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1978-03-23 第84回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年三月二十三日(木曜日)    午前十時開会     —————————————    委員の異動  三月二十二日     辞任         補欠選任      福間 知之君     志苫  裕君  三月二十三日     辞任         補欠選任      玉置 和郎君     下条進一郎君      秦野  章君     小澤 太郎君     目黒朝次郎君     勝又 武一君      太田 淳夫君     矢追 秀彦君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         鍋島 直紹君     理 事                 戸塚 進也君                 内藤誉三郎君                 中村 太郎君                 宮田  輝君                 竹田 四郎君                 吉田忠三郎君                 多田 省吾君                 内藤  功君                 栗林 卓司君     委 員                 浅野  拡君                 糸山英太郎君                 小澤 太郎君                 亀井 久興君                 亀長 友義君                 熊谷  弘君                 下条進一郎君                 田代由紀男君                 夏目 忠雄君                 成相 善十君                 林  ゆう君                 真鍋 賢二君                 三善 信二君                 望月 邦夫君                 八木 一郎君                 山本 富雄君                 大木 正吾君                 勝又 武一君                 志苫  裕君                 高杉 廸忠君                 野田  哲君                目黒朝次郎君                 安恒 良一君                 相沢 武彦君                 矢追 秀彦君                 矢原 秀男君                 渡部 通子君                 山中 郁子君                 井上  計君                 市川 房枝君    政府委員        大蔵政務次官   井上 吉夫君        大蔵省主計局次        長        松下 康雄君        大蔵省主計局次        長        禿河 徹映君    事務局側        常任委員会専門        員        菊地  拓君    公述人        日本経済調査協        議会専務理事   青葉 翰於君        日本労働組合総        評議会事務局長  富塚 三夫君        東京大学教授   金澤 夏樹君        谷山税制研究所        所長       谷山 治雄君        文教大学教授   菊地 幸子君        東京教育大学教        授        金子 孫市君        教 員      平田 善作君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和五十三年度一般会計予算内閣提出衆議  院送付) ○昭和五十三年度特別会計予算内閣提出衆議  院送付) ○昭和五十三年度政府関係機関予算内閣提出、  衆議院送付)     —————————————
  2. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  本日は、昭和五十三年度予算三案について、お手元の名簿の七名の公述人の方から、それぞれ項目について御意見を拝聴いたします。  一言ごあいさつを申し上げます。青葉公述人及び富塚公述人の御両人におかれましては、御繁忙中にもかかわりませず、貴重なお時間をお割きいただきまして本委員会のために御出席をいただきましたことを、委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。本日は忌憚のない御意見を承り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じております。よろしくお願い申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。まず、お一人十五分程度の御意見を順次拝聴し、その後、委員の質疑にお答えいただきたく存じます。  それでは、順次御意見を承ります。まず、景気動向に関し、日本経済調査協議会専務理事青葉翰於君お願いを申し上げます。青葉公述人
  3. 青葉翰於

    公述人青葉翰於君) ただいま御紹介をいただきました青葉でございます。  わが国の今後の景気動向につきまして私の所見を求められましたので、簡単に要点を申し上げたいと思います。  まず、出発点といたしまして、昭和五十二年度経済をどのように見るかということから申し上げたいと思います。  五十二年度は、もう終わりになってまいりましたが、昨年十二月に政府が発表いたしました改定見通しのとおり、本年度実質成長率五・三%はどうにか達成されるであろうと思います。しかし、内容から見ますると、民需が所期の伸びを示して達成したというよりも、むしろ名目の伸びは思ったより低かったけれども、物価が予想以上に下がって実質成長率としては大体見込みどおりになったと言うべきであろうかと思います。景気浮揚のためにとられました各般の公共事業促進政策によりまして、五十二年度政府固定資本形成中心財政支出伸びを大幅に高め、これが経済をリードする要因となったことは皆さん承知のとおりであります。また、輸出は昨年の秋からの急激な円高によりましてその伸び率は鈍化いたしてまいりましたものの、これが財政を助けまして景気を支えてまいったのであります。しかし、年度間を通じまして国内民間需要はおしなべて弱いままに推移いたしまして、景気停滞感を強めてまいったのであります。生産伸びが低かったので当然のことでございまするが、輸入伸び悩みまして国際収支黒字政府改定見通しを大幅に上回って、経常収支黒字は百三十億ドルを超え、場合によっては百四十億ドルにも達するというふうに見られております。  次に、五三年度経済見通しでありますが、皆さんも御承知のとおり、昨年十二月中旬、政府実質成長率七%とする経済見通しを発表いたしております。これと相前後いたしまして発表されました民間主要機関見通しは、いろいろ前提は異なっておりまするが、低いものは、経団連ケースIの四・一%を初めといたしまして四%台が多くございました。高い方では、やはり経団連ケースIIといたしましたものが六・五%と推計をいたしておったのでございます。このケースI一般会計予算規模を三十三兆円と一応前提いたしておりまして、ケースIは三十五兆円と見ておったのであります。ケースIIの場合は、成長率が二・四ポイント引き上げられまする計算となりまするが、これにつきましては経団連としては、大型予算の編成の内容といたしまして、投資減税の実施、住宅建設のための優遇税制民間住宅ローンに対する利子補給、または宅地供給増加のための土地政策の再検討、電源開発石油備蓄設備投資促進などを前提といたしておったのでございます。これらによりまして六・五%程度成長が確保されるといたしまするならば、少なくとも経済の失速を回避して安定成長への移行を可能ならしめ、国際収支の面でも基礎収支均衡に向かうものと考え、経常収支黒字幅は六十六億ドル程度になるものと見ておったのでございます。  そこで、これも御承知のことでございまするが、政府が作成いたしました五十三年度一般会計予算規模を見ますると、前年度当初予算に対しまして二〇・三%増の三十四兆二千九百五十億円となっております。また、財政投融資計画は、前年度当初計画に対しまして一八・七%増の十四兆八千八百七十億円としておりまして、社会資本整備促進景気回復を早めるために融資部門より事業部門を重視しております。政府案予算規模は、経団連が期待いたしました大型予算には達しませんでしたけれども、かなりそれに近くなっており、また七%成長実現に対する政府の異常な熱意も感ぜられますので、私は当初は七%は無理だとしても六%台の成長は可能だろうと考えておったものでございます。  ところが、これまた皆さん承知のとおり、ことしに入りましてから、二月中旬から円に対する国際的な為替投機が再発いたしまして、一ドル二百四十円の線が破れて、いまや二百三十円の線が維持できるかどうかということになっております。  五十三年度輸出は、円高に加えまして特定商品数量規制の強化などによりまして、通関ベースで見ました数量伸びは今後マイナスに転じて、GNPで見ましても若干のマイナスは避けられないと考えられまするから、これまで成長率を押し上げてまいりました輸出が、五十三年度には景気の足を幾らかでも引っ張る可能性が出てきたのでございます。  過去の需給ギャップにより生じておりましたいわゆる意図せざる在庫増加に対する調整は、この夏から秋にかけまして一応完了するでありましょうが、主として各業界生産調整によって実現いたしました在庫調整でありますから、従来の景気回復期のように、積極的な在庫の積み増しが発生して生産が目立って上昇するということを五十三年度内に期待するのは無理であろうと思います。  公共事業関連業界や、自動車その他輸出伸びてまいりました業界等はすでに明るい状態にあるわけでございまするが、依然暗いものには化学製品、肥料、非鉄金属などがありまして、今日の実体経済状況は明暗が入りまじっているという状態でございます。そこで、総体といたしまして鉱工業生産は当分強含みながら横ばいを続けるであろうと考えられます。卸売物価は、円高の影響もございまして横ばいか、微騰程度に推移するものでございましょう。消費者物価も鎮静してまいっておりまするので、年度間に五、六%の上昇にとどまる公算が多くなったと思います。したがいまして、賃金は、これからの春闘でどうなるかわかりませんが、六%程度あるいはよくて六・五%程度上昇に落ちつくのではなかろうか、こんなふうに考えております。  五十三年度に期待されておりました公共事業中心の精いっぱいの景気刺激型予算効果は、二月中旬から最近までの予期せざる円高によって削減されるであろうということは言わざるを得ないのでございます。そこで、円高対策景気のてこ入れをねらいまして、政府並びに日本銀行は、先週の木曜日に公定歩合を一挙に〇・七五%引き下げまして、戦後最低の年利三・五%といたしました。これは予期に反しまして円高対策としては即効をあらわしませんでしたけれども、正攻法でございまして、いわば正しい定石を打ったのでありまするから、今後行き過ぎた円高を抑えるばかりでなく、景気下支えにはもちろん、浮揚圧力としてもそれ相応の効果を示すことは疑いを入れません。  金融面を見ますると、前述いたしましたように、実体経済動向を反映いたしまして依然緩和基調に変化は見られませんから、大量の国債、その他の公共債は円滑に消化されていくものと考えます。民間資金需要は引き続きまして低調でございまするから、五十三年度内に金利を引き上げるというような可能性はいまのところ考えられません。  五十三年度政府見通しが昨年十二月に発表されましてから後に生じましたプラスとマイナスの大きな二つのファクターを考慮に入れますると、現状では、五十三年度わが国経済は、五十二年度実質成長率でありました五・三%を維持する、すなわち五十三年度も五・三%程度成長を維持するということが精いっぱいではなかろうか、こんなふうに思うのであります。それでも在庫調整が完了する下期に入りますれば、国内民間事業にいわゆる底がたさを多少感じまして前途に明るさが出てくると思われるのでございます。  国際収支につきましては、黒字幅縮小いたしてまいりましょうが、経常収支で百億ドルを上回る黒字は避けられないものと思われます。五十三年度経済見通しを考えまする上に、円の対ドル価値の歓迎すべからざる変動をどう見るかということが大きな要素となってまいりました。  根強い円高傾向には二つ理由がございます。その一つは、もちろんわが国の強い輸出力が働きまして、経常収支黒字が累増してまいったことであります。もう一つ理由は、アメリカ経済インフレ傾向に根差しまして生じておるところのドル安であります。マルクやスイスフランなどもドル安に苦しんでおるわけであります。投機による思惑を封ずるとともに、米国基輔通貨国、キーカレンシーの国としての節度を求めますためにも、主要通貨国の間で何らかの為替レートについての協調する方式を創設することはぜひ必要だと思います。また、わが国自身といたしましても、対外均衡実現を図りまして黒字国責任を果たしまするには、輸出の面にもまた輸入の面におきましても多角的に具体策を工夫いたしまして、これを推進してまいるほかに道はなかろうかと思います。  七%の実質経済成長率経常収支の大幅の黒字縮小などの国際的ないわゆる公約がどうなるかということの議論もあるようでございまするが、今日の世界経済相互に深く影響し合っているのでございまするから、国際収支赤字国の側にも何ら責任がないということはないはずでございます。したがいまして、わが国といたしましては、黒字縮小に誠心誠意努力いたしました上で目標に達しない場合は、たとえば米国にいたしましても欧州にいたしましても理解が得られるものであろうと思うのであります。仮に日本が無理な政策をとりまして対外均衡実現をいたしたといたしましても、激しいインフレにでもなりますれば、結局は再びそれが世界にはね返ってまいりまして別な悪影響を与えることは明らかであるからでございます。  大体与えられました十五分になりましたので、一応、私からのお話はこれで終わらしていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  4. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) どうもありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  次に、雇用問題に関し、日本労働組合総評議会事務局長富塚三夫君にお願いを申し上げます。富塚公述人
  5. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 雇用不安への対応がことしの最重要課題であることはいまさら私から申し上げるまでもないと思います。特に失業が生む社会的、政治的コストを考えるとき、雇用の維持は国の最も重要な政策目標でなければならないし、その視点から現在審議中の五十三年度予算案について一口で言うなら、雇用創出拡大を期待することはできないと考えています。  この五十三年度予算案は、大型公共事業大幅増加による景気浮揚中心となっていますが、再三私どもが指摘しておりますように、大型公共事業をふやしてもその効果特定地域特定の資材に限定され、結局は大資本間の取引の拡大にしかならず、最終的にはこのような大資本省力化投資促進となり、全体の雇用不安の解消にはならないからです。同時に、このような膨大な公共事業が十分消化できるかどうかさえ疑問であります。  また、輸出中心産業経済政策転換の時期にあるにもかかわらず、この方向が不明確です。特に、内需拡大型の経済政策の推進のためには個人消費支出拡大が重要です。しかし、衆議院段階で三千億の所得税減税についての経過がありますが、この程度ではきわめて不十分であります。総理府の家計調査にも明らかなように、年々非消費支出割合が増大しており、実質所得が低下し、雇用不安が拡大する現状で、個人消費拡大が望めないことは余りにも当然なことです。したがって大幅な減税福祉的財政支出拡大が欠落していることは大きな問題です。  このほかにも多くの問題点がありますが、私は、雇用不安の解消のために、まず政府は発想の転換をすべきであります。大型プロジェクト中心公共投資ではなく、昨年のアメリカカーター政権景気刺激対策として計上した二百億ドルのうち半分の百億ドルを公共サービス部門雇用創出関連対策に支出し、年間百二十五万人の雇用創出を図り、低所得人々所得をふやし、これらの人々消費によって景気を刺激するという政策展開を重視すべきだと思います。特に、第三次産業頼み雇用環境の中で、しかも私的分野における雇用拡大が困難な今日の状況のもとでは、地方自治体中心となって公共サービス部門雇用創出を初め、雇用問題と積極的に取り組むことが重要で、このための必要な財政措置制度確立を緊急に整備することだと考えています。  また、日本輸出関連して国際的な批判を浴びている労働時間や週休二日制のいわゆる公正労働基準確立についての問題です。私は、三月十日、AFLCIOの代表と会談したのですが、この中でアメリカAFLCIOワード副会長は、貿易均衡問題に関連して、保護貿易主義を望んでいるわけではないが、国際貿易はすべて公正という方針であり、特に対日貿易では公正労働基準問題の早急な解決が必要だとの強い指摘を受けました。円の異常な高騰の中で相次いで政策の表明が行われてきましたが、五十二年度経常黒字が百四十億ドルにも達する情勢の中で、公正労働基準問題について積極性を示さない政府企業の態度がなお続くとすれば、事態は一層悪化することは明らかであります。政府雇用創出にもつながる週休二日制、労働時間短縮の具体的なプログラムをこの国会の中で明らかにすべき責任があると同時に、この国会で必要な立法措置を講じられるよう強く要請いたしたいと思います。また同時に、銀行法十八条についてもこの国会において削除し、金融機関完全週休二日制の道を開くべきだと考えます。  今日の雇用問題でもう一つの重要な観点は、産業構造、とりわけ地域経済あり方との関連であります。  総評は、いま重化学工業地帯農業地帯における雇用失業状況と、労働組合自治体雇用に対する取り組みの実態調査を行っているさなかですが、今日の段階で明らかになったことは、地域ごと実情はさまざまですが、地域から見た雇用問題は、高成長過程を通じてその地域を支えてきた産業が斜陽化することによってあらわれているということです。このような状況の中で、いま共通して出されつつある認識は、雇用安定のためには地域経済の復興をいかにして図るかという問題であります。  たとえば北九州市は新日鉄八幡を頂点にして、他のほとんどの企業はこれと深く結びついているし、地域小売業新日鉄に依存し、市財政も左右されているという縦型社会になっています。この中で、鉄鋼不況新日鉄が操短を続け、雇用調整を行うということによって、北九州地域経済が根底から動揺しているという現実があります。この段階では、縦型社会ではなく、周辺の企業自立性を高めていき、横で相互関連し、その中で雇用の確保を図っていく必要が指摘され始めています。  同じことは、同じく鉄鋼産業主体となっている兵庫県の尼崎市においても、鉄鋼資本が次第に尼崎市から撤収していく過程の中で、鉄以降の市経済あり方が問題にされつつあります。また、島根や北海道など、農業漁業主体にしている県においては、今後の農漁業再建農漁民労働組合自治体も取り上げ始めています。  以上の二、三の事例から指摘できることは、一国の産業政策あり方を、この際、抜本的に問い直すべき時期に来ているのではないかということであります。  高成長時代経済の大枠は、一つには成長率をどれだけ伸ばすか、二つには通産省主導による産業論三つには公的投資のための公的政策三つ政策体系で運営されてきたと言ってよいと思います。これらはいずれも中央集権的な産業政策であったし、行財政政策であったわけであります。この過程の中では、地域中央産業政策に犠牲にされたり、ひもつき公共事業の消化に追いまくられたりして、総じて受身の状態が続いてきたと言っても過言ではありません。このような政策体系が続く限り、地域経済立て直し雇用安定も展望が持てないことは明らかであります。  これからは、マクロ政策決定に、地域経済をどうするかという要素を入れて考えていくべきだと思います。地域中央における産業の二本立てでマクロ政策を決めることが不可欠です。西ドイツやアメリカの例でも、連邦政府は軍事や外交や一国的な財政金融政策を担当するが、産業州政府決定権が強いと言われています。とりわけ、日本産業構造素材型で、しかも大量生産方式重化学工業だけに傾斜している現状を改め、交通住宅教育福祉医療農業などの公的生活部門地域住民生活ニーズに基づいて誘導し、国民経済の全体の均衡を図る道をとるべきだと思います。特に交通住宅教育福祉医療などの領域は、地域自治体中心に、先進国の中で最もおくれておるという実態認識に立って早急に充実強化することが必要です。そして政府は必要な制度の見直しを初め、技術やシステムの開発に力を入れ、中期的な産業構造質的転換促進し、この部門投資を活発化し雇用吸収を促す方向に改めるべきだと考えます。  しかし、現実はそうはなっておりません。われわれの調査でも明らかになったことは、五十三年度予算が従来型の公共投資になっていることが第一の問題ですが、それに加えて、その投資大手企業に全部吸収されて、地元中小企業には少しも回ってこないという訴えが多くあります。北九州市の例では、受注があっても恐らく十一月ごろになると言われ、その前に倒産が続発するという状況にあると言われています。また、雇用サイドから見ても、兵庫県当局も言っていましたが、せいぜい大建設企業の飯場に日雇いなどの不安定雇用層がどれだけ吸収されるかというのが実態ではないでしょうか。  そこで、われわれとしては、公共事業発注先地方優先にすること、そして工事の一定部分を分離して地元中小企業に直接発注する方式の導入と失業者雇用割合を含め、安定的雇用確立などについて請負契約の中で特約するなどが必要だと考えます。  公共投資とも関連して地域経済を考えるもう一つ視点は、産業の活力をいかに高めるかという問題です。素材型の重化学工業だけが内生力を持ち、その他の産業内生力を培ってこなかったことは、新たな産業政策転換するとき大きな隘路になっています。そのために北九州尼崎の例のように、鉄の限界が目に見え始めたときに、それに代替し得る産業地域が持てないというのが実情です。したがって労働組合としてももちろんのこと、自治体業界の立場からも地域の条件に対応してどのような地域産業を構築するかに逢着しているのであります。  産業内生力を考えるときの問題は二つあると思います。一つは、技術力をどうつけるかであります。これは業界の力だけでは不可能ですから、自治体の援助を強化し、情報の整備共同研究などいわゆるソフトウエア的な政策自治体がとる必要があります。第二は、それにふさわしい労働力創出の問題です。このためには、高技能職種訓練プログラムの充実など、現在の職業訓練制度抜本的改革がどうしても必要です。  以上のような観点から地域経済立て直しを追求し、国民生活産業関連、そして地域実態を十分織り込んだ産業構造を考えつつ、雇用を安定したものにすることだと考えます。そのためにも、特に最後に強調したいことは、こういう問題について、労働組合初め農民団体、中小企業団体、消費者など関係団体の意見がきちんと反映される民主的な場が、中央及び、とりわけ地方段階——県や市町村レベルでつくられることが必要になっています。  最後に、雇用行政について意見を述べて終わりたいと思います。  雇用行政でいま最も問題と考えるのは、私たちの目から見て、意欲的な行政対応が全くと言っていいほどなされず、すべてが後追いとなっています。  政府労働省の姿勢はいましばらく雇用失業情勢を見守るというようにしか見えません。たとえば、労働白書で、低成長時代雇用吸収部門として、第三次産業特に医療保健と教育部門を重視しており、また、これを公共サービス部門という視点からもとらえ、雇用需要が増大する部門としてとらえながら、この雇用不安の深刻化している時期に、何らの具体的政策提起がなされておらず、雇用問題を経済政策の問題としてしか考えていないのでないかという疑問を持たざるを得ません。そして、その結果が不況や低成長なら不完全雇用はやむを得ないという発想と姿勢になっているのではないかとさえ感じます。問題は、雇用政策経済政策に隷属させることなく、仮に経済成長がゼロでも完全雇用を達成するという姿勢と、総合雇用政策官庁としての強力な権限を持つ、たとえば雇用省などの行政機関の新設が必要だと考えます。  第二の問題は、現在の雇用関係法の抜本的な見直しと体系化を早急に求めたいと思います。私どもが地方に出て言われることは、とにかく雇用関係の法律が大変わかりにくいということです。その原因の一つに、雇用関係の法律は、具体的基準などを政省令にゆだね、さらに関係通達まで見ないと理解できない仕組みとなっていることにあると思います。これはぜひ改めてもらいたいと考えます。  第三点は、雇用保険法の加入状況についての疑問です。わが国の民営の事業所数と雇用保険法の適用事業所数を統計資料を参考に加入率を試算してみますと、驚くことには約六〇%の事業所が雇用保険に未加入という結果が出ています。政府雇用保険法の四事業を初め、失業防止措置について強調されますが、果たしてこのような状況政府の言うような機能を果たしているかどうかきわめて問題と言わざるを得ません。  また、失業した場合には、被保険者として保険料を納付していなくとも、本人からの申し立てによって失業者の基本手当などの受給ができることになっていますが、石川県では、今日まで、未加入事業所の失業者で給付を受けた者はわずか二名しかおらず、現地調査の中でも未加入事業所の労働者は初めから受給資格がないものとあきらめているという報告がなされています。雇用保険の未加入事業所の一掃と失業者に対するきめの細かい相談や指導体制を確立するため、職業安定所の要員増を含めて行政執行体制の強化をすべきであります。  第四は、雇用対策法の第二十一条の大量雇用変動の場合の届け出についてであります。この規定はまさに空文化しています。今日の世界の流れは失業対策から雇用対策に転換するとともに、労働者の解雇に対しては一定の法的規制を加える方向へと進んでいます。ILO百十九号の勧告はまさにこのことの証明でもあります。私たちは一日も早くわが国においても解雇について一定の規制措置を講ずべきであり、当面的措置として雇用対策法の二十一条の強化を図ることを強く求めたいと思います。  第五点は、現行の雇用に関する諸制度の積極的かつ弾力的な運用について考えることが必要だと思います。  具体例としては、特定不況産業離職者対策法の、倒産多発地帯の関連業種を含めた業種指定の拡大と、就職促進手当の全員に対する給付、中高年法の求職手帳発行の要件の緩和や雇用率未達成企業に対する制裁的措置の強化、また、十分に生かし切れずにいる賃確法の適用基準の緩和、あるいは雇用保険法の地域延長給付の新設や各種の延長給付の適用の緩和を積極的に進め、雇用に関係する諸制度が今日の雇用不安の情勢に対応し、十分にその効果を発揮するよう弾力的な運用を求めたいと思います。  以上、雇用を重点にいたしまして総評としての考え方について申し述べ、終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
  6. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) ありがとうございました。  それでは、これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  7. 下条進一郎

    下条進一郎君 私は自由民主党の下条進一郎でございます。  最初に、青葉公述人にお尋ねしたいと思います。二点でありますが、最初、黒字減らしと申しましょうか、通貨安定と申しましょうか、その点でございます。それからもう一点は、内需関係をどうするかという問題、この二点についてお尋ねいたしたいと思います。  青葉公述人は長く銀行にいらっしゃいまして、通貨問題についても権威でいらっしゃいます。時間の関係で先ほどのお話の中では主として景気予測に関連して通貨問題に限ってお話がございまして、内需関係がこの日本経済をどのように安定するか、また、それに具体的にさらに不足があるならばどうしたらいいかという議論がございませんでしたので、それを第二点として伺いたいと思います。  第一点の方でありますが、先ほどのお話は大体概論的なお話が中心だったと思います。そういうことでは私も十分に納得いたしますけれども、現実の問題といたしましては、それでは米側のいわゆる米ドルの安定について具体的にどういうような要請でどのような取り組み方をしたら安定するのかということをもう少し具体的にお話しいただきたいと思うんでございます。  巷間伝えられるところによりますと、固定相場制がいいんだというような話がございますが、これは固定相場制というのはもちろんそれにリンクするところの金から離れてあり得べきはずはございません。あるいはまたワイダーバンドという問題もございますけれども、それじゃワイダーバンドをどの程度にしたらいいか、これに対して国情の違う各国のインフレ率あるいは経済成長率の違いをどのように調整しながら、どこにくぎづけてそのワイダーバンドを実際に実現することができるのか、こういう問題、さらには国内的に外貨問題に対する先ほどおっしゃいましたような輸出入のビヘービアという問題、これは言われて久しゅうございますし、いろいろあるわけでございますが、なかなかその効果が出ない。民間調査機関の責任者といたしまして、その点、もっと具体的な建設的な御意見を伺わしていただければ大変にありがたいと思うわけでございます。  第二点の内需喚起の方の問題でありますけれども、青葉公述人のお話によりますと、いまの景気動向では後半にはやや明るみが出るかもしれないけれども、かなり悲観的な御意見でございました。まことに残念に思います。それでは青葉さんの御意見としては、どのようにしたらもっと内需が喚起できて、そして国民がひとしく望んでおりますような経済安定につなぐことができるか、こういうことについてもう少し具体的にお話を承りたい、このようにお願いいたします。
  8. 青葉翰於

    公述人青葉翰於君) ただいまの御質問は二点だったと思いますが、まず最初に、為替の問題でございます。  これは率直に申し上げますと、もちろんこれは私の個人的な意見でございますが、かねてから輸出調整税といいますか、輸出税というものを昨年の秋ごろに実施をすべきではなかったか、こういう考えを持っておりました。で政府がそういう姿勢を示すことによりまして為替投機をやる人たちがこれはうっかりしたことができないと、こういうことになって今日のような激しい円高を招かないで済んだのではなかろうか、こういうふうに考えておったわけでございます。しかし、これは過去のことでございまして、今日ここに至りました以上はちょっと手おくれでございますから、先ほどもごく総論的に申し上げましたが、多角的に方法はいろいろございましょうが、輸出のこれ以上の増加を極力抑えるという方法を具体化いたしまするとともに、ことにアメリカドル安の問題、こういう問題に対して強くアメリカ側に善処することを要望するという姿勢があっていいと思うのであります。  日本に対してこのごろ黒字国責任ということを強く言われますが、御承知のように固定相場制の時代には、赤字国責任がいつも追及をされておりました。赤字国が平価の切り下げをせざるを得なくなるという場合にIMF等である程度それを支える資金を供給するというような場合には、その赤字国としてこういう政策をとってほしいというような条件を突きつけて応援をしたというような過去の歴史がございますが、いまや黒字国がいじめられておるというわけでございまして、これは最終的には内外経済均衡ということが望ましい姿ではありますけれども、黒字国だけのせいではない、赤字国にも責任があるということは、これは当然のことでございますので、ことに御承知のようにアメリカは基軸通貨国でございまするから、ドルを印刷さえすれば幾らでも赤字が続けられる、幾らでもと言うと語弊がございまするけれども、余り赤字に制約されないでやっていけるというところに問題があるわけであります。  具体的に、じゃどうするのかというただいまの御質問でございますが、これは現状ではいわゆるワイダーバンドを話し合いでつくるという以外に道はなかろうかと思います。IMFのような機関が今日は基本的には崩れているわけでございまするから、あとは話し合いでやるということで、それじゃ具体的にどういうふうにレートを決めたらいいのかというようなことは簡単に机上で申し上げても意味の少ないことだと思いますので、相手のある仕事でございまするから、何といいますか、正論を堂々と述べて、また言うだけではなく、日本としてはこれだけのことをやっているのだということを十分に徹底して、相手の出方を見ながら相談をしていく。これに関係のある主要通貨国と申しますれば、まずアメリカ、それからドイツ、日本、スイス、さらに英国あるいはフランスを加えるかどうかというような問題も当然起こってくるでございましょう。その辺は交渉の段階で選択すべき問題ではなかろうか、かように思います。  御質問の具体性がはなはだ不十分かもしれませんが、この辺で通貨問題に対する一応のお答えとさしていただきます。  それから、次の内需の喚起の問題でございますが、これはまた非常にむずかしい問題でございまして、何と申しましょうか、今日八方ふさがりになっておる。一応唯一の道は個人消費の引き上げといいましょうか、GNPの中で半分をやや超えておりまする個人消費がもっとふえれば、それが一番望ましいということは理屈としてはすぐそうなるわけで、それには所得減税ということが当然考えられてくるわけでございまするが、困ったことには、この個人の消費というものが依然として弱い。その弱い原因は何か。いろいろありましょうが、簡単に申しまするならば生活の前途に不安がある、こういうことであります。  ですから、これも鳥が先か卵が先かという問題でございまして、経済がちゃんと底をついてだんだん明るみが差してくれば、まだ消費者がわりあいに気楽に金を使うわけでございまするけれども、こういう段階で、非常な大きな減税でもやれば別でございまするが、少々なことをやってもみんな日本人の特性といたしまして貯蓄に持っていってしまう、こういうことでございまするから、いわば砂の中に水をまくようなものでございます。それじゃ思い切って大幅の減税を、たとえば五兆とか十兆とかいうような減税をやったらどうだと、そうなれば使うでしょうけれども、これはインフレにつながることはこれまた明らかでございまして、その境目をいくというような所得減税というのはきわめてむずかしい。それからもう一つ所得減税をやる財源というものは、結局は、赤字国債以外に道がないわけでございまするから、いわばかみそりの刃を渡るようなきわめてむずかしい芸当である。  そこで、とり得る道は、ここのところじっとがまんをして、できるだけのあらゆる角度からの景気浮揚策、そういうような直接インフレにつながらない景気浮揚策をきめ細かくやっていくうちに、これはもう時間が、先ほど申し上げましたように、この秋には上向くところに必ずくると思いますので、それまでがまん、しんぼうする。これもお答えになるかどうかわかりませんが、ほかに道は、私はそうこれならばという道はないと思っております。  以上でございます。
  9. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 下条君、簡単に願います。ほかにたくさん発言予定者がおられますから。
  10. 下条進一郎

    下条進一郎君 青葉公述人にはありがとうございました。時間もございませんので、この問題はその程度にとめさしていただきます。  富塚公述人一つ伺いたいと思います。  雇用創出ということは非常に大事なことでございますが、それに関連して週休二日制とか適正に休暇をとるとか、こういう問題の提言がございました。私も、これは日本として、世界的な水準に到達するためには相当前向きに取り組まなければならない問題だろうと思いますけれども、現在、官公庁とか大企業とか、そういったところはぼつぼつ始めておりますし、わりあいに支障なくいくわけでありますけれども、非常に多い中小企業、こういう分野においてどのようにこの問題を具体的に取り組んでいくか、これはなかなか問題が多うございます。経済的な問題もございます。そういう点をどのように考えていらっしゃるか、それをお聞かせ願いたいと思います。
  11. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 週休二日制、労働時間短縮、それは世界的にも主要な国、三十五カ国のうち二十五カ国ないし六カ国ぐらいは実施をしておりまして、国際的にも大きな一つの問題でありますだけに、この雇用創出を考えるいまの時期にぜひ実施を決めてもらいたいと言っておるんですが、いま御指摘がありましたように、われわれは日本の置かれておる国情、あるいは大企業中小企業との格差といいますか、労働者における労働条件の相違、その現状は決して無視するつもりはありません。  ただ、問題は、いま国会の中で議論されていますように、銀行法十八条問題の改正、削除問題などで、まず金融なり商社、そういった部門から週休二日制をまず実施をしていくべきだ。そして段階的に、公務員の関係も人事院から第二次試行について政府に勧告をされておりますが、試行することなっておりますけれども、とにかく一回に全部ができるということはわれわれも考えていません。三年間ぐらいの一つの経過措置を持ちながら、具体的に移行していくことを考えてもらいたいということを検討して提起をしているところであります。
  12. 夏目忠雄

    ○夏目忠雄君 関連
  13. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 夏目君、簡単にお願いいたします。
  14. 夏目忠雄

    ○夏目忠雄君 富塚さんにちょっとお聞きしたいのですが、先ほどのお話の中で、八幡や尼崎の例をとられて、地方自治体が一緒に相協力して、地域産業を軸として雇用創出といいまするか、そういうこと、あなたの表現によりますと縦じゃなくて横のということで、発想としては非常におもしろいと思う。私も興味深くお聞きしたんですが、実際問題となりますと、私も経験がございまするが、地域産業自体があっぷあっぷしている状況なんで、実際に具体的にどうするんだと、こういうことはお話をお聞きして非常に疑問を感じておるわけです。ひとつ教えていただければ幸いだと思います。
  15. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 北九州に行きますと、例の石炭産業鉄鋼産業中心的にあの地帯の経済を支えてきたことは間違いありません。すでに石炭産業は、エネルギーの転換によって、あのようなボタ山と老人だけが残されるような地帯になっている。新日鉄八幡の場合に、私も全部一日見て回ったんですが、実際には八幡製鉄所が地元の中小下請、そういった縦の関係を抱えてきた。町もそれによって繁盛してきた。ところが、それがだめになって減量経営になりますと、必然的に町全体がさびれてしまう。北九州市の谷市長に会いまして、横との連携、鉄鋼産業なり石炭産業との当時の横の連携もないし、縦型だけになっているところが問題なんですね。  そうすると、それを地域経済という一つ北九州市に新たな経済開発、事業開発、そういったものを誘致することによって、八幡製鉄の減量経営によるそういった失業者をどう吸収していくかということを考えない限り、縦の産業の構造的な不況になっていく、そういった状況のもとではどうにもならない状況じゃないか。それは基本的には産業構造転換、具体的な問題にはなると思うんですが、縦の段階で考えるべき課題ですが、御存じのように四基あります溶鉱炉が一基修理して、一基きりやってない。自動車の求めようとする薄板づくりだけが稼働率を示している。もう造船の方の鉄鋼材はほとんどだめだということになると、また大分製鉄所ができまして、そこの設備の方が最優秀になりますから、全くあの地区はだめになってしまうという状況にどう対応するかは、とりあえずは北九州市を中心にした地域経済開発というところに照準を当てて、いまの縦の産業に残されているいろんな、たとえば住宅問題などたくさん余っているわけですね、そういうものの活用を図る中でどうするとか、そういうことを考えるべきだ。しかるに谷市長いわくには、政令都市であっても権限がほとんど与えられていない、これを何とかしてもらえないかとわれわれにも要請をされてきたところなんです。その点を地域経済開発と縦との関係をどう結びつけるか、その課題についてはもっと積極的にひとつ皆さんでも考えていただきたいというふうに思っています。
  16. 竹田四郎

    ○竹田四郎君 青葉公述人にお尋ねをしたいと思いますけれども、先ほどのお話を伺っていますと、余り明るいお話がなくて大変残念に思うわけでありますが、一つは、在庫調整の終わったあとが一体どうなるのか、その付近が余り明らかでないわけでありますけれども、経済企画庁等は三、四月に在庫調整は終わって、そうして積み増しの在庫へとつながっていくんではないだろうかというような考え方が強いわけでありますけれども、その辺は一体どういう形で在庫調整と次の景気浮揚へつながっていくのか、ここら辺の道筋がどうも経企庁のお話を聞いていてもよくわからないのですけれども、その辺は青葉先生はどういうふうにお考えになっているのか、それが第一点でございます。  それから、どうもお話を聞いておりまして、補正予算がどうしても必要じゃないかというような感じがいたしますけれども、補正予算についてはどんなふうにお考えになっていらっしゃるか、これが二番目でございます。  三番目は、大変恐縮でございますけれども、果たして二百三十円台で終わるのかどうなのか。どうも二百三十円台では終わらぬのじゃないか、二百円台というようなことも出てくるのではないだろうかというふうに私は考えておりますけれども、その辺の見通しは、おたくの協議会としてはどんなふうにお考えになっているのか。  それから、協調方式についてお話がありましたし、御質問もありましたけれども、どうもこれ、もう少し私たちの方は大胆にいろんな形での安定のための方策というのが出ていいんではないかというふうに思うのですけれども、どうも政府は、何回かここでの質疑応答の中でも、そういうものを出すと、すぐ投機に利用されるから出したがらない。宮澤さんがやっと私の個人的な意見ですがということで、ローザ構想をやわらかにしたようなものを出しておりますけれども、私は、もっといろんなシステムというものを、これは政府だけでなくて、民間の機関も出して模索をしていくということの方がいいんではないか、こういうふうに思いますが、その辺のお考えを伺いたいと思います。  それから四番目に、緊急輸入について、最近、通産大臣あたりが総理と相談して緊急輸入の問題を大変やっているようですが、どうもこれも私は率直に言って余り効果があるとは思いませんけれども、この辺は、まあやればやらないよりはいいと思いますけれども、大きな影響というのは出てこないのじゃないかと思いますが、その辺のお考えを聞きたいと思います。  最後に、いまの不況の中で、日本産業構造というのをもう少し積極的に変えていく、いまのままでいきますと、古い産業構造がより温存されていくというふうにしか思えないんですけれども、もう少しこういう点を経済団体等は先見性を持って産業構造方向というものをもっと積極的に示すべきではないだろうか、こういうふうに思いますけれども、産業構造転換をどういう方向に誘導していくべきか、この辺についてのお考えを承りたいと思います。
  17. 青葉翰於

    公述人青葉翰於君) 簡単にお答えさしていただきます。  まず最初に、在庫動向でございますが、私は先ほど、この夏から秋ごろには調整が一応終わるだろうということを申し上げました。企画庁さんあたりはもうちょっと早目に見ていらっしゃるようでございます。ここで、たとえ話を申し上げてはなはだ恐縮ですが、経済見通しとか景気見通しというのはちょうど自動車のヘッドライトみたいなものでございまして、五十メートル先は見えるけれども、百メートル先になるとぼうっとしておるというのが現実でございます。これをきちっと計算すればわかるという考えが少しおかしいんでして、計算は一応考えを整理するのに足がかりとしては必要でございまするけれども、計算したらば何でもそれが正しいんだというんであれば、いままでの政府見通しもいつも当たらなきゃならない。それが当たったのが、まあ半分当たったか六割になったか一遍調べてみたいと思っているんですけれども、そういう性格のものでございまするから、現状で考えられまするところで申し上げたわけでございます。  それから、続いて第二番目の、補正予算が必要であるかどうかという問題でございますが、これは私はもう数カ月たってから考えるべき問題じゃなかろうか。現状では、まずこれでやってみて、それで、いま申し上げたように自動車のヘッドライトですから、もう少し進んでいってみて、どうしてもこれは需要が足らぬということがある程度わかってきた段階で、その規模等もございまするから、やはり需要を創出するということも考える必要が起こる可能性は私はなしとしないんでございますが、いまからそれをこのくらい必要だとかいうことを申し上げるのには、ちょっとまだ時期が早いんじゃなかろうか、こんなふうに考えております。  それから第三番目の、二百三十円台のものがさらに二百二十円、さらには二百円にもなるんじゃないか、こういうお尋ねでございますが、これもたとえ話で恐縮ですが、平家物語に、あれはどこでしたかな、壇ノ浦ですか、那須与一が扇の的を射たという話がございますが——屋島ですか、屋島の沖でですな、どうも歴史が怪しくなってきましたが、那須与一が、小舟の上にさおを立てて、そこにある扇の的を射たという話がございますが、ちょうど為替の見通しを言うのは扇の的を射るようなもんで、舟自体が揺れておる。ということは、たとえばドルにしてみますると、アメリカ経済がどういうふうにこれから一体やるのか、これが揺れ動いておる、その上に国際的な為替投機の波が盛んにかぶってくる、それをこっちから射るんですから。また状況によっては、案外二百五十円ぐらいに戻ってくるような情勢が起こらぬとも言えないですな、その証拠には、昨年の夏ごろは今日のような円高というものは全然考えられていなかったわけですから。そういう意味で、まあ現状では二百二十円ぐらいまではなるんじゃなかろうかという予想はかなり強いです。それの前提は何かというと、日本がまだ経常収支黒字を抑えるという手段を余りとれないであろうからという前提があるわけですね。思い切ってここで輸出税でもかけるとか、それから貿易管理令でも発動して、出過ぎているやつは端から頭ぶった切るということをやれば、あしたからまた逆に高くなります。ですから、そういう意味で、扇の的を射るという私には技量がないということでございます。  それから、それに関連してお話のございました、協調方式をもっと具体的に研究して出したらどうだと、これは私全く賛成でございます。そういう点に日本は憶病だということですね。それは大蔵省がおやりになっても企画庁がおやりになっても、どこがやるのか知りませんが、協力して——役所が別々に、よその役所が言ったから気に入らないなんていうけちなことはやめてほしいです。通産省さんも企画庁さんも大蔵省さんも協力して、本当にこれがいいんだということをよく御検討になって、日本として堂々として出すべきものはお出しを願いたい。いまの御意見に全く賛成でございます。  それから四番目、緊急輸入を通産省や総理も御一緒になっていろいろ考えていらっしゃるということは、大した効き目はないんじゃないかという御意見がありましたが、いい物があって相当の額がまとまって輸入ができれば、それは短期的にはやっぱり何がしかの効果はもちろんあります。そこで私も先ほど申し上げましたように、この問題は一つこれをやればいいというようなものは少ないので、多角的に、できることをきめ細かくなるべく努力をしてやるという以外に方法がなかなか見つからないわけですから、そういう意味では緊急輸入も、できるものはひとつ大ぜいで知恵を出し合ってこの際やっぱりやる方がいいんじゃなかろうかと、こんなふうに思います。  最後に、こういう機会に産業構造の改革をもっと進めたらどうかという御意見ですが、これは全く賛成でございます。すべて物を解決するには、物が揺れ動いているときにやらないとできないわけですね。そういう意味で、経済が非常に伸びているとき、これも一つのチャンスです。それから経済が非常に後退しているとき、これも一つのチャンスです。たとえば非常に過当競争があって合併をすることが必要だと思っておっても、どんどん経済伸びて、それぞれ一応うまくやっているのを、多過ぎるから合併しなさいと言ったところで、だれも言うことを聞きません。しかし、いよいよないそでが振れなくなったチャンスをねらって、整理すべきものは整理する、何もそれはつぶせという意味ではありませんが、なるべく出血を少なくして——ここに富塚さんも見えておりますけれども、労働問題なども円満に片づくような方法で、むしろある程度先取りをして産業構造の改革ということも推進すべき時期だと、私はかように思います。  以上でございます。
  18. 大木正吾

    ○大木正吾君 富塚事務局長、大変厳しい春闘で御苦労さまでございますけれども、きょうはまたありがとうございます。  二、三伺いますが、一つはILO問題なりあるいは国際労働基準のことが出たんですけれども、やっぱりさっき話がありましたとおり、先進国では日本ぐらいのものでございますか週休二日制が実行できないのはですね。こういうことをやりませんと、労働問題とたかをくくっていますと、私の判断では円高問題、外圧等の問題にされる、こういう心配がございまして、この委員会でもこういう話をやったんですが、どうも政府側は積極的じゃないわけなんですが、外圧に対する心配が、労働時間、週休二日制問題を実行しなかった場合に起きないかどうか、ここのところをひとつお話しいただきたい。  二つ目の問題は、大分地方を回りまして、先ほど北九州の例が出ましたけれども、御説のような形でもってひとつ具体的に公共事業を地方に発注してもらえば大分助かる、こういう話がございました。これはもちろん中央のやり方が問題なんですが、それを受け入れる——谷さんの話があったんですが、谷さんは御承知のとおりまあ自民党さんなり保守系の市長なんでございますけれども、たとえば保守系の市長でも、地元労働団体とかあるいは経済団体とか自治体とか、そういった形の中で、雇用拡大するために地域的な財政援助等なり公共事業の発注等につきまして受け入れる構えがありますかどうでしょうか、その辺について御感触を伺いたいんです。これが二つ目の問題。要するに、地方に仕事を持っていく場合の受けざらができるかどうかという問題ですね。  三つ目のことは、これは実は青葉参考人とお二人に伺いたいんでございますけれども、青葉参考人、先ほど賃金は六%ぐらいとおっしゃったんですが、一つは、あなたのお話の中には実は雇用問題が全然なかったんでございますけれども、秋には景気は少し在庫が減って、積み増しも少し出てよくなるかもしれない、こうおっしゃったんですが、そのころには雇用問題はどういうふうになるとお考えでしょうか、そこのところを青葉さんに伺いたいわけなんです。  それから富塚さんには、賃金問題が六%では、たとえば在庫の積み増しが若干出ましても、物を買う力が出てこなければ不況は脱出はできませんですね。富塚さんがよくお話をされますけれども、新聞でも拝見するんですが、減税である、生活面の投資だと、そしていまちょうど交渉の大きな面を迎える賃金問題があるわけでございますけれども、どの程度賃金を上げなければ日本経済は不況から脱出できないかということにつきましてお考えがありましたら伺いたいんです。  以上でございます。
  19. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 週休二日制問題、労働時間短縮、解雇規制などは世界的な流れでありまして、先ほども申しましたように、先進諸国ではもう常識化されているということは間違いのない事実であります。で、わが国の長時間労働については、福祉がおくれておるということとあわせて、政労使の協調による輸出戦略の最も典型的なものとして厳しい国際的な批判を受けているんですが、先ほども述べましたように、過日、同盟の招待でアメリカAFLCIOのワード副会長などが参りまして、かなり厳しい口調で実は言っておられました。それはカラーテレビのことと鉄鋼材のことなどを主にして言っておられましたが、すでにアメリカのカラーテレビ会社は日本の市場支配によって全滅に近い状態になったということを言っていました。あるいは鉄鋼材のダンピング問題なども激しく言っておられました。そういう中で、日本のナショナルセンターは、労働組合は一体何をしているのか、働き過ぎではないか、週休二日制の実施はどうなんだということを詰め寄られました。これはいま盛んにやっていますと、こう言ったんですけれども、そこのところはなかなか納得してもらえません。  新聞紙上にも発表いたしましたように、この総評大会に、まあ先輩の大木さん時代までにはなかったことですが、アメリカAFLCIOあるいはイギリスのTUCや西ドイツのDGBといった資本主義諸国の組合の代表を呼んで、いろんな意見交換あるいは実態を見てもらおうと、こういうふうに思っています。またイギリスのTUCあるいはCBI——産業連盟の輸入品の覚書などもこう結ばれていると、日本がやり玉に上げられているということなど、もうすでにイギリスの経営団体と労働団体が覚書を結んで日本をやり玉に上げている、こういったことなどもあり、したがって労働基準問題をどう考えるかがこれからの大きな問題になってまいると思いますので、外国には非常に評判が悪い。日本労働組合の代表が輸出問題を依頼にいくというか、日本実情を説明に参ると、なぜ日本の経営者や政府と同じことをおまえたちが言うのか、もっと日本労働組合のやるべきことがあるじゃないかと、相手側の欧米諸国の労働組合や経営者側から言われている、この実情をもっと日本政府は真剣に考えていただきたい、こういうふうに思います。  それから、仕事の受けざらの問題なんですが、率直に、私も大体十県近いところを回ったんです、北海道を初め回ったんですが、地方自治体のの県知事あるいは市町村長自身が、まだまだ雇用に手が回らないというか、何をやった方がいいかというのが現実の姿ではないでしょうか。これは革新、保守を問わずそのように見受けられました。そうしますと地域経済のなかで特に当面は緊急避難的にも公共事業を誘発させる、国の予算の中からそういったものを地方に持っていって果たして事業誘発あるいは雇用創出ができるかということになると、私はまだまだその対応が十分であるというふうには見受けられない。したがって、先ほども申し上げましたように、雇用情勢の推移を見守るとか、大型予算によって大型プロジェクト、それによる公共事業の発注に力を入れるとか、いろんなことを国会段階や行政レベルでは言うんですけれども、やはり市町村段階、地方の自治体段階にはそのことの具体的な課題が全然示されていないということの中に、果たしてどこまでその問題がうまくいくかどうかということは、率直に言って疑問であります。  それから三番目の問題ですが、私ども、衆議院段階で五野党が合意に達しました一兆二千億という減税にかなり期待を実はかけておりました。ところが、残念ながら、何か三千億と四百億となったと聞いておるんですが、参議院段階でぜひひとつ五野党の合意を生かしてもらいたい。と申しますのは、やはり就労人口の中で賃金を一%よけい取ると九千億ぐらいになるだろう、こう言われておるんですが、減税もだめ、賃上げもだめというふうになったら個人消費拡大などは全く望み得ないというふうになっていく。それでは不況から脱出できない、景気浮揚はできない、何のために大型予算なのかということが私は問われてくるだろうというふうに思います。その意味で労働者は最低でも実質的な賃金は確保しなければならない。経済成長率に見合うのはそれだけ生活水準が日本の国として上がるわけですから、それも賃金に回してもらいたい、回すべきである。しかも為替差益などでかなり収益を上げている企業もあるわけですね。そのことにはほおかぶりしておって、そしてマイナス面だけを強調されるという点についてはどうしても納得いかない。だから最低でも実質賃金は確保いたしたいし、いま大木さんが申されましたような数字でとても納得できるようなことにはならない。これはもっとマクロの実質経済七%成長ということの中に個人消費名目一一・九%政府も想定をしているんですから、これは基本的に賃上げ、減税というものの中で個人消費拡大を図って内需拡大をしない限りは、日本経済はこの不況から脱出することはできないだろうという基本的な視点に立って大いに春闘でがんばりたいと、先生方にもお力添えを賜りたいと、こういうふうに思います。
  20. 青葉翰於

    公述人青葉翰於君) ただいまの雇用問題についての御質問にお答えをいたします。  雇用問題を私の先ほどの最初のお話の中で省略をさせていただきましたのは、御専門の富塚さんが後に控えておりましたので、時間の関係もあって省略をいたしたのでございますが、先ほど申し上げましたような横ばい的な五十三年度実体経済の中で、雇用問題に対して若干でも明るさを増すといいましょうか、光を当てるものは、やはり公共事業関連の事業が雇用増加にどの程度の影響が持てるかということだろうと思いますが、これは持てるにいたしましても多少時間がかかる。そこで、現在、いろいろなこれは計算の仕方もあるので数が正確ではございませんけれども、一応、日本企業は約二百万人の過剰雇用を抱えておる。それを減量経営ということでだんだんに減らしていくということになると、これが失業につながるわけでございます。そこで、これを何とかこの秋ごろ、景気の完全底入れができて上向きになるまで持ちこたえていくということが当面の重要な一つのポイントであります。  それに対して、私は、一つ大変うれしいといいますか、ありがたい問題は、皆さんも御承知の先週の木曜日にとられました日本銀行の大幅の公定歩合の引き下げであります。これによって、いろいろなこれも計算がございまするが、日経新聞が計算をして発表したところによりまするというと、上場会社全部で、あれは千二百億でしたかな、二百億程度の、何といいますか、金利の負担が軽減される。それで、これはそのまま全部とは言えませんけれども、雇用の維持につながるわけであります。その雇用の維持にそれをなるべく使わせるかどうかというのは、これは労働組合さんの方のまたお力によってできることでございますが、そういうことで今回の公定歩合の引き下げということは、そういう意味でも非常に私はいい政策だったと、こう思っております。これが一ころ、一部の方には、公定歩合はもう少し先へいっていよいよ行き詰まったときに下げる、その切り札を早く出し過ぎたという批判をしておる方もいらっしゃいますが、私はそうじゃないと、雇用の面にもあれは非常ないい影響がある。そういうことで、私のいわゆる自動車のヘッドライトは光が余り明るくないものですから、先のことは余りよくわかりませんが、何とかそういうことで雇用の維持をこの秋ごろまでの底入れまで続ける可能性が出てきたというふうにお答えを申し上げたいと思います。  以上でございます。
  21. 大木正吾

    ○大木正吾君 青葉さんに伺いますが、いまの公定歩合問題は、これは二百三十円すれすれというときに最後の宝刀を抜いたということ、一般のこれは見方でございまして、雇用の問題に私は全く影響ないとは考えませんけれども、ただ財界なり皆さん方の団体といたしまして、そういった雇用の維持に向けるような御指導をしていただくことはできましょうか。
  22. 青葉翰於

    公述人青葉翰於君) 私は、日本銀行があれに踏み切った大きな動機は、円高に対する対策としておやりになったかもしれません。しかしながら、客観的に見まして、こういう不況のときには当然やるべき政策なんです。これはいまの御質問に関連して、金利の問題、金利政策というものの性格をごく簡単に申し上げますというと、金利というものは、企業に利潤があってその分け前を金利という形で国民が受け取るものです。まあ銀行が仲介に立って預金を集めて企業に貸すわけですけれども、それは貸し金のレートというものが金利の基準を決めるものでして、企業が非常に不況て、資金の需要が停滞して貸し出しが非常に低下しておるときは、金利を下げるというのはこれは当然の姿なんです。そういう意味で、金利を下げるということが景気調整の上で一つの大きな柱であるということを申し上げたい。  そういう意味で、貸し出しの金利が下がれば、今度は預金の金利を下げるのもあたりまえです。これはいま申し上げたように、預金に払う元は貸し出しの金利が元でございますから、それが景気が悪くて、要するに、世の中の成長率が落ちて少なくなれば、入らない金を銀行に払わせるということは今度は銀行をつぶすことになる。いま銀行が利ざやがゼロであるとか、あるいは逆ざやであるとか、それから、去年かおととしか、銀行の貸し倒れ準備金を減らすとか、そういうことをなすったわけですけれども、これなども、銀行が何も過分なもうけをすべきではないんですが、そういうことでつぶれたのが昭和二年のパニック、それが直るまでに何年国民が苦しんだかということであります。したがいまして、そういう点を、何といいますか、感情的な議論でなしに、客観的によく諸先生方が御理解をいただいて、政策決定の御判断をいただくことが非常に望ましい、こう思います。  以上でございます。
  23. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) ちょっと申し上げますが、あと多田君ほか三名質問者がおられます。どうかひとつ簡略にお願いを申し上げたい。
  24. 多田省吾

    ○多田省吾君 青葉先生に二、三点お伺いします。  重複するようでございますが、政府、特に経企庁が七%実質成長達成のために言っていることは、まず在庫調整の問題だと思います。特に経企庁の赤羽調整課長等は、まあ在庫調整が、そうなれば十単位の公共投資をしても公共用生産につながる分はせいぜい二単位だろう、ところが在庫調整が進めば飛躍的な積み増しが生じて十六単位ぐらいにも公共用の生産がなるんじゃないか、だからもう二単位と比べると八倍だと、このような強気の見通しをしておりますけれども、実際青葉先生おっしゃるように、積み増しの期待というのはそんなに無理じゃないか、ここに大きな差が生ずると思います。特に三月と四月期に経企庁は在庫調整は終わると言っておりますけれども、もっと遅くまでかかるだろう。この辺の経企庁の見通しをどう考えるか。  それから、設備投資でも、御存じのように電力を中心として三兆円ないし四兆円の民間設備投資を図りたいと言っておりますが、こういったところにも非常に差が出ておりますが、これをどう考えるか。  また、端的にお聞きしますが、補正予算を組む必要が生じた場合に、青葉先生は所得減税効果がないとおっしゃいましたけれども、私たちは非常に効果があると思っております。その他、社会保障あるいは生活関連公共投資、こういったものを補正予算の場合にどう考えておられるか。  次に、富塚先生にお尋ねしたいと思います。  いま北九州あるいは尼崎実情を御調査の上おっしゃられましたが、私どもも最も失業率の高い沖繩においていろいろアンケート調査等をした結果、大型公共投資というものは雇用拡大には全然つながっていない。現状維持が七十数%で、特に採用計画の場合でも一六%ありますが、若干名だと、ところが人員縮小が一二%、これが大量解雇になる傾向があって、結局は八千人の雇用吸収の国の提示が全然ゼロになっている。ですから、地元では零細企業にもっと発注をしてほしいとか、生活関連工事が欲しいと強く言っているわけでございますが、こういった地域的な雇用においても総合的な雇用創出計画が必要だと思いますが、お考えをお尋ねしたいと思います。  また、賃金におきましても、企業が収益減を理由に非常にガードがかたいように思われますけれども、国民に理解を得ながらの大変に強力な春闘が必要だと思いますが、その御所見と、それから好況業種に限って積み増しをしようとしているドリフトという考え方はどうお考えになっているか、お尋ねしたいと思います。
  25. 青葉翰於

    公述人青葉翰於君) ただいまの御質問、二つあったように思いますが、在庫調整経済企画庁とされてはわりあいに早く進んで、その後はすぐに在庫の積み増しがあって景気上昇すると言っておるが、それをどう思うかと、こういうお話でございますが、これは先ほども申し上げましたが、在庫調整が済んで積み増しの起こる業種もあります。それから、まだ設備がたくさん余っていて在庫を急いで積み増しをしなくても大丈夫だと見られておる業種もあるわけでございます。したがいまして、そのどちらの方を重く見るかということで意見が分かれるわけでございまするが、私は、最初のお話でも申し上げましたように、総体的に見まするならば、在庫調整が本当に行き渡って上向きになって、在庫調整の面から国内需要がふえてくるというふうに見られるのは、まあ秋ごろではなかろうかと、こんなふうに考えております。  それから、もう一つ民間設備投資の問題でございますが、これも電力会社方面では積極的な設備投資をやるということで、だんだん計画を進めておられるようでございますので、この面はもちろん計画どおり進むでございましょう。また、それに伴いまして、関連業界、重電機であるとか、またその危いろいろございましょうが、その面の内需を押し上げる一つの力になることは疑いを入れませんけれども、総体として見ましたときには、五十三年度はまだまだ民間設備投資がそう思うようにふえてくるという段階ではないと、こんなふうに考えております。  それから、最後の御質問の補正予算が必要になった場合に、公共投資や、それから社会保障、減税、そういったような、これを一体どんなふうに使ったらいいのかと、そういうお尋ねだったように思いまするが、公共投資もこれが消化ができる見通しの立ちまするものは、補正予算段階で、どの程度になるかわかりませんが、従来の方針どおりにこれを中心にしてやられるということが望ましいと思いますが、それ以上に、いわゆる個人消費がふえるような意味の、何といいましょうか、支出をしようということでありまするならば、一般的な減税というのは私はあんまり効果がないと思うんです、みんな貯金しちまいますから、先ほど申し上げましたが。むしろ非常に低収入の方々に、これは減税という形ではいかないでしょう、社会保障の何らかの形で金を支給するという、具体案は私いますぐ持っているわけじゃありませんが、そういうような形で、お金があれば何か買いたいというような層に金をつけるということではなかろうかと、かように考えております。  以上でございます。
  26. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 沖繩は三万人七%の失業、最高の失業率を記録しておりまして、私どもも大きな問題だろうと、こう思っております。特に沖繩の経営者団体の代表の方で、アメリカに占領されておったときの方がよかったと言う人たちが五〇%近くにも達するというぐらい、不況に対する、失業に対する幾つかの不満が出ているということなんです。  そこで、多田先生がおっしゃいました公共投資問題について、地元企業をどういうふうに再生をさせるか、生かしていくかということを真剣に考えるべきだろう。そして大きな工事をする場合に、当然、鉄骨とかセメントとか、そういうものも地元の関係でどういうふうに生かしていくかということを具体的に対応策を考えていくべきじゃないか。そして私どもが主張していますように、生活関連の学校なら学校を増改築するとか、公立病院を全部増築をするとか改築をするとか、そういったことに精力的に公共事業投資がなされるべきであると思うんです。そういうやり方を地元自治体と十分相談の上に対応して考えてもらいたい。  実は、石川県の中西知事も言っておりましたが、大型プロジェクトによるだけでは地方自治体としてのメリットがないということをはっきりと申されておりました。これらの事業だけではどうにもならないんで、石川県の場合にも病院や保育所などを中心に進めていきたい、そうして県民の生活防衛上から直接やはりきめの細かい雇用創出に結びついていくことをやっていきたい、これは恐らく保守党の知事の方じゃないかと思うんですが、そういうふうに申されておりました。それから宮城県の場合にもそうでありますし、尼崎に行ったときも同じことを実は言われています。したがいまして、あくまでもわれわれは公共事業という立場に立つきめの細かい、地元の業者といいますか、産業が活用できるような対応というものを積極的に進めていく以外にないんじゃないか。これは中期的に見ればまた別の課題の議論になりますが、緊急避難的にも当面の失業雇用対策に対応を考えてみるべきじゃないかというふうに思っています。  春闘の中でドリフト論がいま盛んに論争されております。企業内の上積みという問題をそれぞれ考えよう、われわれはこういう経済環境のもとですから、業種間、企業間格差があることはある程度やむを得ないと思っています。しかし、先ほど大木さんの質問にお答えをいたしましたように、労働者はやはり実質的な生活を守るにふさわしい賃金を取らなければ労働組合の存在理由もなくなってしまうということでありますだけに、不況産業にある労働者といえども、一二%という要求をしているんですが、実質生活を守るだけの賃金はどうしても取りたい。賃上げを自粛すると雇用が守れるのかという議論が職場で大分されるんですが、賃上げを自粛しても雇用が守れる状況には必ずしもないというふうに思うんです。ですから、労働者、労働組合の立場から言いますと、賃上げも雇用もということが当然の要求になっていきます。それに政府なり経営者がどうこたえるかということをしっかりひとつ考えていただきたい。  したがってドリフト問題は企業間労使交渉の中で出てくる問題だと思いますが、全部公開をしてもらって、実質的な賃金にどう位置づけるかという問題を全体の労働者の合意の中で対応を考えてみたいというふうに思っています。好ましいことでは決してないというふうに思っていますが、業種間、企業間格差をある程度認めざるを得ない状況のもとで出てくることしの特徴であるように思いますので、それを全労働者間の問題にひとつ明らかにしていくという指導をしていきたい、いまそんなことを考えております。  以上であります。
  27. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 時間がありませんので、簡単に富塚公述人にお伺いします。  一つは、先ほど産業構造転換をいろいろおっしゃいましたけれども、私も、この間、予算委員会でいろいろ質問をいたしましたが、現在進められております三全総、この中における大型開発、苫小牧東部の問題を取り上げたのですが、あと、むつ小川原あるいは志布志あるいは秋田、結局いままでと同じスタイルになっております。要するに、高度経済成長型、列島改造型と私は言っておりますが、全然変わっていない。三全総の中には定住構想ということが新しく出てきておりますが、現実には余り変わっていない。また、通産省が中心になってまとめております産業構造転換の長期ビジョンが毎年出されておりますが、五十二年度版、今度五十三年度版、いま検討中らしいですけれども、これを見ましても、具体的な産業構造転換ということが出てきていない。私は非常に物足りないと思っておりますが、この三全総、それから産業構造の長期ビジョン、この辺はどうお考えなのか。  特に定住構想ですね、この大型開発で苫小牧あたりはかなり人口を集めて、新しい都市もできて雇用もうまいこといくんだとか、こういうふうに言っておりまするが、現実は北海道電力以外はまだ全然入っていない、こういう状況です。したがって、私は三全総というものは余り感心しないのですが、雇用との関係において特に大型開発をどうお考えになっているか。  それからもう一つは、雇用として、私は大学教育の問題をちょっと取り上げてみたいのですけれども、たとえば教育関係の学部を出られた方、せっかく学校の先生の免状をもらっても学校に就職できない、こういうのが非常に最近ふえております。要するに、専門の学部を卒業しても、その専門の技術をせっかく修得しながら現状においては全然就職できない。したがって大学の学部のあり方、定員のあり方、そういったものはもう少し長期のビジョンの上から見直しをかなりしなきゃいけないと私は思いますけれども、その点どうお考えになっておりますか。  もう一つは、週休二日制、これは私も外圧を何とかやわらげる上からも必要ですし、われわれの実際の生活の上からもこれだけの高度な社会になったのですから必要だと思いますが、いますぐやりましても、また私は日本人はどこかアルバイトを見つけて働くようになるんじゃないか。要するに週休二日制をやるための環境づくりが全然できていない。たとえばスポーツを楽しむにしてもレジャーを楽しむにしても、結局現在はそういうことを目当てにレジャー産業、スポーツ産業と大変金のかかる方がむしろ先行して、本当に子供さんたちや親子が一緒になって遊べるようなグラウンドがどれだけあるのか、全然ないわけで、まあ野球は土曜と日曜日の野球場なんかを朝も早くから暗いうちから取り合いしなきゃだめなような状況が各地にありまして非常にいま困っておるわけですけれども、こういう週休二日制をやるための環境づくり、これがまず私は先にできなければならぬと思いますけれども、その点いかがお考えか、その三点をお願いします。
  28. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 三全総計画などによる大型開発についてどう考えるかということの問題ですが、われわれは列島改造型という従来の基本的なそういった政府政策には余り賛成をしていません。と申しますのは、土地値上がりの誘発を招くとか、あるいは経済的な地域のバランスを崩していくとか、幾つかの欠点が存在をしている。ですから、基本的には内需拡大型という意味の予算に対する基本的見解、福祉の向上あるいは生活基盤型投資とか社会資本の充実とかいろんなことを提起をしているのですが、そこでこの問題につきましては、もっと労働者なり国民の間で積極的に合意を得るといいますか、中期的な一つ日本経済開発の展望をどう見るのかといったことなどを十分明らかにした中で、個々の問題点について検討を加えていくべきではないかというふうに実は思っています。  それから、教育問題なんですが、職業訓練教育という課題が非常に重視されて、あるいは教育の中で自分が学んだことが生かされていかないということにどう対応をするかということが大きな問題だと思うんです。したがって自分がそれだけ学んだことが生かされていくような、あるいは必要な職業訓練教育というものが実態に合うような対応ということについてもっと政府も行政機関も真剣に考えてもらいたい。そういう方向について検討を加えていくべきだろうというふうに思います。  それから、週休二日制の問題について、おっしゃるように環境づくりをどうするかということが大きな命題だと実は思っています。しかし、すでに大蔵委員会などで扱われていますような銀行法十八条問題などは大筋としてもう一致できる状況にきておるんでありますし、また労働省なども積極的に進めたいという意向は持っているやに承っています。しかし、大蔵省が反対をしてなかなかできないとかいろんな条件のあることはわかるんでありますけれども、しかし、私どもは、先ほども自民党の先生から質問がありましたように、中小企業の立場で考えると、そういうことは好ましくないというふうな意見もありますが、中小企業について、全体が週休二日制になった場合にはどうするのか、あるいは個々の中小企業対策についてどういう対応を別に考えるべきかということを明らかにして対応すべきであって、中小企業に大きな影響を及ぼすからもうやっちゃだめなんだということだけでは、いまや外圧問題、先生も幾つかの課題をおっしゃいましたように大変な事態を迎えておりますし、私どもは雇用創出のためには基本的にこの問題の実現を急ぐべきだということで、当面は国会の中で明確な方向を打ち出してもらいたい。政府もそういう方針を打ち出していただきたい。そして銀行法の十八条の削除などから出発をして、全体的に公務員の試行問題も進んでおりますから、そういう具体的な実現へのプロセスはどういう道をたどった方がいいのかということを十分ひとつ議論をしていただきたい。  私どもから申しますと、週休二日制の特別立法を考えていただきたいというのが基本的なわれわれの姿勢でありますが、いま日本の置かれている状況の中で全体のコンセンサスが得られないなら、できるところから実施をしていく。その場合に、金融機関などからの実施がやはり大きな問題じゃないか。銀行なり郵便局が週休二日制を採用することによって全体的にそういう方向に波及をさしていくことは決して不可能ではない。中小企業対策なりあるいは問題の多いところには、それに見合う対応策を別途検討をしてもらうということをお願いしたいというふうに思っております。
  29. 内藤功

    内藤功君 時間が余りありませんので、雇用問題について富塚公述人にお尋ねしたいと思うのですが、まず第一点目は、先ほどから出ておりますが、減税についての勤労者の要求が非常に強い。きのうのある新聞の世論調査を見ましても四七%の人が景気回復にはまず減税という答えを出しておるんですね。それで国会の論戦なんかでもこの減税効果というものを非常に軽く見るという考え方も出てきておって、たとえば貯金でみんな消えてしまうじゃないか、消えるというのは問題ですが、貯金になってしまう。それからビールを飲んでそれで消えてしまうじゃないかというような議論さえ出ておりますが、総評事務局長としての富塚さん、いまの労働者の状態をよくおわかりと思うので、この減税が勤労者の購買力、消費力というものに与える効果、影響、景気浮揚に対する影響という積極面の点をひとつお話し願いたいということ。  それから二点目は、これもある新聞で、ことしの三月五日ですか六日ですかの新聞に、新宿の二幸前で救世軍のやっておるカレーライスの給食車に背広を着た人たちがいっぱいむらがって、夜八時までカレーライスの給食を待っている、非常にわれわれショッキングなニュースがあった。まず、こういう問題こそ政治が雇用問題で緊急にやらなきゃいかぬ問題だと思うんですよ。  そこで、私どもは、この現在の雇用保険の諸制度のほかに、失業手当制度というものを考えたらどうか。これはたとえば雇用保険の被保険者で失業給付を受け終わったけれども、なお今日の雇用状態の中で仕事につけないという方をひとつ対象にしていく必要はないか。それから被保険者でない方で職安に求職したけれども、また職業指導を受けたけれども、なお雇用にはつけないというようないわばアウトサイダーの方を救う意味での失業手当、具体的にはこれは賃金の六〇%ぐらい。そのかわりもうフランスでやっているような三百六十五日というふうなものを思い切ってつくるというようなことをお考えになっているかどうか、また御研究なさる気持ちはないかという点が二点目です。  もう一つだけお伺いしますが、解雇制限法の問題、これも大体御同感でございますが、やはり国会での論議を聞いていますと、解雇権の乱用という法理が確立されておるから、いまさら法律をつくる必要はないということが政府筋の議論であるんですけれども、この解雇権乱用というのは、裁判にかけましても、解雇権乱用というのは何が乱用か、果たして勝てるかどうか、もう至難のわざなんですね。ですから、やっぱり私は、あなたがおっしゃるように、解雇制限法をつくる場合は、許されない解雇はこういうものであるという要件をまずきっちり決めること、それからもう一つは、解雇というのは首を切るわけなんですから、人の生存を奪うわけなんですから、その事前手続をきっちりと決める、この二つはぜひ緊急に立法化する必要がある問題だと思うんです。  そこで、お伺いしたいのは、たとえばスウェーデンの解雇制限法、これは御研究になっていると思うけれども、たとえば解雇の裁判中は首を切れないというようなものもあるんですね。こういう世界資本主義国でも最先端を行っているものは取り入れていく必要はないかという点のお考えをお聞きしまして、多少ぼくの意見も言いましたけれども、総評事務局長としての富塚さんのお考えを聞きたい、こういうふうに思うわけです。
  30. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 第一の減税効果なんですけれども、私どもが日経連なり財界のそれぞれの代表の方々とよく議論をする場でも出てくるんですが、たとえば賃上げ、減税を行っても実際には個人消費伸びがない。昭和四十九年に三二・九%の賃上げをしたときにも、個人消費伸びは一・四きりない、あるいは実質成長率マイナスであった。五十年の一三・一のときの賃上げのときには六・一に消費伸びた。問題は物価問題だということを盛んにおっしゃいます。で去年の三千億プラス三千五百億の減税効果についてもいろんな見方がありますが、野村総研なり、あるいは国民経済研究協会などの発表でも徐々に伸びてきていることは証明されているわけですね。ですから、私どもは、大幅な減税、賃上げも可能な限りやることが大事だという観点に立って今日までも主張を続けてまいりました。  われわれの立場にすると、三〇%の赤字国債発行の幅を若干考えてもいいというくらい緊急避難的に、賃金なり雇用なり、内需拡大雇用確立の問題で提起をしたんですが、実際は、衆議院を通過した予算案では生かされていないということに非常に不満を持っています。同時に、貯蓄型志向という問題で日本の場合には二五%あるいはヨーロッパは一二、三%、アメリカは一〇%とかという貯蓄型志向が統計に出されていますが、これは先ほどおっしゃいましたように、やはり日本の老後の生活保障、不安定な生活条件の中で日本はある程度こういう状況になっている、だから貯蓄に向けるから消費拡大にならぬ、内需拡大にならぬという論法は成り立たない。むしろ老後の生活保障のことをしっかり政治的な分野でも政策的にも位置づけて対応してもらうことが必要なんじゃないかというふうに考えています。  われわれ労働者仲間では、減税が三千億程度になってしまったことについて、そんなら一%の賃上げでも二%でもその分よけい取らなければいけないということに変わってきた。非常にこの国会での予算修正が十分になされなかったことに落胆をしているというか、そういう職場の空気がみなぎっておることだけは事実であり、その分、私どもは春闘に対する責任も大きいだろうという、いまそういう自覚に実は立っています。  それから、失業手当の問題なんですが、私ども、雇用保険受給が終わっても、雇対法で職業転換給付金あるいは雇用保険のない人にも雇対法で給付金ということで三年間の要求ですね、こういうものをいま提起をして要求をしているわけであります。失業者をどう救うのか、あるいは解雇をさせないようにどうするのか、あるいは雇用創出をどうするのかという三つの課題が非常に重要でありますが、やはり労働者の意見は、失業したらだれでも一日二千円で三年間ぐらいもらえるような制度を、わかりやすいそういう制度をつくるべきじゃないかという意見が非常に多く出ています。しかし、現実に複雑な雇用に関する法律がたくさんあったり、具体的な中ではむずかしい点があることも承知をしていますが、将来はもっと、先ほど申し上げましたように、簡潔な法体系に直してもらって、そして失業者をどう救済をしていくかという、わかりやすい、しかも納得ができる、条件が満たされる、そういった方向に直していただきたいというふうに思います。  解雇規制の問題のことについても実は頭を痛めている問題なんです。と申しますのは、いま東京でも三多摩、大阪、兵庫などは非常に厳しい条件にあり、中小企業倒産などが目立っている。われわれは希望退職に応じてはならない、もっと解雇制限をさせるためにしっかりした企業なり産業別の歯どめをかけたいということを考えるんですが、実際はもう退職金をもらえる前に、もらえないという状況が出る前に、やめてしまいたいという人が多い。そして、この雇用保険で生活をして、その方々はやがて一体、私は田舎の農村地帯、出生地帯にUターン現象で帰っていくだろう、だから地域経済開発雇用創出も重要だと、こう思うんですが、この解雇制限問題はもっと法律的に歯どめをきちっとどうかけていくかということについて、中小企業実態がこうだから、あるいは零細企業はこうだからという観点だけでこのことが放置されることを非常に不満に思っています。ですから、国が解雇規制の一つの——もちろん限界があるでしょうけれども、法律的な措置によって解雇規制が明確にされるように私どもは一定の基準をつくっていただきたい。同時に、企業間、産業間では労働協約の中でそういう方向について努力をしていくということも検討をしているということであります。その趣旨は全く賛成でありますので、ぜひ御努力をしていただきたいというふうに存じます。
  31. 栗林卓司

    ○栗林卓司君 お二人に一、二点ずつお尋ねしますけれども、時間がもうございませんので簡潔な御答弁で結構でございます。  最初に、青葉公述人にお尋ねしますけれども、経済見通しの問題、これまで国会で議論しておりますと、政府の答弁というのは、これは予算を編成する参考資料につくったんだから、そう厳密な議論をされても困りますというのが従来の例でございました。ところが、ことしはのっぴきならない形で七%という政策目標が提示されて議論になった。これは私一つの進歩だと思います。そこで、その目標という目で見たときに、五十三年度経済成長率目標についてどうお考えだろうか。仮に政府と同じとしますと、五十三年度は、まあ五十二年度五・三%並み、とんとんのいっぱいではあるまいかというお話は、実はそれでとまらなくて、目標に近づけるために何をなしたらいいのかという議論になろうかと思いますので、その点を伺いたいことが一つ。  それからもう一つは、同じように目標という性格を持たされましたものに経常収支六十億ドルという問題があります。確かにおっしゃったように百億ドル前後にいけばいい方かもしれない。となると、六十億ドルとの見合いで秋から暮れにかけまして私は日米関係が再び緊張するんじゃないか、その点についてどういう御判断をお持ちなのか。  以上、二点伺います。  それから、続けて富塚公述人にお尋ねしたいのは、古典的な不況を考えますと、物価が下がる、失業が出る、賃金が下がる、こういう仕組みですけれども、いまはどうかというと、物価に対しては抑制圧力がかかりますけれども、賃金は断固がんばって下がらない。これを企業はどう受けとめるかというと、合理化、減量経営で受けとめますから逆に失業がふえる、いわば失業が増幅するという動きだと思います。といって、私は賃金下げろと言っているのではありません。やはり成長政策でこれは改善していかなければいけないと思うんですけれども、現状は御案内の状況だ。  そこで、週休二日制という問題を考えますと、時間当たり賃金率では、これは賃上げと同じ効果を持つ。これを企業がどう受けとめるかというと、やっぱり合理化、減量経営で受けとめちゃうだろう。私は、週休二日というのは、公正な国際労働基準なり日本労働条件改善という観点から真剣に取り組まなければいけないという論者の一人なんですけれども、雇用問題から見ると、むしろこれは失業をふやす方により大きな効果を持ち得る制度なんだ、それをたたんでおかないと間違えるんじゃないか。週休二日だと雇用がふえるというんじゃなくて、週休二日というのは、実は時間当たり賃金の賃上げに近い。それは合理化を誘発してむしろ雇用を減らす作用が多いんだと警戒してかかるべきではないか。この点の御見解を伺います。
  32. 青葉翰於

    公述人青葉翰於君) まず最初に、経済見通し七%が私は五・三%程度ではなかろうかと申し上げましたが、七%を実現するために何かやらなくちゃいけないんじゃなかろうか、こういうお尋ねでございますが、これはこれから国会で御判断になりまして、どうしても七%をやれということであれば補正予算を組むということが当然に浮かび上がってきます。その辺は国会の御判断ではなかろうかと、かように思います。  それから、六十億ドルの達成が困難だということであれば、一体それでアメリカの方からまたやかましく言われるんじゃなかろうか、それをどう思うかと、こういうことでございますが、これに対しましては、最初のお話で申し上げましたように、こちらばかりでなくアメリカさんの方にも赤字国責任ということもちっとは考えなさい、ことにキーカレンシーであるドルの国としてはもうちょっと考えてもらわなきゃ、こっちばかりで幾らやってもそう簡単にはいきませんよということで、まあかけ合うといいましょうか、かけ合うほかには道はないんじゃなかろうかと、こう思います。  それから、週休二日制の問題は、失業をふやすという作用もあるという御見解についてどう思うかと、こういうことでございますが、これはいろいろな角度から見られるわけでしょうが、原則論で申し上げますれば、雇用が余っているときは、働く日数を減らすということで週休二日制を進めるということが、むしろ失業をふやすことに対するてこになるというふうに私は思っております。しかし、私はまた週休二日制については別な考えを持っておりまして、たとえば役所が週休二日制になるとか、あるいは銀行が週休二日制になるということは、国民に対するそういう公共機関のサービスを低下させることである。交代でお休みになるのはこれはもちろん結構でございますが、いま土曜日に、役所の窓口、ことに区役所とか民衆に接する役所の窓口、それから銀行の窓口がいかに混雑しておるかということを考えますと、私はそういう公共的な機関の週休二日制は御遠慮を願うことが国民の幸せにつながるのではなかろうか、こう思っていることをついでにつけ加えさしていただきます。  以上でございます。
  33. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 週休二日制を採用することによって、企業が時間当たりの賃金アップなどになり合理化を誘発するんじゃないか、どういうふうに雇用との関係で考えるかという質問だと思うんですが、私どもは、やはり仕事を分け合うという、そういう基本的な立場に立つべきでないかということを原則として主張をしているのであります。また、日給制とか月給制、さまざまな態様があり、かなり日給制を採用されている労働者もあるわけでありまして、それぞれの条件というものを十分見きわめた上で一つの整合性を考えて対応していくようにしなければならないんじゃないかというふうに実は考えています。したがってストレートに合理化誘発という、そういうふうにならないような手だてというものを真剣にやっぱり考えていくべきだろう。いま置かれている仕事の状態というものをやっぱりみんなが分け合っていく、そういう対応がないと乗り切っていけない、雇用創出につながっていかないというふうに考えています。
  34. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 以上で景気動向及び雇用問題に関する会議は終了をいたしました。  一言、ごあいさつ、御礼を申し上げたいと思います。青葉公述人及び富塚公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。拝聴いたしました御意見は、今後、当委員会の審査に役立つものと確信して疑いません。ここに委員会を代表いたしまして両公述人に厚く御礼を申し上げます。(拍手)  午後一時から公聴会を再開することとし、これにて休憩いたします。    午後零時六分休憩      —————・—————    午後一時二分開会
  35. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 予算委員会公聴会を再開いたします。  一言ごあいさつを申し上げます。金澤公述人及び谷山公述人におかれましては、大変御繁忙中、貴重なお時間をお割きいただきまして本委員会のために御出席をいただきましたことを、委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。本日は忌憚のない御意見を承りまして、今後の審査のために参考にいたしたいと考える次第でございます。よろしくお願い申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。まず、お一人十五分程度の御意見を順次拝聴し、その後、委員の質疑にお答えいただきたく存じます。  それでは、これより順次御意見を承ります。まず、農業問題に関し、東京大学教授金澤夏樹君にお願いをいたします。金澤公述人
  36. 金澤夏樹

    公述人(金澤夏樹君) 東京大学の金澤でございます。  農業問題につきまして、ふだん私が考えておりますことを申し述べさしていただきたいと思いますが、特にいま問題になっております生産調整問題を中心といたしまして述べさせていただきたいと思うわけであります。  いま、御承知のように生産調整という問題と、それから外国からの農産物の輸入という問題、この二つの問題でまさに日本農業がかってないような危機に突入しているような印象を内外ともに持っておるわけでありますけれども、生産調整というかつてないお米の生産調整、したがいまして、これに伴う転作の奨励、さらにそういう事情のもとで外国農産物の輸入の圧迫というようなことで、ネコの目農政と言われますが、一見したところ、大変その基本方針が定まらないような一般的な印象を持つのが世間の私は農政に対する印象だろうと思っております。しかし、この一見対立的な感じに見えます転作あるいは生産調整、農産物輸入という問題は、私の見たところでは、やはり一見相対立しているように見えておりましても、実は同じ政策発想に基づいておるところがすこぶる大きいのではないかというふうに思っております。ネコの目農政と批判することは大変容易でありますけれども、その奥を見抜くことが私は大事ではないかと思うわけでありますが、何が同じ政策発想かと、こう申しますと、結局それは物の農政、あるいは需給調整農政と申しますか、さらに単純に申しますならば単品の需給の調整政策ということではないかと思うのであります。  物の農政とは何かと申しますと、たとえば稲作農業について申しますならば、関心は、お米をつくるその農業主体の育成ということではなくて、できたお米をどんなふうに見るか、どんなふうに調整するかというふうな商品としての米の関心は非常に強いけれども、それをいかにつくるかというその農業者の視点というものは一体どうであったかと、こういうことであります。したがいまして、しばしばこれに対立するような食糧自給ということも、本来はこれは日本農業の将来のあり方として非常に重要な構想なのでありますけれども、しかし、これも時としては単なる自給論でしか論ぜられないというふうな場合も私は非常に多いのではないかと思うのであります。したがいまして、こういった批判も、この物の農政と同じ土俵内だけで批判ということが終わりますならば、私はそれは単に行政上のいろいろな措置の問題とか、あるいは技術上の問題とかというふうなその議論に終わる問題が多いのではないかと思うのであります。やはり新しい農政の視点として考えますならば、その欠けている問題、つまり人の農政と申しますか、経営の育成政策と申しますか、この点からの検討が必要なのでありまして、生産調整という問題も実はこの点からの十分な検討を実は加えるということこそ私は非常に重要な姿勢ではないかと思うのであります。  どのような経営をこれから構想するのか、育てていくのか、こういう新しい農業の姿として、あるいは経営の姿としてのイメージがなくて、ただ、単品だけで足りる足りないというふうな議論だけでは、私は非常にその視野が狭いわけでありまして、したがいまして、輸入に対しましても何ら守るべき構想がないままに各個撃破をされていくというふうなことではないかと思うのであります。したがいまして、農政見直しの実は最大の眼目というものは私は経営政策であり、人の農政の確立だろう、こういうふうに思うのであります。  そして、実はその作付転換という問題は、私の見ましたところ、明治以降、日本の農政の中ではしばしば繰り返されてまいりました常套手段とも言えるものだと思うのであります。たとえば、大きなその作付転換二つの事例を申し上げますと、皆様御承知のように、一つは、例の米騒動のときの米価の非常に高騰した時代に国を挙げて米の増産政策をやった。特に畑を開墾いたしまして大々的に水田を造成いたしました。そしてそのときには非常に大きな助成金を開墾助成法という名目で与えたわけであります。さらに、台湾や朝鮮の産米増殖ということで、国を挙げての米価鎮圧のための米の増産政策、つまり作付転換を推進いたしました。それから十年たちましたけれども、御承知のように昭和恐慌のときはそれとまるで逆のことでありました。米価低落。したがいまして、この米価低落にさらに一層拍車をかけましたのは十年前の増産政策。こういうことで、今度はそれに対して米をいかに減少させるか、それに対しては一定の奨励金を与える。こういうようなことで、これもまた今日で言う減反政策のはしりがあったわけであります。  こういうことで、物の単品としての需給政策ということは、しばしばそういうようなことで、あるときには経済的な不況、あるときには経済的な好況、物価上昇物価の下落というふうなことで、農民は右を向け左を向けというふうなかっこうの中で主幹作物を変えさせてまいりました。しかし、こういうことでは御承知のように農業の本当の育成ということはできないわけでありまして、私は、今日においてもなおそういった物の単品の需給政策の思想のみが農業政策を大きく形成している、この点がひとつ問題ではないかと思うのであります。  最近、特に農業基本法以来、こういうことではいけない、農業経営をもっと強くしなきゃいけない。やはり問題はその物を担当する、生産を担当する農民の強化にある、こういう反省が実は強かったのでありますけれども、御承知のように自立経営構想も実は成功いたしません。成功いたしましたのは米の生産性向上、機械化、規模拡大、こういうようなことで米の能率化は非常に進みましたし、それから基盤整備も進みました。しかし、つくっている農家それ自身は楽にはなりましたけれども、大部分が兼業農業に走っていく、こういう傾向をとったわけであります。  さらに、構造改善事業等々によって非常にその経営の育成ということも心がけたわけでありますし、それなりの成果もあったわけでありますけれども、基本的にはその能率化、単品の能率化、米の能率化であって、稲作経営の安定とは必ずしも結びつかない形でのその米の能率化、したがって兼業化と。しかも九〇%に及ぶ兼業農家の増大発生、これはつくるものは結局米という形になりまして、大きく日本農業が一層米への偏重を進んでいく、こういうような形になったわけでありまして、私はいま現在生産調整、転作問題等を本当に意味づけるならば、その単なる単品政策でのやりとりの問題のみではなくて、こういった本当の経営育成政策というものをひとつ日本の農政の大きな柱として構想する、こういうことでなければならないかと思うのであります。  どうも私は、日本農業のいままでのいろいろな形を考えておりますと、政策を考えておりますと、農業経営をつくるということは大変よく言うのでありますけれども、農業経営というその構想を確立するという点には大変弱いようであります。すぐにヨーロッパのまねをする。ヨーロッパの機械化のまねをする。しかし、ヨーロッパの農業というのは御承知のように乾燥農業でありまして、日本のように夏の高温多湿、肥料をやればすぐに倒れるというふうな風土条件と違いまして、その乾燥農業というのは非常に機械化の簡単なものであります。その中で日本農業は非常に苦労いたしまして増収もいたしましたし、機械化も進めてまいりました。しかし、機械化は進めてまいりましたけれども、いま申し上げましたように経営の構想がないものでありますから、年間、農業が動くというふうな形をついに考えることができない。  そして、このごろ言われております複合経営ということも大変単純な理解をいたしておりまして、要するに労力が余るから、冬の間に何かつくるものはないかというふうな程度の理解しかない。複合経営というのはそうではなくて、それももちろん複合経営でありますけれども、農業に投下された大きな資本装備、高い土地、能力ある水田、こういうものをできるだけフルに活用して、年間動ける農業にするための一つの努力が複合ということの意味であります。  こういうふうな理解がありませんから、何かひとつ稲作の機械化が非常に進めば、そのまま経営が安定し収益が高くなるというふうな直結した考え方をしやすい。ここに私は非常に問題を感ずるのであります。しかし、転作ということは、そういう意味で、私は転作という言葉が実は余り適当な言葉ではないと思うのでありまして、要するに米から何かに変えればいいというふうな意味では困るのでありまして、大きく新しい農業の土地利用、機械利用、労働力利用というものを一体化した一つの経営の構想を考えるということが複合経営の意味でありまして、そういうことになりますと、現在日本の条件になりますと、言うべくして非常に困難な問題をたくさん持っておるわけであります。  われわれは、理論上、複合経営のあるべき姿ということをいろいろ構想しておりますけれども、大変実はむずかしい問題を持っております。と申しますのは、第一に基盤整備の問題であります。実は構造改善事業等々において基盤整備はずいぶん行われましたけれども、それは要するに多くの場合、機械を導入するための区画の拡大ということが中心でありました。水をかけたり落としたりして、たくさんに作物の自由選択ができるような意味での耕地基盤というものはずっとおくれておりました。いま大体裏作が可能というのは三〇%だと言われております。  それから、一体転作しても、その市場をどう考えたらいいのか。一体売れるのか、消費はどうなるのか。こういうようなことの検討も実は足りない。そういう意味で、すべて中央市場が中心でありまして、地方市場の確立ということはまだまだ弱い。消費の宣伝ということも何かいたしますと、すぐにオーバープロダクションという問題に突き当たる。しかし、この農産物の現在の問題を見ておりますと、まだまだ私は米以外のいろいろな商品につきましては消費拡大の余地というものはあるように思うのであります。  三番目には、やはりつくっても価格というものが一体どうなるのか。これは市場の問題と関連しております。現在、御承知のように奨励金等々によりまして、まあ特定作物については七万円ばかりの奨励金がついておりますけれども、この奨励金でもって本当に転作というものが安定化できるか。転作の問題というのは、確かにこれは長い時間をかけて本当に経営の基礎をつくることでありますから、一定の時間が必要なことは当然でありますけれども、この奨励金というかっこうで問題が処理できるのか。  実は、この奨励金をめぐってたくさんの問題が生じております。利用者と所有者の問題についての矛盾というようなこともたくさん問題が出ております。たとえば農地の利用権設定をいたしましたときに、地主は単にその地代をもらいますけれども、農協にその管理を委託すればもう少し高い奨励金がもらえるというようなことで、利用権自身の設定も危うい面も一面にはあるような問題がある。それから野菜等の問題もある。この価格などもどうするかというような問題があるのであります。  最後に一つ申し上げたいのは、しからば、私はこういうふうに経営政策、人の政策が必要だということを申し上げましたけれども、実はこういうことをいかなるかっこうで政策体系に乗せるかという、そういう構想がもう一つ必要なように思うのであります。つまり、いままでのように私は国ができる政策ということと、それから構造政策のようにむしろ下から積み上げていかなければならぬ政策とは、これはいままで国が熱意の余り一体化してやってまいりましたけれども、先ほどのような構造政策のようなものは物の政策の発想から出てまいりますとどうしても十分な成果を上げることができない。日本のいままでの農業経営に関する政策というものは、おおむね私は十分な成功を見たものはないと思っております。農業基本法による構造政策等も、初めの構想は経営構造の改善ということでありましたけれども、実は経営というその生の構造の改善に接近することができないままに、政策上の単なる行政に乗るような形での構造政策しかできなかった点にある。  こういう意味で、これから経営政策というものは、従来の私は行政体系とはやや違った体系でないと、この下から上がってくるようなものはなかなかつくり上げにくいのではないか。そこに私は国がひとつ力を入れております地域特対事業というものに大変目をつけるのであります。地域特対事業は、今度の予算におきましても一つの目玉と申しますか、力を入れたもののようでありますけれども、しかしこれもよほど注意をいたしませんと、従来の国のそのトップダウンの体系から言いますとなかなか育ちにくいものであります。まして今度は生産調整とダブったようなかっこうで地域特対事業が進められているようなかっこうになっている。私は、初めからこの生産調整地域特対事業との調整ということを大変強く考えておりました。  時間が参りましたのでこの辺で失礼させていただきたいと思いますが、生産調整地域特対事業との関連なども十分に検討しておくべき必要があり、どうしても私は皆様方にお考え願いたいのは、その構造政策という下から積み上げていくその農政の体系を、国のもう一つの行政体系と並んで、農政の柱を二本打ち立てる必要がないか、そしてその調整も考えていく必要があるのではないか、こういうことを申し上げて終わらせていただきたいと思います。どうも失礼いたしました。(拍手)
  37. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) ありがとうございました。  次に、財政・税制に関し、谷山税制研究所谷山治雄君にお願いをいたします。谷山公述人
  38. 谷山治雄

    公述人谷山治雄君) ただいま御紹介にあずかりました谷山でございます。  私は税務の専門でございますので、主に税制の問題について私の意見を申し述べさせていただきたいと存じます。  まず第一に、今回の昭和五十三年度予算におきましても、所得税の減税政府案におきましては全然考慮されていなかったという、そういう問題がございます。先生方も御承知のように、昭和四十九年にかなりの程度所得税減税が行われまして以来、ほとんど減税らしい減税がございませんで、特に昭和五十一年度では減税が中止されましたし、今回も政府案におきましては全然考慮されていなかったという事情がございます。現在の所得税の人的控除の水準から申し上げますと、私が申し上げますのは基礎控除、配偶者控除、扶養控除のことでございますが、四人家族で百十六万円にしかならないわけでございまして、今回の昭和五十三年度予算によりますと、四人世帯の生活保護費は約百二十七万円になるわけでございますから、所得税の人的控除は、減税の事実上の中止という改装によりまして生活保護費の水準を下回っているというこういう状態にあるわけでございます。幸いにしまして、昨年は政府の方でも若干の物価調整減税を行い、さらに所得税の戻し税という形でもって三千億円の減税が追加をされたわけでございますが、今回、また国会の諸先生方の御努力によって三千億円程度の戻し税が行われるそうでございますけれども、私は全体の規模から言いまして、所得税の減税規模なり内容は非常に過小であるというふうに考えるわけでございます。その過小という意味は、一つはいま申し上げたように所得税の人的控除が生活保護費を下回るという、そういうような税制そのものの問題が一つと、もう一つは現在非常に必要になっております景気回復という観点からも非常に過小であると、かように考えるわけでございます。特にこのような所得税の減税の中止という問題が、一方では土地税制の緩和であるとかあるいは設備投資減税であるとか、そういうことが行われる反面、いま申し上げた減税の中止ということが行われているわけでありますから、私はこれは国民としましてもなかなか納得しにくい問題であるというふうに考えるわけでございます。  そこで、所得税減税をやらないという問題の背景と申しますか、基礎につきましては、二つ問題が提起をされていると存じておるわけでありますが、一つ景気浮揚との関係でございます。もう一つは現在の日本国民の税負担率の問題でございますが、第一の点から私の意見を申し述べさせていただきますと、公共投資がいいか減税がいいかという、そういう議論が昨年以来ずうっと続けられているわけでございまして、私の意見ではあれかこれかという問題ではないとは存じますが、しかし、減税効果というのはやはり非常に無視できない大きな問題があると存じます。  政府が提出しました資料を拝見いたしますと、昨年所得税の減税をやりましても消費支出は余り伸びなかったという、そういう数字をお出しになっておられますけれども、これは私、非常に短絡的な見方ではないかというふうに思うわけでございます。実は昭和五十一年の六、七、八月の統計と昨年の昭和五十二年六、七、八月の統計を見ますと、明らかに昨年の方が消費支出が伸びているわけでございまして、私はもちろん全部所得税の戻し税の効果と断定はいたしませんけれども、しかし少なくとも、消費の増大に効果がないという、したがってまた景気の浮揚に効果が余りないという、そういう議論には私は簡単にはくみすることができないんじゃないかと、こういうふうに考えるわけでございます。そういうわけで、私は公共投資減税かという二者択一の問題ではなくて、減税の問題というのは、いま申し上げたような税制そのものの問題としましても、また景気対策としましても、両方の観点からじっくり諸先生方に御検討を願いたいと存ずるわけでございます。  なお、ここで一言つけ加えておきますと、仮に所得税減税によりまして消費支出が余り伸びない、むしろ貯蓄に回るというような、そういう議論もございますけれども、私は貯蓄に回るから悪いという、そういうまた議論もおかしいというふうに思うわけでありまして、これはやはり不況や生活苦に悩みます国民にとっては、貯蓄がふえること自体も結構なことなのでありますから、そういう点で、余りあれかこれかという短絡的な議論というのはどうかというふうに疑問を持っているわけでございます。  次に、減税の中止の背景になっております議論といたしまして、現在の日本の国民の税負担率が特に先進諸国に比べて低いという、そういう問題が出されておるわけでございます。私は、いろいろ政府の統計も私なりに見ておりますけれども、まあこういう言い方はあるいは政府にとって失礼かもしれませんが、どうも一方的な資料が出てくるのではないかというふうに考えているわけでございます。私は参議院というところは良識の府であるというふうに言われておりますのを存じておりますけれども、ひとついろんな資料を政府側から出していただいて、いろんな角度からひとつ御検討を願いたいというふうに思うわけでございます。  そこで、時間の関係上余り細々したことを申し上げますとなんでございますから簡単に申し上げますけれども、まず国際比較の問題につきましては、私はまず第一に、やはり日本日本の事情があるわけでありますから、日本の事情から出発すべきでありまして、いわゆる国際比較を無条件、無批判に受け入れるべきではないというのが第一に申し上げたい点でございます。  次に、第二の点は所得水準との関係でございまして、簡単に申しますと、たとえば所得二百万円の者が五%の税金、十万円の税金を負担する場合と、所得四百万円の者が四十万円、一〇%の税金を負担する場合と、どちらが税金に対する苦痛が大きいかという問題がございまして、これはもちろん主観的な要素も入るとも思いますけれども、一つの税の苦痛係数とでも申しますか、苦痛の度合いとでも申しますか、そういうものをやっぱり国際比較の場合には考える必要があると一存じます。  次に、第三には実際の数字の問題でございますけれども、OECDその他国際統計では、国民総生産に対する税負担率という統計が広く行われているわけでございます。そこで、比較をする際の一つのポイントになりますことは、たとえば先進諸国、特にヨーロッパ諸国におきましては、いわゆる一般消費税であります付加価値税があるわけでございまして、これのあるなしが税負担率に大きな影響を与えているわけでございます。時間の関係で簡単に申し上げますけれども、たとえば日本の場合には一九七八年、つまりことしの予算の数字を見ますと、GNPに対します税負担率は一六・四%というふうになっております。一九七六年の西ドイツの数字を見ますと、二三・九%となっておりまして、日本よりもはるかに高い数字が出ているわけでございますが、西ドイツから付加価値税を差し引いた税負担率を見ますと、西ドイツの場合には一八・七%になりまして、大分日本と接近をしてくるわけでございます。フランスの場合はどうかと言いますと、同じ年度でございますが、二三・七%という負担率でございますが、これも付加価値税を差し引いた税負担率を見ますと、一三・八%というぐあいに日本よりも低くなってまいります。同様にイタリアも申しますと、一八・八%という数字が一四%というぐあいに低下をしてまいりまして、大体このGNPに対する税負担率というのは、ある意味では日本はフランス、イタリーよりも高い、西ドイツともそんなに大きな差はないということになるわけでございます。  そこで、一般消費税の問題もあるわけでございますけれども、これは今回の予算では出ておりませんので、私個人の意見を簡単にまず申し上げてみたいと思いますが、一般消費税はもちろん大衆課税でございますので私は反対でございますけれども、日本の場合には、いま申し上げた一般消費税がないかわりに、非常に基礎物資が高い問題とか、あるいは生活や将来のために貯蓄をしなきゃならないとか、そういうことが一般消費税のないことにかわりをされておるといいますか、代替されておるといいますか、そういうことが一つ問題になってくるので、その辺のやはり国民の生活構造といいますか、生活水準といいますか、そういう問題と、それから財源構造の問題と両方を私は慎重に検討をしませんと、いたずらに日本の税負担率が低いから増税が必要であると、そういう議論は私は一理はあっても少し短絡的に過ぎるのではないかと、こういうふうに考えるわけでございます。  さらに、具体的な問題についてもう一つだけ申してみたいと思いますが、所得税の負担も日本は低いというふうに言われているわけでございますが、これもフランス、西ドイツ等と比較いたしますと、決して低くはないわけでございます。これも時間の関係上簡単に申し上げますけれども、西ドイツの場合には、御承知のように扶養控除にかえまして児童手当というのが非課税で支給されます結果、児童手当を税負担から差し引きますと、給与所得者の場合には、私の手元に用意しておりますのは年収三百万円及び五百万円という給与所得者の場合でございますが、西ドイツと日本とほぼ同じになります。それから事業所得者の場合を見ますと、西ドイツの方がむしろ所得税負担は低くなってまいるわけでございます。さらにフランスの例で申しますと、政府の統計で見ますと、フランスの所得税の計算については社会保険料の控除をしないで税負担を計算しておりますけれども、これは現実の税法におきましては、フランスの税法では社会保険料控除はあるわけでございますから、実際にこれを計算しますと、さらにフランスの所得税は日本よりも低くなるという、そういう結果が出てくるわけでございます。  将来、所得税負担についてどのような構想を考えるかは問題があるところでございますけれども、私のここで申し上げたいことは、ひとつそういったいろんな統計について、とにかく参議院の諸先生方におかれましては、いろいろな角度から資料をお取りそろえになって、総合的にひとつ御検討を願いたい。単に税負担率が低いから増税であるということには簡単にはくみしないでいただきたいというふうに考えるわけであります。  時間の関係でもう一言だけ申し上げたいと思いますが、第三に私が申し上げたいことは不公平税制に関する問題でございます。これにつきましてはもうすでにいろいろな角度から議論をされておりますので、ここで私がとやかく申し上げる必要はないと存じますけれども、現在の税制調査会等の答申を見ますと、不公平税制の範囲につきまして非常に狭く限定をして考えておられるわけで、非常に多額の税収を失い、かつ不公平のもとになっておりますたとえば引当金とか受取配当の益金不算入とか、そういう問題につきましては、これは課税所得計算の合理化であるとか、あるいはこれは法人税の基本的な問題であるとかというふうな言い方をしまして、不公平税制といういわゆる範疇から外しているわけでございます。これは非常に大きな問題でございまして、この点、不公平税制とは何かという観点から、ぜひひとつじっくり御検討を願いたいというふうに考えるわけでございます。  私の意見を一言で申し上げますと、不公平税制というのは、要するに税負担の累進性といいますか、いわゆる累進的な負担というものを損なっている、こういう税制は私は不公平税制だというふうに考えておりますので、ひとつそういう点を御参考に供していただきたいというふうに思います。  最後に、私はこの不公平税制の問題につきまして一般に言われておりますことは、フローに対する、つまり所得に対する不公平税制の問題がいろいろと言われているわけでございますが、御承知のように、昭和三十年あるいは昭和三十五年から続きましたいわゆる経済の高度成長過程で、いわゆる財産の蓄積に関する不公平の問題も私は注目をしなければならないというふうに考えるのでございます。そこで、今後不公平税制の問題を考えます場合には、そういうストックに対する、つまり蓄積に対する課税という問題についてぜひ考える必要があるのではないか。特に経済の高度成長が終わったというふうに言われておる現在でございますので、従来の高度成長時代のそういったまあ悪しき遺産とでも申しましょうか、そういったものについて着目をして税制の改革を行う必要があるのではないかというふうに考える次第でございます。  まだいろいろ申し上げたいことはたくさんございますけれども、時間の関係上、以上をもちまして私の公述を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
  39. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) どうもありがとうございました。  なお、ちょっと申し上げておきますが、金澤公述人は学校の御都合もありまして、二時十分に御退席を御希望されております。したがって、金澤公述人に対する質疑を先にいたしたいと思います。  なお、公述人には三名の方から申し出があっておりますので、それを御勘案の上御質疑を願いたいと思います。
  40. 亀長友義

    亀長友義君 金澤先生にお聞きしたいのでございますが、生産調整その他の問題に関連して、現在の政策が経営という問題を非常に低く見た政策がとられておるという御指摘があったように思いますが、私も事実そういう御指摘には賛意を表せざるを得ないと思います。生産調整とかあるいは外国農産物の輸入とかという問題が、時代の移り変わりと申しますか、日本の国際経済化に伴っていろいろ出てまいりまして、そういうところから非常に現在の農政のむずかしい点があるということも御指摘のとおりだと思いますが、そういう意味で、どちらか言えば、農家に対しては、この部屋の中でおまえたち進んでいける道を考えろと、こう言われるのですけれども、個々の農家の人にとってみれば、一人で空気も吸いたいと、やりたいこともやりたいというのが私は農家の気持ちだろうと思うのであります。ただ、そうかと言って、決していままでの政策に経営対策がなかったというわけではありません。御承知のとおり、土地改良あるいは農地法の一部手直しによって借地農業を進めていくとか、あるいは総合資金制度を創設するとか、改良資金をつくるとか、いろいろあったと思うのでありますが、どちらか言えば、率直に言ってやはり農産物需給という大波の前に押されがちだということもはっきり言えると思うのです。  そこで、むしろ私はお教えをいただきたいのでありますが、経営の問題という場合に、やはりこれを個々の人が考えるのじゃなくて、国の政策レベルとして取り上げていく場合にはどういうとらえ方をしたらいいのか。先ほど下から積み上げるのだというお話もございましたが、御承知のように、日本の農家が大きさにおいて他の産業に比べれば非常に平均化いたしておりますけれども、やはりそこには大きいのは五町から末端は五反、六反まで、少なくとも農業で暮らしている人にも幅があるわけでございます。さらに気象条件というのも非常に違うし、日本のように細長い列島でございますので、山あるいは平地あるいは北海道と南、大変違っております。こういう形で経営ということをとらえていく場合に、やはりどういう対象をとるのか。かつて自立農家ということをやったこともありました。さらに、日本生産力から言って兼業農家も無視すべきでないという議論もございます。この辺について先生はどういうお考えを持っていらっしゃるかお伺いしたいと思います。
  41. 金澤夏樹

    公述人(金澤夏樹君) お答え申し上げたいと思いますが、私もいままで日本の、特に基本法以来、農業経営の育成ということにつきまして国がいろいろ施策をとってまいってこられたことは評価いたすのでありますけれども、しかし、それがなぜ所期の目的を十分に達成するまでには至らないのかという点に非常に私は吟味を要する問題があるのではないかと、こういうふうに思うのであります。と申しますのは、どうも国自身がその構造改善等々についていろいろ計画をつくりまして、下におろして経営の育成をしていくというふうな問題になりますと、私は十分にその経営が育っていくようなものには大変遠い点をどうしても残すのではないかというふうに実は考えておるわけであります。したがいまして、その経営の育成ということは、昔から国家の干渉と農業経営の育成とはどんなふうであるべきかということは学問的にもずいぶん議論のあるところでありますけれども、私はこの構造問題につきましては、もう少し地域におろすべき政策の体系があるのではないだろうかということをこの数年来頭の中で考えておるわけであります。幸いにして地域特対事業というようなことは、私が頭の中に描いたものと同じかどうかわかりませんけれども、少なくともその末端のものから計画を立てさせてそれを市町村に積み上げて、さらにできれば県にも積み上げてというふうな構想を持っておるわけであります。  それが一体どううまくいくかということは、まさにこの集落なら集落段階あたりでのあの指導がどんなふうにおろされるかという点にかかっているかと思いますけれども、私は農協、市町村、こういうものが合体化して地域農業計画を立てて、さらに県の段階に進んで、県としてどういうふうな農業を自分のところでは構想の上においてつくり上げていくかというそのプランをまず私はつくってみせることが非常に大事なのではないかと思うのです。ところが、当然御心配のように、そのプランは国の需給政策とかなり隔たりがあるのはある意味で当然であります。それをどこで調整するかという実は問題があろうかと思うのです。ところが、残念ながらいまのところはそういう生産調整なりのプランがそのままその地域農政の末端の計画を立てているその最中に実はおろされていって、あなたのところではこれだけの生産調整をしなさいと、こういうことでありますから、思い切ったオリジナルな計画というものはなかなかできにくい。私は、出すところまでは出させてみると、そしてその上で調整をする必要がある。どこで調整をしたらいいか、こういうふうなことを考えておりますが、たとえば県なんかは大変もうめんどうくさがりまして、要するに生産調整の引き受け役を地域特対事業がやるのか、あるいは国がやるべきことを県がしわ寄せさせられているのかというふうな不満を持っているところもありますけれども、本当はそうではなくて、私は県農政というものが国と地域との間に上がった計画の中で右往左往して調整をするような方法を考えられないのか、県がもう少し、おりてきたパイプ役だけではなくて、もう少しそういった県農政の全体の構想を立てた中で、国のそういった生産調整はどうしてもある意味で大事なことでありますから、この間の調整を右往左往して県が苦労するというところに、実は県農政というものがもっと大事に考えられるべき役目であるんではないかと思っておりまして、その県の農政というものに私は非常に期待するところが大きいのであります。  それからもう一つの御質問は、一体どういう農家をその経営政策の対象としては考えるのかと、こういうことでありますけれども、それはやはり日本の農家というのは、御承知のように九〇%の兼業農家があります。そしてこの兼業農家が日本農業生産の約八割を担っておるということでありますね。土地も約七〇%は兼業農家が耕作していると、こういうことでありますから、兼業農家を無視するわけにはいかない。しかし兼業農家は、やはり新しい農業、本当に集中的に技術革新ということに日進月歩みずからつくり上げていくようなことはとうてい時間的にも余裕のない農業であります。そこで、これはごくごくありふれた言葉でありますけれども、やっぱり地域の中であるいは集落の中でそのおのずからなる指導層という農家と、それからそれのかさの下の中において生産を続けて農業に従事していく農家層、この階層、その経営の考え方が違った農家がそれぞれ機能分担しながら一定の組織、手の組み方をつくっていくということが必要なんでありまして、私はすべての兼業農家にも同じふうに考えるということは、私は日本農業技術進歩から、あるいは経営の進歩から考えまして、それは無理な話であるというふうに存じておるわけであります。
  42. 志苫裕

    志苫裕君 社会党の志苫裕です。  いままで農政が需給だけを見た物の政策から、経営政策あるいは人の政策転換をしなきゃならぬということを強調されておるわけでありますが、確かに先生お話しのように、現在の姿を見ますと、米が余っておるんだからつくるなと、麦とか豆は足りないんだからつくれと、こう言っておるわけでありますが、いま現在、実態から見れば、米をつくっておる農家というのはすぐ豆や麦をほいほいとつくれる状況にはないわけでありまして、米をつくるために投資をしたり、自分の生活体系をそれに合わせたりしておるわけでありまして、むしろ先ほどお話がありましたが、構造政策で経営全体が近代化をしないで単品の能率化というものが進んだ。それが災いしまして米を手っ取り早く一年間のうちの二十日くらいで、三十日くらいで米をやっちゃったら、あともうどこかに出かせぎか日かせぎに行くと、こういう体系のところに米をやめてほかのものをつくれと言ってもなかなか入りにくいという構造が一つあるわけですね。それをどうしても無理をしますと、米をつくらなくなったときには実は農業全体が衰えたときというふうな答えにもならぬとも限らない。こうなりますと、やっぱりある程度の手順を踏みながらやっていかなきゃならぬというふうな気もするわけでありまして、その辺もう少しお話をいただくとありがたいと思うのであります。  それから、いまのやりとりにもありましたが、二つ目の問題、私はだれを相手に農政をやるのかと。現在は大体一割ぐらいの専業農家がおりまして、土地にしますと一割五分から二割ぐらいの土地を耕しているにすぎない。といいますと、日本農業の大半は実はさっき言った手っ取り早く百姓を終わらしちゃって出かせぎに行っておる、日かせぎに行っておるという諸君が担っておるわけで、しかし一面そういう人たちは、出かせぎ先がなくなれば本来の専業に戻るかどうかの保証もありません、この規模では。こうなってまいりますと、個々の農家というものを相手に経営政策というものを考えるべきなのか、あるいはもう何がしかの地域における共同化のようなものを頭に入れて、そういう共同体というのですか、経営体とでもいうのでしょうか、そういうものを対象にして考えていくことになるのか、先ほど先生が後段で主張された経営政策、人の政策をどういう政策体系に乗せていくかというので下からの積み上げを強調されたわけでありますが、そういう意味では、国と地域の農政の機能分担というものを御指摘になっておると思うんでありますが、地域でそういうものを練り上げていく場合も、さまざまな状況に置かれておる個々の農家を相手に考えるのか、あるいは一定の地域、一定の共同体といいますか、そういうものを対象に考えたらいいものか、もっともいまのところまるっきりそういうあれはないわけでありますが、それについての御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  43. 金澤夏樹

    公述人(金澤夏樹君) 私は、将来とも転作ということを、まあ先ほど適当な言葉じゃないと申しましたけれども、新しい農業の形態をつくる一つのきっかけという意味ならば理解いたしますけれども、しかし、やはり複合の形と申しましても、稲作が中心農業であるべきであろうということは当然だろうと私は考えております。そして、その稲作をいかに合理的に、そしてかつ複合的に、そして年間収益的にというふうな高度の農業をつくり上げていく、そういう意味で、水田の本当の高度の利用ということの意味は非常に重要に考えなきゃならぬと思っておるわけでありますが、先ほどの御質問のように手順をどうするかと、こういう問題でありますけれども、私はしばらくは、長い先のことは別といたしまして、やはり農業を安定化させるためには一定の奨励金というふうなかっこうだけではなくて、一定の価格的な支えということを必要といたすだろうと思うのであります。それはすべてが必ずしも政策価格でやれという意味だけではありません。いろいろな意味で、たとえば野菜の地域でやっております価格安定のいろいろな制度を考えていくことも一つのやり方であると思います。そういうことで、とにかく価格的な支えということをできるだけ考慮していかなきゃならぬということが一つの私は問題だろうと思います。それから二番目には、先ほど申しましたように、土地がそれだけに利用できるような土地になっていないものですから、やはり利用できるような土地にしなければいけない。転作と申しましても、まるっきり米しかつくれないような湿田地帯で転作と言われても、これはまことに無理な注文でありまして、とてもこれは困った問題であります。  したがいまして、やっぱり基盤整備というような問題ということは、きわめて重要な問題だろうというふうに思います。そしてそこに十分に機械や土地を利用できる稲作の体系、とえば私はこういうふうに思うのでありますけれども、皆様方にも検討していただければ結構だと思うのでありますけれども、たとえば裏作などというのは奨励金の対象になりません。本当に日本農業を新しくつくり上げていく、水田農業をつくり上げていくというのは、まさに裏作をどう利用していくかというふうなことでありまして、特に西日本ならば気候条件でいろいろな裏作が可能でありますけれども、東北のようなところでも一生懸命になってその単作からの脱却ということを考えておる地域があるわけであります。こういうところでは、たとえば裏作をいたしますと表作の収量は必ず減るという地域もあります。米が減るという地域があります。こういう場合に、なぜ、転作奨励の一つの考え方というものが、そういうふうな限られた地域の中で考えることはできないのかどうかというふうな問題も私は検討に値する問題であろうかと思うのです。たとえば、十俵というようなところを裏作すればどうしても八俵しかとれない、しかしそれによって経営はよくなる、牧草ができる、麦ができる、経営全体としては大きなふくらみができるというならば、私はこれは最も理想的な転作であろうかと思うのでありますけれども、表作はやめなければというふうなところに、画一的な私は問題があるんではないかなと、地域によってではありますけれども、こういうふうな点も問題ではないかと思っております。  そういうことで、私は、しばらく農業の安定的な対策を施しながら、順次にこの安定した経営の姿というものをつくり上げていくべきだと思いますが、御質問は、先ほど亀長先生の御質問とやや似ておるかと思いますけれども、一体その経営政策の対象をどういうふうに考えるかということでありますけれども、私も、もちろんいま志苫先生の御意見のように、個人というものをピックアップしての指導では、私は日本農業としては成り立たないと思います。やはりその集落、地域というものを考えて、地域が十分に土地利用も行い、地域としての農業計画もできていく、しかし、それの本当の指導というものは、これはなかなかもって容易な性質のものではないわけでありまして、その複合経営——裏作あるいは輪作と申しますけれども、これは相当に能力のある農民でないと引っ張っていけないんであります。そこを実はみんなが育てるということでないと、そしてそれは集団的にその地域農業を育てて、そして兼業農家もそれなりに参加をしていく、経営を安定させていくという方法があるのでありまして、そこに共同化ということが、従来の共同化がすべて平等主義だという考え方ではなくて、機能に応じた分担の仕方の中で手を組んでいく方法が必ずある。  そういうことで、遊ばせておくような土地——所有権というものは大事でありますけれども、利用なき所有というようなことが許される私は時代ではないと思うのであります。やはり耕地というものは、十分に利用してこそ初めて意味を持つものでありまして、そういう意味でも、利用権の設定等を通じて、集落が十分に一つのまとまりとして機能できるような方向に持っていきたいと、こういうことを考えております。そういう意味から申しましても、先ほど申しました利用権がせっかく生まれてきたようなところでも、場合によっては奨励金だけで動くものですから、それがつじつまが合わなくなるような場合さえ生ずるというようなことで、いまおっしゃるようなこと、私は基本的にそういう方向でなきゃならぬというふうに考えております。
  44. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 金澤先生から、今後の日本農業の柱として人の農政の確立、それから経営育成政策をしっかり立てるべきだ、特に地域特対事業、それからいま政府が行おうとしている生産調整のその調整が非常に問題なんだと、おっしゃるとおりであろうと思います。いまお二人の質問で大体その辺のところはわかりましたので、先生おっしゃるように、これまで単品としての需給政策に少し偏り過ぎたんじゃないかと、こういう御意見ですが、やはり個々の食糧自給率の問題を先生はこれに絡めてどのようにお考えになっているのか、当面の目標として数値を挙げてこうすべきだという御意見ございましたらお聞きをしたいと思います。  それから農業後継者の問題なんですが、今後も国として力を入れなきゃならない部門でございますが、金澤先生は、日本農業の後継者問題につきましては、大変ユニークな一つの持論をお持ちの方であると、こう聞いているんですが、この際特に強調したい点ございましたら、ひとつ御発表いただきたいと思います。
  45. 金澤夏樹

    公述人(金澤夏樹君) 最初の問題でございますが、物の農政から人の農政への転換ということだけではなくて、物の農政ももとより必要だけれども、しかし、その発想から生産政策なり構造政策だけが進みますと所期の目的を達するには遠いだろう。したがって、物の政策は物の政策として結構だけれども、同時に、片方に構造政策といいますか経営政策と申しますか、そういう下から積み上げていく政策体系をもう一つつくって、そのできたところで本当は調整をすべきではないのか。初めから物の政策の発想の中でできたものを、非常に生産指導のようなアイデアを持っているつもりでおろしても、実は農業生産者の願っているところから遠いものになるのではないか、こういうふうに思っておるわけであります。そこで、どうしても広い意味で、生産とそれから需要との関係ということの調整が必要でありますけれども、これは先ほど申しましたように、県という力はそこに意味があるのではないかということを申し上げたわけであります。  食糧自給という問題でありますけれども、そういう意味で自給論はもとより私は大事だと思うのであります。しかし、この自給論の根拠がどこにあったかと、一つ一つの単品につきまして自給することはもとより理念としては結構でありますけれども、そうすると需要があるからというふうなことでの問題だったのか、あるいは農家として生産可能性というもの、あるいは経営としての安定の可能性というものと絡み合った自給の指標であったかどうかということになりますと、やはりどうも需要の立場から出てきたそのもののパーセンテージをそこで羅列したというふうな感じを非常に強くいたします。もっとも、そのために日本では畑を何万ヘクタール開墾の余地があるとかというふうなことを言うわけでありますけれども、それも可能性がないとは申しませんけれども、実は日本の畑作農業、特に夏の農業というのはヨーロッパの農業と違いまして大変苦労の要るところであります。乾燥のああいう農業と違いまして、山を切り開いて大豆をつくる、何をつくるというふうなそう簡単な実は話では私はないと思います。しかし日本の自給率が、外国等々の圧力等考えて、日本の最低防衛線という構想があるならば、そこできっちりその生産可能性実現ということを私は求めるべきではないかと思うのであります。  そういう意味から申しますと、実は単品ごとに申し上げればいいのかもわかりませんが、物によっては、とうてい自給率がむずかしいのではないかと思うような物もかなり高い自給率ができるかのように言っている。つまり、自分のところで経営の構想のアイデアを十分に持っていない——この見当があれば、私は自給率ということがきわめてそれなりに大事なことであり、考えることができると思います。そういう意味で、私は自給論ということも、どうも先ほど申しました転作、それから農産物輸入と同じレベルだけでの議論だと大変私は浮ついた議論になるのではないかなというふうに思っておりますので、ひとつその辺からも御検討を願いたいと思うのであります。  それから最後の御質問の後継者の問題でございますが、私はこのごろ非常にりっぱな青年が農業を継いでおると思います。しかし、その価値観が非常に違いまして、農業を本当に続けていこうというところに自分の生き方を求めている青年と、農業以外のところに自分の生き方を求めている青年と、これは多岐にわたるのは今日きわめて自然なことでありますが、どうも後継者の問題といいますと、日本農業の後継者というよりは農家の後継者というふうな、つまり相続のことを強く頭に置いた後継者問題のみが多くの後継者問題に言われていることのように思われるのであります。これももちろん不必要だとは申しませんけれども、大事なことは、いま日本農業がまさにこういう危殆に瀕しているときには、日本農業をどういう農家が受け継いでくれるかという問題であり、先ほど申しました地域一つの組織化、手のつなぎ方というものの中で、中心になってくれる人物の育成ということは、これは兼業農家も専業農業もみんなのためのものであります。みんなのためのものであって、一事業農家の問題ではないと私は思うのであります。  こういうことでみんなが考えていかなければならぬと思いますが、同時に日本農業は、いまの状況では農家の子弟でなければ農家を継げないような状況が実際なわけでありまして、これはどういうふうにして考えていいのか、いろいろむずかしい問題があろうかと思いますけれども、農業をやろうとする農民が、あるいは意欲ある農民が農家の子弟でないがゆえになかなか入りにくい、婿さんでもなる以外に方法がないというふうなことが、実は新しい血が農業の中に入れない一つの大きな問題である。私はアメリカ農業一つのバイタリティーというのはその辺にあるのではないかというふうに考えておるわけであります。それをどんなふうにして考えていいのか、私どもの大学では、残念ながらいままで卒業いたしまして農家に帰っていくという数はまことに少のうございました。というのは、農家の子弟そのものが少ないということもあるわけでございますけれども、ししか最近は、何とか機会があれば農業をやりたいというような学生もおるんでありまして、これは場合によって開拓に入ったり、いろいろなかっこうで考えておるわけでありますけれども、そういう意味で、将来農地の流動化等を考えます場合には、こういった問題も何かの機会にひとつ問題として検討をしてみる必要が将来にわたりましてあるのではないか、こんなふうに思っております。
  46. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 金澤公述人には非常に貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。御都合によって御退席になりますが、今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)  それでは、谷山公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し込みは五人の方になっております。三時まででございますので、その点を御勘案いただきまして御質問を願いたいと思います。
  47. 中村太郎

    ○中村太郎君 あるいは御専門外かもしれませんけれども、もしそうでございましたら御感触を承りたいと思います。  財政における公債と税収入のバランスをどう持っていくかという問題だと思うんです。御承知のようにほかの国では公債依存度は大体一〇%内外というのが常識だと思うんです。しかし、日本の場合は残念ながら来年度予算三七%の実質依存度、いまのような運営をしてまいりますると、四、五年先には大体公債依存度五〇%になってしまう、こういうことでございます。これは不健全であることは間違いないんですけれども、これを解消するためにはどうしても税の問題を考えていかざるを得ない。まあ先生先ほど言われました不公平税制の見直し、これが第一義的であろうと思います。しかし、それだけでは膨大な国債を賄うわけにまいらない、何らかの形の新しい税というものを考えてまいらなければならないと思いますが、その場合、いま考えられる税の選択は一体何であろうか、この点についてのお考えがありましたらお伺いしたいと思うんです。
  48. 谷山治雄

    公述人谷山治雄君) 公債問題そのものは私の専門ではございませんけれども、いまのお話にございましたように、いまのように公債依存度が三七%になるという財政は不健全である、これは私は申すまでもなく明らかに不健全であるというふうに存じます。どのくらいが適当であるかというのはなかなかむずかしい問題でございますけれども、少なくとも財源構造におきます公債依存度というのはせいぜい一〇%台ぐらいにとどめるのが至当ではないかというふうに、私は専門家ではございませんが、そういうふうに考えているわけでございます。  そこで問題は、公債をどうやって解消していくかどうかという問題でございますけれども、私はいろんな考え方があるとは思いますが、まず、いま公債を発行することが不健全であるとは認めていても、なおかつそれが行われている一つ経済的な背景ということに着目をしてまいりますと、やはり不況の中で膨大な何と申しますか、よく過剰流動性というふうに言われておりますが、たとえば遊離貨幣と申しますか、そういったものが存在をしているわけで、これをどのように国庫に吸収していくかということがまあ背景になっているだろうというふうに思うわけでございます。そうしますと、公債でやりますと、いま先生の御指摘のように将来に禍根を残すおそれがありますので、そういう遊離貨幣と申しますか、あるいは過剰流動性の資金と申しますか、そういったものが最大限これはやっぱり課税でもって吸い上げていくというのが私は一番適切な財源政策ではないかというふうに考えるわけでございます。  そうしますと、どういう税制かという問題になるわけでございますが、もちろん御指摘のように、私もまた申し上げましたように、いわゆる不公平税制の是正というのは大きな問題でございますけれども、これはもちろん私の個人的な考えでございますけれども、そういった過剰流動資金が存在するならばこれを臨時的な課税でもって吸収できないか、こういうことをひとつ考えられないかという問題がございます。まあ臨時的な課税と申しますのは、たとえば何年前か忘れましたけれども、とにかくフランスで法人税につきまして一定の付加税を徴収をいたしまして、景気回復すればそれを返すというようなそういう政策をとったことがあると記憶しておりますけれども、もしできますれば、そういうような現在の不公平税制の是正だけではなくて、そういう過剰流動資金と申しますか、そういう一時課税という方法でもって一応吸収してしまう、そうしますと、もともと過剰になっているわけでございますから、別に大きな影響はまあない。全然ないわけじゃございませんが大きな影響はない。それを将来景気回復するときにどのように、まあ課税として吸い取ってしまうだけにするのか、あるいは何か還付の方法というものをとっていくのか、それは次の税制政策になると思いますので、そういう考え方も一つはあるとは存じます。もちろん現在のように三七%の公債を一挙に縮減することはむずかしいわけでございますけれども、やはり公債といういわゆるコストの高い、つまり利子がつくという意味でコストが高い、しかも償還が絶対に必要である、なおかつインフレの危険性を内包しているというそういう財政資金というのは、御説のように極力縮小するのが望ましいわけでございまして、そしてまあ課税の方法が一番よろしい。ただ問題は、先ほど私もちょっと触れましたように、それを一般消費税のような課税でありますと、これは別に一般大衆のところに資金が過剰になっているわけではございませんので、それは私は現在でもまた近い将来でも恐らく不適当ではないかと、そういうふうに考える次第でございます。私の専門ではございませんので的確なお答えになったかどうか知りませんが、私の意見はそういうことでございます。
  49. 竹田四郎

    ○竹田四郎君 ちょっと似たような質問になるかと思いますが、これだけ国債が発行されるということになりますと将来はインフレの心配もありますし、何らかの形で遠からず今日のような不均衡財政というのはなくしていかなくちゃならぬと思うんです。まあそういうことで、何らかの形での増税というものは考えていかなけりゃいけないと思いますけれども、その前に、おっしゃるように今日の不公平な税制制度そのものですね、これにメスを入れなくちゃいけないと、こういうふうに思っているんですが、この論争はなかなか具体的にされていく例が比較的少ないわけです。一般的には東京都の新財源構想研究会というので、数年前には法人税関係の負担率から二兆数千億の課税は可能であるという話がありましたし、私どもは、たとえば土地増価税、こういうものをひとつやってストックに対する課税というようなものを考えたらどうか、あるいはかなり脱税がされていると言われておりますし、あるいは所得を隠していると言われる利子配当の非課税措置、こうしたものももう少し整理をしたらどうか。東京都の研究会では利子課税だけでも四千五百億ぐらいのものは出るんではないかと、こういうようなことを言っているわけでありますが、東京都の新財源構想から出ている数字そのものは、大蔵省はこれは否定しておりますけれども、先生の立場であのぐらいの税収入というのは、増税ということでなくても不公平税制のあり方、これは法人税の先ほどの引当金とか、そういうようなものを含みますけれども、そういうものを直せばかなり出てくるものだと、こういうふうにお考えですかどうですか。東京都のあの数字に対するお考え方等をお聞きしたいと思っております。
  50. 谷山治雄

    公述人谷山治雄君) 東京都の財源構想研究会が発表されました数字は、私も熟読玩味とまではまいりませんが、大体のことは読んで存じているつもりでございますが、大体あの程度の増収というのは引当金、準備金、特別償却等を整理しますれば、私はあのくらいは出てくるというふうに考えております。むしろ私は、あの数字はある意味では過小というふうにも考えられるわけでございます。問題は、私は不公平税制の範囲というものを、先ほど申しましたようにどの程度までを不公平税制として考えるのか、そこがやはりポイントになるのじゃないかというふうに考えているわけでございます。大蔵省の反論というもの、これまた私も熟読玩味ではございませんが、この不公平税制のやっぱり範囲に関する一つの反論であろうというふうに存ずるわけで、私は普通、特別措置と言われておりますのは租税特別措置法に規定されておりますものだけを指しているようでございますけれども、実は東京都の財源構想研究会でも指摘しておりますように、いろんな法人税法、個人の場合には所得税法でございますが、そういう一般法に盛り込まれましたいわゆる事実上の特別措置が非常に多いわけで、これにメスを入れれば私は財源構想研究会ぐらいの数字ははじき出すことができると、こういうふうに考えて差し支えないというふうに存じます。  私は、いまもう一つ申し上げたいことは、ある意味では過小というふうにも考えられるわけでございまして、たとえば減価償却費なども、特別償却は不公平税制として計算に入れておりますけれども、普通償却の場合でも非常にこれは政策的な要素が強いものが多いわけでございます。たとえば実際の耐用年数とはるかにかけ離れた非常に低い耐用年数をとっている、そういう償却が非常に多いわけでございますし、また諸外国におきましては、たとえば定率法というふうな償却は認めないというような方法をとっている国もあるわけでございますから、そういういろんなことを考えますと、私はさっきも申しましたように、不公平税制の範囲がどこまでかという基本的な議論はございますが、一応、そういう考察をしますれば、私は現在の税制を、特に税率引き上げ等で増税をしなくても相当の財源は出てくるというふうに考えておるわけでございます。  なお、これは御質問の範囲に入っていたかどうか存じませんが、まあ利子配当課税の問題につきましても、税務行政上の困難を理由にしてなかなかやらないということでございますが、私も税の実務に携わっております関係上、私は税務行政上利子配当課税の捕捉ということは不可能じゃないというふうに考えているわけです。時間もございませんので余り細かいことは申し述べませんけれども、一つの極端なことを簡単に申しますと、いまの利子配当課税の税率を思い切って引き上げまして、そのかわりそういった思い切った税率にたえられないような中小所得者層については、年間随時還付するという方法をとる。これは低所得者の場合にはそんなに高い税率で利子配当に課税されたらたまりませんから、それは申告をして還付をしてもらうということになるでしょうし、高額所得者の場合にはそれだけ取られてもいいということになるわけでありますから、そうすれば事実問題として捕捉もできるし、捕捉できなくても税率の面で高額所得者にはそれだけ負担をしてもらうわけでありますから、不公平な面は除去できるというふうになるわけでありますから、私はこの利子配当課税の問題にしましても、税務行政上の困難を理由にして是正を渋るというのは当を得ないではないかというふうに私は考えておるわけでございます。お答えになったかどうかわかりませんが……。
  51. 矢原秀男

    ○矢原秀男君 どうも御苦労さまでございます。具体的に質問を申し上げたいと思います。  まず地方財政でございますけれども、先生の分野かどうかわかりませんけれども、現在が補助金制度の形、こういうことで自治体の自主財源というものが非常に少なくなっておる現況でございます。そこで一つは、いま申し上げております地方自治体の自主財源を強化するためにはどうしたらいいかという問題が大きな課題になっております。第二点は国に偏重いたしております税財源の配分の割合をもう抜本的に変えなくてはならない。もう一点は、地方自治体では学校を建てる、住宅を建てる、こういう場合に法的な見直しができておりませんので、超過負担の問題が地方財政の中では大きな問題になっております。こういうところで国庫支出金の定義を明確にしなくてはならないし、そうして奨励補助金というものをどうしていくのか、こういうふうなことを超過負担の中で論じていくわけでございますけれども、この三点を地方財政の関係で先生の具体的な案がございましたらお伺いしたいと思います。  それから、不公正税制を変える問題でございますけれども、先ほどの質問と重複する面を避けたいと思いますが、一つは現在の標準世帯が子供二人の四人家族平均所得が二百一万五千円までが非課税でございますけれども、配当所得の場合は四百四十万三千円までが税金の控除になっているわけでございます。こういう点もやはり見直しをしていかなくてはならない。そういう点、先生にひとつお願いしたいと思います。それから社会的不公正を是正する一つの面から富裕税を創設したらどうかという声もあるわけでございますが、その点先生の御意見をお伺いしたいと思います。  最後の一点は、現在家計に占める教育費の出費は大変でございます。そういう点から考えまして、将来各種控除の新設、たとえば御家庭における教育費にかかったお金は当然控除すべきである。もう一点は、また住宅が非常に高い、そういうことで住宅家賃の控除についてやはりヨーロッパの先進国と同じような形態をとるべきであるかどうか、こういう点、私たちもやはり税控除の中に入れなくてはならない、こういうふうに考えておるわけでございますが、先生の御意見を伺いたいと思います。
  52. 谷山治雄

    公述人谷山治雄君) 私の専門外のこともございますので的確なお答えができるかどうか存じませんが、地方財政の問題につきましては、私はいまの先生の御指摘のように、やはり地方自治体に自主財源をより多く与えるといいますか、安定した財源を与えるということは、非常に私は必要なことであるというふうに存じます。問題はその方法でございますけれども、現在のように地方税、まあ交付税、国庫支出金、さらに地方債も加えるべきであろうと思いますが、そういうふうな体系をどのように変えていくかということも私は一つの大きな議論になるだろうというふうに存じます。もちろん現在の国税と地方税の税源配分におきましても、この地方の方がやはり七対三という割合で非常に低い割合になっておりますので、これも地方税の割合をもっと引き上げるという議論も私はあると存じますけれども、ただ問題は税源の移譲をしましても、何と申しますか、俗に言う富裕県の反対で、何という表現をしたらいいんでしょうか、要するに余り豊かでない地方につきましては、極端に言いますと国税を全部移譲してもなおかつ財源が足りないという自治体もあるわけでございますので、一体この税という形の配分にどの程度まで頼るべきか、頼ったらいいかということも一つの検討課題であるというふうに存ずるわけでございます。  そうしますと、極力不公平税制の是正という観点からも地方税の見直しを考える、その中で自主財源の安定化、強化を図る、これはもちろん私は当然必要であると存じますけれども、いま申し上げたように、しかし国税全部を移譲してもなおかつ足りないという自治体もあるわけでございますから、そうなりますと、やはり地方交付税というものの役割りが非常に大きくなってくるわけです。したがいまして、当面の地方財政政策といたしましては、もちろんいろんな議論があると存じますが、さしあたって当面はこの地方交付税の率を引き上げていく、さらに配付の方法について超過負担が出ないようにいわゆる適正な基準をつくっていくということが非常にいま大事な問題じゃないかというふうに存じます。  私の申し上げたいことを要約しますと、税源の配分については、もちろん地方税の安定強化ということがいいわけでございますけれども、いま申し上げたように、限界と申しますか、問題点がございますので、その点にはいま一つ検討を要するわけで、さしあたっては私は地方交付税の引き上げというのが当を得た適切な対策ではないかというふう考えているわけでございます。  超過負担の問題につきましては、私はやはり単価の算定の方法と実際の需要のアンバランスという問題が非常に大きいわけでございますので、その点私も専門外でございますので細かいことは存じませんけれども、やはり超過負担が出るということはもちろんよくないことに決まっているわけでございますから、そういうことのないような、そういった交付税制度なり国庫支出金、補助金の制度なりの改革が必要であると存じます。  この国と地方との配分の問題につきましては、諸先生方がもう長く議論をされていらっしゃると存じますけれども、ただ私は精神的にはやっぱり昭和二十五年のシャウプ税制改革のときに地方財政平衡交付金制度というものができたわけでございますが、いわゆる地方からの積み上げ方式によって財源を保障するという制度でございましたけれども、これをいますぐそれにするかどうかは別にいたしまして、そういう精神というものはやっぱり少しよく考えてそういった地方財源の構想というものは見直していく必要があるのではないかと、かように考えているわけでございますが、何分直接専門ではございませんので的確なお答えになったかどうかちょっと自信がございませんが、一応地方財政についてはそういうふうに申し上げておきます。  次に、不公平税制の問題のお尋ねでございますが、御指摘のように給与所得者と配当所得者とでは実際の課税最低限と申しますか、課税のレベルがえらく違っているわけでございまして、これはもう先生も御承知のように、配当の場合には配当控除という制度があるために四百四十万何がしといういわゆる免税点が構成をされているわけでございます。そこで大蔵省側といいますか、政府側といいますか、の意見としましては、これは法人税制の基本的な問題で、いわゆる二重課税の排除だというふうに説明をされていて、なかなかこの是正をされないわけでございますが、これもちょっと手元に資料がございませんのでなんですが、昭和四十三年でしたか四十四年でしたか、ちょっと忘れましたけれども、当時の税制調査会の答申には、配当控除は理論的にはいろいろなことを言われておるけれども、実際納税者に与える感覚というのは租税特別措置にほかならないということを税制調査会の答申でも言われているわけでございます。それは最近まあ言われなくなったわけなんで、昭和四十三年か四十四年、ちょっと私忘れましたけれども、当時そういう配当控除につきましては特別措置であるというふうな考え方を税制調査会もとっておりますので、そういった給与所得者と配当所得者のアンバランスにつきましては、もう一度税制調査会の当時を振り返って是正をすべきことがまた一つの方策であるというふうに考えているわけでございます。長くなりますから簡単に申しますけれども、要するに現在の所得税負担が勤労所得に相対的に重くなって、資産所得と申しますか、あるいは不労所得と申しますか、そういったものに相対的に軽くなっているというところに不公平税制の大きな問題があるわけでございますから、私は給与、配当の関係のみならず、全体について勤労所得と資産所得とのバランスという問題を検討をする必要があるというふうに存じます。  それから、次に富裕税についてのお尋ねでございますが、先ほども申し上げましたように、ストックに対する課税ということになりますと、当然富裕税というものも有力な候補になるわけでございます。問題は、この富裕税をどのように課税をするかという問題があるわけでございますけれども、まず法人と個人と分けますと、これは税務行政の技術から申しますと法人の方が簡単でございます。と言うのは、御承知のように大多数の法人が貸借対照表を作成しておりますので、これは法人に対する富裕税というのは一番税務行政的には簡単であろうと存じます。ただ、問題としましては、法人に富裕税をかけますと株主に対する二重課税になるのではないかという、そういう議論もあるわけでございますけれども、二重課税の議論というのは、これはたとえば労働者といいますか、勤労者の場合には二重にも三重にも四重にも課税されているわけでありますから、二重課税の議論というのはそれ自体私は意義がないとは申し上げませんが、何かそういう新しい課税を考えますと、二重課税だと言って排斥するというのも私はどうかというふうに思いますので、法人に対する富裕税というのは、私は税務行政的に言いますと比較的容易であるというように考えます。それから、個人に対する富裕税というのは、これは先ほど私は利子配当について税務行政上困難ではないかというふうに申し上げましたけれども、個人に対する富裕税ということになりますと、いろんな貴金属、宝石とか書画骨とう類とか、最近よく問題になっております庭石であるとか、そういった税務の言葉で申しますと不表現資産——表現されない資産、不表現資産の捕捉をどの程度にやるかという、そういう問題がございます。税務行政技術から申しますと、非常に高価なそういった書画骨とう、宝石類につきましては保険がかかっておりますので、そういう保険の方から税務行政的には捕捉することもある程度可能であるというふうに考えるわけでございますが、問題は、個人の富裕税にしましても、法人の富裕税にしましても、一体課税最底限とか控除をどの程度に置くか、つまり中小企業とか中小財産所有者に打撃を余り与えないためにはどうしたらいいか、これは一つ観点になると存じます。私は、原則的には富裕税の創設に賛成でございますけれども、あとはどのようにこれを検討するかというふなことが問題になると存じます。  それから、最後の諸控除の問題でございますが、いまの先生のお尋ねは教育費控除、家賃控除の問題でございまして、家賃控除というよりは、むしろ私は、持ち家の人もいるわけなんで、住宅費控除と言った方がいいのかもしれませんが、こういうような控除についてどのように考えるかというお尋ねでございますが、私は原理的といいますか、根本的に申しますと、このような控除というのは、どちらかといえば基礎控除、配偶者控除、扶養控除という基本的な人的控除に吸収されるのが私は本来は筋であるというふうに存じます。しかしながら、医療費控除に見られますように、最近の教育費控除は、教育制度がいいか悪いかという議論がございますけれども、いろんなことでもって本当にもう赤ん坊に毛が生えたぐらいの子供のころから非常に教育費がかさむという異常な状態になっておりますので、教育制度の可否は別にしまして、教育費を一つの異常な支出に考えれば、当面、教育費控除というのを創設することが私は適当であるというふうに考えているわけでございます。また住宅についても同様でございまして、とにかく家計費のうち二〇%も三〇%も住宅費が占めるということは、これは一種の異常な状態でございまして、ヨーロッパでは、もう先生も御指摘のように、そういう異常な住宅費支出がございませんわけですから、これもやはり一つの異常支出とみなして、当面そういった控除を創設することも私は非常に適切な策であろうと存じます。ただ、いま申し上げましたように、たてまえ論、原則論としては、こういった控除は本当はだんだん整理して基本的な人的控除に吸収されるのがたてまえであるというふうに私は考えておりますので、そういう異常支出と考えて、暫定的、過渡的な控除として設けることは逆にむしろ必要ではないか、こういうふうに考えておる次第でございます。
  53. 内藤功

    内藤功君 私の方から一点だけ先生にお伺いしたいと思うんですが、それは冒頭のお話の一番最後のところでお述べになり、いまも若干質問が出ておりましたが、過去のストックに対する、蓄積に対する課税というものを考える必要があると、こういう一つの御提案というふうに承ったのですが、これは臨時税という形でお考えになっておられると思うんですが、その点はどうか。それから、いま先生のお考えの中に一つのモデルといいますか、頭の中にあるお考えとして、外国のこういう税制、あるいは日本の過去の税制ではたとえばこういうようなものというお考えがあればそれを述べていただきたい、これが一点です。  もう一つは、まだお話に出ておりませんが、土地税制の緩和という問題、これについての先生のお考えがあればお述べ願いたい。  以上です。
  54. 谷山治雄

    公述人谷山治雄君) 第一のお尋ねのストックに対する課税の問題でございますが、先ほども土地増価税というふうな御質問や富裕税という御質問もございましたので、多少ダブるかも存じませんけれども、私は先ほど時間がないのでちょっと申し上げられなかったのですが、ストック課税という問題については、もちろん不公平税制の是正の中で考えるべきだということが一つ。もう一つは、一番最初の御質問の公債に対処する財源という問題と両方の問題があるわけでございますが、もう一つは、一つ経済政策といいますか、経済認識としまして、いまのこの高度成長というものから変わってくることをどのように経済状態経済政策として認識をするかということが私はこの蓄積——ストックに対する課税の根本問題だろうというふうに考えているわけでございます。もちろん、私は高度成長の中でどのように日本資本というものが蓄積をされてきたか、そういうことをここで申し上げる必要はないと存じますけれども、とにかく諸外国に比べましても相当な勢いで蓄積をしてまいったわけでございます。しかも、そういう中で新しい貧困とか、いろいろな問題が生まれてくるし、一方で大量の赤字公債というような、いわゆる財政危機というような問題も出てまいりますので、それも高度経済成長の一応のピリオドを打ったということをどのように考えるかということが、私はストックに対する課税の根本的な認識一つになるのではないかというふうに考えるわけでございます。  たとえが大変悪いので当を得ないかもしれませんが、たとえば日本が敗戦という大きな時期の転換を迎えましたときにどのような課税が行われたかということを考えてみますと、もう古い話ではございますけれども、あのときは、とにかくいわゆる戦争成金というものをなくそうという思想が国民の中に定着をしたわけでございまして、そこで、たとえば戦時補償特別税というような課税も行われましたし、また財産税というような課税も行われたわけであります。しかし、これは大衆課税的な性格を持つので、余り当を得ませんが、たとえば非戦災者特別税というような税金も設けられたことがございます。高度成長のいわゆる終わりということと敗戦というような問題と同列に比較することは、もちろんこれは当を得ませんけれども、一応一つの時代が終わったという観点からどのような課税を考えるべきかということも、私は今後税制を考えます場合に大きな課題になるだろうと存じます。  そこで、具体的な例でございますけれども、私はこのストックに対する課税というのは、当面とにかくこれだけ大きな赤字公債を発行しているわけでございますから、一番最初に申し上げましたように、やはりこの赤字公債を解消する政策として一つの臨時課税として考えることがもちろん当面必要でございますけれども、さらに一歩進めて、いわゆる富裕税のような一つの恒久的な、経常的な税として考えることももちろん必要になってくるのではないかというふうに考えるわけでございます。いま、私は日本の戦後のことを申し上げたわけでございますけれども、諸外国には戦後そういった例はございませんけれども、しかし、ストックに対する課税をしている国というのはヨーロッパ諸国にたくさんあるわけでございまして、たとえば西ドイツの場合には経常的な、つまり恒久的な財産税を法人、個人ともに課税をしているわけでございますので、このようなストックに対する課税というのは、これは外国に例がないわけではないということでございます。  それについてもう一言だけ追加して言わしていただきますと、ストックに対する課税というのは、先ほどもどなたか先生がお尋ねになりましたけれども、社会的公正という観点からも一つ大事になるわけでございまして、高度成長によります蓄積というのは、もちろん企業努力ということもさることながら、日本の勤労者が文字どおり働きに働いて蓄積をしてきたわけでございます。時間の関係上細かい数字は省略さしていただきたいと思いますけれども、たしか一昨年だったと思いますが、和光証券という証券会社で一部上場会社のいわゆる時価評価の資産を調べましたところが、いわゆるこれは簿外資産ということでございますが、百二十兆円に上っているという数字を利光証券という会社が出したことがございます。そういうふうな蓄積が行われているわけでございますから、こういう不況で生活が苦しくなっている時代には、そういった過去の蓄積の言うなれば社会還元とでも言うべきものを一つ経済政策なり租税政策で考えるべきではないか。これは私は一つの社会的な公正という観点から必要ではないかというふうに考えます。問題は、そういう課税をどの程度行うのか。これは、いろんな経済情勢がございますので慎重に検討しなければいけませんが、そういう一つの考え方と申しますか、租税思想といいますか、課税の理論と申しますか、そういう観点からぜひこの問題は取り上げていただきたいというふうに考えるわけでございまして、私の考えを一言で言えば、高度成長時代の蓄積の社会還元という意味での課税が必要ではないか、これがやはり社会的公正な課税の大きな柱になるのではなかろうかと、これが私の意見でございます。  それから、次のお尋ねの土地税制の問題でございますが、これは土地税制そのものができましたのが、これも言うまでもございませんが、昭和四十四年から始まりましたいわゆる一億総不動産屋と言われますようなブームの中で、猛烈な土地の取得、買い占めが行われて、それに対する規制が行われて、いわゆる土地成金というものは出さないようにするというのが土地税制の本来の目的であったわけでございます。これが今後の経済政策から言いますと、政府が特に公共投資に力を入れるとなりますと、いよいよ土地課税というのは、緩和ではなくて逆にもっと規制することが必要な時期が来るのではないか、こういうことも考えられるわけでございますので、現段階におきますいわゆる土地課税の緩和という問題は、私は政策として疑問を持っているわけでございます。特に、今回の改正の場合には、いわゆる適正価格以下で売った場合には土地に対する重課——重い課税でございますが、重課はかけないということでございますが、適正価格というのはどのように判断すして、これが恣意的に操作をされますと、いわゆる土地に対する課税というのは全く骨抜きになってしまうというおそれもあるわけで、極端に言いますと、これは土地を抱えて困っている大手の企業の救済策と申しますか、そういうことにしかならないのではないか、こういう疑問を持っているわけでございます。もちろん、この一つ理由として、宅地等の供給を促進するという、そういう一つの名目がございますけれども、しかし、現在の問題としましては、供給だけではなくて需要の方も問題になるわけで、幸いにしてこの三年間土地の価格がそれほど上がらなかったということは、これはそれ自体は評価すべきことなんでありますから、宅地の供給というのは、同時に需要の方も考えてやらなければいけないわけで、土地税制を緩和する結果、いわゆる地価というものがさらに高騰をして、いわゆる勤労者を初めとします国民が欲しい土地がいよいよもって手に入らなくなってくる、極端に言いますと、土地がちょうど何と申しますか、魚転がしと申しますか、あっちへ行ったりこっちへ行ったりただ転々と渡るだけで、実際の供給には役立たないのではないか。私は専門外でございますから詳しいことは申し上げられませんけれども、宅地の供給という政策は、土地政策といいますか、宅地政策そのものとして考えるべきなのでありまして、今回の税制改正に織り込まれておりますようないわゆる土地税制の緩和という政策には私は疑問を持っております。もう一度もっと根本的に土地政策の根本の問題から見直すべきではないかというふうに考えているわけでございます。
  55. 井上計

    井上計君 民社党の井上でございますが、四点ばかり先生にお伺いいたしたいと思います。  最初に、先ほど先生の冒頭のお話の中に出ておったかと思いますけれども、五十三年度の税制改革で考えられております景気浮揚の方策としての投資減税であります。一〇%の税額控除ということになっておりますが、これにつきましてどう考えておられるかということでございます。  なお、これにつきまして若干私見を申し上げますと、現在考えられておりますところの改正案は、中小企業につきましては特別償却、五十三年度から若干下限が変わりますし、従来の五分の一が六分の一になるわけでありますが、これとの併用はできないということが一つ。それから五十三年度限りであるということ、これでは余り景気浮揚としての適切な効果が薄いんではなかろうか、中小企業については特別償却との供用をすべきである、それからせめて五十三年度と五十四年度の二カ年ぐらいにわたってやらなければ本当の景気浮揚効果はないんではなかろうかというふうに考えておりますが、それらにつきましてもあわせてお考えをお聞かせいただければありがたいと思います。  それから次に、先ほどもちょっとお話が出ておりましたが、企業の設備の償却の問題であります。不公正税制と言われる中で、償却等についても見直しをするという論議もあります。一方では、不公正な税制を是正するということから考えますと、非常に長い耐用年数についてはこれを短縮すべきだという意見も当然あるかと思います。特に昭和二十年代と違いまして現在では技術革新等の時代から、実際に各企業が設置しておりますところの設備が、はなはだしい場合には二、三年で陳腐化する、平均しても大体五、六年ぐらいで陳腐化している中で、実は現在の、まあ平均十年ぐらいだと思いますけれども、特別償却等を入れましても大体八年ぐらいにしか平均なっていないかと思います、定率定額両方とりましても。そこで、それらのものについてはやはり実情に見合ったような当然法定耐用年数の短縮をすべきである、これが企業の体質強化、同時に雇用の安定という面から考えても必要ではなかろうかというふうに考えておりますが、ひとつ御見解をお伺いをしたいと思います。  それから今後の問題として、当然いろんな減税も考えなくてはいかぬ、あるいはまた各種の控除もふえるというような方向の中で、当然では財源をどうするか、増税必至だというふうに言われておりますし、その中で、新しい税として一番大きくいま検討されておるかに聞いておりますのは一般消費税の問題だと思います。そこで、一般消費税の導入についての先生のお考えはどうであるのか、仮に先生が一般消費税の導入等についての賛成的なお考えをお持ちであるとするならば、その場合にはEC型の付加価値税についてどうお考えか、あるいは取引高税的な方法についてどうお考えか、あるいはその他の方法をお考えかどうか、あわせて、これは前提として先生がもし御賛成であるならということでありますが、反対でおられるなら別にこれは特にお伺いしなくてもよろしいかと思いますけれども、お考えをお聞きかせいただきたいと思います。  それから最後に、先ほども地方財政の問題でちょっと出ておりましたけれども、地方財政の健全化という意味でぜひ考えていかなきゃいけない今後の問題としては法人事業税の外形課税の問題があると、こう思います。全国知事会でも若干問題になっているとも聞いておりますし、まだ結論は出ていないと聞いておりますけれども、地方財政の健全化というふうな意味からして、法人事業税の外形課税をどのようにお考えであるか、以上四点についてお尋ねをいたしたいと思います。
  56. 谷山治雄

    公述人谷山治雄君) 大変広範な御質問でございますので的確にお答えできるかどうか存じませんが、まず投資減税の問題につきましては、私はたてまえ論といいますか、原則論から言いますと、いま不公平税制の是正ということが問題になっておるときに、ここで投資減税を新たにやるということは、私は何といいますか、むしろ逆行する制度じゃないかというふうに考えておりますので、いまの投資減税制度を創設することには私は賛成しないわけでございます。しかしながら、いまの御指摘のように、中小企業というそういう観点に立って考えてまいりますと、もうこれは言うまでもございませんが、円高不況その他の問題で中小企業の非常に多くのものが苦境に陥っていることは事実でございますので、こういうことをもしやるならば、よくジャーナリズムでも言われておりますように、もうかっているところにボーナスをやるようなそういう設備投資減税はやめて、そういった苦境に陥っている中小企業向けにそういった一つの何といいますか、対策としてのものを考えるべきではないかと、こういうふうに考えます。で、先生の御指摘のように、中小企業の場合に設備投資減税と特別償却とを併用できないか、という、そういう問題でございますけれども、効果としますと特別償却よりは投資減税の方がむしろ効果があるわけでございまして、特別償却というのは、もう言うまでもございませんが、あとの償却が少なくなってくるわけでございますので、むしろ投資減税の方が、そういった税額控除の方が効果としてはあるというふうに存じます。ただ、両方やるということになりますと、何かさらに別の補助金を出すというようなかっこうになってまいりますので、これは税制の理論としてそういう一種の二重のフェーバーといいますか、恩恵を与えることがいいかどうか、これは全く政策論議になってまいりますので、もし先生の御指摘のように、中小企業について特にそういったことを考慮すべきではないかという御発案でございましたらば、むしろ私は投資減税の幅を中小企業について多くした方がより効果的ではないだろうかと、こういうふうに考えるわけでございますが、投資減税そのものの考え方は、私もいま申し上げたように、何か不公平税制の是正ということに逆行するのじゃないかという考えを持っておりますので、中小企業についてはいま申し上げたような考えを持っておるわけでございます。  次に第二の償却の問題でございますが、これも結論から申しますと、先ほど私が申し上げましたように、いわゆる実情に合った耐用年数にすべきであるということでございまして、いまの普通の減価償却、これは特別償却でない、本法に規定されております減価償却は、いわゆる物理的な減価償却と政策的なそういった償却と、両方がミックスされて考えられておるのではないかというふうに考えられます。そこで先生も御指摘のように、確かに技術革新がどんどん進んでおりますので、実際の耐用年数よりも少ないというものが、言いかえますと、税法に規定しております耐用年数が長過ぎるということももちろん例がないわけではない、あるわけでございますけれども、私はそういった償却の場合には政策的な要素等は取り去って、先生の御指摘のように、実情に合った物理的なそういった耐用年数というものをまず基礎として考えるべきではないだろうか。したがいまして、政策的な要素というのは極力私は除去していくべきであろうと、それはそれでまた別の観点から考えるべきではないか、こういうのが私の償却に対する考え方でございます。  次に、三番目の財源としての一般消費税という問題でございますが、反対ならば答えなくてもよろしいということでございますけれども、私は、もちろん一般消費税は、先ほど申しましたように、これはもう大衆課税としては最大のものでございますので、現在の段階あるいは近い将来においてこれは導入すべきではないというふうに考えております。しかし、私は税務行政の技術的なことだけを一言申し上げるならば、もちろん私は一般消費税には反対でございますから、あれがいい、これがいいということを申し上げる筋合いではございませんけれども、一般消費税のタイプとしては私はEC型の一般消費税というのは合理的な制度であると、これはいいという意味ではなくて、一般消費税の中では私は合理的な制度であるというふうにいま考えておるわけでございます。  最後に、外形課税の問題でございますが、全国知事会では、もう言うまでもございませんが、法人事業税の課税標準といたしましていわゆる付加価値に課税をするという、そういう考え方をとっておられるようで、これがもう先生も御承知のように、税制調査会の答申におきましては、これは一般消費税に吸収されて論議されるべき問題だからという、そういう答申になっていることは先生も御承知のとおりであると存じます。そこで考えますと、法人事業税について外形課税をとることがたてまえとしていいかどうかの問題でございますが、この外形課税をとりたいという地方自治体の要求の基礎と申しますのは、言うまでもございませんけれども、一つは好不況に関係なく安定した財源が欲しいという問題と、もう一つは赤字企業でも自治体からサービスを受けているんだから、対価としてその負担をすべきじゃないかと、二つ観点からこの外形課税の問題が出ていると思うわけでございますけれども、しかし、これについて私の考えはどうかと申しますと、そういう必要性というのは私は十分認められるわけでございますので、私は外形課税そのものを否定しようとは思いません。ただし、そういった発想の中には、先ほども御質問がございましたけれども、いまの地方税の中にもいろいろな特別措置が影響をされておりまして、実際に赤字でないのに赤字になっていたり、所得がもっと多いはずなのに少なくなっていたり、そういうことでもって法人事業税の税収が少なくなっているという、こういう実情があるわけでございますから、私は外形課税そのものの何といいますか、必要性は否定はしませんけれども、まず第一にやるべきことは、やはり法人事業税に対するいわゆる不公平税制の影響というものをまず遮断すると、これをまず最初に考えて、次に外形課税の問題に移るべきだという、そういうふうな発想が必要じゃないかというふうに考えます。  そこで、時間の関係上、いろいろ私も意見ございますけれども、外形課税の問題につきましては、西ドイツの営業税につきましてもこの外形課税がとられているわけで、資本とか固定資産とか従業員の給与とか、そういったものが課税標準にとられているわけでございますけれども、これは西ドイツでもだんだん不合理であるという意見が強くなって、むしろ整理される方向にあるわけでございますので、私はもし外形課税をとるならば、私の意見を率直に言わせていただきますと、先ほど申しましたストックに課税をすべきであるという、そういう観点を地方税にも推し進めまして、むしろこの外形課税をとるならば、たとえば自己資本であるとか、そういったものを課税標準にして外形課税をするのが、先ほど申し上げましたストックに対する課税の必要性という観点からとっても、私はむしろ適当ではなかろうかというふうに存じているわけであります。特に自己資本に課税することになりますと、過去において国税における租税特別措置によって非課税になっておりましたいろんな留保に地方自治体が課税をすることができることになりますので、そういった外形課税の方法の方がより適切ではないかというふうに考える次第でございます。  適切なお答えになるかどうかわかりませんが……。
  57. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 以上で農業問題及び財政・税制問題に関する会議は終了をいたしました。  谷山公述人におかれましては、大変お忙しいところ貴重な御意見をいただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)     —————————————
  58. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) では、次に移ります。  ごあいさつ申し上げます。菊地公述人、金子公述人及び平田公述人には、大変御繁忙のところをお時間をお割きいただきまして本委員会に御出席を賜りました。委員会を代表いたしまして衷心より御礼を申し上げます。本日は忌憚のない御意見を承り、今後の審査の参考にいたしたいと考えておる次第でございます。よろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。まず、お一人十五分程度の御意見を順次拝聴いたしまして、その後、委員の質疑にお答えをいただきたく存じます。  それでは、これより順次御意見を承ります。まず、社会保障問題に関し、文教大学教授菊地幸子君にお願いを申し上げます。菊地公述人
  59. 菊地幸子

    公述人菊地幸子君) 菊地でございます。  私は昭和五十三年度予算の中の社会保障について申し上げるわけでございますけれども、時間の制限がございますので、この中から年金の問題とそれから医療保障について申し上げてみたいと思います。  五十三年度予算につきましていただいた資料を読ませていただいたわけでございますが、その中で厚生省の説明書によりますと、わが国の社会保障の給付水準は制度的には国際的に遜色がない水準に達しているから社会保障予算の追加修正は必要がない、そしてまた、特に老齢福祉年金の大幅引き上げは不適当であるということがございます。そして、それについて、現行制度のままであっても国民年金に対する国庫負担の額は五十二年度におきましては四千百二十八億円、それから五十三年度は四千八百八十三億円になる。しかも、高齢化社会に向かいまして、年金対象者が一二%を超す昭和八十五年になりますと十二兆円以上になる。ですから、現行制度の体系のままでも国家財政に対してこの年金財源は莫大な負担を要するようになるわけだから、現行制度は修正する必要がないと、こう述べられているわけでございます。これを拝見いたしまして、確かに厚生省管轄の五十三年度予算を拝見いたしますと、社会保障関係について、五十二年度は一八・四%でございましたが、五十二年度はこれを上回って一九・一%になっているわけでございます。しかも、五十三年度においては、予算編成の主眼とされた公共事業予算よりも上回ったというふうな説明もございますので、この数字の上だけであればまあなるほどと思うわけでございますが、さて、これを社会保障制度というその原点に返ってわが国の年金の仕組みがどうなっているのか、これを少し考えてみたいと思います。  御承知のように、わが国にはそれぞれ基本的に違う仕組みを持った八つの年金制度がございます。これらを受けている現在の対象人口、これは老齢年金対象者でございますが、私がいまここで申し上げますのは四十九年の調査ですから少し比率がずれているかもしれませんけれども、厚生年金の対象が約一二%、それから国民年金が約一四%、そして各種の共済年金が約一〇%でございます。それに比べて老齢福祉年金の対象者が約五六%ございます。そのほかに老齢特別給付というのが八%ほどあるわけでございまして、これ以上修正する必要がないと言われた老齢福祉年金を受けている人は現在の高齢者の五〇%を超しているという現状でございます。   〔委員長退席、理事内藤誉三郎君着席〕  この老齢福祉年金につきましては、御承知のように、昭和三十六年に国民年金制度が発足いたしましたときに、すでに七十歳を過ぎていて拠出期間のゼロの人に対して全額国庫負担でということで月額千円から出発してまいりました。当時はあめ玉年金などと申しまして、孫にあめ玉を買ってやるくらいの軽い気持ちでこの年金が出されたかもしれないわけでございますけれども、その後日本におきましては核家族化がとみに進行いたしまして、いまではこの年金を頼りに自立生活をしなければならない老人も数多く増加しているわけでございます。さすがにこの額も年々増加されてまいりまして、五十二年度では一万五千円というところまでこぎつけてまいりましたけれども、そして五十三年度では一〇%値上げをして一万六千五百円にするという厚生省の原案でございました。私は、これを拝見いたしまして、一〇%値上げというのは大変結構なことでございますが、一万六千五百円のこの年金をもらって一体老人は一月のうち何日生きられるだろうかというふうなことを考えてみるわけでございます。これに対して、野党は、せめて二万円に増額を要求したわけですが、これが取り入れられなかった。拠出制の国民年金の十年年金等の関係もあるからまずいというふうなことになったわけでございます。  ここで社会保障制度に基づく年金制度を根本的に考え直してみる必要があるのではないかと思われます。私どもは、社会保障と申しますと、すぐに思い出しますのは、あの憲法第二十五条、すべての国民は健康で文化的な最低生活を営む権利があると、この条文でございますが、したがって、社会保障はすべての国民の最低生活を保障するものであるという前提に立つわけでございます。しかも、年金の場合は、老齢者、障害者、あるいは勤労すべき世帯主を失った母子家庭に対して最低生活を保障する所得保障であるわけでございます。ところが、現在の日本に最低生活の保障の基準があるかどうかということになりますと、これは私ども専門に勉強しておりましても大変むずかしいわけでございます。数年前のことになりますが、このことにつきまして私は厚生省の専門の方とずいぶんディスカッションして渡り合ったことがあるのですが、詰め寄りましたところが、人間というものは水を飲んでいても三日や四日は生命をつなげますよねというお答えしか出てこなかったわけでございます。これは国民の側から見ますと大変に落胆せざるを得ないお答えではないかと思うのですが、やはりすべての国民を包括できる最低生活の保障水準というものがわが国には早急に必要なのではないかと思うわけでございます。ここで私どもはナショナルミニマムという国家の最低の基準を急速につくることをお願い申し上げるという一つの提案でございます。  それからこのナショナルミニマムと年金制度とのかかわりという面から考えさしていただきますと、先ほども申しましたように、現在の日本には、八つの、それぞれ支給の年齢が違い、給付の水準が違い、しかも財政方式もすべて違っている年金制度がございます。これは非常にややこしいわけですから、いろいろな立場から改革意見も出されているわけでございます。かつて、数年前ですが、三木内閣のときに、三木首相への私的な提言という生涯設計計画が出されましたが、この中で、年金制度を勤労者の賃金の四五%水準に定額にした定額年金制を定めればいいという案が出されたことがございますが、私どもが申し上げおりますナショナルミニマムは、このような国民一律の定額年金制度ではございません。これは福祉という原点に立って考え直してみますと、福祉には、もともと、平等の追求という原理とそれから自由の選択という二つの原理がございます。これを協同とか連帯とかという原理によって調和させるというわけでございます。このことについて長長と申し上げる余裕はございませんが、この意味から年金制度を見た場合には、一部においては平等の一律に支給される定額の面と、それからいま一つは個人の能力が加味された自由の選択の原理を生かした部分と、両方なければならないわけでございます。現在日本で実施されておる制度の中にこの二つの原理を生かしたものがあるかどうか、これを考え直してみますと、モデル年金と言われております厚生年金を一つ取り上げてみます。これには確かに定額部分というのが、これは基本額が千六百五十円、それに加入月数をかけて、これは職場を持った勤労者すべてに支給する平等の追求の部分でございます。それにプラスして報酬比例部分というのがあって、これは平均の標準報酬月額の百分の一に加入月数を掛けてそれにスライド率を掛ける。ここが個人の能力を生かしたという二重構造になっているわけでございます。これは日本ではモデル年金として外国にも紹介されているわけでございますけれども、これを受けている老齢年金受給者が先ほど申しましたようにわずか一二%で、その他の人はこれ以外のもっと不利な立場にあるものを受けているわけでございます。  これと国民年金を比較してみますと、これは五年、十年、十一年、十二年、二十五年年金と、その掛金をした年数によっていろいろございますけれども、すべて定額支給になっていて、一定の月額の保険料に加入した年数を掛けるという全くの積み立て方式で、給付水準が非常に低く、そして厚生年金との落差も大変に大きいというわけでございます。  私どもが本当の社会保障の原点に立ってこの年金の制度というものを考えますときには、やはりすべての国民の最低生活を保障できる定額の部分、これはどうしても賦課方式によって財政の仕組みがなされなければならないし、それにプラスして勤労生活をした人々に対する老後の安楽な快適な生活を過ごしていただくためのものをサラリーの六〇%給付水準というふうなものを一応考えているわけでございます。これを総称して二階建て年金制度と、こういうふうに申しております。この二階建て年金制度が完全に国を挙げて実施されておりますのは、御承知の方も多いと思いますが、北欧のスウェーデンでございます。それから定額年金一本の制度は、かつてイギリスで実施いたしましたけれども、これについては個人の能力を加味しなかったという国民の不満があって失敗に終わっているわけでございます。  こういうふうに長々と将来に向けての年金制度の改革案を申し上げたわけでございますけれども、それでは五十三年度予算に対して当面どうするかという問題を簡単にまとめてみたいと思います。  こういったような年金制度の抜本的な改正は当然将来に向けて行われなければなりませんけれども、当面五十三年度におきましては、受給対象者の半数以上を占めております老齢福祉年金、これが一万六千五百円に増額されたというわけでございます。それと、それから国民年金の拠出制の中に入っております五年年金、これが一万七千六百五十八円でございますが、こういったようなものを含めて最低二万円に補正予算で組み直していただくということでございます。それからいま一つは、将来の年金制度の抜本的な改正に向けて、まず政府管掌の厚生年金とそれから国民年金との落差をできるだけ少なくするような改革の方向にぜひ五十三年度から着手していただきたいというのが国民の声、立場でございます。  それから、あと時間がございませんので、医療の問題について簡単に申し上げさしていただきます。  これにつきましては、厚生省の推計によりますと、国民の医療費は五年後には二十兆円に上ると。大変な多額でございまして、だから高福祉・高負担が必要なんだと、すぐそこには国民に対する保険料の値上げというのがついてくるわけでございます。私どもはむげにその保険料を値上げするのに反対するわけではございませんけれども、そこへ至る以前において改革すべき問題が幾つかあるのではないかと思うわけでございます。  まず、医療保険を取り上げてみますと、これは年金の場合とやや似ておりますけれども、政府管掌の健康保険、それから組合管掌の健康保険、あるいは国民健康保険、その他六系列の全然独立に、そして何の関連もなく分化している健康保険制度がございます。国民皆保険とはいいましても実態はさまざまで、その給付の水準、それから受ける保障の立場、いろいろと違っているわけでございます。  まず、保険料負担の不均衡、これは給付の面の格差を是正するということを一つ申し上げたいわけでございます。御承知のように、本人は一〇〇%保障され、家族は七〇%の保障だと、このところにすでに大きな格差が出てございます。これは掛金をした人が得をするという考え方でございますが、社会保障の平等の追求の原理からはそれてくると言わざるを得ないわけでございます。  それからいま一つ日本の健康保険制度は大変進んでいると、こう言われておりますけれども、軽い病気の場合には非常に負担が軽くて、重病の場合には負担が重くなる。これは、御承知のように、たとえ本人であっても入院をすれば入院費の一部負担、それから差額ベッドその他大変大きな負担になるわけでございます。  それからいま一つは、出産の費用が健康保険の対象外にされている。これはまあ大変に大きな負担を家族にもたらしていると、これらについて是正すべき問題が残されているわけでございます。  それからいま一つは、診療報酬についてでございますが、御承知のように現在は日本では出来高払い制をとっております。乱立する開業医ができるだけ多くの患者を集めて、数こなし医療と申しましょうか、乱診乱療と申しましょうか、できるだけ時間をかけて多くの患者を診療してその額を請求する。それから保険医療であっても水増し請求ができるような仕組みになっている。こういったようなことも時間をかけて抜本的に解決しなければならない大きな問題であろうかと思いますが、とりあえず医療の問題につきましては、政府が、国民医療費が非常にかさんで国家財源の負担になってきているから、高福祉・高負担の原理に基づいて保険料値上げということになってきているわけですけれども、これを私どもはむげに阻止するわけではございませんけれども、保険給付の改善の面をまず考えていただきたい。先ほど申しましたように、本人一〇〇%、家族七〇%というものを、平等に一律せめて九〇%ぐらいの保障があるならば、医療費に対する国民の負担もそれほど多くはならないのではないかというふうなことが考えられます。しかも、軽い病気について病院に通う場合に幾分の支払いをするのはそれほど大きな負担ではございませんけれども、入院をした、重病で手術をした場合の個人の負担というのは大変なものでございます。できれば軽度の病気には幾分の負担があってもいいから、重度になった場合には本人も家族もすべて全額保障されるというたてまえにしていただきたいと思うわけでございます。  さらに、診療報酬の支払いの方法でございますが、先ほど数こなし医療で水増し請求ができるというふうに申しましたが、出来高払い制度を急に全面的に改正するということは大変むずかしいことかと思われますので、せめてこれを取り入れながらも、地域とか居住地に登録する制度を取り入れて、そこには公費を導入するとか、あるいは保険医に対するいま少しの統制を厳しくするとかという方法があるかと思われるわけでございます。  五十三年度当面におきましては、何といいましても医師優遇税の不公正是正を早急にやっていただくということ、それから低所得者層に対する医療の保障を一〇〇%この枠を広げていただくというふうなことをぜひお願い申し上げたいと思うわけでございます。(拍手)
  60. 内藤誉三郎

    ○理事(内藤誉三郎君) ありがとうございました。  次に、教育問題に関し、東京教育大学教授金子孫市君にお願いいたします。金子公述人
  61. 金子孫市

    公述人(金子孫市君) 私はこれから大学問題並びに塾の問題に焦点を合わせながらお話を申し上げてみたいと思うのでありますが、初めに、この両問題とも、これはわが国の子供は一体どうなっているか、この子供を一体将来どう考えていくべきやという、そういう観点で考えるべきものと思いますので、私の考えております現在の人間像、児童像というものをちょっとごらんに入れましてこれの御検討をいただきたいと思うのでございます。  これは漫画でございます。国会の神聖なるべきこの議場に漫画を持ち込むのははなはだ恐縮でございますが、わかりやすいと思いまして用意してまいったのでございますが、こういった漫画で考える児童像はどうかといいますと、かいてみるならばこうだろう。口と鼻は大きくなっておるようでありますが、目玉は非常に不平不満で怒りに満ちておる。耳は退化して小さい。ということは、聞く耳を持たぬということでしょう。それから手足が細い。身長は伸びておりますけれども筋骨はたくましくない。したがって、学校でややもするとやや強い運動をしますと手足を折って困ると、こういう実態が戦後の子供に見られるのでありますが、戦後三十年間たった現在このような児童像があるとすれば、私はこれからの二十世紀の後半並びに二十一世紀にかけての日本の将来というものが果たしてこのような脆弱な子供で担い得るかということは問題としなければならない。それには、当然、この問題の解決は、家庭教育、あるいは学校教育、さらに社会教育等の問題として御検討いただく向きがあると、こう申し上げたいわけでありますが、このような子供の姿を頭に置きながら、いま問題になっております私立大学への殺到、先ほどの入学試験では早稲田大学に十五万からの高校生が志望しておりますが、こういったいわゆる私立大学大規模化という現象をわれわれはどういうふうに考えるべきやというこの問題について若干お話ししたいと思うのであります。  これは言うならば大学の大衆化の現象と言っていいかと思うのでありますが、それならば一体日本現状は国際的に見た場合に大学生の数が果たしてどのような状況にあるか、これをごらんに入れますと、こういう数字が出てくるのです。国民の総人口に対する大学生の割合をこのようなふうに計算してまいりましたが、日本は、先進国で見た場合には、アメリカに次いでおる国と言っていいかと思うのであります。   〔理事内藤誉三郎君退席、委員長着席〕 アメリカが四・五%でありますが、わが国は一・八%、これを見た場合に、アメリカの国力とわが国の国力と比較した場合に、日本の大学生のパーセンテージは一体これが多いのか少ないのかというこの辺の問題、これはいわゆる大学の大衆化という観点で非常に多くの学生が大学に殺到している現在、この問題をどのようにとらえたらよかろうかということを御検討いただきたいと思うのであります。  その場合に、御承知のように大学進学のパーセンテージはいま三九%になっておるわけでありますが、その大学生がこのような大学にいま殺到するということを考える一つの資料といたしまして、いま私立大学殺到のことを申し上げましたけれども、これから出します資料は国立大学の合格者の出身高、県別の資料でありますが、こういうデータがあるわけです。とりあえず昨年と今年のデータを出したわけでありますが、要するに大学に入学を許可された者の高等学校、これは入学者の数の第一位から二十位までの高等学校を国立、公立、私立に分類してみた場合に、このような数字がでてまいります。この場合に、高校の下の欄はトータルで、北大で言うならば国立はゼロ、公立が十九校、私立の高等学校が一校と、こうなります。Aはどういう数字であるかというと、これはその大学がある都道府県で、したがって、北大の場合は北海道内の高等学校は一体何校であるかという数字を出したものでありますが、これが公立が十六校で、私立が一校。Bの他の府県が公立が三校という数字であります。非常に興味があるのは京都でございまして、黒字は昨年、赤字はことしの例でありますが、京都大学の場合は、国立が三校、公立が十五校、私立が三校であります。そのうち、国立では、府内の高等学校が一校、他の県の高等学校が一校であります。それから公立高等学校では、京都府立の高等学校からはゼロで、ゼロといいましても第二十位以内に入っている高等学校はないということでありますが、他県の高等学校の入学者が十五校と、こういう数字を示しております。  私が申し上げますことは、大学進学の母体である高等学校教育が公立と私立と国立とでどういった問題をはらんでいるかということをこのような数字から御検討いただければ結構じゃないかと考えるのでありますが、私がここで申し上げたいことは、このような背景を持つ高等学校から入ってくる学生を迎えた大学が、一体これからどのような教育を展開すべきものであるかどうか。これは各大学ともがそれぞれの教授陣容の総力を挙げて優秀な人材の育成に努力していなさることは周知のとおりでありますけれども、大学の大衆化というようなこと、高校卒の三九%が入る、同年齢の十人おれば四名が大学生である実態は、果たして日本の国力の増強を意味するかどうか、こう考えた場合に、私は若干これについては疑問を感ずるわけであります。  それはどういうことかと言いますと、わが国では、大学教育等においていわゆる英才教育ということが余り言われない。憲法二十六条にありますような教育の機会均等は叫ばれますけれども、しかしながら人材を育成するということは余りに耳にすることは少ない。御承知のように、いま日本産業経済というものは非常に大きな問題を抱えているのでありまして、われわれがこれから二十世紀、二十一世紀をどう生きていけるかという問題、これを解決する場合に、それは政治家の皆さん方あるいは役所等においては相当の努力をしておいでのようでありますけれども、一体産業経済の改善だけで日本の永世の問題を解決できるか、私は困難であると思うのであります。この問題を解決するには、やはり人材の育成、人材開発が非常に大きな役割りを演ずるものである。ところが、教育の機会均等のことはやかましく言われますけれども、しかしながらエリートを育成するというようなことが実は必ずしも表面には言われない。ところが、最近の新聞でごらんになっている方が多いと思いますが、お隣の中国が新しい政治の変革を進めながらどのような政策を行っているか。これは新聞紙の報道するところによりますれば、エリート大学の育成あるいは英才児の育成ということを非常に高く考えもし実施しているようであります。  このような点から考えてみまして、私は、大学教育問題については、国民の希望する多数の者を迎えて教育することは結構と思いますけれども、しかし、その教育の中身と、その将来について何を考えるか、一体大学教育とは何かという問題について徹底した御検討が必要じゃなかろうかと思うのであります。これはもちろん大学人である私どもの使命かと思いますけれども、しかしながら国公私立とも国費をもって相当支弁される現段階においては、国会皆さん方の強力なる御支持があってこそ大学の改革は可能と思うのでありますが、そういった点でこの問題を提起いたしました。  最後に申し上げたいのは、塾の問題です。乱塾と言っておりますが、これは御承知のように大都市では小学校では四名に一名、中学校では二名に一人が塾に通っていると言われます。一体この原区はどこにあるか、巷間言われるところは、やれ学歴社会であるとか、あるいは上級進学のためであると。東京の中学校の子供に、君は将来どのような学校に進むかと聞いたならば、ぼくは東大に行きたいと思いますと。東大に入って何を勉強するか。これはわからぬというのが報道されておりますが、このような現状が塾という問題を生んでいることは事実でありますけれども、私の見るところでは、塾に行く子供というものは、学校で得ることの困難な一人一人についての指導を欲するということが考えられます。  それで、これは教育の方法の問題になりますが、現在普通の学校では一人の教師が数十名の児童生徒を相手に教育をやっておりますが、この一斉教授の際の学習の歩どまりはどうかという問題があるわけなんです。これは私どもの実験によりますと、小学校の例でありますけれども、一人の教師がおしゃべりをしてある授業を展開するという場合には、そのおしゃべりの内容を理解できるという子供は大体二割でございます。あとの八割の子供はどうかというと、こういう状況であります。八割の子供は先生のお話を聞いてもなかなかわからない。これが実態であるとするならば、教育の成果が上がっていないのでありますから、これを称して私はオシャカ八〇%の授業であると言っているのであります。まあ学校の先生は熱心に授業を展開しておりますけれども、一斉教授方法で学習の歩どまりが二割である、八割はオシャカであるという、これは一般の企業では許されがたいことであります。ここに持ち込みました機械はオーバーヘッド・プロジェクターと言いますが、この機械をつくっている会社が月産百台で、品質管理がうまくいかないために八十台もオシャカであった場合に、一体二十台を売ってこの機械の原材料を買えるか、あるいは社員の給料を払うことができるか。できないですね。しかし、学校教育はまことに結構な場でございますので、一斉教授の授業でオシャカ八割の授業を展開しても、給料はきちっともらうことができる。したがって、最近のごとき不況になってまいりますと、学校を志望する諸君が多くなるのは無理がないと思うのでありますが、こういった技法上の問題をわれわれが考えるには、子供の一人一人が一体どういうふうなものとしてとらえられなくちゃならないかということ、これを考えていただきたいのであります。  いまここに持ってまいりましたデータは、これは知能指数の分配曲線でありますけれども、これは生物学的に見れば、生物学的な諸徴標というものはあのような蓋然曲線を描きます。身長、体重、胸囲、座高、握力、肺活量その他握力、IQ、全部このような蓋然曲線を描きますが、この場合に、実はこの斜線を施してありますのはIQが六十台以下であります。六十台以下の子供は現在は精神薄弱児と言われておりますね。これは現在就学免除あるいは就学猶予の方法になっておりますけれども、来年からは義務化されます。したがって、来年度からは全員が学校に出るわけであります。斜線の子供は養護学校で勉強をするわけでありますが、それ以外の子供は小学校、中学校で義務制。高校生はどうかといいますと、これは九三%でございますから、大体これだけの者は高校に進んでいるわけであります。それで問題になりますのは、これはIQの分布で、五、四、三、二、一とした場合に、少なくとも現在の高等学校に入っている生徒の能力というものは、この五、四、三、二の者があるということを御理解いただきたいのです。所によれば一の者も入っている可能性があります。  それならば、一体このような子供の能力はどのような実態を示しておるかといいますと、精神薄弱児の学校に学ぶ子供たちは、実は私は大学附属の養護学校の校長をやっておりますが、私の学校の小学部の二年生は、これは先生が使う教材でありますが、この教材を示しまして「これを完結しなさい」と言いましてこういうものを渡します。そうしますと、これがどうなるか。——宮田先生、恐縮でございますが、これを当てはめて完結してくださいませんか。
  62. 宮田輝

    ○宮田輝君 こうですか。
  63. 金子孫市

    公述人(金子孫市君) そうですな。これで完結できました。宮田先生はさすがに天下一の方でありますから、これは一遍に完結できますけれども、これがIQ三〇台の子供でございましたならばこれができないのです。この事実をよく知っておいていただきたい。  それで、IQ三〇台から六〇台までに分布している子供たちが小学部、中学部、高等部等に学んで、一体どれだけの学力が身につくか。算数で言いますならば、高等部を卒業するときになりましても九九の計算はできません。「子供が三人おります、あなた方一人にミカン二個ずつやったら何個になりますか」と、こういう質問に対して、彼らは答えることができないのです。普通の小学校であるならば、二、三が六ですから「六個」と答えますけれども、この答えができない。さあこういう子供が養護学校でいま学んでいるわけでありますが、高校生はこれから右側ですね。そうすると、知能指数が七〇台以上の子供が全く同一の学力を持つということは不可能であります。七〇台の子供であったならば、これは分数四則の計算はできません。こういった子供が中学に学び、高等学校に学び、数学、英語を学んでいるのが実態でございますが、そのような子供たちはこの学習を全うすることはできない。方法的にも先生が一斉教授をする限りにおいてはわずか二割の歩どまりしかないのでありますから、二割というならばわずかこの辺だけです。ですから、多くの子供は少なくとも中学校の教科にはついていけないままで、彼らは学習し切れないという悩みを持ちながらどういう状態にあるか。  私は、中学校へ行ってごらんになった場合、数学と英語の教室を見ていただきたいと申し上げているんです。そうしますと、半数ぐらいの子供は頭を上げておりません。頭を上げますと、「おい、斎藤、読んでみろ」つっかえますし、また発音がなっていないからしかられますね。数学の時間に頭を上げて先生と目がぶつかりますと、「鈴木、やれ」と。できませんな。またしかられます。さすが国会は選良のお集まりでございますから、皆さん全部頭を上げていらっしゃいますが、こういった場面は中学校、高校の数学と英語の時間にはないんです。  その時間に子供たちはどういうことを考えているか。彼らは劣等感をかみしめているんです。ぼくはできないんだ、ぼくはだめだと。これが一週八時間、九時間でしょう。ですから、学校が終わったらこうなって、まあいろいろなことをしたくなります。ですから、滋賀県の野洲町の中学生の事件がございましたね。ああいった問題を起こす場合の子供にはやはり学習についていけない子供が非常に多いということをわれわれは知っているわけです。したがって、われわれはこういった子供たちの授業をどのように組織し、またその授業をどのように展開するかという面で重要な教育の技法の開発、活用をしなければならないと考えております。  いま実はここで提供しておりますこの機械は、これはオーバーヘッド・プロジェクターといいまして、これは現在日本の小学校において八十数%、中学校、高校においては九〇%を超える導入が行われておりますが、これはこの面の予算効果を上げておると思いますが、私が五分間おしゃべりするよりはこれで見ていただいた方がよくおわかりになったと思います。これは視覚的方法のきわめて効果のある技法の一つでございますから、こういったことが今後多方面に教育界で活用された場合には、子供の学力の伸張、あるいはさらに人材の開発、そういった面で多くの問題の解決をすることが可能ではなかろうかと考える次第でございます。  時刻を五分ほどオーバーしましたが、一応持ち時間が終わりましたので、問題提供という形でお話し申し上げた次第であります。(拍手)
  64. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) ありがとうございました。  次に、福岡県広川中学校教諭平田善作君にお願いを申し上げます。平田公述人
  65. 平田善作

    公述人(平田善作君) 私は、昭和五十三年度予算の説明書をいただきまして、まことに素人、もちろん素人でございますし、先生方の前でまさに釈迦に説法ということでございますけれども、一応遠慮のない意見を申し上げてみたいと思います。と申しますのは、実はきのうまで生徒四十三名を抱えまして通知表の仕上がるのが夕方の六時でございました。その後汽車で来ましたのでけさほど着いたばかりでございますが、十分な検討ができていないと思いますけれども、一応意のあるところをひとつおくみ取りいただきたいと思うわけです。  まず、最初のテーマが総予算についてということでございましたので、私は本当に素人なりに一言申し上げて、次の教育問題に入っていきたいと思うわけです。  結局、いろいろな問題点に対して対策を十分打ってあるということは十分わかるわけでございますけれども、民需の拡大という景気回復への措置も、結局これは物価の安定といういわゆる先行きの不安を払拭するような措置がとられて初めて国民の本当の真の意味での消費拡大と、そういうのがあるのじゃなかろうかと思うわけですが、いろいろ関連の対策を打ってありますけれども、私は素人なりにそういう対策をされた場合に一部の関連事業に携わる者のみがその恩恵にあずかるのじゃないか、そういう危惧を持っておるわけで、もしこれが当たらなければ幸いでございます。全般的なことについてはそういう意見を持っておるわけです。  次に、私のテーマの方に入りますが、文教及び科学技術の振興に関する予算を検討してみますと、五十二年度当初予算額に対する増加というのは約一五%計上してあるようでございます。私個人としましては、以下述べる理由によりましていま一歩の御配慮をお願いしたい。と申しますのは、きょう私が申し上げてみたいのは、主に職員定数法に関する問題と、学校給食に関する問題であります。  まず、教育予算の総括に対しましては、本年度の国家予算伸び率が前年度に比べまして約二〇%増大しておるわけですが、それに比べて教育予算は一五%であるという事実であります。この問題もひとつお考え願いたいと思うわけですが、もちろん特別の御配慮をいただいていることはよくわかります。というのは、たとえば教職員定員増の五カ年計画の完全実施が成ったということであります。この五カ年計画は四十九年度から始まったわけですが、一昨年は教員定数増を計画の半分と事務職員並びに養護教員は三分の二の増員にとどめてあるわけです。しかし、今回の措置によって一応学校事務職員並びに養護教員の配置率は全国学校数の約七五%に達することになり、実は大いに評価できるものと思います。  次に、近来教育課程の改定に際しまして大きく叫ばれていることの一つに、ゆとりのある教育ということが大きな眼目としてとらえられてきておるわけでございます。ところが、現行の公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の第三条によりますと、たとえば中学校においては一学級が四十五人の学級編制基準となっておるわけです。いまさっき金子先生からも話があっておりましたけれども、現場の教師としてこの四十五人というのはどうしても無理がいくと、私は昭和二十三年から教員しておりますが思っているわけです。やはり、四十五人では、個性を伸ばす教育、あるいはもっと徹底した生活指導、こういったものがどうしてもむずかしい。もちろんやっておりますけれどもむずかしいと、これが私の実感であります。だからこそ、いま一段の御尽力をお願いして、外国並みとは申しませんけれども、少なくとも三十台には持っていってもらいたい、そういう気持ちを持っておるわけであります。三十数名になりますと、いまに比べますというと、多感な青少年期の生活指導はより充実すると思います。そしてまた、結局それが、私は保護監察官を十年しておりましたので、補導関係あるいは矯正関係費の遠因的に経費の節減になると思います。これは昨年の十二月にいわゆる閣議決定でなされておりますように、五十三年度予算編成方針の中の一つでもあります経費の節減、これにも合致するものと私は考えるわけであります。  次に、公立文教施設費関係について意見を述べてみたいと思います。文教及び科学振興費として資料を検討さしていただきますというと、五十二年度当初予算額に対して一四・七%の増の金額を計上してあるわけですね。これも相当な配慮があるともちろん思います。そこで、私は、この文教施設の整備の一環として、さっき申し上げましたテーマの一つでありますところの給食設備の充実、これをお願いしたいわけです。  また、ちょっと本論から外れますけれども、本年度財政投融資計画の中で、文教については、五十二年度計画額に対して三三%増のいわゆる七千二十九億ですかを予定してあると。地方債計画に当たっては、義務教育施設整備事業の起債額を増額し、しかも全額を政府資金で賄うというようなことですね。それから私も二人の子供を持って、一人今度大学にお世話になるわけですが、高校、大学入学に際しての保護者の進学資金負担の軽減、これに対する配慮は特に私は評価できるものと思っておるわけです。  そこで、さっきの給食の方に戻ります。学校給食法の第二条に、その目標達成のための努力方針として、「一 日常生活における食事について、正しい理解と望ましい習慣を養うこと。」「二 学校生活を豊かにし、明るい社交性を養うこと。」とあります。また、昭和二十九年の文部省告示第九十号に学校給食実施基準というのがありますが、その第五条にこう書かれてあります。「学校給食施設は、保健衛生上及び管理上適切なものでなければならない。」と示されておるわけですね。私は、このような根拠によりまして、というのは特に保健衛生上の問題それから管理上の観点から、給食の際のいわゆるランチルーム、食堂ですね、これをぜひともひとつ設備していただきたいと思うわけです。私の住んでおります地方は八女郡と申しますが、中学校が九、生徒数が三千二百、小学校が三十四、生徒数五千七百人おるわけですが給食設備の中で食堂施設のある学校というのはわずかに四校しかありません。しかも、その四校のうちの半分は、生徒減による余剰教室、いわゆる余った教室を臨時に活用しているものです。と申しますのは、現在勉強しておる部屋でちょっとおぜんとかテーブルクロスを置いてそこで食事をするわけです。そうしたら、消しゴムのくずもあるし、チョークの粉も飛んできます。もうばらばらなんですね。こういったことが果たして近代国家の中で許されるだろうかと、私は大げさに言えば考えているわけです。やはり、正しい食習慣、あるいは保健衛生、そういったことを考えるというと、少なくとも学校給食設備の中に食堂を設置していただきたい。そうすることによって本当のマナーもできると思います。  私、昨年でしたか、アメリカのミネソタ州のマーシャルという市の教育委員会——スクールボードの招待で向こうの学校設備の見学に行きました。人口一万余りの町でしたけれども、その学校はいわゆる郷土の誇りとして非常に充実した設備があります。というのは、半永久的な学校の給食設備、いわゆる食堂も備わっているわけですね。私は何もアメリカのまねをしろとは言いませんけれども、少なくとも法律的に学校給食法というのがある以上、食堂をやっぱり設置していただきたい。ただ、現在の学校給食法を検討してみますというと、どうしても調理場本位になっているわけですね。調理施設がどうでなければいかぬとか、衛生的でなければいかぬとか、それは非常に詳しく書いてあります。ところが、食堂を設置しろというのは一言も書いてないのですね。これはおかしいと思うわけです。実際、学校に行って——私たちの学校も田舎の学校でもありますので設備も余りよくありません、正直言って。教室も窓ガラスも常に割れたりがたぴしやっておりますが、その中で給食の時間になると、マナーの指導はしておりますけれども、あの場で本当の食事のマナーができるかと私は一遍見ていただきたいと思うわけですね。そういう気持ちで、特に給食施設の中の食堂を各学校に設置をしていただきたいと特に要望しておくわけでございます。  次に、本年度予算の中で特に職員定数についてちょっとさっきも申し上げましたけれども、これも重ねて申し上げますけれども、現場で現場の教師がどれくらい苦労しておるかひとつ考えていただきたいと思うわけです。率直に申し上げますと、子供の指導というものは金額の多少では解決できません。もちろん、施設の拡充あるいは改善、これは大きな要素になりますけれども、私は、根本の考え方というものは、やはり真摯な指導の方針を持っている教師が、もっとゆとりのある体制のもとに協力一致してやるということ、これが人間形成の一番大きな問題点でもあるし、学校教育の根本でもあろうかと思うわけです。そういう意味で、ぜひとも定数増ですね、これをひとつお願いしたいと思います。時間があればもっと詳しいことを申し上げたいわけですけれども、実際にはいろいろ定数増については御努力を願っておるわけで感謝しておるわけですが、ひとつさっき申し上げました私の意見も十分おくみ取りいただきたいと思うわけです。  次に、最後ですけれども、こういう公聴会というような仕組みに私は大いに感謝するわけです。というのは、国民の一人としてこれらの予算に関する問題をお互いの問題として関心を持つということ、そしてお互いが批判をし合う、そしてよりよき方へ努力して持っていくということ、これは非常に大事なことだと思うわけです。それで、こういった場合に残念ながら素人にはよくわからない面が多いわけです。だから、今後素人にもよくわかるような予算に対する説明書、こういったものを数多く配付していただいたら非常に幸いであると思うわけです。  以上、なかなか意味がよくわからなかった点もおありかと思いますが、私の意見発表を終わります。(拍手)
  66. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) ありがとうございました。  それでは、これより質疑に移ります。  質疑のある方は順次御発言を願いますが、ただいま通告をしておられます方は七名でございます。そのことをお考えいただいてよろしくお願いを申し上げます。
  67. 宮田輝

    ○宮田輝君 きょうはどうもありがとうございました。貴重なお話を承ることができました。  私、菊地先生にちょっとお伺いしたいのでございますけれども、さっきスウェーデンというお話もございました。主要国の場合に、たとえば年老いた親の扶養について親子の交流は大変頻繁である、日本の場合よりもむしろ頻繁であるという数字を見たことがございます。それは精神面での交流が中心になっている。身辺介護等については、これは公的なサービスに重点が置かれている、こういうような国民が選択をされているということでございますが、日本の場合私はちょっとなじまないのじゃないかというふうにも思うのですね。厚生省の調査なんかによりますと、日本のお年寄りの場合は八〇%弱が子供と同居している。多くのお年寄りが子供と暮らしたい、こう考えているということもございます。日本人の資産とも言うべき親密な家族関係とそれから福祉について基本的なお考えを聞かしていただきたい、これが一つでございます。  それからもう一つは、社会保障施策の一層の充実を望むという声が多いのでございますけれども、先生のお話にもございました高負担という点もございます。そこで、費用負担を、一体、個人の負担、あるいは企業の負担、国庫負担というような中からどういう組み立て方にしていったら日本の場合国民性なんかを勘案されてどれがよろしいか、この二点をお聞かせいただきたいと思います。
  68. 菊地幸子

    公述人菊地幸子君) お答えいたします。  ぴったりしたお答えになるかどうかわかりませんけれども、スウェーデンと日本の国情の違いということにつきましては私も十分考えております。実は、私、スウェーデンを中心に研究を進めておりますのは、その制度を学んでそれをそっくり日本に持ってきてまねをしようなどとはつゆも考えてございません。ただ、福祉社会を建設するという原理は、これは人間社会共通のものであるから尊重しなければならないと思います。それを日本に持ってきた場合に、日本の国土に、国土というのは伝統的につくられてきた民族の生活習慣とそれから風土でございますけれども、それに合わせてつくりかえていけるものならば参考にしたいと思っていま努力しているわけでございます。そういう立場に立ちまして、老人の老後の生活の問題が御質問あったわけでございますが、スウェーデンの場合はこれは完全な核家族制度になっておりまして、年をとりましても若い子供の世代と同居しようなどとは考えていないわけでございます。そういうところから、できるだけ近所に住んでとか、あるいは独立の生活をしながら、愛情交流をするために一週間に一度や二度あるいは毎日訪ね合ってお手伝いをしているというケースもございます。それはそれでよろしいことだと私は思うのですけれども、さて、日本の場合に、八〇%の老人が老後は子供と同居したいというこの心情は大変貴重なものとして考えなければならないと思います。ただ、その場合に、子供世代と老親が同居した場合に、経済的にも全面的に子供に依存するということになりますと、これはいまの日本経済状態、それから中流階級におきましても、それほど自分の子供を扶養して親を養うほどの余裕はないわけでございますから、やはり年金において老後の所得は保障した上で、そして親も出し合って子供と協力できるのじゃないかというふうに考えるわけでございます。  そのためには、もう一つ住宅の問題がございます。いま同居してトラブルが起こっている家庭というのは、ほとんど同一の部屋に子供や孫と同居している場合が多いのではないでしょうか。こういう面から考えますと、後で御質問があればお答えしようと思った問題でございますけれども、六畳、四畳半にダイニングキッチンというあの公営住宅のシビルミニマムは、戦後の貧しい時代の時期の日本人にはやむを得ないものとして受け取られたかもしれないけれども、現在においては、すでにもっと住まいというものは快適なものでなければならないという要求水準が高まってきております。そういう意味では、やはり老親と同居しても何の差し支えもないようなスペース、空間が必要だと思うわけでございます。この点もぜひ政治の方にお願い申し上げなければならない問題でございます。  それからもう一つの財源の問題でございますが、これは御質問が出るだろうと思って予想していたわけでございますが、社会保障を充実するには当然財源なしではできないわけでございます。そういうところから高福祉・高負担という言葉が出てまいりますが、私どもは高福祉・高負担と申しますよりは高福祉・適正負担という言葉を使っているわけでございます。社会保障は国民一人一人の問題でございますから、当然これは企業が出せばいいとか、政府が出せばいいという無責任な考え方は持っておりませんで、たとえば年金の財源にいたしましても、賦課方式ということをちょっと申しましたのですが、いまの老人に対する年金の財源は現在の勤労者が負担をして分け合うと、そのかわり自分たちが老後になったら現在の勤労者の財源によって賄われるという世代交流の賦課方式でございますね、これは当然の原理だと思うわけです。ところが、そういう立場に立てば、それではすぐ社会保障を充実するから所得税を上げましょうということになると、現在のこの不況の厳しい日本状態の中で、中流のあのホワイトカラーといえども決して裕福な生活をしておりませんし、物価が上がっておりますので、野党が出された減税案というのは私は暫定的なものというふうに受けとめているわけでございます。無責任所得税は払いたくない、企業は金を出せ、政府が出せというふうなことは申し上げたくない、これは権利と義務の相対でございますから。以上でよろしゅうございますか。
  69. 宮田輝

    ○宮田輝君 ありがとうございました。  それから金子先生に一つ教えていただきたいのでございますが、きょうは視聴覚教育を交えて本当にいいお話をありがとうございました。人材の育成が大切であるということは全くそのとおりだと思います。どこの国でもそうでしょうけれども、日本の場合特にそうなんではないかと、こう思うのです。  そこで、さっき先生はエリート教育ということもお触れになりました。確かに落ちこぼれを防ぐということも教育の中で大事なことには違いないのでございますが、せっかくすぐれた才能を持っている人をさらに伸ばすということは、これまた重要なことではないか。ことに、知識集約型産業を目指すというような日本の場合、エリート教育というのを見直すべきではないかと私も思っている一人でございます。エリート教育について、簡単で結構でございますが、御高説を伺いたいと思います。
  70. 金子孫市

    公述人(金子孫市君) 御質問に対して御参考になる資料を提示してみたいのですが、それはこういうものです。わが国産業の基礎をなす技術輸出入関係の比率でありますが、これが昨年暮れの総理府の調査統計によりますと三二対六八という比率になります。すなわち、輸出が三二%であり輸入が六八%になります。ここまで上がってきたことを私は非常に結構と思うのでありますが、これが五十二年から四十八年にさかのぼってまいりますと、そのころは輸出入関係が一〇対九〇という比率でありました。この年に、アメリカでは輸出入関係はこの逆なんです。アメリカ輸出が九〇で輸入が一〇である。これを見ますと、いかにアメリカという国は科学技術の面ですぐれた力を持っているかということは否定することはできないのです。  そこで、私どもは、いま日本産業経済の将来を考えた場合に、いま世界的に見るならば四面楚歌であると思うのでありますが、これをどう切り抜けていくか。残念ながら技術輸出がまだ輸入の半分以下という現段階で一体どれまでの日本産業の基盤を養うことができるか。聞くところによりますと、外国人が日本にパテントを譲る場合には、もうロイアルティーを払うだけでは御免だと、これに見合ったおまえの方のパテントをよこせというバーター制を主張していると言われるのです。ところが、このような六八対三二ではこれに対抗することはできませんから、したがって、このままでいくならば日本の工場の機械は老朽化の一途をたどるのみでしょう。そういった場合には、日本の国民がいかに勤勉に働きましても、すぐれた付加価値の高い商品を製造して海外に売り外貨を獲得することができない。まあ外貨を獲得し過ぎればまたたたかれますから問題はありますけれども、しかしながら、天然資源絶無の日本でございますから、もうわれわれの食べるものは米だけしか間に合っておりませんね。そういう状況の中でどうやって生きていくかという問題を考える場合には、技術の問題をどうするか。これはこのような科学技術開発し得るようなすぐれた人材の育成が必要でありますが、それを考える資料といたしまして先ほど私は国民総人口に対する学生の比率を申し上げましたが、アメリカと比べていただきたいことは、こういうデータが出てくるんです。  ノーベル賞受賞者数の比較でありますが、一九四六年から七六年の三十年間で、アメリカは、物理、化学、生理・医学の分野で総計七十九名、これは文学関係、政治の面は省いてあります。もっぱら自然科学、技術関係に重点を置きますからこうしましたが、これに対して、わが国はわずかに物理学の分野で三名しかいないということですね。もちろん、ノーベル賞受賞者の選任の方法には問題がありますので、日本の学者がかなり不利な事態にあることは否定できませんけれども、一応考え得る素材はここにあります。それで、大学の学生の比率がアメリカの大体半分であるけれども、ノーベル賞受賞者について見るならばアメリカの幾らになりますか、二十六分の一、こういう事態を見た場合に、日本の大学が果たしてその面でこのような科学技術の優秀なる人材の開発にどれだけの仕事をしているかということは、どうも私は問題のように思う。そういう点で、やはりもっとさらに突っ込んだ優秀な人材の開発という面に教育界が思いをいたすことが必要である。ところが、憲法の二十六条を盾にとる方は教育の機会均等をおっしゃって、かつて昭和四十六年に中教審が出しました教育改革に関する答申、あの中で、子供は能力的に違うから能力別指導が望ましいと、こういう提案をしたときに、日本が各界各層におきましては、能力別指導ということは差別、選別の教育であるから反対であるという声が出ました。が、これは明らかに誤りであって、現実にこのような能力差があるということは先ほどごらんに入れたわけでありますが、これだけの能力差があるんです。IQ七〇の子供とIQ一四〇の者が同一の学習ができるか。一四〇の子供が学習し得るような微積分の勉強は、IQ七〇台の子供は高等学校に上がっても学習することができないんです。日本の高等学校教育はまだヨーロッパのヒューマニズムの伝統がございますから、いわゆる教養を豊かにすればよいと。教養ということは、役に立たないことを身につけることを教養と申しますな。したがって、学習しても、身についてもつかなくてもどうでもよろしい。確率、統計をやったという経験を持てばいいじゃないか、大学は出たということでいいじゃないかと。大学で何を学んだかということを問題としないで、大学を社会に出るトンネルとだけ考えるようでは、大学教育は泣きますし、国民の税金をもって賄っておる国立大学、また膨大な援助資金が出ております私学においても、やはり人材の開発という面では十分その願いは達成することはできない。ですから、単純に能力に差があることを、それは人間の本質に反すると、確かに憲法十四条を見れば法の前に人間は平等でありますけれども、具体的存在は違うのでありますから、IQ七Oの子供と一四〇の者は違う。違うということはこれは区別することですね。この子はIQ七六である、この子はIQ一四〇であると区別することは差別することではない。ところが、日本教育界では、この区別をもって差別とすると言う方がある。これは差別と区別の区別もつかぬというばか者がおるということです。これが教育界にあるというのでは、一体君は国語を学んだかと聞きたくなるんですよね。だから、そういう差別ではなくてこれは区別であると。いいですか。本当に、先ほど申し上げましたように、数学、国語を学習できない子供のあの心の中を推しはかってください。気の毒ですな。それには、カリキュラムの改造と、子供の個性、能力にかなったような教育を行って人材の開発に邁進していただきたい。そのことは、やがてこのノーベル賞受賞者を逆さまにいたしまして、ノーベル賞受賞者の偉い人方が発明、発見、工夫、創造されたパテントを売る。これは公害はありませんからね。いわゆるノーハウ、ソフトウエアの輸出によって日本人は二十一世紀を生きていったらどうだろうか、こういうふうに考えるわけでございます。
  71. 宮田輝

    ○宮田輝君 ありがとうございました。
  72. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 時間もございませんので、皆さんひとつ御協力をお願い申し上げます。
  73. 高杉廸忠

    ○高杉廸忠君 それでは、委員長の進行に協力をする意味で端的に御質問をいたします。  社会党の高杉ですが、菊地先生に社会保障についてお伺いいたします。  先生、か先ほどのお話の中でも指摘されましたように、厚生白書の中で、政府は、わが国の社会保障も大きく前進をし、現在の社会保障は制度内容、水準とも国際的に遜色のないものになっている、こういうふうに説明しているわけですが、先ほど先生は年金を例にとっていました。未成熟で、いわゆるモデル的なものについては厚生年金一二%という受給者でわずかである、こういうふうにお話もありましたから、社会福祉施設に対する質、量両面からの強い要望があるわけですが、西欧の先進諸国と比較してわが国が最もおくれている点は先生はどこにありとお考えでしょうか、まず一つ伺います。  それから二つ目は、社会福祉制度の理想像というのは、揺りかごから墓場までという表現で描き出されていることは言うまでもありませんが、特にスウェーデン、デンマーク、ノルウェーの北欧諸国、それにイギリス、西ドイツなど社会民主党政権下の諸国の現状は、ほぼこの揺りかごから墓場までの水準に到達したと言えるわけですが、先生が御研究に行っておられたスウェーデンを例に、どんな点に問題があるのか。たとえば、スウェーデンでは、社会福祉関係の総支出が政府支出の三分の一を超えていると聞いております。あるいはまた、医療支出面だけでも国民一人当たり約千ドルの平均になっていると聞いておりますが、この点について、二点について伺います。
  74. 菊地幸子

    公述人菊地幸子君) お答えいたします。  第一の問題につきまして、西欧の先進国と比べて日本が一番おくれている面という御質問でございますが、このおくれている面を数字の上で比較いたしますと、確かに厚生省がおっしゃっておりますように国際的に遜色がないというふうなことが部分的に言えるわけでございますが、一番おくれている面は何だと、こう御指摘になれば、私は、福祉に対する考え方、社会保障概念が基本的に一致していないのではないかというふうなことをまず申し上げなければならないと思うのです。これは先ほどもちょっと申しましたが、先ほどから厚生省厚生省と言って大変恐縮でございます。私、厚生省を攻撃する立場ではございません。ただ、専門管轄が同じなためにしばしば厚生省が出てくるのですけれども、厚生省のお役人が最低生活の保障の基準がないとすぐお答えが出なかったということを見てもわかりますように、私ども研究している者の中でも、いま生活水準をどういうふうにしてはかろうかという指標などを探して調査はしておりますけれども、これだというものがないわけなんですね。現実日本人にとって、たとえば衣食住生活どこまでが最低生活を保障できる水準か、これをやっぱり考えを統一して急速につくらなければならないのじゃないだろうかということでございます。  それからこれにちなんで私二、三の事例を申し上げたいと思うのですが、かつてヨーロッパに留学をしておりましたときに、日本の社会保障制度とそれからヨーロッパの先進国を比較する研究をしたいと厚生省に——また厚生省と出てまいりましたがお願いをして英文の資料なども送っていただいたわけです。年金の比較をしようと思いまして国連の資料などを見ましても、日本のが出てこないのですね。どうしてもないわけなんです。それで、ようやく私が、厚生年金と、厚生年金一本ではだめだからというので国民年金と、二つ取り上げて自分で英文に組み直して比較をしたことがございます。こういうふうに、どれが日本の基本になるかということが諸外国に対してはっきり出せないということも、これは大変さびしいことではないかと思うわけです。  それからいま一つの事例は、これはオーストリーの社会学者でございますが、年金の研究、老人福祉の問題を研究にいらした学者と討論しておりましたときに、その学者が突然と立ち上がって、日本に老齢年金制度ができると思いますかという質問をなさったわけなんです。それで、私びっくりいたしまして、できると思いますかと言われたら、やっぱり日本人ですから、いま日本にはこれだけの年金があって、厚生年金はモデルになっているし、国民年金もあるし、勤労者はみんな抱えていると説明をしましたけれども、どれが代表になるかということは言いにくいわけですね。先ほど申しましたように比率がいろいろ違う。やっぱり見解を統一して、国民の最低生活の保障というところの水準を出さないといけないのじゃないかと思うわけです。  それからもう一つの問題につきましては、これは北欧、イギリス、西ドイツで——医療費の問題でございますか。
  75. 高杉廸忠

    ○高杉廸忠君 そうです。
  76. 菊地幸子

    公述人菊地幸子君) その他でもよろしいわけですか。
  77. 高杉廸忠

    ○高杉廸忠君 その他は総支出で結構です。
  78. 菊地幸子

    公述人菊地幸子君) 総支出は、スウェーデンは、先ほど申しましたように、国費の三分の一まで社会保障に支出している。そうして今度の世界的な不況に立ち至りまして、いまスウェーデンでは五%の失業を出しているわけでございます。それから御承知のように一昨年の秋政権が交代いたしまして、いわゆる保守連合という連合政権になっておりますけれども、社会保障ないし福祉支出に関しては全然減少していないわけでございますね。この福祉を支えるという気持ちが国民の一人一人の中に浸透しているわけです。これは何かと言いますと、三十年、四十年をかけて福祉建設をするという教育を、学校教育、それから社会教育、家庭教育、すべての部面で徹底的に行った成果であろうかと思います。先ほどから教育の問題がずいぶん出されておりますけれども、やっぱり教育は人間の意識改革をする基本になるというふうなことを申し上げておきたいと思うのです。
  79. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) よろしゅうございますか。
  80. 高杉廸忠

    ○高杉廸忠君 はい、結構です。
  81. 勝又武一

    勝又武一君 勝又武一です。時間もございませんので、平田先生に特にごく簡潔に三つばかりお聞きをいたします。  先ほど先生もゆとりある体制ということをおっしゃいましたが、確かに学級編制の四十五名を三十名台にしてくれという強い御要望がありました。時間の関係であと十分に言い尽くせなかったというように感じましたので、それにかかわりましてお聞きをいたします。  実は、きょう午前中に文教委員会で私は質問いたしましたが、そのときに文部省の答弁が、中学校の先生の受け持ち授業時間数が一週間十八時間だと言っているわけです。私はどうも二十二時間から二十七時間ぐらいなのが大体八五%ぐらいだったように思っているのですが、先生は何時間一週間に授業をおやりになっているんでしょうか。そしてまた、先生の学校の先生方はどの程度授業を一週間におやりになっているのでしょうか。  それから二つ目に、文部省と私の感じているのと大きく食い違っている点は、一つは、きょうも午前中そうでしたが、校長、教頭、教務主任、こういう人がみんな授業をやるのを当然だと、大いに授業をやっているというように文部省はお考えになっている。ところが、私の感じでは、特に小学校、中学校では、校長さん、教頭さんはほとんど授業をやっていらっしゃらない。教務主任等の主任も最近はだんだん受け持ち授業時間数が減ってきているというように思っていますが、実はその辺が大きな食い違いのもとだと考えますが、先生の学校あるいは先生の周辺等で、校長さん、教頭さん、主任の方々等の受け持ち授業時間数の点はどうなんだろうか。あるいはもう一つ、例の充て指導主事あるいは長期または短期の研修生、こういうものがすべて定員の枠内で行われている、そういうことも一般教員の受け持ち授業時間数に大きく影響していると思いますが、これらについて先生が現場でどんなにお感じになっているかということです。  それから三つ目は、先生がゆとりある授業をやりたい、ゆとりある教育だと、文部省も全くそのとおりで、ゆとりある教育と充実した学校生活ということをおっしゃっているわけでありますが、その中で、特に授業を一時間やるには事前の準備、教材研究、事後指導等に一時間を最低必要とする、これは文部省も全く同感です。そしてまた、現場ではそういうようになっていると考えておりますと、きょう午前中にも答弁をしておるのでありますが、私はいまの現場でなかなかそうはなっていないのじゃないかという感じがいたしますが、実際先生がゆとりある授業をやるために授業一時間やるには一時間ぐらいのそういう勉強をしたい、そういうことが先生の現場で実現できるような現場になっているのだろうか、先生の学校もしくはお近くの周辺の学校でも結構でありますが、その辺の実情をお聞かせをいただきたいと思います。  以上です。
  82. 平田善作

    公述人(平田善作君) じゃ、簡単に申し上げます。  まず第一点でございます。授業時数の件では、私個人の問題から申し上げますと、現在特活、道徳、クラブを入れまして二十四時間持っておるわけです。文部省で考えてある線というのは、恐らく一番いい条件の標準的な形じゃなかろうかと私は思うわけです。これは地域差もありますから一概には申し上げられませんので断っておきますけれども、私の地方では平均が大体二十二ぐらいいくんですね。これが実情であります。  それから二番目の校長、教頭、教務主任の教科担任の問題ですが、まず私の学校から申し上げますと、校長はもちろん持っておりません。教頭さんは現在十二時間持っておるわけです。それから教務主任は十八時間。大規模校の教頭さんになりますというと、やはり授業を持っていない人がおるわけですけれども、さっき申しました私の地方では、九つ中学校があって、授業を担当していない教頭のいる中学校というのは一校しかないんですね。教務主任については、やはり相当みんなでカバーしましてなるべく少ない時間を持つようにと配慮をしておりますけれども、なかなか実情はそういかない、そういう実情なんです。  それから充て指導主事、長期、短期の研修の問題につきましては、私、これは詳しいことは調べておりませんので御容赦願います。  三番目の、授業を一時間やるについてどれくらいのいわゆる研究時間あるいは準備充当時間が要るかという問題ですが、私は現在英語と理科を持っておるんですが、これもう非常に負担になっておるわけです。というのは、教科によって相当差があるということですね。もちろん差があってはいけないと思うのですけれども、現在の子供の理数科に対する対処の仕方というのは非常に問題があるわけです。いわゆる、よく言われますように、短絡思想とか、そういうのが影響するのかどうか知りませんけれども、じみちな計算力の養成とか思考力を練るとか、そういうことは非常に不慣れなんですね。だから、これを玉石混淆の子供の中においてよくわかるようにするためには相当の準備時間が要るわけです。というのは、私は形成的評価という問題についてささやかな研究をしておりましたのでその一つのデータですけれども、理科の場合には、私は一年、二年と持っておりますが、一時間やるのに最低やっぱり二時間は要るということです。倍は要るということです、要するに。単元次第ではやっぱり三時間あるいは四時間という場合もあるわけです。具体的に申しますと、たとえば天文的な問題、これはいわゆる想像力をたくましゅうせねばわかりませんので非常に時間もかかります。そういう事例もあるわけです。これに対して、英語のような場合にはわりに生徒の食いつき方もいいという点もありますけれども、理数ほどじゃない、そういう感じを私は持っております。とにかく、平均的に申し上げますというと、一時間の持ち時間に対して倍は要る、これが私の率直な意見です。  以上、終わります。
  83. 渡部通子

    ○渡部通子君 菊地先生に端的に二点ほどお伺いをいたします。  一つは年金でございますが、先生の先ほどのお話にもございましたが、確かに基本年金といったような考え方が日本の国にもだんだん定着しつつあるのだろうと私も感じております。各政党あたりからも基本年金構想の導入ということは最近多く提案もされておりますし、何とか暮らせる年金、最低生活が保障できるような年金という意味では、国民のコンセンサスというものも徐々にでき上がりつつあると思います。しかし、それに対して一方では企業年金の導入ということが最近一部では業界から非常に有力視されてもきております。それによって退職金がだんだん年金化されていくというような実情もあるわけでございますが、いまにしてすでに官民格差、年金の官官格差、こういったことが問題になっている一方で、新たに企業年金等が入ってまいりますと、民民格差も今度は広がってくるのではないか、こういうことが考えられますが、この点をどうお考えになるか、伺いたいと思います。  それからもう一つ、社会保障の問題で児童手当でございますが、オイルショック以来、福祉見直し論というものが余りいい意味でなく言われてくるようになりまして、児童手当につきましても大蔵省あたりから縮小あるいは廃止論というようなことまで打ち出してきております。私は、来年は国際児童年も近づいておりますし、まだ完全にこの児童手当というものが日本の国に定着をしていない現実から、すでに縮小論が出てくるようでは困ったなあと思っております。現実にいま第三子からということでは、子供の平均が一・九人ということですから、対象外に置かれていると言っても過言ではございません。そういった意味からでは、むしろこの制度確立という方向へ強めなければならないだろうと思うわけでございます。財政難、それから人口縮小政策、こういった意味から出てきたのでしょうけれども、児童手当制度ができて生む子をふやしたというような話は聞いたこともございませんし、元来そういったものでもないと思うのです。ですから、日本の国の福祉の基本的な方針、こういったものが打ち立てられないうちに縮小案が出てくるというようなことでは、非常にさびしい現実だと思います。したがって、先生の児童福祉に対する未来像といいますか、その基本的な考え方、児童手当に対するお考え、これを承っておきたいと思います。  以上、二点です。
  84. 菊地幸子

    公述人菊地幸子君) 第一点からお答えいたします。  基本年金プラス個人の能力を加味した二階建て年金の制度ということを申し上げたわけでございますけれども、それに企業年金をどう取り上げるかというわけでございますね。このことにつきましては、スウェーデンのいいところばかり申し上げるわけではないのですけれども、少なくともこの年金制度については大変整っておりますので、スウェーデンを例に申し上げるのがよろしいかと思いますのでちょっと申し上げてみたいと思います。スウェーデンの場合は、APと申しておりますが、これが国民基本年金。主婦であっても農民であってもあるいは企業で働いた人も国家公務員も全部一律にもらえる基本的な国民年金ですね。それにプラスして、公務員であった場合、それから産業労働者であった場合という追加年金、これはATPと申しておりますけれども、これを二つ足して二階建て年金と言っているわけでございます。そのほかに、やっぱり企業年金というのが企業によってございます、いまは余り拡充されてはおりませんけれども。スウェーデンにおきましても、企業の事情によりまして、たとえばボルボのような世界的な大企業の場合と、中小企業の場合と、これはその企業の経営者と企業内の労働者との協約によって決められる年金でございます、スウェーデンの場合には、そのほかに、労働組合とそれから経営者団体との協約年金というのも別に出されているわけでございます。これは産業労働者とそれからホワイトカラーの場合と労働組合が別々につくられておりますので、産業労働者の方はLOという組織ですけれども、それと経営者団体との協約によってつくられた協約年金ですね。それからホワイトカラーの方も同じような年金が出されておりますので、非常にうまくいった場合には、個人の能力に応じてとか、自由の選択という面を加味いたしまして、最高四本ないし五本の年金がもらえる人もいるわけです。ですが、最低であっても国民基礎年金とそれから勤労生活をした人は必ず追加の年金が出るという二階建てで、この辺について余り不公平、不満は出ていないように思うわけでございます。  それから第二の御質問は児童手当の問題でございますが、これは先ほど来申し上げております最低生活の保障、特に子供の人権を保障するという立場に立てば、第三子からだとか親の収入によって制限を加えるという条件はあってはならないわけでございますね。現在日本で行われておりますのは、これは一九七一年に成立したもので、第三子から親の生活条件、所得制限によって十五歳以下で切られております。これであれば、これは多子家庭に対する家庭の生計援助であって、子供の人権保障ではないと思うのですね。やはり社会保障の原点に立てばこれは子供の人権保障ということで、出生の条件だとか親の生活条件によって区別すべきものではないと思うわけでございます。  それにちょっとつけ加えさしていただきますなら、この五十三年度予算について、野党の方からは教育減税の要求というのが出されたわけでございますね、これは実現いたしませんでしたけれども。私は、これを社会保障の面から考えまして、すべての子供に児童手当が支給されていて、そして十五歳でもしもその児童手当が切られれば、それから後、高校進学、大学進学と親の負担が非常に多くなる時期でございますから、児童手当が終わった時点ですぐ教育奨学金とか教育ローンというところへ続いていきますと、暫定的な教育減税などは要求しなくてもよろしいわけなんです。年金の場合でも、これはちょっと前に戻りますけれども、退職をしてから五年たってから年金が出る。そうすれば、どうしてもそこをいやでも働かなければならない。すぐ現職から年金に、児童手当から教育のローンとか奨学金に続いていく、これが本当の社会保障の原理ではないかと思うわけです。そういう面については、日本ではやっぱり考え直さなければならないと思っております。
  85. 矢原秀男

    ○矢原秀男君 時間がございませんので申しわけないのですが、金子先生に二点ほどお願いしたいと思います。  先ほど先生がおっしゃっておられました優秀なる人材開発の件でございますが、非常に興味深く聞かしていただきました。その中で、私はこの前東大へ一番の進学校であります兵庫県の灘の元教頭先生とお話をしましたら、その教頭先生いわく、もう灘のような学校はつぶした方がいいんだと、隣の子供が病気になれば喜んでいる、こういう人間性のない教育はだめなんだと激高されるような形で、まあこれはごく一部の観点からでございましょうけれども、そういう話がございました。また、いま先生から中国の問題が出ましたが、私も上海大学、北京大学で昨年の九月先生方とお話し合いをいたしましたら、教育の近代化の中で教師の熱情はすばらしいものがございます。こういう観点の中から、私は根底の基本的な姿勢の中に人間性豊かなこういう教育というものが根底になければ大変であるという感じがするわけでございますが、この点、兼ね合いがいかがなものか、お伺いしたいと思います。  もう一点は、中学と高校が中等教育、両者あわせてこういうふうになっているわけでございますが、教育に一貫した系統性がないという指摘がございます。これらをあわせて六・三・三制も問い直していくべきではないか、こういう意見もあるわけでございますが、この点もお願いしたいと思います。  以上、二点をお願いいたします。
  86. 金子孫市

    公述人(金子孫市君) 御質問の向きは、人材開発あるいはエリート教育ということがイコール東大進学というような教育になるのではなかろうかという御懸念かと思いますけれども、確かに本年の東大に最大多数の合格者を出した学校は灘高でございますね。灘高の教頭がそういった言葉をおっしゃったようなことは、いままでもわれわれが受験校においては耳にし、またジャーナリズムの取り上げているところから聞いているところでございますが、これはやはり人を押しのけても一流大学に入ればいいというような、そういう人生観といいますか、あるいは人間観というものをどのようにして子供が持つに至ったかという問題ですね。これは単に現在の学校教育あり方等だけに帰するべきものではなくて、やはりこの問題は、社会を構成するあるいは日本国を構成するわれわれを含めた国民全体が、日本人の人生観というものはいかにあるべきや、あるいは世界観はどうあるべきやという、そういう根本問題に対する深い洞察のないままに、単に学校教育を目して将来の社会生活の条件整備というような、そういう考え方で考えるところに問題があるかと思いますので、これはなぜこうなってきたか、この原因はお人によってまた考える向きがいろいろあると思いますけれども、私は、戦後の日本人の人生観の中で、人間のとうとさ、あるいは生活の意義、役割り、そういった内面的なものへの配慮というよりは、むしろ外面的な、もっと端的に申し上げますならば、いわゆる物質万能的な思想ですね、人間評価の基準がお金で考えられるというような——一体あなたは給料を幾らもらっているのか、おれは十万円だと。わしは十一万だと。そうすると、ああ十一万の方が偉いというような社会的通念に問題があろうかと思いますね。問題は、そういったお金の問題ではなくて、彼がこの社会、国家に対しどれだけの寄与貢献をなしているかという、そういう点に対する理解と、そういった努力に対する策励、あるいは報奨といいますか、そういった面で国民の物の考え方の是正というもの、これが行われることが、このような乱塾、あるいは進学過熱と言われるような、人をけ落としても上級学校に入ればいいというような子供のできるような機運をなくすことになるのではなかろうかと思います。したがいまして、この問題は、やはり国民全体が姿勢を正して、その人生観、世界観に対する新たな考察の方向を見出し、それによるわれわれの生活の改善以外にないと思います。こう申し上げましても、単純にこれはいわゆる道徳教育の振興であるとか単なるきれいごとだけであってはならない。私は、若い中学生、高校生が上級進学のために勉強をし合い、競争を課して闘うということは、男の教育であるならばこれは認めたいと思うのです。問題は、弱者に対する姿勢なんですな。同時にまた、よりよき高等学校、すなわちよりよき大学に入ること、すなわち一般に言われている東大に入れば最高だという考え方が最高ではなくて、彼が大学を出てから社会のために何をするかということによって彼の人間の評価がなされるものであるという、そういう国民的合意を望ましいと思います。  第二点でありますが、中共のお話もありましたが、私は中共が中共の近代化を進める中に教育というものを非常に大きな比重をもって取り上げていることを非常に高く評価したいと思います。日本が戦後三十年間、国際場裏の中で敗戦国からここまで立ち直ってきたということの大きな力は、国民の教育のたまものによると思います。この国民の教育をだれがやってきたか。これははっきり申し上げますと、初等教育者でございますが、戦後は義務教育になりますと小学校、中学校でございますが、この義務教育教育と、戦前は小学校教育、この基礎教育日本の国民をしてここまで産業経済、文化の面で相当な世界規模に浮かび上がらしてくるに至った大きな力をなしたものと思います。  さあそこで御指摘にありました六・三・三制の問題でございますが、私見によれば、これはこの辺で検討を要する時期になっていると思うのであります。これは就学前教育の問題とも絡みますけれども、中学校、高等学校が三・三で区切っていることは、現実の学校教育を見た場合に多くの問題点を抱えております。これは中学校、高校とも現実は三年ではなくて二年になっているということですね。最終第三学年は上級進学のための準備の教育に堕しているということです。これでは子供に落ちついた修学による彼らの人間性の育成ということはきわめて困難で、上級進学に右往左往する、これに徹すると思いますから、私はこの辺でやはり六・三・三・四まで含めて日本の学制の根本的な検討が必要と思うのであります。この学制の問題は、日本の将来の教育と、日本の将来の国民生活あり方、あるいは国家のあり方を考えてみた場合に、いわゆる単線型のスクールシステムですね、小、中、高、大と、これに高専が入りまして若干複線型のシステムをとっておりますけれども、戦後言われたように単線型のスクールシステムがイコール民主的なスクールシステムと断定することにはやはり問題が残っているだろう。問題が残っているということは、現在の中学生、高校生に見られる非行、不良行為が何に起因しているかということを考えてみれば、その教育内容の改善、言うならカリキュラムですね、カリキュラムの根本的な改定を制度の改変と合わせながら進めていくということ、そのことによって真実に子供の能力に見合った、その能力を十二分に開発し得るような教育制度教育内容、この策定があってこそ、日本の永世は期待できるものでなかろうかと考える次第であります。
  87. 内藤功

    内藤功君 平田先生に一点お伺いしたいと思うのですが、先ほどの御意見、大変参考になりました。特に先生の御意見で一学級の三十五名、さらに学校食堂の問題、それから学校図書館の設置の問題、こういった点は私はこれからの教育の中で非常に重大な問題の一つだろうと思うのですね。それで、私の理解は次のように理解していいかどうかという点だけ端的にお伺いしたいと思うのですが、先生の言われる学校食堂、あるいは学校図書館の設置というものをやっていく場合に、たとえば学校図書館の場合に、少なくとも一名の学校司書、学級数の大きい学校では複数にして、これは漸次逓増すると、こういう学校司書の配置というものがまずどうしても必要だろう。それから学校給食のための作業員、栄養士、これは言うまでもありませんが、さらに学童の保健と簡単な医療のための養護教諭、看護婦の配置、それから学校事務職員の増員、冷暖房のための職員の配置、こういった細かいことですが、こういう職員の適正な配置ということが条件整備でどうしてもやはり必要だろうと思うのです。こういうことによって、学校の教育というものが、単に学校が教育の場だけではなくて、一つの経営体といいますか、また子供の非常に大事な生活単位として、非常に豊かに、また人間性豊かなものとして育っていって、将来の日本を担う子供たちの精神形成にも役に立っていくということだろうと私は理解をしているのです。まあ私の理解にして誤っているかどうか、なお浅いものかどうか、こういった点に関連しての先生のさらに追加されるお言葉がございましたら承りたいということでございます。
  88. 平田善作

    公述人(平田善作君) お答え申し上げます。  いまのお説はまことにごもっともでございますが、図書館の問題はちょっと先ほど言及しておりませんでしたので、一応給食施設その他あるいは関連したいろいろな作業員とか、そういった方たちのあり方の問題ですね。確かにそういう方たちの働きがあってこそ、正常な学校運営ができると思いますが、私はこういう例があるわけです。というのは、卒業式の日に、卒業生がいわゆる答辞をいたしますですね、お別れの言葉を。その中に給食婦のおばさんたちにありがとうと、そういう言葉を入れるように私どもいつも言っております。それで私は縁の下の力持ち的なそういう方々の働きがあってこそ生徒が正常な学校での学習もできる、要するに人間関係もそれによって大きく培われていくと信じておりますので、確かにそういういろいろな方の日の当たるチャンスがほしいということですね。たとえば司書にいたしますと、大きな学校ではさきほどいわゆる差別的なことはないと思うのですが、どうしても司書になると学校の先生ではないと、そういった印象を持っている保護者もおるわけですね。ところが、給食の作業員にしても同じですけれども、これはもう人間的には普通の教諭と同じでありまして、そういった方々の協力なしには学校運営ができない。これはやっぱり保護者の立場で認識しなければならないし、また学校の教職員あたりもつとめてそういう方への配慮をやるべきと、そういう意味でいま考えておりますし、またそういうことによってりっぱなそういう方々が希望されていい傾向が出てくるのじゃないかと思うわけです。ちょっと答えにならないと思いますけれども、そういう気持ちを持っております。
  89. 栗林卓司

    ○栗林卓司君 時間がございませんので、金子先生に一つだけお尋ねをしたいと思います。  オシャカ八〇%という大変ショッキングな問題提起をいただいたわけですけれども、これを解決する一つが、おっしゃった区別であり、あるいは教育内容の器材の整備の問題になると思うのですが、そのおっしゃいました区別ですけれども、それをいまの学校制度なり教育制度の中に織り込んでいくときに、どういう方向でわれわれは模索をしていったらいいのだろうか、その点で御意見を伺いたいと思います。小学校、中学校は義務教育でありますから、なかなか区別がなじまないかとも思います。ところが、ある海外の教育視察団は、できる子供はカエル飛びで上へ送ったっていいんじゃないかという意見もあるようでございます。また、高等学校ということになると、できる子が多く集まっている高校とそうじゃないのと多少区別はされますけれども、できない子が集まっている高校と言われてしまうと、学校全体が劣等感に包まれてしまう。ここをどんなぐあいに実際問題としてさばきながら今後の教育あり方をわれわれは考えていったらいいのか、御所見をいただきたいと思います。
  90. 金子孫市

    公述人(金子孫市君) これに対するお答えの前に、私は、子供の学習の成果を高めるには技法の改善で相当程度可能であるという実例をごらんに入れます。  これは秋田県の秋田市立旭川小学校の算数の学習のデータでありますが、いままでの伝統的な説明というやり方、レクチャーミソッドの場合と、それから図表を使った場合と、それから学習内容プログラム化してトランスペアリンシーに書きましてこの機械に掲示しながら学習を進めていった場合では、この偏差値の四〇、五〇、六〇のグループでこれだけの得点の、何といいますか、差が詰まってまいります。はっきり申し上げますならば、偏差値四〇のグループの子供が、これがある方法を導入すると、この新しい方法で二十点の四倍、八十点をとるに至ったという事実があります。これは文部省が視聴覚教育あるいは教育機器の導入を実験学校を小・中・高等学校二十二校ずつ設けてやった実験のデータは大体こういう線になっております。したがって、レクチャーメソッドでは子供の能力に対応した学力の定着になりますから、あれだけの分布があります。したがって、レクチャーメソッドは余り好ましくないと、こう申し上げますと、何だそれじゃおまえはここでレクチャーしているんじゃないのか、おれたちここに二、三十人おるんだけれども、オシャカ八割ならたった数名しかだめじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、これは国会の選良のおいでのところでございますから、皆さん方はIQが一〇〇以下ということはあり得ない。だから、私は安んじてレクチュアをしても結構なんでございます。  こういった方法のほかに、さらにこういう例があります。これは福島県の郡山の小学校ですが、この緑色がプレテストで、こういった五十点以下の者がこれだけ多かった子供たちが、ある学習方法を導入することによった後のポストテストの赤色を見ますと、この五十点未満の子供は四名になっております。これはどういう方法でここまでいったか。これは個人用ティーチングマシンを導入したからです、はっきり言いますと。  それからこの個人用ティーチングマシンを導入した中学校の例はどうかと言いますと、これは東京都内の文京区立茗台中学校の例でありますが、クラス三の生徒の数学の成績が、三カ年間でもはや五、四、三、二、一の評価の一の者はゼロ。五の者が最初は一〇%であったのが六〇%に上がっておりますね。これはとても信じられないような成果なんです。これは事実です。あのときに文部省の学テの成績でこの学校の子供たちは東京都の中学の成績でトップになっておりますからね。ここまでなれたというのはティーチングマシンの導入によるものであるということを御理解いただきたいのです。  そこでもう一つ、いまおっしゃるように、一人の教師が四十五名、先ほど平田さんのお話にもありましたように、一学級の定数減ということは大事でございますが、現在のままでもある方法を導入することによって、子供一人一人に対する指導ができるという実例をごらんに入れます。これは徳島県の鳴門市教育研究所の研究のデータによりますが、一人の教師がこの学級の子供の普通の授業をしている場合には——このグリーンは個人指導の数です、縦の線が人数でございますから。導入の段階から五分から十分の間に、この先生は個人指導がクラス十三名でしょう、これは最高行っておりますな。こういう形できておりますが、トータルではまだこれだけの数にとどまっております。ところが、これに今度個人用ティーチングマシンを導入しまして子供の一人一人が自分の能力に合わせて学習の展開ができるようになっておりますと、先生はもはやおしゃべりする必要はないですね。先生が講義しても子供の耳には入りませんから。これは自分でマイペースで学習しておりますから。そうすると、教師の個人指導の数はこれだけふえるわけです。ですから、私は、学校というものが新しい教育の技法、ティーチングマシンあるいは視聴覚機器の導入を行うことによって、教育者の指導の負担を軽減することができる。もちろんこれは児童生徒の数の減少は望ましいことでありますけれども、世界的に経済大国の大日本がこのくらいの物の援助あるいは予算計上ができないことはあるまいと思いますので、その辺の努力に格段のお力を期待したいと思います。一それから最後に、飛び級の問題がありましたが、私は世界各国の先進国の現況を見ておりますと、最近オープンエデュケーション、あるいはオープン・スクール・システムというようなことを言いまして、子供一人一人の学習をどのように展開するかというような方法が検討されもし、実施されております。イギリスにおいてはオープン・クラス・システムあるいまオープンスクールというこの学校の実施状況は、インファントスクールすなわち幼稚園と小学校低学年を合わせた学校がありますが、ここで現在七〇%の学校がオープンエデュケーションをやっております。それからその上のジュニアスクールにおいては五〇%ですね。これはもはや一斉教授を廃止しまして、子供の一人一人が個人としてあるいはグループとして学習できるような方法に切りかえておりますしまたそのためのいろいろな工夫もなされておりますが、そういった面で見ると、一学級に同一暦年齢の児童生徒を並べておいて一人の先生が同一の教材を同一の手がかりでしゃべっておれば、先生はそれで済むでしょう。給料をもらうことはできましょうが、子供全員はわからないのです。学校というものは教員に給料を払うところではない。子供の教育を守る場である。オシャカ八割のような授業をやって給料を払う必要はないと言いたくなる、はっきり言うとね。一般の企業ではあり得ないことなんです。だから、ILOとユネスコは一九四六年に教師の賃金に関する勧告を出しているでしょう。あれで教師は専門職たれと言っておりますが、その専門職とは、医者、裁判官、弁護士、エンジニアと同等のものと考えているんです。医者はおのれの前に座った患者の診断と治療のためには最高の科学技術を導入するでしょう。医学技術を導入します。国の永遠の将来を担う児童生徒の教育であるならば、教育者たるものは最高の教育の技法を導入することは当然のことでなければならない。それには教育者みずからがそれを可能にするような研修をなさることが必要です。そういった面で、今後ともに教育者がその方面の研修を高めることによって、このような国民の期待にこたえ、また子供を一人として救ってやる。  ちょっとそこで問題になるのは、飛び級はどうかというお話がありますが、私はやって結構だと思うのです。昔ありました。アメリカではノングレードシステムということがはやってきておりますが、これは落第の持つ心理的な影響を是正するためです。これはグレードがあればこそ、落ちれば、十点満点で五点以下の者は落第ですから、これはそのままで置くならば心理的な劣等感はありますけれども、いわゆるグレードを固定しなければ、ああぼくはこの教科は一年半でやるんだとか、ぼくは二年でやるんだとか、ぼくは丁寧にやるんだから三年でやるんだよと言ったっていいじゃないですかね。大学のいまの学部、院生を見てごらんなさい。学部の学生は十年間勉強できるんですよ。十年も丁寧にやれば非常な学習ができましょうね。マスターの学生は二年が四年、ドクターは三年が六年でしょう。だから、一般の場合でもそのくらいのゆとりは見るようにしてほしいと。ゆとりある教育ということは、単に子供を遊ばせることだけではないと私は思うのです。子供の学習を全きよくすることができなくてゆとりもへったくれもあるかと言いたくなるんです。私は。ゆとりとは子供が学習し得るということによってきわまっていくものと判断したい。それをたまさか経済が豊かになったということだけでアメリカのまねをしてヒューマナイジングスクールというのは結構でございますけれども、肝心かなめの学習の成就ということに力点を置かなかった場合には私は日本の将来は非常に心配である。  私は、こう申し上げても、決して一人一人の人間を尊重することを否定するものじゃないんです。むしろ能力の七〇、八〇の子には、それに応じた時間をかけて、十分できるだけの勉強をしなさいよと。これで彼らは満足するでしょう。満足感、成功感を与えて初めて彼らは人間として成長できます。ところが、どうしてもできない教材を与えてやれといってもできない。だから、不満足であり、劣等感をかみしめて社会に出るでしょう。こういうような問題はどういうふうに是正するか。これは教育制度の改革と方法の改善、教育内容の改革と、それから教員自身の研習の徹底、これによって可能になるものと信じます。  以上でございます。
  91. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 以上で社会保障問題及び教育問題に関する会議は終了いたしました。  一言終わりにごあいさつ申し上げます。菊地公述人、金子公述人及び平田公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきまして、委員の質疑にまたお答えいただきましたことを心から御礼を申し上げます。この御意見は、今後の当委員会の審査に役立つものと確信してやみません。ここに委員会を代表いたしまして深甚なる謝意を表する次第でございます。(拍手)  予算委員会公聴会はこれをもって終了いたします。  明日は午後一時三十分から委員会を開会し、一般質疑を行います。  これにて散会いたします。    午後五時十分散会