○
土井委員 問題はそういう
言葉のやりとりの
きれいごとじゃないんで、具体的に何を
努力して実現さすための
政策を実行していくかというところにあるわけでございますから、そういう
意味も含めて、ただいまから、この
日中平和友好条約の
中身に関連をする基本的なことについて少し
お尋ねを進めたいと思うわけでございます。
日中平和友好条約の第四条という
条文でございますね、この第四条という
条文が誕生するに至るまでの
過程が実は大変大きな問題であったということは、これはだれしもがただいま認識しているところでありますが、
条文で申しますとこれは実に簡単な
条文でございまして、第四条「この
条約は、
第三国との
関係に関する各締約国の
立場に影響を及ぼすものではない。」こう簡単に書いてあるわけなんですね。ところで、この第四条に言うところの「
第三国との
関係に関する各締約国の
立場」というのは、申し上げるまでもなく、第二条に言うところの覇権に対して反対をする。「
アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。」とあります。第二条でございますね。これは簡単に言って反覇権というふうに私
たちは
表現をしているわけでございますが、この反覇権の問題に対して、
日中間で解釈に若干の隔たりがあった。そうして、
わが国の
立場からすると、ソビエトは恐らく、この反覇権条項を入れることによって態度を硬化させるかもしれない、そういう危惧に対して配慮をして、その危惧を薄めるために
努力をした結果が第四条の条項となっているというふうに一般的には解釈をされているようであります。
私は、きょうはここに、その間のいろいろな
努力の足跡について中江要介
アジア局長が書かれている一文を持ってまいりましたが、この文章を読んでみますと、いろいろな点で少し
問題点はあるようでありますが、事いまここで私が申し上げている点について書かれている点を、少し読んでみたいと思うのです。
「経済と
外交」という、
外務省が出していらっしゃる、ことしの九月号の
内容に「「
日中条約」締約交渉から学んだもの」という表題、これは中江さんがお考えになったのかどうか、こういう表題が掲げられていて、その文章の中に、交渉が非常に長引いたのは何がその理由であったか、こういうことが書いてあるのです。
理由の二つ目は
ソ連側にある。「右の新聞報道を見て、」というのは、
日本において書かれた「
中国側が「反覇権条項」を
条約に入れて反ソ姿勢を打ち出そうとしているからだ、と報じた。」
日本の新聞の報道を見て、「当時のトロヤノフスキー駐
日ソ連大使は、公然と「
日中条約」阻止のキャンペーンを始めた。泥棒は、まず、
自分ではない、と言い張る。何故、
ソ連は、「反覇権条項」にムキになって反対せねばならぬのだろう。」
さて、長引いた三つ目は
中国側にある。「
ソ連がそういう態度に出たからには黙っておれない。是が非でも「反覇権条項」は
条約本文に、“そっくりそのまま”入れるべし、と言い出した。
日本の方で一寸でもこれに手を加えたり、解釈を口にしたりすると“「
共同声明」から後退してはなりません、前進すべきです”の一点張りである。」こういうふうに書かれていて、そうしてさらにこの文章の終わりの方で、「とにかく交渉は妥結した。
中国は前半戦で「反覇権条項」を
条約本文に入れることに成功して」というのは、私が先ほど申し上げた第二条の部分に入れることに成功して、「大量得点をあげていた。
日本は後半戦で、対
第三国外交のフリーハンドを確保して」というのは、ただいま私が問題にしている第四条でございますが、「一挙に追い上げた。見応えのある一戦であった。いい勝負であった。つまり「双方が満足できる形で」まとまった。」こう書いてあるのです。
こういうことから考えてまいりますと、
日本にとっては、ソビエトの危惧を薄めるために
努力した結果、この第四条の条項というものができて、これは
日本の
努力が実ってこういう
条文になって、双方満足するというこの
条文の体裁になった。これはいわばそういう
政治的配慮のための
条文というふうに解してよろしゅうございますか。いかがでございますか。