○工藤(晃)
委員(新自) ただいま社会労働
委員会では薬事法それから医薬品副作用による被害の救済基金法の二法が盛んに審議されているわけでございます。その端緒は、スモンという大きな薬害が発生したということが
一つの大きな誘因になってそういう
法律がつくられようとしているわけでございます。言えば、犠牲者が出なければこういう問題もなかなか改善されていかないという
行政上の
一つの欠点を明らかにしている問題であろうというふうにとらえているわけでございます。これも大きな目で見れば
一つの公害でございます。そういう意味を含めて、今後の
環境行政の中でいろいろ問題があることは私もよく存じておりますけれ
ども、きょうはそういう意味合いからも、特に食品公害、すなわち健康被害に関与する慢性的化学的汚染物質についてただしてみたい、こう思うわけでございます。特に農薬を中心にして質疑をさせていただきたいと思います。
まず最初に、朝日新聞の五月二十九日の「論壇」のところに、
日本農業化学研究所所長の福本敬介先生が投稿されている記事がございます。これは私は大変感慨深く読ませていただきましたので、多少蛇足になるかもしれませんけれ
ども、一応これを読んで、その上でこの問題に関連しながら質疑をさせていただければいいのじゃないかと思いますので、多分お目に触れた方もいらっしゃると思いますが、読ませていただきます。
公害の恐ろしさを過大評価しても過小評価してもならない。正当に評価する心構えが大切ではあるが、わたしたち庶民の立場からこの問題を見ると、公害への不安と
行政に対する不信感は、いまやその極に達している。
農薬禍の問題は、これまで
国会の場でも、
国民の健康に重大な配慮をする国
会議員によって、くり返し追及されてきた。これに対し
政府は、農薬の安全指導員を配置し安全使用推進対策
事業を展開しているとか、許容量についても、小動物に一生涯食べさせても安全な量であるとか、最大安全量、最大の無作用量などと、「安全ずくめ」の答弁で追及の矛先をかわしてきた。
しかし農民は、当然のことだが、防除効果をあげて市場出荷を急ぐ作物への薬害の配慮はしても、人体への
影響までは意識しない。また、規制を守れば収穫が犠牲になるような基準は、農民は守らないであろう。そして、農薬の濃度を二、三倍に強めたり、異質の毒性をもつ農薬を、二種類あるいは三種類混合して散布する程度は、いまや普通といってよい。
危険防止のための安全規制が守られない——これほど危険なことがあろうか。この不安から、
全国のそ菜団地を中心として、営農指導員五百人を対象にアンケートをとってみた。その結果、「農薬の安全使用基準は守られていない」が九一%、「農薬の残留
調査は行っていない」一〇〇%で、これではまさに危険な食品のはんらんというほかない。
失明を招くべーチェット病は、原因不明の“ナゾの病気”とされながら、すでに患者は
全国に一万三千人とも二万人ともいわれる。しかも年齢的にみると、二十代後半から三十代の男性に発病が多く、一家の柱が突然失明してしまうため、経済的にも打撃が大きく、「最も悲惨な病気」といわれている。
厚生省べーチェット病
調査研究班がまとめた五十二年度の報告によると、
環境汚染物質との関連を調べている石川哲・北里大学医学部教授(眼科)グループは、「べーチェット病は農薬の有機塩素、有機りん、銅剤の複合による慢性中毒の疑いが強い」と報告している。まさに憂慮していた”新しい恐怖”の襲来である。
また「許容量」の問題であるが、発生遺伝学、生物学、生態学者で、有名なサイレント・スプリングの著者レーチェル・カーソンは、「これならばよい、という量は実際にはあり得ないのだ」と断定し、現代社会におどる科学者や
行政官たちのいい加減さを、ずばりついている。
国立がんセンターの
調査によると、最近小児がんが多発し、加えて精薄児、
一つ目、手足の指の曲がった子、鼻のない子、肛門(こうもん)のない子、心臓奇形などが異常にふえ続け、こうした異常児の後期死産率は、二十年前の十一倍強という驚くべき増加ぶりという。催奇性をもつ農薬の、兄事な慢性的遺伝障害の実証である。
毒物は必ずしも速効的であることを要しない。あらゆる公害の経過が証明するように、われわれが最も恐れ、警戒しなければならないのは、日に見えぬかたちでの少量ずつの、長期的効果であって、
国民全体の生命をおびやかし、健康を破壊する具体的な可能性の存在である。
政府当局がいままで強調してきた農薬の安全使用基準も、許容量の規制も、もはや食品公害の安全弁とはなり得ない。なぜならば、それは農薬単体の小動物に対する急性反応だけの根拠にすぎず、毒性の相乗作用、慢性的障害、遺伝的障害という最大の公害原因が、完全にタナ上げされたままだからである。
食品の安全性を確保し、
国民の健康を守る
姿勢を貫くことが、
行政に課せられた至上命題のはずである。
いまのままでは断じていけない。許容量の概念が、全体としてきびしく吟味され、守られていない農薬の安全使用基準に目をつぶることな
く、農薬
行政、食品
行政の基準規制を根本から
洗い直さない限り、民族の破滅につながる大惨
禍が、時間の経過とともに襲いかかってくるの
は確実である。こういうふうな投稿がなされておりまして、まさに私はこの危険性をひしひしと感ずるわけでございます。もちろんこれを一挙にすべてなくせということは実際面ではむずかしいと思います。しかしながら、こういう危険性を前途に注目しながら、現在の
環境行政はどうあるべきか、あるいはまた今後どうしていかなければならないか、こういう問題を含めて
環境庁あるいは農林省あるいは厚生省、いろいろな省の責任ある
姿勢を問うてみたい、これがきょうの質疑の主な
内容でございます。
続きましては、まず第一番に、そういう事柄を含めて、経口的に入ってまいります慢性的化学的汚染物質の対策としてはいろいろあろうと思いますが、現在
環境庁としてはどのような対応をなさっているのか、また今後そういう問題についてどのような対応をしていこうというふうにお考えになっていらっしゃるか、簡単で結構でございますから、まず第一番に
環境庁から見解をお聞きしたいと思います。