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1978-05-11 第84回国会 参議院 文教委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年五月十一日(木曜日)    午前十時七分開会     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         吉田  実君     理 事                 後藤 正夫君                 世耕 政隆君                 粕谷 照美君                 小巻 敏雄君     委 員                 岩上 二郎君                 山東 昭子君                 高橋 誉冨君                 内藤誉三郎君                 二木 謙吾君                 増田  盛君                 勝又 武一君                 久保  亘君                 松前 達郎君                 宮之原貞光君                 柏原 ヤス君                 白木義一郎君    国務大臣        文 部 大 臣  砂田 重民君    政府委員        文部大臣官房長  宮地 貫一君        文部省初等中等        教育局長     諸澤 正道君        文部省大学局長  佐野文一郎君    事務局側        常任委員会専門        員        瀧  嘉衛君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法  の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送  付)     ―――――――――――――
  2. 吉田実

    委員長吉田実君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案議題といたします。  前回に引き続き質疑を行います。質疑のある方は順次御発言を願います。
  3. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 本委員会におきますところの論議、あるいはまた衆議院文教委員会で行っておりますところの、この問題に関しますところの議事録を私は読みながら、いま議題になっておりますところの教員大学関係法案、この法案ほど奇妙な教員養成大学構想はない、そういうことを私非常に強く感じておるところでございます。  実は、先般、九州に参りました際、ある教育界先輩が、この法案についてこういうことを申しておりました。戦後四半世紀を経て、ようやく一府県一校といういわゆる教員養成大学ないし学部が定着をしつつあるときに、なぜまた突如として戦前のいわゆる第二師範学校づくり、このような二の舞いを感じせしめるような法案が出ておるんだろうか、しかもまた、よりによって、日本で有名な陰湿な師範学閥の非常に根強く残っておりますところの新潟とか、あるいは兵庫あたりにこの問題が提起をされているんだろうか、もし初等教育学校教師が不足だと言うならば、もっと教育系の、いわゆる初等課程の定員をふやせばいいじゃないか、どうもわからない、こういう御見解。さらに大学院をつくるためだと言うならば、現在の教育系大学におけるところの大学院博士課程だといろいろ非常に問題があるでしょうけれども修士課程というならそう置くことにさして困難でないはずなんです。どうもわからない。しかも、また新しくつくられるところのものが、小学校教員課程教育学部だけだと言うなら、同じ義務教育学校の中学校の問題について何ら触れられてない、これぐらい片ちんばな養成大学構想というものは私は見たことがない、こういうような話を私にされたことを私は思い出すんですが、実は私もこういう先輩言葉をかりるまでもなく、教育界というものをある程度知っておるところの国民大衆から見れば、いま私が申し上げたような、やはり素朴なこの法案に対するところの感想というのは大体大同小異じゃないだろうかと思うんです。もちろん、文部省のPRが悪かったからと、こういう弁も成り立ちましょうけれども、しかし、やっぱり的確に国民の胸に落ちるような形での納得のさせ方がなかなかできないものをこの法案は持っておるんじゃないだろうかという感を私は深くしてならないものです。それだけに、いま私ちょっと紹介申し上げたような、この声ということもあることは事実なんですから、これに対して大臣から、いやそうじゃないんだ、こういうのだという何か簡にして要を得たところの物の言い方があれば、まずお聞かせを願いたいと思います。
  4. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) この新構想教員大学は、こういう趣旨のもとに考えたものでございます。  まず第一に、教員資質向上がこれほど全国民的な期待を持たれ、望まれた時代はかってない。しかも、教員皆さんの中にもより一層の、より高度の研究研さん機会を得たい、そういうお気持ちが教員の中に高まったことも過去になかったんではないか、こういうことにこたえるべく、新しい構想として教員大学考えたものでございますが、それでは従来の、いま宮之原委員指摘になりました、各県にようやく一つずつ確保のできた教員養成課程を持つ大学、これの充実もまた当然図っていかなければならないことでございますことは、五十三年度でさらに愛知大学院を設けましたことをもっても、御理解がいただけると思うのでございますが、この愛知に設けます大学院考えてみましても、大学院が設置されるだけの学部充実に伴って、三大学になるわけでございますけれども現職教員の中に、より一層高度の研究研さん機会を得たいという御要望にこたえるべく、現職教員を受け入れられる大学院の数がまことに少ない現状にあるわけでございます。いろいろ後ほどの御質問にもお答えをいたすことになると思いますが、そういうことから上越兵庫、二カ所に新しい構想大学を設けまして、大学院におきましては現職教員を主として受け入れて、教員の中に高まってまいりましたより高度の研究研さん、その意欲にこたえよう、そういう考えのもとに構想されたものでございますし、学部につきましては、もうこれも宮之原委員承知のところでございますけれども、各方面から初等教育教員養成あり方について工夫改善必要性が非常に高まっているときでもございます。こういう新しい構想大学を設立をいたしましたその学部におきましては、主として初等教育教員養成を図る学部として、新しい工夫改善でスタートをしていく。そしてまた、同時に教員の数も需給の状態にもこたえていく、このことがあわせて私どもがこれから真剣にその充足に努力をしていかなきゃならないと考えております既存教員養成大学充実、なお、さらに愛知に五十三年度で大学院を新設するわけでございますけれども、それにとどまらず、大学院を新たに他の大学にもまたふやしていかなければならない、そういう既存大学学部充実大学院充実、これと今回の教員大学とが両々相まって好ましい刺激を与えていきながら、教員資質向上に非常に大きな役割りをこの大学が果たしてくれるものと、そういう期待のもとに新しい構想を持ったものでございます。
  5. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 逐次具体的にお聞きをしたいと思いますが、ただ、いま大臣がそうおっしゃってみても、たとえば既存大学にはみんな小学校教育課程があるわけなんですね。それを、たまたまなかったから上越とか、あるいはまた兵庫につくったというならまたそれでわかります。大学がなかったというならわかりますけれども、どうも新潟にも神戸大学にもちゃんとした課程がある。それにもう一つその同じ県につくられるわけでしょう。だから、これはやはり、戦前は御承知のように、大きな県では二つ師範学校が大正になってからできましたですね。けれども、さして新潟あたりはそういうところでもない。おまけに、御承知のように、そう言っちゃ失礼ですけれども、あの新潟県におけるところのこの古い師範学閥の流れというのは、いまもこれは根強いものなんですよね。ですから、これがよりもよってそういうところにつくられているということについて、私は直観的にどうしても素直に感じられないんですよ。これは、先般の衆議院文教委員会でもこの学閥問題質問出ておったようですが、実は私も、この話はちょっとよそにそれますけれども、先般の新潟知事選挙の応援に行ったときに、たまたま教育界の長老の皆さんから陳情を受けたんです。その皆さんはいわゆる高田師範系統皆さんなんですよね。まあこんなところで言っていいかどうかわかりませんけれども知事選挙は一生懸命やりますけれども、この大学だけは絶対に社会党もうんと言ってもらわなければ困ると、こう言うんです。これは常盤会と言うんですが、われわれはいままで長年新潟師範からいわゆる分家の悲哀を味あわされたが、今度私どもは本家になるんですよ、この上越大学をつくることによって。だから、何としても賛成してもらわなければ困る。このことについて、この参議院の同じメンバーの方なんですけれども、〇〇先生と言いましたよ。この先生は非常に理解のある先生で、これはもう私ども高田系学校の問題については、分校のときからずっと一貫してやってこられたりっぱな先生なんです。そんなに教育のために一生懸命やっておられるところの先生がおられるのに、何で社会党はこの問題について反対するんですか。どうもうちの系統木島代議士はこの問題については不熱心で困ると、こうお灸を私どもすえたところでございますから、ひとつ先生これは何とかしてもらわなければ困りますよと、こういう筋の陳情を受けて、私も話も落ちるところまで落ちたもんだと、こう思いながら、しかもその学閥の執念のすさまじさというのをいまさらのごとく強く感じたんです。それだけに、いや古い学閥はないんだと、そういうことにはつながらないんだと幾ら言われたって、この教育界実態というものを知っておる者から見れば、拍車をかけはしないかという非常な不安があるということはこれは否定できませんよ。九日の日のこの本院におきますところの参考人の御意見の中にも、やはりその問題のお話があったんですが、それだけに先ほど九州のある先輩が言ったという、いわゆる一つの県に、しかも学閥の根強いところに、しかもよりもよってよう建てたものだと。これは何か魂胆があるのじゃないだろうかと。それがないとするならば、それをどういうふうにしてこれを除去するかという、このことも私は教育行政上非常に重要なことだと思うんですが、そのことはどう大臣はお考えになりますか。
  6. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 宮之原委員の御体験からそういう真剣な御心配をお持ちになっているのだと思いますが、実は私の出身地兵庫県にも御影と姫路二つ師範学校があったわけでございます。往年のその学閥すさまじさについては、私も聞かされるところでございますけれども御影師範出身姫路師範出身のそれぞれの教育界先輩方々から、自分たちの後輩の現職教師がより高度の研究研さん機会を長期的に持ちたいと、そういう意欲がこんなに高まった時代はないということを、両師範出身者先輩方々が私にお話しになるのも私は聞かされているわけでございます。きわめて純粋な教師の皆様の中に、なお一層勉強しなければいけないという意欲の高まっていることが、昔の師範学校の、宮之原委員、隠微なという言葉を使われましたけれども、そういう時代が確かにあったことを私も承知をいたしておりますが、そういうことを超越をして、いまの現職教師皆さんの勉強、研さん意欲、これにこたえることは私は必要なことであると、このように考えますし、新潟兵庫とよりによってとおっしゃいましたけれども、やはりこれはただいまの、どう申しますか、地元の受け入れ意欲も非常に高かった、こういうことから場所はだんだんこの二カ所に集約をされてまいったものでございまして、旧師範学校あり方と、今度の兵庫上越という場所が決まりましたことと、直接結びつくものではございませんことを御理解をいただきたいと思うのでございます。
  7. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 一層勉強したいという熱意は、これはもう結構なことですよね。またそれにこたえるところの施策をやるということも大事だと思う。しかし、そのことが直接この大学にはつながっていくという見方は非常に問題があると思う。それはさておいても、もちろんいまの話は本質的には、論理的には学閥の問題とは別なんですけれども現実に絡んできているところの問題だけに、私は非常にいま問題点を感じておるし、もちろんこの問題は本法案にも直接関係するところの問題じゃないですけれども大臣兵庫きれい事なことをおっしゃいましたけれども、ぼくらみたいに長年初等教育界にあった者、しかも私長年中央におりまして、各県の実情というものを知っておる者から見れば、そんなきれい事では済まされぬのですよ、本当は。それはなるほど戦後なくなりましたけれども、やっぱり戦前からの校長さんが、入ってくる人はみんなその同窓会に入れちゃうんです、もう出身は別にしても、新しい戦後の大学にしても、同窓会費払わされてその中に入れちゃうんです、現実の問題として。しかも、これは非常にあれなことなんですけれども教員組合運動の中にさえも反映してきているんですよ。県によっては両学閥のバランスをとるために委員長を二年交代にするとか、何かいろいろ工夫をしなければなかなかやっぱりやれぬぐらいの実態というのが今日あるんです。ですから、私はこの問題は今後の行政上の問題として、そういうものを助長しないようにするためにはどうすればいいのか、このことをやはり考えながら、皆さん教育行政に当たっていってもらわなければ、いや、いまはないんですと、こう胸を張ってみられても、教育界現実というのはそういうものでないだけに、この点は十分やはり含んでおいてやっていただかなければなりませんよ。これはたとえば高等師範の問題も、いわゆるあの尚志会と茗溪会の問題だって、まだ依然として根強いものがあるんですよ。私から言わせれば、この教育界学閥というものが、日本教育発展をどれくらい阻害しているかわからぬと思っているんですよ。それだけに、先ほどちょっと触れましたように、よりもよってよいところにまたつくられたもんだなあと、よっぽどこれは何かあるんじゃないだろうかという、これは勘ぐるなといったって無理ないことなんですよ。このことだけはまず申し上げておきたいと思う。  そこで質問に入りますが、御承知のように、戦後の学校教育教員養成基本的な理念というのは、戦前のやはり師範学校教育というもののあり方から、厳しい反省に立って、御承知のように、教員養成大学で行う、開放制だと、こういう私はやはり基本的な原則というものが答申の中でも聞き、また文部省もその方針に沿ってやってきたと思いますが、私はこの方針はあくまでも正しく、今後も堅持されなければならない理念だと思うんですが、その点大臣どうお考えになりますか。
  8. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 戦後の教員養成開放制原則というものは、どこまでも尊重をしていくべきもの、かように考えます。すでに教員養成の問題についていろいろな御指摘があるわけでございますし、教養審等からの建議もちょうだいをしていることでございますけれども、きわめて慎重にこれはやはり検討してまいらなければならないことではありますけれども原則的な開放制という、この基盤は尊重していくべきものと考えております。
  9. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 教員養成大学で行うというこの意義ですね、従来と変わって。それはどこにあると大臣はお考えになっていますか。
  10. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) やはり、教師資質の一番大切な基本であります使命感、そしてまた教育的愛情、こういう基盤の上に立った広い教養、この広い教養というところに特に私は大学によって教師を求めていくという開放制という基本が生まれてきたもの、また今後もそうあるべきものと考えます。
  11. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私はこれは二つあると思うのですね。一つは、いま大臣が言われたところの、大臣はこういろいろな記録を見ますと、教師の一番大事なことは使命感愛情だということはいろいろ述べられていますが、そのことも否定しませんが、やはり戦前の狭い教育技術観、教え方、そこだけにやはりとらわれ過ぎているところの教師から、いま御指摘いただいたように、もっと広い視野に立つ、しかもまた物事を科学的に、いろいろな学問との形態の中で総合的に判断をしていくところの教師、こういう教師が教壇に立ってこそ、これはやはり教育というものがよりよく発展ができるんだという、確かにその側面があると同時に、いま一つは、やはり戦前師範学校教育といっても、これは中等教育の部類だったわけですよ。それをやっぱり高等教育という場に持っていったということは、当然やはりこの教育水準自体も上がっていくわけですからね、それに対応するところの教師条件として、やはりより高いところの大学で勉強してもらわなければだめだと、こういう物の考え方もあったんじゃないでしょうか。その点はどうお考えになりますか。
  12. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 私が申し上げたかったことも同じことでございます。もう全く同感でございます。
  13. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 免許状の問題についても、これはさっき開放制という立場から見れば、私はもうそのとおりだと思いますが、この免許状の問題についても、この開放制原則はあくまでも堅持をしながら、改善をしていくという立場に立たれるわけですか。特に小学校教育との関連の中で、その点をお聞かせ願いたいと思いますが、いかがですか。
  14. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 免許状の問題、いろいろな問題点指摘もされておりますし、教養審からの建議もあるわけでございますけれども、このいまの免許制度あり方免許基準あり方等検討をいたさなければならない重要課題、これからの重要課題であることは間違いございませんけれども、やはり開放制ということを基本に置いて、検討をしなければならないものと考えております。
  15. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 大臣のおっしゃるところのその基本的な考えは、全くそのとおりなんですけれども、果たして、戦後早々にして確立をされたところのこの方針が、ずっと堅持されてきておるんだろうかどうだろうか、こういうような角度から、この教育系大学学部のずっと歴史的な変遷を見ますと、どうもそれが大臣の御答弁と、ずっとこの移り変わりが、本当にそれをより充実をさせるために努力をされてきたんだろうかどうだろうか、むしろそれをどっかでスポイルするためにやられてきておるんじゃないだろうかということさえ、私はいままでのこの変遷の中から見るんでございますがね。その点は私のそれは考え違いでしょうか、どうでしょうか、大臣、どう思いますか。まあ、大臣は去年なられたばかりですから、いままでは外にあって見られておったと思うんですが、ひとつ忌憚ないところをお聞かせいただきたいと思うんですがね。
  16. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) やはり、開放制という基本は守られ続けてきた、私はこのように考えております。
  17. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 開放制の問題だけじゃないんですよ。大学で行うというこの方針もそうだとお考えになられておるんですか。私は、先ほどから基本原則二つだと、基本理念二つだと申し上げてきておるんですから、そういうふうに理解しておいていいんですか。
  18. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) そのとおりでございます。
  19. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 しかし、私、その点を大臣がいろいろ述べられても、この事実をどう判断をされるかという疑問を持つんですよ。御承知のように、二十四年から三十年にかけて、旧制師範学校系統学校新制大学として国立大学学部なり、あるいは独立したところの大学になっていったわけでございますけれども、その統合あるいは独立するところの中では、他の旧制大学、あるいは専門学校ですね、戦争中は高専という言葉が使われましたけれども、そういうものから比べますと、人的にもあるいは物的水準でも、残念ながら師範学校系統というようなものは、切りかえ当時は大変な水準の開きがあったんですよ、格差が。非常に苦労があったことも関係者よく知っておるんです。たとえば教員教官配置にいたしましても、師範学校先生方をみんな新しくできたところの教育学部教官にしようとしても、それぞれ工夫をして、この人は大丈夫だろうといってやった、この上に、上申をしたところの方でも、大学設置審議会でもね、合格率は六〇%しかないんですよ、そういうぐらいに、他の旧制大学なり、専門学校と比べると、切りかえ当時においても非常な格差があったんです。しかも、残念ながらその格差は、どう文部大臣努力してきたとおっしゃろうとも、縮まっておらないというのは、事実じゃないでしょうか。これは後からおいおい申し上げますけれども予算の面においても、スタッフの面においても、ざっくばらんなところ、そういうようなかっこうになっておるんですよ。そういうことを私は、この格差というものを埋めるために努力をされたと、文部省努力をずっとやってきたというならわかるけれども、むしろ現実にそういう格差を是認をして、しかも、その初等教育に対する学校先生がなり手が少ないからといって、私は学部のいろんなこの教育研究体制というものを、むしろその現状にマッチして引き下げてきているとさえ思っているんですよ。それが言われておるところの、いわゆる三十九年二月の省令カリキュラムで御承知のように、教育系大学なり学部だけは、必ずというかっこうで、いわゆる課程学科目制に持っていった。この固定化という問題が今日いまだにこの格差の問題について是正し切れないところの要因を生んでおるということは、これは衆議院参考人として呼ばれたところの須田神戸大学長さんも、現実にそれを肯定をされておる。あるいは先般本院で参考人に来てもらったところの先生方にお聞きしても、そのことは認められておるんです。そういうものはそのままにして、その格差というものはそのままにしていくというよりも、むしろ現状に合わせたような形の教育系大学運営というものを行っておりながら、いやそうじゃないんだ、従来の方針堅持をされて、それに近づけせしめるように努力してきておるんだとはどうしても理解できないんですがね。その点はどうお考えになりますか。
  20. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり、教員養成学部が創設当時の状況からいたしまして、他の学部に比較して教官組織あるいは施設設備等につきまして、教育研究条件が必ずしも整わない状況のままで推移をしてきたという状況があることは、私たちも否定はいたしません。しかし、それはそういった状況をよしとし、あるいはそういう状況固定をするということをもちろん考えているわけではなくて、文部省といたしましても、教育系学部大学充実のためには逐年力を入れ、努力をしてきているわけでございます。それは教官組織充実につきましても、あるいは付属施設、その他の充実につきましても、できる限りの努力はいたしてきているわけでございます。開放制というものを実質的に推進をしていくためには、単に制度的にそれが開放制であるということだけではなくて、御指摘のように養成をする場所というものが、大学としての実質を備えたものとして整備をされていくことが必要であるということは、私たちも十分に承知をいたしております、そういったことで努力をしてきておりますし、またこれからもできる限りの努力をいたしていきたいと思っておるわけでございます。
  21. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どうもそういう抽象的なお話では答弁にならぬと思うんですよ。努力してきたと言うなら、されておったなら、現実教育系大学学長さんをやっておるところの皆さんが、この課程学科目制というために、これは率直に申し上げて、研究というよりも教育ということを重視したあれでしょう。そのために教育予算の面でも人的な配置の問題にも、非常な今日格差がありますよと、こう言っておるんですよ。結局切りかえた当時から一貫して変わってないんですよ。それをそのままにしておいて、今度の教員大学というものをぽっと持っていく。しかもその中身は後からおいおい申し上げますけれども、いままで以上にこの教員養成だけという、しかもその教員教育技術ということで、非常に実践教育云々と言いながら各個にやってきておる。そういうずうっと皆さんのこの教員養成大学に対するところのやり方というものの中から、いまの教員大学の問題考えてごらんなさいよ。努力をしてこれだけ高まってきて、これをやればこれだけ高まりますと、一般大学に対して遜色のないところの、研究の面でも、教育の面でも充実をされたものができますと確信を持って言えますか、言い切れないでしょう。衆参両院の参考人の、皆さんの方の系統から推薦をされたところの現実学長さんでさえそれを言っておるんだから。ここに今日のこの問題の一番の問題点がありゃしませんかね。  大学局長に聞きますけれども、具体的にやってここまで上がってきたんだというなら、そうおっしゃってくださいよ。肝心かなめのところがそのままだから、なかなか困る困るとみんな参考人に来られたところの大学関係者言っておるじゃありませんか。それはどうあなた方認識されておりますか。
  22. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在の教員養成大学あるいは学部状況が十分であるとは私たち考えておりません。さらに整備をしなければならない状況にございます。しかし、たとえば教官組織につきましても、四十二年当時教官の定員が五千百九十六名でございましたけれども、五十二年度現在では六千二十二名と、その間八百二十六人、約一六%の増員を行っております。また、たとえば教育工学センターのような付属施設につきましても、四十二年度では教育工学センターは全く設置をされておりませんでしたけれども、現在では十九の施設が設置をされるに至っているというような状況にございますし、あるいは付属学校につきましても、たとえば養護学校は四十二年当時十校であったものが、五十三年度では三十八校にふえているというような状況にございます。もちろんほかの学部も同じように整備を進めてきておりますから、全体としてほかの学部に追いつき追い越すというような状況がなかなかできない。全体としてそれぞれの学部のレベルが上がってきている状況のもとにおいて、なお教員養成系の学部において現在の状況に御不満があるということは十分にわかります。ことに、御指摘のように養成大学教員養成系の大学学部の場合には、修士の課程を持っているのが学芸大学と大阪教育大学だけでございますから、ほかの大学学部の場合には学科目制をとっているわけでございます。そのことに伴って教官当たりの積算校費等が、他の修士あるいは博士の課程を持っているところに比べれば、単価が低いというような状況がございます。それを改善するために、各大学において四十八年当時から逐次大学院の設置の御要望が出てきておると。この御要望に対しても、私たちは今後できるだけそれにこたえて、修士の課程を設置をしていくということを考えているわけでございます。なかなか一挙には改善ができないという点はございますけれども教育大学協会とも十分に協議をしながら、それぞれの大学がお考えになっている改善の方向というものをわれわれも受けとめて、整備に努力をしてまいりたいと考えているわけでございます。
  23. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いまお話いただいたように、定員をふやしました、施設をふやしましたというお話ですが、しかし、それはまた一般大学の方もどんどんふえておるんですよ。よくなっているんですよね。だから格差が埋まってないんですよ。それはあなたもいまお認めになっているとおりでしょう。それだけに、大臣、先ほどの話に返りますけれども教員養成大学でということは、やはり施設、設備が他の一般大学と同じように充実をしたところのもので遜色ないやはり研究教育をさせる。でなければこれは名目だけの教員養成大学にしかならないんですよ。そういうふうに格差のあるところのこの教育系大学の中で、それに対するところの最大の努力というものの実績がないままに、またぽいと新しいところの教員大学というものをつくられると。逆さになっておるじゃありませんかと言いたいんですよ。本当に大臣が一番先にお答えいただいたように、より新しい改善を加えて充実していくんだというなら、いま格差があるところの問題点のものはどこにあるかと。どうして、やはり教育系大学の中身を充実をして、その中で養成をするところの教師をよりよくしていくんだというようならば、私どもは何もこれに疑問を持たないんです。ところがそれは努力しますと言いながら、大した実績を上げないでもって、いや国民期待にこたえるように新しい大学を設けましたでは、どうでしょう、大臣。これは国民一般が素直に理解できるでしょうか。ここにこの問題のやはり問題提起の私はまあやっぱり時期的にも非常に問題がある。こう思うんですよ、これは。  そういうようなことから論じていきますと、それをあえて承知の上でやられたというならば、いわゆるそれは教師論に返りますけれども教師というものの像を一体大臣初め文部省はどう考えているのだろうか、またそう疑いたくなる。先ほど大臣はりっぱな教師像のことについて教員期待するところのものを言われた。もしそのとおりであるなら、また昔のようなこの技術中心の、教育技術を余りにも重視する、そのことも重要ですよ、教育技術を重視するということも。肝心かなめの、そのことを重視する余り、一番広い教養、知的水準というものを第二義的にするようなかっこうになってしまったんでは、先ほどの大臣答弁から見て、事志と違うでしょう。違うようなかっこうにどんどんなってきているじゃありませんか、これは。肝心かなめの先ほど来申し上げているところの格差というものを埋めるところの努力もさしてしないでおって、その点は一体どうお考えになるのですか。
  24. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 今日なお宮之原委員が御指摘になりましたような格差が残っておりますことは、これは大学局長もお答えをいたしましたが、事実でございます。しかし、その格差というものは、あの統合当時にありましたような大きな格差ではなくなってきている。改善はやはり年々なされてきておりますことは、これは私は申し上げられると思うし、御理解をいただきたいと思うのでございます。  冒頭に申し上げましたように、現にまだ格差がございますから、その格差の解消になお一層の努力をしていこうという決意とともに、相まって新構想大学考えたわけでございます。いまある格差をほっといてという意味では毛頭ないわけでございますのと、この教員大学師範学校の再現でもなければ、教員の研修――従来あったような研修所でもないわけでございます。まさに教員大学大学院であり、大学院であることは宮之原委員の御指摘教員の資格というものをやはり広く大学に求めていく。そういう趣旨とは私は相反するものではない。やはり既存大学学部充実大学局長もお答えをいたしましたように、五十三年度で御審議をいただいております愛知におきます大学院、それに引き続いての他の大学への大学院設置ということと両々相まって、既存大学充実教員大学というものの発足と両々相まって、私は教員資質向上に対処をしていきたい、かように考えるものでございます。
  25. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 その格差是正云々を、単に予算をふやして施設、設備をよくすればいいのだと、これだけでは私はならないと思うのです。ぼくは先ほどちょっと触れましたけれども、何で教員養成大学、あるいは学部だけ、課程学科目制というものを、これを固執しておられるのだろうか。なるほど養成課程ですから、課程ということが非常に重視をされるということはわかりますよ。しかしながら、現行の大学の設置基準、いろいろな面から見れば、これは参考人のそれぞれの御意見にもありましたように、講座制とか、学科目制とか、それと予算の面、教員の充当の面でも格段の開きがあるでしょうが、教官研究出張旅費、いろいろな問題にしても。そうして、しかも肝心かなめの教員養成に必要であるところの、研究というよりも教育重視でしょう、これは。それをそのままにしておいて、いや、埋めます埋めますと、こう言ったって、これはなりっこないじゃありませんか。一番法律をいろいろな基準に合わしてやらなければならぬところの肝心かなめの文部省でしょう。それが厳然と予算配分においても格差がきちんと段階があるところのものをそのままにしておいて、幾ら大学局長が、あるいは大臣が今後努力します云々と言ってみても、私はこれは事実違った結果しか出てこないんじゃないかと思うのですよね。しかも、この間も須田先生からも指摘をされましたように、このことが、いわゆる課程学科目制固定化をしておるというところに問題があるのですよと非常に強調をされておる。この問題に対して皆さんは、じゃこれは改めていきます、改善しますという一つの見解表明も何もない。それはそのままにしておいて、幾ら予算をふやしますよと言ったって、基準が違っているのですから、しかもまた一般大学と違って、教育系大学なり、学部は、これは教育ということを中心にしてやればいいんだという物の考え方ですからね、一般大学の卒業生と当然違ってくるのは、格差がついてくるのは当然じゃありませんか。そのことはそのままにしていかれるんでしょう。それならば、どうしてこの問題について具体的にそういうことにならないようにやっていくか、それをお聞かせくださいよ。
  26. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員養成大学あるいは学部においてとられております課程学科目制というそのあり方自体は、それは国大協の五十二年の十一月の報告書でも述べておりますように、教員養成大学学部あり方としてはそういう課程制というものはむしろそれに適合しているという考え方が述べられております。課程学科目制というもの自体について、御指摘のようにさらに内容の充実を図っていかなければならないということはもちろんでございますけれども、先ほど来申し上げておりますように、これまで教員養成系の大学学部では、修士の課程を設置をするということが行われないままに経過をしてきているわけでございます。愛知教育大学に続いて、整備の進んでいるものから逐次修士課程を設置をしていくわけでございますが、修士課程を設置することに伴って当然講座制がそこではとられていくわけでございます。
  27. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 教員大学も講座制とれるの。
  28. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 修士の課程を置いた場合には講座制をとることができますから、したがって、修士の課程を置くことに伴って講座制をとっていく、その両方の方法をあわせて進めていくことになるわけでございます。
  29. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 答弁になりませんよ。大学院の話を一生懸命あなたやっているでしょう。ぼくはこれ議事録を読みますけれども、この須田先生ですね、これは皆さん方が任命された神戸大学学長さんですわね。しかも、いま特別委員長になられた方で、皆さんのものはもう間違いない、すっきりしたなんて言われている方ですけれども、その方でさえもこう言っていますよ、この講座制の問題と、課程制の問題について言っている。なるほどこの方は課程制がとられているから絶対にそれはだめだとは私は言いませんと言っておられる。後が肝心ですよ。「ただ問題は、そのようにしまして課程制をとり、学科目制をとりましたものが教学システムの一つの区分けという範疇から離れて、これに予算上それから人員配置固定して決定的にこれを支配してしまった。そしてそれがこの三十年間続いてしまったというところに一番の問題がある」と、こういうことを述べられておるんですよ。格差是正というならば、一番その基準になるところのそこのところを皆さんが改めて、他の一般大学と見劣りしないようなシステムにしていくというなら、それは今後格差是正に対するところの努力わかりますよ。それはそのままにしておいて、私が先ほどから尋ねておるところの面は抜きにして、新しくつくられるところの大学院は講座制をとりますなんて言ったって、これは恐らくごまかしの答弁ですよ。肝心かなめのこれはどうされるつもりですか、学部を含めたところの問題は。  しかも、もう一つ尋ねたい点は、御承知のように、もう一番あなたが御承知かもしれませんけれども、肝心かなめの学問研究の保障ということが、教育系大学のこの課程制の中で欠落しているんですよ、課程制の問題であるだけに。それもそのままにしておいて、視野のもっと広いところの人間づくりをやりますと、教師づくりをやりますと、こう言ったって、これ常識ある人は納得できませんよ。肝心かなめの一番の根本になるところはそのままにしておいて、幾ら大学局長が、今後は他の大学よりもこれ一生懸命やりますと言ったって、あなた大学局長でしょう、その点やっぱり基準に沿ってやらなければ、予算執行の問題で会計検査院からしかられるわけでしょうが。これはどうされますか。
  30. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 問題が二つあるわけでございます。  現在の課程学科目制状況というもののもとで、その課程学科目制に伴う予算措置をどのように改善をしていくかということが一つございます。これはたとえば学生当たり積算校費をとりましても、教育系の単価につきましては、引き続いて文科系よりももっと理科系に近い単価に改善する努力をしてきておりますし、現在は教育系の学生当たり積算校費の単価は文科系よりもはるかに高い、他の学部の文科と理科の中間をいくような単価に改善をされてきておりますが、そういった努力課程学科目制の積算の中で、やはり努力をしていくということが一つございます。  それともう一つは、先ほどお答え申しましたように、大学院を設置をすることに伴って、大学院を持つということになりますと、学部からしてそれは講座制をとることになりますので、したがって、予算の積算の単価が修士講座の単価で積算をされるということになるわけでございます。基本的にそういった教育研究組織あり方というものと、予算の積算というものとをどのようにリンクをさせるかという基本論はございます。これはかねて、大学院の場合の予算の積算というものと、学部の積算とを区別をしてはどうかというような議論として出ているわけでございます。しかし、現在の私たち考え方は、学部が修士を持ち、あるいは博士を持つ、そのことに伴って、修士課程あるいは博士課程の学生の研究指導その他、教官研究面の負荷が大きくなりますので、そのことを考えて修士制あるいは博士制をとった場合に、それぞれ積算の単価を変えているわけでございます。そういった形でさらに実態に即して改善努力をしていくわけでございますけれども教員養成系の大学の場合にも、一つには現在の課程学科目制のもとにおける、予算の内容というものの改善を図っていくということと、それからもう一つは、これまで設置が見送られてきている修士の課程を逐次つくっていくことによって、教員養成系の大学学部についても、他の一般大学修士課程を持っているところと同じような、いわゆる講座制のもとにおける積算というものが行われるような形をとっていく、そういった努力を並行して進めていくということでございます。
  31. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういたしますと、あれですか。いま局長から答弁があったのは、予算面の積算校費の教官当たりとか、あるいは学生当たりとか、あるいは研究費とか、あるいは出張旅費の問題も出たんですがね、予算だけじゃないですね。教官配置の問題でも格差があるんでしょうが。講座制のところ、あるいは学科制のところとは。肝心かなめのその問題一つまだ触れられてないんだ、いまのお話でも。まあいずれにしてもこれはあなたが今後幾ら努力をしますと言っても、肝心かなめの皆さんがつくられたところの積算基準が違いがあるんだから、ここをいじるか、あるいは肝心のところのこの課程制というところ、課程学科目制というところをいじるかしかないんでしょう。しかも教育系学校はすべてあなたは課程学科目制をとると、こう言っている。そうなりますと、これは私が申し上げなくても一番あなたが御存じだけれども、学問研究という、それよりも教育というものが、これは課程制の場合では重要なんでしょうが。そうして一般大学におけるところの講座制や学科目みたいに、より広い視野に立った云々という先ほどの冒頭の大臣答弁から見れば、そう言いながら実際の皆さんが行われているところの教員養成あり方は、それとは一段格の低いところでやられるんだから、答弁用はいいけれども、実際はそういうふうに納得できないでしょうが。したがって、本当に名実ともに私はそうされるというんなら、これから手をつけなさいよ、一つの問題として。これは与党の皆さんもおられますけれども、よく教育は大事だ大事だってみんな一緒にこれ一致するんですよ。けれども、肝心かなめのそういうところになると、口をつぐんでしまわれるという傾向がある。私はこれでは一番基本のところがどうかと思いますよ。  もう一つ私お尋ねしたいのは、これは間違いございませんか。今度の上越兵庫大学院は今度講座制をしかれるわけですね、そうすると、いまの二つあるところの問題は、これはないんですね、大阪と東京の学芸大学は。これはあるんですか、大学院修士課程は。
  32. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 東京学芸と大阪教育は修士を置いておりますから、今度置くこととなる愛知教育大学の場合と同様に、修士を置くことに伴う体制がとられるわけでございます。上越兵庫の場合も同様に修士の課程を置くことで、大学を設置をいたしますので、いわゆる修士講座制をとるということになります。
  33. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 大臣ね、私はもう何回もくどくど言いませんけれども、肝心かなめのところはいじらないでおって、形の面だけで幾らこの大学を設けたことによって、教員資質向上しますと言ったって、率直に申し上げて、これはしませんよ。ここに非常に問題点がある、看板と中身に偽りがあると申し上げているのは一つはここなんです。だから、本当に教育系大学院なり学部充実されるというなら、特にその学部の場合に、この課程学科目制あり方についてもう一回検討して、何とかやっぱり他の一般大学との格差を縮めるような方式はないかと、それを今後検討するというぐらいの積極的な私は意欲を見せられてもいいと思いますがね。幾らこれは大学局長が答弁されたって、これは一番肝心かなめの基準が違うんだから、限界があるんですよ。本当に文部大臣として教員養成が大事だと、しかもその開放制、あるいは教員大学学部教員養成するんだという原則を貫こうとするならば、ここのところをどうするかという、これはいまできないにしろ、検討課題でもいいですけれども、そこのところをぼくはもう一回大臣の存念をお聞きしたいですね、いかがでしょう。
  34. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 課程学科目制そのものは、教員養成大学学部では適合するものだと国大協の報告書にもあるわけでございます。須田先生参考人衆議院に御出席になりましたときにも、このことを否定はなさらない、やはり須田先生のおっしゃる中には、学科目制のその中身がいつまでも固定されていて、教員数あるいは学生当たりの校費の積算基準等がいつまでも改善されないことはいかぬとおっしゃった、そういうふうに私どもは受けとめておるわけでございます。いま宮之原委員の御指摘も、これはたとえ将来の問題であっても、これの改善努力をするかという御指摘であったと思います。私は、国大協が報告書の中でおっしゃっておられるように、学科目制自体は、当面これでいくにいたしましても、その内容は従来も努力してきたことでございますが、なお一層その内容の充実は、基準のこと等も考慮をしながら、私は改善努力を当然――いま宮之原委員検討とおっしゃいましたけれども、もう検討段階ではないという気持ちもいたすわけでございまして、改善に向かって努力、取り組む、こういう考えでおりますことを明らかにしておきたいと思います。
  35. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 ただ、大臣ね、私はすぐにでも手をつけるというのは結構なことだと思うんですが、この問題が予算とか教官の定員の問題だけだと理解されたら困りますよ。おたくのところにありますところの、つくられたところの大学設置基準の三条から五条まで見ましても、あるいは三十八年五月、大学局長が通達を出してるんです、その当時は大学学術局長名で出されている。それを見ましても、こう書いてあるんだ、講座及び学科は教育研究機能を持つ内部組織で、課程教育機能を持つ内部組織だと、明白に言ってるんですよ。一般大学の方のいま申し上げたところの講座制なり、学科制がとられておるところでは、これは明白に大学あり方大学院あり方というのを教育研究の機能を持つという両面をそろえておるんです。教員養成が大事だと言うなら、私はやはり研究の機能もこれは持たせてもらわなきゃ困ると思いますよ、教員養成大学には。ところが、肝心かなめの研究の機能というものを疎外しておいて、教育の機能を持つ内部組織だというんでしょう。そこらあたりからも問題がありゃしませんかと、こう言ってるんです。それでいて、国民期待にこたえます、開放制をやります、あるいはまた大学としての養成というものはあくまでも堅持しますと、こうおっしゃったって、肝心かなめのところがそのままであるだけに、私は非常に問題がある。したがって、こういう問題をひっくるめて、私は本当に皆さん方が教員養成機関というものが大事だと言うなら、他の一般大学に遜色のないような機能をその大学に持たせるためにはどうすればいいかと、そこのところを積極的にお考えになってその法案をお出しになるというんなら、私らも全面的に賛成ですよ。それはそのままにしといて、また意味のわからぬところの教員大学という名前の違ったものを置かれるから、非常にこれは主客転倒じゃございませんかと、こう言っておるんですよ。その後者のところは大臣はどうお考えになります、やっぱり依然としていいんですかね。
  36. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 私どもは、新しい構想に基づきます教員大学というものと既存教員養成課程を持ちます大学充実と両々相まってということを申し上げてるわけでございますから、いま宮之原委員の御指摘になりました点もひとつ積極的に検討し、努力をしたいと考えます。
  37. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 もっと具体的なお話をお聞きしたいんで、次の機会に、検討をしていただいた、今後積極的に努力をされるこの中身の問題について、お聞かせをいただきたいと思いますから、この問題の質問はこれはこれでとめておきます。  次に、学校教育法の六十五条には、大学院あり方が規定をされておりますね。「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」と、こうまあ明確にされておるわけでございますが、今度の皆さんの言われるところの新構想大学大学院も、もちろんまあ適用されると思いますが、間違いございませんでしょうね、この精神で貫かれるというふうに理解してよろしゅうございますね。だとするならば、またそこでの、そこで言う学術理論云々というものの具体的な中身はどういうことになってまいりましょうか、これ、ちょっと局長からお聞かせ願いたいと思います。
  38. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、六十五条におきましては、「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」と規定をされております。これを受けまして、設置基準の方の修士課程の目的がございますが、そこでは、「修士課程は、広い視野に立って精深な学識を授け、専攻分野における研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養うことを目的とする。」というように規定がされているわけでございます。この学校教育法及び設置基準の規定を受けて、これからつくろうとする両大学大学院ももとよりつくられるわけでございます。
  39. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 その「学術の理論」云々というのは、これはこの大学院では何を指すわけになりますかね、具体的には。いわゆるその教育学云々というようなかっこうになってまいりますかね。――まあ教育学かないと言う学者もおりますけれども、この点、どう局長はお考えになりますか。
  40. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教育学という分野はわりあい歴史が浅いということもあって、教育学というものが十分に学問として成り立つのかというような議論がないわけではないということは承知はしておりますけれども、私は、教育学というのは十分に学問の一つの分野として成り立ち得るものであると考えております。この大学院においては、もちろん、教育学その他諸科学の成果というものを十分に基礎として踏まえて、その上に立って実践的な教育というものについての科学的な研究を進める、そのことを趣旨とするものと考えております。
  41. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私も、その点、四月十二日の衆議院文教委員会におきます学長のこの問題に対するところの答弁は賛成なんですよ、ですから、それならなおのこと、ひとつ今後は、教育機能ばかりじゃなくて、研究機能の充実ということについて、もっともっとやはり学部段階から、これは、先ほどのお話に返るわけじゃないですけれども充実していくことをやらない限り、いわゆる教育学というものの確立は私はできないと思うんですよ。学者間にさえも、一体あるのかないのかと言われるぐらいの教育学ですから、それを大学院に来てからちょっくりやるんでは、そういうものは成り立たぬし、教育学を名実ともに確立させていく、そのことは私はまた教員養成の上ではきわめて重要なことだと思うので、話は後へ返るわけじゃないですけれども大学段階においてもその問題ができるような、今後のカリキュラムのあり方の中では、相当やっぱり考えていただかなきやならないと思うんですが、その点どうでしょう。
  42. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘の点は十分に考えていかなければならないことだと私たち考えております。もちろん、現在の養成大学学部の場合であっても、これはその大学がもっぱら教育に当たるということではございません。課程制をとっているということは、その大学教育だけをやるということではないのであって、その大学教官はもちろん教育研究に十分に力を入れていただくわけでございますし、そういう意味では、教育系大学学部の場合の教官研究費あるいは研究旅費等につきましても、これは学科目制をとっている他の大学と同じ基準で配当がされているわけでございます。ただ、課程制というものを、学制というものを考えて、その側面からとらえていけば、それは教育というものに主眼を置いた機構であるということが言えるということにとどまるものでございます。この新しい大学の場合におきましても、もちろん一面では、従来、教員養成系の大学、あるいは学部における教育、あるいは研究というものが、ややもするとむしろ実践的な面よりも学理的な面の方に流れがちであるという批判というものがあることも事実でございますから、それを十分に反省をして、十分な実践的な研究というものに力を入れていくということを考えなければならないと思いますけれども、そのことは、大学における、あるいは大学院における教育研究の内容というものが、技術的な問題に堕してしまって、いわば大学における教育研究ということではない、研修所的なものになってしまっては困る、そのことはもとよりのことでございますから、どのようにしてそういう学問的な研究というものを、実践的な教育研究というものに結びつけていくかということを、この大学では十分に考えてほしいと期待をしているわけでございます。
  43. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 大分先回りしたお答えもあるようですが、それはまたぼつぼつやることにいたしまして、次は中等教育教員養成問題についてお尋ねをしたいんです。  四十六年六月の中教審答申は、今日の中学校や高校は戦前の中学校とは異った新しい教育指導上の問題を抱えているので、そのために教員養成大学は重要な意味を持っておる云々と、こう述べておるんですね。また、四十七年七月の教養審建議は「今後、学校制度のあり方とも関連して、中学校教員と高等学校教員養成の一元化の問題を検討することも必要と考えられる」、こう述べておるんです。こういう答申なり、建議がある中で、中学、高等学校を含めたこの中等教員養成問題についてどう考えられておるのか、それをまずお聞きしたい。
  44. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 戦後、開放制のもとで大学における教員養成を行うということが基本として定められて、それに従って教員養成は行われてきたわけでございます。しかし、片方で高等教育の規模の非常な増大ということがございました。そのことに伴って、課程認定を受けて、中学校あるいは高等学校教員養成に当たる一般大学の数は非常にふえたわけでございます。したがって、中学校あるいは高等学校教員の免許ということを考えましても、教養審建議指摘しておりますように、その免許状の授与のために必要な単位の履修というものか形式的に流れないように、単位の基準の引き上げであるとか、あるいは教育実習の期間の延長であるとか、いろいろな御指摘が出てくるような状況になっているわけでございます。それらの問題はきわめて重要な問題であるし、事柄によってはなかなか現在の制度のままでは対応がむずかしい面もないわけではないと思いますけれども、私どもは現在の開放制の制度というものはどこまでも基本として尊重をしながら、中学校と高等学校教員養成というものが、より実質的に充実をするような方法というものを考えていく必要がある。教養審建議指摘されている事項を実現をするためには、なおその前提として実現をしなければならない修士の課程の整備の問題であるとか、あるいはそれぞれの大学における内容の充実の問題であるとか、そういったものがございますので、それらの推移を見ながらでないと、なかなか軽々には取りかかれない問題であるとは考えております。
  45. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういたしますと、答申や建議が出たけれども、いまのところは特段具体的にこうしようというところまでいっておらない、言うならば、ある程度はその目的に応じた教員養成大学でやるけれども、そのほかは一般の高等教育機関の中で、教職課程を終えた者の中から適任者を選ぶという現行方式を、そのまま当分は踏襲をしていくという考え方だと理解をしてよろしゅうございますか。
  46. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、初等教育教員は主としてその目的にふさわしい特別な教育課程を持った高等教育機関、いわゆる教育養成大学において養成を図っていく、そして中等教育教員の場合には、ある割合は教員養成大学において養成をするけれども、他方、一般の高等教育機関の卒業者で、一定の要件を具備した者については、広く人材を確保してすぐれた教員養成をしていく、そういった現在のたてまえというものはそれを変える考え方は持っていないわけでございます。
  47. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 特に高等学校教員の場合について改めてお聞きをいたしておきたいんですがね。御承知のように、高校の教員旧制の中等学校になるわけですが、昭和十八年までは四校、その後終戦時まで七校になったところの高等師範大学、あるいは専門学校の中に付設されておるところの教員養成所、こういうものが当時の中等教育教員の一番主軸であったわけですね。それに文部省の言う指定校とか、あるいは認定校という学校の卒業生から採っていくというような方針であったわけでありますが、御承知のように戦後は完全な開放制になっておる。このこともずっと堅持をされていくということに相なるわけですか。たとえば、御承知のようにいま国立の教育系大学の中に高等学校教育課程というのを持っているのは二つですね、金沢と広島だけですね。そういうところから見ても、これは拡充をされようと考えておられないとするならば、従来の、いままでどおりにやっていくということなんですか、そこらあたりをお聞かせ願いたいんですが。
  48. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 今度は広島は学部改組をいたしますので、従来のような高等学校教員養成課程を持たないことになりますから、国立では金沢だけということになるわけでございます。その状況を当面変える考え方はもちろんございません。
  49. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういたしますと、小学校養成は、各県どこもないところはない。その上に大分無理をして、同じ県内に二つ学部をつくる。片一方の中学、高等学校教員養成はこのままでいく。それは、より小学校教育は一番大事だからという論理も成り立つけれども、これは、人間形成に一番大事な中学校、高等学校教育も大事だという論理も成り立つんです。普通、常識的に考えると、何かちぐはぐな感じがするんですが、これは大臣、そういう議論は皆さんの中では出なかったんですか。それとも、中学校や高等学校まで言うと大変なことになるから、まずこの小学校で既定事実をつくっておこうと、こういうお考えですか、そこらあたりどうなんですかね。
  50. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) いまの教員志望の方々現状を見ますと、やはり小学校教員になろうという志望をなさる方が少ない。小学校教員の数の確保、これは非常に重要なことでございますから、小学校、中学校、高等学校のどこが大事かという、その軽重は私はつけがたいと思いますけれども小学校教員というものを志望なさる方、この数を確保する、そういう意味を持ったものでございます。
  51. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そのことは、私はほんとうにそうかどうかは、後ほどまた質問でお聞きしたいと思いますがね。  提示をされておりますところのいわゆる新構想教員大学の内容について、一つ一つ具体的にただしてまいりたいと思いますが、まず法文の上から見た場合に、いままでの教育系大学教育大学と言い、今度のものは教員大学と、こう言う、この二つの違いは何なのか。私は、教員大学もやはり教員養成を主体にしておると思うんですが、だから、これは法律上どういう名称の問題で違いがあるのか、まずお聞かせいただきたい。  同時に、いま一つは、教育学部学校教育学部と、こうわざわざ分けておる。御丁寧に広島の方は従来の教育学部をこういうように二つに分けます、こう出ておる。そうしますと、教育学部で大部分は今後も養成をされていきますわな。今度は、新しいところは学校教育学部という形になるんですがね。そのカリキュラムなり、いろんなまたあれですか、卒業したところによっていろんな条件が違ってくるんですか。あるいは、学校で実際勉強するところの中身が違っていくんですか、どうですか。この二つの違いは何ですか。そこをまず局長から御答弁いただきたいと思います。
  52. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学の場合も、やはり教員養成のための大学でございますから、その点では既設の教育大学と変わるところはないわけでございます。もちろん、その大学の置こうとしている課程が、初等教育教員養成課程だけである、あるいは大学院というものが置かれて、そこに現職先生方を多数受け入れて、現職先生方大学院レベルでの研さん機会を確保しようというような点が、既設の大学と違った特色ではございますけれども、そのことは大学として質的に違うということではございません。同じように教員養成のための大学でございます。また学校教育学部にしましても、これは学校教育に関する実践的な教育研究に重点を置いて教員養成を行う学部であるという趣旨を、名称の上でもできるだけ明らかにしようとしたものであって、これも従来の教員養成大学学部においてとられている教育学部という名称と、特に質的に違ったものを意図しているわけではない。いずれの場合にも、大学の名称については教員のための大学であるということを名称の上でできるだけ明らかにしたいということを考え、また学部については、いま申しましたような趣旨で学校教育学部という名称を採用をしたということでございます。
  53. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どうもわかりませんね。無理にこの名前をつけたみたいなんだね。二つとも実質的に変わらないと、こうおっしゃるんですよ、それは教員大学というのが、小学校教員養成だけだから教員大学と、こうつけたというわけでもないわけでしょう、大学院もあるわけだから。しかし、お聞きすると違わないと言うし、あるいはその教育学部学校教育学部との違いも本質的に違わないけれども、実践的教育活動ですか、実践教育ですか、何か重視されていくというなら、現行の教育学部のカリキュラムを変えて、実践的な、あなた方がおっしゃっているものに編成し直せば事足りるわけでしょう。それをあえてこれもまた名前を違えなきゃならない。これは私はだれが常識で考えてもわからないことだと思うんですがね。これはその特色を浮き彫りにするためだというなら、みんな今後また名前を変えていかれるわけですか。どうもけったいなことだと、ぼくは最初に申し上げた奇妙な云々というのも、一つはここにもあるわけですがね。もう少し大義名分というんですか、教育大学教員大学との違い、教育学部学校教育学部との違いというのを何かわかりやすく、素人わかりするようなことございませんか。
  54. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これも再三お答えをこれまでいたしてきているわけでございますが、教員大学という名称を採用いたしましたのは、この大学大学院に重点を置いて、その大学院においては、現職先生方を受け入れて、そして大学院レベルにおける研さんというものを行っていただく、現職先生方の強い御要請にこたえて、大学院レベルの研さん機会を確保する、そういう意味で教員のための大学という趣旨がございます。その趣旨をできるだけ名称の上でも明らかにしたいということから、教員大学という名称を選択をしたということに尽きるわけでございます。  学部の場合も先ほど申し上げましたように、学校教育に関する実践的な教育研究に重点を置いて教員養成を行う、そういう学部であるということを名称の上で明らかにしたいということで、学校教育学部という名称を選んだ、そのことに尽きるわけでございます。
  55. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういたしますと、この大学院では現職教育を中心にやるんだから、他の従来の教育大学とは大学院あり方が違うから、教員大学とそのものずばりに名づけたと、あるいはまた学校教育学部の問題は、その実践教育というものがより重視されるからというふうに理解をしてよろしゅうございますか。ひねくれた人は、そんなら現在の教育学部は、じゃあんまり実践は重く見ないでもいいんじゃないかという論さえも出てくるんですがね、どうなんです。
  56. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 新しい大学について、あるいは学部について名称を選んだ趣旨は、先ほど申し上げましたように、教員のための大学であるということを名称の上でできるだけ明らかにしたいということを念願をしたことに尽きるわけでございます。既設の大学とは全く別種の大学をつくるから名前を変えるんだというような、そういう考え方ではございません。もちろん従来の開放制のもとにおける教員養成のための大学ということにおいては、既設の教育大学と何ら変わるところはないわけでございます。また、学校教育学部につきましても一既設の教育学部が実践的な教育研究に重点を置いていないから、したがって、違う名称をあえてつけるんだということを考えてつけているわけではございません。既設の教育学部、これは必ずしも一様ではございません。教員養成系の大学に置かれている学部の場合と、東京大学教育学部のような場合とは、必ずしも趣旨とするところは同じではない点はございますけれども、しかし、教員養成系の大学に置かれている教育学部というものにおいて、実践的な教育研究が行われないというふうなことを考えているわけではもちろんございません。また、それぞれの大学において十分な問題意識を持って、教員養成あり方についての改善工夫はされているわけでございますから、そのことを教育学部という名称のもとで実施をされている、そのことに問題があるわけではございません。むしろ先ほど来申し上げておりますように、この大学の趣旨とするところを、この大学についてより積極的に明確にあらわしたいということを考えたということでございます。
  57. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういたしますと、特に学部のことで言えば、教育学部学校教育学部とはそう違わぬと、こういうことになりますと、同じ現在教育学部があるところの新潟なり、神戸大学の所在地に、またわざわざ教員大学と称するところの小学校課程というものを置いたという理由は、先ほど大臣の御答弁になったところの、新潟あたり教員が足らぬから、小学校先生が足らぬから、ひとつここで重点的に養成をするんだと、こういう理由になりますかね。それとしかもう理解、できませんがね、いまのお話聞きますと、もし合理性を持たせるとするならば。そういうふうに理解していいですか。
  58. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学をつくっていくつくり方につきましては、当初教員養成審議会において、各ブロックに一つ程度考えてはどうかというような御指摘もあったわけでございますけれども文部省としては各ブロックに一つつくるというような方針を、現在持っているわけではございません。この教員大学構想について、教養審建議、あるいはその後に続く調査会の御検討を経て、構想の具体化に入る段階において、当時における全国の状況、あるいはそれぞれの地元における御要望の状況、そういったものを考えて、立地上新潟兵庫というものを最も適切と考えて選んだわけでございます。  なお、兵庫の場合には、新卒の採用者の中で、五十二年度の状況でございますけれども兵庫県の県内の教員養成大学から就職をしている者が二五%。新潟の場合には、県内の教員養成大学から就職をしている者が四六%程度でございます。  小学校教員養成というものについては、やはり全国的に見て養成が不足をするという状況にございます。したがって、既設の大学につきましても、小学校教員養成課程の増募というものを逐年行ってはきておりますけれども、やはりそれぞれの大学小学校養成課程を著しく大きなものにしてしまうということについては、大学の全体の運営の上から言っても問題なしとしませんので、新潟兵庫の場合には、小学校教員養成課程というものを考えて、そして、そこにおいて、小学校教員の需給も踏まえながら、養成を行っていくということを考えたものでございます。
  59. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 需給関係については、また後から具体的にお尋ねしたいと思いますが、しかし、いまのいろいろ御説明を聞いても、どうも素直に理解がなかなかむずかしいのですよね。それだけに何かいわく因縁というか、何かあるんじゃないだろうかと疑問が出てくるのですがね。しかも、いま実践的な教育研究ということを強調されておりますけれども、この新大学の一番基本になったところの、例の鰺坂報告書ですね、これを見ますと、これは冒頭に「実践にかかわる諸科学の研究を推進」すると、こういうふうにやはり「諸科学」云々というふうに、非常に学問的な問題についても、重視をやはりすべきだということがこう出ている。ところが示されているところのものは、学校教育に関する実践的な教育研究、こういうふうにまたここでは変わってきておるのですがね。そうすると、これはいよいよ言われているところの教員大学というのは、特に学部では教育技術、ここのところを重視をし、それ即実践的な教育研究というふうになっておるのではないかと、こう思いたくなるのですがね。そうすると、ここにまた教員大学が、これはまた養成所だと、こう言われるところのゆえんもむべなるかなということをまた感じざるを得ない。この違いはどうなんですか。そこらあたりも少し説明してください。
  60. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 確かに実践にかかわる諸科学の研究という用語を片方で使い、また片方では実践的な教育研究という用語を使っておりますけれども、しかし、趣旨においてこの二つは特に相違するものではないと考えております。鯵坂調査会の報告が、これは大学院についてだけ述べておられるわけでございますけれども文部省で差し上げました資料の場合には、学部大学院を通じまして、単に分析的な科学研究だけではなくて、教育活動の全般にわたって高度な、しかも総合的、実践的な教育研究を行おうという、そういう趣旨をあらわそうということで、実践的な教育研究という用語を使ったということでございます。  いずれにしても、この大学学部大学院を通じまして、いわゆる教育の技術というようなものを追求をするということでない、諸科学と教育学の成果を基盤としながら、教育実践というものを科学的に研究をしていく。そうして教科教育なり、あるいは実際の教育というものを充実をするために、どのようなことがいいかということを研究をしていこう。そういったことを趣旨とするものであることは、先ほど来申し上げているとおりでございます。
  61. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 趣旨は同じだというなら、何であえてまた世の中に誤解を招くような表現に直したのだろうかと、逆にまた疑問を持ちますよ。だから私どもの言っているところの主張を裏づけるようなかっこうにしか文章表現はますますなっていかないんですね、あるいはそれが本音かもしれませんけれども皆さんの。  そこで端的にお聞きしますが、教員大学の一体特色と言うか、特徴ですね、これは何ですか。それをお聞かせください。
  62. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 先ほど来お答えを申し上げておりますように、やはりこの大学の構成におきまして、全体として大学院に重点を置いている。そしてその大学院においては三分の二は現職先生方を受け入れて、現職先生方に広く大学院の門を開いて、そこにおける現職先生方の高度の研さん機会を確保しようということをねらいとしているという点が、現在の他の養成大学とは違った特色になるわけでございます。  それともう一つは、学部の段階において、初等教員養成課程のみを置いて、現在非常に問題の多い、また、各既設の大学学部においていろいろと検討され、研究をされている初等教育教員養成あり方というものについて、各大学研究の方向というものも考え、あるいはそれにいい影響を与えることのできるようなものを、この新しい大学学部において求めていこう、そういうことを考えているということがございます。そういった大学のいわば構成において、他の大学と異なつているという点がございます。  それから、これは他の大学と異なっているというよりも、むしろ他の大学においても、そのことについてさらに御配慮をいただきたい点であるし、また、御配慮をいただいているところでもございますけれども、先ほど来申し上げておりますように、やはりこの大学においては、教育の面において、いわゆる学校教育に関する実践的な教育研究というものに重点を置いた教員養成を行っていこうということを念願をし、そういったものとしてこの大学教育課程等を整えていこうということを考えている点、それも一つの特色であると言えるかと存じます。
  63. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 じゃ、この大学学部あるいは大学院は、卒業すればどういう特典があるんですか。他の教育大学の卒業生と何か違うんですか、違わないのですか。
  64. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これは他の教員養成大学の卒業生と全く同じでございます。また、現職先生方大学院で高度の研さんを積まれた場合の取り扱いも、これまた他の大学院、あるいは大学において研さんを積まれた場合と同じ。特に、この大学について異なるところはございません。
  65. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 本当に同じなんですね。そういたしますと、この大学院に来て現職教育を受ける人は、これは後から議論しますけれども、出張というかっこうで研修に来るわけでしょう、有給のままで。ほかの教育系大学の方もそういうふうに右へならいするわけですね、させるわけですね。いまの答弁、違わないという話ですから、今後はそういうふうにしていくんですね。
  66. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) この教員大学大学院についてのみ、現職現給のままでの勉学ということを保障するということを施策としてとるということではなくて、他の教員養成大学に、今後逐次整備をされていく修士の課程においても、できるだけ現職先生を受け入れるということを考えていただきたいし、その場合には、やはり現職現給のままで勉強できるようにしてほしいし、さらに一般の大学学部、あるいは大学院において勉学をされようという場合もあり得るわけですから、そういう場合にも、現職現給のままで勉強できるような道を同じように開いていく必要があると思います。もちろん、全体としてどのようにそこにおいて先生方現職現給のままで勉学がでざるかということは、今後どれだけの、たとえば補充のための代替教員の定数が確保できるかとか、あるいは財政当局との折衝であるとか、そういった面が残りますけれども基本的な方向としては、一般大学の場合、あるいは他の教員養成大学の場合と、この教員大学の場合とは、現職先生方に高度の研さんの場を確保するということにおいては、同じ趣旨のものとして、同じように扱われていくということを私たちは施策の基本に置かなければならないと考えております。
  67. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いや、今後のその努力目標はわかりますよ。あなたの答弁を聞いて言葉じりをとらえるわけじゃないが、できるだけとか、ほしいとか、私がお聞きしているのは、これはもう現実の問題ですから、どうされるんですかと聞いているんですよ。既存のものはできるだけそうしたいと思いますとか、そうさせてほしいと思います、今後予算の中で努力しますと、こう言いながら、片一方は明確に、後から議論しますけれども、この大学に入る場合は同意を得て、有給のままで現職教育をさせますと。違ってくるじゃないか、あなた。違いはないかと言ったら、ないとあなたは答えたんだ。ところが、現実に違っているじゃありませんか。じゃあ、たとえば東京の学芸大学あるいは大阪の教育大学現職から行くと、こういう人もみんな同列するんですね、明白にしてくださいよ。うそを言っては困りますよ。
  68. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在、東京学芸大学、大阪教育大学の両大学の修士の課程には、必ずしも現職先生が大幅に受け入れられるというような状況ではございませんけれども、しかし、やはり現職先生大学院で勉強されるということであれば、それは各県の全体の研修計画に従って参加をされる。その点では教員大学の場合も、既設の大学大学院の場合も同じでございますから、取り扱いは同じということで処理されてしかるべきものと考えております。
  69. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それならもう一回確かめますがね。法が実施されれば、準備期間に入ってくるわけですから、そうすると、来年なら来年、あるいはことしでもいい、二つ教員大学、あるいは今度は愛知ができれば愛知にでも、現職から希望して、同意が得られれば有給でやれるのですね。ちょうどこの大学院と同じ扱いになるのですね。大臣どうですか、その点明確にしてくださいよ。
  70. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 現職のまま大学院で研修をやろうという先生たちが、違う待遇を受けるということは許されることではない、私は明確にそう考えておりますから、同じ扱いを当然していかなければならぬと思いますし、それに対応するだけの研修代替の定員というものも確保していかなければならない責任が私どもにあると考えております。
  71. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 局長、聞いてください。いま大臣は全く同じようにしますと、こうおっしゃっている、その点は間違いございませんね、これはね。いままでの御答弁だと、現職からなかなか行きにくいと、それで大学側も歓迎しないと、こうおっしゃる。行きにくいところの原因の一つは、いままでそこにあったのだ。入ろうと思っても、休職かあるいは退職しなければ入れなかったのだから、勉強したくとも。そこに一つの問題があったわけですからね。けれども、いままで衆議院ではその問題が何ら明らかにされておらない。非常にその辺がぼかされておる。しかし、いまの答弁ではっきりしたことは、これは間違いございませんから、そういうふうにも確認してよろしゅうございますね。
  72. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 宮之原委員が先ほど御指摘になりましたように、同意が得られた上で、大学院に行かれる方は、私は同じ扱いをするべきものと考えております。
  73. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 その点はよくわかりました。ただ、教員大学なら同意するけれども、ほかの教育大学や一般大学なら困るというような行政指導はしないでしょうね、ね、大臣、そんなことはないでしょうね。その点はっきりしておいてくださいよ。
  74. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) もう一番初めにお答えいたしましたが、この教員大学の設立の趣旨が、教員資質向上期待する世論、また、より一層の研さん機会を持ちたいという教員意欲、これにこたえようとして設立する教員大学でございますから、同時に他の既設の大学充実と両々相まってと、私はお答えをいたしましただけに、これはもう既設の大学大学院に同意を得て勉強なさる教員については、教員大学も他の教員養成課程を持ちます大学大学院についても、同じ扱いにするべきものでございます。
  75. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そのようにきちんとやっぱり行政指導をしてください。  続いてお聞きしますが、給与、免許状関係での違いはないのだと、こういう御答弁ですが、ただ、衆議院での答弁を記録で見る限りにおいては、何か将来の検討課題みたいな含みを大分残されたところの答弁をされておるんですね、この給与、免許状、その他の面においては。だから、まさかこうじゃないでしょうね、国会で決まったら、これは法律はひとり歩きするから、しばらくしたらその面がぞろぞろ正面に出てくるということにはならぬでしょうね、この辺は。その点どうですか、大臣
  76. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 法律が通ったらすぐにいいかげんなことをするんじゃないかという、どうも御疑念をお持ちのようでございますが、そうではございません。先ほどから宮之原委員も御指摘になっておりますが、既存大学の整備、充実に努めろという御指摘がございます。私どももそうしていく決意でございますとお答えをいたしております。したがって、五十三年度で愛知大学院が置かれるわけでございますが、それにとどまることではございません。逐次、財政的な問題もございましょうから、年数かかりましょうが、教員養成大学大学院が逐次置かれていくことになってまいりますから、そういう整備がだんだんできてまいりました将来には、大学院卒業で教職につかれる方の給与というものが、それは検討課題になるであろうとお答えをいたしておりますので、さように御認識をいただきたいと思います。
  77. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 非常に疑い深いとお感じになるかもしれませんが、文部行政にそれがいままであるんですよ。一番端的な事例ね、初中局長もいますけれども、例の内申権の問題、地方教育委員会の。この問題もあなた、立法当時国会でわんわんやったときには、内申を待ってというのは、地教委から内申がなければいかなる任命権者でも、このことについて処分するとか、どうするということはやりませんと、当時の記録が明確に残ってるんですよ。ところが都合がよければ、立法当時の提案状況とは違ってまいりましたから、こういうことにいたしましたと。十カ月間この委員会で問題になったんですよ。そうして、今度は初中局長の通達をかっと変えていったんですよ。そういう前科があるんですよ、大臣大臣は御存じないでしょうけれども文部省には。非常に御都合主義が、あの立法当時の議論のときには全然そういうことは考えなかったけれども、その後の新しい事態が起きましたから。これがよく使われるところの大義名分ですけれども、こういうことにはしないでくださいよ。  そこで具体的にお聞きいたしますが、たしかいま大臣がお答えいたしましたように、具体的に検討すべき時期というのは、既設の大学における大学院が整備をされ、そして現職先生方に対する門戸がさらに開かれ、現職先生方大学院で勉強されるという機会が十分確保をされたところの時期において検討したいと、こういうふうに確かに記録にも残っておるんですがね。そこでお聞きしたいんですけれども、既設の大学における大学院が整備をされたところの時期というのは、どういう状態の時期であると皆さん判断をされておるのか。たとえば十三の大学が出ておるというお話もありますし、あるいはまた須田参考人お話を聞きますと、三十三の大学学部が非常に熱意を持っておるという参考人の意見も出ておるんですが、一体それはどういうころ合いを見られておるのか、あるいは整備されても現職教育の門戸がそれによってばっと開けてくるというかっこうになっていくのかどうか。したがって、そういうような判断というのは、大体皆さんが頭の中で描いておられるのは、大体これぐらいの状況になったときに再検討の時期だと、こう想定をされる、もしそれがありましたら、ちょっとお聞かせ願いたいと思うんですがね。
  78. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、既設の教員養成大学について修士の課程が整備をされていきましても、その修士の課程にどのような者が進学をしてくるかということについては、それぞれの大学がどのような構想で修士の課程を置いてくるかということにもかかわることでございますし、これまでの実際の大学考え方等を見ておりましても、また進学の実態を見ましても、学部の卒業生が修士の課程に進学をするそのパーセントが非常に多いわけでございますから、修士の課程が開かれても、直ちにそのことをもって現職先生方に対する大学院での研さん機会が広く確保される状態になったとは、なかなか言いがたいことがあるいはあるかもしれないと思います。いずれにしましても、学部を卒業をして先生になって、そしてその後大学院で再び勉学をされた、そういう状況のもとにある先生方の状態がもっと広く普及をして、給与の問題を考えるにしても、それはごく一部の人の給与の取り扱いということではなくて、かなり多くの先生方の問題として考えられるような状況が出てこないと、給与制度の問題としてはなかなか議論ができないだろうと思います。もちろん、片方でそういう給与の改善措置を講ずることが、大学院における研さん意欲をより推進をするという効果があるということもあるかもしれませんけれども、やはり事柄を考える場合には、できるだけの実態の広がりというものを考えることが必要であろうというふうに考えているわけでございます。具体的に何%の先生方がというふうなことを申し上げることができるだけのものを私たちは持ち合わせておりませんけれども、近い将来においてそれが検討されるということでないと、かなり時間を要することであると私は考えております。
  79. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 もう一つ聞きますがね、現職からその大学に学ばれる先生ね、それは有給だということはわかりましたが、入っていけばまるまるもらえるわけですね。それでお聞きしたいのは、その方はこの面では学校に入りながら、昇給があるんですか、昇給の方はないんですか、そこはどうですか。
  80. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 各県の条例あるいは人事委員会の規則で決められることではございましょうけれども、事柄としては、やはり職務として派遣をされて勉強をしていられるわけでございますから、当然その間における昇給もあるというのが原則であろうと思います。
  81. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これはそうすると、やっぱりいい身分ですね、学校へ行って勉強しながら、どんどん昇給していくんですね。初中局長、それは間違いないね。
  82. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 研修の形態として、休職になって行く場合と、それから職務命令を受けて出張として行く場合とあるわけでございますが、後者の場合は職務として行くわけでございますから、大学で勉強すること自体が職務であり、したがって、それを一生懸命にやっていただけば、給与法の規定に従って定期昇給はこれは認められると、こういうことになるかと思います。
  83. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういたしますと、希望者はたくさん多くなるでしょうね。と思いますが、それならお聞きしますがね、これ、どういう計算になりますかね。修士課程の修了者は小・中学校での初任給は(三)表の二の七ですね。それから学部卒業のは二の四ですね。これで三号俸の開きがあるんですね、これは。その基準からいきますと、計算してみてくださいよ。同じ年に学部を卒業して、その人は、Aは直ちに大学院に入る、それで終わってから教職で勤めたと、Bは学校に直ちに就職をした、そうして三年間そこにおって、皆さんの言うように、この教員大学に入った、卒業してきた、またもとに返った――言うならば、同じときに卒業してから五年後のAとBとの給与はどうなりますか。
  84. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) おっしゃるように、最初、学部からすぐ修士コースへ行けば、二年間の勉学期間が一・五倍されますから三号俸の差になるわけで、そこで最初の、スタート三号の差があれば、そのもう一人の人が途中で修士コースへ入っても、その二年間はやはり勤務年数としての二年になるわけですから、どうしてもそこで最初から修士コースを出た人との一号の差というのはずっとついて回ると、こういうことになると思います。
  85. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これは重大ですよね。いいですか、先ほどは、いささかの待遇のあれもありませんと、こう言っとるんだよね。ところが、同じ修士課程を経たものが、学部から行った者と、出てきた者と、それは五年間のうちには完全に一号俸違うんですよ、いわゆる先ほどのように昇給があるというわけですから。そうすると、Aは、直ちに大学院に行った者は十号俸にしかなってない。片一方は三年を経て入ってきたら十一号もらえるんだよ、あなたがおっしゃったように一号の差があるんだよ。これは優遇措置じゃありませんか。
  86. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 逆です。
  87. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 逆じゃないでしょうが。後から入っていったものはそうなりましょう。三年間おるわけですから、現職の者は二年目で六号俸になるんだ。だから、その二年間の後では卒業してきた者とは一号の差しかないんですよ、けれども、さらに一年おる、それから入ってきますから、三年の後に入っていくわけだから、そうするとその人は十号になっていくんですよ、これ。そうでしょう。
  88. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 違います。
  89. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 違うですっていうのは、――両者違うじゃないかね、いずれにしても。どうなんだ、それ。
  90. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) こういうことになると思うんですね。ことし、AとBとあって、二人とも四年コースを出たと。それで、学部出ただけの人で、直ちに就職をした人はことし二等級の四号俸になるわけでございますね。それで、二年たって、その間大学院へ行った方のもう一人の人は、二年間の勉学期間を三号俸に見るわけですから、そこで、二年後に就職する場合に、二の七になるわけです。
  91. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 一号俸違うんだよ。
  92. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 一号違うわけですね、二の六で。  その後、学部を出た人が途中で大学院へ入っても、その勤務年数はやはり一年一号としか見ないわけですから、大学へ行っても行かなくても、その一号、初めから大学院行った人よりは下という関係は同じなんですね。
  93. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いやいや、そう言うけどね、大学院という学歴が二つまたつくわけでしょう、いわゆる学部卒業と大学院卒業というかっこうにつくでしょう、学歴の資格の中では。それはつけないの。
  94. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) それはつけないんです、いまの給与制度では。
  95. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それはおかしいじゃないか、あなた。
  96. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) いや、おかしいけれども、それはいまそうなっているんです、給与制度が。
  97. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それじゃ優遇策は何にもないじゃないか。
  98. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 優遇策ないんです。
  99. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、それはまた逆におかしくなるね。それは逆の意味でおかしいよ。それは、大学へ行って、それでやっぱり修士課程を経たんだから、当然二年間は、これは勤年三年とみなさなきゃならないんですよ。だから、ぼくがさっき最初尋ねたのは、もし昇給がなければこれは同じになる、そうなるでしょう。片一方の者は大学院卒業だから少なくとも学歴の二年が三年に換算をされる。これはいままでの人事院の規定から言えばそうなるでしょう、人事院はこれは認めておるんですか、昇給上げないということを。これは問題になりませんか。給与法上から言えば問題になりますよ。
  100. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) それは、ですから、あくまでも学校へ入っているという期間が、現職のまま行くわけですから、勤務として見るわけですね。したがって、一年一号俸という関係になるので、それは恐らく教員だけに限らず、およそ現職の間そういう学校へ行って、現職のままで勉強するということになると同じ関係だと思います。したがって、いまの給与法のたてまえから言うと、逆に一遍現職になってから学校へ行った場合には、給与上はその分だけ最初から大学院に行った場合と比べて、二年間であれば一号俸むしろマイナスになる、こういう関係になっているということはこれは事実でございます。
  101. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、学歴の換算というものは、この場合に限りせぬでもいいということになっているの。そうすると、それが退職金やいろいろなものはどうなっていくの、逆に今度は差がつけば。
  102. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) ですから、今度退職金の計算で言うと、その二年間が現職のまま行った人は勤務年数になるわけですね。ところが最初から大学へ行った人はその二年間は勤務年数にはカウントされない、こういう関係になるわけです。
  103. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、換算されなければ逆に冷遇措置になりませんか、これは。いずれにしても差がつくことは間違いないでしょう。そうすると、いままで寸分違いませんと、こう言っておって、差がつくということになると、今度逆の意味が出てきますわね。
  104. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり、大学院修士課程を修了後直ちに教職についた者と、大学卒業後教職について、現職のままで大学院修士課程を修了した者との間には、同一年齢で比較をいたしますと一号俸の給与格差がそのまま残るということになるわけでございます。その点は逆に不合理であるということを私も衆議院のときに申し上げたわけでございます。この点は、大学院で勉学をされるという意欲を助長するためにも、その点についての何らかの措置が必要ではないかということが課題としてやはり意識されざるを得ないということを申し上げたわけでございますが、ただ、その点の改善措置を講ずるとすれば、その時期というのは、先ほど申し上げましたように、現職先生が再び大学院で勉学をされる機会というものがもっと広くなって、いわばそういう状況のもとにある先生方の数というものがもっと普及をしてきて、一般的な問題になったときに検討をすべきであろう、現在の状況のもとで直ちにその問題に手をつけるということは必ずしも適切ではなかろうということを申し上げているわけでございます。
  105. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 しかし、これは法案の賛成、反対の立場にあろうとも、学校へ行って現職教育で研修してきた者が不利になるというんじゃ、これ逆にかっこうつかなくなるんじゃないの、それは。
  106. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これは不利になるわけではなくて、現在の状況のままにとどまるということでございます。大学院で勉強をしたということに伴う、そこのところのいわば学歴の換算というものをもう少し手厚く考えてやる、そして大学院を出てきた場合に、この一号の給与格差が残らないようにするということが一つは確かに課題としてあるだろうと思います。しかし、そのことを現在直ちに手をつけるということは適切でない、もう少し状況が一般化したときにその問題を、この教員大学なり、あるいは一般の養成大学修士課程の修了者ということだけではなくて、他の一般大学の修士の課程で勉強をした者等を含めて、現職先生がその後大学あるいは大学院で勉学をされた場合の給与上の処遇をどうするかということを検討をしなければいかぬ、その時期はもう少し先だということを申し上げているわけでございます。
  107. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 先ほど局長が答弁になった、一般の教育系大学あるいは他の一般大学、こういうものに行くのについても、先ほどの大臣答弁をあなた方と確認をしたところによると、同意が得られれば同じ措置をいたしますと、あるいは出張研修だね、そういうことになってくると、この大学院の場合とそこは同じになってくるという仮定に立てば、これは教員研修をやっていくという者について、最初大学院から出てきた者とはずっと一号俸の差がついていくというのは、これまた不合理きわまる私はこれは話だと思いますよ、たとえば大学院を、今度の教員大学なり、あるいはその他のものを今後出てきた者が、特別に初め大学院出てきた者と差がうんとつくというなら、これは私は反対なんですよ。逆に、これは不利になっていることは事実なんだから、それはそのままにする、今後の検討課題にいたしますというんじゃ、事この問題についてはいかがなものでしょうかね。ほかのものは私は、先ほど答弁になられたところのものでいいと思いますけれど、しかしながら、現実にこうなるとなると、これはやっぱり具体的な問題としてすぐ問題出てきますよ。これはきょうお答えできなければ、もう少し前向きにこの問題は検討してもらいたいと思うんですよ。先ほど初中局長の話によると、入っても昇給もあるというならなおのこと、マイナス一というのが永久にずっと続いていくわけでしょう。少なくともやはり正規の大学院であれば、そこで二年間勉強してきているんだから、少なくともその学歴というものは、初めから大学出てきた者と同じくらいには見られるということは、これは考えてしかるべきじゃないでしょうか。これはこの法案に反対の立場にあろうとも、その点はやっぱり不合理きわまりますわな。何回も申し上げますけれども、他の一般の大学にも、あるいは他の教育大学にも同様の処置がとられるという先ほどの答弁があったからそう申し上げておる。そのことはひとつ検討してみてくださいよ。  続いてお聞きいたしますが、教員大学学部初等教育課程をつくられたところの理由ですね。何か先ほどは需給関係でたくさん御答弁いただいたわけですが、それだけではないようにもいろんなものを見ると見られるんですが、そこをちょっと説明してみてください。
  108. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在、既設の教員養成大学は、もちろん御案内のように、初等教育教員養成課程のほか、中等教育教員養成課程を持っているわけでございますし、さらに特殊教育教員養成課程等も持っているわけでございます。そして、全体として教員養成に当たっているわけでございますけれども、まず、各大学における教員養成あり方というものにつきまして、これは衆議院の段階での参考人の御意見の中にもありましたけれども教官なり、あるいは学生なりの志向というものが、どちらかと言うと教科の専門ということをより深くきわめていこうというような方向に偏る傾向がある。大学全体として、中等教育教員養成課程のところにそういう意味では力が入っている。しかし、そうではあるけれども初等教育教員養成については、いろんな意味で非常に問題が多いということをそれぞれの大学も十分に考えている。たとえば、養成の内容としてピーク制を採用をして、全体としての全科の担当のほかに、それぞれの得意の教科を伸ばすというふうな工夫をしたり、あるいは小学校の低学年と高学年というものについて、何かウエートを置いた教育というものを工夫できないかというような、いろいろな工夫が行われているわけでございます。この教員大学の場合には、もちろん、先ほど申し上げましたように、需給の面からして、小学校教員養成というものを量的により確保したいということがございますけれども、もう一つは、そういった初等教育教員養成あり方について、現在既設の大学でいろいろと御苦心になっていることがあるわけでございますから、それを受けながら、この教員大学で、いわば小学校教員養成というものについて、いろいろな新しい試みを行ってみる。そしてそれが既設の教員養成大学小学校教員養成課程の現在お持ちになっているいろいろな課題というものについてもいい影響を及ぼすように、また既設の大学からも教員大学養成課程あり方というものについて、いろいろと御示唆がいただけるように、そういった両々相まった検討なり工夫というものを重ねていく。そのことによって教員養成の中で非常に大事な分野を占めている小学校教員養成というものについて、より充実したあり方を求めたい、そういったことを考えているわけでございます。
  109. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 まずその需給関係の問題についてお聞きしたいと思いますがね。これは常任委員会の調査室から出ております「立法と調査」の八十五号の資料ですけれども、これを見てみますと、五十二年三月の卒業生、五十二年当初、四月から六月一日までに就職したところの一覧表、状況があるんですがね。これを見ますと、小学校課程で免許を得た者とその就職状況をこれで見ますと、教員養成大学学部が取得者が一万二千九百名、就職者が七千八百名、一般大学が三千九百名中就職者が二千六百名、短期大学が九千百名中千六百名、大学院・専攻科が百名、言うならば五十二年は二万五千九百人の有資格者が卒業する。就職した者はその半分の一万二千百名というかっこうになっておるんですがね。この統計を見る限り、小学校先生が足りないんだ、足りないんだということは、どうも理解できないんですがね。有資格者がこれの二倍就職した者よりも卒業しておるわけなんですから。この免許状所有者の中には中学校、高等学校免許状取得者も含まれておるんだと、こういう反論があるにしても、今度は逆にその年の中学校、高等学校の取得者と就職者を見れば、中学校は実に十万一千六百名の免許を得てその年出ておる。しかし、就職した者は七千百名、高等学校は八万四千九百人中四千九百名、なるほどその免許状取得者と就職をした者との率には違いがありますけれども、これを見る限り、小学校教員が足りないんだ、足りないんだということは、どうも先ほど来大臣も、あなたもそうおっしゃっていますけれども理解できないんですがね。それはなるほど現実問題としては過疎県、過密県ありますからね。それぞれの教育学部の卒業生でもその県で足りないところと、その県で余っておるところはあるんです。しかし、それもうまいぐあいに埋め合わされておるわけですね。たとえば大臣のところの兵庫県とか、あるいは大阪府にいたしましても、山陰、四国あたりの過疎県から、大分やっぱり教育学部卒業生が来て入るから、埋まっていくんですよね。だから、そういうとこはちゃんと教員不足でないかっこうになっておるんだけれども、何で需給関係で、いや小学校先生が足りないんだ、足りないんだとおっしゃるところの意味が、私は数字の上から見ればどうしても理解できないんですがね。一体どのようにこの統計は解釈したらいいんですかね。どっちに誤りがあるんでしょうか、判断の、見方の。
  110. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のような免許状の取得者の数と教員就職者の数の状況にございます。免許状取得者の数は教員就職者の約二倍に達しておるわけでございますけれども、この免許状取得者は、御指摘のように中学校、高等学校、あるいは幼稚園の免許状と重複して取得をして、実際にこれらの学校を志望する者がかなりございます。また、そのときに、教員になろうとして取るということよりも、むしろ将来に備え、あるいは単なる資格として取っておくという者も御案内のようにあるわけでございますので、二倍の免許状取得者があるからといって小学校教員の確保のために十分な数字であるとはなかなか言えないわけでございます。いま御指摘のございましたように、五十二年三月の新規の卒業者の中で、年度当初の小学校教員の採用者数が約一万二千百、そのうち国立の教員養成大学学部出身者が約七千八百、六割程度でございます。こういう状況で従来推移をしてきているわけでございます。  小学校教員の今後の需要の点を考えますと、定数改善等は別にいたしましても、少なくとも自然増なり、あるいは退職補充だけを考えるといたしましても、五十三年度の入学定員、これは五十二年度で現在入学定員は国立の場合一万一千三百十名でございますけれども、この入学定員をもってする供給可能数ではやはり足りません。今後の自然増等を考えましても、なお毎年、数年にわたっては、二千四百名から五百名程度の増員というものを供給上予定をし、確保する必要があるわけでございます。そういうことでこれまでも毎年度小学校教員養成課程については増募の措置を講じてまいりましたし、五十三年度におきましても静岡、香川、大分の各教員養成学部の当該課程について増募の手当をいたしているわけでございますけれども、それだけではなかなか十分安定した供給というものが不可能であるということがございます。それで教員大学の場合にも小学校教員課程を需給上の観点からも設けるということを考えているわけでございます。
  111. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それは免許状取得者がみんながみんなその県を希望したとは、それは限りませんよ。しかし、半分以上これはあいているんですよ。これは幾ら皆さんか足りないんだ、足りないんだと言ったって、この数字を見ればちゃんと数字が教えてくれておるじゃありませんか。  具体的にお聞きしますが、どこの県が足りないで大騒ぎしていますか、新潟兵庫県が大騒ぎしているんですか。先ほども言ったように、教育学部は同じ地域のところでやっぱり有無相通じているんですよ、過疎県と過密県のバランスの調整というのは。過密県でどこが足りませんかね、ちょっと具体的に今度まだ小学校教員の補充がつかないという県があったら言ってみてくださいよ。
  112. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろん御案内のように、東京の周辺であるとか、あるいは関西であるとか、いわゆる過密の状況のある県においては、教員の確保については苦心をされているわけでございますけれども小学校教員の所要数を確保できないでいるというようなところは、私正確には存じませんけれども、恐らくないだろうと思います。何らかのかっこうで、いろんな形でそれぞれの教育委員会は苦労をして、採用をされてきているのであろうと思います。しかし、小学校教員について、すぐれた人材を確保するという観点からいたしますと、やはり小学校教員養成を目的として行われている教員養成系の大学あるいは学部、そこの卒業生というものについて、あるシェアというものは確保をしていくということが必要でございます。そういう教員養成なり、あるいはそれに伴う安定的な小学校教員の確保ということを考えると、量的に充足をされているということだけで、なかなかそれをもってよしとしがたい点があるわけでございますので、先ほど来申し上げておりますように、やはり国立の教員養成大学学部における小学校教員養成課程の卒業生をもって、小学校教員の供給というものを相当程度賄うということを考えますと、小学校教員につきましては、なおその養成のために関係の課程の増募というものを進めていかなければならないというふうに考えるわけでございます。
  113. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どうも理解できないのですよ。たとえばあなたちょっとすぐれた人材云々と言うが、免許状開放制をとっているわけでしょう。それならば、この免許状の付与の問題、免許状の単位とか、取得のあり方に問題があるというなら、それを解決すればいいのであって、それはそのままにして手をつけないでおって、こんなにたくさん数の上ではありますけれども言葉の中では表現しなかったけれども、その中にはピンからキリまでおると。だからピンの方のいい人をたくさん探すためにこれつくったんだと言わんばかりの説明でしょう。一体これは先ほど言ったところの開放制というこの免許状あり方の問題、いろいろな問題から見れば、どういう説明がつきますか。私ども国会におりながら、どの県で小学校教員が足りなかったという話はいまだ聞いたことありませんね。たとえば東京周辺の過密県でも、なかなか希望者が多くてむずかしいという話はしょっちゅう耳に入ってきますよ。あるいは過疎県は自分の県でせっかく出たけれども就職できないから、過密のところに行かなければ教育学部を出ても就職できないという現実。だから県によっては、在学中に学生運動をやったか、自治会に入ったかどうかということが、やはり採用するかしないかの一つ条件にされておる。結果的には大学の自治会運動というものはできなくなっているという事態さえ生んでいるのですよ。そういう問題は抜きにして、足りない、足りないと言ったって、足りておるじゃありませんか。もし仮に足りない県があるとするならば、既存教育学部の定員を少しふやせばいいじゃありませんか。それはできぬのですか。
  114. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろん既設の大学小学校教員養成課程についても、毎年増募の措置を講じてきているわけでございますし、ことしも三大学について増募の措置を講じているわけでございます。そういうことと並行をして考えていかなければならないことでございます。もちろん開放制のもとにあるわけでございますから、一般の大学なり、あるいは短期大学を卒業をされて、そして小学校教員になられる。これも免許状をお持ちであればもちろんそれで結構なことでございますけれども、しかし、先ほども申し上げましたように、初等教育教員養成については、それを目的とする大学で行うと。そこでやはり責任を持って安定した供給が可能なような体制をとっていくということを考えなければなりませんので、そういう観点から小学校教員養成については、さらに国立大学の関係大学学部課程の増募を含めて、国立の教員養成大学全体として対応することを考えなければならぬということを申し上げているわけでございます。
  115. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 あなたは言葉では大変なことを言っていると思うのですよ。自分たち免許状の付与の基準を決めておって、たくさん免許状をくれるけれども教員養成をするという目的大学を出た者でなければ役に立たぬばかりの言い方では、一体どういうことになるのですか。人間が出身大学だけによって、いい先生、悪い先生と決められるのですか。そういうことを皆さんはお考えになっているのですか。小学校教員が全体的に需給関係で数字の上でも足りぬというもの出てこぬじゃないですか。それでいて、また別個につくっていくというこのやり方、一歩譲って教員目的大学云々のところで養成をふやしたいというなら、現在の定員をふやせばいいじゃありませんか。それを何で要らない二つ大学をつくっちゃって、そこに小学校云々というものを置くのですか。ぼくらから言えば、国の金の浪費だとさえ思いたくなりますよ。少し納得できるような説明してください。  文部省方針としては、免許状はくれても、目的大学の卒業生を優先的に採用するという方針を決めたと、こういうふうに理解していいですか。大変なことになりますよ。そんなことをあなた言っていたら。
  116. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員養成大学の卒業生でなければ、小学校教員として適格でない、あるいは教員養成大学以外の大学の卒業生は小学校教員として必ずしも十分でないということを申し上げているわけではございません。それは開放制のもとにおいて所定の単位を習得をして、免許状を取得しておるわけでございますから、その免許状の所有者は、当然に当該学校教員となる資格を持っているわけであり、そういった資格を持っている者について、県の教育委員会が適切な選考を行った上で採用しておるわけでございますから、そのことについて、それがおかしいとか、あるいは教員大学以外の者を採用をすべきでないというようなことを申し上げているわけではございません。従来の供給の実績を考えまして、国立の教員養成大学学部の供給の量というものをもっとふやしていく必要があるという判断を申し上げているところでございます。
  117. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それじゃ午後に回しますが、一問だけしておきますよ。そうじゃないと言いながら、あなたの物の考え方の中には、それが潜在意識としてあるのですよ。それならお尋ねしますけれども、目的大学云々というならば、現在四十七もあるわけでしょう。どうしてその問題については積極的に定員増を図らないでおいて、新たにまた二つ大学をつくるのですか。
  118. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 小学校教員養成課程については毎年増募を行ってきておるわけでございます。五十三年度も香川、静岡、大分の三大学小学校教員養成課程について増募を実施をいたします。ただ、その増募をしていくことのできる量というのは、それぞれの大学における小学校教員養成課程の大きさというものもやはり考えていかなければなりませんので、一つ大学に非常に大きな増募を期待するというわけにいかないわけでございます。既設の大学小学校教員養成課程の増募というものとあわせて、今回の二つ大学小学校教員養成課程考えるということでございます。
  119. 吉田実

    委員長吉田実君) 本案に関する質疑は、午前中はこの程度にとどめます。  午後一時四十分から再開することとし、休憩いたします。    午後零時三十二分休憩      ―――――・―――――    午後一時五十二分開会
  120. 吉田実

    委員長吉田実君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  121. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 午前の終わりのときに、いわゆる需給関係の問題でいろいろお尋ねをしておったんですが、その場合に、それならなぜ既設の大学、あるいは学部小学校教員養成課程を増員をする措置がとれないのかというのに対して、いろいろ努力してきたというのです。しかしそれには限界があるというお話なんですが、その件について衆議院でのやりとりを見ますと、何か限界というのが、他の学部とのバランスの問題が一つのような御答弁のようなんですがね、事実そうなのかどうか、まずお聞かせいただきたいと思います。
  122. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 国立の教員養成大学学部小学校教員養成課程につきましては、四十五年以来計画的な入学定員増を進めてきております。五十三年度までに、トータルで千九百二十名の定員増をすでに実施をしております。そういう意味では、各大学の御協力を得て、かなり小学校教員養成課程については増募が進んでいるわけでございます。小学校教員養成課程の増募をする場合に、必ずしも、率直に申しまして、各大学が積極的に進んで増募に応ずるというところばかりではございません。やはりいま御指摘のございましたように、教育学部の中で小学校教員養成課程だけが大きくなるということについて、学部全体のバランスを考えていく上で、やや小学校教員養成課程だけをふやすということについて、大学側にはちゅうちょがあるのは事実でございました。また学部間におきましても、教育学部とその他の学部との間において、やはり量的なバランスというものが保たれることを望むというのが大学側の考え方の中にはございます。  まあそういうことはございますけれども、できるだけ、先ほど来申し上げておりますように、小学校教員養成につきまして、やはり国立の養成大学において、安定的にある割合は供給できるような体制をとりたいということで、増募に努めてまいっているというのが従来の状況でございます。
  123. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 先ほどから指摘をしておりますように、バランスの問題で言えば、私は幾ら説明をされても疑念が残るんです。それはもう今後免許方法の開放制をやめるというなら話は別ですけれどもね。しかしこれは一貫してとられなきゃならない、またそれは正しいことですから。そういうような点から見ますと、私はやはり既存のものはもう限界だという見解には同意できないんです。  確かに見てみますと、他の学部教育学部の間、あるいは同じ教育学部でも小学校と中学校との間に、定員に大きな差があるということは事実です。文部省の、おたくの監修であるところの一覧表を見ましても、定員数に大きな差があることは事実ですけれどもね。しかし、そのアンバラというのが、事実いろいろな関係の中で調整をされながら、結構逆に言えばバランスとってきていると思うんですよ。したがって、私は、そのことは大したことではないし、仮に、たとえば大阪教育大で、小学校の五百九十名の定員に対して、中学は百三十名。あるいは愛知教育大学の七百名と百三十名ですね、それは確かに差はありますけれどもね。他の四十七の都道府県の教育学部を見ますと、必ずしも格差が大きいところのそれぞれの課程でもないんですよ。それならば、そこのところを皆さんが人員の面、いわゆる教官のスタッフの問題、いろいろな面でめんどうを見ながらふやしていけば、事新しく私はどうだ、こうだという必要もないと、こう見ておるわけなんですがね。それだけですがね。それだけに、どうしてもいま局長の話を聞いてもなかなかぴんとこない。だからこれは需給関係云々というのは、やはり何が何でも置かなきゃならないということだけが先立って、後からひっつけたところの理由みたいにしかどうしても思えませんよ、率直に申し上げて。それだけこの問題については申し上げております。  続いて質問をしなきゃならない点は、もう一つの理由でありますところの幼稚園、小学校の関連とか、あるいはまた低学年、高学年、そういうこと等からあわせて、小学校の場合は全教科担任というのが原則であるから、非常に重視をしなきゃならないというお話ですけれども、これまた午前中も指摘をしましたように、それならば中学は重要でないのかとか、そういうまた物の言い方も成り立つわけですね。特に中学校の場合、あるいは高等学校の場合に、非行、暴力、いろいろな問題が出ているだけに、この辺を取り扱うところの教師充実ということが、これは重要だという論拠も成り立つわけですからね。どうしてもこれまたなかなか説得性がない。ただその中で、この小学校教育課程あり方の問題として、衆議院で局長が答弁をされておりますね。この問題が私は問題じゃないかと見ておるんですが、たとえば既設の教員養成学校の場合に、小、中、高、障害のそれぞれの教育課程はあるけれども、どちらかというと専門の学科に小学校の場合も、学生も教官もその志向が向き過ぎておる。言うなら、特定の教科を専修するというピーク制が、この小学校課程の中でも採用されると思う。したがって、総合的な全教科に対するところの力量を高めるという点で、非常に不十分だというような筋のものが、これは衆議院議事録を見れば出ておるんです。これは恐らく局長が答弁されたと思いますよ。こういうことだけで、私はそれならばすぐに小学校教育課程を独自のものをつくらなけりゃならないという論理にはつながらないと思う。そういう欠陥があるとするならば、それは現在のカリキュラムのあり方の問題で、問題点として是正すればいいわけなんです。是正することはそのままにしておいて、だから新しいところの教育学部をつくって、その中で新しい小学校教員養成をするんだという論理には、私はつながりませんしね。あるいはまた、専門教科の問題にしても、小学校になれば全教科が主体になるにしても、高学年になれば相当思い切った専科制を入れなければならないというのは、これは教育界のいま常織になっているのですよね。そのことを考えれば、小学校は全教科で絶対なけりゃならないという論もこれは成り立たないんです。そういうような点から考えれば、なぜ、この小学校課程だけを特設し、増設をしなけりゃならないかというのが、どうしても理解できないんですが、そこらあたり、もう一回それらの観点からの説明をひとつお願いしたいんです。
  124. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、現在の教員養成大学学部におけるいろいろな課程がございますが、その中で、小学校課程よりも、どちらかというと、教官、学生の志向が教科の専門を深くきわめていくということに向かう、そういう意味で中学校教員養成課程の方に、より充実努力というものが向けられやすい傾向があるということは、これは衆議院における参考人の御発言にもございましたし、確かに否定のできない方向であろうと思います。しかし、そのことは決して各教員養成大学が、そのことをもってよしとしている、小学校教員養成課程になかなか力が入らないということをもってよしとしているということではなくて、そういう状況を何とかして改善をしたい。全教科を担任をするという非常にむずかしい仕事を、小学校先生方にお願いをするわけですけれども、その養成というものが十分にできるように、それぞれの大学において御工夫になっている。そのときに御指摘のような、いわゆる全教科の履修ということの上に、さらに得意の学科についてピーク制を立てて、その教科についてさらに深く学生に勉強をしてもらうというような努力をしているということも事実でございます。  小学校教員養成課程において、特にそれぞれの教員養成大学が問題を感じておられ、そのための改善努力をされているということは、私は率直に認めるところでございますし、そういったいろいろな改善工夫努力というものを、それぞれの大学でお続けいただくことはもちろん必要でございますし、それについては、私たちもできる限り教育方法の改善の経費の配当等の努力を、私たちもするわけでございますけれども、そのこととあわせて、やはりそういうそれぞれの大学で問題としてお感じになっているようなことを、せっかく小学校教員養成課程を設ける教員大学において、やはり積極的に取り組んでいただく。そして、教育大学におけるいろいろな改善工夫というものが、やはり既設の大学における改善工夫にフィードバックをされていく。そういう両々相まった工夫努力というものを、小学校教員養成についての改善の上で続けていかなければならない。そういう趣旨で、教員大学初等教育教員養成課程あり方というものを考えていただく、それを期待しているということでございます。
  125. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これは後ほど質問をし、またお互い議論しておかなければならない免許法の問題とも関連をするところの問題ですが、小学校の現在の課程の学生で、一部に中学校あるいは高等学校の単位の取得に力を注ぐところの傾向がある、そのことも私は事実だと思うのですよ。あるいはまた妙な風潮として、小学校先生よりは中学校先生が偉いのだ、中学校よりは高等学校が偉いのだという、こういう風潮のあることも私は否定しない、肯定する意味でなくてね。確かに免許状を見てみましても、たとえば四十六年の統計の状況を見ても、小学校教育課程の卒業生のうちから、たとえば七六%が中学校のものをとっておる、あるいは高等学校のものをあわせて五九%、四千八百九十九名がとっているというこの事実、あるいはまた、中学校教育課程の卒業生でも、高校のものを実に九九%もとっているという、こういう実情があり、これは逆に皆さんの、ぜひともこの教員大学の方に新しい小学校課程をつくらなければならぬという口実を与えておるところの傾向もあるとは思います。しかし、この問題は、私は学校をたくさんつくったからということで解決されるところの問題ではなくて、むしろ免許状の単位のとり方の問題がこれでいいのか、ここにこそやはりお互いが議論をし、改善すべき点があれば改善をしていかなければならぬ問題点があるのであって、そのことはたな上げをして、全教科担任の小学校先生方に新しいものをもっとふやさなければならないということは、これまた若干筋違いの私は側面がある、こう言わざるを得ないのです。しかし、また一面では、こういう傾向があるからといって、すべて困ったものだ、けしからんというわけにも一概にいかぬと思いますよ、これは。それは先ほど申し上げたように、小学校におけるところのものも、やはり全教科から、少なくとも高学年においては専科を大々的に取り上げていって、もう少し教育効果を高めるという手立てがこれは必要なんですから、一人の先生に八教科にみんな通じろと、これは無理の話なんですからね。だから、得手得手の先生方が持っているところのものを、互いに交換し合いながらやるとか、あるいは大規模の学校において、この専科制を取り入れていくということは、きわめて重要なことですが、このことが、いま申し上げたところの傾向に役立てるところの、やはり指導させていくということができれば、私はそれでまた一つの解決策ができると思うのですね。したがって、そういう手立てを積極的に私は文部省が講じられておるというなら話はわかるのですよ。その点はこういう事象があります、これではこうですと、だからこうですという別の問題を持ってきておるところに、非常に私は、この教員大学構想一つのやはり問題点について、いろんな疑念を覚えている点だということだけは、はっきりここで申し上げておきたいと思うのです。  それで尋ねてみたいのですけれども、どうも先ほどの需給関係といい、あるいはまた、いま申し上げたところの小学校の教科面からの問題といい、いろいろ答弁を聞いてみますと、どうしても私が理解いかないばかりか、実はこの問題と関連をして、局長、あなたが四月十二日の衆議院文教委員会で発言をされたところの問題、言うならば、小学校教育養成は、「事の性質上、国立の養成大学学部で責任を持って供給をすべき分野である」云々と、こういうことを非常に強調されているのですね。そういたしますと、先ほどの需給関係の問題からみても、どうもおたくの説明は納得がつかない。おまけにこういうことから見ますと、これは、事少なくとも小学校教育においては、この免許状の問題においても閉鎖制にしてしまって、いわゆる私立の、特に大学関係のこの小学校の免許の取得の問題については、何か今後の方向としてチェックしていくんだという一つの意図が感じられてならぬのですよ。特に女子の短大あたりはそういうことになると非常に大きな私は問題を巻き起こしかねないと感じておるわけなんですがね。本当にこの答弁のように、小学校はみんな皆さんが責任を持っていくというかっこうに相なるんですか、ならぬのですか。だとするならば、ちょうど戦前師範学校みたいなかっこうにならざるを得ないんですよね。私は少なくともやはりこの開放制という原則だけは維持されるべきだと思うんでありますけれども、どうもあなたのこの四月十二日の答弁を聞いてみて、それから先ほど来いろいろ需給関係やいまのこのあり方の問題から関連をして聞いてみると、腑に落ちないし、疑点が残るんですが、その点いかがなんですか。
  126. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろん小学校教員養成について、いわゆる閉鎖制を採用する、あるいは目的大学における養成のみをもって教員の供給というものを考える、そういうことを私どもは現時点におきまして考えておるわけではございませんし、また将来の方向といたしましても、小学校教員養成についてはあくまでも現在の開放制というものは堅持をしていくべきであると考えております。しかしながら、けさほど来お答えを申し上げておりますように、やはり小学校教員養成というのは全教科の担任ということを前提とした、かなりむずかしい養成課程になるわけでございますし、実際問題として、それを十分に、効果的に養成できるだけの学部というものを準備をするということは、一般の大学の場合にはなかなかむずかしいことでございます。そういったこともありますので、小学校教員につきましては、やはり相当割合は国立で安定的に供給できるだけの体制をとっていくということが、国の責任として考えられなければならないことである、そのように考え、またそのようにお答えをしている趣旨でございます。
  127. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そこがどうもおたくのあれはそういうかっこうにならぬのですよ。なぜかならば、むずかしい教育課程だから、そのためにはやはり内容をうんと充実をしたいと。たとえば国立関係ならば、そこの学部教官のスタッフを充実させるとか、いろんな研究機関を持っていって、もう少しみっちりやりたい、あるいは今日のわりに小学校の単位が取りやすいところの私学関係に対しても、もっともっと充実をできるようなものにしていく、そのためには免許法とのうらはらの問題がありますから、免許法はこういうことにして私学関係の皆さんにも、この中身について充実をさせるように今後やりますと、こういうことならこれはまたそれで一つの方向性としてわかるんですよ。それはそのままおいて、需給関係云々と、こうおっしゃいますけれども、先ほど来お尋ねしておるように、また指摘をしてきたように、また現実の私学関係の中でも、小学校教育課程のものはもう割りが合わないからやめたというところはないですよ、ふえこそすれ。だから需給関係ということも、これは説得性のない話なんですよ、率直に申し上げて。だから私は何回もこれらの問題について指摘しておるんですけれども、やることをまず現行の中でやって、それでどうだというなら話はわかるけれども、どうもそこが皆さんのやり方は理解ができない。一つのものを無理にこう置いておいて、後からそれをどう合理性を持たせるかに腐心をされておるというのが、今回の教員大学の設置の問題じゃないでしょうかね。もし小学校のそれが非常にむずかしいところの養成課程だというのならば、いま申し上げたところの点について具体的に、じゃ既存のものに対してどうするんだという、こういうお考えでもあるんですか、それも聞かしてくださいよ。
  128. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろん既設の教員養成大学学部につきましては、地方学校教員養成課程にとどまらずに、ほかの課程を含めて毎年その充実努力現実にしてきているわけでございます。現在の状態をもってよしとするわけではございませんし、また既設の大学を現在の状態のままに置いておいて、別途にもっぱら教員大学について力を入れていくということではなくて、両方の施策というものと相まって進めていくことが、それぞれの大学の間の相互の協力関係というふうなものをさらに推進をすることにもなるでございましょうし、そういった意味で、これからの教員養成あり方充実していく上で、きわめて適切な方途であると考えているわけでございます。小学校教員養成課程に限らずに、教員養成大学充実については、今後とも教官充実の面であるとか、あるいは施設、設備の充実の面であるとか、そういったことについて、毎年努力をしていくつもりでございます。
  129. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 用意されておらないせいか、きわめて具体性のない抽象的な答弁で、私は時間の関係で先へ進まなければならぬことは非常に残念に思いますけれども、また改めてその点は質問さしていただくことにいたしまして、教員大学のいま一つの問題であるところの大学院の諸問題について、これからお聞きしていきたいと思います。  まずその第一は、このたびの教員大学大学院の設置のあり方の問題ですが、この問題は衆議院でもわが党の嶋崎君からいろいろ指摘をされておりますので、多くはもう申し上げませんけれども、これは局長も答えざるを得なくなったように、二十四年の大学協会の大学院基準、これを見ればこれは明らかに常識的には学部がある。その学部充実をし、それを発展させる中から大学院というものが生まれてくるのですよね、だからこそ教育系大学から要求があっても、皆さんはまだまだ大学院を置くに至らずとして抑えておられる。それは抑えておいて、今度はぽつんと、たとえば兵庫教員大学みたいに、学部がないところにまず大学院だけ持ってくる。こういう置き方は、これはだれが考えても不自然と思いませんか。与党の皆さんもこの点は余りに無理があるとお感じにならないとすれば、最も私は不思議だと思わなければならぬ。もちろんそれは法律的に言えば、それは皆さんが七十五国会で学校教育法を改正をして、そういうこともして構わぬようなかっこうにはしていますよ。それは私は違法だとは言いませんよ、後から学校教育法を改めておるのだから。しかしながら、常識で大学院というなら、普通学部をいろいろ充実をさせて、これではやっぱり大学院をつくって修士課程をつくろうじゃないか、博士課程をつくろうじゃないかというのは、これは常識なんですよ。これを一歩飛び越えて、いや法規上も改めてあるから心配はないのだと言って、大学院を先につくられるという、この大学院の設置のあり方ですね。私はこのことに非常な非常識さを感ずるのですよ。いまも申し上げたのですけれども、いわゆるまだ学部さえもないところの兵庫教員大学は、大学院を先に走らせるというのでしょう、学部の学生もおらぬときに。これなんぞは前代未聞の話ですよね。それからまた上越大学の方は、恐らく私はあの高田分校をやっぱり新潟大学に統合するという前提条件が、きっかけがあったかもしれぬと思いますけれども学部をまず発足させて――学部充実どころじゃないですよ。できてからまだ卒業しない三年目にはもう大学院を置こうというのがこの構想でしょう。これ、世の中で常識的にそうだとみんなの胸に落ちる問題でしょうかね。なぜこんなにまで無理をしなければならないのか。これまさに政策だけが先行して、教育的に学校の設置を考えるという配慮が後回しになっておるところの考え方だと言われてもこれは仕方がないじゃありませんか。ここにこの教員大学がいろいろ言われておるところのまたゆえんなるものもあるし、またそこにそれを裏づけるところの要素が私はあると言わざるを得ないんです。大臣、こういうつくり方をしても、いやりっぱですと胸を張ってあなたはお答えできますかね、どうお考えになりますか、この点。まず大臣から私はそのお考えを聞きたいんですね。
  130. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 従来の大学院の設置の仕方が、学部を基礎として、それから大学院ができていった、従来の大学院あり方からすれば、確かに御指摘のように異常だということが言えると思いますけれども、今回の教員大学まさに新構想というのも、そこに一つの理由があるわけでございます。やはり大学院一つのウエートを置いた新しい構想大学であるということは、現職教員により高度の研究研さん機会を提供していこうということが、非常に重要な一つの目的になっているわけでございますから、大学院が先にできて大学院充実される、その後学部ができてまいりますことも、新しい一つの行き方として私は考えられていいことだ。従来のことだけを考えてみますとあるいは異常であるかもしれませんが、この教員大学というもののウエートの置かれ方、特色等を考えますと、この行き方も私は、一つの新しい道を選んだ、決して間違ったことではない、このように考えるものでございます。
  131. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 間違いというのは、いわゆる法律的に間違いでないとあなたが答えられておるんなら、それは学校教育法をそういうこともできるように改められておるんですから、私は法律的には言いません。しかし教育的にこのことを考えてごらんなさい。その提案者という立場、あるいは与党、野党という立場を離れて考えてごらんなさい。これぐらい無理のある話はないじゃありませんか。たとえば教員大学におけるところの、教育系大学におけるところのいわゆる現職教育が大事だから、大学院をつくらなきゃならぬと言うんなら、既存の四十七もあるところの国立大学教育関係の学校、そこから三十三も早くつくってくれ、大学院をつくってくれという要請がある。そこはまだ学部充実、その前段段階がまだ整っておらない、形式が整わないから待て待てと、こう言う。それには、少なくとも私はいまの学校は相当やはりなり得るところの要素を持っておると思うんですよ。そういうものはそのまま置いて、ちょっと刺身のつまに愛知大学だけぽつっとくっつけといて、この二つだけは全然何にもないところに、これは新しい行き方だから大学院をつくると言う。このことが説得力がありますか、大臣、率直に申し上げますけれども。ここに私は日本教育行政の大きな問題点を感ずるんですよ。政党のいわゆる政策だけが先行しちゃって、世の中の人々にそうだと腑に落ちないところのものがあるんですよ、ここは。それは無理に幾ら大臣がこれも一つの行き方だと、こういうことを強弁されても、いかがなものでしょうかね。私は、既存教育関係の学部のたくさんあるところから、ことしはとりあえず十校なら十校大学院修士課程を置きますと、しかしこれでも足りませんからここへ一校加えると言うなら、まだ皆さんの話は説得性がありますよ。ところが刺身のつまじゃないけれども愛知大学だけですよ、ほかのものは、いろんないままでの議事録を見る限りにおいては、慎重にいろんな学部の構成、いろんなもの、実績を見ながら、条件を再整備をさせて、大学院をつくりたいと、こうおっしゃっておるんですよ。そうしておいて、片一方は兵庫教員大学みたいに学部がないところに実はぽこっと置いていくという、こういうむちゃなやり方を、私は一番教育的に物事を見ておられるところの文部大臣が、こういう時期に、これはりっぱですと胸を張ってお答えを聞かなきゃならないというのは、率直に申し上げて悲しく思いますよ、これ局長どうなんですか。これでもりっぱですかね、あなた方も、これはどこかから抑えられちゃって、従来の方針を一てきしたんじゃないですか。ぼくはこういうことを許すとするならば、教育行政に当たるところの責任あるところの皆さんとしても。本当に朝令暮改もはなはだしい。いままで言っておったことと逆なことでもやって、みんなこれは合理性があるという強引なことをされたんじゃ、今後のやはり教育行政に対する信頼を失うばかりじゃありませんか。それをどうお考えになりますか。私は、もう法案立場を離れてでもこの問題を少しお聞きしたいんですよ。
  132. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 既存大学をそのままにしておくということをけさほどから申しているわけではございません。既存大学の整備を進めてまいります、両々相まってということをお答えをしているわけでございますし、やはり大学院を設置いたしまするその大学大学大学によっての大学側のお考えもあるわけでございます。大学院を設置したいという御要望のある大学があることは宮之原委員の御指摘になったところでありますが、その大学の中でも、大学院を設置したいという御希望があり、そのための学部整備に努めておられる学校もありますけれども、必ずしも現職教員を大量に受け入れていこうということを頭からお考えになっての大学院設置を考慮しておられる大学ばかりではございません。そういうことから、現職教員により一層の高度の研究研さん機会を提供することも大事なことでございますから、それが可能な教員大学として、大学院からスタートをさせようというわけでございます。既存大学の整備、充実につきましては、大学局長も先ほど御答弁をいたしましたとおりに、愛知のことしの大学院設置だけで終わるものではございません。同じようにこれの整備、拡充を図りまして、両々相まっての、より質の高い教員を求めていくということを念願とするものでございます。
  133. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 既存大学大学院をつくってもらいたいという要請のあるところに、皆さんは相当強い行政的な力を持っておるんですから、それならおまえの大学は今度はひとつ現職教育考えたところの大学院というものを少し考えてみてくれぬかと、こういう指導があってもしかるべきじゃありませんか。それは従来は従来のままにして置いときます、だから条件が整いませんと、こう置いとかれるんでしょう。それは大臣の御答弁はそつはないですよね。けれども、それは言葉だけですよ、率直に申し上げて並行してというのは。そこに私は先ほど来申し上げておるように、本当に日本教育行政教育という、この教育がないところに問題があると言うのはそこなんです。それぞれの政党の物の考え方だけで先行させておるという、これは典型的なものですよ。これは多くを申し上げませんけれども、四十七年当時に出されたところの与党の皆さん教育政策見てごらんなさいよ、試案を。大体この構想というのは、そのときに中教審の答申とともに出ておる。それをぼつぼつやられるということだけなんです。しかし、残念ながら、私はおやりになるなとは言わぬ、それはそれぞれ政党政治ですから。しかし、それをやるにしても、教育的に見てこれは無理がないという物のやり方をやりなさいよ。そうしなければ余りにも私は、今度のこの置き方というものについては大学院の置き方という観点から見てさえも非常に問題を感じておる、疑念を感じておるということだけはここで申し上げておきたいと思う。  次に、関連をして言いますが、現職教育との、いま言われたところの話ですが、まさにそれは大臣がお答えになっておられるように、新構想教員大学の特徴は、現職教育の学生を主体にして入れるというところが非常に特色なんですが、しかし、この現職教育と申しますか、教師の研修と申しますか、これはいまさら私から申し上げるまでもなく、教育公務員特例法の十九条、二十条に規定されておるところの問題から出ていると思うんです。私はこの研修と申しますか、現職教育と申しますか、このことは学校に勤めておるところの先生方の義務であり、同時に権利であると思っているんです。したがって、任命権者であるところのそれぞれはみずから研修の計画をつくって、これを実施をさせていく、さらに教育公務員に自由にしてかつ自発的な研修の機会をできるだけ多く与えていくという条件をつくっていく、あるいはまた研修に行くことを可能ならしめるところのいろんな条件の整備をしていくところの私は義務さえあると思っておるのでありますが、その点大臣はこの現職教育と申しますか、教員の研修と申しますか、このことについて、この十九条、二十条と関連してどういうふうな基本的なお考えをお持ちでしょうか。
  134. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) やはり教員というもののその職務上の意味と申しますか、教育公務員特例法の十九条、二十条で書かれておりますこの精神は、資質向上に常に努めなければならない義務が教員にもあると、またそういう教員の義務に対しまして、そういう研修機会をできるだけ豊富に提供をしていく義務が片一方の側にはある、教育を受ける子供たちに対してはみんな義務を持っている。そういうふうに私は考えております。
  135. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それで、その現職教育と申しますか、研修というものの形態というのはどういうふうに分類されますかね。これは局長に聞いた方がいいと思いますがね。ただ何も教員大学だけに通わせるのが仕事じゃないでしょうからね。どういうのがありますかね、形態的に言えば。
  136. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 研修のあり方というのは、いろいろ見方によって分類の仕方があると思いますが、期間的に言って、教員養成大学院に長期に行くとか、あるいは特定の大学に内地留学生として行くというような長期研修もありまして、それから一日から数日間の特定のテーマにしぼった研修会もあると、それからまたその研修を主催するものも教育委員会等が主催して、一定の教育内容、方法について伝達をする研修もありますし、研修をする者が自発的に集まって特定のテーマを求めて研修をすると、いろいろあろうかと思うわけでございます。
  137. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 文部省が実際的にイニシアをとってやるいろんな研修の形態もありますわね。県教委あるいはまた市町教委、あるいは教育団体、いろいろありますわね。予算面ではそういういろんな形態の問題に対して、どういう措置が国でなされておりますか。
  138. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 文部省が関与する研修の形としては、都道府県が実施する研修に助成をする場合と、それから文部省自体が中央研修ということで主催をする場合と、それから各種の研究団体に団体補助をして、その団体が研修を行う場合と、いろいろあるわけでございますが、それとプラスして教員の海外の研修旅行に対する助成というものがございますが、それらを合わせますと、大体文部省予算としては五十三年度で二十五、六億かと記憶しております。
  139. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いろんな種類の研修が、言うならば予算では二十五億ないし六億という話ですわね。そのまたきわめて一部分であるところの大学院のものに対して、さぞ新たな大学をつくってやるというその予算というのは、これはやっぱり設立費からいえば二百億ぐらいかかるわけでしょう。何か年間三十億ぐらいの維持費が要るという話ですが、非常に研修というものは大事だとおっしゃりながら、ほかのものは大体合わせて二十五、六億ですからね。だからそこがまた皆さんの研修のあり方というのに、非常にここだけに執念を燃やしておられるようなかっこうが見受けられてなりませんよね、だからやはり私はここにも一つのまた問題点があると思うんです。  それはさておき、この問題の研修にはいろんな形態があるけれども、この中で大学院で行うと、このことの重要性は私もそれは否定はしませんよ。そのやり方というもの、また何も大学院現職教育だけじゃないと思うんですが、どういうような形がありますかね。そしてそういうものについてどれだけ大体ことしは予算を組まれたんですか。
  140. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 先ほど申しました二十数億というのは、文部省が直接やる事業、あるいは補助金の額でございますから、実際の研修の運営としては都道府県がそれと同額、あるいはそれ以上の予算を計上すると、それからまたその研修に参加する場合にこれが職務として実施する場合には、旅費を支給するというようなことがございますから、教員養成大学の運営、あるいは設立にどれだけのお金かかかるというような見方をすれば、こちらもまた相当お金がかかっているということは私言えようかと思うわけでございます。  そこで、いまお話のありました点ですが、教員養成大学院以外でも、現在教員の長期研修ということで、三カ月ないし一年未満の研修をいたしておりますものとしては、特殊教育の内地留学、あるいは産業教育教員の内地留学、あるいは理科教育のための内地留学、いずれもその行き先は特定の国立大学、あるいは農事試験場等でございますが、それにどのくらい予算を用意しているかということはちょっと予算的には申し上げられませんが、ただ長期研修のための代替教員の定数としては、現在までのところ千二百七十名ほどの定数を計上いたしておりますので、その範囲内において、各都道府県でいま申しましたような長期研修を実施していると、こういうふうに申し上げてよかろうかと思います。
  141. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 その大学の中での、またいろんな形の研修の中での大学院の問題ですが、先ほど来いろいろお尋ねしてきたんですけれども答弁をお聞きしますと、大臣にしても局長にしても、既存のものも大学院の問題については並行して積極的にあれに努めるんだというお話なんですけれども、これは私また先ほど来指摘をしておりますように、実効が上がっておらぬからね。初めて愛知大学がぽつんと出てくるんだよ。これののおつき合いですよ。この間議事録を見ておりましたら、何か衆議院文教委員会参考人ですか、山田昇先生ですか、あの人の陳述によりますと、今後力こぶを入れていくのについて、具体的には文部省考え方としてはことしじゅうに二ないし三、あるいは四ないし五は調査費を置いて大学院の設置ということを考えておるし、大学院のいわゆる審査方針というのも変えるんだということを私ども文部省側から説明されて聞いておりますという陳述が載っておる記録があるけれども、いままでのやりとり、あるいはその他のやりとりの中で考えるのは、並行してやりますとは言うけれども、具体的に今後中身はどうですというお話は聞かされたことはないんですがね。事実こういうような、参考人の言われるようなかっこう皆さん考えておられるんですか。それとも、それはあの国大教の皆さんを一応黙らせるために、ちょっとえさをやった程度なんですか。そこらあたりどうなってるんですか。あるならあるように、具体的に今後はこういう形で充実しますという話をお聞かせ願わなけりゃ、これはますます皆さんの説得力はないんですが、その点いかがですか、大学局長。
  142. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学院の改革調査費につきましては、五十三年度予算の上では、千葉大学の薬学系大学院教員養成大学院ほかということで約一千万円の調査費を計上いたしております。具体的に固有名詞を挙げておりますのは千葉大学の薬学系の大学院、これは博士課程でございますが、その調査費でございますけれども教員養成系の大学院につきましては固有名詞は挙げてございません。これからどの大学に対して修士課程の設置についての調査費を配当するかを検討をし、なるべく早く決めて配当をしたいと考えているところでございます。その場合に、配当する先が複数の大学になるということは当然に予想されるわけでございます。  その五十三年度の調査費の配当ということと並んで、五十四年度の概算要求に当たって、これまた各大学から修士の課程の設置の要請が出てまいることは当然予想できますので、各大学の御要請を承りながら、五十四年度において愛知教育大学に続いて修士の課程の設置を概算要求として、これは文部省の案としてどのような形でとりまとめるかということを、これまた夏までの間に詰めていくということになるわけでございます。  それから、大学設置審議会の関係の専門委員会にお願いをいたしまして、現在教育系修士課程の設置ということについての、いわば設置審議会の審査の基準というものについて、再検討のお願いをしております。これは教育大学協会なり、国大教の方からもかねて御要請のあるところでございます。もちろん安易に修士の課程ができるようにするということを考えるわけではございませんけれども、これから修士の課程を逐次整備をしていく場合に、現在の審査の基準についてもう一度見直しをいただき、たとえば教官につきましても、研究業績ということを重視をする、そのことは当然でございますけれども、論文の数ということについて、非常にウエートを置く余りに、教育上の業績、教育者としての業績というものを評価をする点において不十分であってはいけないということがあります。これは方向としてはすでに設置基準の中にも出てきている方向でございますけれども、それを具体的に審査の場合にどのように取り扱っていくのかというような問題がございますし、また大学院で専攻を立てていく場合の必要な指導教官の数等についても、もう一度各教科の間のバランスの問題等を御検討いただきたいということで、現在専門委員会での御審議が進んでいるわけでございます。
  143. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 だから、いまの御答弁をお聞きしても、私が先ほど来指摘するように、並行してやりますという言葉はいいんだけれども、わかりますけれども、中身が一つも迫力がないということしか感じられないんですよ。何も私はどの大学大学へ調査費をつけておるのだと、こういうことを申し上げておるんじゃないんですよ。あなたが薬科大学のどこどこの薬科大学と、表面に一つの名前を出さなきゃならないぐらいに、いわゆる教育系大学には本当に調査費としてこれだけ多くのものがあるから、三校ないし四校、五校ぐらいにはことしはつけてやっておりますなら、おりますというなら話まだわかりますよ、皆さんの前向きの姿が。だってあんた、ほかの各省はみんなこれは予算の前倒しで、大体四月か五月からもうみんな、どこの道路はどうしますということまで、公共事業関係はもうついておるでしょうが。文部省だけがまだそれも決まっておりませんと、こうおっしゃるのかどうかは知れませんけれどもね。そういうようなていたらくと申し上げると言葉は過ぎるかもしれませんけれども、そういうかっこうでしょうが。しかも四十七のうち三十三というこの間、参考人の陳述が出ていますけれども、これは昭和四十八年から見れば延べ五十一校出ておりますよ、要求は。四十七年までは出ていないけれども。それぐらいに教育系大学のやはり大学院設置に対するところの要望というのは非常に強いんですよ。それをようやくことし調査費つけたということになれば、まさにこれとのバランスから並行という言葉が、つつかれると困るんだからということで、刺身のつまにしかこれは考えられなかったと勘ぐられても無理ないでしょうが、しかもまたお聞きいたしますと、何校ぐらいということさえも言えないようなかっこうでしょう。これでは私は情けないと思いますよ、大臣。しかもいまのお話を聞きますと、非常にこの設置審議会での審議のいろいろな問題については慎重のようです。結構です、慎重は。それだけ慎重であるならば、なぜ海のものとも山のものともわからない二つ大学大学院だけは、学部もないのに先つくるのかと、こう言いたいんです。そこに皆さん方の御答弁は、方針というのは、この二つ大学を設置するためにはどうすればいいかということだけであって、あと答弁用にこれをこれで合理化しておけばいいんだということにしか受け取れないんです、残念ながら。何回私はお聞きしても。これでは皆さん答弁と実が伴わぬじゃありませんか、本当にこれだけ出ているけれども、そのうちの五つか六つぐらい今度は調査費つけてやって、設置審議会もこれぐらいのときにはちゃんともう審議会方針の問題もちゃんとやって、そうして積極的に来年はどれくらいの目標でやりますというなら、まだ大臣、なるほどこれは文部省も非常に真剣だなと、私どもさえ理解できるんですがね。それがないんじゃ、そう思えと言ったって無理じゃないでしょうか、大臣、どうですか。
  144. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 大学院を設置をいたしますその調査費を、複数校に配分をするわけでございますけれども、公共事業の個所づけと同一時期にというのは、それはちょっとお話に飛躍があるかと思います。同じような趣旨の文部省予算の配分については、学校プールをどうするとか、そういうことについてはおくれをとらずに進めているわけでございます。これの調査費の配分のことも、もうそんなにいつまでも遷延するわけでもありません。間もなく配分が、配当ができることと考えておりますが、大学局長もお答えをいたしましたとおりに、それだけにとどまらずに、五十四年の概算要求、夏までには五十四年度にどの大学に、そしてどの大学大学院を新たに設置をしていくかということが、調査費にとどまらず、五十四年度からどう実行していくかということも、夏までには答えを出そうとしているわけでございます。ですから、どうぞそこら辺のところは、そう愛知におきます大学院を刺身のつま扱いになさらないで、これからいましばらくの私どもの作業を余り疑念をお持ちにならないで見ていただきたい、かように私はお願いをするものでございます。
  145. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それは疑念を持つなと言ってみたって、何も意識的に持っておるわけじゃないんですよ。いろいろお尋ねしても、並行してやるというのは一つも具体性がないでしょうが。だからそう思わざるを得なくなるんです。大臣のお答えがそう言ったって、ことしは五、六校はつけて、こうやっているんだと、それで五十四年にはこれぐらいやるんだという一つの展望があるんなら、なるほど理解できますよ。けれども何回も申し上げますが、片一方は何にもないところに、ぽつんと大学院だけを置くための金を二百億も注ぎ込むというんですからね、だからそれは私に疑念を持つなとおっしゃるのはわかりますがね、またどうぞひとつ疑念を持たれないような、だれにも胸を張って言えるようなひとつ行政をしてくださいよ、頼みますよ。  そこでまた尋ねなければならないのは、今後それは何年になりましょうか、既設の養成大学にも大学院ができてまいるとすると、そうしたら、それが直ちに現職教育が飛躍的にできたことによって、広がっていくというかっこうになるんでしょうか。そこのところをお聞かせ願いたいと思うんです。
  146. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろん、現在の状況よりは飛躍的に現職教育と申しますか、現職先生方大学院における研さん機会は拡大をされると思います。しかし、既設の教員養成大学が設ける修士の課程の場合には、これは現在までの東京学芸、大阪教育も同様でございますし、また愛知教育についても同じでございますが、先ほど御指摘がございましたように、文部省としてはこれらの既設の大学に設ける修士の課程につきましても、できる限り現職先生方を受け入れるということについて、配慮をしてほしいということを要望をしてきております。しかし、なかなかそれが十分には現職先生を受け入れる状況になっていないということも事実でございます。これはやはり、学部を卒業をして修士の課程に進みたいという者の数が多く、その要請に大学としてはこたえなきゃならぬ。また、修士の課程までを通じた教員養成ということも、これからの教員養成の重要な方向でございますので、それに大学が対応しているということがあるわけでございます。これから各大学が修士の課程をつくっていく場合に、もちろん、現職先生方をそこに受け入れるということについては、それぞれの修士の課程を通じての課題になりますし、そのことは私たちも各大学にお願いをしていきますけれども教員大学の場合のように、ある割合のものを、現職先生方のために特に用意をするという形には、一律にはなかなかならないであろうと思います。それは、それぞれの大学判断によって、学部の卒業生を受け入れるということに重点を置いて、構想を立てられるところもあるでございましょうし、あるいはもっと違った形で、たとえば国際的な関係に留意をし、そこに重点を置いた独自の修士の課程というようなものを構想しようというようなところもあるわけでございますので、必ずしも修士の課程がこれから次々にできていきましても、その入学定員がすべて現職先生方のために確保されるというわけにはまいらないということは事実でございます。しかし、全体としてはいまよりははるかに大学院における現職教育機会というものは大きくなっていくということは言えると思います。
  147. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 現在、二つ大学には十名程度のようですね。大学で歓迎をされないところの理由はどこにあるんですか。文部省としてはやってほしい、やってほしいと言っているけど、なかなかうんと言ってくれないというお話があったんですがね。非常に管理の面ではやかましい文部省さんが、大学に言っておるけれども大学は一向言うことを聞いてくれぬので困る困ると、こういうお話みたいですが、どうもこれまた余り理解できない話なんですがね。その隘路をどういうふうに打開しようとお考えになっておるか、まずそれをお聞かせ願いたい。
  148. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 東京学芸の場合には、これは太田先生もおっしゃっておりましたけれども一つにはやはり入学試験のあり方において、学部の卒業生の場合と同じように、当初は外国語をたとえば二カ国語を課すというような試験をいたしますので、そういうことになりますと、どうしても現職先生の場合には、入学試験の段階で入りにくい状況がある、そういうことがあったと思います。これは修士の課程というもののレベルというものを、大学が非常に大事に考える、そのことを通じて、やはり学部の卒業生と同じようなレベルで現職先生が競争をするというようなことになる、そのことに伴うものでございます。これも必ずしも一概にいけないと言うわけにはいきませんけれども、もう少し現職先生に門を開くということであれば、通常の一般大学における修士の課程の入学試験というもののあり方と、現職先生方を受け入れる場合のあり方というものの間では、一工夫あってしかるべきではないかと思うわけでございます。そういった点については、東京学芸自身が現在検討をされております。またもう一つ先生方を送り出す場合に、現在の十名入っておられる実態を見ましても、いわゆる現職現給という形で公立学校先生がお進みになるということが実際問題としては非常にむずかしい、むしろ定時制の先生が勤務時間に支障のないところで大学院で御勉強になるというような実態の方が多いわけでございます。こういった点も、現職現給で進めていくという県全体の研修の体制というものが整えられていくことに伴って、その点も改善をされてくるでございましょうし、大学の方の受け入れの体制と、送り出す方の体制と両方相まって、やはり現在の問題点改善というものを加えていく以外になかろうと思います。
  149. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、その現職現給というのは、支障があるというのは、これはどういう意味ですか、現職現給で入るというのに非常に支障があるといういまのお説ですけれども。いま二つおっしゃったでしょう、理由を。この修士レベルがどうで、現職の人は何かはなから、学部からすぐ上がった者よりもハンディがつくというお話と、第二番目の現職現給の先生方が入るのには非常に支障があるというのは、これはどういうことですか、県の教育委員会がそれを認めないからということですか。それとも午前中のあれじゃないですけれども、休職か何かにしなければ入れなかったからじゃないですか。
  150. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在国立大学大学院では、現職にある方は大学院に入ってもらっては困ると、現職をやめないと大学院に入れないという、そういうたてまえのところがかなりございます。しかし、教員養成系の修士の課程の場合には、そういうことはございません。したがって、現職であることが入学上の支障には全くなっておりません。ただ実態を見ますと、その十名入っておられる方の大半は、やはり定時制の先生が進学をされているというような状況でございますから、実態として現職現給のままでの進学ということが、従来容易に行われていない状況があるのではないかということを申し上げたわけでございます。
  151. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうするとあれですか、最大のあれは、この修士レベルがなかなか現職からは試験を受ける場合に、学部からすぐ上がる者と、現職を経て行くのとには、学力で差があるからということが最大の理由になっていくんですか、狭き門になっているのは。そういうことになりますわね、いままでのあなたの答弁を、二つのうち一つはなくなっているわけだから。そうすると、今度新潟、あすこにできるものは、そういうきらいがあるから枠を初めから三分の二とっておこうという論理になるわけだね。そうすると、これはまたレベルを下げるという意味になりかねませんじゃないですか。そこはどういうことになるんですか。
  152. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現職先生大学院で勉強をされる場合に、適切な入学者の選抜が行われなければならないということはもとよりでございますけれども、修士の課程における入学者の選抜というものを考える場合に、いわゆる外国語の力というものが、二カ国語にわたって十分に備わっているということが、直ちに現職先生が修士の課程で勉強をされる場合の適切な学力の水準を判定する物差しとして、ふさわしいかどうかという議論が私はあると思います。やはり十分な課題意識というものをお持ちになって、そして大学院に進まれるわけでございますから、そういう先生方と将来研究者になるという学生の場合とは、おのずから異なるわけでございますし、そこはもっと適切な入学者の選抜のあり方考えられてしかるべきである。それは大学院のレベルを下げるということでは決してない。それは教員大学の場合であっても、これからできていく教育大学の修士の課程の場合であっても、同じように大学によって検討されなければならない問題であろうと思います。そういった点で、確かに入学試験のあり方から言って、現職先生方がなかなか進学しにくいという状況が従来あったということは否定できないと思います。  それともう一つは、先ほどから申し上げておりますように、現職先生方大学院で勉強をされる場合の現職現給のままで出ていくということがなかなかこれまで――もちろん、それは各県で対応すればできる状態にはなっていても、十分にそのところの対応ができていないのではなかろうかということを、入学者の実態からして私は判断をしているわけでございます。
  153. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これは重要な問題が二つあるんですよ。  後者から言えば、あなたは現職現給で入れないところにいろんな条件があったのではないか、こう思うというけれども、あなた方が一番知っておるのでしょうが。いままで入ったところの人に、指導としては、大学院には積極的に行けという指導してなかったわけなんだな。予算上は、定員上は心配するなということがなかったからできなかった、こういうかっこうになるのですよ。現職現給のままでも行けと言っても行かなかったというなら。文部省の指導方針が、いままで余り大学院現職のまま勉強するのは好まなかったからということにしかならぬのですよ、あなたの答弁をずっと突き詰めていけば。  それからもう一つの問題もそうですよ。いわゆる学力の問題について、あなたが語学の問題を挙げられたけれども、物差しにふさわしい問題であったかどうか、学力判断の疑念があったと、こうおっしゃる。それは今後の大学院教員大学を含めてのみんなの問題だとあなたは逃げていますけれども、そういうふうにハンディがあるから、片一方のものは今度は二百名の三分の二を枠つけるというのでしょう。そうすれば、言われておるところのこの二つ大学は、普通の一般大学におきますところの学力よりもうんとレベルを下げなけりゃ入れないということになるし、そういうことがあるから二百名の三分の二の枠をとって、皆さんのことについてあんまり学力は問いませんというのは、言葉を変えて言うならば、普通の一般の修士の場合と、判断の物差しを変えろということになるのですよ。そうなれば、普通一般大学と違いませんと言うものの、大きく違ってくるじゃありませんか。それはどういうふうにあなたは説明されますか。あなたの説明聞くとそうしか受けとれませんよ。
  154. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 修士の課程に入ってくる者の選抜を、どのような形で実施をするかということは、教員大学の修士の課程にとどまらないで、一般的にそのあり方について常に改善検討されなければならないことでございます。いわゆる修士への入学という場合にも、修士の課程で終わるという場合と、博士の課程まで進んでいく場合と、それはその課程の性格によって異なりますし、どういうものをその課程養成をしようかということに応じて、やはり入学者選抜のあり方ということも検討されるという面があるとは思いますけれども、私が申し上げておりますのは、現職先生方大学院における高度の研さん機会を確保する、そこで勉強をしていただくという場合に、現職先生方を選抜する適切な方法として、いわゆる外国語の力がどのくらいあるかということを、選抜の判断の非常に大きなウエートのかかるものとして取り上げていくということは、必ずしも妥当でなかろうというふうに私は考えて申し上げているわけでございます。そのことは、現職教員の場合に、大学院に入る者の学力なり、あるいはこれからの研究をし、勉強をしていく力というものを、他の一般の修士の課程の場合よりも下げるというようなことではない。それはより適切な選抜の方法というものを考えるということになるわけでございます。教員大学の場合には、準備室の方でも、現職先生方を受け入れる場合の入試のあり方と、学部の学生を受け入れる場合の入試のあり方とは、やはり区別をして考える方がいいのではないかというような議論がございます。私はそれは区別をしてお考えになっていただいた方がむしろ合理的であろうと思います。そしてそのことは、単に教員大学だけのことではなくて、これから既設の大学、あるいはこれから新設をされていく教員養成大学の修士の課程現職先生を受け入れる場合においても、やはり大学側においてその点は配慮をしていただきたいことであると思うわけでございます。
  155. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 くどいようですが、そうすると、学部からそのまま行く者と、現職を経てその修士課程に入りたいという者の選考の基準だな、やり方だね、それは当然違いがあっていいじゃないかというお考えですね。そうすると、今後教員関係の大学には、そういう選考の物差しをみんな考えていくわけですね、一般大学と違って。そういう方針ですか。
  156. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) それぞれの大学で自分の大学学部なり大学院に、どういう選抜を行って学生を受け入れるかというのは、これはまさに各大学が御判断になることであって、その内容について文部省は口出しができません。しかし私たちは、先ほど来申し上げておりますように、現職先生を受け入れるという場合には、いわゆる学力のテスト、特に外国語の力というようなものにウエートを置いたテストということではない、教職の経験者にふさわしい問題というものが用意されてしかるべきであるという考え方を持っておりますから、そのことは各大学に、私たちはこういう考え方を持っているということは、お話を申し上げていきたいと思っております。
  157. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 だから、何回も聞いておるように、現職から受験をする人に対しては、物差しを変えなさいというのでしょう、そういうふうに今後改めるというわけでしょう。入学のいろいろな、語学云々とあなたはおっしゃったけれども、言うならば、選定の基準をどうするかという物差しを変えさせるということでしょう、判断の。あなたのおっしゃっているのはそういう意味なんでしょう。違いますか。
  158. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 文部省が各大学における入試のあり方というものを規制をして、文部省の言うように入試をやらせるというわけにはいかないわけでございます。もちろん、それぞれの大学で、それぞれの大学の御方針に従って、それぞれの大学が設置をする修士なり、博士の課程あり方に応じたそれぞれ適切な選抜の方法をお考えになるわけでございますけれども、その場合に文部省としては、現職先生を修士の課程に受け入れる場合には、やはり教職経験者を受け入れるにふさわしい選抜のあり方考えてほしいということを考えている、そういうお願いをしていく。もちろん、それを大学側がどのように判断をされ、それに基づいてどのような入試を実施されるかは、大学の御判断によるところでございますけれども文部省としてはそういった教職経験者にふさわしい選抜のあり方というものを考えてほしいと考えているということでございます。
  159. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 だから、皆さんは、物差しを違えなさいという指導をされるとおっしゃるのでしょう。そういう意味でしょう。  そうすると、これは午前の論議に返るけれども教員養成大学でと、より高次の云々という大学院あり方のこの条項から、一つのやはり――どっちが高いか低いかは別にして、差をつけなければならぬということになるんですよ、違いを出さなければならないというかっこうに通じていくわけですがね。そうすると、いまのお考えは、既存教育系大学にもそういうふうに指導されるのですか、どうですか。
  160. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 事柄は、先ほど来お答え申しておりますように、既存教育大学がおつくりになる修士の課程現職先生を受け入れる場合においても、同じような配慮をしてほしいと私は考えております。そのことについて、既存大学がどのように対応されるかということは、それぞれの大学の御判断によるところではございますけれども教育大学協会との懇談、その他の席を通じて、私たちはそういう形で現職先生方をより適切な入試の選抜のあり方によって、より積極的にそれぞれの修士の課程に受け入れてほしいというお願いをしていきたいと思っております。
  161. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、今度新しくできるところの大学はそうじゃないですわね。初めから三百名のうち二百名は現職教員ですよと、こういうわけですから、これは大学側にお願いするのじゃなくて、初めから物差しをたがえなさいと、こう皆さんは指導されるわけでしょう、これは。そういうことになりますわね。百名は、それは学部から上がってくる人、あるいはほかの大学から来る人おるでしょう、その選考は別にしてもね、そうしますと、教員現職教育のいわゆる大学院修士課程というのは、普通のいわゆる修士課程とは選考基準から視点の置き方が違っていくということに相なるわけですよ、いまあなたがおっしゃったところの論理を詰めていけば。そういう考え方が今度の大学院の問題ですか。そうでないならない、あるならあると答えてくださればいいんです、時間がありませんから。
  162. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 三百人の大学院の入学定員の中で、三分の二については現職先生方を受け入れるために準備をする、予定をするということにしております。その課程先生方を受け入れる場合の選抜のあり方については、やはり教職経験者にふさわしい問題を用意する方が適切であると考えておりますから、そのように創設準備室の方にお願いをしているわけでございます。これは創設準備室で検討され、さらに今後創設後の大学において、大学の人たちがお考えになることでございますけれども、方向としては、私はそういった現職先生方を受け入れるためのふさわしい入試のあり方というものを検討されるということが望ましいと考えているわけでございます。
  163. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 その準備室がとか、あるいは新しい云々と逃げられるけれども、準備室の職員は、あるいは教授になる人はあんた方が任命されておるんだから、あんた方に言われておるところのものをやるかやらぬかというものの判断で採用されておるんでしょうが。それをさももっともらしく、準備室が今後決めますと、こう言わないでくださいよ、明らかにこれは違いが出てきますよ。そこにまた今度のこの大学院あり方の問題が、一般の大学よりも程度の低いところのものになりゃしないかと、あるいは言うならば、修士課程という名のこれは養成所じゃないかと言われるところのゆえんなんですよ、ここにも大きな問題があるんですよ、本当に力がある者なら、一般大学にも行きなさい、みんな現職教育はわれわれが予算の範囲内において保障するから、行きたい者は行って勉強しなさいというなら、文字どおり現職教育としてもふさわしいものになりますよ。すると、その先生は入ろうとするなら、語学なら語学一生懸命勉強して、それを出られてこそ、本当に胸を張って修士課程を終えて、うんとまた研究してきたよということで馬力入るんですよ。どうもいまの話をずうっと詰めていくと、これはどう抗弁をされようとも、現職教育としての大学院あり方というものは、明確にこれはいまの一般大学のものと違う、これは残念ながら。しかも、あなたがおっしゃったように、既存大学に対してはそう行政的な力がないわけだから、あなたも三月三十一日の衆議院文教委員会答弁されたように、既存大学大学院は、学部からの進学者が主体ですと、新しいものは言うならば、これは現職皆さんが三分の二が主体ですと、こう答えざるを得なかったところの要素があるんです。なお、これを押し詰めていけば、既存教員養成大学大学院は、必ずしも現職者を、同じような、あなた方がねらっておるところのとおりにいくという保証はないんです。こういうようなかっこうになってまいりますと、現職教育を重視するんだ、そのために大学院で勉強させるんだというのは、そういう二つ格差をつけるとするならば、これは既存教員養成大学ではだめだから、各ブロックにつくらなけりゃならないという論理になっていくんですよ、これ少ないんだから。恐らくあなたは先ほどの答弁の中では、ブロックにつくるところの考えはありませんと言いながら、これを置いておけば自然にそうなっちゃうんです、これは。次の段階で見てごらんなさい、必ず出てくるのは、二つつくりましたけれども、なかなか現在あるところの大学院での現職教育は非常にむずかしゅうございますから、ここのブロックにもつくります、ここのブロックにもつくりますと、こういうかっこうになっていくことは目に見えておるじゃありませんか。ここにこの教員大学というところの大きな問題点があるんですよ。もしあなたがそうでないというならば、せめて教育系既存大学においてでも、同じように門戸を広げなさいよ。少なくとも教員養成ということを主体にするということは違いないんだから。平等にしておいて、既存教員大学へ行って、現職教育を受けようという人にも門戸を広げて、どっちへ行ってもいいんだという形になれば、初めて本当の皆さん方の現職教育大学院でもさせようという、この高度なねらいが理解されるんですよ。けれども、そのことについては文部省はただお願いをするだけでございますと、こう片一方言う。片一方は準備室に幾らお願いするったって、皆さんがそういうちゃんと要綱をつくって、その通りやれと、こう言われてやっているんだから、準備室など形ばかりですよ、決まっているじゃありませんか、初めから。これでも設置されるところの教員大学は、いや既存教育大学とは変わりませんと、こう言えますか、胸張って、現職教育問題についても。そのあかしを立てるためには一つある。それはいま私が申し上げたように、既存教育系大学の門戸を思い切って開放しなさいよ。いわゆる三月三十一日あなたが答弁をしたところの、あの話をもう一回再検討しなさいよ。同じようにやはりいけるような状況をつくってやってこそ、文字どおり大学院において現職教育をしようということができると私は思うんですよ。その御意思はないんでしょう、いかがですか。
  164. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 既設の教員養成大学が、これから修士の課程をつくっていく場合に、その修士の課程においても、現職先生を積極的に受け入れてほしい、それは文部省としては一貫してそういう考え方を持っておりますから、そういうお願いをそれぞれの大学に対してするわけでございます。  ただ、これまた繰り返してお答えすることになりますけれども、既設の大学の修士の課程の場合には、やはり学部の学生が修士の課程に進みたいという者が多いわけでございますし、それを受け入れて、学部、修士を通じた教員養成ということを考えるということ、これまた非常に大事な方向でございます。それをむげに否定するわけにはまいりません。したがって、既設の教員養成大学の場合には、実態としてかなり学部学生の進学者が多くなるということは、否定できなかろうと思います。しかし現職者にも広く門を開くように要請をしていくということは、私どももそのように考えております。
  165. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そこに問題があると言っているのですよ。いままでだって、あなた方の答弁を聞きますと、既存大学にも門戸を広げてほしいほしいと文部省としては指導しておるんですけれども、なかなか大学側に問題がありまして、十名程度しか入っておりませんと答弁されてきておるんでしょうが。そうすると、今後もほしいほしいと幾ら言ってみたって、それが実効上がらなければ、これは現職教育大学院でと言っても、門戸広がらぬじゃないですか。広げようとすれば、勢いいまの二つ教員大学だけではいかないから、次は徳島の鳴門にもつくる、これは準備終えたらつくるでしょう。いや九州にもつくります、北海道にもつくりますというかっこうにならざるを得ないじゃありませんか。それならそうとはっきりおっしゃいよ。今後各ブロックにこういう教員大学をつくるつもりですと。でなければ、皆さんが言うところの、大学院現職教育というもののあかしが出てこないじゃありませんか。いやそれは考えないんですというなら、現在の教員養成大学のこの門戸をどのようにして広げていくかという具体的なやはり手だてというものがなければ、それはあなた妥当性がないじゃありませんか。先ほども言いましたように、前からやってきておりますと、あなた方何回も答弁しておるのですよ、大臣ね、私はいま一緒に出すと大変刺激するから、後は後だというふうに、やっぱりこの法案の後ろに何か隠されておるんじゃないですか、各ブロックに云々というのが。それでなければ、大臣が言ったところの教員養成を今度大学院でもやって、教員の質を高めるんだというあれにならぬじゃございませんか。もししょうというなら、それは違うというならば、既存教育系大学はたくさん出ておるんだから、せめて新しくつくるところのものでも条件付して、おまえのところの大学院は、これは現職をやるんだぞと、こういうやはり義務でも与えるというなら話はわかりますよ。それは大学のおやりになることですから、私どもはただお願いを申し上げるだけでございますでは、これはどうでしょうかね、どうお考えになりますか。いまのやりとりを聞いて。
  166. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 宮之原委員がこうあるべきだとお考えになっていることと、私ども考えておりますことは、そんなに差のあるものではないと思います。ただ、既存大学大学院をつくりますのに、やはりそれは大学当局のお考えがあるわけでございます。そこに文部省行政的に介入をして、強い条件行政的につけていく、そういう筋合いのものでないことは、これはもう宮之原委員も御理解いただいていることだと思います。ただ、私どもといたしましては、現職教員大学院におきますより高度の研さん、研修というものが、きわめて国民的な要望も強くなってきている。そのことを背景にして、大学局長もお答えをいたしましたように、既存大学の、新設大学院への現職教員の受け入れをお願いをしていくわけでございますから、そのような機運の熟してまいりましたことは、既存大学御自身がよく理解をしておられるところであると私ども期待をいたしておりますので、このようなことが、いままでお願いをしたって、一向広がってないではないかということでございましたが、今後はそうではないという期待感を私どもは持つわけでございます。そうでありますから、ブロック別に教員大学をつくろうとしているのではございませんというお答えをいたしておりますのも、まさにそこにあるわけでございます。今後、既存大学充実大学院の新設を含めての充実のこれからの経過を見てまいりながら、教員大学のことは、あとのことは考えなければならない。初めからブロック別につくるという考え方を持っていないのも、そこにあるからでございます。そして、現職教員大学院における研さんというものを、文部省既存大学も、それぞれがそのことを十分に認識をしながら、これから私ども努力してまいりましたならば、宮之原委員の御指摘になっておられるような望ましい形が実現ができる、また、しなければならない、このように考えるわけでございます。
  167. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、今後期待をするとか、いろいろお願いをするという話ですが、それならあれですか、じゃ今後ブロック別のこういうものはつくらないということは御確約できますか。もうこれは三つで終わりだと、それが文部省方針だというふうにきちっと理解しておってよろしゅうございますか。
  168. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) ブロック別ということをいま考えておりませんと申し上げておりますのは……
  169. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いまじゃないですよ。いまというのはいろいろあるんだから。
  170. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) しかし、これは、いまと申し上げるよりいたし方のないことで、既存大学の拡充強化に努めていくわけでございますし、それは大学院の新設も含めたことでございますから、現職教員皆さん大学院における、より高度の研さん機会というものは、そのことによって両々相まって順調に伸びてまいりましたならば、私は教員大学というものをそんなにたくさんつくる必要もないと考えますし、あるいはまた、現職大学院における、より高度の研さん機会を提供をしていくべきだということは、これはもう皆さん御賛成のことでございますので、もう少し先になって、その既存大学の拡充強化のあり方を踏まえて考えるべき筋合いのものではないではございませんか。
  171. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 だから、私は先ほど来指摘しておるんですよ。今後の見通しを、落ちる先を。だって、いまあなたつくらないと言ったって、いまつくらないというだけでありますと、こう言うんだからね。来年か再来年か、四、五年たてば、いや、またつくりますという言葉が出てきたって、同じなんですよね。何もあなたの話に間違いがあったということにはならない。しかし、私が先ほど言っておるように、既存教育系大学学部が四十七もあるんでしょう。しかも、そこで大学院をと、こう要求されているのが三十三もあるというんですよ、これがみんな条件に入るかどうかわかりませんよ。しかし、残念ながら、先ほどいろいろこうやりとりしてみれば、局長の話は、既存教育系大学も含めて、これは学部から上がっていくところの学生が主体ですと、こうおっしゃるのですよ。その上に、入学をするところの物差しの問題についても、いわゆる学校にお願いをするだけですと、どうにもできませんと言うわけです。それはそうだろうと思うのです。皆さん圧力を加えたら大変だと思うのだけれども現実にはいろいろな圧力があるみたいですけれども。そうすれば、先が見えておるじゃありませんかと言うのですよ。それができなかったからと言って、返す刀では、いろいろ三校で努力をしてきたけれども現職教育に対するところの要望が強いので、九州にも置きました、中国に置きました、東北に置きましたというかっこうになるんじゃないですか、はっきりしておるのは。そういうことになりませんか。もしあなたがそれでないと言うなら、既存教育系大学の門戸をどう具体的に広げていくか、いまだ広げていく方法がないのですよ、それをあなた、いわゆる学校教育法の六十五条の、大学院がという、これから見れば、私は入試の物差し自体に差をつけることにも非常に問題があると先ほど申し上げている。だから、その大学でこれをカタに取って、いや、それは、そんな条件のハンディをつけるわけにはいかないと、こう言うたら、それは終わりのことなんで、そうすると、当然これは見える先としては、いまは三つだけれども、鳴戸を合わせて。行く行くはつくりますということになるでしょうが、なりませんか。それはもう大臣というよりも、文部省のお役人さん、官僚の皆さんはずっとこれから十年も二十年もおる人もいるだろうけれども、見ておってごらん。五、六年後にはまた出してきます。ここに私どもが非常に疑念を持つということのゆえんがあるのです、率直に申し上げて。だから、幾ら聞いても奇妙な大学院構想だと、私が冒頭に申し上げたところの要素はここにもある。この点を指摘しておきます。  約束の時間がまいりましたので、私はこのあとまだ重要な問題が大分残されているのです。いわゆる問題になっていますところの現職教育の入学の条件の問題、あるいは免許法の問題、あるいは大学の機構、運営の問題等あるんですが、これは十六日以降に譲らしていただきます。  終わります。
  172. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 教員大学という名称の点について再度お尋ねいたします。  一昨日の参考人の方にこの名称の点についてお聞きしましたところ、教育大学でよいのではないかというのがほとんどの先生方の御意見でした。繰り返ししつこいようですが、この教員大学という名称については、全然再考の余地はないか、教員大学という名称に固執する真意はどこにあるのか、もう一度お願いいたします。
  173. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 先ほどもお答えをいたしましたように、教員のための大学であるという趣旨を、名称の上でもできるだけ明らかにしたいということ以外に、私ども考えている理由はないわけでございます。名前を考える段階でいろいろな名前を実は検討いたしましたけれども、結局教員大学以外には適切な名前を得ることができないで、教員大学ということで閣議を経て御提案申し上げているわけでございますので、私どもの提案をしている立場といたしましては、教員大学という名称が最も適切であるということをお答えをする以外にないわけでございます。
  174. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 それでは教員養成大学で、現在、東京学芸大学と大阪教育大学大学院が置かれてありますが、その大学院に修学している現職教員実態についてお尋ねいたします。  その大学院に入学している現職教員は何処で、どういう身分で入学していますでしょうか。
  175. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 東京学芸大学と大阪教育大学大学院に在学をしております現職教員は、五十一年度に入学した者が二人、五十二年度に入学した者が八人、計十人でございます。その内訳は、任命権者等からの派遣の形で来ております者が三名、勤務時間外に通学をしている者、これは定時制の先生でございますが、それが六名、休職をしている者が一名でございます。
  176. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 いまお聞きしますと、現職教員のままで入学しているというのが非常に少ないわけです。その理由は何でしょうか。
  177. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろんこれらの大学院は、大学院の設置の目的を見ましても、教育実践の場における教育研究の推進者となる能力を養うことをねらいとするということが規定されておりますけれども現職先生方なり、あるいは教育委員会の側が大学院の研修として期待するところが、学校教育に関する実践的な教育研究にむしろあるのに対して、これらの大学院における内容というのは、主として教科の専門分野を専門的に深めていく、そういった形で教育研究が進められておりますので、そこのところの差がある。それから、先ほど申し上げましたように、入学試験のあり方がかなりむずかしいということ、それから行政的にも必ずしも現職教員大学院の研修に対して、積極的な対応がとられてきていないのではないかと思われる節がある、そういったことがあるのであろうと思います。しかし、今回教員大学を創設をするということが、既設の大学院にも現職教員が入学を希望する、そういう状況を増大させる結果になると思いますし、また行政の側でも同じように、積極的に大学院における現職のままでの研修ということについて、対応してくれると思いますので、状況改善をされると考えております。
  178. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 そこで、現職現給で入学している先生もいらっしゃるわけですか。
  179. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教育委員会、あるいは付属学校から派遣されている者はもちろん現職現給でございますし、勤務時間外に通学をしている六名の者もこれまた現職現給ではございます。ただ、いわゆる出張命令の形で大学院に入っているわけではないということでございます。
  180. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 その方たちはどこの都道府県から来ているか、それおわかりでしょうか。
  181. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 派遣を受けている者三名と申しましたけれども、これは、二名は東京学芸の付属の先生でございます。これは国立の者でございます。それからもう一名は私立の先生でございます。公立学校からの派遣で入っている者はございません。勤務時間外の通学者六名については、これは定時制の先生だと承知をしておりますので、地元のそれぞれ大阪なり、東京なりの定時制の先生か通っておられると考えております。
  182. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 ところで、新しい教員大学大学院の修学者の身分というのは、現職で現給と理解しておりますが、これは確認ですが、それでよろしゅうございますね。
  183. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろん現職現給でなくて、御本人がやめてお入りになりたいということはもちろんそれを拒みませんけれども現職現給のままで大学院で勉強をしたいという御希望を生かせるような方途を講ずる、いわゆる研修のための出張を命じていただいて、それによって大学院で勉強していただくということを考えているわけでございます。
  184. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 入学金や授業料の負担はどうなりますか。
  185. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これは一般の大学院の学生と同じように、学生でございますから、その方が授業料を払い、入学金を払っていただくわけでございます。
  186. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 そこで、現職現給の形で入学することになりますと、方法としては都道府県から長期研修というようなことで派遣になるわけですね、いかがでしょう。
  187. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、研修のための出張が命ぜられるという形をとることになると思います。
  188. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 そういう形は教員大学だけに入学する場合に限られるのでしょうか。
  189. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学大学院に限らずに、既設の教員養成大学大学院に入学される場合であっても、あるいはこれから新しくできてくる修士の課程に入学される場合であっても、現職先生方現職のままで現給で研修を受けたい、研修をしたいという御希望をお持ちの場合には、同じように都道府県において全体の研修計画の中で、適切に御判断をいただいて、同じような取り扱いが行われることを私ども期待をしております。
  190. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 非常に大学院現職教員の行く数が少ない。その一つは、やはりこうした現職現給で行くという、そういうことが非常に困難だという点も少ない原因の一つだと思うのです。私は教員大学大学院に行く現場の教員というのは、非常に優遇されたいい条件で行かされる。それならば、ほかの大学院に行く現職教員にも、やはり同様な身分保障を積極的にしなければやはり入学者の数はふえない、このように思っておりますが、その点、いかがでしょうか。それについて今後大いに、ただ大学側に頼む頼むじゃなくて、文部省としてもこういうふうにそれを強力に推進していくというような、積極的な御意見を求めて申し上げるわけでございます。
  191. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 御指摘のとおりでございまして、教員大学が発足をいたしますのを機に、各都道府県教育委員会におきましても、長期研修という考え方の枠の中に、当然大学院におきます現職教員研さん、研修というものを取り入れていただくわけでございますから、そのことの重要性、これを都道府県の教育委員会におきます長期研修計画等の中ででも、そのような現職現給でという考え方がより普遍化されてまいりまするように、私どもも指導いたしますし、都道府県教育委員会もそのような考え立場に立ってくれるものと期待をいたすものでございます。
  192. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 次に、大学院の入学の資格についてお尋ねいたします。  小学校教諭の学歴別教員数を見ますと、大学卒業者より短大卒業者の方がはるかに多いわけです。この短大卒業の教諭は、教員大学大学院の入学資格はどのようになるのでしょうか。
  193. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学につきましては、鰺坂調査会の報告におきましても、短期大学卒業者でありましても、教員の一級免許状を有する者等については、大学学部を卒業したと同等以上と認められる学力がある場合には、入学資格を認めることを考えるべきであるという御提案がございます。もとより現在の制度といたしましては、大学院の入学資格は学校教育法の六十七条と施行規則七十条一項において大学を卒業した者あるいはそれと同等の者と定められているわけでございます。したがって、直ちに短大を出た者をこの大学院に受け入れるという制度的な保障があるわけではございませんけれども、この教員大学大学院に限らずに、大学院修士課程において、社会人の再教育必要性というのはますます大きくなってくると思われますし、その場合に、やはり大学院の入学資格については、より弾力化を図るべきであるということは言えるわけでございます。このことは四十九年三月の大学設置審議会大学院制度に関する答申におきましても、御指摘をいただいているところでございます。したがいまして、今後短大、高専等の卒業者について、適切な実務の経験を評価する、そういった方法によって入学資格を幅広く認めていく、そういうことについて、いろいろ関係方面の御意見も承りながら、検討をしてまいりたいと考えております。
  194. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 そうしますと、短大卒業の教諭でも、教員大学大学院に入学できる可能性は強いと、こういうふうに考えていてよろしゅうございますね。
  195. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 可能性がこの時点で強いとまで申し上げることについては、やはり現在の状況からしてやや控えさせていただきますけれども、方向としてはできるだけ大学院の入学資格は弾力化をするという方向を持っておりますから、御指摘の御趣旨を体しまして、できるだけ前向きにこの問題について検討さしていただきます。
  196. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 多くの短大卒業教諭の資格の問題から、資質向上を図るようにということは非常に大事な問題なので、その点について積極的な方法を講じていただきたいわけですが、その一つとして、学部に入学するという方法も考えられていいのではないかと思いますが、この点いかがでしょうか。
  197. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 短期大学を卒業した者が、大学学部に編入学をするということについては、すでに制度的には道は開かれているわけでございます。ただ、実態としてなかなか大学側がその受け入れを行わないということがございます。高等専門学校の卒業生につきましては、大学によっては、特別な入学定員の枠を設けまして、積極的に受け入れる体制をとっておりますけれども、短大についてはそういう措置をとっているところはございません。しかし、できるだけ大学、短大の間の流動性を高める、短大を終えた者がさらに大学学部に入って勉強するということを推進をする必要があることは言うまでもないことでございます。これからの高等教育の改革を考えていく場合でも、そういった異なった学校間における流動性をより高めるということは、できるだけ推進をしていかなければならないことだと考えておりますので、各大学に対して、そういった点についての配慮を、制度的にはすでにできているわけでございますから、実際問題としてそれが実現できるように要請をしてまいりたいと考えます。
  198. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 現在大学院は東京学芸大学と、大阪教育大学にあるわけですが、その入学状況を比較してみますと、教員大学大学院学部新卒者からの入学に関して、おかしいと感じる点がありますのでお尋ねしたいと思います。  五十二年四月の両大学大学院の入学者のうち、自分の大学を卒業して、その学部から大学院に入学してきた割合、これを見ますと、東京学芸大学は入学者百四十一名に対して九十一名、六五%になっております。また大阪教育大学の方は入学者七十七名に対して三十九名、五一%、こういう状況で、半数以上の学生が、自分の母校である学部から大学院に入学しております。教員大学大学院もこれと同じような傾向であると仮定するわけですが、そうなりますと、学部卒の部分の入学見込み百名という人数について、その半数というと五十名、これが教員大学学部から大学院に進んでいく数と、このように仮定するわけです。そこで、この五十名という人数を教員大学学部の入学定員二百名との割合で見ますと、二五%となるわけです。教員大学学部から大学院に進んでいく入学者は四人に一人、こういう割合で大学院に行くことになります。ところが、現在ある両大学院の場合、東京学芸大学の場合は入学者定員千二百十五名に対し九十一名で七・五%、大阪教育大学は入学者定員千三十名に対して三十九名で三・八%という状況で、自分の母校である学部かち大学院の方に進んでいく割合というのは非常に低い。百人に対して八人、百人に対して四人というように非常に少ないです。ところが、教員大学の場合は、この両大学院に比べて二五%、何か非常に比較してみた場合に、異常じゃないかと、こういうふうに感じて、果たしてこのような構成が成り立つのかしら、仮定の話で申し上げるんですけれども教員大学大学院に、教員大学学部卒業者が五十名大学院に来るということは、これは無理なんじゃないか、こう思うわけです。また学部から大学院に行く場合は、奨学金を出して優遇するというような特別な構想もあるとは聞いておりません。反対に大学院に行くなら教員になってから行った方が得だというふうに考える人も出てくると、希望者は非常に少なくなるんではないか。そこで私は、定員はこのままにしておいて、実際が二十名とか三十名になった場合には、現職教員中心の研修所になるという事態が起きないとも限らない。こうした仮定の上で言う意見でございますけれども、何か納得のしない数字を見まして、文部省としてはこういう点をどう考えていらっしゃるか。何か文部省考えております教員大学大学院の入学定員ということに対する考え方が、いままである大学院と非常に変わっていると、異常な感じがして、こういう大学院は果たして予定どおりできるものかどうか考えているわけでございます。いかがでしょうか。
  199. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘の趣旨はよく私も理解できます。既設の教員養成大学大学院の場合に、御指摘のように当該大学学部新卒者が、入学者の六〇%というような状況になっております。しかし、応募者の点を見ますと、これまた御案内のように、二つ大学院を合わせまして応募者が約六百名でございます。その半数は他の大学出身者でございます。このことから教員養成大学、あるいは学部の卒業者の大学院進学の意欲はかなり高いということがうかがえるわけでございます。教員大学大学院につきましても、教員大学学部の卒業生ということだけではなくて、他の教員養成大学学部の卒業生が相当数応募してこられるということは、当然に考えられるわけでございますし、またそのことが望ましいわけでございます。これから順次既設の大学に修士の課程が設けられていくということはございますけれども、そのことはまたそれに伴って、それぞれの大学における修士への進学の意欲がさらに高まるということにもつながっていくわけでございますので、そういったこれからの修士の課程の増設ということを考えに入れましても、やはりなお教員養成大学学部の卒業生が相当数大学院への進学の希望を持ち、教員大学に応募をしてくるということは考えられますので、入学定員を割るというような状況は生じないというように考えておるわけでございます。
  200. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 いまお話の中で、今度できる教員大学大学院学部から来る学生は、よそから来る者を相当期待しているようなお話ですね。私は教員大学という大学をつくり、そこに大学院も設けたならば、その大学院に進む学生というのは、やはりその教員大学でしっかりと訓練され、力をつけられた者が、さらに大学院に進んでいくのが理想じゃないかと、それがよそから来た者に比べて、数が少ないというようなことでは、私は果たして新しい構想教員大学大学院として期待できるんだろうか。二つある大学院を見ましても、さっき申し上げたように、半数は母校から大学院に進んでいるんだ、当然教員大学大学院も母校から進んでいく、それこそ手づくりの、手がけた力のある学生が大学院まで進むような行き方をしなければならないと思うんですけれども、そういう意欲といいますか、そうした教員大学大学院をつくろうというその点、何か納得しないような、ただ応募者が多いんだから、どこから来る学部の学生でも入れればいいというようなものではないんじゃないかと思いますが、その点いかがでしょうか。
  201. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり、教員大学大学院につきましては、現職先生方を大幅に受け入れるということを前提としまして、教員大学として十分な問題意識を持って、学部大学院を通じて、教育課程の編成等を工夫をして、特色のある教育を展開しようとするわけでございます。学部の卒業生が大学院に進学をしてくるということは、もちろんこの大学の全体の教育というものを一貫して考えていくという趣旨からして、望ましいことでございます。しかし、やはりこの教員大学の場合は、広くいろいろな大学学部の卒業生が入ってきて、そしてより高度の研さんを修士のレベルで積んでいただくということにまた大きな意義があるわけでございます。学部初等教育教員養成課程を置くわけでございますが、大学院の方はこれは初等教育教員に限らずに、初等、中等教育を包含したカリキュラムを組んで、専攻を立てて、教育研究を展開をするわけでございます。そういったことを含めまして、この教員大学大学院が十分に特色のあるものとして発展をし、またそれが各大学の御協力に支えられ、さらに各大学に対してもいろんな意味でいい影響が及ぼせるような、そういうものに育っていくように、関係の方々にもお願いをして、努力をしてまいりたいと思います。
  202. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 大学院をいままでの教育大学につくるのが非常に消極的である、おくれていると、だから二つないし三つできる教員大学大学院の方にみんな集中して入ればいいと、そういう意味ではございませんね。
  203. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 先ほどもお答えをいたしましたように、既設の教育大学の整備、特に修士の課程の設置ということについては、今年度の愛知教育大学に引き続いて、さらに明年度以降逐次進めていくことでございます。それぞれの教育大学の整備ということと教員大学の整備ということが相待って進んで、初めて所期の目的を達することができるわけでございますし、またそのことは国立大学協会も強く期待をし、そのことを前提として、教員大学の創設というものについて、国大協もそれを支援をしながら、その発展を見守ろうとおっしゃっているわけでございますから、そういった趣旨に沿いまして、努力をしてまいりたいと考えます。
  204. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 教員大学やまだ大学院のない教育大学のためには、新しい人材としての教官養成が必要であると思います。先ほどのお話のように、大学院もどんどんつくっていくような期待を持って申し上げるわけですけれども、何といっても教官養成が必要だと、その養成のためにも、現在教育大学には博士課程がないわけです。その設置が必要となってきていると思いますが、一昨日の学芸大学学長さんのお話では、検討しているというようなお話でございました。政府としても積極的に取り組むべきであると思いますが、その点どのようなお考えをお持ちになり、どういうふうに取り組む御計画というか、お考えが進んでいるでしょうか。
  205. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、教育学部の上に博士の課程をどのように整備をするかという非常に困難な課題がございます。東京大学教育学部でございますとか、そういったいわゆる教員養成ではない方の教育学部の上にはドクターの課程があるのはございますけれども教員養成系の教育学部の上にはまだドクターの課程は御指摘のようにございません。これについて教員養成系の大学教官の後継者養成というようなことも含めまして、特に東京学芸大学において博士課程の設置ということについて検討が進められているということは私たち承知をしております。まだ東京学芸大学における博士課程の設置の構想は、大学の御検討の段階におきましても固まってはおりません。しかし、これから各大学に修士の課程を整備をしていくことと並びまして、博士の課程をどのように整えるかというのは重要な課題としてあるということは意識をしております。博士の課程の整備というのは、修士の課程の整備よりもさらにむずかしい慎重を要する課題ではございますけれども、学芸大学における御検討の進捗状況考えながら、私たちも学芸大学のお考えを十分に承わりながら、検討をいたしたいと思っております。
  206. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 教員資質向上を図るために、現在の教員養成に携っている現場の大学教員教官方々の質の向上、これはぜひ図らなきゃならない。まずそれが先決だと、これを非常に強く指摘している識者もおります。この点について、文部省としてはどういう見解をお持ちであり、また具体策がおありかどうか、いかがでしょうか。
  207. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、先生先生、いわゆる先生になる人のための先生に人材を得るということがまず非常に重要ではないかということは、私たちも各方面から御指摘をいただいております。そのことは、基礎的には現在の教育大学、あるいは教育学部教育研究条件をさらに整備をしていくということを進めなければならないことでございますし、教官研究費あるいは研究旅費等についてもできるだけ改善の方途を講じていかなければならぬということがあるわけでございますけれども、そういった基礎的な教育研究条件の整備ということと並んで、大学先生方が、たとえば外国において研修を行いたいとお考えになった場合には、在外研究ということで、外国において一年あるいは二カ月といろいろな態様がございますけれども研究をしていただくことがあるわけでございます。そういった制度もできるだけ御活用いただきたいし、あるいは内地留学、いわゆる内地研究という制度も大学先生についてはございます。この内地研究の制度を活用して、宮城教育大学先生が具体的に小学校の現場に入って、一年間勉強されるというようなことも行われておりますが、私はそういうことは非常に望ましいことだと思います。そういった在外研究、あるいは内地研究、内地留学の制度というものを十分に御活用いただく、そういったことを通じて先生方資質向上ということについて、お取り組みをいただくような、そういう角度での施策を私たちはさらに充実をしてまいりたいと考えております。  そのほか、教科別にいわゆる教科の教育法等について、先生方が集まって研究集会をお開きになる、そしてその成果を刊行物としておまとめになるというようなこともおやりになっておりますから、そういったことについても、できるだけの御援助をするというようなことも考えておるわけでございます。いろんな施策を通じまして、教員養成大学学部教官に人材を得ることができますようにこれからも配慮をしてまいりたいと存じます。
  208. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 現在、教育の荒廃が叫ばれ、教員養成あり方というものがずっと検討されてまいりました。そして、その改善の一策として今回提案されている教員大学の設置ということに踏み切られるのだというふうに思っております。そうであるならば、これを成功させなければならない。これが失敗すれば、教育の荒廃はさらに混乱を起こす、そうであってはならない。そのためには教員養成に当たる教授陣の内容が最も大事だと思います。せんだって何名ぐらいの教授陣がそこに予定されているのかという、人数程度の内容をおっしゃっただけでございますが、その教授陣をどういうふうに集めようとしているのか、またその教授陣が確かにこの教員大学に集まって、教員養成のために力強い活動をするかどうか、ただ集めるだけなら簡単といえば簡単です。自薦、他薦も非常にあるように伺っております。そんなことで私は新しい構想のいい大学はできるとは思わないわけです。そのために若手のメンバー、こういうものを選抜して、いまおっしゃったような国際交流とか、一般的な研修という形の海外留学とか、在外研究、こういう惰性に流れた、そうしたいき方ではなくて、教員大学をつくった、大学院もつくった、そして新しい教員養成のために体制を整える、その教員養成の指導者をつくるというこの目標を明確に打ち出して、その上で海外に派遣する、こういうような計画的な、しかも大幅な予算をそこにつけて、計画されなければならないんじゃないか。もうすでにそういう計画はされていなければならないのに、果たしてこれをするお気持ちがあるかどうか。  かつて原内閣が高等工業を二十校つくって、そのために八百人もの留学生を海外に送り出した。そしてそのための教育公債まで発行した、そして非常に成功させたという事実も、教育史の中に一つの実績を示しているわけです。私はそのくらいの取り組み方をしなければ成功しないんじゃないか、新しい構想大学はぜひ成功させなければならないと思いますときに、そうした画期的な取り組みを文部省はすべきじゃないか、こういうふうに提案するわけなんです。これは大臣、いかがでしょうか。
  209. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 教員大学教官といたしまして、量、質とも優秀な人材の確保をいたさなければなりません。いま創設準備に携わっております創設準備室長なり、副室長なり、そういった教官を中心にいたしまして検討を進めているところでございますが、積極的に現職教員のより一層の研修を、研さんをというこの大学院構想に、非常に積極的に賛同をしておられる教官も全国におられるわけでございます。必要数の確保は、国・公・私立大学教官だけでも、現在十万人ばかりになりますので、その中から選んでまいりますのは十分可能である、量も質もりっぱな方を確保できる。またそのことはある特定の大学に偏って、現在奉職しておられる既存教員養成大学学部から若干の協力を仰ぎますけれども一つ大学に集中するというようなことがあって、その大学教育研究組織に御迷惑かかることも許されません。そういうことのないような配慮をしながら、確保ができるものと考えております。なお、特に教員大学はこの大学の趣旨からいたしましても、教育現場においてすぐれた教育研究業績を持っておられる、教壇経験を持っておられる方もまた招聘していくことについても、積極的に検討を準備室でしていただくように期待をいたしておるものでございます。
  210. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 いま私が提言いたしました、そうした画期的な計画は、大臣はどのようにそれに対してはお考えでしょうか。
  211. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) すぐれた教官大学に確保するために、いろいろな施策を講じなければならないという点は、御指摘のとおりでございます。しかし、教員大学のためにのみ特別の施策を講じて、教員大学教官のみにすぐれた人材を集めるという方策は私どもはとりません。やはり、全体の教員養成大学教官資質をどのようにすれば向上することができるか、そういう観点を持って、在外研究その他の施策も進めていく、そういった全体の層を厚くするということを通じて、教員大学教官もまたすぐれた人材が確保できるであろうということを考えるわけでございます。どこまでも教員大学と既設の大学との間の相互の協力関係というものを確保しながら、そういう意味ではできるだけ教官の相互交流ということも考えながら、この大学教員養成系の全大学から祝福されるものとして育っていくように努力をしてまいりたいと思います。
  212. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 ところで、教員養成系の大学に、また学部における一教官当たりの学生数が多いということを従来から言われているわけですが、その実態と今後の改善策についてお尋ねいたします。
  213. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教官一人当たりの学生数をもって、その学部教育研究条件を直ちに判断するというわけにはなかなかまいらないところがございます。それは、学部における教育あり方がかなり異なりますので、一概には比較できないわけでございますけれども、現在、教員養成大学学部における平均の教官一人当たりの学生数は十二・九人――約十三人でございます。しかし、沿革的に大学発展をしてきた経緯が異なりますので、十人未満のものが七大学ございますし、また十人から十四人未満のものが二十五大学、十四人以上のものが十五大学というような現在は現況でございます。これに対して、たとえば理学部は五・七人、工学部は九・六人というような状況にございますけれども教員養成大学学部教育あり方と、理学部あるいは工学部教育あり方とは必ずしも同じではございませんので、直ちに理学部や工学部と同様でなければならないというように言うわけにはいかないわけでございます。教員養成大学学部の適正な教官当たりの学生数が何人であるかということは、これはきわめてむずかしい問題だと考えます。なお、比較的広領域にわたって授業科目を開設をしております教養学部では二十七・一人、文理学部では十二・四人というような現在の状況でございます。全体からしまして、必ずしも教員養成大学教官一人当たりの学生数というのは、他の同種と申しますか、同じように広領域にわたって授業科目を開設している学部と比較して、著しく劣っているというわけではございません。おおむね同じような水準にあると考えております。
  214. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 教員大学大学院には、私立の現職教員にも門戸を開くとされております。そうなりますと、派遣した学校がその教員の給料を負担するということになるわけです。そこで文部省は、私学助成を充実して、私立の現職教員にも入学の機会を与えたいと、こういうふうに答弁されておりますが、ただ、私学助成を充実してという程度の御答弁ですが、具体的にはどういう形でそれを行うお考えでしょうか。
  215. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現職教員を受け入れる場合に、公立学校だけではなくて、国立あるいは私立の教員も受け入れていくということは当然のことでございます。現職のままで教員大学に在学されるかどうか、そういった在学中の身分取り扱いについては、これはそれぞれの私立学校の定めるところによると申し上げる以外にないわけでございます。しかし、私学の教員でありましても、もちろん現職のままで修学できるようにすることが望ましいことは言うまでもございませんし、その点について、私学助成等において措置することが考えられないか、そういうことをやはり考慮しなければならないということを先般お答えを申し上げたわけでございます。具体的にどのような形でこれに対する対応ができるかということにつきましては、管理局の所管するところでもございますから、十分に所管局とも協議をし、さらに関係方面の御意見も聞きながら具体的に検討をしてまいりたいと考えております。
  216. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 この教育実習ということがやはり問題で、教員養成大学の付属学校、これは非常に大事な付属施設と思っております。この付属学校について、今後どのように整備を行っていくか、そうしたお考えがおありでしたら教えていただきたいと思います。
  217. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学の付属学校につきましては、もちろん所要の付属学校を設置をしてまいるわけでございます。上越の場合には現在の新潟大学高田分校の付属学校を、いわば移管をする形で対応することができますが、兵庫教員大学の場合には、新しく設置をしていくわけでございます。教員大学の設置を予定しております社町はそう人口が多いわけではございません。したがって、十分に兵庫県の教育委員会あるいは地元の市町村の教育委員会と協議を重ねまして、既設の公立の小・中学校に御迷惑をかけないような形で、できるだけ教員大学の付属学校として充実したものを設けることができるように、現在地元と御相談をしながら計画を立てているところでございます。いずれにしましても、付属学校だけで十分な教育実習等の対応はできないわけでございますから、公立の学校を協力校にお願いをいたしまして、付属学校と協力校と相まって、十分な教育実習等の機能を発揮することができるように計画を立ててまいるわけでございます。
  218. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 いまお聞きしたのは、その教員大学の付属学校についてだけじゃなくて、一般の教員養成大学の付属学校、これに対して私はもっとこの重要性というものを考えていかなきゃならないんじゃないか、非常に貧弱じゃないかと、教育実習というものが非常に叫ばれているときに、いまのままの付属学校でいいかと、こう思っておりますので、今後、その整備、そういうものを行っていく考えがおありかと、もしあったらそれをおっしゃっていただきたいというふうに申し上げたわけです。
  219. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 付属学校の整備につきましては、小・中学校につきましては、御案内のように琉球大学を除きまして、すべての教員養成大学に設置をされておりますので、現在付属学校の整備につきましては、養護学校と幼稚園、これらを中心に新設整備を図っております。養護学校につきましては、四十二年度に十校でありましたものが、五十三年度におきましては三十八校まで整備をされております。幼稚園については三校を除いて幼稚園がすでに設置をされておりますので、学級増を中心に整備を行っております。四十二年度に二千三百五十学級ございましたものが、五十三年度には二千五百七十六学級まで増設整備が進んでいるわけでございます。  今後ともこれらを中心として、必要な整備に努めてまいりたいと考えております。  なお、教育実習の充実という観点から付属学校をさらに整備をすべきであるという御指摘がございます。これについては、やはり基本的な教育実習については付属学校で行う、それとあわせて応用的な実習については、公立学校でさらに行うということが望ましいということも教育大学関係者の多くの意見として出てきておりますので、付属学校におきます実習の工夫改善を図るということとあわせまして、近隣の公立学校と密接な協力体制をとりまして、そこにおいて教育実習を充実をする、その両方の努力を進めてまいりたいと考えております。
  220. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 教育実習の点について重ねてお尋ねいたしますが、教員養成大学で行われている教育の中でも、先ほどから申し上げているように、非常に重要な意義を持つものだ。こういう点では、四十七年の教養審建議でも改善すべきであるという意見が出ております。そういう点で教育実習の改善、この具体策というものはどのようにお考えでしょうか。
  221. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教育実習の改善につきましては、現在教育職員養成審議会におきまして、そのための専門委員会を設けまして、教育実習の円滑かつ効果的な実施を図るための方策について御検討をいただいているところでございます。  教育実習については、現在もちろん全般的に改善を図ることが必要でございますけれども、特に開放制のもとにおける、一般大学における中等教育教員の場合について、いろいろと困難な問題が生じているわけでございます。実際に教職につく者の数に比較をいたしまして、免許状を取得をする者、したがって、教育実習を受ける者の数が非常に多数に上っておりますので、受け入れ校の確保がむずかしい、あるいは教育実習の十分な実施が困難となって、形式的な実習に流れるというような御指摘をいただいているわけでございます。そこで、こういうような一般大学における教育実習の改善ということを中心として検討が進められております。  教育実習の改善を行いますためには、抜本的な制度の改善が必要であるという御指摘もあるわけでございますけれども、少なくとも現在の免許制度の枠内におきましても、できることはあるわけだと考えております。たとえば教育実習についての一般大学の体制をさらに整備をする。現在複数の学部がございます場合に、それぞれの学部がばらばらに教育実習を考えて、実施をしているという状況がございますが、それを大学において統一をして、大学としてより効果的に教育実習を運営をしていくという方策が考えられてしかるべきでございます。そういった大学としての教育実習の企画あるいは実施、評価、それを行うための学内の組織というようなものも考える必要がございます。さらに大学と受け入れ校との協力関係を増進をする。このために、教育委員会を含めまして、一定地域内の大学、実習校、教育委員会等の関係機関が相互に密接な連携を図るための連絡協議の組織を設ける、そういったこともこれから進めてまいらなければならないことでございます。  さらに、実習生の水準向上と指導の充実強化という点から考えましても、できる限り教育実習を受ける者の数を精選をしてもらう。各大学における教職関係の単位の取り方、あるいは教科専門科目の単位の取り方、そういった者を十分に大学でチェックをしていただいて、十分に大学における勉学を積み、また教員となるための積極的な意欲を持っている者を精選をして、教育実習を受けさせるような工夫をするということは、現在の制度の枠内においても、大学の御判断でかなりできることでございますし、また実際にその点を進めておられる大学もあるわけでございますから、そういった実習生の精選ということもお考えをいただく。  あるいは、そういった者に対して、実習を受ける場合の十分なオリエンテーションをしていただく。さらに、実習についても受け入れ校の指導に任せっぱなしにするというのではなくて、やはり送り出す大学の側で、教育実習についてより十分な指導の体制というものを考えていただくというようなことも必要なことであり、そういった幾つかの点は現行の制度の中でもできることでございます。これらについては、現在教養審で御検討いただいているわけでございますけれども、そういった点について各大学の御理解と御協力を得ながら、充実を見るように進めてまいりたいと考えているわけでございます。
  222. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 同じ教養審建議の中に、特に新任教員については「採用後一年程度」という、非常に強調された「一年」という実地修練を打ち出しております。こういう意見に対して、五十二年度から新規採用教員の研修というものが実施されているわけですが、どのような実施がされておりますでしょうか。
  223. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 五十二年度から新採用教員につきまして、新たに授業研修というものを実施していただくことにしたわけでございます。従来も新採用教員について、公務員として、教員としての服務関係とか、あるいは教育制度全般に関する実際的な知識とか、こういうことは坐学として勉強していただいておりますが、やはり教員として必要な実際に教育の現場に臨んでの児童の指導ということになりますと、ただいま御指摘がありましたように、現在の開放制教員養成では、必ずしも十分な教育実習を積んできていない先生もおられるということでございますので、この五十二年度からの授業研修では、そういう点について先輩教員の指導のもとに、その先輩現実の授業を参観し、あるいは自分で先輩の指導のもとに授業をやってみて、いろいろ教えていただく、こういうような機会を設けるべく、その期間を約十日としておるわけでございますが、私どもこの期間をもってもちろん十分とするわけではありませんけれども、さしあたって、いま申しましたような見地から、この研修を新採用教員について全面的に実施をするということで発足したわけでございます。
  224. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 「一年程度」と言っている意見に対して、十日というのは、非常にいいかげんだと、こういうふうに言わざるを得ないわけです。  その実施の状況ですけれども、この十日間というのはどういうふうに行われているのでしょうか。
  225. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 失礼ですけれども、一年というのが十日というのはちょっといいかげんだとおっしゃいますけれども、一年ということになりますと、これは全くその間の新採用教員の身分をどうするか、給与をどうするか、あるいは一体免許制度はそのままでいいかどうかと、全く次元の違う問題になりますので、これは非常に大きな課題でございますから、私どもはそれはそれとして研究はいたしておりますけれども、現段階ではとてもすぐに手がつけられないということで、十日というのは非常に短いようにお考えと思いますけれども、趣旨はそういうことでございますので、ひとつ御理解をいただきたい。  それで、やり方ですけれども、これは大体十日一遍に全部新採用の先生が休むというわけにはいきませんので、大体三日か四日ぐらい一くくりとしまして、一学期の間にポツンポツンと期間を設定してやっていただく。そのやり方も、大体各県で教育事務所単位ぐらいに先生に集まっていただいて、その実施する学校も数校、練達の先生がおられるようなところを指してそこでやっていただく、こういうやり方をしておるわけでございます。
  226. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 非常におざなりでいいかげんで、まあやればいいんだという感じが、私はいまの御答弁でむき出しになっていると思うのですね。確かに新任教員の実地修練というのは大変だとは思います。けれども、これはやらなければならないと思うのです。やると決めた以上は、もう少し私は文部省も都道府県任せじゃなくて、予算をもっとしっかりつけて、そして本腰にやっていくようにしていただきたいと思います。  私も教員を長い間経験しておりまして、こういった実地修練というものが行われれば非常に力がつくと、こういうふうに切実に感じておりますので申し上げるわけで、ぜひもっと段階的に、期間的にも、内容的にも改善すべきそうした前向きのお答えをぜひいただきたいと思います。
  227. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 柏原先生指摘の一年というのは、まさに試補という制度的なものに絡んでくる問題になってまいります。試補制度と申しますか、教養審等で二通りのお考えがあるわけでございまして、免許の問題に直接関連をして、一年間は正式なもう免許は与えないで、その間研修をする、あるいはまたもう一つの方法としては、免許を与えておくけれども、一年間はもう教壇に立たないで、その間研修ただいちずにしていただく。どちらにいたしましても、これはやはり免許制度全体、免許基準全体の問題と絡めて検討いたしませんと、大変な数の先生方の定員をそこで一挙に増大をしなきゃなりません。そうして、新規に学校卒業なさって、一年間のその研修の間をどこでどういうふうに、だれが教えて、その一年間の研修を持つか、余り簡単に実はスタートができない。望ましいことではあると考えますけれども、確かに教員方々資質の高まりはもう期待のできることではありますけれども、やはり免許制度全体、免許基準全体、それをやりますための各種、各様の基盤の整備をやっての上で考えなければなりません、取り組まなければならない問題でございます。私どもといたしましては、おざなりだというおしかりを受けましたけれども、当面でき得る最大限の努力をいたしておることでございまして、その一年ということは、ただいま申し上げましたように、免許のあり方全体と取り組めるような基盤整備ができた後において、これは検討をしなければならない将来の重要課題であるという認識を持っておりますということをきょうは御答弁をさしていただきたいと思います。
  228. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 最後に、教員養成を行う大学あり方一つの問題として、短期大学について、教養審では何点かの改善点を提案しておりますが、この点について文部省としてはどういうお考えをお持ちでしょうか。
  229. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、四十七年の教養審建議におきましては、教員養成は四年制の大学学部で行うことを原則として掲げております。そして、短大の卒業生には初級免許状を与える、そして研修によって普通免許状を取得する努力義務を課する、そういった点であるとか、あるいは修業年限の延長であるとか、期限つき免許状の授与などについても検討をすべきであるというような御指摘がございます。私どもはやはり現在短期大学が、小学校教員あるいは幼稚園の教員等の養成について、非常に大きな役割りを果たしているということは十分に認めますし、また一面、教員養成審議会が御指摘になっておりますように、短大における教員養成というものについて、さらにその改善を図っていかなければならないという点も、これまた十分に意識をしているわけでございます。五十二年の三月に卒業した者の中で、小学校教員として就職した者は約一万二千百人、そのうち短期大学等を卒業した者が千六百、一二%でございます。中学校教員の場合には、短大の卒業生は約三百人、四%が就職をしております。小学校教員において短大の占める率というのは、昭和四十五年当時の二七・八%から五十二年の一三・一%に逐次減少をしております。一面、幼稚園の場合には、四十五年当時九六・九%のものが五十二年でもなお九四・五%というように、非常に高いシェアを占めているわけでございます。こういった教員の需給の状況というものを見ながら、短大卒の教員免許状をどのようにするかということについては、今後免許制度検討する場合の一つの課題になる、そのように考えているわけでございます。
  230. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 最初に、文部大臣一つお伺いをしたいわけであります。  前回の委員会では参考人を招致をいたしまして、そしてるる御意見を聞いたわけであります。この中で私は、長尾先生が特に生い立ちとしては、教員養成系の学校を経過しながら、そして教育大の教鞭もとり、その上で今日教育学者として歩んでこられる上で、教育学というものは、その生い立ちからしても技術学の性格を持つものだと、こういうことを言っておられるわけですね。まあこれが一種の実学の中に落ち込んでしまうと、処方せん学というようなことになって、能率主義、効率主義と、まあ果ては固定した物差しで、一時は効率が上がりそうに見えるような方向になりやすいものだ。同時にまたこれが学としてずうっと成長してくると、一面ではまたアカデミズム志向というものも、それに対して生まれてくることがある、こういう状況の中で、現場の教育学を専攻される方々の中で、教育教育という概念の学の発達というものがいま取り組まれているというような話を感銘深く聞いておったわけです。  この教員の質の問題ということになりますと、やっぱり教育の諸科学、その発達にも従いながら、いろいろ意見が分かれるところである。いずれこういう点で、いろいろ危惧される点も、今度の教員養成大学が効率主義の実学的なものに落ち込んでいくのじゃないかという一つの危惧の念が学界の中に存在しているということは確かなことだと思いますし、その点で文部大臣は今度の新設、既設を問わず、この教育学の学問としての発展を、教育教育の確立という方向を願われる立場で御勉強であるのかどうか、それをまずひとつお伺いした上で質問を続けたいと思います。
  231. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 大変アカデミックな御質問でございまして、的確に御答弁ができるかどうかちょっと疑問でございますけれども教育学というものは、私はまだ確立された学問になっていないんではないだろうか。それはやはりこの領域の学問としての歴史が浅いということも非常に大きな原因があると思います。参考人の御意見も私メモで拝見をさせていただいておりますけれども、この教育学をりっぱに確立をさせていく、それが能率主義や固定主義に落ち込んでしまうことは絶対に避けなければいかぬということ、私は全く同感でございます。そしてまた今回の教員大学大学院が創設されますことも、私は教育学が学としてりっぱに確立され、成長されていきますことに、大きな刺激を与え得るものではないだろうか、このように考えるものでございます。
  232. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 まあ慎重な御答弁であったかと思うわけですが、私はここで局長の方にお伺いをするわけです。  すでに前質問者、あるいは衆議院でも繰り返し出されている課題でありますけれども、現在、教育学の発展とも見合いながら、既設の各大学で長期にわたって大学院設置を望まれるという動きが続いてきておったわけですね。戦後の新学制以降二十年たって、ようやく東京、大阪と大学院修士課程として設置をされ、今度既設大学愛知で三番目。なかなかこういう点から見れば、足取りが早かったとは私は言えないと思いますし、局長もその点では同感であろうと思うわけであります。この点、意欲はあっても、なかなか当事者の意欲もあり、文部省の方でも、これは発展を望まれる方向で当たってこられたと思うわけでありますが、それを阻んだ要因というのは、るる答えられる中で、教育体制の充実と、そしてそれを踏まえた大学での修士課程大学院設置の構想がどのように具体的にまとまってくるか、こういったふうな状況の中に、なかなかむずかしいところがあったんだと。その点、将来展望を言えと言われても、そう急に、十三現時点で要望が出ておるのを、何年までに幾つぐらいのことをいたしますということは、言うことができないというふうに言われておると思うんです。この点は、それは学問としての、学部研究体制の充実発展と、その上に大学院を形成するという一つ大学の基準と申しますか、学問のレベルというところから出てくるものだと思うわけですが、その点について、そういうことであるのかどうか、今後の見通しについて、改めて簡潔にお伺いしたいと思うんです。
  233. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) まさに御指摘のように、これまでの教員養成大学学部発展の沿革的な事情もありまして、教育研究組織教育研究の体制の整備が十分に進まなかったという点と、もう一つは、それに見合ったことでもございますけれども、各大学における大学院設置のための構想についての検討というものが、なお十分に進んでこなかったという両方の面があります。さらに言えば、それは大学だけの責任ではなくて、文部省の側においても、各大学における修士の課程の整備ということについて、大学側の努力を助けながら、それをできるだけ推進をするという姿勢において、やや欠けている点があったということを率直に考えるわけでございます。それらの諸点については、現在はすでに今年度から愛知教育大学修士課程の設置を考えておりますように、大学側の努力期待しながら、われわれもできるだけの積極的に対応していきたい。そのために大学院の設置審査の基準についても、もう一度設置審議会で見直しをしていただくということまでを含めて、現在検討しているわけでございます。教員大学の整備とあわせて、これから逐年、これは大学側の構想充実状況、さらには財政当局、その他の関係省庁との折衝というものがあるわけでございますけれども、私どもといたしましては、できるだけ計画的に逐次修士の課程を設置してまいりたいと考えているわけでございます。
  234. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 初めて大学院が設置される際には、昭和四十一年の三月十一日、教員養成大学に設置される大学院に関する審査方針というのが出されて、ここで大学院の目的、性格なり、それの基準なりをお定めになったわけですけれども、これについて見直しをやろうということなんですか。
  235. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり、この審査方針におきまして、教員養成大学学部大学院の目的、性格なり、あるいは研究科に必要な専攻の数、専攻の諸分野、必要な教員数等について定められているわけでございます。四十一年に決められて、その後一部変更はございましたけれども基本的には四十一年のままで現在対応をしているわけでございます。その後、国大協あるいは教育大学協会における教員養成系の大学院あり方についての御検討が進んでおりますし、教員養成大学学部で現在現に検討されております大学院構想等のことも考えまして、現在、大学設置審議会の、大学設置分科会の関係の専門委員会に審査方針の再検討をお願いをしているわけでございます。
  236. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 今日以降いろいろ審査方針についても緩和というのか、見直し、さまざまな点で手直しをされようというのは、それは大学先生方の方にも御要望のあることですから、よく連絡をとって意見を反映していただいたらよい方向だと思うわけですけれども、とりあえず現在設置しようとされておる上越、それから兵庫の場合には、これは四十一年三月十一日の、いまも生きておるこの審査方針によって行われるものじゃないかと思うのですが、その点はどうですか。
  237. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学院と申しますか、教員大学構想については、もちろん事前に大学設置審議会の方に御披露をして、こういう形で法案を提出するということについては御説明をし、御了解を得ているわけでございます。具体的に法案が成立をし、大学を設置するということになりますと、五十五年の学生受け入れを控えまして、逐次教官組織を整えてまいるわけでございます。その教官組織を整える段階で、大学設置審議会の資格審査を経ていくわけでございます。もちろん現在の私ども検討というのは、現在の審査方針に従って検討をしているわけでございますけれども教員大学、あるいはこれからつくっていきます既設の教員養成大学学部修士課程を含めまして、現在の大学設置審議会における基準の見直しということがあるわけでございます。実際に、この大学大学院が設置審議会の審査を受ける段階には、審査方針というのは新しいものになっていくということを期待をしておるわけでございます。
  238. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 審査方針の見直しが行われて、現代に適合する審査方針がその時点では確立をするであろうと言われる限りでは、それは今後設置されるであろう既設大学大学院に対しても、そうしていま提案をされておる二つ大学院、あるいは鳴門で考えられておる構想等に等しく作用するものとして考えられるわけでしょうね。
  239. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおりでございます。特に教員大学について特別な取り扱いをするために御検討いただいていることではございません。
  240. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 わかり切った話をするようでありますけれども、それは一つ大学院をつくろうとすれば、マル合の教官を確保するだけでも、それはまた大変なものになる。大体修士課程を置いて、研究組織を整えるということになれば、学科目制をしいてやってきたところでも、まあこれはとりあえず、研究組織は、大学院の中では講座制という姿を整えて、そうして東京にしろ大阪にしろやってきておる。こういうものに対して、いまから何がしかの緩和なり手を加えようということを考えられておるのですか。この手直しというのは一体何を意味するわけですか。
  241. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 衆議院でもお答えを申し上げましたように、審査方針の中に掲げられております大学院の目的、性格のところは、文言が不適切な点がありますから、これは改めなければならないということがございます。  それからもう一つは、いま御指摘の専攻の数、それに見合ったそれぞれの専攻ごとのマル合の教官の数、あるいは合の教官の数、そういったものについて、これは基準をいわば緩めて、より安易につくれるようにするという趣旨では毛頭ございませんけれども、教科間のバランスその他をもう一度専門委員会として御判断をいただきたい、あるいはマル合なり、合なりの教官の判定をする場合の審査の基準というものについて、研究論文の数ということに余りに偏重した審査ということではなくて、もう少し教育経験、あるいは教育の実績といったものを、分野によってはより重く判断をするようなお考えができないか、そういった点が主として検討の対象になってまいると思います。
  242. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 目的等についてもあるでしょうけれども現実に発足をしておる東京もしくは大阪のこの修士課程あり方も、いまの段階で見てみますと、みんな講座当たり大体マル合一人を含みながら二人の教官がおられると、こういうかっこうで進めてきておられる。そして大体学生がそこに二人つく、講座当たり。こういうかっこうで進めてきておられると思うんですが、その点については大体その基本でやっていこうとされておるわけですか。
  243. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これから大学院考えていく場合に、どのように専攻を立てていくのか、そしてその専攻を立てていく場合に、御指摘のような基礎となる講座について、現在のようないわゆる狭い講座で対応するのか、あるいは愛知教育でも考えておりますような大講座というものを考えてそれで対応していくのか、それは大学側のこれからの御工夫があるわけでございます。また、そういった全体の大学院における教育研究あり方として、総合科、専門科というものをどのようにうまく統合をし調整をしていくかということが課題になっているところでもございますので、そうした講座のあり方というものも、必ずしも現在の講座のあり方に限定をすることなく対応できるような措置を考えていかなければならないわけでございます。そういったことを考えるにしましても、もちろんそれぞれの専攻ごとに、その専攻のくくり方によりますけれども、マル合の教官が何名、合の教官が何名必要とするということは基本として変わることではないわけでございます。そういった点についての御検討をいただいているわけでございます。
  244. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 募集定員数が、東京の場合には十の専攻に対して百五十六人、大阪の場合には七つの専攻に対して七十八人になっておる。大阪で初めて設置されたときから今日までの十年に余る経験を見ておりますと、初めは三十講座ぐらい開いて、その程度のものであったのが、講座数もたしか倍くらいにふえてきて、こうして十年間の研究体制を積み上げておるわけであります。これが東京の場合にも大体同様なことで進んでおると私は承知しているんですが、これが一つ大学という研究の場を、これを維持をしていく基本的パターンであって、この点について、それは新しいやり方をとるにしても、いまから改善の余地はあろうかと思いますけれども、この基礎というのは現在でも新しい大学についても、大体適用されていく方向なんじゃなかろうかと思うんですが、その点はいかがですか。
  245. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学院の基礎となる教育研究の体制が整っていなければならないということは御指摘のとおりであり、そのことについては変わるものではございません。各大学ともそれぞれ最初から十一の専攻を立てるというようなことはなかなかできませんから、最初はやはり四専攻程度でスタートをする、そして逐年整備を進めていって、理想の形に近づいていくという過程をとっていくであろうと思います。しかし、現在の既設の教員養成大学大学院の場合には、学校教育専攻、あるいは障害児教育専攻のほかは、教科別に細分化された専攻が置かれているわけでございます。これに対して教員大学の場合には、学校教育専攻、教科領域教育専攻、幼児教育専攻、障害児教育専攻というような大きなくくりで専攻を立てます。しかし、その専攻の内容となるところについては、既設の大学と同じような、やはり教育研究組織の厚みと申しますか、広がりと申しますか、それを十分に持って専攻を立てていくわけでございます。これから既設の大学が修士の課程を整えていく場合にも、大学によっていろいろな御工夫をなさいますから、東京学芸なり、あるいは大阪教育が従来立てておるような教科別に細分化された専攻の形で立てていくかどうか、これはこれからの大学の御検討によるところかと思います。
  246. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 なかなかすっきりした答弁をされるわけですけれども、私がこれらのいきさつをずっとながめておりますと、確かにこの教育系大学は師範以来の伝統もあり、出発点から博士課程を置いておるところなんかに比べて、生い立ちが違いますし、学部研究体制も違う、こういうようなところから修士課程を置くのにも非常に苦労をされた。それから博士課程ということになれば、まだ将来課題であって目鼻も立っていない。こういう状況の中でやってこられたと思うわけであります。そして二十年にしてようやく東京、大阪に大学院が設置をされたという状況だ。ここのところで四十一年の時期のなにを見ますと、ここでようやく大学院を設置するということに立ち至ったのは、その時期にもプッシュする一つの社会要請として、現職教員を、この研究を深めるものとして大学院を設置するのなら、そういう目的のもとにひとつ、いままでは学問的熟度が低いとか、さまざまな条件が足らぬというようなことを言ってなかなか置かなかったのだけれども、あの時点でも現職教育ということを一つの大きな要因にして、これを目的にうたって、そうして大学院を設置することになったというふうに私は承知しているのですけれども、そうではないのですか。
  247. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) その点は私も先生と同じように理解をしております。まさにそういう趣旨のものとして東京学芸の場合も、大阪教育の場合も修士の課程構想されたはずでございました。
  248. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 大阪の場合には確かに講座当たり学生二名となっておるのですが、現在東京学大の場合には講座当たり三名になっているのじゃありませんですか。
  249. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 東京学芸の場合はマル合の教官一人に対して入学定員で三名、そのうち一人は現職先生を充てるというたてまえになっていると承知をしております。大阪教育の場合にはマル合一人に対して入学定員が二人でございます。
  250. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 確かに設置に踏み切って、設置の方向に踏み出して、そして審査方針を打ち立てた段階では、東京学大の場合には三分の一は現職教員になるはずであった。いわばそれが条件になって修士課程大学院づくりがされた。しかし、今日に至るまで、その限りでは目的に合致するような結果はあらわれてこなかったというのがこれが推移であろうと思うのです。  私はここで二つ問題点を感じるわけです。一つは、一般に行われておる講座の立て方に比べて現職教員を収容する教員養成大学大学院をつくるとなったら、俄然講座当たり三人ということで、いわばプラス一として現職をはめ込むというような考え方で、初めて教員大学に対しても修士課程を置くことにした、こういうことにならないと、予算の措置、そして大学院の設置というのは行われないのかという問題です。結果は意に反して、東京学芸大はそれで修士課程をつくってしまいますと、入学試験でぼんぼんと英語のむずかしい問題などを出して、現場の人は落っこちてしまって、そしてちょっと文部省だまされたようなかっこうになっておりますけれども、こうなりますと、改めてそれじゃもっと言うことを聞く大学をつくろうかというようなことでは、私は先ほど大臣にもお尋ねをしたんですけれども、学問の頂点を高くして、そして研究を通じて現場の質を引き上げていくということにはつながらない考え方になるんじゃなかろうか。  もう一つお伺いをするわけですけれども、こうしてしばしば制度改革について、情勢の発展について刺激をしてくれる中教審の答申では、講座当たりの学生数というのは一体何人になっていますか。
  251. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 最初に、先ほどのお答えについて若干補足をいたしますけれども、東京学芸の場合には、もちろんスタートのときは大阪教育と同じように、マル合一人当たり二人でスタートをしているわけでございます。しかし、それは東京学芸、大阪教育を通じて、現職先生をできるだけ受け入れるということを前提にして修士の構想はできたわけでございます。しかし、その後残念ながらいろいろな事情がありまして、現職先生方がなかなか大学に進学できないという状況がございました。東京学芸の場合には、先般の太田参考人も述べておりますように、その点についての反省があり、より積極的に現職先生を受け入れていこうという大学の姿勢が出てまいりました。それを受けて五十一年度から現職先生を一名加えてマル合一人当たり入学定員三人という措置をとったわけでございます。そういう意味では東京学芸の場合には五十一年度以降、より積極的に現職先生を受け入れていこうという姿勢が、大学として入学定員の上からも出てきているということは言えるわけでございます。中教審の答申において大学院教官一人当たりの入学定員をどのように定めていたかについては、私は残念ながら存じておりません。
  252. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 どうも私の聞くところでは、講座当たり教員養成大学大学院を設けていく場合には、八人ぐらいがよかろうというようなことをデータに挙げておったかというふうに思うわけです。ひとつお調べになったらと思うわけです。私はやっぱり外部からプッシュをして、そして大学の中で非常に大学院設置をすることができるような力量を蓄えながら、教育学を発展をさせて要求を上げていくこの状況に対しては、むしろ既設の旧帝大等のパターンとの比較で、なかなかこれを設置を認めないでおいて、そして功利的な目的のためのプッシュの中から、何がしかの変形を加えて、そしてこれを実施させていこうというふうな経過をたどっているのを、今度の場合にも繰り返していくなら、その結果はよくないだろうというふうに言わざるを得ないわけであります。こうやって、いずれにしてもそういうことがありながら、大学としては引き受けた限りで、大学としての良心を堅持し、その中で、目的も現職教員教育ということを掲げて出発をした限りで、私は大阪でも、東京でもかなりの努力をしてこられたと思うんです。私は大阪の住まいが現地にも近いので、先生方との接近の機会も多いんですけれども、夜間の学部を設けて、そして現職先生が全く自由に――新しい校舎にても移ったらとんでもない遠いところになってしまいますけれども、夜間の大学現職教員が研修をする、そういう体制をつくろうとして、一生懸命になって先生方努力をしておられるわけですね。これに対して目的を掲げて出発をさせて、初期の段階では比較的受験者の中にも現職が多かったわけですね。これが今度上越兵庫考えられているような、いわば現場の方から受験者に対する何らかの措置という点では全く顧みられることはなかった。今度改めて中教審の答申なり、教養審建議を受けて、何かバックで行政的な手段を講じて、既設のものの中で行われておる現職教育も含めた努力にこたえることなく、うまくいかなければ別途方法でというような考え方では、これは邪道であって、真っすぐ進むものじゃなかろうと思うんですが、そういう点について聞かれたところで、文部大臣いかがですか。
  253. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 新しく新構想をもってスタートいたします教員大学だけに期待をして、ほかの大学とは全く違う内容の現職教員教育をそこでやるということを前提にすれば、そういう先生の御議論が成り立つわけでございます。  私ども考えておりますのは、いま大阪の場合を例に挙げられましたけれども大学教官が夜間の大学を開いて、現職教員を受け入れるために努力をしておられる、そういう既存大学のそういった御努力が実ってくることを期待をしながら、既存大学学部充実大学院の新設も含めて、これからも充実努力をしてまいります。  新設の大学充実と新しくつくります教員大学が、両々相まってと申し上げておりますのは、教員大学だけに特別のこだわりを持っておるのではないということを、けさほどからお答えをしておるわけでございますから、どうぞ、その意味をひとつ御認識をいただきたいと思うのでございます。
  254. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 現職現給の教員大学院で学ぶことを、今度の二つ大学を設置されるに当たって、その期待を強調されるわけでありますけれども、これは、趣旨は、東京、大阪、愛知等に対しても、各県の市町村教育委員会、また県教育委員会理解について啓発をするというような態度を同時にとられるわけですか。
  255. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 現在もこの現職先生が一年程度の長期研修を国内大学についてやっている場合が相当あるわけでございます。ただ、大学院のように二年というのは従来ございませんでしたから、そこでほとんどそういう例はないわけでございますが、制度運営としては研修の代替に必要な定数を、先ほども申しましたように、現在千二百七十名ほど用意をいたしておるわけでありますが、今後この教員大学院の実際のスタートになりますと、この代替定数の増ということは当然われわれやらなければならない課題だというふうに考えておりますので、そういう面の努力と相まって、長期研修につきましても、それぞれの県の諸般の事情が許す範囲で、これを奨励していくようにということは私ども指導してまいりたいと思うわけでございます。
  256. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 いずれにしても、二十年目に二つ大学、もう後十年たってさらに愛知にふえる、これだけやっぱり資格のある教官をそろえて、そして厚みのある出発をしようということは、なかなかかりそめにもいかないことでありますが、今度は数年を経ずして大学院二つオープンするわけでありますけれども、それについてマル合の教官をそろえ、スタッフをそろえて、一挙に出発できるということについての見通しはどうして立てられているのか。あたり近所からつまみ食いをして先生でも引き上げていくのか。それともいままでのようにやっておったのではなかなか得られないので、たとえば学問的実績の範疇をかなり緩和されて、たとえば学校管理読本なんというのを書いた人は、これは学術上の労作だというようなことで一挙にお広げになるのか。その辺のところについても、なかなかイメージが浮かんでこなくて、私ばかりじゃなくて、大学先生方に聞いてみても、これはどうやってやっていくのかということを、ちょっとわかりかねるというふうに言われる先生方も多いわけですが、その辺のところはどうなんですか。
  257. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 先ほど大臣からもお答えを申し上げましたように、広く国・公・私立の大学先生方から人材を求めるということを考えて、それぞれの創設準備室で現在そのための準備をしているわけでございます。確かに教員養成大学がこれまで修士の課程を持つことがなかなかできなかったということの背景には、それぞれの大学における教官組織というものが十分な厚みを持って整備されていなかったという状況はございますけれども、それぞれの大学における教官組織もようやくにして厚みを持って、整備をされる段階に進んできているわけでございます。教員大学教官組織につきましても、私たちはこの大学の趣旨に賛同される先生方もたくさんおいでなりますし、既設の教員養成大学学部に御迷惑をおかけをするというようなことを避けながら、十分な教官組織を整えていくということは可能であるという見通しを持っているわけでございます。もちろんこの両大学の場合にも、一挙に全部の大学院の専攻をあけるわけではございません。やはり年次計画を持って逐次整備をしていくわけでございます。
  258. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 自信を持って言われるわけですけれども、自信の根拠がどうも私は具体的に示されたことになっていないと思うんです。もしこれが私立大学の設置であったら、二年前から審査会に対して具体的な内容、資料を全部出さなければ、これは認可をしてもらうこともできないと思うわけであります。これがもうすでに五十五年には、兵庫の方では大学院をオープンをすると、そしてあと残すところ、五十三年に大学設置は実行されて、五十五年にはオープンをするということでありますけれども、これについてるる期待と、あってほしい姿を述べられるのでありますけれども、これの手続をながめますと、みんなそれはいまから決まってくる問題になっております。現職教員研究研さん機会の確保、このために入学定員を特に現職用に定めておくと言われるのでありますけれども、   〔委員長退席、理事後藤正夫君着席〕 入学定員を決めるのはこれは学則ではないのかと、大学ができないうちに文部大臣の口から学則が語られるというのは、これは一体どういうことなのであろう。この大学にだけ現職現給の教員がやってくるということになるわけで、期待をされておるわけですけれども、これを決めるものは、これは任命権者、月給を払っておるのは府県であり、服務上の監督をしておるのは市町村の教育委員会である。容易なことではないからして、大阪でも、東京でもこの面からもうまくいかなかったわけであります。この点については、大学の学則の中にこういうことが書き入れられるという保証があるのかと。それからもう一つは、現職現給の教員期待される上では、国の方として行政上の誘導措置を具体的に持っておられるのか、国立関係の義務制学校ですね。ここの中から希望が出たときには、それじゃモデルプランとして具体的にこういうふうにいたします。これは直轄ですから文部省で決められることだと思うんですけれども、そういうプランを持っておられるのか。こういうものがもし提示されますなら、それはこの大学先生方も、法案審議するわれわれも、もっと詰めた協議をすることができると思うんです。これらについてすでにあれこれの場面で触れてきておられるわけですけれども、まとめてお伺いをしたい。特に選抜方法等については、これら大学ができて普通には大学学部の教授会でもって決めて、大学院と一元化してやっておるわけであります。ところが東京、大阪とは違って、この大学ではこうするんだということを、大学がないうちから約束をされるわけでありますけれども、それについては何か手が打ってあるのかどうか、その辺のところもお伺いをしておきたいと思うんです。
  259. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり、大学をどのような大学としてつくっていくかということは、まさに大学の創設に関与される大学人がお決めになることであり、あるいは法律をもって大学が設置された後における学長を中心とする創設に当たられる方々判断をされる事柄に属するわけでございます。   〔理事後藤正夫君退席、委員長着席〕 したがって、この教員大学構想についても、現在の段階でこういう方向で進むのだということを詳細にわたって私どもからなかなか申し上げにくい点があることについて、これまでもぜひ御理解をいただきたいということを申し上げてきたわけでございます。しかし、現職先生を三分の二受け入れるということについては、これはこれまで創設準備室における考え方もその点において固まっておりますし、私たちもそれが適切であると判断をしているわけでございますから、現在大学の創設を準備している創設準備室長なり、副室長なりを中心とした方々の御意見として、大学が創設された場合にはそれが学則に規定をされるということを前提として御説明を申し上げているわけでございます。大学大学人の手によってつくられるという点におきまして、私どもが新しくできる大学について、その細部にわたるまで拘束をするようなことが、文部省として取り決めることはできないというのは御指摘のとおりでございますけれども、やはり基本的な方向については、御審議をいただく以上は、創設準備室のお考えを十分に踏まえて、大学の創設に当たっている現在の段階の考え方として、御説明をしているわけでございます。
  260. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 各府県、市町村の教育委員会の協力によって、大体新設二大学については大学院の院生を確保していこうという構想はよくわかるわけでありますけれども、これがどのように成り行きで進んでいくかというのは、これまた大学先生方ばかりでなく、日教組もそうでありましょうし、多くの関心が集まるところです。  ここで念を押しておきたいわけですけれども衆議院の審議の中で、この点のあり方については、文部省で四月十二日に見解を出しておられるわけです。市町村教育委員会、これが大体同意書を出す、しかし大学院受験の同意を与えるに際しては、任命権者である都道府県教育委員会が長期研修について定めるところによるとともに、都道府県委員会の同意を得て行うことになると考えていると、これは現在こういう見解でやっていかれるわけですか。
  261. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 同意を与えるのは市町村の教育委員会が服務の監督をし、そして研修のための出張を命ずる立場にあるわけでございますから、市町村の教育委員会が同意を与える。しかし県全体の研修計画がございますので、それとの整合性を考えて、県としてどの先生に受験をしてもらうか、どの先生が合格をすれば二年にわたって大学院で勉強してもらうかということについての判断をしていただくわけでございますから、その場合には、市町村の教育委員会は当然に県の教育委員会と十分に御相談になり、県の教育委員会の全体的な御判断というものに基づいて、市町村の教育委員会が同意を与える、そういう運びになると考えます。
  262. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 都道府県の定めるところにより、都道府県が大体財政の枠内で同意をやるということになってくると、今日の研修規定がそのまま院生の選抜に対して作用してくるということに必然的になるわけでありますが、研修規程というのを二、三各県のものをながめてみますと、これは大学が入試選抜を行って、そして修士を養成するということと必ずしも合致するかしないか、憲法のもとにつくられた教育基本法、学校教育法の中でずっとうたっておる教師の倫理としての自発的な研修というものと、どう合致するのかで疑点なきを得ないことになるわけです。特に私の手元にいまあるのは、研修規程の例として、山口県などのものを並べますと、「山口県教育改善刷新に貢献し得る」有為な人材を「育成する目的をもって、」「適任者を選抜し、」「派遣する」、こうなっておるわけです。こういう人でなければ来れないということに、これは露骨になるわけです。香川県なんかの場合にながめてみますと、「教育長の適当と認めるもの」を「研修生」と呼んでやっている。ここではその都度募集をするけれども、選抜権は教育委員会が持っておる。だから実際上は、これ市町村が同意書を出すという以上、県教委がやることになります。福岡ぐらいになると幾らかちょっと開けたようなところもありまして、「公募し」、こうなっておりまして「教育長が選考」する。いずれもそういうことであります。  こういう状況で、枠づきのいわば受験資格者か定められていくということになれば、先ほど審査基準の中で、局長の方から誤解を招くから外したいと言われた四十一年段階のあの基準が、ずばりとこの手続の中で生き返ってくるということになると思いますが、いかがですか。
  263. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在各県で定めております、御指摘の「教育研究生派遣規程」その他の規程というのは、これは現在の一年程度の長期の、いわゆる内地留学と申しますか、そういったことをいわば前提として考えられているものであり、しかもその内容を拝見をいたしますと、県立の学校先生の場合であっても、市・町・村立学校先生の場合であっても、同じような形で一つの規程の中に盛り込んで書いておられるようでございます。大学院において現職先生方が二年にわたって現職のままで研さんを積まれる、そういう形で勉学をされるということをどのように受けとめていくかということについては、それぞれの県の教育委員会におきましても、もう一度関係の規程の見直しをしていただくことにならざるを得ないと思います。そういった点は、初中局の方とも御相談をしながら、県の教育長協議会とも御相談をして、適切な規則が定められていくように、私たちも配慮をしてまいりたいと思います。
  264. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 先ほど局長は、昭和四十一年三月十一日の「審査方針」の中で、適切でない部分があり、誤解がないように設置審議会に対して修正をお願いすると言われた部分があるわけですが、これは教員資質能力を向上させるという中に、具体的に目的を書き入れまして、「義務教育学校の指導的立場に立ちうる者」「校長、教頭」云々というふうに職制名が挙がっておるもので、こういうものは既設大学、新たにつくられる大学、いずれに対してもいわば誤解を招くおそれのあるもので、修正するのが今日にふさわしいものだということを言われたわけですね。その点間違いありませんですね。
  265. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学院で勉強をしていただくわけでございますから、その先生がそれぞれ学校教育現場において指導的な立場に立ってほしいということを願うのは当然でございますけれども、括弧書きで書いてある「校長、教頭、指導主事」というような文言というのは、あたかも大学院における研さんというのが、もっぱらそういった校長、教頭等の養成を趣旨とするかのごとくに受け取られるきらいがございます。それは本旨でございませんので、その点の表現は改めることを設置審議会に求めるわけでございます。
  266. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 その点の表現を改めるなどと言われまして、内容が確保されておったら、これはどうにもならぬわけでありますが、手続上各県ではやっぱり指導的な、ずばり言えばあそこに書き記されたような人たちを目的別に、これはお金も出して派遣するんですから、厳格にみずからの規程の中で盛っておるのですから、その点につきましては、各県を指導されるに当たりましては、今回養成されるものは、そう短絡的にやっぱり府県で直接功利的目的に利用しようというようなことにはならないのでありますから、その点につきましては、趣旨についても、あらかじめいま明らかにされたような問題について、各府県に対しても周知してもらうという必要があろうかと思うわけですが、大臣いかがでしょう、その点は。
  267. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) おっしゃるとおりでございます。いま幾つかの、たとえば山口県等の教育委員会が持っておられます長期研修のいろいろな定めをお読みでございましたけれども、これはやはり山口県なら山口県の教育委員会が、みずから計画をなさった長期研修、したがって、山口県で選考されて、その長期研修に山口県で派遣をされる、そういう趣旨のもとの長期研修でありますから、そのような規程があるのではないかと考えます。それはそれで私はごもっともなことであったと思うのです。ですけれども、今度のこの教員大学というものは、現場の教員大学院におけるより高度の研究研さん意欲にこたえようという趣旨のもとに創設されます大学でございますから、その意味では各都道府県の教育委員会が計画をした長期研修とは、もう基本的に趣旨が異なるわけでございます。ですから、そういう立場に立って各都道府県教育委員会が、どういう方に対して同意を与えるかということを考えていただかなきゃなりませんので、当然一般の長期研修の場合のように、全体の研修計画でありますとか、定数、予算、後任人事という問題が関連をしてまいります、そのことは考慮しないではできることではありませんけれども、同意というものは、これはもうあくまでも市町村教育委員会における同意なのであって、都道府県の教育委員会考えなければなりません定数、予算、後任人事というようなことは、それは市町村教育委員会が府県の承諾を得て、市町村教育委員会が同意を与えるのであって、教育委員会の選考ということ、教育委員会の派遣ということ、これはもうもちろん現給で派遣をする意味では派遣でございますけれども、従来の都道府県教育委員会がみずから計画をした長期研修の場合とは基本的には違う、そのことを都道府県教育委員会にも十分御認識いただくように、先ほど初中局長からもお答えをいたしましたような、私どもも都道府県教育委員会の御理解をいただくような指導をしてまいることにいたしております。
  268. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 いまの時点ではそこまでの答弁を伺っておくわけでありますが、これは衆議院の記録を読んでみますと、同じく参考人の意見陳述の中で、衆議院の方では和歌山大学の山田先生の方からやっぱり師範、師範と、こういうふうに言う人があるんだけれども、師範以来のやっぱり「学」としての伝統を踏まえて、その中には幾多の研究資料も累積をされており、その上に、学部というのは研究をするところであるわけですから、こういう状況の中から、もし大学院への道が開かれるなら、いままでの積み上げの上にも大きな発展の道があるけれども、今日のスケールでは直ちに大学院を設置するようにならないというので、大学院連合の構想なんかに対する切実な御希望の声なんかも上がっておるわけですけれども、どうしてもこれらの問題が並行して進められなければならぬ、繰り返すようでありますけれども、二十年かかって二つ大学、これが現職教育と引きかえに出てまいりまして、その後十年たって一つと、そこに八つの、あるいは九つのブロックに大学を置けというような力の強い方からの意見が出て、そうしてようやく動き始めるというような状況で動いておるものに対して、やっぱり実学とアカデミズムの統一の上に、その点は学問の自由、独立というものを堅持して進んでいただきたいということを本日は申し上げまして、また他の問題については次の機会に御質問申し上げます。
  269. 吉田実

    委員長吉田実君) 本件に対する質疑は本日はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時三十分散会