○下村泰君 自分の思っていることばかり言おうと思いますので、あなたの方の御
意見を空振りさせまして失礼しました。
それでは、いまのところはその土地は関係はないということになりますので、どうぞお引き取り願いたいと思います。それじゃ恐れ入りますが、大蔵省の関係の方は最後までひとつ残っていてください。まことに申しわけありませんが、私は
専門家でございませんので、質問の順序が入り込みますけれ
ども、どうぞひとつ順序よくいきませんところはおわびを願いたいと思いますので、ひとつ残っていてください。お願いします。
さて、
大臣に聞いていただきたいんですけれ
ども、実は、
先ほど以来申し上げております社会福祉法人誠心会、この理事長である浜田幸生氏でありますが、この方は実は神奈川県庁に勤めておった方なんです。そして、神奈川県庁に
昭和二十五年から二十年間就職しておったんです。県庁に勤めていて孤児であるとか障害児などの施設で働いたんです。ところが、その障害児にとって大切な幼児期の教育が、幼稚園や保育所施設などから疎外されていることを痛感しまして、これではいかぬと、自分でやってみようというので四十五年に県庁をやめて保育園を開いたんです。
このことは、かつて
予算委員会でも取り上げましていろいろとお尋ねをしたのでございますけれ
ども、大変ユニークな教育の仕方でございまして、その教育方法は各新聞にも大きく取り上げられております。そして、ある記者が訪れた記事がございます。この取り上げられた
対象になったお子さんは、横須賀市小矢部二丁目にお住まいの定家さんという方ですが、この方の陽子ちゃんという六歳になるお嬢ちゃん。このお子さんがこの保育園に入園している。その姿をある記者がこれを見に行っております。書き出しからこうなっております。「思わずうなってしまった。目の前を、子
どもらが歓声をあげて遊び回っている。この中には、何人もの障害児がいるはずだった。それがなかなかわからない。統合保育とはこういうものか。百聞は一見にしかず、であった。」と、こういう書き出しです。そして、その障害のあるお子さんを見つけるのに骨が折れるくらい、障害を持ったお子さん方が健常な子供
たちと一緒に遊んでいるというわけです。
その陽子ちゃんは、「朝、全員が上半身裸になってマラソンをする。」この中にも入っています。そして、「年長組の陽子ちゃんは約一・五キロをかけた。戻ると二階の屋上でなわ跳びもした。終われば二十三段ある階段を、手すりにもつかまらずかけ降りていく。給食。自分でやかんのお茶をくみ、おサラのカレーもこぼさずたいらげた。ともかく、他の子
どもたちとまったく同じ生活をしているのだった。ただときどき、近くにいる子が、陽子ちゃんのイスをひいてあげたり、歩く先の足元に転がっているものをどけたりしている。普通児には、さりげない心遣いがいつの間にか身についていた。」と、こういう記事の報告がなされているわけです。
こういう保育園をいままで現在経営してきたわけですね。そして、この浜田氏が去年の五十二年の十月に、横須賀市衣笠栄町に心身
障害者の社会参加のためのミニ授産所を自費でおつくりになったんです。「働く家しらかば」という名をつけております。十七歳から三十五歳までの
障害者が——これまで一度もこうした働く訓練を受けたことのない、家に閉じ込もっていた人
たちばかりがここに集まりまして、いろいろと教育をされている。民家を改造した八畳ほどの板敷きの部屋で脳性麻痺、知恵おくれの男女十四人が働いている。どういう仕事をしているかといいますと、コンブでございますね、あのコンブを短冊形に裂いて、それで短冊形に裂いたのを中ほどで丸めるという作業なんだそうです。これがおでんの材料。あるいは乾燥すれば酒のつまみになるわけです。そして、お米が入る紙袋があります。あの紙袋一杯分つくるのに三、四日かかるんだそうです、不自由な人
たちがやっていますから。業者がこれを引き取るときの値段は千円だそうです。ですから、浜田さんのいわくは、給料どころかおやつ代にもならない、こうおっしゃっているわけです。
ところが、目下、近くの住民が寄付してくれた大型のオーブンを使いまして、将来のタンパク源と言われているオキアミでございますね、このオキアミを使ってビスケットやカステラなど独特な菓子類をつくっているんだそうです。これは御近所の住民の
方々にお配りして試食してもらったら大変好評なんだそうです。こういうことが軌道に乗れば給料も払えるようになるだろう、こういうふうな、浜田さんはいろいろ構想を持っていらっしゃるわけです。それを五年前から一生懸命、いま三角地点申し上げました、みんなが見にいけばそれほどの土地じゃないんです。もし
大臣見たことがございませんでしたらこれお見せしますが、こういう三角地点なんです。(地図を示す)その地点に浜用さんの構想になる施設をつくれば、大ぜいの
方々に喜んでもらえるという構想なんです。そして、その仕事の
内容というのは、それぞれ細かくこういうふうにすればこうなるという事柄を提出されています。そして、もしそれができれば大変喜ばしい結果が得られるのにもかかわらず五年間もほうり出されていて、そして現在のような
状態になっている、こういうことなんです。ですから、これがもし実施されますれば、いま浜田さんの構想によりますれば、定員が七十になっていますが、縮小されましてたしか五十ぐらいになっておると思いましたけれ
ども、水産加工、これは南極オキアミ加工、提携企業もちゃんとつかんでいらっしゃいます。それから世界民芸手袋、これも取引先もつかんでいる、こういうふうに
一つ一つをきちんとして計画をし、目的を持っていらっしゃる、こういう施設をやっている個人の
方々が、本来は
厚生省としてやっていただかなければ本当は困る施設ですよ、こういうのは。もちろん、それは細かいところへ手の届かないのは私は重々、何回もこういうことを質問させていただいて、お答えをいただいております。けれ
ども、民間でこういう篤志な
方々がいて一生懸命やっていらっしゃるにもかかわらず、それがたとえば
先ほどの話のような経過で、本来すぐに転用させていただけるような土地が転用されないで、いろいろ横やりが入ったり何かして五年も放置されていると、こういう
方々の心がますます暗くなるどころか、何か政治というものに対してますます不信感を持つという結果になりかねないと思います。
実は、あなたにまだ残っていただいたのは余の儀ではないんですが、どうなんでしょうか、いま空き地になってどなた様も手を引っ込めているという今日は、何とかしてこういう
方々のために利用させていただけるような方法を講じていただけないものかどうか、それをちょっと伺いたいと思いまして。