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栗林卓司君 全くおっしゃるとおりでありまして、循環的赤字が幾らあるかというのは、これも事後的に確かめるしかない。というと、いまおっしゃったのは循環的な赤字が減ってくる過程、それを見ながら構造的な赤字をこれはもう増税によらざるを得ないということになって初めて本当の政策になるんじゃないか。ですから、おっしゃったとおりでございまして、ただそういったものをわかるように整理をしてぜひ出していただきたい。これはもう毎年この議論をしながら、なかなか
経済企画庁のお仕事と大蔵省のお仕事と、今度金融マーケットを見ている日銀の仕事というのがくっつかないんですよ。みんなめいめいになっておりましてね、その
意味ではこれをひっくるめた整合性のある議論をしてもらいたい、
大臣に
お願いしますと、その都度御担当の
大臣がそのとおりだとおっしゃりながら、なかなかなんでございまして、こういう時期になると、それもきちんと詰めておくことが、話が遠いようですけれども結局は期待利益率の計算ができるようになるし、それぞれが自分の計算で
設備投資ができるようになる。それがないと従来だったら九〇%の稼働率だったら再
投資をしようかというのが九五になっても
考えちゃっている、冷え込みになっているだけにぜひよろしく
お願いしたい。
今度は個人の家計で
考えますと、個人消費もやっぱり伸ばしていかなきゃならぬ、伸ばしてもらいたい、こういう御期待がありますけれども、その不安感を何で消していったらいいか、これはさっきの貯蓄とも絡むわけですけれども、何で収入がある
意味では豊かでないのに二五%近くの貯蓄性向を持っているんだろうか、これはもう
大臣御承知のとおり老後の問題とか住宅とかなんとかということが常に貯蓄の
目標になり、近ごろの
不況のさなかにあってさらに貯蓄性向が加速化されておるんだろうかと
考えますと、私はこんな気がするんです。いま半均寿命は男女含めて七十歳を超しました。いわば人生七十年もしくは八十年と言っていいと思うのですけれども、昔は人生五十年、そこまでの変化を何と二十年そこそこでやっちゃっている、ということは、いま
日本の持っております年金制度というのは制度として見るとりっぱなんだとおっしゃいます、私もそうだと思います。ただ制度の成熟を待っていられない。また片方で住宅をと
考えますと、これも御承知のことですけれども、明治初頭はせいぜい三千万ちょっと、現在一億一千万、それだけの変化を何と百年そこそこでやっちゃった。通常の住宅政策では間に合わない。しかも四倍にふえてきた中で、
産業立地をめぐって民族大移動が起きた。年金にしても住宅にしても、いま国民は必死になって貯金しているけれども、とうていそれではどうにもならぬ。
これに対してやっぱり私は政治が答えを出していかなきゃならない。
公共投資優先だというと乗数効果の話ばっかり出るのだけれども、なぜ年金とか住宅——住宅は今回は重点的にお
考えのようでありますけれども、年金を含めて思い切った提案が野党から出るかというと結局いまの話なんです。年金制度にしても時間がたてば成熟するんです。したがって、モデルは幾らって話をされますけれども、わずか二十年そこそこで人生五十年から人生七、八十年になっちゃう、とうてい対応ができない。そうすると年金にしても住宅にしても、あわせて中長期の政府としての国民にわかる計画を立てていかなきゃならない、医療にしても同じだと思います。医療になりますと、これから高齢化社会に入ってきます。ほうっておいたって一人当たりの医療費はやがて二、三十年もしてまいりますと現在の一・八倍になる、一体どうするんだと国民だれでも
考えたらわかる。だけれども答えが出てこない。そういうものがさらに貯蓄性向を高めて、いまの不
景気の足を引っ張っている。同じようにそれもこれも含めた
経済政策、その
意味で
昭和五十年代前期
経済計画を見てやはりいけないなと思ったのは、それまでは
経済社会基本計画と言っている。五十年代前期は社会を落っことしちゃった。やはり五十年代前期
経済社会計画と、今度
見直しをするときにはタイトルも変えながら中身はいま申し上げた庶民の関心事について政府としてはこういったプログラムです、五年たったらこうなりますということもやはりお書きになる必要がある。それも
景気対策ではなかろうかと思いますが、いかがですか。