○有田一寿君 いまおっしゃいました、国際社会、自由社会で望ましい人間像と、望ましい
日本人像というものがあると思うんですが、それと、望ましい教師像というものは、私は七割まではオーバーラップすると思います。ただ、三割程度は
専門職分野が強く出ていくべきであろうと思う。だから、少なくとも半ば以上は特殊の
専門職だからこうだということでない方がいいのではないかということを
考えるわけです。
師範学校について長所を挙げずに短所だけを挙げてみますと、閉鎖的、視野が狭い、心情的な柔軟さなし、遊びがない、権威主義的、師範タイプという言葉にあらわされたイメージがそれにある。これはどうしてそうなったかということは、いわゆるあの当時一部というのは十五歳から入っておりました。そして五年間。そうすると一番青春期を教師であるという自覚を求められる。言いかえれば青春を十分に謳歌するというようなことではなくて、小さく小さく自分を固めて、聖人的でなきゃならぬ、説教的、しかも模範的、そういうことで抑えられるから、結局でき上がった人間はかたい人間になる。以上は短所の面を言ったが、その反面から言えばまた長所があったことはこれはもう事実だと思いますが、ただ、教養が狭くなっていったということ、これは大変重大だと思うんです。したがって、今後できる
教員大学に、そういう
師範学校の延長線のイメージというよりも、この
構想を持たない方が無難ではないか。
なぜそういうことを憂えるかといいますと、じっと振り返ってみますと、戦前皇国
教育ということを一番先に言い出し、唯々諾々と従ったのは
師範学校を出た
先生方並びに
師範学校そのものであった。それはそれとして、私は非難している
意味ではないんです、事実を言っているわけです。ところが、戦後アメリカの
教育が入ってきて、新
教育という言葉が叫ばれるようになったとき、一番先に付属小
学校等で新しいわからないような言葉を使って新
教育、新
教育と言ってまた一番先にこれに傾いていったのも
師範学校であった。言いかえれば振り子の振動幅がきわめて大きい。そして、さらに
教職員組合についてもいまここで申し上げるのはちょっとあれですけれ
ども、やはり極端に行き過ぎる。そういうことを
考えますと、これは柔軟さ、ハンドルで言えば多少の遊びがあることが、言いかえれば教養の広さがあることが、それから防ぐ歯どめになるものであって、それがそうでない場合には、この新
構想大学の
卒業生は全体主義社会にまた突進していく要素を持つことになる。杞憂に終わればいいわけですけれ
ども、率直に言うとそういう心配を私は持つわけです。いまはもう学際時代というようなことですから、もっと広く
考える方がいいだろうと。
名前のことばかり申しておりますけれ
ども、
名前に伴う
考え方を私は
批判しているわけです。
ここでこれと対比して
考えたいんですけれ
ども、昔あれほど封建的と言われたけれ
ども、東京
大学であのときの
教育学科は文
学部の中の
教育学科であったわけです。その哲学コース、文学コース、史学コースの中の哲学コースの中に
教育学は入れてあったわけです。だから、あの中には倫理学、哲学、心理学、
教育学等が含まれて、あとはそれぞれ文学には文学、史学には史学が含まれておった。それで、ほかの講義も自由に聞けるようになっておった。だから、あのとき余りかたい
教員タイプになってはならぬ、
教育学がオンリーではないという証拠に、
大学出るのに二十一
単位必要なうち、
教育学関係は八
単位取るようにしかなってないわとけです。あとは自由に他の講義を聞いていいようになっておりましたね。それと、それに付随して、ほっておくと
教育学というのはひとりよがりになるというおそれが私はあると思うから、なるべくそうならない方がいいのではないか。したがって、学者の
名前をずっと固有名詞を挙げて恐縮ですけれ
ども、挙げないとはっきりしないから挙げてみますと、すばらしい学者であったということで、学問の業績と、それからその深い人柄が評価された人というのは
教育学関係にはいないんですよね。和辻哲郎、それからゲーテを
研究した木村謹治博士、仏教の宇井伯寿、それから社会学と経済学の高田保馬博士、それからマルクス経済学の河上肇博士、西田幾多郎博士、阿部次郎、穂積重遠、フランス文学の辰野隆、まだ幾らも続きますけど、どんなに続けてみても
教育学の分野でそれに相当する人というのは出てきませんね。これは
教育学自身の中に短所があるのかもわからない。それは、
目的は倫理学で
方法は心理学だと言われています。だから、寄せ集めの継ぎはぎの学問が
教育学で、果たして
教育学が学問として本当に成り立つものかどうか、私は実はいまでも疑っているわけです。これは
教育学者からはしかられると思いますが、正直なところそうだと思う。それは、あらゆる面で卑屈な面になってあらわれてきている。だから、これを
教員大学と規定して、昔の師範タイプというか、
師範学校の延長線上で、これが国家の
教育を担うんだということで進めていくと、私は大変な時代錯誤的なことになるのではないかという感じを持つわけであります。当たってなければ幸いです。そこら辺についてどういうふうにそこを
考えておられるか、
大学局長の方から伺いましょうか。