、具体的な名称を選び、それを政令の形で閣議決定する、そこに行くまでの手続の問題につきましては、当委員会におきましてもこれまで御説明申し上げてきたところでございますが、やはりそのことを国会ではっきり御説明を申し上げるのは、私どもとして当然のことだと思います。  で、その手続につきましては、またお尋ねがあれば重ねてお答え申し上げますけれども、広く国民の意見が反映されるような方々の、学識経験者と呼んでおりますけれども、そういう方々からひとついろいろの案を、お知恵を出していただきたい、そのように考案をいたしてもらいました中から、これは政府の責任において決定をせざるを得ないわけでございますけれども内閣の責任で一つを選んで決定をするというようなことでございまして、その間におきましては、先般も総務長官から、現在検討中の一つの構想ということでお述べがあったわけでございますが、衆参の議長さんなりあるいは副議長さんにも御意見を伺うことを考えたらどうかというようなことも検討の腹案として持っている、このようなことが申し上げられるかと思います。
  22. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 どうもお答えが少し長過ぎるのですが、聞いていることを簡潔にお答えしていただきませんと、これで私がお聞きしようと思ったことのたった一ページばかりにこんな時間がかかってしまうのですね。お聞きしたいことがこれだけあるのですから、この程度のテンポでいったら、これは十日ぐらい聞かないと私の質問趣旨が全部聞いていただけませんね。いままで私も、委員会に大体においてずっと出ておりまして聞いていることがありますから、聞いていること、いままでお述べになったことはもう述べていただかなくてもいいです、同じことは。私が聞きたいことは、そこでなおかつ、私のこの程度の頭でわからなかったことをわかるようにしたい、それがまた私を選んだ国民考えでもないか、こういう趣旨で聞いているのですから、ひとつそういう意味でお願いします。  それから、この元号法天皇制というものは密接不可分のものだ、これは天皇国であるということの一つ表現だ、天皇を避けてこの元号法案論議することはできるはずがない、国会天皇制論議が社会党などから持ち出されるならば、政府はそれを正面から受けて、日本天皇国であることの事実と意義等を明示すべきであるという意見が神社界あたりの意見として出ているのですが、いろいろな意見もあり得るが、という意味三原長官から前にお答えいただいておりますが、この辺、一言でいいから、そんな考えはないとかあるとか、こう言ってください。
  23. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 旧憲法下におきまする天皇制の復活というようなことがよく論ぜられるわけでございますが、そういうような考え方は毛頭ございません。この点ははっきり申し上げておきます。
  24. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 そういうふうに簡潔に、はっきり、ひとつできるだけお願いしたいと思います。  天皇はいま百何代ですが、平均の在位年というのは、これちょっと計算しにくいでしょうけれども学者の間では大分いろいろ疑義のある点ですから、大体何年ぐらいになりますか。
  25. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 現在、今上陛下は百二十四代というふうに私どもは記憶をいたしているわけでございまして、それからまた、この百二十四代の始まりの方につきましては、実は私といたしましては歴史の知識が必ずしも十分ではございません。古い知識で恐縮でございますが、皇紀で勘定すれば現在が二千六百三十何年ということになろうかと思いますので、そのようにして割り算をいたすほかはなかろうかと思うわけでございます。しかしながら、それは多少歴史の問題として考えますと、上代の時代につきまして定かでない点がございますので、端的にそのまま割り算した数字をここでお答え申し上げることはやはり適当ではなかろうというふうに考えますので、その程度にとどめさせていただきたいと思います。
  26. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これまたお答えが長くなりそうな話ですけれども象徴天皇というのは簡単に言えば権力を持たない、そういう権力の、いわゆる主権あり方、それに伴う権力、こういうふうに考えていきますと、いわゆる象徴というのは非能力、非権力、こう考えていいと思うんだけれども、これもそうであるかないか、ひとつ簡単に、余りむずかしい論議でなく。
  27. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 簡潔にお答え申し上げますが、天皇象徴であるということが憲法で書いてございますのは、天皇は権力をお持ちにならないという消極的な面だけが出ているのではなくて、そのほかに、天皇の御存在を通じて日本国家あるいは国民の統合ということを国民が意識するという積極面もあるということを、積極、消極両面をあわせてお考え願いたいと思います。
  28. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 積極面として意識を深める立場があるということになれば、そういう行為を伴うものですか。
  29. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 行為とおっしゃいますのは天皇の御行為のことであれば、それはいわゆる国事行為のみを行いになって、国政に関する権能はお持ちにならないということでございます。
  30. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 そうすると、一つの積極面としては、その存在を意識して国民の統合を図っていくという意義がある、しかし、具体的にはそういう方向で運動するとか努力をするとかという能動的なものは持っておらない、こういうことですね。
  31. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 先ほど申しましたように、象徴であらせられるということの積極面についてお話ししましたのは、それのまた裏返しといいますか、あらわれとして国事行為を行われる。ただし、国政に関しては関与されないという、そういう留保のもとに、国家機関としての国事行為の主体であらせられる、こういうことでございます。
  32. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これもまた公述人の言葉ですが、お聞きになっておらない方もおられると思うのだが、坂本公述人言葉の中に、これは私の聞き違いであるとすれば御免こうむりたいのですが、元号の問題は文化の問題と考える、象徴の問題と絡むと思うのですが、そんなふうな意味言葉があったのです。これは本当は公述人に質問する方がいいのでしょうけれども元号は文化の問題というふうにお考えになっているわけですか。これは、お考えになっている政府委員にお答え願いたいと思います。
  33. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 わが国における独特の紀年法としての元号という意味におきまして、文化的な一つの所産であるとかあるいは一つの伝統であるというような見解が述べられていることがあると承知いたしておりまして、その点につきましては、私もそのような面はあるだろうというふうに思います。
  34. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これまた坂本公述人の話になるのだけれども、南朝、北朝に分かれて、文化の中心となったというようなことを言われて、そしてまた同時に、南朝、北朝に分かれて、文化の中心になったというふうな表現からすると、文化というものは何か権力と同じについているような感じの表現をされましたけれども、南北朝の場合は、文化と言えば文化でないと言えないかもしれませんけれども、やはり一つの支配権の分裂でありまして、なるほどその中に、正統性を主張しようという立場から北畠親房の立場で神皇正統記というような一つの物が出ておりますが、言ってみれば、私も歴史の専門家ではございませんけれども、やはり一つの分かれた支配権の正統性の主張を競い合う、そういうところから、年号も別々に出して、そういう支配的立場を広めていこう、こういう相争う中に発展があった、こういうふうに思うのですが、その相争う中にあった発展が文化だ、こういうふうに考えますと、ちょっと年号そのものとはなかなかつながってこないような感じがするのです。  一般的にいままで論議されております中で質問者の共通して言っていることは、やはり年号というものは支配権力の及ぶ範囲で使われるものである、これは坂本さんもそういうようなことを言っているのじゃないですかね。そういうことを歴史が証明していると思うのです。元号の伝統というものは、何と申しましょうか、いま制度化して残さなくてはいかぬというふうな、そういう伝統でしょうかね。その辺のところ、後で文化の話をちょっとお伺いしたいと思うのだけれども、文化庁の方、御意見をちょっとお願いします。
  35. 上田説明員(上田一郎)

    上田説明員 文化といいますものは、普通言われておりますのは、広く解しますと衣食住でありますとか学問、道徳、芸術、ひいては物の見方でありますとか考え方、つまりおよそ人間の物質的、精神的成果の一切を含むということになるわけでありますが、文部省において文化庁の所掌する文化といいますものは法令の規定で明記してございまして、芸術及び国民娯楽あるいは文化財、出版、著作権の問題、それからそれと並行しましてこれらに関する国民の文化的生活の向上のための諸活動を指すということになっております。元号につきましては、文化庁に限らず根本問題として国民の貴重な文化的所産であるというふうに考えております。
  36. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 文化の話はまた後でお伺いしますけれども、余りたくさんあるから、なるたけ省いてお尋ねします。防衛庁の方、いらっしゃっていますね。――防衛庁では西暦と年号とどんなふうに使っておられますか。
  37. 伊藤説明員(伊藤参午)

    ○伊藤説明員 お答えします。  防衛庁では特に原則というものを決めておりませんが、防衛庁が発出する公文書については、すべてと言っていいほど元号を使っております。相手方が外国であります場合には、相手方の都合も考えて西暦を使用するという例もございます。そのほか広報等の文書あるいはいろいろな研究等の文書につきましては、そのときどきの筆者の使用したものをそのまま使うとか、時によっては、国際比較なんかの場合には西暦を使うということでございますが、一般的に庁内で使われている元号は、ほとんど昭和元号をそのまま使っております。
  38. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 防衛庁というようなところはやはり国際的な西暦なら西暦で統一する、こういうふうな一つの統一性、一体性がなければだめなんですがね。西暦中心にやっているんじゃないですか、実際は。いろいろな計画にしても作戦にしても、どうですか。何か元号法をいま法案になっているからというので、余りそれに迎合して答える必要はないのです。
  39. 伊藤説明員(伊藤参午)

    ○伊藤説明員 お答え申し上げます。  防衛庁では、国会でお定めになっておる法律あるいは内閣でお決めになる政令、そういったものに従ってやっておりますが、そのほかに防衛庁長官が定める訓令、防衛庁長官が三自衛隊に発出する指示、こういったものに、そのときそのときの年号を防衛庁として使っておりますが、これの紀年のやり方はいずれも昭和を用いております。それから各幕等で各部隊等に指示する場合なんかも、全部年月日を記す場合には、昭和を使っております。
  40. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 私の常識的な調べで聞いたところによると、防衛庁は西暦である、こういうふうに一言で私に答えが出ているのですがね。何か答弁が素直じゃないような感じがしますね、どうもよくわからないけれども。  贈り名というのは、これは尊称ですか。
  41. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 陛下がお亡くなりになった場合は、贈り名、追号を差し上げるまでの間、大行天皇と申し上げて、一定の、ある程度の時間がたちましたところで新天皇が追号を差し上げる、こういうような慣例で来ているわけでございまして、現在、法令はないわけでございますが、そういった慣例を尊重しながら対処するというようなことになるのではないかと存じております。
  42. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 何かいま聞いていてよくわからないのだけれども、尊称かどうかと聞いているのですが、尊称ですか、でないですか。
  43. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 尊称かどうかという御質問でございまして、その意味から申し上げれば、通常の意味の尊称に当たると存じます。
  44. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 贈り名としての年号を制定することはできますか。
  45. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 贈り名でございますいわゆる追号と元号との関係と申しますのは、従来も別な制度として動いてきているわけでございまして、明治、大正、この二例は元号がそのまま贈り名になっているという事実はございますけれども、それが直ちに連動している、当然そうなるというような制度上の関係になっているものではないと私ども存じております。
  46. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 活字読めばすぐわかるような話でなく、制度上どうだということもさることながら、そういうことができるかどうか、考えてみたかというふうなことをお尋ねしているわけなんで、できないのですか。
  47. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 たてまえ上も、ただいま申し上げましたように、別な決まり方になってくるものでございますから、元号が決められたら当然に追号がそうなるということを断言して申し上げるわけにはまいらないというような関係になるのではないかと存じます。
  48. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 天皇御自身があるいは天皇家が贈り名を自分で名のる、こういう自由はありますか。
  49. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 ただいま申し上げましたように、いままでの追号のやり方というのは新天皇が、新たに即位されました天皇が前天皇に対しまして差し上げる、贈るというかっこうでずっと来ているわけでございまして、御自身がどうこうされるという例はないと存じます。したがいまして、私どもといたしましても、御自身が自分のことをお決めになるというかっこうはちょっと念頭に置いていないところでございます。
  50. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 国民と同じ立場になられることを期待されておるのですから、国民の一般がそうだというわけではございませんけれども、こういう問題がややこしい場合には、私に対する贈り名というか、天皇名はこうしてもらいたいということを天皇に言っていただいた方がやはりいいのではないでしょうか。これは無論戒名とは違いますけれども国民の中にはもう先に決めておる人もありますし、それとは別ですけれども、そうすると、そのおっしゃられる贈り名を、今度政府の方でまた別の立場でたとえば年号として採用するというふうなケース、これは私はいいとは思いませんけれども、そういうことも考えられるわけでありますが、そんなことを考えたことがありますか。
  51. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 ただいま申し上げましたように、追号というのは、過去数百年の間のやり方といたしましても、新天皇が前天皇に対しまして贈り名をする、こういう伝統で参っているやり方のものでございますので、それが逆転をするということは、ただいまの発想といたしましては、なかなか困難なことではなかろうかというような感じがいたすわけでございます。  また、元号との関連となりますと、何しろ元号は、紀年法といたしまして国務の、国政の問題である、したがって天皇が、それがそうなるということを前提にしてどうこうするということはあり得ないかっこうになるわけでございまして、その点は御了解を賜りたいと存じます。
  52. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 先ほどもそれに幾らか触れましたけれども元号の効果というものはどういうふうに考えていますか。
  53. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 効果と申しますか、そのものがわが国においては、一般的に年月日のその年の表示の方法として広く使われているということが、つまりその効果であるというふうに思います。
  54. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 先ほどもちょっとそれにつながるような発言があったのですけれども、その辺を聞いているのです。つまり、書類をつくっても天皇の名を書く。天皇の名前でないと言うけれども、実際上、国民的常識からは、天皇の名だ、こう思っている人が多いのではないですか、かなりあるのではないですか、それを意識してはいないけれども。そういうふうに、手紙を書いても天皇の名を書く、伝票にサインしても天皇の名が直接ではないにしても入っている。新聞もテレビも広告も、直接ではないけれども、毎日毎日天皇の名で呼びかける。そしてこれを法律にして決める。これはだれかが言ったのだけれども、言ってみれば、意識するとしないにかかわらず空気みたいに体の中に吸い込まれていくように、意識しない場合も人間の精神作用の中に体質化させるように天皇というものを持っていく、これが目的ですね。
  55. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 私どもは、それが目的だというふうには考えておらないわけでございまして、今度の法案におきましても、そういうこととは全く関係のないものとして紀年法としての元号を定める、そういうものとして理解いたしております。
  56. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 元号の決め方も昔からいろいろあったようで、家光が年号を決めたというような記録もちょっと見ましたが、一世一元を天皇以外の人が決めた例が日本にはありますでしょうか。
  57. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 御質問意味がよくわからなかったのでございますが、天皇以外の者が元号を決めたことがあったか、なかったかという御質問かと思います。  その点につきましては、これは私どもが承知をしております歴史的な知識の範囲ということでございますけれども、きわめて形骸化したと申しますか、実質的には、たとえば幕府の考えによって左右をされたと申しますか、そのような状況のものがあったという説明は幾つか例として挙げられておりますので、そのようなことがあっただろうということは想像いたしておりますけれども、その場合におきましても、名目的と申しますか、最終的と申しますか、そのような点について言えば、天皇が定めてこられたというのが元号の歴史であったように理解いたしております。
  58. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 昔はもう存命中に贈り名を決めたようですね。後継者たる天皇が本人である前天皇の同意を得て存命中に決めたように、私ちょっと調べた結果、そう思っているのですが、御存命中に決められてもいいのではないでしょうかね。その辺のところは宮内庁あたりでどうお考えか。さっき聞いたのだけれども、やはりうまくないですか。
  59. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 先般、参考人の方が、後村上、後醍醐両天皇は遺言によって、ということですから生前御自分がという意味になると思いますが、お決めになった例があるのだという御説をおっしゃったようでございますが、私どもといたしましては、歴史的事実としてそういうことがあったのかどうか、現在の宮内庁といたしましては、つまびらかにいたしておりません。
  60. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 いうところの元号というのは、やはり君主の治世を示す本来の性格を持っておると思うのです。ですから、これが分裂したり何かするといろいろなものが出てくるわけでありまして、そういう意味で君主の治世、元号、こういうふうにつながっていると思うのです。ですから、一昨日もアメリカがどうとかこうとかという論議がちょっと出ましたけれども元号日本天皇主権象徴だという考え方につながるから、アメリカは、それはいけません、こう言ったわけでありまして、また現にそういう立場で、端的には沖繩では禁じたわけであります。一昨日、占領が終わったら書いても何でも自由だよとGHQが言ったなんというふうな意味のどなたかの話がありましたけれども、これはそんなことはないのです。あのときのそういうことを言う発言者はケーディスですけれども、そんなことを言ったという記録も証拠もどこにもありません。  それから、年号を決めるときに、公開と申しましょうか、なるたけ余り密室でやるようなことでなくやろうという点もちょいちょい言われておりますが、いまの天皇のお名前、元号を決めるときは、秘密にやったんだけれども、御承知のように毎日新聞に、あのころは東京日日ですか、内定といいますか、決定したのがスクープされまして、そして新聞に出ちゃったんですね。出ちゃったものだから、これは大変だということになって大騒ぎになって、そして、まあスペアと言ってはおかしいけれども、その決まったのでないのを、別の用意のものを出して昭和というのができたという記録があるのですが、このときに毎日新聞がスクープしなければ、いわゆる光文、いまは光文五十四年ですか、そういうことになっておったはずなんですが、そういうふうに、何かそういうことでもって秘密にやっているのだけれども、ちょっと漏れちゃったからまた別のものにしようなんて、そんなこともやはり考えられるのでしょうかね、これからの元号制定の過程の中で。余りそういうことを苦にしないで、どこからどこに伝わってもいいというふうにして、それこそ本当の国民象徴たる天皇の時世を表明する年号にふさわしいんじゃないですかね。その辺、どんなふうにお考えでありますか。
  61. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 お答えをいたします。  国民元号的な開かれた元号にしたいという、そういう姿勢は持っておるわけでございますし、また今日までの審議の中におきましても、そうした民主的な決め方をする、あるいは国民元号的な性格を持たせるためにいろいろな工夫をしたらどうだという御意見がいま御指摘もございましたが、ひとつそういうような姿勢、あるいは準備の際にそういう方針を踏まえながら検討してまいりたいという考えでおるわけでございます。
  62. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 中央集権的律令国家の第一歩というような意味元号を、中国から伝わってきたものを使った、こういう意味では一つの適切な時代としての意義はあると思うのですね、大化というのも。しかし、大化というものも、本当に大化なんという年号があったかどうか。これは歴史家の間ではむしろ、後でつくり上げたものだという説の方が支配的ですね、私の調べた限りでは。  それはそれほど意味がないのですが、意味がないと言うとおかしいが、歴史というものはそんなに正確なものではないですから、それは政治家の歴史なんかを見ると、自分のことを書かれたのを見ると三原長官もよくおわかりだと思うのだけれども、いろんなわれわれの身近に知っている偉い政治家の伝記なんかも、ずいぶん本当と違うようなのが多いですね。それからまた、私は議員でありますけれども、一方、農民運動者でありまして、むしろその方が私の専門といいますか、そういう立場ですから、したがって五十年、六十年の農民運動の中に生きてきておりますから、身をもってその歴史の跡を体で受けておるのですけれども、さて、農民運動史なんというものをつくったものを見ますと、皆それぞれAの立場から、Bの立場から、Cの立場から、東から西から北からというふうに、大分アングルの位置が変わっておりまして、これはずいぶん事実と違うなということが多いのであります。  そういう意味で、日本書紀がもとになって、この大化とか元号というような問題も論議されていると思うのですけれども日本書紀だって、いまの歴史でさえそんなに正確じゃないのですから、あの時代の歴史にそんな正確なものがありっこないので、ましてや日本書紀なんというのは後で何遍もいろんな人によってつけ加えられている面がありますから、そういう意味でやはり、残すべき、伝承すべき、伝えていくべきものと、そうでないものというふうに振り分けて考えるというのがわれわれの立場じゃないかと思うのですね。ただ古いからとか、昔こうだったからというのにとらわれるのでなくて、やはり将来に向けて、より合理的な、将来どうしたらいいかというような、そういう立場で行くのが政治の立場であり、行政だってそうだと思うのですね。そういう意味で、何か伝統というものにとらわれる――とらわれるのはいいのだけれども、そのとらわれ方がちょっと非常に偏狭な感じがするのですが、三原長官、恐らくそうでないと言うのでしょうけれども、やはりそうでないでしょうね。
  63. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 歴史と伝統の中には、いまお話のございましたように、伝承すべきものとあるいは整理をすべきものとあろうと思いますが、その点はあくまでも現時点と申しますか、現世において国民の英知と良識によって、これは残すべきであろうというものは残し、そうでないものは整理されてしかるべきものだと考えております。
  64. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これはちょっとだれに聞いたらいいかわからないのだけれども、今日の時代は宇宙時代でしょう。その中の地球、その中の、国際社会の中の日本、われわれはこういう立場であるのですから、この時間というものをはかる場合に、天皇の命とくっつけてはかるという考え方は、これはちょっと科学的でもないし、将来に向けての知恵のある扱いでもない。     〔委員長退席、竹中委員長代理着席〕 その辺、やはりいい知恵だと思っていますか。
  65. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 どうも御質問の中身、多少私の受けとめ方に違いがあるかもしれませんけれども、私はやはり、いまたとえば例を挙げれば、西暦は世界的な幅を持ち、いたしておるし、国際的に通用される、元号日本だけではないかというような点との調整の問題等で御意見があったろうと思います。私はそういう点において、日本元号があるということが、そうした国際的な問題なりに決して、もとると言えばはなはだ問題がございますが、適正でないとかあるとかというような問題ではなくて、私は、日本にそういう独自なものがあっても国際性に違反するものでも、また、国際的な協力をしないということに考えられるものでもない。独自性は認めていただけるものだと考えておるところでございます。
  66. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 やはりこれでは天皇暦なんですね、一口で言って。一世一元というのは憲法によって破棄されたものですね。それをまた元号法で、同じことを言葉とか文字なんかを少し改めて、実質的には復元して法制化するということになると、やはりこれは憲法違反じゃないですか。そうでなくとも、なし崩しに憲法の反動的訂正を図るものであるというふうに見ないわけにいかないのじゃないですか。
  67. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 元号制度そのものが憲法改正によって廃止されてしまったとは言えないわけなんで、別に憲法のどの規定にも反するわけではない。  それで問題にされておるのは、いわゆる実質的な一世一元の点だろうと思うのですが、なるほど天皇憲法上の地位は旧憲法と現在の憲法とでは非常に違います。違いますが、現在の憲法でも、やはり象徴としての天皇の地位というものは厳粛に国民の総意によって認めているわけですから、皇位継承というその事柄を契機として改元をするということは、少しも憲法違反にはならないというふうに考えわけでございます。
  68. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 憲法といえども万世不変のものではありませんので、法でありますから、改めて悪いということはありません。時代の進歩に対応して法律は何でも改めてよいものだと思うのです。しかし、歴史を後戻りする改正と申しましょうか、そういうものは許されないのでありまして、法というものは後戻りするのではなくて、やはり進歩のための法でなければならぬと思うのです。もっとも法というものは、素人が専門家に聞くのですけれども、元来固定していくんだから保守的なものです。一番進歩的なところに合わせて法をつくるということはできませんから、反動と進歩と仮にあるとすれば、どうしてもそのうちの中段か中のちょっと上くらいのところ、そこで法というものはできるのじゃないかと思うのですが、いずれにしても、進歩を目がけていく、水準よりも後ろに持っていくものではいけないと思うのです。そういう意味で、天皇の生命と一体にする天皇暦というものが進歩的性質を持っておりましょうか。
  69. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 元号の問題につきましては、それがわが国における長年使われ定着しておる紀年法という点に着目してのことでございますので、特に進歩的とか反動的とかいうことではなくて、これを国民が現に使っており、将来も存続を願っておるということに尽きるかと思うわけでございます。
  70. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 なかなか尽きるものじゃないので問題なんですが、時間があれだからなるたけ飛ばしていきますけれども、ちょっと重要な項目だけは聞いておきたいと思うので、そういう意味でひとつなるたけ短くお願いしたいと思うのです。  元号という言葉、これをどう思っていますか。
  71. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 これは現在におきましては、一般的に元号あるいは年号というのは、どちらも同じような意味に理解をされているということは申し上げられるかと思いますが、私どもといたしましては、現に元号ということで十分理解されておりますし、それからまた、これはある時点で変わっていく、その変わっていく呼び名、そのもとになるところを元年として名前を変えていくというような、そのもの自体のあり方というような点から考えますと、どちらを使うかということになりますと、やはり元号という言葉を使った方が適当であろうというふうに判断をいたしまして、そちらを選んだということでございます。     〔竹中委員長代理退席、委員長着席〕
  72. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 私はいわゆる伝統と文化を重んずるものでありまして、そういう意味で文字というものを非常に大事にしたいと思うのです。元号と年号と同じだなどという感覚では困るのです。字が違うじゃないですか、そこをどう思っていますか。二分の一違うのですよ。
  73. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 文字の違うことは御指摘のとおりでございますが、私の申し上げておりますことは、ある時点で元年にして、そこからまた年数を示していくというようなものでございます。そういう意味からいたしますと、元号という方がより適切であろうというふうに考えわけでございます。
  74. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これは大変重要な問題だから後で何遍も聞きますけれども元号と年号は違うのです。このくらいのことがわからなくては法案を出す資格はありませんよ。日本語では元というのは始めですよ。号というのは名づくということです。年号というのは年ですよ。年を名づくなんです。始めを名づくと年を名づくとは全然観念が違うじゃないですか。全然と言うとおかしいですけれども、少なくとも二分の一は違います。そこがわからないですか。
  75. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 年を示していくということでございまして、そのスタートがある時期に決まりまして、そこでそれからの呼び名といたしまして、たとえば昭和なら昭和ということになるわけでございまして、そこが起点になっていく、こういう意味で、元号という感覚は十分適当なものではなかろうかというふうに思うわけでございます。
  76. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 余りよく御存じないようだから、少し私の方から明らかにする必要があるように思うのですが、少し字を大事にしてもらいたいと思うのです。大体元号を制定するという考え方の発生的な点をずっと探っていきますと、言葉というのは非常に大変ですよ。たとえば大化の場合だってそうですね。大化という文字は非常にいろいろな意味を持っているのでありまして、これは中国言葉だけれども、呂氏春秋の漢書からとっているのです。「姦邪去り賢者至りて大化をなす。」ここから大化をとったというのですね。そして「民のために利を興し、害を除き大化をなす。」こういうふうなつながりになっています。そして「教化を布いて天下を治せんとす。」こういうふうな歴史の言葉の中からつながってきているのですね。元号と年号を同じだなんて考えられちゃ困るのです。元というのは始めなんです。始めを名づく、それで元号なんです。年号というのは年を名づく、それで年号なんです。これをごっちゃに考えたらとんでもない。そんなことで元号考えられたら、もともとまるまる狂っちゃうのですね。  世論調査だってそうです。年号はどうだなんて聞いていて、後で今度これを利用するときには、元号は支持されているとか国民になじんでいるとか、こういう論法で来ているのです。元号はどうだなんて尋ねている世論調査もないわけじゃありませんけれども、その場合だってアルバイトを使ってやったでしょう。政府の世論調査でアルバイトを使ったか使わなかったか、ひとつ聞いてみたい。どうですか。
  77. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 政府の世論調査は総理府の広報室がやっておりますが、これが行います場合は、通常の方法と申しますか契約によりまして、一定のところに調査を委託してやるやり方をとっておるように承知いたしております。  その調査におきましては、調査員を使いまして調査をいたしておりますので、その調査員の中に臨時のアルバイトがいたかどうかという点は、私ただいまつまびらかには承知いたしておりませんが、方法といたしましては委託を受けたところがそういう調査員を使って調査をしたということでございます。
  78. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 元号と年号ですが、「元号、賛成ですか」と聞いたって、国民は「えっ」と聞きますよ。わかりませんよ。そこで初めて言い直して「いや、年号です」こう言えば、「年号は使っているからあったほうがいいな」こうなんですね。元号なんて聞いたって、だれも答える人はいないと思うのです。  恐らく世論調査でアルバイトを使っているのです。私、現にその使われたアルバイトに接触を持っています。学生アルバイト、ずいぶんでたらめですよ。どうせ書きさえすればいいんだから、わからないところはおまえが書いたっていいと言わんばかりの末端の指導でやられています。これは現に――うそだと言うなら証人を出しますよ。ある者は、結局給料をもらえばいいんだから、ある程度回って、いなかった、留守だったけれども書いておけというので、自分で書いておくという形で自分でつくったという事実があります。私は、世論調査をやったというアルバイトから直接の話を聞いています。そんなわけで、そういう人たちが政府の世論調査をするのです。そこへもってきて元号なんて言ったって、年号と言えばわかりますけれども、恐らく元号なんて調査をしていませんから、そういうふうなわけですから、調査というものは、同じ形で何遍もやれば一つの傾向というものをつかむことはできるのです。しかし、そのものがよりどころになる場合は案外少ない。  アメリカじゃないかというやじがあったからイギリスの話をしますけれども、イギリスのディズレーリという政治家は世の中には三つのうそがあるということを言っています。一つは口でつくうそだ、もう一つは黙っているうそだ、もう一つは統計のうそである、こういうことを言っているのです。私はこれはかなり当たっていると思うのです。統計というものは、合わせた数字そのものは正しいです。しかし、吸い上げるところで違ってくる。それからその合わせ方を、どっちとどっちと合わせて、どういう効果に持っていくか、その合わせ方で違ってくるというふうなわけでありますから、政府で盛んに世論調査、世論調査と言いますけれども、それは根拠になりませんね。私はそう思うのです。一つの傾向として調査をされる場合には、それぞれの結果が出ると思うのです。  この元号と年号の問題は大変な問題ですから、たくさん申し上げたいことがあるのですが、文字ということになると、昔の年号もずいぶん縁起を担いでいろんなことをやったですね。そういう迷信的なものも含んだ古い時代の年号、元号というものを――私、年号、元号と言いましたけれども、年号というのは元号も含んでいるのです。西暦も含んでいるのです。マホメットも仏教も、私年号も偽年号もすべて含むのです。話が横に入りましたけれども、それはおわかりでしょうね。年号というものはすべて入るのです。もっと基本にいけば、いわば算年法です。年を数える法です。これを広く言った呼び方だと思うのです。算年法だと思うのです。私は別に数学者でも何でもない、言語学者でもない。これは常識上そうだと思うのです。算年法です。  だから、数え方の中には、一年、二年と言ったって、もっと大きなスケールの、たとえば星の年齢、宇宙の年齢、いろんなものがあるでしょう。光年というのもある。一年間かからなければ光が届かないという距離、あるいは何億光年なんという距離の概念がありますね。光は一秒間に七万六千――われわれちょっと古いから七万六千里かな、七万六千キロかな、何かそのくらい走る、そういう尺度で年齢をはかるという方式もあるわけです。しかし、宇宙の年は年号とは言いませんね、そういう概念。  少なくとも年号というものの中には、いま申し上げましたように元号も入ります。西暦も入ります。西暦だって、キリストのあれに合わせたという意味では元号ですね。しかしこれはキリストの誕生と必ずしも合っていません。日はずれています、年はずれていますけれども、そういう宗教的な始まりを呼んだ、名づけた、こういう意味ではやはり元号です。そういう広い意味ではキリストの西暦も元号です。いずれにいたしましても、年号の中にはキリスト暦も、皆さんの言う元号も、仏教暦も回教暦もみんな入るのですから、そういうものを一緒くたにして、元号と年号をごっちゃにして、そして国民の声がどうだなんというふうに言われると、ちょっと困るんですね。  たとえば、人は好きかと言われれば、人間である限りだれだって人は好きです。ところが、人は好きだという答えを三原朝雄が好きだ、こういうふうに置きかえてしまったのでは、これはちょっと無理があるんですね、人には大平正芳も八百板正もいるんだから。そういう意味で、二つにも三つにも考えられるようなものを出して、そして賛成か、いいか、どうだなんという聞き方は、世論調査としては非常に適当でないのです。元号立案の根拠は全くありません、私はそういうふうに申し上げます。間違った基礎の上に世論をはかってはいけません。  もっとも文字というものをごろ合わせみたいに考え考えは私もございません。たとえば、よく出ておるように明和九年が迷惑だから改めたとか、あるいは大正についても、私は正という名前だけれども、これは中国では正という字をきらっているそうですね。これは一にとどまるという字だからいけない、こういうのですね。これが大正に使われている、大いに正しい。それから森鴎外の「元号考」、これは発言者がかなり自分に有利なように、森鴎外が何とも言っていないのに何か意見を述べたような表現質問が耳に入りましたけれども、森鴎外は余り意見を言っておりませんが、しかし事実についてはいろいろなことを言っているのです。  たとえば大正というのは明の属国だった越の年号にあるというふうなことですね。もっともこれは、出典は明治も大正も易経からだと言われておりますが、明治は宋に滅ぼされた大理国の年号であるというふうなわけで、森大先生は「不調ベノ至リト存候」、こういう書簡を同僚か何かに送っておりますね。言葉は余り担ぎ回る必要はないと思うのですけれども、やはり正確に使うということは大事だと思うのです。  そういう意味で、天皇即位が一つの転機になって、そして国民生活に密着したものとして変化が起こるという、いわゆる元号というものを何か「主權の存する日本國民の總意に基く。」という象徴天皇の時世と結びつけて、そしてそれが切れたところでまた変えていくというようなことは、どうも長い歴史の中ではやはりなじめないことじゃないでしょうか。御返事を伺っても余りいい返事はもらえそうもないから、お答えはいいと存じます、時間がありませんようですから。  伝統ということを言われておりますけれども、文化庁の方かどなたでもいいのだけれども、一体伝統というのは一般的に何年ぐらいたてば伝統というふうに考えるのが常識でしょうか。習慣というものがありますね。習慣というのは何年ぐらい繰り返せば習慣と考えるのか。これは常識ですからそうはっきりはしませんが、常識的にこんなふうに思っているということをどなたか言ってくれませんか。
  79. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 私からお答え申し上げるのが適切かどうかでございますが、とりあえず御答弁をさせていただきたいと思います。  伝統というのは、字引などによりますと、「系統をうけ伝えること。」とかそういうようなことで、「伝承に同じ。」とか「特にそのうちの精神的脈絡。」とかいうような説明が広辞苑あたりで行れております。したがいまして、その何年というのは一つの要素と申しますか側面であろうと思いますが、同時に、その中身の意味合いといいますか濃さと申しますか、そのようなことと相伴った形で、そこに一つのいわばよりどころというようなものになっているものが伝統というようなことに値しようかというふうに私は理解をいたすものでございます。
  80. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 広辞苑にどう書いてあるなんということじゃなくて、国民的な常識としてこのぐらいに思うという意味を私は伺いたかったのだけれども、字引にこう書いてあるなんというのは国会で記録にしたって余り役に立ちませんね。大体伝統というのは何世にもわたるということじゃないでしょうか、何世にもわたって引き継がれていくというのが伝統と、こう考えていいのじゃないですか。習慣というのは何年ぐらいかわからぬけれども、それより短い。  そこで、一世一元というのはこういうふうに言われているのです。明治で決めて大正から実行した、そして約六十年だ、それが主権在民で根拠を失って三十年続いている。そうすると、実際は一世一元というのは差し引き三十年しかない。これは三十年では、少なくとも年単位の点から言うとちょっと慣習とも言えないですね。そういう意味で、一世一元は三十年の前例なんですね。そうすると、これを伝統というのは、ちょっと無理があると思うのです。これは伝統と言えますか。
  81. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 私どもが申し上げておりますことは、紀年法としての元号、これが長い歴史の中で定着をしてきているということを一つ申し上げているわけでございます。  それからまた一世一元の問題でございますが、歴史的に見ますと、平安時代の初期数代の天皇のときに一世一元というようなことが行われたということは史実としてございます。いずれにいたしましても、元号自身の歴史としては天皇がかわられた場合の代始め改元、これが一つあるわけでございますが、そのほかに、それとあわせまして吉凶兆等の徴証による改元とかその他があったわけでございます。それが明治元年の行政官布告のときに至りまして、代始め改元以外のことは今後はやめるという趣旨がはっきり宣言された、こういうような経緯だろうと思うわけでございます。
  82. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 一世一元というのは制度としてはないのですよ、そういう場合はあったけれども、制度としてできたのは御承知のように明治が初めてですね。それを今度制度化しようというのだから、そういう意味でやはり三十年しかないのですね。そしてその前に仮にいろいろなものがあったとしても、そういう年号は明治の時期にすべて切られたわけですから、そういう吉凶禍福や縁起を担いだり迷信みたいなものはいかぬ、合理的にするにはこうだというので。そういう意味では、明治の一世一元は合理性があると思うのです。だけれども、それがまた新憲法でもって無効になったわけですから、そういう意味で、これをまた戻してくるということはどの点から言っても適当でない、こういうことに私は考えるのです。  それから、どうもお聞きしたいことが大変多くて困ってしまうのです。また、これはお聞きしたいと思ったことの十分の一ぐらいしか聞いてないのだけれども象徴というのは、憲法第一条の場合には機関ですね。人じゃないですね。どっちですか、これは長くなるから一言でいいから……。
  83. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 象徴と申しますのは、抽象的な、あるいは無形なものを具体的、有形的なものを通して感じ取るという場合に、その具体的、有形的なものを象徴というふうに言っているわけでございまして、機関であるとか人であるとかというような観念とは直接結びつかない、むしろ天皇という存在が象徴であるというふうに素直にわれわれは考えているわけでございます。
  84. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 そうすると、象徴というのはそういうものとしてとらえた場合でも変わらないものですね。変わるものですか。どっちですか。
  85. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 象徴意味はただいま申し上げたとおりでございますので、もし天皇が崩ぜられまして、新しい天皇が即位されれば、もちろん新しい天皇象徴という存在におなりになるということでございます。そういう意味では、変わるとおっしゃる意味がそういうことであれば、まさしく変わるということでございます。
  86. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 何だか変わるような、変わらないような話じゃ困るのです。やはり象徴というものは変わらないでしょう。憲法に定められた一つの構成といいますか、考え方としての象徴というものは変わらないでしょう。象徴そのものは変わらないのじゃないですか。天皇がかわったって象徴は変わらないのじゃないですか。天皇がかわれば象徴は変わるのですか。
  87. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 どう申し上げたらいいのか、その象徴という存在である方はおかわりになっても象徴たる性格は変わりません。
  88. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 その辺が何だか変わると言いたくないようだけれども、変わらないとも言いたくないようだけれども、ちょっとわかりにくいのだけれども、私はやはり憲法第一条の象徴というものには変わりがないと思うのです。天皇がお亡くなりになられても、それによって憲法第一条の象徴という、そういうものに変化はないと私は思うのです。そうでしょう。
  89. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 憲法考えております制度としての象徴、これは変わりません。ただ、その象徴という地位を占めておられる天皇がおかわりになることはあっても、憲法が予想しておる制度としての象徴は変わりません。
  90. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 何かそこを警戒しているような答弁だけれども、これは大事なところなんですから。憲法第一条の象徴という、これは天皇が亡くなられたって変わりませんよ。天皇が亡くなったら何か部分的に変わるようなニュアンスの話なんだけれども、これはそんなことはないですよ。天皇がかわったって憲法は変わりませんよ。そのくらいのことはわかっているでしょう。どうですか。
  91. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 天皇がおかわりになっても、それは象徴たる性格、憲法第一条が言っている象徴たる性格は、制度としては変わりません。
  92. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 私が尋ねることを警戒して何か言っているようだけれども、警戒してもらっても結構なんですけれども、なるたけ私は言いたくないことを言ってもらおうとしているんだから、はっきりさせまいとしていることをしようとしているんだから、警戒してもらうのはしようがないけれども象徴というのは変わらないのですよ。変わらないのが、天皇が亡くなられたことによって変わる、そういう考え方をここに含まして、そして元号というものをくっつける。始めでしょう。元号というのは始めを名づくです。始めを名づくということになれば、始めがあるということは終わりがあることなんです。だから、天皇が亡くなられたことによって終わった、そして新しく皇位継承者が出たことによって始まる。その始めを名づくというのが元号なんです。  そういうふうな考え方でいきますと、これはやはり第一条の精神を少なくともゆがめていく、変えていく、そういう方向にこれはなるんですがね。そうじゃないですか。
  93. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 先ほどちょっと申しましたように、元号制度そのものは、まず憲法上どの規定にも違反しない。ただ、いわゆる一世一元と憲法との関係はどうかという点にどうも御質問の焦点があるようにお伺いするわけですが、その制度としての象徴たる性格は変わりません。変わりませんが、その象徴としての地位にあられる天皇、存在、その天皇がかわられたこと、そのことを契機として改元をするということは、少しも憲法に抵触するとは考えられない。むしろ憲法趣旨に合うのじゃないかとすらわれわれは考えわけでございます。
  94. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 趣旨に合うのじゃないかという考え方は、きのうかおとといかの公述人の坂本さんの言われた考え方と同じなんですね。つまり年号、元号というものを天皇の名前でくっつけて、そしてこれを毎日使わして、主権の存する国民とのきずなをつくっていく、こういう考え方。そういう意味であなたは、その方が合うのじゃないか、こう言っている。そういう意味だと思うのですね。それはそういう意味ですね。だから、あなたの考えがそれで大体わかりますがね。  そこで、文化庁の方、見えているので、ちょっとどうかと思うのだけれども、少しお尋ねしたいと思う。日本の文化で独特のもの、外国にはないというようなもの、そういうものは何だと思っていますか。どんなものですか、それは。
  95. 上田説明員(上田一郎)

    上田説明員 日本独特の文化で、先生のおっしゃる意味がよくわかりませんが、たとえば現在文化財保護法に規定しております重要有形文化財でございますとか重要無形文化財、たとえば歌舞伎それから古美術、文楽、能楽等は、日本古来固有のものであると言うことができようかと思います。
  96. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 ちょっと文化的感覚がかみ合わないようだけれども、ちょっとほかの話と結びつけて、独立してお尋ねしようと思ったけれどもくっつけてお聞きしますが、即位式と同時に大嘗祭の儀が行われます。これは、昨日も同僚が聞いておりますから、同じことは聞きませんが、これが新憲法のもとで旧憲法のときのままではいけないのじゃないかと思われるような点があるのじゃないか、そこで検討をしたい、こういうふうな答弁三原長官からも宮内庁からもありましたが、大嘗祭の中で、旧憲法考え方が改められたという考え方からいって、どうも適切でないと思われるような行事、それはどんなものが考えられますか。余り意地悪く聞いているんじゃないのだから、一つか二つ、端的にこういうものはこんなふうに思われる、こういうふうにお答え願います。
  97. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 大嘗祭は、天皇が即位の後に初めて新穀をもって皇祖及び天地神祇を祭る儀式であるということ、御案内のとおりでございまして、これは非常に古くからの皇室の行事として行われてきた伝統のあるものでございます。さような意味で、この大嘗祭というのは非常に伝統のある即位に伴う儀式として従来は行われてきた、こういうことになっているわけでございますが、もちろん現行憲法のもとにおきますところの国の儀式としての即位の礼というのは、新憲法のもとにおきます制約というものがあるわけでございますので、そういった関係におきまして、どういうように行うべきかというようなことは鋭意資料等を集めて研究をいたしておる段階でございまして、大嘗祭にもいろいろな段階がございますが、どれをどうというところまで現在研究が進んでいるというふうにはなっていない段階でございますので、個別のことについて、これはこう、これはこうというのは申し上げかねる段階でございます。ただ、現在の憲法のもとにおける国の儀式としてはどうあるべきか、また、その他のものとして皇室の行事としてどう扱うべきかということは、十分慎重に検討をしてまいりたいと存じております。
  98. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 登極令というのはここにありますから、私もわからないところが多いけれども、ずっと見てみましたけれども、私の聞きたいのは、なかなかわかりにくいのですが、儀典の問題です。  儀典を扱っておられる方おいでだと思うのだけれども、いろいろなのがありますが、たとえば前の質問でも神様になる式だというふうな話もありましたけれども、その辺のところですね。もっとも古い祝詞なんかには神様になるというような、現御神とかいろいろなことが書いてありますね。それはいまどういうふうになっているかわかりません、そこまで記録を見る余裕もありませんけれども、たとえば国栖舞とか隼人舞とか、行事の中にもいろいろなのがありますね。それから生きているうちに神様になる、そんなふうな儀式はあるのですか、ないのですか。これは儀典長かだれか……。
  99. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 大嘗祭の一番中心となるのは、たとえば「大嘗宮ノ儀」というものが書いてあると思いますが、これは天皇が悠紀殿、主基殿でみずから新穀を供えて神恩に感謝し食事をする、こういうようなところの解釈、それを神道家がどういうように解釈し、どう言うか、いろいろな議論があろうと存じます。そういうものも含めまして一体どうすべきかということを、それこそ本当に資料も整えませんと、非常に古いときからの歴史等あるものでございますから、そういったものを含めて皇室の御行事としてどうすべきかということを検討しているところでございまして、はっきり申し上げまして現在結論が出ているわけではございませんので、その点は御容赦を賜りたいと存じます。
  100. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 何だか伺っていると、私よりも知らないような御返事で困るのですね。私なんか全然わからないのにある程度調べてみたのだけれども……。  ちょっと中身の話をしていただけませんかね。生きているうちに神になるなんというようなことが儀式の中にあるのかないのか。それから、たとえば、吉野の野蛮人ですか、野蛮人を征服したというふうな隼人舞とか国栖舞とか、そんなものはどういうふうなことなんだか、一つか二つぐらいでもいいから聞かしてもらわないと……。それから、本来的にはこれは新穀のお祭りでしょう。その辺のところをもう一遍ひとつ。
  101. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 大嘗祭のお祭りの中心は、ただいま先生おっしゃいましたように、全国でできました新穀を集めて、それを神に供えてお祭りをするという儀式であろうと思います。
  102. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これは後で幾らか変わったようですけれども、もともとは稲作文化の天皇家にあらわれた象徴的儀式だと思うのですが、そうじゃないですか。
  103. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 神事でございますから、いろいろの考え方があろうかと思いますが、いま先生のおっしゃいましたような言い方をする説もございます。
  104. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これは、説もじゃなくて、その方が本来的なものじゃないですか、名前が新嘗祭とか大嘗祭という点から言ったって。そしてまた登極令の中にもそういうことを書いてありますね。主たる行事はやはり稲ですよね。たんぼを定めて、抜き穂をして、そしてお上がりになる。つまりこれが主たる行事の中心でしょう。
  105. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 従来の即位及び大嘗祭のことが規定されておりました登極令を読んで、具体に書いてございます儀式をずっと追ってまいりますと、ただいま先生のおっしゃられたようなことのような感じがいたします。ただ御案内のとおり、非常に古くは大嘗祭という言葉ではなくて新嘗祭、いわゆる「にいなめ祭」と同じようなことで言っておったわけでございますが、相当古いときから、即位されての御一代に一度の儀式として大嘗祭ということがずっと行われてきた、こういうような関係になっております。
  106. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これはやはり稲作文化の象徴なんですよね。それに対して後で権力支配のいろいろなもの、儀式化されたものがそこにくっついていったのだと、これは私の見解ですが、そう思うのです。そういう意味で、この大嘗祭というものは新憲法にふさわしいように、そういうような生産面といいますか、国民の豊かさを念ずる、そして豊かな実りを念ずる、そういういわゆる日本の伝えていくべき伝統として、日本の文化というのは稲作文化ですから、そういうお祭りとして、そういう面に整理するといいますか、これが新憲法のもとで大嘗祭を行う意義があると思うのです。  と同時に、この行事は天皇家だけの行事という狭いもの、偏狭な方向に持っていかないで、偏狭があってはならないということは、何か憲法にも天皇のお言葉がありますね、とにかくなるたけ広げていく。そういう意味では、農民はもちろんのこと国民的行事として農業の生産を励ます、こういう稲作文化に培われてきた日本の伝統を高らかに、この行事を通じて国民的なものにするというふうにしていくべきだと思うのです。そういうことこそが、いわゆる国民とのきずな、そういう関係をつくっていくということになるんじゃないでしょうか。私はそう思うのですが、これはどう思いますか。
  107. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 大嘗祭そのものの性格というような点につきましては、いろいろとお考えのあるところであろうと存じます。その中で、日本憲法のもとにおいてどう考えるべきなのか、どれが最も日本憲法の精神に合致するのかということは、よくよく考えていかなければならないことと存じているわけでございます。ただいま先生の仰せられました一つの御意見、それも十分考えさしていただきまして、今後研究を進めてまいりたいと存じます。
  108. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 現御神に連なるというふうなそういうふうな考え方でなく、たとえば祝詞にも「現御神と大八洲国しろしめす天皇」なんというような言葉がありますが、これは大嘗祭の場合に入っているかどうか、確認しておりませんけれども、こういうふうな考え方で行事をやるのでなくて、祭事をやるのでなくて、もちろん昔の祭政一致という時代の流れと伝統もありますから、いろいろなことが絡まってくるとは思うのですけれども、やはり一つの時代とともにお祭りも幾らか変わっていくわけですから、いま申し上げましたように大嘗祭の、新嘗祭の本来的な新穀の豊かさをたたえながら国民の幸せを祈っていくというような、そういうふうな方向に位置づけるように持っていくのが望ましいと思うのです。  これはちょっと文化庁の方に関連してお聞きしたいのですが、私は農業の方はあなたよりは専門家だから、ちょっと農業にこじつけるようになってとお考えになるかもしれませんけれども日本の文化というのは稲作文化なんですよね。これはどなたが研究した結論からいっても。稲作とともに日本の文化、感情、モラル、いろいろな情感、色彩感でも道徳観でも、社会秩序でもでき上がってきているんですね。もともとこれだって日本古来のものじゃないのです。稲作が日本に入ってきたのは、大体縄文後期か弥生の始まりころと言われておりますね。ところが、これも中国から来ていますね。中国では稲を栽培したという考古学上の証明はずいぶん古いですから、古い出土品の中から出ておりますから、そういうことを考えますというと、中国の稲作が日本に渡ってくるまでには三千五百年ぐらいかかっていますね。それくらい長い歴史の中にいつとはなしに日本に渡ってきたというふうに見られますね。たとえば律令文化というか、大化にいたしましても、年号を使うのを日本でまねするようになった、これだって中国が使うようになってから日本に移るまでには、たしか七百年か六百何十年たっているんじゃないですか、数字は余りよく覚えていませんが。  とにかくそんなふうなわけで、やはりそれが日本に渡って、そして長い日本の歴史の中ではぐくまれて、一つの民族的なものに溶け込んできておるわけでありまして、これはよそから来たからどうだというものではないと思うのです。だから、その中で生きるものは生きていく、また生かさなくてはならぬものは、為政者や将来を考える人々の努力によって、これを保存して発展さしていく、こういう立場がわれわれの立場だと思うのですが、新嘗祭の持っている意味は、そういう意味日本の起源、文化の起源であるところの稲作の問題として考えるときに、私は非常に新しい、新しいと申しましょうか、むしろ本来の意味の発展として新しい方向が出てくるんじゃないかと思うのです。  そういう意味では、キリスト教暦だという西暦にいたしましても、やはり日本の実際の生活の必要の中で使われてきておる問題ですから、西洋だからいけないなんと言うんだったらば、あるいはキリスト教だからなんというようなことを言うんだったら、われわれがもう日常化している日曜、ひとつ日曜は委員会はやらぬことにしようなんという日曜なんという観念は、これはもともとキリスト教の安息日――あれは週を五日ですか、六日ですか、七日ですか、ある時期には週六日ですね。あるときには週七日、これは暦によって、ある時代時代によって違いますけれども、その中に日曜というものを定めたのは、これはキリスト教の安息日をとったものですね。それをもうだれもそんなことを考えないで、クリスチャンの方々はそういうことを思ってお祈りをされたり教会に行ったりされるんでしょうけれども、そういうように日常化しているんですから、だから、別に、中国から来たものだから、あるいは西洋がどうだからというふうなことは考える必要はない。やはりわれわれの近代生活の中で合理的でいいもの、しかも将来にわたって発展さしていくべきものをとる、こういう態度が必要だと思うのです。  稲作のついでに、少しコマーシャルになりますけれども、農業の話を大嘗祭との関係で少し申し上げますけれども、文化というのは、カルチュアというような言葉がありまするように、もともと耕すということでありまして、カルチベーターは耕す耕運機でありますが、そういうようなわけで、文化というものは農耕文化に起源を発しているわけでありまして、とりわけ日本の場合は稲作の農耕文化に端を発しておる。そういう意味で新嘗祭というものをそういう日本の伝統として考えていくというのが私は正しいと思うのですね。  たとえば皇極天皇が初めて年号をつけた、こういう記録が伝えられておるわけですが、その皇極天皇の名前を――これは元号というのは名前だから、大変重要だから申し上げるんですよ。よけいなことなんて言わないでください。皇極天皇はこういうお名前なんです。「あめとよたからいかしひたらしひめ」というんですね。これは漢字で書くと「天豊財重日足姫」、これは要するに、いわゆる五穀豊穣を祈念した天皇の名前なんですね。また、逆に言えば、この時代にそんなに理詰めにうまい名前をくっつけたなんというのはちょっと怪しいという問題もあるんです。後でもってかっこうをつけるためにつくったという説もかなり有力ですね、この時代としては余り名前がよ過ぎるから。  昭和もそうですね。昭和というのは、御承知のように、これは若槻内閣の時代に決めたんですけれども、やはり一つ国家の方向を出しているんですね。先ほど光文がすっぱ抜かれて、光文のかわりに出てきた、こう言いますけれども、そういう面も、事実はそうですけれども、光文と昭和とどっちがいいかということになると、私は光文の方が字画が少ないからよかったんじゃないかと思うのですが、しかし昭和というのは、意味としては、これは農民の立場考えた名前なんです。農民が安心して暮らしていけるように、国がよく治まるようにという儒教的国家観念、そういうものを実現、こいねがって示した名前なんです。  ところが、名は体をあらわすと言いますけれども、実際は昭和は農業をつぶす年号になっちゃったんですね。とんでもない戦争をやり、またがめつい資本主義競争をやって農業をひねりつぶして、そういう意味では光文の方がよかったんじゃないかと思うのです。年号というのを文字として考えれば光文が第一候補になるというのはわかるのです。昭和というのも農業を大事にして農民の豊かさを念じたという意味では非常にいいわけです。いいけれども、実際は名は体をあらわすということにならないで、戦争をやって、あるいは高度成長で農業を犠牲にしてというふうな形に進んできたというのが政治の現実ですね。  たとえば、明治の一世一元によって縁起を担いだりするのを消した、そういうことはやらないようにしようということは進歩ですね。そういう意味一つのすぐれた、打ち出した政策だと私は思うのです。ただ、それをつくったときは元年かな、とにかくそんなにかたく考えてないと思うのです、陛下も。とにかくあのとき御年十何歳ですからね。いまのようなマスコミ、テレビにうるさく教育される、いろんなことが頭に入る時代と違って非常にナイーブな最も困難な変化の中に立たれておったことは事実ですけれども、それにしても十七歳か十八歳ぐらいの立場で御即位されたのですから、もしいろいろな問題があれば側の者の方に問題があると思うのです。陛下は御英明な方であったから、いわゆる当事者能力と申しましょうか、そういうものをだんだん発揮するようになって、御承知のような明治を形成したということが言えると思うのですね。  神様という考えなんだが、東洋的生活の中では死ねば神様になるという考え方は古くはあるのです。死ねばみんな神様になるという考え方。みんな神様になるということになると、これはないと同じことになっちゃうんですね。そういうことになると思うのです。そこで明治以後、神道というものを中心国家政策に結びつけてつくってきたんです。そして仏教と分離したのですけれども天皇家は仏教徒ですね。お答え願いたい。
  109. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 歴史的に見ますと、過去におきましては仏教に帰依された天皇はずいぶんおられたわけでございまして、そういう事実はあろうと存じます。
  110. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 在位中に引っ込まれて、いわゆる僧籍といいますか、そういう立場になられた歴史はたくさんありますね。法皇なんというのはそういう意味でしょう。それが神様などもある時期には神様だか仏様だかわからない、そういう神仏混淆の時代がありますね。それを明治のときに分けましたね。それとこの天皇の神様というのとかかわり合いがあるんじゃないですか、天皇は現御神だという考え方と。その仏教徒である、徒と言うと言葉は適切でないけれども天皇家が現御神になってしまったから、これはもっとも大分古くから現御神なんだけれども、そういう言葉はたくさんあるんだけれども、その辺の関係はどうでしょうかね。これは私もよくわからないんだけれども、何か神仏混淆を切ったというのと天皇神格化を強化した歴史とのつながりがあるように思うのですがね。
  111. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 かつては法皇と名のられた天皇もあることは歴史的事実でございまして、そういう方が信仰心として仏教を信じられたであろうということは想像がつくわけでございます。また同時に、皇室の伝統的行事としてはいろいろな、いまで申せば神式的な行事というのも行われていた、こういう事実もあると存ずるわけであります。それが明治の際にどういうかっこうでとなりますと、これは学問の分野に属するようなことにもなってまいりますし、現在の宮内庁として、そこのところがどうであったかということは明言というようなことはいささかしかねるわけでございますが、これは学者によりましても、いろいろな説が出てまいっていると存じます。
  112. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 明治の年号はくじ引きで決めているのですね。岩倉具視がまとめて天皇がくじ引きをして決めたのですね。これはいろいろな考え方があると思うのですが、まあ担ぐ者は明治というものを「治まるめえ」というようなことに読んだなんという町の声もあったのです。いずれにしても今度は年号を決める場合に、どっちにしていいかわからないというような場合に、くじ引きで決めることはあり得ますか。これは宮内庁の方と三原先生の方と両方からお聞きしたい。
  113. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 お答えいたします。  候補名を学識経験者の方に御選定を願ってお出し願うわけでございますが、それをいまいろいろな腹案を考えて最終的に閣議で御決定願うわけでございますが、いまのところ、くじ引き云々というようなことは考えておりません。しかし、慎重に進めてまいりたいと思うわけでございます。くじ引きということは考えておりません。
  114. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 政治家が決めるということになりますと、事実上そうなりますから、そうすると、いろいろなバックがありますから、こう決めるとどっちの方に軍配を挙げたことになるとかというようなことでもって、まさかそんな名前は出ないと思うんだが、大平なんという名前が出ると、これは必ず反大平派が反発しますから、大平だっていい名前です、大平元年なんというのは。事実上これは内閣がつけるんだから大平元年とした方が一番ぴったりするのですね。だけれども、こういうことをやったら、恐らく反対意見が強く出ると思うから、そうすると、これは結局だれの考えと推薦にも偏ったものではないという意味で、いっそのことくじ引きにしようかというふうな場合だって起こり得るのですね、本当に困ってくると。そういう意味で私はお尋ねしたのであって、決していいかげんな話で聞いているわけじゃないのです、現に明治天皇の明治というのは、くじ引きで決まっているのですから。  それから習慣ということに関連して、年号を習慣的に使っているという問題との関連がありますから、メートル法へ変えたときどういう事情で変えて、そしてその利害得失をどんなふうにいま判断しているかということをひとつ簡潔にお願いしたい。  それから太陰暦を太陽暦にしたとき、どういう事情でそういうふうにしたか、それで、これはよかったか悪かったか、こういうふうな立場で、どなたか一番適当な人、きわめて簡潔にお願いしたい、ある程度は、それこそ字引を引いたり、年鑑を見れば、みんな書いてあるのですから。
  115. 秋山説明員(秋山収)

    ○秋山説明員 計量単位の問題につきましてお答えいたします。  計量単位を統一いたしますことは、商取引の秩序保持あるいは学術の振興などの基礎を築く上で必要でございますが、計量単位の統一に際しましてメートル法を採用いたしましたことにつきましては、メートル系単位が幾つかの長所を有しているということがその理由でございます。  その理由は、第一に、単位の基準が厳密に確定されているということでございます。それから第二に、各単位が十進法を採用し、かつ、広い範囲の単位がそろっているということでございます。それから第三に、新しい分野の単位を基本単位の組み合わせにより容易に導くことができるということでございます。それから第四に、世界の多くの国がメートル系を採用しているということでございます。  わが国は、明治十八年にメートル条約への加盟が決定されまして、以来、メートル系単位の普及啓発に努力が払われまして、大正十年に度量衡法が改正され、一定の猶予期間、分野別に十年、二十年と決められましたが、これを設けて、わが国の度量衡がメートル法に統一されることとなりました。その後、この猶予期間が何回か延長されましたが、昭和二十六年に度量衡法が現在の計量法に変わりまして後、昭和三十三年末限り尺貫法による計量単位を取引、証明に使用することが原則として禁止されまして、これを契機にメートル法単位への統一が急速に進んだのであります。このように、尺貫法単位からメートル系単位への切りかえに当たりましては、約四十年という準備期間が設けられまして国民生活への影響を最小限にするように配慮が払われました。  さて、メートル系単位への切りかえの後に、建築でありますとかあるいは和裁など特定の分野で、尺の単位の長さ計の使用につきまして実生活上の必要性という点から問題を生じておりましたが、これにつきまして昭和五十二年に現行法の枠内で当分の間、尺に相当する目盛りを付されております長さ計を供給する措置がとられました。これによりましてメートル系単位への統一に伴う問題点がさらに減少いたしまして、現在はメートル系単位への統一の利益が十分に生かされている状況にあると考えております。
  116. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 結構な御答弁なんだけれども内閣委員会元号法案が問題になっているのだ、そこで問われているものは何だ、こういう立場は、やはりお役人さん、考えなくちゃ、これは近代国家の官吏じゃありませんよ。ただ出てきて、何か記録にあるようなことを読み上げるのだったら、わざわざ長い時間お待ちいただいてお呼びしなくてもいいのです、失礼だけれども、そう思いませんか。私は、やはり長い間使ってきた習慣というものを英断をもってこういうわけで打ち消した。けれども、やはり残るものはこういうふうに残っている、こういうふうな角度で、この審議に協力するという立場で御答弁を願いたかったのだ。  まあ時間を苦にするわけではないけれども、そういう意味ですから、ひとつそこのところはお含み願いたいと思うのです。やはり近代化していく。しかし古いものでも不合理なものでも、そこになじんだものであって、たとえば尺貫法にしたってそうですね。私は数学者ではないからわからないけれども、メートル法というものは、科学的な基準に立った物差しですね。地球の半径ですか何かの何万分の一だかを一メートルにするとかなんとか、そんなような勘定でしょう。私はよくわからぬけれども、いずれにしても非常に科学的なものです。ところが、尺貫法というのは人間の体というものと日常の生活というものの中から出たあれですね。たとえば、こう物をつかむ一握りというような、そういうところから出たものだと思うのです。だから、やはりいいものは使われていくのだし、そういう意味で年号だって本当にいいものは、いい伝統として国民がこれを受け継いでいくものは受け継いでいくのだし、不合理なものはおのずから国民生活の中で消されていくのだし、そういうものだと思うのです。そういう意味で余り法律できめつけるだなんて、伝統とか文化とか慣習なんというものは法律できめつけてやるものじゃないのですね。こう言うと、いや法律で決めるのじゃない。ルールだけ決めるのだと言う。袋だけ決めるのだ、中身は別なんだ。ところが、袋だけ決めて中身は別だと言うが、中身はなお一層専断的というか、恣意的な行政の立場で狭いところで決められていくことになっていくということになると思うのです。  こっちで話したのじゃ質問にならぬから、だけれども習慣というのは、たとえばちょんまげとか断髪令とか帯刀とか、ああいうのも明治で終わって、ああいうのは大体において復活しませんね。やはり生活の中で求められていないからですね。だから一世多元の古い年号法だって、明治一世一元法によって消されていったわけです。その後一世一元がまた新しい憲法で消されていった。にもかかわらず、これをまた持ってきて、天皇の命に合わせる、こういう論法で来たのですね、今度の元号法というものは。そういう意味で、どなたか反対するのはアナクロニズムであるとおっしゃった方がありますけれども、これは先に言った方が得だと思って言ったのか知らぬけれども、そういうふうに後ろに持っていく方がアナクロニズムじゃないかと思うのですがね。  別にそんなことをとりたててどうこう言うわけじゃございませんけれども、それでよく事実たる慣習、慣習というようなことを言っておられるのだが、その事実たる慣習というのは、年号が親しまれている、こう言うのですね。これは先ほどもちょっと触れましたように、国民はだれでも、それは事実年号は欲しいと思っております、やはり年を数える方法がなくては不便ですから。だけれども、それを元号法というふうにすりかえちゃっているのですね。国民は年号は欲しいと思っている。年号はどうですかと言って調べた。世論調査もやった。みんながあって欲しいと言う。それじゃ元号国民の圧倒的世論だ、こういうふうに持っていってしまった。元号と年号は違うのですから、そこがわからなければ話になりませんよ。全然うそですよ。虚構の上に立ったあなた方の元号法の提出なんですよ、そういう論法で来れば。  年号というものは、先ほども申し上げましたように、あらゆるものを含んでいるのですよ。西暦も含んでいるし、元号も含んでいるし、マホメットも仏教もキリストも――キリストと西暦は同じだけれども、そういうふうに総称的なものなんであって、それをどうですかと言って聞いていけば、だれだって年号がなければ困ると思うから、年号結構です、続けてもらいたいと答えるに決まっていますよ。元号なんて聞いたって、それは何ですかと聞き直す。年号なんだよ、ああ、そうですが、年号ならあってもいいです、こういうことになる。そういうふうな形で形成された政府のおっしゃる事実たる慣習、事実たる慣習はありますよ。ありますけれども、そういうふうに持っていくということは、私から言えば言語道断なんですよ、そういう調べ方をして、これがこうだからこうだということは。三原長官は、うそは言わない、ごまかしはしないということを立ち話でおっしゃっているのを横から聞きましたけれども、それは御本人はそう思ってないでしょうけれども、年号と元号というのは、まるまる違うのですよ。その辺のところを幾らかわかりましたかな。そこのところをわかったか、わからないか聞きたいのですがね。同じだと言われますか。
  117. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 年号と元号関係につきましては、先ほどお答え申し上げたところでございます。私ども通常聞いております話の場合には、いま先生のおっしゃいましたように、年号と元号とがある程度範囲が違うようにお使いになる方ももちろんおられるわけでございますが、むしろそうでない、両方とも同じ意味で使うのだという方もたくさんいらっしゃるわけでございます。そのようなことがあろうと思いますけれども、私どもは、先ほど申しましたようなことで元号という言葉を選ばせていただいておるわけでございます。  それから、先ほどお尋ねのありました中で太陽暦のことがございましたから簡単にお答え申し上げますが、明治五年に太陽暦に切りかえをいたしましたが、これはすでに御指摘のございました当時の鎖国から開国へ向けての一大転換期、文明開化という思想の中で、世界の進運におくれないために国内的に人知の開発を促進する、あるいはその方がより精密な基準であるという認識のもとに、そういうものに切りかえられたと理解をいたしております。
  118. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 政治というものはなかなか合理的にいかないのですけれども、結果としてはやはり合理性を追求して進行しているという面が出てくると思うのです。古い暦を新しい暦、太陽暦にしたというのは非常に近代的合理性を持っております。しかし太陰暦というのも、先ほど農業の話を申しましたけれども、農業と非常になじんだものでありまして、ことに電気、電灯のない時代においてはお月様の光が大変よりどころになります。そういう意味で月の満ち欠け、運行に合わせたという意味が大きかったと思うのです。したがって、同時にまた、いろいろな農業の行事などとも非常につながっておりまして、そういう意味で非常になじんでいたものなんです。これをなかなか太陽暦にできなかったのをがたっとやったのですね。ずいぶん強引に抜き打ち的にやったのですね。いいことなんだからいいのだけれども、抜き打ち的にやったという点ではいろいろ問題があるのですね、暦屋がつぶれるとかいうことは、それほどではないとしましても。  たとえばこれなんかも、調べますと、旧暦によると、うるうがあって一年十三カ月になる。そうしてその上にその十三カ月になるうるうがしょっちゅうある。太陽暦の場合は四年に一回ですか、うるうというのは。そういうわけで、これを変えると月給二月分もうかる。十二月の二日から変えちゃったから十二月の月給は払わぬでいい。十三カ月が十二カ月になるから一カ月もうかる。それでもって財政窮乏の救いの手としてやみ討ち的にやったというのが実際の政治を動かした楽屋裏の背景ですね。これは大隈重信の記録にはっきりしています。  そういうようなわけで、いろいろなものが絡まって不適切なものもありますけれども、歴史の流れとして見た場合には大変いいことをやってくれたわけであって、歴史の中では、ちょっと強引にやったけれども、進歩的な評価を受けるものだと思うのですね。ところが今度の元号はそうならぬですね。そういう意味で、ちょっと申し上げておるのです。  外務省の方をお呼びしているからちょっと、長くお待たせして申しわけありませんが、元号の本家の中国は使っていませんね。
  119. 枝村説明員(枝村純郎)

    ○枝村説明員 現在の中国は使っておりません。
  120. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 そういうふうに明快に御答弁いただくと結構なんですがね。  御本家も使っていないし、世界じゅう使っているところはどこにもない、こういうことですね。これは事実だからお答えをいただく必要はありません。  外務省の方に聞きますが、外務省は西暦使用が一番便利なのじゃないでしょうか。
  121. 枝村説明員(枝村純郎)

    ○枝村説明員 外務省と申しましても政府の機関の一つでございますので、国内向けその他の公文書あるいは部内では、現在も元号を主として使っておるわけでございます。ただ、もちろん国際的な面におきましては、多数国間条約の日付はすべて西暦でやっておりますし、あるいは旅券関係の記載あるいは申請書その他便宜なものは西暦を使っておる、こういうことでございます。
  122. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 外務省の方に、大臣じゃないからこんなことを聞くのもどうかと思うのだけれども、バングラデシュに日本が負けたのはどういうわけですか。
  123. 枝村説明員(枝村純郎)

    ○枝村説明員 何と申しますか、やはりバングラデシュの非常に早い時期からの立候補に対しまして、日本が若干立ちおくれたという点が一つであろうかと思います。それから一時期の票読みからしますと、十分な票がとれなかった背景には、バングラデシュが非同盟諸国に対して非常に熱心な働きかけをしたわけでございまして、この効果について私ども若干見通しが甘かったということがあろうかと思いますし、またイスラム諸国との連帯という要素もあったかと思います。また一般に申しまして、国連、これだけ加盟国がふえてまいりますと、小国といいますか、そういった国が自分たちも選挙されて理事会その他の機関に席を占めたい、こういう空気が強まっておりまして、日本のようないわば大国の中に入ります国が、安全保障理事会でありますとか経済社会理事会でありますとか、そういったところに続いて席を占めることに対して危惧の念が強まっておる、こういった事情もあろうかと思います。
  124. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 私の聞きたいことでない方向に持っていくような話だけれども、国際社会で日本元号をつくろうとか、そういう国際社会の方向と逆の方向に向いていく、そういう日本の政治感覚といいますか外交感覚といいますか、バングラデシュと日本と比べ物にならないほどこっちが上だなんて申しませんけれども、そういう日本の外交がこういう結果を招いたのじゃないですか。素直にそう思うのじゃないですか。
  125. 枝村説明員(枝村純郎)

    ○枝村説明員 安全保障理事会選挙の結果と元号問題とを結びつけて考えておりませんので、申しわけないのでございますけれども、いまの国際化ということから申しますと、まさに先生おっしゃいますように、私ども常に日本の国内と国際社会との接点に立っております者としましては、日本の社会というものが、国際化といいますか外国からも理解され、また日本人の外国に対する理解というものが強まることを大いに希望するわけでございます。     〔委員長退席、竹中委員長代理着席〕 しかし他面、やはり日本固有の文化とか伝統、そういったものも実は非常に必要なことでございまして、単に日本が経済的な利益だけを追求する国でない、豊かな伝統を持ち、文化を持ち、尊敬に値する価値を持った国である。こういったことがやはり国際的にも尊敬されるゆえんであり、これもまた国際社会において生きていく上に必要な一面であろうか、こういうふうに考えております。
  126. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 私が外務省の方に聞くというと、ああいうふうな考えだからどうも肩身が狭くて、国際社会で日本がというようなことを言う人があるのですがね。また参議院のかつての年号についての公聴会のときにも、そういう発言をしておられる方があったようですね。別に元号法と結びつけてとおっしゃいますけれども、やはりみんな結びついているのですよ。  基本的な問題をこれからちょっとお聞きしたいと思うのですが、天皇の人間宣言というのがございますね。天皇の人間宣言ということは、どういう意味でしょうかね。象徴天皇としての人権というものは、憲法に定められた基本的人権の行使に対してかなりの制約を加えるものだというふうに常識的に判断されますが、その辺のところを簡潔にひとつお願いします。
  127. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 日本憲法のもとにおいて、一体天皇日本国民の一人であるかどうかということが考え方の基本になるわけでありますが、もちろん日本国民の一人であるというふうにわれわれは考えております。したがいまして、基本的人権の規定ももちろん適用があるわけなんですが、他方憲法自身が、天皇は国の象徴であり国民統合の象徴であるというふうになっておりますので、そちらの方からいろいろ制約があり得るわけなんで、それは憲法自身が認めているところであろうというふうに考えます。
  128. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 一応憲法の第一条を正確に読んでみます。第一条、「天皇の地位と主権在民」として括弧の中に入って、「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であつて、この地位は、主權の存する日本國民の総意に基く。」と、こうありますね。  そこで、国民ということになりますと、国民の総意ですから、すべてですから、したがって、天皇国民であるとすれば、天皇の意思もこの国民の総意の中には含まれておるということでしょうね。
  129. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくと書いてございます場合のその総意というのは、一億何千万の国民の一人一人の、具体的な国民一人一人の意思というような意味ではなくて、いわゆる総意、いわゆる総体としての国民の意思ということでございますので、特定の人がその中に入っているとか入ってないとかいうようなことを実は問題にしておる条文ではないというふうに考えられます。
  130. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 「主權の存する日本國民の総意に基く。」と、こういう一つの断定的規定なんですが、「主權の存する日本國民の総意に基く。」ということは、どこで証明され、どこでそういうことになるわけですか。国民の総意がどこで尋ねられて、どこでそうなった。こういうふうな点でどうなりますか。
  131. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 それは別に、そのときに国民投票をやったとか全国的な調査をしたというわけじゃございませんので、一体だれとだれと、あるいは何割の人が賛成したとかいうようなことを数字的に証明することは非常にむずかしいのですが、先ほど申しましたように、ここに言う総意というのは、いわゆる総体的な意思、一般的な国民の意思という意味でございますので、証明しろとおっしゃっても、それはなかなか困難であろうと思います。
  132. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これは憲法第一条ですから、非常に重要な問題だから、何かわからないのじゃ困るのですがね。総意に基づいてということになっているのだから、総意に基づいていないという証明もできないし、基づいているという証明もできないということになるのですか。
  133. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 いまの憲法ができますときに、これは帝国憲法改正の形をとりましたけれども、当時の帝国議会で衆知を集めていろいろ御検討になって、そして国民の総意はここにあるのだというふうに制憲議会において御判断になった、それがこの条文の規定にあらわれておると、こういうふうに言わざるを得ないのだろうと思います。
  134. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 これも言葉を言うわけじゃないけれども、言わざるを得ないであろうと思いますというふうに、こういう表現ではうまくないのですよ、憲法第一条のあれは。言わざるをと否定して、また、得ないのでありますというふうに、否定して何か肯定した表現をするというのは、もっとはっきり、こうである、こういうふうに言ってもらわないと、憲法第一条ですから、国の基本法の、構成法の第一条なんですから、こうである、こういうふうに言ってもらわないと困るのですよ。それはひとつ、どうも聞くたびに言葉が長くなって、なおわからなくなるから……。  国事行為と、あと何ですかね、国政というのかな、国事行為と国務ですか、こういうふうに分けて、国事行為だけを、国事行為を限定して「のみ」と、こういうふうに言っておりますね、憲法の中で。そこで、六条には、天皇の総理大臣と最高裁長官の任命権というのがありますね。この限定された国事行為と「天皇の任命権」というのとは、ここのところはどういうふうに考えたらいいでしょうかね。任命権というふうになりますと、やはり権利があるんですがね。天皇に総理大臣と最高裁長官を任命する権利があるということになると、これは大変なことなんですがね、六条は。任命権とありますね、六条の法文に。そうでしょう。任命権ですよ。第一条に国民主権というのがあって、第六条には「天皇の任命権」、こうあるんだから。これをひとつ明らかにしていただきたい。
  135. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 日本憲法が定めております天皇国事行為は、四条の二項あるいはいま御指摘になりました六条による内閣総理大臣及び最高裁判所の長たる裁判官を任命する行為、それから七条に列挙してある行為、以上のものが全部天皇国事行為でございます。
  136. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 国事行為の方はまた後でちょっと聞きますが、私のお聞きしているのは任命権ということなんですよ。権利ですね。任命する権利。権利があるのだったらば、国会が指名しても、いけません、こう言うことができるんじゃないですか。
  137. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 六条には、「内閣総理大臣を任命する。」「最高裁判所の長たる裁判官を任命する。」と書いてあるわけでございまして、特に任命権というのは憲法に言う条文じゃなくて、この六法全書編集者がつけた名前でございますので、別に主権の権利が存する国民主権と紛らわしいとかそのような関係には相ならないわけでございますし、それから最後におっしゃいました助言と承認に反して天皇国事行為をなさることを憲法は認めておりません。
  138. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 私、法律はよくわからぬから、手元にある憲法の本だけでお尋ねしているんだけれども、そうすると、これ本屋が勝手につけたんですか、「天皇の任命権」というのを。本屋が勝手にくっつけるなんて、これはゆゆしい問題ですね。そうすると、「天皇の任命権」なんていうのはないんですか。実質的に任命権じゃないんですか。
  139. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 内閣総理大臣及び最高裁判所の長たる裁判官を天皇が任命されます。
  140. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 そうすると、やはり任命権があるんじゃないですか。あるんですか、ないんですか。任命権があるかないか。
  141. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 それはもう用語の自由でございまして、権とおっしゃるならば権利とおっしゃったって構わぬと思いますけれども憲法には、特に任命権という言葉は、使ってはおりません。
  142. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 だけれども、実際上天皇が任命するのでしょう。すると言い切っているんですよ、憲法は。内閣の指名に基づいて最高裁の長たる裁判官を任命する。任命するのでしょう。
  143. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 内閣の助言と承認に基づいて天皇が任命行為を行われるわけでございます。
  144. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 内閣の助言と承認によって国事行為を行うというのが後にあるのだけれども、この六条はそうじゃないでしょう。内閣に助言のしようがないじゃないですか、国会の指名だもの、内閣総理大臣の任命に。内閣が助言するのですか。
  145. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 第六条には、条文上明らかなように「天皇は、國會の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。」こうなっておるわけでございまして、実質は、内閣総理大臣の場合には国会の指名というのが先行しますし、最高裁判所の長たる裁判官の場合には、今度は内閣の指名というのが先行して、それがもとになりましてそれから内閣が助言と承認をいたしまして、それによって現実に任命行為を天皇が行われるという関係になるわけでございまして、それを権利、任命権というふうにおっしゃっても、それは言葉の、用語の問題でございまして、実体はいま申し上げたとおりでございます。
  146. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 何かさっきは、内閣の助言と承認によってというのは総理大臣の任命まで、そんなふうな意味の発言をされたからお尋ねしたのだけれども内閣総理大臣国会が指名するんだもの。内閣総理大臣の任命を天皇がやって、その際に内閣の助言、承認なんということはあり得ないでしょう、指名される御本人だもの、総理大臣は。それはそうでしょう。あと決めるのは天皇でしょう。決めた後、今度承認行為と、こうなるのですか、内閣が。そこのところ、どうです。
  147. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 どうもおっしゃる意味がよくわからないのですが、実体は、天皇がお決めになるのじゃなくて、国会の指名なり内閣の指名というのがまずあって、そこで実体が決まっちゃうわけなんで、その後に形式的な任命行為は、これは天皇国事行為としておやりになる、こういう関係でございますので、どうも、何か任命権、権利があるじゃないかというふうにおっしゃいますと、何か天皇が実体をお決めになるというふうに誤解されるおそれがありますので、私は先ほどから、権利、権という言葉にはこだわっておるわけでございます。
  148. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 そうすると、六条に関して、発言の中で内閣の助言と承認ということを言うから、助言と承認というのは六条のどの段階で入るのかということを――入らないんじゃないですか、助言と承認は。そこはどうなんです。指名される御本人だもの。
  149. 竹中委員長代理(竹中修一)

    ○竹中委員長代理 速記をとめて。     〔速記中止〕
  150. 竹中委員長代理(竹中修一)

    ○竹中委員長代理 速記を始めて。  真田法制局長官
  151. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 六条の特に「内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。」その場合には、やはり助言と承認に基づいて任命行為が行われておるというふうに私は理解しております。前内閣の助言と承認によって新内閣総理大臣を任命するということも行われております。
  152. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 あなた専門家なんだから、少し整理してもらわなければ困るよ、頭も。天皇国事行為一般については、内閣の助言と承認ということは明文に記載されております。その他については一般的に及ぶということがあるんでしょうね。  そこで「天皇は、内閣の助言と承認により、」というが、助言というのは文字どおりにいけば内閣の方から持っていくスタイルでしょう。承認というのは、向こうからと言うとおかしいけれども天皇の方から来られるものに対して承認をする、こういうふうなことになりませんか。
  153. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 助言と承認という言葉がございますので、ただいまおっしゃいましたように、事前に内閣の方が助言を申し上げて天皇国事行為をなさる、それから承認の方は、天皇の方が発意をされて内閣がそれを承認するというふうに分けて読む読み方といいますか、そういう解釈をなさっている方もございますけれども、実際上の行政のあり方、動きといたしましては、常に助言と承認を一個の言葉として読んでおりまして、先ほど申しましたように、事前、事後というふうに分けて運用はされておりませんし、政府の従来の解釈も助言と承認という一つ言葉だというふうに解釈して運用しておる次第でございます。
  154. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 アメリカとのかかわり合いの中でできた憲法だから、わかりにくいところはアメリカ文を読むのもいいと思うのです。助言と承認というのは、英文によりますと、これまた本屋がどうだということになるかもしれぬけれども、私の持っている本では、この助言と承認というのはこうあるのですね、アドバイス・アンド・アプローバル。つないでいるのはアンドなんですね。この文から言うと、助言と承認というのは同じものだということにはならないのですね。日本語でも、助言と承認ということになれば、助言と承認は同じだということにはならないのですよ。そうでしょう。内閣国会と言った場合、同じものじゃないのです。別なんです。と、アンド、違うのですよ。日本語でも、とというのは違うのですよ。委員長委員、これは幾らかつながっているけれども、別なんですよ。だから、これをくっつけて同じものに考えるという考え方はちょっと無理があるんじゃないでしょうか、どうでしょうか。
  155. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 助言と承認を分けて事前、事後というふうに解釈している説ももちろんございます。ございますが、政府はそういう解釈をしておりません。先ほど来申し上げておりますように、助言と承認という一つ言葉として解釈し、運用しておる次第であります。
  156. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 この助言と承認による国事行為天皇は拒むことができますか。
  157. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 憲法の精神に照らしまして、内閣が助言と承認を行ったにかかわらず、天皇がこれを拒んでその国事行為をなさらないということは認められません。憲法はそういうことを予想していないというふうに申し上げます。
  158. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 天皇にも人権がおありなんだから、それはいやだと、もし拒まれたら、どういうことになりますか。
  159. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 たとえば、内閣が衆議院の解散の助言と承認をしているのに、天皇が、おれは解散しないということをなされたんでは、これは天皇が国政に関与されることになるわけでございまして、そういうことは憲法は全く考えておりません。
  160. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 人権の基礎である意思表示をきちんとされるというようなことになるのは、人間ならば私は当然だと思うのだ。だから、もしそれをされたらどうなりますか。それは内閣の責任ですか。
  161. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 そういうことは憲法はもう予想もしていないわけであります。
  162. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 天皇には表現の自由がありますか。
  163. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 天皇の地位としては、いわゆる象徴たる資格における国事行為をなさるということのほかに、私人としての御行為もあります。したがって、原則としては、表現の自由なり一般的に基本的な人権をお持ちでございますが、いまの憲法第一条が書いておるような象徴としての地位をお持ちでございますし、政治には関与されないということもまた別の条文ではっきり書いてございますので、そういう方面からする制約はございます。その制約の範囲内においては、天皇は人権の制限をお受けになっても、これは憲法が認めているところでございます。
  164. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 象徴たる天皇ですから、大いにこの象徴たる立場を宣伝されたらどうですか、天皇御自身も。そういう意味では、やはり表現の自由というか、思想の自由、基本的にはあるのですから……。  それで、出版の自由はありますか。
  165. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 天皇が私人として、個人としてといいますか、行動されるその御行動の中に出版ということは当然入っておりますし、現に天皇のいろんな生物学の御研究の結果の出版物もあるやに伺っております。ただし、表現の自由はお持ちでございますが、先ほど申しましたように、政治には関与されない。つまり象徴たる性格になじまないような、そういう内容表現の自由はお持ちにならない、制約をお受けになる、こういうことになろうかと思います。
  166. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 表現の自由の中で、出版の自由があるということになりますと――これは当然あってしかるべきです。天皇は生物学の権威者です。生物学というのは比較的原始動物といいますか、そういうものを研究されておられるようです。私もその出版物を見ましたが、生物学というものを研究していけば、当然に人間も生物の中に入るのですから、下等動物なんというのは最も現象的に人間の生態を表現しているのですね。だからそういう意味で、この研究の行き着くところはかなり広範な人類の基本の問題に連なってくる学問なのですがね。そういう意味で、そういうところでちょっとでも政治的なニュアンスにつながってくると制限されるというようなふうに考えられると、これは研究の立場がずいぶん拘束されるのじゃないでしょうかね。そういう意味で、出版の自由もあると言えばある。ずいぶん制限されているのじゃないですか。もっとこれは自由にされた方がいいのじゃないでしょうかね。どうですか。
  167. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 ですから、先ほど来私は、天皇憲法上の象徴たる地位に伴う制約はお受けになるけれども、基本的には人権をお持ちであるというふうに申し上げておるわけでございまして、その生物学の御研究が国政に関与するものだとはとうてい考えられないわけなのですが、どうも御質問趣旨がよくわからないので、むしろ広く御研究になって結構だろうと思います。ただ、先ほど来繰り返して申しますように、象徴たる地位に矛盾、抵触しない範囲内で十分に御研究あるいは御発表になって、一向差し支えない次第でございます。
  168. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 大体、下等動物、原始動物、そういうものの研究というものは、単にそれだけ研究するという点では研究者は満足しないと思うのだ。当然に生物としてのかかわり合いの中でそれを見ていくという立場だと思うのです。そうすると、やはりこれは政治に関係ないとおっしゃるのかもしらぬけれども、根元の問題なのですよね。大体政治家なんというのも下等動物と同じように条件反射で動いているのですから、だから非常にかかわり合いが多いのですよ。そういう意味でこの元号の問題だって、そういう基本的な問題よりも条件反射的な力関係とか、そういうふうなものが非常に作用しているのですよ。これは原始社会の、原始動物の生態の中から生き写ししたようなものもあるのですね。これを天皇の生物学と結びつけて政治とどうこうというふうには申しませんが、いずれにしても研究というものはすべてに連なっていくのですね。  それから天皇は、いままでテレビ記者会見はやらないですかな、記者会見をやられていますね。それからアメリカでも記者会見していますね。そのときに天皇、いわゆる現人神ということについて尋ねたのに対して、何かそういうことは第二の問題だとかと言ってお答えにならなかったという記録があるのですがね。人間宣言はしたけれども、やはり現人神だと天皇御自身お考えになっておられるのでしょうかね。そこのところ、宮内庁あたりの方が記者会見や何かの場合にはアドバイスするのだと思うのだけれども、それはどうですか。
  169. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 いろいろな記者会見の席等におきましていろいろな御発言があって、それがいろいろな形で取り上げられましたことは過去にも幾らかあるわけでございますが、いま先生の御指摘になりました「……のことは二の次で」ということにつきましての問題、当時もいろいろ論議されましたけれども、陛下の御趣旨といたしましては、言葉の上で二の次ということで例が出たので、非常に物事を軽く考えているのではないかという説もあったわけでございますが、当時の宮内庁の関係の者から、さようなことではないというような御趣旨につきましての補足の説明もいたしたというように存じているところでございます。
  170. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 いまのお答えも神様ではない、こういうことですね。それから御本人である天皇御自身も神様ではない、こうお考えになっておられる、これははっきりひとつ、紛らわしいことを言う人がありますから、はっきりひとつお答えください。神様であるかないか、これだけです。
  171. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 現在の陛下が神であるというようなことはお考えになっているとは私どもには当然信じられません。陛下がさようなことをお考えになっているとはとても信じられません。
  172. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 あなたはやはりそう思っている……。
  173. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 私ももちろんさようでございます。
  174. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 天皇内閣の助言と承認によって象徴天皇の行う国事行為をたくさん決めております。たくさんというか、ある程度決めております。その中で、先ほども答弁の中に解散という話が出ましたが、解散についてはいろいろな例がありますね。天皇の承認を内閣で決めないうちに先にもらっちゃって、それから閣議に諮って解散したという例があるのですがね。これをまた論議すると時間を食うから申しませんが、いろいろな場合があるのですね。七条による解散あるいは六十九条ですかの解散、それから六十五条かな、何かいろいろな場合が行われますね。そこで法制局としては、大体どういうお考えを持っていますか、解散の憲法的根拠について。
  175. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 衆議院の解散につきましては、天皇国事行為の中に掲げられておりまするが、そのほかに第六十九条で、例の内閣不信任決議が衆議院で可決され、あるいは信任の決議案が否決されたときは云々と、解散または総辞職というふうに書いてございます。この条文をめぐりましてかつて問題が起きまして、六十九条の場合でなければ解散はできないのじゃないかという意見と、それから、いや解散はいつでもできる、いつでもできるといいますか、助言と承認によって天皇国事行為として、つまり第七条のみで解散ができるという説と二つあるわけですが、政府は第七条のみで解散ができるという解釈をとっておりますし、現に解散の詔書の文言には「憲法第七条により、」という条文を引っ張って、七条のみで解散ができるという解釈と運用が行われておる次第でございます。
  176. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 この論議もやれば何時間もかかる問題ですから……。七条というのは国事行為の手続行為だけを決めたものであって、いわゆる解散権なんというものの存在が内閣にあるということにはならないんじゃないですか。どうでしょうか。
  177. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 解散権が内閣にあるとかあるいは天皇にあるとかいう関係じゃなくて、解散は天皇国事行為として行われる。それの基礎になるのは内閣の助言と承認であって、実体は内閣が閣議によって決めまして、助言と承認を行って、それに基づいて天皇が解散の詔書をお出しになる、こういう手続になるわけでございます。
  178. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 単なる手続としてこういう形で国事行為が行われるのだということを規定したのは、いわゆる憲法の何条ですか、三条ですか四条ですか――七条であって、そういうことになりますと、解散というものは、主権者たる国民の選んだ代理人である国会というものを、天皇の名で内閣が何でもできるということになってしまいますよ。解散は何カ月たたなければやっちゃいけないという規定はありますか。やる気になったら続けて何遍でもやれるんじゃないですか。そういう意味での専制行為が起こってくる可能性をどこでチェックしますか。
  179. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 解散はいつやらなければならないとか、あるいは一定の期間はやってはいけないとかいうような規定があるわけではございません。これは内閣国会と裁判所とのいわゆる三権の分立と申しますか、三権の間の相互のチェック・アンド・バランスに基づいてできている制度だと考えております。したがいまして、内閣はいつでも政治的な判断のもとに衆議院の解散を決定して、天皇に助言と承認をするということが可能でありまして、もしそれが乱用にわたるとかそういうようなことになれば、これはその解散後の国民の審判によって内閣の判断の適否、正否、当否、それが選挙の結果あらわれてきて、是正されるということになろうかと思います。
  180. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 事実それに近いような乱用があったし、繰り返されてきているんですね。憲法の規定は、御承知のように解散については「内閣の助言と承認により、」というのは、これは言ってみれば事務的な手続ですね。権限ではないですね。助言と承認というのは、何もそういうことをやれる積極的なものを持ってないんですよ。このくらいのことは素人考えだってわかるんです。しかし積極的なものを持っているのは、この中の「國民のため」ということなんですね。国民のためということを全然考えないで、形式的な助言と承認というようなところに力点をかけて、そして総理大臣の延命工作のために、主権者たる国民の選任した国会をぼんぼん解散するなんという、そんなことを憲法は規定してないですね、憲法の精神は。私はそう思うのですが、そうじゃないですか。
  181. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 解散というのは非常に大事な国の行為でございまして、新しく国民の意思を問うという必要がある合理的な場合にのみ行われるべきであることは当然でございまして、その解散の実体を定める内閣の決定、これ自身が実はもう国民のために行われるべきものであって、ましていわんや、党利党略のために解散を決めるなどというようなことは、これはあってはいけないことはもう申し上げるまでもないことでございます。
  182. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 解散の問題についても、もう新憲法ができてから三十年ですからね。だから憲法の解釈というものに対するほぼ定着したものを定めて、そしてしかもそれが単なる解釈とか、そういう考えの中の定着ではなくて、これが解散の現実の行為と一致する、そういうふうに持っていくべき時期だと思うのですね、三十年たっていますから。いままでの慣行の中でよくなかったことがはっきりたくさんあるのですから、解散の中で。ばかやろう解散なんというのも御承知だと思いますね。私どももその一部の片棒を担いだ立場ですけれども。それから抜き打ち解散など、いろいろなことがありましたがね。ああいう、吉田内閣時代のことですけれども、あるいはそのほかの内閣の場合だって、常にいままでの解散というものは国民のために行われたのではないんですよね。言ってみればその政党のため、政党のためと言うよりも、その政党の中の派閥の力関係の中で、首相たる者を出しておる派閥の勢力を強めよう、そういう意図のもとに結局解散というものが行われるんです。これが実際なんですよね。そうでないなんと言う人は国会のことを知らない人ですね。国会議員なら、私のこの考えをそうでないなんて言える人は一人もいないと思うんですよ。現実そうなんだから。  そういうふうに、国民のためでないんですね。いわば政権維持のために、あるいは内閣の温存のために、そのために天皇の名によって、しかも手続的にだけ限られておるものを、あたかも権限であるかのごとく装って、七条によって解散をするというようなことは、これはいわゆる日本憲法の精神、三権分立の精神からいっても合わないと思うんですよね。そういう理屈の上ではああだ、こうだと言っても、それは七条というものでやることを禁ぜられていないとか、いろんなことを書いたものは、私もここにありますが、だけれども、そういうふうな点について、たとえば国民の意思と国会の意思が切れている、あるいは遮断されているというふうな判断をする場合だって、これは内閣の判断ではできないんですね。結局事実上、そういうことは名目的に言うけれども、実際にはその政権の維持のために、あるいは自分の地位保存のために解散権というものを乱用したというのが、いままでの解散のもうすべての事実だと言ってもよろしいんですね。そういうふうな点を考えると、七条というものに解散権があるという考え方に立っているということは非常に危険だし、また憲法もそういうことをうたってはいないんです、これは私の素直な見解から言って。憲法というものを素直に見て、そうなんですね。  それから六十九条にだって解散権というものはないんですよ。ただ、不信任を食った場合には――食ったと言うとおかしいけれども、不信任を受けた場合には解散しなければやめなければならないというだけであって、解散する権限があるというような意味じゃない。それを、何か伝家の宝刀だとか総理の腹一つだなんというふうな形で横行しているということは、これは日本政治のために非常に悲しむべきことなんです。こういう点は若干保留しておいて、総理がお見えになればまたお尋ねしたいと思っておりますが、この点ひとつ法制局も、落ちついた一つの望ましいものをつくっていくという努力をしてもらいたいと思うんですね。何かああ言われたからこうだというんじゃなくて。そういうのは、私が言ういわゆる動物の条件反射であって、そう言われたらこう言ってやろうというふうな形でなくて、本当に一緒になってこの問題を考える、こういう立場で法制局は考えてもらいたい、そういうお考えありますか。
  183. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 内閣がいつ衆議院の解散の助言と承認の閣議決定をするかどうかということはきわめて重要な政治的な行為でございまして、私がいまは解散すべきでないとかそういうようなことを申し上げるべき立場ではございません。私としては内閣に対しまして、憲法の精神は、解散は国民のために行うべきものであって、党利党略のために行うべき制度ではございませんという法律解釈を申し上げることは私の職責でございますけれども、解散はいまやるのは乱用でございますからいけませんとか、そういう判断をすべき立場ではございません。
  184. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 やはり党利党略や首相の地位保持のために解散というものをあたかも権限があるかのごとく乱用してはいけないというぐらいのことは、法律をやっている人ならきちんと言わなくちゃいかぬですよ。何か問題が出た場合にはこういう見解だと言うこと、そういう立場があなたにあるんですよ。  両院法規委員会の勧告というのがありますけれども、この七条を肯定しながら六十九条との関係を取り上げておりますが、これもまたどっちつかずと言えばどっちつかずの勧告だけれども、これはやはり参考になる程度の勧告なんですか。どういうふうに評価しているか。
  185. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 きょうは元号法案の御審議なものですから、実は解散に関する資料を持ってきておらないわけなんですが、かつて両院法規委員会、協議会ですかで、解散は六十九条の場合に限るとか限らないとか、あるいは衆議院が何か決議をした場合にはなるべくそれに従って解散をするというような慣行をつくった方がいいとか、そういうような式の勧告をなさったということはいま記憶しておりますけれども、何せ資料を持ち合わせておりませんので、詳細なことはここでただいまお答えすることは差し控えたいと思います。
  186. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 解散というのは象徴天皇たる天皇国事行為の言ってみれば政治とかかわり合いのある最大の問題です。だから私が言う前に解散という言葉をあなたが言っています。すぐに頭に出てくる問題だと思うのですよ。だから用意してなかったからなんというんじゃちょっとうまくないんですがね。  いずれにしても、この七条解散という立場でいくということが憲法精神からいって非常に災いを醸すものだ、現にいままでの解散がそうだから、そういう意味で、憲法の条文からいっても、そういう手続的な承認事項の規定はあるけれども、外してやれるというものではない。それは六十九条によって、不信任を受けた場合に、その不信任した国会国民の意思とずいぶん隔たりがあるという判断をした場合に、初めて七条の手続を通じて天皇国事行為に乗っかっていくものだ、こういうふうに私は主権在民憲法の精神から考えるのが素直な筋だと思うのです。こういう問題は、どちらかというと政府見解はどうしても自分の立場を守るという立場にありますから、余り正しくないんです。そういう意味では、そういうところを離れて客観的に問題の本質を掘り下げて日本の政治の上によい結果をつくっていくようにするというのが必要だろうと思うのです。  元首はだれですか、日本の。これも一言で。
  187. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 一言で言えとおっしゃっても非常にむずかしい問題でございまして、これはもともと元首という言葉意味をどうとるかによって変わってくるわけなんでございまして、昔から伝統的には、元首というのは、国内的には国政を総擬する、あるいは対外的には国を代表するというそういう対内、対外の権能を持っている、それが本来的な元首であるというふうに、古典的といいますか、従来はそういう解釈であったわけですが、各国いろいろ事情が変わりまして、いま申し上げましたような意味の完璧な元首というのはまずほとんどアミン大統領ぐらいしかないのじゃないかと思うぐらい少ないんですが、ただ現行憲法天皇が元首かというような命題で問題になったことがしばしばございますが、政府の方の解釈といたしましては、なるほど天皇は国事に関する行為しか行わせられないし、しかもそれは内閣の助言と承認に基づいておやりになるという制約があるから、先ほど申しましたような意味の元首ではございません。しかし、なお対外的には、限られてはおりますけれども政府を代表して外国の大使、公使を接受するという行為をなさるという面もございますので、その点を取り上げてやはり元首だという考えもあり得るんじゃないかというふうに思っている次第でございます。
  188. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 さっきから言葉のことを言っているけれども、やはりあなたの答弁ももっと言葉を大事にしなければいけませんよ。政府を代表してというようなことを言っているけれども政府を代表して外国のお客さんに天皇が出るんですか。言葉をちょっと気をつけてくださいよ、あなたともあろう者が。
  189. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 私の言葉の中で不正確な点があったようですから、それは取り消しまして、正確に申しますと、日本を代表して、日本国を代表してということでございます。
  190. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 象徴であるということなんですけれども、一体、生きている人間が象徴であるということはあり得ますか。
  191. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 それはもう憲法第一条が明文をもって書いているわけでございますから、天皇日本国の象徴でございます。または日本国民統合の象徴でございます。
  192. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 象徴であると書いてありまするけれども、人間がそのまま象徴というようなことはあり得ないんですよね。ですから、やはり象徴であるべき期待を持たれているという考え方、そういうニュアンスに考えなくちゃいけないんじゃないですか。そういう一つ国民的統合のいわば努力の一つの目標だ、そういうふうにとらえるのが常識的じゃないですか、象徴であるということはそういう意味だというふうに。それはどうですか。
  193. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 繰り返して申すようでございますが、憲法第一条で、主権の存する国民の総意に基づいて天皇象徴たる地位にあらせられる、これはもう明文に書いてあるとおりでございます。したがいまして、国民としてもまた政府としても、象徴たるにふさわしい処遇といいますか、お取り扱いをするということは、その第一条から当然読み取れるということでございます。
  194. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 やはりそういう一つ願望と申しましょうか、期待を込めた象徴であって、生の人間、天皇御自身を何か象徴だというだけで固定的に考えるということはちょっと天皇に対して酷だと思うのです。     〔竹中委員長代理退席、委員長着席〕 そんなこと、生きている人間がなれるはずのものじゃないのです。ですから、そういう一つ国民統合の期待が込められておる、そういうふうに考えた方がいいんじゃないかと思うのです。  アメリカの例を出すと、また何とかかんとか言いたい人もあるかもしれないけれども、たとえば英文ではこれは「シャル・ビー・ザ・シンボル」と書いてあるのですね。ということになると外国の、少なくともアメリカの理解の仕方は、そういうものに期待しておる、ありたい、であってほしいというふうな意味に外国では理解していると思うのです。そこで、なるたけ国民一般の憲法規定のとおり天皇の人間性というものを尊重するという立場が、象徴天皇制のいかんにかかわらず重要な点でありまして、そういう意味では、御老体でもありますから、なるたけ国事行為も酷なことがないようにしてあげるのが人道上必要なんじゃないかと思うわけであります。そういうふうな配慮を宮内庁あたりでされておりますか。
  195. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 陛下の御老齢になられたということは事実でございます。そういった御老齢を考慮しまして、日常の各種の行事といったような事項につきましては、手順を十分に考えまして、御無理がかからないように配慮することが必要であるということは私どもも常に念頭に置いて、そういう意味での御補佐を申し上げているというつもりでございます。ただ、陛下は御案内のとおり、精神的にも肉体的にも大変御健康でございまして、あらゆる意味で非常に積極的に国事行為その他の諸行事に取り組んでいらっしゃる、これがただいまのところのお姿でございまして、そういった中で御年齢を考えながら手順を考えていきたい、こう思っておるところでございます。
  196. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 五十歳とか六十歳とかでなく若い人は、天皇国民だというふうな考え方は持っておりませんね。だから、天皇のお名前と実際上具体的につながっていく、天皇のお名前を年月の呼び方と結びつけるということは、いろいろな意味で無理があると私は思うのです。それをまた国民の総意に基づくというふうな意味合いにおいて世論調査をしたとかなんとかいうことで、いままで事実たる慣習であるとか言われておりますが、それはすべて私から申し上げますと虚構の上に立ったものです。事実、年号を続けていきたい、あってほしい、これは人間の要望として年号というものは考えております。しかし、これを元号というふうにすりかえる、元号国民の事実たる慣習だというふうに持っていくことは、まさにすりかえです。そういう意味で、世論調査の上にこうあらわれたからこうだという形でいままでおっしゃいましたけれども、それは間違いです。やはり歴史というものは前に進むものですから戻しちゃいけないのです。  そういう意味ではこれは天皇暦なんですね。天体の運行、宇宙、太陽、地球、そういう繰り返しの中の月とか日とか時間というものを、ある場合にはお月様を中心考えた時代もありますけれども、こういう時間の区切りというものを、天皇の在位と退位とに区切ってとっていくというやり方は、これは言ってみれば、天皇の即位に合わせるというやり方――時間いうものはわれわれの生命です。時間というのは命ですから、その命が結局天皇とともになくなったり始まっていくというふうな考え方に持っていくということは、何か古い何千年前の殉死的な首長といいますか大王といいますか、それに殉じて、死ねばおれも死ななくちゃいかぬという考え方につながってくるのです。そういう意味で、時間というものをそういう形でつかまえるということは、近代的な合理性がないのです。ことに日本の場合は、御承知のように外に向かって発展していかなくちゃいかぬという国なんですから、国際社会の中に伸びていかなくちゃいかぬという立場です。経済的にも、いろいろな意味でそういう国なんですから、それがなるたけ偏狭に閉鎖的に小さく小さくしていくという考え方で時間というものをつかんで、元号法律としてつくっていくという考え方は、歴史の方向に反するのです。  御承知のように、いま四十億以上の人間が地球上に住んでおります。その四十億の人の中で事実たる慣習として大方西暦というものが使われております。肝心の本家である中国だって、お隣の朝鮮だって、いまいろいろなことがございますけれども、ソ連もアメリカも西暦を使っている。こういうのには西も東もない。もっとも西、東と言ったって、これは自分の住んでいるところを中心にして言うのだから、日本の地図は日本中心にかいてありますけれども、ヨーロッパに行ったら日本の国は地図の真ん中にかいてありませんが、何かそういうふうに自分が中心だというふうな偏狭な考え方があらわれている。それは天皇の人間宣言の中にも、そういうことがあってはいけないということが書いてあるのですね。  ですから、どこからいったってこういう方向は進歩の方向だとは言いがたいのですね。四十億の人間がそういうふうに一つの国際的方向で進んでいるときに、一億の人間が、日本だけがだんだん消えていくという一つの方向性を持った慣行を法律でくぎづけにして、そして、毎日毎日あらゆる機関を通じていわば天皇の名前を呼ばせるというふうな形になるわけですから、そういう意味では天皇暦ですね。そういうふうになりますと、国際社会の中ではちょっと逆の方向なんですね。  時間の予定もございますし、若干留保をいたしまして話を結びたいと思いますが、かなり重要な部分について政府答弁は了解ができませんので、質問を留保しておきたいと思います。  吉凶につないで、人民の禍福に合わせて古い年号の習慣があったということは、これをもし復活しようとするならば、私は明治の一世一元よりも、むしろ民の心といいますか、政治の安泰を祈って、あるいは人民の幸せを祈って、あるいは地震があったから疫病がはやったから、あるいはいろいろな災いがあったから、それをなかれかしと祈って、そして年号を変えたという気持ち、心の方が、むしろそこにこそ尊重しなくちゃいかぬものが日本の中にあると思うのですね。一世一元なんというものは、そういう意味では尊重せらるべき伝統の中にも入りませんし、慣習の中にも入りません。もし古いものをたずねていくというならば、そういう一世一元によって排除されたその迷信的な年号をつけろというのじゃありませんけれども、そういうふうに政治の豊かさ、安泰、戦争があったからといって変えるというふうな、そういう気持ち、心をこそ伝えるというのが政治の姿勢じゃないか、私はそういうふうに思うのですね。  そういう意味で、民主憲法を崩して天皇を高めていくということにもならないでしょうし、またそうあってもならないし、また進歩する歴史の方向と逆に行くようなこういう法案を通すということは、やはり時間、歴史の中で現実に裁きを受けるものだと私は思います。そういう意味で、ぜひ御再考を願いたいと思います。  長官、ひとつ見解を述べていただきたいと思います。
  197. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 長時間にわたりまして貴重な御意見をお聞かせ願いまして、十分拝聴をいたしたのでございます。私ども、基本的にはあくまでも、長い間国民がこれを愛用をしてまいりまして何とか存続したいという元号に対する気持ち、したがいまして、いま御指摘をなさいますように国民のためによい元号をつくりたい、そういうことでございます。ただ、しかし、問題は、よきそういう事実たる慣習で昭和という元号が使用されてきておるわけでございますが、しかしそれには、先ほどもいろいろ意見がございましたように、いつの時点かにそれが効力をなくして、そしていつの時点かにだれかが改元をせなければならぬということを考えてまいりますと、その点において政府としては責任を持たなければならない、存続の期待に対する責任ある処置をせなければならぬというところで基本的なルールをつくりたいというわけでございます。  そういうようなことで今回の法案を提案をいたしておりますが、その点と、いまるる御意見のございました天皇制の問題と関連し、憲法の基本的な精神に反するようなことになりはしないかという点を御心配を願って、いろいろなお話があっておるわけでございます。この点についてはもうここで私は改めて申し上げることを差し控えたいと思いますが、るる法制局長官も申し上げたところでございますから、その点については憲法には抵触をいたしません、憲法違反にはなりませんということをここではっきり申し上げさせていただきたいと思います。  なお最後に、どうも進歩的でなくて、これ自体が閉鎖的なものになりはしないかというような点の御指摘でございました。そういう考え方先生のいろいろな御意見等から見て御意見として拝聴をいたしてまいっておるところでございますが、決してしかし、日本国民が愛用し、存続を希望しておりますその昭和という元号等について、日本が独自なものを持っておるということ自体が、世界のそうした普遍的ないま大勢でございます西暦等と関連をしながら、日本自身が閉鎖的になりあるいは孤独的になりあるいは自己顕示的なものになるというような考え方を私どもは持っておりません。今日まで併用を述べてまいっておるわけでございます。西暦と昭和のような元号とは併用していただいて結構でございます、現状どおりでございますということも申し上げておりまするし、今日までの経過等から見ましても、決して閉鎖的になったものとも考えておりませんし、日本だけが自己顕示欲にとらわれて行動しておるとも考えておりませんから、この点はひとつ御理解を賜りたいと思うのでございます。
  198. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 時間というものには空間的区画というのはないのですから、そういう意味で、ひとつ余りとらわれないで御検討を願いたいと思います。  どうもありがとうございました。
  199. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 午後三時三十分から委員会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後二時三十七分休憩      ――――◇―――――     午後四時一分開議
  200. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  元号法案議題といたします。  これより内閣総理大臣に対する質疑を行います。村田敬次郎君。
  201. 村田委員(村田敬次郎)

    ○村田委員 この国会におきます非常に重要な法律案でございます元号法案につきましては、去る三月十六日本会議より審議が開始されまして、そしてすでに長時間にわたる慎重審議を経ておるわけでございますが、きょうは大平総理に出席をいただきまして質疑をすることとなりました。私は、与党の立場でございますので、この元号法案に賛成の立場から、ごく論点をしぼって御質問を申し上げます。  まず、第一点でございますが、大平総理は、昨日、日本社会党の飛鳥田委員長元号問題についてお話し合いをされたようでございます。それによりますれば、飛鳥田委員長から総理への申し入れ書では、元号が事実たる慣習であるとすれば、西暦も事実たる慣習であるということを認め、また、国民元号を強制するこの法案を撤回し、年号が必要と考える場合には、内閣の判断で行うこと、という申し入れになっておりまして、従来の社会党の主張からすれば、一歩前進したかにも思われるわけでございます。したがいまして、大平総理と飛鳥田委員長との会談の結果、この法案審議について特に関係のある点をお伺いしたいと存じます。
  202. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 飛鳥田委員長ときのうお目にかかりましたが、飛鳥田さんの言われることは、元号法案審議がまだ熟しないものがあるから、熟した審議を続けてもらいたいということでございました。そこで、私は、承りますと、内閣委員会におきましても本法案審議は慎重に続けられておると承知いたしております、この種の問題は国会において所定の手続を経て審議を進め、処理をしていただくことが適当であろうと思うというようにお答えをいたしたわけでございますが、飛鳥田委員長は、なお十分熟した審議を強く希望されておりました。
  203. 村田委員(村田敬次郎)

    ○村田委員 したがいまして、飛鳥田委員長との会談の結果も、総理としては、この国会において一日も早く、速やかにこの法律案質疑を終わって、そして法案を成立さしたい、そういうお気持ちだと存じますが、いかがでございますか。
  204. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 仰せのとおり考えております。
  205. 村田委員(村田敬次郎)

    ○村田委員 次に、先般、この委員会におきまして、三原総務長官から元号の定め方の手続についての御説明がございました。この三原総務長官の御説明は、元号の定め方について、学識経験者に元号の候補名の作成を委嘱し、提出された候補名を総務長官が整理をし、次に内閣官房長官総理府総務長官、内閣法制局長官の三長官会議に諮り、衆参両議院の正副議長の意見を聞いた上で閣議で決定をすると答弁をしておられますが、総理におかれましても、この考え方と同様と考えてよろしゅうございますか。
  206. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 三原さんの御発言につきまして、私としても、常識的な処理の仕方ではなかろうかと考えております。
  207. 村田委員(村田敬次郎)

    ○村田委員 次に、この委員会でも一番多く質問が出たことの一つでございますが、それは、元号法制化に反対している人々の多くは、法制化をすると元号の使用が義務づけられ、西暦の使用が禁止をされると考えているためではないかというふうに思われるわけでございます。この点については全くそうではないことがこれまでの政府答弁において、あるいは総理府総務長官あるいは法制局長官からも言われておるわけでございますが、非常に大事な問題でございますので、ぜひこの際、大平総理の口からお答えを願って、この点を確認をしておきたいと存じます。
  208. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 元号国民の生活の中に定着いたしておるわけでございます。政府が提案いたしております今度の法案は、元号存続を希望しておる国民の期待にこたえて改元の場合、だれがどういう手順で、いつ決めていくかという手続を決めようとするにすぎないと私は承知いたしております。すなわち、いかなる意味におきましても元号の使用を強制するということは考えていないわけでございますので、そういった誤解のないように、政府といたしましても十分気をつけていかなければならぬと考えております。
  209. 村田委員(村田敬次郎)

    ○村田委員 戦後、現在においても昭和という元号が事実たる慣習として続いておるわけでございます。そして、この法案の制定によって元号制定の手続その他が決まるわけでございますが、実際の民間における使用は現状と全く変わりない、まさに日本国民の歴史、伝統、風土あるいは習慣、そういった日本民族の文化的所産としての元号国民の習慣として使われておる実態と制定後も全く変わらない、こういうふうに承知してよろしゅうございますか。
  210. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 さよう心得ております。
  211. 村田委員(村田敬次郎)

    ○村田委員 終わります。
  212. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 上原康助君。
  213. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 お尋ねに入る前に一言だけ委員長にも申し上げておきたいのですが、先ほど与党委員の方から、この元号法案の審査は、本委員会で長時間かけて進められてきたんだ、きょう大平総理の御出席をいただいて、最終的といいますか、そういう審査の段階だというふうに受け取れる御発言があったのですが、実は私たちとしては、まだまだ解明をしなければいかない諸問題、諸点というのがきわめて多いということで、今日まで理事会においても、さらに日時をかけた慎重審議をやっていただきたいということを強く要請をしてまいりました。長時間かけたという割りには、午前中の質問時間を入れてもまだ三十時間に満たない現状であるということを強く指摘をしておきたいと思います。同時に、私自身もまだ政府に対する質問はやっておりません。そういう意味でも、総理が本委員会に御出席をなされたということで、この元号法案の持つ重要性、しかも国民の大多数は法制化について大変疑問を持っておられる、法制化の必要まではないのだ、元号の使用については確かに国民生活の上から大きな比重を占めているということは否定はいたしませんが、法制化そのものには非常に問題があり、より解明すべき点が残されていることを、大平総理を初め総務長官も十分受けとめてもらいたいし、また委員長におかれましても委員会運営については、そのような私たちの強い要求であり、かつ連日傍聴席で本委員会の審査の状況をお聞き取りをいただいている国民の方々の素朴な、そして積極的な御意見にもこたえるように取り計らっていただきたいことを要望して質問に入りたいと思います。  そこで、まず最初に大平総理にお尋ねしたいのですが、自民党は結党以来、綱領において憲法の自主的改正を図るということを掲げているわけですが、歴代の自民党内閣憲法に対する考え方、姿勢を伺っておりますと、硬軟があるような気がいたします。大平首相、大平内閣としては現行憲法にどのようなお考えを持っておられるのか、総理として、また自民党の総裁というお立場で明確な御答弁を求めておきたいと思います。
  214. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 現行憲法、平和主義、民主主義を基調といたしました憲法といたしまして、われわれはこれを尊重し遵守していかなければならぬものだと考えております。
  215. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 きわめて常識的なといいますか、簡単なお答えなんですが、かつて三木内閣のときは、憲法改正を行わない方針であるということを国会において明確にいたしました。これはある閣僚のいろいろな行動があって憲法問題が議論されたのです。そうしますと、大平内閣も、大平首相の憲法に対する御見解も、元三木内閣考え方と同様と見ていいのか、自民党という党が掲げておる憲法改正というものとの矛盾点の解明は、総理御自身は総裁としてどういうふうになされようとするのか。大平内閣は全体として現行憲法をいまおっしゃったように尊重し遵守をしていく、憲法を改悪しよう、あるいは改正をしようというようなリーダーシップは絶対とらない、そういうことを国民に明言できますか。
  216. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 われわれが尊重し遵守しておりまする憲法は、その規定の中に改正の手続も含まれておるわけでございます。したがって、改憲という道を現行憲法が封じておるわけではないと思います。しかしながら私は現在、国民が今日の憲法改正しなければならぬ、そういう議論も国内にあることは承知いたしておりまするけれども、その改憲の論議が熟しておりまして、政府が何らかの措置を考えなければならぬような事態になっておるとは見ていないのであります。
  217. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 なぜ私が冒頭、憲法に対する総理の御見解を少しお尋ねしたかといいますと、これまでの元号法案の審査を通して、憲法に対して私ども考えているあるいはとらえている、私どもと言うより、有力な憲法学者を含めてですが、要するに元号問題というのは、明治憲法下における天皇主権のかつての政治体制と、現行憲法下における象徴天皇になった段階における元号問題というのは根本的に違うのではないのか、主権在民の現行憲法体制にもとる一世一元制の元号法律によって制定をするということはどうしても矛盾を感ずる、憲法に抵触をするおそれが十分ある、そういう有力な指摘もあるわけですね。その点については、本会議なりいろいろな面で御発言もあるのですが、改めて総理の御見解を聞いておきたいと思うのです。
  218. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 現行憲法が施行されまして以来三十年経過いたしたわけでございますが、その間におきましても、つまり新憲法下におきましても、現在の元号は慣行といたしまして国民の生活の中に生きてきておるわけでございます。  現在の憲法象徴天皇制を規定いたしておるわけでございまして、この改元に当たって、天皇の在位期間と元号期間を一致させるという措置を講じましても、別に私は憲法上これを不当とする理由はないのではないかと考えております。言いかえれば、天皇制とこの元号問題というものを、上原さんがおっしゃるような意味においての連関があるものと私は考えておりません。
  219. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 時間の都合もありますので、象徴天皇制元号制のかかわり、関連について、細かい議論はまた後ほど法制局長官の御見解ももう少しお尋ねをしたいと思っておるわけですが、いまの御答弁もそうですが、政府のお考えをずっと聞いておりますと、憲法象徴天皇制というものが第一条によって認められているのだから、その象徴である天皇が交代をする、かわることによって、さらに年号、元号というものを改定をしていく、改元をしていくことはちっとも現行憲法にもとろものではないのだ、簡単に言うとそういう言い方をしているわけですね。  そうしますと、端的にお尋ねするのですが、明治憲法下における天皇制あるいは元号ということについては、単なる天皇主権であったからということだけではないと思うのですね。明治憲法ということ、それから旧皇室典範あるいは登極令、そういう三位一体となって、要するに天皇主権というものが確立をされておったと私たちは理解をする、その中軸に据えられておったのが元号であり、しかも一世一元の制度をとってきたということだと思うのです。しかし、そのことは、戦後の現行憲法においては完全に否定をされた、改められたと、私たちの理解はそうなのですよ。そこには断絶性はあっても、連続性といいますか、継続性というのはあり得ないと思うのですが、その点、改めて御見解を明らかにしていただきたいと思うのです。
  220. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 総理がお答えになる前に、私から、憲法問題でございますので、一言御説明を申し上げておきます。  天皇の地位が旧憲法と現行憲法との間では大変違いがあるということは、これはもう明瞭なことでございます。また、旧憲法時代元号が、天皇、つまり主権者であられた天皇の定められたものであり、それはまた国政の正常の統治権の総攬者である天皇のその地位と不可分であったことも当然でございます。しかし、現行憲法でもなお、天皇象徴として国及び国民の統合の象徴であるということを第一条が、国民の総意に基づいて厳粛に宣言しているわけでございますので、今度の元号法案が現行憲法の思想に基づいて、つまり民主的な手続で国会の御決議を経て、そして政令で決める。その決める際に、その改元の契機となるその時点を、皇位継承の点に求めたというだけでございまして、決して前の天皇制主権天皇制の制度に逆行させる一里塚であるというような、そういうつもりは毛頭ございません。
  221. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 いま法制局長官がお話し申し上げたとおり私も心得ております。
  222. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 その議論はまた続けますが、われわれはそういう理解はしがたい点だけ、改めて指摘をしておきたいと思うのです。  そこで、先ほど与党委員の御質問への御答弁があったのですが、総理から改めてお答えいただきたいのですが、政府は、この元号法案が仮に立法化される、法制化されても、国民に強制をするものではない、義務づけるものではない、現行と変わらないのだということを再三強調しておられるのですが、私たちはそう見ないわけです。  この点は後ほどまた、より解明をしていくように努力してみたいと思うのですが、総理の御答弁をまともに受けますと、仮に、では制定をされる段階が来たということになりますと、この法律国民に強制するものではないというようなことを法案でなぜ明記しなかったのか。義務づけるものではないのだということについて、総理の談話なりあるいは法律そのものにそういった付帯事項をつけるとか、こういうことはできるわけですね、皆さんの御答弁からすると。この点明確にしてください。
  223. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 現在のとおりでございまして、何も特別の措置は必要でないと思います、強制するというようなことは、いかなる意味においても考えていない法案でございますから。
  224. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 そこがたてまえと本音が違うといいますか、言っておられることと腹で考えていらっしゃることとはわれわれは違うと思う。いまの御答弁のとおりであるならば、国民に強制するものではない、義務づけるものではないとなぜ法律に、では明確にしないのですか。――いや、総理から答えてください。
  225. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 前々から申し上げておりますように、今度の法案は、元号を決めるルール、だれが、いつ、どういう方式で決めるかという、その元号の制定の手続といいますか、その制定権者といいますか、そういう制定のことだけを書いているわけでございまして、使用については何ら触れておらないわけでございます。もし使用を何らかの意味ででも強制するということであれば規定が要りますけれども、強制をしないという原則でございますから、わざわざ規定を設ける必要がないということから、そういう強制するものでないというようなことを、規定を置かなかった次第でございます。
  226. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 押し問答みたいなことはしたくありませんが、疑問は、確かに法律に、強制するものでないとか強制しないということを何も書いてないからと言うのだ。強制しないということははっきり断言できるなら、なぜ、では法律に書かないかという素朴な疑問がくるでしょう。そこを言っているのですよ。それはあなたの三百代言をいつまでも聞いているわけにいかぬよ。そこにごまかしがあるのです、この法律は。その辺はまた後ほど……。  そこで、冒頭お尋ねしましたように、憲法を尊重する、現行憲法を。しかし現行憲法を尊重しているとはわれわれどうも思われないのですね、歴代の内閣もそうですが、大平首相も、残念ながら。  総理が、今回の、この二十一日ですか、靖国神社の春の例大祭に御出席するということは、これはどういうわけで御出席するのですか、参拝するのですか。私人ですか、公人ですか。
  227. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 私人として参拝するつもりでございます。
  228. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 なぜ公人としては参拝できないのですか。
  229. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 政府の行事として参拝するということになりますと、やや問題になりかねませんので、私の考えといたしましては、私人の自由意思といたしまして参拝するということは憲法上何にも差し支えがないものと考えております。
  230. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 公人として参拝した場合は問題になるというのは、どういう問題になるのですか。――だめだ。総理大臣に聞いている。総理大臣に……。
  231. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 委員長のお許しを得まして、私からお答えを申し上げます。  国の公務員が公の資格で神社仏閣に参拝することについて、憲法二十条三項との関係が一応問題になるのですが、単に参拝するだけならば憲法違反の問題は起きないのじゃないかという考え方もございます。それから、参拝することだけでもやはり憲法違反の問題が起きるのだという見解もございますし、あるいは参拝をして、そして神社であれば祝詞を上げてもらい、おはらいをしてもらうというような儀式を伴う場合に限って問題になるのだという考え方もございますが、政府としましては、最もかたい立場、解釈をとりまして、公人としての参拝はやはり憲法二十条の三項の規定上問題があるから、従来から私人として参拝していただくということで一貫しておるわけでございます。
  232. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 この点は、これまでも議論がなかったわけじゃないわけですね。私たちは、政府のなさっておられるいろんな行事とかあるいは靖国問題、元号問題、そのほかにもいろいろございますけれど、果たして現行憲法というものの精神なり理念というものを、まともにといいますか、条章的に条文を素直に理解をするあるいは解釈をするというような姿勢なり態度というものをとっておられるとするならば、いまのような行為というのは出てこないと思うのですね、どう考えても。ここに国民が非常に疑問を持っておられる、不安を持っておられる根本があるんじゃないでしょうか、総理。  承るところによりますと、総理は信仰を持っておられる、クリスチャンのようですね。個人の信条といいますか、信仰の自由を曲げてまで靖国を参拝しなければいけない、しかも、公人という立場で明らかに憲法に抵触するおそれありと御自分も認めておられるし、法制局長官もそう言っておられる。それを、大平総理が靖国へ行かれる、あるいは何かの行動をとるというのは、これは私人ではないはずなんですね、国民の目に映る態度というのは。だれだって、あなたの顔というのは日本国を代表する一国の総理大臣と見るはずなんですよ、新聞に出るお名前にしても、靖国へ行かれる行動にしましても。そこを私人であるという立場で、しかも御自分の信仰の自由まで曲げてやるという、失礼な言い方ですが、それほどあなたは決断の弱い男ですか。おやめになったらどうです。
  233. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 政府の行事として参拝することには若干問題になりかねないものがある。明らかに違法であるという説もあれば、そうでないという説もあるというようなことはいま法制局長官説明したとおりでございます。したがって、従来、政府はそういう公人としての参拝は差し控えようという態度に終始してまいったわけでございまして、私人として参るわけでございまして、そういう立場をとってきておるわけでございます。きょう始まったことではないのであります。このことは憲法違反に問われるというようなものでは私はないと考えます。憲法を尊重するがゆえにそういう立場をとってやっておることを御理解いただきたいと思います。
  234. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 どう見たって自家撞着ですよね。苦しい御答弁、御心境のほどをお察しいたします。そこがやはり国民の目から見て総理大臣あるいは政府がいろいろやっておられることに対する強い疑問じゃないでしょうか。私人として参拝される、私はそういうことにはならないと思いますが。  そこで、先人がやったからおれもやるんだということもどうかと思うのですが、悪い例は直すというのはいいことだと思うのですが、従来四つの、玉ぐし料を国費で出さない、記帳には公職の肩書きをつけない、公用車は使用しない、公職者を随行しないというのがこれまでの政府の苦し紛れの見解だったような気がいたします。しかし、このことも前福田総理によって破られましたね。今回は随行とか、内閣総理大臣大平正芳というふうに御記帳をなさるのですか。そのあたりはどうなるのですか。それから、ほかの閣僚なども御一緒に参拝なさるのか、その点もお考えを聞かせておいていただきたいと思います。
  235. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 私が私人としていたすわけでございますので、そういったことは私人の判断にお任せいただきます。
  236. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 しかし、総理大臣はお偉い方なんでそういう御答弁もいいかと思うのですが、それはどうなんでしょう、おごりの政治というのは大平さんは一番おきらいだと私は聞いているのですが、いまの御答弁は非常に権力者の御答弁ですね。私人として行かれるにしても、仮に官房長官とか閣僚が随行して行かれるとするならば、当然それは国会の場で問題にされるようなことでしょう。あなたの御判断に任すわけにはいかない面も場合によっては出てくるわけですね。お一人で行かれるのですか、公用車を利用なさるのですか、記帳はどういうふうになさいますかと、私は具体的にお尋ねしているのです。
  237. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 随行は秘書官だけと承知いたしております。それから車は公用車を使わせていただきます。これは私が私用車を使うにいたしましても、警備の都合上どうしても公用車にしてくれという警備上の都合がございますので、公用車にせざるを得ないと考えております。記帳は従来の慣例によってやりたいと思っております。
  238. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 時間もあれですから、私は何も公用車で行かれるとかそういう細かいことを問題にしようとは思っていないのです。従来、政府はそういう見解を持っておったが大平総理はどうですかということをお尋ねしたのであって、それよりなお本質的な問題があるということを御理解をいただきたいと思うのですね。  そこで、あと一点だけ、後の八百板先生のお話とも関連いたしますので、お聞かせいただきたいのですが、亡くなられた保利前議長が、解散権のあり方について大変貴重なといいますか、意味深い御見解を持っておられたということが新聞などに報道されて、この御見解には同調する向きが多いわけです。要するに具体的に言いますと、内閣の助言等によって解散権の乱用をやるなということを非常に強調しているわけですが、大平総理はこの保利さんの御見解なりあるいは解散問題を、何か総理大臣の専管事項であるかのようによく強調されているのですが、憲法との関係あるいは天皇国事行為との関係、こういう問題等についてどういう御見解を持っておられるのか、お答えを願いたいと思います。
  239. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 保利さんの御見解は貴重な御意見として承っておるところでございます。すなわち、衆議院の解散権はいやしくも乱用すべきものではないという御趣旨と承知いたしております。私は、全くそのように心得ておるつもりでございます。
  240. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 そうしますと、靖国もうでをなさって解散をする、そういう立場には大平内閣はない、大平総理はそういうお考えはないというふうに理解していいですか。
  241. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 そのことと解散権の問題とは事柄が違うものと承知しております。
  242. 藏内委員長(藏内修治)

  243. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 時間が限られておるようですから、端的にお尋ねをいたしますが、総理、どうも御苦労さんです。  習慣とか伝統とか文化というものは法が介入すべきものではない、こういうふうな見解を私は持っているのですけれども、総理もそういう点では大体同じだと思うのですが、いかがでしょうか。
  244. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 仰せのように、政治がむやみに介入すべき領域とは思いません。
  245. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 そこで、いろいろ考え方はあると思うのですけれども、一応きちんと分けて、元号法の問題は政治行為である、政策行為である、こういうふうに分けまして、そして天皇国事行為とはかかわり合いを持たせないといいますか、持たないようにする、こういうふうにはっきり割り切ってこの法案が出ておる、こういうふうに私理解するのですが、ところが、現実には、元号を制定するということは、いわば重大な政治行為であり、政策行為なんです。そういう前提の上に政府が出しているのですね。それを、国事行為だけしかできない象徴天皇に結びつかないということは言えないわけで、結びつけるわけです、事実上。結びつけるということは、言ってみれば天皇暦という形にいたしまして、天皇を政策に利用するという危険な面につながっていくのではないでしょうか。いかがお考えでしょうか。
  246. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 いささかも、天皇を政策的にあるいは政治的に利用しようというような意図はみじんも持っておるわけじゃございません。今日まで国民の間に定着してまいりました元号につきまして、皇位継承があった場合にだれがどのようにして手順を踏んで改元を考えるか、処置するかということを決めるにすぎないわけでございまして、その場合、在位期間というものとたまたま一致させるということは、接点において天皇制と接触するというように御理解をする向きもありましょうけれども政府といたしましては、天皇制を利用する意図を持ってそういうことをしておるわけでは決してございませんで、従来の慣行を踏まえて、これを尊重して、できるだけ生かしていくということを考えたにすぎないわけでございます。
  247. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 天皇を政策に利用しようとするものではないと言われましたけれども天皇を政策に利用しようとする人に総理は利用されておるとお気づきになりませんか。私のような勘の鈍い者でもそう思うのだから、はるかに鋭利な総理はそんなふうにお気づきになっておられると思うのですが、いかがでしょうか。
  248. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 そういう利用しようとする向きが仮にありとすれば、それは警戒しなければならぬことだと思います。
  249. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 警戒、排除するという御意思と伺ってよろしいですか。
  250. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 本来、元号を強制しようとするものでも決してございませんし、また、これを政治的に利用しようなんという意図は毛頭ないわけでございまして、これを利用しようとするような方は万々ないものと思いますけれども、万一ありました場合におきましては、これはよほど警戒してかからなければならぬわけでございまして、われわれが警戒をいたしておる以上は、そういう方々はだんだん影をひそめてくるのではないかと思います。
  251. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 やっぱり総理たる者は、一つ考え、方針があれば、これを消極的に支えるというのではなくて、積極的に支えるという意味で、積極的態度が必要だと思います。尊敬する大平総理にひやかすようなことを言っては悪いけれども、やっぱり上を向いて将来に向かって歩むという積極姿勢で、そういう態度を行動の上で実現していただきたい、そういうふうに私は希望いたします。ひとつ、希望に沿わないとは言わないで、沿いますと言っていただきたい。
  252. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 八百板さんの御懸念とするところは、私もよく理解いたしております。
  253. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 先ほど同僚が触れました、象徴たる天皇の限られたる国事行為でありまする中で最も重要な政治性を持っておりまする解散の問題について、この際総理の態度、見解をお聞きしたいと思うのであります。  私の見解といたしましては、六十九条によって、内閣が不信任を受けた場合、その不信任をした国会主権者たる国民の意思とつながっておらない、遮断されておる、あるいはそこに一つの隔たりが出ておる、こういうふうに判断した場合に解散をする、解散をしなかったならば辞職しなくちゃいかぬと、こういうことを規定したのが六十九条の解散の事柄でありまして、したがって、そういう場合にだけ解散を、そういう判断を政府がした場合、その判断の基礎となる客観的に正しい判断が必要になるわけでありまして、そこにも若干問題がありますけれども、とにかくこれは国民の意思と国会議員の意思がつながっておらないという判断をした場合に、その判断を基礎にして初めて国会を解散するというこの行為がそこから発生してくるのであって、つまりその解散をしようという発意が行動の上で具体的になる場合に、天皇国事行為である解散を仰がなければならないので、その手続が内閣の助言と承認によると、こういうふうな意味合いのものであって、すなわちそういう場合の手続を決めたのが七条の国事行為を求める定めであって、七条自身には自発的に解散を求めるということを認めた意味は含まれておらない、こういうふうに私は思うのですが、そういう意味で、この七条による解散があってはいけないという考え方、これは憲法論になりますからなにでございましょうけれども、そういう点について、総理は判断の責任的立場に立つわけですから、どういうふうにお考えでしょうか。
  254. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 憲法第七条第三号は、天皇内閣の助言と承認により国事に関する行為として衆議院の解散を行う旨規定されております。憲法六十九条は解散の事由を限定したものではなくて、第六十九条以外の場合においても、民主政治の運営上新たに国民の意思を問う必要があると認められた場合においては、衆議院の解散を行うことは憲法の認めておるところであると考えております。しかし、この解散権は、先ほどもお話がございましたように、いささかも乱用すべきものではないことは申すまでもございません。
  255. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 いままでの新しい議会制民主主義の新憲法のもとにおける国会の歴史の中にあらわれております解散は、ほとんどと言ってもいいぐらい、内閣なり総理の自己保身のために、そういう立場で解散されたと言っても大方よろしい。中には合意して話し合い解散なんというのもございますけれども、比較的そういう解散が多いのであります。そのために国会議員は絶えず脅かされて、いつ解散されるかもしらない、こういうふうな気持ちになって国政に対する取り組みが非常に浮き足立っている、これはもう顕著な事実なんであります。解散ということが予想されない時期においてさえ、国会議員は選挙区の事情というものを非常に苦にして、恐らく議員活動の中でどれだけのエネルギーを国政の中に打ち込んでいるか、これは計算はできませんけれども、こういうふうに見てまいりましたならば、たとえ国政の中に打ち込む国会活動といえども、常に選挙民の投票が集まることを期待しながら、そういうところにウエートをかけて活動する、あるいはまた余り国政に役にも立たない、しかも雑事にも類するようなことに、議員生活の中でずいぶんたくさんのエネルギーが割かれておる、これが議員の実情であります。こういうふうな点を考えますと、もっと身分というものが、内閣の恣意によって脅かされることなしに専心できる、こういうふうな状態にしていくという必要があろうと思うのです。  この解散の問題と国会議員の日常の政治活動のあり方国会活動のあり方というものは非常に大きく関係してまいりますので、もうすでにこの制度が施行せられましてから三十年ということになるわけでありまするから、そろそろあるべき姿を定着した形において落ちつけていく、望ましい状態に落ちつけていくという努力、実践といいますか、実際にそういうふうなことがあってしかるべき時期ではないかと思うのです。そういう意味では、さきに三木内閣が任期を四年間ですか、あるいは足りなかったかな、とにかく満期まで解散をしなかったというような解散に対する取り組みは、三木内閣のほかのことは別として、とにかく国会の運営の上にはやはり一つの評価すべき実績を残したものだと私は考えます。  そういう意味で、この辺でひとつ大平総理が、国会議員が本当に議会活動に専念できるような、そういう配慮の上にこの解散の問題、七条、六十九条、こういうふうな問題をこの際よくひとつ吟味してみる、こういうことが望ましいのではないか、こう思うのですが、いかがでしょうか。
  256. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 八百板議員の御意見は、謹んで傾聴いたしました。
  257. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 傾聴だけでも困るのですが、少し悪く言えば、一国の総理としての判断で、政治的に判断するというならわかるのですけれども、いままでの解散の多くの例を見ますると、これは一国の国政を預かる総理大臣という判断ではなくて、総理大臣たる自分の地位を保持するために、あるいは総理を支えてくれる自分の派閥の勢力を伸ばすために、そのために解散が必要である、こういうような立場に基礎を置いて行われた解散がいままでは非常に多いのであります。  そういう意味合いにおいて、そういうことがあってはならないのでありまして、この憲法七条は、たしか七条だと思ったですな、この手続を「助言と承認」に規定してありまするよりもより重要なものとして、「天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に関する行爲を行ふ。」こういうふうに規定しておりまして、この「助言と承認」は、言うまでもなく一つの目的、方向性というものを示しておりませんけれども、したがって第七条はあくまでも「國民のために、左の國事に関する行爲を行ふ。」国民のためにこれをやるんだ、こういうふうな天皇国事行為の規定だと思うのです。そういう意味では、あくまでも内閣のためあるいは自派のためということではなくて、そういう基本的態度が一貫して貫かれていくのが望ましいのではないか、こういうふうに考えます。これはお答えいただかなくともそうだと思いますので、国民のためということは、そうでないとおっしゃることはないと思いますので、お答えいただかなくとも結構です。  そこで、いままではそういうふうな意味合いにおいて、解散というものはあたかも総理大臣の胸三寸にあるものだというふうな考え方に立って、解散権は総理の腹一つである、あるいは解散権は総理の伝家の宝刀であるというふうなことを世上言われておるわけであります。しかし、これは言ってみれば、まことに下等下劣なる政治家の信条から出てまいりました言葉でありまして、いつでもおまえの首は飛ばせるぞ、こういうふうなことで常に脅かしながら、おどかしながら、そして国会議員をまとめていくと申しましょうかある方向に引っ張っていく、こういうことになるわけでありまして、そういうふうな形で議員をあるいは政治を動かしていくということは、政治家としては最もさげすまれるべき筋のものだろうと思うのです。  そういう点につきましては、大平総理はそんなおどかしをしなくともりっぱにまとめていける能力を持った指導者でありますから、これは私が保証しますから、何か解散をすればできるんだぞというようなことをちらちらちらつかせながら議員を抑えて、あるいは国会対策の中でこれを使うというふうなことが断じてあってはいけないのでありまして、そういう意味では敬愛する大平総理、望ましい国会あり方をつくっていくためにそういう方向に、これは積極的にひとつ取り組んでいただきたい。これは私の希望であり、期待する大平総理に対する、いわばそういう慣行をつくってもらいたい、こういう一つの願いであります。いかがでしょうか。
  258. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 八百板さんがおっしゃるように、解散権の行使は一つの派閥勢力のためにやるわけでもなく、一内閣のためにやるのでもなく、主権者たる国民立場に立ってやるべきであるということ、それから、総理大臣が解散権をちらつかせるようなことは慎まなければならないじゃないか、一々私はごもっともに存じます。先ほども申し上げましたように、この問題、重要なことでございまして、みじんもそういう乱用をすることのないように、厳粛なものと受けとめて対処しなければならぬと心得ております。
  259. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 元号制というものは、いわゆる時間というものを天皇の即位と逝去、そういうものに区切って、そして年を名づけるという、元号の場合は始めを名づく、こういうものでございますが、これはやはり世界四十億の人間がおしなべて共通した時間の算定方法、年の算年法というようなものを求めておりますときに、現実に西暦というようなものはそういう意味で行われておりますときに、その四十億の中でただ一億の日本国民がこれをかたくなに天皇の名前に結びつけて使わせる、法制化する、こういうふうな行き方は、いわば世界に向かって国際的に発展しようとする日本の孤立化の方向に偏狭に進んでいくものと見られても仕方がないように思うのでありまして、そういうふうな点を考えまして、この問題に処する態度に誤りなからんことを、将来の長い歴史の中でよくなかったこととして裁きを受けるようなことにならないことを私は期待し、そういう行為を大平内閣の手でやったということが後世の歴史の中で批判されるようなことになっては、これは敬愛する大平総理のために非常に残念だと思うので、そういう点を十分に御配慮をいただきまして、ぜひひとつ対処をしていただきたいと思います。
  260. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 先ほども申し上げますように、政府としては元号を強制しようということは、みじんも考えていないわけでございます。せっかくいま国民生活の中に生きております、定着いたしております元号というものがございますし、その存続を多くの方が希望いたしておりますので、それをいつ、どういう手続を経て決めるかということだけを政府国会に諮りまして決めさせていただこうという、非常につましいといいますか、それ以上は出ないわけでございますので、それからまた同時に、いま八百板さんがおっしゃった世界に広く行われておる西暦、世界にはいろいろな紀元が、元号が使われておりますことも事実でございますけれども、広く通用いたしておりまする西暦を使用してはならないなどということは一向考えていないわけでございまして、現にこれも広く使われておるわけでございます。それは結構なこととわれわれ承知いたしておるわけでございますので、政府のやるべき限界というものは十分心得てやっておるつもりでございますことを御理解いただきたいと思います。
  261. 八百板委員(八百板正)

    八百板委員 だれでも年というものを何らかの形で呼ばなければならないわけでありまして、自分の年の名前で呼ぶ呼び方もいろいろあるでしょうし、国が共通して、望ましくは世界が共通して呼べるということが一番望ましいことだと私は考えておりますので、そういう点はあくまでもとらわれない気持ちでひとつ総理としての対処を切に希望いたします。  どうもありがとうございました。
  262. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 鈴切康雄君。
  263. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 私ども公明党は、元号存続に賛成の立場に立っております。また国民は、五十二年九月の総理大臣官房での世論調査でも、何らか存続を願っている人が七九%いることが判明いたしております。しかし、存続賛成の人の中で法制化をした方がよいというのは必ずしも多いとは言えません。総理は、法制化をすることに対して国民の中での賛成者が必ずしも多くないという現実に対してこれをどう評価をしておられるか、またどのように認識されているのでありましょうか、その点についてお伺いいたします。
  264. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 御指摘のように、元号の存続は希望するけれども、その方法については法律以外の形によればよいではないかという答えが、各種調査を通じまして半数前後を占めておると承知しております。しかし、実際問題としては法律以外の方法というのは、政令または慣行という方法は不可能でございまして、実現可能な道は、内閣告示方式というようなものでないかと考えられます。したがいまして、政府としてはそれよりも法律によることがベターである、民主的であるというように考えて、法制化の手続を踏むべきであるという措置を講ずることにいたしたものでございます。  なお、法制化に反対されておる方々の中には、法制化をすると元号の使用が義務づけられると考えられている方が多いのではないかと思われますが、この法案は一般国民元号の使用を義務づけるものでないことは先ほどからるる申し上げておるとおりでございます。今後とも元号と西暦の使い分けは自由でございますので、その点に何ら御懸念はないものと御承知願いたいと思います。
  265. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 いま総理から御答弁いただいたわけでありますが、元号はやはり強制化されるのじゃないだろうか、あるいは義務づけられるのじゃないだろうかという懸念に対して、実際には余り十分にPRはしていなかったというような感じが実はしてならないわけであります。政府の世論調査には、確かに元号に対する何項目かの項目が出ておりますけれども、実際に法制化の是非についてはこの項目には全然見当たらないわけです。一般紙の世論調査による法制化の是非について、法制化については国民は余り望まない、賛成者の中においても、法制化をやるについては非常に懸念を持っている、こういうような回答をしている者が大体一五%から二一%ですね。ですから政府として、それらを含めてどうして調査をもう少しきめ細かにおやりにならなかったのでしょうか。
  266. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 御承知のように、法制化について政府は世論調査はやっておりません。しかし、NHKさん初め各新聞社においても、そういう点についての法制化の調査をしていただいたわけでございまして、その結果等も出てまいっておるわけでございます。そこで現時点に立って、先ほど総理からもお答えがございましたが、この存続をさせようという国民願望にこたえて私どもが対処する方法というのは、法制でいくかあるいは内閣告示でいくかという大体二点にしぼられてくるというような結果になってくるわけでございます。そういう点で、現在時点において政府法制化を要求してまいりますれば、政府はまた法制化のために、国民の方々に無理やりにそうしたことを具体的に宣伝をして云々しておるではないか、そういう一つの懸念も出るかもしれません。しかし、私どもが申し上げておりまするのは、法制化をすることが最終的なねらいでなくて、八〇%以上の国民が要望されておりまする存続を、どう責任を持って具体的に処置するかということに重点を置いて今日まで処置してまいったわけでございますから、そういう点におきましては、各新聞社、NHK等の世論調査等のそうした成果等も踏まえながら、いま言われますような点を慎重に処置してまいりたいということが一つでございます。それと、今後これから先も、こうした国会の場で審議を賜っておりますそうしたこと自身が、法制化国民に御理解願いたいという一つの具体的な道でもあるわけでございます。  なお、座談会あるいはその他の報道機関等の御協力を得て積極的に対処してまいる所存でもあるわけでございまするので、いますぐ法制化のためにアンケートをとるというようなことは、先ほど申しましたように慎んでいった方がよくはないかというような結論に現在達しておるところでございます。
  267. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 私は、そう申し上げているのではなくして、ただ、一般紙とかあるいはNHK等で世論調査をしてもらうということだけであって、政府みずからその問題について何ら行動を起こさなかったということについては、場合によっては、法制化をすることが強制されることにすぐに結びつくのじゃないだろうかということの懸念、そういうふうに思われているということであるとするならば、それはある程度世論を操作したというふうに言わざるを得ないわけですから、そういうふうなことでなくしてやはり純粋に、こういう世論調査をするときには、国民の皆様方のニーズに対してこれをそっくり調査をしていくという姿勢が必要だろう、私はこう申し上げたいわけです。  その最大の原因は、国民元号存続については大部分賛成をしておりますけれども法制化をするということによって強制されるのではないかという不安、これは先ほど言われたとおりでありますけれども、公の機関が今後原則として元号を使用することになれば国民も事実上強制されることになるのではないかというふうに思われますが、その点についてはどうお考えになっておりましょうか、総理。     〔委員長退席、唐沢委員長代理着席〕
  268. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 公の機関におきましては、今後とも現在のように原則として元号によって年を表示することになるので、一般国民が公の機関に提出する申請書や届け出等につきましては、公の機関における統一的事務処理のために元号の使用について御協力していただきたいと考えております。ただ、特に西暦で記入したいという御希望のある方には、西暦で記入されたものも受理することになりますので、事実上の強制ということにはならないと思っております。
  269. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 確かに今回の法案は、罰則規定もなければ義務規定もないことはわかります。しかし、国家公務員法に基づく公務員は、職務命令が出された場合それに従わなければならないわけです。その公務員と一般国民との接点においても強制されることは全くない、そのように判断してよいのか。一口に申し上げますと、公の機関は法律に定められた元号を使用するが国民は全くいままでと変わらない、すなわち、慣習として使用してきた西暦併用もいままでと同じである、そのように判断をしてよいか。この点はやはり国会において明確に御答弁を願いませんと、この強制の問題については国民は大変に心配をしている点でございますので、総理、明確に御答弁願いたい。
  270. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 ただいままでと全然変わりません。
  271. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 新しい元号を決定する手続については、いつ、だれが、どのような方法で決めるかということでございますが、いつまでにその手続をお決めになるつもりなんでしょうか。  それから、新しい元号は最終的な判断は総理にゆだねられております。ですから、いろいろと民主的な形で積み上げられた幾つかの元号の候補については、総理としてはどういう基準とお考えによってそれをお決めになりましょうか。
  272. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 この法案のもとで新しい元号を選定するに当たりましては、国民のためによい元号を選ぶということに留意いたしまして、慎重な考慮を払うべきものであると承知しております。  具体的な決定手続につきましては、皆様方からいろいろな御意見をいただいておりますので、いまいつまでとは申し上げられませんけれども、慎重にその点は検討してまいるつもりでございます。
  273. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 新しい元号と政令にゆだねられる部分についてはできるだけ早く決める必要性の時期に来ている、そのように総理は判断をされておりましょうか。
  274. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 できるだけ速やかに決めるべき時期に来ておると考えております。
  275. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 このようにして国会でこの元号法案について審議をし、時間をかけて国民の皆さん方にわかっていただくことは、私非常に喜ばしいことだと思っております。しかし、問題は、最終的には総理の判断にゆだねられるわけであります、そして閣議決定されます。その段階において衆参の両議長の御意見もちょうだいをしながらということではありますけれども、こうやって国会でせっかく論議をされて民主的に決められる元号につきまして、国会に何らか政府として御報告をされるか、どういうふうな形で国会の方にお話しになられましょうか。
  276. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 先般来から、手続について国会法案審議、可決を願うというような経過もたどっておるわけでございます。国民元号というような、そうした民主的な元号にやっていきたいという願望でもございますので、国民の代表である国会に何らかの形で十分な御連絡、御意見を拝聴するということは、一つにはこうした審議の場でもございますが、将来、法が制定をされて、そして政令で決定をいたしますまでの間に何らかの処置をいたしたいということは、ただいま検討を進めておる段階でございます。ただ、この前申し上げましたように、正副議長さんの御意見は拝聴いたしたいということは申し上げておるわけでございますが、もっと国会に広く御意見を聞いてほしいという要請もございますので、そういう点については検討をさしてもらい、慎重な運びをいたしたいと考えておるところでございます。
  277. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 政令にゆだねられます改元方式について、お伺いをいたします。  皇位継承のあったとき改元するということについては、現在は明治憲法と違い、平和憲法下にあって、主権在民が定着している今日においては、そのことはまず問題ではないと思っております。それではいつ改元をするかと言えば、元号国民のためにあるとするならば、国民生活の利便あるいは合理性、国民感情等を考えていかなければなりません。私ども、日常生活の中にあっても近親の方が亡くなられるということになりますと喪に服するという習慣がありますし、またお年賀を差し控えるという風習があります。これもやはり日本の伝統に根差した一つ国民的な感情であります。まして、国民統合、象徴天皇も人間にほかなりません。天皇百年の後のことがあった場合、皇位継承の即日とか翌日とかということであっては、悲しみと喜びをともにするという、実は割り切れない気持ちになることは当然であります。また、御存じのとおりに大正と昭和の改元方式には、昭和元年がわずか七日しかなかったという事実もあります。さらに、大正と昭和が重複してそのときはありました。  そこで、わが党は、年が改まって一月一日から新しい元号を使用すればよいという考えを持っております。すなわち、踰年改元であります。その新しい元号は当然民主的な手続により、可能な限り早く決めて発表していただければよいと思いますが、新しい元号の使用を即日とか翌日にしますと、国民の中には何らかのやはり混乱を来すことは間違いがございません。そこでお聞きしますが、そういう点に立ったときに、改元の時期については踰年改元がよいと、そのように思いますけれども政府のお考え方をお伺いいたします。
  278. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 皇位継承がございました場合において改元するというのが、この御提案申し上げておる法律内容でございますが、それではいつ改元するかということにつきまして、公明党が主張されておるように踰年改元という御意見があることはわれわれも十分承知いたしております。そうした御意見を参考といたしまして、皇位継承の時期、国民の感情、改元に伴う国民生活への影響等各般の事情を考慮しながら今後検討したいと考えておりまして、いま伺いました御意見、十分尊重して検討させていただきます。
  279. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 この間から聞きますと、ずいぶん前向きに御答弁になったように思いますが、ただいまの答弁は踰年改元について最大限に考慮するという趣旨と解してよろしいか、もう一度その点を御答弁願いたいと思います。
  280. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 ただいま申し上げましたとおり、御意見は十分尊重して検討してまいるつもりです。
  281. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 この間実は参考人の先生方をお呼びいたしまして、御意見の開陳を承りました。そのときに村松先生の方から、やはり踰年改元というのは傾聴に値するという参考意見の開陳がございましたし、このところの新聞の世論を見ておりますと、踰年改元というのは非常にいいじゃないか、こういういろいろの御意見等もございますので、その点について総理として十分に、私ども公明党が現実的な立場から国民の側に立って見るときに、やはり合理性、生活の便利性、国民感情、こう考えたときに、踰年改元というものはそれなりの考え方である、私はこのように申し上げたわけでございますので、もう一度総理としてその御決意をお伺いいたしまして、私の質問を終わります。
  282. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 るる承りました踰年改元に対する御意見、私どもといたしまして十分尊重しつつ、検討を進めさせていただきます。
  283. 鈴切委員(鈴切康雄)

    ○鈴切委員 以上をもって終わります。
  284. 唐沢委員長代理(唐沢俊二郎)

    ○唐沢委員長代理 吉田之久君。
  285. 吉田委員(吉田之久)

    ○吉田委員 私は、民社党を代表して、総理に若干の御質問をいたしたいと思います。  私たち民社党は、元号の存続、したがってその元号法制化してきちんと決めるということに賛成の立場に立っております。賛成の立場に立っていると申しますよりも、むしろ私たちの党は、この問題を最も早く決めるべきであるということを提唱してきた党であるとみずから存じております。そういう点では、今度政府がこの法案を提出されましたことは大いに評価をいたしておりますけれども、これも考えてみれば、天皇が大変お元気でいらっしゃったからこそいまなお問題としていいわけでございますけれども、政治論的に申しますならば、もっと早い時期にきちんとしておくべき問題ではなかったかというふうに考えておりまして、ただいたずらに事実たる慣習ということで、時日の推移を手をこまねいて見ておられた今日までの歴代の政府の姿勢というものに対しては、大きな不満を持っている次第でございます。  そこで質問に入りますけれども、今度の元号は決して国民に強制するものではないということをしばしば答弁で申しておられました。私たちはそのことを一応よく理解いたしております。自由なる国民の自主的な判断を尊重しよう、国民の自主性をこういうことで侵したくないという政府のお気持ちは十分評価するわけでございますけれども、しかし、実際国民の生活面に入ってまいりますと、必ずしもそうばかりは言っておれない面があると思うわけでございます。たとえば契約書あるいは有価証券あるいは小切手、手形、保証書、登記類、こういう書類につきましては、ことごとく権利義務を伴うものでございます。しかも、この書類や文書の最も重要な部分一つは日付でございます。その日付の記載のところで年の表示が個々の自主性によってまちまちである、統一性を欠くというふうなことでは、かえって将来国民生活に多くの混乱を惹起しはしないだろうか。あるいはときに錯覚を生じさせるようなことが起こらないだろうかという点を懸念するわけでございます。この点につきまして、総理はその辺の国民の利益のための指導をどうお考えになろうとしているか、まずお伺いいたしたいと思います。
  286. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 先ほどから申し上げておりまするように、元号の使用につきましては、この法律に何ら規定をいたしておりませんで、一般国民にその使用を義務づけるものではございません。したがって、今後とも元号と西暦の使い分けは自由でありますることはたびたび申し上げているとおりであります。しかし、いま吉田さんが御指摘のように、元号国民が使用する場合におきまして、不利不便がないように心がけなければならぬことも当然でございますので、一般国民が親しみやすいような、また使いやすいような元号を選定いたしまして、できるだけ多くの国民の皆様が御使用いただけるような元号の選定を考えていかなければならぬのではないかと思っております。
  287. 吉田委員(吉田之久)

    ○吉田委員 確かにおっしゃるとおり、その決め方につきましても、国民になじみやすい元号になさるべき配慮は大変必要だと思います。しかし、せっかくそういたしましても、やはりそれぞれ人にはいろんな考え方があるものでございます。それでもぼくは元号を使いたくないということで、いま言ったようなそういう権利義務を伴ういろんな文書や書類について西暦をお使いになる方、あるいはめったに皇紀や仏暦を使う人はもうないと思うのでございますけれども、おれは昔のままの昭和でいくんだというふうな人が生じたりしてまいりますと、大変国民自身が迷惑すると思うのでございます。     〔唐沢委員長代理退席、委員長着席〕 この辺を強制しないで、どう国民合意を図っていくかということが絶えず配慮されなければならないと思うわけでございます。そういう慣習の確立を図るための努力、そのための適切なる指導、あるいは行き届いた配慮、こういうものが今後必要になってくると思うのでございます。そういう点で、総理御自身もいろいろと今後の運用の面について、強制はしないけれども、ある部分に限っては国民のためにお勧めをする、その指導をどうするというふうなところを大いに配慮していただきたいと思う次第でございます。  次に、先ほど鈴切委員の方からも御質問がございました踰年制度の問題でございます。私どもも今度の新しい元号が定められますときに、できるだけ古き元号のよき点を生かしながら、しかしその元号自身が持っておりました若干古い点をどう修正をしていくかということはやはり大事な節目だと思うわけでございます。そういう点で、同じ日に同じ元号が重複している、あるいは同じ年が明らかに二つの元号でそれぞれ表現されておるというふうなことは大変非近代的である、こういうふうに私どもは思うわけでございます。  そこで、私はこの際、先ほども総理がこの踰年制度の問題につきましては、大変その考え方を尊重し、検討をするとおっしゃいましたので、前述の総務長官の御答弁よりは大いに変化したと申しますか、いろいろ新しい検討が考慮されているというふうに受け取っている次第でございます。重ねてお聞きいたします。方法は二つのうちの一つしかないと思うのです。要するに一日の遅滞もなく天皇の在位ときちんと元号を合わせるという方法をいままでどおりとっていくところに実は元号の意義があるのだ、こういうふうな考え方にお立ちになるか、あるいはこの際、在来より近代化を図った、修正した一種の変形型としての元号をこれから大いに国民になじんでもらおう、こういう新しい考え方にお立ちになるか、二つの一つしかないと思うわけでございます。  そこで、私の考えは、明治以来、時代がかなり変わってまいりました。元号が変わったからそれならそうしようということで、筆で全部年月日を記載している時代ならばいざ知らず、今日、ほとんどの書類というものは全部印刷をされているわけでございます。したがって、その印刷の訂正とか、新しい元号に合わせてそういう印刷物をつくるということにもかなり時間を要します。それからまた、多くの重要な書類、あるいはそれのデータなんかは、コンピューターにすでにインプットされている面がかなり多いと思います。これを全部もう一度変えてインプットしなければならない面が、今日の日本の社会には多分にあると思うわけであります。そういたしますと、やはり一定の時間を置いて、そういう準備期間を置きながら元号を改めていく。こういうことがこれからの時代が要請する一つの方式ではないかというふうに考えわけでございますが、その点について総理はいかがお考えでございますか。
  288. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 お話はよくわれわれも理解できるところでございますが、ただいまの段階で具体的にきっぱりとどうするということをお答えするわけにはまいりませんけれども、ただいま披瀝されました御意見も参考にいたしまして、皇位継承の時期、国民の感情、改元に伴う国民生活の影響等、各般の事情を考慮しながら十分検討の上、決定いたしたいと考えております。
  289. 吉田委員(吉田之久)

    ○吉田委員 そういういろいろな御配慮の中で、特に私が重ねてなお一つ申し上げたいことは、先ほど私が申しましたように、一定の準備期間を置いて変えていく、そういう若干の期間がありさえすれば、今後の元号の改定は多くの国民の参加と公開という形式をとりながら進めていくことができると思うわけでございます。どうしても即日決めなければならないならば、数名の学者検討して突如、天の声のように新しい元号国民が授かるというような印象がどうしても出てくるわけでございます。したがって、私は、できるだけ準備期間を置きながら、すべての国民の参加を求めることは不可能でございますけれども、できるだけ多くの人たちの意見を聞いた、あるいは国民の代表と目される人たちの意見を聞いた。たとえば全国会議員、衆参両院にわたる国会議員あるいは各都道府県の知事、こういう人たちにも大いに候補名を出していただく。こういう形式をとられることは大変国民に対して民主的な感じを与えると思いますし、また定められた結果に対しても、非常に共感を感ずると思うわけでございます。  いずれにいたしましても、今後つくられる新しい元号というものは、そういう意味でさわやかに再出発した元号だ、こういう感じを国民に十分につなぎとめていく、そういうことにしてこそ、賢明な国民というものは、この元号というものとそれから西暦というものを、生活の必要に応じて巧みに使い分けていくということに私はなると思うのでございまして、いま申しましたようなそういう参加と公開の原則をできるだけ取り入れられてはどうかと思うわけでございますが、総理のお考え方を重ねてお聞きしたいと思います。
  290. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 新しい元号を定めるに当たりましては、国民のためによい元号を選ぶということに留意しなければならぬことは御指摘のとおりだと思います。したがいまして、学識経験者のお知恵をかりるなど慎重な考慮をすべきであると考えますけれども、そうした学識経験者を選ぶに当たりましては、なるべく広い視野で選ぶべきであるという御主張でございますが、貴重な御意見として伺っておきたいと思います。
  291. 吉田委員(吉田之久)

    ○吉田委員 最後に、先ほど八百板先生も述べられましたけれども、戦後三十四年を経た今日、いろいろきちんと定着させるべき問題は定着させるべきではないかという御意見がありました。八百板委員は解散の問題について触れられたわけでございますが、私は、解散の問題ではなくて、他にもいろいろそういう問題があると思うわけでございます。たとえば国旗の問題あるいは国歌の問題、これも単に事実たる慣習だ、すでに国民の中に定着しているというだけでいたずらに時日の推移に任せておくということでいいのだろうか。この点でもそろそろきちんと決めるべきは決め、決して強制するものではないけれども日本の国旗はこれです、日本の国歌はこれです、その国歌がすでになじまないものであるならばどのように変えていくかというふうなこともそろそろお決めになるべき時期に来ているのではないか。そういたしませんと、すでにもう小学校や中学校でも国歌を歌うか歌わないか、いろいろ混乱が事実起こっているわけでございまして、そのうちに半分しか歌わない、そのうちにほとんど歌わない、国民がだれも国歌を歌わないというような時代になってしまうということでは、私は整った国だとは言えないと思うわけでございます。整った国でありながら自由な社会である、その辺を求めて解決しなければならない問題が幾つかあると思うわけでございますが、その辺について総理はいかがお考えでございますか。
  292. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 元号の場合におきましては、改元の必要が生じてくる場合を想定いたしまして、国が最小限度措置することがありはしないかと考えるのでございますけれども、国歌の場合におきましては、すでに国民的コンセンサスといたしまして定着しておると思うわけでございまして、新たに政府として特別なアクションをとらなければならぬというようには私は考えておりません。
  293. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 柴田睦夫君。
  294. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 共産党の元号に対する見解につきましては本会議で申し上げましたが、その立場から若干お伺いいたします。  政府は、一世一元の元号制度が大日本帝国憲法下天皇主権天皇統治権と不可分の政治制度であるということを認めておられます。だからこそ、現憲法下において元号制度は廃止されたわけであります。これを復活させようとするのが今度の元号法案であると考えわけです。このことは、主権在民の原則に逆行する、歴史に逆行するということがきわめて明白であるわけですけれども、総理の所見をお伺いいたします。
  295. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 元号は、御承知のように、旧皇室典範等の廃止によりましてその根拠を失っておりますけれども元号はもともと年の表示方法一つでありまして、現憲法施行後も、先ほど申し上げましたように三十年以上にもわたって国民の間に定着をし、かつ国民の多数が将来にわたる存続を望んでおろうという事実を踏まえまして、国の意思として今後ともこの元号制度を存続することとしてその改元の方式を定めようというにすぎないものでございまして、現憲法上全く問題はないものであると承知いたしております。
  296. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 総理は、本会議で私の質問に対して、元号法制化の方針は右翼勢力の策動とは無関係である、こう答弁されました。しかし、元号法制化推進派の中核勢力であります各種の右翼勢力やその結集母体である元号法制化実現国民会議の議長である石田和外氏が、元号法制化天皇元首化、憲法改悪への一里塚と位置づけていることは、これもこの委員会審議政府が否定しないところであります。ところが、元号法制化実現国民会議の決起大会に総理大臣の名でメッセージを送ったり、また臨時総会に現職の住総務副長官を出席させるなど、これらの推進派を公然と激励し、右翼と一体となって今度の法制化を進めていることが明らかであるわけです。政府と右翼勢力が一体化になっているということについて、国民は大きな危惧を抱いているわけであります。この問題についての総理の御見解をお伺いしたいと思います。
  297. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 いま申し上げましたように、元号国民の日常生活におきまして長年使用されて、広く国民の間に定着しております。かつ大多数の国民がその存続を望んでおられます。また、現在四十六都道府県、千を超える市町村が法制化の決議を行いまして、速やかにその実現を望んでおります。政府は、そういう事実を尊重いたしまして、元号制度を明確で安定したものとするために元号法案を提出して御審議を願っておるわけでございまして、特殊の勢力の意を迎えるためにやっておるわけではないわけでございまして、法制化を望んでおられる集まりに政府としてあいさつをしたことがありましても、それはそういうまじめな国民の声にこたえたにすぎないことを御承知願いたいと思います。
  298. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 政府は、国民の多くが存続に賛成しているということを法制化の最大の論拠にされております。しかし、国民が望んでいるのは現在の状態の存続でありまして、過去の制度の復活を望んでいるものではないことは明らかであります。各種の世論調査によりましても、多数の国民法制化に反対しており、賛成しているのはわずか一二%程度にすぎないわけでありますし、しかも約六割の人々が法制化による強制ということを危惧しております。国民は、存続の方法として法制化には賛成していないのであります。公権力を持った政府がこの世論調査の結果をすりかえて、いわばうそを主張している。そういう面で、すべからく国民の声に耳を傾けて法案を撤回すべきではないかと思うのですが、国民のいまの世論調査を踏まえての総理の見解をお伺いします。
  299. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 国民の多くが存続を望んでおる、しかし法制化を望んでおる方々は必ずしも多くないという御指摘は私も承知いたしております。これは恐らく、国民の中には法制化によって使用を強制されるということになるのではないかという懸念があるのではないかと思うのでありますが、その点につきましては、るる申し上げておりますように、今度の法律は改元の方式を決めるだけでございまして、使用についてこれを強制しようとするものでは決してないことは柴田さんも御承知のとおりでございます。政府としては、それ以上のことをやろうとしていないわけでございまして、これがだんだんと理解をされることを私どもは期待し、確信をいたしております。
  300. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 大平総理は、靖国神社の春季例大祭に参列されるという御意向を明らかにされましたが、靖国神社にはA級戦犯も含めて戦争犯罪人が合祀されておることが明らかになりました。この事実を知っておられるかどうか。また靖国神社の参拝は、ことし一月の伊勢神宮参拝も含めて、憲法の政教分離の原則に反するもので、決して個人の宗教に対する態度の問題ではないと考えわけです。中止すべきであると思いますが、いかに考えていらっしゃるのか。二点についてお伺いします。
  301. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 A級戦犯が合祀されていたということはけさほど知りました。  私は、先ほどお答え申し上げましたように私人として行動するわけでございまして、いささかも憲法上問題になるようなことではないと承知いたしております。
  302. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 中川秀直君。
  303. 中川(秀)委員(中川秀直)

    ○中川(秀)委員 与えられている時間はわずか八分でございますので、総理に簡潔にお尋ねをいたします。  まず総理、これからの元号についての基本的な考え方についてであります。  私どもの新自由クラブの元号に対する見解につきましては、当委員会でも申し上げておりますので、要点のみしか申し上げませんが、元号そのものの持つ歴史的な伝統、それは、たとえば共通な元号を使うということによって同一の社会、文化に属しているということを意識する、そんな大きな役割りを持っているわけでありまして、そういう文化的、伝統的な価値を尊重したい、並びに国民の多くが存続を希望している、しかるに現在の状況では存続に法的な不備がある、そういう見地から何らかの措置をとらなければならない、憲法上、国民主権の原則から言うと、その何らかの措置をとる場合には法制化が適当である、このようにわれわれは考えて、法制化に賛成の立場をとっているわけであります。しかし総理、現行憲法下元号は、総理も御答弁になっておられますけれども、何よりも国民のための元号国民に親しまれ愛される元号にならなければならないと思います。戦前のような天皇勅定の元号いわゆる天皇元号ではなく、また単なる、内閣が政令で定めるだけの、言ってみれば内閣元号にとどまってもいけないと私は思います。まさに国民に開かれた論議の中で定められる国民元号にしなければならないと思うわけであります。単に古い歴史があるということではなくて、国民元号として生まれかわる出発点に今度の論議をしなくてはいけない、このように私ども考えているわけでありますが、総理の御見解を伺いたいと思います。
  304. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 中川さんが御主張になられるとおりに私も心得ておるつもりでございます。
  305. 中川(秀)委員(中川秀直)

    ○中川(秀)委員 ところが総理、いまも議論がありましたが、最近の各種の世論調査では、元号在続は必要だけれども法制化までするほどのことはないという意見が六四%、四九%というふうに、多数意見という結果が次々と出てきているわけであります。また、いまなぜ元号の制定手続について改めて措置をとらなければいけないか、国会で賛否激突の議論がなされているのか、その意味をはかりかねている国民もいるという気がするわけであります。私は、従来、これらについて政府国民に理解を求める努力が不十分だったような気がしてならない。だから、そういう世論調査も出てくるような気がするわけであります。これについては先日の当委員会審議でも政府側から遺憾の意が表明されたわけですが、この点について総理はどのようにお考えか。  加えて、仮に法制化が実現をいたしましても、政府がそれでこの元の問題が片づいたというふうにお考えになってはいけないと私は思います。法制化が実現してからも不断に国民法制化への理解を求め、元号制度の理解を求める、そういう努力が必要だと思うわけであります。こうした国民への理解を求める努力をする意思があるかどうか、どのようにお続けになっていくのか、国民元号に向けての総理の姿勢、決意をお聞きをしておきたいと思います。
  306. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 世上、元号法案につきまして、これは政府元号を決めて使用を強制するものでないかという誤解が多くあったのではないかと思うのであります。しかし、これは正真正銘、改元の方式を決めたにすぎないものである。これは旧皇室典範が廃止になりまして根拠を失っておるわけでございますので、何らかそこに措置すべき盲点があったことにつきましてまだ十分御理解をいただいていなかったせいではないかと思うのでございます。  そのことのPRが十分でなかったという御指摘につきましては、私どもも反省をするものでございますけれども、本法案審議を通じましてそのことは漸次国民の理解するところとなりつつございまして、そのことは、仰せのように、今後も、法律を御制定いただきました後におきましても、その点につきましては国民の理解を求めるように十分努力をしなければならぬと考えております。
  307. 中川(秀)委員(中川秀直)

    ○中川(秀)委員 若干時間がありますから、もう少し具体的にお伺いをいたしますが、そういう元号が強制されるという、あるいは義務づけられるという国民の中の一部にある危惧に対して、それは元号の運用に当たっての細かい配慮、こういうことで克服をすることもできると思いますが、と同時に、元号の選定方法によっても相当克服できる問題だと私は思うわけであります。先ほどから申し上げているように、国民に愛され、親しまれる元号を選定する方法をとれば、国民は喜んでそれを使用していただけるものだとわれわれは信ずるものでありまして、そのための配慮も十分にしなければいけない。そういたしますと、選定が恣意的に秘密に行われるようなことがあってはならないわけでありまして、たとえば元号の選定について具体的な準備は相当早期に開始をすべきである。今回の場合は、法案成立後直ちに学識経験者の委嘱などのレベルまでの準備は始めるべきだ、あるいは次の次ということから考えるならば、皇太子が即位と同時に準備に入るなどというルールが勘考されてもいいのではないか。あるいは学識経験者選定に当たりましては、一部の歴史学者、国文学者に限らず、学士院や芸術院等の諸機関も活用するなどという幅広い人々の意見を聞くような方法がとられるべきである。また同時に、先ほど来議論がありますけれども、最終選定の段階では国会公聴会を開くなどという方法があってもいいのではないかと思うわけであります。と同時に、またその元号の選定の具体的な内容については、国民に理解されやすい、国民が日常使っている日本語ということに一つの物差しを置くべきではないか、このようにも思うわけであります。総理の御見解を伺いたいと思います。
  308. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 新しい元号を選定するに当たりましては、事情の許す限り速やかに定めるという法律趣旨を体しながらも、国民のためによい元号を選ぶということに留意しなければならぬことは御指摘のとおりと心得ております。  具体的な決定の手続につきましては、政府検討を進めておりまするけれども、総務長官からも明らかにいたしておりまするように、広く学識経験者の御意見も聞かなければなりませんが、同時に、国会の御意見を伺うという形も真剣に検討しなければならぬものと承知いたしております。
  309. 中川(秀)委員(中川秀直)

    ○中川(秀)委員 最後に、先日法務省から、元号の使用に当たって国民の協力を求め、国民元号の使用を強制したり義務づけたりしないために西暦届けでも受け付けるなどという、どちらを使うかは国民の自由選択であるという旨を行政の末端まで通達を出すという御答弁がありました。これは単に法務省に限らず、国民の接点にあるさまざまな公的機関に行われてしかるべき問題だと思うわけでありますが、そのような通達を出すなどという配慮を政府全体としてする意思があるかどうか、総理にお伺いをして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
  310. 大平内閣総理大臣(大平正芳)

    大平内閣総理大臣 具体的に必要が生じた場合は、仰せのような手順を広く踏んでいかなければならぬと考えております。
  311. 中川(秀)委員(中川秀直)

    ○中川(秀)委員 終わります。
  312. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 以上で内閣総理大臣に対する質疑は終わりました。  午後六時三十分から委員会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後六時二分休憩      ――――◇―――――     午後七時三十一分開議
  313. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  ただいま日本社会党及び日本共産党・革新共同の委員の御出席がありません。ただいま委員長から事務局に命じ、両党の委員の御出席方を強く要請いたしております。しばらくお待ちを願います。――元号法案議題とし、質疑を続行いたします。上原康助君。
  314. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 先ほど総理の御出席のときにも申し上げたのですが、この元号法案が非常に重要な法案であるということと同時に、まだ質問の積み残しなりあるいは政府の御見解をただすべきことが相当あるということで、私たちはもう少し時間をかけた審議をやるべきだということを申し上げましたし、また総理に対する質問を終えてからの理事会でもそのことを強く要望をいたしました。残念ながら私たちの要望に対して、強い要求、申し入れに対して意見がまとまらずに、なおこの法案を早目に議了したいという御意見も出ているわけです。私は、冒頭委員長に強くお願いをしておきたいのですが、八時を過ぎても内閣委員会における法案審議状況がどのように結論づけられていくかという関心を持たれております。また国民の方々も、国民生活に重要な影響を与えるであろう元号法案というものが、果たして国会で反対をしている立場の意見というものも十分取り入れられて、何らかのコンセンサスなり法案の取り計らいがなされるだろうかという関心を持っていると思うのです。  そういう意味でも、私たちもここまでいろいろ努力を重ねてきたわけですから、変則的な形でこの法案の結論を出すということは、今後の国会運営あるいは法案の持つ性格、性質からいたしましても好ましい処理の仕方でないという判断をとって、先ほど国対関係者とも意見を調整をする必要がありましたので、お待たせをした次第であります。したがって、そういうわれわれのこの法案に取っ組んできた、あるいは十分意見を申し上げながら、かっ問題点を指摘をしていきたいという誠意に対しては、委員長初め早目に結論を出したいというお立場に立つ方々もいま少し冷静な御判断を賜りたい、このことを申し上げておきたいと思うのです。お待たせしましたことについては、個人的な理由でもなければ、やはり国会というのは一つの団体として、あるいは機関として党でも動いておりますので、そういったことについてはお互い議員という立場での相互の理解というのが私は必要だと思いますので、御了解を賜りたいと思うのです。  そこで、いろいろこれまで意見が出ましたが、御指摘がありましたが、まず、この元号法案に対して賛成をする立場での意見というのは相当出ました。もちろん反対をしている立場での同僚委員の御指摘なり御質問もあったわけですが、国民の大多数が元号の存続を望んでいるんだ、あるいは世論調査の結果も元号の存続使用を希望しているんだから、政府はそのことにこたえていく責任があるので、国会の場で民主的に法案を成立をさしていきたいという、簡単に申し上げるとそういう御答弁だったかと思うのです。  そこで、総務長官に端的にお尋ねをしたいわけですが、一体法案に反対をしている立場の方々の意見については、どういうお考えを持っておられるのか、まず御見解を賜りたいと思います。
  315. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 お答えをいたします。  反対をなさっておる方々の御意見も十分参考にしながら、これから先諸案の選定の準備、それからそれの進め方、あるいは使用上の問題、あるいは運用上の問題等に対しましても、これから法制化されますれば、その後に準備をしてまいらねばならぬと思いますので、その際には貴重な御意見として参考にいたしたいと考えておるところでございます。
  316. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 貴重な御意見として承っていきたい、具体的に申し上げると、どういうふうに取り入れていかれようということですか。総務長官、なぜ元号法案に反対をしているかという本質について、ぼくは御賢明な総務長官ならおわかりでないはずはないと思うのですよね。これまでのやりとりを見てみますと、余りにも形式的な御答弁に終始しておられる。反対をしている方々の気持ちといいますか、その声というもの、要求というものが、いまおっしゃるように意見は意見として承りますということは、中身は具体的には何もないですね。  たとえば、よく議論されてきましたように、世論調査の結果をみても、特に最近の結果においてはもう数字的に指摘するまでもありませんが、元号そのものの存続、使用というものは、確かに日本国民の生活環境なり生活心情からして、必要性なりある面での素朴な愛着といいますか、それがあるということは私たちも否定はしません。社会党も、西暦一本化にすることがいろいろな面で合理的であり、またこれからの国際社会なりそういう観点からして、元号の使用ということには基本的には反対でありますけれども、しかし、国民が拘束されずに御自由にお使いになることまで反対とか、それをやめなさいという立場をとっていないわけですね。そのことは、昨日の飛鳥田委員長の申し入れ、あるいは御指摘等によっても明白にされているのであって、そういうことがすりかえられている面が多いわけですね。  したがって、では具体的に、反対をしている立場の方々の意見というものをどのように今後の元号法が制定をされる段階において取り入れていこうとしておられるのか、明確にしていただかないと、意見は意見として承っておきますということだけでは納得がいかないんじゃないでしょうか。
  317. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 お答えをいたします。  今日までいろいろ貴重な御意見を拝聴いたしましたが、その中で反対をしておられるというか、あるいは指摘をしていただいたいろいろな問題があるわけでございます。  第一には、旧憲法下天皇制の問題と新憲法下天皇制の問題で、この法律を制定することによって旧憲法下天皇制の復活になるのではないかという点が一つの御指摘の問題でございますが、その点については、きょうも総理からも御意見がございましたが、私どもも、法制化それ自体については断じて新憲法にもとるものでもなければ反するものでもありませんということをるる説明をいたしております。しかし、これから先の運用等について、あるいはそういう方向に運用せんとする企図があるぞという御意見なり指摘がございましたが、こういう点については十分警戒しながら今後運用してまいりたいということを申し上げておるわけでございます。こういう点が一つの問題であろうと思うのでございます。  次には、使用上の問題で、法制化について反対をされる国民の方々には、法制化の本旨というようなものが明確に御理解願っていない点がありはしないか。その点については、なぜ法制化をするかということを今後もこうした審議を通じて徹底させますとともに、私ども国民の御理解を得るためにいろいろな適切な処置をしなければならぬと考えておるところでございますし、そういう点についても特に使用上強制するのではないかというような御懸念もあろうと思いまするので、それは絶対に強制をしたり、義務づけるものではございません。また、そういう点についての懸念された御指摘等については、適切な処置をしてまいりたいと考えておるところでございます。  次は、新元号名の決定の手続等について、開かれた元号国民元号としての性格を持たせるように、選定からそして最後の決定まで配慮をせよというような御意見も出ておりまして、そういう点で国民的な元号の性格を持たせるための努力等も払ってまいりたいということを申し上げておりますが、そういう点も努力をしてまいる所存でございます。  それから、改元の時期等によっていろいろな生活上の混乱が出たりあるいは国民の負担を過重にするというようなことがありはしないか、それについては、改元の時期等について十分配慮をする必要があるぞという御指摘等もございました。そういう点についても御意見を踏まえながら対処してまいり、国民の方々にも極力、経済的な負担をかけたりあるいは混乱をさせることのないような対処をしてまいりたい。そういうようなことで私は、十分な御理解を得、御支持、協力を得たい、そういうふうに考えてまいっておるところでございます。
  318. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 いろいろありますが、手続面あるいは国民生活に及ぼす影響、そういうことは当然十分配慮されなければいかない重要な側面であることは否定いたしません。しかし、私が申し上げたいことは、天皇制ということあるいは一世一元の元号制度というものが明治憲法下からいわゆる一九四五年、昭和二十年の段階までどういうふうに日本国民生活に影響してきたかという――よく伝統とか文化とかいろいろ言いますが、賛成派の方々が言っておられることは、天皇中心の伝統であり、文化である点を指摘しておられるわけですね。私は、それは当たらないと思うのです。伝統とか文化とかいうのは、偉い人々だけが伝統と文化を持っているのじゃないですよ。田舎や地域で黙々と一生働いて生きる人々にだってりっぱな伝統があり、文化があり、歴史があるわけですね。そういうことをないがしろにしてきたのがこの元号の本質だと私たちは見ているわけです。  しかも、いま憲法との関係においては、できるだけそういった憲法に抵触するとか、天皇が政治的に利用されることのないようにということがありましたが、戦後三十三年の間の日本の民主主義社会、いわゆる国民主権主義の中で、主権在民の中で元号問題がどのように位置づけられようとしているのか、いまの日本の土壌の中に新たに元号制度というのがどういうふうに位置づけられようとしているかというところに疑問と不安を持っているという、ここが反対派の元号問題に対する本質であるということを皆さんはわからない方ではないと思うのです。それを素通りにしようとするから一番問題があるのです。  そこで、実はこの元号法制化に反対する緊急各界代表者会議ども開かれて、きょう総務長官なり、できれば総理大臣にもこの決議文なども手交したいという要求もあったわけですが、できない状況になっておりますので、関連がありますから、これはぜひ記録にとめておかなければいかぬ問題でもありますので、私の方であなたに申し上げて、こういう立場をとっているということをぜひ御理解いただきたいと思うのです。     元号法制化に反対する決議   私たちは、元号法律で決め、固定化しようとする「元号法制化」に反対します。もともと「昭和」などの元号を使用するか、あるいは西暦を使うかは、国民それぞれの自由意志にまかせられるべき性質のもので、これを法律で決めようとするのは、日本憲法が保障する主権在民、民主主義の原則に反し、思想と表現の自由をふみにじるものです。   政府・自民党は、「元号法制化」を憲法改悪、天皇元首化への一里塚として推進しようとしていますが、圧倒的な国民世論はこの法制化につよく反対しています。   私たちは、元号法案の今国会成立をめざす政府・自民党などの意図に厳重抗議するとともに、その撤回をつよく要求します。そして私たちは、「元号法制化」に反対する大きな国民運動をひきつづき発展させる決意を表明します。 こういうふうに、ここでも述べておりますように、きょうもこれからも若干触れますが、憲法問題と深くかかわっているということ、あるいは一部に非常に強固に出てきている天皇の元首化問題、後ほども少し触れたいと思うのですが、総理や天皇の靖国神社への参拝問題等々、いろいろな面が絡んで主権在民、民主主義の原則を侵しはしないのか、果たして日本のこれからの民主主義思想というもの、民主主義体制というものが一体十分定着し、発展をしていくのであろうかということに、反対をしている方々は懸念を持っているわけですね。ここに対しての政府の首脳の政治姿勢なり、いろいろな面での具体的な行動面での保障というものがない限り、こういう疑念というもの、あるいは不安というもの、不満というものは、単なるイデオロギーの相違だ、見解の相違だと言って片づけられる筋合いのものでないと私は思うのです。このことについて改めて御見解を承っておきたいと思います。簡単でいいですから。
  319. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 お答えをいたします。  再々繰り返すようでございますけれども、改めて申し上げてみたいと思いますが、元号は紀年方式の一つであることは御承知のとおりでございます。この方式が現憲法施行後三十年以上にもわたって国民の間に定着をしてまいっております。かつまた、国民の大多数が将来にわたるこの元号の存続を望んでいるということは事実でございます。この事実を踏まえて、国の意思として今後ともこの元号制度を存続することといたし、今後の改元の方式を定めようとするのが今回の措置でございます。したがって、この内容は、元号は政令で定め、皇位継承があった場合に改めることとしておるのでありますが、憲法主権の存する国民の総意に基づいて象徴天皇制を決めており、この天皇の在位期間に合わせて紀年方式の一つである元号を改めることといたしましても、現憲法に違反をする問題は生じてまいらない。これはもう何回も申し上げておりますが、そういう一貫した考え方に私どもは立っておるところでございます。  それを、いま御指摘のように、君たちはそう言うけれども、他にそういう意見を持って旧憲法下天皇の地位の復活を要求する動きがあるではないかという指摘、それが一般の方の心配を招来しておるという御指摘がただいまございましたけれども、そういう点につきましては、私どもも今後の運営については十分警戒をしながら見守ってまいり、対処してまいるということも申し上げて、運用に過ちのないようにいたしたいということを申し上げておるわけでございまして、そうした点においては、全く意見の違いというようなものが根本的にあるのではない。私どもはあくまでも紀年方式の一つの手段として願望されるものを具体的に、国民の大多数がそういうことを要望しておられますので、最も民主的な方法をとって決めていくならば、これは内閣自身がやるよりも、私は法律に訴え、国会でお決め願うことが最も民主的な方法ではないか、そういうことを申し上げておるわけでございます。
  320. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 そういう御答弁は、これまでも何度かありましたが、しかし、いまの総務長官の御答弁からすると、憲法第一条で国民統合の象徴であるのだ、だから天皇の交代とともに元号が新たに定められるのは現行憲法にふさわしいことなんだ、抵触しない、簡単に言うとそういうこと、これは推進派の方々があらゆる論文なり、いろいろな本などで指摘しておられますね。  しかし、この見解は正当ではない。なぜか。日本憲法天皇を廃止はしなかったけれども天皇は特に象徴位置づけたのは、まさに天皇主権天皇統治の否定を意味するものであった。一世一元の元号の制度は、旧憲法下天皇主権天皇統治にこそ最も自然でふさわしい制度であった。したがって、もしも同じ元号制度をこの象徴天皇制に求めようとするのであれば、それはその限りにおいて新旧両天皇制の間には何らの変化もなかったこととなるのではないか、こういう憲法学者の御見解もあるわけですね。私もまたそう思うのですよ。これはいろいろ議論しても見解の相違だ、根本的な違いがあると言ってしまえばそれまでかもしらぬけれども、明らかに一世一元の元号制というもの、あるいは天皇主権というものは、明治憲法と旧皇室典範、その以前には行政官布告でしょう。そういう議論が幾らでもなされましたので、やりませんが、そういう三位一体的な状況下で、天皇主権というもの、一世一元の元号というものが明治、大正、昭和の一時期に制定されてきたわけですね。     〔委員長退席、村田委員長代理着席〕  そうしますと、主権在民憲法下になった今日、あくまでもその時点で断絶があると思うのです。天皇そのものは同じ方だから続いているかもしれませんが、憲法原理あるいは理念というもの、日本の民主主義体制というものは根本的に違ったというのが、やはり太平洋戦争の貴重な教訓でなかったのか。本来、そういう面からスタートしたにもかかわらず、いま三十三年の間にもとの方向にできるだけ戻していこうという動きがあるから、この問題については、基本的な見解の違いと言うよりも憲法に対する姿勢、考え方そのもののやはり誤った解釈によってそういう運用がなされたと見るのが私は妥当だと思うのです。どうなんですか。
  321. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 数日来繰り返し申し上げておりますが、旧憲法下元号制度は、旧憲法のもとにおける天皇制、つまり主権天皇の制度と不可分であったということは、これは私も否定いたしません。特に一世一元の制度というものは、主権天皇の制度と非常に密接な関連があったということは、そのとおりだと思います。  今度の法案は、先ほど総務長官からお答えがありましたことで実は尽きるわけなんですが、今度の法案が本則の第二項で実質的な一世一元の制度をとっておるけれども、その一世一元の意味合いと、旧憲法下における元号制度のもとにおける一世一元の制度とは意味合いは非常に違う。ただ、現象的にはちょっと似ているところがありますけれども、その一世一元のよりどころである天皇そのものの性格は、現在の憲法のもとにおける民主主義の原則を踏まえてできているのが実は今度の法案なんで、民主主義のいまの憲法の原則を踏まえているからこそ、法案として提出して御審議を願っているわけなんでございまして、旧憲法下における元号制度とは本質的に違う。ただ、紀年方法の一種であるという点では同じでございますし、ましていわんや今度の法案で新しくこの法案のもとにおいてつくられる元号の使用を国民に強制しようというつもりもないし、旧憲法時代天皇制の復活を図っているとか、その一里塚であるというようなことにしようなどというようなつもりは毛頭ありませんし、法文のどこからもそういう趣旨は出てこないというふうに御理解願いたいと思います。
  322. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 あなたの御見解は何回も聞かされているので、わからぬわけじゃありませんが、憲法論議をやっても見解の相違と片づけられるでしょうから、深追いはしたくありません。しかしいまの御見解についても、元号というのは、要するに天皇の名前を変えるということなんでしょう。みんないろいろむずかしく明治時代の言葉を使うから、わからなくなる面もあるのですが、改元というのは、次の天皇のお名前を決めるというようなものなんだよ、簡単に言うと。そうでしょう、日用語で言うと。しかし、いまの主権在民憲法下では、その面はわれわれはどうしても納得いかないですね。これは次第に歴史が解明していくでしょうがね。皆さんは、そういうつもりはないのだと言うけれども、できるだけ天皇中心に、天皇国民を縛りつけていく、そういうことをやりたいわけでしょう、伝統文化という面でも、あるいは政治的にも。ここに問題があるというのは、ある程度社会的感覚を持っていて、憲法をちょっと読むということになると、そういう常識的な判断というのは私は出てくると思うのです。そういう指摘をしておきたいと思うのですね。  さらに、さっきも引用しましたが、ある有名な憲法学者も、   元号というものは、変なものである。明治憲法の下では、主権者たる天皇の一代に一元号が付着するのであるから、元号は特定の天皇の存在と関連していたわけで、それは、当時の天皇主権の下においては、それなりに意味があったといえようが、天皇主権が廃止されて、国民主権となってからは、元号は、天皇となんらの関連がなくなった。また憲法上、天皇と関連があってはならない。とすれば、元号の存在意味はまったく消滅したわけで、この際、既存のほかに新しい元号を加えることは、いたずらに国民を混乱させるだけである。わたしにいわせれば、百害あって一利ない。 こういうふうに明言をしておられるのですね。こういうのが憲法本来の精神であり、現在の主権在民に根差す民主主義を定着をさせていく、発展をさせていくということであれば、やはり象徴天皇にふさわしいような年号のあり方は、旧憲法下におけるものとは根本的に変わると私たちは思うのですね。だから、そこにも一つ問題があるということ。  いま一つは、同時に、そういう憲法とも非常に問題があり、一世一元の元号制度は、今日のこの現行憲法にはなじまないのだ、これは私なんかの素人が言っているのではないのです、偉大な憲法学者がこういう見解を示している。とするならば、ましていわんや法律をつくって、これによって拘束はしないとか、義務づけないのだ、強制しないと言ったって、実質的には強制になるのですよ。これも後で時間があれば、もう少し具体的に御見解を賜りたいのですが、ましていわんや法律までつくってやるのは反対だという国民に対して、元号の実質的な使用を強制するということは、どう考えても皆さんの方に論理的にも、考え方においてもやはり少し無理があるという感じがします。  世論世論と盛んに言っていますが、世論も実際には法制化してまでというのは最近の世論調査では二〇%足らずでしょう。それをまた一々数字を挙げますか。やはり国民的コンセンサスを得ること、あるいはこの元号問題に対しては、国民にこれだけ鋭い対立があるということであるならば、いま少し時間をかけて国民の意向を見るのが政府のとるべき態度じゃないでしょうか。むしろ天皇もこれを望んでおられるのじゃないかと私は思うのですよ。皇室にもある面では負担になっているのではないですか、実質的には。どうなんでしょう。(発言する者あり)静かにお聞き取りを……。
  323. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 何か御発言を聞いておりますと、この法案を出すことによって、政府天皇国民を縛りつけるのだ、また、そうすることによって、昔の天皇制の復活を図っているのじゃないかというふうな御趣旨のように受け取られるのですが、その縛りつけるというのは、一体どういう意味なのか、私よくわかりません。憲法自身がとにかく国民の総意として、国及び国民統合の象徴だと厳粛に宣言しているわけなんですから、その点をとらえて、象徴天皇皇位継承を契機に改元を行うということは決して憲法違反でもない、全然憲法違反でない、憲法に矛盾、抵触するところは全然ない。  問題は運用だということになるのですが、運用につきましては、国民に使用を強制するということは考えられない、法律にないのですから。この前も言いましたように、法律には使用については全然触れてないわけなんで、本当に使用の「使」の字もなければ「用」の字もなければ、強制の「強」の字もなければ「制」の字もないので、ただ改元を行うというルールを決めている。それだけの内容でございますので、いまおっしゃいましたような御議論、それはそういうことをおっしゃる方があるかもしれませんけれども、私たちはそうは考えておりません。
  324. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 そういう御見解だということは承っておきますが、私も先ほど申し上げましたように、このことだけにかかわっているわけにいきません。いまありましたが、要するにあなたの御見解は、絶えず日本憲法下天皇象徴にすぎない、元号象徴にすぎない天皇のさらに象徴にすぎないというような言い方なんでしょうね。したがって、運用をやれば決して憲法には抵触しないのだ、元号制度が天皇制天皇の権威の強化などにはならないという御見解でしょうが、われわれは天皇の権威の強化につながると見ているのです。あくまで天皇中心国家体制――形式的にはそうおっしゃっても、実質的には天皇天皇という方向、国民をその周辺に持っていく国家体制をつくっていこうという、われわれに言わせれば実質的には旧憲法下への回帰ですよ。そういう危険性があることを私は改めて指摘をしておきたいし、いまのあなたの御見解に対しては、またこういう反論もあるのですよ。  ことさらに「象徴にすぎない」ことを天皇の地位と元号の制度との二つについて強調する。いわば、二つとも軽いもの――消極的なもの――であるという。そしてその二つがいわば掛け合わされる結果、その効果は二重に軽いものとなるのだ、というのである。しかし、果たしてそうであろうか。反対に、実は重いもの 私がさっき言ったように精神的支柱にする、あるいは道徳の中心天皇を据えていく、これがねらいだと思うのですね。ここでこのことを言っている。反対に、実は非常に重いものだと思うのですね。したがって、運用の問題等を含めて考えた場合、積極的なものになると思うのです。  その結果がむしろ二重に増幅することになるのではないか。すなわち、そこではことさらに「象徴にすぎない」と強調されている。しかし、その場合、論者にあっては、その「象徴」の国民「統合」の機能が、実はきわめて重いもの――積極的なもの――として、またそうあるべきもの へと、この元号制が運用されていく危険性が十分あるのだ、こういう指摘もあるわけです。ここは単なる見解の相違としては片づけられない問題だということを私は指摘をしておきたいと思うのです。  反対をする立場からはそういう見方がある。憲法問題についても、時間があればまだまだたくさんやりますが、これはやったって、あなたは御専門だし、ぼくはずぶの素人なんですから……。  しからば総務長官、今度は賛成をしている、元号法案を推進をしているのはどういう方々が多いと思うのですが、お挙げになってみてください。――できるだけ大臣、答えてください。
  325. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 とりあえず私から御答弁させていただきますが、一つは御案内のとおり、各都道府県あるいは市町村の議会で法制化促進の要望決議を政府に対して寄せられているわけでございます。それからまた御案内のとおり、元号法制化実現国民会議でございますか、そういうような動きがあることも承知をいたしておりますけれども、ただ、この点につきましては、それが個々に構成されている団体自身につきましては、私どもとしてはそこまでは直接関係はいたしておりません。
  326. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 この間から私は、ほとんど各委員の御質問も聞いていましたし、御答弁も聞いておったのですが、総務長官は、約九〇%が元号の存続を望んでいるんだ、四十六都道府県が決議したんだ、千三百幾らですか決議したんだということを盛んに言っているわけですね。  全国の市町村自治体の数は幾らあるのですか。それが一つ。それから四十六都道府県のうち何通が決議文として届いているのですか。だれあてに届いているのですか。
  327. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 市町村は三千二百五十ぐらいでございまして、私どものところに来ております市町村の議会からの決議はたしか千百六十か、その辺だったと思います。それから都道府県の方からは、四十はちょっと欠けて三十八ぐらいが私どものところには到達をいたしておりますが、これは四十六都道府県、つまり全部で四十七の中で一つを除きまして四十六で決議が行われたということを聞いておるわけでございます。
  328. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 その決議文は、だれあてに送付されているのですか。
  329. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 総理大臣または総務長官ということで参っております。大体は、両方が重なって参っております。
  330. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 総理大臣の名前の多いのは、どちらですか。
  331. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 総理大臣あての方が多いということでございますが。
  332. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 だれの名前ですか。大平正芳と書いてあるのですか、それともほかの名前が書いてあるのですか。
  333. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 これは、参りました時期は、いま申し上げた数の中では過半数は大体は去年のうちに参りましたので、前内閣総理大臣の名前の方が多いのではないかと思いますが、ちょっとそこは正確にはただいま把握しておりません。
  334. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 ちょっと細かいようなんだが非常に重要なことなんですね。私も十分は調べてありませんが、市町村で圧倒的に多くやられていると言うんだが、三千二百五十五あるのですよ、全国の市町村の自治体の数は。千百六十やったら、あと二千九十五はやってないということ。これも聞いておる方は、全国の市町村の大多数がやったというふうに受け取れますね、皆さんの言い方からすると。四十六の都道府県と言っても、送付されているのは二十八か三十前後じゃないですか。  それはともかくとして、いまの後のことは大事なんです。これは総務長官も全部聞いていただきたいのだが、私が知る限りにおいては、この元号法案を推進してもらいたい、早く法制化してもらいたいという決議文の大多数は、前福田赳夫総理大臣あてに来ているのですね。ここは意味重大なんですよ。あなたもいみじくもおっしゃいましたが、去年の十二月段階までに来ているのだ。これは完全に自民党の総裁選挙とその時期は符合しているのです。ここが政治キャンペーンであったという一つの証左になるのだ、簡単なことなんだが。国民も鋭い感覚を持っているのは、そのくらい見抜きますよ。政治的に利用されていないと言うけれども、明らかにこれは、自民党の党内事情によって元号問題を旗を振った人がおる。こういうことも私は十分指摘をしておきたいと思うのです。これについて御見解はありますか。
  335. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 私どもの方に参っております状況を申しますと、ごく最近に至りましてもなお到達しつつある状況でございますので、私先ほど十二月という言葉を申しましたのは、去年のうちに、つまり昭和五十三年のうちに来たものが数としてはいままでのところではその方が多かったというふうに私記憶がございましたので、そういう意味で引用したにすぎませんので、御理解を賜りたいと思います。
  336. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それは事実関係だから、指摘をしておきたいと思うのです。  そこで、元号法制化実現を要請をしている方々はどういう方か、主な団体はどんなものかということを聞いたのですが、これも、皆さん、本当にどうなんでしょう。主な団体というのは、神社本庁でしょう。生長の家でしょう。軍恩連盟、国際勝共連合、生学連、生長の家学生会全国総連合、反憲学連、反憲法学委員会全国連合、日本青年協議会、不二歌道会、こういう団体が実に元号法案を早目に制定をしてもらいたいという強い要求をやっているのですね。こういう団体から、各都道府県なり各市町村に対して早目に決議をしてもらいたいということを盛んにけしかけて、と言うと語弊があるかもしれませんが、そういう形でこの元号法の推進をやろう、法制化をやっていこう。皆さん、ある面では異常と思いませんか、これだけ皆さんが、四十六都道府県でやられましたが、千百六十でしたか市町村で急速に盛り上がってきたというのは。これは、本当に、元号内容というもの、天皇制とはどう関係するのか、いまの憲法とはどうかかわっていくのか、旧憲法下における一世一元制の元号がどうであったのかというようなことを、みんながそれぞれの地方議会なりあるいはその地域の専門的な立場にある学者、文化人とか、そういう方々の意向も聞いて決議したのじゃないのですよ。何かの問題と一緒に、元号は必要だから、昭和の後元号がなくなると困るでしょう、皆さん、という形でやられているのがこの決議なんですよ。それがあたかも国民世論であり、全体の意思であるかのようにこういう場で強調するのは、私はちょっと軽率だと思うのですね、総務長官。どうでしょう。
  337. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 一つ申し上げますが、ただ単に一部の団体の方に強制されて云々というようなお言葉がございますが、断じてそういうようなものでもない。それからまた、前内閣において政治的な運動にこれを利用したということでございますが、そういうことでもありません。と申し上げまするのは、わが党が党議で決定をしたものでもあります。そして、それを地方の支部に、党議決定の線ははっきり党としてこれを取り上げて運動の展開をいたしておるものでもございます。それからまた、先ほど来、県なり地方議会の議決等について一部の扇動に基づくものだというようなことがございますが、私は、もっとやはり公正な立場で地方議会の決議というようなものはお取り上げを願う必要があろうと思うのでございます。私どもは、そういう見方はいたしておりません。こういう点から見ましても、一部の策動とか一部の云々とかいうものでは断じてないということをひとつ御理解願いたいのでございます。
  338. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 私は、何も扇動という言葉を使いませんでしたよ、総務長官。地方議会の決議を尊重しないのは、むしろぼくはこれまでは政府だったと思うのですね。これはいずれ議論をしますが、沖繩では全会一致の決議をたくさんやって、政府に何回も地方自治法に基づいて要請したが、一遍も生かされたことがない。自分たちの御都合のいい決議文だったら、これは世論です、尊重しなければいけませんと言うのは余り感心いたしませんね。そのことを指摘しているのです。しかも、短期間の間にこれだけのことがやられたというのは、元号制の持つ内容というもの、法案内容とかそういうことが十分に吟味されていないきらいはありませんか、そういう指摘は十分あり得るでしょう。そのことを申し上げているのであって、私だってある程度考えて物を言っていますが、扇動とか策動とかそういうことで私は表現しませんでしたよ。その点指摘しておきたいと思うのです。  そこで、では皆さんは憲法とも関係がないのだ、あるいはそういう危険性は全然、憲法とは関係ないというより、そういった憲法の精神が曲げられるようなことにはならない、あるいは天皇の権威というもの、政治的地位というものが強化されていくことにはならないということを盛んにおっしゃっていますが、われわれはどうもそう思われないわけです。思えないわけなんですよ。元号を推進をしている方々の発言というものを、皆さんどうお考えでしょう。私も、ずいぶんこの元号問題を書いている、あるいは天皇制について書いてある本も見てみたのですが、まず、確かに自民党には自民党のお考えがあり、それはそれなりに結構ですから、民主主義社会ですから、お互いにそれぞれの見解を言い、政策を掲げて国民の判断にお任せする、これは常道ですよ、普通で、何も私はそこまで否定しようとは思いません。しかし、どう考えても、憲法を尊重する、遵守していかなければいかぬ立場にある方々の発言としては問題がある。そういう面がたくさんあるわけですね。  たとえば、前総務長官の御発言なんかも、よう総務長官の座を占めておられたものだと、私も同情に値するね。皆さん、これは「理想世界」という本に、しかも総務長官現職時代のことなんですね、元号問題との関係においてこういう発言をしているのですね。  たとえば、内閣が、今の福田さんがいつまでも続けばいいですよ。しかし、自民党の中でも、多少おかしな人もいないとはいえないから、そんな人が内閣を担当されたときには、元号はそれで終ってしまう 自民党の中にもおかしな人もいらっしゃるのですかね。こういう発言とか、あるいは   欠けている心とは何か。それは、日本の柱を立てるということです。   天皇陛下を中心として尊ぶのは昔に戻ることだなんて言ってるのは、おかしいんだ。 こういう言い分なんですね。日本の柱を立てるのは、天皇陛下を中心としてとうとぶことだ。皆さん、これ行き過ぎじゃないですか。   これからは、もう一歩進ませて行く。建国記念日は政府が「主催」するのが当たり前ですよ。誰に遠慮することもない。   靖国神社というのは、国家護持するのが当り前の、まん中なんですよ。 どうなっているのですか、これは。しかも現職の閣僚ですよ。皆さん、これが本当に良識ある人なら、憲法を守る立場にある、しかも行政をする立場にある、元号問題を担当しようという一大臣の発言として本当に国民がこういうことを読んでみて、一体元号ができたら、本当にこういう考えで進んでいくのかと疑問を持たない方が不思議じゃありませんかね、総務長官。私は、いまの三原総務長官がそういうお考えだとは思いたくありませんが、しかし政府の重要な地位にある、しかも現職の閣僚がそういう考え方で堂々と意見を発表している、対談しておられる。どうなんですか、これは。御見解を承っておきたい。
  339. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 お答えをいたします。  私がここで申し上げておるのは、政府としての意見を申し上げておるわけでございまして、個人的な意見を申し上げる場合は、個人的な意見としてということで率直に申し上げる場合もあると思いますけれども、ただいままでここで御質問に対して答弁をいたしておりますのは、政府の意見を申し上げておるのでございます。したがって、前長官の御意見等をいま云々することは、私は適当でないと思いますけれども、個人的なそうした見解を述べられたものについては私も承知をいたしておりますが、それはあくまでも個人的な御見解であったろう、そう思っておるところでございます。
  340. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 私も個人的なことについて、とやかく言うつもりはございません。しかし、これは総務長官現職時代の御発言ですよ。そのことを問題にすべきだと申し上げておることを改めて指摘しておきたいと思うのです。個人的なことにはならないわけですよ、総務長官という立場でこういうことを言うというのは。これは本当に大問題ですよ。  それともう一つは、皆さん元号はそういう方向には行かないということを盛んにおっしゃっているのですがね、これも推進派の方々が書いている「元号-いま問われているもの」、やはりこういう考え方が根底にあると思うのですよ。ある人は、   僕は天皇の「神聖性」をおまもりするものとして、とりわけ、「象徴侮辱罪の新設」が喫緊の課題だと思います。これは本質的には「不敬罪の復活」としてとらえられるべきことですが、現憲法の「象徴」規定にマッチするものとして、「不敬罪」というより、「象徴侮辱罪」とする方がより現実的だと思うわけです。 こういう思想を持っている人が、元号を一日も早く法制化しなさいと積極的な意見を言っているわけですよ。どんどんそういう本をお書きになっている。そういうものを見ていると、皆さんが言うように、法制局長官憲法とは関係しません、天皇の権威は高くなりません、あくまで象徴ですと言ってみたって、根っこに流れている、まあ本流とは言わぬけれども、そういう思考というもの、思想というものは、早目に象徴侮辱罪でもつくりなさい、不敬罪も復活させなさいということを元号推進派は言っているわけですね。これについては、どうお考えですか。
  341. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 どんな方がどういう機会におっしゃったのか、事実の有無は私は全然知りませんが、言論は自由ですから、それこそまさしくいまの憲法の第二十一条で言論その他表現は自由ですから、どういう意見をお吐きになっても、私の方でそれに対して、そんなことを言ってはけしからぬというようなことを言うことがまた憲法違反になるのじゃないかというふうに考えわけでございまして、私にそれに対する意見を述べろとおっしゃっても、それはちょっと御無理な御注文なんで、正式に法制局長官としての意見を述べる立場じゃございません。
  342. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 法制局長官、そんな茶化してはいけませんよ、それは。ぼくは真剣に討論しているのですよ、議論しているのですよ。元号を推進をしている方々には、そういう考え方の持ち主、思想を持っている方々が多いですよと。もちろん、そんなことを言ってはけしからぬと言っていないのですよ。言論は自由であるということは、私どもも知っている。皆さんが、憲法の精神は全然曲げられないのだ、心配しないでいいのだ、天皇の権威も高くなりません、強められませんと言ってみたって、こういう思想の持ち主の方々がどんどん元号を推進をしていく、あるいは天皇中心日本国家をつくろうという動きがあるということについては、個人の見解は別としても、何らかのコメントがあっていいんじゃないですか。そういうことを言っているのであって、あなたがそういうことを言うから――また憲法違反なんて、そんな大げさなことをおっしゃるなよ。  さらに、これは何か皇居にお勤めになった人が書いておる本ですが、私は、余り元号賛成者とかあるいは天皇を美化していく方々の本というのは読みたくないんですが、しかしおのれを知るには他も知らなければいかぬ面もあって、なぜ天皇を尊敬するかという本もかつて読んでみたんですね。この中にも実に恐ろしいというか、われわれから考えると、どうしてこういう論理というものが出てくるのかという感じがするほど、非常にいまの憲法はだめなんだ、自衛隊も早く天皇の軍隊にしなければいけないんだ、不敬罪も早目に復活させなければいけないんだ、靖国も国家護持しなければいかぬのだ、そういうことを随所に強調しているんですね。同時に、最近のそういう動きとして、私がなぜ日本社会の土壌というものを問題にするかと言うと、それは何でも自由でしょうが、しかし物事には、一体日本の将来というもの、日本の民主主義というものがどういう方向に行くのであろうかということはやはり国民として関心を持つし、国会で仕事をしておれば、人一倍と言わないでも人並みのそういう感じは持ちますよ。  しかも、最近のこういう問題として指摘しておきたいのは、若い層に向けてのいま私が指摘した幾つかの天皇論というものが急速に出てきているということ、これも元号法制化の問題とか、靖国神社の問題とか、有事立法の問題とか、文部大臣、お待たせして済みませんが、「君が代」、国家の問題とか関連しているわけですよ。そういう一連の総まとめとして元号が出てきたと言っても、私たちに言わせれば過言ではない。そこが今日の国民の最も懸念している根本だということを理解をしていただかないと、日本の民主主義というものの将来に、私は、これはもちろん、そんなことを言ったって、われわれが多数だと言ってしまえばそれまでかもしらぬが、ある意味じゃ日本の今後の将来に対する選択を、いま私はお互い自体が迫られていると思うんだ。それほどわれわれはこの問題を重要視しているんだ。いま私が指摘した問題等について推進をしている人々というのは、残念ながらそういうお考え立場に立っておられる人が多いから、ますますこの元号法案の取り扱いについては、国民の日常生活から出ている元号に対する長い間のいわゆる事実たる慣習という考え方、あるいは憲法に定められている象徴天皇に対する天皇への一種の信頼感というか、そういうものとは違っている観点から元号問題、法制化の問題、一世一元制というものがでてきているという本質を政府が見抜いていないと私は思わないんですよ。改めて御見解を承っておきたいと思うのです。
  343. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 お答えいたします。  私は、問題点の第一に、いま御指摘されるような旧憲法時代における元号と新憲法下における、現在、法案としてお願いをいたしております元号天皇との関係における違いというようなものがいま一番問題でございますということを一番に申し上げたというのも、そうしたいろいろな御意見があるということを承知をしておるからでございます。そういう点について、私どもがいま企図いたしておりまする元号法制化の問題は、そうした立場からではございません、あくまでも年の表示としての元号というようなものを国民の要請にこたえて、いかにして存続させることを制度的に国の意思として明確に安定した体制に置くかということが主でございます、憲法に抵触するようなことはいたしておりません、将来に対しましても、この民主的な体制を壊すような方向に持っていかないように十分な留意をしながら運営をいたしたいと思いますということを劈頭申し上げましたが、そうした観点からこの問題と取り組んでおるわけでございますので、決してそれを私どもが知らずにやっておるとかというようなことではございませんので、御了承願いたいと思うのでございます。
  344. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 そこはとらえ方の問題がありますので、願わくはそういう立場の意見がより反映されるような元号あり方、あるいは天皇の問題、政治のあり方でないことを私は心から期待をせざるを得ません。  そこで、先ほどいろいろございましたが、これも重要なことですから触れておきたいのですが、歴代内閣元号に対する姿勢というものがどう変化をしてきたかということも一度指摘しておきたいと思うのです。  私はいろいろ議論をしたかったのですが、どうも最近、政府なり一部の方々は、日本の講和発効前の国会での決議とかあるいはいろいろな制度というものはすべてマッカーサー司令部というか、そういう占領下にあってのことだったから、日本の本来とるべき判断じゃなかったというようなことをやっているのじゃないかという懸念も持つわけですね。そのことも議論できませんが、一九四六年には、議論がありましたように、今国会提出の元号法案とほとんど同じ元号法案を閣議で決定されたが、これも先ほどの議論とも関連するのですが、われわれがいろいろ記録を調べてみると、GHQが圧力を加えたんじゃないのですね。天皇の権威を認めることになるので、そういう一世一元の元号制というものはどうも納得しがたいという指摘だったと思うのですね。それは、あのころはマッカーサー司令官が抑え込んだのだという形でこれを安易におとりになるのはどうかということを指摘しておきたいと思うのです。  その後一時――もちろん参議院での公聴会どもありますよ。これもこの間の清水さんの御答弁はちょっと違うのですね。その点も指摘をしておきたいと思うのです。一時期そういった元号廃止をしようという国会論議もあったのですが、さたやみになって、一九六一年、昭和三十六年のころ、池田内閣は公式制度連絡調査会議設置して、元号を初めとして国旗、国歌に関する検討機関を設けた。その会議は、元号についてだれが決め、どういう形で、どういう内容にするかというような問題点を挙げるのにとどまって、その後二回ぐらいこの連絡調査会議は開かれたが、一九六五年から一九七五年の間余り活用されていないのですね。  その後、一九六八年、昭和四十三年のころになると、佐藤内閣ですが、その年に起きた十勝沖地震の名称については、一九六八年十勝沖地震と最初なった。本当は、これもまた気象庁でも呼んで、いろいろ議論をしなければいけない問題なんだ。元号での地震なりそういうものの年づけというか記号づけというのはむずかしいと言っているのですね。これはもう常識でしょう。しかし政府部内で、官報記載やその対策をめぐって混乱があった。だから、一九六八年十勝沖地震となっていたものを政令に関しては、昭和四十三年十勝沖地震とした、これも元号が非常に非合理的だという一つの例だと思うのですね。それで元号問題についてはいかにも佐藤さんらしく、佐藤首相は自分がやめてからにしてほしいや、こんなむずかしい問題は。だから消極的だった。それでさたやみになった。  一九七二年田中内閣が発足して、元号問題については慎重に扱ってほしいと余り乗り気じゃなかった。消極的です。  一九七四年、昭和四十九年になって三木内閣が誕生して、これは源田実参議院議員の質問に答えて、政府元号の事実たる慣習、元号の使用を国民に強制しようとするならば――皆さん強制しないと言っているが、源田さんの質問主意書に対しては、こうはっきり答えているのですよ。事実たる慣習である元号の使用を国民に強制しようとするならば法律を必要とすることは当然である、こう言っているのですよ。強制するとちゃんと源田さんの質問主意書には答弁なさっているのじゃないですか。どうなんですか、これは。こういう問題がある。こうなって、三木内閣もいわゆる元号制度についてはなお慎重に検討する、こういう話をしてきているわけですね。しかし、さらに、昭和の後の元号制度については、閣議決定による内閣告示元号を存続すると答弁したのだ、参議院予算委員会でしたか、かつての西村総務長官が。  だが、先ほども指摘しましたように、福田内閣になると、どうも風向きが俄然変わるのですよ。一九七七年、堀江正夫参議院議員の質問に答えて、政府元号制のあり方については国民世論の動向を見て慎重に検討したい、そう言っておったのだが、だんだんさっきの稻村総務長官との話の関連もあって、積極的に法制化をする方向に変わっていくわけですね。こういうような大きな変化があるということ。七八年の十月十七日に昭和の後の元号問題については、従来の内閣告示方式を改め、法制化で存続すると閣議決定に至る。ここからが元号法制化が活発な意見として十分な国民間の内容の吟味とか、あるいは先ほど指摘しましたような問題がどうなっていくであろうかということを十分討論、議論されないままに今日に至っているというこの経緯についてはぜひ御理解をいただかなければ、御理解というよりも指摘せざるを得ないですね。  そして、一九七九年一月二十五日の本国会の再開に当たっての施政方針演説で、元号存続法制化を初めて本会議において大平総理が述べるということになってきたわけですよ。こういう経緯を見ても、どうもいまの時期にどうしても元号法制化しておかなければいかぬという何か大きな裏があるような感じが私はしてしようがないのですよ。総務長官、絶対そういうことはありませんと言っても、あるいは党で決めているんだとおっしゃいますけれども、何でそんなに急がなければいけないかという疑問に対してはまだ解明していただけない、御見解があれば、お述べください。
  345. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 大変長い沿革がございましたので、その点につきまして私から答弁さしていただきますが、公式制度の検討は御指摘のとおり、途中余り活発でございませんでして、ここ三、四年来、元号の問題につきましては検討を重ねてまいりました。このことは前にも御報告をいたしたところでございます。  それから、源田議員に対しまする政府答弁書における表現でございますが、そのときの意味することは、強制をしようとするならば法律が必要であるということが書いてあるということでございますが、それは、もしそういう法律をつくるとすれば、法律の中に元号によらなければならないとか、したがってまたそれに反した場合はどうなるとかいうような規定を入れる、それがつまり法律によって強制するということを意味するわけでございまして、およそそのようなことであれば、法律であることが憲法の上から言いましても絶対に必要であるということは当然のことでございますが、私どもがいま提案してあります法律というのは、そういう角度のものでは全くございませんで、ただ存続を図る場合の基本的なルールにつきましては、国民に広く使われるという元号の性格でもありますので、明確、安定にするという意味におきまして、いつ改元をするか、だれが改元の主体者になるか、つまり政府が決めるという点を国会議決する法律でお決めをいただきたい、こういうことでございまして、使用の点については、したがいまして全く法律に触れておりません。そのことはすでに御承知のとおりでございます。  それから、あと西村長官時代からの沿革について御指摘がございましたけれども、この点につきましては先般多少私も御説明申し上げましたが、政府部内におきまして、そのころからずっと検討を重ねてまいりまして、法制化という結論に達し、今度のような法案を作成するに至ったということでございまして、先生の御指摘の中でばかに突如としてというような御印象のお話もございましたけれども、私どもにすれば、慎重に、あらゆる角度から検討を続けてきた結果であるということを申し上げたいのでございます。     〔村田委員長代理退席、委員長着席〕
  346. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それは一つの経緯、流れですから、この重要な元号法案審議に当たって、われわれはそういうことも踏まえて現在法律化することは国民の全体的な声になっていないのじゃないのかということで、反対をする立場として政府考え方がどうであったかも明確にしておく必要があると思ったので申し上げた次第です。  さらに、国民世論とかいろいろおっしゃいますけれども、これも私は指摘をしておかなければいかぬと思うのです。各新聞の社説はどうなんでしょう、皆さん。多くは指摘いたしませんが、昨年あたりからいたしましても、一九七八年八月一日の朝日「元号問題を考える」「これからの日本を世界史の流れの中でとらえてゆくには、とりわけ若い世代が世界の多数国と共通の時代の尺度、つまり西暦を使うことの意義は大きい。」元号国民生活になじんでいることは認めるけれども、さしあたっては併用が望ましい。しかし、「その場合も、基本的には世界共通の尺度を取りいれてゆく姿勢をとるべきだろう。」「そうした時間の経過をへて、」「次代の人々に落ち着く先をゆだねる」べきであるというような論旨で、法制化することあるいは元号一本化をやるということは疑問があるんだという指摘があるわけですね。七八年七月二十日の東京新聞「元号存続には賛成だが、法制化ということについてはどうも賛成できかねる。」という指摘がある。さらに一九七八年八月二十二日の毎日「元号問題は国民的合意が必要」。元号使用については多数の国民が望んでおられるということになるでしょうが、法制化ということについては望んでいないと思うのですね。やはり合意が得られていない。私たちは必要だと思う。中身までは触れませんが、さらに七九年二月三日の毎日新聞「元号法案の提出をなぜ急ぐ」、こういう見出しでいろいろ内容指摘しておられる。一九七九年二月五日の読売新聞「元号法制化が必要だろうか」と、やはり疑問を投げかけておられるのです。一九七九年二月六日の朝日新聞「元号法制化に欠ける合意」、これはわれわれの国会審議等についても非常に御指摘がありました。一九七九年二月七日のサンケイ「幅広く良識ある論議を」、一九七九年二月二十四日の日経「元号法案に慎重な審議を望む」、これ以外にもたくさんあるんですよ。  私は、最近のものを挙げましたが、これが国民世論でなくして何でしょう、皆さん。こういうことは国民の方々は読んでおられて疑問を持つのじゃないでしょうか。これはあたかも絶対多数の人々が元号を望んでいるのだ、法制化が必要なんだということにはならぬと思うのですね。改めて私はこの点を指摘をして、政府にもう少し慎重な態度が望まれているのじゃなかろうか。これは総務長官の方からご見解がありましたら、伺っておきたいと思うのです。
  347. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 御指摘の社説等については、私も読ませていただいておるのでございます。  そこで、問題は法制化ということを中心に論ぜられておるようでございますが、私どもが申し上げておるのは、国民の大多数の方々が元号の存続を望んでおられる、その存続ということを考えてまいりますと、それは二つの道しか最終的には考えられない。それは何かと言うと、内閣告示法制化かということになってまいるわけでございます。これをいまくどくどと申し上げませんけれども、そうなった場合に、国民の大多数の方に関係をし、生活に関係をする元号であるとするならば、最も民主的な方法はやはり法律によるべきではなかろうか。基本的なルールが存続させるためにどうしても必要とするならば、その制度的な存続のルールだけでも決めることを内閣告示でやるか法律でやるかということになりますれば、やはり国民主権立場から、そして民主的な立場から、国会で御審議願って法律によることが最も選ぶべき道ではないか、そういうようなことに考えてまいったところでございます。  したがって、私どもといたしましては、内閣告示でもいいというのがそういう意見には出てまいっておりますけれども、やはり告示よりも、一方においては制度的な安定性あるいは明確性というようなことにもつながってくる。しかし、運用面で使用上の強制とか義務というようなものが法律には連想されるわけでございますけれども、そういう点については、いままでどおりの元号の状態を変えようとは思っておりませんということも付加して申し上げておるところでございますので、その点につきましてはひとつ御理解を願いたい。国民に親切な、責任のある答えとしては、法律によることが最もそれにこたえることになるではないかという、そうした二者択一の線から、いま申し上げましたような処置に出たわけでございますので、御理解を願いたいと思うのでございます。
  348. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 私は、事実関係でそういうことを指摘をしているわけですが、総務長官のいまの御答弁からしますと、いま一番問題になるのは、次の元号をどうするかが問題になるわけでしょう。元号というのはそう頻繁に変えるものではないですよ。行事ではないと思うのだ、仮に変えるということになるとしても。そうであれば、何でそんなに急ぐのかという疑問が出てくるのじゃないですか。あなたのおっしゃることが一つの理屈、論理としても、それは法制化についてはどうもいまは早過ぎるという国民の大多数のそういう声であるなら、それを素直に受けて、なお法制化すべきか、あるいは事実たる慣習としてやるのか、内閣告示で――万一の場合はそういうことも考えて、こういう重要な問題については、なお国民の合意を得るという努力をやることが、私はいまのあなたの御答弁の本当の趣旨にもかなうと思うのですよ。それをおやりにならないで急ぐところに他意があるのじゃないかということを言っているのです。  そこで、いろいろ言い分はあるでしょうが、進めたいと思うのです。  これとの関連もありますが、文部大臣、どうも長いことお待たせしましたが、あなたの元号に対するお考えはどういう考え方を持っていらっしゃいますか。
  349. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 お答えします。  元号問題は、非常に日本に特色なものでございまして、すでに閣議でも決定いたしまして、皆様方に御審議をお願いしておりますので、一日も早く成立できますように御配慮を願いたいと思います。
  350. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 何かどこかのクラス会で校長先生の訓示を聞いたような感じではちょっと納得しかねるのですが、お考えはわかりました。  そこで、内藤文部大臣にお尋ねしたいのですが、一九七四年に文部大臣は戦没者等に対する国の表敬に関する法律案要綱をおつくりになったことがございますね。現在もそれは必要だと思いますか。
  351. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 私、いまそのことははっきり記憶がないのでございます。
  352. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 どうもそのせりふもどこかで聞いたような御答弁なんですが、まあ、その議論じゃありませんから進めますが、後で記憶を思い出してみてくださいね。  じゃ、元号法制化をされたと仮定した場合に、現在の教育制度といいますか、あるいは教育行政、教科書の検定問題等、どういうふうに関連していくのか。具体的に言いますと何か変更があるのか。その点を明確にしていただきたいと思うのです。
  353. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 お答えします。  教科書の検定の問題につきましては、著者の判断をできるだけ尊重するという考えでございますが、ただ、日本史の場合につきましては、特に重要な問題については西暦と元号を併記するように文部省は指導しておりますが、この元号法案の成立によってこの方針は変わることはないはずでございます。
  354. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 変わるはずはないでは困るのですね。変わってはいかないのですよ。
  355. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 失礼しました。変わらないつもりです。
  356. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それで、そうはおっしゃいますけれども、やはりこれも不安を持つ面が出てくるわけですね。  具体的にお聞かせをいただきたいのですが、なぜこの問題、関連していくかといいますと、これは昭和五十二年ですから、七七年の文部省の小学校学習指導要領が出されております。その中で百七ページですね、「特別活動」の中で「指導計画の作成と内容の取扱い」について「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、児童に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し、国歌を齊唱(せいしょう)させることが望ましい。」こういうことが指導要領の中に明記をされておって、現在そういう指導をあるいはやっていらっしゃると思うのですね。この委員会を通していろいろ議論をした中で、「君が代」も日の丸もまだ国歌として、あるいは国旗としての法的根拠がないにもかかわらず、この指導要領の中に入っているのですね。  これはどうしてこういうふうになったのかといういきさつをお聞かせいただきたいし、法律の根拠がないものについても、こういうふうに文部省がお出しになるのに、ましてや元号法が制定をされた場合にはやはり元号を使いなさい、あるいは元号を先にしないと教科書の検定には合格しないとか、まあ、造詣の深い内藤文部大臣はそういう反動的教育はやらないかと思うのですが、もし変な――変なと言ったら失礼ですが、文部大臣で理解のない方がやると、そういう教科書の内容とか検定とかいろいろ締めつける可能性がないのかどうか、疑問を持つのですが、絶対ありませんか。また、この要領にはどうしてそういうものが入ったのですか。
  357. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 御心配の点はないと私信じておりますが、昭和三十三年に第一回の指導要領の改定を行いました。そのときに、学校行事等においては国旗を掲げ、「君が代」を歌うことを規定しまして、その中で「君が代」は小学校から必修として歌わせておるのでございます。その点は、今度新しく「君が代」につきましては、国歌ということに変えたわけでございますが、二十数年間ずっとやってまいりまして、私どもとしては「君が代」は国歌にふさわしい、先ほど来お話がありますように、天皇日本国の象徴ですから、「君が代は千代にやちよにさざれ石のいはほとなって苔のむすまで」、日本国が永遠に繁栄するのだということで「君が代」が国歌にふさわしいということで、いままでは「君が代」としましたが、このたび国歌というふうに改めたわけでございます。
  358. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 御答弁内容が多くなると、だんだん変な方向に行きそうですね。  そうしますと、指導要領にそういうことを明記なさったということは、文部大臣のお人柄ですから、考え方はわからぬわけじゃありませんが、教育勅語については、どうお考えですか。
  359. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 お答えします。  教育勅語は、昭和二十三年に衆参両院で廃棄の決議がされましたことを私もよく存じております。ただ、教育勅語の中にも、道徳の基本に関するものが残っているわけです。たとえば「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」、こういうようなことは、いずれの時代にも必要ではなかろうか、こういう意味でありまして、教育勅語が廃棄されたことはよく存じておりますが、しかし、道徳の基本というものは、昔もいまも変わらないのじゃなかろうか、こういうふうに考えておるのでございます。
  360. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 文部大臣と徳目論争をしてもなんでしょうが、教育勅語にそういう内容の徳目があったから昔もいまも変わらないのだ、そんな教育勅語の文言みたいなことを言わぬでも、日常的に言っても、兄弟仲よくしなさいとか夫婦は協力しなさいとかいうのは、人間普遍のあたりまえのことですね。  問題は、文部大臣、なぜこういうことをわれわれが問題にするかと言うと、あなたはそういうふうにおっしゃいますけれども、教育勅語、軍人勅諭、明治憲法天皇、「君が代」、国歌というのは不離一体のものだったということは、否定いたさないでしょう。その内容部分的なところだけをとらえて評価をする、価値を論ずるということは、私はやはり妥当性を欠くと思うのです。おっしゃっていることはわからぬでもありません。
  361. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 あなたの御趣旨は、私もよくわかります。しかし、基本的なものは、時代が変わっても変わらないものも世の中にあるわけですから、全部が悪いというふうに――いまお話しのように、私どもは戦前の天皇制の復活なんか決して考えてないので、国会で廃止決議になったのはよく存じております。ただその中にも、今日にも通ずる基本的なものがあるということを申し上げただけであります。誤解のないように願います。
  362. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 そういたしますと、これはせんだっての委員会での質問との関連もありますので、法制局長官にちょっとお尋ねしておきたいのですが、法的根拠のないもの、こういうことなどもこの指導要領とかそういうものにどんどん活用していくということは妥当性があるのですか。簡単に答えてください。
  363. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 国旗、国歌等につきまして一般的な法的根拠は現在ございませんが、元号と同じように事実上の慣習として国民の間に定着しておるという認識のもとに文部省として学習指導要領の中に御引用になったのだろうと思います。その限りにおいては、これは決して違法ではございません。特に学習指導要領の中では、国旗を掲げ、国歌を歌うことが好ましいというふうに書いてあるようでございますので、その点から見ましても、違法の問題は起きるわけはございません。
  364. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それは見解だけ承っておきます。  それでは、この問題を好ましいというふうに指導要領の中に入れたのは、文部省の教育課程審議会では議論されたのですか。
  365. 諸澤政府委員(諸澤正道)

    ○諸澤政府委員 教育課程審議会は、小、中、高等学校の教育内容の目標あるいは主な事項のいわば基本的な方針を審議していただく審議会でございますから、具体的に国旗とか国歌をどうするかというような御議論までいただくことはございませんでした。
  366. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 総務長官にお尋ねしますが、この国歌とか「君が代」を指導要領に入れてくれとか、あるいは学校で教えてくれと文部省に頼んだことございますか。
  367. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 お答えいたしますが、文部省にそういうことを頼んだことはございません。
  368. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それはちょっと疑問があるのですね。私いろいろ調べてみたのですが、いま御答弁もありましたように、文部省の教育課程審議会でも、この件については全く審議がなされていない。審議しなくてもいいという御答弁はどうかと思うのです。これだけ重要な問題を法的根拠がないのにそういう指導要領に出したというのは、やはりもっと慎重に扱うべきじゃないのかと思うのですよ。しかし、これが突如としてさっき指摘した指導要領に入ったいきさつは、調べてみると、こういう背景があったということなんですね。この件については全く審議されていない。しかし、その学習指導要領に入ったのは、当時の三原防衛庁長官の申し入れに基づいて文部省自身がそう書き込んだもののようである。その三原長官の文部大臣への働きかけについては、ある雑誌に三原長官がそういう申し入れをしたということが書いてある。  すなわち防衛を担当する者として、有事の問題とかそういうことで国内的に非常に不備な点がある、だから学校でそういった国を愛する忠君愛国というか愛国心を――忠君は別、愛国心をもっと教えなさい、そのためには、文部省のそういったどの教科書にもそれがないから入れなさいということを、あなたが防衛庁長官のときに、お顔はおとなしいけれどもずいぶんいろんなことをなさったんだなと思っているんです。そういう事実、ありませんか。
  369. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 お答えをいたします。  防衛庁長官の時代に、自衛隊における国旗、国歌の取り扱い等について、事実たる慣習として使われておるわけでございますが、国歌、国旗等について、各方面で、学校等で国旗を掲揚せよ、あるいは国歌を歌いなさいと言っても、なかなかいろいろな反対等があるというようなことも聞くが、この際、そういう点について明確にする必要がありはしますまいかということで、当時の海部文部大臣と懇談をしたことはございます。その点は、私ははっきり文部大臣と懇談したということを申し上げたこともございますし、海部文部大臣委員会等でそういうお話をなさったことも承知をいたしておるところでございます。
  370. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 さっきの御答弁とは違うんじゃないですか、全くありませんなんて言って。だから、元号問題についても、われわれはそういった不安が残ると言うんですね。  三原長官防衛庁長官時代に、国歌、「君が代」に言及したことがあるんですよ。「国防」の一九七七年八月号にちゃんと書いてある、対談方式で。全部は読めませんが、   もう一つ付け加えますと、過日発表された文部省の教育指導要領ですか、それが決まる過程で、私はこういうことを申し述べました。それは、さきほどいいましたように、国を愛し国を守る気持ち国民に抱いてもらうためには、まず立派な国を造り上げることが大事ですが、それとともにやはり教育の場で愛国心や国を守る意志についても教えてほしいということです。たとえば国旗とか国歌とかは、ぼつぼつ国民の間にある程度定着してきたのではないかと考えられるので、そういうものも教育の場で取り上げてもらいたいというようなことです。   どの法律、どの教育指針をみても、国旗や国歌のことが取り上げられていないし、それが取り上げられなくても平和が続いていて非常に結構なことだとは思いますが、やはり有事を考えると、平素から教育の場でそれらを教えることは必要なので、ひとつ教育指導要領に入れられないだろうか、ということを申し上げたわけです。 こういうことをやったから、いまさっき指摘をした、指導要領に入ってきたということをいみじくも自白をなさっているんじゃないですか。私がここまで調べてないと、皆さんは恐らくさっきの御答弁はあたりまえだと思うかもしらぬ。  大変失礼な言い方かもしらぬが、国会の場で、政府のこれまでの憲法解釈、どうでしょう。憲法九条に対する考え方なりあるいは以前の栗栖発言の問題、どうでしょう。そういう一々の事実関係考えた場合には、この元号法案法律としてひとり歩きをする段階においては、基本法がない、こういう問題にさえこういうことをやるので、ますます、さっきから指摘をしている諸問題、疑惑というものがより拡大をされていきやしないかという疑問を持つのはあたりまえじゃないですか。
  371. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 先ほど上原委員から、私が文部省に申し入れをしたことはないかということでございます。私は、先ほど申しましたように、個人的に文部大臣と同席をして、たまたま自衛隊における問題、あるいは愛国心がどうしでも必要であるというようなこと、これは当然なことでございます。国民として国を愛するというようなことが起こりませんと、実際上、防衛の、国を守る大任を果たせないわけでございます。そういう立場から、まず教育の場においてそうした点をひとつ考えていただくことはできませんかということを、懇談の中で話したのでございます。防衛庁長官として正式に申し入れたとかいうようなことではございませんので、そういう申し入れをしたことはございません。しかし、懇談の場において、懇談をしたことはございますということを申し上げたのでございます。決して、私自身がそうしたことを否定をしておるわけではございません。
  372. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それは長官言葉のやりとりの問題であって、中身を指摘すればわかることで、対等の文部大臣防衛庁長官ですから、それはあなたが文部大臣に申し入れるとか、そういうことはやらぬでしょう。しかし、そういうことを話し合って、そのことがきっかけになって指導要領に入っているのは事実なんですよ。そのことを指摘している。全くありませんと言うわけにはいきませんよ、それは。だから、疑問を持たざるを得ない面が出てくるということなんですよ。  文部大臣、あと少しですから。それで、そういろいろおっしゃいますけれども、これはお読みになったと思うのですが、一九七九年四月十三日の読売新聞の社会面、「戦争あれば君たちが戦うのだ」、高校入学式でびっくり訓辞をやっている理事長がおりますよ。これをお読みになりましたか、文部省。おわかりですか、文部大臣
  373. 諸澤政府委員(諸澤正道)

    ○諸澤政府委員 私も国会中でよく読んだわけではないんですけれども、どこか私立の高等学校の理事長さんか何かが、いま先生が御指摘のようなことを入学式の際に発言されたというふうに記憶しております。
  374. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 これは与党の先生方も、国が発展をする、あるいは国民生活が向上、安定をしていくということについてはみんな変わらないとぼくは思うので、どうなんでしょう、文部大臣。一私学とはいえ、こういうところまで非常に問題がある動きが現に出てきているわけですね。こんな新聞の書くことを一々構っておれるかということでは、私は見過ごすわけにはいかないと思うのですよ。  ちょっと読んでみますと、「今世紀、第三次世界大戦が起きるかもしれない。その時、君たち若者は戦わなければならない」、これは板橋にある、ある私立高校の入学式での理事先生の御訓辞のようですが、こういうことを平然と学校の入学式でやるということは、幾ら私学とはいえ、あなたたちは、憲法は守ります、教育基本法に基づいてやっておるんだ、「君が代」もあたりまえじゃないのか、だから教育勅語の一部の徳目については必要なんだとおっしゃるから、こういうことが出てくるのですよ。最高機関である国会議決をされたならば、部分的なところだけをとらえて徳目を説く必要はないのですよ。  総務長官が言うこともわからぬわけじゃない。国を愛するというのは、国家権力なり権力を持っている人が、おまえ国のためにやりなさい、国家を愛しなさいということをやったから、日本はああいう侵略戦争を起こしたのでしょう。国を愛するとか、どういう道徳を選ぶのか、徳目を尊重するかというのは、まさに個人の思想の自由であり、その人の価値判断じゃありませんか。それが本当の教育の姿じゃないですか。それが教育基本法に盛られている精神じゃないですか。それが憲法の理念じゃないですかと私は言っているのです。皆さんがそういうことを軽率におっしゃるから、こういうようなことも日常茶飯事のように起きてくる。そういう中で元号法制化されていって、天皇中心国家体制というものをつくろうという動きが一方にあるところで、一体日本の教育はどうなっていくであろうかという疑問を持たない人がおりますか。これがまさに常識だと私は思うんです。
  375. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 先生のおっしゃるように、そういう誤解を招くことがあったら私も非常に残念に思っておりますが、いま民主化されてまして、言ったからそのまま信ずるということは、私はなかろうと思う。  ただ、私が言ったのは、国旗にしても「君が代」にしてももう長年の間一つの慣習になっていまして、別に法制化しなくても一つの慣習法的な、長い間やってきたから、指導要領にそのことが望ましいと書いただけでありまして、私はこれが間違いだというふうには考えてない、これをやったら軍国主義になるというようなことは考えてないのです。むしろ、世界じゅうどこに行っても、私はアメリカに行ってびっくりしたのは、各教室にちゃんと国旗があるのですね。私は終戦直後に行ってみてびっくりしたのです。あんなアメリカのような国でも、各教室に国旗を置いて自分の国を愛するという気持ち、これはどこの国でも変わらないと思うので、それがすぐ軍国主義だ、こういうふうに結びつけられると、私は本当に悲しいのですよ。そういうことのないようにひとつ私も注意しますから、御指導願いたいと思います。
  376. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 文部大臣、ぼくは何も国旗とか国を象徴するそういったシンボルといいますかいわゆる一つの印、それが必要でないとは言ってないのですよ、国家権力によって強制をすることはいけませんよと言っているのです。教育の徳目にそういうものを取り入れることは、教育基本法なり憲法の精神からはどうも出てこないのではないかということを指摘している。あなたが教育勅語というものをおっしゃるから、そういうことをしている。そういうことを文部大臣が、軽はずみとは言いませんが、「アメリカのような国」と言うのもいささかどうかと思うのですが、「戦争あれば君たちが戦うのだ」というようなこと、これはよくないことでしょう、それを申し上げているのであって、何も私だってすべてを否定をするという立場には立っていないのですよ。そういう国家権力なり、教育の中軸としてやろうとすることは、また――だってそういう例は幾らでもあるでしょう。  そこで文部大臣、先ほどの元号法ができた場合の問題ですが、教科書の検定にもいささかの介入もしないということですね。そして、あなたはさっき、歴史の本については元号を使うことを指導というか、やることもあり得ると言うのですが、私は少しばかり高校の歴史の本も調べてみたのです、社会科の本も。だから、元号だけ使いたいという人は、一体こういう本はどういうふうに理解をしているのか、ぼくの方からむしろ聞きたいくらいですよ。これは「新日本史」、家永三郎さんが書いているからということをまたおっしゃるかもしれませんが、これにはちゃんと「文部省検定教科書」と書いてある。これはみんな西暦しか書いてありませんよ、正直申し上げて。  では、一つだけ文部大臣にお答えいただきたいのですが、安土桃山時代というのはいつからいつまでで、あなたはこれを生徒に教えなさいというとき、どういうふうに表現なさいますか。安土桃山時代というのはいつからいつまでですか、元号でお答えできますか。
  377. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 ですから、元号と西暦とを両方あわせて教えろ、こう言っているのですよ。たとえば大化の改新とか建武の中興と言ったって、そういうものはどの時代かということは、西暦との関連でわかりやすくしてあげるのが私はいいのではないか。しかし、そういう意味で、元号も大事だけれども、同時に西暦も、歴史の場合には両方併記するように文部省は指導しているのですよ。
  378. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 だから、元号が不合理な面というのは、こういうことの一例を挙げてもわかるわけでしょう。何もぼくも併用していかぬと言ってないのですよ。  そこで、こういうことを指摘をしておきたいと思うのです。結論として、文部大臣、先ほど御答弁があったのですが、素直な御答弁なり、いろいろありましたが、よくお人柄が出ていると思うのです。今後、教科書の中で、歴史の本にしても、あるいはここに「政治・経済資料」というのもありますが、これなんかも「一九七九年」、ちゃんと西暦年号しか書いてない。こういうことについては、これを元号を使用しなさいというような指導をやるとか、あるいは現在どうしても内容として西暦しか先に使えない、その後に括弧書きで元号を使っている本もたくさんありますね。そういうのは、ひっくり返して、元号を先に持ってきて西暦を後に書きなさいとか括弧書きにしなさいとか、そういうことは一切やらないと断言できますね、内容を含めて。
  379. 内藤国務大臣(内藤誉三郎)

    ○内藤国務大臣 そういうことはいたしません。ですから、いままでどおりでございまして、著者の意見を尊重します。ただ、大事な事件につきましては……(上原委員「ただからは要らぬ」と呼ぶ)いいですか。じゃ……。
  380. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 どうぞもうお引き取りを。ありがとうございました。御苦労さんでした。  次に、防衛庁長官にお尋ねしたいのですが、どうも先ほどの質問ともいろいろ関連をしてまいりますが、軍人勅諭に対しての御見解はこれまでいろいろ出ましたが、やはり納得しがたい面が多いわけですね。そういう意味で改めて、参議院での議論もないわけじゃありませんが、長官の、軍人勅諭を容認をするといいますか、是認するような御発言については、いささか問題がありますし、これもやはりもう少し、反対をするというか、あるいはそういうことに疑問を持っている人々の立場というものも理解をする必要があると私は思うのですよ。われわれだって、国民の、まあ一部とは言わぬが、国民に違いないですよね。何も自衛隊を認める、あるいはさっきの話ではありませんが、そういう元号を認めるという人々だけが国民じゃないと思うのだよ。  そこで、この防衛大学校での、まあいま問題の人、石田和外氏の御発言に対して、参議院で社会党の瀬谷氏が取り上げたことでいろいろ議論をされておりますが、長官はこういうことをおっしゃっているのですよ。石田和外元長官は軍人勅諭を賛美したとは思わない、軍人勅諭の中の五つの徳目を引用し普遍的なものとして話したのだ、自衛隊は天皇の軍隊ではないのだ、こういう言い方なんですね。しかし、これだけでは、軍人勅諭――きょうそれを全部議論をする時間はありませんが、やろうと思えばできないこともないのですが、あの軍人勅諭ほど日本の暗い時代をつくった一番根本になったものはないと私は思うのですね。それを現職の防衛庁長官が是認をするという立場というのは……。  だから、こういう事例がたくさんあるわけですよ。教育勅語の問題、軍人勅諭の問題、靖国神社参拝の問題。これはどうなんですか。
  381. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 参議院予算委員会におきますところの私の答弁については、ただいま御指摘のとおりでございます。  私は、繰り返し申し上げておりますとおりに、軍人勅諭はすでに衆参両院においてその効力を失う決議をされているわけでございますので、軍人勅諭そのものを容認するとか、是認するということはございません。ただ、その中にございます普遍的な徳目は、時代を通じて変わらぬものがあるということは認めます、こういうふうに申し上げておるのでございまして、軍人勅諭そのものを容認したり、是認しているものではございません。
  382. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 そうは言っても、あなたがそういうことをおっしゃるから、いろいろ問題が出てくる。昨年の栗栖発言だって、そうですよね。自衛隊は有事の際には超法規行動をとるんだと、それが問題になった。かと思うと、自衛官を勝手に護国神社に祭ったりして、合祀違憲判決なども七九年三月には山口地裁で出されている。こういうことを指摘をしておきたいし、その一つの例として、せんだって宮城県の仙台において、東北方面総監が建国記念奉祝大会に出席をしているわけですね、制服で。この件についてお調べになりましたか。
  383. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 ことしの二月十一日、仙台におきまして国民の祝日である建国記念日を祝うという会合がありまして、それは、主催者はたしか県会議長さんかどなたかと思いますが、多数の県民が出席せられましたので、案内を受けました東北方面総監がこれに出席いたしたことは事実でございます。
  384. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それはどういう会合だったのですか。
  385. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 県民の多数の方が、国民の祝日である建国記念日を祝われる会合であります。
  386. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 防衛庁長官、そう内容のない御答弁じゃいけませんよ。  では、この内容に入る前にもう一言聞きたいのですが、あなたは、東北方面総監が制服でこういう趣旨の大会に出席したことは、自衛隊法なりに何ら問題はないという立場をとっていらっしゃるのですか。
  387. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 自衛隊員は、制服を着用することは原則でございます。そして、国民の祝日である建国記念日を県民が祝われる会合に出席いたしますときに、自衛官として出席する場合、これは制服で参ることが当然であると思う次第でございます。
  388. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それは皆さんから言うと、自衛隊だって国会法律ができて、政府の一機関だから、そういうお立場かもしらぬが、大会なり集会の内容が問題じゃないですか、内容が。この大会はどういう大会だったか。あなた、そんな簡単なあれじゃないのですよ、この大会で決議されているのは。   私達は、本日茲に第十三回建国記念日を迎えるに当たり、山紫水明、風光明媚の我等が国土こそ日本民族永遠の運命を托すべきふるさとであることを銘肝し、この国土と国体を守り、国の名誉を益々高揚すると共に祖先の御恩に感謝し、子孫の安泰と繁栄を図るべく祈念し、ここに次の決意を表明する。  一、明治以来の日本歴史が、新興諸国を独立に導いた奇縁を発展させ利己を排し、責任尊重の醇風を恢復する。  一、民族永遠の生命の表徴たる一世一元制の法制化を促進する。  一、自主憲法を制定し、国民の権利、義務の基本を確立する。  一、安保体制と自由世界の信義を基とし我等の国は我等が守る。  一、靖国神社国家護持運動を推進する。   上記決議する。 こういう、明らかにこれは公務員としては一党一派に偏していますよね。こういう大会に自衛官の高官が制服姿で参加しても、何ら公務員法やいまの憲法理念に抵触するものでないと、あなたは本当にそこまで言い張るのですか。本人さえもそのことについては反省すべきであったということを言っているんですよ、長官。あなた、このスローガンとか決議の内容をわからないわけじゃないでしょう、まさか。冗談じゃないですよ。それならまた別な話だよ。
  389. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 東北方面総監が、この国民の祝日である建国記念日を宮城県の県民の皆さんが祝賀される集会の御案内を受けて、それに参列いたしたことは事実でございますし、それはもう私は御理解いただけると思うわけでございます。そして、東北方面総監が出席いたしますときは、あくまでそういう趣旨のものであると承知して、出席いたしたと私承知いたしております。
  390. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それは本人の釈明とは違うんじゃないですか。本人は大会場に行くまでそういうスローガンは掲げていないということを言っているんですよ、あなた。本当にこれは問題ですよ。それじゃ納得いきません。  じゃ具体的に聞きますが、自衛隊法施行令八十七条にはどういうことが書いてありますか。
  391. 夏目政府委員(夏目晴雄)

    ○夏目政府委員 お答えいたします。  自衛隊法施行令第八十七条を全部お読みしましょうか。(上原委員「一項」と呼ぶ)「政治的目的のために寄附金その他の利益を提供し、又は提供せず、その他政治的目的を持つなんらかの行為をし、又はしないことに対する代償又は報酬として、任用……
  392. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 それは二項じゃないかあなた、何を読んでるんだ。一項読みなさいと言うのに何で二項読む。
  393. 夏目政府委員(夏目晴雄)

    ○夏目政府委員 「政治的目的のために官職、職権その他公私の影響力を利用すること。」  以上でございます。
  394. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 あなた、そんなとぼけるなよ。八十七条にちゃんと「政治的行為の定義」、第八十七条「法第六十一条第一項〔政治的行為の制限〕に規定する政令で定める政治的行為は、次の各号に掲げるものとする。一 政治的目的のために官職、職権その他公私の影響力を利用すること。」一号から十七号まである。明らかにこれにもとっているじゃありませんか、これは。そういうことをぬけぬけとやって、しかもそれを、幾ら防衛庁長官として部下の問題だからと言っても、だからシビリアンコントロールが問題になるんですよ、あなた。本人さえも、その大会に行くまでそういうスローガン、政治的なスローガンがあることを知らなかったので、来年からは、もしそういう会合であるならば私は遠慮したいということを言っているのですよ、宮城県のこういう反対をしている立場の方々に対して。それを公の場で、本人がそう言っているにもかかわらず、防衛庁長官がいまさっきの答弁をやるとは、防衛庁長官、これは納得いきませんね。これは法制局長官もいまの解釈はどうなのか。こういう高慢な態度がだめなんだよ。だから、われわれが憲法を大事にして問題にしようというのはそこなんだ。
  395. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 私が申し上げておりますのは、東北方面総監が御案内を受けて参りました趣旨は、あくまで建国記念日を祝賀する県民の集会である、これに出席いたしたことは、御理解賜れると思うわけでございますが、ただ、そうしたスローガンが掲げられておりましたことは、会場に入って初めて承知したと聞いているわけでございます。  率直に申しまして、まず何らかの政治目的がある大会であるということが明らかである場合には、その出席について慎重な配慮が必要であると思いますが、この場合には、あくまで国民の祝日である建国記念日を祝賀する集会と承知して出席したと私は聞いているわけでございます。
  396. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 まあいろいろありますので、これは納得しかねますが……。  法制局長官、ちょっとお聞きになりましたか。この自衛隊法施行令の八十七条の一項、こういう政治的目的が明らかにあるわけですね。防衛庁長官、そうしますと、あなたは、こういう内容をさっきは知っていると言った。本人も反省をすると言っている。やはりそれについては、こういう政治目的があるので行き過ぎがあったということは認めるわけですね。今後、そういうことに対しては注意を与えて、自衛隊法なり自衛隊法施行令なり憲法というものを逸脱しないようなシビリアンコントロールを確立いたしますか。
  397. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 いまの自衛隊では、シビリアンコントロールは確立されておりますし、その原則に従って私は努力いたしております。ただ、先ほど申しましたように、あくまで自衛隊法または法令の精神に従って慎重な配慮をせねばならぬことは、先ほど御答弁申し上げたとおりでございますが、この場合に、東北方面総監は出席はいたしましたけれども、いまのようなスローガンを述べたり、積極的に採択に関与した事実はございませんので、したがいまして、そうした意味におきまして、この政治的行為をいたしておるとは私ども解釈いたしません。しかしながら、一般的に政治目的がはっきりしている大会の出席については慎重な配慮が必要であるということは、かねがね申しておる次第でございますので、これはもうその方針で進めてまいりたいと思う次第でございます。
  398. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 これは防衛庁の関連法案もありますので、そのときもさらに継続しますが、長官、そういうすりかえではだめですよ。あなたが幾ら権力を持っているからといって、そこまでこじつけするのは山下長官らしくもないし、やはりそこに問題があるのですよ、憲法の面からしても。あなた、なぜ私がこれを言うかというと、ここには「一世一元制の法制化を実現しよう」、明らかに元号問題を推進するための大会なんですよ、これは建国記念日と言ったって。「ゆがめられた日本歴史の名誉を恢復しよう」とか「一世一元制の法制化を実現しよう」「自主憲法を制定しよう」「我らの国は我らが守ろう」「靖国神社は国家で護ろう」、こういうことを自衛隊の制服が、総監がやっても、なお先ほど指摘をした八十七条にも抵触をしないんだ、これについては訓告も戒告も注意も与えないということになると、納得しかねますよ、これは長官。問題があるんじゃないですか。
  399. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 総監が出席いたしましたのは、あくまで先ほど来申し上げているような趣旨で出席いたしましたので、そのことについては御理解いただけると思います。ただ、その会場へ参りましたところが、いま御指摘のようなスローガンが掲げられてあったことも事実でございますが、積極的にその採択に参加したとか、あるいは発言したとかいうことはございませんのですが、それだけはお認め願いたいと思う次第でございます。  ただ、私は繰り返し申し上げておるようでございますけれども、もしその政治的目的がはっきりしているような大会でありますならば、この場合はそのことが初めは国民集会というか、県民のあくまで国民の祝日を祝う会であるということで参りましたのでございますが、一般的に言いまして、政治的な目的がある大会につきましては、その出席については慎重な配慮が必要であることは、先ほど来御答弁申し上げたとおりでございます。
  400. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 これはきょう議論を詰められませんのは残念ですが、積極的に決議に参加しなかった。しかし、大会で決議文をやる最後までおったわけでしょう。また、アトラクションに自衛隊の音楽隊まで行っているじゃありませんか、国費を使って。そういうことをやっても、なお自衛隊法施行令にも何も抵触しないんだ、おかしくないんだと言うなら、これは合点いきませんよ。それなら謝りなさい、冗談じゃないですよ。  それじゃ法制局長官に聞きますが、こういうスローガンの大会にどんどん自衛隊の幹部が出ても何の問題もないですか。明らかに一党一派に偏しているじゃないですか。公務員の中立性を侵しているじゃありませんか。そんないいかげんな答弁では納得いきません。
  401. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 私が先ほどから申し上げておりますのは、総監はあくまで国民の祝日である県民集会に出席する趣旨をもって出席いたしましたと、こう申し上げておるのでございます。たまたま会場へ入りましたところが、そういうスローガンがありましたけれども、これについて積極的に発言したとか、あるいは採択に参加したとかいうことはございませんので、それだけは御理解いただきたいと思う次第であります。
  402. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 あなた、軍人勅諭の問題でも、たまたま石田長官はそういう発言をしたんだとかいうことを言いますが、ぼくはそれじゃ納得しません、納得できませんよ。何がたまたまですか。会場に行けば大体わかるのです、そのくらいのことはスローガンにちゃんと書いてあるんだから。それをのらりくらり是認をして、時間かせぎをするようにとられたらこっちも絶対だめ、そういう答弁じゃ。しかも、本人はこの問題については反省をしている。来年からはそういう趣旨の大会だったら遠慮する。にもかかわらず、あなたが擁護をするということは、シビリアンである防衛庁長官は、制服組をコントロールできないという一つの証拠じゃありませんか。そういうところに危険性があるんだよ。
  403. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 その点につきましては、私は繰り返し申し上げております。政治目的がはっきりする大会であるならば、その出席については慎重な配慮をするべきであるということを申しております。
  404. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 ですから、今回のそれじゃ集会は、政治目的があったということはお認めになりますね。
  405. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 総監は、私はことさらに弁護するつもりはございません。ただし、総監が案内状を受けて、そのときの文面によりますと、国民の祝日である建国記念日を祝うんだ、主催者は県会議長であるとかあるいは有識の方々が出られるので、それで出席したのでございますから、それだけは御理解賜りたいと思う次第でございます。
  406. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 私が聞いているのは、先ほどから私は大会スローガンを読んで、決議文を読んだ。その大会はある政治目的を持った集会であるということは間違いないですねということじゃないか。ないならない、あるならあるとあなた答えればいいじゃないか。
  407. 山下国務大臣(山下元利)

    ○山下国務大臣 その大会は、そのようなことを決議せられておるならば、政治的な目的を持っておったと思います。
  408. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 あなたを素直にするにはずいぶん時間がかかるよ。明らかに政治目的がこれはあるんじゃないですか。そういうことをなさるから、いろいろ問題が出てくるということ。きょうはもうこの程度にします、それはお認めになったのですから。防衛庁はもういいですよ、いずれまたたっぷりやりますから。そんな簡単な答弁ではだめですよ、みんな。納得できないのはできないんです。  外務省いらっしていますね。――外務省にお尋ねします。  せんだっても委員会で問題になりました。私は、この問題についてもかなりの時間を割きたかったのですが、実は天皇国事行為の問題とも関連をしますし、沖繩にとってはいろいろ重要な内容を持つ問題であります。「世界」の四月号でいろいろ指摘をされておるわけですが、要するに、戦後の沖繩の地位といいますか、をどう処置するかということについては、天皇のメッセージというものが重大な影響を与えたんだということが指摘をされて、先ほどそのメモも配られたのですが、それにも「世界」に出たようなことと大体同じ内容があるわけです。これについては、外務省はどのように確認をなさったのか。また、この程度のものではないと思うのですね。もっとこれと関連する資料なり文書というものがアメリカ側にとっても必ずあると私たちは思う。改めてお答えをいただきたいと思う。
  409. 枝村説明員(枝村純郎)

    ○枝村説明員 ただいま御指摘の「世界」誌四月号に出ました進藤榮一筑波大学助教授の論文でございますが、これはただいま大体御指摘のございましたように、アメリカ側でも全面講和という線で進んでおった時期がある、しかしそれが多数講和、サンフランシスコ平和条約という方向に変わっていった経緯というものを論述しておられるわけでございまして、その中でいわゆる天皇陛下からのメッセージといいますか、伝言というものがあったんだ、それが一定の役割りを果たしたんだ、こういうことが言及されておるわけでございます。     〔委員長退席、村田委員長代理着席〕  私、この論文を拝見いたしまして、事実の取り上げ方なり評価なりというものについて必ずしも納得しがたいところが若干あるように思うわけでございますけれども、これは専門の学者の方々に任せるといたしまして、事実関係ということから申し上げますと、第一には、一九四七年九月二十日付でシーボルトGHQ政治顧問がマッカーサー元帥にメモランダムを出しておるわけでございまして、これがアメリカの公文書館で最近極秘指定が解除されておるわけでございます。その内容につきましては、先生指摘のとおり、「世界」に簡単に紹介されておりますところと大体一致しております。  それから、同年十月十五日にジョージ・ケナンを長といたします国務省の政策企画部がロヴェット国務次官に報告を出しておりまして、その中でただいまのいわゆる陛下からのメッセージというものに言及されておる、このことも最近解禁されました文書で確認いたしております。  それから、当時このメッセージを伝えたとされております寺崎英成さん、この方が宮内庁の御用掛をしておった、これは昭和二十六年八月二十一日に亡くなっておられますが、そのことも事実でございます。  それ以上に私どもといたしましても、実はこの「世界」の四月号が発売されましたのは三月十日ごろでございますので、関心を持ちまして私どもの外交史料館でございますとかあるいは外務省文書課の記録でございますとか、そういうところで何らかのそういう手がかりといいますか、これに関連したような、たとえば寺崎さんのメモのようなものでもないかということを当たったのであります。最近、国会でも御議論がありましたので、もう一度精査させたわけでございます。ただ、そちらの方ではございません。あるいはそういうことに関連した資料というものは見出すことができなかった、こういうことでございます。
  410. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 そういたしますと、まだこの面については、さらに資料を入手すべきものもあるということですね。  それと宮内庁、天皇にこのことを確かめることはできますか。そういう事実があったかどうか。
  411. 山本(悟)政府委員(山本悟)

    ○山本(悟)政府委員 宮内庁側におきましても、この問題につきまして、いろいろと資料等記録を調べたわけでございますが、実は覚書あるいはメモに至るまで一切残っていない。全然そういう意味では、ないわけでございます。  ただいまの御質問、陛下に直接伺うことができるかという御質問であるわけでございますが、陛下に、そういったような政治に関するといいますか、そういったような事項につきましての問題を直接お聞きするというようなことをやるべきかどうか。これは慎重に考える必要のある事項だと思います。
  412. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 外務省、答弁してください。
  413. 枝村説明員(枝村純郎)

    ○枝村説明員 先ほど申し上げましたように、すでに三月の上旬ごろから、私どもとしては調査してまいったわけでございまして、またその結果、それに該当するものは見つからなかったということでございまして、これはあるいは宮内庁の御用掛という資格でなさったことで、本来私どもの方にないというのが当然ということかもしれませんし、また当時は外交関係もない占領時代のことでございますので、私としましては、率直に申し上げて、これ以上精査いたしましても、何らかのものを私どもの方で見出すということはむずかしいのじゃないか。特に、いわゆるシーボルト・メモにもはっきりしてございますように、この寺崎さんがシーボルトから聞いたというのも口頭であるということでございますので、そういうことで御理解いただきたいと思います。
  414. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 総務長官、この問題は、戦後の沖繩の歴史にとって大変重要な問題なんです。日本の戦後史と重大なかかわり合いを持っておる。ああいう戦後の一時期の混乱期だからやむを得なかったということで済まされる問題じゃないですよ。この問題の事実関係についてさらに、アメリカ側はすでに関連資料は公開しておるわけですから、十分政府全体として御検討いただいて御報告を願いたい。よろしいですね。
  415. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 御指摘の点も以前にございましたので、事実について確かめてまいりましたが、事実不詳でございますので、私は、その際にも発言を遠慮いたしておりましたが、いまそうした事実をもっと調査をする必要があるぞという御提言でございますので、慎重に取り扱ってみたいと思うところでございます。
  416. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 その推移を見て、さらにこの問題についてはお尋ねを、いずれかの機会にやりたいと思います。  そこで、もう時間も、まだかなり質問が残っておるのですが、いろいろほかの党の方の御意見もあるようですから、そろそろ締めますが、警察庁、おいでいただいていますね。――私たちがこの元号問題を非常に重要視しておる、あるいは私が幾つかの例を挙げてきたことについては、やはりいろいろな動きがあるわけですよ。  本委員会に出席をいただいた方についても現に脅迫状が、ある団体から送られている。お一人じゃなくして、もちろん委員会に御出席をした人じゃないのだが、ほかに元号法案に反対する立場にある方々にそういう脅迫的な電話なりあるいは脅迫状と見られるものが送付されているという事実。さらにこれまでも、七八年五月二十七日には、歴史学研究会が日本大学で年次大会を開いておったところ、右翼系の学生と見られる十数人が会場に乱入して水をまき、石灰を投げたという事実。あるいは九月から十月にかけて家永三郎教授ら元号法制化に反対をする学者八人の自宅に押しかけていっている事実とか、七九年二月二十三日東京数寄屋橋で、元号法制化反対の街頭行動を行っておったキリスト者の皆さんに対して右翼グループが鉄棒を振り回した、そういった妨害行為。いろいろあるわけですね、東京都知事選の四月七日、新宿でのあの太田薫候補に対しての行為とか。これはある面では大変な自由の侵害であり、精神的なプレッシャーになりますよ、関係者にしてみれば。国会周辺を見ても、私たちがデモとかいろいろやる場合は非常に警備も厳しいけれども、こういう立場にある人々に対する警察の取り締まりなり実際というものが非常に中途半端、なまぬるいのじゃないのか。そういう疑問なり疑惑というものを率直に国民は受けると私は思うのですね。この種のことについてどういうふうにお取り計らいをいただくのか。  この件は総務長官元号問題を預かる担当大臣としても、やはり政府全体の問題として、皆さんも人権を守ると言うなら、そういう立場に立たされている人の人権も同等に守ってもらわなければいかぬ。国会でそういった国民の代表として切実に訴える者に対して、テロ行為で次から次へとつぶしていくというのは、これはまさに暗黒時代じゃないですか、民主主義の否定じゃないですか。私が先ほどから強調した点は、本質はそこにあるのだ。こういうことに対して、どのようにお考えなのか。
  417. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 先般も申し上げましたように、この平和憲法下とも言われるわが国において、そうした暴力行為によっていろいろな事態を発生するということは、最も遺憾な点でございます。御指摘のように、われわれもそういうような暴力行為が起こらないように注意を払いたいと思います。
  418. 岡村説明員(岡村健)

    ○岡村説明員 お答え申し上げます。  警察は不偏不党の立場を堅持いたしまして、いかなる立場からするものでございましても、違法行為にわたる行為は絶対に看過しないという方針のもとに厳重なる取り締まりを行っておりまして、右翼に甘いというようなことは断じてございません。現に昨年中、違法行為を行いました者につきまして、二百六十八件、四百四十六人を検挙しているところでございます。  先生の御指摘になりましたこの種事案を敢行するおそれのある右翼に対しましては、今後とも視察、警戒を厳重にいたしますとともに、違法行為に出る動きがありました場合は注意あるいは警告を繰り返し、あるいは現場に警察官を適宜配置するなどいたしまして、事案の未然防止に今後とも努めてまいりたい、こう思っております。
  419. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 ぜひ特段の関心をお持ちになって、手抜かりのない公正な法の適用を強く求めておきたいし、総務長官、改めてこれは内閣全体の問題とも関連すると思うのです。だから、今後の日本の民主政治の方向が問われていると思うのです。これは、私たちを含めての国民全体の問題でもあるでしょう。そういう面では、閣議なりそういったしかるべき、総務長官お一人ということでなくして、全体として、こういった不穏当な動きについては対処をしていく、そういう御決意はありますね。
  420. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 御意見のとおり、私も重大な関心を持ち、決意をいたしておるところでございます。
  421. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 自治省と法務省に来ていただきましたが、戸籍法の問題でちょっとお尋ねしたかったのですが、この件については、すでに本委員会で同僚委員の方から御指摘がありましたので、ぜひひとつ強制しないということをはっきりさせていただきたいということと、法的拘束力の問題についても議論があるところですが、法制局長官、公務員の服務規定は、最高裁の判決もあるのだということをせんだっての委員会で言ったのですが、われわれの調査の限りではそういうことはないのです。改めて、法的には強制もしない、義務づけもしない、窓口行政を含めて、現行と変わらないのだ、そういうことはお二人から確約できますね。
  422. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 この前も私この席で釈明をいたしましたが、今度の法案が成立いたしましても、そのことから直接に新元号の使用についての強制力は全く出てこない。だから、一般の国民の方に対して元号使用を強制するというようなことはあり得ない。ただ、公務員の場合には服務規律といいますか、国家公務員法の九十八条が適用されますので、法令の効果ということでなくて、九十八条に言う職務上の上司の命令があれば、もちろん合理的な理由がなければならぬことでございますが、合理的な理由に基づいて上司が職務上の命令を出せば、公務員たる者は当然それに従わなければならない、これは公務員法九十八条にあります。その規定に明瞭に書いてございます。地方公務員についても同じでありますし、国会職員法についてもやはり同じような規定がございます。
  423. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 この議論はさらに続いていくと思いますので、これ以上続けたい気持ちもありますが、よく注意をしていきたいと思います。  そこで最後に、総務長官、きょういろんな角度から私は主に事実関係指摘をしながら、元号法案に対する社会党の立場あるいは考え方というのも若干取り入れながら疑問点を申し上げたわけですが、これは私が指摘したことは、オーバーな表現じゃないのです。いまの日本の社会環境、状況の中にそういう芽生えというものが大きく出てきている。そのことはよく受けとめていただきたいと思うのです。  そこで、最後という表現はしたくございませんが、強制しない、義務づけをしないのだ、現行と変わらない、きょう教科書等に対してはかなりはっきりした答えも出ましたが、そういうものを含めて、仮に法制化された段階でも、元号というものは国民に強制するものでないのだ、現在西暦なり年号なりを併用している、その状態と変わらないというような、政府としての、官房長官の談話とかあるい総務長官、担当者の、法的拘束力の問題とか、この法の国民生活に及ぼす効力というもの、そういうことについては何らかの見解をまとめて御発表する必要があると私は思うのです。そういうことを含めて、今後検討していただけますね。
  424. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 ただいま御指摘になりました使用上の注意と申しますか、そういう点については、この法令が制定をされ、政令等の準備をするというような段階において、篤と検討してみたいと考えておるところでございます。
  425. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 終わりたかったのですが、ちょっとひっかかるのです。ちょっとひっかかる。これは総務長官のあれだから別に揚げ足を取ったり、言葉じりをとらえる必要はありませんが、注意というのは、やはり権力作用があるのですね。そうすると、それは強制になりますよ。義務づけになる危険性があるので、そういうことじゃなくして、国会の議論を通して、皆さんは強制しない、義務づけはしません、現行どおりの使用です、併用です、ということを素直におっしゃったわけだから、もし素直であるなら、何か他に他意がないとするならば、そういう注意とかそういうことじゃなくして、政府の統一見解的なものを御発表することを御検討いただきたいというのが私の提案であり、それに対して総務長官の御見解を求めているわけですが、もう一度そこいらを明確にしていただきたいと思うのです。
  426. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 ただいま注意ということは申しておりませんので、その事態になりましたならば、検討をいたしたいということを申しておるところでございます。
  427. 上原委員(上原康助)

    ○上原委員 終わります。
  428. 村田委員長代理(村田敬次郎)

    ○村田委員長代理 上田卓三君。
  429. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 一昨日も質問さしていただいて、積み残した部分をいまからさしていただくわけでございますが、大体三時間ぐらい予定しておったわけでございますけれども、時間も経過しておりますので、できる限り要点的に、またある部分については割愛したい、こういうように思っております。  そこで、先日の発言で若干念を押すという意味で一、二御質問を、まず先にしたいと思います。  何回も申し上げたことでございますけれども政府の見解というものは、いわゆる国民の大多数は元号の存続を希望している、だからその希望をかなえるために確かな方法として元号法制化をするんだ、こういうことでございます。しかし、国民の大多数は、元号そのものの存続を希望しているが法制化には賛成していないわけでありまして、数社の世論調査によりますと、何回も出ておる問題でございますけれども法制化すべきだというパーセンテージは、昨年七月の読売新聞の調査で一五・一%、それから十二月の時事通信社で二三・四%、それからことしの三月の毎日新聞で二一%、同じく三月の東京新聞で二〇・一%、日本世論調査会で二三・三%、こういう調査結果が出ておるわけでありまして、法制化に賛成しているのは二〇%前後である、あとの五〇%から六〇%の人々は、元号の存続は認めていても、法制化には賛成していないわけであります。  そこで、長官にまず、国民世論の多数が法制化までは望んでいないというこの事実を事実としてお認めになるのかどうか、その点ひとつ確かめたいと思うのです。
  430. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 世論調査の第一が、法制化に賛成であるという回答がございまして、第二のグループとして、存続は希望するが、その方法については法制化以外の方法でいいのではないかという回答が御指摘のとおり五〇%程度あるということでございまして、その第二の回答の方々の御意見につきまして、あるいはお考えにつきましては、政府としてこう考えますということを何回か申し上げたわけでございますが、簡単にもう一度要約して申し上げますと、その御意見、お考えの中で、まず一つは政令でやったらいいじゃないかという点があるようでございますけれども、これは何も法律上の根拠なしに直接単独に政令を定めて物事をやるということは、現在の法制のもとでは無理であるということでございます。  それからもう一つは、現在のように慣習的に続けていくということでよいのではないかというお考えが示されているわけでございますが、その点につきましては、現在の昭和という元号は、それ自体が現に存在いたしまして、かつ、定着して使われているので、これはこれでいいわけでございますが、問題は、昭和の後の元号もあった方がよいというのが存続ということの内容でございます。そうなりますと、必ずある時期には昭和の次の元号をだれかが決めなければ、元号がなくなることになります。そこで、慣習的に使っていけばいいということでございましても、その慣習ということの中には、じゃだれが次のものを決めるのかというところまでは含まれていません。したがいまして、いまのままでいけば、存続は希望しておりながら、現実には元号がなくなってしまうという事態が来るわけでございます。  そこで、政府としては、そうした国民願望を満たすためにはどういう方法があるか、その辺につきまして種々検討を重ねてきたわけでございますが、いまの第二のグループの中にもう一つ内閣告示でもよいのではないかという考えも示されているわけでございます。この点につきましては、その方法方法として成り立たないわけではございませんということは申し上げているわけでございますが、しかし、やはりそれは内閣が自分の判断で単独におれがやるんだというふうに物事を決めるよりは法律、つまり国民を代表いたします国会議決による法律の形で、内閣がその法律に基づいて具体的な元号の決定について委任をしていただくという形の今回の法律、これをお願いする方が筋道に、よりかなっているというふうに政府としては考えているわけでございまして、そういう観点から申しますと、国民の多くの方々が存続を希望しつつ、かつ、その方法について多少のそういう問題があるということでございまして、これはひとつ政府としての考え国会に御提案申し上げまして、御審議の場を通じてそのことを御理解を賜りたい、かように存じておるわけでございます。
  431. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 時間がないので、聞いてないことまでべらべらしゃべらないでいただきたいと思うのです。  要するに、国民世論の多数は、法制化を望んでいないという事実を認めるのか認めないのかということを聞いているのです。その一点だけで結構ですから、長官答えてください。
  432. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 いま申し上げましたように、ただ問題は、国民の方に聞いていただかねばなりませんので、政府委員がお答えしましたように、われわれが願っておりますのは、法制化ということを中心にして問題を解決したいということでなくて、国民が存続を希望しておられることを責任ある政府としてはどうしたならばいいかという、結果的に出てきたのが法制化の道を選んだ方が――二つの道がある。内閣告示か、あるいは法制化かということになれば、法制化の道を選んだ方が国民にこたえる、よりベターな道であろうということでいたしました。  しかし、その点についていま政府委員からお答えいたしましたように、確かにいま御指摘のように、世論調査をやられました数社の新聞社、NHKの場合は五七%賛成でございますから、それは過半数の人がおられますけれども、それらの世論調査の結果は、確かに御指摘のような結果が出ておりますということは、私どもも承知をいたしておるところでございます。
  433. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 長官のおっしゃった最後のくだり、いわゆる数社の世論調査によると、国民の多数は法制化までは望んでいない、これは非常に大事だと思うのです。この点をやはり事実問題として確認するということが大事だと思うのです。  そこで、あなた方が言うように、国民の多数が元号の存続を希望しているということ、そういうことから飛躍をして、だから元号の存続を安定的なものにするために、より確かなものにするために法制化をするんだ、こういうことになっているわけですが、片や各社の世論調査では法制化まで望んでいないという結果が出ておるわけですから、やはりその数社のやられた世論調査というものを、これも事実なんですから、それは都道府県、市町村の決議というものもありますけれども、しかしながらこの世論調査というものもやはり同時に大事にしなければならぬのではないか。そういう意味で、国民に対して法制化をすべきかどうかということまで今度は政府の手で調査するということが一番正しかったのではなかろうか、こういうように思うのですけれども、その点、どうですか。もう一度、念のためにひとつお答えいただきたいと思います。
  434. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 いまその調査をすることが正しかったのではないかという御指摘がございました。私どもはいま申し上げましたように、存続にいかなる形でこたえるか、具体的にこたえたい、責任のあるこたえ方をしていきたいということであったわけでございます。それについて法制化か、あるいは内閣告示かという道がある。それについて法制化ということについては、こういうような問題がございますということも、あわせていまこの国会論議の中で国民の方々に訴えておるわけでございますので、いま御指摘のように、確かにそのときに、具体的に法制化をすればこういうことでございますというようなことを広く国民の方々に御理解願う処置をすべきであったということにつきましては、御指摘のとおりすべきであったと思いますが、しかし、こうした国会論議の場で、いまなぜ法制化をしたかというようなことにつきましては国民の方々に御理解を願いたい、協力を願いたいということを申し上げておるところでございます。
  435. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 長官は、やはり元号の存続を国民の多数が希望しているという前提に立って、今度さらにその存続方法について国民の世論を問うというような形で、その具体的なあらわれとして法制化でどうだろうかというような調査をすべきであった、こういうように思っておられるわけですか、簡単に言ってください。
  436. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 こういうことだと思うのでございます。  この世論調査で、存続は希望するが法制化には賛成でないという方々が一体どういう御理解なりお考えのもとでそういう選択をし、答えをされたかということが、その内容によって示されたわけでございまして、そのことがこの世論調査の非常に大事な成果だと思いますが、そうするとその考え方は、それぞれを検討いたしますと、いずれも実際問題としてできない方法であるとか、あるいは十分でない方法だということがわかってきたわけでございます。そこで政府といたしまして、この国会にそれではどういう方法がよいかということで、法案の形で御提案申し上げた、こういうことでございますので、御理解を賜りたいと思います。
  437. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 ということは、国民に対してもう一歩突っ込んだ形で存続方法についても世論調査をすべきであった、こういうふうに政府自身は考えているが、しかしあえてそれをせずに国会審議にゆだねた、こういうことですね。その必要性は認めておるんだけれども、時間的な関係というか、いろいろな事情で国会審議ということですね。
  438. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 すべきであったというお言葉でございますが、ちょっとそこは私どもは多少違った気持ちがするわけでございますが、いずれにいたしましても、国民を代表するこの国会の場でその点を十分御説明申し上げ、御理解を賜りたいと存ずるわけでございます。
  439. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 それでは元号法案について政府の立法説明では、国民の大多数が元号の存続を望み、そして法制化を要望しているから、こういうようになっていますね。だから、前段の国民の大多数が元号の存続を望み、これはそれなりにいいと思うのですけれども、しかし法制化を要望しているから、これは恐らく四十六の都道府県なり千を超える市町村の議会決議をもとにして言われていると思うのですけれども、片や各社の世論調査の結果もあるわけですから、少なくとも立法趣旨説明の中にあるところの後段の法制化を要望しているからということは事実誤認ですね。答えていただきたいと思います。これは言い過ぎじゃないですか。
  440. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 いま私が見ておりますのは、元号法案提案理由説明でございますが、ここにおきましては、元号は「国民の間に定着しており、」「大多数の国民がその存続を希望しておりますので、政府としては、元号を将来とも存続させるべきであると考えております。しかしながら、元号制度については、」これこれで「法的根拠はなくなり、現在の昭和は事実たる慣習として使われている状態であります。したがって、元号を制度として明確で安定したものとするため、その根拠を法律で明確に規定する必要があると考えます。」このような趣旨をたしか御説明申し上げていると思います。
  441. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 元号の存続を希望しているということから、もうすぐ飛び越えて、法制化まで国民が要望しているんだというような、そこにすりかえがあるわけですね。そうでしょう。国民法制化に反対しているということであれば、そういう認識の前提に立つならば、法制化するということは国民の要望に反するわけです。だから、あなた方としては、存続を希望しているということは法制化も望んでいるに違いない、そういう前提に立っているんじゃないですか、それは間違いではないかということを私は言っているのです。
  442. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 存続を希望しておる国民願望にいかにこたえるべきかという点につきましては、政府としていろいろ検討することが政府のむしろ当然の責任であろうというふうに考えわけでございまして、この点は大臣から何回か申し上げているとおりだと私は思います。そういう観点から、政府が責任を持って検討した結果として今回の法案をお願いするに至っている、こういうことでございますので、御理解を賜りたいと思います。
  443. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 いずれにいたしましても、国民元号法制化までは望んでいないということですから、政府法制化というのはやはり先走りではないか、国民の世論を無視したものである、こういうように断ぜざるを得ないと思います。  もう一点念を押しておきたいのですけれども皇位継承があった場合に限り元号を改める、こういうことは、いわゆる一世一元制をあらわしておるわけでありますが、そこで、なぜ皇位継承があった場合に限り元号を改める必要があるのか、その必然性はどうかということでひとつ簡単に御説明いただきたいと思います。
  444. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 二点を申し上げられると思います。  一つは、現在の状態から考えますと、昭和という元号がいつまで使われるのかということにつきましては、これは一般の国民元号について持っているイメージと申しますか理解の内容としては、今上陛下の御在世中ということであろうと見るのが一般的な見方かと思います。そういうふうな元号に対する国民の現在持っておりますイメージをむしろ前提として、そのまま法律の中でもそれを取り入れると申しますか、反映させるという考え方から、私どもとしては、この法案の改元の時期については「皇位継承があった場合」といたしたわけでございます。
  445. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 こういうことですか、元号というものはもともと国民の理解では、皇位継承があったら元号が改まる、一世一元というのが国民考え方ではないか、こういう意味のことではないかと思うのですけれども、しかし、それは過去のケースといいますか、明治、大正、昭和というようなケースから、あなた方は元号と言えば一世一元というふうに国民は理解しておると言うわけです。しかし、それは勝手な解釈というか、政府がそういうように解釈しているだけでありまして、たとえば国民に対して政府が世論調査をやったときに一世一元の元号について賛成か反対か――一世多元の時代もあったわけです。その方が歴史的に長いのです。一世一元というのはほんのわずかの期間であるわけでありますから、ただ単に元号は賛成か反対かというのじゃなしに、一世一元の元号は賛成か反対かというところまで調べたわけですか、その点どうですか。
  446. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 この調査の設問自体は、明治、大正、昭和というような元号昭和の次の天皇の代になってもあった方がよいと思いますか、どうですかというような聞き方でございます。したがいまして、ごく自然に現在の国民の認識に合っている聞き方ではないかと思います。  それからもう一つ、補足的に申し上げたいと思います点は、元号の長い歴史の問題として考えてみましても、元号が変えられました時期というのは、一つ天皇がかわられた代始め改元ということでございます。そのほかには御在世中に幾つか改元のケースがございますが、これは吉凶禍福あるいは辛酉・甲子というような節によります改元でございます。その代始め改元以外のものは、明治以降におきましては、いわば省略されるといいますか排除されるようになってきた、こういうことでございまして、そうした元号の歴史、それからその中で最後に集約されてきた形、そしてそれが明治、大正、昭和という約百年の間に国民の中に自然に抱かれているイメージ、こうしたことが現在の国民の頭の中にある元号に対するイメージであろうと理解をいたすわけでございます。
  447. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 元号の歴史あるいは伝統というものは、一世一元というのは浅い歴史なんですね。長い歴史というものはそういうものでなかった。これは皆さん方の答弁の中でそういうことが明らかになっておるだろう、こういうふうに思うのです。それから、元号の歴史というものを考えた場合に、一世一元でないものの方が長い伝統を持っておる、こういうことだろうと思います。  そこで、もう一点ぜひとも聞きたいのです。  皇位継承があったということで元号が変わるということを想定した場合、今回の場合でもそうだと思うのですけれども、当然皇太子が天皇になられるということになるわけです。年齢的な制限があるわけですから、恐らく今度の新しい元号も三十年くらいですか、あるいは四十年くらいもつかどうかよくわかりませんが、常識的に見て、長くもって三十年、四十年というようなことになるわけです。そうすると、現在の二十代の青年たちにとっては、自分の生まれてから亡くなるまでの間に三つの元号を経験することになるわけですね。人によれば二つしか経験しないという場合もあるかもわかりませんが、新しい天皇と同じくらいに生きるとするならば、いまの若い世代は、人生七十年か八十年生きる間に、生まれたときと、そしてこれから変わるものと、それからまた変わるという意味では、三つの元号に生きなければならぬ、こういうことになるわけであります。  大体昭和の法的根拠は、二十年で新憲法発布によってなぐなったとはいうものの慣習として五十四年続いた、こういうようなことで長く続いた、こういう考え方があったと思うのですけれども、次の元号というものを考えた場合に必ずしもそういう長いものでないということですから、今後の変わっていく元号については、そんなに――それは人の寿命ですからわからないかもわかりませんが、そういうことも頭に入れて世論調査をやっていかないと、私も一昨日申し上げましたように、元号の存続を望むかと言ったら、天皇が亡くなっても昭和がそのまま続くのじゃないかと思っている人も現実にあるということなんですね。だから、そういう点も含めて、やはりきっちりと一世一元の元号の存続を望むのかどうかというふうに国民に対して親切な設問があってしかるべきであったと思うのですが、その点どうお考えでしょうか。
  448. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 世論調査の聞き方としましては、先ほどちょっと触れましたように、次の天皇の代になっても元号はあった方がよいかどうかというような聞き方をいたしておるわけでございますので、ただいま委員の御指摘の点には余り食い違っていないのではないかと思いますが、まあ一つ元号の具体的な長さということになれば、これは長いものもあり、短いものもあるだろうというふうに思います。
  449. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 新しい天皇のもとでも元号があっていいか、そこにぼくはすりかえがあると思うのです。元号が改元されると思っていない人もおるんですよ。だから元号といった場合に、このまま昭和が続くと思っている人も、そういう問いがあれば必ずそういう答えも返ってくるだろうし、それからもう一つは、一世一元というふうに理解するんじゃなしに、まさしく、不況続きであった、それを何とか景気を回復しなければいかぬという意味で、こんな元号はやめてとか、吉凶にかかわるとか、そういう元号を望む方もあるだろうし、あるいはそれが元号と言えるのかどうかということになるかもわかりませんけれども、五十年置きに元号をしたらどうか、百年置きでもどうかということもあるわけですから、要するに、天皇がかわっても、なお元号の存続を望むかということは、そういう改元という形で必ずしも理解していないのではないか、そういう面を私は言っているのです。私の言ったことと同じだと言うけれども、全然違うわけです。その差を私は質問しているわけですから、もう一度答えていただきたいと思います。
  450. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 総理府の世論調査の設問ではこうなっておるわけでございます。「次の天皇の代になっても、昭和とか大正というような年号制度はあったほうがよいと思いますか、それとも廃止した方がよいと思いますか。」というようなことで選択肢が五つ、六つ並んでいるわけでございます。これはごく自然な聞き方だと私は思います。やはり、ここから出てくる意味合いといたしましては、昭和とか大正とかいうような年号が次の天皇の代になってもと、こういうふうになっているわけでございますから、そこで変わるということはかなりはっきり読み取れるのではなかろうかというふうに思うわけでございます。  なお、ただいま委員がおっしゃいましたが、先ほども私申し上げたことに関係いたしますが、元号の歴史というものから見ましても、代始め改元ということで改元があるということと、そのほかに幾つかの吉凶禍福等の改元があるわけでございます。代始め改元以外の改元の方法というのが、過去百年間では整理されて、ないわけでございます。そうなりますと、元号が変わるということについて国民考えるとすれば、恐らくそれは代始め改元で変わるというイメージが一般的に残っているのだろうというふうに言えるのじゃなかろうかと思います。
  451. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 一世一元について、国民が抱いているイメージというのですか、感覚というのですか、そういう場合に、必ずしも元号ということだけじゃなしに、やはり過去の歴史の中で、戦前の天皇制ファシズムというのですか、そういうものを理解をしている場合だって往々にしてあるわけです。そういう点で、ただ単に、国民一世一元というものを望んでいるんだ、そういう元号を望んでいるんだという形で押しつけるのじゃなしに、私は、政府あるいは与党の皆さん方の勝手な感覚ではないのかというように思うわけであります。一世一元の元号の客観的な必要性というのですか、そういうものを国民にもっとはっきりさせる必要があるのではないかというように思いますので、この件に関して、もう一言答えていただきたいと思います。
  452. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 元号の問題につきましては、今後とも国民によくわかるように、私どもとしても、あらゆる機会に説明をするというような努力はいたしていくべきだろうと存じております。
  453. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 一世一元の元号というのは全く非科学的で、今後の世代の使用にたえないという意味で、私は慣習として残っても、法制化までして残していくべきものではない、こういうことを最後に申し上げておきたいと思います。  それで次の質問に移りたいと思います。  四月十日の本委員会で、公務員が元号の使用を拒否した場合でも、それは処分の対象とはならない、こういう答弁に対して、十一日には、真田法制局長官答弁では、服務規律として、上司がそのような命令を出せば、公務員は当然それに従わなければならない。それまでの政府見解を百八十度転換する見解が出されたわけでありますが、この点について、もう一度統一した見解を示していただきたい、このように思います。
  454. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 先ほど上原委員の御質問に対して、私、重ねて釈明を申し上げましたが、もう一回繰り返して申しますと、この法案が成立しましても、この法律の効果として、公務員であっても、直接に使用の義務が出てくるものではない、これははっきりしているわけなんです。  ただ、公務員の場合には、たとえば統一的あるいは効率的な行政事務の運営というような合理的な必要があって、上司が下僚に対して、公文書をつくる場合には元号を用いなさいという職務命令を出した場合には、その職務命令に拘束されることは理論上あり得る、こういう趣旨でございまして、百八十度転換したわけでも何でもなくて、実はその前提となる問題の提起の仕方が違うわけなんでございますから、そこは誤解のないようにお受け取り願いたいと思います。
  455. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 たとえ上司の職務命令といえども元号の使用というものは表現の自由にかかわる問題ではないか。そういう意味で、そのような元号を使用せよという職務命令を出すこと自体が、憲法第二十一条に規定された表現の自由に違反することになるのでないか、こういうふうに私は思うわけであります。表現の自由は基本的人権にかかわるものでありまして、年の数え方を元号で数えようと、また西暦で数えようと、それは自由であるべきではなかろうか、こう私は思うのでございまして、たとえそれが公務員であったとしても、私はこの権利というものは保障さるべきだというように思うのですが、その点どうですか。
  456. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 公務員でありましても、公文書をつくる際に、年を表示する方法として、元号を使うか、西暦なら西暦を使うかということは、表現の自由と無縁だとは私、思っておりません。無縁だとは思っておりませんが、公務員という特殊な公法関係に入った以上は、合理的な理由があって、そして上司の命令があれば、その程度の制限は、これは憲法の容認するところであろうというふうに考えわけでございます。
  457. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 長官は十一日の日におっしゃったわけですけれども、公務員の場合、基本的人権といえども、職務命令によってある程度の制限はやむを得ないという最高裁の判例がある、こういうことがあったと思うんですけれども、それはどういう判例ですか、言っていただきたいと思います。
  458. 真田政府委員(真田秀夫)

    真田政府委員 申しわけありません、日付まではちょっと記憶がありませんが、最高裁判所の判例で、基本的人権といえども、みずからの意思によって放棄ができるんだというような趣旨のことがあります。つまり、みずから公務員を志願して入った場合には、そういう公務の必要性から上司の命令があれば、それに従わなければならないということはもちろん承知の上で公務員になるわけですから、一種の放棄に等しいわけなんで、そういう判例があることは確かなものですから、そういう判例がありますよということを御紹介したわけでございます。  なお、ついでに申し上げますと、その判例では公務員というような公法上の関係じゃなくて、私法上の私企業の場合も同じような論理が働くのだという趣旨の判例であったはずでございます。
  459. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 いずれにしましても、そういう年の数え方ということで、特に元号法制化されても元号を強制はしないということでありますから、一般国民の場合は別だけれども、公務員の場合でもそういう上司の命令に背いた場合には云々、こういうことですから、こういう表現の自由といいますか、特に年の数え方というものに対して、わずかであってもそういう権利を制限するということは大きな問題だろう、憲法に保障された表現の自由に違反する、私はこういうふうに考えわけであります。  次の質問に移りたいと思います。  元号の使用は強制しない、こういうふうに説明をされておるわけですけれども、たとえば一般の国民が役所や郵便局などの公的な機関で出生届や婚姻届、その他いろいろな書類に年月日を記入する場合に、すべて元号で書かされるというようなことはないかどうかということでありますが、そういうことは強制しない、しかしながら協力はしてもらうんだ、こういうことですけれども、その点について協力ということの中で、やはり国民は強制として受け取るのではないか。それに役所の窓口で、これは元号で協力してください、法律でもこういうふうになっているんです、こう言われたときに、あえていいえ、私は西暦でしますと言うような勇気のある人はやはり少なくなるのではないか、こういうふうに私は思うのですが、その点はどうですか。
  460. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 私どもは、そこは国民の良識と申しますか、常識に信頼する問題だろうと思います。公務の立場から申しますと、これは一定の統一した事務の処理をするのはそれなりに当然と申しますか、そういう意味で事務の合理的な処理でございますから、そういう意味で十分合理性がある話だと思います。     〔村田委員長代理退席、委員長着席〕 そういう立場から事務の円滑、効率的な処理ということで、一般の国民の方に元号で書いていただくということ、これは言葉は協力ということを、ほかに余り適当な表現がないのかもしれませんが、協力をしていただくというような言い方で申し上げているわけでございますが、私は、そこは公務の統一的な事務処理ということで合理性がある問題だろうと思いますし、それに対しましては、国民の方の良識で対応が行われるものと思います。しかしながら、なおかつ西暦でという場合にもそれはもちろん有効に受理をいたします、そういう基本方針であるということを申し上げているわけでございます。
  461. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 強制はしないといえども、協力してもらいたいということを窓口で言われますと、相当な権利自覚というのですか、考え方を持っている人でない限りそれに従わされるというような、結局は強制されたのと同じような効果を持つに違いない、こういうふうに思うのです。  それで私の提案というのですか、その点についてお聞かせいただきたいのですけれども、公文書には、そういう出生届とか婚姻届などには、そういうたぐいの年月日の欄には、必ずいまの場合だったら元号が、明治、大正、昭和というのがあって、そのいずれかにマルするというような形になるわけですけれども、この元号を外して年月日だけ印刷してあって、あと届け出る人がそれを元号にしようと西暦でしようとどっちでもいいんだ、それは国民の自由意思に任せるということをすれば、私は、そういう意味での強制ではないのだと言いながら、実質的に協力という名のもとで強制として国民に受けとめられることはなくなるのじゃないか、こういうふうに思うのですが、その点はどうですか。
  462. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 お答えを申し上げます。  役所側の事務といたしましては、整合性を持った事務の処理をすべきことはこれは当然でございまして、その場合に、現在はもう慣習的に、原則として元号で年の表示をするということが確立をしていると私は思いますが、そういう立場からの窓口業務ということでございますので、現在も両方あると思いますけれども元号昭和が入って年月日となっているものが相当あるということは、これは先ほど申しましたように、こちらの事務を合理的に処理するということから出ている現象だろうと思いますし、そのことについては、一般の国民の方にその点を御理解いただいて、御協力をお願いしたいという立場であるということを申し上げているわけでございますが、しかしながら、どうしてもぐあいが悪いという場合につきましては、それは西暦で記入していただいたものももちろん有効に受理をするということでございますので、決して強制ということではないと存ずるわけでございます。
  463. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 いずれにしましても、元号を印刷してあっても、そこを消して西暦で書く人もそれは当然出てくるわけですから、そうすると提出された書類というものはどっちかに画一はできないわけですね、結果的に。それじゃ初めからそういう元号という記入欄をやめて、年月日だけにするということが私は一番いいと思うのです。だから、いまあなたが説明したのは私の言っていることに対して説明にはなっていない、私はそういうふうに思うのです。だからそういう点でやはり国民に対して年号に従わせよう、協力という名のもとで強制していこうという下心があるからじゃないですか。だから幾らこの法律は強制しないと言っても、やはり強制されるのじゃないか。現実に法制化してない今日でも、もうすでに元号が記入されていて、そこでそれを消して西暦にするのになかなか勇気が要るというような現状があるわけですから、法律化されればさらにそれが強まるというように思うのはだれしも国民の思うことではないか、こういうように思うわけであります。  さらにその点についてもう少し質問申し上げますと、いわゆる在日外国人、たとえば在日中国人とか在日朝鮮人、韓国の方がおられるわけですけれども、かれこれ百万人を超える方々が日本じゅうに住んでおられるのじゃないかというように思うわけでありますけれども一世一元の元号法制化されるということはこれらの在日外国人、とりわけ在日朝鮮人、韓国人、中国人の方々の立場考えた場合に、本当にかつてのそういう絶対主義天皇制を利用したところの日本の軍国主義が、いわゆる大東亜共栄圏というスローガンで朝鮮やあるいは中国、東南アジアの国々を侵略し、天皇への服従をといいますか、あるいは忠誠を力で強要したことは、これは歴史的事実であるわけでありますが、これらの人々が天皇制や、また天皇制象徴であるところの元号というものにどういう感情を抱いているか、決してよい感情を持っているとは言えない、こういうふうに私は思うわけであります。内外人平等の原則を定めたところの、いわゆる国際人権規約はいまだにこの批准がされていないわけでありますし、在日外国人の人々に基本的な人権を満足に保障していない現在の日本で、やはりこれらの人々はさまざまな市民的権利といいますか、そういう権利が抑圧され、差別を受けて暮らしておるわけでありまして、その上にさらに元号法制化で、忌まわしい思い出のある元号をこれら在日外国人の人々にも事実上強制するということになれば、そういう意味では本当に耐えがたい気持ちになるのではないか、こういうふうに思うのですが、その点について見解をお聞かせいただきたいし、また、外務省の方にもひとつその点をお願いしたいと思います。
  464. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 ただいまの人権規約とかそうした方向の問題につきましては、あるいは私以外の方からお答え申し上げる方が適当かと思います  それからもう一つ、第二点といたしまして、過去の云々という問題につきましては、私は、これはやはり問題が別だろうと思います。元号によって年を表示することが公務の場合に原則になっておりますということが現在の状態であり、私どもは、将来もそういう状態が続く、特にこれを変えなければならない合理的な理由とか支障があればそれはまた別だと思いますが、そういうことがなければ、いまの状態が続いていくということを考えているわけでございますが、そうした場合におきましては、日本人であろうと、あるいは在日の外国人であろうと、その点は、むしろもともと差別なしに考えておるわけでございまして、公務の斉一的な処理に対して、日本におります日本人であれ外国人であれ御協力をいただくということは、ひとしく期待していいところではないかと思うわけでございます。
  465. 枝村説明員(枝村純郎)

    ○枝村説明員 元号に関連する面につきましては、ただいま清水議室長がお答えしたとおりでございますが、人権規約の批准の問題につきましては、すでにこの前の通常国会に人権規約A、Bとも御提出申し上げて、この国会ですでに衆議院外務委員会において御審議を願っておるところでございまして、特に今月末、地方選挙の後の週には精力的にこれを御審議いただくという……
  466. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 そのことを聞いているんじゃないんですよ、いまは。人権規約のことを聞いているんじゃないんですよ。外務省としては、私がいま発言したことに対してどう考えているかということです。
  467. 枝村説明員(枝村純郎)

    ○枝村説明員 これは内外人無差別という原則、そういう点につきまして、ただいまの人権規約あるいはその他の面でもなるべくそういう方向で進めていきたいと思っておりますのが外務省の立場でございます。ただ、元号の問題とその関連につきましては、先ほど申し上げましたように、清水室長の御答弁で御理解をいただきたいと思います。
  468. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 全然答えになってないですね。いわゆる在日外国人の方が、かつて絶対天皇制のもとでやはり多くの苦い経験をされているわけでしょう。だから一世一元の元号というのは国民に親しまれておるとか定着しておるとか言ったって、とりわけ日本人でもやはりそういう一世一元の元号というものに対して必ずしもいいイメージだけではなし、悪いイメージもあるわけですね。いわんや、この外国の人々は、とりわけ中国や朝鮮とか、そういう東南アジアの方々は、天皇と聞いただけで身ぶるいするような、やはりそういう考え方というのはあるわけですよ。そこへ、いろいろのいきさつで日本に住んでおられる方に、やはりそういうものを、この法制化によってさらになじまない元号を、協力という意味で実質的に強制するということはいいのかどうか。だから、そのことを言っているわけですから、天皇制が云々、どうのこうのということでなしに、在日外国人に対してもそういうような形をするのかどうかということを言っているわけですから、その点、答えていただきたいと思います。
  469. 枝村説明員(枝村純郎)

    ○枝村説明員 先ほど来申し上げておりますとおり、外国人の取り扱いにつきましても、元号法案との関連でのお答えは総理府の方からしていただくのが適当と思います。私もアジア局に勤務しておりましたこともございますし、かなりアジア関係の外交官あるいは新聞記者等との接触もございましたが、また最近の英字紙などに若干の投書なども見ておりますけれども、そういった関係で、特に元号との関係でそういう動きが自分たちにとって不愉快であるという声は私自身は聞いておりませんので、若干お答えする材料がないわけでございまして、御勘弁をお願いいたします。
  470. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 先ほども申しましたとおり、日本において生活をしている方という意味におきましては、日本国民であれあるいは在日の外国人であれ、私は、現在公務がこういう慣行なりこういう様式で行われている、そういうことが将来も続いていく、こういう問題でございまして、その元号による年の表示方法ということでございますから、これはひとしく御協力をいただくということを期待していいのではないか、むしろそうでないと、かえって何か変な感じがするのではないかとすら思うわけでございますが、そういう意味でごく常識的な協力の期待、こういう趣旨であると思います。
  471. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 納得できませんね。在日外国人の方であればあるほど、やはりこういう協力という名のもとであったとしても、非常に強制というように映るのではないか、私はこういうふうに思います。  そこで、法制化する前でも、現在でも、そういうふうにこの元号の使用の強制というものがあるわけでありまして、特に問題にしたいのは、去る二月の二十三日に、午後一時過ぎでしたが、元号法制化反対キリスト教活動者全国会議実行委員会のメンバーの方々が、東京西銀座の数寄屋橋で、元号法制化反対のビラまきあるいは署名活動を行っておられたわけでありますけれども、そのとき大日本朱光会を名乗る右翼の方々約十名がこれに襲いかかって、横断幕を引きちぎり、あるいはプラカードをたたき壊すというような事件があったわけでありますが、二月二十六日、被害に遭った森山忞牧師らが築地署に出頭して事情聴取を受けた後、被害調書を出す段階で、聴取に当たった佐藤悦朗刑事から、書類を検察庁が見るので、書式を統一するため、こういう理由昭和元号を書くことを強制された、こういうふうに訴えられておるわけであります。森山牧師らは西暦で記入したいと何度も申し入れたが、そうすれば調書受け付けばしない、こういうことで結局元号の使用を強制させられた、こういうふうに言っておるわけであります。この点について、現在では元号は事実たる慣習で強制されるはずがないとわれわれは考えざるを得ないわけでありますけれども、現実にこのように築地署で強制されたということについて警察庁の説明を篤とお聞かせいただきたい、このように思います。
  472. 岡村説明員(岡村健)

    ○岡村説明員 お答え申し上げます。  先生おっしゃいましたように、この事件の被害者は、二月二十六日に所轄の築地警察署において被害届を出していらっしゃるわけでございます。その際、御本人は昭和という不動文字の下に、書きづらいですがとおっしゃりながら、御自分で五十四と記入されておられ、御指摘のように被害届の受理を拒否したという事実はないというふうに聞いております。  なお、御本人の被害調書でございますが、これは御本人の供述どおり西暦ですべて記述しておると聞いております。
  473. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 調書は西暦で言ってそのまま記載されたということは確かに事実です。ただ問題は、書式を統一するという意味で、被害調書を出す段階で、その調書に西暦を書くと言ったのだけれども、何回となく問答があって、書類を受け付けてもらえなかったら何にもならぬということで結局元号を書いたということであって、恐らくその佐藤刑事から聞かれたのかどうかわかりませんが、そちらの方がうそをついているのではないか。この森山牧師が元号反対という立場からうそをついているというようには私は思いたくないわけであります。そういう意味では、元号反対というはっきりとした考え方を持っている人でさえも、被害調書を出す段階でそれを受け付けてもらえないということの中から、やはり意見は意見にして、とりあえずそれに元号を記入した。このことを考えただけでも、あなた方が言うところの強要でないのだ、協力だと言いながら、結局はそれはもう強制になっているのだ、私はそこをはっきりとしてもらいたいということを言っているのです。  だから、年月日についても、そういう元号欄というのじゃなしに、ただ単なる年月日だけにすれば、年号を使う者は年号を使い、元号を使う者は使う、西暦を使う者は西暦を使うということになるのではないかと私は言っているのです。だから法制化以前であっても、そういう形でキリスト教の牧師さんに受け付けないぞ、こういう形で協力という名のもとの強制があったわけでありますから、その点についてやはり明らかにすべきではないか、私はこういうように思っておるわけです。そういう点で長官考え方をひとつ再度お聞かせいただきたいし、それから森山さんが西暦を記入しようとしたにもかかわらず元号で記入せいと言った事実関係について、私はもう一度調べてもらいたいし、特に森山さん自身も、警察の署長も立ち会って、われわれも行って、その点の事実関係は別途明らかにする必要があると思うのですが、そういう用意があるのかどうか、そういうことも含めてひとつお答えをいただきたい、このように思います。
  474. 三原国務大臣(三原朝雄)

    三原国務大臣 かねて申しておりますように、法制化が成りましても現行と同様でございまして、取り扱いは、使用上の制約もいたしませんし、義務づけもいたしません。しかし、いま御指摘のありましたようなことは、私は、国民の良識と英知によってお互いが話し合えば解決する問題だと実は一般的には思っておるわけでございます。  なお、行政事務の統一的な処理上ひとつ元号をお使い願いたいとか、あるいは西暦をお使い願いたいとかいうようなことをお願いする場合があろうと思いますが、そういう点について、たってそういうところをお願いしても、おれは元号はいやだ、西暦でと言われれば、西暦でお出しいただいてもやむを得ないと思っておるところでございます。  したがって、いま築地署管内でできたこと云々につきましては、警察庁関係が見えておりますので、そこからお答え願った方が妥当であろうと思うのでございまして、私は重ねて言うようですが、現状どおりの使用、運用で結構でございます、そういたしますということを申し上げておるところでございますので、現地の事実問題については、ひとつ警察庁の方でお答えを願おうと思います。お許し願います。
  475. 岡村説明員(岡村健)

    ○岡村説明員 そのときの状況をやや具体的に御説明申し上げたいと思うのでございます。  被害届の提出に先立ちまして、被害調書をとらせていただいたわけでございますが、これは先ほど申し上げましたとおり、御本人の供述どおり全部西暦で記述したわけでございます。ただし、供述調書に不動文字の個所がございまして、その中に昭和何年という文字があるわけでございます。  御参考までに申し上げますと、右の者は昭和何年何月何日どこどこにおいて本職に対し任意次のとおり供述したという欄でございます。この被害者の方は、昭和何年となっておりますけれども、私はいつも西暦を使っているんですがと言われましたが、刑事訴訟法に基づいた様式が決まっておりまして、しかもこの個所は調べに当たる警察官が記載する個所でありますということで御説明したところ、御了解いただいたというふうに聞いております。  この供述調書をとり終えた後、先ほど申し上げました被害届の提出をいただいたということでございまして、その際、元号で書かなければ受理を拒否するといったような事実はないというふうに報告を受けておりますし、私は佐藤巡査部長の言を信じておるところでございます。
  476. 上田委員(上田卓三)

    上田委員 それはもう大きな食い違いがあるわけでありまして、三原長官の発言を含めて私は納得ができません。  次に、元号法制化され、使用が協力という名のもとで強制されるということを想定して、特にそのマイナス面といいますか、そういう点について若干申し上げたいと思います。  統計の実務の上で支障はないか、こういうことでありまして、統計はあらゆる自然現象あるいは社会現象、人口とか、あるいは地理とか気温とか、あるいは商工業、農業、交通、財政、金融、教育あるいは犯罪といったことを数字であらわすものであるわけでありますが、単に数字であらわすだけではなく、その数字相互間の関係も明らかにするのが統計であります。そこで、統計を有効に利用するためには時間の変化による比較がどうしても必要になるわけでありまして、それも五十年とか百年といった長い時間の変化をとらえるために必要でありますが、これを元号で統計の各年表示をすればどうしても複雑な問題が生じる、こういうように思うのであります。  元号昭和が五十年以上の長きにわたって続いておるわけでございますが、天皇の在位期間で年を区切る、そういう必要上から結局そう長く、百年も二百年もということにはならないわけでございまして、そういう意味で五十年、百年のいろいろな変化を見る場合、非常に多くの数字を何度も足し算したり引き算したりする、めんどうになるのではないか、こういうふうに思うわけであります。また、西暦と併用したとしても、統計実務上は大変な手間がかかると思うわけでありますが、その点について政府はどう考えておるのかお答えいただきたい、このように思います。
  477. 清水政府委員(清水汪)

    清水政府委員 統計の問題につきまして御指摘のようなことが言われているということは、私もよく承知をいたしております。  ごく簡単に申し上げるとすれば、統計といいますのは、結局、現実にわれわれが生活をしたり活動したり、まず業務を営んでいるという実態があると思いますが、その実態の方につきまして、私どもの慣習として、主として元号による年の表示でいろいろの記録がなされている、これは生のデータであると思いますけれども、ただ、そういうものを統計的に整理をいたす方々の場合におきまして、確かに、たとえば百三十年も前のようなものが仮に元号で生のデータがあった場合に、それを一連の統計にする場合には、百三十年前の元号の時代を西暦に換算してやるという作業が一たんは必要かと思いますけれども、それはそう大きな負担をかけるものではないんじゃないか、もちろん負担がないとは申しませんけれども。したがいまして、そのような現実に日々の活動しているという場合に使われる短い尺度としての便利性のある元号という問題と、長期に分析的な作業をしようとする場合に、一連的な表示としては長い尺度の西暦が便利であるということとは、事柄が一応別だというふうに思いますし、決してそう大きな不便がある問題ではないと思います。現に最近におきましては、そのような統計に用いられるようなデータのものにつきましては、データの段階でもかなり西暦表示でいろいろのものが収集されているというようなことも間々あるわけでございまして、私どもとしては、統計の問題についてはそのように理解をするわけでございます。
  478. 藏内委員長(藏内修治)

    藏内委員長 本日は、この程度にとどめ、明二十日金曜日午前零時五分から委員会を開会することとし、これにて散会いたします。     午後十一時五十三分散会