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戸叶武君 勉強していても、勉強することにするという、だんだん官僚的な答弁に変わってきましたか、私は、荘子、あれは比喩の上手な人ですが、渾沌の哲学というのに非常に――支那事変の真っ最中上海にいてつかみどころのない世界で、なるほどなあ、
日本は雨が降って洪水になっても三日も過ぎれば濁りはなくなり水は引くのに、一年も前に降った雨が下流の揚子江では洪水を起こしたりなにかする、
日本的感覚では
中国はつかめないなあということを感じましたが、彼の比喩の中で一番おもしろいのはやっぱり渾沌王の比喩です。
渾沌王は
中国の王様です。北の国の王様と南の国の王様が相会して大変なもてなしを受けた。北の国の王様と南の国の王様がどうして渾沌王、
中国の王にお返しをしようかといったときに、二人がふと考えついたことは、よく見ると渾沌王にはあるべきところに穴がない、目がない、鼻がない、耳がない。七つの穴を掘って進ぜようというので、七日七晩かかって穴を掘ってしまったら、そのまま渾沌王は息を引き取ってしまったという。これはなかなか比喩としては、乱世の政治哲学としては私は最高のものじゃないか。あんまり完璧を期すと、よけいなおせっかいであって、大局を過たないで方向を与えれば、流れはおのずから道をつくって活路を開いていくのが水の趨勢でございます。
孫子があれだけのやはり
一つの把握をしているように、いまの私は世界の情勢、
アジアの情勢は、まさに
日本の情勢は混沌というよりは少しどぶ板的な
一つの臭気ふんぷんたるところがありますが、これはやはり私
たちはもっと信用される政治をつくらなけりゃ、金を持ってさえすればどんな買収をやってもいい、選挙に勝ちさえすれば政権がとれるというようないまの政治の状態が改まらない限り、政治不信が今日における、若者どもを弁護するわけじゃありませんが、絶望的な抵抗を生んでいるんだと思うんです。ばか者を取り締まるのはよいことです。経験もなく歴史の流れも把握できないんですが、いつも混乱期において
一つの戦争なり暴力革命なりに
一つの何か活路を求めようとする右や左のこのあわて者、そういう者にも
一つの道が与えられて――与えられたわけじゃないか。そこに血路を開かんとするような、この何とも言えない悲劇的な場面かいま展開されているこの
現実は、われわれはわれわれの責任であるというふうに受けとめなきゃならないと思う。
いま日中問題を、私は、
上田君が帰ってきたほやほやですから、そのニュースを聞く時間もあれしなければなりませんが、大体、福田さんもあなたも捨て身でやりなさいよ、死ぬつもりで。次の政権なんというのは考えないで、人間は一度死ぬところがあるので、浅沼君あたりもあそこで死んだからりっぱな革新
政治家としての生き方ができたのです。私なんかも死に場所を目下探しているんです、どこで死んだらいいかと。これかやはり永遠に生きる道は死に方ですよ。迷わず往生することですよ。往生というのは、ベストを尽くして祈るような気持ちで歴史の中に年輪を刻み込むことです。批評は何とでも後のやつにやってもらったらいいじゃないですか。やはり
自分の人力というものには限界かあるんですから、歴史のカレントに触れ、人々の心に触れてそれを
納得せしめるようなものでなければ、本当の政治にはならないんで、政治は芸術ですよ、手先じゃないですよ。
先ほど戦略とか何とか言うけれども、あれは
ソ連や
アメリカあたりではやっているんだが、あんな権謀術策によって天下の大勢を決した歴史的な記録というものはないんです。栄えた者は皆滅びていくのは小手先の権謀術策が過ぎるからであって、
外務省の一
課長に何か文句でも書かせて、これが
政府のあれだなんというようなことじゃ、ちょっと
外務省の人
たちはわれわれに参考資料をよこしてくれと言っても憶病になって出さなくなっちゃう。これは困ったことで、どうぞ自民党あたりからも、そういう卑しい弊風は一掃してくれるようにこの機会に私は頼んでおきます。
大臣、そういう
意味において心理は常に具体的でなければならないんです。法理論や何かは学者に頼めば何とか理屈はつけてくれます。問題は、これが
日本の生きる道であり、これかいろんな誤解を招いているが、
中国のためにも
ソ連のためにもなるんだ。これがやがて――人はあるいは理想主義に走るというか、夢想と言うか知らないけれども、戦争や暴力革命で二十一世紀まで到達できますか、あと二十二年ですよ。この短い歴史の中におけるわれわれの責任というのは非常に大きいんです。巨象もマンモスも滅び、そういう形においてジラフも滅び、おごる者は久しからずで、いまわれわれが本当に
日本が国は小なりといえども、
国民を安堵に生活させ、働かせ、希望を持たせ、そして平和をつくり上げるというような具体的な事実をつくるためにも、いまの日中平和友好
条約の
締結というものはその目玉になるんです。
つくり上げたところを見て少しは文句を言うだろうけれども、
ソ連もなるほど、
アメリカもなるほどりっぱだ、
中国もあのとき
日本にがんばられてもらってよかったなというような感謝は後から起きるものです。やはり人間は感情がたぎっていますよ。われわれか
中国人ならば、やはり
ソ連の連中の胸ぐらをとって
ソ連を敵視したくなるですよ。そこを
日本人は若干苦労して原爆もたたきつけられて、しかも平和
憲法改正なんていうのに福田さんもあいまいな態度をとっているが、天皇みずからが勅語の中に言っていて、それをほごにするようなことになれば、あなたすぐ退位しろということになりますよ。信義です、政治は。敗戦という戦争の悲劇の中で
日本には平和
憲法ができたんです。原爆をたたきつけられて、その忍苦の中に、
日本民族だけでなく、世界の悲劇を救おうという理念があの平和
憲法の前文にも躍動しているんです。これが明治
憲法に戻ったらどうです。統帥権の問題
一つがあったばかりにでも、どうすることもできなかったじゃないですか。
私は、今度、毎日
新聞から「二十世紀の
昭和史」に書いてくれというので、「和平の模索と
中国の友人
たち」ということを書きましたが、全部初めからしまいまでみんなそれぞれの意欲を持ってやったが、軍人の中にも、とにかく石原莞爾氏にしてもあるいは影佐禎昭氏にしても相当な人であるけれども、視野の狭さ、あの軍部という部族の制約、全体主義的な
憲法における致命的な制約、そういうものによって何
一つ、人の問題ではなく、和平が実らなかったじゃないですか、戦争に入ったらブレーキがかからなくなったじゃないですか、政治はなくなってしまった、
外交はなくなってしまった。再び戦争に陥ることのできないような歯どめが今日の平和
憲法にはなされているんです。それを性こりもなくなし崩しに崩していこうなんていうのは国賊です。いままで戦争で破れて悲願を抱いて平和を求めた人、一身の屈辱を顧みず、
国民とともに平和を誓い上げた天皇などというのをお粗末にすることもはなはだしい。追い込んじゃいますよ、近衛さんみたいに追い込まれたらどうするんです、表徴も何もあったものじゃないじゃないですか。民族統一の表徴としての限界は――政治責任を持てない者は表徴です。山本玄峰老師が
アメリカの軍部の知性人に教えたのはこの一語です。山本玄峰老師みずから九十六歳にして断食して死んでいる。これは普通の安楽死とは違う。
日本の一流の禅坊主が、私の恩師の那須雲巌寺の植木義雄老師も九十六歳でみずから生命の限界を知ったときには断食して迷わず往生しているんです。
日本の
政治家も、断食をするというのまでは言い過ぎるのだけれども、やはり祈るような気持ちで
自分の政治活動の限界を知って、やはり対処するだけの構えがなければ生きた政治は躍動しないと思います。
そういう
意味において、あるやつは流言を飛ばして、どうも
園田君があんまり日中問題に熱心なので福田との間に距離かできてしまったと言うから、そういうことはおれはないと思うがという、これはまじめな衆議院の外務
委員の私が尊敬するような人でも、そういうふうな疑いを持つんだから、そこいらはわれわれよけいな人の疝気を頭痛に病むようなことはやめますか、そこいらはやはり福田さんとあなたは、
日本が平和共存の道、この道をたどってみずからの姿勢をも改め、
中国をも説きつけ、そうして
アジア太平洋の新しい体制をつくり上げるという悲願を達成しなけりゃ、東南
アジア諸国の人
たちはおびえてしまいます、
アジアにも大混乱か生まれてきます。
アメリカは
アメリカなりに少しは方々で失敗したから、
アジアに手をつけたらだめだから引っ込もうといっても十分引っ込みかねないでいるようですね。やはりアイケルバーガー司令官がいみじくもハワイに引き揚げたときに彼が言ったのは、
アメリカの青年を犠牲にしないためには艦砲射撃と飛行機の爆撃だけでは大陸の戦いはできない、朝鮮においても
アメリカが負けたのはそうだ。やっぱり突撃には
日本人を活用するのが一番いいというような率直な議論を表明したり、あるいはいまのシュレジンジャーが
中国と
日本と
アメリカと結ばなけりゃ
ソ連を封じ込めることはできないというような世界戦略も発表しているから、人の言ったことにおびえて
ソ連がびくびくしているのはあたりまえであるし、
ソ連自身もまた
アメリカと同じような
覇権主義の国であるから、やはりみずからも、いいこともやっているかもしれないけれども、悪いこともずいぶんやっているから、
自分かとがめるから戦々恐々たる面があるんですが、どうぞ迷わず、安心して
ソ連も
日本の手並みを見てくれというぐらいな、なるほど
外交の手ほどきは
日本の
園田さんや福田さんに習わなくちゃならないなと
ソ連あたりが出てくるような
一つの
外交――漁業問題でも大分変わってきたのは、やはりあなたが、この間、ずいぶん
園田は悪いやつだというふうに
ソ連には感情的に受けられていたのを、私の質問に対して、漁業の問題で
ソ連が帯しんでいるのはよく私はわかります、これはやっぱり
ソ連には
ソ連の
立場があるんで、大西洋から封じられた
ソ連に対する活路のことも考えてやらなけりゃならぬと、ああいう一言――
ソ連というのは情報マニアですから、ああいう一言二言は、先ほど
玉置君が言ったように、変な材料を持っていく人が多いですから、そういう人が、いや
園田というがんこなやつか
ソ連に対してこんなことを言ったと。
しかも、赤城君のこの間の朝日
新聞の投書の論文なんかも、さすがに古武士だけあって、
ソ連をかばうだけじゃなく、領土問題は明確な線を出して、私は感心した。どうしてああいう人が――昔、大地主で農民に解放しても、あと何か自民党の金のある親方から金をもらったあんちゃんがのこのこと出て、そうしてああいう古武士が落ちていくのかと思うと、春になるとコブシの花が咲きますけど、悲しいかな、とにかく金と権力に癒着して政治は滅んでいくんだな。いま
ソ連のためにも、やはり
ソ連に迎合しないで本当に憂えて物を言えるような赤城さん級の人がいてほしいし、あんたでも、われわれでも、私なんかどっちかというと
中国の方に同情を持っておるのですか、やはり私はけちな考えは持ちたくない。どうぞそういう
意味において――あと何分……。
それでは、問題を転換します。やはり私はあくまでも文明史観と哲学を持たない民族は滅びると思うのです。田中さんのつくった五年前の日中
共同声明もそれなりの意義がありますけれども、この機会に、
日本も
中国も、
中国に反省しろというのはわれわれには無理だから、向こうで反省するでしょうが、
中国の当面の課題は、あれだけの内部的なトラブルをやっても近代化をやるのが至上命令であるが、
周恩来も鄧小平もその犠牲者で、ずいぶんそのためには苦労してきたと思うのです。浅沼君がただ調子に乗って、
アメリカ帝国主義は日中共同の敵だと言ったのでなくて、
中国が近代化するために
ソ連の技術なり経済援助を求めなければならないのが、
ソ連の言うことを聞かないというので、それが全部シャットアウトされてしまった。西ドイツに頼ろうか、
アメリカ帝国主義にはちょっと頼れないが、
日本に頼ろうかフランスに頼ろうかと、迷い迷って
日本に頼ろうとしたときに、だれか惻隠の情を持たない者があるか。窮鳥ふところに入らば猟師これを撃たずで、やっぱり浅沼のような野武士的な人間は――。
孫文が大正十三年、
ソ連と組んで北洋軍閥を打ち砕く以外に
中国の統一はないと思って、北京に行くときに――その前に神戸に来て、
日本に訴え、北京に行ったのですが、
日本側の主催者が、勝手に大
アジア主義なんて題名をつけただけだか、大
アジア主義よりは、孫文は、
中国革命は武力革命以外にだめなんだという
信念のもとで、命をかけて革命をやっちゃ失敗してきた男です。秋山好古にほれてみたり、いろんな手づるを求めて
日本の武力援助を求めてきたが、成らないので、やむなく、
ソ連が革命以後において不平等
条約を廃棄し、そして
中国に光を与えてくれたので、それに飛びついて、軍事援助を求めながら国共合作に踏み切ったのであって、あの時点を
日本は理解していない。孫文の思想はいつも孫文の古典的な大
アジア主義と見ている。動いているのです、政治は。生きているのです。
しかも、その後、第一次世界戦争が起きるや、そのどさくさに、いわゆる薩長閥の軍閥官僚の親玉の山県が、桂が薩摩と民党と組んで倒された後、今度は民党と組んで山本権兵衛内閣を倒した。しかし、これでは師団の増設も軍艦の拡張もできないと思って、大隈周辺をおだてて、そして大隈内閣の中に内務官僚の選挙干渉をするような不届きなやつを送り込み、三菱の婿の加藤高明を
外務大臣に配して、ドイツ流の帝国主義にかわるイギリス流の帝国主義を、あの戦争のどさくさに二十一カ条を与えた。これで全部御破算になって、
日本が
中国の敵になり、そして
中国の新しいニューチャイナのナショナリズムを生んだのです。この断層というものはなかなか消えない。これがあって、その穴も埋めないで日中戦争に突入したんだから、
日本に留学した者が、蒋介石のような者は最後まで
日本に未練を持ったが、周囲がそれには応じない。海軍の秋山好古将軍、孫文の使いをした戴伝賢のような人も盧山
会議のときに一番強硬に
日本との主戦論を展開している。魯迅のようなすぐれた文化人も再び
日本を訪ねることはしないという形の決意をさせた。それほど思い詰めさしたということは、
日本にいつも
自分の
立場だけは主張して、
相手の
立場をくみ取るだけの、地下三千尺の水の心をくみ取るだけの惻隠の情がなかったからであります。
そういう点において、政治といい
外交といい、きわめて重大なのは人の心というものを無視しては、唯物論的な弁証法がはやるからといって、物の力、経済的な変化だけで世界の歴史が変わるなんと考えているのは単細胞の考えです。人間あっての歴史です。歴史が人間を生み、人間が歴史をつくっていくんです。どうぞそういう
意味において、いわゆる戦略戦術とか権謀術策の三流の
政治家が考えるような政治哲学でもってこの日中平和友好
条約をつくられたら、あたり迷惑です。一朝にして理想的なものができなくとも、お互いに励まし合い、お互いに間違ったところを反省し合って、そうして私は行くようなものをつくることによって、初めてなるほど
中国に対しても、
日本に対しても警戒する必要はないんだという気持ちがおのずから私はみんなに出てくると思うのであります。どうぞそういう
意味において、イソップ物語の比喩じゃありませんが、暖かい太陽、温かい心、そういうものを流していかなければ、人の恨みなりあるいは復讐心なりというものは変わらないと思うんです。
私は、いまの
アメリカだって、
アメリカに行って原爆の話をすると、それだけは言わないでくれ、言わなくてもわかっているんでしょう。わからないようなことを言うからときどき言ってやるんだが、原爆
反対の運動なんかは今後は
日本だけでなく、世界じゅうの連中を動員して
アメリカと
ソ連に行ってやれば一番効果があるんで、これは武器も何も持ってないで、平和運動で世界の声をぶち込むんであって、広島と長崎だけで堂々めぐりして原爆
反対運動をやってたんじゃマンネリになってきています。
日本の
外交は、今後
日本と
中国だけでしょい込むんじゃなくて、発展途上国の苦悩をも理解し、われわれは大衆とともに苦悩し、大衆とともに模索すると同様に、発展途上国の苦悩のさまもよく見て、武器弾薬なんかを送って、どさくさに金もうけしようなんという苦の大倉組みたいなけちな
考え方を三菱あたりにもやめさせて、そして私はひたむきに
日本が世界に生き残るために、滅びないために、この道以外にないということを私はこの日中平和
条約の中でにじみ出してもらいたいと思うんです。
中国側がわからないはずはないです。あれだけの四千年の文化道統があって、治乱興亡の流れを見詰めたならば、栄えた者が滅んでいくじゃありませんか。
どうぞそういう
意味において、いま私が
外交権を握っているわけじゃないから、仕方がないから福田さんや
政府のあなたに、
園田君に頼むんだ。しかし、あんた
たちは、自民党だけじゃないんだ、これを見詰めているのは主権者である人民です。
国民の合意を得なければ福田内閣はへのかっぱで吹っ飛んでしまうんですから、どうぞ党内のまとめというよりは、
国民の心をかち得るような、世界の人々、この成り行きはどうなるだろうと見詰めている人
たちを合点せしむるような
外交的成果を上げるということは、これは一福田、一
園田君ではなくて、
日本人というものはなるほどりっぱだわいという
一つの見直しになるんで、これを通じてもっと世直しを、これほどどん底まで来たんだから、もう景気は回復するなんと言ったって福田さんなんかの言うことはだれも聞く人はなくなったんだから、やっぱり
日本人かどっかからか
一つの光を求める運動が起きなけりゃいけない。この混沌たる不信がわだかまって、憎しみがわだかまっている
外交の中からそれをつくり上げるということが、いま
政治家としての、本当にこれがやれたら、あんた、十字架にかかっても大往生ですよ、神様になるかもしれませんよ。本当に困難なことを政治が先行しなけりゃ
日本は立ち直れません、教育も、経済も、世界の信用も。
あと私の持ち分が二十分あるといいますけれども、それは私は返上しまして、
上田君にひとつ譲ります。これをもって結びとします。