○戸
叶武君
最後に、私らはいわゆるショービニストではない。けれども、祖国を愛せざる者は
日本のような人民主権の国において国民の合意を得ることはできないと思うんです。私は最近の自民党に干渉するのじゃありません。しかし、
日本の
平和共存外交の骨格をなすもの、バックボーンをなすものは平和
憲法です。その平和
憲法を変えようとしてみたり、あるいは平和
憲法に違反するようなファシスト的な法解釈がなされたり、しかも
責任ある地位の、鬼頭君のようなオニ頭なら構わないけれども、まともな人間の頭をしている
責任ある地位の人がそういう言動を行うということは明らかに平和
憲法に対する挑戦です。断じて許しません、われわれは。
私は思想は穏健だが、一貫した貫くものを民族が持たないときには、その民族は滅びると思うんです。道義力を失った民族は必ず滅びる。いま
日本は道義力を失いつつあるんです。そういう意味において、すべて外交、
防衛、
憲法の問題でも、民族の合意が得られるような
平和共存路線を堅持し得るものかなければ、外交権も国民の名においてわれわれは
政府に迫ってこれを剥奪しなければならないときか来ると思うんです。単なる
憲法擁護の運動じゃなまぬるい。
憲法を擁護するがために、国民とともに矛を逆しまにして、われわれは平和的手段においてこれを倒さなきゃならぬというような、いままでの護憲運動とは性格の異なった
憲法擁護の運動が民族の生命を保つために私たちは発揚されなければならないとすらこのごろつくづく思い詰めて考えておるのであります。
党の総裁、次の
総理大臣におれがなるという野望のもとに民族の悲願をないがしろにするような徒輩は国賊である。私たちはこれからの闘いというものは相当厳しい。いままでなるたけ穏健に
対話路線で物を進めようとしているが、三権分立ということを形骸化して立法府にすら干渉を行うというようなファシスト裁判富が出るというような醜態は、司法が行政に隷属して三権分立の民主主義の基本的理念を放棄したことを意味することであって、これが黙視されるようになれば
日本の国は民主主義否定の第一歩が踏まれるのであります。
日本の
戦争への道も裁判官のファッショから起きて、軍とそれが結び、右翼のテロリストと結んであの醜態を演ずるに至ったんです。半気違いのような錯乱した幼稚な思想の持ち血の鬼頭料のごときは、われわれ国会の権威と
責任において法律論の末端でなく国民の常識において、これを弾劾裁判において裁いたんです。国会の裁判は一度だけです。国会にあえて挑戦するような鬼頭裁判の結果に対しても、最高裁の何とかいうおえら方にしても不届き至極です。
私は、こういう風潮がいまとうとうとして流れ出てきたのは、この
福田内閣の
政治姿勢において足らざるところがあるから、あいまいもことしてカメレオン的な
一つの
政治姿勢がこういう事態を生んだんだと思いますが、あなたを責めるのじゃないんですが、これは
質問に答えなくてもいいです。どうぞ
総理大臣に伝達してやってください。私は命がけで闘います。ふざけちゃいけない、本当に国会をないがしろにして、われわれ国会は裁判官やあるいは行政機関に従属するものではない、主権者としての人民に従って人民とともに鼓を鳴らしていままでに類例のないような護憲運動をこれから発展させたいと考えているのは、やはり目に物を見せなければわからない時代であるから、目玉の前に黄金だけがちらついて金さえ持っていれば選挙は大丈夫だ、うまく派閥に乗れば政権がとれる、元禄時代よりひどい。私は、そういう意味において、もう
一つの
戦争とテロのシーズンが迫りつつありますから、その危機感の上に立って、
福田内閣の良識者としての
園田さんに私のこの悲憤慷慨の気持ちの伝達をお願いしたいと思います。
これをもって私の
質問は終わります。