○久保(三)
委員 くしくも長崎を出してまいりました。長崎はなるほど環境は海の中でありますから、そういうことかもしれません。
しかし、御
承知のようにSSTは単なる離着、
空港中心だけでなくて、音速を突破する時期における騒音というものの問題もあるようでありまして、狭い
日本の空の中でこういうものを受け入れることが果たしていいのかどうかというのは慎重に
考えなければならぬと思います。長崎ならいいだろうというのは、
空港だけの話であります。
空港でなくて、空は御案内のとおり過密であります。もちろんSSTは超高空を通るということがあるいは言えるのかもしれませんけれ
ども、そう簡単にはいかないと思うのです。そういうものをきちっと詰めないでこのままずるずるといくことについては、われわれは認めがたい。いずれ近い機会にきちっと整理してもらいたい。
時間がありませんから次へ行きましょう。次は航空政策であります。
現在の政府が持っている航空政策は、
昭和四十七年の
大臣通達、いわゆるロッキードに絡んでの有名な航空政策であります。これは御案内のとおり中身が問題になったように、企業活動の調整——調整と言ったら語弊があるのか、何か企業活動の上に立ってつくられたと言っても過言ではないほどの航空政策であります。だから、必ずしも現状に合っていない。これは当然だと思うのです。それから
空港の整備もその後継ぎ足しというか、
空港整備は
空港整備で言うならば航空政策と離れて実際はやってきている。そういうことと同時に、この航空政策そのものも、
運輸大臣が先般閣議でも
お話したとおり、総合交通政策の上に立ってできているわけではない。だから、その裏づけになる
空港もそのとおりでありまして、
空港のごときは
空港整備五カ年
計画を継ぎ足してやってきておる。ところが、利用されていない
空港をつくっているばかばかしい話がたくさんありますね。たくさんと言ったら語弊があるが、二、三ある。全然利用していないわけじゃなくて、小さい
飛行機が飛んだりおりたりしているかもしれない。あるいは事業用の
飛行機が飛ぶかもしれない。ところが、
空港をつくるという目的は、言うならば一般の
旅客機が離発着することを前提にして
空港をつくっておる。
たとえば沖繩の伊江島、これは私、
開港の前の日に行ってみました。りっぱな
空港であります。私は、海洋博の港からフェリーで四十分でその島に行きました。ここは米軍の射撃場の問題がありまして、運用時間はごく限られた昼休みの時間でありました。
しかしそれと同時に、伊江島そのものの人間というか住民と
飛行機との関係、交通との関係を
考えれば、果たしてそういうものが必要であったのかどうか。いまはた
しか、これはもう定期便というか
旅客を乗せたものは全然飛んでいない。それからもっと古くは、信州の
松本の
空港は、残念ながら、これも夏のある時期名古屋から一便だけ往復を出しているという程度でありまして、実際の公共飛行場としての運用は全然ゼロに近いと言ってもいいと思うんですね。それから福井の飛行場は、これまたつくっても、事業用の
飛行機の離発着くらいにつくってあるだけで、定期便ははっきり言って一本も入っておりません。
そういうものができている上に、今度は沖繩の下地島に訓練飛行場ということでつくりました。ところが、訓練はするけれ
ども、そんなにたくさんないというので、
日本の企業が二の足を踏んだという話であります。そこで沖繩県の要望もありまして、下地島
空港は一般の公共
空港、第三種にして運用開始を近くやるそうでありますが、それはそれでいいと思うのであります。沖繩の
空港などは、私は、先般南大東島へやっと行ってきましたが、南大東島の滑走路は、ごらんのとおり、あの島のことでありますから滑走路は長くできない。そこへSTOLが飛んでくる。これは十九人の定員であります。
しかしスチュワーデスが一人乗るから十八人がお客の目いっぱい。ところが行きには十四人
しか乗せない。スチュワーデス入りで十五人。四人の座席はあいているのです。帰りはお客を十八名乗せる。何でそういうことをするのかと言ったらば、油の関係ですと、こう言うんですね。沖繩に帰ってこなければならぬ、南大東島で給油することは不可能だというので、往復のために余裕をとりながら実はやっているということなんですね。だから、島へ渡るのには一カ月前からでも申し込んでおかなければ、とても
飛行機には乗れないという話がありました。
そういうものについて、それじゃ
日本に移管される前はどうなのかと言うと、YS11が飛んでいたそうです。ところが、
日本の
航空法から言って、これは確かDC3くらいを
基準にして
航空法が当時できたと思うのでありますが、そういうものを
基準にしているから、島の周りの防風林が邪魔になって、滑走路はやや間に合うがYSを飛ばすことはできないということで、実は不便を感じておる。また御
承知のとおり断崖絶壁でありまして、船は岸壁というところには着かない。そこで操り船をしておいて、そこからクレーンで、もっこで人間や荷物を揚げているという島であります。これも風が吹けば島の周りを回っていって島陰で風がやむのを待つか、それとも引き返すかということでありますから、交通については非常に不自由をしているところがある。これらについても、もう少し金をかければ何とかなりはしないかという感じがするわけでありますが、それは別として、いま申し上げたように、
空港整備も言うならば成り行き任せということが
一つあります。だから、そういうものも含めて
考えていく時期に来ていないか。
それから最近、企業サイドで陳情合戦があります。いわゆる
成田から香港便で鹿児島へ寄航する日航便があいているから、それにフィルアップしよう、全日空はこれに対して
反対だという陳情があるようであります。いずれも四十七年に
大臣通達が出たときと同じようなかっこうがわれわれの耳に入ってくる。はっきり言って、これは不愉快でたまりません。
そういうことを含めて、あるいは最近のエネルギーの油の問題から言って、先般ここで
質問したように、
東京——北京というものは沖繩の方へ回っていって、ちょうど沖繩の航空管制情報区と台湾の情報区と大邱の情報区と合わさっている地図で見ればほんの狭いところを通って迂回していくわけですね。いま恐らく三時間ぐらいかかるでしょう。ところが世界はもはや、日中航空が開始されたときから見れば、朝鮮半島
一つとっても、あるいは台湾の問題をとっても、特に朝鮮の問題をとれば、いろいろな起伏があるけれ
ども、南北で話し合いをしようという機運になっている。大邱情報区の上を通れれば、二時間ぐらいで
東京から北京に直行できるはずなんであります。こういうものは、単に省エネルギーばかりではなくて、極東におけるところの平和への道の
一つの一里塚として、航空協定の改定を、中国も
日本も力を合わせて北朝鮮あるいは韓国というか両方に働きかけて、日中が共同してそういう方向をとるべきではないかという主張もあります。これは当然だと思うんですね。
それからもう
一つは、
日本とヨーロッパの間では、アンカレッジ経由の北極回り、これもかなりの便数があるわけです。最近におけるアンカレッジの給油の問題を
一つとっても、あるいは距離的に見ても、これはシベリア経由というか横断、モスクワ経由で行ける道が
一つありはしないか。もちろんソビエトのことでありますから、ただではなかなか
承知はしないと思うのでありますが、全体から
考えてみて、省エネルギーあるいは時間短縮、そういうものを
考えれば、やはり真剣に取り組む時期に来ていないかというふうに思うわけであります。
それからもう
一つは、また国内に戻りまして、
昭和五十二年の閣議了解事項の中でも、
国鉄の再建について総合交通政策という項目がある。その項目の
一つとして、御案内のとおり総合運賃政策の確立というのを政府は決めているわけですね。ところが、
新幹線やあるいは
国鉄の在来線と
飛行機の運賃の問題を
一つとっても、
飛行機の運賃は近間は大変安く、遠くの方は高くなっておる。あたりまえじゃないかと言われるが、いや、賃率が高いのです。
飛行機は遠いところほど賃率が高い。
東京−札幌なんというのは最高に高い。ところが、大坂−高松とかあるいは
東京−大阪、こういうところは非常に安い賃率でやっておる。これは安い方がいいとは思うのでありますが、総合的な交通政策なり運賃政策ということを
考えれば、これも見直しの時期に来てはいないかということなんです。
特に
羽田の話がありますが、
東京−大阪の便をたとえば半分なり三分の一に減らしたならば、それだけ
東京、大阪の
空港の負担は軽くなるのであります。そういうものを政策的に
考える時期に来てはいないかということなんです。
しかも消席率をとってみても、幹線の消席率は大体六五%ぐらいです。ローカルは七〇%でありますから、ローカルはかなり積んでいる。ところが、幹線では六五ぐらいですね。そうなるというと、これは多分に空気輸送があるということにわれわれは見るわけであります。そういうものを含めて、この際、航空政策を見直す時期ではないかというふうに
考えるわけであります。
もちろんこれは、これまでのロッキードに象徴されるような政治家の利権あさりにされたのではたまったものではありません。これは、はっきり言って、純然たる政策として第三者機関に任せ、公正に政策としてこの際見直す時期に来ていると思うのです。ロッキードで汚れた航空政策をそのまま後生大事に持っていって、多少の手直しや増便の手直しで、企業の言うことを聞いていたのでは政策ではないと思うのです、これははっきり言って。用する国民の利便あるいは国民的経済の発展のためにどうあるべきかという観点から、これは勇断を持って見直さなければならない時期に来ていると思うのであります。
幸い
森山運輸大臣は、何物にもとらわれない性格のようでありますから、この際、手をつけるのにあなたは一番適当ではないかというふうに思うのです。いかがでしょう。