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1978-04-18 第84回国会 参議院 社会労働委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年四月十八日(火曜日)    午前十時十一分開会     —————————————    委員異動  四月十三日     辞任         補欠選任      斎藤 十朗君     中山 太郎君      遠藤 政夫君     長谷川 信君  四月十四日     辞任         補欠選任      中山 太郎君     斎藤 十朗君      伊江 朝雄君     亀長 友義君      長谷川 信君     遠藤 政夫君      田原 武雄君     熊谷太三郎君  四月十五日     辞任        補欠選任      熊谷太三郎君     玉置 和郎君  四月十八日     辞任        補欠選任      安恒 良一君     浜本 万三君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         和田 静夫君     理 事                 佐々木 満君                 玉置 和郎君                 片山 甚市君                 小平 芳平君     委 員                 浅野  拡君                 石本  茂君                 上原 正吉君                 遠藤 政夫君                 斎藤 十朗君                 福島 茂夫君                 森下  泰君                 高杉 廸忠君                 広田 幸一君                 渡部 通子君                 小笠原貞子君                 柄谷 道一君                 下村  泰君    国務大臣        厚 生 大 臣  小沢 辰男君    政府委員        内閣総理大臣官        房管理室長    小野佐千夫君        厚生省公衆衛生        局長       松浦十四郎君        厚生省援護局長  河野 義男君    事務局側        常任委員会専門        員        今藤 省三君    説明員        総理府恩給局次        長        藤井 良二君        法務省民事局第        五課長      宮崎 直美君        外務省アジア局        北東アジア課長  佐藤 嘉恭君     —————————————   本日の会議に付した案件理事補欠選任の件 ○戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 和田静夫

    委員長和田静夫君) ただいまから社会労働委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  去る十四日、伊江朝雄君及び田原武雄君が委員辞任され、その補欠として亀長友義君及び熊谷太三郎君が選任されました。  また、去る十五日、熊谷太三郎君が委員辞任され、その補欠として玉置和郎君が選任されました。  また本日、安恒良一君が委員辞任され、その補欠として浜本万三君が選任されました。     —————————————
  3. 和田静夫

    委員長和田静夫君) まず、理事補欠選任の件についてお諮りいたします。  玉置和郎君が一たん委員辞任されましたため、理事に一名の欠員を生じております。  つきましてはこの際、理事補欠選任を行います。  理事選任は、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 和田静夫

    委員長和田静夫君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事玉置和郎君を指名いたします。     —————————————
  5. 和田静夫

    委員長和田静夫君) 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言願います。
  6. 広田幸一

    広田幸一君 この戦傷病者戦没者遺族等援護法法律が制定されましたのが昭和二十七年でございまして、自来、毎年のようにこの法律改正をされておるようでございますけれども、それは戦争による犠牲者を国の責任において最大に補償していく、そういう考え方基調になってこの法律が年々改正されておると思いますし、中身を見ますと、問題によっては法律拡大解釈をして、できるだけそういう精神を生かそう、こういうことになっておるように私思うわけでありますが、さりとてまだ問題もたくさん残っておるようでございまして、私はきょうは、最近のこの数年間の衆議院並び参議院委員会におきまして附帯決議がそれぞれされておりますが、その附帯決議の中で政府はどのように対処してこられたか、また問題の残っておるのもあるようでございますが、その処理に向かってどういうふうにしてこれを処理されていこうとするのか、そういう点で数点にわたって質問をいたしますので、ひとつ誠意を持って御答弁を願いたいと思います。  まず一点は、こう書いてあるわけですが、「最近の物価上昇及び国民の生活水準の著しい向上にみあって、援護水準を更に引き上げ、公平な援護措置が行われるよう努めること。  なお、戦没者遺族等老齢化現状にかんがみ、一層の優遇措置を講ずるとともに手続等簡素化を図ること。」、こういう一項目があるわけであります。これは昭和四十八年から四十九年、五十年、五十一年、五十二年の連続五カ年間にわたりまして、先ほど申し上げましたように、両委員会でもって附帯決議になっておるわけでございますけれども、この案件につきましてどういうふうにして今日までやってこられたのか、まずこの点についてお尋ねをいたします。
  7. 河野義男

    政府委員河野義男君) 戦傷病者戦没者等援護水準引き上げにつきましては、今年度におきましても、ただいま御審議いただいておるわけでございますが、年金給付改善等を行うことといたしておるわけでございます。  まず年金額引き上げにつきましては、障害年金遺族年金遺族給与金につきましては、この四月から公務員ベースアップに対応いたしまして、七・一八%の増額を行うことといたしております。  それから、さらに六月からは、これをさらに増額する措置を講ずることといたしております。その結果、六月からは障害年金につきまして、第一項症を例にとりますと、月額が約二十四万九千円となるわけでございます。それから、遺族年金月額現行六万円でございますが、これが六月から七万一千円と、こういうふうになるわけでございます。  それから、そのほか重度の障害者特項症、一項症、二項症でございますが、に対しましては特別加給現行十二万円でございますが、これを十五万円に引き上げることといたしております。  それからさらに、障害年金に係る扶養親族加給につきましても、公務員給与に対応いたしまして増額することといたしております。現在、配偶者につきまして、月額七千円でございますが、これが八千円、そのほかの扶養者二人までは一人につき二千二百円が月額二千三百円と、こういうふうな改善々行うことといたしておるわけでございます。  それから、戦没者遺族等平均年齢が非常に高くなりまして、老齢化が進んでおります。そういったことから一層の優遇措置を講じられたいと、こういう附帯決議もございますが、これにつきましては、現在御指摘のように老齢化が相当進んでまいっておりまして、たとえば恩給統計年報によりまして公務扶助料受給遺族年齢階層別の構成を見ますと、六十歳未満の者が総数で一六・〇五%、それから六十歳から七十歳の方が二四・八三%、七十歳以上の方が五九・一七%、このように非常に老齢化が進んでまいっておるわけでございます。同様に、傷病恩給受給者につきましても、五十五歳から六十五歳未満の者が六四・九八%というように、非常に高齢化が進んでおるわけでございます。そういう状況戦没者遺族等老齢化状況にかんがみまして、遺族年金等増額、それからさらに戦没者父母等に対する特別給付金につきましては、再度の継続措置、六十万円の記名国債の交付をするというような対策を考えておるわけでございます。
  8. 広田幸一

    広田幸一君 いまの説明を、大体私もこの原案によりまして比較対照して見ておるわけですけれども、どうでしょうか、この生活水準の場合ですが、物価がどんどん上がっておるわけでありますから、これはひとり戦傷者あるいは戦没者遺族のみならず、一般にも特に厚生省としては福祉の面でいろいろとお考えになっておるわけですけれども、そういう一般の人の場合と、この援護法によるそれによる場合とは、若干は上回ったような考え方が出ておりますかどうかということが一つと、それからいまおっしゃいましたように、だんだんと該当者は年をとっていらっしゃるわけですね、いまおっしゃったように。ですから、こういう決議がなされておるという考え方の中には、もうそういう該当者人たちは年をとって、世の中なくなってしまうんだと、だから長い間自分の夫なり息子を戦争で亡くしたと、そういう長い間のさびしい思いに対して、できるだけ何とか国家考えてやろうという考え方基調としてこういうふうになっておると思うんでありますが、そういう点で特にお年寄りの、書いてありますように「老齢化現状にかんがみ、」ということについては、特別考慮されておる点があればあわせてお聞かせをいただきたいと思いますし、それから将来の問題としても、そこらの点についてどうお考えになっておるか、このこともあわせてひとつお答えをいただきたいと思います。
  9. 河野義男

    政府委員河野義男君) 最近、御承知のように物価上昇もありまして、物価上昇とその給付水準改善関係について御指摘だったと思うわけでございますが、たとえば先ほど申しました遺族年金遺族給与金の額の改善につきましては、四月から公務員給与ベースアップに対応いたしまして七・一%増額することになっておりますが、この公務員アップ率増額の中には、そういった物価上昇、それから賃金水準向上、そういった要素がございまして、物価を上回る改善措置がその中にあるわけでございますが、さらに六月からは七万一千円年金、さらにこの遺族年余についてのみ独自の改善措置が上乗せされておるわけでございます。それから、遺族高齢化の問題でございますか、特に子供を亡くした父母等老齢化が非常に著しいわけでございます。そこで、先ほど申しましたように、そういう子供を亡くされて孤独になられた父母寂蓼感に浸っておられますそういう父母につきまして、この平均年齢を見ますと八十四歳でございます。これらの方々につきましては、今回父母等に対する特別給付金六十万円の記名国債で五年で償還するわけでございます、こういう制度を継続して実施する、こういうふうに配慮をいたしておるわけでございます。将来も制度面あるいは運用面におきまして、こういう現実を十分踏まえて考えていかなければならないと、かように考えておるわけでございます。
  10. 広田幸一

    広田幸一君 さらに、将来にわたって改善方要望して、この件を終わりたいと思います。  次は、警防団員処遇の問題でございますが、こう書いてあるわけです。旧防空法による「警防団員に対する援護法上の取扱いについては、戦後相当期間経過していることにかんがみ、その認定方法等について弾力的に運用するよう配慮すること。」こういうことがあるわけです。これも四十八年、四十九年、五〇年、五十一年、五十二年と五カ年間同じように衆議院参議院委員会附帯決議になっておるわけでございますけれども、これはどういうふうになっておりますか、経過を含めてひとつお答えを願いたいと思います。
  11. 河野義男

    政府委員河野義男君) 昭和四十九年の援護法改正によりまして、警防団員等防空従事者につきまして援護法処遇を行うことになったわけでございますが、この警防団員等につきましては、昭和四十四年から昭和四十九年に自治省予算措置を講じました特別支出金など、過去に一時金を受給した者が多いわけでございます。そういった者につきましては、添付書類簡略化するなど裁定手続につきまして、そういった事情を配慮して運用しておるわけでございます。たとえば、添付書類簡略化につきましては、請求書には本来死亡診断書を添付することになっておりますけれども、戸籍の死亡事項中に空襲または戦災とあるものにつきましては死亡診断書を省略してよろしいと、こういう扱いなどをいたしておるわけでございます。
  12. 広田幸一

    広田幸一君 それで、厚生省で調べた該当者警防団員は該当すると、大体目ぼしい人はどのぐらい数があるんですか。その中で現在までいわゆる準軍属として適用になっておるという数字、なおその中で残っておるそうですね、現在まだ調査中であるとか、そういうような数字の面で現状をお聞かせいただきたいと思います。
  13. 河野義男

    政府委員河野義男君) 警防団員等につきます援護法上の処遇状況でございますが、遺族年金障害年金につきまして受け付けた件数が二千四百三十五件でございまして、これを可決されたものが千八百二件、却下されたものが二百四十三件でございまして、現在調査しております調査中のものが三百九十件ございます。できるだけ早く処理したいと、かように考えておるわけでございます。
  14. 広田幸一

    広田幸一君 障害者の場合はどうなっておりますか。一緒に含めてですか。
  15. 河野義男

    政府委員河野義男君) いま遺族年金障害年金のトータルで申し上げましたが、障害者について申し上げますと、障害者につきましては、受け付けた件数が二百二十二件でございます。そのうち可決されたものが九十八件、却下されたものが七十一件で、現在五十三件につきましては調査中でございます。
  16. 広田幸一

    広田幸一君 いま合計が局長おっしゃったのは二千四百三十五名でございますが、却下されたものが二百四十三名で調査中のものが三百九十名ということでございますね。この却下されたというのは一々言わなくても結構でございますから、大要どういうところに却下された理由があったのかという、大要をお聞かせいただきたいと思いますし、それからこれから調査をするという三百九十名ですか、これは遺族障害含んでの三百九十名でございますね。それは大体、この見通しといいますかね、いつごろまでには完了するのかということと、これが済めば一切要望決議になっております警防団員の問題については、厚生省としてはもう完了すると、こういうふうなことになるのか、その二つのことをあわせてひとつ御答弁願いたい。
  17. 河野義男

    政府委員河野義男君) 却下された大要でございますが、まず一つは、その障害についての公務性の問題があると思います。それからさらに、援護法処遇されるのは、警防団の中でも防空法によりまして都道府県知事から従事令書が出ております警防団員でございまして、それに該当するかどうかという二つの点が主な却下の理由だろうと思います。それから、照会している問題につきましても、そういった二点からの照会が主たるものではなかろうかと、こういうふうに考えております。それから現在調査中のものにつきましては、私ども気持ちといたしましては、できるだけ不明な点を調査しまして早く処分したいという気持ちでおるわけでございますが、個々のけースが皆事情が違いますので、いつまでには完了する見通しであるということはお答えしがたいわけでございます。
  18. 広田幸一

    広田幸一君 便乗的なものは、これは悪いわけでございまして、ここに要望決議にも書いてありますように、弾力的に運用するよう配慮するということがあるわけですから、できるだけそういった決議趣旨を生かして早急にこの問題を処理して、大体、これで、いまおっしゃった三百九十名が完了すれば、このことはもう終わってしまうと、こういうふうに確認をいたします。よろしゅうございますね。
  19. 河野義男

    政府委員河野義男君) いま調査中の三百九十件が処理できますれば、この問題については終わるんじゃなかろうかと思います。  それから、公務性に関する証明でございますが、ちょっと申し落としましたけれども自治省から出ております特別支出金受給者につきましては、身分、それから死亡公務性に関する書類、そういった特別支出金が出されておりますので、そういったことを考慮いたしまして簡略化する、そういった弾力的な運用もいたしておるわけでございます。
  20. 広田幸一

    広田幸一君 次は、三つ目でございますけれども戦傷病者に対する障害年金等処遇及び原爆症等内科的疾患認定基準について、さらにその改善に努めることと、こうなっておるわけですが、これも前回の二件と同じように、四十八年、四十九年、五十年、五十一年、五十二年と五カ年間の両委員会における附帯決議になっておるわけですが、どういうふうになっておりますか。これもお答えを願いたいと思います。
  21. 河野義男

    政府委員河野義男君) 戦傷病者に対する障害年金等処遇改善につきましては、先ほど申しました障害年金の額の引き上げでございますが、四月から七・一%、それから六月からさらにその障害の程度に応じまして三万円から六万円の増額を行うこととしておるわけでございます。  それから、先ほども申しました特別加給あるいは扶養親族加給等につきましても改善措置を講じたいと、かように考えておるわけでございます。  それから、障害年金につきましては、遺族年金も同様でございますけれども受給者からすれば、年末、暮れに年金が欲しいわけでございますが、暮れ払いの制度を実現したいと、こういうふうに考えておるわけでございます。  それから、戦傷病者につきましての特急料金についての免除措置考えていきたい。最近の戦傷病者国鉄の利用の実態を考えた場合に、特急を利用するというのが常識でございますので、現行急行料金について無料扱いがなされておりますが、特急についても無料扱いができるようにしていきたいと、かように考えております。  それからさらに、原爆症等内科疾患認定基準についての改善でございますが、内部疾患認定基準改善につきましては、これは恩給裁定と共通の問題であるわけでございますので、恩給局とも協議を続けておるわけでございますし、引き続き検討したい、かように考えております。
  22. 広田幸一

    広田幸一君 いまの障害年金のことはよくわかりました。努力の跡を、私も認めたいと思います。  いまおっしゃった特急料金でございますか、汽車のですね、これはもう見通しはついておるわけでございますね。それが一つ。  それから、原爆症等内科的疾患の問題は、恩給法との関係これありということでございましたが、見通しとしてはどういうことになりますのか。この二つの件をお聞かせいただきたいと思います。
  23. 河野義男

    政府委員河野義男君) 特急料金無料扱いでございますが、これにつきましては、現在、これは国鉄運輸省との関係があるわけでございまして、実施の時期とか、あるいは取り扱いの細部について、関係省庁の間でいま詰めておるわけでございまして、私ども気持ちとしましてはできるだけ早く実現したい。それから国鉄運輸省の側からすれば、これが円滑にいくようにルールその他をきちっとしたいというようなことがございますので、いつから実施ということはまだ結論を得ておりませんけれども、できるだけ早く結論を得て実施できるように努力をしていきたいと思います。  それから、内部疾患認定基準でございますが、これは恩給裁定一つの問題であるわけでございます。現在、恩給法障害年金につきましては傷病恩給が大部分でございますが、そういったこともありますし、またこれは医学問題でございますので、私ども直接事務的にどんどん進めるという立場でございませんが、できるだけ早くそういう医学的専門家の詰めを行ってもらいまして結論を出していただこう、こういうことで努力していきたいと思っております。
  24. 広田幸一

    広田幸一君 そうしますと、特急料金無料のことは関係省との折衝もあり、ただ日にちの問題は別として、必ずこれは実現をする、こういうふうに確認をしてよろしゅうございますかということが一つと、それから、私は去年の臨時国会のときに、当時、渡辺厚生大臣に会ったわけですけれども身体障害者汽車割引適用でございますけれども内部疾患からくる身体障害者には現在のところ国鉄運賃割引適用になっていないわけです。そこで、私は、このことは非常に不公平である。特に一例を申し上げて、問題の腎不全患者ですね、これは、週に少なくとも二回、多い人は三回は必ず、どんな悪い天候の日でも、交通機関を利用して病院に通わなければならない腎臓患者があるわけでありますから、そういう人たちを比較しますと不公平な取り扱いではないか。だから、ほかの身体障害者と同じように、内部疾患身体障害者にも適用してもらいたいということを言ったわけです。そのときに、厚生省の方としても、私の方もそのことは努力しておるし将来も努力する、こういうことであったわけでありますが、きょう、局長には関係ないかもしれませんが、大臣もいらっしゃるので、私は確かに不公平だと思っているわけです。不公平であるけれども、当時の政府側答弁としては、当時、運輸省関係者も来ておられたのですけれども、最近の国鉄赤字財政再建というようなこともあって、実は、趣旨はわかるけれどもなかなか応じられないというような答弁であったわけですけれども、さらに努力しよう、こういうことで終わっておるわけですが、せっかくの機会でございますから、この均衝、公平という原則から考えましても、このことを大臣に、将来の問題としてどうなるか、お答えをいただきたいと思います。そういう要望は早くから内部疾患者方々からは確かに厚生省の方に強く要望がされておる、こういうふうに私記憶しておりますので、あわせて答弁願いたいと思います。
  25. 河野義男

    政府委員河野義男君) 第一点の特急料金無料免除扱いの問題でございますが、これは、運輸省厚生省、大蔵省三省で合意しておりますので、実施することは確定しておるわけでございますが、実施の細目をいま詰めている、こういうことでございます。  それから、いま身体障害者国鉄割引の問題でございますが、戦傷病者援護法における戦傷病者割引は、戦傷病者につきましては国家補償立場から外部疾患外部傷害、それから内部疾患、そういったものをすべて傷病恩給、それから障害年金対象になっておるわけでございまして、そういった方につきましては戦傷病者手帳が交付されておるわけでございます。こういった方につきまして国鉄におきまして、乗車券はもちろんでございますけれども急行料金、今度新たに特急料金無料扱いにすると、こういう考え方でございまして、身体障害者福祉法における障害者は、内部障害というものは機能障害、それから機能障害による所得の減少とか、そういった観点からの福祉でございますので、そういったものは対象になっておらぬわけでございまして、それはおのずとそこに制度の立て方と目的が違っているからだと、かように私どもは理解しておるわけでございます。
  26. 広田幸一

    広田幸一君 前段のことは、いわゆる戦傷者としての場合はいわゆる内部疾患であろうと全部適用になっておるということはわかりました。私はせっかくの機会ですからというふうに言いましたのは、事前に言っていないから答弁しにくいかと思いますけれども、いわゆる一般の場合の身体障害者戦傷者でない場合のそういった内部疾患については適用になっていないわけです。なぜいないかということは、これは厚生省の方もその不合理性を認められて関係省に要求されておるという事実があるわけです。それは、私が昨年質問しましたときに、運輸当局関係省がなかなか了解してくれないんだということで、さらにそのことは要求していくということで終わっておるわけです。事前にこれは質問出しておりませんので、あるいはちょっと答弁しにくいかと思いますけれども、いずれにしても、これは厚生省の問題として昨年来から懸案になっておる事項でございますから、ここで答弁できなければ後で答弁をされても結構ですから、ひとつ厚生省としての考え方を、現状を御報告願いたいと思います。
  27. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 大変きょう担当者が来ておりませんで申しわけございませんが、身障手帳を持っている人は割引料金を適用しておるわけでございますけれども、身障手帳を持たないような人、医学的な腎とかその他でそういう必要性のある人であっても、身障手帳を持ってない人はだしか対象になってなかったと思うんでございます。私ども先生の御指摘のような必要性もあろうかとは思いますが、たとえば盲人等についてまだ特別料金——戦傷病者と同じような取り扱い等にまだ至ってないので、非常に強い盲人等の皆さんから要望がございますし、そういう、軽重と言うと大変恐縮なんでございますけれども、やはり盲人の方々等の措置をできるだけ強めていって、逐次やることじゃなかろうかというような気もいたしますので、いまのところ内部疾患の方で身障手帳を持たない人については、前大臣やあるいは関係者答弁をいたしておりますので、私帰りましてよく検討してみますけれども、いまここで結構ですと言うまでに至ってないので、大変恐縮でございますが。
  28. 広田幸一

    広田幸一君 私も、大臣がおっしゃるように、関係者が来ていないということでありますが、これは間違いありません。大臣がそのことを知っていらっしゃらないというのはあれですけれども身体障害者としての手帳を受け取っているわけです。ただ、内部疾患ということで適用になっていないということでありますから、これは間違いありません。ですから、これは善処するということで答弁をされておりますから、私も事前にその問題を出していなかったわけでありますけれども、ちょうど思い出したように関連をして質問をしたわけですから、後でこの問題についてはお調べになって御答弁を願いたいと思います。  次は、「戦傷病者相談員、戦没者遺族相談員の処遇改善を図ること。」これも四十八年、四十九年、五十年、五十一年はなくて五十二年と衆議院、特に参議院では強く要望されておるわけでございますけれども、これはどういうふうになっておりますか、お答えを願います。
  29. 河野義男

    政府委員河野義男君) 戦没者遺族相談員等についての処遇改善でございますが、戦没者遺族相談員あるいは戦傷病者相談員につきましては、民間の篤志家として謝金の額は非常に少ないわけでございます、その額にかかわらず非常によく活動していただいておるわけでございまして、それによりましてこの制度の円滑な運営を図っておるわけでございます。今回、五十三年度におきましてもさらに制度の円滑な運営のために、これらの相談員につきましての謝金につきまして、若干の増額をいたしたわけでございます。今後も戦没者遺族福祉の増進を図るために、制度の円滑な運営を図るために、この相談員制度につきましては改善を図ってまいりたいと、かように考えておるわけでございます。
  30. 広田幸一

    広田幸一君 人員は、資料によりますと戦傷病者の相談員でございますが、五十二年が九百四十人、五十三年も同じ人員になっておるわけです。遺族相談員の方も五十二年、五十三年、これは千四百十人、同じような数になっておるわけです。手当の方は——手当というほどの額ではありませんが、一応数字を見ますと、年間を通して一万二千円ですから、月に千円。それが五十三年は千円上がって、月にしますと八十三円ぐらいになるわけですから、手当というようなものでもないし、こういうものに私は期待をして相談員の方がやっておられるとは思いません。でも、出てくる数字はこういう数字が出てくるわけですから、何かこう物足りないような感じもするわけですね。しかも、これが四十八年、四十九年、五十年、五十二年も委員会決議として出ておるということになれば、私はもっとこれに対する対応策があっていいではないかと思うわけです。そうおっしゃるけれども委員会はそういうふうに決議されたけれども、もう厚生省政府としてはこれが限界である、実態はこうなっておりますというようなことがあれば、私はひとつお答えをいただきたいと思いますし、これは前段に申し上げましたように、該当者というのは特にだんだんと年をとって、さっきおっしゃったように八十四歳ですか、そういうようなことを考えてみますと、でも最後というのはやっぱり相談相手、話し相手になってくださることが楽しみというか、一つのあれではないかと思うのですね。そういう意味でもっと何か手がないかというふうな、知恵がないかというふうに思うのですけれども、何年もこういうようなことが附帯決議になって、恐らく追跡してみれば同じような額の増加になっておると思うのですが、何か委員会としての権威ある決議に対してどうも十分なことになっていないと思うのですが、こういうことに対して厚生省としてはこうだというようなことが答えられないのかどうか、局長からでも大臣からでも結構ですから、ひとつ御答弁を願いたいと思います。見解をお聞かせいただきたい。
  31. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) どうも御指摘のとおりだと思いまして、月八十三円ではまことにどうも申しわけないと思うのでございますが、実は相談員の方々にはこれだけではございませんで、表彰制度とかいろいろなことを考えてその労に報いるということをやっていきたいと思っておりますので、しかし、さりながら八十三円ではおかしいじゃないかという御指摘はもっともだと思いますから、私他の相談員、御承知のように身体障害者相談員とかあるいは精薄の相談員、婦人相談員、母子相談員あるいは民生児童委員という制度がございますので、いろいろな横並び等もありまして、年額で考えておったものでございますから一万二千円、一万三千円ということになったわけでございますが、なお今後も努力をしていきたいと思います。
  32. 広田幸一

    広田幸一君 将来のその御検討を期待をしてこの問題は終わります。  次は「生存未帰還者の調査については、更に関係方面との連絡を密にし、調査及び救出に万全を期すること。」こうなっておるわけです。この件も四十八、五十、五十一、五十二の各両院委員会における決議になっておりますが、現状はどういうふうになっておりますか、お知らせをいただきたいと思います。
  33. 河野義男

    政府委員河野義男君) 未帰還者の調査につきましては、その置かれた立場を十分考えまして、いろいろな方法でやっておるわけでございますが、一つは帰還した人から情報を収集するとか、あるいは現地に残っている人が確認できたら、その人を通していろいろな通信調査によりまして状況を把握するとか、あるいは相手国との外交折衝あるいは日赤のルートを通じて調査するとか、そういったいろいろな方法をとっておるわけでございまして、特に中国関係の未帰還者につきましては、そういったあらゆる方法によりましてその実態を明らかにしておるわけでございます。そういった方法によりまして確認できた人の帰国の意思の確認をするほか、いわゆる中国の残留孤児の問題でございますが、これらの人につきましては身元についての手がかりが非常に少ないわけでございまして、身元不明のまま残っている者の調査につきましても積極的に努力をしております。たとえば、報道機関の協力を得て公開調査をする、そういったあらゆる手段を通して未帰還者の調査につきまして努力を積み重ねておるわけでございます。
  34. 広田幸一

    広田幸一君 私が承知しました数字では、五十二年の三月三十一日——ちょうど一年前でございますが、未帰還者の数は二千二百二名と、こうなっておるわけです。そういうことでございますね。そこでこの内容を見ますと、まだ正常な外交関係になっていない、平和条約が結ばれていない、その国の未帰還者の人が大半のようでございますね。ソ連、中国、北朝鮮というようなところの未帰還者が多いようでございますが、どうなんですか、これは私たち知っておきたいと思うのでありますけれども。この二千二百二名というのはどこにおって、そしてその家族ですか御親戚、そういうところとの連絡がとれておって、もし将来国交が回復をしたときには内地に帰りたいと、本国に帰りたいと、そういうような人もあるでしょうし、いやそのまま向こうに残りたいという人もあるでしょうし、いろんな事情があると思うんですが、そこまでいまおっしゃったようないろんな入手の、収集の手段によって確認をされておるのかどうなのか、ここらもひとつお聞かせをいただきたいと思います。  それから、尖閣諸島の問題もございますけれども、遠からず日中が平和条約が結ばれるということは、まず国民として常識的に考えておるわけですが、その場合の中国における未帰還者の取り扱いの問題はどうなるのか。それから、いまおっしゃった中国の残留孤児でございますか、なかなか身元がわかりにくいという、いま局長のお話であったわけでありますけれども、そういうようなことがどうなるのか。せっかくの機会ですからいま私が申し上げた、まだ平和条約が結ばれていない地域の人たち、その人たちとの関係はどうなっておるのか。  それから、当面しておる中国との関係は、何せこれは中国が一番大きな戦場でございますから、遺骨の問題もあると思いますし、ここらのところはいまから厚生省としてもそれなりにやっぱり準備をしておかなければならないではないかというふうな観点からお尋ねをするわけであります。
  35. 河野義男

    政府委員河野義男君) 先生御指摘のように、未帰還者の数は五十二年三月三十一日現在で二千二百二名でございましたが、現在、五十三年三月一日まで集計しました結果、二千百五十一名というふうに減少してまいったわけでございます。そして、この中で一番多いのは、やはり中国でございまして、中国が約八割近くを占めておるわけでございます。これらの中国からの未帰還者につきましては、四十八年の国交回復後におきまして、帰国などが促進されてまいっておるわけでございますが、今後平和友好条約の問題が当面問題になっておりますけれども、引き続き外務省、外交機関等の協力を得まして、待っておられるまた向こうにいる人の気持ちをくんでこの帰還の促進について努力をしていきたいと、かように考えております。  それから、国交のない北朝鮮につきまして、現在九十六名未帰還者があるわけでございますが、これらにつきましても、日赤等のルートで従来からこの問題を処理いたしておるわけでございます。今後も引き続き努力をしていきたい、かように考えておるわけでございます。
  36. 広田幸一

    広田幸一君 いまちょっと触れましたけれども、せっかくですから遺骨の収集でございますね、これは原案にも、政府として継続的に計画的にそれぞれ遺骨の収集には努力されておるようであります。敬意を表しますが、中国の場合は一体どうなるかという問題でありますね、これは。そこらの話は余りいまから話をしてはいけませんか。一応そこらの話が何かあれば、せっかくの機会ですからお聞かせをいただきたいと思います。
  37. 河野義男

    政府委員河野義男君) 中国における遺骨の収集の問題でございますが、中国は日華事変が始まりまして、あそこは広大な地域で戦場になりまして多くの戦没者が出たわけでございますが、そのいわゆる中国大陸における遺骨の収集は、きちっと大体処理されてまいったわけでございますが、いま問題になっておりますのは、いわゆる満州地区でございます。八月九日にソ連が参戦いたしまして非常な混乱状態、あそこで約二十五万人の戦死没者があるわけでございますが、まだこの問題は解決しておらないわけでございますし、それから雲南地区につきまして約七千柱くらいの遺骨がありますが、この問題につきましては満州地区のいろいろな事情がございまして、なかなかまだ実現の運びになっておりませんけれども、今後も引き続き墓参とかあるいは遺骨の収集、そういったことにつきまして遺族気持ちをくんで努力をしていきたいと、かように考えております。
  38. 広田幸一

    広田幸一君 これから満州の問題をちょっと聞きたいと思うのですけれども、結局、満州に二十何万あるというのですね。それは遺族人たちが切望しておられるわけでしょうね。そういうふうに私確認をして、一層の、今度平和条約が結ばれれば、ひとつ厚生省としてもいち早く積極的にその問題に取り組んでもらいたいということを要望しておきます。大臣よろしゅうございますか。
  39. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 私も実は、昨年九月に中国へ約十日ばかり参ったわけでございますが、もちろん日中友好議連各党代表全員の皆さんと参りましたので、この目的で行ったわけではございません。ただ、中国側としては十分東北地区、いわゆる旧満州地区の遺骨収集なり墓参なり、その他いろいろ日本国民の感情はよくわかるけれども、東北地区におけるかつてのいろいろ悲惨な体験をした中国国民の感情も理解をしてもらいたい。したがって、かえって刺激をして、日中のお互い両国国民のトラブルが生じたりするようなことになっては、かえって不幸だと思うので、そういう国民感情、あの地域の国民感情等も考慮をすると、もうしばらくそっとしておいた方がいいんではないかという考え方を持っておられるような感触でございまして、したがって、やはり相当日中友好の実績を積み上げながら、時を十分見まして、なお、もちろんわれわれとしては努力を継続しながら、両国の友好を阻害しないような配慮をしつつ、また日本の遺家族の皆さんの気持ちも通るように、できるだけこれから努力をしたいと思いますけれども、そういう事情にあることだけは御了解願っておきたいと思います。
  40. 広田幸一

    広田幸一君 大臣気持ちで了解しました。  次は、一番最後になりますが、「満州開拓青年義勇隊員等の実情について調査を行い、処遇改善について検討」されたい、これは五十二年の附帯決議になっておるわけでありますけれども、これはどうなっておりますか。
  41. 河野義男

    政府委員河野義男君) 満州開拓青年義勇隊員等の実状についての調査処遇改善について検討すべきである、こういうことでございますが、この問題につきましてはいままでいろいろ論議されてまいったわけでございます。そういった論議、それからその附帯決議を踏まえまして、満州開拓青年義勇隊の前身であります昭和十二年の閣議決定、満州青年移民についての閣議決定、そこまで適用の範囲を拡大する、こういうことで現在御提案申し上げておるわけでございます。そのためには、いろいろ関係者からその当時の事情を聴取するとか、あるいはいろんな資料を収集いたしまして検討した結果、昭和十四年以降の満州開拓青年義勇隊と同様な軍事業務に従事したということが推認に足る資料が出てきたわけでございまして、その結果、五十三年十月からこれらの人につきましても援護法適用する、こういう措置をとりたいというふうに考えておるわけでございます。  それから、青年義勇隊開拓団につきましては、資料とか文献、あるいは関係者からいろいろ意見なり事情を聴取いたしまして、国との間に軍人、軍属に準ずるような特別な身分関係があるかどうかということを検討いたしたわけでございますが、そういった関係は認められないということで、青年義勇隊開拓団につきましては援護法適用することは現在のところ考えておりません。しかし、こういった資料というのはなかなか入手がむずかしいわけでございますから、今後もいろんな御要望もありますので、今後ともこの実態についての調査を続けてまいりたいと、かように考えております。
  42. 広田幸一

    広田幸一君 昭和十二年の十一月三十日の閣議決定によるものは、これにさかのぼって、いわゆる軍属に準じておるかっこうでこれに提案になっておるわけですから、私はそれは一つの前進であったと思います。当然のことかもしれませんが。問題は、そういうふうに適用になっても、実際にその人が戦争に参加した、軍の命令によって従って行動したという証明がないと、実際の適用は受けられないわけでしょう。私はそこに問題があると思うのですね。これは先般の衆議院委員会で、わが党の川本委員がかなり具体的な内容を出しながら、政府側と、厚生省側と質疑をやっておりますけれども、私はこれを見ました。議事録を見たんですけれども、なかなかかみ合わないわけですが、私がきょう言っても、もうすでにああいう答弁をしておるわけですから、うんと言われないかと思うんですけれども、私も実は当時、あの終戦のときに満州におりまして、そしてそういったソ連が入ってくる、そのときの生々しいあの戦況と言いますか、実態、よく知っておるわけです。ですから、川本さんがおっしゃっておるいろいろな資料以上に、きょう私がここへ持ってくる材料は持っておりませんけれども、実際私どもが実感として感じましたことは、確かに開拓義勇団ということで行っておりますけれども、中身はいわゆる当時の状況というのは対ソ作戦に備えていく、そうして非常に匪賊も出てくるというような治安の悪いところで、実質はあの当時の関東軍のいわゆる軍備の足りないところを、再先端に行って義勇隊開拓団としてその本当に危険な任務についておったわけです。ですから、私はそういう事情というものを、私が当初申し上げましたように、この法の解釈を拡大解釈をしてでも、机の上で見るのではなくて、本当にそういう実態というものを考えてもらって、私はこれが適用にならないかどうか。というのは、だんだんとこういう人たちは少なくなっていっているわけでしょう。費用の問題でこういう問題を論議するのは、若干問題があるかと思いますけれども、私は該当者というのはそんなにたくさんいないじゃないか。とすれば、そういった人たち適用の中に前向きに考えるという姿勢はいけないかどうか。そういう軍部の命令に従って行動したということが立証されないといけませんと——わかるわけですよ、わかるわけですけれども、こういう問題はもっと法解釈をして、本当に守ってあげるという、そういう基調に立つならば、私はもう少し前向きな答弁があっていいではないかと。一体どこに問題があるのか、援護法のどこにそれが抵触するのか、私は知らしてもらいたいと思うのです。なお、こういう点を法律改正すればそれは適用になりますと、こういうことになるのか。教示も含めてひとつ御答弁を願いたいと思います。局長でも大臣でも結構です。
  43. 河野義男

    政府委員河野義男君) 満州開拓青年義勇隊についての援護法適用は、先生御承知のように、これはまあ別な目的もあったわけでございますが、その中に軍事業務、軍事訓練、教練とかあるいは軍事に関する業務があったわけでございます。そこで、軍事に関する業務について、業務によりまして傷病にかかり、あるいは死亡した場合に援護法適用すると、こういうたてまえでございます。しかし、実際問題として、それについての証明というのは、満州のあの八月九日にソ連が参戦してからのああいう混乱した状況ではなかなかむずかしいと思います。しかし、そういう実情、私どもも十分理解しておりますが、私どものところには、これは満州開拓青年義勇隊の行動に関する資料もございますし、また関係者の証言その他によりまして補強しまして、公務についての認定を現在いたしております。  それから、援護法適用につきましては、満州開拓青年義勇隊として適用される場合と、それからソ連が参戦して戦闘参加した方も多数あると思います。これはやはり、戦闘参加者といたしまして援護法援護措置を講ずることになっており、準軍属として処遇することになる、そういう二つの方法があるわけでございまして、当時の実情を十分考えまして、公務性の認定につきましてはそういった方々立場運用しておるわけでございまして、今後もそうしていきたいと、かように考えております。
  44. 広田幸一

    広田幸一君 局長、こういうことですか、全く適用にならないということではなくて、いま厚生省の方としてもいろいろな当時の戦闘があった状況とか、いろいろな状況をいま入手しておると、収集しておると。それによってずっとこう追跡をする中で、該当できるものはできるだけそれに適用するようにしておると、こういう意味でございますね。それはもちろん戦闘に参加をして戦死した人には当然それはあげなければ、わかっているわけです。ただ、そこのところの状況があいまいなところを、やはり何とかしてあげなければならないということをわれわれは言っておるわけですし、そこを厚生省としても考えておられるわけでしょう。ですから、この問題は、まるっきりだめだというふうにあきらめる段階ではまだなくて、厚生省の方もさらに情報を収集する中で、この問題をできるだけ有利にやっていこうと、こういう考え方ですか。
  45. 河野義男

    政府委員河野義男君) いま先生のお話しのように、法の適用につきましては、そういう実態を十分踏まえまして、私どもが持っております義勇隊に関する行動の資料、あるいはまた関係者から得ました情報などで、そういった資料がだんだん整備されてまいるわけでございます。そういった資料と、それから、その人についての関係者の証言、そういったもので補強いたしまして、できるだけ適用さるべきものが適用されるというふうにもっていっておるわけでございます。
  46. 広田幸一

    広田幸一君 時間がありませんので、私はまた別の機会にこの問題をまた話してみたいと思いますが、ひとつそういった事情もあるわけですから、何回も繰り返すようですけれども、前向きに法をできるだけ拡大解釈をして、だんだんとそういった人たちはもう少なくなっておるわけですからね。そういう言い方は変ですけれども、最大この法の精神を生かして努力してもらうように切にお願いをして、次の問題に移ります。  最後でございますが、実は、私は一昨日、朝日新聞に載っておったんですけれども戦争当時、日本の植民地でありました朝鮮、台湾そのほかいろいろあるわけですけれども、主体はこういうところが多いわけでございますけれども、 この朝鮮、台湾の人たちが、日本の命令に従って戦争に参加をして戦傷死し、戦傷になり、それから亡くなった、戦死しておるわけですね。そういった人たちが靖国神社に合祀されておる、こういうことが最近遺族人たちや、またそういった国の人たちにわかりまして、そして、その人たち戦争に駆り出されて死んだと、戦傷死、戦傷になっておると。しかし、日本は外国人だというゆえをもって、何一つ補償してくれていないではないかと。そういうものに対して靖国神社という神さんに合祀してあると。だから、祭りに来なさいというような、そういう通知をよこしている、まことにけしからぬではないかと。いまわれわれの国は完全に独立したんだ、何も日本の政府は補償してくれない、けしからぬと、こういうことで合祀の引き下げを靖国神社に言った。ところが、靖国神社の宮司さんは、そうではありませんと、戦争によって死んだんだから、うちの方はお祭りをしておるんですと、まあ祭りに来てくださいというようなことで終わっているようです。ここらになってくると、ちょっとその人の信念といいますか、そういうことになると思うんですけれども、私は、いまの国民感情として、民族の感情として、そういうことが当然出てくると思うんでありますね。  そこで、私は厚生省にお聞きするわけでありますが、靖国神社と厚生省との関係についてはいろいろあると思うんですけれども、あるいは宗教法人でございますから、厚生省はそういうものについていろいろと意見を言うことはできないということになるでありましょうけれども、でもこれは、そういう国から見るならば、靖国神社を相手にするということになるわけですけれども一般的には、私は靖国神社というのは日本の国がやっぱりやっておるもんだと、こういうふうに受けとめておると思うんです。ですから、そういう意味で、私はこの問題について、厚生省考え方を聞きたいということでございますが、大臣、どうでございましょうか。私がこのことをいま大臣に聞くことは無理なことでしょうか。
  47. 河野義男

    政府委員河野義男君) 靖国神社は戦争中、まあ古い歴史があるわけでございますが、日本の軍人が国のために尽くして死亡した人が祭られておりましたが、戦後、宗教法人として戦死者が祭られているというふうに私ども承知しておるわけでございますが、靖国神社が戦死者をお祭りするために必要な資料としまして、戦没者に関する身上の情報資料、厚生省、あるいは都道府県でなければわからないわけでございまして、現在靖国神社からの依頼がありますので、これに対してそういった身上に関する資料を協力して・おるわけでございます。厚生省といたしましてはそれ以上の関係ではないわけでございまして、あとはどういう方を祭神として、どういうふうにお祭りされるかという問題は、宗教法人であります靖国神社自身がお決めになることだと、こういうふうに私ども理解しておるわけでございます。
  48. 広田幸一

    広田幸一君 これは全国各都道府県の更生援護係が、各地方に行きますと靖国神社の分室とか何とかというものが大半ぼくはどのところにもあると思うんです、どの県にもあると思っておるわけです。そういうところは、更生援護係が正式には宗教の自由ということで県がそういうものにタッチしてはなりませんけれども、ただ内輪としてそういう事務をやっておるようなところが私はあると思います。調べてみられたら確かにあります。ですから、そのことを私はきょう問おうと思うわけではありませんが、そこで、でもこの問題は先ほど申し上げましたように、やはりこの問題が発展をしていくというと、国際的にもいろいろ問題を醸し出す可能性があるというので、私はせっかくの機会ですから、ひとつお聞かせをいただきたいと思っておるわけです。  そこで、いろいろ勉強してみますと、問題があるわけですが、朝鮮や台湾の人たちがなぜこういうことを言うかという気持ちの中には、あのときに一銭五厘の赤紙で召集されて戦争に行って死んだ、それに対しては何ら補償していない、そういうところにも非常にあるわけです。  そこで、これはことしの三月の二十七日に衆議院の横山利秋さんが衆議院議長に対して質問書を出しておるわけです。その中に、いわゆる「台湾、朝鮮、樺太、南洋群島等の住民であって、戦時中日本の軍人、軍属として、公務上死亡した者の遺族」、これは戦傷者を含むと書いておりますが、「又は公務上負傷した者に対し、国として弔慰の意を表する趣旨で、それら遺族及び戦傷者の国籍の存する外国政府の了解の下に一時金たる給付金を支給するものとする」、こういうことが出ておるわけです。  これに対して、内閣総理大臣答弁書があるわけですが、これにはいろいろありますけれども、この項についてはいとも簡単に「応じ難い、」、これだけしか書いてないわけです。ですから、こういうことがあるから、私はこういう外国の人たちが、いまになって神様に祭ると言ったってそれは日本人が考えることであって、われわれ国民にとっては全く理解できないというか、むしろ怨恨を感じておるぐらいのことじゃないかと思っておるわけです。だから、訴訟を起こすというようなことが言われておるわけです。私はこういうことがもしも国際に出てきますと、日本人というのはほんにけしからぬな、日本は世界の二番目のGNPの経済大国だと言いながら、こういうようないわゆる戦争の犠牲を押しつけながら、何ら補償していないではないか、こういうことが大々的に出てくると思うんです。その場合、国際的にも日本がますます信用を失ってくるということになる可能性がある、こういうふうに考えますがゆえに、あえて私はこのことを持ち出したわけです。  そこで最後に、最後といいますか大臣にお伺いしますけれども、私はそういった意味で日本の信用を失墜しないためにも、やはりこういうことについては、いまからそれなりの措置考えておく必要があるんではないか。大臣も閣僚の一人でありますし、特に、戦争に関する問題、こういう問題については、厚生省が戦後ずうっと取り組んでこられた問題でありますから、私はこのような動きに対してどういうふうにして取り組んでいこうとされておるのか、この点を大臣にお伺いしたいと思います。
  49. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 戦後処理の中で、朝鮮あるいは台湾・まあ台湾といいますか、中国その他の国とのいろいろな個人の請求権の問題についての折衝がございまして、それぞれ、まあたとえば韓国等につきましてはそういう請求権の放棄をしていただく、あるいは中国についても同様な措置が、少しおくれましたけれども行われてきておるわけでございますので、その政府答弁書にありますように、外国の方々の心情は個々にはよくわかるんでございますが、総体的にはこれはもう賠償の問題というものは、あるいは援護法適用の問題というものは国として考えていないわけでございます。  ところが、そういう状況の中で、靖国神社がそういう通知を出すことによって、何ら一片の援護もなくて、いかにも靖国神社というと、まあ昔から——いま法的には、私ども国家護持もありませんので、全く一教法人と考えておりますものですから、国との関係を私どもは否定しておりますけれども、外国の当該者から見ると、何か日本の国が英霊を合祀しているところに、まあ同じように見ておる感情もよくわからぬわけではありません。そうしますと、何だけしからぬじゃないかというお気持ちがこの新聞記事のように出てくることも私も理解できるんでございますけれども、先ほどちょっと局長が申し上げたように、私どもは靖国神社でありましょうと、あるいは他の宗教法人でありましょうと、あるいはまた民間の団体等でそれぞれ戦友会等が、何周年だ、あるいは何年忌だといのうでいろいろ資料を求められる、こういう場合にはできるだけ持っておる資料を提供いたしておるだけでございますので、 したがって、そういう関係だけでございますから、靖国神社の関係も。したがって、靖国神社のこういう合祀を許さない訴訟をされるという方々のお気持ちは十分わかりながらも、そういう法的な性格等についての御理解を十分得まして、御理解をいただくようにしていくより方法はないんじゃないかと思っておるわけでございます。  ただ、この問題は靖国神社がそれぞれ台湾、朝鮮の方々について通知をしたいと考えましたときに、ある一部の方をお使いになった、そのいろいろなトラブルがあったようでございますので、こういう点については私ども厚生省は監督の責任じゃありませんけれども、十分そうした感情等を尊重しながら処理していくのが適当だということの指導はいたしだいと思っておるわけでございまして、どうも国自身が関与をすべきものでないと今日言われている。そのために、まあ関与すべきだという立法論がございまして、ああいう法律が出ておるわけでございますけれども、現在のところは国が関与をすべきでない、またしていない、一宗教法人の行事でございますものですから、どうも私ども厚生当局としてこれについての所見を申し上げるということは少し勘弁を願いたいという気持ちでございます。
  50. 広田幸一

    広田幸一君 ちょっと時間が経過しまして恐縮ですけれども、これはね、もっと法律をさかのぼってみれば、たとえば朝鮮の場合、日韓条約によって、そういう個人のものは一応放棄した形になっておるわけです。しかしながら、その裏づけとしていろいろな無償の補償とかそういうものがあるわけです。その中には、やはりこういったこの戦争による犠牲者に対して考えてやるという含みが私あったと思うのです。しかし、実態はそうなっていない。特に、韓国の方の朴政権は、そういった人たちに対して何らやっていないから文句が出ておるわけです。ですから私は、これは厚生省に外交上の問題を申し上げたらあれですけれども、やはりそういったつながりが外交の中でうまくいっていないところにも原因があるわけでございまして、私が申し上げたのは、厚生省、厚生大臣ということだけでなくて、いわゆる閣僚の一人として、こういう問題が起きた、予想されますので、国として善処してもらいたいと、こういう意味でございますので、よろしくお願いします。  私の質問を終わります。
  51. 片山甚市

    ○片山甚市君 本法案を審議するに当たりまして、この戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定された趣旨、いわゆる基本的な国民に対する国の姿勢についてお伺いしたい。特に、この法律国家補償を中心とした国の責任を感じて行われたものと思いますが、明確にお答えを願いたいと思います。
  52. 河野義男

    政府委員河野義男君) 援護法に関する国の基本的な姿勢につきましては、御承知のように援護法によって援護措置が行われておりますのは、軍人、軍属などのように、国との間に一定の使用関係あるいはそれに準ずる関係——ある任務につき国が強い強制力をもって臨むと、そういった使用関係に準ずるような関係にあった者につきまして、使用者の立場から国家補償の精神に基づいて援護措置を行っておるわけでございまして、その前提は、いま申しましたように、国との間に一つの使用関係またはこれに準ずる関係にあった者ということが一つの前提になりますし、またその援護対象になります具体的なケースは、戦争公務によりまして、傷病あるいは死亡した場合に援護措置が行われると、こういうことでございまして、そういった関係にある者が、戦争公務によって死亡あるいは障害を受けた場合に、国家補償の精神に基づきまして補償すると、こういう考え方でございます。
  53. 片山甚市

    ○片山甚市君 第八十回の国会で、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案の審議に当たりまして、質疑の中でいろいろと意見が出ました。そのところでは、特に「国家補償の精神に基づく被爆者の援護対策について、その制度改善に対する要望は、ますます強いものがある。」という前段で附帯決議がなされておると思うのです。  そこで私は、戦争犠牲者ということについては、一般の市民を含め、被爆者の援護というものについては政府がその趣旨を認めてですね、国家補償の意味を含めて、原爆の場合は制定されたものと思いますが、いかがでございましょうか。
  54. 松浦十四郎

    政府委員(松浦十四郎君) 現在、被爆者につきましては、原爆医療法と原爆特別措置法という法律があるわけでございますが、この法律は、いわゆる原爆というのが単に通常の爆弾、焼夷弾などと違いまして、特殊な放射能を出すという特別な爆弾でございます。そういった特殊な爆弾であるということから、一般の社会保障以上の、普通の社会保障よりもっと手厚い社会保障を行うという意味合いでもってこの二つ法律を制定し、またその意味で対策を推進してきたというのが私ども考え方でございます。  なお、先般、最高裁の孫振斗さんに対する判決がございまして、その判決の中で言われておりますことは、いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格を持つものであると言うことができるが、しかし、同時に実質的には国家補償的配慮が制度の根底である、こういうふうな性格のものであるというような判決をいただいております。
  55. 片山甚市

    ○片山甚市君 そうすると、第八十回国会で原爆の法案について審議をしたときに、多くの方々から国家補償の見地から進めるべきだと、こう言われたことについては、政府についてこれを受けとめられたというんですか、それともいま判決の問題を出されておるんでありますが、判決を待つまでもなく、これからそのように措置をしたい、こういうように思いますか、いかがですか。
  56. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 附帯決議の御趣旨は、国家補償の精神に基づいて援護措置を今後とも進めていくべきだという強い要望が強まっているというふうに実は理解をして、その点は私どもも理解をいたしております。この法律の審議に当たりまして再三そういう御議論がございますし、また被爆者の皆さんからもその制度改善に対する要望というものは国家補償の見地からなされていくべきだという、そうした考え方あるいは要望というものが強いものがあることは私ども附帯決議のとおりだろうと思っておりますが、私どもとしてはこの根底に国家補償的な配慮というものをしつつも、やはり基本的には社会保障の援護措置の一環である、こういうふうにやはり理解をいたしておるものでございますから、当然この国家補償的配慮というものについては、今後ともこの法律の中に、現行法にもありますし、また当然一般の社会保障立法と違いまして、医療等については所得制限もいたしておりませんし、手当て等につきましてはこういう制度は他に類例を見ないような内容等もございますので、この点はいわば国家補償の、ずばり援護法ではありませんけれども、その配慮を十分いたしておるし、また今後も引き続き改善努力したい、こういう考えでございます。
  57. 片山甚市

    ○片山甚市君 そうすると、戦争行為による犠牲については当然国家補償として、その考え方努力をしていくということについてただしてよろしゅうございますか。
  58. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) せっかくの御意見でございますが、私は一般論としてそう申し上げているわけじゃありませんで、この被爆者の置かれた特殊性を考え国家補償的な配慮をこの両方の法案の中に相当強く織り込んでいる、こういうふうに申し上げているわけでございまして、戦争犠牲者はすべて国家補償対象になるというふうには考えられないわけでございます。
  59. 片山甚市

    ○片山甚市君 そうすると、使用関係を、いつも国家との使用関係を申されていますから、ここでまた愚問を何回か繰り返すことはありません。天皇はわれわれに対して青人草と言うたのです、昔。われわれを臣民だと言ったわけです。戦争をやったのは天皇が健康なときです。元首と言ったとき、大元帥などと言ったときです。わかりますか。天皇が普通のシンボルやいうことになってからは戦争起こしてないんですからね。元気なときには、われわれは青人草や、いや「朕惟フニ」とかのたもうたんです。そのときにやったことです。われわれは子供だと言われたんです、家族だと、ぬかすとは言いません、おっしゃったんです。だからわれわれは本気でやったんです。わかりますか。大臣にはわからないですかね。私は法律論を言っておるんじゃないですよ。あんたら行政府法律論で何とか言うけど、私が聞いておるのは、原爆を落としてくれと頼んだか、艦砲射撃をしてくれと頼んだか、上から油脂爆弾を落としてくれなどと言ったか。戦場であるとかないとかぬかすのは、みんな飛行機で逃げていく参謀長だとか何とかいうような、餓鬼どもとは言わぬが、人たちがやっただけのことでありまして、実際はわれわれは、先ほども広田さんが言ったように、満州から逃げて帰るときでもほうって帰ってきて、子供を腹から落として帰らなんだら帰れなんだ。偉い人は飛行機で逃げて帰ったり、また金銀財宝を船で積んで日本の国まで来て、どないしたかといって、この間ロッキードの問題でもあるような、どろぼうの親方みたいなのがようけおることは事実です、これはもう言いませんが。少し紋切り型の話はせぬと私は聞きますからお答えを願いたいんですが、とにかくどちらにいたしましても、戦争をしたのは、戦争の詔書を出したのは国民ではない、国民に対して言うたのは天皇だ、天皇を使った者がおる、これは事実です。われわれがよっしゃよっしゃと言って手をたたいて翼賛会やったというのはやらされたんでありまして、それは言うておきます、意見ですからね。意見を言うとかなんだらあんた、言いっ放しにされてここの委員会何しよるかわからぬようになる、これは。だから、私はそういう意味で戦争については国が責任があると思います。補償せいと言ったら金がないと言うんです。だけど、長崎重工か何やらにはいまから金を出さぬといかぬとか、何や会社が困ると言ったらすぐに金を出すのに、人間が困ると言ったら一銭も出さぬというのと同じですから、これはもう仕方ないです、いまの政治は。だから、そこはとめておきます、私の意見で。答弁してもらったってスカタンであるし。  そこで、すでに七十一、七十七、さらに昨年の八十国会でも社会党、公明党、共産党三党の共同提案ということで、戦時災害援護法の制定を求めてきました。そのときに私たちは戦争犠牲者援護措置は、戦後三十余年を経ておるんですから、いまだに多くの課題が放置されておる。それで、何としても警防団の問題もいろんな日赤の看護婦さんの問題も、いよいよ解決の道を進めておるんですが、一般の戦災者だけが残されておるので、これについてひとつ大臣としては御努力を願えないか。といいますのは、昨年の国会の場合に附帯決議として、これは第八十国会ですけれども附帯決議の五項目に「一般戦災者に対し、戦時災害によって身体に障害を受けた者及び死亡した者に関する実態調査実施につき努力すること。」ということをお願いをし、それにはできるだけ努力しようと、こういうようにおっしゃっておりますから、いわゆる戦争犠牲者ということの中には、天皇が赤紙を出したり法律で強制をしなかった者は知らないと、勝手に日本におったんだからだれがおれと言ったかと、こう言うんでしょう。だれがおって、爆弾にやられようと艦砲射撃にやられようと知るもんかいと、こう言うんでしょう。天皇というのはどういうことかというと、極端に言えば文官であろうと武官であろうと雇われておれば雇用関係がある、こういうことです。それで援護局長に聞こうと思いません。もうどうせ理屈、ろくでもない話しかしやへんのやからね。大臣が答えると政治的答弁しかどうせせえへんのやから。渡辺さんのときもいろいろ言うたでしょう。涙出るほどの気持ちで言うた。気持ちはわかるけれども遅過ぎた、三十年もたったと。たとうとたつまいと生きておるんです、三十年泣きもって、この一般障害者というのは、一歩も救われていない。これについて私は原爆については一定の放射線の関係があるから国家補償的見地でやっています、それ以外は考えません、雇ったか雇わないかだと、こう言っておるんですが、これについてどういうように受け答えをしていただけるか。受け答えというのは、附帯決議の五項目にありますように、一般の災害者について調査をいたしましょう努力しましょうということになっておるんですが、これについて大臣として御答弁を賜りたいと思います。
  60. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) この附帯決議の五項目の「一般戦災者に対し、戦時災害によって身体に障害を受けた者及び死亡した者に関する実態調査実施につき努力すること。」と、実は厚生行政基礎調査等におきまして、他の身体障害者調査とあわせましていろいろと調査について努力をいたしたわけでございますが、数府県の協力を得ることができませんで、一般的な全国的な結論を出すまでに至らなかったわけでございます。なお、総理府の方で戦史の編さんについての調査を二年間にわたって予算を——また五十三年度もございますが、その場合に私ども総理府とよく連絡をとりまして、附帯決議趣旨に沿うような努力をいたしたい、かように考えております。
  61. 片山甚市

    ○片山甚市君 そうすると、いまのような状態の中でもう戦後は終わって、いま、まさに新しい時代を迎えた、こういうようにお考えなんでしょうか。私たちは、戦争の痛手は残っておると思っておる。調査するまでもなく、現にあなたたちの前にあらわれておるんですが、それは戦争の痛みじゃなくて、新しいビルが建ち、新しい町並みができて戦争にやられた跡がなくなっておれば、人の痛みは聞こえない、それは戦争じゃない、自動車に当たったようなものだ、どこかで交通事故に遭ったようなものであって、わしらは知らぬというように援護局長はお考えでしょうね、そういうものはわしら知らないと。先ほど言った一般障害者のような方々、戦災障害者がおりますね、これについては戦争中に起こったことだと思いませんか。戦争から起こったことだと、私はね、戦争によって起こったことだと。こういう人たちに対しては何ら国としての手当てをしなくても、もう死んでしまった者の遺骨を拾いに行くほど暇があるんですからね、失礼でございますが。死んだ者ですわ。生きておる者が涙を流しておるんでありまして、死んだ人が生きておるかどうかわからぬのですよ、失礼だが。反対しているんじゃないです、余り遺骨収拾反対だと言ったらおかしい。とにかく死んだ人のことはやれる、または戦災を受けたような人のことはやれるけれども、現に戦争のときに体を痛めた人のことは国として考えるいとまがない、金もないし、気持ちもないということですね。
  62. 河野義男

    政府委員河野義男君) 先ほど援護法についての基本的な考え方を申し上げましたとおり、援護法処遇いたしますのは国との間に使用関係またはこれに準ずるような関係にある方々戦争公務によりまして傷病にかかり、あるいは死亡された方の遺族、そういった方に使用者責任の立場と申しますか、国家補償の精神に基づきまして援護措置を講ずる、こういう考え方でございます。それから、戦争犠牲者というのは非常に範囲が広いわけでございますが、援護法処遇しておりますのは、いま申しました二つの要件に該当する人につきまして、国家補償の精神に基づきまして援護措置を講じておるわけでございますが、それ以外の一般の戦災者につきましては、従来から一般社会保障制度の充実強化の中でこれらの方々の問題の解消に努力してまいったわけでございまして、戦後三十年経過いたしまして社会保障制度も相当充実強化されましたし、それから国民の生活も向上してまいったわけでございまして、いま現時点におきまして先生のおっしゃるような一般戦災者について特別の措置を講ずべきであるというお考えに対しては、消極的な考え方を持っておるわけでございます。
  63. 片山甚市

    ○片山甚市君 それでは厚生大臣に聞きますが、えらい社会保障よくなったそうですな、おめでとうございます。なら国民は平等でございますから、援護法をやめて全部社会保障にしたらどうですか。あのね、わかりますか、特別援護法をつくっておるということは、それは国の責任を欠いたというわけです。ですから、それほどよくなったんなら、社会保障がそれほどいいんなら全部社会保障にしたらどうですか、大臣答えてください、できないでしょうが。
  64. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 私は、戦争犠牲者の中で今日の考え方からいたしますと、大体三つに分類をしているんじゃないかと思うのです。  一つは、国家との特別権力関係がございまして、したがって戦闘行為並びにこれに準ずるような結果で死亡されましたり障害を受けたりした方方、これが恩給法並びに援護法対象として援護をいたしておる、これがまさに国家補償考え方でやっておる。  第二番目のランクは、一般的に国家の権力関係には、特別権力関係にはないけれども戦争犠牲者の中で特に原爆という非常に特殊な後遺症をもたらすようなことによって戦争の被害を受けられた方々を、これはやはり国家補償そのものではないけれども、特別な援護措置を必要とするという観点に立って、これらの方々に対して手厚い一般社会保障的な考え方よりも一歩も二歩も進んだ考え援護措置をとっておる。  そこで、その他の一般戦争の犠性者、すなわち物心両面にわたりまして戦争の被害を受けた方がたくさんおられるわけでございますが、これはそこまで国がなかなか手が回らぬので、結局一般社会保障の充実によってできるだけ対処していこうと、こういうことできたわけでございますので、そういう意味においていま答弁を申し上げているわけでございますから、その点は御理解をいただきたいと思うわけでございます。
  65. 片山甚市

    ○片山甚市君 理解は全然しません。大体、天皇が戦争やろうじゃないかと言って決めて、国民を一億一心火の玉だと連れて行っておいて、頼みもせぬ原爆が落ちてみたり、艦砲射撃がきたりしたやつが、戦場でなかったなどとぬかす人々の気持ちがわからぬです、私は。わからないです。戦場だったんです。阿鼻叫喚なんです。それは、あなたたちはその中におらぬ、高いところで火の燃えぬようなところでゆっくりしておったんでしょうが、東京だって大阪だって神戸だって、先ほど数府県がというけれども、このたくさんやられたところが今度調査できなんだ。本当の話はわれわれに対する信用がないんです。人権を侵害するんじゃないか、そういうことをしたら差別に使われるんじゃないかなどということで、東京都を初めとしてこの調査を賛成をしてくれなんだ。私賛成なんですよ、その調査、本当は。厚生省が出したのですけれども、できなんだことは事実です。画竜点睛を欠くどころか、一番爆撃をよく受けたところが賛成をしてくれなんだと、こういうことになる。  戦争の犠性者はいろいろありますわ。そうですね、物のことを言えばいろいろありますが、人間の体のことは一番でないということはわかりました。福田赳夫という総理大臣がいたそうですが、その方は、地球よりは人間の命が重いと、こんなことを本会議で言っておりましたね、本当ですか。本当なら、本当に戦争でやけどになり、失明をし、何かしておるような者に対して、私は天皇が雇ったか雇わなかったか、役所の人間が判を押したか押さなかったかということでなくて、何とか痛みを感じてもらいたいと思う。私は具体的な措置をしてくれなどと言っているのではないのです。あなたたちの人間らしい気持ちで応じながらも、金がないと言うなら、いま何万名、何百万名おります、この人に、もしこんな法律適用したら国の財政が成り立ちませんと。赤字公債を出してもどんどん景気回復でもしようかというような思い切りのいい国の大蔵省や皆さんが、こんな人に出す幾らの金か知らぬけれども惜しいということわかりました。どけちというか、けちん坊というか、りんしょくというか、汚らしい言葉で言えばもうごりごり、ゴキブリみたいなものですよ。大体ですよ、こういう人々にちょっとでもしてみなさい、何と温かい国だろうと思うのです。そんなにたくさんおりませんよ。それは原爆の問題でも手当を出すときに途端に希望者がたくさん出たそうですが、また汚職まで出たそうですが、それは人間の世の中です、そういうことについては正常化する間はあるでしょうけれども、私はそんな援護局長みたいな——あなたは行政官だから、それはあたりまえだ、できませんと言っていいんですよ。しかし、大臣は言えないんです、そんなことは。法律つくる方ですから。あなたは守る方ですからね、余り法律はみ出した答弁するのはおかしいですから。解釈などではできません。これはいま国会で議論をしてもらいたいと思っていることは、残された問題として、人間として残っておるのは、やっぱり艦砲射撃だとか焼夷弾だとか、そんなものでやられた人間が幾らおるか調べた上で、この人たちをどうするのかということについては、社会労働委員会で言うのか、総理大臣と言うのか知らぬけれども、一度考えてもらいたい。考えてできなんだらよろしい。諸外国にもたくさん援助しなければならぬほど金が余って、百四十一億ドルもまた金ができて大変だと言っているのに、ついこの間まで金がないから日本の国はつぶれるというように宣伝をしょった。ですから、私は外貨があるからしなさい言っておるんじゃないですよ、誤解のないように。赤字公債出している国の財政ですから。財政の問題じゃなくて、私は精神的にその者については受けとめてもらいたい。これはごり押しをしておるんじゃないんです。戦争の犠性者であっても、物はいいと言うんです、物はできるです。人間の体というもの、心というものは大変厳しいものだ。年老いてきたんです。あなたたちは年いきませんけれども戦争犠性者は私らと同じで年いくんですよ。皆さんみたいに不老長寿、権力の座におる人は全然年いかぬけれども、もう年々体弱ってきて、この間でも一人死に、二人死に死んでいくんです、おばあちゃん、おじいちゃんが。片山さん、いつか言いよったけれども、何にもだめですね、国会などというのは。何とか、何か一つでもいいから、一回の国会でちょびっとでもいいから何かしてくれないかというようなお手紙をもらったり、動けぬ人がいざりのようなかっこう——いざりという言葉はいかぬ、歩行困難のままでやってきて語られると、私みたいなもうざっとした人間はほろっとしてしまって、やっぱり栄耀栄華する、フランス料理を食べる、何々料理を食べる、金ももう余るというような食事もあると思えば、こういうようにして、戦争の後の悲しみをまだ毎日悲しみつつなめておるのが、夫に先立たれてしまったおばあちゃまも、奥さんに先立たれたおじいちゃんも、そういうのありますから、これは私は夜店のたたき売りの涙でありませんよ。これは何としても新しくこれについても取り組んでもらいたいということ。これは戦傷病者戦没者に対する措置が万全だからこれでよろしいと言っておるんじゃないんですよ。この人たちに準じたような形で何とか、同じことをぜいと言うからびっくりしよるんですが、私はそれに準じた形で一つの検討を加えてもらってもいいはずだ。それは厚生大臣がはい、きょうはよろしいと言うかどうかわかりません、そんなことむずかしいことですから。しかし、いま言っておることについてきちんと踏まえてもらってやりたいんです。私、国会議員になってたった四年しかならぬが、四年間これ言い続けてきた。大臣のかわるたびにも言ってきた。ですから、いま戦傷病者戦没者遺族等援護をするに当たり、この人たちに対してもよりやってほしいんですよ。誤解があってはいけませんよ。先ほどから戦傷病者に対してはほっとけなどと言ったんじゃない。それはよりよくしてもらいたい。しかし、たった一つ残されておるのは、全く残されておるのは、内地で思わぬ戦争に遭った、こういうふうになると思わなかったのです。日本の陸海軍というのは、大臣、あなたは知らぬけれども強いと思っていたんですよ。日本の国がやられると思っておらなかった。子供さえどかしておいたら、何とかはたきで、リレーのバケツで水かぶせたら消えると思っておったんです。アメリカのおじさん連中は上から好きなだけ焼夷弾投げたものだから、わら屋根だとは言いませんが、木造の家だから全部焼いてしまった。うまいこと考えておるわね。鉄筋なら大きな爆弾を投げなきゃいかぬけれども、ばらばらとやって、しゅっしゅっといったらもうばあっと燃えてしまった。やられたものは家であったらよろしいんです。大臣、家などどうでもいいんです。人間が死んだんです。わからぬでしょう。人間が死んだことは一つもわからぬ。建物じゃの文化じゃの——文化とか何とかいうのは人間がやるんですわ。人間ですよ。かつてのギリシャ人はいまのギリシャ人でない。かつてのローマ人はいまのローマ人でない。同じように時代によって生きておるんですわ。だから、その点についてひとつ私の言っていることについて、わからぬならわからぬ、こう言ってください。大体言いよることはわかるでしょう。できるかできないか知りませんよ。大臣
  66. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 私も実は戦後の混乱期に厚生省におりましたし、先生も社会事業をおやりになればそういうお気持ちを持つことは私ももう全く同感でございます。ことに、戦時中、私も軍務にありましたし、砲煙弾雨の中をくぐってまいりました。あるいは東京においても空襲の被害も受けてまいりました。そういう点から考えますと、お気持ちは全くわかるわけでございますが、さて国の制度として考えます場合に、いろいろな問題点等がございますので、十分な御答弁ができなくて大変恐縮でございますが、もう気持ちは全く同様でございます。
  67. 片山甚市

    ○片山甚市君 法制の問題は、立法機関であるわれわれ各党の議員がよりよく考えて議員立法するなり、いろんなことをするなり、とにかく全体のことも考えなきゃなりませんが、とにかくきょうはそれほど重要な一つの戦後がまだ終わってない、戦後の生き証人がおるということを申し上げた。それについてはお聞き届けを願って、具体的に制度をどうするかということについては、もう先だってから言っておるんですが、これはお答えを願えると思っていません、初めから。それはもう大変なことですから、考え方を変えにゃいかぬです。社会保障を充実すればそれで解決すると言うなら、いまの援護法も全部やめて社会保障の中  へ入れてもらいたい、私はね。逆さまになるから。それほど社会保障が援護局長がおっしゃるほどりっぱなら。差別じゃないですか、区別じゃないです。天皇というのが、おまえは臣民だ、おまえを守ってやろう、おれの子供だ、赤子だ——うまいこと書きよるね。また、天皇陛下万歳言えと言って、本気で、私も局長じゃないけれども、四、五年間違って戦争に行きまして、人殺しに参加したことは事実です。私これでもあるんですよ、戦争に行っておる。ないような顔をしておるか知らぬけれども。それですから——よくわかりました、こんなのしよると審議がおくれますから。  以上、厚生省にはひとつその点について、従来同じことを言っておると聞こえたかわからぬけれども、新しい小沢厚生大臣には私初めてでありますから申し上げて、関係局長はよくお知りですから、私の言うのはまあまた同じかと聞こえたかもわかりませんが、しかし、これは土の中にといいますか、いわゆる一般の庶民の中で嘆いている慟哭みたいな言葉の一つでありますから、確かに先生方のような流暢な標準語でしゃべってないから、速記者も大変御苦労さんでございましょうが、あきらめてそれは適当にやっておいてください。議事録がちょっとぐらい違うなどと言って言うほど落ちぶれたことは言いません。  さて、総理府の方にお聞きするんですが、先ほど大臣からもお話しありましたが、一般戦没者の慰霊に関する措置というのは、いままでどのようにいたしてこられたか、先ほど調査をやられておるということありましたが、本年度の予算及び使途について若干御説明を願いたいとお願いします。
  68. 小野佐千夫

    政府委員小野佐千夫君) 総理府といたしましては、戦災犠牲者方々の霊を慰めるために、戦後三十年の一区切りの記念といたしまして、戦災に関する資料を調査整理いたしております。そうしまして、戦災の惨禍を後世に伝えて霊を慰めたいということでこの調査を行っております。調査に要します経費といたしましては、昭和五十二年度におきましては約二千三百万円、昭和五十三年度におきましては約千六百万円を計上いたしております。  また、戦災死没者遺族方々の全国戦没者追悼式への参加旅費といたしまして、五十二年度に引き続きまして五十三年度も約二百万円を計上いたしております。
  69. 片山甚市

    ○片山甚市君 そういたしますと、いわゆる本年も引き続き行われると言われる全国の戦災の日誌及び戦災の資料の調査ということで、戦災記録を編集し報告書を刷るという経費がありますけれども、どんな内容のものを大体やられますか。
  70. 小野佐千夫

    政府委員小野佐千夫君) 昭和五十三年度の調査内容といたしましては、全国戦災都市で百人以上の死没者を出しました三十七都道府県、七十四都市を対象として次のような調査実施する予定でございます。  まず第一点は、一般戦災死没者の慰霊碑、慰霊塔の実態調査。  第二番目が、戦災当時個人が記録いたしました戦災日誌及び戦災体験談等を収集編さんすること。  第三番目は、戦災をこうむった当時、国民が防空等のために使用していたもろもろの品物及び空襲等により投下されました伝単等、戦災資料として歴史的に保存価値のあるものについての調査を行う予定でございます。
  71. 片山甚市

    ○片山甚市君 そうすると、死んだ者、それから、これからも参考になる資料というもの、こういうのは残したいとお考えのようですが、全国戦災都市で百人以上亡くなったところの三十七都道府県をお調べになるんですが、それと、七十四都市を調べるんでありますが、これは、現に生きておってけがをしておる人、いわゆる病気になっておる人というようなものについてはお調べになるというようなことはありませんか。
  72. 小野佐千夫

    政府委員小野佐千夫君) その点につきましては、この調査を通じましてある程度の資料は整えられると思いますが、悉皆調査でございませんので、どこまで正確な数字が出てくるかはっきりいたしません。
  73. 片山甚市

    ○片山甚市君 正確なものじゃなくて、アウトラインでもわかれば、この人たちに対する、先ほどから言う、戦時災害援護法と私たちの言葉で言うんですが、民間の被災者に対してどんな手当てをし、どういうことができるかということがわかる。各省庁が持っておる資料を突き合わしても、悉皆調査でなくても私たちはやれるという立場なんですが、そうすると、総理府は資料の調査をして歴史上残したいと思うが、それで慰霊祭をして死んだ人を祭るといって、生きておる人が、元気な人がわいわい騒ぐけれども、本当に傷ついている人たちのことは考えたくない、総理府としてはそういうことですね。資料を残したい。おもしろ半分とは言いませんが、いろいろと資料を残したい、調査をしてみたい。しかし、それはどう使われるか、そんなことどうでもいい。どことも相談せずに、金もあることだし、総理府というのは寄せ集めですから、いろいろ寄せ集めて、よそがやらぬやつは継ぎ足してやるんだと、こういうことでよろしゅうございますか。
  74. 河野義男

    政府委員河野義男君) いま御指摘の戦災による障害者の実態調査につきましては、先ほど大臣からも申し上げましたように、四十九年の厚生行政基礎調査の中で、戦災による身体障害者についての基礎的な事項を把握するために調査をいたしております。それから、五十年の厚生行政基礎調査におきましても、戦災による、火傷による障害者の実態につきましても調査をいたしたわけでございます。  なお、その五十年の身体障害者実態調査の一環といたしまして、戦災による身体障害者調査を計画いたしまして実施に移したわけでございますが、数府県の協力を得られなくて、全国的な状況が把握できなかったわけでございますが、この調査のねらいは、身体障害者福祉制度の中で、戦災による障害者の状態はどうかと、一般障害者に比べてどういう点に問題があるかと、どういう施策を考えればいいかと、こういうような観点から計画したわけでございますが、いま申しましたようなことで全国的な状況が把握できなかった。しかし、今後身体障害者実態調査につきまして、いろいろその方法等が検討されておりますので、十分連絡をとりまして、戦災による障害者の実態調査実施努力していきたいと、かように考えております。
  75. 片山甚市

    ○片山甚市君 そういたしますと、総理府にお聞きするんですが、いま厚生省は、そういう調査も含めて、参考にしながら、実態を把握をして善処するようにしたいという意味のことをおっしゃっておるようでありますが、総理府にお願いをしたいのは、過去のものとしてでなくて、今日まで戦争の痛手がまだいえておらないような者に対して、それだけ、百人ほど死んだところでですよ、都市で、それぞれ府県も含めて調査されるんでありますから、各省庁間の協力を得て、私が先ほどから申し上げておるようなことについて、正確とか不正確というよりも、できる限り調査が充実するように協力は願えましょうか。いま私が申し上げたような趣旨、先ほどから聞いていますね。戦災者がどういう状態なのか。戦災者がいまどんな状態なのか。ということがあって、そうして死んだ人はどうなって、慰霊碑がどうであって、そのときにはどんな爆弾が落ちて、どんなビラがアメリカ軍から流されたか、こんなことも参考になりましょうが、そういうことも含めて——あなたの方の欠けておるのは、厚生省の問題だ、おれの方関係ない、資料さえ集めたらいいということはわかりましたけれども、資料だけじゃなくて、その資料は、戦後におけるいわゆる戦争の処理のあり方について、各省庁間にも一つの示唆を与える、そういうようなことになるように、先ほどから、私が、議員が言っておることについて受けとめて、調査についてはできるだけ生かしてもらえましょうか。
  76. 小野佐千夫

    政府委員小野佐千夫君) 戦災史実の調査につきまして、先ほど申し上げましたようなもろもろの資料の収集に当たるつもりでございますが、一般戦災傷病者の方々に対する援護のための施策に直接役立つような調査というのは、私たちの方でやる調査の中には含まれておりません。
  77. 片山甚市

    ○片山甚市君 それでは、もう一度聞きますが、役に立つかどうかは別として、戦災を受けた人々がどれだけおって、どのような状態なのかということについて、事実について調査をしていただけますか。
  78. 小野佐千夫

    政府委員小野佐千夫君) 総理府で計画しております調査は、委託調査で行っておりまして、いま先生がおっしゃったようなところまで調査するかどうかにつきましては、まだその計画を持ち合わせておりませんので、ちょっとこの段階でお答えすることはできないかと思います。
  79. 片山甚市

    ○片山甚市君 援護局長の方にお伺いします。  実は、先ほど総理府の方は、悉皆調査でなくってサンプル調査のようなものであって、いわゆる正確なものが出ないだろう。それも十分に、私が申し上げるようなことについては、協力ができるかどうかわからないと、こういうような言い方なんですが、いま厚生省として、私が申し上げた趣旨に沿って、一般障害者に関する調査をさらに進めてもらって、悉皆調査でなくっても、サンプルであっても、それを組み合わせても、どういうあり方をしたらいいかということについては検討願えるだろうか。
  80. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 先生おっしゃるように、障害者の実態をつかむことは非常に私大事だと思いますから、社会局で一般身障者の調査等の計画もございますから、これらと連絡をとりまして、先ほど申し上げましたかっての調査で数県の非協力によってできなかったというようなことがございますので、別の面から、何とか全国的に身体障害者障害を受けた方、その原因が戦災である方々の実態をできるだけ詳細につかみたいと思いますので、これから、よくそのやり方等について省内で、私、責任持って調整をしまして進めていきたいと思いますから、しばらくお待ち願って、それが方法論なりその他いろいろ確定しましたら御報告いたします。
  81. 片山甚市

    ○片山甚市君 今日の段階では、大臣としてはできるだけの御答弁をしていただいたものと考えます。お言葉のように、一日も早く、関係者が陳情に来ましたら、われわれは答え得られるような状態にしたい。大体こんな程度で、こういうことなんで、いまこういうことだから、あなたたちの言い分については、こういうような状態なんです。これが立法者としては、立法府におる者としては大切なことでありますから、皆さんの方をお責めしているように思うかもしれませんけれども、皆さんが資料を持ち、行政をやっておる側ですから、ひとつそれをお願いをしておきます。  そこで、私は、戦後三十年たってからやるというこの調査ですが、風化した戦争の記憶を呼び戻すようなことはあんまり必要がない。それよりも、どのように生き延びてきたのか、人間はどんな苦労をして、この戦後三十年間、この戦争の中から立ち直ってきたのかということを総理府が調べるべきで、そのときにどんなやられ方をしたのか、どんな爆弾が落ちてきたのかなどを調べてみたって、それはもういまはそんな爆弾落としませんからね。落とすなら核爆発みたいなもので、ロケットで大陸間弾道弾みたいなのが落ちてくるのでありまして、あんまり余裕はありませんわな。あんまり調査せんでよろしいです、そんな、いま。それよりも、いま生きている人をやってもらいたいということを、私は目的について、かつての三十年前のことを思い出すような、楽しむようなことをせずに、いま現にどんなことなのかということをしてもらいたい。これは言うても——あなたは、長官に来てくれと言ったら長官でなくてもちゃんと答えます言うて、よう答えません。そんなら来るなって言うんです、そんなもの。何じゃそれは。ちゃんと私は言うてあるでしょう。私は、まあだれでもいい、課長でもだれでもいいです。答えられなんだら来るな、答えられたら来いと言ったわけです。先ほどから言うように、わかりませんと、こう言う。失礼でございますが、精いっぱい答えとるのだから、失礼になるからこのぐらいにしますが、室長に対して失礼言うておるわけですから。私は、長官に来てもらいたいと言ったけれども、きょうはダブってますから、それは無理ですから、帰ったら稻村さんに、趣旨は間違ってますよと、調査は。人間を調査してくださいと。こういうふうに言うておきます。  それから、そこで、計画についてはかなり綿密な委託調査をするように聞いておるんですが、私は、先ほどから言うように、できるだけ厚生当局、援護関係に役に立つように、お互いが力を合わしてもらいたいと、こういうように考えておるんですが、先ほど言うように、ストレートに一般戦災者の援護法について、援護をするのに資料に使えるかどうかは別としても、いま言ったような趣旨で、もう一度総理府の中でやられるときに生かしてもらえるかどうか、努力してもらえるかどうか、もうすでにおろしておるということになって、もうだめであれば別ですが、まだおろしてないとすれば、ことしはそういう趣旨を入れて、一段と努力を願いたいと思うんですが、いかがでしょうか。
  82. 小野佐千夫

    政府委員小野佐千夫君) 総理府で委託しております調査趣旨は、先ほど来申し上げておりますように、戦災犠牲者の慰霊に資するということで行っておりますが、この調査の中で進めるに当たりまして、厚生省ともよく連絡をとりまして、できるだけ先生のおっしゃる御趣旨に沿えるように努力してまいりたいというふうに考えております。
  83. 片山甚市

    ○片山甚市君 先ほどちょっと失礼なことを言いましたが、そういうことで、ひとつ総理府がせっかく調査される、全国をマクロ的に調べるわけなんですから、余り細かいことがきちんとできなくても協力して、ひとつよき資料になりますようにお願いをしたいということでお願いをして、総理府はこれで終わらしていただきます。  引き続き、残りの時間、厚生省の方へお願いをします。厚生省に聞くんですが、いつも例に出して失礼なんですが、法体系やあるいは法律の制定の状況が全く違う国のことになりますけれども、いつも申し上げる西ドイツ、いわゆるドイツ連邦共和国の現在の援護について、一般国民に対する戦争被害に対する援護についての所感と、現状どのような人員が援護対象になっておるのか、こういうことについて、関係の方から御説明を賜りたいと思います。
  84. 河野義男

    政府委員河野義男君) 西ドイツにおきまする戦争犠牲者援護は、戦争犠牲者援護に関する法律援護措置が行われておるわけでございます。その中で、軍事上または準軍事上の任務により身体に障害を受けた考及び死亡した者の遺族並びに直接の戦争影響等による障害者及び死亡者の遺族対象としておるわけでございますが、その中で、軍事上の任務というのは、旧ドイツ軍、国防軍の軍事等の任務であります。それから、準軍事上の任務というのは、軍の命令により被徴用者あるいは旧軍関係の建設隊員、それから防空従事者等の任務を言っているようでございます。また、直接の戦争影響による障害は、これらの任務とは関係がなくて、戦闘行為及びこれに直接関係する軍事行動等による障害を指しておりまして、先生御指摘の空襲による一般戦災者はこの範疇に含まれておるわけでございまして、その一般戦災者に対する援護の種類は、医療の給付、障害年金遺族年金あるいは埋葬料等の支給等があるわけでございます。  この状況は、私どもが承知しておりますのは、昭和四十八年当時の、ちょっと古いわけでございますが、障害年金受給者は百十二万三千人でございます。遺族年金は百二十六万二千人、こういう状況になっておるわけでございます。
  85. 片山甚市

    ○片山甚市君 いま申しましたように、直接戦争の中でと言われる言葉で、局長がおっしゃるように、爆撃などで障害を受けた方に、また亡くなられた方にやられたというのは、御承知のように、ドイツそのものが戦場でありましたから。日本の国の内地も、一時期やっぱりそうだったんですが、それは、われわれの認識は、兵隊と兵隊とが戦争しなければ、それはまるで戦争でないと思っておるようですが、その点は少し検討を加えてもらいたい。と申しますのは、給付の内容の問題じゃなくて、どういうような援護の内容かという、援護をするという体制の中でどういう援護ができるかということを、私は一般の戦災者に対しては考えていきたい。私の所見ですからこれについて賛成を求めたいと思いませんけれども、いまドイツでも、毎年、対象者が減っておるわけです、亡くなってきますから。われわれも、いまからこういう法律を制定いたしましても、対象者は年々減っていくだろうと思いますから、特にドイツの例に学ぶまでもありませんけれども、十分に参考にして、ひとつわが国における現状について、社会保障で十分でないかと言われておる日本の状態を変えていくためにも検討を加えてもらいたい、いわゆる一つの参考にしてもらいたいということですが、大臣いかがでしょう。
  86. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 率直に言いまして、検討はいたしますが、西ドイツ並みにはなかなかいかないと思うんです。これは、先生もおっしゃいましたように、西ドイツ全体が非常な戦場となっておりまして、なかなか戦闘要員とその他の区別がないような状態でございましたものですから、そういう特殊事情等もございますので、西ドイツ並みにはいかないと思っておりますが、先生の御趣旨は、恐らくこの一般戦災者に対して何らかの措置を講ずべきじゃないかという御趣旨だと思いますので、ただ、この問題は行政的には非常に年来いろいろな議論がございましたけれども、なかなか進んでおりません。私は、先ほど申し上げましたように、戦災による障害者、現在の方々がどういう実態にあるかをなるべく早くつかみまして、それらの方々についてどういうようにしていくかということを考えさしていただくのが精いっぱいじゃなかろうかと思っておるわけでございまして、したがって、その実態をまずつかんでから、現在のままでいいのか、一般社会保障の範疇内で措置を講じていくだけでいいのか、なお、さらにそうした戦災の特殊性というものにかんがみまして、何らかの特別措置が要るものか、これらをひとつ検討さしていただきたいと思いますので、まず実態の把握にできるだけ努力をしてみたいと思うわけでございます。
  87. 片山甚市

    ○片山甚市君 わが国でも初めから調査が行われておれば、いまのような論議がなくて、原爆被爆者援護を行ったと同じようにですね、またそれに準じたような形である程度実態が明らかになったと思うんですが、一般の戦災の中にまぎれ込まれて、家は焼かれる、外国から帰られる、それぞれの方々にはそれぞれの対策がありましたけれども、先ほどから繰り返し申しますように、戦災を受けた、災害を受けた方々には具体的な調査やそういうことはございませんから、非常におくれてきたと、こう思います。いまおっしゃるような形で、可能な限り早めてもらいたいと、こういうことで努力してみたい、調査努力をしたい、その上で、どういうことをするかということについては考えてみる、それが先だと、こういうことをおっしゃっていることについてはわかりましたが、実はいまでも遅くはありませんけれども、総理府が先ほど調査をすることになり、そして厚生省調査をすることになったんですが、先ほど総理府も可能な限り努力をすると言っておられましたが、援護局長、もう一度厚生省としても積極的に今度のいわゆる総理府の調査を契機にとは言いませんが、独自にでも調査を進めていただけましょうか。
  88. 河野義男

    政府委員河野義男君) いま大臣から申し上げましたように、戦災障害者につきましてはいろんな事情実施できなかったわけでございますが、これが実施につきまして、関係の局と十分連絡をとって促進していきたい、かように考えておるわけでございます。  それから、また、総理府で実施される戦史の編さんのためのいろんな戦争被害の状況調査されるわけでございますが、これにつきましても、厚生省でできる、協力することについてはやぶさかではありませんし、また得られた結果は、貴重な結果が出るだろうと思います。これは十分検討さしていただきたいと、かように考えておるわけでございます。
  89. 片山甚市

    ○片山甚市君 そうしますと、厚生省としても調査について本腰を入れて行われるということになったんですが、実はいわゆる八十回国会でもそうでありますけれども一般市民の傷病手当など、ごく一部の地域でありますが、手当を出している自治体があったり、あるいは東京都などでは、いま申しましたような援護制度を制定するように決議をしておるようでありますが、その事情について、東京都あるいはその他のところにおける決議、または市町村によれば手当を出しておるようなところがあるようですが、どういう状態ですか。
  90. 河野義男

    政府委員河野義男君) 戦災障害者処遇につきまして、地方自治体で決議がなされておりまして、それが私どものところへ参っておりますが、地方自治体における一般戦災者の処遇に関する決議状況は、県から出された意見書は二件でございます。これは五十二年度でございますが、東京都の特別区から二件、それから市議会から二十四件、町議会から二件、合計三十件でございます。また、徳島市が昭和五十二年度におきまして、同市の戦災死没者の遺族に対しまして、弔慰一時金三千五百円でございますが、支給されたことは私ども承知しておるわけでございます。そのほかの障害手当等の支給例については承知しておりません。大体、そういうような状況でございます。
  91. 片山甚市

    ○片山甚市君 私の手元の資料によると、東京の都内二十三区の区議会では、五十一年から五十二年にかけて、千代田区を除いて全区の議会で決議をされて、援護措置を求めたいと、こういうことで皆さんの方へ出しているようです。都下では小平、多摩、東久留米、田無、瑞穂、狛江、町田、三鷹、立川、調布、武蔵野、それから八王子、小金井、保谷、東大和、日の出町、府中、秋川、武蔵村山、羽村などがそれぞれ都下では決議をしておるようですが、もう一つは、町村によれば、これは愛知県ですが、清州町の社会福祉協議会の方では、清州町の役場の民生課の方が、そういう戦傷援護手当というものを出すので、ことしの四月から。三月までにひとつ調書をとりたい、こういうふうに、まだそちらには報告はありませんでしょうが、下の方では、もう大変大きな勢いで議論をしておる。東京都では確かに調査はできませんでしたけれども、区議会というところでは決議がある。調査大臣に言わせれば、都道府県の中で五つほど、数県できなかったと言っている。できないと言っても、それはそれぞれの議会ではそうしようじゃないかと、こう言っておるのでありますから、一番大きな、一千万ほどおるところの東京都が、それについてどうしておるのかということは、しっかりひとつ協議をしてもらって、聞いてもらって対処してもらいたい。東京都の中では、やはりこういう制度をつくってもらいたいという意見があるのですね。日本国じゅうはそう決まっていませんが。特に静岡県、愛知県、大阪府あるいは兵庫県などは、戦災でやられたベルト地帯でありましょうが、神奈川県も含みますけれども、そういうことで、ひとつ重点的にそういう戦災者がおる、そういうようなものについての調査を丹念にやってほしい、こういうように申し上げるのですが、いかがですか。
  92. 河野義男

    政府委員河野義男君) 調査につきましては、先ほど大臣からも申しておりますように、いろいろ問題がございますので、そういった障害を十分取り除いて、できるだけ実現できるように努力をしてまいるわけでございますが、調査につきましては、われわれとしましては、ある施策を考えるわけでございまして、その調査の結果が統計的に評価できるものでなければならないわけでございまして、そういった意味で、いろいろ技術的にもむずかしい問題があるわけでございます。そういった点は関係部局と十分詰めまして努力をしていきたい、かように考えております。
  93. 片山甚市

    ○片山甚市君 行政府がやるときには、いまおっしゃるように相当綿密にきちんとしなければならぬことはわかっておるのですが、やはりできるだけ私たちの知りたいこと、こうしてほしいことについてこたえられるように、焦点を合わすような形で、拡散をしないで調査活動を進めてもらいたい。それも十年もたてば大方死んじゃいますですから、いますぐにという言葉が言いたいところで、それも可能なことからやってもらいたい。もう完全な法律で、完全なことをやってもらいたいと、私思っておりません。この立場から言うと、おじいちゃん、おばあちゃん見ておると、あなたたちが考え調査した結果、何をするかと言ったら、あれもこれもできないのでなくって、これだけでもできるから、これだけでもやろうかということになるうちに、法律が全部できないうちに死んじゃうかわからぬですね、そういうことにならないように、ひとつ何回も繰り返して、同じことですが、そういう趣旨で言っておる。調査のことについてはあなたがおっしゃるんですから、役所ですから、役人がいいかげんにやりますと言うわけにいかないから、綿密に、間違いなく——大変な、肝心なところは間違っても、数字だけは合うておるというようなことはよくやりますからね、失礼でございますが。そういうことないようにひとつやっていただきたい。  最後の方になるんですが、いま申し上げた地方自治体が非常に苦労して工夫して対策をしていますけれども、それではやっぱり十分ではありません。地方自治体は御承知のように財政的には豊かでありませんから、国の施策としてせなきゃならぬということでここで国会で言うておるんです。地方自治体でできるんなら地方自治体に全部やらすんですけれども、それはできないことで、国家補償という立場考える、それは大臣がいま認めたんでありませんから、国家補償としてやりましょうと言っておるんでありませんから、私の立場から言っておる、これは戦争の犠性者としては国家補償立場で、考え方でやりたい。それをやるとしても、地方自治体ではそれは応じられません。そういう意味でひとつさらに努力をしてもらいたい。努力してもらいたいというのは、調査を一日も早く完了してもらいたい、その上でどうするのかという論議がかみ合わしていけるようにしたいと思っています。  そこで、戦争犠性者の援護措置により完全なものを提起するということの前に、いつごろこの調査を目安として完成をしていただけるのか。総理府が一年間かかってやるということになればこれは来年になりますから、それまでの間でございましょうから、援護局としてはいつごろまでに大体努力をしてみたい、こういうふうにお考えでしょうか、お答え願います。
  94. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 先ほど申しましたような社会局の方との打ち合わせ、援護局との両方私のところへ呼びまして、その方針をまず立てなきゃいけませんので、その結果、既定の予算の中でやりくりができるようなものであれば、今年度直ちに各都道府県とも連絡をとり、あるいはいろんな援護団体等がありますから、それらと連絡をとってやれますけれども、相当——いま先生のおっしゃるような、また、私どももせっかく調査をやるようなら、しっかりしたものにしたいという気持ちがございますので、そういたしますと、やっぱり予算措置をどうしても伴ってまいりますから、そういたしますと、五十四年度の予算で調査費を計上してもらうと、こういうことになりますので、そういたしますと、調査費を計上した予算案が御協賛をいただいた後実行に移ると、こういうことになりますと、どうしても来年いっぱいかかるような気がいたします。
  95. 片山甚市

    ○片山甚市君 いや、予算の関係でそういうことになる、そうすると、予算がやりくりがつかないということになったときの話ですが、いまのところ援護局としてはどういうような手だてになりましょうか。
  96. 河野義男

    政府委員河野義男君) まだ具体的な段取りは申し上げかねますが、一応考えられるのは、前回身体障害者実態調査の一環としてこの戦災による障害者の実態調査を計画したわけでございますが、そのもとにありますのは、サンプルといいますか、それは厚生行政基礎調査のサンプルを使うわけでございます。だから、そういった調査の絡みもありまして、それから全国調査を都道府県を使ってやるわけでございまして、いろいろ問題がございますので、これからいろんな段取りとか予算とか、そういったことを詰めてみないと、具体的にいつどういうふうに着手してどういうふうに終わるということは申し上げかねるわけでございますけれども、できるだけ早く——先生の御趣旨は急いでおられるわけでございますから、それを体して検討したいと、かように考えます。
  97. 片山甚市

    ○片山甚市君 大臣、来年まで待てる人もあるし、もう年寄りですから待てない人もありますから、できるだけ調査が全体わかるようにしたい。それから、厚生省が独自でやれることはやっていただき、総理府が調査するものも参考にしてもらい、各省庁が持っておる資料もそれぞれ突き合わした中で、大体私たちにアウトラインを、この程度のものだということが示せるようなことにまず第一に御努力を願って、それで悉皆調査のような形でどうしてもしなければならぬ、いよいよ本腰だということになりましたならば、それはいま大臣がおっしゃるように予算措置をいつとるのかということになったら、それだけ時間かかると思いますが、そういうような段取りで、できるだけ援護局長がおっしゃったように、時間を早めていただくような前提で予算措置もしたい、こういうことで理解してよろしゅうございますか、大臣
  98. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 予算措置をしようとすることになりますと、どうしても来年度になるわけでございますが、いまおっしゃいましたような各方面のいろいろな資料を総合したりあるいは連絡をとったり、総理府のいまの調査の資料等、あるいはこちらが要望する事項等を入れていただいて、あるいはまた社会局の一般身体障害者調査のやり方等を市町村等の協力を求めることもできますので、努力をしてみますが、まず、私は時間をいただいて、省内で徹底的にこれ関係者を集めましてやってみなければいけませんので、ここでいつまでと言うことはちょっとお許しをいただきたいと思います。
  99. 片山甚市

    ○片山甚市君 そういうことでございましょう、簡単なものでありませんから。それじゃ省内でひとつ意見を早くまとめていただいて、できるだけ正確な形で、しかも説得力のあるものでこの話が進められますように、局長の方もひとつ格段と御努力願いたいと思います。  先ほど総理府の人に帰ってもらったのですが、たった一つだけ質問をどうしてもしなければならぬのが残っておりましたから、委員長の方でよろしければ午後冒頭に一問だけさしていただくことにして、これで時間、終わらしてもらいたい、勝手でございますが。
  100. 和田静夫

    委員長和田静夫君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時四十五分再開することとし、休憩いたします。    午後零時三十八分休憩      —————・—————    午後一時五十七分開会
  101. 和田静夫

    委員長和田静夫君) ただいまから社会労働委員会を再開いたします。  午前に引き続き、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題といたします。質疑を続けます。質疑のある方は順次御発言願います。
  102. 片山甚市

    ○片山甚市君 午前中取り残しました問題を一点御質問さしていただきたいと存じます。  日赤従軍看護婦の件につきまして、御承知のように、軍人と同様に戦場に駆り出され、その役割りを果たしてまいりましたが、恩給対象にも、また国家補償対象にもなっておらないまま、今日まで来ました。午前中は、主として戦時災害を受けた方々のことを申しましたけれども、今回の審議の中で、長年の間議論した結果、政府においては、従軍看護婦について補償措置のことについて考えがあるというように、十三日、衆議院でも御意見を述べたようでありますが、本院において、長官にかわっておいで願ったのですが、局長の方から、その取り扱いがどういうことに今後なっていくのかについて考え方を述べてもらいたいと思います。
  103. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) お答え申し上げます。  日赤の従軍看護婦に対しまして恩給法適用することは、恩給法のたてまえから申し上げまして、きわめて困難でございますが、これらの方々の長い間の御苦労を思うとき、何らかの方法で解決しなければならない問題と考えておりまして、稻村総務長官の御意志に沿って目下総理府を挙げて鋭意検討中でございます。具体的なことはこれから検討課題の検討に入るわけでございますけれども、あらゆる角度から研究検討を加えまして、厚生省あるいは日赤とも御相談しながら、問題点を一つ一つ詰めてまいりたいというふうに考えております。
  104. 片山甚市

    ○片山甚市君 大臣の言葉によると、概算要求までに決着をぜひともつけたいと、こういうふうにおっしゃっておるのでありますが、いま従軍看護婦に対する補償についての最も困難な問題といいますか、このことを解決したい、これを解決すれば難関が乗り切れる、こういうような問題は何でしょうか。  冒頭に聞きましたように、概算要求までにこの決着をつけて、発言については実らしたい、それをするためにはどんな難関が主としてあるのか、それはどういうことかということについて。  二つお答えを願いたいと思います。
  105. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) いま申し上げましたように、この日赤看護婦の問題というのは、総理府といたしましていままでいろいろ検討してきたわけでございます。ただ、御要望の方の中では、恩給法適用してもらいたいということでございますけれども恩給法適用ないし準用ということでございますが、恩給制度というのは本来官吏または旧軍人という一定の身分を有した者を対象とした年金であるために、戦地等で陸海軍の戦時衛生勤務に服した者であるとは申しましても、恩給法上の公務員ではございません。したがいまして、この恩給公務員の経歴を全く有してない日赤看護婦に恩給法適用するということは、制度のたてまえから非常に困難ではなかろうかというふうに考えられるわけでございます。したがいまして、これを今後どう取り扱うかにつきましては、目下総理府の中に総理府の総務副長官をそのキャップといたします検討委員会をつくりまして、この検討委員会の中で検討していくことにいたしております。それで、いま先生がおっしゃられましたように、概算要求の時期までに何らかの案をつくりまして概算要求に持っていきたいというふうに考えておる次第でございます。
  106. 片山甚市

    ○片山甚市君 それは言葉で言いますと、補償のあり方を具体的に設定するためにひとつ検討していきたいということであって、恩給そのものについてはいまのところ手を加えられなくても、日赤従軍看護婦に対する具体的な措置をとるような総理府としての考えを持ちたい、こういうことで理解してよろしゅうございますか。
  107. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) 私どもとしては、目下のところ恩給法適用するということは非常に困難だと思っております。したがいまして、恩給局だけではなくて、総理府部内のその他の部局長も含めまして検討委員会をつくっているわけでございます。そういった中で、何らかの形の具体的な措置を講じてまいりたいというふうに考えております。
  108. 片山甚市

    ○片山甚市君 いま総理府の方はそういうふうに申されておるんですが、厚生省にお願いしますが、いままでにいろんな形で取り残されがちであった問題について、具体的な取り組みが進み始めました。午前中しつこくしつこく言いましたけれども、いま従軍看護婦の問題についても何らかの補償の問題が進むようになっておりますから、一般障害者の問題についてもそれらを見ながら、ひとつ社会保障全般でいいというお考えを超えた措置を議員、私が盛んに主張しておったことを記憶にとどめて善処方をお願いしたい。私が申し上げたのは、総理府において従軍看護婦のことについていよいよ具体的な措置をとろうとする、いままで取り残されておった関係がある問題を措置をされるようになった。ですから、今回のいわゆるあり方としては、一般戦災者の問題についてもそれらを十分に参考にして検討していただきたい、こういうことを申し上げて質問を終わりたいんですが、いかがでございましょうか。
  109. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 従軍看護婦の処遇の問題につきましては、私も非常に関心を持っておりますんで、総務長官と十分話し合いをいたしまして、概算要求までには方針を決めていただくように努力をいたします。
  110. 片山甚市

    ○片山甚市君 終わります。
  111. 渡部通子

    ○渡部通子君 ただいまちょっと話に出ましたが、従軍日赤看護婦に対する国家補償問題について最初にお伺いをいたしたいと思います。  きょうは長官おいでではないんですが、稻村総務長官は先般来いろいろな関係委員会におきまして、従軍日赤看護婦に対して来年度予算で補償措置をとる意向を示すとともに、その方法を含めて、いまもお話が出ましたが、概算要求までに決着をつけたいと、こう述べていらっしゃいます。副長官を責任者として総勢力を挙げてただいま検討中というお話でございますが、どの程度検討をしていらっしゃるのか、もう一歩具体的にお話しを願いたいと思います。
  112. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) この検討会というのは、いままでに五、六回会議を開いていると思います。まだ、要するに先ほど申し上げましたように、恩給法で処理するのなら非常に困難だという話でございますので、それでは恩給法以外にどういうような方法があるかというようなことをいまいろいろと議論している段階でございます。これから、具体的な方法について検討していくということだろうと思います。
  113. 渡部通子

    ○渡部通子君 恩給法は困難だというふうに、あちらこちらで結論的のような形で言われておりますのは私も承知をいたしております。しかしながら、本来から言えば、そこで取り扱っていただくというのが一番私もいいことではないかと思うんです。七十七国会におきましても、公明党と社会党の共同提案によって提出してございます旧陸軍又は海軍の戦時衛生勤務に服した者に係る恩給法の特例に関する法律案、こういうものも出ているわけでございまして、従軍した日赤看護婦が旧軍人と同様の勤務に服した実態というのはそのとおりなんですから、恩給法適用するというこれが国家としての当然の報いていただくべき道ではないかと思うんです。これはもう繰り返し申し上げておきたいと思うんです。総務長官もこの間の衆議院内閣委員会の発言の中で、女性兵士との考えで取り組んでいると、こう述べていらっしゃいました。女性兵士と認めるんならば、従軍日赤看護婦、当然これは恩給法適用になるわけでございますよね、女性兵士という認め方をなさるならば。いまも恩給法は無理だと、こうおっしゃっておりますけれども、いままでのいろんな各党の主張におきましても、各委員会で述べられたことにおいても、ともかく恩給法適用してほしいというのが一致した要求でございました。それがもうきわめて無理だ、むずかしいという結論をお出しになるために、徹底的に検討をなすったのかどうか。ただ、制度のたてまえ上無理であるという簡単に片づけないで、本当にその実態を聞いてみれば聞くも涙の物語です、本当に。男の方はまだ復員してきてもいろんな生活を、生きていく道があったと思いますけれども、女が一人で生きてきたということに対しては、男の人以上にある意味においては大きな負担をしょってきているわけですね。そういう方たちの人生を考えると、確かに女性兵士と、その同等の扱いにしていただいてしかるべきではないか。それを恩給法では扱わない、制度のたてまえからと言っちゃえばそれまでですけれども、そう簡単に片づけられては困るんで、人数もそんな多いことではないでしょうから、本当の特例処置としてこれを認めるわけにはいかないのか。とことん納得のいくまで御検討をいただけたのかどうか、その点もう一歩お願いします。
  114. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) 先生のおっしゃられることは、心情的には非常にわかるわけでございますけれども、ただ、恩給制度というのは本来官吏または旧軍人という一定の身分を有していた者を対象としているわけでございます。したがって、身分の違う方、恩給法適用されない方、しかし仕事は全く同じにしているという方といたしましては、たとえば昔であれば雇用人ということで、机を並べて同じ仕事をしていても身分が違うという理由恩給法適用されなかったということでございます。したがって、そういう方々のことも考えなければいけませんので、いろいろ研究しているわけでございますけれども、現在のところ恩給制度をそのまま適用するというようなことは、いま申し上げた雇用人問題その他もございますので、非常にむずかしいのではなかろうか。したがって、恩給法以外の手法を講ぜられないだろうかというようなことでいま検討している次第でございます。
  115. 渡部通子

    ○渡部通子君 そういうことは重々承知の上で、これだけ特別にお扱いできないかということをお尋ねしたわけでございます。それはその辺でとめます。  しからば、恩給法適用が困難というからには、そのほかにどういう国家補償の方法をお考えになっていらっしゃるのか。どんな方法をとるにしても、恩給法適用したに見合ったような中身のものでなければ困るわけでございますが、その中身はどのように検討されていらっしゃいますか。
  116. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) この問題は、いまからの検討課題でございます。いま、どういうような問題点を検討しているかということでございますけれども、日赤従軍看護婦の位置づけと申しますか、その任務や性格の特殊性を明確にするとともに、勤務の実態を考えつつ対象者の範囲、処遇の方法、さらには他の施策との関連等について、いろいろな角度から検討しているわけでございます。したがいまして、まだいま結論を持っているわけではございませんので、その点は差し控えさしていただきたいと思います。
  117. 渡部通子

    ○渡部通子君 いろんな角度から検討をしていると言うだけで、一歩も入口から入っていただけないんですよね、いまの御答弁ずっと聞いててみると。私はきょうは長官も副長官も御無理だというお話でございましたので、この中身についてお答えのできる方ということで私は答弁者をお願いをいたしました。ですから、とびらの中に一歩ぐらい踏み込んでいただきたいんです。いろんな関係省庁と連絡をとり合いながら、総力を挙げて検討しているということまではわかったんです。だから、何を検討しているのかということをちょっと伺いたいんですよ。総務長官も一時恩給で事足りるとは考えていないと、こういう発言もあります。一体、それはどういうことなのか。あるいはまた、新聞報道ですけれども、かなり中身が明確に伝えられているわけです。第一に「長期勤務者には国債による特別給付金、または特別年金を支払う」。二として、「中、短期勤務者には一時金を支給する」。三、「対象は、外地で三年以上勤務した者とする」。四、「支給開始は五十四年度とする」。しかも、この五十四年度に開始するに当たって、予算化はすでに大蔵省と話し合いがついていると。これ新聞報道ですけれども、こういうことまで言われているわけです。ですから、一体、じゃこれについて中身はどうなのかお答えください。
  118. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) いま私どもが詰めているのは、最終的な結論に至る段階までの途中過程にあるわけでございます。したがって、先生は入口から一歩も入らないじゃないかとおっしゃられましたけれども、われわれといたしましては入口に十分入っているつもりでございます。それでいまここで、先ほど申し上げましたように、日赤従軍看護婦の位置づけといいますか、実態といいますか、そういったものをまず明らかにして、その上でその処遇、非常に長い間苦労されてきたということに対する処遇考えてまいりたいというふうに考えております。
  119. 渡部通子

    ○渡部通子君 いま新聞報道に出ているこの中身に対してはいかがなんですか。
  120. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) いま先生が御指摘になられました新聞報道の書き方は、きわめて結論的になっているわけでございますけれども、そこまでは至っておりません。ただ、そういう手法というのが議論されていることは事実でございます。必ずしもその新聞報道どおりではございませんけれども、新聞報道を含めていろいろな方法というのが考えられるわけでございますけれども、われれれといたしましてはその前に、まずその実態がどうであるかということを究明して、その上で対策というものを考えていかざるを得ないんじゃなかろうかというふうに考えております。
  121. 渡部通子

    ○渡部通子君 お立場上それ以上言えないというのかもしれませんけれども、新聞報道でこれだけ出ているということは、かなり突っ込んで検討されているということでしょう。まして大蔵省と予算化までも取りつけが決まっているというんですから、もう少し御親切に御答弁をいただきたい。いいことなんですから、悪いことを聞こうとしているというんじゃないんですから。こちらも非常に応援をしたい気持ちで聞いているんですから、その点はお間違えにならないようにお願いしておきます。  それじゃ実態の方ですけれども、太平洋戦争中動員された従軍日赤看護婦——実数、外地勤務者、いろいろあると思いますが、どういう実態でございますか。
  122. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) ちょっと新聞報道の点で申し上げておきますけれども、その大蔵と話がついているというようなのは全くの誤報でございますので、その点誤解がないようにお願いいたしたいと思います。  それで、日赤従軍看護婦の状況でございますが、これは詳しい数字はいま日赤本社の方に頼みまして調べていただいている段階でございます。間もなくその結果が来るのではないかと思います。大体、われわれがいま把握しております数字というのは実人員で二万六千人ぐらい、そのうち外地勤務が一万三千人、内地勤務が一万三千人、大体その見当ではなかろうかというふうに考えておりますが、いずれにしましてもこれは現在日赤の方に問い合わせ中でございますので、詳しくはもう少しお待ちいただきたいと思います。
  123. 渡部通子

    ○渡部通子君 約二万六千人で、外地勤務が一万三千、内地勤務が一万三千ですか。戦没者はどのくらいありますか。
  124. 河野義男

    政府委員河野義男君) 援護法上は、日赤従軍看護婦は軍属として処遇しておるわけでございまして、公務で死亡された場合には遺族年金と、こういうことになっておりますが、いまちょっと資料、数字を手元にございませんが、後でお答えしたいと思います。——わかりました。これは日赤の資料によりますと殉職者が八百十三人というふうに出ております。遺族年金等につきましては、それに近い数字じゃなかろうかというふうに思うわけでございます。
  125. 渡部通子

    ○渡部通子君 もう一つ、戦後抑留生活を強いられた者はどのくらいいらっしゃいますか。——それじゃ私の方でお教えをいたします。戦後抑留生活を強いられた者は三百数十人と、私も大体の把握ですから、そう言われているわけです。総理府は五、六回もこの会合を開いていらして実態を調査しようなんでおっしゃっているのに、いまだにこの程度の数がわからないなんというのは、お帰りになったらすぐわかるんでしょうけれども、少しおかしいんじゃないかと思うんです。大体その程度の数字だと思うんですけれども、こうした人たちに対してどの範囲を補償措置としてお考えのおつもりですか。
  126. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) いままで検討していておわかりになるでしょうと言われたわけでございますが、いま実は、先ほど申し上げましたように、日赤にお願いいたしまして詳しい数字を求めているわけでございます。したがって、その結果がわかればまた先生の方に申し上げたいと思います。いま抑留の問題を言われましたけれども、その対象者の範囲それから処遇をどうするかというようなことについては、現在検討している段階でございまして、まだいずれの方向への方向づけもしてないという段階でございます。
  127. 渡部通子

    ○渡部通子君 いま日赤に言って資料をつくっている最中だとおっしゃいますけれども、現に私がきょうここでお尋ねするって質問通告をしたわけですよ。中身、これについてわかるようにしてきてくれともお願いをしてあるわけです。この程度の数字が——こちらはちょっちょっと日赤にお電話で聞いた程度でわかっているわけです。ですから、それくらいのものは用意してきていただかなければ、この場で発言することもできなくなってしまいます。これを申し上げておきたいわけです。  いま外地勤務者、戦没者、それがわからないので、これ聞いてもおわかりにならないと思うけれども、その外地勤務者の勤務期間あるいは抑留期間、こういったものはおわかりですか。
  128. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) 実は私ども、日赤の方から人数についても一応の数字はいただいております。それで、ここに手持ち資料として持ってきておりますけれども、この数字は必ずしも正確じゃないと言われておりますので、再度調査を依頼しているわけでございます。したがいまして、先ほど申し上げましたように、きわめて丸い数字で申し上げたわけでございますけれども、たとえばさっきの実人員の数も二万六千五百三十五人というふうに出ております。ただ、これはまだ正確ではないんじゃないかというふうに日赤の方で申しておりますので、再度調査をお願いしておるような次第でございます。  それから、期間でございますが、期間につきましても一応ここに数字をもらってきておりますが、これも必ずしも正確なものではないと思います。
  129. 渡部通子

    ○渡部通子君 それで結構です。
  130. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) よろしゅうございますか。  外地派遣人員のうち、昭和二十年九月二日現在において外地にあった者のうち、すでに現住所の確認されている者を対象として調査をした結果でございますが、その結果、三年未満の者が二千九百十六人、三年以上五年未満の者が千四十人、五年以上八年未満の者が百二人、それから八年以上十年未満の者が百十五人、十年以上の者が七十一人、合計四千二百四十四人となっております。しかし、この数字も先ほど申し上げましたように、現住所の確認されている者だけでございますから、これもさらに日赤の方から詳しい数字をもらわないと何とも申し上げられないんじゃないかというふうに考えております。
  131. 渡部通子

    ○渡部通子君 わかりました。それじゃ仮定の数字の上に立ちますけれども、こういった人たち恩給法適用されていたとしたならば、どのような処遇の内容になるものか、そして恩給受給権の発生者数とか恩給の年額等、こういったものが大体どんなものになるだろうかというようなことはおわかりでしょうか——恩給法適用されていたとしたら。
  132. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) この問題につきましては、ちょっと勤務の実態がわかりませんので、ちょっと全くの何か仮説の条件でも設ければ別といたしまして、ちょっとここでは答えられないわけでございますが。
  133. 渡部通子

    ○渡部通子君 私がそうやって申し上げたのは、やはり恩給処遇を受けていたとしたらば、ずいぶんいまのお一人お一人の生活が変わってきたのではなかろうかということを想定してみていただきたかったわけです。こういったことをやはりお考えになった上で、今回の補償措置というものは考えていただかなきやならないと思います。それに見合った形で配慮をしていただかなければならないと思いますけれども、総務長官は一時金——つかみ金で終わらせることは絶対しないと、こうおっしゃっていらっしゃいますが、そういう趣旨で補償をお考えいただけるでしょうね。
  134. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) 稻村総務長官から、われわれは至上命令として何らかの方法で解決しろというふうに命ぜられております。先生がおっしゃられているそのとおり、この方々というのは長い間非常に御苦労なすってきた方々でございます。したがいまして、できるだけ先生のいま申されたような御趣旨に沿って検討してまいりたいというふうに考えております。
  135. 渡部通子

    ○渡部通子君 恩給法適用していただけば一番いいんですが、それがだめとなったならば、ひとつ手厚い補償を考えていただきたい。余りこちらも恩給法などということにこだわっておりますうちに、制度論をやっているうちに、だんだん年をとってきているというのが現実でございまして、せっかく補償に踏み切っていただいた限りには、どうぞ概算要求が出たそのとたんに、何だこれっぽっちかと、こういうため息を漏らさないでも済むような方法をぜひとっていただきたいと思うのです。私はっきり申し上げられないんですけれども、人数もそう大したことではないと思うんです。それで皆さんいま五十とか六十とか年をとってきていらっしゃいますし、細々と暮らしてきた人たちのためですから、どうかいままでほっぽっておいた方が、私は非常に国としても恥ずかしいことだと思うわけです。確かに、景気の回復とかそういったことに対しては国を挙げて騒いでいる。騒いでいるという言い方はおかしいですけれども、力を注ぐということにありますけれども、そういう中で置き忘れられている人たちがこういうところにある。しかも、私最初に申し上げましたように、一人で生きてこなきゃならない女の人がどれほど社会的にいまは優遇をされない日本の国の現状にあるか。そういったことをお考えいただいたときに、強制的に戦地に行かされた方たちなんだし、それから抑留をされてちょうど結婚適齢期も何も失ってしまった人たちのためですから、どうかこれに対しては国が本当に手厚い保護をしていただきたいと思うのです。私が恩給をいただいていたとしたらというので、私自身が計算をしてみたぐらいなんです。とうていこんな補償は国はやってくれないだろうなあと思います。もちろん、そこまでいけとは言いませんけれども、かって軍人恩給などというものも非常に安かった、手続の方がめんどうだというような声があったくらいです。そのくらいの涙金の時代もあったわけですから、その辺さかのぼって補償しても、それほど一人の個人にとってはその一生を償うだけの額になるとは思えません。そういう意味で、どうかきょうここに長官も何もお見えになっておりませんけれども、くれぐれもその点よく心得て補償の道を考えていただきたい、これをお願いをいたしまして終わりにいたしますが、最後に、厚生大臣からもひとつこの件についてはよくよく御配慮いただけますように一言お願いをしたいと思います。
  136. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 先ほども申し上げましたように、この問題については稻村長官とよく話し合いをいたしまして、私も側面から最大の努力をいたします。
  137. 渡部通子

    ○渡部通子君 法務省の方へ、時間がありませんので一言そちらに伺いたいと思います。  中国の戦争孤児の問題でございます。去る四月三日、東京家裁におきまして、中国から帰国の日本人孤児が、お父さんやお母さんがわからないまま日本人としての戸籍を認められたという新聞報道がございました。大変喜ばしいことであると受けとめておりますが、まずこの家裁の決定に対する受けとめ方について、厚生省側の御見解を最初に伺いたいと思います。
  138. 河野義男

    政府委員河野義男君) このケースは伊藤司さんの就籍の許可のケースだろうと思います。この方は一度北海道の身元に帰られましたが、いろいろの事情で親子でないということが明らかになりまして、しかし日本人であるということはもうはっきりしているということから、戸籍の就籍の審判の申し立てをされたわけでございまして、ああいう許可の審判がおりまして私どもも非常に喜んでおるわけでございます。これから、日本国民としてりっぱに立ち直っていってほしいと、かように考えております。
  139. 渡部通子

    ○渡部通子君 法務省の方に伺いますが、こういうことは今後も起こり得る問題だと思います。旧国籍法によれば、子供が日本人として就籍するためには、父か母が日本人であることが必要と、こういうことになっておりますが、この伊藤さんの場合は例外としてお認めになったのか。
  140. 宮崎直美

    説明員(宮崎直美君) この伊藤司の裁判の事例は、この新しい新国籍法の第二条ですか、出生のときに父が日本人であったと、または非嫡については母が日本人であったという場合には、これは出生により日本国籍を取得したということになっております。したがいまして、あの裁判でこの二条に基づき、出生により日本国籍を取得したという認定を裁判所がしたわけでございまして、これは一般的な国籍法の解釈上、そういう認定がされれば、当然日本国籍があるという結果にはなろうと思います。
  141. 渡部通子

    ○渡部通子君 現在もなお中国には引き取り手がいない、帰れないというような方は多いのではないかと思います。しかも、親が特定できないために日本に帰れない、こういう方も数多くあるのだと思いますが、そういう人がどのくらいいるかという大体人数が把握できているのかどうか、いかがでございましょうか、その点は。
  142. 河野義男

    政府委員河野義男君) 身元不明のままで中国に残留しております孤児の数は、約千名ぐらいと推定いたしております。
  143. 渡部通子

    ○渡部通子君 そうすると、今回のような就籍のケースが出てまいりますと、そういった方たちの収容ということに対して、日本帰国ということに対して一つの道が開かれたというか、一歩何か施策として展望が開ける、前進するというようなことは考えられますか。
  144. 河野義男

    政府委員河野義男君) これらの方につきましては身元の調査をやっておりますが、調査の結果、身元が判明した人も相当数あるわけでございます。この身元が判明した者につきまして、また帰国した人、あるいは帰国できる人、またいろいろ個々具体的なケースについて皆事情が違うと思います。いま、先ほどの伊藤司さんのような事情にある人が仮にいたとしますれば、非常にいい先例になるんじゃないかというふうに私ども考えております。
  145. 渡部通子

    ○渡部通子君 こういう問題は今度いろんなケースを持って出てくると思うんですけれども、人道主義的な見地という立場にお立ちになった場合に、法務省としてはこういった問題をいわゆる人道的見地という立場で配慮していただくような方針はおありかどうか、伺っておきたいと思います。
  146. 宮崎直美

    説明員(宮崎直美君) 国籍の認定ということになりますと、これは法律解釈の問題でございまして、具体的に日本人かどうかという判断になりますと、これは細かい証拠の問題として、この間、伊藤司の件で裁判所がそう判断したわけでございます。しかしながら、日本国籍を取得する方法は、もちろん帰化というのもございまして、中国孤児の場合には仮に両親がわかりまして、日本国籍が出生のときあったという認定ができましても、その後に中華人民共和国に入籍というのですか、中華人民共和国に対して帰化しているというために日本国籍がない場合もございます。このように、日本国籍が認定できない者や、またどうしても、日本国籍がすでに喪失している者、これらの者で中国孤児が日本に帰ってきた場合には、この帰化要件というものが元日本人ということで簡易化されておるということで、われわれとしても中国孤児が日本に帰ってきて戸籍がない、日本国籍がないという場合には、その帰化手続に対してはそれぞれの事情を十分考慮して帰化しやすいような手続で現在進めておるよう努力しております。
  147. 渡部通子

    ○渡部通子君 これから中国との往復が激しくなってまいりますと同時に、こういったこともふえてくると思いますので、どうかそういったところの人道的見地の位置づけといったことも、法務省としてはよろしくお願いをしたいし、それから厚生省はこういう仕事は大変御苦労な話だと私は本当に思いますが、その他言語の問題とか生活慣習の違いに対する指導だとか、こういったことは大変でしょうけれども、その人が一日も早くなじめるように御努力をいただきたいと思いますが、そういった点の施策などは十分でございましょうか。
  148. 河野義男

    政府委員河野義男君) 中国孤児が引き揚げてまいりまして、これらの方々に対する援護につきましては、まず帰国されるについての旅費その他の支給のまあ応急援護の問題もございますが、さらに引き揚げて日本の社会に適応していかれるわけでございますが、それにつきましては既存のいろいろな制度を活用するなり、関係各省あるいは地方公共団体と十分連絡をとって、その自立更生につきまして最大の努力をしていきたいと考えております。
  149. 渡部通子

    ○渡部通子君 法務省、お忙しいところありがとうございました。こういうことは社会にとっても非常に大きな明るい話題になりますので、一人の人の人生の成り立ちということで、法律上もいろいろ大変でしょうけれども、今後明るい方向でひとつお願いをしたいと思います。  第三番目、最後の問題で、私遺骨収集の問題について若干お尋ねをいたしたいと思います。  戦後三十三年もたちまして、戦没者の遺骨収集事業がいまだにえんえんと続いているという実態を見ますと、やはり戦後は終わらないという気持ちが一段とするわけでございまして、援護局などというのが存続している以上、確かに戦後は終わってないわけでございますけれども、これはまあひとつ大変な事業だと思います。先ほど社会党の先生からも、遺骨収集も大事だけれども、生きている方しっかり頼むと。私もそんな感がしないでもありません、本当に。ですけれども、やはり亡くなられた方たちの御心情からすれば、確かに日本兵がたくさん死んだ、そこにまだ骨がごろごろしているというようなことがあれば、あるいは名も知らないような南の島で自分の肉親が亡くなっていると、こういうことでもあれば、一度くらいは骨拾いに行きたいと、こう思われるのもまた当然の心情ではないかと思うんです。ですから、この作業ももう三十年もたっておりますから、なるべく早く見通しをつけて、手際よく片づけていただきたいなという気がしないわけではありません。そういう立場で若干お伺いをいたしたいと思います。いままで何回か行われてきておりますけれども、大体の現状とこれから一体どのような見通しでお続けになるのか、概略で結構でございます。
  150. 河野義男

    政府委員河野義男君) 遺骨収集につきましては、昭和二十八年から五十年まで三次にわたって計画的に実施してまいったわけでございます。それから、五十一年度以降につきましては、それまで計画しましたけれどもいろんな事情で、相手国の都合で入域できなかった地域、そういったところとか、あるいは新たに新しく確度の高い遺骨についての情報が入ってきた、そういう地域につきまして、今後も引き続き遺骨の収集を実施していくという予定でございます。今年度はマリアナ諸島、エニウェトク環礁、沖繩、硫黄島、そういったところを予定しておるわけでございます。現在まで海外で戦没された戦没者の概数は約二百四十万でございますが、そのうち約半数につきましては遺骨が帰ってきておるわけでございます。しかし、遺骨収集事業の性格から申しまして、広い戦野で、その後状況も変わっておりますし、完全に遺骨収集をするということはとうてい不可能なことでございます。しかし、先ほど申しましたように、いままでいろんな事情で入国の許可が出なかった地域とか新しい情報の入ったところ、そういったところを中心に今後も遺族の心情を踏まえまして遺骨収集を続けていきたいと、かように考えております。
  151. 渡部通子

    ○渡部通子君 大体、いつまでお続けになるんですか。えんえんと情報が入り次第、またそういう遺族の世代が交代する、そういう声がなくなるまでやるというようなおつもりですか。
  152. 河野義男

    政府委員河野義男君) いまこの事業につきましては、先ほども申し上げましたように広い戦野でございまして、全部完全に収集することもできませんが、新しい情報とか、また遺族のお気持ち等も踏まえまして実施していきますけれども、この辺でもういいじゃないかというような御理解が得られれば、その時点でまた方法などを考えなければならぬ、こういうふうに考えております。
  153. 渡部通子

    ○渡部通子君 政府派遣団等による遺骨収集は、第三次がピークで四億七千万円、こういった補助が出されておりますが、これからはこういった補助金は少なくなる方向ということになりますか。それとももっとふえていきますか。
  154. 河野義男

    政府委員河野義男君) あらかじめ金額を設定してどうするということは考えておりません。収集に行く地域によりまして、非常に費用のかかるところもございますし、あるいは非常に経費のかからぬ地域もございますので、金額を今後どういうふうにセットしてやるかということは考えておりません。
  155. 渡部通子

    ○渡部通子君 今日まで政府派遣で行けない人々も数多くいるわけでございますね。そういう人々は各旅行代理店等が契約して、戦跡めぐりという形で行われていることは御承知だと思います。この人たちは交通費、宿泊費、こういったもの含めるとかなり、二十万、三十万という費用をかけて行くわけでございまして、それはそれで結構でございますけれども、そういった方たちに対して政府が何か配慮をするというような御意向はありますか。
  156. 河野義男

    政府委員河野義男君) いまのお話は、慰霊巡拝だろうと思います。遺骨収集と並行しまして、慰霊巡拝も政府の計画で実施しておるわけでございます。慰霊巡拝と申しましても、遺族関係者全員というわけにもまいりませんし、やっぱりその地域に関係の深い方、各県から代表を選んでいただいて参加していただく。まあ、全部は参加はできないにしましても、代表という形で参加して慰霊の事業を進めておるわけでございまして、それ以外の方、自費で行かれる方につきましては、特に財政的な援助は考えておりません。
  157. 渡部通子

    ○渡部通子君 政府が行う慰霊巡拝ではないんです、私がいま出しました話は。そのほかのいわゆる自費で行かれる、旅行社などがツアーで組んで行く遺骨収集、戦跡めぐり、こういったことを申し上げたわけなんです。それは財政的援助は考えてない、それはそれでいいんです。それでこういう人たちに会って、お目にかかっていろいろ聞いてみますと、決して財政的援助を望んでいるわけではないんです。ただ、現地に行ってからの準備、案内人、それから地元への理解をしてもらうための領事館を通してのこういったいろいろな手続等ですね、そういったことが非常にめんどうだということで、せめてそういった点で政府がめんどう見てくださるとか、そういう意味のいわゆる援助ということを希望しているわけなんでございます。こういった形のお願いあたりに政府が手を差し伸べるということはできますでしょうか。
  158. 河野義男

    政府委員河野義男君) 相手国との交渉とか、あるいは現地へ行かれてのいろいろな問題につきましては、外務省その他関係機関と十分連絡をとって、できるだけ御協力したいと、かように考えております。
  159. 渡部通子

    ○渡部通子君 慰霊碑の建設を四十五年から三カ所行っていらっしゃるようでございますけれども、これを建設するということも相手国の理解、場所、こういったことで大変困難な問題もたくさんあると思うんですが、今後はいわゆる遺骨収集にかわるものとして、慰霊碑を建設するというような方向をお考えなのかどうか。そういったことで、代表的に慰霊碑でも建てて、そこに参拝して終わるというような形で収拾されていくというような方向をお考えなのかどうか、その点をお聞かせください。
  160. 河野義男

    政府委員河野義男君) 海外戦没者の慰霊事業につきましては、まず遺骨収集あるいは慰霊巡拝、それから主要な戦域につきまして慰霊碑を建立する、そういう事業を並行してやってまいっておるわけでございます。いま、遺骨収集というのは、先ほど申しましたように、もう完全に遺骨収集するということはとうていできないわけでございますが、その遺骨収集事業に直ちに慰霊碑建設事業をもってかえるというようなことはいま考えておりませんが、いろいろ遺族の御心情を踏まえまして、これらの事業を進めていく過程におきまして、今後どういうふうに展開するかということは考えていかなきゃならぬというふうに思っております。
  161. 渡部通子

    ○渡部通子君 昔の地図でないと載っていない島島もたくさんあるというふうに、遺族の方たちのお話では聞いております。ですから、これから遺骨収集事業などというのは、進めていけばいつまでもいつまでもそれはあることだと思いますし、相手国の中に踏み込むわけですから、外交努力等も行われなきゃならないと思いますし、これはもう遺族の心情から言えば絶対続けなきゃならない仕事ですけれども、非常にこれだけ風化されたような時代になってきて、実際のこと言って遺骨などというのももう頭蓋骨しかわからないというような感じの中で骨を拾ってくるという、むずかしい風雪を過ぎてしまっているようなわけでございますね。ですから、私はこういう事業は何とかもう少し明るい感じでどうせやるなら進めていった方がいいんではないか、その方が相手国に対する感じも決して悪くはないと思いますし、そういった意味で、決して明るい仕事ではないわけですから、そんなことを言っても無理でしょうけれども、なるべく前向きに見通しとかめどとか、そういったものをきちっとつけて計画的に行って終わるようにしていくという、こういう御努力をいただく方が私はいいんではないかなと思います。  それから、南の方ばかり行われていますけれども、これからまた中国とかあるいはソ連とかということの方が、むしろ大きな課題になってくると思いますし、あるいは、そういった意味では海へ沈んでしまった分についてはどうするかなどという、まだまだ大きな課題がたくさん残されていると思います。こういう大事な仕事を進めていくんですから、私、過去、昔のことをほじくり返してこれだけのお世話をする厚生省も大変だと思いますけれども、それだけは絶対やっていただかなければ、やはり戦後は終わらないわけで、援護局の解散はできないわけでございまして、御苦労だとは思いますけれども、そのかわり、いま申し上げましたように、見通し、展望といったものをなるべく開きながら、建設的な前向きの姿勢でこの事業を進めていただきたい、こう希望させていただきたいと思います。これから中国、あるいはソ連、これは入国がなかなかむずかしい、そういった国に対してはむしろまとめて遺骨を持ち帰って、こちらでまた供養するというような方法もいろいろ考えられると思いますけれども、そういった面を含めて今後の展望と対策、こういったことを最後に大臣から伺いたいと思います。その前に局長も御答弁ございましたらどうぞ。
  162. 河野義男

    政府委員河野義男君) 慰霊事業につきましては、先ほど申しましたような三つの事業を並行してやってまいりますが、おっしゃるように、今後の展望につきましては、これからの推移を見ながら検討していきたいと思っております。  それから、まあ太平洋の島、中部太平洋あるいは南の太平洋、太平洋が非常な苛烈な戦域になったわけでございますし、たくさんの遺骨が置かれておるわけでございますが、まあそういったところが従来ずうっと何回か繰り返し行われてまいったわけでございますが、今年度におきましては初めてアリユーシャン列島、あのキスカ、アッツ島ですか、にも慰霊巡拝をする計画を持っております。それからまたソ連につきましても、いろいろむずかしい問題がございますけれども、墓参などについて外務省を通していろいろ折衝してもらっておるわけでございます。
  163. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 遺骨収集につきましては、私ども遺族の心情を考えますと、やはりできるだけ相手国で受け入れていただく場合には実施をしてまいりたいと思いますが、おかげさまでどうやら相当進んでまいりまして、もう非常に、だんだん限られてきておるような状況だと思います。そこで、むしろ今後はこの南方より北方の方がといいますか、中国、ソ連の方の考え方を主にしていかなきゃいかぬと思っておりますけれども、ただ、なかなかこれは外交上めんどうな点もございますので、先ほど局長から言いました遺跡、戦跡、巡拝あるいは慰霊碑、それらをかみ合わせまして、何らかの措置をとるように相手国によっては適宜対策を考えていかなけりゃいかぬと思っております。いずれにいたしましても決して私どもは予算なり、あるいはいろいろな事務的なめんどう、そういうようなことで手を抜く意思はございません。  また、たとえば民間の団体の方々で、いよいよ生活も落ちついてきましたし、戦後三十年を経過しましたので自分たちの手でやりたい、たとえば戦跡に記念碑を建立したいというような計画等もあるようでございますので、これらについてはできるだけ私どもとしても協力を申し上げて、一日も早く精神的な安定を得ていただくように、援護の対策は対策としてやりながらも、そういうことでひとついきたいと考えております。  ただ、先生もおっしゃいましたように、今度インド等についてはこれで一応最後ということで御理解もいただきながらやったわけでございますが、したがってできるだけそれぞれの地区においては、ある一定のことでいろいろ対外的な問題等もありますので、やはりこのけりをつけるべきところはけりをつけていただくように御理解も得たい。しかし、最終的には遺族の御心情を考えまして、今後ともそれぞれ選定に当たって、あるいはそのやり方等についてできるだけの配慮をいたしていきたいと、かように考えております。
  164. 渡部通子

    ○渡部通子君 終わります。
  165. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 去る二月の十日、いま大臣おっしゃいましたインドのインパール、コヒマ地区の遺骨収集作業を終えて厚生省の遺骨収集団が帰国されました。その帰国されたとき、今度は初めて陸上自衛隊の中央音楽隊が出迎えて、追悼曲を奏でられた。新聞報道にも出ております。今回初めて自衛隊が出てきたというのはどういう理由でございますか。
  166. 河野義男

    政府委員河野義男君) 三十数年たちまして、ずっと遺骨収集を実施してまいりましたが、だんだん遺骨を迎える雰囲気と申しますか、私どもさびしく感じていたわけでございます。そこで、かねてから声なき英霊の帰国ということで、それにふさわしい形でお迎えしたいということは考えておりまして、その出迎えにつきまして奏楽のもとに遺骨をお迎えしたらどうかということを検討しておったわけでございます。この二月十日に最終回のインドの遺骨収集団が遺骨を持って帰ったわけでございますが、その際に、いま先生御指摘の陸上自衛隊の音楽隊の協力を得たわけでございます。  陸上自衛隊の音楽隊の協力を得たことにつきましては、陸上自衛隊を選んだのは、前から遺骨収集事業につきましては防衛庁の協力を得たことがあるわけでございます。たとえば、硫黄島あるいは沖繩などにつきましては、自衛隊機を使って自衛隊の基地から出る、そういった場合に、遺骨をお迎えする場合に栄誉礼でお迎えするということは何度かあるわけでございます。それからまた、遺骨収集自身につきましても、自衛隊の技術あるいは機器を使わなきゃできないというケースもございますし、また泰東丸の捜索につきましても自衛隊の新しいそういった技術の協力を得たわけで、そういった関係もございまして自衛隊の協力を得た。  それからまたもう一つ、そういう慰霊の式典におきまして音楽隊を使っているわけでございますが、これは千鳥ヶ淵の慰霊式、春五月にやるわけでございますが、これにつきましては警視庁の音楽隊、警視庁の音楽隊の都合がつかない場合に消防庁の音楽隊、それから八月十五日の追悼式には芸大にお願いしておる。いろいろ慰霊事業にはそういう音楽が非常にふさわしいわけでございまして、音楽隊の協力を得ておる。  それから、そういったことで、自衛隊につきましては音楽隊の編成が非常に多いわけでございます。したがいまして、こちらの遺骨をお迎えする時期、こちらの都合で決めますから、そういった場合に対応が非常に容易にできる。そういったことから自衛隊の音楽隊の協力を得たわけでございます。で、今後もお願いしたいというふうに考えております。
  167. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 大臣にお伺いしたいのですけれども、いまいろいろ御答弁がありました。いまおっしゃったように、硫黄島の場合には海上自衛隊のお力を借りられた。いろいろ技術的な面でも自衛隊の力を借りるということを一つ理由にお挙げになって——これはそういうこともあろうかと思います。しかし、今度の場合にはそういう技術的な問題じゃなくて、さびしくてはいけない、少しでもお慰めしたいということで音楽を奏でるということでございますね。そうしたら、別に自衛隊の音楽隊でなくてもいいわけでしょう。自衛隊の音楽隊でなければならないというのは、編成が多いから融通がききやすいというようなことでしかないわけですね。そうすると、いままで先ほどおっしゃったような千鳥ヶ淵の場合だとか、それから八月の慰霊祭の場合には、警視庁とか芸大の音楽部が出ているということなんですね。そうすると、いままで全然やっていなかったのを初めて自衛隊が堂々と表に出てきて慰霊の曲を弾くというようなことは、単なるそういう問題ではなくて、何かそこに自衛隊をこの際目の目を見せようという一物が隠されているというふうに見られてもしょうがないんじゃないか。新聞でも「遺骨に異例の出迎え」と、こういうふうに出ておりますね。音楽が必要だったら自衛隊でなくたってほかでも間に合う。いままでやってなかった。なぜ自衛隊をこの際出さなければならないのですか。その辺もうちょっとはっきりさせてください。
  168. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 私はちっともこだわっていないのです、そんなことに。かえってこだわる方が私はむしろおかしいのじゃないかと思うぐらいでございまして、先生、自衛隊だからといって拒否をされるようなお話でございますけれども、やはり御遺族の方の心中を思いますと、できるだけ荘重な、しかも行き届いた出迎えの仕方を考えた方がいいと思いまして、それには最もふさわしいと考えただけでございますので、それ以外のおっしゃったような自衛隊を前面に出したいとか、そういうことでは毛頭ございませんで、むしろ御遺族の方のことを思ってやった措置でございますから、ぜひ御了承を願いたいと思いますし、これからも一番訓練の行き届いた、しかも遺族の心情から思いますと、最もふさわしい出迎えの方式じゃないかと思いますので、全く他の問題とは切り離してお考えをいただきたいと思います。
  169. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 自衛隊にこだわる方がおかしいというふうにおっしゃったけれども、やっぱり自民党でいらっしゃるし、大臣としてやっぱり感覚がちょっと麻痺しちゃっているからおかしくないというふうに思われるわけですよ。いまやっぱり最近の動きを見ましても、この間尖閣列島で中曽根さんが交戦権を持たなければいけないのだ、憲法改悪する必要があるというふうに言い出しましたし、またこの自衛隊の位置づけについては憲法学者のほとんどが、これは憲法違反だというふうに言われている。時間がないから詳しく言いませんけれども、いまの日本の進んでいる情勢から考えますと、この自衛隊というものが非常に問題の中心になってきているという中で、あえてこの自衛隊を出したということは、私は厚生省としてはまことに行き過ぎではないかというふうに考えます。大臣はそうじゃないというふうにおっしゃるけれども一般的に考えて、いまの情勢から自衛隊を初めて異例なこととしてお出しになったというのはひとつ問題だ。節度を持って考えていただきたい、私はこれをお願いしたいと思うんです。  そこでお伺いしますけれども、それじゃ自衛隊を出した方が御遺族の意思にも沿うということをおっしゃいましたけれども、これは御遺族の方の要請というのが具体的にどこから出ていたか、お伺いしたいと思います。
  170. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) そういう、あえて自衛隊の音楽隊にお願いをしたというふうにお受け取りになっておられますが、私どもはあえてお願いをしたんじゃございませんで、遺族方々がもし、いや自衛隊は困るとおっしゃれば、私ども遺族方々の心情を中心にしてやりますので、これは一つもこだわっておりません。  ただ、あの際は、先ほど局長が言いましたように、従来から遺族関係者方々の方で、もう少し声なき帰国にふさわしいような出迎えのことをというお話もございましたものですから、しかも、たとえば千鳥ケ淵の慰霊祭とかそういうものは相当前からもう準備をして、予定が立つことでもございますけれども、遺骨のお帰り、一応予定は立ちますけれども、場合によって、飛行機の時間等いろいろ狂うこともございますので、先ほど言った、五編成を持っておる、一協力を得やすい側のことも十分私どもとして考えたわけでございますし、余りどうぞこだわらないでいただきまして、できるだけ協力を得る方々の方の御都合と遺族の御心情を考えて決めさしていただきたいと思うんでございます。
  171. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 日本遺族会からは特に出てませんね、要請としては。そうすると、遺族からの御要望とおっしゃっても、具体的には出てない。遺族の心情を考えてというふうにおっしゃったけれども、それは大臣遺族の心情を考えてのことなわけですよね。つまり、遺族の中にもいろいろいるわけです。また後で時間があったら問題にいたしますけれども、たとえば遺族の中には、亡くなってそして遺骨になって帰るというのは、まさに軍国主義の犠牲になって帰ってきた方たちですよ。その軍国主義の犠牲になって帰ってきた遺骨がまた、私に言わせれば、軍国主義の亡霊をしょっている自衛隊に迎えられたら、これ浮かばれる瀬ないですよね。だから、遺族という言葉で簡単におっしゃったけれども、そういう遺族ばかりではなくて、たくさんの人たちが本当に遺族の心情を思ってくださるなら、自衛隊なんていう亡霊を持ったものを連れてくるんじゃなくて、文化的な芸大の学生さんたちに来てもらってやるというふうな方が平和的でいいんじゃないか、そう思うわけです。  そこで、大臣、いまこだわらないとおっしゃいましたけれども、こだわらないということになれば、これを出発点として、どんどん出すということは考えていないというふうに受け取ってよろしゅうございますね。
  172. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) あくまでも遺族方々の御心情を中心にしてやりたいと思いますから、あれは非常に悪かったから、先生のおっしゃるような感覚の遺族の方が多くて、何か軍国主義の亡霊だからあんなのは要らぬ、 こういう声があれば、これはもう当然やめなければいかぬ。私ども遺族の御心情を考えて、それを第一と考えてやっているわけでございますので。ただ、いままでは出迎えに参りましたときにそういうような声が非常に強くて、援護局の方でも、そういうような御要望等の多いことを踏まえてやっておるものでございますから、この点はちょっと認識の相違かもしれませんけれども、御理解をいただきたいわけでございます。
  173. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 御理解ができないんですよ。  そこで申し上げますけれども、いま大臣遺族の心情を考えてと、遺族の心情と、遺族の方に問題をお投げになったわけですけれども大臣として、先ほど私が言ったように、自衛隊の問題については国論が分かれる問題であるというような問題に、あえて厚生省が防衛庁のお先棒を担いで、そして初めて異例のこととして出すというようなことは、これは遺族の問題じゃなくて、憲法を守る義務のある国務大臣としての立場で好ましいとお考えになるかどうか、大臣としての御見解を伺いたい。
  174. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 私は、実は防衛庁のお先棒を担いだんじゃないんです。私の方が防衛庁にお願いしたんです。これは、防衛庁が私どもに協力をいたしたわけでございまして、私は一つもおかしいと思っておりませんし、むしろ私個人から言えば、自衛隊の軍楽隊、音楽隊が、遺骨のお出迎えに当たって荘重な奏楽をもってお迎えするということはちっともおかしくない、むしろ私は大変ありがたいことじゃないかと思っております。私自身も身内にそういういろいろなものを持っております心情から見ましても、大変ありがたいんじゃないかと思うんでございまして、また、自衛隊そのものが私は軍国主義の亡霊だとも思っておりません。これは全く認識が違うわけでございますので、御理解をいただきたい。
  175. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 そういうお考えであれば、これから幾ら質問しても平行線になるから、時間がもったいないからやめますけれども、やっぱり私が言ったような立場でいまの情勢を心配して自衛隊に対しても考えているというような大きな国論が分かれているという問題については、大臣も認識をする必要があるというふうに私は考えますので、その点だけを指摘して次の問題に移っていきたいと思います。  次は、具体的に援護局の調査課の廃止というような問題、具体的に出ております。昨年十一月の行政改革の閣議決定ということで、課官廃止について厚生省では三つが対象となり、五十三年度には官房統計調査官と調査課を廃止するということになったと伺ったわけなんでございますけれども調査課を廃止するというその大きな理由は何でございますか。
  176. 河野義男

    政府委員河野義男君) 調査課の廃止につきましては、まずいま先生がおっしゃったように、行政改革の一環として援護局の一課である調査課を削減する、こういうことでございます。調査課を選んだ理由でございますが、それぞれの課のいろいろな業務全体を見まして、援護局自身がその行政の性格上だんだん業務量が減少している、こういうことは否定できないと思います。過去にも、それに応じまして機構の簡素化、合理化を実施してまいったわけでございます。調査課につきましても、先ほど申しましたような未帰還調査とかあるいは軍歴証明とか、そういった仕事をやっておりますが、最近の傾向としまして、まあ軍歴証明は若干いま現在一部ふえておりますけれども、全体の傾向を見ますと業務量が減少しているということで調査課を廃止する予定にしておるわけでございます。
  177. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 廃止するということで業務の内容はどういうふうに変わってまいりますか。そして、人員はどういうふうに減りますか。
  178. 河野義男

    政府委員河野義男君) 廃止後の調査課の業務をどう配分するかということは、現在詰めております。また、調査課を廃止いたしましても、その業務をやめるわけではございませんし、その業務についている職員の定員を、廃止することに伴って減員するということも考えておりません。現在、どういうふうに業務を配分することがより効率的であるか、あるいは責任体制から考えて好ましいかというような観点から詰めておるわけでございます。
  179. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 具体的にどういうふうに配分していくか、併合してどこかの課につけるのか、業務を分担してどういうふうに分けるかというのは、もう少し詰まっているんじゃないですか。
  180. 河野義男

    政府委員河野義男君) 配分の仕方はいろいろあると思いますが、たとえば軍歴証明等につきましては、現在、海軍につきましては業務二課でやっております。それから陸軍につきましては調査課でやっておりますが、陸軍につきまして恩給進達事務などは業務第一課でやっておりますので、それとの業務の非常に密接な関連性を考えた場合に、そこで一括処理するということも考えられますし、また遺骨収集等の関連で遺品等の処理は庶務課になっておりますが、そういったものも一つの方法として同じところで処理するというようなことも考えられますし、そういったどうすればより効率的であるかという観点から、それぞれの業務をどういうふうに配分するかということでいま目下詰めておるわけでございます。
  181. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 たとえば組織令ですか、厚生省組織令六十七条の「調査課においては、次の事務をつかさどる。」、ここのところの一項で言っているところを庶務課に移す、二項で言っているところは業務課に移すというふうにちょっといろいろな問題が出ているんですけれども、いまのお話ですと、どこにどういうふうに分けてするかということはまだ決まってないというふうに受け取っていいわけですか。もし、いまはっきりどういうふうに分けていくんだということになれば、一体いつごろまでに詰めて結論をお出しになるのかお伺いしたいと思います。
  182. 河野義男

    政府委員河野義男君) まだ事務の配分につきまして最終的な決定はいたしておりません。調査課の廃止につきましては年度半ばを予定されておりますので、できるだけ早い時期に結論を出したい、かように考えております。
  183. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 できるだけ早い時期というのは大体どれくらいのめどでございますか。
  184. 河野義男

    政府委員河野義男君) できれば今月中、あるいは来月にかかるか、その辺をめどにしております。
  185. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 そういたしますと、仕事はどういうふうに分けるかは遅くとも来月初めごろには出す、人数も減らさないということになれば、そうしたら行政改革の趣旨に沿ってどういう効果があるんですか。まあ課長さんは減りますわね、調査課がなくなれば。課長さん減るだけで仕事は同じ、人数も同じ、配分する、どこかにつけるということだけになるわけですね。
  186. 河野義男

    政府委員河野義男君) 御指摘のように管理職のポストは一つ減りますし、それから機構が非常に簡素化されるということもございますが、それからたとえばそれぞれ課がありますと、庶務とか会計というのはみんなくっついておりますが、そういうものが統合されまして、それから出てきた余力が他のサービスに振り向けられる、そういったメリットもあるわけでございます。  それから、御指摘の人員が減らなければ行政改革にならないじゃないかという御意見もございますが、行政改革につきましては、一つは機構を簡素化するということと、それから定員を減す減員計画、両方並行してやっておるわけでございまして、調査課を廃止することに伴いまして定員を減す、減員するということはございませんけれども援護局全体としまして計画的な減員は並行して進めておる、こういうことでございます。
  187. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 私もいろいろ伺いまして、何のためにこれ廃止するのかなということをちょっと疑問に思ったわけなんです。これからどういうふうに分けていくかということで仕事やりやすくする、能率的にするというようなこともまだ決まってないわけですよね。決まってない中で決まっているのは課長一人減るだけだと。たまたま「厚生福祉」、自治通信社から出しているものの一月十八日ですが、「X線室」という小さい囲みなんですけれども、ここでも人事課長さんがこう言っているんですよ。「だからといって仕事が減るわけでも課員全部を減らすことになるのでもないんですよ。形の上でなくすだけで実質は変わらない。意味があるんでしょうかね」と担当の課長さんが言っていらっしゃるんだもの、私たちにとったら意味全然ないというふうに考えられるというのが一つのこの問題点だ。結果的には何だと言うと、閣議決定で行政改革やれと言われたからやるんだという逆立ちの行政改革のやり方になっているんではないか、そういうふうに言わざるを得ないと思うわけです。  そこで、それじゃ具体的にお伺いいたしますけれども、そうやれば仕事は大変能率的になると。先ほど援護関係の仕事が大体少なくなっていくというふうにおっしゃいましたけれども、具体的に伺いたいんですけれども、厚生年金や共済年令で軍歴証明というようなものを出さなければならない、これは大変繁雑な仕事だと思うんですけれども、この軍歴証明の総対象件数どれくらいと見ていらっしゃいますか。
  188. 河野義男

    政府委員河野義男君) 厚生年金関係の軍に関係する医療共済の軍歴は、最近の傾向を見ますと若干ふえております。五十年は四千三百四十件、それから五十一年は五千八百六件、五十二年は七千八百六件と、こういうふうに増加しております。
  189. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 私が伺ったのは、必要な軍歴証明を出さなきゃならない総対象はどれくらいだと、これをお聞きしたわけです。時間がないから、私の方でちょっと聞いてみましたら約五十一万件になるだろうと、対象全体にすれば。そのうちで処理済みが約九万件ある、残りが四十二万件、対象全体とすれば。そういう中で照会を受けて仕事をしなければならないというのが幾らかということでお伺いしましたら、いまおっしゃったような数が出てくるわけでございますね。これはいまのお答えでもふえていますね、年々。だから、仕事が減っていくというのではなくて、この仕事はふえていくというふうに考えなければならないと思うわけでございます。それはそのとおりだと思います。で、年金改正昭和十七年六月から二十年八月の間に旧令共済期間が通算されることによって、大幅に社会保険庁から照会というのがふえておる、これも事実だと思います。これで大変仕事がふえて、これは資料第二係というのが担当しているんですか、ここで大変時間がかかる、人手が足りない、春夏には二人のアルバイトを雇っているというふうにも聞いている。そうすると、仕事量はどんどんこの年金改正で軍暦必要になってくる、いろいろな問題で仕事がふえているということがここで一つ確認されたわけですが、じゃ次に今度は未帰還者の調査というようなことも問題になると思うんですけれども、未帰還者の調査では大体年を追って五十年からどれくらいになっていますか。減っていますかふえていますか。
  190. 河野義男

    政府委員河野義男君) 未帰還者につきましては、ちょっと先ほども申し上げましたが、二千百五十一件、当初予定しておりましたのは二千二百二件というようなこともございまして、傾向としては減少の傾向をたどっております。それ以外も、いろいろその業務量についての指標があるわけでございますが、いまの軍歴証明以外の事務につきましては大体下降傾向をとっております。
  191. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 それからまた、中国などの孤児調査というような問題がございます。これもだんだんふえてくると思います。それから、朝鮮民主主義人民共和国の関係が将来正常化した場合、これまたふえてくると思うんですけれども、どういうふうに見通されていますか。
  192. 河野義男

    政府委員河野義男君) 中国孤児の調査でございますが、これは日中国交回復されましてこの問題が取り上げられたわけでございますが、まあ傾向としましてだんだん減少しております。  それから、北朝鮮問題でございますが、これも現在日赤ルートを通して引き揚げ未帰還者の問題を処理しておりますが、これはまあ対象がわずかでございまして、それほどそれによって人をどうこうするというような要因には将来ならぬだろうというふうに思っております。
  193. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 だんだん減っていくと、将来的には。減っていくのは、それはそうなっていくかもしれませんけれども、現実に、先ほど言ったように、仕事が大変でアルバイトを雇わなければならない。援護局全体で見ても正規職員三百十一名、定員外職員四十六名が毎日働いて、学生アルバイトを大量に使用しなければならない。調査課だけで見ても、さっき言ったみたいに定員外の、正規の職員でしなければならないのに定員外の人も頼まなければならないというような状態に現在は置かれているということになるわけですよね。そうすると、あっちこっちに機構的に分散して能率を上げたいというふうにお思いになっていらっしゃるけれども、それが果たして本当に能率が上がって機構改革になるということの保証があるかどうかというのが一つの心配でございますね。  そこで、お伺いしたいんですけれども、私たち国民の立場から見れば、国民へのサービスとしてそういう問題を早く解決もしてもらいたいし、というようなことが考えられるわけですけれども、現場に働いている人たち考え方というものは一体どういうふうに考えられているのか、その辺のところは、お話し合いなすってどういうふうにお考えになりましたか。
  194. 河野義男

    政府委員河野義男君) この問題につきまして、現場の意向というのは、一つの見方としまして労働組合の機関紙等にも出ておりますが、基本的には援護行政の特殊性から機構の簡素化、縮小ということは避けられないというような認識はしておるわけでございますが、具体的に調査課の業務量、先生いま取り上げて御指摘になりましたけれども、これは一つの見方でございまして、私ども軍歴証明などについては、厚生年金受給者がふえている段階で、それに対応して若干ふえるということは当然予想しておるわけでございますが、その他の事務につきましては総体として減少しておりまして、全体としては減少傾向にあるというふうにわれわれは認識しておるわけでございまして、それからまた、そういったことから、この際調査課の廃止をして、その結果事務を再配分する、ただし、それによって業務に支障を来さないように慎重にいま配分の方法その他検討しておるわけでございます。  それからまた、調査課をなくした場合に支障なくできるかどうかということについての保証の問題もございますが、援護局自身が引揚援護院それから外局引揚援護庁、援護局というようにだんだんその事業に見合って機構も改編してまいっておりますが、調査課も従来、かつては調査部であったわけでございます。それが課になって、その間若干の変動がありまして現在に来ておりまして、それ以外の機構の改編もありましたけれども、全体で見まして支障なく業務をやってきているという過去の実績がございますので、調査課を廃止することによって国民サービスと申しますか、援護行政に支障を来すことのないように十分留意してやっていきたいと、かように考えております。
  195. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 支障を来さないようにやっていきたいとおっしゃいましたけれども、もう一つの観点からお伺いしたいんですけれども、旧令共済期間証明の事務処理でございますね、この旧令共済期間の証明に対する照会から回答までの所要時間どれくらいかかっているかという資料を、組合の方からお出しになっているので私見ました。これ見ましてびっくりしましたけれども、照会から回答まで六カ月から七カ月かかるというのが二三・六%です。それ以上一年かかるというようなものも含めますと三三・四%、つまり三分の一以上が六カ月以上、半年以上かかっているということですよね。そうしますと、口ではサービスというふうに、やっていきたいとおっしゃったけれども、やっぱりここに事務人員の不足、この仕事に対しては不足だというふうに言わざるを得ないと思うんですけれども、それは当然仕事の手が足りなかったからこうなったんでしょうね。
  196. 河野義男

    政府委員河野義男君) 個々のケースについての処理でございますが、その処理に要する期間は、いろいろ原因によりまして長くかかるのもありますし、あるいはすぐ調整できるものもございますし、一概にそれをどうこうと言うわけにはいかないと思います。  それから、これらの事務処理について、現在の人員では無理だとか、あるいは十分であるとか、私ども管理者側としまして、常時そういう状況を把握いたしまして、そういう支障のないようにしてまいっているわけでございます。
  197. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 時間がなくて十分に詰めていけないんですけど、きょう、ざっと聞いた中でも、全体としては仕事減っていくんだとおっしゃったけれども、具体的にこういう仕事ではどうですかということになれば、相当繁雑な仕事で時間もかかっていて人手が足りないという結論が出てきていると思うんですよ。だから、そういう結論から言えば、やっぱりこれは上から言われたからやるんだというのではなくて、国民へのサービスを考えて、そして働く人たち気持ちよく働けるような、そういう立場に立って、もう一度私は御検討いただきたいと、こう思います。いかがですか、一言。あともう一つ聞かなきゃならないから。検討していただけますか。
  198. 河野義男

    政府委員河野義男君) 職員が気持ちよく能率的に働ける状況を常に維持しなきゃならぬというふうに私ども考えております。そういったことは常時気をつけてまいりたいと思っております。
  199. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 それでは最後に、泰東丸の捜索についてお伺いしたいんですけれども、終戦直後、北海道の留萌沖で沈んだと見られる泰東丸の捜索、昨年行われたんですけれども、その船は沈んでいるはずなんだけれども確認されなかったわけですよね。  そこで、もう一括伺いますけれども、この確認されなかった同船の発見について可能性があるというふうに思っていらっしゃるか、もうこれはだめなんだというふうに思っていらっしゃるか。だめだとなれば、これ打ち切るというふうに考えていらっしゃるのかというのがお伺いしたいことです。  昨年、捜索が打ち切られてから、沿岸の各自治体からの再捜索の陳情書が、きょう手元に急いで持ってきただけでも、増毛町、初山別村、羽幌町、苫前町、遠別町、小平、幌延、天塩というようなところから出ているわけなんです。先ほどから同僚議員がるる言われましたけれども、やっぱり遺家族にしてみれば、何とかしてこれを捜索してもらいたい。これは直接、戦争の戦闘員ではありませんけれども、これ引き揚げてくるときに自分たちが勝手に民間の船を雇って引き揚げてきたというのではなくて、樺太守備軍、行政庁長官の行政命令でこの船に乗りなさい、小笠原丸、第二新興丸、泰東丸というのに乗りなさいと言われて帰ってきたわけです。それがいまだに手がかりがつかめないということでございますから、遺族にしてみれば本当に耐えがたい悲しみだと思う。そういう要求もそれこそ——大臣も聞いてください。それこそ遺族の——さっきのは私は認めないけれども、これは本当に遺族の——町議会も決議して、ぜひ捜索を再開して引き揚げてやってもらいたいということの強い要望でございますので、ぜひそれをお願いしたいと思います。  作業再開の上での困難点というのが、どういうふうなところに困難点があるのか、それを乗り越えても、ぜひ政府は再び調査して捜索に乗り出してほしいという要求、私もそれを要求したいと思いますけれども、その点についての御努力をまたことしもやっていただきたいと思いますが、その御見解を伺って終わりたいと思います。いかがでございますか。
  200. 河野義男

    政府委員河野義男君) 御指摘の留萌沖の泰東丸らしい沈船につきまして、昨年七月二十五日から八月二日まで、船名の確認とそれから中の遺骨の収集を実施したわけでございますけれども、残念ながら泰東丸という船名の確認はできませんでした。また、遺骨の収集もできなかったわけでございます。そこで遺族関係者の御参列を得まして、追悼式をやりまして一応その事業を終わったわけでございます。その後もいろいろ検討いたしましたけれども、その沈船が泰東丸であるという公算は非常に薄くなったわけでございます。しかしながら、今後の泰東丸、痛ましい人たちの遺骨が眠っているわけでございますから、それの今後の捜索につきましては、御承知のように北海道の海は気象条件が非常に厳しい、しかもまた非常に広い海域でやらなきゃならぬ。それからまたサルベージで人がもぐって捜すわけでございますので、深さについての一定の制約があるわけでございます。今後どうするかということでございますが、今後泰東丸につきまして非常に確度の高い情報があり、かつ、いろんな気象とかその場所の深さ、そういったことについて実行可能な情報がない限り、泰東丸の調査をまたやるかどうかということはいま決めかねるわけでございますが、現在の状況では泰東丸、そういう情報もございませんし、それから気象条件も先ほど申しましたような状況でございますので、泰東丸についての調査実施は現在は考えておりません。
  201. 柄谷道一

    柄谷道一君 戦傷病者戦没者遺族等援護法改正につきましては、私は昭和五十年三月二十五日と五十二年五月十九日の二回にわたり質問をいたしております。その際、いろいろ改善策を政府に求めてきたわけでございますが、今回の改正で各種年金、手当、給付の改善とあわせて、その際指摘した満州青年移民に対し今回新たに障害年金遺族給与金等を支給するようになったことにつきましては、率直に評価したいと思います。しかし、その際指摘したところでありますが、第二次世界大戦中戦地で軍人同様の惨状を体験しながら、戦後何らの救済措置が差し伸べられていなかった元従軍看護婦に対する国家補償につきましては、五十三年度予算で見送られたということはきわめて遺憾に存じます。そこで、ただいままで二人の方の御質問がございましたので簡単に再確認をさしていただきます。  まず、総理府にお伺いします。五十四年度予算で補償措置をとるよう努力する、その方法などを含め概算要求を行うときまでに決着をつけたいと、これが総理府の意向であると確認してよろしゅうございますか。
  202. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) 何分にも予算措置を伴う問題でございますので、来年度の概算要求時期までに固まった案をつくる予定でございます。
  203. 柄谷道一

    柄谷道一君 さらに、これまた質問で触れられたところでございますが、新聞紙上に報道されておる長期勤務者には国債による特別給付金または特別年金を支払う、中、短期の勤務者には一時金を支給する、対象者は外地で抑留期間を含み三年以上勤務した者とする、支給開始は五十四年度とする、この新聞報道につきましては、ただいままでの答弁によりますと最終決定でもなく、かつ大蔵省との間に煮詰めたものでもない、このような御答弁でございますが、しかし総理府としてそういう方向をたどりたいという意思は内部において確認されていると、こう理解してよろしゅうございますか。
  204. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) 新聞等でいろいろ報道されておりますけれども、具体的な方針を決定したわけではございません。具体的なことはこれからの検討課題でございまして、いまから、いままでいろいろ調べてまいりましたデータに基づきましてさらに研究、検討を加え、関係機関とも御相談しながら、問題点を一つ一つ煮詰めてまいりたいというふうに考えております。
  205. 柄谷道一

    柄谷道一君 すると、これは全く新聞は誤報なんですか。総理府として、これから詰めていかなければならないけれども、総理府としてはこういう方向をたどりたいということではないんでしょうか。
  206. 藤井良二

    説明員(藤井良二君) いま申し上げましたように、総理府としての方針を決定したわけではございません。ただ、新聞報道にあるようなことを検討していなかったかと言われれば、ある程度は検討しております。しかし、それはあくまでも検討の過程にそういう問題が提起されたというだけであって、方針を決定しているわけじゃございません。
  207. 柄谷道一

    柄谷道一君 厚生大臣に今度は御確認申し上げたいと思うんですが、いま決定はされていないということですが、いま新聞紙上に報道されているようなことが仮に実現したとしても、日赤調査によりますと、外地勤務従軍看護婦一万三千五百人のうち、今回のその対象になるのは三〇%前後であろうと、こういう報道もされているわけでございます。私はこの新聞報道だけでもまだ十分であるとは考えません。  そこで、大臣にお伺いしたいんですが、稻村総務長官と十分協議をして、何らかの国家補償が行われるように厚生大臣としても最善の努力をしたいと、こういう御意思であると確認してよろしゅうございますか。
  208. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) この問題は、援護法の問題ではないんですね。したがって、厚生大臣の守備範囲ではないんです。しかし、およそ看護婦さんというのは病人に対する看護業務に従事する方ですから、看護婦さんの身分ということから言いますと、厚生省の非常に大事な医療関係者の一人でございますから、そういう意味で、私は非常に応援団長のようにでもなって、大いに問題の処理について努力いたしますと申し上げたことがあるわけでございまして、私個人、稻村長官に私がサゼッションをしているとすれば、例の勅令の赤十字社令、これによって赤紙召集を受けられた方が従軍看護婦さんであるわけですね。各都道府県支部が通知を出しまして、全く赤い召集令状みたいなものでございますが、その辺のところを考えて、しかも赤十字社令というものの性格をよく検討をしていきますと、何らか国家権力の特別権力関係に持っていく方法論を見出だし得るんではないかなあという、私の個人的な見解を彼にはいろいろ言ってあります。しかし問題は、そういうことになりますと、ずばり恩給にはなかなかいかぬけれども、何らかの措置をしなければいかぬというので、いま総理府の方で協議会を設けて検討をいろいろされているわけでございます。そうなりますと、当然これはやっぱり軍との特別なあるいは国家との特別なそういう関係というものを考えて、恩給に準ずる何らかの措置をするとすれば、当然雇用人の問題にまでいろいろ配慮していかないと、その辺の割り切り方をどこでするのか、雇用人はいまそういう処遇を受けておりませんから。その辺のところを考えますと雇用人の数はもう相当の数になりますから、ただ従軍看護婦さんだけの数で約一万数千人のうちの三割だとか四割だとかいうだけで、総理府としてはなかなかそれだけで割り切って検討できないいろんな問題点があると思うんですね。私、これはまあ個人的な、厚生大臣ではなくて個人的な見解でございますけれども、そうなりますから非常に取り扱いに苦慮をされているし、またいろんな角度から検討していかれなければならぬのではないかと思うんです。したがって、従軍看護婦さんの問題は私どもも十分関心がありますし、また何らかの処遇をお願いしたいと思う立場でございますが、そういう点を考えますと、どこであるいは線が引けるのか引けないのか、その場合どういう一体処遇になったらいいのか、均衡の問題、整合性の問題等も含めまして、問題点がありますので、われわれもできるだけお知恵をお上げして、出しまして、そしていま御質問がありましたような態度でまいります。
  209. 柄谷道一

    柄谷道一君 厚生省、第三者として傍観するという姿勢ではなくて、ぜひ総理府と同じ立場に立ってこの問題を前向きに解決されるような御努力をぜひ願っておきたい。  それから、五十二年五月十九日の本法改正に対する附帯決議の第七項で、戦傷病者相談員、戦没者遺族相談員に対する処遇改善ということがうたわれているわけでございます。ところが予算案を見ますと、年額千円のアップにとどまっているわけですね。私は同じ非常勤である相談員の中で、家庭相談員、婦人相談員、母子相談員は月額万三千五百円、これが新予算ですね。ところが、この戦傷病者もしくは遺族の相談員は年額一万三千円、余りにも金額の格差が大きいのではないかと思うし、また千円のアップというのは前回の附帯決議が本当に実ったというふうにも評価できないわけでございます。一体、他の相談員に比べてそんなにこれは暇な閑職であるのかどうか、この点も含めて今度は予算決まっておりますから何ともいたし方ございませんけれども、来年度さらにこの問題は再考慮する必要があるんではないかと、こう思うんですが、いかがでしょう。
  210. 河野義男

    政府委員河野義男君) 援護法関係の相談員につきましては、民間の篤志家としまして、この法律による援護の内容の周知徹底、その他制度の円滑な運営につきまして大変な寄与をしていただいておるわけでございまして、その報酬がいまほかの母子相談員とかに比べて少ないという点は御指摘のとおりでございますけれども、まあこの報酬で全部活動にお報いしているというふうには考えていないわけでございまして、あくまで民間の篤志家として援護法のいろんな相談業務を担当していただく、こういうことでございまして、五十三年度におきましては千円のアップがございますが、今後も適正な報酬あるいは制度改善については努力をしていきたいと思います。一それから、いま御指摘の、処理件数はどのぐらいかという話がございましたが、一ヵ月一人の取り扱い件数戦傷病者相談員は九・四件でございます。それから戦没者関係の相談員は四・七件というような状況でございます。また、そのほかのこの種の相談員、身体障害者相談員あるいは精神薄弱者相談員、大体こういうところは横並びになっております。
  211. 柄谷道一

    柄谷道一君 これは大臣、ぜひ御検討願いたいのですね。私は多少の差があるということはわかりますけれども、大体七十分の一ですよ、ほかの相談員に比べましてですね。本当に、これ遺族及び戦傷病者に親身になって相談に当たっていかれる方々でございますから、月額千円程度の手当てというのは、本人のボランタリー精神に頼るとしても、いささか報いるに対しては薄いものではないかと、こう思いますので、これは時間の関係がございますから、ひとつ大臣の明年度に対するせっかくの御検討を強く要望いたしておきたいと、こう思います。よろしゅうございますか。
  212. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 他の均衡等、十分私はもう一遍勉強してみまして、矛盾があれば当然直していくように努力いたします。
  213. 柄谷道一

    柄谷道一君 これも先ほどの質問には触れられておるわけでございますが、附帯決議の中で、遺族老齢化現状にかんがみて、手続の簡素化と一層の優遇措置をとれと、こういう附帯決議がつけられているわけでございます。父母は八十歳を超え、妻の場合でも平均六十四、五歳になっているのではないだろうか。金額の改善については今後とも引き続いて御検討願うとして、ここでひとつ時間の関係もありますから指摘しておきたいのは、傷病の公務性、それから遺族要件等が問題になりまして、裁定申請却下後異議申し立てが行われて、援護審査会で滞留しておる件数は二百ないし二百五十件ぐらいあると、こういうふうに聞いております。これは戦後三十数年を経まして、なかなかこの認定ということはむずかしい状態にあろうと、こう思うのです。とすれば、もう少しこの手続を簡素化して、迅速な処理を図っていく、それがこの老齢化した遺族なり戦傷病者の方方に対する心温かい国の施策ではないか、こう思うんでございます。いかがでしょうか。
  214. 河野義男

    政府委員河野義男君) いま、年金裁定につきましては、その公務性とかあるいは遺族要件があるかどうか、そういった点について立証しなきゃならぬわけでございます。立証資料に基づいて正しい認定をするわけでございますが、御指摘のように関係者は非常に老齢化しているし、こういう手続は大変むずかしいもんでございます。しかも、それを端的に立証する資料というのはなかなか得られないわけでございますので、当局のいろんな保管しておる資料がございます。そういったものも活用し、またこういうケースについてはこういう関係者の証言があればその公務性が立証できるとか、そういうことも私ども遺族関係者立場に立ちまして指導して、できるだけ早く、しかも容易に手続なりあるいは裁定ができるように努力しておるわけでございます。  それから、二百件ぐらい滞留しておりますが、いずれもむずかしいケースでございまして、異議申し立てが出まして、いろんな調査をしまして最終処理するまでに相当な期間を要するわけでございます。できるだけこの滞留がないようにしたいと、努力をしてまいりたいと思います。しかし、そういったことがある期間を要しますので、ある程度の滞留というのは避けられないと思います。
  215. 柄谷道一

    柄谷道一君 今回の改正によりまして、遺族年金の支給が現在三月、九月の二回であったのが、一、四、七、十の四回支払われることになった、これは一つの前進であろうと思います。衆議院審議の際、援護局長遺族年金を一番必要とするのは盆暮れだと思う、盆は七月に支払い期ができたのである程度解決されたが、十二月については盆以上に切実な要望があると思う。そのため受給者の請求があるときは、一カ月前の十二月においても支払うことができるように受給者の便宜を図ることとしたい、こういう答弁をされているわけです。ところが、この遺族というのは昔かたぎの人々なんですね。よほどのPRをしなければ、せっかくの厚生省の意図が十分に活用されないというおそれがあるんではないかと、こう思うわけです。具体的にどのような方法をとって遺族にこれを浸透しようとしておられるのか、簡潔にお答え願いたい。
  216. 河野義男

    政府委員河野義男君) 今回の年金の額の改定に伴いまして、遺族年金証書の改定をしなければならぬわけでございます。遺族年金、あるいは障害年金も含めてでございますが、年金証書の改定をして受給権者のところに送付するわけでございます。その機会に、今度こういうふうに暮れ払いにつきましては一月分の請求を暮れにすることができるというような趣旨のチラシを入れて、各受給者に周知徹底を図ろうと思います。それからまた、この年金の支払いの窓口は郵便局でございますので、郵便局にもそういったポスター等を利用しましてPRの徹底を期していきたい、かように考えております。
  217. 柄谷道一

    柄谷道一君 直接、援護法に関する質問は以上でございますが、私は以下、徴用によりサハリンいわゆる樺太に移住させられた元日本人である朝鮮人の方々の帰国について質問いたしたいと存じます。  まず、大臣にお伺いいたしますが、「忘却の海峡」という映画ごらんになりましたでしょうか。
  218. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) 残念ながら見ておりません。
  219. 柄谷道一

    柄谷道一君 この映画、いまパンフをお渡しいたしましたけれども、ある日本人ジャーナリストがたまたま韓国に渡って、戦争中日本政府によって強制徴用され、南樺太に連行された韓国人が多数帰国できないでいるという事実を知って、また、その留守家族がいまもなお夫や子の帰国を待ちわびているという様子や強制連行されたときの模様、さらに、当時樺太でこれらの労働者の監督をしていた日本人の証言などを取り入れた映画でございます。私は、日本人としては胸を締めつけられる思いなしには見ることができないものだと思います。これらの人々が日本政府によって強制的に連行された人々であるということを思えば、日本人はもっとこの帰還に対して道義的責任を持つべきではないだろうか。日本人というのは果たして自分の国民の幸福さえ確保できれば、外国人のことなどどうでもいいという利己的な国民なのだろうか、いや、そうではないんだ、日本の世論が起こらないというのは、多くの日本人がその事実を知らないからではないか、そういう考えに基づいて、国民世論を喚起するために同盟など多くの人々の浄財を集め、採算を度外視して中日ニュース映画社が自主制作したものであります。私は、ぜひ引き揚げ業務の責任者としての大臣がこの映画をひとつ見ていただくことを期待いたしますとともに、このサハリン問題に対する厚生大臣としての御所見をお伺いいたしたいと思います。
  220. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) これはもう道義上われわれが努力をするのは当然のことだと思いますので、外務大臣とも協議をいたしまして、できるだけこれからも強力に努力をしていきます。  ただ、非常に相手国の態度がかたくなである事実は認識をいたしておりますので、その意味では相当ねばり強い努力が必要ではないかというふうな考えを持っております。
  221. 柄谷道一

    柄谷道一君 民社党では、この問題を早くから取り上げておりまして、昭和四十七年七月十二日に衆議院の受田新吉議員が質問趣意書を提出いたしております。本院でも田渕議員が五十一年一月二十二日には決算委員会で、五十一年十月二十一日には外務委員会でこの問題を取り上げております。また、自民党も五十二年三月二十八日の予算委員会玉置和郎議員がこれを取り上げ、社会党も本年三月二日、衆議院内閣委員会で栂野議員が質問をいたしております。  これらの質疑応答の内容を見ますと、政府としては、ソ連に帰還希望者の実情調査を要請しているが、現在までのところ、その実態を把握するまでには至っていない。約四万人の人々がいると思われる。四十四年に韓国政府から約七千人を記載した帰還希望者名簿が提出されており、これによると、うち千五百人が日本への永住を希望している。最近でも五回ほどソ連に好意的配慮をするよう申し入れているが、進展をしていない、これが長い答弁を要約いたしますと、一貫した外務省の答弁であったと、こう思うのであります。  本日、外務委員会で再度外務省、法務省に対して田渕議員から質問をしておりますので、その重複を避けたいと思いますが、まず、外務省にお伺いいたします。  昭和四十八年の五月、日ソ赤十字会談でソ連総裁は、「日本政府が在樺太朝鮮人の自由意思を尊重して、日本移住を許可するか、母国への希望者には日本経由で帰国することを条件とするなら、ソ連赤十字は出国に協力する」との見解を示したと報道されております。  また、四十八年日ソ友好議員連盟が訪ソいたしましたときに、ソ連の外務省極東部の次長は、「ソ連はいつでも帰します、希望者がおれば無国籍であろうが、あるいは国籍を取っておろうが帰します。ただし、韓国とソ連とは国交がないから、直接韓国に帰すわけにはいかない。」しかし、日本に帰すのなら結構です。一たん日本に帰ってから韓国に行くかどうかは、その先のことはソ連の関知する問題ではありません。こう一団の一員として加わりました田渕議員に答えたと、こういうことを聞いております。ソ連の基本的、原則的な考え方は、もう昭和四十八年にすでに明らかであると言わなければならぬと思うのであります。その後、相当の期間が経過いたしておりますけれども、このような赤十字会談の経過、そうして、日ソ議員連盟に対して述べたソ連幹部の意向にかかわらず、なぜ外交交渉が進展をしないのか、お答えを願います。
  222. 佐藤嘉恭

    説明員(佐藤嘉恭君) お答え申し上げます。  私ども外務省といたしましても、この問題を非常に重要視いたしまして、先生いま御指摘ございましたけれども、累次にわたり外交折衝を続けてまいったのは事実でございます。ただいま先生御指摘のございましたソ連赤十字総裁の発言、あるいは田渕先生への日ソ友好議員連盟ソ連側からの御説明、そういったものについても承知しておるわけでございますが、その後私どもが持っておりますところの外相会談でございますとか、あるいは総理がソ連を訪れられましたときにやっております会談、それらにおきますところのソ連政府立場は、きわめて残念なことでございますけれども、いま先生から御披露のございましたソ連政府考え方と必ずしも一致していないわけでございます。最近では、本年の一月に園田外務大臣が訪ソをいたしましたときにも、この問題につきまして道義的な立場に立ち、かつ人道的な見地から、ソ連政府の好意的配慮を強く要請したわけでございますが、ソ連政府説明と申しますのは、北朝鮮との関係もございますのでしょうか、かなり厳しい、むずかしい回答であったというのが、きわめて残念でございますけれども、実情でございます。
  223. 柄谷道一

    柄谷道一君 体制の違う国でございますから、報道管制が行われて、日本及び韓国の実情が十分知らされていない。そのために帰国の意思表示をちゅうちょしている者も多いのではないかと、これは推測されるわけでございます。私は、折衝の第一段階として、日本から係管を派遣して、そしてその実情を調査すると同時に、その帰国の意思を日本係管が確認する、そういう第一段階を、まず対ソ交渉の中から実現する必要があるんではないかと、こう思うんですが、いかがでしょう。
  224. 佐藤嘉恭

    説明員(佐藤嘉恭君) 本件の解決につきましては、申し上げるまでもなく、朝鮮半島の御出身の方々がおられるサハリン、つまりソ連の主権下にございます地域でございますが、そういう事情にございますので、何分、ソ連側の協力を得ることなしには解決の道が開かれないということは、いまさら申し上げるまでもないわけですが、先生いま御指摘のございました係管を現場に派遣するといったようなことにつきましても、ソ連側の協力というものが先に立つわけでございます。これまでソ連側と折衝してきまして、ソ連側の厳しい態度という問題を評価しますと、なかなか実現しにくい御提案ではなかろうかと思うわけですが、私どもといたしましては、先ほど来申し上げましたけれども、何分、人道的立場に立ってソ連側をまず説得するということを突破口にいたすのが現実的なアプローチではなかろうかと、かように考えておるわけでございます。
  225. 柄谷道一

    柄谷道一君 さきの質問主意書に対する政府答弁書を見てみますと、日本は単に通過するのみで、全員韓国に引き揚げさせる。引き揚げに要する経費は一切韓国において負担するという、この二点を条件とする、こういう答弁書が出ておるわけでございます。私は、日本の持っている道義的責任というものを考えれば、この答弁書というのは余りにも血も涙もない内容ではないだろうか。その後、いろいろ、私が冒頭申し上げました委員会でこの問題が取り上げられて、法務省の入国管理局長は、人道問題という観点からこれは考えるべきであろう。したがって、四十七年七月十八日の答弁の中でそのようには言っておるけれども、必ずしもこれにこだわるものではない、こういう答弁をされ、法務大臣、当時稻葉さんでございましたが、同様の答弁をされております。ということは、これは法務省の所管ではございますけれども、直接タッチされているのは外務省でございますから、この四十七年の答弁書にかかわらず、人道的見地から、もし日本に永住したいという者があれば、その資格要件等、いろいろ問題はあるでしょうけれども、それを認めていくという方針とこれは理解してよろしゅうございますか。
  226. 佐藤嘉恭

    説明員(佐藤嘉恭君) 先生ただいま御指摘になりましたとおり、入国の手続の問題になりますと法務省所管ということになるわけでございますが、私ども外務省といたしましても、この問題の解決というのはやはり人道的、道義的立場に立って促進するということでなければならないというふうに考えておるわけでございます。したがいまして、関係省庁にもいろいろ御意見があろうかと思います。そういうものを十分承りまして、今後の促進に対処してまいりたいと、かように考えておるわけでございます。
  227. 柄谷道一

    柄谷道一君 厚生省にお伺いいたしますが、これから外交折衝が成立しなければ、何ともならぬわけでございますけれども、帰国希望の人々に対する受け入れ体制について、これは厚生省の所管になってくると思うわけです。どういうお考えをお持ちでしょうか。
  228. 河野義男

    政府委員河野義男君) 厚生省といたしましては、海外からの引き揚げにつきましては、現在までは邦人について援護対象としてきたわけでございます。外国人である韓国人を対象にするということは、今回初めてのことでございますが、御指摘のように、樺太に在住しております韓国人は、その樺太へ強制徴用されたような当時の事情などを考えまして、やはり人道的あるいは道義的な立場に立って引き揚げる場合の援護措置を検討していかなければならぬと、かように考えております。
  229. 柄谷道一

    柄谷道一君 そうすると、最後はこれからの問題でございますけれども、いわゆる日本人同様の取り扱いをする、こういう基本的考え方であると認識してよろしゅうございますか。
  230. 河野義男

    政府委員河野義男君) 援護措置の内容につきましては、これから詰めていくわけでございますけれども、どうするかという点については検討するわけでございますけれども、必要な援護考えていかなければならぬだろうということは当然でございます。
  231. 柄谷道一

    柄谷道一君 今日までの質問の中で、外務大臣は法務、厚生両省とも十分協議をしたいと、こう述べておられるわけでございます。今日までこの問題について外務省との間に協議を厚生省としては詰められたのでしょうか。  さらに、今後、この問題に対応するためには外務、法務、厚生の三省がいわゆるプロジェクトを組んだ一体的対策というものが必要ではないか、こう思うのでございますが、厚生省のお考えはいかがですか。
  232. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) いつでございましたか、私、ちょっと忘れましたが、閣議の前後だったと思います。外務大臣からこの問題についてのお話がありまして、それはぜひ三省協力してやりましょう、それで厚生省の方は援護についてのあれだからというので、それは道義上当然われわれとしても考えなければいかぬと思いますという返事をいたしました。その結果、たしか、この援護の受け入れ措置等につぎましたりあるいはその他の問題について、外務、厚生両省の事務当局で二回ばかり協議を行っていると思います。詳しいことは局長からお答えいたします。
  233. 河野義男

    政府委員河野義男君) 事務レベルにおきましては、いま大臣から申し上げましたように、外務省と厚生省で二度ばかり協議しております。  まず、両省とも、この問題は道義的、人道的な立場で対処すべきであるという点については意見が一致しておりますが、まだ具体的な措置あるいは方針等についてはまとまっておりませんが、今後とも関係省と十分連絡をとりまして対処していきたい、かように考えております。
  234. 柄谷道一

    柄谷道一君 私は、外務省が非常に困難な交渉をこれから行うに当たって、やはり、いま私が指摘指摘いたしました幾つかの問題、厚生省としてはこういう万全の受け入れ体制をするんだ、そして、一たん日本に帰られた方々の中で一定の資格条件を整え、日本永住を希望されている方々についてはその永住も認めようと、こういう三省間のやはり十分な受け入れ体制というものができて、こういう体制を整えているから、ひとつソ連も人道的考え方に立って配慮すべきだというものが私はなければならぬと、こう思うわけでございます。今日までの経過を見ておりますと、外務省だけが交渉いたしまして、それはもう決まってからの問題であるということで、法務省も厚生省も一歩後ろへ下がって成り行きを見守っているというのが両省の姿勢ではないかと、こう、はなはだ失礼でございますが、私は受け取らざるを得ないわけでございます。ぜひこの問題については、三省一致した一つの対策というものを早急にとっていただきたい。  最後に、私は大臣にお考えをお聞きしたいわけでございますが、私は、この問題は、いわゆる南樺太に強制徴用で日本政府が連れていったという経緯から考えれば、これはひとつ日本国としての道義的責任の問題でございます。  第二には、私はそれが非共産諸国であれ共産諸国であれ、戦争中連行された人々が、望郷の念にかられながら、帰国できないとするならば、これはイデオロギーを離れた人道問題であります。  第三には、この問題は、韓国やソ連という国家が絡んでいるだけに、慎重な配慮を要する問題ではございますけれども、北朝鮮国籍を取ったものは、帰国希望者の出国を許しているそうでありますけれども、韓国とソ連の両国間には国交関係がない。とすれば、私はそのような人々の帰国は結局、日本政府が外交ルートを通じてソ連に働きかけるしかない、こういう外交問題でもあろうと、こう思うのであります。現在、北方領土問題、漁業交渉など、政府としては頭の痛い対ソ関係の問題を抱えて、このような問題でソ連と交渉することについては気の進まない問題ではありましょうけれども、私は、以上申し上げました三つの視点からすれば、これは日本国政府として、外務省たると厚生省たると法務省たるとを問わず、日本国全体がこの問題に対してもっと目を注ぎ、そして粘り強い強力な折衝を行うべきではないかと、こう思うのであります。時間が参りましたので、国務大臣としてのひとつ所見をお伺いいたしまして、私の質問を終わります。
  235. 小沢辰男

    ○国務大臣(小沢辰男君) おっしゃるとおりだと思いますので、また方法論として、われわれの方の引き揚げ並びにこちらへ参りましたときの援護態勢が折衝に非常に役立つということになれば、これはもう非常に、私どもの内部でやれることでございますので、それらも早急に詰めまして、折衝の役に立つことならば、できるだけ早急にそういう態勢をとっていくような協議もいたしたいと思っております。私自身は外務大臣と完全に意見が一致しておりますので、日ソ両国はお互い、そういういろいろ領土問題等もございますが、こういうような問題を積み上げていくことによって、だんだん友好を深めていくという実も上がっていきます問題でございますので、最大の努力をいたしたいと思います。
  236. 柄谷道一

    柄谷道一君 終わります。
  237. 和田静夫

    委員長和田静夫君) 他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  238. 和田静夫

    委員長和田静夫君) 御異議ないと認めます。  本案に対し、片山君から委員長の手元に、自由民主党・自由国民会議、日本社会党、公明党、日本共産党、民社党、第二院クラブの共同提案による修正案が提出されております。修正案の内容はお手元に配付のとおりであります。この際、本修正案を議題といたします。  まず、片山君から修正案の趣旨説明を願います。片山君。
  239. 片山甚市

    ○片山甚市君 私は、各会派を代表いたしまして、ただいま議題となりました戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する修正案について、その趣旨を簡単に御説明申し上げます。  修正の要旨は、原案のうち、昭和五十三年四月一日施行となっております障害年金等の額の引き上げ及び戦没者父母等に対する特別給付金の再継続については、本年の四月一日がすでに経過しておりますので、これを公布の日と改め、昭和五十三年四月一日にさかのぼって適用しようとするものであります。  以上でありますが、委員各位の御賛同をお願い申し上げます。
  240. 和田静夫

    委員長和田静夫君) 本修正案に対し、質疑のある方は順次御発言を願います。——別に御発言もないようですから、修正案に対する質疑はないものと認めます。  本案の自後の審査は次回に譲ることとし、本日の審査はこれにてとどめます。  本日は、これにて散会いたします。    午後四時十六分散会      —————・—————