○大出
委員 ちょっとこれを配ってください。
委員長いいですか。
伊藤さん、私ちょっと伊藤さんの物の
考え方に不
納得なんですよ。実は五十年、五十一年あるいは五十二年、五十三年、こうあるのですが、この五十一年という段階は実質的には決まっていた段階なんですね。口で言ってもなかなかはっきりしませんから、E2C決定に至る
経過というのを並べてみたのです。ちょっと簡単に申し上げますが、さっと書いてリコピーをとっておりますから読みにくい点もございましょうけれ
ども、御勘弁いただきます。
四十四年八月に
グラマン社が
住友より日商に
代理店を
変更しました。十一月、
防衛庁の四次防に向けてのAEWの配備方針というのがここではっきりしております。だから四十四年の
代理店契約を取りかえたとき、つまり
住友から日商に持っていったとき、この年の十一月にはAEWつまり
早期警戒機の配備方針というのは出てきているわけですね。四十五年七月に
防衛庁、AEWで第一次
調査団を欧米に派遣、帰国後輸入を示唆する報告書作成。当時報告書が出ております。四十五年です。四十五年の十月に四次防原案の大綱が発表されている。つまり当時はこの中でという
考え方なんですね。四十六年の四月に四次防原案、これは中曽根試案。このときに
早期警戒機というのは国産化という方に大きく傾いた。いわゆる国産化方針、四十六年。これをひっくり返すわけですよね。四十七年の十月に四次防大綱を国防
会議で
決めました。このときにPXL、AEW国産化白紙還元。この間に田中内閣成立、ハワイ会談があるわけですね。下に書いておきましたが、四十七年、ハワイ会談前の箱根会談でE2C輸入が話題に出るよう希望していた。これは
日商岩井が希望していたのです、後から申し上げますが。四十八年十月に国防
会議にPXL、AEWの
専門家会議ができました。第二次
調査団が
専門家会議の要望で出かけていった。これが四十八年。四十九年の十二月に
専門家会議の答申が出て、ここではAEWについては外国機の導入という方針なんです。そして五十年が抜けますけれ
ども、五十年はそう大きな動きはありません。つまり四十九年十二月の方針のままです。五十一年の四月に
防衛庁がポスト四次防でAEW十機の導入を要求する方針を
決めている。これは五十一年四月です。同じ五十一年の九月にミグ25の事件が起こりました。ここでAEW早期導入というのは非常に有力に当時新聞にも出てきた。翌月の十月に国防
会議、閣議、両方が五十二年度の
防衛計画の大綱を
決める。AEW一飛行隊の新設をする。AEWの一飛行隊の新設をここで打ち出したのです。当時ぼくが
質問していますね。五十一年のときには一飛行隊の新設だから十機じゃないのですよ。このときにはもっと多いのですよ。十四、五機。だから、きょう午前中の
海部君の
答弁で、最初十機と言い、十四、五機と言い、十八機と言っているわけです。この一飛行隊は十機じゃないのです。つまり五十二年になりましてから、一月に五十二年度予算でAEW
調査費が二百三十万円計上されている。これはもう入れるという方針をほぼここで
決めている。四月にAEW
調査団、第三次
調査団、これは米国だけです。このときにはE2C、E3Aの
調査、このときにはバッジシステムに乗るか乗らないかという問題がございましたから、出かけていっているわけですね。このときにはもうE2Cなんです。はっきりしている。五十三年の八月、
防衛庁が五十四年度にAEW六機、五百六十六億円を要求するという方針を
決めた。これが四機に削られて、五十四年一月に国防
会議でE2C四機の導入になった。こういう
経過です。
下を見ていただくとわかりますがね、一番左の四十四年の八月、日商がE2Cの
代理店をここで引き受けた。同じ八月に
カーン氏と密約ができた。四十七年度、つまりこれは時間があれば申し上げますが、
海部さんが記者会見でも明確に言っているとおり、箱根会談に大きな期待をしていた。つまりE2Cの輸入が話題に出るようにという。ところが、海の向こうでは
チータム社長がE2C
売り込みで大統領補佐官アレン氏に会って、このときが事務所から出かけていってホワイトハウスの入り口の廊下のところで百万ドルが出てくる、こういうわけです。田中内閣はその前の七月七日に成立している。八月がハワイ会談、こうです。そうして四十九年に
カーン氏と密約の解約交渉を開始した、こういうのです。五十年の年末というのだけれ
ども、正式な
答弁では後半に
カーン氏が
日本に来た、ここで口頭了解だという。これが五十年。五十一年に島田氏が文書で解約の通告を一方的に出したという。ところが
代理店を引き受けて、人材その他投入して金がいっぱいかかった、しかもなかなか売れない、売れないから経費もかかり過ぎるからやめる、こう言うのだけれ
ども、そんなことは一つもない。上の動きを見ればわかる。E2C、E2Cでずっと動いていっている。そうでしょう。
ところで、先ほどの
議事録に戻りますけれ
ども、五十年、五十一年に解約されたから
カーン氏は工作するいとまはなかったというあなたの
答弁だが、そんなことはない。五十一年というのは四次防でAEW十機導入の要求をする方針を
決めた。AEWになればE2Cに決まっている。ほかのはバッジに乗りはしない。だから五十一年というときは工作が終わっちゃって、E2Cという方向ですでに進んでいなければ意味がない。五十年、五十一年の解約だから特定できなかった。
カーンも四〇%もらうのだから、みずから工作しようとしたのだけれ
ども、特定しないうちに解約になっちゃったというのが、ついこの間のあなたの
答弁です。冗談言っちゃいけない。そんなのんきなことをやっていちゃあ飛行機は売れませんよ。この間に工作してなければ、四〇%を
海部さんの方も認めることもなかろうし、それなりにルートはちゃんとできている、だからそのとおりに進んでいる、これだけのこと。そうすると、私はだからここで申し上げたいのは、あなたはこういうふうに答えたが、そうじゃない。明らかに私はこの捜査の結果については
異議あり、誤りがあると思っている。この間に工作もしていれば、それ相当なルートもつけていれば、そうでなければ四〇%というのはやはり出てきやしない。そこのところを、これは解約されたから何もしなかった、それでおしまい、それじゃ
納得のしようがない。ここのところどうお
考えですか。