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高橋参考人 私、
高橋でございます。
初めに私事を申し上げて恐縮ですが、ちょうど五年前の四月であったと思いますけれども、当時は四十九年度の予算に関連いたしまして当
委員会におきまして同じ
地方交付税の問題について
意見を申し述べたことがありますが、それから五年たっております。五年という期間は、物理的に言いますとそれほど長い期間とは思いませんけれども、やはり世の中の変化というのは非常に激しいということを痛感するわけであります。
その
一つは、これは全くプライベートでありますが、当日私の隣におられて公述されました同業者の恒松学習院教授は、この間知事の方に転職されましてりっぱな業績を上げておられるようであります。私はその当時そういうことは思いもかけなかったことであります。これはどうでもいいことでありますが、いま
一つは、やはり
地方交付税をめぐる税
財政上の環境の変化というものの余りにも激しいということを痛感するわけであります。四十九年と申しますと、これは高度成長
財政の終わり、
地方交付税について申しますと、
自然増収に支えられた
交付税の時代の終わりということであります。今日の事態は、その
自然増収に支えられた
交付税が、端的に言えば借金に支えられた
交付税、こういうものに変わってきている。ここに今日のこの
制度の直面する一番大きい問題がある、こう思うわけであります。
そこで、時間が二十分であります。先生方お疲れのようでありますから、なるべく時間を厳守したいと思いますけれども、三つの点について
意見を申し述べたい。
第一点は、先ほど来議論されております
交付税の
総額及びその
総額の
確保に係る
方式に関する点であります。これは先ほど来いろいろ議論がなされておりますので、具体的なことはもう申し述べませんけれども、要するに
地方債及び運用部、この二元
借入方式、これは私はこう名づけるわけですが、この
方式がこの四、五年来ある
意味では完全に定着をした、そのことの可否といいますか、それをどう
考えるか、こういう点であろうかと思います。恐らく第一点は、これは純
法律論からする議論でありまして、
交付税法六条の三の規定から見て、現在のような
特例措置と申しますか例外的
措置はどうか、こういうことが当然問題になってまいります。私は
法律は素人でありますけれども、これは
法律の規定を非常に素直に読みますと、「引き続き」というのがすでにもう四、五年続いているわけでありますから、それが規定しているところの行
財政上の
制度の
改革または
交付税の
引き上げというものがなされていないということになれば、これは当然
法律上の問題はある、こう
考えます。
ただ、この規定があることの政治成効果というものを私はそれなりに
評価をいたします。それはやはり何と言いましても予算決定というのは日本の政治的なメカニズムの中で行われるわけでありまして、そういう中で各省庁あるいは
関係諸勢力がさまざまなバーゲニングパワー、政治的交渉力というものを発揮するわけでありますから、そういうバーゲニソグパワーを発揮する上でこの条項というのはかなり政治的効果を持っているということは認められると思います。
ただ問題は、私どもの立場からすれば
財政論としてこの問題をどう
考えるかということになりますと、問題は相当複雑になってまいります。端的に申しまして、いまのような国、
地方を通ずる
財政上の構造的赤字、実はこういう赤字はどういう原因で生じ、またそれに関する政策上の
責任いかんということになりますと、これは私も大いに
意見はあるのですが、いまそのことをおけば、このような
財政上の赤字というものを
前提にして
考えれば、この種の
措置がとられたということはまあやむを得ないという感じもいたします。
そこで、恐らく問題は
二つの点が残るかと思います。第一は、先ほど二元的
借入方式、こう申したわけですが、その一元の運用部の部分については、二分の一についてはこの債務の償還については国の負担ということが確立したわけでありまして、これは私は
評価していいと思うわけであります。問題は残りのものをどう
考えるかということでありまして、これは本来
交付税に代替されるということがこの資金の趣旨でありますから、
地方財政の立場あるいは
交付税本来の立場から言っても、残りの部分についてもやはりそういう
措置が
拡大をしていくことが望ましいというふうに
考えます。
それから第二の点は、いわゆる建設
地方債に振りかえられた部分でありまして、これは建設
地方債と書かれておりまして、また当
委員会からちょうだいしました資料では括弧して「
財源対策債」となっているわけであります。ところが、建設
地方債ということと
財源対策債ということは
性格上——「いわゆる」と書いてありますからそこはあいまいなんですけれども、これは
性格は違うものでありまして、これは第五条の規定を受けるわけであります。私は、この資金の本来の
性格からすれば、その括弧の方の趣旨に準じた運用をすべきだ。端的に申しますと、
交付税はその資金についてはブロックで交付して、その支出についてのプライオリティーは
自治体に任せているわけでありますから、この
起債振りかえ分についてもそういうふうな
措置をとることがむしろ望ましい。先ほど
深谷さんから、こういう
措置でもあれば点が上がるというような趣旨のお話があったわけですが、私もその点はそういうふうに
考えるわけであります。しかし、いずれにしましても、この
交付税の抜本的な問題は
交付税だけの問題ではすでに解決つかない。つまり、わが国の先ほど申しました全体としての
財政赤字、その中で
地方税財政制度、特に
地方税の充実というものは非常に大事だと思いますが、そういう問題を抜きにしては議論できないということになります。そこに触れますことは、これは非常に範囲が広うございますから、また後で質問でも受ければ私の
意見を申し述べるということにして、次の第二点に移りたいと思います。
第二点は、この
交付税の配分
方式にかかわる問題であります。五十四年度の配分
方式の変更につきましては先ほど来御
意見がありました。これを総じて申しますと、たとえば養護学校の
制度の
改正あるいは投資重点政策の政策上の変更、それから物価高、物価に対する調整、言うならばそういう
交付税の外から来たもの、これを
交付税上調整するといういわば受け身の
措置でありまして、それはその
制度や政策については
意見はありますけれども、それを問わないとすれば、特にそのことについてコメントをする余裕を持たないわけであります。ただ、ちょっと私一点だけ申し上げておきたいのは、今回の
措置で経常支出に関する補正の問題で、従来は投資的経費につきましては、態容補正につきまして種地、要するに市町村の等級でありますが、これによって決めるということがなされておりましたけれども、この投資的経費にかかわる補正の
方式を一部の経常支出についても
拡大するという
措置がとられております。なかなか実態は私はきわめにくいのですが、
地方の実態的な支出に応じて
交付税を積極的に
拡大するという趣旨であれば、それはそれで理解できるわけですけれども、いずれにしましても、この部分というのは端的に言えば行政当局の
裁量に任されるということになるわけでありまして、種地の等級というものは、それはそれとして非常にはっきりしたものが出ておるわけであります。そうしますと、その運用につきましての客観的な
基準というものが明確になって、それが公正に施行されるということでないと、
交付税の趣旨というものから言って問題が起こってくるかと思います。ひとつこの点についても当
委員会において十分の注意をお払いいただきたい、こう思うわけであります。
それから、やや一般的な問題でありますけれども、
交付税の趣旨といいますか
目的というものが先ほど来米原
参考人からも御
意見があったわけでありますが、これはもう当然
財政力の調整というのは自明の理であります。しかしながら、また同時にこれは行政コストにおける地域の格差の補正、つまり
財源と需要との両面における地域格差を補正する、こういう
目的を持っております。わが国の
地方交付税制度はいろいろな点でいろいろな問題があることはありますけれども、総じて言いますと、
財源及び需要というものの両面を通して、いわゆる底上げ効果と申しますか、底上げ的機能という点では、これは非常に、ちょっとオーバーな
表現でもありますが、私は世界に冠たるものだというふうに言ってもいいと思います。これはたとえば端的に申しますと、世界で
地方行政の
内容においてこれだけ均一的に、かつ画一的にやられている国は先進国ではそうないと思いますし、さらに進んで
地方税の負担、つまり納税
条件さえ同じならばそれほど
地方税にも格差がないというのも、これはちょっと世界に例を見ない現象であろうと思います。そういう点で
評価するわけでありますけれども、しかし行政コストの地域差という点については、現行の
制度では、これは先ほど来米原さんも御指摘のように、段階補正及び態容補正という形で主としてなされているわけであります。
しかし、これは全く米原さんと
意見を異にいたしますけれども、先進国の最近の
状況というのは、むしろ底上げ効果からさらに進んで、大都市の
財政需要に対する対応という
方向に進んでいるように私は理解しております。これを日本でどう見るかということでありますが、規模の
経済と同時に規模の不
経済という問題もあります。大都市にどんどん人間や企業が入ってきて、いままでのように無限に発展するという
前提ならば立論の御趣旨もわかるわけですが、大都市はすでに大阪にその顕著な例を見ているように、衰退するとオーバーに言えばそういう面も持つわけでありまして、これは非常にむずかしいところでありますが、客観的に大都市の
財政需要というものも算定する、こういう点ではむしろ私は不備の面を持っていた。これは
長期の課題として提起したいわけであります。端的に申しますと、たとえば四十二年から五十三年までの
地方交付税上の
基準財政需要の伸びを見ますと、市町村部分について見ますと、一般市町村の伸びは大体七・五倍だと思います。これに対して旧政令六都市の伸びは約六倍でありまして、東京都大都市分の伸びは四・七倍であります。これをどう解釈するかというのは非常にむずかしい問題で、端的に簡単な結論は出ませんけれども、一般に
地方支出については、
財政規模あるいは
財政力との
関係から言えばU字型法則というのが貫徹すると言われているのが常識的な理解、つまり人口の小さい過疎地というところでは割り高になることは当然でありますし、規模の
拡大というものに応じて同一の単価が高くなる、これはごく一般的な議論でありますからそういうふうになる。それに
財政需要上のコスト差というものをどう調整するかという問題も私は今後
考えるべきであろうと思うわけです。その点で現在の
方式はいわゆる標準団体
方式、御存じのように市町村では十万であります。これはある
意味でそれに補正を重ねるということなのでありますが、端的に言えば、多くなればやはり量は質に転化するわけでありまして、
交付税制度を余り複雑にすることは私の本意とするところではないのでありますけれども、たとえばイギリスなどは、首都とほかのところとはもう全く分離した算定
方式をとっているわけであります。それから需要の中身につきましても、最近昼間人口などを導入されているということは非常に
評価できるわけですが、これは必ずしも大都市の需要の底上げに機能していないと思われます。
それからその次の問題は、特に態容補正というものにつきまして、
財政難ということの
関係もありましてかなり変動あり、かつ切り下げがある。
交付税全体として切り下げるということであればこれで理解できるわけですけれども、安定性というものが生命でありますから、そうくるくる指数、係数が変わるということではこの
制度の趣旨に反するという面もある、こう思うわけであります。ただ、当面の問題について申しますと、
交付税の枠が決まっている中で、一般に
財政力が高いとされている大都市が後から参入してきてパイの分け合いをするということになるというきわめて現実的な問題があります。私もそういうことは十分承知しておるわけでありますが、以上の点は、これは
長期の問題あるいは今後の検討課題として十分検討してもらいたい。それから当面の対策としては、たとえば計算は計算できちっとして、
特例措置で
起債に振りかえる
措置をとるというふうなことが現実的な対応であろう、こういうふうに
考えるわけであります。
それから第三点、
最後の問題になりますが、もうほとんど時間がありません。
現在の
地方交付税制度を今後どう
考えるかという問題でありますが、先ほど来申しているように、これは全体的な税
財政制度の抜本的
改革、つまり大都市が
交付税をもらわなければならぬというふうなこと自体が
交付税制度からすれば異常でありまして、いまや府県では東京しか残っていないわけであります。これも
地方の自主税源を
引き上げる、それとまた、これは構造的赤字でありますから、全体的な
税負担率のレベルアップというのが避けがたい。問題は、それをどういうタイミングで、どういう
内容でやるかということにかかわる問題かと思います。
日本の全体的な
地方財政の今後の
あり方として、これを非常に図式化的に言えば、たとえばオランダでやっておりますように、費用負担についてはほとんど
中央政府で見る。その中の
地方のプライオリティーの持ち方をどうするかという問題は残りますけれども、そういう言うなれば
中央責任型。あるいは北欧、スウェーデンに典型的に見られるように、
地方税源というものを
強化して
地方の
責任においてやり、
中央政府はいわゆる
財政調整機能と一部の特定補助金、こういうかっこうでやる
地方責任型。はっきり言えば、そういう
二つの選択があると思います。これは割り切ればであります。ただ、わが国の
状況というのはそう簡単に割り切れない。つまり、ミドルウェー、その中間の
方式というものを実は模索せざるを得ない。ここに日本の非常に困難な課題があるように思います。
そのミドルウェーというのは何かと言えば、非常に原則的に言えば、ナショナルミニマムについては
中央政府が
責任を持つ。しかし、
地方のいわゆる任意的行政というふうなものはなるべく
地方の
責任において実施していく。これをどういうふうに組み合わせていくか。また、
中央が
責任を持つ部分につきましても、たとえばいまの特定補助金を、いまメニュー化と言っていますが、メニュー化ぐらいじゃ困るのでありまして、少なくとも各省ごとくらいに——あるいは各省一緒にしろなんということになると、これはいまの行政
制度から言えばちょっと
不可能なことでありますから、少なくとも各省ぐらいにはブロック化するという
方向にして、そこでプライオリティーの選択は
地方自治体に任せるということを
考えるべきであろうと思います。機能配分等の問題がもちろんあることは言うまでもありません。しかし、率直に申しますと、大きな成果を上げているわけですけれども、今後の問題としては、私は次の点をどうしても指摘しておきたいと思うのです。
いまの日本の補助金を含めての
交付税は、統制と介入、それから逆に言えば依存、つまり
中央政府から言えば過度の統制と介入、実はこれはメダルの両側の問題でありまして、そういう
制度があるからまた
地方側もそれに依存をするという、これは非常に大きな欠陥だと思います。メリットを認めた上で、はっきり言ってこれは欠陥であります。
地方側には
地方側の言い分があって、それはまことに皆もっともだと思うのでありますが、しかし、これは水かけ論ではなくて、システムとして、
制度として、そういうふうにならない
制度をどう創造するか、こういうことだと思います。
それからもう
一つの点は、高度成長下ではもうやむを得ないことでありますが、
財政責任というものがかなりあいまいである。
財政責任と言っても非常にむずかしいことでありますが、たとえば
地方団体について申しますと、その地域のサービスは地域の住民の負担でやる、そしてそういうサービスと負担とがドッキングしていて、
財政上のコントロールが納税者の側からある
意味では行き届くということと、それから
財政調整とをどう結びつけるか、これが非常に重要な課題だと私は思います。恐るくシャウプ勧告では、
幾つかの
地方住民税についての選択肢を設けて、そしてそういう少なくとも任意的行政については地域住民でやれということであったわけですが、これはわが国の土壌にそぐわなかったわけであります。
考えてみますと、あのときは非常に貧乏なときでありますから、それをやると貧困団体の税負担が上がって富裕団体は楽をするというふうな、非常に地域的アンバランスが生じてくることは当然である。これが先ほど来申しているように、画一化されたことは望ましいと思いますけれども、むしろわれわれはいまもう一度このシャウプの原則を見直すときが来たというふうに私は思います。
そこで、日本のカスタムというのはそう簡単に直らないのでありますけれども、やはり政策的な誘導としては
地方の自主課税といいますか、そういうものはそれとして積極的に進める、そしていまのある範囲におけるサービスと負担とのドッキングというものを
考えるべきじゃなかろうか。
それから、これはさらに進んだ
意見では、もっと先の将来の問題になると思いますけれども、たとえばイギリスやアメリカでやっておりますように、
交付税制度の一部に
地方自治体の徴税
努力というものを加味して、徴税
努力を刺激するというような
方式も検討してしかるべきではないか。
地方自治、
地方の時代ということは、それとして大変結構で大いに推進した方がいいと思うのですが、やはり一番大事な問題は、その
地方の時代における費用負担の
あり方ということになろうと思います。これはわが国のシステムから言えば、国の方が多く
責任を持たなければならぬことは当然でありますけれども、また
地方自治体も、
一つは自己の
財政的
努力というふうなものを高めるということと同時に、いま申したような税
財政制度の
改革というものをあわせて行わなければならぬというふうに思うわけであります。
五分ばかり超過いたしまして申しわけありません。どうもありがとうございました。(拍手)