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丸谷金保君 ですから、結局は、
大蔵ではこういう認定作業をしたのだから確定しているのだと言っても、実際にいま地主
たちが何百人も集まって騒いで、われわれの
委員会が行ったときにも、前
委員長はきわめて歯切れのいい、それはもう皆さんの意志を継いで当
委員会としてしっかりやります、もう一遍やり直しましょうというふうな歯切れのいい
答弁を、そこで名演説をやっておられたのですがね、非常に皆期待しておるんです。私のところへも再三電話なんかがかかって、どうなったと。
時間もあれですから、きょうは、
大臣もまだ就任早々で細かいことにまでてきぱきと御
答弁することもできないでしょうから、問題としてもう
一つ挙げておきますが、実は、そのとき、旧軍が買い上げたと言ってから後、お金をもらってないから相続登記が行われておるんです。それが新しい問題として、
大蔵の見解が出てから提議されましたね、ようやく見つかったと。私
たち七月に行ったときもそういう話を聞いています。だから、何にもないので困っていたけれど、たった一枚だけど
所有権が移転していない証拠が見つかったんですと、
読谷の村長がわれわれ
委員のところに持ってきて見せてくれました。この問題についてはすでに
大蔵の方にも話が来ていると思うのですが、
昭和十九年の九月の二十日に当間平三さんという人から当間平一さんという方に相続のための
移転登記が行われておる。そうすると、これは
現地の
人たちにしてみれば、とにかくいままで何かないか何かないか何かあればということでずいぶん言われて、なくて困ったんだと、ようやく見つかりましたということなんです。こういう証拠も出てきたわけですよ、当時明らかにまだ
所有権の移転は行われていないという。しかも、お金も受け取ったり支払ったという証拠も何も残っていないんですよ。
それからもう
一つ、いま明らかになったように、権利の確認のために米軍施政下
時代にやったということについても、実際にはもうほとんどそういう地主さん
たちの確認は行われていないわけですよね。それが唯一の大きな法的な根拠になっている、そのこと自体からも行われていなかったんです。私はこれは行われたと思ったんですよ、この書類を見る限り。これ読んで行われていないなんと思う人はいないですよ。まことにそういう点では上手に書けているんですよ、おたくの方の発表は。しかし、いま聞いてみたらほとんど行われていないということでしょう、それなら。それをあたかもほとんど行ったがごとく
大蔵報告はなされて、終わったと言っているんです。これはもう少しこれをもっと詰めなければなりませんし、権利
関係の中でも大変むずかしい、権利者の確認にも非常にむずかしい問題もあるようです。ですから大変な問題だということはわかります。
現地も大変だと思うんです、実際に返してもらうとなってもこれは大変だと思うんです。しかし、それはそれとして、戦後
処理のこういうことがきわめて形式的に終わったとされながら、実質的には当時の
沖繩の
人たちの立場に立ってやられないで、これは逆に為政者の立場に立って終わったような手続行為が行われていったということは私はこれをずっと見れば見るほどそういう感を深くするんです。けしからぬし、われわれとしても申しわけない。
そういう点について、ひとつ締めくくりに、
大臣、今後のこの問題について、前
大臣もさらに終わったんでなくて、もう一度
調査しなければならぬということを御
答弁しておられるんですが、
大臣としてのひとつ、余りきりきりした話じゃなくてよろしゅうございますから、締めくぐりに
お答えをちょうだいいたしたいと思います。