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参考人(飯島宗一君) 私は
教育部の専門家ではございませんが、本日私が
参考人として出席を求められましたゆえんは、私が広島
大学長として在職中、
国立大学協会の
教員養成制度特別
委員会の
委員長を務めておりました
関係によるものであると存じます。したがいまして、まずその立場を踏まえて所見を申し述べたいと存じますが、現在私は
国立大学協会を離れておりますので、以下申し述べるところの趣旨は、基本的には私の
個人的見解に過ぎないことをあらかじめ御了承いただきたいと存じます。
私が
国立大学協会特別
委員会の
委員長に在任中、この
委員会は教員
養成の問題について三編の
調査研究報告をとりまとめて公表いたしました。
その第一のものは、「教員
養成制度に関する
調査研究報告書−教員
養成制度の現状と
問題点−」と題するいわば総論的な報告でございまして、これは昭和四十七年の十一月に
国立大学協会から公表をいたしました。
第二のものは、「
教育系
大学・学部における
大学院の問題」と題するものでございまして、主として教員
養成大学学部における
大学院問題を論じたものでございます。この報告は昭和四十九年の十一月に公表いたしました。
第三のものは「
大学における教員
養成」と題する、主として国立
大学の教員
養成の現状の批判と反省を踏まえた報告でございまして、私の在任中その
構想が進展をし、私が退任して後、昨年の秋に
国立大学協会から公表されたはずでございます。
以上の
国立大学協会の
教員養成制度特別
委員会の作業の中で、このたび問題になっております、いわゆる新
構想の教員
大学院
大学の問題を取り上げて論及をいたしましたのは、昭和四十九年十一月の第二の報告書においてであります。申し上げるまでもなく、この教員
大学院
大学の
構想は、昭和四十六年の六月の
中央教育審議会の答申、「今後における
学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」の中で提示をされ、それを受ける形で昭和四十七年七月、
教育職員
養成審議会の建議、「教員
養成の
改善方策について」の中で、現職教員の研修を目的とする新
構想の
大学院の創設ということがより具体的に提示されるに至ったものであります。
なお、それとほぼ機を同じくして、自由民主党政務
調査会、文教制度
調査会・文教部会から、中間報告として「教員の
養成、再
教育並びに身分待遇の根本的改革について」という文書が公表されております。
これらの提案、提示の
内容は、現在の
教育系
大学学部にとって重要な
影響を与えることが予想されるものであり、また、わが国の教員
養成制度上注目に値するものであると
考えられましたので、
国立大学協会の
教員養成制度特別
委員会は、これらの提案を
中心にその
構想の
研究、検討に取り組みまして、前に申し上げましたように、「
教育系
大学・学部における
大学院の問題」と題する報告書の中に、特に「いわゆる新
構想教育系
大学院について」という章を設けて、この
構想について言及をいたしたのであります。
その言及の
内容は、主として上述の諸
構想に見出される
問題点と
考えられた諸事項について批判にわたる見解を表明したものであり、要約をいたしますと、およそ三点の
問題点を提起をしております。
まず第一に、この新
構想の
大学院
大学の入学に当たって任命権者の特別な推薦を得るということ、それからこの
大学院の修了した者を特別に優遇をする、それから各ブロックにこの
大学が配置をされて、
教育委員会等と密接な連絡をとるという措置が、
先ほど申し上げました提案にはうたわれておったのでありますけれ
ども、当時の
委員会は、それらの
構想の運用のいかんによっては、この
大学院
大学が結局教員人事行政の
手段と化すおそれはないであろうかと、また、それによって
大学としての本来の性格を失って、一種の教員研修所に陥るおそれはないであろうかということを第一に指摘をしております。
それから第二の点は、このたびこれらの文書において提案されている新
構想の
大学院
大学と、既設の
教育系
大学学部との
関係ということが、その段階ではあいまいであり、新しい
大学院
大学が一体既存の教員
養成制度の中でどのように位置づけられるのかということについて不明確な点がある。万一、この新しい
大学院
大学が、いわば特別な位置を獲得をする。そうして一方、既設の
教育系
大学学部は、その下部機構として位置づけられて、そこに一種の上下構造が出現するということはないであろうか。それから既設の
教育系
大学学部の整備充実ということが、この新しい
大学院
大学の発足によって、等閑に付されるようなおそれはないであろうかという点が、つまり既設の
教育系
大学学部との
関係についてということがその第二の
問題点でございます。
それから第三の提案された
問題点は、新
構想ということが言われておりますけれ
ども、その新
構想というものの
大学としての実質的な中身は何であろうか。たとえば、その
研究教育体制、あるいはカリキュラム、
教育方法というふうな点で、既設の
教育系
大学学部と別個に、こういう
大学を設立するだけの新しい
内容を果たして盛ることが可能であるかどうかという、まあ以上の三点が当時、
国立大学協会の
教員養成制度特別
委員会でいろいろと議論をされ、それらの議論を集約をいたしまして、
先ほど申し上げました報告文書に特別
委員会が盛ったこの新しい
構想に対する批判の大要でございます。
しかしながら、その後この
大学の
構想が進展をいたしまして、兵庫及び新潟における新
構想大学院
大学の準備室が発足をする段階になりましたので、
国立大学協会は文部省の
関係部局と話し合いをいたしまして、以上のような、当時特別
委員会が持っておった疑問点について十分な話し合いをし、われわれの
理解を深めると同時に、
国立大学協会としては、新しい
構想にいたずらに反対をする立場ではなくて、もしそれが真にわが国の教員
養成制度全体にプラスになるような形で、この者を成育することができれば、
国立大学協会の特別
委員会としては大変に喜ばしいことであるという
意味で、昭和五十一年の一月から数回にわたって
国立大学協会と、それから準備室
関係者及び文部省の
関係者との間で懇談ないしは話し合いをいたしました。
で、私はその後特別
委員長の任を離れましたが、つい最近までそれらの会合が継続をされ、先般の
国立大学協会の
教員養成制度特別
委員会では、
先ほど申し上げました、昭和四十九年の十一月に国大協が文書の中に表明した
問題点の主要なものについては、文部省並びに準備
委員会の
関係者から、それぞれ懸念がないように
構想をし、進めるという趣旨のお話を承ることができ、それによって、
国立大学協会は新しい
大学院
大学のあり方を了承をしたということを特別
委員会として決定をした旨聞き及んでおります。
以上が、私が
関係いたしました
範囲の
国立大学協会関係のこの問題に対する対応の経過でございます。
以下補足して若干の私見を申し述べたいと思いますが、以上申し上げましたように、
国立大学協会、つまり現在存在する
教育系
大学学部を持つ
大学としての、この問題に対する最も重要な関心事は、まず第一に、それがいかなる具体的
内容を盛った
大学院
大学になるかという
内容の問題でありますが、と同時に、すでに戦後長い歴史を持つ
教育系
大学学部、あるいはそれがさらに戦前までさかのぼれば、長い歴史を持つ教員
養成を受け持ってきた現在の
大学学部との新しい
大学との
関係がどうであるかという点に集中をされるわけでございます。
申し上げるまでもなく、現在
日本の父母の最も重要な関心は、ぜひ質のいいりっぱな
先生を子供
たちのためにほしいということでございます。また国家の将来から
考えましても、私
どもは
教育、ことに
初等、
中等教育を十分に完備をし、さらに
改善をし、それは要するに人の問題に根本的には帰着するわけでありますから、いい教師をつくるためには、あくまで現状に満足することなく、常に新しい施策を
試み、あるいは伝統に立って問題を整備していく必要があり、またその責任があるものと
考えられます。したがって、そのような観点からは、ここに
一つの新しい
試みが出現をしたということは、それをプラスの観点において評価することは十分に可能であります。
しかしながら、やはり問題は個々の
大学、たとえば現在問題になっている二つの
大学が突然出現をしたからといって、
日本の教員
養成制度の根本問題にどれだけの進展があるかということはすこぶる疑問でありまして、むしろこの新しい
大学院
大学が、全体的な教員
養成制度の中に整合的に位置づけられ、そしてあらゆる衆知を結集をして、全体の整合の中で、全体の
日本の教員
養成の問題が進展をしていくという形で、この新しい
大学院
大学を位置づけることができるかどうかということが、やはり私は根本的な問題であろうと思います。
そういう点に関連いたしますと、当面
三つの問題があるように思います。
一つは、この新しい教員
養成大学の
内容であります。この
大学の
内容と申しますものは、これは基本的には
大学自身が責任を持って決定をするべき事柄でありますから、現在の教員組織がまだ欠けておる準備段階で、たとえばそのカリキュラムの問題、
内容の
問題等について深く
構想を提示できないのは、あるいは当然であるかと思いますが、しかしながら、よき
内容を盛り得るような条件を、あらかじめ私
どもが
考えるという必要があると思います。
ことに、現在の既存の
大学の
教育系
大学学部が最も苦しんでおりますのは、小学校の
先生の
養成ということのカリキュラムの
内容がいかにあるべきかということであります。新しい
大学の
一つは、小学校の
先生の
養成ということに特に重点を置くということを表明をしておられるようでありまして、私
どもはそこに
期待を抱くと同時に、その
内容が真にわが国の教員
養成制度の正しい
発展方向に対して
参考になり、指標になり得るものであるということを
期待しなければならないというふうに存じております。
それから第二の問題は、この
大学がまず何よりも教員の現職
教育の場として
構想されたということは、確かに一歩の進展であると思われます。しかし、教員の現職
教育はこの
大学だけに限定されるべきものではございませんで、既存のあらゆる
大学の学部、あるいは
大学院等が、教員の現職
教育のために進んで開放され、それに積極的に
協力する必要があると思いますし、あるいは通信
教育、
放送教育、あるいは夜間の現職
教育のための整備というふうなことも並行しなければなりません。同時に、現職
教育が真に現職
教育たるためには、教員の現場において現職
教育が十分に可能となるような人的組織上、あるいは財政上の裏づけが必要でありまして、したがって、この新しい現職
教育の第一歩の場が真に全国的な効果を上げてくるためには、現職
教育問題全体の視野の中で積極的な施策が進められ、その中にこの新しい
大学の
機能が位置づけられるという必要があるように存じます。
最後の問題は、再びこの既存の
大学学部との
関係でございまして、従来国立の
大学におきましても、
教育系
大学学部は他の学部、学科等に比べますと、財政条件、あるいは人的条件、
研究費の条件等は決して優遇されているとは申せません。
先ほどもお話がありましたように、国立の
教育系
大学学部の中で、修士課程が認められておるものは、現在のところ二校にすぎないというのが現状でございます。
これはやはり新しい
大学を進めるのと並行をし、あるいはそれ以上に積極的に現在の
教育系
大学学部の整備充実ということに、一層の措置が加えられる必要があると
考えるわけでありまして、そうしてそういう基本的な、いわば日常的な、ごくべーシックな教員
養成制度の柱がしっかりし、その全体のネットワークの中で、新しい
構想の
大学というものがそれぞれの個性で整合をするということが、私
どもは最も望ましいことであるというふうに存じているわけでございます。
以上で私の陳述を終わります。