○吉田
委員 まさにそのとおりだと思うのであります。私
たちは
元号の遠い歴史はそれなりに
一つの
元号の源流として尊重はしたいと思いますけれ
ども、これから向こうに向かって年代あるいは年の呼び名を決めていくことでございますから、そういう点では古いものに余りこだわらないで、むしろ
変化しつつある現代の本当に日本人が今後もなじめる、そういう字の中から選んでいく、そしてまた、そこに何となく感ずるイメージと申しますか、そういう人気のある、なじみやすい、愛しやすい、そういう
元号というものを選び
出していく、こういうことが非常に大事だと思うのです。
そこで、私からも申し上げたいのでございますが、さきの鈴切
委員や他の
委員の
方々からもいろいろ御
意見がありましたけれ
ども、この
元号の決め方につきましては、この際思い切って近代的な手法を用いられるべきではないか、あるいはできるだけ民主的な
方法を取り入れられるべきではないか、私はそういうふうに
考えます。間違っても秘密裏に閉鎖的に事を決めるということは、現代から未来にかけてのこれからの日本人には大変なじまないことだと思います。
そこで、私の提案でございますけれ
ども、学識経験者の選定でありますけれ
ども、先ほどの
長官の
お答えでは、まずは五名から十名
程度というふうに一応
長官の頭の中ではお
考えになっているやに聞きましたけれ
ども、私はそういう少数の
方々によってだけ選ぶべき問題であるかどうか。もっと衆知を集めてもいいのではないか。場合によれば、どれほどの数になるか知りませんけれ
ども、日本じゅうの文学博士全部に、ひとついい名前があれば連絡してほしいという通知を出されるのも一法ではないか。あるいは先ほど来、
国会の衆参両院の議長にも相談してということでございましたけれ
ども、私は、衆参両院の全
国会議員に、これは匿名で大いに結構だと思いますが、一人
一つだけ、ふさわしい
元号の呼び名を参考までに
出してくれないかという
方法もあると思うのです。あるいは全国の知事ぐらいには、全部の知事に適当な、素材として
考えがあれば新しい
元号の呼び名を
出してほしい、こういう協力の求め方もあると思うのです。
国民投票にするとか
国民に公募するといっても、これはかなり大変なことでございますけれ
ども、私は、いま申しましたような範囲であるならば、決してそんなに混乱が起こるわけでもなし、また時間的にもそれほどの期日を必要とするとも思わないわけなんです。
ただし、一挙に質問して申しわけありませんが、仮に
陛下がお元気なとき、あるいはだんだん御病気が進んできたとき、そういう事態の中でそういう多くの
方々に参加していただき、そしてできるだけ民主的に、できるだけ近代的に、かつ公開しながら新しい
元号を選定する作業をやるということは、やっぱり人間社会でございますから、いかに
天皇でおられましても、少しお互いに気を使わなければならない問題だというふうに思うわけでございます。
そこで、私の
考えといたしましては、
天皇が亡くなられて次の
天皇が即位される、その日から一両日に次の
元号を決めなければならぬということにも必ずしもこだわる必要はないと思うのでありまして、できれば三カ月ぐらいの期間を置いて、あるいは少なくとも一カ月ぐらいの期間を置いて、その間にいま申しましたような手続をとりながら、できるだけ衆知を集め、良識を結集していくという
方法は、決しておかしいことではないと思うのです。
それからいま
一つは、いまの
元号でやや不便であります点は、さっきも鈴切さんからお触れになりましたように、
元号が変わり目でラップしていくことでありまして、したがって、通算する場合に非常に厄介でございます。私の場合なんかでも、大正十五年十二月四日生まれでございますから、生まれて何にも意識のない間に年を越してすぐに
昭和二年になっておりました。大正生まれでありながら、
昭和五十四年で満は五十二歳だというわけですから、聞いている方が不思議な顔をするわけでありまして、一々
説明も大変でございますが、そういう現象が起きてくるわけでございます。
したがって、
元号というものを将来に向かって近代的に
存続させていくためには、いわゆる踰年方式と申しますか、そういうものをこの際思い切って採用なさってもいいのではないか。もっと詰めて申しますと、その年の、前の
天皇の在位の日数と新しい
天皇の在位される日数の多い方をとる。そしてそれまでの、前の
天皇の分が在位中たとえば数カ月あったとしても、それは後日新しい
元号に読みかえるというふうなことがあっても決しておかしいことだとは思いませんし、また、前の
天皇が十月、十一月ごろまで御在位であるとするならば、次の
天皇におかわりになってからもその翌年、しかもその間にいま申しましたような数カ月の余裕期間を置いて、
国民の十分な参加と納得を求めながら新しい年号を決めて、そしてその翌年はその
元号から出発する。それは後で読みかえればいいわけでございますから、必ずしも一月一日でなくともいいと思うのです。そういうふうにいたしますと、
元号それ自身が持つ近代性と申しますか、いろいろな計算にも非常に間に合ってくるわけでありまして、そういうことをこの際思い切って新しく出発されることは、現時点の
国民生活にも大変歓迎される
一つの
方法ではないかというふうに思うわけでございます。
それからいま
一つのお願いは、やはりこういう時代でございますから、みんな若者
たちも、非常に煩瑣なむずかしい字、それがよしんば当用漢字であっても、そういうものに非常に煩わしさを感じている
一般的な傾向にございます。したがって、
元号をお決めになる場合、選ばれるその字というものはできるだけみんながなじめるような、煩瑣でない、そういう文字であってほしいと思うのです。慶応とか宝暦とか、こんな
元号に似たような
元号が生まれますと、これからの日本人は、これは書くだけでも厄介だ、やはりそんなものではということで大変な拒絶反応が自然に起こってきたり、せっかくよかれかしと思って
存続した
元号が大変中途半端なものになったりするおそれがあると思うのでございます。
何やかや一度に申しましたけれ
ども、それは多少関連のあることでございますので、いま申しました諸点につきまして
長官から、あるいは
関係者の
方々から御
答弁をいただきたいと思うのです。