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寺田熊雄君 この吉田さんの
答弁それ自体をあなたがどういうふうに理解するかということは別として、この
答弁は否定すべくもないわけですね。
それからまた、この問題はそれだけじゃないんです。これは衆議院の本
会議、これは二十五年の本
会議ですから、ちょうど朝鮮事変がすでに勃発した後なんですけれ
どもね。まだその直後においてはいまの吉田さんの
憲法解釈というのは変更を見ておりません。これは河口陽一という方の
質問に対して吉田さんはこう言っておるんですね。
また国連援助の具体的方針、これは先ほどまでもしばしば私がここにおいて
答弁いたしております通り、私の申す精神的に協力する、これ以上に
政府としては今日の立場において積極的に援助するとかいうような具体的の方針は述べることはできないのであります。
これはまあ韓国に対する援助のことを言っているんですね。
また軍備を放棄した
わが国において
自衛権のあり方はどうだというような
お尋ねでありますが、
自衛権なるものは武力のみではないのであって、国の
自衛権なるものは、武力以外の
自衛権は、いかなる方法によっても国を守るために
行使し得るのであります。
つまり、
自衛権というものは武力によるものとよらないものとあって、武力によらないものというものが持てるんだというその論旨は一貫しているわけですね。
さらに今度は衆議院の外務委員会、これもやはり同じころですけれ
ども、これは自由民主党の、そのころは自由党の段階でしょうね。佐々木盛雄さんの
質問に対してこう言っておるわけですね。
また今度の朝鮮
事件によってただいまも申した通り、国連なり
アメリカが
実力をもって
警察行動を起した。世界の平和擁護のために、世界の第三次戦争に至らないようにかくのごとき大規模な行動を開始したということによって見ましても、同じような場合が
日本に起った場合には、決して国連その他は捨てておくはずはないと、私は今度の
事件によってますます確信を強むるに至ったのであります。
日本の安全は結局国連その他の
国際機関か、あるいは世界の輿論が
日本の安全を保障するだけの運動を起す、こう私は確信いたします。
と。つまり、吉田さんの
自衛権というものは、武力によらざる
自衛権という、つまり、それは何か国難が起きた場合には国連その他の
国際的な援助が期待できるんだと。そういう趣旨がまだこのときはずっと続いているわけですね。決して武力による戦争というものを肯定した議論にはまだ至ってないわけです。それが次第に変化していく。
それから、いま吉田さんが直接
答弁した言葉だけを申し上げたのですが、これは、まだ朝鮮事変の勃発しない当時においてはもう定説になっておったわけです。ですから、必ずしも吉田総理だけでなくして
政府委員全体がそういう
答弁で一貫しておったわけですね。西村
熊雄さんの
政府委員としての
答弁を見ますと、まず川村松助という
政府委員が、
政府といたしましても、あらゆる御意見を総合いたしまして判断した結果、自衞権、自衞戰争は放棄したものと、こう考えております。
という
答弁をしたのに補足して、さらに西村さんが、
私から補足さしていただきます。
憲法第九條第一項は、
国際紛争を解決する手段としての戰争と武力
行使はこれを放棄しておりまして、直接には
自衛戦争には触れておりません。
これは第一項ですよ。
しかし第二項で一切の軍備と国の交戦権を認めておりません結果、
自衛のための戦争も放棄したものと了解いたします。
と。
大臣よろしいですか。「
自衛のための戦争も放棄したと了解します」と。
自衛権の
行使が戦争または武力の
行使、こういう形をとる場合、
わが国は原因のいかんを問わず、すべての戦争または武力
行使を放棄しておりますから、そういう形式をとる
自衛権はないものと解します。しかし急迫した不正の危害が現に起っておる場合、かような火急の場合、やむを得ずこれを
実力をもつて排除することも否定したものとは考えません。し
と。つまり、
自衛権は否定しでないと。
なおこの
憲法解釈の問題につきまして、一言つけ加えさしていただきます。
憲法の條項のうちには、解釈についていろいろ意見が立ち得るものがあり得ます。これらの解釈は、結局将来長い間にわたって成立するであろうと考えます最高
裁判所による判例と、
国会、
政府など
憲法運用の責任にある
機関によってつくり上げられます運用上の慣行等によって固まって行くものと考えます。
憲法上の慣行の成立には、
国会が一番大きな役割を演じられるものと考えます。
憲法制定会議におきます審議によって明瞭にされました立法者の意思とか、
政府当局の解釈とか、
憲法学者の解釈とかいうものも、それぞれ大事なものではありますけれ
ども、結局のところは判例と慣行とで固まって行くと考えます。れは昨年の秋、衆議院の解散に関連する
関係條項の解釈問題の経緯を考えてくだされば御了解していただけると思います。
と。これは
自衛のための戦争も放棄したものと了解するという点をまず固めて、その後で、
憲法解釈は結局最高
裁判所の判例あるいはこの
国会、
政府などの運用上の責任にある
機関によってつくり上げられる運用上の慣行等によって固まっていくと。こういう点で、後日の
憲法解釈が
政府によって次第に変わっていくことを暗示しているということが言われると思うんですね。
なお西村さんは、それでは
現実に侵略があった場合にどう対処するかという問題に端的にさらに答えております。これもやはりいま読んだように、衆議院の外務委員会の二十四年の十一月当時の
答弁でありますが、労農党玉井祐吉さんの
質問が、西村さんの、
私は
国際法的に考えまして、仰せの通り自然発生的な
自衛権はないと考えております。
自衛権というのはあくまで
国際法上の観念であるというふうに考えております。
と、そういうような
答弁が前にありまして、そういう
答弁について玉井さんがこういう
質問をしているわけです。
今のお話のようでありますと、戦争もしくは武力による形における
自衛権の発動は考えられないと仰せられるわけですが、そうすると残りはどのような
自衛権があるか。そしてその
自衛権が、はたして先ほど例をお引きになった
国際法上有名な事例に対しての
自衛権の形として、あのときに武力を使わないでどういうような自衞行動をとられただろうと御想像になるか、この点についてひとつお伺いしたい。
と。これは先ほど
部長にもお話しをしましたけれ
ども、
自衛権というものを否定しているわけじゃないですね、その当時、
憲法制定当時も。ただ、
自衛権には戦争による
自衛と戦争によらない
自衛とがあると。じゃ、その戦争によらない
自衛権の形はどういう形なんだという
質問に対して、この西村さんは、
日本の現状におきましては、
警察力以外にないと考えます。
と。つまり、
警察力による
自衛なんだということを言っておるわけです。
それから同じく衆議院の外務委員会で、法務総裁——当時は
法制局長官はなかったんでしょう法務総裁なり
法務省の方でかわっておったようですが、法務総裁の大橋武夫さんがこういう
答弁をしているんですね。
日本国憲法第九条によりますると、陸海空軍その他の
戦力はこれを保持しない、こう明らかに原文をうたってあります。従いまして陸海空軍その他の
戦力と認められるような部隊を
日本国の
政府が保持するということは、これは
国際法上
自衛権が認められるといなとにかかわらず、
憲法上制限された事項である。これは間違いのないところであろうと存じます。
と。これは大橋さんが法務総裁当時に、
戦力と認められるような部隊を
日本国の
政府が保持することは
憲法上制限されている、これは間違いのないところであろうと思う、ということを言っておるわけですね。こういう点を
長官も
部長もまず理解していただきたいと思うんですね。
この
憲法解釈は、先ほど申しましたように、朝鮮事変が勃発してマッカーサー司令官から予備隊の創設を書簡によって命令されましてから変化を来たしたわけです。ただ、そうは言っても、その変化はきわめて緩慢になされているので、いまのような、いま
長官がお持ちになったような
憲法解釈が直接すぐに発生したものではありません。といいますのは、
警察予備隊がそのままの名称でとどまった間は、吉田さんは、依然としてその
軍隊的性格を否定することによってその従来の
憲法解釈を変えようとはしなかったわけですね。
で、二十七年の二月一日、衆議院の
予算委員会で共産党の横田甚太郎議員が、
あなたは
警察予備隊であって
軍隊と
関係ないように言われるが、
アメリカにおいては、これは
軍隊と解釈しておる。
と言って
質問をしておるのに対して、吉田さんは声を荒げて、
警察予備隊は
警察予備隊であります。外国の批評は、私
どもは責任を負わない。
と、こう言って形式的な
答弁でその場を糊塗しております。さっき私がもうすでに読んだように、じゃ侵略された場合はどうなるかといった場合に、それは「国連その他の
国際機関か、あるいは世界の輿論が
日本の安全を保障するだけの運動を起す」ということで切り抜けておるわけですね。まだその時代では、先ほ
ども私が読んだように、大橋法務総裁が、
戦力と認めるようなものを保持すると
憲法第九条によって許されないと。でそのときにはまだ、
警察力という先ほどの西村
熊雄さんの
答弁がありましたが、もう一つ、義勇軍による
防衛はどうかということが一つの論争点になっておりますが、義勇軍でも、
軍隊的な点までそれが体質が向上していったらそれはいけないんだという趣旨になっておるわけです。
いま申し上げましたように、まず第一の変化は
警察予備隊の創設から生まれたのですけれ
ども、次に、やはり平和
条約、
日米安保条約が生まれるあたりから急速に変化をいたしますが、それをちょっと御理解していらっしゃるかどうかお伺いしたいと思うんですけれ
ども、これは
昭和二十六年の十月十九日衆議院の平和
条約及び
日米安保条約特別委員会、ここで社会党の猪俣浩三さんが従来の
憲法論議を全部総ざらいにしまして、そして大変吉田さんに詰め寄っているんです。これに対して吉田さんがこういう答えをしているんですね。
ただいま申した通り。
自衛権は国に存在するのであって、
自衛権の発動としての戦争、その場合はいたし方ないのでありますが、
と、いままでは戦争による
自衛権の
行使はいけないと、こう言っていたんですが、今度は「いたし方ないのであります」という点に変化しました。
しかしながらしばしば
自衛権という名において侵略戦争が起されたことがあるから、
自衛権という文字を使用することについては軽々になすべからざるものであるということを申した記憶があります。その他のことは記録を調べた上でお答えいたします。
これに対して猪俣議員が、
そうすると今総理のお答えは、
自衛権に基く戦争は否認しない、ただそれを濫用することだけは困るということを言うたので、
自衛権に基く場合においては戦争もまたやる覚悟であるというふうに承ってよろしゅうございますか。
と、こういう
質問をしております。それに対して吉田総理は、
自衛権がある以上は、国自身の独立を保護するためにあらゆる手段をとるということは、これは
自衛の範囲であり、
自衛権の範囲であります。それが戦争になったといったところが、いたし方ありませんが、しかし私の言うのは、
自衛権という言葉は濫用せられるおそれがあるから、軽々に用べからず、繰返して申します。
と。ここでは明らかに、いままでの戦争に訴える
自衛はいけないと言っているのを、やむを得ないという肯定論に変化しているわけですね。それが正しいというのじゃなくて、やむを得ないということで逃げておるわけです。これが
答弁の変化であることは、
長官もお認めになりますか。