○野口忠夫君
決算と計画との乖離という言葉で簡単におっしゃってますけれども、しかし、あなた方の計画に従って一生懸命やっているものに対してやっぱり一つの責任というものは存在するであろうと私は思うんです。そしてやっぱり前進していかなければいかぬじゃないだろうか。何かそれはそれ、国がこうなったからこうなったから、おまえらもこれに従えだけの話では、少なくとも責任ある立場での計画を樹立する立場にはならぬと。やっぱり計画をやったがこうであった、これはこういうことだった、こういう
自治省の自主的な立場で地方自治体の計画というものを、
地方財政計画というものは国の計画ではないわけですから、国の計画の間違いによって
地方財政全般がこれ影響をこうむるといったようなことをやってはいけないのではないかと思うんです。
もう時間があと三分きりなくなりました。これからが本題なんですがね。全くこれどうも困りましたが、以上の
決算の結果から言って、今度は
昭和五十三
年度のあなた方のやり方について私は疑問を感じざるを得ないんです。五十三
年度——四十八年、四十九年、これは前
年度、それから今度は景気浮揚と、こうなってくる国の施策、大臣にもこれは申し上げたいんですけれども、景気浮揚というような課題は経済政策であろうと私は思うんです。そういう経済政策
中心でやってきた日本の政治の過ちを今日後始末をやっているのだ、われわれは一生懸命。過密でございますの、過疎でございますの、だから政治は切りかえましょうと。そして経済政策ではなくて、本当に国民一人一人に密着するようなそういう政治をやっていこうではないかという、こういう立場をとっているわけだと私は思います。だとすると、景気浮揚のために地方行財政が動かされていくんではないと。景気浮揚は国の政策課題であろう。もちろんそのことを念頭に置きながら、地方自治体は地域住民の幸せのために景気浮揚へのあり方として公共投資というようなものが膨大に多くなってきた。それが社会資本の充実であり、福祉の充実であって、住民生活の豊かさを保障するためのものだという立場で
自治省はあるべきではなかろうか。
今度の
地方財政計画をまとめるときに当たって、
全国の総務
部長や財
政課長をお集めになって、ここで大分
自治省の皆さん方は大だんびら切ってまたこれおやりになられた。これは
自治省設置法、まだこれ申し上げることになりますが、時間がありませんけれども、あなた方のやり得る範囲というのは
指導、助言、調整。しかし、景気回復のために公共事業をやりなさいといって、総務
部長やその他の
課長会議の中で申された言葉が新聞に出てますね。国は臨時異例の予算を組んだが、これに対応して地方も、事、投資的
経費については
相当無理してでも予算計上してほしい、手がたい予算を組むのが財政運営の原則だが、これにこだわらず積極的に予算を計上してほしい、金はとっておく必要はない、どんどん使っちまえ、その結果は三月末か四月初めに公表せざるを得ない、投資的
経費について、各県が公共事業と単独事業の予算をどのくらい計上したか、一覧表をつくる、その際に知事さんが恥をかかないようにしろと。
こんなことで景気浮揚に自治体を駆り立てて、それほど
地方財政計画というのは完全なものですか。ひたすらに国の運用部等に動かされながら、三千と四十七の地方自治体を導いていく指針の
地方財政計画というものは、先ほど
財政局長答弁のように、いろいろな
事情によってそれがどんどん変わっちまうのだと、景気浮揚の問題もやがてはどうなるかわらぬだろう。その見通しは
一体どういうことなんだ。私は大臣の答弁——時間がなくなりましたが、この間の本
会議で、総理大臣も車の両輪と言う、大蔵大臣も車の両輪と言う、残念ながら
自治大臣も車の両輪と言うんだな。車の両輪て何ですか。
二つの車が動く動力を言うんでしょう、これは。車の両輪で走ることだけ言っておったんじゃ——いまの地域住民は求めていないんですよ。車が走ってどっちへ動くかということです。エンジンをかけてアクセル踏んで車を回すということだけに車の両輪論があるんであって、走る力のことだけを言っておって、一生懸命やりましょう、走りましょうと。
一体この車どっちへ向いて行くんだ。ところが、残念ながらガソリンがちょっと足りなくなった。ガソリンがなくては車が動かないから国も地方もガソリンを取りましょう、ということの
考え方は私は正しいと思うんです。しかし、たとえばガソリンが少なくても、少ないなら少ないらしく、この車は
一体どっちの
方向に走っていくんだかということをやっぱり持っていなくちゃならないんじゃないかというふうに思うわけであります。だから、大臣から、車の両輪であります、というお答えだけではどうも私は納得できない。
今回のやられている方法を
決算上からながめますと、結局は不況とインフレとの同時進行という、資本主義体制の中で初めて受けたこの経済の問題に対して、四十九年は物価を鎮圧させようとした。そのために、総
需要抑制、深刻な不況の中にこれを閉じ込めていった。今度はこっち側に来た。今度は一転景気浮揚だ、景気浮揚だと言って莫大なる公共投資を進めて、それをやらなければ公表しておまえたちのところをいじめるぞみたいなことを言う。
一体、この不況とインフレとの同時存在というものの、こっち側とあっち側を、こっちへ行ったりあっちへ行ったりして、右し左しするような経済政策で、本当の意味の日本の国民の安定した経済成長というものが出てくるのかどうか。単なるそれは経済の
二つの現象に対してそのときそのとき動いていくにすぎないんではなかろうか。もっと新たな観点の中でこの問題に対処するという姿勢がない限り、今度景気浮揚でやっていったらそろそろ砂利の値段が上がってきた、そろそろ土地の値段も上がるであろうと。当然上がりますよ、これは。これは抑制しようとしても抑制できないというのは過去の経験でわれわれ知っているわけでございましょう。またここで物価かインフレ、そう懸念されるわけです。だからここで
一体何だということを考えた場合は、ぼくは車の両輪というものを言わない。
方向性を、やっぱり地方自治は住民の幸せと福祉の
方向に向かって
自治省は強く述べるべきではなかろうかというふうに思うわけであります。
残念ながら時間がないので、以上最後のところになってしまいましたが、
一体こういうような
地方財政計画は神のものではない、それは
財政局長も言いました。にもかかわらずこの問題に対して、やがては公表するからしっかりしろ、知事は恥をかかないようにしろなんというような、こういうやり方が地方自治に対しての
自治省の権限侵害になっているのではないかと私は思うのですけれども、錦の御旗は景気回復ということです。そういう国策というふうな
方向に従って自治体が引きずり回されている経験は、四十八年、四十九年の
決算の中にあらわれております。だとすると、ぼくはこういう
自治省のあり方というものを、こういう無我夢中になってこの方に頭を突っ込んでいくようなあり方、国と一緒になって経済政策の中にすべての人間を忘れて埋没してしまうようなあり方を
自治省が基本的にとられることについて、非常に私は懸念をせざるを得ないわけであります。
時間がないので、以上、五分超過しまして、そちらの方にも迷惑をしましたが、大臣の御所見を承って終わります。