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降矢敬義君 いま
お話がありましたように、私も基本的には全く同じ認識を持っています。
で、もう
一つは、大きな災害とともに、
過疎の村あるいは常備消防のいないところにおきまして、山岳遭難とかあるいは行方不明者、水難事故、そういうものについて、やっぱり一番最初に現場で指導しているのは、御
承知のとおり、私は消防団だと思うのであります。いま長官の
お話がありましたように、私はこの処遇
改善の面でもう少し御検討願いたいなという点を、時間がありませんので簡単に指摘をいたしたいと思います。
第一は、公務により負傷したり死亡したりすることの補償については、消防組織法の十五条の七に書いてあるわけでございますが、やはりそこには、消防としては
一つの部隊活動でありますから、
市町村長あるいはそれにかわる消防団長、そういう上司の指揮命令のもとに活動をするというのが普通の形態であり、その場合にはきわめて明確に公務だと認定できる場合があるわけでありますが、実際は、冒頭申し
上げましたとおり、災害が多様化しておって、非常に突発的な事故に突発的に対応する、あるいは事実警察当局と協力をして、たとえば行方不明者の捜査に当たるという事例が最近多いわけでございます。すでに私も新聞で
承知したところでありますけれども、
救急隊員が待機中に、まさに待機中に子供が犬にかみつかれる、そこで、子供の命を守るためにみずから犠牲になって、一週間以上のけがをしている。これだって
考えてみれば
救急という仕事をやっているんだから、それで待機している間にやっている、何ら上司の命令を受けるいとまも全くない。しかしながら、こういうものにつきましても、やはり消防という意識の中で、人命救助を第一の任務にしなきゃならぬという意識のもとに、当然、
自分はいま
救急のために待機しているんだというのも忘れて出ていることでありますし、そういうことについて、公務災害として認定をしていただけるのかどうかという問題もあったようでございます。私は、それは当然公務災害として見てあげなきゃならぬというふうに思っているわけでございますが、事実、消防庁の方でもそういうお取り扱いをしたように聞いておりますので、大変ありがたいと思っているわけでございます。
それからもう
一つ、私はすでに消防庁の方にもいろいろ御研究を願っているわけではありますけれども、わが山形県の大蔵村で、五十一年の十二月の七日に、行方不明者の捜索活動というものについて、消防団員が警察官と協力をしてその行方不明者の捜索に当たり、それが同時に死体になって発見されている、それを引き揚げる作業に従事しているとき――わが大蔵村というのは山形県でも屈指の大雪の地帯であります。常時五メートルを下らない大雪の地帯であります。そのような豪雪を冒して、警察官とともにいまの行方不明者の捜索並びに遺体の引き揚げに従事している間に、
自分が足をすべらして、十メートル以上の断崖に墜落をして亡くなったという事故がございました。
この事故をめぐりまして、警察官に協力してやったという、警察官に対する単なる一般の協力者として取り扱うか、それとも、はっぴを着て活動しておるので、やっぱり消防の活動の一環として取り扱うかという問題について、山形県内でも非常にいろいろ議論がありまして、結局のところは警察官に対する協力者として取り扱われたわけであります。しかし、実際働いている、現場に行った消防の人
たちの意識というものは、冒頭申し
上げたとおり
自分たちの使命であると、つまり、災害の多様化というものに対して、消防がこれからいろんなことをやらなきゃいかぬのだという非常な使命感に燃えて実際は行動しているわけでございます。
事実、単なる行方不明者のままであったならば、恐らく警察とともに活動しているとしても、消防の
一つの活動として
考えておった。たまたまそれが同時に遺体として見つかったという事態が、遺体の引き揚げというようなことにあるいは認識が変わったのかもしれませんけれども、こういう全体のこの事件の過程を私は
考えてみますと、どうしてもやはり現地の消防団員の活動、それを支えている意識というものは、私が冒頭申し
上げたように、やっぱり郷土を守り、人命を守り、財産を保護するという非常に意識に燃えていまして、単に上司の命令がどうであったかどうかということはしかく鮮明でないにしても、あるいは警察官にそのとき協力を要請されたからということであっても、彼らの働いている意識はまるで違うのであります。その辺のやっぱり今後の扱い方――結論を申し
上げますと、この事件は警察官に対する協力者ということで処置されたわけであります。しかし、金銭的に言うのは私はいやでありますが、結局いろんな
福祉施設の給与もなければ、実際いただく遺族給与金の金額も違いますし、それよりも大事なことは、消防としての士気の高揚に非常にこの事件の取り扱いが影響を与えている点でございます。
私は、こういう問題をずっと振り返ってみますと、やはりこれからの消防活動というものが非常に幅広くなっていくだけに、やはり公務災害、公務補償あるいは長官が言われましたような消防の表彰、この場合も恐らく公務であれば職務上死亡者ということで長官表彰規程によって表彰を受け、ときによっては報賞金もいただき、あるいは賞じゅつ金というものも規程によってちゃんといただくことができたんじゃないかと、私はこの事件をずっと振り返ってみて、その感を深くするのでございます。
そういう
意味合いにおきまして、私はいま具体的な事例を
一つ申し
上げましたけれども、私が一番やっぱり気にするのは、いま長官がおっしゃったように、これから消防団というものがどうしても地元の守りとして活動を拡大していきたい、そのための精神的な支えというものを、同時に彼らの士気の高揚というものを、こういうささいな、いわば事務的なと言うと恐縮でありますけれども、形式的な取り扱いのもとに抹殺されてしまうということは、県全体の消防団の活動に非常に影響を与えると思うのであります。つまり、社会が動いておれば動いているほどこちらの対応も非常にむずかしくなり、同時にそれに対する精神的なあるいは物質的な支えというものについても、弾力的にぜひ対応していかなきゃならぬのじゃないかということを非常に痛感しているわけでございます。今後大地震
対策の特別立法もできますし、あるいは、もっと前には、私が経験した雫石のあの日航と自衛隊機の衝突のときにも、一番働いたのはやっぱり消防団であります。そういうような多様なる活動をどうしてもまずやらなきゃならぬような事態にだんだんだんだんと迫られ、またそれを避けておったのでは消防活動というものは鈍ってまいります。
そういう
意味合いにおきまして、私はいま具体的な事件を通してこういう問題に対する基本的な
考え方、つまり、もう少し具体的に言うと、現場的には警察官の活動に協力したというような
かっこうになっておっても、果たしてそれが単なる一般の協力者と同じように扱えるのか。同時に消防団として、はっぴを着て――はっぴを着ると御案内のとおりあの人
たちも非常に張り切るわけであります。事実、やっぱりそういう精神に立ち返るわけであります。常時働いている職場を捨てて、はっぴを着た瞬間からまるで別な人間になって働いていく、そういう訓練をしているわけでありまして、そういうことを踏まえまして、私はこれからの、ひとつこういうものに対する
考え方というものをぜひ明確にしていただいて、そして消防団の諸君も安心して働けるような御
措置をぜひお願い申し
上げたい。その点について長官のお答えをいただきたいと思います。