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小林(朴)
政府委員 猟銃の
発砲によります
銀行強盗事件の
経過等につきまして御
報告を申し上げたいと思います。
事件が発生いたしましたのは
昭和五十四年一月二十六日午後二時三十分ごろでございます。
大阪市住吉区にある
三菱銀行北畠支店に若い男が
猟銃を
発砲しながら押し入りまして、五千万円を出せということで
銀行員を
脅迫をいたし、これに抵抗いたしました
支店長を含めました
行員二名及び通報を受けて
現場に急行いたしました
警察官二名を射殺をいたしまして、さらに
行員三名に重軽傷を負わせた上、
行員、客ら四十九名を
人質にいたしまして一階
事務室に立てこもったのでございます。
この
事件を認知いたしました
大阪府警察本部は、同
銀行の三階
事務室に
吉田六郎本部長を長といたしまして
特別捜査本部を
設置をいたしまして、
刑事、警備両部長以下六百四十四名、車両百十三台をもちまして
現場を包囲をいたしまして、
捜査に当たったわけでございます。
その後、
犯人は
シャッターをおろさせまして、
支店長席に位置をいたしまして、その前に
人質を扇形にして
人がきをつくらせて、常に
銃口を
人質に向けているため、
警察は容易に突入できない
状況でございました。そしてその後の
捜査により、
密室状態の
事務室での犯行はきわめて残虐で、七名ぐらいが撃たれて倒れており、そのうちの四名はすでに死亡しているようだというような
状況が判明したわけでございます。
このような
状況の中で
警察は
犯人に対する
説得活動を繰り返し行いましたが、
犯人は、
警察が来たら
人質を順次一人ずつ殺すと
説得を拒否し続けました。その後の
捜査によりまして
犯人は
梅川昭美、三十歳と判明いたしましたために、同人の
母親を呼び寄せまして、
母親による
説得を試みましたが、これも一切拒否をしたわけでございます。
このような
警察による粘り強い
説得も全く効果がなく、
人質に銃を突きつけ、
人質に命じて倒れている
被害者の耳をナイフで切らせる、あるいは女性の
人質の衣類を脱がせるというようなことをいたしまして、また、気に入らない行為があると銃を
発砲いたしまして、これを
脅迫するというようなことをやりまして、凶暴の限りを尽くしたわけでございます。
そのため、これ以上放置すると
人質の中に新たな
犠牲が生じるおそれがございました。また、
同僚等の死体が放置されたままの
事務室での四十二時間余に及びます
監禁は、
人質の精神的、肉体的な限界に達している等、きわめて緊迫した事態となったわけでございます。
これらの
状況から、
説得活動と並行いたしまして、
武器使用による
犯人の制圧、
逮捕の機会もうかがっておりましたところ、一月二十八日午前八時四十一分、
犯人を取り巻く
人質の数が減じましたために、数名の
警察官を
事務室内に突入させまして、
銃口を
人質に向けて
脅迫中の
犯人に対し拳銃で狙撃をし、その場において
強盗殺人並びに
逮捕監禁罪によりまして
現行犯逮捕をしたわけでございます。そういたしまして、残る
人質、二十五名でございましたが、を無事に救出をいたしました。
犯人は右の頸部の
貫通銃創等によりまして、直ちに天王寺の
警察病院に収容いたしましたが、九時間後の午後五時四十三分死亡したというのが一連の
状況でございます。
私ども、この
事件を振り返ってみまして非常に困難であった、困ったという点は、実は
シャッターがおりてしまった
銀行の
内部が、建物の構造上の問題もあったわけでございますけれども、
銀行の
内部の事情が全くわからなくなってしまったということでございます。中で
ボンボン鉄砲を撃たれるわけでございまして、その都度悲鳴が聞こえる、
犠牲者が出たのではないかというようなことで、
事件が起こりました当夜はまんじりともできませんでした。
しかし、大変ありがたかったことは、その夜中になりまして、
梅川というこの
犯人がわかったことでございます。これは
犯人の友人がたまたまテレビを見まして、
名古屋におったわけでございますが、これはえらいことになったということで、動転の
余り中央線に乗ったという
状況のようでございますが、
多治見の駅におりまして駅前をうろうろしておるところを
警察官の
職務質問にかかったわけでございます。したところが、いま
銀行強盗やっているのはわしの知った友だちだというような話が出てまいりまして、
警察庁の方に早速
多治見署の方から連絡がございまして、
犯人の性格その他がわかり、そこで一応
説得のつながりと申しますか、
予備知識を得られたということが非常によかった点ではなかったかというふうに反省をいたしております。
以上でございます。