○片山甚市君 理解は全然しません。大体、天皇が
戦争やろうじゃないかと言って決めて、国民を一億一心火の玉だと連れて行っておいて、頼みもせぬ原爆が落ちてみたり、艦砲射撃がきたりしたやつが、戦場でなかったなどとぬかす人々の
気持ちがわからぬです、私は。わからないです。戦場だったんです。阿鼻叫喚なんです。それは、あなたたちはその中におらぬ、高いところで火の燃えぬようなところでゆっくりしておったんでしょうが、東京だって大阪だって神戸だって、先ほど数府県がというけれ
ども、このたくさんやられたところが今度
調査できなんだ。本当の話はわれわれに対する信用がないんです。人権を侵害するんじゃないか、そういうことをしたら差別に使われるんじゃないかなどということで、東京都を初めとしてこの
調査を賛成をしてくれなんだ。私賛成なんですよ、その
調査、本当は。
厚生省が出したのですけれ
ども、できなんだことは事実です。画竜点睛を欠くどころか、一番爆撃をよく受けたところが賛成をしてくれなんだと、こういうことになる。
戦争の犠性者はいろいろありますわ。そうですね、物のことを言えばいろいろありますが、人間の体のことは一番でないということはわかりました。福田赳夫という総理
大臣がいたそうですが、その方は、地球よりは人間の命が重いと、こんなことを本会議で言っておりましたね、本当ですか。本当なら、本当に
戦争でやけどになり、失明をし、何かしておるような者に対して、私は天皇が雇ったか雇わなかったか、役所の人間が判を押したか押さなかったかということでなくて、何とか痛みを感じてもらいたいと思う。私は具体的な
措置をしてくれなどと言っているのではないのです。あなたたちの人間らしい
気持ちで応じながらも、金がないと言うなら、いま何万名、何百万名おります、この人に、もしこんな
法律を
適用したら国の財政が成り立ちませんと。赤字公債を出してもどんどん景気回復でもしようかというような思い切りのいい国の大蔵省や皆さんが、こんな人に出す幾らの金か知らぬけれ
ども惜しいということわかりました。どけちというか、けちん坊というか、りんしょくというか、汚らしい言葉で言えばもうごりごり、ゴキブリみたいなものですよ。大体ですよ、こういう人々にちょっとでもしてみなさい、何と温かい国だろうと思うのです。そんなにたくさんおりませんよ。それは原爆の問題でも手当を出すときに途端に希望者がたくさん出たそうですが、また汚職まで出たそうですが、それは人間の世の中です、そういうことについては正常化する間はあるでしょうけれ
ども、私はそんな
援護局長みたいな——あなたは行政官だから、それはあたりまえだ、できませんと言っていいんですよ。しかし、
大臣は言えないんです、そんなことは。
法律つくる方ですから。あなたは守る方ですからね、余り
法律はみ出した
答弁するのはおかしいですから。解釈などではできません。これはいま国会で議論をしてもらいたいと思っていることは、残された問題として、人間として残っておるのは、やっぱり艦砲射撃だとか焼夷弾だとか、そんなものでやられた人間が幾らおるか調べた上で、この
人たちをどうするのかということについては、
社会労働委員会で言うのか、総理
大臣と言うのか知らぬけれ
ども、一度
考えてもらいたい。
考えてできなんだらよろしい。諸外国にもたくさん援助しなければならぬほど金が余って、百四十一億ドルもまた金ができて大変だと言っているのに、ついこの間まで金がないから日本の国はつぶれるというように宣伝をしょった。ですから、私は外貨があるからしなさい言っておるんじゃないですよ、誤解のないように。赤字公債出している国の財政ですから。財政の問題じゃなくて、私は精神的にその者については受けとめてもらいたい。これはごり押しをしておるんじゃないんです。
戦争の犠性者であっても、物はいいと言うんです、物はできるです。人間の体というもの、心というものは大変厳しいものだ。年老いてきたんです。あなたたちは年いきませんけれ
ども、
戦争犠性者は私らと同じで年いくんですよ。皆さんみたいに不老長寿、権力の座におる人は全然年いかぬけれ
ども、もう年々体弱ってきて、この間でも一人死に、二人死に死んでいくんです、おばあちゃん、おじいちゃんが。片山さん、いつか言いよったけれ
ども、何にもだめですね、国会などというのは。何とか、何か
一つでもいいから、一回の国会でちょびっとでもいいから何かしてくれないかというようなお手紙をもらったり、動けぬ人がいざりのようなかっこう——いざりという言葉はいかぬ、歩行困難のままでやってきて語られると、私みたいなもうざっとした人間はほろっとしてしまって、やっぱり栄耀栄華する、フランス料理を食べる、何々料理を食べる、金ももう余るというような食事もあると思えば、こういうようにして、
戦争の後の悲しみをまだ毎日悲しみつつなめておるのが、夫に先立たれてしまったおばあちゃまも、奥さんに先立たれたおじいちゃんも、そういうのありますから、これは私は夜店のたたき売りの涙でありませんよ。これは何としても新しくこれについても取り組んでもらいたいということ。これは
戦傷病者、
戦没者に対する
措置が万全だからこれでよろしいと言っておるんじゃないんですよ。この
人たちに準じたような形で何とか、同じことをぜいと言うからびっくりしよるんですが、私はそれに準じた形で
一つの検討を加えてもらってもいいはずだ。それは厚生
大臣がはい、きょうはよろしいと言うかどうかわかりません、そんなことむずかしいことですから。しかし、いま言っておることについてきちんと踏まえてもらってやりたいんです。私、国会議員になってたった四年しかならぬが、四年間これ言い続けてきた。
大臣のかわるたびにも言ってきた。ですから、いま
戦傷病者戦没者遺族等援護をするに当たり、この
人たちに対してもよりやってほしいんですよ。誤解があってはいけませんよ。先ほどから
戦傷病者に対してはほっとけなどと言ったんじゃない。それはよりよくしてもらいたい。しかし、たった
一つ残されておるのは、全く残されておるのは、内地で思わぬ
戦争に遭った、こういうふうになると思わなかったのです。日本の陸海軍というのは、
大臣、あなたは知らぬけれ
ども強いと思っていたんですよ。日本の国がやられると思っておらなかった。
子供さえどかしておいたら、何とかはたきで、リレーのバケツで水かぶせたら消えると思っておったんです。アメリカのおじさん連中は上から好きなだけ焼夷弾投げたものだから、わら屋根だとは言いませんが、木造の家だから全部焼いてしまった。うまいこと
考えておるわね。鉄筋なら大きな爆弾を投げなきゃいかぬけれ
ども、ばらばらとやって、しゅっしゅっといったらもうばあっと燃えてしまった。やられたものは家であったらよろしいんです。
大臣、家などどうでもいいんです。人間が死んだんです。わからぬでしょう。人間が死んだことは
一つもわからぬ。建物じゃの文化じゃの——文化とか何とかいうのは人間がやるんですわ。人間ですよ。かつてのギリシャ人はいまのギリシャ人でない。かつてのローマ人はいまのローマ人でない。同じように時代によって生きておるんですわ。だから、その点についてひとつ私の言っていることについて、わからぬならわからぬ、こう言ってください。大体言いよることはわかるでしょう。できるかできないか知りませんよ。
大臣。