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宮之原貞光君 これは後ほど
質問をし、またお互い議論しておかなければならない免許法の問題とも関連をするところの問題ですが、
小学校の現在の
課程の学生で、一部に中
学校あるいは高等
学校の単位の取得に力を注ぐところの傾向がある、そのことも私は事実だと思うのですよ。あるいはまた妙な風潮として、
小学校の
先生よりは中
学校の
先生が偉いのだ、中
学校よりは高等
学校が偉いのだという、こういう風潮のあることも私は否定しない、肯定する意味でなくてね。確かに
免許状を見てみましても、たとえば四十六年の統計の
状況を見ても、
小学校の
教育課程の卒業生のうちから、たとえば七六%が中
学校のものをとっておる、あるいは高等
学校のものをあわせて五九%、四千八百九十九名がとっているというこの事実、あるいはまた、中
学校の
教育課程の卒業生でも、高校のものを実に九九%もとっているという、こういう実情があり、これは逆に
皆さんの、ぜひともこの
教員大学の方に新しい
小学校課程をつくらなければならぬという口実を与えておるところの傾向もあるとは思います。しかし、この問題は、私は
学校をたくさんつくったからということで解決されるところの問題ではなくて、むしろ
免許状の単位のとり方の問題がこれでいいのか、ここにこそやはりお互いが議論をし、
改善すべき点があれば
改善をしていかなければならぬ
問題点があるのであって、そのことはたな上げをして、全教科担任の
小学校の
先生方に新しいものをもっとふやさなければならないということは、これまた若干筋違いの私は側面がある、こう言わざるを得ないのです。しかし、また一面では、こういう傾向があるからといって、すべて困ったものだ、けしからんというわけにも一概にいかぬと思いますよ、これは。それは先ほど申し上げたように、
小学校におけるところのものも、やはり全教科から、少なくとも高学年においては専科を大々的に取り上げていって、もう少し
教育効果を高めるという手立てがこれは必要なんですから、一人の
先生に八教科にみんな通じろと、これは無理の話なんですからね。だから、得手得手の
先生方が持っているところのものを、互いに交換し合いながらやるとか、あるいは大規模の
学校において、この専科制を取り入れていくということは、きわめて重要なことですが、このことが、いま申し上げたところの傾向に役立てるところの、やはり指導させていくということができれば、私はそれでまた
一つの解決策ができると思うのですね。したがって、そういう手立てを積極的に私は
文部省が講じられておるというなら話はわかるのですよ。その点はこういう事象があります、これではこうですと、だからこうですという別の問題を持ってきておるところに、非常に私は、この
教員大学構想の
一つのやはり
問題点について、いろんな疑念を覚えている点だということだけは、はっきりここで申し上げておきたいと思うのです。
それで尋ねてみたいのですけれ
ども、どうも先ほどの需給関係といい、あるいはまた、いま申し上げたところの
小学校の教科面からの問題といい、いろいろ
答弁を聞いてみますと、どうしても私が
理解いかないばかりか、実はこの問題と関連をして、局長、あなたが四月十二日の
衆議院文教委員会で発言をされたところの問題、言うならば、
小学校教育の
養成は、「事の性質上、国立の
養成大学学部で責任を持って供給をすべき分野である」云々と、こういうことを非常に強調されているのですね。そういたしますと、先ほどの需給関係の問題からみても、どうもおたくの説明は納得がつかない。おまけにこういうことから見ますと、これは、事少なくとも
小学校教育においては、この
免許状の問題においても閉鎖制にしてしまって、いわゆる私立の、特に
大学関係のこの
小学校の免許の取得の問題については、何か今後の方向としてチェックしていくんだという
一つの意図が感じられてならぬのですよ。特に女子の短大あたりはそういうことになると非常に大きな私は問題を巻き起こしかねないと感じておるわけなんですがね。本当にこの
答弁のように、
小学校はみんな
皆さんが責任を持っていくという
かっこうに相なるんですか、ならぬのですか。だとするならば、ちょうど
戦前の
師範学校みたいな
かっこうにならざるを得ないんですよね。私は少なくともやはりこの
開放制という
原則だけは維持されるべきだと思うんでありますけれ
ども、どうもあなたのこの四月十二日の
答弁を聞いてみて、それから先ほど来いろいろ需給関係やいまのこの
あり方の問題から関連をして聞いてみると、腑に落ちないし、疑点が残るんですが、その点いかがなんですか。