○田川
委員 いまの二重国籍は私の方で要求したわけじゃないんで、それはちょっと私の言い方もまずかったと思いますけれども、向こうの国籍をとれば当然
日本の国籍は失うし、そういうことは余りよくないことですから、そういう
意味で申し上げたのではございません。
そこで、いま
一つ例をちょっと出しますけれども、これは無国籍の例なんです。私のところへ
昭和五十二年八月に――中国の東北の旧満州の吉林に田中和子、旧姓は山中田鶴子、この人は三年前から、つまり
昭和四十九年ごろから
日本に里帰りしたいと中国にも申し入れ、
日本にも申し入れていた。ところがこの婦人、
日本の婦人で現在四十九歳ですが、この人は中国人と結婚して子供が五人、もちろん主人も元気でいるのです。この人は中国では外国人とみなされている。そして、
日本では
日本の国籍を与えられていないのです。大連生まれなんです。
昭和四年二月十六日に大連で生まれまして、
昭和四年の生まれですから満四十九歳。ところが、一歳か二歳で養子に出されちゃった。両親を知ったのは――もらわれて、山中寅次郎、ツル夫婦に養子に出されたわけです。本人はもう赤ん坊のときに出されましたから山中姓を名のってずっといたわけです。ところが、この養父母が相次いで亡くなりまして、四歳のときにお父さんが亡くなり、十一歳のときにお母さんが亡くなった。お母さんが亡くなったのは、
昭和十五年。十一歳のときにお母さんの山中ツルさんが亡くなった。その亡くなるときに初めて、本当の子じゃないということをお母さんが臨終の席で言った。私のところに来た手紙に、養母が死ぬ前に私を呼びつけ、私はおまえの実母ではありません、あなたの実母は子供が多く、私とはよいお友だちだったので、私がおまえをもらったわけですと言って母は息を引き取った。あんまり急のことであって、名前も聞かないで、原籍も聞かなかった。本籍も聞かないで、その後は自分の住んでいた家主の小松重俊さん夫婦に引き取られてずっと過ごしてきた。そうして、終戦のときまでこの小松夫婦に育てられて小学校も終え、終戦を迎えた。そして、終戦の翌年にこの小松夫婦は
日本へ引き揚げてきた。
日本へ引き揚げるときに、後でこの小松夫人からの私への手紙に、ごたごたした混雑でこの田中和子さん、旧姓山中田鶴子さんが置いてきぼり食っちゃった。そのときに十七歳。十七歳でたった一人ぼっちで中国で、このときは吉林にいたわけですが、置いてきぼりになったものですから、中国人と結婚してずっとそれ以来今日まできているというのが、ちょっと長くなりましたが、この人の略歴なんですね。
そして、この人は、いまから五年前に、自分は
日本人である――手紙を見ても
日本人と何ら変わらないような手紙で、私どものところへ何回も便りをよこしておるのですけれども、自分は
日本人だ、
日本人だから、もう五十になるから、一度
日本を見て、祖国を見てから死にたいということで何回となく一時帰国を願い出ているのだけれども、一向果たすことができないで、二年前に私のところへ言ってきたわけです。
それ以来、私も、かわいそうだから何とかして一回だけでもいいから
日本へ来させたい。里帰りの制度もある。聞いてみると、里帰りの制度は、国費で旅費も出してくれる。中国側の方は、
国内の費用を省によっては中国側も受け持ってくれるということですから、里帰りに乗せられれば一時帰国ができるということで、何回となく試みたけれども実現ができない。
その実現ができないというのは、まず国籍がない、
日本の国籍がないから。その国籍がないために実現ができない。一体これはどうやったらいいのでしょうか。
きょう法務省の担当が来ておりますけれども、
日本の国籍法から言うとなかなかむずかしいのですね。実際のお父さん、お母さんがわからないのです。名前もわからない。どこに住んでいたかもわからない。養父母だけは、さっき申し上げたように名前がわかっているわけです。しかし死んじゃった。そうして、何回も手紙を往復している間に、だれか
日本人でおまえさんを知っている人がいないかと言ったら、私のところへ数名の人を、
日本にすでに帰った人、自分が子供のとき、あるいは学校を卒業した当時近所にいた人、数名挙げてきた。その数名挙げてきた人に私が手紙を出して、
日本人としての証明ができるかどうかと言ったら、その中の二人が私のところへ、この人は
日本人ですという証明をしてくれる手紙をくれたわけです。その手紙を法務省に出して、何とかして
日本人としての国籍を与えてくれないか、そうすれば中国の方では一時帰国者として里帰りの対象になるし、帰れるからと言ったけれども、だめなんです。そのだめな
理由は後で言っていただきます。
その手紙をくれた人の一人は、養父母が死んだ後家主であった人の奥さんなんです。小松さんの奥さんがまだ健在で
日本にいるわけです。その人が、確かに田中さんは
日本人ですという手紙を私のところへくれました。それから近所に住んでいたもう一人の人、川添春美さんという人が、やはり
日本人であるという証明をくれたわけです。その証明を二つ添えて法務省の民事局の方に出したのが去年ですか、大分前に出しました。それがだめなんです。
ちょっとだめな
理由をあなたの方から
説明してください。