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国務大臣(
中川一郎君) まず
最初に、結果が御
指摘のとおり思わしくなかった、相手のありますことではございますけれ
ども、三割
程度の
減船をしなければならない
交渉の結果であったということに対しては、まことに残念であり遺憾であったことを、本
委員会を通じて
表明いたしたいと存じます。
川村委員御
指摘のように、一九五六年から締結をされておりました日
ソ漁業協定、これも年々減ってまいりまして一昨年は八万トン台の
操業でございました。ところが、昨年の二百海里
時代を迎えまして二万トンの減少となり六万二千トンの
操業、しかも約二割以上に及ぶ
減船をして今年を迎えたわけでございます。ところが、昨年の二百海里
時代に対処する
鈴木・
イシコフ会談において新しい
協定を結ぼうということではありましたが、その後四月二十九日をもって
期限が切れます日
ソ漁業協定の
破棄通告があったわけでございます。
サケ・
マスをとることについてのこの
協定が
破棄通告があったわけでございますから、深刻な
事態を迎えておりました。
そこで、
政府と
向こうの
ソビエト間において、新しい
協定はどうするかというような
話し合いは続けられておりましたが、いよいよ時期も迫りましたので、ことしの二月十五日、
松原公使を団長とする
政府交渉団、
松浦部長も現地に参りまして
交渉に入りました。この
交渉団には、
民間水産関係団体の川端さん等を初めとして代表も加わったのでございます。鋭意
交渉を重ねてまいりましたが、当初から沖どりは
禁止すべきである、全面やめるべきであるという厳しいところから
スタートをいたしたのでございます。
その後、
交渉団の御
努力によりまして、今年は沖どりは、
漁民の経済のことを考えると、これは撤回してもいいという御返答があったわけでございます。その後、三月初めに、私の代理として内村前次官が
農林省顧問ということで
交渉に当たりました。そして、三万五千五百トンまではよろしいというところまではまいりましたが、それ以上前進がない。しかも、前の
協定はこの四月二十九日をもって切れるということでありましたので、
国会の
協定承認等の時期も考えますならば、どうしても四月十一日には出発しなきゃならぬということで、訪ソいたしたわけでございます。
私の臨みます
基本的態度といたしましては、昨年二万トン削減をされており、しかも二割以上の
減船をしたやさきでございますので、今年は何とか昨年
並みの
操業ができること、これを
基本的な
考え方とし、もちろん
資源を大事にいたさなければなりませんから、できるだけの
資源保護のための
協力はしなけりゃならぬ、こういうことで臨んだのであります。
ところが、
向こう側の
考え方は、当初の案のとおりこれは全面禁漁すべきものである、すなわちゼロであるというところの
基本から
スタートいたしておるわけでございます。その理由は、二百海里
時代を迎えて、二百海里
水域はその
沿岸国のものであると同時に、遡
河性の
サケ・
マスはこれは
母川国に帰属するものである、したがって
公海におきましても
サケ・
マスは
母川国がこれの権益を有する。
ソビエトにおきましても、御
承知のように、二百海里
時代を迎えまして、ヨーロッパその他において
完全締め出しというようなことになっておりますから、二百海里内はもとより、
自分の国に帰属します遡
河性の
サケ・
マスをまず大事にして、
国民に魚の
資源を供給しなければならないというたてまえをとっております。そうしたときに、
公海においてすなわち沖どりをするということは、
資源確保上非常にまずいことである。すなわち、未
成魚等も入っておりますし、そういったところでとるよりは、
沿岸あるいは河川に入ってからとることが、
資源を大事にする上においてぜひとも必要なことである。そこで、何とか全面沖どりはやめたいと思ったのであるが、
日ソ友好の
関係もあり、また従来
操業の
実績もあるので、
資源確保のために必要なあのいわゆる
三角水域を除いては、これは従来
どおり操業することを認めてもいい。しかしその場合でも、
漁期あるいはとり方、
規制等についてはやはりこれは厳しくしなきゃならぬという発想でございます。
したがいまして、私
どもが従来
どおりの
実績ないしは
資源確保のための
協力等というところから
スタートいたしますのにに対して、相手方は沖どりはゼロであるということで
スタートをいたしますから、なかなかその間の幅は大きかったのでございます。しかし、
向こう側もいろいろと
協議をいたしまして、数量において七千トン、それから
漁期等につきましては従来
どおり操業に支障のない
漁期、あるいは
規制につきましても
旗国主義——初めは
単独監視をいたしまして、すなわち
ソビエトの
監視船が
監視をして、違反をしているものは
ソビエトに連行して
ソビエトの
裁判権によってこれを行使するということも、
理解をしていただきまして、最終的に
話し合いがつきませんでしたのは、一部
操業区域についても窓をあけてくれましたが、しかし、残りました
三角水域の大部分については
資源保護上どうしても譲ることができない、これは将来に向かって
日本にとってもまた
ソビエトにとっても大事なことであるということで、お手元にお配りしてあろうかと存じますが、
禁止区域が決まり、約二万トンの減量ということにならざるを得なかったのでございます。
私といたしましても、もっと粘り強く、あるいは多くの
皆さんの
協力を得て、少々時間をかけてもと思いましたけれ
ども、そういった制約された
中身、しかも
漁期が迫っておりますので非常に苦しんだのではありますけれ
ども、この際、この案で
妥結することの方が
漁民にとって現実的にいいのではないかと
判断をいたしまして、
妥結をいたしたところでございます。
そこで、今後はどうなるのかという御
質問がいまありましたし、
国民の
皆さんも御不安のところだろうと思います。今度の
協力協定は、本文にも書いてございますように、附則でございましたか、五年間の
期限をもって、その後は毎年片方ないしは両方から通報がない限りはずっと続いていくということでございますので、いわゆる
外交上の
長期協定というふうに見て差し支えがなかろうかと存じます。そして、
議定書によりまして今年度の
操業の量を決めたわけでございますが、決めるに当たりまして、いろいろといま申し上げましたように
資源論、将来の
資源論というものについて、
サケの流れであるとか、時期であるとか、
漁獲の
方法であるとか、いろいろ
議論をいたしまして得たのが今年の四万二千五百トンであり、
水域であり、
漁期であり、
規制の
方法でございます。したがいまして、来年度以降相当の変化が起きたり、あるいは
操業において許されないようなことがあるというような
事態ができましたならばあるいはどうかわかりませんけれ
ども、今年度
確保し得たものは将来に向かってもでき得るものなりと、こう思っておるところでございます。
しかし、三割
程度の
減船をいたさなければなりませんし、この
減船者に対する
措置等は昨年もいたしておった
実績等もございますので手厚く
措置をして、残りました七割の船につきましては今後しっかりした
操業をやりまして、
日ソ双方とも
理解と
協力によってこれが長く
操業ができるようにわれわれも
努力をしていきたい。もとより、この
議定書によりまして、毎年
サケ・
マスの
漁獲については
両国間協議をするということになっておりますから、毎年の
交渉によって結果が出てくるわけではありますけれ
ども、私といたしましは数年間、いやそれ以上長くこれだけの
漁獲だけは
確保できるようにしたいし、やりようによってはできるものなりと、こう思っておるところでございます。
以上が
交渉の
経緯並びに結果、そして将来に対する
見通しでございます。いずれにいたしましても、二百海里
時代を迎えまして
沿岸国が非常に強くなったこと、そしてまた、遡
河性の
サケ・
マスにつきましては
母川国が
発言権を持った、これは
ソビエトのみならず米国、
カナダその他の国々におきましてもそういうことでございまして、非常に厳しいということだけは受けとめなければなりません。したがいまして、こういった
水産外交について最善の
努力をすると同時に、その
操業についてもしっかりしたものにすると同時に、われわれも前浜でありますわれわれの二百海里、あるいはわれわれの遡
河性の
サケ・
マスというものの
増養殖、
資源の
確保については、さらに一段と前向きで配慮し、
わが国の
漁民あるいは
わが国の
魚族たん白資源確保に
努力をしなければいけないと痛感いたしたような次第でございます。
以上が、
交渉の
経緯あるいはその結果に対する私の
考え方でございます。