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1978-03-30 第84回国会 参議院 内閣委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年三月三十日(木曜日)    午前十時三十四分開会     —————————————    委員の異動  三月二十八日     辞任         補欠選任      山中 郁子君     上田耕一郎君  三月二十九日     辞任         補欠選任      大塚  喬君     村田 秀三君      上田耕一郎君     山中 郁子君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         塚田十一郎君     理 事                 林  ゆう君                 原 文兵衛君                 片岡 勝治君                 井上  計君     委 員                 岡田  広君                 源田  実君                 斎藤栄三郎君                 竹内  潔君                 林  寛子君                 堀江 正夫君                 野田  哲君                 村田 秀三君                 山崎  昇君                 和泉 照雄君                 山中 郁子君                 森田 重郎君    国務大臣        法 務 大 臣  瀬戸山三男君    政府委員        法務大臣官房長  前田  宏君        法務省民事局長  香川 保一君        法務省刑事局長  伊藤 榮樹君        法務省矯正局長  石原 一彦君        法務省保護局長  常井  善君        法務省入国管理        局長       吉田 長雄君    事務局側        常任委員会専門        員        首藤 俊彦君    説明員        警察庁警備局公        安第三課長    福井 与明君        警察庁警備局警        備課長      若田 末人君        警察庁警備局外        事課長      城内 康光君        法務大臣官房営        繕課長      増井 清彦君        外務省アジア局        北東アジア課長  佐藤 嘉恭君        大蔵省国際金融        局企画課長    橋本 貞夫君        国税庁直税部法        人税課長     北村 恭二君        厚生省医務局総        務課長      森  幸男君        農林省構造改善        局農政部長    森実 孝郎君        自治省財政局指        導課長      土田 栄作君        日本電信電話公        社業務管理局長  浅原 巌人君    参考人        新東京国際空港        公団総裁     大塚  茂君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○法務省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出、衆議院送付)     —————————————
  2. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  法務省設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言願います。
  3. 野田哲

    野田哲君 まず法務大臣に端的に伺いますが、いま審議している法案の中には、成田の新空港運航開始ときわめて密接なつながりを持った内容があるわけでありますが、この開港予定については明日決定をされるというふうな報道がされておりますけれども、明日決定ということであれば、重要な関連を持っている法務大臣のところには、もう予定日については内々の協議が行われているんじゃないかと思うんですが、開港予定日はいつですか。
  4. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) おっしゃるように、開港日を延期することだけ決定しておりますが、御承知のような事態でありますから、いわゆる飛行場の機能の整備だけということでなしに、安全運航とよく言われておりますが、安全対策、それの問題もありますので、まだ結論を出すに至らないということで、明日までのうちにあらゆる問題点を詰めて、できればあしたの閣議決定をしたい、こういうことにしておりますが、そういういつの日にするかということについては、私の方ではまだ現在のところ関知しておりません。
  5. 野田哲

    野田哲君 新聞報道などでは、総理の四月末から五月初めにかけての日程等もあわせて、五月十日式典、五月十四日運航開始、こういう報道がされておりますが、大体そういうことで受けとめていいんですか、予定は。
  6. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) 新聞にはいろいろ書いてありますが、残念ながら私の方ではまだそういう具体的な日時等については関係していないわけでございます。
  7. 野田哲

    野田哲君 この設置法審議の中で、法務省の機関について新国際空港開港日ときわめて密接な関連を持った内容があるわけでありますが、架空の日取りの中でこの法案審議をしてくれというのも、いかにもこれは見識のないことになるわけですが、まあ、この押し問答やっておっても仕方がありませんが、けさの報道を見ると、警察庁の方では破防法適用は可能であるということで、いまにも破防法適用に踏み切るかのような印象報道が出ておりますし、中身を見ると、個人にまでもこれが適用可能なのだというふうな報道がされておりますが、もともと破防法というのは法務大臣所管事項になると思うんですが、警察庁がずいぶん先行した形でこの問題について検討しているようでありますが、法務大臣としてはどういうふうに考えておられますか。
  8. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) 過般起こりました事件について破壊活動防止法適用するかどうかと、こういう問題は、もちろん法務省所管の公安調査庁は常にそういうことを検討しておるわけでございます。しかし、あの事件そのもの破壊活動防止法適用するかどうかという件については、御承知のとおり破防法はきわめて厳格に適用を考えなきゃならない、逆に言いますと、きわめて慎重な取り扱いをしなきゃならない、かように法定されておるわけでございます。ただ、その団体の規制等についてというよりも、いまいかなる取り扱いをするかということを法務、検察、それから警察、こういうもので検討しておりますのは、破防法における罰則の問題について適用をすべきかどうか、適用が可能であるかどうか、その方がよろしいかどうか、こういう問題を詰めておることは事実でございますが、まだ適用するとかしないとか結論に至っては私の段階ではおりません。
  9. 野田哲

    野田哲君 国際空港についての新立法についても検討されていると、こういう報道がされておりますが、どういう内容のものを検討されているわけですか。
  10. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) 新聞にいろいろ書いてありますが、新立法というのはどういう立法か問題であろうと思います。法務省として、あるいは警察庁警察関係ともいろいろ詰めておりますのは、御承知のように、いわゆる暴力集団によってああいう破壊活動がなされた、これはもうとんでもないことでございますが、これを防ぐことができなかった、現実においては。重要な部分が、管制機能破壊されまして、そこで一体あれほどの警察官の大動員をして警備をし、そして結果においてはこれが破壊をされたと、こういう事態について、現在の各般の法律でこれに対処することができない仕組みになっておるのかどうか、あるいは仕組みにはなっておるけれども警備上の手違い等によってああいうふうになったのかどうか、こういう点を細かく関係省庁事務当局でも詰めておる段階でございます。いずれにいたしましても、法治国家といたしましてはああいう事態は必ず防がなければならない、防除しなければならない、排除しなければならない、これは当然でございますから。しかし、いま申し上げましたように、現実としてはこれが防除できなかった、破壊された。その間の間隙は、重ねて申し上げますが、警備上の手違いであったのか、これ以上は現行法上どうにもならないのか、私はそうでないという考えを持っておりますが、そういう点を細かに詰めて、もし現行法律ではあれ以上のことはできないのだ、破壊されてもやむを得ないのだ、暴力によって左右されても仕方がないのだと、もしかようになりますれば、これでは法治国家としての存立が危うくなりますし、国民に対しても申しわけないことであります。そういうことになるのかならないのか、現在鋭意検討をさしておるところでございまして、いかなる法律が必要であるかどうかということは、あしたの閣議でその結果を見て決定する、かようにしておるわけでございます。
  11. 野田哲

    野田哲君 成田の問題についてはそれぞれの所管委員会がありますから、これ以上は、その後の経過を見てまた質問いたしたいと思います。  法務省設置法関連して出入国管理の問題について伺いたいと思います。  東京都の港区にある韓国研究院の院長をやっている崔書勉という人が日本入国をしたのはいつですか。
  12. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 崔書勉氏は昭和三十二年六月ごろ不法入国をいたしております。その後東京事務所に出頭いたしまして、不法入国をしたということを申告いたしましたので、今度は退去強制手続がとられたわけでございますが、この方は反李承晩派として活躍したということで、本国で逮捕命令が出ていると、政治亡命的なことをおっしゃって、いろいろ審査して、結果、法務大臣特別在留許可が出たわけでございます。
  13. 野田哲

    野田哲君 三十二年の六月ごろに不法入国をしてきたという、この不法入国は、どこにどういう方法で不法入国をしたわけですか。
  14. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) ただいま申しました東京事務所に出頭いたしましたのが、不法入国したちょうど三年後の昭和三十五年六月六日に出頭いたしております。三年たった後でございますが、いろいろ尋ねたんですが、飛行機で来たということで、どこへ着いてどうなったのかということは全然確認いたしておりません。また確認できなかったということでございます。
  15. 野田哲

    野田哲君 確認できないというのは、これは私はちょっとうかつだと思うんですが、私の調査したところでは、これはアメリカ軍用機立川基地に入ってきている、こういう情報を得ているわけです。で、この出頭するまでの三年間どこで何をやっていたか調査をされておりますか。
  16. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 何分古いことでございますので、ファイルを調べているんでございますが、たしか韓国カソリック歴史を調べるために、何かカソリック信者のところにかくまわれていたというふうに聞いております。
  17. 野田哲

    野田哲君 不法入国して退去強制手続をとられた者が法務大臣によって特別在留許可になった、これはどのような理由で、不法入国した者、退去強制手続がとられていた者がなぜ三年後に特別在留許可が与えられたんですか。
  18. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) ただいま申し上げましたように、これはまだ李承晩政府時代のことでございまして、本人申し立てによりますと、張勉氏とともに反李承晩運動をしたということで、何か逮捕令状が出てきたために身の危険を感じ日本国に急遽不法入国してきたということでございます。要するに政治亡命的な点が本人申し立てにあるわけでございますが、他方、本人はここで、ただいま申しましたように、韓国カソリック歴史研究をもっぱらしたいということで、保証人も確実な保証人もあり、したがいまして生活上問題がないということで、そういう点を考慮して法務大臣在留特別許可が出たわけでございます。
  19. 野田哲

    野田哲君 この特別在留許可については、一説によると、これはもう名前を出してもいいと思うんですが、当時の最高裁の長官の田中耕太郎さんがそのことでずいぶん奔走されている、こういう情報がありますが、いま入管局長は確実な保証人があったというふうに言われておりますが、この確実な保証人というのはどなたでしたか。
  20. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) これは民間のカソリック信者でございまして、田中先生とかそういうことじゃなしに、余り一般に知られていない信者さんでございます。
  21. 野田哲

    野田哲君 あんまり一般に知られていないカトリック信者というのが確実な保証人ということになるんですか。
  22. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) ただ、その人の社会的——何といいますか、しっかりした会社にちゃんとしたポストでおられると、そういう意味でございます。
  23. 野田哲

    野田哲君 それはどなたですか。
  24. 吉田長雄

  25. 野田哲

    野田哲君 現在はこの在留についてはどうなっているんですか。三年ごとの切りかえの扱いになっているんですか、それとも永住許可ということになっているんですか。
  26. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 四—一—十六—三という資格で三年ごとの切りかえでございます。
  27. 野田哲

    野田哲君 この外国人登録の正式な名前はどうなっておりますか。
  28. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 崔書勉でございます。崔書勉氏でございます。
  29. 野田哲

    野田哲君 さっきからカトリック信者という人が保証人になっているという説明があったわけですが、一九七四年の発行のカトリックグラフという、ここに印刷物があります。これはカトリックの方で発行されている印刷物ですが、そこでこの崔書勉氏とカトリックグラフ編集者とがいろんな問題について対談を行っているわけでありますけれども、この対談の中で崔書勉本人は、崔重夏という韓国における人物自分は同一人物であると。崔重夏というのは、重い夏と書いてあります。崔重夏という人物自分は同一人物であるということをこのカトリックグラフでははっきりと本人が語っておられるわけですが、そういう事実は把握をしておられませんか。
  30. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) わが方としましては、その確認は不能でございます。
  31. 野田哲

    野田哲君 この崔重夏という人の問題について、先ほど入管局長は、反李承晩派運動張勉氏などと一緒にやっていた、政治亡命だと、こういうふうに言われたわけですが、一九四七年に韓国では非常に有名な政治テロによる殺人事件があったことを、法務省あるいは外務省承知をされておりますか。
  32. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 話は聞いております。
  33. 野田哲

    野田哲君 外務省いかがですか。
  34. 佐藤嘉恭

    説明員佐藤嘉恭君) 当時そういう報道があったということは承知しております。
  35. 野田哲

    野田哲君 一九四七年の十二月二日に、韓国の民主党の政治部長張徳秀という人が暴漢によって惨殺をされております。で、崔書勉氏が、自分は本名は崔重夏であるということを認めているわけでありますけれども、この張徳秀殺人事件首謀者は、これはこの本人が認めている崔重夏、この人が首謀者となって殺人事件を起こしているわけです。下手人は朴光玉、これは現職の警官であります。それからさらに大学生等ほかに五名の者がこれに加わっているわけです。この崔重夏、これは他の八名と一緒に一九四八年に死刑判決を受けて、大邸刑務所収監をされていた。その後、当時のアメリカ軍政官のホッジ氏の指示によって、崔重夏はこれは死刑を免れて二十年の刑、こういう扱いになって大邸刑務所にいた。この大邸刑務所朝鮮戦争当時、あのどさくさの中で他の犯人と一緒に脱走したというのが、これが韓国における事実の経過であるわけです。そしてカトリック信者を装って日本に逃れてきた、こういう経過になっているわけでありますが、法務省外務省はそういう経過承知をされておりますか。
  36. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) ただいまの話は聞いておりますので、当時もちろん調査はいたしたわけでございますが、その事件で、後ほど韓国政府側では、これはたしか一九四八年九月二十八日付の韓国大統領令第六号で、一般赦免令により赦免されているということでございます。それからもう一回そのことが、何か本人韓国へ帰りましたときに問題になったようでございますが、それは地方検察庁から一時問題にされたわけでございますけれどもソウル高等法院刑執行停止処分取り消し取り消しが行われたと、こういうことで消えちゃったと、こういうことでございます。
  37. 野田哲

    野田哲君 法務省の方でいま承知をされている赦免令によって赦免されたというのは、これはいつですか。あなたの方でそういうふうに承知をされているその赦免令というのはいつですか。
  38. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 一九四八年九月二十八日付でございます。
  39. 野田哲

    野田哲君 先ほどちょっと、その後また韓国へ行ったときに云々という説明があったわけですが、これは恐らく一九六七年のことだろうと思うんですが、一九六七年にこの崔書勉氏が日本から韓国を訪問しておりますが、その出国をした日と再入国をした日、これはわかりますか。
  40. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 昭和四十二年八月一日、韓国向けに出国し、昭和四十三年九月七日、入国査証を所持して再び本邦に入国しております。
  41. 野田哲

    野田哲君 警察庁の方、見えていますね。あなたの方では、いまの四十二年八月一日、一九六七年の八月一日に、日本から崔書勉、この人が韓国へ行った、そのときにやみドルやら法外な金を持っていたことで韓国側外為法違反で検挙された、いわゆる金浦空港事件、このいきさつを承知をされておりますか。
  42. 城内康光

    説明員城内康光君) お答えいたします。  事件がありましたその後日、私ども情報としてそういうことを聞いております。
  43. 野田哲

    野田哲君 どういう情報ですか。
  44. 城内康光

    説明員城内康光君) 関税法違反ということで韓国において検挙されたということでございます。
  45. 野田哲

    野田哲君 ここに当時の内容報道した韓国新聞が幾つかあります。それぞれ大きくこの金浦空港事件というのを報道しております。この韓国で当時発行されている新聞報道によると、一九六七年の八月一日に、崔氏は日本円、ドル小切手等で総額で三千万以上の金を韓国に持ち込もうとして韓国関税法違反金浦空港で逮捕された。そこで指紋を照合した結果、張徳秀殺人事件服役中行方不明になった崔重夏であるということが判明をした。そのためにソウル拘置所収監をされ、残刑を再執行されることになった。刑期は十九年一カ月残っていたが、一九五二年の恩赦によって刑が二分の一に減刑されたが、なお残刑は九年一カ月残っている。これを執行されることになった。こういうふうに報道をされているわけです。先ほど入管局長は、一九四八年に赦免令によって無罪放免になっていると、こういう説明がありましたが、韓国の当時の一九六七年の八月の韓国側新聞報道ではそうなっていないんです。まだ残刑が九年も残っている、これを執行されるんだというふうにここに報道されているんです。これは入管局長説明と全然違うわけなんです。  そこで、いまの説明によると、一年経過したらまた日本に再入国をしているわけでありますけれども、先ほどの入管局長説明と、この金浦空港事件のときの逮捕された報道とは全然合わないですね、これは。これは間違いなくあなたは韓国側に照会をしてさっきの一九四八年に赦免されたということを確認をされているんですか。
  46. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 一九四八年の赦免はわれわれの資料によりますと事実でございます。  それからもう一つ、先生ただいまおっしゃいましたことは、先ほど私が説明いたしました刑の残りがあるということについては、ソウル高等法院本人が抗告をいたしまして、同法院から取り消し決定、要するにその執行は取り消すという高等法院決定があったわけでございます。
  47. 野田哲

    野田哲君 これはあなたの方の説明は全然違うんじゃないですか。これは朝鮮戦争のときのどさくさで服役中の大邸刑務所から脱獄をして、それから捜査の手を逃れるためにカトリックの教会に転がり込んで、それから日本に密入国をした、こういうことでありまして、一九四八年に赦免をされているというようなそういうことには私の調査ではなっていないし、韓国側金浦空港事件報道によってもそうはなっていないんです。私どもの得ている情報では、彼が赦免をされたというのは、朴大統領時代になって朴大統領の就任の恩赦によって減刑をされた、こういうふうに新聞などでも報道されているんで、これは事実は全く入管局長説明とは私どもは違うんじゃないかと思うんです。これはもう一回ぜひよく調査をしてもらいたいと思うんです。  そこで、これは入管局長なり法務大臣に私は伺いたいと思うんですが、いずれにしても、政治亡命だとか何とかいう説明があったわけでありますけれども殺人事件を犯した殺人犯残刑がある者が、その後逮捕されて間もなく釈放されてまた日本に舞い戻ってくる、これはいかにも不自然な印象を持たざるを得ないんです。端的に言うならば、彼がそういう扱いを受けて今日まで日本在留をしている、これは彼に対して韓国側から特別の任務が与えられて赦免になった、そういう扱いを受けている人物としか私どもは考えられない。現に彼がいまやっている韓国研究院、その分院と、元日本外務省外交官駐韓大使を務めてこられた金山政英氏、この人が所長をやっている国際関係共同研究所、この事務所南青山の同じ場所にあるわけです。電話番号まで同じなんですよ。片や政治テロによって殺人事件を起こして一回は死刑判決まで受けた人と、そして片や駐韓大使を務めた日本の高官、この人が同じ場所の同じ電話を使って研究所を持っている。いかにもこれは奇異な感じを受けざるを得ないんですが、法務大臣、いままでの私の質問を聞いてどうお感じになりますか、これが正常な形での在留というふうに判断できますか、いかがですか。
  48. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) ただいま申しましたように、終戦後韓国というのは非常に動乱をいたしまして、国内政治の上からもいろいろな問題があったことは先生御存じのとおりでございますが、反対党と時の与党、それがまた入れかわるといういろいろなことがあったわけでございます。わが方といたしましては、そういう韓国の内政に干渉するつもりは毛頭ございませんけれども、しかし、常識上、政治亡命的に逃げてきた人はやはりこれは人道上救ってやるべきだという見地に立っているわけでございまして、それが韓国政争にわれわれがインボルブされると、巻き込まれるということはないように十分配慮はいたしております。
  49. 野田哲

    野田哲君 入管局長は、韓国政争に巻き込まれて日本に来た人は救ってあげるのが云々と、こういういま説明があったわけですが、日本には政治亡命者を受け入れる法律があるんですか。
  50. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) これはたびたび国会でも御説明申し上げておりますように、ただいまの入管令に基づいて法務大臣特別在留許可を受ければ、そういうたぐいの人でも現在入ってこれるわけでございます。
  51. 野田哲

    野田哲君 私どもは、この崔書勉氏が、日本政府によって特別在留許可を得て、韓国での刑の執行赦免をされていま日本にあれ以来ずっと在留をしていることについては、先ほども言ったように、彼は特別の役割りを持っているがためにそういう扱いになった、これは日本政府韓国政府との合作である、こういうふうに見ざるを得ないと思うんです。私ども韓国の問題に関心を持つ多くの国民の間では、彼は日本における朴東宣役割りを果たしている、韓国研究院というのは日本におけるKCIAのアジトである、そして日本における政界、財界、言論界あるいは学界に対する一本釣りの工作の拠点である、こういうふうな認識を持たざるを得ないわけであります。現にそれを裏づけるような資料がありますので、それについて伺いたいと思うんですが、ここに一九七七年十一月八日付の韓国で発行されている毎日新聞があります。この韓国毎日新聞のトップで、韓国国会での予算決算委員会での質疑の模様を報道しております。どういう報道がされているかといいますと、野党側金議員という人の質問でありますけれども、最近日本で第二の朴東宣として、雑誌発刊、古典書籍の翻訳、セミナーを開いている韓国研究院院長崔書勉がうわさになっていると述べ、問題の韓国研究院政府がことし二万五千ドル、つまり一九七七年度の韓国側の会計で二万五千ドル、そして七八年には二十万ドルを援助する予算が計上されているが、この理由は一体何であるのか、また金山氏のやっている国際共同研究所にも、七七年に二万ドル、そして七八年には十万ドルを援助することになっているが、援助内容と理由を明らかにせよ、こういう追及が行われ、政府はなぜ肥料ブローカー、あるいは米ブローカー、書籍ブローカーをやっている人間に対してそのような援助をする必要があるのか、こういうふうな質問が行われているわけであります。この報道新聞の一版のトップに大きく載ったわけでありますけれども、二版以降ではこの質問内容は全部姿を消しているわけであります。  そこで、大蔵省にまず伺いたいと思うんですが、いま私が読み上げた資料によりますと、この崔書勉氏と金山さんのところに、七七年で崔書勉氏の方には二万五千ドル、これは約六百五十万円、金山さんの方に二万ドル、約五百万円、韓国側からは支出をされているわけでありますが、この日本への送金手続がどういう形で行われておりますか。
  52. 橋本貞夫

    説明員(橋本貞夫君) この韓国研究院とかその分院国際関係共同研究所と、いずれもはっきり性格がわかりませんが、日本で設立された団体で、外国為替管理法上居住者に当たると思います。こういう居住者に対して外国から資金が外貨で送られてきました場合には、贈与とか寄付とか、こういう場合、外国為替管理法では規制しておらない状況でございまして、私どもの方からこの送金手続を調べることは大変むずかしいわけでございます。外為法全体が有効な外貨の利用という観点から、日本から資金が出ていくときはやや厳重に、日本に入ってきますときはやや緩和された形で体制がなっておりますので、こういうふうな贈与、寄付につきましては規制がございません。そういうわけでございますので御了承いただきたいと思います。
  53. 野田哲

    野田哲君 これは外務省、非常にかかわりがあるんですが、外務省あるいは国税庁、法務省、それぞれわかっていれば答えていただきたいんですが、私の調査をしたところでは、この韓国研究院というのも国際共同研究所というのも、これは法人登記がされていないし、関係のところに法人の届け出がされていないと思うんですが、この事実は間違いありませんか。——わからなければいいです、後で調べてもらえばいいんですから。これは法務局で調べても法人という扱いになっておりません。  国税庁に伺いますが、法人の扱いになっていなければ、先ほど言ったような金が韓国政府から支出をされて送られてきた場合には、これは個人に対する贈与所得になるんじゃないかと思うんですが、国税庁ではこの二人の所得についてどういうふうに把握をされておりますか。
  54. 北村恭二

    説明員(北村恭二君) ただいまのところ、ただいまお話ございました二つの団体、韓国研究院あるいは国際関係共同研究所につきまして、詳細承知していないわけでございますけれども、ただ承知しております範囲で申し上げますと、何か国際関係共同研究所というのは韓国研究院の一部ではないかというふうに承知しておりまして、いま先生お話しのように、法人格というものがございませんければ、これは税法上の公益法人等というものに当たりませんので、いわば税法上の人格のない社団といったようなものに該当するのではないかというふうに考えられるわけでございまして、したがいまして、まあ仮にこの団体が人格のない社団等ということでございます場合には、税法上は当該団体が事業を営んでいる、しかもその事業が法人税法の施行令に掲げる収益事業に該当するということであり、かつその事業の結果所得が生じているといったような場合だけが法人税の課税ということが出てくるわけでございます。
  55. 野田哲

    野田哲君 調査はされておりますか、把握をされておりますか。崔書勉、それから金山政英、この両氏の個人の所得、それから、それぞれのいわゆる法人ではないがその事務所にどのような収入があったか、調査をされておりますか。
  56. 北村恭二

    説明員(北村恭二君) 個人の関係につきましては、わが国の居住者として税法上所要の手続をとっているというふうに承知しております。  それから、いま申し上げました団体の関係につきましても、お尋ねのような団体があることは承知しているわけでございまして、御指摘のような点についても十分関心を持って処理してまいりたいというふうに考えております。
  57. 野田哲

    野田哲君 法務大臣に見解を伺いたいと思うんですが、昨年は金額としては二万五千ドルあるいは二万ドルということで、五、六百万円の金がそこへ韓国の予算から支出をされている。このことは、韓国毎日新聞で、野党議員の質問として、向こうでは予算決算委員会となっておりますが、その中で指摘をされているわけですから間違いないと思うんですが、七八年度、向こうの場合は歴年ですからもうすでに始まっているわけでありますが、七八年度でこの韓国研究院に対しては二十万ドル、共同研究所には十万ドル、いまのレートで換算いたしましても密書勉氏の方に四千五百万、金山さんの方に二千二百万、こういう金が韓国の予算から支出を予定されているということなんです。これは奇異に感じられませんか、いかがですか。
  58. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) 私もきょう初めてさようなお話を聞きまして、また、法務省資料等も、いま今日までの資料等も見ておるわけでございますが、いわゆる法人格といいますか、法律上の法人格を持たない団体というのは、協会であるとか研究所であるとかいろいろあるわけでございまして、それに対して韓国政府が、どういう趣旨か私はいまつまびらかにしておりませんが、いろいろ研究するという内容になっておるようでございますが、それに助成するという意味で資金援助をしておる、かように見られると思います。でありますから、それが必ずしもけしからぬとか、違法であるとかというふうには私は考えないのでありますけれども、その送られた資金がどういうふうに使われておるか、あるいは個人の所得になっておるか、もしそうであればこれは所得税その他の問題があると思いますが、いわゆる法律上認定された法人でなくても、研究所その他について、韓国問題等について研究しておるかっこうになっておるようでありますから、それに援助をすること自体が特別に奇異に感ずると、かようにはいまのところ考えないわけでございます。
  59. 野田哲

    野田哲君 先ほども私が指摘をしましたけれども政治テロであろうと政治亡命であろうと、いずれにしても韓国殺人事件を犯した人であることは間違いないのです。それが韓国政争朴大統領の就任、そういうようなどさくさの中で、残余の刑があるにもかかわらずしゃばに出て、日本に来て、そして日本では特別在留許可を与えた、こういう人と、そして片や韓国の大使を務めた人、この人が、先ほども政府委員の方から説明がありましたように、つまり一つの部屋、一つの電話を使って事務所を持っているわけです。そこへ総トータルにして年間七千万円近い援助の金が韓国から支出をされるということになっているわけです。これは韓国政府が何らかの意図があって送ってくるとしか考えられないですよ。韓国国会の中で、野党の金議員日本朴東宣という表現を使っているのもまさにそこにあると思うんです。世間のうわさで、あの韓国研究院、そして金山さんがやっている共同研究所、これはKCIAのアジトであると言われているのは、まさに単なるうわさだけにとどまらず、それだけの金が韓国政府の側から流れてきている、このことで私はその一端を示しているのではないかと思うのです。  時間がありませんから、私の質問はここでとどめてまた午後に続けますけれども委員長にお願いをしたいと思うのですが、国税庁の方から、韓国研究院とそれから共同研究所、この二つ、法人格を持たない法人と言われたわけですが、そこの五十二年度の収支、それぞれの事務所が収支がどういうふうになっているか、それからこの二人の個人の所得がどういうふうになっているか、これはぜひこれらの疑惑を解明をするためにも資料として提出を求めたいと思うので、そのようにぜひお取り計らいをいただきたいと思います。
  60. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) ただいま野田君が要求されました資料につきましては、後刻理事会で協議をいたしました結果、決定いたしたいと思います。
  61. 井上計

    ○井上計君 私のお尋ねすることは矯正局長からお答えいただければ結構でございます。  ではお尋ねいたしますけれども、議題となっておりますところの設置法の一部の改正の中で、那覇刑務所の施設の老朽化による移転、あるいは東京医療少年院の老朽化による移転、名称変更というふうなものが議題となっておるわけでありますが、そこでお尋ねをいたしますけれども、このような刑務所あるいは少年院、さらには拘置所、そのようなものの移転等について、法務省当局としては、恐らく数十年先、まあどの程度の将来を展望して移転計画をお立てになるのかということであります。まあ、周辺に学校だとか、あるいは一般住居というふうなものがない、あるいは将来ともそういう地域の発展開発というものが行われないであろうというふうなこともあるいはお考えではなかろうかと思いますが、そういう面につきまして、どういうお考えでこのような移転計画を決定をされるのか、実施をされるのか、それらをひとつお伺いをいたしたいと思います。
  62. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 現在、矯正の現場施設は三百五ございますが、そのうち整備を要する庁は約百十庁でございます。これらにつきましては、予算の関係もございますので財政当局に十分実情を説明いたしまして、順次改築に進めていきたいと思っております。  なお、刑務所、少年院等でございましても、木造のところもあり、ブロックのところもあり、コンクリートづくりのところもあるわけでございますが、木造は二十年、ブロックは三十年、鉄筋が五十年が一応耐用年数と決まっております。それと、予算の関係を勘案いたしますと、耐用年数が過ぎてすぐに改築するというわけにいかない場合もございます。そのために補修等につきましては十分配慮をいたしている次第でございます。  なお、施設の移転問題につきましては、先ほど申し上げました三百五庁のうち約五十庁が地方公共団体等から移転要請を受けているのでございます。これらの移転要請がありました場合の法務省としての基本的な態度でございますが、御承知のとおり矯正施設の移転という場合には、まず職員の生活環境というものがございます。沖繩刑務所の場合におきましても、那覇市から知念村へ二十一キロ離れているわけでございますが、そこに移らざるを得ません。それからさらに、被収容者の処遇環境というものも大切でございます。矯正職員のみが処遇をするわけではございませんので、社会的資源といいますか、宗教教講師の方々、あるいは篤志面接委員の方々、あるいは保護司の方々、さらには地域の学校の先生方に、夜あるいは休日等においでくださって御指導をいただくということも必要でございますので、そうした環境をも考えなければなりません。なお、被収容者そのものにつきましても、余り山の中であるとか、あるいはまた湿地帯であるとかというわけにはまいりません。犯罪を犯した者とはいいながら、いずれは社会に復帰する者でございますので、そうした面で、運動場の確保、あるいは水の確保等々に重要な問題があるわけでございます。そこで、法務省の気持ちといたしましては、率直なところ、古くなったものがありましても現在地で改築いたしたいというのが偽らざる気持ちでございます。しかしながら、地方自治体等から強い御要請がございまして、しかもその御要請が、施設があるために当該地方公共団体あるいは地方自治体の発展に支障を来している、また私どもの施設を除くことが地方公共団体の開発に利益になるというような場合がありまして、早急に移転ができるというような場合には、地方公共団体と十分な話し合いをいたしまして、すなわち移転候補地、これは適当な地でなければならないのでございますが、移転候補地の提示を受ける。それから特定国有財産整備特別会計というのがありまして移転経費の面を持つのでございますが、建築交換方式によって移転をするというようなこと、それからその土地を探すにつきましては、どうしても地方自治体等の積極的な御協力を得なければなりませんので、そうした御協力を得まして、いわば円滑な移転の条件が整う限りにおきましては移転を検討していきたい、かように思っております。しかしながら、実情は相当長期にわたる場合が多いのでございまして、よく私は前九年後三年の役と、こう言うのでございますが、早い場合でも三年、長くて九年、場合によれば合わせて十二年というようなところもございまして、われわれとしては対処に非常に苦労をしているところでございます。
  63. 井上計

    ○井上計君 それでは、それと関連をしてお伺いいたしたいと思いますが、いま名古屋の拘置所が大変老朽化しておるようでございます。それにつきまして、当局側としては四十七年来、これについての移転についていろいろと検討しておられるようでありますが、現時点におきますところの計画の推移といいますか、それらの状況等についてひとつ御説明をお願いをいたします。
  64. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 名古屋拘置所につきましては、井上委員十分御承知のとおり、本体の建物は昭和十三年に建てられたのでございますが、戦災で一部焼失いたしました。その後昭和二十二年に戦後の粗悪材によって復旧させました。というようなことで、きわめて老朽化をいたしております。特に東海地震ということが言われておりまして、もしここで倒れるようなことがございます場合には、被収容者にも職員にも相当の被害の出ることが予想されるのでございまして、早急な改築が必要とされているわけでございます。  ところで、ただいま御指摘のように、昭和四十七年以降、最初のうちは移転してほしいという御要請がございました。そこで私どもで名古屋市といろいろ交渉を続けてまいりまして、九カ所の移転候補地を挙げて検討いたしたのでございますが、遺憾ながら適地を得ることができなかったのでございます。その間、実は昨年の十一月でございますが、名古屋弁護士会から法務大臣に対しまして、いわゆる未決拘禁者の人道的な処遇という見地からもこのままであってはいけないんではないか、早く改築すべきであるというような要望書も提出されたのでございます。法務省といたしましては、かような長い期間にわたっているのでございますが、関係の国会議員の方々の御協力も得るとともに、私自身多忙で参れませんので、私の方の参事官を派遣いたしまして、名古屋市市長初め関係の方々といろいろ御交渉を申し上げる、あるいは弁護士会から御要望があったのに対して、事務次官名でそれに対応する御協力等をお願いするというような折衝を重ねた結果、名古屋におきましては、地元の方々もきわめて矯正施設の機能というものに御理解がございまして、これは感謝申し上げているところでございますが、市議会議員は言うに及ばず、市の建設環境委員会委員等々あるいは地元の有力な方々からもいろいろなお話がございまして、現在地で改築するのもやむを得ないという段階になりまして、ただいま御審議中の予算案におきまして調査費を御要求いたしておりますが、それができました限りにおいては、地質等の調査をいたしまして、早い機会に現在地で改築いたしたい、かように考えているところでございます。
  65. 井上計

    ○井上計君 いまお答えを承りますと、私の地元の実情、私に寄せられておりますところの大ぜいの人たちの要望とちょっと違うんです。というのは、いま局長は、最終的には市議会あるいは市の担当の市議会の委員会等が、地元現在地においての改築やむを得ないというふうな了承をしたというふうな御答弁でありますけれども、いまなお地元としては、あるいは名古屋市議会といたしましても、非常に現在地での改築でなしに、地元から言いますと、先ほど局長のお答えは適地がないというお答えでありましたけれども、地元の人たちから言わせますと適地があると、現在地よりはやはり適地があるというふうな考え方でありまして、地元としては了承、納得をしていないと、このように聞いておりますが、いかがでしょうか。
  66. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 大規模な施設でございますので、移転等につきましてはいろいろなお考えのあることもわかっておりますが、現地におきましても拘置所長が関係方面を回りまして、もとより全面的に現在地で建てると、法務省の方針どおりに建てるという全幅の御了承までは至っていないというふうに私も考えておりますけれども、現在地改築はやむを得ないという空気になりつつあり、後はいろいろな御要望等を伺って円満な折衝を続けていきたいという段階でございます。
  67. 井上計

    ○井上計君 やむを得ないという状況になりつつあるといういま御答弁、私もこの点については理解できます。ただ、このなりつつあるといいますのが、これらの地元の人たちは各地で行われておりますような設置反対あるいは改築反対というふうな、そのような強い表現を使っておりません。というのは、現在拘置所のありますところの周辺の人たちは、大変実はおとなしい人たちといいますかね、まあ言えば中流家庭の人が非常に多うございまして、大体これらの周辺の世帯九千世帯で三万五千人ぐらいの人口でありますけれども、これらの人たちが数年間にわたってずっと続けております運動の中にも、反対だとか、絶対阻止だとかという表現は全く使っていないんですね。要望あるいはお願い、陳情というきわめておとなしい緩やかな表現をいたしておりますので、それらについて当局側としては、それほど強い反対はないんであろうというふうなお考えの上でどうもいままで進めてきておられるんではなかろうかと、こういう感じが実はいたすわけであります。  時間の関係もありますから、私率直に申し上げますけれども、名古屋市百年の大計ということを、これは国も県も市も、また地域の住民もすべての人たちが考えていくのはこれは当然であるわけでございます。そこで、現在地で改築をされるよりも、若干の問題はあろうかと思いますけれども、今度すでに改築移転されておりますところの高裁等の合同庁舎、このすぐ近くに、言えば国有財産があるわけでありますから、それらのところに移転をしていただいて、そうして現在地についてはもっと有効適切な利用等、跡地利用は県なりあるいは市なりあるいは地域の住民なりと十分ひとつ話し合いの上で、やはり名古屋市の将来百年の大計のために、ぜひそういうふうなことをいま一度お考えをいただきたいと思うわけでございます。  関連をしてでありますけれども、今度の成田空港、あのような大変な事件でありますけれども、いろんなそれは理由もあります。ありますけれども、しかし、これはやはり当初この成田に敷地決定をした段階で、十分やはり地元の意向を参酌しなかったというふうなことも一つ原因だというふうに思いますし、さらに、それらのものがだんだんエスカレートして、そこでそのような反対運動を利用しようとした、言えば過激派、暴力集団のあのような事件が起きたと、こういうふうに思います。私は、現在では名古屋のこの拘置所の問題等については、そういう強い、表面に出るような反対運動は起きておりませんけれども、もし地元の人たちの意向が十分しんしゃくされないで、このまま現在地改築ということが出てまいりますと、私はまたまた大きな禍根を将来残すんではなかろうかという実は憂慮をいたしておるわけであります。  それから、特にまあ拘置所の性格からまいりまして、今後、まあ現在でもそうでありますけれども、あるいは暴力団等の収容、あるいはまた過激派等の収容等によって、付近の住民は大変やはりそういう懸念をしておるわけですね。いままでも、それについて治安警備万全であったと思いますけれども、しかし今度の成田事件等から考えると、もし万一この拘置所に過激派集団等が収容された場合、それによって起きる問題等を考えると、やはり住民としては、たって従来の要請をさらにひとつ拡大をして、ぜひとも適地をいま一度検討していただく、移転方をひとつお願いをいたしたい、こういう強い強い要請が出ておりますが、いま一度ひとつ御検討いただくことをこれはお願いをいたしたいと思いますが、いかがでございましょうか。   〔委員長退席、理事原文兵衛君着席〕
  68. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 冒頭名古屋の市民の方々の御理解ある御態度のお話がございました。実は一昨日片岡委員から御質問いただきました横浜につきましても、名古屋につきましても、きわめて御理解ある態度でございまして、したがって、私たちはそれに乗って現在地改築を強行するというような考えはございません。十分お話し合いをしていこうということでございまして、これは名古屋市、横浜市ともに同じような態度でございますし、私も両方の代表の方々にお会いいたしましたけれども、きわめて友好裏に矯正施設の機能、特に市民の社会生活の秩序維持に資するところがあるという点を御理解をいただいた上でのお話でございますので、円満な話し合いが進められているところでございます。したがいまして、できるだけの御要望にはおこたえしたいと思っている所存でございます。  なお、お名前は挙げませんでしたが、確かに名古屋の高裁所在地、高裁の移転先の近くにというお話がございまして検討をいたしました。いろいろな理由がございますが、二点だけ申し上げますと、まず一点は、敷地が狭いとどうしても高層の建物にならざるを得ないわけでございます。そうすると、下手いたしますと十七階から二十階というようなことになりまして、名古屋市で一番の高層建築が拘置所だというのも、これもいかがかということもございまして、これは引っ込めざるを得ません。  それから、拘置所の場合は、御承知だと思いますが、ただいまも御指摘のありましたように逃走その他があってはいけませんので、宿舎を施設に併設するわけでございます。看守等の第一線職員ゆ義務官舎といたしましてそこに住まわせなければなりません。ところが、公園地帯には宿舎の建設ということが許されませんし、またそれも名古屋市の美観その他の点を考えますと適当ではないかろうということで、御提示をいただきました敷地につきましては、十分検討をいたしたのでございますが、遺憾ながら私どもの要望するところと、名古屋市あるいは住民の方々とのお話の間に接地点がございませんので、現在位置改築をやむを得ないのではないか、こう判断しているわけでございます。しかしながら、仮に現在地に建設する場合に至りましても、今度建てる建物につきましては、まず地域の環境に適合したものにしなければならないと思っております。  私事にわたって恐縮でございますが、私自身若いころ名古屋地検に勤めておりまして、ちょうど道の角のところにへいが出ておってどうもみっともよくないのでございます。矯正局長になる前からそう思っておりまして、そのことを、なりましてこのお話が出たときにも十分事務の方とも話し合ったのでございますが、そういう関係から地域の環境に即したものにしようと、いわば市街地における矯正施設といたしましてへいのない施設をつくろうと。といいますのは、へいがないと逃げられるという御心配があるかと思いますが、決してそうではございませんで、管理棟といいますか、職員の勤務するところを周りに配置いたしますればへいがなくても済むわけでございます。全面的にへいをなくすることができるかどうか、これはもっと検討しなければなりませんけれども、少なくとも前面の地帯、道路に面するところにはへいを置かない形でつくっていきまして市街地に適した施設にいたしたい、かように思っております。特に、これまで暴力団等が出所いたしますときには周りに群がるのでございますけれども、へいがございますために道路の前あるいは付近住民の住宅にも御迷惑をおかけいたしました。そこで、庁舎の前面にはへいをつくらずに、もしそういう出迎えがあった場合には、拘置所の敷地である前面部分に入れるということになりますれば、率直のところ警備もしやすくなりますし、付近の住民の方に御迷惑をかけないのではないだろうか、こういうことを考えております。  それから、名古屋拘置所は非常に柔道、剣道等の武道が盛んなところでございまして、全国の矯正施設の大会等におきましては上位に常に入賞しているところでございます。したがいまして、現在は汚い武道場を使っているのでございますが、今後の場合には、刑務官の体力の保持の見地からも相当な武道場をつくりたいと思っております。そうした際に、有段者につきましては町の学校等に指導に参るほかに、武道場をも私どもで必要としない場合には開放いたしましてお使いいただくようなことも考えたいと思っております。  なお、拘置所刑務所ともに同様でございますが、ほかの施設から護送してまいります。その護送職員を、長旅でありますと疲れるものですから、待機所を設けましてそこで休ませますが、そういうところも、でき得れば市民の方に御開放申し上げるというようなことも考えまして、市民とともにある拘置所というような考えで十分御要望を承りたいと、こう思っております。いまだ具体的な御要望は出ておりませんけれども、出ました際には、私どもも誠実に検討いたしまして対処してまいりたいと考えておるところでございます。   〔理事原文兵衛君退席、委員長着席〕
  69. 井上計

    ○井上計君 いろいろと計画等承りまして、かなりといいますか、相当地元のいろいろ事情等も御勘案いただいて御検討いただいていることわかりました。これについては大変了といたします。が、先ほどもお答えいただきましたように、ぜひひとつ、現在でも地元としては現在地改築でなく移転を要望いたしておる、強く要望いたしておるということはおわかりのとおりでありますし、また、いまお答えの中に、市民とともにある拘置所というふうなお答えがございましたけれども、できますれば、やはり現在地改築でないことを強く望んでおるということはひとつ改めて申し上げますので、十分ひとつ御検討を加えていただきまして、やはりいろんな事情で万やむを得ないというふうなときには、さらにいまお話しいただきましたような計画、それら等を地元に十分示していただきまして、地元の人たちが納得するような、そうして心から地元改築当然である、このように思うようなひとつ段階までぜひ御努力をいただきますように要望いたしまして、これはもう御答弁要りません。私の質問を終わります。
  70. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、休憩いたします。    午前十一時五十三分休憩      —————・—————    午後二時三十八分開会
  71. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  法務省設置法の一部を改正する法律案の審査のため、本日、新東京国際空港公団総裁大塚茂君を参考人として出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  72. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  73. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 午前に引き続き、法務省設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言願います。
  74. 野田哲

    野田哲君 警察庁に伺いますが、午前中の質疑で一九六七年、昭和四十二年の八月一日に、崔書勉氏が日本から韓国を訪問して、そこで不法な金を所持をしていたということで韓国事件になっているわけであります。これは日本から持ち出した金なんですから、日本でも当然問題にならなければならないと思うんです。警察庁の方で、午前中の質疑でそういう情報は聞いたという話がありましたが、日本では全くこれは事件になっていないんですか。
  75. 城内康光

    説明員城内康光君) お答えいたします。  午前中お答えいたしましたように、そういうことがありましてから、私どもはそのことにつきまして、後日風評として耳にしたということでございまして、その詳細、たとえばどういう通貨をどういうふうにしたというような点については、細かいことは承知していなかったということであります。
  76. 野田哲

    野田哲君 韓国ではその後うやむやの取り扱いがなされているようでありますけれども現実にはやはり関税法違反で逮捕されているわけです。これは韓国側からは、日本から不法な金を持ち出したということについての照会、連絡等は一切なかったんですか、単なる風評だけなんですか。
  77. 城内康光

    説明員城内康光君) 私もこのことについて、また再度昼休みの時間にいろいろ調べてみたわけでございますけれども、そういう連絡はなかったようでございます。そしてまた、それは単なる風評程度のことでございまして、それについて捜査をしたというようなことはないということでございます。
  78. 野田哲

    野田哲君 警察の方は、風評であっても調べるときは結構調べるんですがね、この点は風評を聞き流しにしている。これはやはり、何かそこに特別の事情が介在しているような感じを持たざるを得ないんですが、吉田局長、四十二年の八月一日に崔書勉氏が韓国へ行って金浦空港で逮捕された。そのことについて、これは米人二人がその直後に、逮捕の報に接してすぐ日本から飛んで行ってもみ消し工作を行って、それで彼はその後間もなく釈放されたんだと、こういう情報がありますが、日本から米人二人が、その直後に韓国ソウルに行ったことについて、あなた方の方では事情はわからないんですか。
  79. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 私、そのことはただいま初耳でございまして、全然聞いておりません。それから、米人が行ったかどうか、アメリカ人は日本韓国の間、たくさん往復いたしますので、どのアメリカ人か名前を言っていただかないとちょっと手がかりもございませんので、御了承願います。
  80. 野田哲

    野田哲君 それはそうでしょうがね、韓国でも国内でも、この二人が崔書勉のその後の活動についてのキーポイントを握っているという風説、情報があるわけです。つまり、これはCIAの職員であった、こういう説があるということを私は申し上げておきたいと思います。  そこで、この四十二年八月一日に日本を立ってソウルに行って、それから四十三年九月七日にまた日本に再入国をしている、こういう報告があったわけですが、その後のこの崔書勉氏の韓国への往来、それからアメリカへの従来の記録については、入管の方ではどういうふうに承知をされておりますか。
  81. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 大体年間約二十回ぐらい、これは行き先よくわかりませんが、主として韓国だと思いますが、出入りがございます。
  82. 野田哲

    野田哲君 一九七三年の出入国の記録はどうなっておりますか。
  83. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 一九七三年は十九回の出入国が行われております。
  84. 野田哲

    野田哲君 十九回というのはどこですか、内訳を報告してください。
  85. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 私の手元には行き先が書いてございません。出国した場所は主として羽田でございます。
  86. 野田哲

    野田哲君 これは行き先を明らかにして後で資料を示していただきたいと思うんです。いかがですか。
  87. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) すぐはできないと思いますが、また後日先生と御協議を申し上げたいと思います。
  88. 野田哲

    野田哲君 警察庁に伺いますが、金大中事件でこの崔書勉氏から事情聴取を行った経過がありますか。
  89. 城内康光

    説明員城内康光君) お答えいたします。  警察事件発生以後各方面からの情報収集に努めておるわけでございますが、金大中氏と交友関係にありました崔書勉氏からもお話を伺っております。
  90. 野田哲

    野田哲君 何回ぐらい聞かれましたか。
  91. 城内康光

    説明員城内康光君) 回数まではちょっと私の手元にございません。
  92. 野田哲

    野田哲君 法務省に伺いますが、一九七三年に金大中氏がアメリカから日本に来た、そのときの身元保証人はどなたでしたか。
  93. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 金山政英氏でございます。
  94. 野田哲

    野田哲君 警察庁の方では、この金大中氏と、それから崔書勉氏が何回か会っている事実を把握されていると思うんですが、大体一九七四年、あの事件の前に、金大中氏が日本に来られてからその間に何回ぐらい崔書勉氏と会っていますか。
  95. 城内康光

    説明員城内康光君) 先ほどもお答えいたしましたように、崔書勉氏からはお話を伺っております。そしてまた、いろいろと私どもの捜査に協力いただいて話を伺っております。先ほど申し上げましたように、金大中氏とは交友関係にあってしばしば行き来があった。私どもの事情聴取の中ではもっといろいろ詳しいことを伺っておりますけれども結論といたしまして、同氏が金大中氏事件に関係したとは考えておりませんので、そういう私ども聞きました細かいことについて触れることについては遠慮させていただきたいと思いますし、またそういうことを御理解願いたいと思います。
  96. 野田哲

    野田哲君 彼自身がインタビューの中でこう言っているんです。崔書勉氏は、「金大中君が日本亡命中、慰めを得るための数少ない訪問先の一つが、この私のところだった。私は学問の人なので、政治問題への関与は分を過ぎることかもしれないが、一つは友人として、もう一つは証人として、行動を起こさざるをえなかった。」と、こういうふうに言っているわけですが、そこで、これによっても、いまの報告でもかなり何回か金大中氏と会っていることは証明されるわけですけれども、事情聴取の中で、いわゆるタカラホテルの一件について事情を聞かれましたか。
  97. 城内康光

    説明員城内康光君) 事情聴取の中身につきましてはもちろん捜査本部で詳細把握しておりまして、私の手元では、実はそのことについては聞いたのか聞かないのか、その点ちょっとわからないわけでございます。そして、先ほど申し上げましたように、事件との関係は認められないという捜査本部からの報告に私ども接してそのように理解しておるわけでございます。
  98. 野田哲

    野田哲君 事件との関係ということになれば、これはあの拉致された現場の関係者ということになるわけですから、それはあるいはそうかもわかりませんけれども、背景については、これは相当この崔書勉氏から情報は事情聴取の中で得ていると思うんですが、この点いかがでしょうか。
  99. 城内康光

    説明員城内康光君) 御質問のとおりでございまして、いろいろ詳しいことは捜査本部においては伺っておりますけれども、この崔書勉氏は警察の捜査に協力してくれた方でございますし、その話の中身の詳細について申し上げるのは差し控えさせていただきたいということでございます。
  100. 野田哲

    野田哲君 また前に返りますけれども法務省吉田局長ね、彼が不法入国として日本に来た、それからこの在留許可、法務大臣による特別の許可を受けるまでの期間というのはかなりありますね。この間の彼の行動については、法務省としては特別許可を与えるに当たっては、一回は国外退去という扱いをした者をその後特別許可を与えているわけですから、相当これは把握をされた上でのことだと思うんですが、その点いかがですか。
  101. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) いろいろ、本人からその当時どうしていたか聞いたわけでございますが、これはカソリック信者の保護で、自分は昔カソリック韓国に入った歴史を図書館なんかに通って調べているということで、何か生活費はそういう善意な人の負担で賄っているんだというふうにわれわれは承知しております。
  102. 野田哲

    野田哲君 どこに住んでいたかということ、事情聴取をされていると思うんですが、どこに住んでいましたか。
  103. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) いま手元に、そのときどこに住んでいたということのちょっと書類はございませんが、もちろん捜しますと、大分前のことでございますが、そのときの住所はわかると思います。——その事件当時は東京都渋谷区大山町十四でございます。
  104. 野田哲

    野田哲君 いま言われたところはだれかが提供したと思うんですが、だれが提供した住居ですか。
  105. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) 資料がございません。この十四番地の多胡方でございます。
  106. 野田哲

    野田哲君 杉並区の方に居住をしていたという記録はありませんか。
  107. 吉田長雄

    政府委員吉田長雄君) ここには、その事件当時のには出てまいりません。
  108. 野田哲

    野田哲君 警察庁ね、彼が三十二年の六月に米軍機によって立川に入ってきた。それから、その後、先ほど報告のあった金浦空港事件、そして彼が不法入国をして東京に来たときにいろいろ生活のめんどうを見た人、これはいわゆるドルブローカーの仲間なんですよ。金浦空港事件についても、これは明らかに非常な分不相応な大金を持参して金浦空港へ行っているわけですからね、これはやみドルなんですよ、全部。彼が一番最初に入ってきたときの経過というのもやはりそうなんです。当然これはこのやみドルのブローカーとして身辺の捜査をすべきじゃなかったんですか、単に風聞として外国で起こった事件だからということで聞き流すということであったのでは万全を欠いているんじゃないですか、日本から持ち出されているわけですから。その辺は一切警察庁としては聞き流して手をつけなかったんですか。
  109. 城内康光

    説明員城内康光君) 先ほどもお答えいたしましたように、具体的な犯罪容疑としての情報をとったということではなくて、そういう風評について余りはっきりしない形で耳にしたということでございます。法律的にも私どもは犯罪があると思量するときに犯人及び証拠を捜査するということでございまして、余りその風評、はっきりしない階段で軽々に動き出すというようなことでは——そういう私どもの捜査をするという立場からではやはり慎重でなければならないと、こういうふうに考えておるわけでございます。そして、当時の状況をいろいろ聞いてみましたけれども警察として当時捜査というものに着手したということはないと、そういうことでございます。
  110. 野田哲

    野田哲君 その調査に着手したことはないということを私は不当だと言っているんですよ。あなたは犯罪があったときに警察というものは動くんだと言うけれども、現に犯罪があったんですよ。日本から韓国へ行って、そのときに日本から膨大な手続を経ない金を持ち出しているから韓国で検挙されたわけでしょう。そのことは向こうの新聞には大々的に報道されたわけなんですから、当然情報としても入ってくるんだし、当然彼が帰ってくれば、日本から金は持ち出しているんですから、警察としてもそれなりの措置をとる必要があったんじゃないですか、いかがですか、全くそれは気がつかなかったということなんですか。
  111. 城内康光

    説明員城内康光君) 古いことでございますので、当時のことを余り詳細に調べることにはまいらなかったわけでございますけれども、たとえば、当時新聞報道されたところによりますとやみドル云々というような言葉がございますけれども本人が果たしてやみドルというような形で持ち出したのかどうか、あるいは、正規にこちらで働いてかせいで、そして正規にドルにかえて正規に持ち出したのか、直ちにドルを持って出たからといって犯罪になるわけではございませんので、そうした細かいその間の事情というものがはっきりしなければ、直ちに捜査に着手するというわけにはまいらないというふうに思うわけでございます。そして、当時格別の事情があって捜査をしなかったというような、そういうことは全くないというふうに私は聞いております。
  112. 野田哲

    野田哲君 八月一日に日本をたって韓国金浦空港へ着いて、そこで不法な金を持っているからということで逮捕されているわけですから、その不法な金というのは日本から持ち出しているわけでしょう。韓国で不法な金を持っているということは、日本で適法に持ち出したということにはなり得ないんじゃないですか、いかがですか。
  113. 城内康光

    説明員城内康光君) 韓国のそういう関係の法規の詳細について承知しておりませんので何とも言えないわけでございますけれども、たとえば本人が申告すべきのを申告しなかったとか、そういう態様もあり得るんではないかと。したがいまして、観念的に言いますと、これはあくまでも理屈の上だけでございますが、適法に持ち出しても申告すべきものを申告しなければその土地においては犯罪とされるというようなこともあろうかと思います。
  114. 野田哲

    野田哲君 押し問答になりますから、私はこの問題はもう打ち切りますが、結論的に言えば、これは法務大臣、それから政府委員の皆さん、不審な点がずっとつきまとっているわけです、彼が日本在留していることについて。まず第一は、彼が殺人事件を犯している、このことは隠れもない事実である。それがいつの間にか刑の執行がうやむやになって、そして正規の手続を経ないままに密出国をし、日本に密入国をしている、こういうことでしょう。そして、この密入国をした者が、不法入国をして一回は退去のための強制手続がとられていた者が、いつの間にか法務大臣の手による特別在留許可という扱いを受けている。なぜ特別在留許可を受けたのかということで、私が聞いてもその理由が明らかにされない。そして金浦空港事件ということで韓国では大々的に報道されて、しかも、それが逮捕して指紋を照合してみたところ、これはまだ刑の残っている殺人事件を起こした崔重夏であったということが判明して、一度は韓国収監をされた。それが間もなくしゃばに出て、そしてまた日本に再入国をしている。そして今日では、その彼に対して年間数千万円の金が韓国政府から援助金として送られている。どう考えてみたってこれは不可解な扱いですよ。つまり、韓国側日本側との間で、政府間に何かの密約がなければこういうことにはならないはずですよ。しかも、金大中事件でも相当な背後関係を承知をしている。これは韓国事情について関心を持っている者が疑惑の目を持つのは当然だと思うんです。韓国国会においても、日本における朴東宣役割りを果たしているということで韓国国会議員が指摘をしているわけです。しかも、国税庁の方では、これは退席されておりますからやむを得ませんけれども、かなりの金が韓国から援助として入っているが、個人の所得は守秘義務として明らかにしない。事務所の金の収支はどうかと言いますと、法人でないからこれは明らかにできない。これではもう疑惑はますます深まるばかりですよ。で私は、一つは一九七三年、先ほど言いました資料、これをできるだけ早く提出をしてもらいたい。このことをお願いをし、引き続いてこの問題については、不明な点について法務省なり警察庁外務省の方で調査をして報告をしてもらいたい。このことを要求をして次の問題に入っていきたいと思うんです。  法務大臣に伺いますが、日中平和友好条約が早晩締結という方向で動いている、こういうふうに考えられるわけですが、このことにかこつけて、恩赦法、これを非常に期待する向きが、特に政界筋にあるといううわさがいま流れておりますが、その問題の前に伺いますけれども、戦後恩赦法によって刑が減刑され、あるいは免罪符を与えられた経過というのはどういうふうになっておりますか。
  115. 常井善

    政府委員(常井善君) 戦後、いわゆる恩赦と言われますものは九回行われております。そのうち大赦が四回、特赦が八回でございます。これは数が重なりますが、大赦のときに特赦もあるというようなことで重なり合う部分があるのでございます。
  116. 野田哲

    野田哲君 その九回の事例を挙げてください。
  117. 常井善

    政府委員(常井善君) 昭和二十年の十月十七日、第二次大戦終局の恩赦がございました。以後、日本国憲法公布、それから第二次大戦……
  118. 野田哲

    野田哲君 ちょっと年月日と。
  119. 常井善

    政府委員(常井善君) 昭和二十一年十一月三日、日本国憲法公布の際に行われた恩赦でございます。第三回目が昭和二十二年十一月三日、第二次大戦終局の恩赦及び日本国憲法公布の恩赦における減刑令の修正、この際の恩赦が三回目でございます。四回目が昭和二十七年四月二十八日、平和条約発効に伴う恩赦でございます。その次が昭和二十七年十一月十日、皇太子殿下明仁親王でございますが、立太子礼に伴う恩赦でございます。次が昭和三十一年十二月十九日、国際連合加盟に伴う恩赦でございます。その次が昭和三十四年四月十日、皇太子殿下明仁親王でございますが、御結婚に伴う恩赦でございます。その次が昭和四十三年十一月一日、明治百年記念に伴う恩赦でございます。最後が昭和四十七年五月十五日、沖繩復帰に伴う恩赦でございます。以上九回でございます。
  120. 野田哲

    野田哲君 この中で特赦というのはどれとどれですか。
  121. 常井善

    政府委員(常井善君) 八回でございますが、ただいま申し上げましたのを繰り返しますと時間をとりますので……。
  122. 野田哲

    野田哲君 じゃ大赦の方。
  123. 常井善

    政府委員(常井善君) 回数の名前で申し上げますと、大赦が第一回目、二回目、それから四回目、六回目でございます。  それから、ただいまお尋ねの特赦でございますが、特赦が一回目、二回目、四回目、五回目、六回目、七回目、八回目、九回目でございます。
  124. 野田哲

    野田哲君 法務大臣、巷間うわさ話があるんですが、今度の日中平和友好条約、この恩赦ということをお考えになっておるんですか。
  125. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) 巷間うわさ話があるそうでございますが、私どもは何も聞いておりませんけれども、さようなことは考えておりません。
  126. 野田哲

    野田哲君 これはもうないということで受けとめていいわけですね、だめを押すようですが。
  127. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) 恩赦というものは、御承知のとおり法秩序によって、法令によって決定されたことを後で変更する行事といいますか、国家的な大変めでたいお祝い等の場合にやることでございますが、私どもとしては、その法治国家としての決定事項を軽々に変えるということは適当でない、こういうたてまえから全然考えておらない、かようでございます。
  128. 野田哲

    野田哲君 法務大臣、それはわかりました。  それでもう一つ、この質問内容は通告してないんですが、この恩赦の問題について見解を伺いたいんですが、戦後三十二年の間に九回の恩赦が行われているわけです。この恩赦という問題について非常に矛盾のある問題が起こっているんです。それはどういうことかといいますと、選挙違反の供応買収とか、あるいはいろいろ刑法上の罪によって制裁を受けている、こういう人たちが、この恩赦によって無罪放免になるわけですけれども、公務員法等の行政処分によって処罰を受けた者はこの九回の恩赦の際にも、実際これはいまの恩赦法では対象にならないことになっているんです。言うならば、世間で言えば刑法上の罪と行政処分といえば、社会的な常識からいって刑法上の罪の方が重いわけですよ。それが恩赦法の適用によって無罪放免になる。行政処分によって停職とか、あるいは場合によっては免職という場合もあるわけです。こういう者はいつまでたっても手心を加えられることはない。これは法体系としては矛盾ということは言えないですか、どうですか、この点は。
  129. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) 私も恩赦法、そういう方面を詳細に検討しておりませんから確たるお答えはできかねるかもしれませんが、何かの国家的な喜びという、先ほど申し上げましたような戦争終結であるとか、あるいは国連加盟であるとか、日本国家としては国民とともに喜ぶ、その喜びをいわゆる刑余者にも分かって軽減をしよう、こういうことだろうと思いますが、確かに恩赦法の中には行政処分の者は入っておらないわけです。いま野田さんからそういうお話を聞きますと、何かこうやはり喜びを分かつ場合にはそういう方にも分かつすべを与えるのが適当じゃないかと、最初に申し上げましたように周到にいろんな場面を検討しての話じゃありませんが、いまお話を伺って直感的にはさように考えます。
  130. 常井善

    政府委員(常井善君) 何と申しましても刑事罰の影響は非常に深刻でございます。その一つといたしまして資格制限のような制裁がございますけれども、資格制限にわたることではございませんで前科者と言われるような立場になりますと、更生上の妨げになりまして、世間でも白眼視いたしまして、その影響は御承知のように大変深刻かつ重大なものがございます。それを救うということが戦後の恩赦の重要な目的になっておりますので、それと比較いたしますと、行政処分というのは、これはその救う対象といたしまして、刑罰の影響ほどは考えられないというところに、救う重点が恩赦によって刑罰の対象者に限って運用されるというところがあろうかと思うのでございます。
  131. 野田哲

    野田哲君 あなたは、法務大臣がせっかくこの矛盾を感じるというふうな見解を出されておるのに、後から水をかけるようなことを局長が言われるということは、それは議論はかみ合わないですよ。行政処分だって、これはやっぱり世間から白眼視されたり、経済的な損害は、一生涯ではなくてこれは遺族にまで及んで、遺族の代まで経済的な損害を受けるという状態が続くわけなんですよ。それを世間から白眼視される刑法の対象者を救うんだという、そこが私は矛盾をしているのじゃないかということを言っているんですよ。刑法の適用にまで至らない行政処分だけで済んだ者が救われないで、刑法の適用を受けた者が救われるというのは、私は法律家ではないですからむずかしい法律議論をしようというわけじゃないんですが、世間の受けとめ方としては、これは矛盾じゃないですかと、こういうことなんです。たとえば、公務員が心ならずも一日、二日無断欠勤のような状態になった、そのために行政処分を受けて停職を受けたとか、減給を受けたとかいうのは、これはずっと続くわけですよ。減給という処分は、あなたも公務員ですからよく御承知でしょう、遺族の年金にまで及ぶわけですよ。そういうのは復活することはあり得ないのですよ、いまの制度から言えば。恩赦があれば、刑務所へ入った人たちは救われて、そういう処分は救われないというのは矛盾をしているのじゃないですかと、これは今後、いつかまた日本には恩赦というような機会があると思うのですがね、次の機会までには少なくともそういう矛盾は解消されるべき問題じゃないんですかと、こういうふうに聞いているのです。
  132. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) まあ野田さん、いま局長が言ったのは、これは現行法にそうなっていますから、行政処分が現行法恩赦法に入っておらぬので、そういう差はそういうところから来ておるのじゃないかと、こういう説明だと思いますから、そこはひとつ、あとは立法論になりますので、お許しをいただきたいと思います。  恩赦というのは、これはいわゆる立憲国家になってからあったわけでございますが、立憲国家になる前も、やはり、たとえば昔の将軍の喜びとか、そういうことで何らか国民に恩恵といいますか、恩沢を施そうと、こういう考え方でやったわけでございまして、その当時は行政処分が入っておったかどうか、それはわかりませんけれども、いろいろ伝統的なこと、また別に理由があるのかもしれませんけれども、率直に言って、何となく釈然としないところを感ずるわけでございます。結論がどうなるか知りませんが、われわれも検討してみたいと、かように考えております。
  133. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 私は、法務省設置法の一部を改正する法律案の改正点の第一の沖繩刑務所の移転に関連をしてお伺いをいたしたいと思います。  沖繩刑務所の移転建設は営繕方式と、このように聞いておりますが、移転方式には、いわゆる刑務所跡地を地方自治体が取得するかわりに、その評価分だけ投資をして新刑務所を建設する建築交換方式と、国が全面的に資金を出してつくって、移転をするときに跡地を地方自治体が買い取る営繕方式と、このようにありますが、過去に移転のあった刑務所、または近い将来移転が予定をされているものの中で、建築交換方式と営繕方式の種別についてひとつお知らせ願いたいと思います。
  134. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 冒頭和泉委員からお話のありました沖繩刑務所につきましては、一般会計でいたしまして、いわゆる特別会計ではございませんので、これはちょっと違うかと思います。  で、それ以外の点につきまして、過去五年間の分を順次申し上げておきますと、四十八年に建築されました高知刑務所は営繕方式、四十九年の富山刑務所、営繕方式、五十年の宮崎刑務所、営繕方式、現在計画中では、栃木刑務所、営繕方式でございます。これに対しまして建築交換方式は、四十八年の盛岡少年刑務所、五十一年の帯広刑務所、五十二年の横須賀刑務所、現在計画中の甲府刑務所及び神戸拘置所でございます。数字をまとめて申し上げますと、過去五年間のうち営繕方式によったもの四庁、建築交換方式によったもの五庁でございまして、施設の規模からまいりますと、大きな規模の刑務所拘置所等につきましては建築交換方式を原則といたしております。
  135. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 それではお伺いをいたしますが、鹿児島刑務所の改築移転は、その移転方式について国と市との間でまだ意見が対立してもめているようでございますが、これはどういうような理由によってそのように意見の食い違いが起こっておるんでしょうか。
  136. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 鹿児島刑務所につきまして、まず現況を申し上げますと、きわめて老朽化した施設でございます。大半の庁舎あるいは雑居房、講堂、医務室等は明治三十六年あるいは明治四十年に建設されたものでございまして、いわば耐用年数は大分経過いたしておりますが、幸いにして地盤が強固であり、石造でございますので補修等に留意をして使っているわけでございます。なお庁舎、収容者が入るところ及び職員宿舎、ともにいまだ水洗にもなっていないというようなところでございまして、職員が非常に責任の重要性ある仕事をするにおいてもふさわしくない庁舎でございますので、早く改築いたしたいというふうに思っております。一般的に私どもの考えといたしましては、午前中の質疑でも申し上げたのでございますけれども、現在地改築を原則にいたしていただきたい、かように思っております。ところが、鹿児島市におきましては、現在あるところについて市街地の発展上困るので、どうか移転してほしいということでございました。そういうことになりますならば、営繕方式によるよりも建築交換方式によった方がまず早く建築できるわけであります。すなわち、営繕方式による場合には国の予算を先につけなければならないのでございますが、こうした財政事情によりましては容易に予算措置が講ぜられるとは限らないのでございます。現に営繕方式によった場合の方が建築交換方式によるよりも時間が長くかかるということでございます。そのほか私どもが鹿児島市に申し上げておりますことは、建築交換方式によりました場合の現在地の土地の評価につきましては現在の価格をもってやっていただけます。ところが、仮に営繕方式によりました場合にはでき上がった時点における評価にならざるを得ません。してみますと、土地の価格がそう上がってはこなくなってきたとは言いながら、なお価格の上昇というものは見られるのでございまして、建築交換方式の方が鹿児島市のためにも御有利ではないかということがございまして、私どもといたしましては建築交換方式によっていただきたいということで鹿児島市と折衝していると、こういうのが現況でございます。
  137. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 法務省の方の意見は聞きましたが、では市の方の主張は、おたくの方でもいろいろとお聞きになっておると思うんですが、どういうふうな主張をしておるんでしょうか。
  138. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 市の方につきましては、現在建築交換方式と営繕方式との差異を申し述べて、建築交換方式によってほしいということを私の方からむしろお願いするような形でやっておりますが、営繕方式によってほしいというような態度であるようであります。
  139. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 法務省の方は建築交換方式、市当局は営繕方式と。実は建設予定地が、ちょうど鹿児島市から百キロ離れた吉松町というところにつくられる予定になっておりますので、そこが大変なネックになっておるようで、要するに、鹿児島市につくるということになりますと、あそこの場所はもう市の住宅密集地域になっておりますし、市の区画整理の計画中でもある場所でございますし、非常に現在地では困るということの意思表示があったかもしれませんけれども、今度できるところは百キロ離れたところであると、そこで、建築交換方式をされますと、相当な距離の資材の輸送ということ等にもいろんな経費がかかるし、また離れたところに建築をするということで職員を置かなければならない、こういうようないろんなこと等で、大変市のいまでも相当に圧迫しておる財政を圧迫をするということが一つ。それから、建築交換方式になりますと、約二十四、五億の金を先行投資せにやなりませんので、借り入れをして、そういう金利分のことが、先ほどおっしゃった地価の騰貴よりは大変高価につくというようないろんな理由から営繕方式の主張をしておるようでございますが、逼迫した地方財政をこれ以上圧迫するということからしますと、私はやはり営繕方式というものが好ましいんじゃないかと、こういうふうに思うんでございますが、そういうようなことで、こういうような刑務所の移転について、この建築交換方式と営繕方式について、自治省はどのような御見解をお持ちでしょうか。   〔委員長退席、理事林ゆう君着席〕
  140. 土田栄作

    説明員(土田栄作君) 刑務所の移転方式をどのようにいたしますかという問題は、これに関連いたします諸般の事情があると思います。それらの事情を考慮いたしまして、当事者間の話し合いによって決めるべきことであるというふうに存じております。
  141. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 それはよくわかるんですが、こういうような地方財政を圧迫するような方式について自治省はどういうような御所見をお持ちかとお聞きしているんですから、それに端的に答えてください。
  142. 土田栄作

    説明員(土田栄作君) 御質問の趣旨は、財政負担の問題だと思いますが、いずれの方式をとるにいたしましても、移転に際しまして財産評価、それから所要経費、そういうふうなものの算定を公正に行いまして、地方団体側が不当に負担を負わされることのないよう十分な配慮をなされるということが当然必要であろうというふうに考えております。方式のいずれかということを問わないという考え方でございます。
  143. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 じゃ局長にお尋ねしますが、お隣の宮崎県の宮崎市の刑務所の移転は、たしか五十一年に改築移転をされたようでございますが、この移転方式は建築交換方式であったのか営繕方式か、どちらだったんでしょうか。
  144. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 宮崎刑務所の移転の場合におきましては、宮崎市におきまして土地の取得等をされて、当初は建築交換方式の予定でございました。ところが跡地につきまして、宮崎市のみならず国鉄あるいは私立学校等からも欲しいというような御要望が出まして、なかなか話がまとまらないということから、やむなく営繕方式に切りかえたのでございます。したがいまして鹿児島刑務所の移転とはケースを異にするというふうに考えております。
  145. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 宮崎の場合は宮崎の市内で移転をするというようなことで、ここでありますと、建築交換方式をおとりになってもそう大したあれはないと私たちは理解するんですが、鹿児島の場合は百キロ離れた吉松に持っていく、こういうような問題がございます。聞いておりますと、宮崎の場合は、最初確かに建築交換方式であったものが、いまいろいろおっしゃいましたけれども、営繕方式に変わったのには、いろいろ私たちの聞いた中では折衝がなされたように聞いておりますが、もうちょっと突っ込んでお聞きしたいんですが、ただそれだけの理由で建築交換方式から営繕方式に変わったんでしょうか。
  146. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 宮崎の場合には、先ほども申し上げましたように、土地の取得につきましては宮崎市が大変なお骨折りをされまして探してくださいました。そのほか、刑務所を移転するに当たりまして道路をつくるというような御配慮もされております。それから排水あるいは給水の点につきましても宮崎市が負担をされたのでございます。ところが鹿児島市の場合には、たまたま離れたところの吉松町で刑務所を建ててもいいというお話がございまして、ただいま申し上げたような財政負担は全然ないのでございます。鹿児島市を御批判申し上げるようになって恐縮でございますが、ほかのところの建築交換方式の場合におきましては、土地の取得というきわめて困難な仕事を地方公共団体がお引き受けになり、道路あるいは給排水、それからさらに宮崎で申し上げますれば、消防機関の設置であるとか、あるいは赤電話の設置であるとかというところに努力されたのですが、鹿児島市の場合にはそういうことをする必要がないのでございます。しかしながら、どうもたまたま自分のところで探さなくても、いい土地があるということで、いろいろなことをおっしゃっているのでございますが、私どもといたしましては、もし営繕方式をあくまでも御要望されるのでありますれば、これは施設の職員にとりましては、いまお話しのように百キロ近く離れたところへ行かなきゃならないというような点もございますし、建設に長くかかるというようなことがございますので、現在地で改築していただくようにわれわれの方針も変えなければならないのではないかというふうに考えております。  なお、鹿児島市で、吉松町に建物を設置する場合に職員の派遣その他という問題も出ておりますが、その点につきましては、具体的な交渉等々、それを担当する営繕課長がおりますので、営繕課長からむしろお答え願った方が適当かと思います。
  147. 増井清彦

    説明員(増井清彦君) ただいまお話がございましたように、鹿児島市の職員が、直接自分たちの使用するものでない刑務所をつくるために、市の行政区域外に長期間出張して工事に従事するというふうなことは、人事上もあるいは出張旅費その他の財政的負担の点からも問題がございましょうし、またそういった特殊な建物の建設に必ずしも習熟していないという点で、御指摘のあったような難点は確かにあるわけでございます。しかし、その点につきましては、建築交換の対象になります物件の建設等を鹿児島市の方から法務省の方に委託していただくと、そういった方法で切り抜けることができるのだということを私の方から市の当局者に説明してございます。その点の難点につきましては、一応解消したということになるのではなかろうかと考えるわけでございます。
  148. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いま、現在地につくってもらうように、そういうふうに変更せざるを得ないのじゃないかというようなとんでもないお答えをしていらっしゃいましたが、あそこは住宅の密集地帯になって、土地の区画整理上いろいろ支障がございますのでという、市と市議会のそういう意思表示があっておるわけでございまして、そしてまた拘置所を残さにゃならぬわけでしょう。そうなりますと、その跡地も全部フルに使えるという状態ではないわけであります。そういうようないろんなことが重なり合って、市としてはいろいろ財政上の圧迫という、そういうような問題がありますので御考慮願いたいと、こういうような主張をやっておるわけで、宮崎の場合は、私が手に入れた文書の中には、実は交換方式だったけれども宮崎の出身の偉い先生方のお力添えがありまして、そして営繕方式に変わりましたと、こういうような書簡等もございますので、そこらあたりは私は公平でなければならない法務省の立場でございますので、刑務所所管あるいは施設は、これは国のものでございますから、やはり施設環境等の調査をされて、そういうふうな住宅密集地域にあれば、いろいろ環境等のことから再配置整備計画をおつくりになるのは当然かと思いますが、この鹿児島刑務所もその一環にたしかなっておると私は承知をしておるわけでございます。ですから、やはり財政の逼迫した地方行政のそういう乏しい財政に乗っかって、そしてこういうような膨大な支出を要求するような建築交換方式よりは、根っこは大蔵にあるかもしれませんが、そこは法務省の施設でございますので、自前で、やっぱり営繕方式でおつくりになっていくことが私はたてまえではないか、こういうように思うわけです。特に鹿児島の刑務所は明治三十四年に着工して、石造づくりではございますが、大変環境の悪い刑務所でございますので、これは移転をされなければならないことはもう当然だと思いますので、法務省の方でも、市の方とやはり両方が角突き合わして言い合っておる間では進みませんので、何かここらあたりでひとつ前進、歩み寄りができるような話し合いをされるお考えはないのか、大臣ひとつお隣の県にいらっしゃる大臣でございますので御所見を。
  149. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) 和泉さんは事情はよくおわかりになってのお話だと思いますが、先ほど来局長等から御説明申し上げておりますように、古い歴史を持っておる刑務所等の施設は、まあ収容されておる人々の環境からいっても、あるいは危険等の問題もありますし、できるだけ早く新しい施設に改善をしたい、改築をしたい、こういうことで現在進めておるわけでございます。しかし、できるだけ早くといっても、何しろ相当膨大な資金を、金を要する施設でございますから、国家財政上なかなか一挙にはいかない。そこに正直なところ悩みがあります。一面においては、施設設置当時はそうではなかったんですけれども、だんだん時勢の流れで変化が来まして、刑務所の施設が悪化するのと、加えて付近がだんだん住宅が建ったり、あるいは諸般の事情で必ずしも適地でない、こういうところが各所にあるわけでございます。そうかといって、なかなかこれ残念ながら刑務所等をほかに移すとなりますと相当膨大な施設を必要としますが、そればかりでなくて交通の便その他いろいろまた諸条件がありますけれども、なかなかまた、刑務所が移転してくるということを好まない最近の風潮がありまして、来てくれというところもありますが、そういう適地を求めるということはきわめて困難である。でありますから、建築は急がなければならない、そうかといって新しいところに移した方がいいんだけれども、新しい適地はそう簡単に手に入らない。でありますから、原則としては現在地に建てかえるよりしようがない、こういうふうにしておりますが、やはり地元の都市計画とか、あるいは市街地の整備とか、あるいはまた環境の問題とか、刑務所そのものの環境にも関係ありますから、そういうことで地元の公共団体等と話し合いをしまして、できることならほかに適地を見つけていただきたい。そうした上で、なかなか膨大な金がかかりますから一挙にはいかないが、どうせ跡地は地元の方で活用されるためにいろいろやられるわけでありますから、さっき自治省からも御説明がありましたように、それを評価をして、その評価の範囲内で別な建物を建てることにして、不足しますときには国家財政を投入しなきゃなりませんけれども、やはりそこで等価交換というようなことで両々相まっていこうと、こういうことも各地で進めておるわけでございます。鹿児島の方も、先ほど来お話がありますように、吉松町からは早く刑務所をここにつくってくれという陳情も来ておるくらいで、これは土地の発展策につながっておるということ、用地も数年前から、大分前から、昭和三十何年から用意をしておられる。こういう状況でありますから、鹿児島市等ともよく話し合いをつけて御了解をいただいて、負担の問題は先ほど申し上げましたように、全然何もないとは言い切れませんけれども、鹿児島市の財政の負担が大きくかかるとか、余分な手数がかかるというような状況ではないわけでありますから、何とか御協力をいただきたい、こういうことで相談をしておりますが、和泉さんの話もありましたので、もう少し、現在も進めておりますけれどもひざを突き合わして相談をいたしたいと、かように考えております。
  150. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いまおっしゃったとおり、吉松の方では待ち望んでおる状態にありますし、市の方の意向も先ほどるる申し上げたような実情でありますので、ひとつここらあたりは柔軟な姿勢で折衝して、一日も早く移転が促進されますように御要望申し上げておきます。  次は、地方法務局における登記事務に関連をした問題を質問をいたしたいと思います。  この問題は決算委員会等でいろいろ指摘をした問題でございますが、一通り簡単に申し上げてみますと、過疎に悩む鹿児島県薩摩郡の上甑村が、余り性質のよくない誇大宣伝をしておった社団法人海洋開発技術研究所の学校進出の口車に乗せられまして、仲介の村が多くの改良区民の反対する中を、当時の土地改良区執行部と結託をして、昭和四十八年十二月二十五日に未完成の干拓田の売買契約を結んだわけでございます。この干拓田は、登記簿にも所有権も設定されていない無籍地でございまして、売買による所有権の移転登記のためには所有者をはっきりさせる必要があるわけで、そのことから改良区執行部は、実際は買い手の村がすべて代行しましたが、この未完成の干拓田を、干拓工事は昭和三十五年十二月に完了、所有権は土地改良区であることを証明してほしいと鹿児島県に証明願を申請したわけでございます。昭和四十九年四月二十七日にこの申請がなされたわけでございますが、これに対して県は、現地調査もしないで書面上で昭和四十九年五月七日に同証明願を間違いなしとして知事の公印を押したわけで、これを待つようにして、改良区から村へ昭和四十九年八月に、昭和四十八年十二月二十五日の売買による所有権移転登録を請求したというのがこの問題の大体の経緯でございます。  一番問題になるのは、農地がどのような経緯で、海洋開発技術学校が進出を決めた四十九年七月に、この農地約四ヘクタールでございますので農林大臣の許可が要るわけでございますが、この許可なしに地目を雑種地に法務局の方でなされたのか、その辺の事情について御説明を願いたいと思います。
  151. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 昭和四十九年の七月に、御指摘の土地改良区から、干拓完了によって——実際は三十五年に完了しているようでございますが、それが申請手続がおくれておったわけですが、干拓完了によって土地が生じたということで、土地の表示の登記の申請がございました。で、現地の登記官は現地調査をいたしまして、その当時一面にアシとかあるいは雑草が生育しておる湿地帯のようでございまして、登記官としては雑種地という地目に認定すべきだというふうに考えたわけでございますが、さらに念を入れるために農業委員会に対しまして、農業委員会の見解をお聞かせ願いたいということで書面で照会いたしまして、そして農業委員会の方では雑種地ということになるという見解をちょうだいしまして、そういうことで地目を雑種地として改良区名義で土地の表示の登記をした、かような経緯でございます。
  152. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 上甑の出張所の発行した登記簿の謄本によりますと、この登記簿に記載されてある「原因及びその日付」という欄のところには「昭和参五年壱弐月壱壱日土地改良事業の公有水面干拓」、このように明らかに農地を造成するための干拓工事による土地であるということをはっきり登記簿に書いてあるわけです。そしてこの上の方の「地目」のところには「雑種地」というふうに決定をされておるわけでございますが、現地の農家の方々は、雑種地の設定が、先ほど申し上げました農地法上の制約から転売が非常にむずかしいので、学校用地に売却することを容易にするための工作であると、このように反発をしているのですが、この疑問に対してはどのようにお答えになりますか。
  153. 香川保一

    政府委員(香川保一君) ただいま御指摘の登記簿に、原因、日付として、土地改良事業の公有水面干拓完了、これは土地改良事業の中でいわゆる公有水面の埋め立て事業をやって、それが干拓でございますが、土地が生じたということを登記簿上明らかにしておる趣旨でございます。一般的に農地ということに相なりますと、その処分につきまして都道府県知事の許可を要するというふうな面がございますので、そこで現実には、農地であるものが雑種地とか、あるいは宅地というふうなことで登記の申請をされる案件が比較的あるのでございます。さようなことで、特に民事局長通達をもちまして、そういった農地であるかどうかということが非常に問題になる地目設定については、登記官の実地調査をやると同時に農業委員会の意見を聞いて決すべきだという通達を出しておりまして、その通達に基づきまして、先ほど申しましたように現地の登記官が農業委員会に照会したと、その回答が雑種地だということで参ったものですから、自己の判断と農業委員会の判断も一致しておるということで雑種地という地目を設定した、こういう次第でございます。
  154. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 登記申請をする場合の書類としては、所有権を証する書面、こう言いますと、完工証明ですね、県の方には完工——実際は完工していないのですよ、していないのをしたようにして、地番もなければそういう地積もはっきりしていないものですから、だからそういうことを決定するために、まだできていないのを完工証明をお願いしたと。そういうような、できていないのを、現地を見ないでできましたという証明をしたのが完工証明でついておるわけです。いまおっしゃったとおりに、農業委員会の方から、どうでしょうかということを確かめるそういう問い合わせをしたところがその書類が返ってきたと、それを見ますと、その土地は未完工でございますと、こういうふうな回答が返っておるわけですよ。同じ登記申請の中に、一方には完工証明があり、一方には農業委員会の方の未完工でございますという内容の証明があれば、これはちょっとおかしいなというふうになって、鹿児島地方法務局の方に指導を受けあるいは本省の方に指導を受けるぐらいの慎重さがあってしかるべきだと思うのですが、そういうような指導を直接上の鹿児島の地方法務局にお受けになった痕跡は私の調査ではないようでありますが、いかがでしょうか。
  155. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 鹿児島地方法務局の指示を受けたことはございません。ただ、これは私ども調査したところでは、農業委員会から満場一致で雑種地と認定すべきだという回答をいただいておるわけでございまして、いまおっしゃる未完工というふうな証明書は登記申請書類にはついていないと思うのであります。県の方は、これは所有者をだれだということを証明されているわけでありまして、地元の土地改良区が所有者だという証明を県知事がなされておる、この二つの書類がついているだけでございます。
  156. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いやそれはそうでありませんで、完工証明というのは、要するに、所番地と地積とそして完工したことを証明してくださいということで、そして、完工したことを証明するという証明でございますから、もちろん所有者も——本当を言いますと、その完工届が出れば土地改良区が所有をすることにはならないわけであります。これは九州農政局の御意見でも完工すればおのおのの農家に払い下げをしなければならない、一改良区がそれを全部持つということはちょっと考えられないと。こういうような非常に矛盾した完工証明でございます。完工したということを一つの証明にしておるわけで、それから農業委員会からの意見書の中には、未完工でありますというのは明らかにその文書の中に載っております。いかがですか。
  157. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 登記申請書に添付されている書類の中には、さような未完工だというふうな書類を添付するはずもございませんし、県知事の証明された証明書というのは三十五年十二月十一日完了したものであって云々と、こういうふうに証明されておるわけでございまして、これは恐らく、土地改良事業として公有水面埋め立ての事業をやったわけでございますから、完工によりまして事業者が、県知事の竣工認可によって通常の場合はそこに土地ができ、その事業者が所有権を原始取得すると、かような法律的な関係になるわけでございまして、したがって、この土地改良区がこの事業を行ったという以上は、その土地改良区が原始的に所有権を取得するというのは当然のことだろうと思うのでありまして、そのことを知事が証明しておるという関係になろうかと思うのでありまして、未完工だという関係の証明というのは、これはうがって申しますと、そんな証明書類は登記申請書につけるはずもないと思うのでありまして、現に現地に照会しました添付書類にはさようなものはないようでございます。
  158. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 これは文書がここにあるんですよ。おたくの上甑出張所の方から「同上甑村瀬上土地改良区を所有者とする土地表示登記の申請書が提出された。そこで当該土地の地目を「雑種地」として申請されているため、この地目について貴会の意見を求めます。」と、昭和四十九年七月十七日付で出ておるんですが、これに対して、上甑村農業委員会会長是枝篤徳という名前で七月二十九日に回答が出ております。「当該土地は未完成のまま放置され」と書いて、このように載っております。いかがですか。
  159. 香川保一

    政府委員(香川保一君) これは干拓が未完了という意味じゃなくて、現実にはこれは恐らく土地改良事業としてやっておるわけでございますから、農地をつくるべく事業が発足した、そして三十五年にその干拓が完了しまして、そして登記申請のございました四十九年までそのまま放置されておった。したがって農地としての区画も全然まだされていない、現状はまさに四十九年当時もそのようであったわけでございますが、そういう意味のことを言って、したがって、この地域は農業委員会としても地目は雑種地というふうに認定すべきだという回答を寄せていただいておる、こういう趣旨だろうと思うのであります。
  160. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いやそうじゃなくて、昭和三十五年の完工のやつは、その単年度の事業が完工であったという、そういうようなことにしかすぎないことであって、全体的には未完成なんですよ。これは農業委員会のやっておるその証明の方が正しいんですよ。ですから、未完成のまま放置されておるのを完工届が出ておるということ自体に疑問を持たれるのが私は当然だと思うんですが、そこで農林省の方、来ておられますか。——この問題を決算委員会で取り上げて、この土地は昭和四十六年と七年には休耕奨励金をいただいておる土地でございますから、そういう農地がいつの間にか雑種地になるということはおかしいじゃありませんかと。農林大臣は、雑種地に休耕補償金をやるというのはおかしいと、調べていろいろと手を打ちましょうということを答弁をしていただいておりますが、その後どのような処置をされたかお答え願いたいと思います。
  161. 森実孝郎

    説明員森実孝郎君) 御指摘の土地の件でございますが、確かに四十六年と七年に休耕奨励金を支出しております。少なくとも四十四年の時点においては稲作が行われ、その後継続していたことも事実でございますが、ただ、問題になります四十九年の時点において引き続き稲作が行われたかどうかという事実については必ずしも明確になっておりません。農地自体はやはり現況で把握せざるを得ない本質を持っておりますので、その点は必ずしも明確でございません。いままでのところでは四十九年当時稲作が行われたということは確認しておりません。
  162. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 そうじゃなくて、四十七年の休耕補償というのは四十八年の三月三十一日までの補償であるわけで、売買の問題がいろいろ起こったのは四十八年三月でございますから、ですから、その売買が反対派のあれを押し切って決まった、その後は休耕の奨励金の申請はしておらないと思うんですが、その前二カ年もらっておったということは農地ではないかと、農地がそういうようなことで短時日の間にどうして雑種地に変わったかと、おかしいじゃないか、こういうようなことの質問に対して大臣は調べてみましょうとおっしゃったことに対しての答弁を求めておるんですから。
  163. 森実孝郎

    説明員森実孝郎君) 四十六年と七年度には先生御指摘のとおり休耕奨励金が出ております。そこで、大臣も決算委員会で御答弁を申し上げましたように、もし稲作が行われていないとして奨励金が出たとすれば、それは奨励金の支出自体に違法があるわけでございますし、両面から十分検証しなければならないということでございまして、鹿児島県を通して現在照会中でございますが、まだ最終的な回答は来ておりません。
  164. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 四十六年と七年は休耕しておったことは、これはもう明らかな事実でございまして、ただ、そのちょっとした半年の間の出来事で農地がどうして雑種地に変わったかということについて非常に不審があるし、また農地であったことは事実であるんだからそこらあたりをよく調べていただきたいと、こういうふうに申し上げておるんですから、そこらあたりの調査の結果を御答弁願いたいと思います。
  165. 森実孝郎

    説明員森実孝郎君) ただいま申し上げましたようにまだ最終的な回答をもらっておりません。さらに督励いたしまして改めて御報告をさしていただきます。
  166. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 では法務省の方にお伺いしますが、この当時の鹿児島地方法務局の上甑出張所の登記官は、いつごろ着任をされていつごろここをおやめになって鹿児島の方にお移りになっておりますか。
  167. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 昭和四十八年の三月二十日付で鹿児島地方法務局の登記課の係長から出張所長にかわりまして、そして五十一年の三月二十五日付で転勤いたしております。
  168. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 先ほど申し上げたとおり、昭和四十八年の三月の末ごろですね、この四ヘクタールの、四町歩の干拓をした農地を売る売らぬの問題で、もう村を挙げて非常に抗争をしておった時期に着任をされておるわけです。ですから、登記官の方もそういうような争いがあったということは、少なくともあの小さな町でございますから、島の中の町ですから、御存じなかったということは私はないんじゃないかと思うんです。だから農民の方々は、法務省というのは権力に迎合しないで法と秩序を守ってくれる、そういうところが法務省だ、登記所もそうだ、こういうような認識をしておるわけです。ですから農地も公正に農地と見られるはずであると。ところが、この土地に休耕奨励金が出ておるにかかわらず、まあそういうような過疎の村でございますから、大きな学校が建って相当な人たちが来るということで村長さんあたりが非常に積極的になられたということについて、そっちの側につかれたという懸念が多分にあるんじゃないかと、合法的に農業委員会の意見等は徴しておられるけれども、農地であったということは御承知であったのに、なぜ上級官庁の指導をお受けにならなかったのか、こういうふうな疑問を私自身も持たざるを得ないわけです。この辺のところはどうお考えでしょうか。
  169. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 先ほども申し上げましたように、登記の申請がございまして、不動産登記法上要求されておる所有権証明もついておるわけでございまして、地目につきましては、過去にそれはあるいは農地の時代があったかもしれませんけれども、現在登記する時点においての地目が何かということを登記官が認定するわけでございますから、四十九年の七月当時現地調査もして、アシとか草がぼうぼうと生えているというふうな状況を現認しておるわけでございまして、さらに農業委員会の見解も聞いた上で地目を雑種地と認定しておるわけでございますから、その当時農地であったものを、登記官が村長あるいは土地改良区に迎合的に雑種地というふうな虚偽の地目を記載したということは断じてございません。
  170. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 現地の実情は、農林省の方もいろいろおっしゃっておりましたけれども、相当お隠しになっておるようなふうに私は思わざるを得ないわけです。現地では、いままで推進派であった村長、村議会がくるっと変わりまして、農家の方々が訴訟したわけですから、村が二つに分かれて抗争するという状態でございましたけれども、やはり正しいものは勝つということで農家の方の主張が入れられて、その三ヘクタールの中の二・二五ヘクタールは農家の方々にお返しをしますと、そしていま簡単な建物でございますけれども、いろいろ法の処分を受けておるので、そこは完全解決がつくまでしばらく猶予をもらいたいと。私の聞いた話では、その長い間休耕しておったところの耕作をしなかった点も、村の方が補償したいと、耕作をしなかったということに対する補償をしたいと、こういうようなふうにもっぱら農家の方の方々の主張が通るような状態になっておるということを聞いておるんですが、農林省の方その点はいかがですか。
  171. 森実孝郎

    説明員森実孝郎君) 私どもが鹿児島県を通じまして本件の土地の問題の解決を督励し、また事情も調査に当たっていることは先ほど申し上げたとおりでございますが、ことしの二月十二日に臨時村議会を開催いたしまして、先生御指摘のように三ヘクタールのうち二・三ヘクタールの分については速やかに返還することを決定しておりますし、残った〇・七ヘクタールについても、なお現在研究所との間に賃貸借契約が残っている経過もあるようでございますが、この契約も解約したし、あとはこれも返還するという方針を決めているというふうに報告を受けております。したがって、御指摘の方向で土地の返還問題は進んでいるというふうに報告を受けています。  なお、損失補償の問題については、なお現在も当事者間において訴訟係属中の問題でございますし、またこれにつきましては、売り払い代金の扱いその他造成工事との関係もあると思いますので、この点については、今後なお当事者間の話し合いを私どもとしては見詰めてまいりたいと思っております。
  172. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いまお答えになったことで農家の方々の主張が通ったということは、あれはたんぼだから返せという主張が通ったということに私はつながると思うんですが、先ほどあなたは休耕補償金の問題云々で、農地は休耕してその現状は草ぼうぼうでそういうような雑種地と見られても仕方ない状態だったと、こういうような意味合いのこともおっしゃっておりましたが、村当局があれほど海洋開発研究所の方の肩を持って農地を強行埋め立てをして学校用地にしたことが、自分たちの方が聞違っておったから、返そうということになったということは、とりもなおさず農地であったということを認めたということにほかならぬと思うんですが、この認識はあなたどうおとりになりますか、農林省。
  173. 森実孝郎

    説明員森実孝郎君) 農地であるかどうかという認識の問題と、返還するかどうかという問題は、重複している部分と重複していない部分が私率直に申し上げるとあると思います。私ども実は農地行政の立場から申しますと、休耕水田がその後農地として戦列に復帰してくるか、それともそのまま山林原野等に転化していくかというのは、実は限界地についてははなはだ頭の痛い問題でございまして、五十三年度から実施しますいわゆる管理転作においても、例外的には休耕を認めるが、これはあくまでも良好な状態で潜在的な土地の生産力が維持された場合に限るというたてまえで整理をしているのもそのような経過にあるわけでございます。本件の問題について、先ほど申し上げましたように、私ども四十六年、七年の状況においてそれが水田と認め得るかどうかということにつきましては、確かに休耕奨励金が出ている以上はそうでなければ支出したこと自体がおかしくなるわけでございますから、その問題も含めて現在調査をしておりまして、その点は調査の結果を得ましたら御報告を申しげたいと言うとおりでございまして、それ以上のことはただいまのところ断定的に申し上げる内容を持っておりません。
  174. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 では、法務省の方にお聞きしますが、実はいま申し上げたとおり、大分その訴訟の問題は調停の方向に傾いておるのも事実でございますけれども、一つそこにまた障害があるわけですよ。というのは、最初農地を、おたくの方はいろいろ理由を言われるでしょうけれども、雑種地というふうにボタンをかけ違えたものだから、それが宅地に今度は変更されておりまして、土地改良区としては宅地を返還をされても受け取ることができない、こういうような大変もう因った状態になっておりまして、ですから、いま申し上げたボタンのかけ違いのために地域住民が非常に困っておるということ、これは私はその地目の設定で、錯誤という手段でこの問題を収拾していただく以外にないのじゃないだろうかと、こういうふうに思うんですが、その辺のところはどうお考えでしょうか。
  175. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 錯誤とおっしゃる意味が、地目の四十九年当時における登記官の地目認定が間違っておったと、かような趣旨でございますか、錯誤という意味は。
  176. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 それはもう前後の結果ら見ますと、農地であったのを雑種地にされたというのは、登記官の私は誤りであった、錯誤でなかったかと。だから、いま村の方もその誤りを認めて返還をしようということになっておるわけでございますから、しかしいま申し上げたとおり、それが雑種地から宅地になり、そうなりますと、土地改良区という団体は宅地を買うというわけにまいりませんので、農地でなけりゃならないわけですから、そこらあたりは何とか処置をしてもらわぬと救済ができないんじゃないかと、こういうように思うんですが。
  177. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 私も、その当時の現地を現認したわけでございませんので、断定的なことは申し上げられませんけれども調査いたしました結果によれば、その当時において現況は雑種地というふうに登記官の認定したのは全く間違いがないというふうに思っております。ただ、今日におきまして、これは御承知のとおりそれが宅地になり建物も上に建っておるわけでございまして、したがって、仮に四十九年当時の地目認定が間違っておったといたしましても、現時点におきましては宅地であることは間違いないわけでございますから、これを登記簿上農地に戻すというふうなことは、法律的にはできないことだろうというふうに思います。
  178. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 ボタンの一つのかけ違いでこういうふうに地域住民が大変悩まされておるということは、もう本当に心外にたえないわけでございますので、もう少し当局の方は実情をお調べになって、そして地域住民のもとの姿に戻るその障害をひとつ排除してもらうという、そういう決意でこのことをちょっと調査をしていただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。
  179. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 四十九年当時の現況はもちろん、現時点における現況につきましても調査いたしまして、これは御承知と思いますが、建物、これはたしか海洋開発研究所でございますか、社団法人のようでございますが、その公舎といいますか、研究所の施設が建っておりまして、そして全体的にまさに現時点においては客観的な事実として宅地ということでございますから、これはどのようにおっしゃいましてもそれを農地だということで登記上処理するということは、これはちょっと法律的にはできない御相談じゃなかろうかというふうに思います。
  180. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 その問題は、現地の方でまたいろいろと折衝の機会があろうかと思いますので、そのときはひとつ前向きで善処していただきたいと、このように御要望しておきます。  次は民法の問題でお尋ねをしたいと思いますが、民法第十一条についてお尋ねをしますが、十一条では「心身耗弱者、聾者、唖者、盲者及ヒ浪費者ハ準禁治産者トシテ之ニ保佐人ヲ附スルコトヲ得」と、このように規定してありますけれども、聾者、唖者、盲者という人たちは即準禁治産者という、このような宣告をされたということになるわけでしょうか。
  181. 香川保一

    政府委員(香川保一君) さような趣旨ではございません。そういう人たちが身体障害のゆえに、やはり何かの法律行為をした場合に損害を受けるおそれがあるというふうに考えました場合に、家庭裁判所に申し立てまして準禁治産の宣告をしてもらうと、その宣告によって初めて準禁治産者になるわけでございます。
  182. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 では、まだ宣告を受けてはいないから準禁治産者じゃないと、こういう理解をするわけでございますが、実際はこういう方々が銀行あたりでいろいろ融資を受けようとされると、やはり準禁治産者というふうな観念でどうしてもうまくいかない、これが実態のようでございますが、この実情を御承知でしょうか。そしてまた、これについて、何らかこういうような機関等に対しての啓蒙といいますか、そういうようなことをおやりになったことがございますでしょうか。
  183. 香川保一

    政府委員(香川保一君) この問題につきましては、二、三民法の改正についての陳情がございまして、その過程におきまして、いまおっしゃいましたような金融機関で二の足を踏むというふうな事例があることを承っておりますが、私どもとしては、さようなことは間違いだというふうにPRするというふうなことはやっておりません。ただ、もともとこの民法の十一条の規定というのは、ドイツ、フランス等諸外国の立法例にもあることでございまして、まあ身体障害のゆえに直ちに行為能力が欠けるというふうな考えではもちろんないわけでございますけれども、例示的にそういうものを挙げて、そしてこういった身体障害があるゆえに、それが全部の原因ではございませんけれども、かえって被害を受けるおそれがあると、そういう意味から、この人たちを保護する意味で民法は例示的に準禁治産の宣告を手続の中に取り込んでおるわけでございます。しかし、さような身体障害者を民法の行為能力の面から保護する立法趣旨ではございますけれども、今日的に考えますと、この十一条の例示の仕方というのは果たして妥当かどうかという点につきまして、私どもも若干疑問があるわけでございまして、むしろこの十一条を改正して、さような例示を取る、取ってしまうというふうな方向で改正すべく検討いたしておるところでございます。
  184. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 確かに、この十一条によって聾唖者イコール準禁治産者と、こういうような間違った解釈をされて障害者の差別を助長をされておるのは実情のようでございます。関係者も、この民法十一条は保護のためという法律のために障害者の生存権が脅かされている、だから聾唖者、視覚障害者の方々は、障害者を心神耗弱者や浪費者と同列に扱ってもらっては困る、ですから、条文の中の「聾者、唖者、盲者」というところを削除して、そのかわり前時代的な保護より社会の一員として自立するための実のある援助が欲しいといって、最近では障害の種類別に視覚障害者福祉法、聾唖者福祉法の立法を広く呼びかける方針のようでございますが、この民法第十一条ができたのが明治二十九年と古いので、現実には私も接触しておる人たちの中ではりっぱに自立しておる人もたくさんいらっしゃいます。そういうことで、いま局長がおっしゃったそういうような方向に、近い将来にこの聾唖者、それから盲者の、この三者の条項を削除されるお考えがおありでしょうか。
  185. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 削除する方向で検討いたしております。
  186. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次は再審問題についてお尋ねをいたします。  昨年の七月七日、広島の高等裁判所で、いわゆる加藤老事件の再審判決があったことは御承知のことと思います。この事件は無期懲役の実刑を受けた人が再審公判で無罪になった事件でございますが、大正五年二月の山口地方裁判所、同年八月の広島控訴院の控訴審、同年十一月の大審院の上告棄却の判決がともに誤っていたということになるわけでございますが、六十二年の長きにわたって無罪を叫び続けて主張してきたこの加藤老の苦労を考えますと、そしてしかも昭和四十四年の恩赦で刑が終了した後、自分の主張が認められたという事件でございますが、この事件について法務大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
  187. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) いまおっしゃったように、長い間の経過を経て再審によって無罪になった。まあ、検察あるいは裁判の面から言いますと、私は遺憾なことであったと、かように思います。ただ、人間のやることでありますから、たまには——これはあってはならないことでありますけれども、捜査の段階で間違ったことがあったかもしれないし、あるいは裁判の判断が一、二審で間違ったこともあるかもしれぬ。その後の証拠関係から再審に付されて、そしてやはりこれは無罪であったと、こういうように判断されたことでありまして、   〔理事林道君退席、委員長着席〕 最初に申し上げましたように、こういうことはかりそめにもないように、やはり警察、検察の捜査の段階から確たる証拠をちゃんとしておく、また裁判においても間違った判断をしないように、当然に十分に気をつけなきやならぬ、かように思っておるわけでございます。
  188. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 この加藤老人が晴れて無罪になるまでの道のりというのは本当に余りにも長かったと、六十二年でございますから。冤罪がいかに人生を狂わせ悲惨な結果をもたらすかは、もう改めて申し上げるまでもございませんが、加えて、ただ一つの救済手続である再審請求にたどりつくのに途方もない年月を要するというのでは、余りにもむご過ぎるのではないかと私は思います。  昭和五十年の五月のいわゆる白鳥決定昭和五十一年十月の財田川決定以来、再審の流れは大きく変わり始めているようでございますが、今回の判決もそのあらわれの一つであろうかと思います。しかし、私たちが見逃してはならない点は、再審はあくまで冤罪事件の最後の救済手段であるということでございまして、仮にそこで救済できたとしても、冤罪の下で過ぎ去った年月が戻ってくるわけではございません。肝心なことは、再審を必要としないように、無実の人を罪に陥れることのないよう、もとの裁判あるいはそれに至る前の事件捜査を慎重に行うことであるかと思いますが、冤罪事件の発生を防ぐには最初の段階で間違いの芽を摘み取ることが何よりも大事だと思いますが、この冤罪事件の発生の最大の原因というのはどこにあろうかと、どのようにお考えでしょうか。
  189. 伊藤榮樹

    政府委員(伊藤榮樹君) 客観的なデータに基づいて分析をいたしてみたいと思うのでございます。  昭和四十七年から昭和五十一年までの五年間に、再審の結果無罪になったりあるいは控訴棄却の裁判になったりした数が全部で百五十一ございます。この百五十一のうち、検察官が再審請求したのが百四十三、それから被告人であった人が申請したのが八件でございますが、これらを通じましてその原因を見てみますと、一番多いのが、身がわり犯人が出てきたために裁判が誤ったというのが百九件ございます。それから、被告人になった人が他人の氏名を冒用したというため裁判が誤ったのが三人ございます。それから交通関係の事件で、よく調べてみたら免許証を持っていたと、それを裁判官、検察官等が見逃して無免許で処理をしたというようなのが十件、それから保険金などを目当てに交通事故を仮装したことによる事件が二十四件、これらを差し引きますと、その他が三件になるわけでございます。ただいままでに申し上げましたようなことは、この被告人になった人自身が何らかの作為をいたしましてそういう結果になったわけでございますので、これらにつきましては私ども常々指示をしておるわけですけれども、検察官、警察官等の調べに当たる者が、よくこの本人であるかないか、そういうことを気をつけて慎重に調べるということを心がけていかなければならないと思うわけでございます。しかしながら、なお問題がございますのは、たった三件とは申しましても、その他のただいま申し上げましたような被告人であった人の作為に基づかないものがあると、これが問題でございまして、この中にただいま御指摘をいただきましたような種類の再審無罪事件が入ってくるわけでございます。これらにつきましては、何と申しましてもいわゆる初動捜査を公正にきっちりやらなければならないんじゃないかと。先ほどの問題でちょっとそのお言葉が出ておりましたので拝借いたしますと、最初のボタンのかけ違いということにまず注意をしなければならない。それからさらには、捜査官における取り調べがフェアになされるということ、それからいわゆる見込み捜査というようなことを排して、あくまで科学的な捜査を展開すると、こういうことが必要だと思うわけでございまして、ただいまお尋ねになりました、再審の結果、確定裁判がひっくり返って無罪になると、こういうケースの原因というものは大体そんなところであろうかと思っております。
  190. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いろいろそういう冤罪の事件が起こることの要因はあろうかと思いますが、わが国の犯罪の検挙率と、それから裁判での有罪率というのは非常に高いことはこれはもう御承知と思いますが、それは確かに治安対策の面から見れば誇ってよいことだろうとは思いますけれども、その反面に強引な捜査と、その捜査に引きずられがちな裁判がしばしば問題となっていることは、これはまた否定できない事実かと思います。その上、一たん有罪になると、狭い門が代名詞となっている再審の壁で冤罪を晴らすことはなかなか容易でないのも現実でございます。昨年の加藤老事件においても、昭和三十八年三月の第一回の再審の申し立てから、昭和五十年七月まで五回の再審申し立てが棄却をされて、その後昭和五十一年九月の再審開始が決定されるまで実に十三年が経過しています。再審の請求自体は、年間七十から八十件を数える状態でございますが、実際に裁判のやり直しが行われる件数はごくわずかであるようでございます。だれでもこれは誤判だとすぐわかるようなものを、そのものずばりの証拠が出ない限り再審は開始されないというようなことが実情でございますが、このことは誤判を救済する唯一のものである再審要件の厳しさを示しておるんじゃないかと、これは厳し過ぎるんではないかと、こういうふうに思いますが、この点はいかがでしょうか。
  191. 伊藤榮樹

    政府委員(伊藤榮樹君) 再審という問題を考えますのに、いろんな考え方があると存じます。一たん裁判が確定いたしましても、そこの中に人間のやることでありますから無実の人がいわゆる紛れ込んでおるという可能性を特に強調いたしますと、再審の窓口をなるべく広くすべきである、こういうことになると思います。また、一審から最高裁の第三審に至るまでの、事件の新しいうちでの徹底した証拠調べ、公正な裁判、これをかっちりやって、なるべくそこではっきりした結論を出しておきたい、こういう方にウエートをかけますと再審請求は必ずしも窓口を広くする必要がないと、こういろいろあると思いますが、現在のわが国の再審の制度は、諸外国の制度に比較いたしまして決して狭くないと思っております。ただ、その上に、先ほど御指摘のいわゆる白鳥判決によりまして、再審の開始につきましても、疑わしきは被告人の利益というあの原則を準用していくということになりまして以来、運用がわりあい広めになってきたことは御存じのとおりでございまして、私どもとしましては、一部で御提案いただいておりますように、再審の戸口を余り広くしますと三審制度が四審制度になるというような感じも出てまいりますので、現在のところ再審の開始の理由につきましては現行法の程度が妥当ではなかろうか。ただ、後にお尋ねがあれば申し上げますけれども、再審請求の手続面においてはなお検討をすべき点があると、かように考えております。
  192. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 時間が参りましたのでこれで終わりますが、本当は再審は要件は余り緩め過ぎてもいけないし、またきつ過ぎてもいけないと、非常にむずかしい点があろうかと思いますが、やはりバランスを、きつ過ぎてはいけないという方向に法務省の方はお考えではないんでしょうか。こういうふうに考えていくのが私は国民の冤罪のこういうような事件を防ぐ意味からも大事じゃないかと思うんですが、そこらあたりはいかがでしょうか。それだけ御答弁をいただいて質問を終わります。
  193. 伊藤榮樹

    政府委員(伊藤榮樹君) 確かに昭和四十年代までの解釈は狭過ぎた面があると、こう思います。それで、白鳥判決で示されますような常識的な再審に関する規定の解釈、これはこういう方向に将来いくのではなかろうかと、そういう意味でほどよいところで裁判実務上再審の戸口が決定されていくことになるんじゃないかと思っております。
  194. 山中郁子

    山中郁子君 初めに、二十六日の新東京国際空港での暴力集団に対する警備の問題でお尋ねをいたします。  新聞報道その他でも、警備のミスだとか警備に大穴などと伝えられていますけれども、私も、警察官一万四千人を動員して一日一億円も使うと、そういう体制をしきながら、あのような無法な暴力集団破壊行為を許したということは、政府警察当局が、私どもがかねてから主張しているように、そうした暴力集団を泳がせるという、そういう政治的な背景がこの事件でも出てきたというふうに言わざるを得なかったと思います。  当日の警備などについて具体的にお尋ねをいたしますが、まず空港公団の総裁、お忙しいところ恐れ入りますが、問題になっております不法占拠の個所ですが、その中で特に三里塚の野戦病院というのがさまざまな点でいまクローズアップされて問題になっていますけれども、ここは不法占拠の場所だと思いますが、公団として告訴をされているという話を聞いておりますが、いつ告訴をされたのか初めにお尋ねいたします。
  195. 大塚茂

    参考人大塚茂君) 現在不法占拠されております個所が四カ所ございます。野戦病院と通称されておりますのがその一つでございまして、これは四十九年の二月十四日に告訴いたしております。
  196. 山中郁子

    山中郁子君 じゃ警察はこの問題についてどのように扱ってこられたのか、本会議の緊急質問でも公安委員長の方から御答弁がありましたけれども、私はそういう状態でなぜ放置されてきたのか大変疑問とするところですので、もう一つ突っ込んでお聞かせをいただきたいと思います。
  197. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 警察いますか。
  198. 山中郁子

    山中郁子君 警察庁お願いしてありましたね。
  199. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 呼んでおるそうですが、ちょっとおくれております。間もなく参ります。
  200. 山中郁子

    山中郁子君 じゃその前に、この三里塚の野戦病院の問題で電電公社にお見えいただいていればちょっと確認をしたいのですけれども、この芝山町朝倉字山王台というのでしょうか、四百六十番地ですが、三里塚野戦病院ということで電話も引かれていますけれども、ナンバー、それからいつ申請があっていつ架設されたのか、確認をいただきたいと思います。
  201. 浅原巌人

    説明員(浅原巌人君) 五十年の三月に設置をされております。番号が〇四七九七、これは芝山局でございますが、七局の〇八七〇ということになっております。
  202. 山中郁子

    山中郁子君 警察お見えになったようですので、先ほど公団から四十九年の二月に、具体的にはいま野戦病院の個所を申し上げていますが、告訴されているということですが、これをどのように扱われてきたのか、初めにお尋ねいたします。
  203. 若田末人

    説明員(若田末人君) この問題の担当は公安三課長でございまして、間もなく参りますが、私の承知しております範囲でお答え申し上げたいと思います。  四十八年にこれはできたというふうに私は聞いておりますが、四十九年に確かに告訴があったようでございまして、これに対して鋭意警察で捜査をいたしておりますが、何しろできましてから大分たっての告訴でございますので、いま住んでおる者が犯人とは限らないわけでございまして、つくった者が犯人になるわけでございますが、その方面の捜査を鋭意進めておりまして、参考人等の聴取も大分進んでおるというふうに聞いております。
  204. 山中郁子

    山中郁子君 それほど時間はたってないでしょう。四十八年十月ですね、おたくの資料で、いまの御答弁でも。それで四十九年二月に告訴されているわけですよね。だからすでに四年間たっている、四年間たっていまこういう問題が起こって、そして参考人の事情聴取などが鋭意進められているという状態では、いままで結局何にも調査しないで、捜査もしないで放置してきたというふうに言わざるを得ないと思うんですけれども、何でその捜査ができないんですか。
  205. 若田末人

    説明員(若田末人君) 私は、細かいことを申して恐縮でございますが、いわゆる警察の専門用語で言います警備実施の方を担当しておる課長でございまして……
  206. 山中郁子

    山中郁子君 じゃ後で見えたら聞きます。  じゃもう一つ、いま電電公社に伺いましたら、これも五十年三月に三里塚野戦病院ということで架設されているということですが、これも当然不法占拠の場所電話を架設しているという問題になるわけですけれども、こうしたことについても警察庁では当然調査なすっていらしたと思いますけれども、どうですか、それも後から見える方の範囲ですか。——そうすると何時ごろ見えるんですか。  じゃ、厚生省に、お見えいただいていればお伺いをいたしますが、野戦病院というのもただならない名称ですけれども、勝手にこういう病院という名称が使えるんでしょうか。
  207. 森幸男

    説明員(森幸男君) 厚生省でございますが、いま御質問の点でございますが、まず問題の野戦病院の実態というものを私ども必ずしも現在よく承知しておりませんので、これが医療法に言う病院に当たるのか診療所に当たるのか、恐らく診療所に当たるのではないかという感じはいたしますけれども、その辺が必ずしもはっきりいたしません。それで、いまお尋ねの、医療法でこういう病院というような名前を使うことができるかどうかということだと思いますけれども、医療法の三条には、もし診療所であれば、これは病院だとかそういう病院に紛らわしい名称をつけてはいかぬ、こういう規定がございまして、それにひっかかることになると思いますが、それはあくまでも、いま先生おっしゃっておられるものが診療所であるという前提の場合でございます。この事実関係については私ども必ずしもよく承知しておりませんので、申しわけございません。
  208. 山中郁子

    山中郁子君 これは、いまおっしゃった医療法の第三条、類似名称の禁止に該当してくるわけですし、また仮にいま厚生省が御答弁あったように、診療所に当たるのではないかという問題につきましても、それはそうではないという事実の調査もさまざまな結果があります。私はやはりこの問題は、この暴力集団のこうした破壊行為との関連で、厚生省としても医療法に違反するというような疑いがある事態について調査をすべきだと思っておりますけれども、その用意がおありでしょうか。
  209. 森幸男

    説明員(森幸男君) これは実際には医療法施行の事務は都道府県、この場合で言いますと千葉県でお願いをしてございます。それで、今回こういうような問題が出てまいりまして、千葉県に私ども照会をいたしましたけれども、千葉県の衛生部では必ずしもその実態をよく把握していないようでございまして、そういうことでございましたので、県の衛生部としても調査をして、何らか事情がはっきりしたら厚生省に報告をするように、そういう指示はいたしました。
  210. 山中郁子

    山中郁子君 じゃ、その結果についてもまた御報告をいただきたいと思いますが、よろしゅうございますか。
  211. 森幸男

    説明員(森幸男君) 県の方から何らか報告がありましたら、それは御報告申し上げたいと思います。
  212. 福井与明

    説明員(福井与明君) 野戦病院の件でございますが、私の方でつかんでおります実態を申し上げます。これは情報でございますけれども、地元の大学を出た医師が週に一回程度参りまして、反対同盟の人たちに、はり、きゅう等の治療をしておるという、これは確認できておりませんけれども話がございます。それから三月の二十四日にこの病院、実は捜索をしております。その際に警察官が現認した事実でございますけれども、木製のベッドが一個ございます。それからベッドの近くに赤チンとか若干の消毒剤と申しますか、それから包帯等のものがございますが、ただ、これはさっき申し上げました医師が来ておるかどうかはまだ確認できておりませんけれども、たとえ来ておっても、その医師が来た際に使っておるかどうかはまだ確認ができません。そこで、私の方としましても、医療法の八条なり三条二項違反の容疑があるかどうかということについて関心を持っておるわけでございますが、まず、医師の診療の実態がただいま申し上げた程度のことであると、それから診療の内容が、私たちの方が聞いたのでは、はり、きゅうの治療をしているということでございますけれども、それと、現認した赤チン等の消毒剤は、どうも素人判断ではぴったり結びつかないというようなことがございますし、それからこの治療費の授受等の関係もまだわかっておりません。したがいまして、こういうものについて十分目を向けて、いわゆる違反の実態があるかどうかについて調査を進めてまいりたいと、こういうふうに考えております。
  213. 山中郁子

    山中郁子君 で、いまお見えになる前にちょっと質問をしたんですけれども、この野戦病院の場所もそうですが、四十九年二月に公団の方から告訴がされていると、告訴されてからもう四年たつという事態です。その間一体警察は何をしていたのか、何もしなかったのじゃないかと私は思うんですけれども、まあいろいろと参考人の事情聴取なども鋭意進めておりますという先ほどの御答弁が一応あったんですけれども、私は、一体どういう捜査をしてきたのかお聞かせいただきたい。
  214. 福井与明

    説明員(福井与明君) この野戦病院がありますのは芝山町の朝倉地区でございますが、この建物をつくりましたのは四十八年の九月の三十日から十月の一日にかけてでございます。四十九年の二月十四日に、委員御指摘のように公団の方から不動産侵奪罪での告訴が出ております。それでこれについて捜査を進めておりますが、告訴状三つ実はあるわけでございますけれども、まず野戦病院のことについて申し上げますと、公団の方では、この病院のある土地を含めまして、航空地図と申しますか、航空写真で一括して買い上げをされたようでございます。そこで、いわゆる地域を実際に実測をさらにして特定する必要があるわけでございますけれども、隣接する土地の所有者がなかなか立ち会いに応じない等の事情があるようでございまして、この土地の実測が進まない、したがって地籍が最終的に確定しない一こういうことが一つございます。また、関係者のうちに取り調べに応じない者が一部あるということで、これまでに延べ十一人ばかり調べをしておりますが、被疑者の特定については、ある程度おぼろげながらいっておりますけれども、さらに捜査を進める必要があると、こういうことでございます。  それから、やはり同じ朝倉地区に団結小屋がございます。女性用と男性用と二つ隣接してあるわけでございますけれども、この女性用の方はまるまる公団用地の上に建っておる、男性用の方も五分の三くらいが公団用地にかかっておると、こういうふうなものでございますが、これは地籍は確定をしております。で、この捜査を進めておりまして、これについては被疑者のしぼり込みもかなり進んでおる、こういう状況でございます。  それからもう一つ、やはりこの朝倉地区に朝倉テント村現地本部と彼らが称しているプレハブがございますが、これも公団用地と一部県有地と申しますか、道路にかかっておると、こういうものでございますが、これは昨年の四月に建てられたもので、現在地籍の確定なり関係者からの事情聴取を進めておるという段階でございます。  実は、この不動産侵奪につきまして全く手をこまねいているわけじゃございませんで、昨年の三月二十八日に、やはりこの芝山町の朝倉で彼らが公団用地にさくをしまして、いわゆる土台づくりをして柱を打とうとした事案がございますけれども、これは不動産侵奪と公務執行妨害で二人検挙をしております。  以上でございます。
  215. 山中郁子

    山中郁子君 昨日の緊急質問でも、総理大臣、法務大臣を筆頭に、法治国家法治国家ということで声を大きくして言われておりましたけれども、いま警察からの御報告を受けましても、たとえば野戦病院の問題に関して言うならば、いままでそういうことでなかなか進まぬと、こうおっしゃっている。だったら、これから進む条件があるんですか、同じでしょう。そういう状態のまま甘んじて放置しておけば、これからだって条件は変えることはできないじゃないかと、私は理屈からそうなると思います。一体どういうふうに打開していらっしゃるおつもりなのか、具体的に。いまそういう事情があるのでなかなか思うようにはかどりませんとおっしゃいました。そうしたら、新たにその条件を打開していくことができるのかどうか、どういう方策を持って、どういうめどでもって進めていかれようとしているのか、そこが明らかにならなければいままでと同じ状況でずるずるいくという以外にないではないか。
  216. 福井与明

    説明員(福井与明君) すでに不動産侵奪の実体ができてしまっており公団側から告訴がなされておる事案については、ただいま申し上げましたような捜査をさらに進めてまいるということでございますが、さっき申し上げましたように実際に不動産侵奪を始めた時点で検挙をした者もございますし、それからもう一つ事例を申し上げますと、これはことしの三月四日から五日、六日にかけて起きた事案でございますけれども、三月の四日に、やはりさっき申し上げました朝倉地区に新たな団結小屋をつくろうとした動きがございました。そこで公団側に、公団の用地をはっきりと特定をして立入禁止の掲示をされるように申し入れをしたわけでございます。早速公団の方では用地について立入禁止の立て看板を出されたわけでございますが、そうしましたら、一部すでにつくりかけておるものが公団の用地にかかっておったわけでございますけれども、その部分について、三月の五日から六日の早朝にかけて彼らの方で撤去をしていっております。したがいまして、それぞれの事例について処理の仕方は異なりますが、ただいま申し上げたような前向きの方向で取り組んでおるということはひとつ御理解いただきたいと思います。
  217. 山中郁子

    山中郁子君 二十六日当日の問題ですけれども、多くの国民はテレビなども見て、どう考えても解せないと、たくさんの機動隊の目前でさまざまな暴力集団の暴挙が行われている、機動隊が手も出さないと、一体どうなっているのか。どういうことか知らないけれども、あれはわざとやらせているのではないかと、それは素朴なテレビなんかを見た人の疑問です。  それで、なぜ管制室に侵入を許したのかということですけれども、当日、管制塔の警備のための警官、機動隊も含めてどのくらいの警備をしておられたんですか。
  218. 若田末人

    説明員(若田末人君) 当日の警備につきましては、新聞等で御承知のように、大変たくさんの全国の機動隊の応援ももらいまして、広いところでございますので警備をやっておったわけでございますが、何か手をこまねいて見ていたような御質問でございますけれども、百十五人あの飛行場周辺で逮捕いたしておりますし、それからまた横堀の彼らが要塞と言っているところがございますが、あそこでも大変な苦労をいたしまして、もり等も打ち放す危険な中で生命を賭して五十一名逮捕いたしておるわけでございまして、決して泳がせ、あるいはそういうことでただ見ておったというような状況ではございません。  それから、大変申しわけないことではございますが、そういう警備をしておったにかかわらず非常に大事な管制塔に入られましたことについては、まことに申しわけなく遺憾に存じております。このことにつきましては、私どもがよくまだ十分実査をしておりません、知らない、いわゆる外から内側に通じておりますマンホールから二十人の者が急遽出てまいりまして、で、警察官が当時五名そこに配置されておりまして早速発見をいたしましたところ、二十名のうち五名が逃げまして、十五名が、すぐ近くに管理棟がございますので、その方向へ走っていったと、そして警察官五名が追跡をいたしまして、一階のところで十五名のうち五名を逮捕いたしております。そのうちの六名が管理棟を、まあ外部の方々は余りよくわからない大変むずかしいような状態になっておりますし、管制室自体、自動電子ロックされておるところでございまして、正面からは彼らも入れなかったようでございますが、ただ、二階下の十四階のところにキャッツオフと称するところがあるようでございますけれども、非常用の出口だそうでございますが、ここを知っておったのかと思いますけれども、あいておったようでございまして、そこで一たん外に出たようでございます。そして、そこから上の方に行くわけでございますが、そこに何も機材がなければ、十四階から十六階の高さでございますので私は上がれなかったと思います。ところが、非常にこれもまたぐあいの悪いことに、そのちょうど十四階と十六階の間の外のいわゆる犬走りと申しますか、ちょっとした出たところにいわゆるパラアンテナと申しますか、おさらのようなあの航空用の大きな機材がついておりまして、それを伝わって上の方に上り、外部から管制塔のガラスを割って入ったというようなことでございまして、私どもの事前の実査に不十分な点があったところは認めるわけでございますが、外周の警備については、先ほど申し上げましたように一生懸命警備をやったというふうに考えておる次第でございます。
  219. 山中郁子

    山中郁子君 本会議でも、公安委員長だと思いますが、当日彼らが管制塔を襲うということを、もう事前に宣伝していたということは情報として聞いていたとおっしゃっておる。一番空港の大事なところは管制塔ですよね、これはあなたもよく知っていらっしゃる。心臓部ですわね。そこを襲うというふうにもう事前に宣伝しているわけでしょう。それも警察はキャッチしていたと。一体その当日ですよ、しかもそれを現実破壊されているわけです。いま五名の警備がいたというふうにおっしゃいましたけれども、当日そういう状態があって、警察でもキャッチしていたにもかかわらず管制塔には五名の警備しかいなかったんですか。
  220. 若田末人

    説明員(若田末人君) いま御質問のことでございますが、管制塔を襲うという情報はございません。空港に突入しようかというような情報はございました。それで各ゲート等について厳重な警備をいたしておったわけでございますが、   〔委員長退席、理事原文兵衛君着席〕 先ほど申し上げましたように、空港内に四百十八カ所のマンホールがあるようでございます。これは自由に行き来ができるようでございますが、それらの幾つかについては検討をしておったわけでございますが、当該の入られましたものについては、公団からの連絡もいただいておりませんでしたし、よくわからなかったわけでございます。そういうことでございまして、私ども先生御指摘のとおり管制塔が一番大事だと、重要点から言いましてそういうもの、ほかにもございますが、申し上げにくい点もございますけれども、そういうところを重点に警備をいたしたわけでございますが、ある意味での過信と申しますか、このコントロールタワーにつきましては、公団あるいは運輸省当局からも電子自動ロックで守られておると、絶対に上には入られないというふうなことを私も聞きましたし、私も事前にそれを確認をいたしておったわけでございます。ただ、その十四階の横に、いわゆるキャッツオフと称しますか、そういう出口があるということを承知していなかったことについて私は反省をいたしておりますが、そういうことでございまして、しかしながら、ちょうど警察署も隣でございますので、十名の警察官で一応管理棟の警備に当たっておりました。そして三十名の警察官がすぐそばにおりまして、急遽駆けつけまして十六階まで上がっておるというようなことでございまして、合計四十名の警察官ということになります。
  221. 山中郁子

    山中郁子君 じゃ、とにかく最初侵入ということが行われたときは十名しかいなかったわけですね。私はいま御答弁ありましたけれども、いままでの経過の中で、一たんそうした情報については知っていたという御答弁があったというふうに思っておりますけれども、これはまた改めて確認もし、追及もいたしますけれども、そういうことは聞いてはいたと、だけど虚を突かれたと、陽動作戦でね、そういうことを盛んに言ってらした。たしか国家公安委員長もその情報については聞いていたというお話があったはずです。その管制塔に十名の警察官、警備しかいなかったと、とにかく最初は。それは私はやはり明らかに警備上のミスだと思いますけれども、これは当日の警備配置の責任者はどなたになるわけですか、具体的に配置ですね。
  222. 若田末人

    説明員(若田末人君) これは当面の責任者は警察本部長でございます。警備本部をつくりまして、警備本部の長が千葉県の警察本部長でございます。
  223. 山中郁子

    山中郁子君 先ほどお答えもあったんですけれども、管制塔の警備について、空港公団から大丈夫だというお話があったと、こういうことでした。で、公団ではどういう方が責任を持った形でこのような答弁というか、返答を警察になさったんでしょうか、事実またそういうことがあったのかどうかも含めてですね。
  224. 大塚茂

    参考人大塚茂君) 公団といたしましては、当日は空港公団の警備実施本部というのをつくりまして、副総裁が本部長ということになっておりましたが、実際には当日は私が本部長の仕事を現地でやっておりました。  大丈夫というようなことをだれが言ったかという、またいつごろどういう形で申し上げたかというところまで私ちょっとつかんでおりませんが、まあエレベーターにしても、階段にしても、ドアのロックにしても、非常な配慮がされておりますので、また、お話が先ほどありましたように、警察署のすぐ隣でもございますし、まず大丈夫だというふうに私どももそう信じておりました。
  225. 山中郁子

    山中郁子君 じゃ続けて総裁にお尋ねしたいんですけれども、公団としては、たとえば管制塔に関してはどういう警備の要請を具体的にされていたんですか。
  226. 大塚茂

    参考人大塚茂君) 警備の要請は管制塔に対してということではございませんで、全般的に二十六日から四月二日まで空港を中心として警備をお願いしたいという要請でございます。
  227. 山中郁子

    山中郁子君 じゃ、警察にもう一度確認しておきますけれども空港公団から、管制塔のあれは万全というか、大丈夫だというふうに聞いていたということは事実なんですね、これは先日の地行の委員会でもお答えになっていたと思いますけれども
  228. 若田末人

    説明員(若田末人君) そのように聞いて、大丈夫だと、そういう電子ロックで守っておるとか、あるいはそう簡単には入れない、エレベーターも二つ、何か八階まで行くのと、それから乗りかえて行かなければ行けないというようなことで、十分守られておるということを聞いておるというふうに聞いております。
  229. 山中郁子

    山中郁子君 そうすると、公団の総裁の言われたことと若干食い違いがありまして、その若干の食い違いが決定的な結果を招いたというふうに言えると思います。私はこの点はさらにはっきりさせていただかなきゃいけないし、どこでどのような食い違いがあったのか。   〔理事原文兵衛君退席、委員長着席〕 で、明らかにそうしたことで最も大事な管制塔の警備というものを、結果的には手抜きにしていたという事実は否定できないと思いますので、その点はさらに調査をしていただくようにお願いをしておきます。
  230. 福井与明

    説明員(福井与明君) 実は私、情報を担当しておりますので一言御答弁させていただきますが、管制塔そのものを攻撃するという情報は残念ながら持っておりませんでした。ただ、空港を襲う、一番機を飛ばさせないという情報がございました。それで、いろいろゲリラですから考えられるわけでございますが、滑走路に何か仕掛けられますともちろん一番機は飛べません。それから燃料輸送部門について何かまた大変なことをやられますとということもございます。もう少し詳しく申し上げますと、空港を守っておる機動隊を、何とか、彼らのいわゆる正規軍と申しますか 街頭ゲバ方式で襲うというのがございましたし、それから空港内外の関連施設を何とか攻撃するんだというのがございましたし、それから燃料輸送関係を攻撃をするというのがございました。それから、われわれは戦場を選ばないということを言っております。したがって、一番機を飛ばせないためには空港の内であろうと外であろうと、場合によってはかなり空港から離れたものであっても、非常に肝心なものがあればそれも襲いたいと、こういう構えだったわけでございます。したがいまして、もちろんこれは管制塔にしろ滑走路にしろ考えなくちゃならない重要な対象でございますが、多面的な広域的な警備をやったと、こういうことでございます。
  231. 山中郁子

    山中郁子君 もし仮に、あなたのおっしゃることで結果がこうなったということですから、だから結局多面的にということは、具体的に最も重要な一つである管制塔が抜かっていたということの何ら言いわけにも何にもならないと、情報があったなしにかかわらず、空港を襲う、一番機を飛ばせないと、あなた方のおっしゃることの範囲でもそうでしょう。そのことは先ほど申し上げたとおりですので、先ほどの調査の件については後ほどまた結果についてお示しをいただきたいと思います。  それで、火炎びんがずいぶん使われたりなんかしているんですけれども警察は二十四日に団結小屋と称するところの二十二カ所を捜査して押収したものが六十七点、それのほとんどが機関紙であったというふうな報道がされております。この時点で火炎びんなどの武器類をなぜ捜索しなかったのか、ここはどうも一つ疑問なんですけれども、なぜでしょう。
  232. 福井与明

    説明員(福井与明君) 実は二十六日の事態に備えまして二十四日、二十五日に現地の団結小屋を中心にしまして捜索をいたしました。現地だけで二十二カ所捜索をやっております。ただ、残念ながらこの捜索では火炎びんは出ておりません。委員御指摘のように機関紙類が主でございました。ただ、並行して付近の検索をやっておりますが、これでは数十本程度の火炎びんを含むものを押さえております。捜索では六百点程度、それから付近の検索では六百二十点程度のものを、数十本程度の火炎びんを含めて押さえておると、こういう程度でございます。
  233. 山中郁子

    山中郁子君 それから、二十六日、デモ隊が放火をして回っていたという事実があるようです。これは私たちの調べたところでは、付近の住民から非常に不安だと、放火して回って危なくてしょうがないということが言われているのですけれども空港に突っ込んでくる前に周囲に放火をして回っていたと、この点はなぜ取り締まらなかったのか。
  234. 若田末人

    説明員(若田末人君) 御指摘のことは、火炎びんを投げて、それが大変草むらが多いところでございますので、それに燃え移った事実があるようでございますが、そういう事柄についての御質問だろうと思いますが、当時警察といたしましては、そういうものの規制に当たりまして、場外におきまして約六十名を逮捕いたしておるわけでございまして、逮捕で警備、規制をいたしますとともに、規制のために持っております放水車でそういうものを消しまして、結果的に大事に至らない、山林等の火事にもならないようにというようなことで、御指摘のとおりそういう事態もありましたけれども、これに対して、警察本来の逮捕活動をいたしますとともに、消火活動もいたしたというふうに聞いております。
  235. 山中郁子

    山中郁子君 これもぜひお調べいただきたいと思うのです。住民の方たちの訴えによりますと、機動隊がいても放置をしていたという事実は少なくともあるんです、現実に。その辺のことも含めて、さらに捜査、調査を進めていただかなければならないと思います。  それで、第九ゲートの突破の問題なんですけれども、これもいままでの質疑の中で、パトカーが暴力集団の改造トラックに追いかけられて、パトカーが入るためにあけたら一緒にくっついて入ってきちゃったと、子供だましの御答弁をいただいているように私は理解をしているのですけれども、実際どうだったんですか。検問所だってあるわけでしょう、ゲートへ来るまでに。何かきのうの国家公安委員長の答弁によると、トラックが忽然として、何かどこかから降ってきたみたいなお話でしたけれども、降ってくるほど周囲は広くないのであって、道路なら道路とかちゃんとそういうものがあって、その道路には検問所もちゃんとあると、あの大きな改造トラックが走ってくればどこだってわかるわけですよ。一万四千人からの警察官が集中しているわけでしょう。なぜパトカーの後をくっついて第九ゲートへ入ってきちゃったのか、これはだれがどう考えても理解できないですね、どうなっていたんですか。
  236. 若田末人

    説明員(若田末人君) 御指摘のとおりに、たくさんの機動隊の応援にもかかわらずああいう事態になりまして、大変申しわけなく思っておるところでございますが、ちょうどある意味では向こうの戦術であったかもしれませんけれども、その当時三里塚の第一公園で八千人の集会デモが行われるというようなことでございまして、かなりの警察部隊がそちらの万のデモの監視の方、あるいは警備の方に行っておるというような状況もございました。それから、その自動車が御指摘のように、あるいは御存じのとおりに近くにいわゆる団結小屋というのがたくさんございまして、そうしてああいうやや前の方を改造いたしました自動車が二台急遽第九ゲートにあらわれたわけでございますが、その前の方には一応検問場所はございませんで、いわゆる取香橋と称しておりますが、そこら辺が一応最前線でございました。その外はパトカー等で誘導いたしてずっと相手方の動静を見るというようなことでございますが、そういう任務を帯びたパトカーがたまたまその外におったときそれに対して火炎びん等を投げるというようなことがあったために一応中に入りました。それに合わせて二台のトラックも入ってまいりまして、それは九名の者が分乗しておったようでございますが、大分中の方に入ってきまして、そうして電柱等にぶつかって火を噴いて、その中の犯人の者も相当の重傷をみずから負ったというような状況でございます。そこでまた拳銃の発射等もあったようでございますが、一つには、部隊の配備等については、ちょうど大きなデモの警備があった、しかしまあ部隊の配備も一応あったようでございますけれども、そういう改造した大変激しいいわゆる火炎自動車というようなものであったために、パトカーも火炎びんを投げられるというようなことで、中に入って、そして防ごうというようなこと、そういう実態が第九ゲートであったように聞いております。
  237. 山中郁子

    山中郁子君 この改造トラック自体違法なんですよね。一般人が特殊車両に仕立てることは違法だと私は思います。運輸省の許可が必要だというふうに理解しておりますけれども、この改造トラックが、すでにこの前に第三鉄塔付近の芝山町菱田というところですか、この辺で多くの住民たちが目撃しているのです。その辺はもうたくさんの警察官が警備しているわけですよね。そういうことも含めて、トラックが忽然とわいてきたわけではないんですから、だから一体どの時点でパトカーがトラックを認知したのか、そしてそのパトカーですね、大きな一つの結果を招いたパトカーが入ったという問題ですけれども、そこに乗っていた警察官はだれなのか、どういう階級のどういう人なのか、教えていただきたい。
  238. 若田末人

    説明員(若田末人君) 菱田ですでにそういう車があったではないかということでございますが、私が聞いておりますところでは、パトカーは第九ゲートの直前で認知をしたというふうに聞いております。乗っておりました警察官につきましては私も詳細名前等については聞いておりません。
  239. 山中郁子

    山中郁子君 じゃその辺もまた調査ができ次第お示しをいただきたいと思いますが、よろしいですか。
  240. 若田末人

    説明員(若田末人君) 警察も組織で仕事をいたしておりますので、また現地の本部長とよく打ち合わせをいたしまして、差し支えない範囲でお答えできるようでございましたらお答えするようにいたしたいと思います。
  241. 山中郁子

    山中郁子君 ほかにもいっぱい問題がありますし、いまの御答弁でもおわかりいただけると思いますが、全くそんなものじゃないと。それで調べようと思えば、近所でいっぱい住民の方たちは見ていたわけです。たくさんの目撃の証言もある。新聞報道もある。新聞記者さんたちもそれを見て報道していられるわけですから、本当に調べようと思えばすぐにでもわかることなんですよ。トラックが第九ゲートの直前になってあらわれて初めて警察がそれを知ったなんてばかみたいなことは絶対ないんです。そこのところは私は繰り返しませんが、警察として本当にこうした暴力行為を否定して、泳がせているんじゃないと、こういうふうに言い張るんでしたら、もっとちゃんとした責任ある捜査をさらに早急に進めるべきだということを強く主張しておきます。  次の問題に移ります。法務省の設置法の一部を改正する法律案に関しまして一点質問をしたいと思います。  成田関係でお願いをいただいた方は結構です。ありがとうございました。  神奈川の少年院が廃止されるために、そこの少年が久里浜少年院に移されるということですけれども、いままでの収容人員七十八人からこれが百四、五十人に増加するという計画になります。私がここでぜひ法務省に前向きの検討もし善処も図っていただきたいと思いますのは、こうした少年の増加に見合うだけの職員の増加が計画されていないという問題なんです。二倍になるのにもかかわらず職員は八十一人から九十五人ということで、たった十四人増加するだけという事態です。こういう性格の施設ですから、私が細かいことを申し上げるまでもなく、かなりの人手が要るということは実際法務省としてもよく御存じのところだというふうに思います。夜の勤務があったり、病気の人たちも多いということですので、少なくとも職員を少年数に見合った形でさらに今後増員を図っていくということはぜひ実現をしていただきたいと思っておりますが、いかがでしょうか。
  242. 石原一彦

    政府委員(石原一彦君) 矯正施設の職員につきまして温かい御配慮あるお言葉をいただきまして感謝申し上げます。  ただいま御指摘のように、久里浜少年院では現在の八十一人を九十五人にいたす予定になっております。なお、収容定員は百六十人でございます。最初に一般的に申し上げますが、矯正の職員は、法務省四万九千人のうち二万一千人おりまして、全体のうちでは四〇%以上を占めるわけでございます。行刑職員が一万六千人でございますが、その行刑の適正な収容定員が約五万人ちょっとでございまして、行刑におきましてはやや三人に一人というふうに考えております。それから少年院でございますが、少年院の場合には、現在収容の居室といたしましては約八千人余りと言っておりますが、御承知のように、矯正教育を充実するためにいろんな層室を集会室、生活指導の部屋等に変えておりまして、そういたしますと、大体五千人から五千六百人でございます。仰せのように、行刑とは違いまして、個別的な指導に基づく教育をしなければなりませんので、大体収容者二人について一人の職員ということになりますと、定員百六十人につきまして九十五人というのは決して少ない数字ではございません。もっとも、東京医療少年院が神奈川に移りまして神奈川医療少年院になる場合におきましては、収容定員八十人に対しまして職員の定員七十三と非常にふやしておりますが、これは御承知のとおり精神薄弱少年あるいは情緒障害少年でございまして、非常に手数のかかる少年であり、社会復帰のために相当な矯正教育を及ぼすということで、医療少年院につきましては、ただいま申し上げました二対一よりもできるだけ多くの職員を配置するという考えをとっております。  次に全体でございますが、約二千八百人少年院の職員がおりますが、これは私ども残念に思っておりますが、最近におきまして少年院等の収容が少ない等もございまして、昨年においては四十人、本年において五十人の減員を見ております。これは政府の定員抑制政策に御協力申し上げる意味もございまして、私どももやむを得ないと思っておるのでございますが、いずれにいたしましても、非行少年とはいっても次代のわが国家を担う国民でございますので、仮に非行で少年院に入りましても、それに十分な矯正教育を施して社会復帰をさせることが必要であることは申すまでもないところでございます。今後とも御支援を賜りたいのでございますが、必要のある場合には、少年院の職員、特に教官の職員の充実につきましては努力をいたしたいと考えておるところでございます。
  243. 山中郁子

    山中郁子君 一対一ぐらい必要なんだというのが現場の方たちの声です。その点をよく頭に置いていただいて、充実のために御努力をいただきたいと思います。  次に、昨年の十月二十五日でしたかしら、私がこの内閣委員会で川崎市高津区の地籍混乱の問題について取り上げたことがございました。そのときお約束をいただきまして、その後法務省の方と一緒に、ことしの三月に入りましてから私も横浜法務局の表示専門官の方、溝口出張所長の方々と一緒に現地の調査もしました。現地はやっぱり大変なものです。多分法務省の方もそれはよくおわかりになったというふうに思いますけれども法務大臣にお尋ねいたしますが、こうしたことについての報告はお受けになっていらっしゃいますでしょうか。
  244. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 調査いたしまして、面積にいたしまして約二十七万平米、三千百筆でございますが、所有者数は約千九百名でございます。
  245. 山中郁子

    山中郁子君 それで、私は同じような全国的な状況について法務省から資料をいただきました。大変な膨大な混乱地域がやはりあるんですね、混乱地域として法務省が認識をしておられるところが。ここをブロック別に、地域数、面積、世帯数などの報告をいただきたいということでお願いをしてございましたけれども、ちょっと時間が詰まっておりますので、これは後ほど、もしそれで整理をしていただいておりましたら文書でいただきたいと思いますが、全国で世帯数にしますと結局どのくらいになりますか、その混乱している地域は。
  246. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 世帯数というよりは、より的確に所有者数で申し上げた方がいいかと思いますが、六万三千五百三十八名というふうな結果になっております。
  247. 山中郁子

    山中郁子君 面積は、そうすると全部でどのくらいになりましょうか、全国的にです、トータルで。
  248. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 九百二十七平方キロでございます。
  249. 山中郁子

    山中郁子君 もう少し多くなるんじゃないかと思うんですが、いずれにしましても大変膨大な地域です。  それで法務大臣にぜひ一つお約束をいただきたいんですけれども、私もこの前高津の調査に行きましたときに、法務省の方たちもお忙しくて人手も十分じゃないために、具体的な、なぜそうなったのか、どういうことでそれを解決していけるかということについて全然手が回らないと、こういう感じでした。これは法務省もお認めになると思いますけれども、ぜひ私は全国のこういう実態を少し本格的に調査をして、解決のために法務省が積極的な姿勢をとっていただきたい、ぜひ法務大臣からお約束をいただきたいと思っておりますが。
  250. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) こういう新しく土地を開発するときには、地形がずっと違ってまいりますから。しかも従来の土地は、残念ながらいまの登記関係では、長い間経ておりますと、いわゆる見取り図等でやっておった時代が相当長く続いておりますと、現地の状況と必ずしも一致しておらない、こういう状況がありますから、できるだけ現地に合うように調査をしながら正確なものをつくる、正確な登記をする、こういう指導をしておるわけでございますけれども、なかなか膨大な事案と人間との関係でそこまでいかないというところがございますが、おっしゃるとおりこういうトラブルが起こることは適当じゃありませんから、できるだけそういうことを指導して正確にするように努めたいと、かように考えております。
  251. 山中郁子

    山中郁子君 前回の委員会でも私は指摘したんですけれども、いま大臣も言われましたが、こうしたことによって大変大きな被害を受けるというケースが出てくるわけです。この高津の問題でも、具体的に私は話を聞きましてね、本当にお気の毒だと思うし、何とかしなきゃならないと思って、それはぜひとも法務省にも計らってもいただきたいと思うんですがね。この前の委員会のときに、たしか香川局長だったと思いますが、登記所に来られれば間違った取引がされることが防げるということで、そういった資料を提供するところまでが登記所の仕事だという趣旨の御答弁をなさっていました。それで、しかし私がいま実際の一つの例を申し上げますと、これは不動産業をしていらっしゃる小林清さんという方なんですが、きょうもお見えになっていらっしゃるんですけれども、この方が四十七年の五月に——ちょっと入り組みますけれども聞いておいてください。月本金次という人から八百十六平方メートルを売りたいという話を持ち込まれて、そして、この土地は実質的には月本金次という人の土地であったので、これを三進商事というところにあっせんをすることになすったと、不動産業の方ですから。そして横浜地方法務局の溝口出張所で謄本の交付も受け、所有者の確認を行い、現地調査を行った。さらに、溝口出張所において公図の交付を申請したところ、高津区役所に行けと言われたため、区役所で公図の交付を受け、そして物件説明書を作成して調査結果を記載して、謄本、公図、実測図を添付して、仲介あっせんの労をとって五月の三十日に溝口出張所前の司法事務所で売買契約を行ったと、これが経過なんです。ですから、ちゃんと登記所へ行ってすべての手順を尽くしているわけですね。それで売買契約を行って、その三進商事という、つまり小林さんによってあっせんされた人がこの代金を一千八百万支払ったわけです。で、その三進商事が買った土地に三進商事が建物を建てようとした。そしたらそこが自分の土地だという人があらわれて、結局公図と違っていたわけですね、それで建物を建てられなくなった、こういうことが起こったわけです。だから、一種の詐欺みたいなもの、詐欺が実現しちゃったわけですね、そういうことから。それで結局三進商事は小林さんにお金返してくれと、こういうことになって、で、小林さんはやむを得ず一千八百万弁償なすったわけですよ。一千八百万といったら大変なお金ですよね、もうおわかりいただけると思いますけれども。こういうことがこの混乱が原因で起こっている。私はいま具体的な例として一つ申し上げていますけれども、時間がないのでその他いろいろ申し上げる条件がありませんから。で、仕方がなくて小林さんは月本金次という人を告訴したわけですね、詐欺ということで。そうしたら、検察庁ではこれを起訴するどころか、小林さんの話を伺いますと、川崎支部の検事が、月本金次という人は何も知らずに売ったので起訴はできない、その上名誉棄損になるおそれがあるので告訴を取り下げるようにというふうに言われた。で、仕方がなく小林さんは言われるままに告訴を取り下げたという経過になっているんです。結局その小林さんが一千八百万を弁償される、そうすると、もう不動産業をこれから続けていくためのお金のやりくりもつかないという、本当に窮地に追い詰められていらっしゃる。大変お気の毒なことだと思うし、そのもとはこの公図と現況の混乱、これが原因になってきている。こういう被害が、その人にとってみれば、つまり小林さんにとってみればもう決定的な被害ですよね、一千八百万の弁償をしなきゃいけないということですから。こういうことを生み出してきているという問題なんです。それで、先日も私は道路の問題やなんかで、たとえば水道の補修がきかないとか、したがって水圧が低くなっていざ火災のときには消火栓の水が上がらないとか、そういうようないろんな困難が出てきているし、また道路整備が結局それでできないために、高津区域なんて大変ですよ、がたがた道路で。そういう状態ですが、もっと言っていまのケースのような形のものが出てきているわけですね。私は何とかしてこういう問題を解決していかなければ、やはり国の法というもの、それこそまさに法治国家というものの国民を守る立場というものが全くできていないということで、国民から不信を買っても仕方がないと思います。一つは、基本的にこういう問題について、こうした事態まで生み出して、だからこれからもその混乱地域たくさんあるわけですからこういう事態が起こる。もうすでにほかにもたくさん起こっていますけれども、これからも起こる可能性がいっぱいあるわけですね、ということについてどのような手を打たれるのか。  それからもう一つは、現実にいま私は例として挙げましたけれども、何とかしてその小林さんの受けた被害、これを解決する道はないものか、そういうものはやはり法務省としての登記所の問題から起こった事件ですから、そのことを少し誠意を持って打開をしていただきたいと思うんですが、お考えを聞かせていただきたい。
  252. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 土地の売買に関連いたしまして、トラブルが生じて思わぬ被害を受けるという方々がある、これの根本的な原因は、結局その登記所におきまして、登記簿において所有者あるいはその他の事項が明確に記載されておりましても、その土地が現場においてどの部分であるか、つまり境界がここであり、これだけの広さのものだというふうなことを明確にする地図が整備されていないということに根本的な原因があろうかと思うんであります。で、現在土地登記所におきまして持っておりますいわゆる公図と申しますのは、昔、土地台帳が税務署の所管、まあ課税台帳としての機能を持っておった当時のものでございまして、さかのぼりますと明治維新政府によって作成されたものということに相なるわけでございます。その当時におきましては地租を徴収するための資料というふうな役割りでございましたので、御案内のとおり、山林とかあるいは原野とかいうふうな比較的収益の少ないところ、あるいはいろいろの事情によりまして的確な公図が作成されていない地域が相当数あるわけでございます。巷間よくなわ延びとかあるいは隠し田というふうな言葉で言われますように、いろいろの原因があって当時作成された地図が必ずしも現況を把握していない。面積等において、私ども調査しましたところでは、物によっては十倍あるいは百倍の開きがあるというふうな地域もあるわけでございます。そういう意味で、この公図というものが、登記所におきましては、法律上正規なものではございませんけれども唯一のものでございますので、それをそういった土地の取引をされる方々に便宜的にお見せするというふうなことなんですが、機能的に申しますと、現場において確認したものと公図とが一見違うというふうな、いわば消極的な警告と申しますか、さようなことで、必ずしも公図どおりと思っては大変だというふうな御認識をいただくような、きわめて消極的なそういう警告的な意味を持つにすぎないような状況のものも多いわけでございます。したがいまして、何と申しましても登記制度の根幹である土地の明確な把握ということから、昭和三十五年の不動産登記法の改正によりまして、登記所におきまして明確な地図を整備しなきゃならぬというふうな規定を初めて設けまして、その線に沿いまして逐次整備を急いでおるわけでございますけれども、これは御理解いただけると思いますけれども、この地図づくりというのは莫大な金が要るわけでございまして、なかなか私どもの力では十分な整備がされていない。幸い国土調査法に基づきまして、これは地籍調査と言われるそういう事業が実施されるわけでございまして、その際にできるだけ御協力申し上げまして、その成果である地籍図を登記所に送付いただいて、それを公図とかえまして正規の地図というふうな扱いを逐次やってきておるわけでございます。しかし、この国土調査法によります地籍図の作成も何分金のかかることでございますし、また地元負担もございますので、なかなか思うとおりには進行しないという状況で、結果的に申しますと、登記法には地図を整備する規定がございますけれども、現状はきわめて不十分な状況であるわけでございまして、まことに申しわけない限りでございます。  そのような状況にございますので、登記所といたしましては、大体、地区によりまして公図は現況と合っていないというふうなことは承知いたしておるわけであります。したがって、さような地域についての不動産取引で登記所にお見えになった場合には、登記所の公図というのは遺憾ながら不正確だと、市町村によりましてわりあい正確な地図を持っておられるところもございますので、そういうところも登記所で把握いたしておりまして、むしろそういう地方公共団体の方で地図をお調べになった方がいいというふうなことを、まことに情けない話でございますけれども申し上げておるような状況でございます。そういうことでございますので、根本的にさようなトラブルをなくするためには、何としましても地図の整備を急がなきゃならぬというふうに考えるわけでございまして、鋭意努力を続けていきたいと思っております。  それから、ただいまの具体的な事例での千八百万の損害を受けられたという方について、これは率直に申しまして、いまお伺いした限りでお答え申し上げますと、国がその損害を補てんするということは、これはまあ法律に基づいてしかできないわけでございまして、考えられるのが国家賠償法でございますけれども、国家賠償法から申しまして、具体的なその取引について、なるほどその遠因といたしましては登記所においての地図の整備が不十分であるということが一つの遠因をなしておりますけれども、直接の取引につきまして、登記所が何らかのこういう過失があったという事案でもなさそうに思いますので、遺憾ながら国家賠償法によって損害をお支払いするというわけにもまいらないのではないか。さように考えますと、ちょっとほかに損害を国が補てんすべき法律的な根拠もございませんので、まことにお説のような何らかの配慮をするということも困難かと存じます。
  253. 山中郁子

    山中郁子君 もう時間がありませんから終わらなければならないんですが、私は、それはこの問題が大変経過からいって困難な条件であるということを否定するものじゃないですよ。だけれど、いまの香川局長の答弁は私はいただけないです、本当に。それはこの前の委員会で、直接行ってくれればいい、直接行ってくれればそういう間違いは起こらないんだとおっしゃったわけよ。だから直接行った人でもこういうことになるんですって言ったら、今度は直接行った場合でもその公図とあれは間違ってると思ってくれと、思わないからこういうことになるんだと、とんでもない話ですよ。なぜ一言登記所が、法務省が、ここは混乱地域だと言ってくれなかったのかと、そうすりゃ買わなかった、手をつけなかった。それはそうですよ、だれだって。行かないからいけないんだって言って、行った場合にはどうするのかと言ったら、行った場合でも信用しないでやってくれと、冗談じゃありません。一体それでは、それこそ法治国家ですかということになる。私はそういう言い方はどうしても容認できません。そこのところはちゃんと国の責任を認めて、自分たちの処置が、少なくとも小林さんに対しては千八百万の被害をもたらしたんだと、申しわけなかったということは認めてくださいよ。それでなかったら、そんな言い逃れ、とっても通用しないですよ、どうですか、そんなばかな話ないでしょう。信用した方が悪いということでしょう。
  254. 香川保一

    政府委員(香川保一君) まことに情けないことを申し上げたわけでございますけれども、現状といたしまして、ある取引はこういう状況だからおやめになった方がいいというふうなこととか、そこまでなかなか登記所が介入していいかどうか問題ございますが、ただいまお示しの事案では、市役所へ行って地図を見てくださいということを申し上げたようでありますが、これはまあ的確な地図が登記所にありますればそれをお示しして、取引の具体的な土地は地番からいうとここだというふうにお示しすることになるわけでございますが、さような地図が遺憾ながら備わっていないためにそのことを申し上げて、むしろ市役所の方の地図をごらんいただいた方がいいというふうに申し上げたんだろうと思うんであります。で、非常に客観的にはお気の毒だと思うんでありますけれども、やはり国が賠償するという以上は、先ほども申し上げましたように、一般の税金によって処理するわけでございますから、法律上の根拠なしにそういう個人に損害を補てんするというふうな処理は、これはやはりとれないだろうと思うのであります。お気の毒ではありましても、やはり法律上根拠がなしにさような措置をとるということは、とうていできないことだろうというふうに申し上げざるを得ないと思います。
  255. 山中郁子

    山中郁子君 法務大臣、ちょっとはっきりしてください。香川局長、大変なことを言っているんですよ。法務省を信用したから悪いんだと言っている。信用するなということを言っているんです。いいんですか、そうじゃないの、登記所へ行って登記所の言うとおりやったら信用した方が悪い、そういうことですよ。法務大臣、見解を伺います。そんなばかな話ありますか。
  256. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) 土地の問題は山中さんも御承知だと思いまするが、やはりいま申し上げましたような実情でありますから、いわゆる土地を私は売買するときには、現地について売買する人たちがちゃんと隣地の人まで相談して、そうしてここはこういう人のものであるかどうかを確かめてやるのが大体常識的なんですけれども、それで、こちらからお尋ねするのはまことに逆でおかしいんですけれども、先ほど月本という人の土地であったということで、小林さんという人があっせんして、そして千八百万をそこからもらって月本さんに払ったんだと、土地の所有者という人に。それが実際はそうじゃなかったから、小林さんが、第三者、もう一つの人に弁償をしたという形になったんじゃないかと私はお話を伺いながら理解したんですけど、理屈言うわけじゃありませんけれども、理論的に言うと月本氏から千八百万円を求償される立場にあると思うんですが、これを聞くというのもおかしいんですが、どんな関係になっておるのかわかりませんが、それが登記が先ほど来申し上げておりますように図面と現地と必ずしも一致しない、残念ながら現状がそういうところがありますから、民事局長がどう言ったか私もはっきり覚えておりませんが、それを確かめなければけしからぬのだということではないわけですけれども、その関係で、私はこういう場合には、これは民事の関係からいいますと、小林さんは月本という人から求償をされる立場にあるんじゃないかと思うんですが、それを登記所なり法務省なりに持ち込まれても、ちょっとこれは解決の手段がないというのが現状じゃないかと思います。
  257. 山中郁子

    山中郁子君 もうあとこれで終わります、確実に。  もう一度最初から言い直さなきゃならないという事態になっている感じでございますので、きょうはお約束の時間が過ぎましたから私は終わりまして、引き続き具体的な事案につきまして、見解も、法務大臣にも御出席いただいたところで本当に責任のあるあれをいただきたいと思います。少なくとも、国民が登記所を信用したから悪いんだというようなことになるのかどうか、私は大変重大なきょうは局長の御答弁があったと認識をいたしておりますので、さらに細かく問題としては引き続き究明もいたしますし、また法務省には、ぜひとも国家賠償法ということまで私は申し上げて、いるわけじゃありませんけれども、具体的なそうした犠牲者、被害者が出ていることに対して、私もまた具体的に御相談もいたしますので、何とか誠意を持った知恵を出すという点での取り組みもお願いをしたいと思いますので、それをお願いいたしまして終わります。
  258. 森田重郎

    ○森田重郎君 私は、関連質問の形におきまして成田空港の問題につきまして、二点ほどお尋ねを申し上げたいと存じます。  成田問題につきましての関係閣僚の方は、実は瀬戸山法務大臣お一人でございますので、二点だけの質問でございますので、できますれば大臣に直接御答弁を賜りたいと思います。  実は、私けさ家を出ます折に、朝日新聞の天声人語というのを実は読んだわけなんでございますが、きのうでございましょうか、運輸省の中村次官と反対派の責任者の方々がテーブルをはさんで会談を持たれたという記事の中で、反対派の責任者の一員の方がこういうことを言っておるというふうに書いてあるんですが、実は中村次官という人は非常にやさしい人だったと、そう言った折の反対派の一員のほおが緩んでおったというふうな記事を実は拝見したわけでございますが、その記事を読んでおりまして、実は私自身もほおが緩んだような気持ちになったんでございますが、何かの一つの解決のめど口と申しましょうか、先に多少明るい曙光が多少なりとも芽生えてきたというふうな気持ちでその天声人語を読んでおったわけでございますが、そういう一つ一つの細かい積み重ねと申しましょうか、苦労、努力というふうなものが、やはりこういった問題の解決の糸口になるのではないかというふうな考え方から、実は念を押すような意味であえて申し上げたいんでございますが、昨日、本会議におきまして各党の代表者の方々の質問を実はじっと拝聴しておったわけでございます。実は総理を初め、本日こちらに法務大臣もいらっしゃいますが、各大臣の御答弁をずっと拝聴しておりまして、その答弁要旨全体につきまして個々具体的に私はどうこうというふうなことを申し上げる気持ちは実は毛頭ございません。が、しかし、何かひとつの精神条項的な面における欠落した大きな部分があるのではなかろうかというふうなことを感得しながら、実はその御答弁を伺っておったわけでございます。  御承知のように、総理は、秩序を破壊する暴力集団に対しては断固処置をする、と同時に、またこれまでの自分のそういった彼らに対するひとつの姿勢あるいは対応の仕方というふうなものが多少甘かったんだというふうなことを、繰り返し何回か答弁なさっていらっしゃる。福永運輸大臣は、警備をも含めた、言うなれば空港の管理体制全般の問題についてその責任は空港公団にあると、しかし、今後の指導、監督というふうなものについては、極力強力に指導をされていくというふうな御答弁があったように実は承知をいたしております。同時にまた、加藤国務大臣は、今回のこの成田空港の問題というのは、これは実質的には一つの内戦だと、内戦というふうな言葉を使うほどこの問題に対して、今後の長期的な警備体制のあり方というふうなものを強く訴えておったというふうに私は理解をいたしております。本日こちらの席にいらっしゃいます法務大臣も、憲法によって基本的な人権が保障されておる、社会秩序の破壊というふうなものは断固許されないというふうな形で、大変強い姿勢を披瀝、表明された。実は全く御説のとおりだと思います。したがいまして、私は総理を初め各大臣が御答弁をされた、その答弁そのものに対して何ら異議を差しはさむというふうな気持ちは毛頭ございません。が、しかし、現在ともすれば行政府、省庁別中心に縦割りの行政の中で、この成田空港の問題をとらえるというふうなことについて、いささかいろいろと懸念、心配もあるわけでございます。したがいまして、今後成田空港をどういう形で取り上げていくか、その辺の政治姿勢ないしは行政の基本理念というふうなものについて、特に瀬戸山大臣に御答弁を賜りたいと思います。よろしくお願いします。
  259. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) けさの朝日新聞の天声人語を引用してのお話でございますが、私もけさちょっと目を通しまして、そのことについては非常にいいことであるという所感を持っております。この問題について、直接の担当でありませんから詳細は知らない立場でありますけれども、政治家の一人として、現在はまた内閣の一人として感想を申し上げますと、この成田空港昭和四十一年七月であったといいますが、あそこが決定するまで、あるいは決定した後、精力的に地元の農家その他関係地主と御相談をし、大部分は、たとえば鹿島地区の開発にも土地の問題があったわけでありますが、空港というきわめて重要な施設ということで、その地域よりもずっと有利な処置で地元の皆さんとお話し合いをして、そして、いま申し上げました大部分は解決をいたしておるわけでございます。ところが、細かい事情は率直に申し上げて私も知らないわけでありますけれども、現在まで争いになっておる一部といいますか、農家の方々は、ずっと反対を続けられておる。私はこの段階で、いま言っても始まらないんですけれども、率直に言って担当行政府は誠意を示してもう少し話してもらえばよかった。天声人語にありました、最近会われたことはそういう意味で非常にいいことだという意味はそういうことでございます。  他の例を引いてまことに恐縮でありますが、実は宮崎県の宮崎空港が、これはもう五、六年かかっておりますけれども、少し延長しなければならない。これは漁業権の問題にもかかわりがあって、海の方に出ますから、非常にトラブルがあっておりますが、これも全面的な解決にはなっておりませんけれども、おおよそ、表はとにかくとして内心はやむを得ないと、事情はわかったという状態になっておりますが、それまでには、宮崎県の知事はみずからそれこそ何十回となく反対同盟の人と会い——ああなりますと外部のいわゆる支援団体というのが入りますから、なかなか直接の農家、土地所有者というものは当事者能力がないようになる、ほとんどそうでございます。そういうことで、なかなか直接県の職員とか、あるいは知事と会わないと逃げ回っておるという状況でありましたが、それにもかかわらず、とにかく早朝七時ごろ行って、いまなら寝起きであるからおるであろうと、こういうところまで努力をして、いま申し上げましたような、表向きは了解したと言えないが、実情はよくわかりましたと、こういう程度まで行っておる事情がございます。  この成田のいわゆる芝山地区等の関係は、そこまで行けばよかったと思いますけれども、行けない事情が途中に介在したのじゃないかと思います。といいますのは、いま申し上げましたように、いわゆる学生その他支援団体というものが取り巻きまして、そうなりますとなかなか直接農家の人と簡単に会えないという事情になってくる。そして、最近では、率直に申し上げますが、もう直接土地を持っておられる農家自体には実際上は当事者能力がなくなっておる、会って話をするという状況ではない。いつもいわゆる支援団体、過激派に取り囲まれてそういう状況になかった。たまたま今回はこういう事態になりまして、現在は、これは私の想像ということにしてもらってよろしうございますが、あれほど過激な行動をするということは農家の地主たちは考えておらなかった、おかしいじゃないかと、こういう心境に内心あられるんじゃないかと私は思います。そういうときの呼びかけで会っておると思いますが、これで一挙に解決すると思いませんが、会って話をしてみると、いまおっしゃっているように中村次官というのはいい人だと、こういうことになったのじゃないかと思います。そういう意味で、困難な事態があったと思いますけれども、まあいまから死児の齢を勘定するようなことでございますけれども、もっとそれこそ夜を日に継いでというくらいに誠意を尽くして、相手の立場をもっと考え、事情も聞き、何もかにも完全にとは、その人たちだけ完全にとはいかないと思いますけれども、できるだけその人たちの将来のことも考えてやってやるという、愛情といいますか、そういう立場でもう少し努力をしてもらえれば、ここまで支援団体に引きずられて混乱するようなことにはならなかったんじゃないかと、これはもう私の立場でそういう感じを持っておるということでございまして、他の省庁の今日までの仕事を非難するとかどうということでなくて、確かにそういう感慨をいたしております。今後といえども、いわゆる過激派集団というものは、そういう問題では今日なくなっておると確かに私は思います。彼らの言動、やっておりますこと、あるいは他の集会等で盛んに言っておりますことは、これを起点にして革命をするんだということを公然と言っております。でありますから、こういう者を相手にしたってこれは話になりませんけれども、地元の直接の農家の方々、地主等とは、今後といえども誠意を尽くして、お互いに日本民族であります。日本民族を分断させていいわけありませんから、そういう立場で、きのうも申しておりましたように、運輸大臣もそういう決意でやりたいと、こういうことを言っておりますから、今後も努力するでありましょうが、そういう立場で私は行政は、運輸行政ばかりじゃなくて、何の行政でもそうでございますが、われわれは国民のお世話をせいと国民から言いつけられておる。政府がやるんではなくて、政府というものをつくって、きのうも簡単に申し上げましたが、法律というのは国民のためにつくってあるわけでありますから、それをお世話をする当番を預かっておる、こういう気持ちでやるべきものであると、かように考えておるわけでございます。
  260. 森田重郎

    ○森田重郎君 ただいまのお話で、大臣の心情、心境というふうなものもよく理解できました。実は三十日、ちょうどきょうでございましょうか、これも二、三日前の新聞報道でございますが、成田で二万人ほど集まって、全国の阻止大会ですか、決起大会ですか、これが何かきょう行われるというふうな新聞報道がございまして、私実は二、三回警察当局に伺ったんですが、それがたまたまきょう何か中止になったというふうな情報を伺ったわけでございます。ちょうど私が伺ったときには、二万人集まるというのが七百人で、きょうは中止だと、その七百人の方というのは、要するに中止命令がわからずにたまたまそこへ集まった方らしいというふうな実は警察の方の情報なんでございますが、私やはり考えてみますと、これは運輸当局の次官と、あるいは反対派の方々がきのうですか、お会いになった、その辺が一つのきょうの阻止決起大会でございましょうか、それを取りやめたある意味では一つの起爆剤にでもなっているんではなかろうかというふうなことを私なりに実は想像してみたわけですが、そういうことが仮に若干でも影響があるとするならば、先ほども何回か申し上げましたように、小さな努力の積み重ねと申しましょうか、こういうふうな問題が、非常にその問題解決のやはり最終的な大きな決め手になるというふうな感じを受けるわけでございますが、実は明日定例会議でございましょうか、先ほど野田さんからもちょっと御質問が大臣に対しましてあったようでございますが、明日定例会議になりますのか、あるいはまた成田問題についての関係閣僚会議というふうな形になるのか、その辺は私もよくわかりませんが、私伺いたいことは、お知らせしていただける範囲で、先ほどの御答弁だけでとまるということでございましたら、これはまた別でございますが、大臣が席を外されたその間に若干でも変わったニュースということでお耳に入っている点がありましたらその点をお聞かせいただければと思うんですが、明日の会議の議題というふうなものが一体何であるか、そしてまた当然成田問題が議題の最大テーマになるであろうというふうなことを考えておるんでございますが、もし定例会議にいたしましてもあるいは関係閣僚の会議にいたしましても、明日の予定されております閣僚会議と申しましょうか、それがどういう形で開かれ何を議題とされ、またいかなる形で、これは成田問題をも踏まえての話でございますが、いかなる形で取り上げられなければならないか、もちろんこの空港の修復問題、あるいはまた先ほども申し上げました長期にわたる将来の警備体制あるいは開港期日の問題というふうな問題も何かとあろうかと思いますが、いやしくも私は開港の期日を五月十日にするとか、あるいは十五日にするとか、あるいは二十日にするとかというふうな形で、開港期日に論点を集中するような閣議のあり方であるとすれば、何かその辺に一つの問題があるんではないかと、今後の一つの解決策の基本的な行政の姿勢というものがどうあるかというふうなことがまず第一に詮議されて、要するにテクニック、技法、技術論というふうなものは、基本理念の上に立って何日にする、ときに半月おくれる、一カ月おくれるというふうな形の閣議であらねばならぬと、かように思っておるわけでございますが、その辺につきまして大臣の何か御所見でもございましたら承りたいと思います。
  261. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) いま森田さんから、いわゆる反対をする人たちの集会が延びておると、この理由はわかりませんけれども、来月の二日ということに変更したということをいま刑事局長から聞いております。  それから、明日はおっしゃるとおりに早朝からいわゆる成田空港に関する閣僚会議をやります。それに引き続いて定例の閣議もやることになっております。閣僚会議、また引き続いて閣議にも諮られると思いますが、その課題は、一応延期しておりますから、次の開港日が決められるかどうか、いつにするかということももちろん出てくると思いますけれども、きのうきょうの参議院あるいは衆議院本会議でもいろいろ御討議がありましたように、とにかくこれはいつ開くということはもちろん非常に大事でございます。あらかじめ決めなければ、全世界の航空関係が準備する、それに応じなければなりませんから、たくさんの手数、手続が要るようでございます。あしたからやりますと、簡単なものじゃないようでございますが、それは決められることになると思いますが、それについては何といっても空港の安全、航空の安全、それから成田周辺の安全ということが前提になります。そういうことを、今後の対策について十分協議をして方針を決める、そういうことになると思います。そういう際には、いま森田さんから特別に御注意もありましたが、やはり関係者との間を何とか——これは暴力集団とはちょっと話は合わない、これは全然目的が違いますから、しかし、もとの根になった地元農家等との話し合いは何とか全力を挙げてお互いに理解を打ち立てる、こういうことをするような協議をいたしたい、かように考えております。
  262. 森田重郎

    ○森田重郎君 よくわかりました。最後の問題につきましては御答弁は必要ございません。重ねて申し上げますように、あくまでも縦割り省庁別中心の行政の仕組みという中でこういう問題が討議されるということに対しまして、私、大変疑念と危惧の念を持つものでございます。したがいまして、やはり成田空港の問題というのは、大きな意味で国際的に威信を問われるというふうな問題でございますので、重ねて申し上げるようでございますが、開港期日をいつにするというふうな、物理的な技術論的な意味での議題というふうなものが先行し、その背景にある行政基盤の見直しと申しましょうか、これは成田空港問題につきまして、こういう基本的なやはりロジックの積み重ねというのがどうしても先行されなければ、いつまでたってもこういう問題は私は解決できないんじゃないかというふうな気がするわけでございます。したがいまして、明日の閣議というのは、私に言わしめれば総合的な洗い直し閣議、見直し閣議と、成田問題を踏まえてでございますが、そういう閣議であってほしいというふうに希望を申し上げまして、私の質問を終わらしていただきます。ありがとうございました。
  263. 瀬戸山三男

    国務大臣瀬戸山三男君) ありがたい御忠告をいただきまして、ありがとうございます。そういう考え方で進むべきだと思っております。
  264. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  265. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 御異議ないと認めます。  原委員から、委員長の手元に修正案が提出されております。修正案の内容はお手元に配付のとおりでございます。  この際、本修正案を議題といたします。  原君から修正案の趣旨説明を願います。原君。
  266. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 ただいま議題となりました修正案につきましてその趣旨を御説明申し上げます。  案文はお手元に配付いたしておりますので、朗読は省略させていただき、その要旨を申し上げます。  原案におきまして、東京入国管理事務所羽田空港出張所設置の施行期日が本年四月一日となっておりますが、御承知ごとく、現在置かれている羽田入国管理事務所の廃止日である新東京国際空港の供用開始日三月三十日が延期されておりますため、二つの機関が重複して設置される結果となるので、羽田空港出張所設置の部分につきましては、施行期日を新東京国際空港供用開始の日と改めようとするものであります。  以上でございます。
  267. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) ただいまの修正案に対し、質疑のある方は順次御発言願います。——別に御発言もないようですから、これより原案並びに修正案について討論に入ります。  御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べ願います。——別に御発言もないようですから、討論は終局したものと認めます。  それでは、これより法務省設置法の一部を改正する法律案について採決に入ります。  まず、原君提出の修正案を問題に供します。原君提出の修正案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  268. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 全会一致と認めます。よって、原君提出の修正案は可決されました。
  269. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 次に、ただいま可決されました修正部分を除いた原案全部を問題に供します。修正部分を除いた原案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  270. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 全会一致と認めます。よって、修正部分を除いた原案は可決されました。  以上の結果、本案は全会一致をもって修正議決すべきものと決定いたしました。  なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  271. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時十五分散会