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吉田正雄君 時間もありませんので、この問題が
中心ではないわけですので、本題に入って、
政府が先般出されました五十三年三月九日と、それから同じく四月三日の「
核兵器の
保有に関する
憲法第九条の
解釈について」と同
補足説明ですね。この点について若干お尋ねをいたしたいと思うのです。ここで、
補足説明の中に三月九日の「第九条の
解釈について」というものが全部含まれておりますから、四月三日の
補足説明を
中心にして若干お聞きをいたしたいと思うのです。
私は当初も申し上げましたように、
憲法論議を実はするつもりでなかったんですが、逐次、戦後のこの
論議というものを見ますと、
防衛論議というものが拡大の
方向に来ているわけですね。そういう点で
幾つかの点でやっぱりお聞きをしておきたいと思うのです。もっと端的に言うと、今日までの
政府の
憲法第九条に対する
説明や
解釈というのは、一貫をして、
自衛力漸増の産物である
保安隊、警備隊あるいは
自衛隊の存在が
憲法九条に違反をしていないということを、まあ率直に言うならば、言いくるめる、あるいはねじ曲げて
説明をするという、
つじつま合わせの政治的な
説明に終始をしてきたと私は思うのです。このことは、この
憲法が押しつけであるとかなんと
かに関係なく、
憲法制定の
趣旨やあるいはその
内容、あるいはいろんな
憲法全体の構成から判断するならば、
憲法第九条というものが一切の
戦争を放棄をし、一切の
戦力、兵力というものを保持しない、こういうことを世界に向かって私は宣言したものであるというふうに思っているわけです。そういう点で、
政府が従来とも
答弁をしてきた
戦力等についての
説明も、その都度その都度拡大
解釈されてきておるわけです。
〔
委員長退席、
理事塩出啓典君着席〕
そういった点で、私は、この
説明とか
統一見解というものがいかに変わるものであるかということは、戦後一貫して行ってきた
政府のいわゆる
有権解釈というものを見ますと、非常に信用するに足りないというか、
政府の
説明というのはそんなに変わるものかということを、私はつくづくこの第九条の
憲法論議で思うわけです。一体どこまでいったら歯どめがかかるのかという点で私は非常な心配と不安を持っているのです。そういう点で
幾つか、
憲法論議というよりも、
皆さん方が現在
考えて
おいでになります
内容について一応お聞きをしておきたいと思うのです。これは将来の、また
防衛論議や
憲法論議がなされる際にも私は必要だろうと思いますし、さらには将来の
原子力基本法に基づく
原子力の
平和利用はどうあるべきかという点とも絡んで、やはりここでもって私は
確認をしておく必要があるだろうというふうな点からお聞きをいたしたいと思うのです。この点についてはあらかじめ
皆さんの方にこの点はどうかということについて申し上げておりませんでしたから、
審議官としてもちょっと答えがたい、あるいは即答できかねるというものもあろうかと思うのです。そういう点については、私は追って文書で御回答をしていただきたいというふうに思うわけです。
まず、
憲法第九条はいまさら読む必要もありませんので読み上げませんけれども、ここではいろんなことが言われておるわけですけれども、「国権の発動たる
戦争」というのは、これは国際法上の
戦争というふうに常識的に
考えればいいというふうに思うのですが、その点はそれでいいのかどうかということですね。あるいはどのように
解釈をされておるかということ。それから武力ですね、武力というものはどのように理解をされているのか、定義づけをされているのか、この点をお聞きをいたしたいと思うのです。また、「武力の行使」あるいは「武力による威嚇」というものは何を指すのか、どういうものを規定をするのかということです。それから「国際紛争を解決する手段として」ということです。ここは
憲法論議に若干入ってくると思うのですけれども、この、手段としての
戦争というものについていろいろ
見解が分かれるところなんですね。この
日本国憲法で指しておるところの「国際紛争を解決する手段として」というのは、一切の
戦争というものを包含するのかどうなのかですね。いや、その中には
自衛戦争や制裁
戦争というのは含まないというふうに理解をされておるのかどうかということです。それから「
戦力」ですね、「
戦力」についてはいろいろ
解釈が述べられてきておるわけです。
戦力なき
軍隊なんていう
言葉も出たんですけれども、一体
軍隊とは何か。
軍隊を持ちながら
戦力のない
軍隊というのが一体あるのかどうなのか。これは国際通念から言って成り立たないと思うのですけれども、「
戦力」というものをどのように理解をされておるのかどうか。これは
日本の場合には、どうもいままでの
政府の
見解ですというと、国際常識、国際通念から大分はみ出した、非常に無理な
解釈、常識では通用しない
説明を行われておるようでありますので、これらについても明らかにしていただきたいと思うのです。
それから、ついでですから一応
指摘をしておきたいと思うのですが、いまの
補足説明の中で、お持ちだろうと思いますけれども、よく「必要最小限度」という
言葉が使われるのですけれども、この「必要最小限度」という
内容をお聞きをするというと、またほかの表現で
説明をされるというふうなことで、漢として
内容がわれわれ聞いておってちっともわからないわけです。したがって「必要最小限度」というのは、その範囲というのは一体何を指すのか、この点を明らかにしていただきたいと思うわけです。
それから、同じこの
解釈の二の中で、「
憲法をはじめ法令の
解釈は、」ということで、これがまた
有権解釈になってくるわけですけれども、そこの中で、三行目ですか、「それぞれの
解釈者にとって論理的に得られる正しい結論は当然一つしかなく、」というふうにおっしゃっているんですね。一体「それぞれ」というのは何を指しておるのか。「論理的に得られる正しい結論は当然一つしかなく、」というのは、一体
有権解釈を、つまり
政府のこの
統一見解を指しているのか、いやそうではなくて、最終的には
憲法判断であるから、
最高裁の判断を指すんだということになれば、現在の
政府のこの
統一見解なりというものは、まだ
最高裁の判断を仰いではおらないわけですから、これが現在直ちにもって正しい
解釈である、今日の
有権解釈は正しいのだということにはならないと思うのです。そういう点についての
見解をお聞きをしたいと思うんです。
それから最後になります。そしてここが実は一番聞きたい点なんですけれども、御
承知のように、
原子力基本法ではあくまでも
平和利用ということを強調いたしております。軍事利用は一切行わないということが、この法案が提案された当初の中曽根康弘議員の提案理由の
説明の中でも明確に述べられているわけです。そしてそれが国権の
最高機関たる
国会の意思である。その意思から
政府ははみ出すようなことがあってはならない。そういう点で、
国会は
政府を厳重に今後は監視をしていくのだということを中曽根議員はおっしゃっているわけです。ところがこの
統一見解を見ますと、この三月九日の文章と、それから四月三日の
補足説明の文章が最後のところではぴしっと一致をしていないのですね。これがまた後ほどその
解釈が違ってくるということになるんじゃないかというふうに心配しておるのですけれども、三月九日の
説明の中では、最後の第三項のところでは
政府はこのように言っているわけです。「
憲法上その
保有を禁じられていないものを含め、一切の
核兵器について、
政府は、
政策として
非核三
原則によりこれを
保有しないこととしており、また、法律上及び条約上においても、
原子力基本法及び
核兵器不拡散条約の規定によりその
保有が禁止されているところであるが、これらのことと
核兵器の
保有に関する
憲法第九条の法的
解釈とは全く別の問題である。」と、こういう
言い方です。そして今度は
補足説明の方ではどういうふうに言っているかといいますと、「そうした
政策的選択の下に、国是ともいうべき
非核三
原則を堅持し、更に
原子力基本法及び
核兵器不拡散条約の規定により一切の
核兵器を
保有し得ないこととしているところである。」、こういうふうに言っているわけです。
そこで、私がお聞きをしたいのは、
憲法上のことはさておきます。これはもう
意見の分かれるところです。
政府の場合には
憲法上その
自衛の範囲内において持てるのだという
言い方ですね。
解釈上持てる。私どもは持てないと思っておるのです。だから、そこはもう明らかに違っておりますから、これはここで聞いてみても、これは
見解の相違ということになろうかと思いますから、それはいいとしまして、ただ
憲法上
——実は
核兵器不拡散条約に
日本は加盟をいたしておるわけです。そういたしますと、
憲法の九十八条二項の条約遵守の規定からするならば、九条とは別にこの九十八条二項によって
憲法上
核兵器を持つことができない。というのは園田外相も
国会で
答弁をされておるわけですが、その点は
確認をしてよろしゅうございますか。