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上田耕一郎君 だから、
日本側と
アメリカ側と解釈が違うんですよ。当日、ジョソン国務
次官は、記者団への背景説明の中で、この項は返還が実現される際、
米国が沖繩に核兵器を貯蔵する権利を行使しないことを意味する、これしか言っていないんですよ。あと、将来の再持ち込み、通過ということはできないということは絶対言っていない。返還するときに貯蔵する権利を行使しないと。返還するときはないんですよ。私も確かにそれで抜いただろうと思う。しかし、将来持ち込む、また通過はできるというのが
アメリカ側の
態度で、大統領の安全保障
会議の決定によってこれが貫かれなければ議会も軍部も絶対イエスと言わぬのですよ。だから、
佐藤首相は、
外務省との
交渉では核問題はトップに上がっていてだめだというのでやむを得ず
密使を送ったんです。どうしても核抜き返還を実現しなきゃならぬから、方法がなくてかくのごとき異常な手段をとったんです。私ども訪米調査団の一員の共産党の国際部の副
部長増田紘一さんが三月一日に
モートン・
ハルペリン自身にこの問題で会いました。話がずっと進んで核問題にいったら、
ハルペリンさんは、いや、もうそれは答えることでわかってしまうと、質問に答えないという
態度。
密使はだれだったというので、大浜信泉グループの一人というふうに始めたら、
ハルペリンさんはいすから飛び上がった。もう帰ってくれと、おれの顔色を見られただけで困るというのでもうドアから押し出される形で、ハルぺリンさんがそういう
態度を示したこと自身が彼は否定しないんですよ。事実なんですよ、これは。明らかに事実なんです。それで、こういうことを隠して、その後私は歴史の弁証法が生まれたと思う。
沖繩返還協定を国会で強行採決で通そうとしたときに、━━━━━━━━━━保利
幹事長がみずからイニシアチブをとって非核三原則を国会決議にした。そのためにノーということになってしまったんですね。核兵器の持ち込みは一切ノーと。これは自民党
政府は非常に困る。それまで非核三原則は
政策だった。いつでも変えれる。国会決議になって、
福田さんは憲法と同じ国是だということを言い出した。
アメリカはこれは非常に困ったのです。岸内閣当時はこの問題はイエスかノーかあり得る。それがノーになってきた。それで
沖繩返還交渉を通じてこういうことをしたんですよ。
私は、この
密使がだれかというのを訪米調査並びに国内でわが党は調べました。そして、だれであるかをわれわれは突きとめました。いま京都産業大学教授で、元防衛研修所の所員です。その後にマイヤー大使が
ニクソンあての手紙でこの人は
日本の最高級指導者が信頼している人だという報告を送ってジャック・アンダーソンが暴露したこともある、その人であります。彼は
キッシンジャーとも面識があります。英語もできます。六九年に四、五回
アメリカへ行っております。私は彼に面会を求めました。彼は外遊するので忙しいというので面会できませんでした。十五分だけ会ってくれ。十五分も面会は断られました。電話で私は
インタビューしました。若泉氏は、私ではない、恐らくはかの
人物であろうと言って二、三の推定する
人物を挙げました。しかし、私は、これはもちろん
密使ですから否定するのは当然だと思う。
アメリカでも、私は
名前を挙げませんけれども、ある人が、若泉敬氏の
名前を増田紘一国際部副
部長が出したら、この
名前だけは言えないと。しかし、いい線をいっていると、そう言いました。
日本の国内でも、私はこれも
ニュースソースを明らかにしないという約束ですので言えませんけれども、若泉敬氏であるという複数の信頼できる証言を私は得ております。これはきわめて重大な問題です。
日本の非核三原則という国是に背くような大問題を一国の
首相が代理人を通じて
アメリカと
密約をしている。
繊維についてもそうであります。
ですから、私は、
政府に対して、先ほどの通訳の記録、それから沖繩並びに
繊維についての
密約、これを国会に提出していただきたい、このことを強く要求したい。