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根本参考人 質問が大変多いので前後するかもしれませんけれども、実際の仕事を気象庁でやっておりまして、やめてからもう五年になりまして、実際のデータや何かについては自分でやっておりません、自分の見聞する範囲だけのことなので、十分なことを申し上げられないかもしれません。
まず最初に、実情ですけれども、実情の把握というのは非常にむずかしいのです。それはどういうことかと言いますと、結局海が非常に広いのです。太平洋がありますし、南半球へいきますと海の方が広いものですから、その海の上の推定で実はどうにでもなってしまうという問題があるわけです。それで気象庁の報告に出ておりますのは、島のデータをもちろん使ってありますけれども、陸の上のたくさんのデータを使って結論を
出しましたので、そういう
勘定による限りは非常に信頼すべきものではないかと私は思うのです。ただ、海がわかりませんから、海の上をどういうふうに推定してやるかによって南半球の
状況なんかは非常に変わってしまうおそれがあるわけです。
それから、二番目の太陽活動の問題ですけれども、これはだれがどうやったというのじゃなくて、実情を申し上げますと、こういうことなんです。
実は、太陽の活動の予想というのは、そもそも気象ではありませんで天文学者がやることなんです。天幸一著の予想が、七〇年代の初めまでは今度大きくなるピークを余り大きく見ておりませんで六八年のピークと同じぐらい、ですから数で言いますと百をちょっと出たぐらいの値を予想しておったのです。ところが、この予想が一九七六年あたりからいろいろ出ました論文、研究によりまして大幅に修正されまして、最初の見込みに大体百ぐらい上乗せした値になってきているのです。去年インド人が
勘定した値は二百を超えるような値を予想しているのがありまして、ですから、現在活発になってきている値というのは、最初の予想に反して非常に大きくなっていることはもう間違いないと思います。
先ほどお話に出ました科学博物館の小山さんの
観測ですけれども、黒点の
観測というのは望遠鏡の大きさとか
観測者の熟練度によりまして非常に違いますので、小山さんの値というのは世界のスタンダードから比べますと、小山さんの値を一としますと世界の値は大体六割から七割ぐらいなんです。だから、少し大きく
観測の値が出ておりますので、スタンダードに直すには六割から七割掛けなければいけないわけですね。それを掛けましても非常に大きな値なんです。先ほど御質問にありました一月の二百三十、二百四十という値ですけれども、これに掛けますと百六十六というような値になりまして、この値は――実はいままで太陽の
観測が非常に長い間、二百年ぐらいあったのですけれども、その間で黒点の値が一番大きかったのは一九五七年なんです。その前年ですから一九五六年、これは北日本の冷害の年ですけれども、この年の三、四月のレベルと全く同じレベルに達しているのです。これはちょっと予想外のことなんで、こういう予報をやるのはむしろ天文の方の専門の人がやることなんですけれども、つまり予想が狂ったということですね。ですから、太陽の活動が地球の気象に影響するとしますと、それに伴う見込みも幾らかそこで修正しなければならない。
気象庁の報告に書いてあります太陽の黒点の長期減少傾向というのは、これは恐らく十年程度の上がり下がりをもっとならしてしまったそういうものの減少傾向というのを
指摘したので、十年程度の上がり下がりのことについて言ったものではないと私は思うのです。もしそうだとしますと、これは少し見込みが違っているのではないかと私は考えるのです。
それから三番目の、一九九〇年ぐらいから温暖化に向かうのではないかということなんですけれども、これは気候変動の長い周期からいっても一応峠を越えて次にはだんだん温度が上がるという考えと、もう一つは、ことしの二月のジュネーブの
会議でも問題になったそうですけれども、炭酸ガスの
増加している影響がその辺から非常に顕著になってくる。炭酸ガスの効果というのは温度を上げる方に効くものです。したがって、そういうものを考えると温暖化の傾向ということを考えざるを得ない。これは何も日本だけの見込みではなくて、ドイツ、アメリカなどで研究している方の考えでも皆そういうふうになっておりますので、恐らくそういうことではないかと思うのです。
それから、ことしの夏の問題なんですけれども、ことしの夏問題になるのは北日本の低温と西日本の少雨ということで、これは両方とも気象庁の暖候期予報にもちゃんと予報されていることなんですけれども、ここで非常に問題なのは、低温の場合には、低温の克服ということは農業技術の進歩その他で非常に進んでおりますし、それからお米が非常にとれ過ぎているという問題もありますので、そういう点からむしろ後者に当たる水の懸念というのがことしは非常に大変なことになると思うのです。
そこで水の問題ですけれども、水は、たとえば去年の広島の年間の
雨量というのは七百四十三ミリなんです。七百四十三ミリというのは年間の降水量千六百四十三ミリの大体四五%です。ほかの地域をとりましても去年の日本の
雨量というのは大体六〇%ぐらいしか降ってないわけです。ですから、そういうすでに起こってしまっている水不足で、たとえば地下水の場合でも、浅井戸は最近雨が降っていますからわりあいと水があるのですけれども、深井戸の方に水がなくなっている問題、それに加えて、ことしの冬が暖冬、それにも増して非常に雪が少なかったわけです。山では大体三分の一から四分の一ぐらいしか降っておりませんし、そういうことになりますと雪解けの水に期待することができないという問題が出てくるわけです。利根の水源では例年なら二メートルある積雪量が十二センチしかない。そうすると、これから田植えや何かで非常に水が要るときに、その水をためなければならない。ところが、電力会社では放水して水力発電――いま原子力の問題や何かがありますので水力発電にウエートをかけなければならない。ところが、水力発電をやるために水を流してしまうと、今度は雪解け水が期待できませんから、そういった点で多
目的ダムの多角的利用が現在非常にむずかしくなっている。むしろ長い間、一年間の水不足ということを考えたら、現在は当然水をためなければならない段階なんですけれども、そういう点が電力の問題と非常に食い違ってまいりまして、大きな問題になっているのではないかと思うのです。ですから、低温と水の問題が考えられるのですけれども、ことしはやはり水の手当てということをかなり早くからしておかないと、非常に困ったことになるのではないかというように私は考えます。
それから、いろいろあるのですけれども、今後のやり方の問題なんですが、私、国際協力ということも非常に大事だとは思うのですけれども、やはりもう少し現場から出発した問題を大事にすることが非常に重要じゃないかと思うのです。つまり長期予報というのは現在非常に完成された学問でありませんで、非常に技術的、経験的にやらなければならない問題がありますので、それを学問が完成するまでできないと言ったら、これはもうかなり先までできなくなってしまう。
ただ、この場合に非常に明るい見通しが一つあるのですけれども、それは、気象庁ですでに一年余りルーチン化してきました静止衛星の
観測です。この静止衛星の
観測によりまして、海面の表面水温がだんだんわかってまいりまして、これはルーチン的に毎日使えるようになってきているわけです。そうしますと、異常気象と言われる現象が起こったときに、それからだんだんだんだんさかのぼって調べてみますと、必ずそこで海の異常ということが顔を出すわけです。ですから、先行する海洋異変というものをつかまえて、それからやる長期予報の可能性というのが非常に出てくる。ですから、まだ一年余りしかデータがたまっておりませんけれども、それが十年なり何なりたまりますと、私は長期予報は非常に格段の進歩をすると思うので、こういう点では非常に明るい見通しがあるのです。
しかし、今度はそういうデータが集まってきて、それを判断するのは人間なわけですね。ところが、医者と同じで、天気予報というのは、コンピューターが入っていろいろな
検査をしてテストした結果があらわれてきて、その結果を一枚の紙、ワークシートに書いてそれを総合判断してやるわけですけれども、その総合判断するときに出てきた値が全部一致すれば、だれがやっても同じ答えが出るわけですけれども、これはお医者の診断と同じように、カルテを見ればいろいろな矛盾した答えがいっぱい出てくるわけです。それをまとめるのはやはり人間なわけです。そうすると、それは簡単に機械では私はできないと思う。だから、お医者の診断というのは、幾ら大きな病院ができていろいろな
検査というようなものが進んでも、医者の判断が必要だと同じように、予報官の判断というのは私は必要だと思うので、そういったような予報官の判断というものは、過去の経験とそれから一人一人の予報官の学問に裏づけされるわけですけれども、そういった面で、予報官の人的の面で、こういう非常に重要な時期に差しかかっているときに果たして予報官の数が十分あるかどうか。それから、予報の中でも、短期予報と違って長期予報の場合にはかなり熟練を要することだと私は思いますので、そういうことに対して十分用意ができているかということになると、私は必ずしも安心はできないと思うのです。
ですから、そういう機械化して非常に海のことがわかって明るい面と、それからちょっといささか人的の面で心配な面と、両方あるように私は考えます。
それから、国際協力の面なんですけれども、私やはりもう少し大もとに立ち返ってプリミティブに考えてみると、私は百聞は一見にしかずということがあると思うのです。ですから、やはり異常気象が起こったら、起こったところに行ってみるということが非常に大事なんで、ですから、たとえば日本と違って非常に
雨量の少ない、日本と比べたら
雨量が四分の一ぐらいしかない半乾燥地帯へ行ってみますと、いかに人間の生活というものが水にディペンドしているかわかるわけですね。ですから、日本の気候の経験だけではなくて、グローバルな世界の気候の経験というものを予報官なり担当者は積む必要があるわけです。ですから、外国へ行くというとすぐ国際
会議に出るというのではなくて、やはりもう少しグローバルな世界の天候なり気候を見る目を養うために、現場にいる人がもっと外国に行って、日本と違った条件のところに行っていろいろなことを経験する必要があるのじゃないか、これが現在全く欠けているのじゃないかと私は思うのです。これは私、ぜひやるべきことではないかと思うのですけれどもね。
それから、気候変動調査
委員会というのができまして、部内限りでいまやっておられるわけですけれども、これは去年アメリカの国会で認められてアメリカで動いているのを見ますと、やはり異質な人がたくさん入って、そういう人たちと一諸にやっておるようです。アメリカの例で申しますと、NOAAといいまして、つまり日本の気象庁に相当するところから出ている人間は、十二人のうち四人か五人だと思います。あとはエネルギー局とか農業関係の人とかそれから大学、そういったところから皆一人ぐらいずつ出て、そして新しい組織をつくって実際の仕事をしている。これはそういう通弊なんですけれども、やはり中核になる働き手がうんと働けるようなそういったような
委員会でなくてはいけないので、やはり全体を取りまとめるようなことばかりやっている
委員会ではなくて、実質的にやる人をもうちょっとたくさん含めたような
委員会をつくる必要があるのではないか。それもしかも一つの気象庁なら気象庁というクローズドした世界ではなくて、もっとほかの人も入れてやったらいいのではないかと私は考えます。
それから、別に正式にやっているわけではありませんけれども、民間にたくさんの気象会社というのが日本にはあるわけです。ところが、気象会社にいろいろ民間からリクエストされることは、非常に長期予報が多いのです。ところが、やる人が全然いないのです。ですから、一人や二人御自身でやっておる方はおりますけれども、そういう人はだだ気象庁で
出した予報の取り次ぎぐらいなことしかやっていない。それではやはり全体のレベルアップにはつながらないので、そういったような町の人にもうちょっと技術を上げるための勉強会とか研究会とかそういうものをオープンにして、そういうような人を養成することも考えないと、実際そういう人は民間の商社なり農業団体なりそういう人たちのリクエストがあっていろいろやっているわけですから、ある意味で気象庁の仕事をカバーしてやっているような面もあるわけです。ですから、そういうところで実際働く人の学問のレベルが低くてはどうにもしようがないので、そういうところの
指導まで、
指導といっても技術的な学問的な
指導まで考えると、日本全体の国民にとってのはね返りは非常に大きいと私は思うのです。要するに、私が申し上げたいことは、非常に明るい面もある、これからの見通しを立てる場合に明るい面もあるけれども、全然懸念がないわけではないということで、そういったことをやはり両方勘案して総合的に広い分野からやっていく必要があるのではないか。さしあたり現在一番心配されるのは、私はことしの夏の水の問題ではないかと考えます。
以上です。