○戸
叶武君 どうもこれはのれんに腕押しというのじゃなくて、がっちりそういうふうに真っ向から受けとめられると次の質問の出ばなを折られちゃうのですが、しかし、それだけに体を張っている
園田君は男だな、やっぱり女がほれるのも本当だなという感じがします。
いずれにしても、私
たちは、遠くのことでなくて、特に隣で苦しんでいる南北朝鮮の苦悩に対してはもっといたわりのあるものを持たなけりゃ、
日本の伊藤博文を、信義を裏切られたがゆえにクリスチャンであり教育者であった安重根が身を殺してハルビン駅頭において民族を偽った者としてこれを倒しておりますが、伊藤博文の浅学非才からカイザーにおだてられビスマルクにおだてられてドイツ憲法にもないような統帥権を挿入して明治憲法を台なしにした点。あるいは軍部を天皇の股肱の臣なりとして、いわゆる前線において、
有事立法どころか、軍が勝手な行動ができるような余地を残した点。
日本と
中国との戦火が昭和十二年七月七日に始まったときにも、真相を宗哲元にしても何應欽にしてもきわめようとするのに、また陸軍参謀本部の中には石原莞爾将軍のような見識人があり、陸軍省の軍務
局長には柴山兼四郎君のような見識人があっても、前戦連隊長の牟田口何とか——ムダクチと言うんだから余りいい名前じゃありません、これが聞かない。それでついに
戦争への道を食いとめることができなかった。そういうシビリアンコントロールどころか、前線でこれは大変なことだという前線部隊長の受けとめ方によって戦火を開いたら、どんな人の力でもなかなか
戦争を抑えることができないのです。
有事立法を口にする前に、
戦争への道を封ずるような、自分だけじゃなく
相手にも封じさせるような手を次から次へと先回りして打っていくのが
日本の平和
外交の躍動する姿ではないでしょうか。それができないような外務省はなくしてしまった方がいいのです。それをなすことのできないような見識を持たない
総理大臣はとっととやめてもらいたい。これは今日の
総裁選挙で大平さんと中曽根さんの争いの
課題になっているようですが、あの
人たちの争いの中にわれわれは巻き込まれたくはないが、心して
日本の今日置かれている
立場というものを把握しなければ、
国民はばかじゃありません、本物と
にせものの見分けをちゃんと見詰めておるのであります。だれが
次期政権を担当するようになっても、この道以外に
日本の行く道はないとひたむきに行けるような
外交の
基本的な
精神並びにその実績をいまつくるのが今日の
課題です。
二十一世紀まであと二十二年、第二次
世界戦争後三十三年、二十二年のうち
日中平和友好条約の期間は十年です。中期的な期間です。十年を見守るのでなく、今後の一年、今後の二年、今後の三年が
世界の
戦争を食いとめるために全
世界の人々の
協力を求めなければならないときであります。あなたが国連に行ったときに、
地域婦人会の
人たちも平和を守るために、原爆
戦争をなくさせるために、母として婦人として全
世界の人々に訴えたあのけなげな
精神というものは、
アメリカの
人たちにおいても、
日本人が遠慮して原爆のことを口にしなかったが、原爆は
日本だけの
課題ではない、核
戦争は
世界全体の滅亡につながるという形で平和運動が最もノーマルな形で大衆の中に私はよみがえってきたと思うのであります。未来はこの平和を好む婦人と未来を安かれと祈る青年
たちの手に託されなければならないのであって、
戦争の惨禍を知らないむちゃくちゃな連中に若さとばかさが同居して突っ走られるのでは、これはダンプカーの暴走と同じであって、あたり迷惑でございます。迷惑と信じないのは自分だけのことであります。どうぞそういう意味において、全体とは言わなくてもいい、少なくとも国の
政治の中枢にある
総理大臣とか
外務大臣は命がけでこの
日本民族の悲願を守り抜いていただきたい。
逃げても、インフレとデノミの波の中に昭和五年浜口雄幸は殺され、昭和七年二月九日前の大蔵
大臣井上準之助は殺され、その年の五月十五日に犬養毅も、話せばわかると言うが、話し切れないうちにピストルで命を消されたのであります。本当にそのときとそれ以上に厳しい
世界の渦が巻き、絶望的なテロリストは至るところに出没しておりますが、テロに対する警戒よりも、テロの余地、
戦争の余地を与えないような
政治の姿勢がいま一番大切で、
政治家の
責任は、教育者や医者にいろいろな泥をなすりつける前に、まず
政治の姿勢を改めることが大切ではないかと思うんです。いまのような金のかかる
政治、ずうずうしいやつがまかり通る
政治、
にせもの横行
時代の
政治、私が
国会で言わなくても、
国民は皆それを憂えているんです。
どうぞそういう意味において、今日
アジアにおいて南北朝鮮も苦しんでおります。自主的な話し合いによって統一の悲願に対してじゃまをするようなことはしてもらいたくない。ベトナムと
中国との
関係、カンボジアとの
関係も悪化しております。しかしながら、冷静に物を見詰め、実態を把握し、軽々率々に、あのアラブとイスラエルの戦いのような中東の禍乱はイギリスのバルフォア宣言以来の帝国主義謀略の過ちであり、また、その後における
米ソ角逐の
責任なしとは言えないのであります。しかしながら、いま
米ソに頼って血を流しても得るところはないという反省がアラブからもイスラエルからも起きてきていると思うのであります。どうぞそういう意味において、
世界は
危機に直面しておりますが、再び朝鮮
戦争やベトナム
戦争のような惨禍を起こさせないための
努力というものが
日本としては最大の関心事になってくるんじゃないかと私は思います。
ソ連に行っても、あなたもずいぶん攻撃を受けているが、しかし、やはりあれは
日本人だということなっております。私もクレムリン宮殿の最高幹部の部屋で、
ソ連共産党と
日本の社会党は違うんだ、
ソ連の共産党はプロレタリア独裁の名によって国の運命を決する権限があるかもしれないが、
日本は人民主権の国である。社会党たりと共産党たりといえども、
国民の合意を得られないような
条件のもとに
平和条約は
締結できないんだということを言い放ったのであります。本当のことを言ったんだから後じゃ憎まれないで、
戸叶さん、あれは
日本人だという証明になったようであります。在野の
政治家だから勝手な放言もできるんですが、
園田さんもなかなか窮屈なかみしもを着ておりますから、すべからざるは宮仕えと言いますけれども、その地位にある間は、毒舌家の私は、心はやさしいが、あなたが途方に暮れたときに、一
福田首相の忠犬ハチ公ではだめだぞと言ってあなたに気合いをかけたことがあります。大変失礼なことでありますが。
田中正造以来の在野の
政治家は、田中正造が私の生まれた一日後に牢獄から出て叫んだ声は、野獣のような
戦争はすべきではない、全
世界の陸海軍を廃止しなければならないと、明治三十六年二月十二日、掛川在の南郷村で参議院の議長をやっていた河井さんのお父さんの主催の政談演説会で述べております。この予言者の声を私はヨハネの声のように受けとめております。二十歳にして浅沼とともに半殺しになった軍事教育反対の反軍国主義運動を早稲田大学の一角で起こしたのも、この田中正造の在野
政治家の貫く抵抗の
精神を実践したのにすぎないんです。
どうぞ朝にあると野にあるとを問わず、
日本人は武器をとって戦っても強かったが、それ以上に平和の使徒としてローマに進軍したペテロ以上の情熱を持って平和の
世界をつくり上げたという記録を——あなたの力なら
福田さんでも引っ張っていけそうなものだ。
福田さんは頼り気ないようなところがあるが、しんはしっかりしたという評判もありますが、評判倒れということもありますから私は保証はできません。どうぞあなた
たちの総裁、あなた
たちの
総理大臣に担いだ以上は、終わりを全うして、あいつはインチキ
政治家だというようなそしりを受けないように、
政治家の生命は見識であり、
政治家の評価は棺を覆うて初めて定まる、その進退によって決するのでありますから、進退を間違わせないように御苦労のほどをお
願いし、私の質問を打ち切ることにいたします。