○原(茂)
委員 きょうは三点質問申し上げますか、最初に北富士問題を取り上げますので、
大臣もひとつ聞いておいていただいて、最後に御答弁をいただきたいと思います。
北富士演習場という問題を私もずいぶん長く取り上げてまいりました。その問題の根源とも言えるような富士吉田市外二ヶ村の恩賜県有財産保護組合、これは一部
事務組合のいろいろな活動の例を挙げまして、法制上この一部
事務組合とは一体いかなるものなのか、その権能、組織、運営等についてお伺いするのが目的でございます。
一般的に、普通
地方公共団体は、団体の
事務の一部を共同処理するため
地方公共団体の組合を設けることができるとされているのでありまして、これが一部
事務組合と言われているものであります。御承知と思いますが、そしてこの意味においてはきわめて明快にその法制上の根拠、地方自治法第二百八十四条ですが、とその意義を了解することができるものであります。なんとなれば、
地方公共団体がその
事務を処理するに当たって、単独で処理するよりも共同に処理する方が行政上の能率を上げることができる場合も多いと考えられますし、また効率的でもあるという意味からであります。さらに、広域行政の需要が多くなるとすればこの制度は積極的に活用されてしかるべきであるかもしれませんが、そのような意味ではこの一部
事務組合という法制度はきわめて現代的課題を担っていると言って過言ではないと思います。
しかし、私はこのような一部
事務組合の現代的課題に即して、今日の一部
事務組合の法制上の一般的諸問題を
自治省当局に伺おうとするものではありません。戦後の激動の中で、新憲法と地方自治法は同じ年月日、一九四七年五月三日に施行されましてからすでに三十余年の歳月がたっているわけであります。日本国憲法か帝国憲法に取ってかわりまして、大日本帝国の強大な中央権力の
もとで奇形化されていた地方自治制度も憲法上に明定をされまして、「地方自治の本旨に基いて、」これは憲法九十二条、地方自治法一条ですが、
地方公共団体の区分、権能、組織、運営等に関する大綱が決められました。この地方自治の本旨の拡充、発展の過程にある今日、何を地方自治の本旨と解するかは一様ではございませんが、それを歪曲、縮小したり、地方の時代を否定してはならない、これはもうお互いの常識だと言っていいと思います。したがって、どのようにこの地方自治の本旨を発展させ、急激に変わりゆく社会の諸矛盾を解決すべきか、施行後三十余年を経た今日、そのための地方自治制度の
見直しの一つの課題として一部
事務組合も
検討さるべき必要があるというのも事実だと思うのであります。
しかし、私がここで取り上げる北富士地方における一部
事務組合の問題とは、かかる現代的課題とは一切無関係であります。私はただいま、一部
事務組合の法制上の根拠とその意義を了解することはできると言いましたが、私なりに地方自治法第二百八十四条所定の一部
事務組合は理解できます。しかし、北富士地方の一部
事務組合問題は、二百八十四条以前の問題であります。といいますのは、御承知のように大日本帝国憲法下においても町村は町村制第百十七条によって特設役場を設置することができましたが、この役場及びその後の町村組合が日本国憲法の
もとで成立した地方自治法第二百八十四条に基づく一部
事務組合とみなされるとする附則第十一条によって、戦前設置されたものでも自動的に一部
事務組合となるという点に存するからであります。
たとえば、富士吉田市外二ケ村恩賜県有財産保護組合という団体は、明治三十三年三月十三日町村制第百十七条によりまして特設役場の設置が許可されまして以来、明治四十四年三月十一日御料地が山梨県に下賜されると、大正一年十月四日山梨県指令で恩賜県有財産保護組合となりまして、戦後そのまま
昭和二十三年十月十五日地方自治法第二百八十四条第一項及び附則第十一条によって一部
事務組合であるとされまして、今日に至っているものであります。
さて、ここで問題なのは、この恩賜林組合は、みずから記するところによれば、かくのごとく法形式上は一部
事務組合となっているが、その実体は入会集団としての管理団体であるというところであります。
ちょっと、北富士地方の歴史を御存じでないと何のことだかさっぱりおわかりにならないと思いますので、コメントしておきますと、この北富士山ろく地方は昔から入り会いの慣行がありまして、住民が自由に産物を採取するなど立入使用、さらには桑畑にするなどして収益すらしてきたところであります。しかるに、この地方が明治初年の官民有区分で官有地に編入されてしまいますと、このような入会住民の立入使用収益は官の物を窃盗することと法的には評価される。さらにこの土地が官有地から御料林へとなると、取り締まりは一段と厳しくなる。それにもかかわらず、山梨県の
発行した書物によると「住民が自由に産物を採取してきた旧慣習は幾度かその所管庁を替え、年代を経過しても牢固として容易に抜くことができず、前主管庁においても、これが矯正と取締についてあらゆる苦心方法を講じたのであったが、遂に成功することができなかった」、これは
昭和四十六年五月十一日の山梨県
発行の「山梨県恩賜県有財産御下賜六〇周年記念誌」の第百九ページに書いてあるのでありますが、ここで重要なことは、山梨県はもちろん国もすでに北富士地方の住民にかつて旧慣として入会慣行はあったが、官民有区分によって法的にはなくなったものとしている点であります。
そこで、取り締まりをいろいろ苦心してやってみたのですが余り効果がない。そこで、この土地が下賜されて再び山梨県の財産となったのを契機といたしまして、山梨県管理規則でもって地元の町村にその保護の責任を課すこととして、この
事務を共同処理させるために「法令の
規定に従って町村組合を設けることとし、その町村組合は町村制による」、前掲の同じものの第百十ページにありますか、としたのであります。こうやって、北富士の入会住民は町村組合によって監視、監督されるようになるのであります。しかし、戦前から北富士には入会権があるのだと主張してきたごく一部の地域住民を除いて、この山梨県の施策は完全に功を奏したと自画自讃できるほど、地元住民はこの町村組合に牛耳られることになったのであり、このような状態で戦後を迎えることになるのであります。コメントはこのくらいにしておきますが、こうしてこの町村組合はそのまま一部
事務組合になって現在に至っているのであります。
ところで、戦後日本社会の情勢は一変いたします。これまで天皇陛下の名において自己の権利主張もままならなくされていた入会農民たちは、富士山ろくは自分たちの山だ、入会山である、そこには自分たちの入り会いという権利があると敢然主張し始めます。たまたま富士山ろくが
米軍演習場に接収されていましたので、これらの入会農民は
米軍、
政府を相手に入会権の擁護確認を求めて積極的に交渉をいたしまして、ついに
政府、防衛庁から、同地に農民が旧来から有する入会慣行に基づいて立入使用、収益することを将来にわたって尊重する旨の一札をとるなどして、ほとんど入会権の存在を確認させていって今日に至りました。
特に決定的に重要なことは、この覚書が出されるに至った交渉過程におきまして、現在はすでに
昭和四十八年の最高裁判決によって変更されていますが、
昭和三十六年当時は、いまだ官有地に入り会いなしとする大正四年の大審院判決が判例として効力を有していたにもかかわらず、実質的には入会権をこの北富士に確認する、ただし、大審院の判決もあることだから入会権の名称は使えず、入会慣行とするとしたこと、及びその入会慣行の内容は、単に立ち入る、使用するといった土地の自然のままでの天然果実の採取だけにとどまらず、これまでの具体的な同地の用法を審究し、放牧、植林、特に桑畑などの活用が入会慣行として行われてきた事実にかんがみまして、農業経営遂行のために必要な収益をも入会慣行の内容として確認、尊重するということまで詰めて交渉がされまして、それが覚書として成文化されたということであります。このような事実は、この交渉当事者であった当時の防衛庁木村経理
局長、門叶防衛
事務次官と北富士農民の顧問である天野重知氏などから聞いていただけば明らかになるのであります。
こうして人会住民がみずからの権利を直接擁護確認させ、北畠士に入会権ありというような状態になってきたところで、例の町村組合、もうそのころは一部
事務組合ですが、この富士吉田市外二ケ村恩賜県有財産保護組合か、実は自分こそこの地域の入会地の管理団体であると称して、勝手に入り会いを論じてはいけない、表面上は一部
事務組合だが実質上は入会地の管理団体だと主張して、入会住民の権利主張を封殺せんとしているのであります。
まさしくこのような一部
事務組合と住民との関係をどうとらえたらよいのか、一体一部
事務組合とはいかなるものであるのか、その法制上の権能、組織、運営等についてどうしても明らかにしておかなければならない必要が出てくるのであります。
単に一部
事務組合と住民のあつれきだけの問題にとどまるものではありません。一方では、このように法形式上は一部
事務組合であるということ、つまり
地方公共団体であるということで、この組合は国から多くの
補助金を受領しています。たとえば防衛
施設庁所管の周辺
整備法に基づく
補助金などです。また、
地方公共団体であるということで、山梨県の
実施する林業
整備事業の造林者として活動もしています。もしこの組合が本当に法制上一部
事務組合であるというのならば、それはそれでよいかと思います。
しかし、他方で実質的には入り会いという私権の管理団体であるということを理由に、入会集団の管理として、自分が入会地であると思ったところは、他の地域住民が耕作をしていようがお構いなしに、ここは自分が管理すべき入会地だと称して、その耕作者が設置している工作物を損壊する、あるいは住民をけしかけ、入り会いは地元住民の私的権利であるとして、戦前、戦後を通じて必死に入会権の確立のために尽力している忍草農民の牧草地を壊滅させ、同組合の統制に服していなかったという理由の文書を出し、あるいは、ここは市村民全員の入会地だから忍草の独占利用を否定するという理由をつけるなどして、同組合の活動の理由はすべて入り会いの管理団体ということに根拠づけられているのであります。否、それだけではありません。これらの活動を行うためには多大の
費用がかかりますが、これは入会管理団体として当然
支出する、たとえば住民に同組合の意向を示すように金を出してデモをさせるなど、莫大なデモの
費用が
支出されているようです。
もちろんこれらにとどまるものではありません。入会管理団体ということで、近隣とのつき合いも密にしなければならないということでしょうか、町内会への金一封、神社に金一封、婦人会に金一封と金をばらまき、さらには何百万という金を、同組合は入会管理団体であるというパンフレットその他印刷物のたぐいを
発行させるために費やしているのであります。まさしく都合のいい一部
事務組合であると言わなければなりません。もちろんこのような
支出そのものをチェックする機関などはありません。理由とするところは、実質は入会管理団体という私的団体であるところにあるようです。
事実、忍草母の会の渡辺喜美江会長は、
昭和四十九年八月五日、恩賜林組合議会の補正
予算の中で負担金を除く他の
支出は、地方自治法、学校教育法などに違反しているとして監査を請求いたしましたが、同組合に監査制度がなかったためにナシのつぶてとなっているし、現在も同組合に監査制度は存在していません。
本来ならもっと具体的な事実を摘示した上で質問をしたいのですが、この程度の摘示だけでも私が伺いたい実態というものは大まかには理解していただけたかと思うのであります。
そこで、以上の私の話を前提とした上で、現在の地方自治法上の一部
事務組合の権能、組織、運営等に照らして、この団体は果たして一部
事務組合と言えるかどうか、これから申し上げる質問に即して答弁を伺いたいのですが、四点に分けて聞きます。
まず第一は、私的権利たる入会権を管理する一部
事務組合というのが適法に存在し得るのかどうか。私にはちょっと考えることができないのですが、適法に存在し得るとするならば、少なくとも入り会いに関する
事務が、その基礎たる
地方公共団体の
事務でなければならないと思います。しかし、入会権が
地方公共団体の権利と考えられた戦前は別として、現在どうして入会地の管理団体としての一部
事務組合というものが成立し得るのか。この点が第一の質問でございますが、時間の都合でなるべく早く上げたいので、全部質問を先に申し上げますから、記録しておいてください。
二つ目は、山梨県は、前に述べたように、入会権は存在しないという前提で町村組合を設置させましたが、戦後これがそのまま一部
事務組合となっています。地方自治法的にかかる組合が入り会いの管理団体と称し得る根拠があるのかないのか、これが二つ目。
第三に、
補助金をもらうときには公共団体、使うときには私的団体というような、かかる御都合主義的な組合のあり方についてでありますが、これをきちんとさすべき所管というのは許可権者であるところの山梨県だと思うのですが、山梨県としては法的にはどのような手が打てるのか、また打つべきであると考えるのか。
実際地元では、この組合のことを伏魔殿とか雌雄同体動物とか、はなはだしきは治外法権なんだとまで酷評されています。仮に山梨県が、それは組合とそれを構成するとされている
地方公共団体の問題として手をこまねいているといたしましたら、国としてはどのような手が打てるのか。また、当然何らかの手を打つべきだと考えますが、その点についてお伺いしたい。
四つ目に、仮にこの組合が
地方公共団体であるとするならば、町内会、神社、婦人会などなどへの寄付というものは、地方自治法上許容されるものなのか。許容されないとすれば、この寄付はどのような手段で匡正されるべきなのか。四つ目です。
もう一つありました。第五に、この組合が
地方公共団体であるならば、監査
委員は義務設置である、これは四十一年一月三日、行政実例ではっきりいたしますが、義務設置であるのですから、当然設置しなければならないはずですが、設置していない現状を一体どうごらんになりますか。そして、これはどのような手段で匡正し得るのか、県及び国のとり得るおのおのの手段を明らかにされたいと思うのであります。
この五つに対して
自治省から御返事をいただく。明快に、簡潔にお願いします。
最後に、会計検査院にもお伺いいたしますが、いま私が質問した五つの問題に関連いたしまして、今日までの
調査の
概要とその法的適否並びに今後の方針を明らかにしていただきたい。