○秦野章君 最後に、
中国から留学生を大量に海外に派遣するという情報があるし、ある程度文部省あたりも接触をしておられるわけですが、さしあたりは、聞いてみると研修生四百名程度で、もうすでに大学を出た人
たちを短期に講習していこう、これに対する受け入れというものは全国の大学で何とかなりそうだという話なんです。実は、
中国から西側社会に留学生を大量に派遣するという、何といいますか、
中国の放胆といえば放胆、大変なテクノクラートの養成と言っても、
中国は実学的でしょうからマネジメントみたいなものも当然入るでしょう。いずれにしても大量の留学生を派遣するという
中国の、特に西側社会にそれだけのことをやるというそうある種の勇気というか自信というか、これに対して
日本側が受け入れる一体
哲学は何だろうか。これは実は、私は本当は
総理とか文部大臣の問題が大きいと思うんですけれ
ども、しかし、安全
保障の角度で考えますと、これは
外務大臣として、特に有力な閣僚でいらっしゃるので、私の考えが間違っているかどうか聞いておいていただき、それで御所見を承りたいと思うんです。
一番最初に申し上げたいのは、共産主義の野望と資本主義の欲望が便宜的に結婚したという程度の
友好条約になってしまったら、これはたかが知れているし、もうどうにもならぬことだと思うんですね。そうじゃない、非常に大きな実験をやったんだと、またやっていかなきゃならぬのだという
一つの意欲といいますか、そういうことでいきますと、この留学生問題というのは、要するに若い人でこれは未来の国家を担うんですから、こういう人
たちを大量に西側社会に送って、特に
日本がこれを受け入れるということについて旧来の留学生パターンで受けとめているようなことでは、これは下手をすりゃ反日文書をつくる程度になってしまうかもしらぬし、私は大したことはないと思うんですよ。
ここで、私は、留学生問題というものを、まあ
総理も言われますけれ
ども、心と心というか、イデオロギーにとらわれないような、そういうような方向で
日本の文化も理解してもらう。そういうような大量の留学生取け入れということについての新しいビジョンというか新しい実験というか、これはリスクがあるけれ
ども、それに踏み切ろうというのか。もしそれに踏み切るならば、これはそれに恥ずかしくないだけの相当の巨大投資もしたらいいと思うんです。これは議員会館ぐらいのを三つ四つぶっ建てたって構わない。そして留学生についはASEANが
先輩ですね、
先輩のASEANをやっぱり大事にしなけりゃいかぬ。むしろこれはまぜくっちゃった方がいいかもわからぬですよ。そうして本当に
アジア全体について、対決の
哲学を離脱して、何か未来に向かっての新しい文化を築くんだというような心意気というものを
日本の政治が持てるなら、大量の留学生を
日本が消化するという、そういう政治を創造すべきである。これは政治なんです。教育だけれ
ども政治なんですよ。それができないなら、中途半端なことなら私はやめた方がいいと思うんです。中途半端なことならろくなことはないから。
ASEAN諸国の留学生でも
日本は
一つの経験を踏んでいった。しかし、これは私はそういうことについて
日本に一体可能性があるであろうか。私は国際的な文化的な公共投資だと思うんです。景気回復の公共投資も結構だが、平和回復の公共投資であり、そして文化と国際化というものを、特に
アジアの中で厳しく対立をし続けることを避けなければならぬ。それに備えて、未来の若者を留学生として消化していくということなら、何かここに新しい実験というようなことで、われわれの方も大きな自信と勇気を持って、そして文部省が、いままで留学生の投資は五十三年度は三十何億で大したことないですよ。今度留学生について宿舎や何かつくるからというので七十億か何か概算要求をしているようですけれ
ども、これも大したことはないと思うんですよ、この
日本の大予算から見たら。
私は、
外務大臣にはわかってもらえるような気がするんだ。国際的な文化的な投資で、景気回復より大事かもしれぬというような、そしてこれはまさに未来に向かっての安全
保障という性格を持つはずなんです。そういう安全
保障こそ大事なんだというようなことで、ひとつリーダーシップを自民党
政府が発揮して、とてもこれは役所の仕組みや――文部省がやりゃいいと言ったってそれは無理なんです。実際無理ですよ、行政改革の例を見てもそうだけれ
ども容易じゃないんだ。そして宿舎をつくったらこれは単なる物的施設ではない、そこには名だたる教育者がやっぱり館長に座る。そしてそこで寝て飯を食うんじゃない、そこで
日本の文化を理解してもらう。そうして国が違った人
たちもそこで話し合いをして、スキンシップで
アジアというものを考えるということも可能でしょう。そういう管理体制も新しい管理体制で、留学生会館なんというものの管理体制なんというのはどうしようもなかった。そういうものを離脱して、ひとつそういうような方向の大理想を掲げることで果たしていけるのかどうか。
私は、留学生については立法化の問題が、
外務大臣、あると思うんですよ。余りつまらぬことを言っちゃいかぬ。昔、旧制高校は、聞いてみると聴講生で入れて、そして試験をやっていけば卒業さしたんです。いま入学試験は地獄なんです。これはまず試験を極楽にしてやらなければだめだ。そんなものはせぬでいいですよ、中で試験はある程度やらないといかぬでしょうが。それから卒業年限はいままで何年とかちゃんときっちり法律で書いてあるわけですね、それから入学資格の年まで。そういうもので私は立法化が必要だと思う。われわれも立法化の問題については研究するけれ
ども、そういうことにして少し大手を広げて、オープンになって、これが安全
保障の文化的な国際的な、まあ言うならば最もユニークな安全
保障の中央突破なんだ、そういうような意気込みがあるのならひとつぜひやっていただきたい。こういうことでひとつ
園田外相の推進力を期待したいと思うんですが、その所見をまず承りたい。
いま
一つは、
アジア――有色人種のことばかりやっていると、またこれ白人
世界ですからね、いま
世界は。これまたなかなかむずかしいわけですよ。そこで、これは私が提案して文部省が通常
国会にどうやら出すらしいけれ
ども、外国人を
日本の官公立大学の教授に正規に採用するということを立法化するわけです。これは先進国で
日本だけそれをやってないわけですよ。学問の
世界に国境を構えているんですよ。そういうことをやっておったら、これまた安全
保障ではよろしくないわけです。だから、できればモスクワ大学と、たとえば
東京大学でも外国語大学でもいいから、こういう教授の交流をやる。大学の封鎖性に横から風穴をあける。学問研究にも国際的競争原理を適用する。これは文部省の所管なんです。外国人を国公立大学に入れるのは。ところが文部省にやらしたって文部省だけでできない、これは外務省なんです。しかも安全
保障であり国際化なんですよ。私は、できれば一番先にモスクワをやったらいいと思うんです。モスクワ大学では、聞いてみると、経済学はやっぱりいまや計量経済学らしいんだ、資本論なんか余り読ましていないらしい。やっぱりこういうんだったら、外大でもいい、そういう国際交流をやる。
北京大学ともやったらいいと思いますよ。学問研究は何といっても私は大事であるし、そこらのところに、知識人とか
指導者というものに安全
保障についての新しい
考え方をお互いに持っていくということが平和に対する非常に大きなファクターになるだろうと思います。
もう時間が来てしまいましたから、私一人でしゃべっちゃったけれ
ども、この
考え方を、きょう文部省は
局長しかおりませんけれ
ども、ひとつ、
外務大臣、私は平和を考えるときに、ある程度の軍事力がやっぱり必要悪として抑止力としてしようがない、そう思うんですよ。核も抑止力になっちゃった。しかし、未来を考えると、安全
保障は非常に広範に考えていかなきゃいかぬが、いろいろな勉強やテクノクラートの教育なんかに国境なんか必要ない。聞いてみると、
中国でももう出来高払いだとか、工場にはもう共産党の
委員会をやめちゃって工場長制度にしたとか、いろいろ中の改革もあるようです。私は、そういうことでだんだん近づいていくという、資本主義と共産主義の収斂が簡単にできるとは思いません。ソルジェニーツィンのように、そんなことを言ったら曲学阿世だと、こう怒られちゃう。しかし、ガルブレイスなんか言ってますよ、やっぱり不可能じゃないだろうと。何かこの資本主義、社会主義の収斂の道ということを
政治家が模索をしていく、学者も模索をしていく。いろいろな学説も出ていますけれ
ども、私は、そういう意味において、学問研究についてぜひともひとつこの国際協力を西側諸国ともやらなければいかぬが共産主義諸国とやってよろしい。そういう方向で外務省、
外務大臣がひとつ大きな推進力になっていただくことを心から要望しまして、その所見を伺い、特に
中国の留学生の問題、ASEANを含めての問題、ひとつ
決意のほどを伺って、私は終わります。