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久保亘君 よくわかりました。
県の
教育委員会はいまの
文部大臣のような明快な答えがどうしてもできぬのであります。それが私は不思議でならぬのであります。やっぱり
管理職といえ
ども、行き過ぎとか、誤りがあったら、
教育委員会というのはきちんとやらなきゃいかぬです。何か
管理職の方がやると、これは大変だというので、われわれの組の者がやられたぞというようなことで、それでそれを救援に向かう、こういうようなことは、これはどっか関西で行われることでありまして、私も非常に不愉快に思っているんであります。そういうことはないと思います。しかし、何かそうでも考えにゃならぬぐらい、
管理職に対しては極端な身内意識が働いてこれを守る、こういうような動きがあるんではないか、こんな気持ちがしてならぬのであります。これらの点においてもひとつ厳重に御
調査の上、いまの
生徒を使っての
教師の
調査などというのは、これは
教育の
責任に携わる者が、行き過ぎというよりも、私
どもはやってはならないことではないかと、こう思っておるんであります。いま
文部大臣が行き過ぎであると、こういうふうに言われたので、それはそれとして私
どももこれに対処してまいりたいと考えております。
もう一点、今度は
教職員団体との
関係においても、県の
教育委員会はきわめて不可解な指導をしているのではないかと思われるのであります。本県の「
鹿児島県
学校職員の休日、休暇及び
勤務時間等に関する条例」の中に明確に示されておりますのは、「
学校運営上特に必要がある場合」には――「場合」というのは運動会などだと、こういうことを書きまして、「
勤務時間の割り振りは
勤務条件であり、したがって
職員団体との交渉事項であるので、運用にあたっては慎重を期すること。」ということが条例の解説に明確に示されております。条例の理解として、
教育委員会が出しました文書の中にそうなっておるのであります。ところが、
鹿児島県のある
県立高校において、運動会の曜日の振りかえをめぐって
教職員と
校長の話し合いが順調に行われず、
校長が一方的に日曜日にやりますということで、いついつやりますということで指示をして、
教職員との間に話し合いが持たれなかった。そこで
教職員組合の本部が
校長に対して、そのことで話し合いたいという申し出をして、その
学校を訪ねることにしたのでありますが、そのことを知った
教育委員会は、いち早く
校長に対して、
教職員組合の本部との話し合いには応じないで、逃げるようにという指示をしたのであります。
校長は、
勤務中にもかかわらず、
教育委員会の指示を受けて、その交渉を避けるために校外に遁走したのであります。その後その
校長は、
県教委が
組合の本部と会うなという指導をしたので私は会わなかった、実際は会ってもよかったのだ、こう言うておるのであります。自分たちが決めた条例で、このことは
組合との交渉事項ですから、慎重にやりなさいよということを自分たちが決めておいて、そしてその話し合いが持たれるようになると、
校長に、
学校におらんで外へ出て会わぬようにしろという指示をする。
校長はそうすると、
PTAの会合が開かれていると、そこのあいさつだけして帰ってきて、あいさつが済んだらまた
学校の外へどこかへ消えていくのであります。こんなことを
教育委員会が一々指導して行うなどということは、私
どもはもういまの
教育委員会というのは、法律上認められた
教職員団体というものを全く否定しているのではないか、こういうふうに思わざるを得ぬのであります。そのようなことをどうしてもきょうは
文部大臣に理解をしてもらいたいと思って、私はここへ持ってまいりました。「ある
退職校長の証言」。これはかつての
同僚の
教師たちが、この
退職校長のところへ行ったときに、しみじみとこの元
校長が話してくれたのであります。前
教育長が来られてから、県下の
校長が集められることが非常に多くなった。そして、そのときに言われ始めたことは、「
校長は独自の判断をさけ、
県教委の指導に従っておればよい。」そういうことを言われた。そして、その中で話し合われることは、近く
組合がこういう計画でこういうことをやるから、そのときにはこういうことを対処せよという指導をされるのであります。そして、その
教育委員会が指導したことについて、どんなことがあっても口を割ってはならない、
組合の指示がコピーされていて、それに従って、前もって
教育委員会が対処しているということを口が裂けても言ってはいかぬ、どうしても言わなければならない状況に追い込まれたときには、「これは、
校長の判断です」と言え。ここでは
校長の判断を尊重するわけであります。こういうような指導が、
教育の長い経験を持つ
現場の
責任者たちに対して、
校長会等を通じて非常に強力に行われるようになった、そして、
組合の運動に関するあらゆる資料は、集めて持ってこいと言わんばかりのことを指導をされた、だから、この
校長はそのときに、われわれは分会長や、執行委員の書類を点検せよとまで言われているのじゃないかというほどに感じた、そんな指導が次々に行われていって、私たちは大変残念であったということを、当時の
校長が話をされているのであります。
それから、主任制度が発足してからは、
学校の校務分掌や、進動機構についてサンプルを示し、これは単なるサンプルではない、これから逸脱することは許されないという指導が行われるようになり、
最初は
校長の多くの者たちが、これでは
学校の独自性や、
校長の主体性が無視されているのではないでしょうかというふうに考え、反対の意思を表明をしておった、二回、三回と回が重ねられていく中で、次第に
校長たちもお互いに牽制し合うようになり、そのような
発言をする者はなくなった。いまやめたこの
校長は、その当時のことを振り返って、
教育のためにこういうことでよいのだろうかと大変憂えているのであります。
私がこのようなことを考えるにつけても、
行政官が
人事権という
教職員にとってはきわめて弱点となる
武器を持っておる、その
武器が、全体的に
教育の
振興のために有効に行使されるのではなくて、そのことがもし、
教職員を
統制支配するために使われていくということになるならば、このことは
学校の
現場の息の根をとめることになりはしないだろうか。いま私が申し上げている
一つずつの事例などは、そんなに県の
教育の将来をどうするというような
一つ一つの問題は大きなものではないかもしれません。しかし、そういうことを通じて、いま県の
教育の
現場にずっと広がってきている空気というのは、
鹿児島県の
教育という大きな木の根を切り取って枯らしてしまうことになりはしないだろうかということで、私は大変憂えるのであります。こういうことについて、やっぱり長い間、私は
最初にお断りをいたしましたように、
文部省から
教育長や
人事主管課長に行かれた方が、そのことが悪いと、そういう
人たちが問題なんだということを言っているのではありませんけれ
ども、
教育長と
人事主管課長が重ねて
文部省から派遣をされる、つまり
田中耕太郎氏の言葉を借りて言うならば、
教育に対する
識見や体験というものの――
識見はどうか知らぬけれ
ども、少なくとも体験においてはきわめて欠ける、地元の伝統や地元の実情というものについても暗い人が、
人事の権限を二つとも握ってしまう、こういうことによって、私はあなた方が意図されたことよりも、弊害の方が大きくなってきているのではないだろうか、こういうことを非常に強く感ずるのであります。私はこれらの問題を調べながらふと思ったのでありますが、野間宏さんが「真空地帯」の中で、正確には記憶をいたしませんが、たしか兵営というのは条文で支配されて、鉄条網で囲まれた一丁四方の空間であって、人間はその中で人間の要素を取り去られて兵隊になると、こういうことを書かれておりますが、いまのような
人事権を
武器にした
官僚的な
統制支配が
教育の場に持ち込まれることによって、このような
教育行政の中で、
教師は
教師の要素を取り去られて
管理職となっているのではないか、私はそのことを深く憂えているのであります。だからここで
文部大臣にぜひ御
見解を承りたいと思いますことは、たとえば
鹿児島県のように、三代、十数年にわたって、
文部省から
教育長が派遣をされた、それがいまでさえも
全国にたった三県しかない、その
一つの県に、十数年、三代にわたってそういう
行政官の――初代の人は必ずしもそうでありませんが、
行政官の
教育長が
文部省から派遣をされた、その上にそれでも足らぬというので、今度は二十代の
人事主管課長を派遣をした、完全に
人事権を統制権力として使って、いま私が挙げましたような多くの事例、まだここにこんなにあります。こういうものをずっと積み重ねていくことによって、確かに
教育委員会の意図どおりに
現場を支配するということについて、現象的には成功しつつあるかもしれない。しかし、そのことによって、
教育の
現場に起こっている
行政不信、その
行政不信がもたらす
現場における
校長と
教職員との
連帯感の喪失、そのことがもたらす
鹿児島県
教育の荒廃を私は何とかしなければならぬと思うんであります。この際、このように長期にわたって、
文部省出身の若手の
官僚が
教育長の座を占めているようなところについては、やはり
教育長の選任について、ここでどうしろと私は申し上げる
立場ではありません。いろいろと反省し、検討をしてみなければならないような実情が起こっているのではないか、こう思うんでありますが、
文部大臣の御
意見を伺いたいと思います。