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1978-05-08 第84回国会 参議院 科学技術振興対策特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年五月八日(月曜日)    午後一時八分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         藤原 房雄君     理 事                 源田  実君                 望月 邦夫君                 松前 達郎君                 塩出 啓典君                 佐藤 昭夫君     委 員                 岩上 二郎君                 亀井 久興君                 後藤 正夫君                 永野 嚴雄君                 安田 隆明君                 山崎 竜男君                 小柳  勇君                 吉田 正雄君                 中村 利次君                 柿沢 弘治君    政府委員        科学技術庁長官        官房長      半澤 治雄君        科学技術庁原子        力安全局長    牧村 信之君        科学技術庁原子        力安全局次長   佐藤 兼二君        資源エネルギー        庁長官官房審議        官        武田  康君    事務局側        常任委員会専門        員        町田 正利君    参考人        東京大学名誉教        授        有澤 廣已君        東京大学工学部        教授       内田 秀雄君        早稲田大学理工        学研究所教授   道家 忠義君        早稲田大学理工        学研究所教授   藤本 陽一君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○原子力基本法等の一部を改正する法律案(第八  十回国会内閣提出、第八十四回国会衆議院送  付)     —————————————
  2. 藤原房雄

    委員長藤原房雄君) ただいまから科学技術振興対策特別委員会を開会いたします。  原子力基本法等の一部を改正する法律案議題といたします。  本日は、本案について参考人方々から御意見を聴取することといたします。参考人としてお手元に配付の名簿のとおり、東京大学名誉教授有澤廣巳君、東京大学工学部教授内田秀雄君、早稲田大学理工学研究所教授道家忠義君、早稲田大学理工学研究所教授藤本陽一君、以上四名の方々に御出席を願っております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、皆様方には御多用中のところ、本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  本日は、ただいま議題といたしました法案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜りまして、本委員会における審査参考にいたしたいと存じておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。  なお、参考人方々には順次それぞれ十五分程度の陳述をお願いし、その後委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。  それでは、まず有澤参考人からお願いいたします。
  3. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) きょう、この委員会に出まして私の意見を述べることになりましたことは大変光栄に存ずる次第でございます。  きょう申し上げたいことは、この法案骨子になっておるのが原子力行政懇談会意見書であるということでございますので、その懇談会の座長をやりました者といたしまして、懇談会意見書骨子考え方につきましてお話を申し上げた方がいいと存じます。  懇談会は、御承知のように、「むつ」の事件が発生いたしまして、原子力安全体制についての国民の信頼が大きく揺らいだその結果として、原子力安全体制を見直さなければならないという情勢のもとに開かれたものでございます。  それで、この懇談会におきましては、まず委員皆さん方意見の統一を図るという意味におきまして、四つ事項共通認識といたしたわけでございます。その四つ事項と申しますのは、意見書の中にも書いてございますけれども一つは「原子力基本法の精神に則り、原子力開発利用平和目的にのみ限定せられるべきこと。」というのであります。これは言うまでもなく平和担保原子力利用についての平和担保のことでございます。  それから第二は、「国民の福祉と経済の発展を期するため必要なエネルギー安定確保にとって、原子力は欠くべからざるものであること。」、原子力が石油の代替エネルギーとしてわが国にとっては大変重要であるという認識でございます。  第三は「原子力開発利用に当たっては、国民の健康と安全が確保されなければならないこと。」、これは言うまでもなく原子力安全性確保ということでございます。  それから第四番目は、「行政及び政策の実施に当たっては、その責任体制が明確にされなければならないこと。」でございます。従来、ややもすると、原子力の安全問題につきまして行政責任明確化されていないということが「むつ」の事件が起こるそもそもの原因でもあったということで、この行政責任体制明確化を図らなきゃならない、こういう四つの項目でございます。これを共通認識といたしまして私どもいろいろ審議をしました結果、意見書がまとまったわけでございますが、その骨子を申し上げたいと思います。  第一に、従来の原子力委員会二つに分かって、一方では原子力委員会他方では原子力安全委員会、この二つに分かつということでございます。従来の原子力委員会におきましては、これは法律にも書いてありますように、原子力研究開発を計画的に進めていく、むろん平和担保のもとにおいて計画的に進めていくということでございます。無論、その際安全の問題を無視したということは絶対にありませんけれども、しかし外部から見ますと、そういうふうに原子力研究開発を進めていくということになっておりますので、安全性がその中で議論されているというのでは、安全性に関する考え方がおろそかになりはしないかという疑問が持たれてくるわけでございます。ですから、そういうふうな問題を払拭するためにはやはりこの二つ委員会に分けて、一方は従来のように、原子力平和担保のもとにおいて研究開発を計画的に進めていくということを任務とする委員会他方におきましては、その場合に原子力安全性確保していく、確保するための安全委員会という二つのものを設ける方が事柄の筋から申しましてはっきりすることになるのではないか、こういう考え方でこの二つを分かつことにいたした次第でございます。  で、二つに分かれました後の原子力委員会は、言うまでもなく、従来の委員会の中で、安全部面以外の分野につきましては従来どおりにその任務を果たしていくということになります。これに対して安全委員会の方は、これは独立委員会といたしまして、原子力の安全を確保するために原子力安全のための基準を設けるとか、あるいは安全のための政策をどうするか、また安全研究をどういうふうに進めるかというふうな問題を取り上げるとともに、後で申しますように、各担当省庁において原子炉安全性に関する審査報告をつくった場合、その安全審査報告チェックする、レビューする、これがまた非常に重要な仕事でございますが、いわゆるそこで原子炉の安全についてのダブルチェックをするという考え方でございます。しかも、これは国民サイドで、後で申しますように、たとえば実用炉とみなされました原子炉につきましては、これは通産省がやることになりますが、通産省がその安全性につきまして十分検討吟味した上で安全調査報告を作成いたします。それは役所側サイドにおいて安全審査報告がつくられるわけでございますが、安全委員会の方におきましては、それを国民サイドからその安全を再確認します。安全であるかどうかを国民サイド立場から検討をするという任務を持っているわけでございます。通産省原子力発電所の炉ばかりでありません。仮に原子力船実用船とみなされる場合には、それの安全審査に当たりますのは運輸省でございますが、運輸省も同様に審査報告を作成して、その作成したものを原子力安全委員会に提出してそこのダブルチェックを受ける、こういうことになります。したがって、行政立場から申しますと、通産省とか運輸省においてそれぞれ安全審査、安全に関する確認をいたすわけでございますけれども、それが今度は、安全委員会におきましては、どの省でやったものであれ全部ここで統一的にその安全審査に関する再確認をする、吟味検討した上でそれの再確認をするということになるわけでございます。  無論その意味において、一方においては原子力委員会があり、他方においては安全委員会があります。一方では何といいますか、原子力開発推進をやる委員会、安全を確保する委員会、ですからその二つが分かれたわけでございますが、それにつきましては、どうもそういうふうに二つお互いに分かれて、それぞれの分野責任を持ってやっていくということになりますと、とかく摩擦が起こったりいろいろ障害が起こってくるのではないかという疑問も実際の懇談会議論となったところでございます。しかし、それにつきましては、やっぱり二つに分かって自分たちのそれぞれの任務を明確にした上で、問題によっては両委員会がそこで協議をするという方法の方がはるかにいいじゃないかということになっております。ですから、両委員会二つに分かれたということによって原子力開発促進が阻害されるということは、その意味においてなかろうというのが私ども判断でございました。  それからもう一つ申し上げておきたいのは、安全委員会原子力委員会と同じようにいわゆる八条機関でありまして審議会でございます。これにつきましては、懇談会の席上におきましても、どうも従来の原子力委員会にしても、この二つに分かれた委員会にしても権限がないんじゃないか、もっと強力な権限を持つことによって初めて安全の確保にしても、原子力開発推進にいたしましても、強力にこれを進めることができるんじゃないかという議論がございました。したがって八条機関ではなくして三条機関——行政委員会組織にすべきではないかという議論がかなり強くありました。しかし、この意見書におきましてその説をとらずに、依然として八条機関に両委員会をとどめましたゆえんのものは、行政委員会ということになりますれば、これはどうしたって政府機関でございます。政府内の一つ機関にすぎないのであります。われわれの考え方は、原子力安全委員会にしても、無論推進にしましても、原子力の安全の問題は特にそうですが、これは国民サイドに立ってなければならない。政府内部にあって、しかも国民立場に果たして立ち切ることができるかどうか。外部から見ましても、やはり国民サイドに立っていると言いながらも、政府内部機関じゃないかと、こういうふうに言われるであろう。  それからもう一つは、権限を持たなければならないと申しますが、その権限は無論法律で規定されなければなりません。法律で規定される限りは、どうしてもその権限は限定的なものになります。全権ということはとても認められません。で、限定するということで権限がどこで限定されるかということが大変問題になります。行政庁——通産省もあれば運輸省もある。それぞれ行政に基づく権限を持っているのであります。その権限と重複をしないように限界がはっきりしているような意味においての権限の限定が果たしてできるかどうか。仮にできたとしましても、安全性の問題は、法律の予想しないような部面において問題が起こったときには、権限がないとすると何も発言ができないのじゃないか。安全性の問題についての責任というものはもっと柔軟といいますか、弾力性のある責任でなければならないのじゃないかと、こういうのが私ども考え方でございます。  したがって、権限を持つから非常に強力な施策運営ができるという考え方ではなくて、むしろ国民負託にこたえる、その国民負託を一身に帯びて、そして安全なら安全の問題に取り組む、その方がはるかに国民にとりましては安心のいく行き方でないか、また安全委員会にとりましても、その方が全面的に活動することができ、そして国民の不安に思っている点にまで自分たち検討のメスを加えることができるのではないか、こういう考え方で私どもは八条機関をとることに賛成いたしたわけでございます。  大分話が長くなりましたから、あとはわりあいに簡単に申し上げたいと思いますが、そういうわけで八条機関でございます。しかし八条機関もその決定内閣総理大臣がこれを尊重しなければならぬとなっております。また、その内閣総理大臣を通じて各省大臣にもこれを尊重させることができることになっております。また意見書総理大臣初め各省庁に提出することもできますれば、また報告を徴収することもできます。それだけの権限というか、力を委員会が持っておりますならば、この力を十分にふるうことによりまして、私は原子力安全性確保するだけの、国民サイドにおいてこれを確保するだけの力を持っておると思います。権限がなければ何事もできないというよりは、国民負託をもって事に当たる方がはるかに強力な力を持ち得るというのがわれわれの信念であります。  そういう意味原子力委員会安全委員会でございますので、言うまでもないことでございますが、これは人の問題が非常に重要になってまいります。私は、原子力委員会、特に安全委員会委員は、無論科学知識の造詣の深い方でなければならないと同時に、いま申し上げましたような趣旨においての信念を持っている人が事に当たっていただきたいと思います。そのことも意見書の中に書いてあります。  それから第三番目になりましょうか、行政責任一貫化の問題でございますが、これはいままでにも多少申し上げましたように、原子炉につきまして、それが実用段階にある原子炉、いや、まだ開発途中にある原子炉、あるいは研究用のための原子炉と、いろいろこれを区別することができると思います。その区別をしますのは、原子力委員会安全委員会同意を得て、この炉は実用炉である、この炉はまだ試験段階にある炉であるというふうに認定をいたしまして、それに基づいて実用炉と認定されました炉は、これはその炉の設置についての許可通産省が行うことになります。通産省はその炉の安全性につきましてみずから責任を持って十分な審査をなさいます。そこで通産省としての責任の持てる安全審査報告書を作成して、それを、先ほど申しましたように、安全委員会の方に提出して、そこで再吟味を受けることになります。船の場合においても、原子力船——実用原子力船ということになりますれば、これは運輸省が、いま申しましたと同様の手続を経て安全委員会の再審査を受けることになります。したがって、実用炉についてのこれの開発実用化につきましては、これが通産省の場合におきましては、すべて通産省責任になります。それで、もし何かがございましたならば、その責任通産省自身が負わなければなりません。そして通産省の方は、通産大臣は、この実用炉設置許可を与える場合には、内閣総理大臣同意を得なければなりません。その意味は、結局運輸省の場合も同様でございますが、炉の設置についての行政責任は、最初、当面は通産大臣になります、あるいは運輸大臣になりますが、しかしその背後には内閣総理大臣がある。そして安全性チェック——審査につきましての中心安全委員会になります。ですから、いかにも行政的には一応各省責任を任したということになりますが、それがいわば行政責任一貫化でございますが、一貫化の結果、三つの省にそれぞれ責任が分かれるように見えますけれども、一方では内閣総理大臣において集約され、安全の審査観点から言えば安全委員会において集約されるということになります。そして、安全委員会は、いつでも内閣総理大臣に対して安全についての意見を申し述べることもできますれば、決定を下して総理大臣にこれを通達することもできます。そういう意味において、行政責任一貫化三つに分かれた責任体制も、内閣総理大臣安全委員会の点で集約されているというように御理解を願いたいと思います。  それで、大体私の申し上げることは終わりますが、あと公聴会でございますが、公聴会におきましてもわれわれの方も配慮いたしまして、原子力発電所設置についての公聴会につきましては、ます電調審許可——許可ですかな、審の承認を得る前に公聴会を開きます。この公聴会におきましての説明者設置者電力会社でございますが、それを主宰するのは通産省その他省庁が協力してこれを主宰いたします。そしてさらにその後、安全委員会の主宰のもとにおいての——安全委員会自分判断を下す前に安全委員会が主宰する公聴会が開かれます。  公聴会におきましては、形式討論形式——討論形式といいますか、お互いに受け答えのある形式の方がいいと思いますが、しかしまだ公聴会制度制度化するのには、もう少し実情経験を踏み重ねた上で制度化すべきであろうと、こういうふうになっております。と申しますのは、公聴会でございますから、ここは闘争の場ではないんです。しかし、ややもすると公聴会闘争の場になるということであっては、せっかくの公聴会の真意が失われることになります。しかし、それかといって公聴会をやらないというわけじゃありません。公聴会はやります。やらなきゃなりませんが、しかしこれがちゃんと制度化されるまでには、いま申し上げましたように、実情経験を積み重ねた上で制度化すべきであろう、こういうふうになっております。  なお、モニタリングの制度につきましても、懇談会ではある提言をしておりますが、それはもうきょうはここでは省略いたしまして、以上で私の説明を終わらしていただきたいと思います。少し長くなりまして申しわけありませんでした。
  4. 藤原房雄

    委員長藤原房雄君) ありがとうございました。  次に、内田参考人にお願いいたします。
  5. 内田秀雄

    参考人内田秀雄君) ただいま御紹介いただきました東京大学内田秀雄でございます。原子力委員会原子炉安全専門審査会の会長の席を汚しております。本日、この特別委員会で貴重な時間をちょうだいしまして意見を具申する機会を得ましたことを光栄に存じております。現在までの安全審査に関係しました、それらを通じまして得ました経験から、国民の健康と安全を守る原子力安全確保体制あり方、特に原子力発電施設の安全問題を対象としまして陳述いたしたいと思います。  原子力発電施設の安全の確保は、その設計、建設、検査運転、解体を通じました一連品質保証利用者側、すなわち電気事業者側確立することが第一に大切でありますが、次に、原子炉施設設置許可設計及び工事方法認可検査運転管理等に対します行政庁の厳密な規制行政一貫性確立が大切であります。しかし、原子力安全には高度の専門的知識による総合的な判断を必要とする事項が多いものでありますので、特にその基本的安全理念施策については、学識経験者中心とする第三者的機関を設けまして、国民の健康と安全を守る観点、すなわち国民立場から安全規制行政チェックする体制が必要と考えられます。  以上の見地から見まして、現在御審議中の原子力基本法等の一部改正によります新しい原子力安全体制が、適切な運営によって実現されますことを希望している次第であります。  原子力開発利用におきましては、何より安全の確保を第一にすべきことはいまさら申すまでもございません。安全確保の上にのみ開発利用推進せらるべきものであります。まして昨今、各国におきます原子力開発の急速なるに対して、一方、原子力安全確保に関する諸問題への時宜を得た対応が、従前より以上に重要性を増してまいりましたことを考えますと、開発安全規制の両面の機能をあわせ持っております現在の原子力委員会から独立して、原子力安全委員会が新しく組織されまして、原子力利用に当たっての安全確保のための規制に関する事項についての任務を、この原子力安全委員会が果たすこととなります新しい体制が発足することは緊要なことと存じております。  原子力発電所対象として申し上げますと、その原子炉施設がそのほかの発電所、たとえば火力発電所とか水力発電所等と比較しまして、全く次元の異なる安全上重要な施設であることは申すまでもございません。しかし、発電用施設並びに電力系統等全体から見ますと、原子炉施設発電用施設の一部の施設でありますので、発電用施設全体の規制行政を行っております通商産業省が、実用発電用原子炉施設については設置許可から始まる規制行政を一貫して行うことは、責任が明確になり、またわが国行政システムあり方として適切で現実的であると考えます。  私は、ただいま申し上げましたとおり、安全規制行政一貫化とともに、原子炉施設の型式のいかんを問わずに、たとえば発電炉でありましても舶用炉でありましても、そこに客観的な一連基本的原子力安全理念施策確立を図りながら、国民の健康と安全を守るために、規制行政をいわゆるダブルチェックできる体制が必要と考えられます。すなわち、規制行政横に貫きます原子力のフィロソフィーの確立でございます。このことは、原子力安全委員会と新しい原子炉安全専門審査会との強力な連携によって初めて行われるものと考えられますが、しかし、この原子力安全委員会におきますこういう規制チェックといいますのは、行政の流れの外で、行政とは独立立場から高度の専用知識に基づく判断がなされることが望ましく、またそれを必要とする事項が多いと考えられます。すなわち、原子力安全の規制といいますのは、法令で決められた範囲以外に多くの総合的な判断を要することが多いからでございます。  次に、原子炉施設の安全は、設置許可時におきます行政庁の第一次、審査ダブルチェックだけでは十分でございませんで、設置以降の工事計画設計認可、すなわち工認と、それに続きます検査運転後において設置許可時において確認しました基本的計画基本設計が現実に成立しているかどうかの確認が特に大切でございます。したがって、安全上重要な問題につきましては、設置後も原子力安全委員会における検討対応時宜を失わずに行われることを特に希望いたします。  原子力安全確保の基本問題と理念は、過去二十年におきます世界各国における研究と実験、運転経験、並びに国際原子力機関におきます安全基準策定作業等によりましてほぼ確立したものと考えられます。しかし、残念ながら、原子力安全についてはまだわが国国民の中で正しい理解が十分に得られているとは思われません。したがって、原子力安全に関して広く国民からの理解と協力が得られる施策推進されることを期待いたしたく存じます。特に、ある原子力発電所、すなわち特定の原子炉施設に関するその立地上特有の問題につきましては、地元住民皆さんからの疑問、意見、これらを十分聴取して安全審査に反映させることが必要と考えられます。すなわち、いわゆる公開ヒヤリングが実施されて、その定着化が図られるように前向きの施策が必要と存じます。  最後に、人の問題についてでありますが、新しい体制が順調に機能するためには、高度の専門的知識原子力利用における原子力安全確保の中にあらわしてもらえます学識経験者が広い専門分野の中から多数参加、協力できること、並びに行政庁においても、専門的スタッフを多数育成、増強することがともに重要なことと思います。  以上、これで私の陳述を終わります。どうもありがとうございました。
  6. 藤原房雄

    委員長藤原房雄君) ありがとうございました。  次に、道家参考人にお願いいたします。
  7. 道家忠義

    参考人道家忠義君) 私は道家と申します。初めに、私自身の立場を少し明確にしておきたいと思います。  私は、現時点におきましては、原子力発電所のようなものを積極的に推進するということに関しましては根本的に反対でございます。それは、現在の原子力発電所自身、原子炉自身がまだでき上がったものでないということもあるかもしれませんけれども、根本的には、そういう積極的な推進によって生み出されます多量の放射性廃棄物の処理の問題を等閑に付してこういう積極的な方針を立てていくということに関しては、私自身としては認めがたいという立場をとっております。ただし、従来よりもより厳格に安全性の問題を検討していこうということに関しては私は賛成しております。で、いろいろな体制の問題が、細かい問題がございますけれども、確かに前よりは、例の原子力行政懇談会の案をもとにしましてつくり出されました今回の案はよくなっていると思いますが、結局はそれの委員の人間の問題になってしまうと思います。  で、二つのことを申し上げたいと思うんですが、その一つは、委員方々が一体根本的に安全性の問題をどういうふうに考えていくかということでございます。特に原子炉自身のメカニカルな安全性の問題とか、そういう問題は恐らく今度できます原子力安全委員会の方ではメーンのテーマではなくて、一般に対する環境問題としての問題を取り扱うということが、むしろ安全委員会に課された大きな問題ではないかというふうに思います。  環境問題を考えます際に、私自身が放射線を研究しておる立場から言いますと二つ考え方がございます。  一つは、放射線のもたらす害、危険性というものと、それの利用によってもたらされます利益というものと、そういうものをバランスにかけてある線を保持していこうという、そういう態度があります。これはいろいろな許容量やなんかを考える際に一つの基本的な態度であるというふうに考えられておりますけれども、なかなか定量的な推定が、そのもたらす利益にしろ危険性にしろ定量性が非常に少ないという点に問題がございます。私自身は、そういうものを積極的に定量化していって相互に比較するということ自身には賛成でございますけれども、なかなかそれによっていろいろ判断を下していくということはむしろ困難が多いというふうに思っております。  もう一つ立場は、技術的に可能な限り低く、国民線量としての放射線被曝を少なくしていくという立場がございます。これも、むやみにやたらに低くする必要は確かにないと思いますけれども、一体どの辺でそれを限定する必要があるかというその一つ立場として、私はかなり前から、自然放射線によってわれわれが受ける被曝の四分の一以下にそれを抑えるということを考えるべきではないかというふうに言っております。それは原子力安全委員会自身は原子力行政に携わって出てくる放射線だけを問題にするかもしれませんけれども、私の考えではそれだけではいけないので、やっぱりわれわれが社会に生活していく上に被曝するすべてのものを考慮して、それでその安全性の問題を考えていくべきであるというふうに考えております。そういうものの総合的な結果として、自然からわれわれが受けるものの四分の一以下と——この四分の一というのはかなり客観的な根拠がございます。自然からわれわれが受ける被曝線量というのは場所によってかなり違うという、十倍も二十倍も高いところがあるということが言われておりますけれども、実際にそこでいろいろな線量計をつけまして、そこに住んでおる人たちが被曝している値を測定してみますと、せいぜい多くて四、五倍という値が出ております。それを全世界的に平均いたしますと、いま言いましたように、自然からわれわれが受ける被曝線量のプラス・マイナス二五%以内ということが出てくるわけです。ですから、自然からわれわれが受けております放射線量の本当の変動の範囲内に、以下に抑えるということを私は公衆に対する放射線の一つの許容基準とすべきであるということを従来から考えておるのでありますけれども、そういうような公衆に対する許容量という考え方は、従来わが国においては原子力委員会でも設定しておりません。それで、国際的に非常に権威のあります国際放射線防護委員会というところでは、それは各国判断にゆだねられておるわけです。したがって、わが国においてもそういうものを明確に表示する必要があるのではないかというふうに私は思います。  まず初めに、その安全委員会がどういう態度をとるかということは、まさにいま言いました基本的な考え方としてどういうような考え方を持つかということになると思います。これは結局そこで人選されます委員の人、どういう考えを持った人を選ぶかということに依存するわけでございます。もしもその選ばれた人がかなり理想的な場合であったとしても、その人だけの問題ではこれは解決しないことが多々ございます。特に、ダブルチェックと称しまして、通産省でいろいろ審議した結果をまたその安全委員会審議するわけでございますけれども、そのときに、果たして通産省審議した結果を拒否しなければいけないようなときに拒否できるかどうかという問題があるわけです。そのためには、これはかなりレベルの問い——判断力があるだけではなくて、その時点におけるいろいろな知識またはいろいろな研究結果の進む方向、そういうものに対するある程度の推定のきくレベルの人たちがかなり協力し合わない限り、そういう強硬な判断をすることはできないだろうというふうに私は思います。  私がここで申し上げたいのは、要するに委員が五人、有力な一委員が五人選ばれただけでは、何もその委員たちは正確な判断をすることはできないのであって、むしろ、それを近づけるといいますか、後ろからバックアップする、かなりレベルの高いスタッフの必要性を私は感じております。原子力局に設けられます事務局というのは、私の考えでは、どうもこれは本当の専門家というよりは、その事務を担当する方々であるように私には思われますので、むしろもっとちゃんとした専門家を、非常勤の専門家をある程度つける、そして、もしも必要があれば原研とか放医研とか、そういうような科学技術庁の管轄下にある研究所の方々を動員して有力なデータを出す。そういうようなことがあって初めてその委員会としての固有のかなり強力な判断を下すことができるというふうに私は思います。したがいまして、人の問題と、それをバックアップする組織の問題ということを最も重視して考えるべきではないかというふうに考えております。
  8. 藤原房雄

    委員長藤原房雄君) ありがとうございました。  次に、藤本参考人にお願いいたします。
  9. 藤本陽一

    参考人藤本陽一君) 御紹介いただきました藤本と申します。本日は原子力基本法の改正案についての私の意見を述べさせていただきます。  ただいま有澤先生からお話もございましたように、私も今回の原子力基本法の改正は、原子力行政懇談会意見が基本になっていたものということを伺っておりましたので、それで、この法律の改正案とともに、この行政懇談会報告も読ませていただいて、あわせて私の意見を旧したいと思います。  まず、この行政懇談会意見でございますけれども、それは有澤先生がおっしゃったように、これまでの原子力行政国民の不信を招いたというところからスタートしているわけで、おっしゃった「むつ」の漂流のみならず、分析化学研究所の事件を初めとして、原子力発電所の事故故障が続出した、そういう状況のもとでのみずからの自己批判を要求されているわけでございます。私もまことにそのとおりだと思います。  ところで、この報告書は三年前に出ているわけでございまして、私はこういう国民の不信をぬぐい去るような改革というのは、必ずしも法改正にしなくても、いまのやり方でできるものがたくさんあると思うのでございますが、この報告が出てから二年の間に、それにふさわしいようなことが何も現実に行われていなかったということを考えますと、よほどこの報告書の真意をくみ取らなければ、法改正というのは単に機構いじりになるのではないかと恐れるものでございます。  さて、この法改正の問題点でございますけれども、この法改正の中心問題は、いままでの皆さんがおっしゃったように二つございまして、一つは一貫した責任体制を持つということと、それからもう一つダブルチェックのシステムをとるということでございます。私にはこのダブルチェックという意味がよくわからないわけでございまして、私たちの専門の神岡ではクロスチェックということはよくやりますが、ダブルチェックというのは、同じことをもう一遍やっても、同じ間違いを起こす可能性は非常に多いわけでございまして、つまりやり方を変えるなり、立場を変えるなり、そういうことが非常に明確でなければ、ただ同じことを繰り返すということでないということを非常にはっきりしなければならないと、そう思います。  それでは、どういう点でそういうことをはっきりさせなければならないかということでございまして、そういう観点からいままでの安全審査の問題点を見てみますと、いままでの安全審査も、原子力発宿所に限りますならば、これは輸入されたものはアメリカの安全審査を通ってきた設計の炉でございますから、いわば日本の審査ダブルチェックでございますけれども、日本の安全審査の場合には、それが書類審査だけで、本当の書類審査だけで、実際の実験も計算もそういうことが何も行われてないというのが問題であって、それで、こうなればこうなるはずであるという紙の上のことだというのが、国民の不信を招いたかなり大きな間脳であるということを認識していただかなければならないと私は思います。それに、安全審査の書類をよく見てみますと、多くの場合に、この安全装置はこういうふうになるはずである、そうなるとすれば安全であるということになっているわけでございまして、なるはずであるが、本当になるかどうかということがわからない、まだ実際に試されてない場合が多いわけでございます。そういう点。それからたとえば原子炉は動き出してから数年たちますと、いろいろなトラブルが出るということも皆さん御承知のとおりのことであって、そういうわけで、まだでき上がってない、開発途上の段階のものであるということを考えなければならないと思います。ですから、クロスチェックという以上は、やはり独自にその研究をして、独自に実験をして、それから独自に計算ができるような、ちゃんと手足を持ったようなシステムでなければ、単なる書類審査で終わったんでは、私は国民の不信を払拭できないばかりでなしに、本当に安全かどうかということについても大いに疑惑を感ずるわけでございます。  それからもう一つの問題は、これはダブルチェックのダブルという意味に関して、本日有澤先生からもお話があったわけでありますが、国民の側に立つということをはっきりしようということでございますけれども国民の側に立つということは一体どういうことを意味するのかということを、もうちょっと明確にしていただきたいと思います。これまでの原子力施設安全審査の場合に多く問題になりましたことは、データをあるいは資料を公開しない点にございます。それは多くの場合に、原子力基本法の公開の原則とそれから産業秘密の問題と、それの板ばさみである。産業秘密であるから公開できないという返答が戻ってきた場合が大変多いのでございますけれども国民の側に立つということであれば、それはすべての国民が見られるデータであり、見られる資料であるということですから、少なくとも原子力安全委員会の手にする資料、原子力安全委員会がつくった資料というものはすべて公開ということを、産業秘密と無関係に公開ということをはっきりしていただきたい。それで、もしも産業秘密の面で公開できないというのであれば、それはそういうデータを使わなくても安全であるということを立証する必要があると、私はそう思います。ですから、公開の原則というのは、国民の側であるということを非常に明確にするかぎになっているということを私は申したいと思います。そういう観点からも、メーカーあるいは設置者のデータだけでなしに、みずから計算したり実験したり、あるいは研究したりというような手足を持たなければ原子力安全委員会が働けないことはわかっていただけると思います。その手足は、これは道家教授がおっしゃいましたように、国立の研究所は、原子力研究所とか放医研とかあるわけですから、そういうところがちゃんとバックアップするようなシステムをつくっていただきたいと、そう思います。何はともあれ、問題は、法改正よりも実際の実績で示すことでございまして、そういう点について、もしもこれから原子力安全委員会ができたならば、まず一番最初に実績で、行動で国民の信頼にこたえるようにしていただきたい。  たとえばどういうことが問題になり得るかと申しますならば、たとえば第一番目には、昨今の伊方発電所に関する行政裁判がございましたけれども、そのときの国側の意見というものは、決してこういうような自己批判を踏まえたものとは私には思えないわけでございます。確かにリスクベネフィットという観点があって、ベネフィットのためには多少のリスクはがまんしなければならないという理屈もあるわけでございますけれども、その地元の少数の人間の人権というか、そういう人たちの気持ちを、全体のベネフィットのためにがまんせよというようなことを押し通すのは私はどうかと思うわけで、国民の側に立つということであれば、そういう人たちのその要望を受け入れる窓口をつくっていただきたいと思います。  それからあと、簡単に申しますと、ぜひやっていただかなければならない問題としては、一つは許容線量、それから安全基準、それから事故の起こったときの補償の問題、それから放射線被曝の補償の問題、そういうものは一まとめの問題ですから、そういう問題はぜひこの安全委員会で真っ先に取り上げていただく問題だと思います。  それから最後の一つの問題として、原子力発宙なりあるいは原子力産業というのは一つの大きな流れでございまして、たとえ発電所がたくさんできたとしても、最後の廃棄物のところの安全問題でひっかかればできないわけで、やっぱり全体の流れとして、最初の原料のところから最後のごみをどう処理するかというところまでが流れで、仮にどこか一つでも安全に問題があれば全体とまってしまうような、そういうトータルなシステムであるという、そういう観点が貫かれるような、そういう安全委員会であってほしいと私は思っております。  簡単ですが、これで私の意見を終わります。どうもありがとうございました。
  10. 藤原房雄

    委員長藤原房雄君) ありがとうございました。  以上で各参考人からの意見の開陳は終わりました。  それではこれより質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言願います。
  11. 吉田正雄

    ○吉田正雄君 社会党の吉田正雄でございます。本日は本当に御苦労さまでございました。  それでは私の方から、この原子力基本法改正案に対するただいまの参考人意見に触れまして、幾つかの点で参考人皆さん方にお尋ねをいたしたいと思うわけであります。非常に時間が限られておりますので、原子力行政懇談会の座長を務められまして、この意見を取りまとめられました有澤先生、さらには安全審査会の会長として今日まで原子力行政の重要部門に参画をされてまいりました内田先生に主としてお尋ねをいたしたいと思うわけであります。  まず、有澤先生にお尋ねをいたしたいと思いますけれども、この意見書が出されましたのは五十一年の七月三十日ですけれども、前年の十一月十七日に有澤私案が出されております。そしてこの意見書は有澤私案というものをたたき台にして最終的に取りまとめられたというふうに思っておるわけですが、この私案と意見書の間にはかなり変化をしていると言いますか、違いがあると思うのです。そういう点でどのように受けとめておいでになるのか、お聞きをいたしたいと思うのですが、抽象的ですのでちょっとどういう点か、つけ加えてみたいと思うのですけれども、たとえばただいまの各参考人意見の中でも、安全性確立確保ということが非常に強調されているわけです。ということは従来の原子力行政というものが、この意見書の中にも述べてありますように、ややもすれば開発が優先をしたという点の自己批判があるわけですね、これを厳粛に受けとめていくべきだということを言われておると思うのです。そういう点でこの原子力基本法の提案理由の中でも「燃料の問題にしても、放射線の防止にしても、原子炉の管理にしても、危険がないように安心を与えるという考慮が第一にあった」ということが言われておりますし、また原子力の問題は、「国民の権利義務に影響するところはきわめて大きいので、しかも広島、長崎という特異の経験も」あるので、この問題は「安全を見きわめた上で、」ということになっておるわけですね。「見きわめた上で、」ということで、非常にこの点が強調をされてあるわけですね。そういう点で見ますと、行政懇が指摘をしておる点は私は正しいと思うのです。この点について行政庁内部にある意見、たとえば開発があって規制があるという考え方ですね、こういう考え方と、この意見書なり私案で述べております、原子力利用安全確保を前提として行われた、安全が確認された上、あるいは表現は違うけれども安全確保を前提として行われるという、そういうチェックということ、そういう考え方の間には私は相当の開きがあると思うのですね、従来の開発があって規制があるという考え方と。——繰り返し申し上げますが、安全が確認された上とか安全が前提であるという考え方ですね、そういう点でどのようにお考えになっておるのか、先ほど来非常に強調されておりますけれども、もう少し詳しくそこの点をお述べいただきたいと思うのです。
  12. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) ただいまの御質問ですが、原子力安全性につきまして、まず開発があってそれで規制があるという考え方と、もう一つは、安全性を前提として開発が進められるべきである、その言い方はどうも相互矛盾しているような感じがいたすのではないかという御質問だったと思いますが、私も原子力委員を長年やったこともありますが、原子力委員会当時におきましても、原子力というのはいわゆる核分裂を利用する形になっております。核分裂が非常な危険をもたらすものであるということも、これは広島や長崎の原子爆弾の例によっても明らかであります。したがって、原子力を利用するに当たりましては、つまり原子力開発するに当たりましては、どうしても安全ということがまず考えられなきゃなりません。それで原子力のいわゆる発電炉をつくる、あるいは実用的な原子炉をつくる場合にも、無論安全性の問題は十分検討した上で、これならば安全だというので原子炉開発されておると思います。そういう原子炉をつくっていく場合には、その安全性に基づくところの規制が十分行われなければならない、これは当然のことだと思います。ただ私どものここで申し上げておりますのは、安全性を前提とするということ。だから、原子炉一つ設置をしたい、これこれの設計原子炉設置したいと言っても、それは安全であるかどうかということを十分確かめない前には設置を許さない。それが安全であるという認定が下った後には設置許可がおりるということになりましょう。だから、従来も、科学技術庁で原子炉設置許可をしておりましたときにも、原子力委員会にこれについて認可していいかどうかを諮問してきたわけです。その諮問された場合にも、安全性審査、これは主に安全審査会によりまして十分な審査をしていただいたわけです。それともう一つは、原子力平和担保で十分担保されているかという観点から、両方からこれを詰めて、これならば安全であり原子力平和担保も可能である、できるということで初めて認可が下されたわけでございます。ですから、開発があるから規制があるんだというのと、安全性を前提として開発を進めていくべきだということとは、実際はこっちのサイドから見るかその反対のサイドから見るかというだけの違いであろうと私は思います。要は、原子力開発はそこに安全性が前提としてなければこれを認めるわけにはいかないと、こういうことであろうと思います。
  13. 吉田正雄

    ○吉田正雄君 「むつ」の問題初め、その後の各原子力施設のいろんな故障あるいは事故等については、先ほど来参考人意見にもありましたように、原子炉が完成した段階ではなくて、まだ多くの部分で研究の余地を残している段階であるという点からも、必ずしも十分安全性というものが確認をされないで許可をされたという点については、これは「むつ」問題についての大山委員会等でも、審査体制の不十分さというものを相当批判をしているわけですね。そのことが今回の意見書で自己批判すべきだということになってあらわれているんですが、そこで、さらにもう一点お聞きをしたいと思うんですけれども意見番では開発規制を対等に——これはまあ法律の案でもそうなっておりますが、対等にしかも一貫した運営というものを強調しておるわけですね。そんなことが一体可能なのかどうか非常に問題があると思うんです。で、実際の運用、特に有澤先生の場合には、人ということを、人選ということが非常に重要であるということを強調されておりますけれども、こういううわさも耳にするわけです。安全委員会というのは原子力委員会の斜め下にあるんじゃないかというんですね。そういうことになったらこれは大変だと思うんです。ですから、原子力委員会安全委員会の対等をうたいながら、際の運用上一体そのことが可能なのかどうなのか、ここが一番心配になるところなんですね。もし仮に、原子力委員会安全委員会より優位な立場に立つような実態が出てくるとすると、これは改正がかえって国民に不信感を与えるという結果を招くのみだと思うんです。現実にも、従来の原子力行政というものが、どうしても開発優先という印象を国民に与えたことは、これはぬぐい切れないと思うのですね。そういう点からも、一体、具体化というか、実際の運用面ではその保障というものが一体なされるのかどうなのか、このことをまずお聞きをいたしたいと思います。
  14. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) 原子力委員会安全委員会で、原子力委員会が少し斜め上にあって、安全委員会は斜め下にあるというような感じがするということでございます。実は先ほどちょっと御発言のありました有澤私案というのは、やはり原子力委員会安全委員会二つに分ける、けれども委員会の、何といいますか、協力がうまくつくように、原子力安全委員会委員長は、エクスオフィシオに原子力委員会の秀員になるということがひとつ盛られておりました。ところが懇談会の席で、それはおかしい、それはいかにも原子力委員会が少し上にあって、委員長がエクスオフィシオに原子力安全委員会委員になるようで、どうも安全委員会の方が少し原子力委員会より低く見られるおそれがあるんじゃないかと、こういう反論がございまして、それで有澤私案はこれは取りやめと、撤回ということに相なったわけです。そのときの議論からもわかりますように、安全委員会原子力委員会とは全く位置から言えば同等でございます。そして、その担当分野といいますか、仕事、それも全く独立の仕事になっております。したがって、それぞれの委員会はそれぞれの任務を達成するという意味合いにおきまして、全然お互いが他を牽制するというようなことは起こり得ないと私は思っております。ことに、先ほど御指摘のございましたように、安全性開発の前提であるという考え方、その上から申しますと、こういう炉を開発したいと思っても、まずそれが安全委員会の十分な審査を経た後でなければ開発するという方針を決めることはできないというのが、私のいま考えておる両委員会あり方でございます。ですから、御心配のようなことは万々ないと私は思っております。
  15. 吉田正雄

    ○吉田正雄君 先生のそういうお考えが今後の原子力行政に私は忠実に生かされることを望んでおるんですけれども、しかし実情を見ますと必ずしもそうでない。特に委員の人選について、私は先般も科学技術庁長官に、一体人選はどうあるべきかということについてもお尋ねもしたんです。時間がなくて、十分その点についての討論といいますか、討論ができなかったんですけれども、御承知のように、行政懇の意見書では「専門的かつ大局的な見地から政策判断を行いうる人材」と、きわめて抽象的なものなんですね。私は基準というのは一体どうあるべきかという点で非常にむずかしい問題だと思うんですけれども、たとえば一つの例として消去法といいますか、こういう条件はこれは欠格だという、そういうものも一つあっていいんじゃないかと思うのですね。たとえばどういうことかと申しますと、わかりいい例で申しますと、たとえば学校の校長なり教頭なりが教育委員になるということは、これは非常におかしな話ですね。ところが、現実のこの原子力委員の人選を見た際に、個人名は挙げませんけれども、たとえば通産なり科学技術庁なりが指揮監督をする機関といいますか、たとえば原研であるとか動燃事業団であるとか、こういうところの役員というものが原子力委員になっておるということは、指導監督される立場と指導監督をするという、そういうものの混同というものがそこに出てくるわけですね。したがって、その適材であるかどうかという判断の中には、すばらしいというものの比較よりも、まず欠格というものは何なのかということを明らかにすることも、これは判断基準一つではないかというふうに私は思っておりますけれども、この点について、有澤先生は原子力委員会のOBとしてこられたわけですが、このお考えをお聞きしたいということと、もう一つだけ、常勤と非常勤、二つに分かれておりますけれども、きわめて重要なこの原子力行政を担当する委員会でなぜ非常勤制度を設けたのか、その理由と、またそれが望ましいことなのかどうなのか。また常勤、非常勤によって一体責任の分担の度合いというものが同じなのか異なるのか、またどうあるべきなのか、この辺についてお考えがあったらお聞かせ願いたいと思います。
  16. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) 原子力委員会、あるいは今度安全委員会もそうでしょうが、そういう委員会委員に役所の監督を受ける研究所とか機関の方、役員の方が委員になるのはおかしいじゃないか、それについてどういう意見かということでございますが、私もその点はできればそうでない方がいいと思います。本来、そもそも原子力委員会が最初に出発したときには、確かにそういう一つの基本的な考え方があったことは確かでございます。最近その考え方がやや乱れてきているということも事実でございます。ただ、私はあの委員の——政府が任命しますけれども、任命に当たりましては、あれは国会の同意を得ているわけです。ですから、私は余り賛成でないと思いましても、国会が同意を与えているんですから、これは何とも……、やっぱりそういうものかというよりしようがなかったんです。(笑声)  それからもう一つは、常勤、非常勤の別がございまして、たしか非常勤はいまの原子力委員会では三名でしたか、三名以上非常勤にしてはいけないとかなんとかいう規則があると思います。つまり、常勤の方が多くなければいけないということになっております。あの非常勤の制度を設けましたのは、非常勤でないと非常に適切な人を——原子力委員会の最初のときには、湯川さんを委員にするのには非常勤でなければできなかったんです。そういうふうな事情がありまして、非常に適任と思われる人を委員にする余地を残しておくのには非常勤制度を取り込んでおかなければなるまいと、こういうことで非常勤の制度ができたということでございます。が、しかし、その責任は非常勤であれ常勤であれ皆同一でございます。原子力委員長も同じでございます。ほかの原子力委員と同等でございまして、委員長だから強いとか弱いとかいうようなことはありません。原子力委員会では皆同等の責任を持って委員会運営していると、こういうことになっていると思います。
  17. 吉田正雄

    ○吉田正雄君 次に、先ほど来問題になっておりますこの安全委員会の安全に関するダブルチェックの問題ですけれども、これについて後ほど内田先生にもお尋ねいたしたいと思っているんですけれども、担当官庁との視点や基準の相違というものがなければ、このダブルチェック意味がないと思うんですね。全く同じものでやるということでは、何のためにダブルチェックをやるのか意味をなさないと思うんです。したがって、どのような一体相違がその基準なり視点に出てくるのか、また厳しさというものが一体同じものなのかより厳しいものなのかですね、こういう点がいまのところ不明確であるんですけれども、その違いといいますか、そういうものをどのようにお考えになったのか。また違うとするならばどういう根拠といいますか、考え方によって違わなければならないというふうにお考えになったのかですね、お聞きをしたいと思うんです。  なお、担当行政官庁というのは密接に、たとえば電気事業者と日常交流をしているわけです。ところが、この安全委員会になりますというと、審査対象よりはるかに縁遠いさじきからながめているような、そういうところに置かれているわけです。したがって本当の実態というものをよく承知をしていない。したがって行政官庁、第一次許認可者から上がってくる書類報告を、いわゆる書類審査によって追認をするという形式的なものに終わる危険性というものが私はダブルチェックの場合にあるんじゃないか。そういう点でこれをどのようにして防ぐのかですね、私は、先ほど来参考人意見にもありましたように、実際にそれを審査する具体的な体制というものがなければ書類審査ではダブルチェック意味がないと思いますし、さらには、国民サイドからということが強調されておりますので、私は行政庁で不十分な点がやはり出てくると思いますので、それは現実に住民サイド意見というものを審査に当たって十分に取り入れていくという——これは公開ヒヤリングの問題もありますけれども、そういうことも審査体制の中で十分保障していく、そういうものがなけりゃダブルチェック意味がないんじゃないかというふうに私は思っているんですが、この点についてのお考えをお聞かせ願いたいと思います。
  18. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) まあダブルチェックというのは、チェックつまり審査立場がまるで違うということであろうと思います。審査方法につきましては、それは通産省でおやりになる審査とそれからこの安全委員会でやる審査とが、ぴったり合っているかどうかということも実はわかりません。しかし、安全委員会自分たちの考える最善の審査をするために必要な資料は無論電力会社から提出させて、それについて審査をいたします。それで、もしまだ不明確なところがございますれば、あるいは実験を行って確かめるということもいたしましょう。つまり、安全委員会審査というのは、役所とか電力会社とかいうようなものとは一切無縁の形で、自分たちの科学的良心といいましょうか、良心に基づいて安全を審査するというのが安全委員会審査のやり方でございます。通産省もやっぱり同様のことをやると言われればそれまでのことになりますが、まあそうなったら追認という形になるかもしれませんけれども、それは結果論のことでございまして、やり方としては、いま申し上げたように、独自の立場で独自の——ただ、安全委員会は五人の委員ですけれども、手足を持っていないわけじゃありません、安全審査会もありますし、その他いろいろの専門委員を動員しますし、また研究開発もやります。そういうことをやって、それを土台にして独身の立場から安全かどうかの判断を下す、その審査のことでございます。
  19. 吉田正雄

    ○吉田正雄君 じゃ、有澤先生に最後にもう一点だけお聞きをしたいと思うんですが、有澤私案でもあるいはこの意見書でも、原子力の利用の平和担保について非常に強調をされておるわけです。この点についてお伺いをいたしたいと思うんですが、申すまでもなく、原子力基本法によれば、原子力開発利用平和目的にのみ限定されるべきことが明示をされております。また、この点私は強調いたしたいと思うんですが、実はこの提案は中曽根康弘議員によって行われておるわけですね。この提案趣旨説明の中で、原子力開発利用の「中心平和目的に限るということであります。つまり軍事的利用は絶対禁止するという意思であると同時に、」云々と、こういうふうに明確にしておるわけです、この平和利用については。そして私案の中でも、原子力委員会が次の方法でその役割を果たすとして、四点についてこの平和担保あり方方法等について述べているわけですね。まあ、時間がありませんから一々申し上げませんですけれども原子力委員会任務として、また自主・民主・公開の三原則からして私は当然だと思うわけです。そこで、原子力利用というのは、ある部分に限るものではなくて、日本の国全体の原子力利用について——当然これは軍事目的に一切やってはならぬ、あくまでも平和利用だと、部分を指すものではないということについての私の見解、私はそういうふうに理解をしているんですが、その点はいかがでしょう。
  20. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) 平和担保は、おっしゃるとおり、日本で開発するものはことごとく平和目的に限られる。どこでどうあろうと、役所であれ、あるいは民間であれ、開発するという場合には皆これ平和目的に限られるということでございます。実際、平和目的のものか、あるいは軍事目的のものか、限界のあいまいなところがないではありません。それにつきましては、その場合には原子力委員会が、これは軍事目的になるからだめだ、これは平和目的に限られておるからいいんだと、こういう決定をすることになっております。
  21. 吉田正雄

    ○吉田正雄君 そこで、私案の中でも四点にわたって具体的にずっと指摘をされておるんですけれども、たとえば、先般来国会の内外で、憲法と核保有の解釈論議が行われているわけですね、核論議。これに対して原子力委員会として何らコメントをしていないわけです。さっきのこの委員会委員の人選に絡んで、まあこれは国会で承認されたことは確かなんですけれども、もちろん反対もあったと思うんですが、委員の中にはかつて核不拡散条約批准に反対をする、むしろ核武装賛成というふうな考えをお持ちじゃないかなと思うような委員も実はおいでになるというふうに私は思っているんです。しかし、それはまあとにかくといたしまして、かつて原子力委員会は、先生その当時おいでになったかどうかちょっとわかりませんけれども、たとえば核不拡散条約の当否であるとか、あるいは原子力の平和利用云々というふうな点について、いろいろ声明文のようなものも原子力委員会としては発表されているんですね。そういう点で、この問題について、最近原子力委員会が寂として声なしといいますか、そういう点で、原子力委員会というものが政治に押されて空洞化され、形骸化をしておるんではないかという批判があることも事実なんですね。そういう点で、原子力委員会がいまこそ、この原子力の平和利用に徹するという、唯一のというよりも、最大のそれが目的であるわけですから、そういう点で、何らかコメントをすべきではないか。しかし、現在原子力委員でおいでになりませんが、OBとしては、今日の原子力委員会あり方について、どのようにお考えになっておるのか、お尋ねをいたしたいと思いますし、また原子力利用推進の大物を委員に迎えて、委員会権限というものを、より強大なものにすべきじゃないかというふうな動きも一部あるやに聞いておるんですけれども、単にどの人物を持ってくるかということだけでなくて、本当に原子力委員会の刷新と自主・自立の運営の方向というものと絡めて、今日この平和利用の問題は私は非常に大きな問題だと思うんです。この点について先ほど来も先生の考えは披瀝されておりますけれども、重要でありますので改めてお聞かせを願いたいと思うんです。ただ、この場所でありますから、防衛論議をどうするかということとはこれちょっと別だと思うんです。その論議は混同しないように、あくまでも原子力そのものというものは平和利用だという観点から、いまのこの問題について先生のお考えをお聞かせ願いたいと思うんです。
  22. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) 先ほども申しましたように、原子力委員会にしろ安全委員会にしろ、これは権限が余りないんですけれども、権威は最大の権威を持っていなければ国民の信頼にこたえることはできないと思います。したがって、その原子力委員会の権威を保持するあるいは高める、そのためには、自分たちの課せられている任務を十全に果たすということが最大の委員会としての務めであろうと思います。委員の中にいろんな人がいるということは確かかもしれませんが、しかし、委員会決定は全員一致で決定いたします。ですから、私は余りその御懸念はないと思います。しかし、現在の委員会が非常に不活発であるという御批判につきましては、そういうことを私も耳にしていることを申し上げておきます。
  23. 吉田正雄

    ○吉田正雄君 どうもありがとうございました。  それでは内田先生にお尋ねをいたしたいと思うんですけれども、先生も先ほど来、この安全性確保という点については、国民サイドという立場から非常に強調されておりますし、今回の改正案の趣旨の大きな目標がそこにあるということをおっしゃっておると思うんですが、しかし、御承知のように、従来の行政なり実際の安全審査体制や、それから基準の不備もあったと思うんですね。私は十分整備されていないと思うんです。そのことは、例の「むつ」問題のいわゆる大山報告の中でも、委員の選任についても、単に一流大学の一流教授を選任すればいいというふうなことではよくない、ほとんど出席をしていないじゃないかというふうなことも指摘をされているわけですね。それから、設計から実際のこの運用の段階に至るまでの一貫性がない、あるいは安全審査が終わってしまった後は、許可された後というものの管理は通産に移っていくというふうなこともあって、一貫性がなかったというふうなこともあるわけですね。そういう点で次の点についてお聞かせ願いたいと思うんですが、委員出席であるとか、あるいは議事録の作成などという、これは体裁づくりももちろん大切ですけれども安全審査基準整備、手順の確立など、いわゆるシステムがどうなっているのか。私はアメリカの原子力委員会と日本を比較した場合に、非常に日本の場合にはまだまだ不十分だと思うんです。この点、これから一体どういう点で整備すべき点があるのか、実際に責任者として携っておいでになりました内田先生のお考えをお聞かせ願いたいと思うんです。
  24. 内田秀雄

    参考人内田秀雄君) ただいまの御質問の要点は、原子力安全の基準が整備されているかどうかという問題だと思いますけれども、正直申しまして、原子力安全に関連します基準とか指針というものが、十分いままで整備されているとは思われません。しかし、原子炉安全といいますのは、法令とかあるいは基準でもって明確に決められる範囲というのはそう広くないわけであります。というよりも、それ以上にまた専門的な立場でケース・バイ・ケースに判断しなければならない内容がかなり多いわけであります。やはり大事なのは、それを一貫しております原子炉の安全の考え方というものが確立していることが必要だろうと思います。そこで、では法令でない、原子力委員会の決めてくださいます指針とかあるいは基準、あるいは検討会の内規というようなものがどういうふうに現在つくられているかということでありますが、原子力委員会設置されております原子炉等の技術専門部会がございます。そこでもって、とりあえず決めなきゃなりません設計の指針であるとか、あるいは立地の考え方とか、その他幾つかの問題点を審査会の方から原子力委員会へお願いしまして、その専門部会で指針を策定をしておりまして、御承知と思いますけれども、最近はここ一、二年でかなり整備してまいりました。しかしまだ、指針とか、そういった技術専門部会で決められるよりも、さらにある一つの小さな問題点についての考え方をまとめる、あるいは特定の原子炉施設でなく幾つかの原子炉施設共通な問題点を整理したりする必要ができてまいりますので、そういうものは、現在の原子炉安全専門審査会の中に検討会を設けまして、そこで客観的に十分検討したものを審査会の要綱としてまとめております。それでありますので、最近はかなりそういった考え方がまとまってきていると思いますけれども、私は、ちょっと話は違いますが、原子炉の安全のいまの理念とかそういった基準指針で、やはり大事といいますか、全部が整備されていると思いませんので、そこで大事なのは、国際的な安全の考え方がどうであるかということを常時情報を確保をしておくことだろうと思います。先ほども最初の陳述で申し上げましたが、国際原子力機関で一九七四年以来国際的な安全基準というものを策定しようという作業を進めております。その中には、政府組織、立地基準、それから品質保証運転基準、それから設計と五つの大きなカテゴリーに分けたもので、その基本となりますコードと、それからセーフティーガイドというものをつくっておりますが、そのコードがほとんどできております。そこで、その国際原子力機関での基準策定作業に私も出席しておりますし、また多数日本からも専門家が出たり、あるいはさらにワーキンググループ等にも直接参加をしておりますが、そういう議論を通じまして国際的な安全の基準あり方というものを十分把握して、それを日本の原子炉施設に適用できるものは適用する、日本の考え方を修正するものは修正するということをしておくのが私は非常に大切であろうと思いまして、また審査会でもそういう方向で現在来ておると私申し上げてよいと思います。
  25. 吉田正雄

    ○吉田正雄君 時間がありませんのでこれで終わりにいたしますけれども、現在御承知のように非常に新型炉問題が盛んなんですね。たとえば転換炉ATRであるとか、あるいはカナダの重水炉CANDU、こういうものが盛んに論議をされておりますけれども、過去の、例のATRの原型炉である「ふげん」あるいはFBR実験炉の「常陽」の安全審査、これは初めてであったわけですから、もともと基準が存在したわけじゃないですね、手探りで行ってきたというのが実態だろうと思うんです。それから量が質に転化するということは、これは物理学でよくあることなんですけれども、たとえば二十万キロあるいは五十万キロの発電炉と、これが百十万キロであるとかより大きな炉になっていくという場合には、ちょうど飛行機の設計でも、音速以下の飛行機の設計と音速を超える場合では非常に大きな差が出てくる、未知の問題というものが出てくるというふうなことで、この基準であるとか方法というものは過去の場合どういうふうにして行われてきたのか、またそれらのよりどころ、根拠が何であったのかということですね。で、このような安全審査への要望に対して、今後これにこたえるプログラムというものをどのように考え、体制をどのように組んでいこうとしているのかという点についてお聞きをしたいと思うんです。
  26. 内田秀雄

    参考人内田秀雄君) いまの御質問の、将来どうするかということは私申し上げる立場でございませんので、いままでATRとか、あるいは「常陽」といいます高速増殖炉の安全基準をどう考えてきたということだとか、あるいは大型炉の問題が出たわけですが、たとえば大型炉、軽水型発電炉に対しましても、たとえば六十万キロワット、八十万キロワット、百十万キロワットが現在建設をしているわけでありますけれども、その流れは別に原子力安全の基本的な考え方に抵触するものではないと思います。その延長上にあるわけでありまして、単に出力が増大しているということでありますので、その出力なりの工学的な設計等がされているわけであります。  それからATRとかFBR等の安全審査のときには基準がないではないかといいますのは、ATRとかFBR特有の安全問題については確かに基準はなかったわけでありますけれども原子炉の安全という基本的な考え方は、やはりATRの審査とかFBRの審査、これらが将来についても生かされていくことであるわけであります。たとえば立地審査指針とか、あるいはありそうにもない想定事故の考え方とか、あるいは平常運転時の場合の放射線の管理の問題とか、そういうようなことは、これは炉の形態が変わりましても違わないだろうと思います。むしろそういう原子炉の形態にかかわらず、共通する基本的な安全理念というものをチェックするのが、むしろ行政とは別の立場でするのが妥当ではないかと思うわけでありますが、ATRとFBRが軽水炉と違いますのは、たとえば材料の使い方であるとか、温度とか圧力の状態が違うとか、あるいは燃料が違うとかということでありまして、それは個々の審査段階について安全の考え方を並行して考えていく、立案していくと申し上げた方が正しいお答えではないかと思っております。
  27. 吉田正雄

    ○吉田正雄君 どうもありがとうございました。
  28. 岩上二郎

    ○岩上二郎君 先ほどそれぞれ今回の改正法案につきまして御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。有澤先生、内田先生、道家先生、それぞれ問題をはっきりして、行政の改正について、角度の相違はあるとしましても明快なお答えをいただいたわけでございますが、ここで藤本先生に一言お伺いしたいと思うんです。  藤本先生は、別に新しい安全委員会等設けなくてもいいのではないか、こういうふうな御意見がなされたわけでございますが、もともと藤木先生は、かねてから日本学術会議において原子力問題に正面からお取り組みいただいて非常に力を尽くされたと承っておりますが、現在の原子力委員会総理大臣の諮問機関として発足した当時の事情につきましてはある程度御承知になっておられると思います。当時も、原子力委員会行政委員会にすべきかあるいは諮問委員会にすべきか、相当程度論議があったと思います。結局やはり権限の及ぶ範囲を限定した行政委員会よりも、むしろ国民負託に応じた、より広い分野に関与し得る諮問委員会の方がベターではないだろうか、このようなところから諮問委員会になってきた経過があったと思います。そういう経過に照らしまして、今回の原子力安全委員会もやはり八条機関として提案されていると思うんですけれども、これにつきまして、先生の御見解を承りたい、第一点。  時間もございませんので、もう一つつけ加えて御質問申し上げたいと思いますが、先生もすでに御案内のように、原子力開発は公開の原則に従って進めるべきである、それがなかなかどうも国民理解と協力を得られるような体制になっていないところに問題があるということで、それぞれ内容の問題にお触れになって御意見が出されたわけでございますが、最近、核不拡散の見地からきわめてセンシティブな情報、原子力の情報が世界的にいろいろと出てきていることから、公開に対する懸念というか、そういうふうなものが高まりつつある、こういう現実に対しまして、こういう関係について藤本先生のお考えがございますれば承りたいと思います。  二点だけ、時間もありませんので、後はもう簡単で結構でございますので、御意見だけ承りたいと思います。
  29. 藤本陽一

    参考人藤本陽一君) ただいまの御質問の第一点は、行政委員会がよろしいか諮問委員会がよろしいか、どちらがいいか、かつての原子力委員会がスタートしたときの経緯などから考えてどうかという御質問だと思いますが、私はかつての原子力委員会のときを思い起こしてみますと、その第一回のときにはたしか湯川先生がなられて、私も大変若輩でございましたけれども、まあ物理学の者どもは皆湯川先生をバックアップせにゃということでおったわけでございますが、問題はむしろ行政委員会か諮問委員会かということよりも前に、行政庁の態度が原子力委員会に対してどうであったかということの方が問題だったように私は思います。ですから、今回のことも行政委員会行政委員会としての利もあり、また欠点もある、諮問委員会も同様と、それは私は行政法の専門家でも何でもないので、原子核物理をやっておるものですから、どちらがいいということの判断はできないわけでございます。できないと思います。ただ、第一回の原子力委員会のときにも、たとえば原子力委員会がやるべき真っ先の仕事は、その手足となる原子力研究所をつくるとかそういうことであったはずでございますけれども、実際は逆に財団法人の原子力研究所というものが最初にできて、それでその財団の出資者の意見でかなり固まって、後からその既成事実を追認するようなかっこうで原子力委員会がスタートしたというような事態があるわけでございます。ですから、今回も全くの白地からその原子力安全委員会がやれるように、既成事実にとらわれないということの方が大切であると私は思っております。  それからまた行政面の、行政面というか原子力局の方にお願いしなければならないのは、そういう既成事実を積み上げておいて、それから最後に安全委員会を持ってくるというようなことでないように、安全委員会にフリーハンドを与えるということが最初のこの改正の目的であると私は思うわけでございます。  それから第二番目の、これは三原則との関連についての御質問だと思うわけでございますけれども、これについては私が何も申し上げることは——公開に対する懸念とおっしゃいましたけれども、それに対してうまくお答えできるかどうかわかりませんけれども一つだけ私が最近思っていることを申し上げたいと思います。  というのは、仕事の関係で外国にときどき参るわけでございますけれども、外国では、日本の国内で考えているよりずっと日本の核武装というもの、あるいは日本が原爆をつくるという問題があり得るのではないかという疑念が非常に強いことに私も何回か驚かされるわけでございます。もともと原子力の三原則は、思い出してみますと、これはビキニ事件のすぐ後でございまして、そのときの国民的な世論と、それから広島、長崎の経験と、そういうものの上に立って、その国民的な合意で、これは絶対に平和利用に限るということが根本であって、その上の三原則であると私は思うわけでございます。その国民的な合意というのはいまだに私は変わらないと信じておるわけでございますけれども、昨今は理論的な問題としては、核武装が憲法上問題がないような話がときどき新聞に出まして、で、そういうまた問題が結局どういう効果を生んでいるかというと、日本の原子力開発に対して不必要な、つまり日本の国民の中には、大部分が国民的合意として核武装しない、われわれは核武装しない、全面的な核兵器をなくすという、なくす方向への国民的な合意があると私は信じておるわけでございますけれども、そういうことの上に立っての原子力開発が、そういう理論的なと申しますか、そういうような報道というものが外国には非常に悪い影響を与えているのではないかと私は思いますが、それはそのことが一番大きな問題、何よりも三原則とそれから原子力開発で言えば、それが問題であると思います。ですから、本日有灘先生も非常にはっきりおっしゃいましたけれども、その平和利用の問題に限る、軍事利用には絶対タッチしないということを何回でも改めて確認していただきたいものだと私は思います。そういうことがない限りなかなか外国の疑念が晴れず、かえって本来の原子力開発がおくれることになると私は思っております。
  30. 岩上二郎

    ○岩上二郎君 原子力開発に欠くことのできない、まあ自主・民主・公開そしてまた平和、そしてまあ具体的な問題として提起されている安全の問題というのが今日かかっております法律案の内容になっておりますが、合理的にいろんな角度から見ても線量計算から見ても安全であるというふうに結論が出された場合、日本民族の特性というか、情感的な、しかもまた過去において広島、長崎の原爆の洗礼を受けたという、そういう恐れの哲学を持っている日本人というか、そういうサイドから、あるいはまた全然別な問題、いわゆる原子力とは別な問題として反対であると、こういうふうな意見が出てくるのが往々にして地方の実態としてはあるような感じがするわけなんですけれども、片方はあらゆる角度から見ても安全である、しかしなかなかそれが理解等を得られないというようなこととの接点が一番問題になるんじゃないかというふうな感じがするわけなんです。いわゆる科学と宗教の中間ぐらいのところ、あるいはまた情感の未成熟というか、そういうようなものとのクロスしたところあたりに原子力行政がなかなか問題である。一面また核武装などという、そういう問題が外国の一つの流れの中にないわけじゃございませんし、またそういうものについては非常にセンシティブな考え方を、日本人は敏感に受け取りがちでありますし、それらを全部抜いて、断然、絶対——有澤さんのおっしゃるように安全・平和ということで進めますよというようなことであっても、なかなかそこが理解できないというのが日本の、これは原子力に対する普及の度合いの足りなさであろうかどうかわかりませんけれども、そういう時点が現実にあるだろうと思うんですけれども、そういう意味も含めまして、公開ということになってくると、一体どんなふうになっていくもんだろうかということで、有澤先生はその公開はいろんな経験を通してやっていく考えでありますと、こういうふうなお話でございますが、藤木先生はそこら辺はどうお考えになりますか。きわめてむずかしい問題であるかとも思いますけれども、ちょっと御質問申し上げたいと思います。
  31. 藤本陽一

    参考人藤本陽一君) ただいまのお話の質問にうまく答えられるかどうかちょっと疑問なんですけれども、御質問の一番の前提が、原子炉が絶対に安全である、しかるになおかつ反対する人がいるけれども、そういうのをどう思うかということから御質問が始まっているように思いますけれども、これはお言葉を返すようで大変恐縮でございますが、絶対安全とか事故が絶対起こらないということは、かつては絶対安全ということを一生懸命言っておられた方もございますけれども、いまは専門家の中で絶対安全ということを言っておられる方はきわめて少ないんじゃないかと私は思います。たとえばここにおられる内田教授も多分、最近朝日新聞などに書いてあるのを見ますと、絶対安全ということではないんだということを書いておられるわけでございます。だからぼくは絶対安全でないということで議論を進めて——それを絶対安全である、絶対安全であると言うからむしろ国民の不信が高まるのではないかと思います。大きな事故は絶対ということはないわけで、問題はどれくらいの確率で起こるかという一点にしぼられるわけでございまして、その問題が受け入れられるものか受け入れられないものかということであろうと私は思います。だから余り絶対安全だとお考えにならないで、むしろどれくらいのことは起こり得る、しかしそれはどれぐらいの確率であろうと、その確率の推定は正しいだろうかどうだろうか、そういうふうに議論を進めていただいた方がむしろ合理的に物を考えていただけるのではないかと思います。たとえば内田教授と私との意見が違うところはどこにあるかと言うと、内田教授は非常に大きな、つまりわれわれに受け入れがたいような非常に大きな、率直に言いますと、発電炉で申しますならば炉の燃料が溶けるような事故というものの起こる確率は、これは無視していいほど小さいという考えでございます。私はこれは無視できない、無視していいほど小さいという、そういう証拠はないんだと。もしもその事故が起こったときにどれほど大きなカタストロフであるかということを考えると、その現在の推定の度合いでは必ずしも無視していいことでないということの、その論争だろうと私は思っております。ですから、そういうことに関して手持ちの資料を全部公開して、絶対安全だ、絶対安全だでなしに、どれくらい安全なのか、どれくらい危険なのかということを国民の一人一人が判断できるような資料を出すことの方がむしろ国民サイドに立つという問題じゃないかと思います。私はそう思っております。
  32. 岩上二郎

    ○岩上二郎君 後の質問者のこともございますので、この辺でやめます。
  33. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 本日は参考人皆さんから非常に有意義なお話をお聞かせいただきまして、心からうれしく思っております。  そこで、最初に有澤先生と藤本先生にお尋ねをしたいと思いますが、今回の原子力基本法等の一部の改正によりまして安全委員会ができる。その安全委員会が諮問委員会行政委員会か、こういう点についてはここでは論議はしないと思いますが、有澤先生それから藤本先生お二人の意見をお聞きしまして、やはり大事なことは、安全であるという判断をする安全委員会というものが本当に国民から信頼されるような、そういうものであることがより大事ではないか。そういう点ではお二人の意見は一致をしていると思いますし、私もそのように思います。そういう点から見て、この行政懇の中にも、原子力安全委員会独立の事務局を設けることが望ましい。そういう点で私たちも、現在政府の考えている安全委員会というのは、いままでの原子力委員会のときの姿を二つに分けて、専属の事務局、専属の調査機能、そういうものはない、全部足は科学技術庁と一緒である。そういうような点でちょっとこれは不十分ではないか、そのように思うわけですけれども、恐らく有澤先生も、現段階ではやむを得ないけれども将来はもっと強化していかなければいけない、そういうお考えではないかと思うんですが、不十分ではないかということについて御意見を承りたいと思います。  それともう一つは、安全委員会チェック基本設計のみのチェックになっておるわけで、やはり詳細設計とかあるいは工事段階まで安全委員会が見るべきではないか、そういう点で安全委員会の機能が余り強化されていないんではないかと、この二点について御意見を承りたいと思います。
  34. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) 安全委員会独立の諮問機関独立審議会として存続するにつきましては、やはり自己の事務局を持つべきであろうという議論懇談会の席でも大変強く出ました。しかし、事務局と申しましても、結局はどこかの役所の一部に借りなきゃいけない、だから科学技術庁の一部を事務局として使うか、それとも総理府の中に事務局を置くかと、こういう議論になったわけです。どうも審議会といえどもやっぱり八条機関政府がつくる機関でございますから、その事務局というのも役人だそうでございまして、そういうものだとすると、その役人が帰属するどこか役所がなきゃいかぬと、その役所の事務員が専属の安全委員会の事務局員になると、こういうふうな考え方しか行政組織上できないと、こういうことでございます。そこでわれわれは、内閣の総理府に事務局を置くか、それとも科学技術庁の中にそれを置くかということで大変議論が行われました。どっちかと言えば内閣の総理府の方へ置いた方がよさそうに思ったんですが、懇談会の中に大変行政組織の方面の専門家がいらっしゃいまして、総理府に事務局を置いたら、何といいますか捨て子になったという、つまり大変弱い事務局しかできないんだと、こういうことを言われまして、私どももよく行政の関係のことはわかりませんので、専門家というか非常な権威者がそう言いますからやっぱりそれじゃだめだと。だから何か独立の事務局を持てるような考え方はないだろうかということをいろいろ検索しましたけれども、なかなかそれが行政法といいますか、行政組織の上から見ますとすぐさまはむずかしい。ですから、とりあえずはやむを得ないから科学技術庁に事務局を持つのだと、こういう形で科学技術庁に、安全局でしたか、何か原子力安全局というようなものが設けられておりまして、その安全局が安全委員会の事務を取り扱うと、こういうことに相なったわけでございます。  それで、それと同時に安全委員会自身が相当のスタッフを持たなきゃならぬということも必要なことでございまして、そうでないと、これは原子力委員会が——原子力委員会は、御承知のとおり科学技術庁の原子力局が原子力委員会の事務局になっているんです。しかし、原子力局は同町に原子力行政をやりますので、その原子力局がやる行政がややもすると原子力委員会議題に入ってくるおそれがあります。原子力の事務局であるということからそういうことになると思います。そこで、原子力委員会は、本来非常に高度の原子力政策審議する場でございますけれども、その原子力委員会の会議がしばしば行政面に引きずり込まれるといいますか、行政面の問題とこう混淆するおそれが出てきます。これは大変遺憾なことでございます。ですから、今後、安全委員会が設けられ、また新しく原子力委員会ができましたならば、そのスタートから運営につきまして委員会自身が白土的な運営を行っていけるようにしなければならないと私は考えております。そのために必要なスタッフはそれぞれの委員会に必要最小限度認めていかなきゃならないんじゃないか。だんだん仕事がふえるにつれてそのスタッフもふえていくということは当然ですけれども、最初は最小必要限度のスタッフをつけてこれを運営していかなきゃならぬと、こういうふうに考えております。  もう一つは詳細設計の問題、これは内田先生いらっしゃいますから内田先生の方が詳しいと思いますが、今度できます安全委員会は無論安全審査会というものを十分使いまして、そして安全についての最初は基本設計についてやります。これは通産省においても基本設計の形で安全審査報告がつくられますから、その審査報告に基づいて基本設計について審査が行われます。そして、基本設計に基づきまして今度は詳細設計が行われ、それから工事運転というふうにだんだん事柄が進んでまいります。その際、だから基本設計審査におきましても、これは詳細設計のときにもう一遍チェックしなければならないという点が安全委員会において認められましたならば、それの報告は必ずとっていく、運転の場合においても事故報告は全部とりまして、その場合の重要な事故だと判断したものにつきましてはさらに調査を命ずることができます。そういうふうにして安全委員会基本設計から詳細設計工事運転というまでの監視は続けておるということになります。場合によりましては安全委員会意見書を出す、その意見書にはかなり強い意見を述べることも可能でございます。そういう形になりまして、従来のように基本設計だけで事が終わるというわけではなくて、安全委員会におきましても同様に基本設計から運転まで監視を続けていると、こういうことになろうと思います。
  35. 藤本陽一

    参考人藤本陽一君) いまの御質問の点でございますけれども、私は最初の意見陳述でも申し上げたように、現在の安全審査の書類審査だけで、何にも自分でやらないというところが一番問題だということを申し上げたわけで、だからいまの有澤先生のおっしゃったのが、問題としてはどこまで実現するかですけれども、結局、要はその安全委員会が官庁のつながりの問題を別にして、実際問題として手足として原子力研究所あるいは放医研、そういうような組織をスタッフとして持つような、そういう体制ができるかどうかというのがそれが根本の問題であると私は思っております。機構いじりということで言えば、一番最初のころ、原子力研究所というのはあれは国立の研究所にしたらいいか、財団法人にしたらいいかという議論がずいぶんございまして、それで、結局最後はどういうことになったかというと、特殊法人ということになったわけで、特殊法人というのは国立のよさとそれから民間のよさと両方合わせようというのが御承知のとおりの案でございますけれども、実際は両方の悪さだけ出てくるような場合がいままでにしばしばあったわけでございます。それも特殊法人というよさがいまはぼくはまだ生かされてないんで、そのシステムを生かせば、片方の、つまりそういう研究機関の実際の研究というものを背後に持てば、それは安全委員会というのは大変強力なものになり得ると、なり得る可能性があると私は信じます。だからでき得べくんば、そちらのつまり独立の事務局をどうするかということももちろん大切でしょうけれども、それ以上にそういう原研とか放医研の持っている力を動員してみずからの手で実験もするし、それから計算もするということができるような、そういうシステムをつくるという問題が私は何より肝要であろうと、そういうふうに思います。  それからその次の御質問の問題でございますけれども、これは私はこう思いますけれども、いままでの審査の最大の問題点はどういうところにあったかというと、要するに審査のときには、こういうことであればこうなってよろしいということでありますけれども、その条件が実際に満たされているかどうかということは、運転しないとわからない場合がずいぶんたくさんあったわけでございます。ですからそういう意味で、私はいままでに何回も申し上げたのは、決して発電炉というものは実用になってなくて、まだわからないことたくさんあるわけで、たとえば蒸気細管にあんなに穴があくとはだれも思わなかったし、それからまたその穴をいまは何かの方法でとめておるけれども、それが果たして何年持つかということも、これまただれもわからないわけでございます。そういう意味で、いままでは安全審査通ったら原子力委員会関係の方はもうパスだということになっているわけでございますけれども、いわばいまの原子炉というのは車で言えば仮免の程度であって、もういいんだということで決してないということが、いまの有澤先生もそういう御意見だと思いますけれども実用だと言ったって決してデパートで売っているようなものではないんで、次から次へと新たな問題が出てくるということを絶えず原子力安全委員会の方はタッチできるようにしておかなければ困ると思います。で、そういうところというのは、やっぱり現場に行かないとわからない問題というのは多分たくさんあるんでしょうから、そういう問題について常時報告が必ず求められるように、それでその報告国民の側に正しく伝わるように、そういうのがこの安全委員会のねらいであろうと思います。ですからそういう意味で言えば、昨今ありましたように二年間も隠しておった、うまく隠しおおせたというようなことがないようにしていただきたいものだと思っております。
  36. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それから内田先生にお尋ねしますが、先生は原子炉安全専門審査会の会長として実際の審査をずっと担当されてきておるわけでございますが、先ほど藤本先生のお話の中にありましたいわゆる公開の問題と企業秘密の問題ですね、いま原子力委員会安全専門審査会の資料はほとんど公開されて、一部残っておる。私は、ともかくどういうものが秘密かと聞いてみると、大したものが秘密になってないわけですね。そういう点でもう全部公開にすべきじゃないか、それで国が採用する場合には、公開にできないような炉は採用しない、本当にメーカーも採用してもらいたいならば、特許を取るなり——日本へ売る場合には特許を取るなりして、そういうようにすべきではないかという、これは私の前からの意見なんですが、それに対して科学技術庁等の考えは、やっぱり先端技術を使えない、先端技術はどうしても企業秘密だから——何も原子力発電所は先端技術使わなくても、ある程度コンセンサスの得られた技術を使えばいいんじゃないか、そういう点で企業秘密というものを認めないというようにすべきではないか、その方がむしろ国民の合意も得られて、急がば回れで原子力発電の推進にはプラスではないかと、そういう私は意見なんですけれども、やはり企業秘密は必要でありますか。その点内田先生の率直な御意見を承りたいと思うのです。
  37. 内田秀雄

    参考人内田秀雄君) 一口で申し上げますと、私はそれにお答えする、何といいますか、十分な知識持っていないわけでありますが、それで企業秘密、企業機密であるものを公開すべきか公開すべきでないかということについては、私はお答えできないと思うのです。  それで、安全専門審査会が申請書なりそれの添付資料を中心にして審査しているわけでありますけれども、そのときに、さらに詳細知らなければならない資料といいますのは、いわゆる企業機密に属すものも全部検討さしてもらっております。それからいま、御存じのように申請書なり添付資料というものは当初から見ますと非常に膨大なものが公開されております。しかしあれをごらんになった方が、あれじゃまだわからないんだと言われているんだと思いますけれども、まことに口幅ったいことを申し上げますけれども、安全専門審査会は高度の専門知識に基づいた専用者のグループでありまして、審査するのは申請書とか添付書類だけじゃないんでありまして、審査する人の頭の中に入っているものが一番大事なわけでありますね。ですから、どこまで一体公開したならばといいますか、納得いくかということは、ちょっと私は判断しにくいわけです。現状で十分だろうと思います。  それから、企業機密については、私はお答えできる立場にございませんし、知識も持っておりませんから。
  38. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 最後に道家先生にお尋ねをいたしますが、いわゆる許容量の問題でございますが、許容量というのは絶対的安全な量ではない。これは武谷三男先生が何かの本にそう書いているわけでありますが、許容量というのは絶対安全な量ではない、危険かもしれない、しかし危険はあっても、一方でやむを得ず出たとしても、社会としては利益がある可能性がある、そうなれば、その二つをはかりにかけて、利益が大きければそのくらいの危険はやむを得ないマイナスだ、そういう社会的な目安が許容量ということであると、こういうことを書いておるわけでありますが、私も恐らく許容量というのはそういうものじゃないかと思うのですが、それについての、先生もこれと同じようなお考えであるのかどうか。  それともう一つ、先生は先ほどやはり自然放射線の四分の一以下に抑えるべきであるという、こういうお話でございました。ところが、市川先生という人の話を聞きますと、やはり自然放射線と、それからいわゆる廃棄物、いわゆる使用済み燃料等から出る放射線というものは本質的に違いがある、いわゆる体内に入り込んで非常に濃縮されるものがあると、そういうことで、あの先生の理論はムラサキツユクサの場合を例にとって、たとえばヨード131のような、そういう微量の放射線というものが、天然の場合は問題にならなくても、いわゆる原子炉から出た場合は非常に問題があるんだと、それはもう六十万倍にも濃縮されるんだと、こういうことを言っておるわけなんですね。その点私は全く疑問に思う。その点は果たしてどうなのかなあということをもう少し調べたいと思っておるわけなんですが、その点について先生はどう思われるのかですね。この二点をお伺いして終わります。
  39. 道家忠義

    参考人道家忠義君) 初めの問題で、そのベネフィットリスクの問題ですね、それをバランスとして考えているかどうかということなんですが、私は初めの陳述の際に言いましたように、原理的にそういう推定、定量的な推定ができれば、そういう考えでもある程度いいのかもしれないと思いますけれども、現実にその推定は非常にむずかしいと思うんですね。特に私の考えでは、ベネフィットに対する推定といいますか、たとえば原子力発電所がある付近の人々と国民全体とのベネフィットを、バランスを一体どう考えるかというようなこともありますから、その推定の方が非常にむずかしくて定量化できないだろうと。ですから、リスクベネフィットのバランスという言葉は、言うはやすいんですけれども、実際上はなかなか行えないだろうと思います。したがって国際放射線防護委員会でも、それは国家の判断にゆだねてしまって自分では何も言っていないわけです。私自身もこういうバランスという考えだけでは何も決まらないおそれがあるというので、一つ考え方として、自然放射線によって人間が受けております線量というものを基準にしたらいいかということで、四分の一というのはある人にとっては、市川さんのような人にとってはちょっと大き目だと思うんですが、それ以下ということである程度の基準をつくったらと。というのは、アメリカあたりでも大体それに近い線を実際上は考えているという場合がございますので、もうそんなに国際的に見て極端に低いということではないというふうに私は思っております。その辺に抑えるということは技術的にそんなに困難ではないんで、そういう遮蔽とか放射線の外に出るのを防ぐとかということに関してかかる予算というのは全体の予算のごくわずかですから、その辺に抑えることは十分予算の上でも技術的にも可能でありまして、またそういうものをモニターすることも十分可能であるというふうに思っております。  それからもう一つ、私は少し強調して言ったつもりでいたんですけれども国民全体の受ける線量というものの中には、原子力分野から出てくるもの以外に医療用の放射線の問題があるわけですね。そういうものを全部含めないと全然意味がないんで、そういうもののバランスも考えなければいけないだろうということを強調したわけです。先ほどのムラサキツユクサの考え方なんですけれども、ムラサキツユクサ自身は非常に感度がいいものですから、確か市川先生が言われているようなことがあるのかもしれませんけれども、私の考えとしては、まだそんなにはっきりヨードによって説明できるかどうかというのはちょっと私自身自信がございませんが、人間に対しても、アメリカのスターングラスというような人たちの統計によりますと、フォールアウトであるとか、原子力発電所から漏れている放射能とか放射線によって胎児の体内被曝みたいなことが起こって、胎児というものは非常に放射線に対してセンシティブなものですから、その影響が具体的にも出ているんだというような考え方もあるわけです。これは理論的に、医者の方の胎児のX線被曝のデータから、いろいろその影響を推定するような量が出てきまして、それに基づいて計算しますと、そういうことがないわけではない。感度が普通の一般の大人とかそういうような者よりも百倍近く高いものですから、そういう特別な場合についてはあり得ないとは言えないけれども、まだ本当に科学的に立証されたという段階には達していないというふうに思います。ですから、そういう可能性は多分にあるので、もしもそれが事実とすれば、これはかなりいろいろな放射線に関する問題をもっと深刻に考えなければいけないという立場にならざるを得なくなると思いますけれども、まだそれは十分に立証されているとは私は思っておりません。ですから、私自身はまだ市川先生の言われているようなことが本当であるかどうかということに関しては若干疑問を持っております。
  40. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 共産党の佐藤でございますが、本日は先生方ご苦労さまでございます。  最初に行政懇の御報告意見書の関係で有灘先生にお尋ねをいたしたいと思いますが、冒頭の先生の御説明で、いわゆる原子力安全委員会あり方について、行政委員会でない方がベターだとする理由として、今後安全確保行政上、予測されざる問題に弾力的に対応しやすいというような理由を挙げられておったと思いますけれども、それなら逆に、今回の提案に出ているような、こういう組織形態でいった場合、同様の権限上の制約も同じようにあるわけですし、法律事項で定められる場合でも、私どもの普通の常識では、いろんな各法律任務権限を定める場合に、大抵末尾に、いまのこの安全委員会の関係でいえば、その他安全規制行政上必要な事項と、その他必要事項というのを大抵末尾に入れて、いろいろ弾力的に対応できるような、そういう法律上の形をつくるというのが通例にもなっているわけですが、先生も強調されておった国民原子力行政に対する信頼感、安心感、これを機構上も明確にしていく、そういう見地から言って、行政委員会でない方がベターなんだという、この理由については、まだもうひとつ解しかねる点がありますので、そう言えば逆にそれなら、別の分野になりますけれども、公正取引委員会のようなものがありますけれども、ああいう組織形態というのは国民の期待にこたえる形態ではないというようなことにもならぬと思いますし、そういう点でもう少し御説明をいただきたいというように思います。  それから二つ目は、いまも塩出委員が質問をなさっておったこととも少し関係をいたしますが、いわゆる原子力安全委員会独立権限という問題に関係をして、この報告書にも、「独立の事務局を設けることが望ましいが、」当面科技庁の原子力安全局に事務局を置くのだ、こういう表現になっておると思うんですけれども、そこで、当面はそういう過渡的措置をとるとして、できるだけ早い機会に独立の事務局を持つという方向にこの安全委員会の組織体制の強化、拡充を図っていくということが望ましいんだという行政懇の御意見なのかどうか、そこを重ねてお尋ねをいたしたいと思います。  それから三つ目は公開ヒヤリングの問題で、この報告書は、そういう公聴会なんかの定着を図りつつ、しかる上で制度化の問題を検討するという、こういう表現になっていますけれども、そういう表現になった理由として、公聴会闘争の場にならないような実績定着を図った上でという御説明であったわけですけれども、そうなりますと、これは今後対応をする原子力発電所設置者の側なり通産省の側なりの、この問題についての今後の姿勢がどうなるのかということとも深く関係をすると思いますけれども、何も住民側だけが闘争の場になることについての一面的責任を負うものではないわけですね。で、闘争の場が今後頻発を——闘争の場という概念をどう見るかという、このことも議論があると思いますが、そういう、間々論争になったということを理由に、公聴会を開くのだということが、制度化が遷延をするということになれば、これは本末転倒ということになるわけでございますし、この公聴会開催に当たっての開催の条件なり、実施の形態なり、これをどうするかということは、そういう経験を重ねて一層適切なものにしていくという、それはもう当然運営上の工夫が加えられる問題だと思います。私は、こうした表現がややもすると、この公聴会の開催を定着化をするということがおろそかにされるということになりはしないかという危惧を持つわけですけれども、その点についての御見解をお尋ねいたしたいと思います。  それから四つ目の問題として、安全審査に当たって、「審査担当省庁は、原子炉安全審査報告書案及び温排水等の環境審査報告書を作成し、公表する。」、これはまあ当然必要なことだと思うんですけれども、問題はこの温排水の問題で、調査の結果どういう結果が出ましたという、それを収録をし、公表をする、これも大事なことでありますけれども、問題は、その温排水がたとえば沿岸漁業等にどういう影響を与えるかという、ここが漁民の皆さん方、住民の皆さん方の非常に心配なところであるわけですし、これの温排水についての規制基準、これが物差しがはっきりしていません。単なる報告書だけが出たって、これでいよいよ原子力発電所設置よろしいかどうかという総合的判断をしていく場合の物差しが今日はっきりしていない。御存じのように、もう数年前になりますが、この国会でも温排水の規制基準を速やかに決めるべきだという、そういう決議が、委員会としては商工委員会ですけれども、そこで決定をされて、相当の年数が経過をしながら、今日もなお温排水の規制基準が明確になってないという問題があるわけですけれども、この温排水の規制基準をできるだけ早く定めるという必要性の問題について、行政懇ではどういう御議論になったのかお聞かせをいただきたい。とりあえず、以上四点です。
  41. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) 順次お答えいたしますが、最初の、原子力安全委員会行政委員会にした方がベターではないか、何で八条機関といいますか、審議会形式にとどめたかと、こういうお話でございますが、権限を規定するという場合にはいろいろ項目を決めて、その他原子力安全行政に必要なことを含むと、こういうふうに書いてあるからかなり弾力的にやれるんじゃないかという御主張でございます。ですが、この場合は、原子炉につきまして、発電炉につきましては、一方では通産省というのがあります。あるいは一方では科学技術庁というのがある。そこで行政庁行政機関行政機関との間の接点になってくるわけです。そこはたとえば通産と農林省との間にもその問題があると私は思います。そして、問題によってはどっちが責任をとるかわからぬというような問題が起こってくる。ですから、ほかの行政庁がなくって権限がどこまでも広がり縛るような場合にはその他という項目でカバーできると思いますけれども、この場合はそれがなかなかできないという心配があったからでございます。それが一つ。しかし、まあ審議会にした方がよりいいと言ったのは、最初にも申し上げましたように、行政委員会は何といっても政府内部にあるということが私たちの非常に頭にかちっとくる問題でございます。まあ、公取委員会もあるじゃないかとおっしゃいます。公取委員会行政府内にある機関でございます。そのためにいろいろの問題が起こっているということは御承知のとおりでございます。それがために私どもは、むしろ政府の外にあって、そして国民の口証にこたえる委員会の方がベターだ、こういうふうに考えたわけです。それに対して、それでは権限がなくって困るんじゃないかというのが皆さんの反対論だと思います。しかし、委員会決定は総別大臣がこれを尊重しなければならぬとなっております。また、各省庁にもその決定総理大臣を通じて伝えてそれを尊重させることになっております。また、報告を徴収することも意見書を提出することもできる。それらの権限があるわけです。そういう権限は十分持っております。ですから、その権限をどういうふうに十分に活用して国民負託にこたえるだけの態度をとっていくかということが原子力安全委員会任務であろうと思います。ですから、そういうことはやればやれるわけです。ただ、やる人、つまり委員がそれをやるかやらぬかということによってかなり動きが違ってくるということは確かでございます。しかし、まあ権限がありましてもその権限を十分使わないという役所もありますから、そこは、人の問題は役人の場合も委員会の場合も私は別に変わりはない。むしろ役所の人でない、官吏でない人が委員になっておるわけでございますから、この人は、私の考えから言いますと、独立独歩の態度を取りやすいということは言えると思います。それが第一点でございます。  それから、事務局のことでございますが、さしあたっては独立の事務局を安全委員会は持たないで、まあ今回は科学技術庁の安全局になったわけでございます。いま申し上げましたように、この原子力委員会安全委員会独立の存在機関、組織として活動するわけですから、それに必要な事務局は、ぜひ自分の事務局を持ちたいということは私どもも非常に念願しておるところでございます。それがどういうふうな形で持ち得るか、持てるかということについては、もう少し研究をしてみないとどうもにわかに結論が出せないというところで「当面は、」ということに相なっております。ですから、これは原子力安全委員会が発足しまして、自分でいまの独立独歩の活動を始めると、そのときにどういう不便が出てくるか、どういう支障が出てくるかということによりまして、自分たちの事務局を早く持たなきゃいかぬかどうかというふうな問題がはっきりしてくると考えております。ですから、いまの科学技術庁の安全局が十分安全委員会の事務局として役割りを果たし得ないかどうかということは——私は果たしてもらいたいと思っておりますけれども、果し得ないかどうかわかりませんが、それは今後の事実によって判断を下し、そして、早く事務局を持たなきゃならぬようになりますか、また、そうじゃなくて、当分の間はまたそれでやっていけるかどうか、それは事実の発展にまつよりいまのところ私はしょうがないというふうに考えております。  それから、公開ヒヤリングの問題でございますが、この制度化につきましては、どういうふうな公開ヒヤリング制度をつくればいいかということをいろいろ議論したことは確かでございます。そうしますといろいろの疑問が出てまいりました。なかなか一義的な制度を考えることはできませんでした。しかし、公開ヒヤリングは必要なことはもう確かなんです。ついては、公開ヒヤリングは、先ほど申しましたように、最初の段階におきましては、通産省中心とした官庁が主宰者になって、そして、そこでの説明着は電力会社といいますか、原子炉設置する設置者がまずやります。それは冠詞審の認可がおりる前に電調審に参考になるようにそこでまずやる。これは通産省もやることになっています。その次には、その電調審の上がってきた後、今度は通産省の方の安全審査報告安全委員会の方へ出てまいりますから、安全委員会が主導してもう一遍公開ヒヤリングをやります。そして、その公開ヒヤリングの成果をも踏まえて安全委員会一つの結論を下すことに相なります。ですから、そういうふうな手続は確かにそうですけれども、いままであっちこっちでやりました公開ヒヤリングはかなり混乱をしております。御承知のとおりだと思います。ですから、同じような混乱が続いていくという場合には、これ制度化しておったならばにっちもさっちもいかないようなことになるんじゃないか、公開ヒヤリングができなくなるおそれもあります。そこで、そういういまの手続に従いまして公開ヒヤリングを必ずやっていて、そしてだんだんこう固まってきた上でひとつ制度を考える、つくったらどうかと、こういうのが定着した上で制度化をするというふうに書いてあります。だから制度化をしないという意味じゃございません。制度化をするまでの——制度化も、どういう制度化が最もいいかということがまだ私たちの頭の中でははっきりと浮かんでこなかったことも確かでございます。外国の事例もいろいろ調べてみました。ですけれども、まだ日本の場合においてどうであるかということになりますと、制度化のイメージがはっきり出てこなかった点もありました。したがって、さしあたってはいま申し上げましたような段取りで公開ヒヤリングをやって、そしてだんだん定着化の上で制度化しようと、こういう考え方でございます。制度化をおくらす口実にしているという意味は毫もありません。  それから温排水の点でございますが、温排水の問題も無論安全審査の場合には十分検討を加える点でございますが、ことに、これはいま海洋生物環境研究所ですか、というのが二年前でしたかな、もう確かにできておりまして、ここでいまの温排水が海洋生物に及ぼす影響について研究を始めております。いまのところまだできましてから二年でございますから、ある程度の成果は出ておるようでございますけれども、まだ温排水の基準をどうするべきかというところまでの結果は十分でないと思います。無論この温排水につきましても、その排出の基準も、地形とかその他の潮流の流れとかいろいろの条件がありますから、その基準も複雑だと思いますけれども、そういう研究を進めることによって基準をつくるということになっております。海洋生物環境研究所の方は、及川漁連会長が、たしか会長さんだったかな、何かやっておりまして、それで研究を進めております。それですから、私は先ほども申しましたように、安全委員会ができましたならば、まあ最初に安全委員会というものができるわけですから、非常に取り組むべき仕事が多いと思います。この原子力安全性に関する基準の問題もまさにこの安全委員会の取り組むべき大きな仕事の一つになっております。その他もありますけれども、これも非常に大きな問題じゃないかと思います。ですから、温排水につきましても同様のことが考えられるというふうに私は考えております。  以上、お答えいたしました。
  42. 佐藤昭夫

    佐藤昭夫君 もう時間がありませんので最後に一つだけお尋ねしますけど、内田先生と藤本先生にお尋ねいたしたいんですが、この法改正問題にかかわりなく、原子力行政に対する国民の不信をどう払拭するかというこの問題が重要だということは、各先生方共通をして指摘をされておられるわけですけれども、その関係でいわゆるこの「むつ」問題の今後の扱いというのは、非常に国民が注目をしておるところだと思うんです。長崎県知事の核封印案というものも出てますけれども、あの問題についての御意見もございましたが、ついでにお答えも願いたいと思うんですけれども、その点はさりながら、当初から政府の方が考えております総点検計画ですね、この内容について、御存じのようにこの「むつ」に核燃料が装荷されましたのが一九七二年ですからもう以来六、七年経過をしておる。さらに今後三年ぐらいの修理期間が要るだろうというふうに言われております。そうしますと、約十年だと、こう見た場合に、いわゆる当初の政府案の核つき改修、こういうことでいきました場合に、圧力容器内部の点検をどうするのか、それからこの核燃料の点検をどうするのか、イオン交換樹脂の核種分析をどうするのかという個々の根本問題が、今日まで言われておる政府のこの改修計画の中では明らかでないというこの重大問題があると思うんですけれども、ここらの問題について、本当に国民の信頼の上に仮に「むつ」改修を行っていくという場合についての御意見がおありなのかどうかということを最後にお尋ねしておきます。
  43. 内田秀雄

    参考人内田秀雄君) 私は、この参考人として出ますのは東大教授としての個人なのか、やはり何か意見言わすと安全専門審査会の会長としての意見にならざるを符ないと思いますが、「むつ」に関しまして、「むつ」のいわゆる設置許可でありますが、そのときの原子炉安全審査にうちも担当いたしまして、設置許可が出た後は私は関係をしておりませんので、現状はどうなっておるのか、これからの対策がどうなっているか、新聞で見る以外は一切存じません。でありますので、現在の体制でありますと、何らか、「むつ」の設計の変更なり、あるいは将来計画の変更なりが原子炉の安全の問題としてどう考えるべきかという改めた審査の御指示が、原子力委員会から専門審査会にあったときに初めてそれを検討することであると思いまして、現在は何もお答え申し上げる知識も何も持っておりませんのでお許しをいただきたいと思います。
  44. 藤本陽一

    参考人藤本陽一君) 「むつ」問題については、私は一言だけ意見を申したいと思いますけれども、現在の放射能漏れの事件というのはまだ序の口でございまして、本当に原子炉をちゃんと動かしてないわけですから、あれでもって「むつ」は決して終わっているわけじゃないと思います。問題の根源は、要するに原子力船をつくるときにそれに積み込むエンジンというか、原子炉を地上運転するのがぼくは普通だと思いますけれども、地上運転も何もしないで船に載っけたということが最大の間違いだと私は思っております。だから、やっぱり地上でフル運転して、大丈夫だというものでなければ船に積むこと自身無理なんじゃないかと、私はそういうふうに思います。多分いままでいろいろな船ができたときに、新しい水力のエンジンはみんな地上運転をして、それで大丈夫だということで船に積んだんじゃないかと私は思います。原子力についても同じだと思います。
  45. 中村利次

    ○中村利次君 四先生の参考人としての貴重な御意見を拝聴いたしまして、行政懇の四つ共通認識を伺いましたが、これは私も全く同感です。しかし、こういう法律の改正をやろうというのは、一番最後の行政政策の実施について責任体制明確化を図るということが一番大きかったんじゃないかと思うんです。しかし、これは機構をどう変えてみても、しょせんは、役所の体質が、さあおれのところで責任とるぞと、おれのところの仕事はおれのところで責任とるぞという、そういう体制に果たしてあるのかどうか、それからなわ張り意識がどれくらいあるのか、ここら辺に帰結をしちゃうんで、これは議論百出してなかなかはっきりしたつかみどころがないのが実情じゃないかと思います。  それから、原子力開発が平和利用に限るというのは、もう当然過ぎるほど当然でありまして、もう一つの、すべての技術開発というのは、これは人間の幸せのためにあるんですから、国民の健康と安全を侵すような開発があろうはずがないわけでありますから、これもいまさら議論対象にはならないと言ってもいいぐらい当然のことだと思うんです。問題なのは、このエネルギー安定確保原子力が不可欠のものであるかどうか。私はもう不可欠であるという立場をとっておりますけれども、これはしかし、石油に対する見通しがどうなのか、あるいは石炭の液化、ガス化等を含めた利用がどうなのか、エネルギーバランスが将来どうなっていくのか、いろいろこれは議論のあるところでございまして、しかし私はこの四点の共通認識につきましては全くの同感です。特にエネルギーが人間生活に与える影響を考えますと、いろんな面から見て、やっぱり今世紀軽水炉から高速増殖炉につないで、二十一世紀もこれはかなり先でしょうけれども、核融合、太陽熱の本格的な利用にどうつなげていくのか、つなげるのかつなげられないのか、人類のあるいは日本国民の福祉社会をつくり上げることができるのかできないのか、幸せな人類の生活が維持できるのかできないのか、オーバーな表現のようですけれども、やはり私はそう確信していますから、そういう意味原子力開発はぜひとも必要だと思うんですが、確かにこの安全委員会を三条機関にするのか八条機関にするのかという点につきましては、いまでもまだこれはあります。いまでもあります。私の周囲でも私を含めていろいろあります。ありますが、先ほどからの有澤先生の御説明あるいは同僚委員の質疑に対する御答弁等によりまして、行政懇のお考えというものは明確にわかりました。  また、やっぱり問題になるのはダブルチェックの問題で、藤本先生から、専門的にはクロスチェックはあってもダブルチェックはないんだというお話も伺いましたけれども、有澤先生の御説明からしますと、この安全委員会が完全に国民立場独立した審査機関としてその機能を発揮するということになりますと、まさにそのクロスチェックの選択もこれは安全委員会そのものが持っておるんだというぐあいに私は解釈しますから、この点についてもきわめて明確にわかったつもりです。  ただ、公聴会の問題につきましては、実はこれは本特別委員会でも、公聴会制度化というよりも——これはお亡くなりになった、あれは何とおっしゃったかな、科技庁の長官をおやりになっていたころ、原子力委員会として運用上公聴会をおつくりになった。それから、これは福島でやったんです。ところがこれはやっぱり反対闘争の場になったんです。公聴会を粉砕するという闘いが仕組まれたことは歴然たる事実ですよ、これは。しかしながらこれはまあやりました。ところが二回目の新潟は、これは粉砕されたんだか、やれなくなったんだか知らないが、とにかくやらなかった。これは法律事項じゃなかったから私は実害はなかったと思いますよ。結局原子力委員会の運用の上で公聴会をやろうと。ですから、おっしゃるとおり、これは公聴会のありよういかんによっては原子力というものは前に進まなくなる。そこで、私どもが当時やっぱり非常に議論をしましたのは、反対、賛成がきわめて明確になって、科学者だとか弁護士だとか、そういう専門家あたりの議論の場になるような公聴会では、これはもう何にもならぬ。それから、アメリカにももうすでにそういう反省が見えるではないかということもあったんですが、やっぱり民主主義体制として公聴会というにしきの御旗は否定できませんから科技庁もおやりになったと思うんだが、みごとにこれは失敗でしたよ。ですから、機が熟するとか、そのやり方、公聴会の持っていきよう、要綱ですね、こういうものを、現在の原子力に対する世論の実態からして見通しをどういうぐあいにお考えになるのか。これはまことに申しわけのないような質問でありますが、きわめて簡単で結構ですから、もしお答えいただければお答えいただきたいと思います。
  46. 有澤廣已

    参考人有澤廣已君) ただいま御質問のございましたように、公聴会原子力発隅を進めていく上におきまして重要な一つの一環をなしております。と申しますのは、地元の方々と接触をして、広く言えばその安全の問題についてどういうふうになるかということを十分おわかり願いたいという気持ちで公聴会を開くわけです。そのためには地元の人のいろんな疑念を十分出していただき、それに対して当事者の方がこれにお答えをするというふうに対話が続けていかれるような雰囲気だと、大変私は公聴会の意義が多くなると思います。だから、それは一回でなくて二回やる、三回やってもいいと思います。ただ、福島の例で申しますと、私は直接関係しておりませんけれども、私の聞いたところによりますと、公聴会をやらせないということがこの際反対派のタクティックスになったわけですね。ですから井上委員長代理も向こうへ行っておりましたけれども、井上委員長代理はかん詰めになって現場へ行けなかったんです。それで山田委員が別の裏口から出て現場へ行って、それで開けたと、こういうふうな情勢なんです。そういうことでは公聴会をやりましても本当の実が上がらないと私は思います。ですから、たとえば地元の人も技術者でというか、科学技術の知識が十分あるわけじゃないんですから、そのアドバイザーになっている方がいらっしゃってもいいと思います。けれども、話し合いは平和にお互い意見を交換をすると、話し合いをすると、そういうふうな公聴会がだんだん積み重ねられていくようになりますれば、そこで初めて公聴会制度を設けて、こういう場合にはこういう制度に従って公聴会を開くんだと、こういうことを決めることができると思います。ですけれども、私は日本人はどうも原子力あるいは原子核といいますか、にアレルギーがあります。これは広島や長崎の経験からいって当然、どうもあれは危ないもんだという——危ないところもありますよ。ありますけれども、危ないというアレルギーがあって、そのアレルギーを解消するというのは私は非常に必要なことだと思いまして、ある心理学者に、アレルギーを解消する方法はどういう方法が考えられるかということを聞いたことがあります。そうしますとその心理学者はいわく、権力で抑えつければ抑えつけるほどアレルギーは反応する。また論理的に説得するといいますかね、論破するとすればするほど反発を来す。やはりアレルギーを解消するには対話、対話を続けることによってアレルギーを解消するしかないんだと、こういうのが心理学者の回答でございます。私もどうもそれが本当のようだという感じがしておりまして、ですから公聴会も、本当に危険なものであるか、安全なものであるか、そこの点についてお互いに冷静に意見を交換する、いわゆる対話をする、そういう場で公聴会があってほしいと、こういうふうに考えているわけであります。また将来はそういうふうに持っていきたい、そのためにはどういうふうにするか、どうせ公聴会ですから一定の場所がありまして、それに何千人も人が入るわけにはまいりません。そうすると、人数をどういうふうに制限するか、制限の仕方も大変むずかしいです。それで発言者についてもどういうふうに発言をさせるか、このやり方は非常にむずかしいと思いますが、そのやり方につきましても、対話が続けられるような形をつくり出すという意味においてやり方を考えなきゃならないと、こういうふうに考えております。
  47. 中村利次

    ○中村利次君 どうもありがとうございました。  時間がございませんので、まことに恐縮ですが、まとめて道家先生にお願いいたしましょうか。先生の先ほどのお話を承りまして、放射線の許容線量の基準を自然から受けるものの四分の一以下にすべきであるということを伺ったんですが、これはたとえば関東地方には四十ミリから七、八十ミリレムの放射線を自然から受けるんだと、近畿、中国あたりはちょっと高くて七十から百二、三十ぐらい、インドやブラジルには工面、千、二千ミリレムの放射線を自然から受けると、この自然ということでございましょうか。
  48. 道家忠義

    参考人道家忠義君) そうです。
  49. 中村利次

    ○中村利次君 そうしますと、放射線防護委員会の線量基準等のお話もございましたけれども、実際には、五ミリレムとか、日本の場合は三ミリレムですか、そういうものがあっても実際のモニタリングの結果は一ミリないし二ミリレムぐらいだと発表されておりますね。そうなりますと、先生が御指摘になった四分の一以下に抑え込むということは、それよりもはるかに実際の数値は低いということになりますし、それからまた、その後御答弁で伺いました医療用の、これはまあかなり高くて、私なんか歯が悪いもんですから、歯の治療ですと千ミリ前後から四、五千ミリ、四千ミリ余りぐらいのあれもあるそうですけれども、これは個体によっていろいろ差がございますから、これをどうとらえるのか。ですから、先生の御指摘の点からいきますと、この許容基準では余り心配はないんで——余りというか全く心配はないんではないかという気がいたしますし、それからもう一点恐縮ですが、これは藤木先生も道家先生も原子炉はまだこれはでき上がっていない研究段階であって、実用段階には達しておらないという御意見でありますけれども、それは安全性について絶対安全であるということは言えない、これは私もそう思うんです、そういう点では。原子力はまさにこれは平和的に実用化しておると思いますけれども、絶対安全かと言えば、私はもう安全だ、安全だと言っておりますけれども、絶対かと言われると、これはやっぱり仮想事故の議論なんかでも、それが百万年に一同か、一千万年に一回かのものであっても絶対とは言いかねるわけでありますから、しからば絶対という定義は何だと。それじゃこの世の中に絶対というものはあるのかということになりますと、たとえば飛行機にしても、これは実用段階に達しておるのか研究段階かといえば、みんながもうすでに実刑品であるというが、やっぱり事故も起きますし、絶対ではない。その他もことごとく絶対的なものはないと思うんですね。その場合、しからば、その許容されるものは実用化しておるといって認められる基準は何だということになれば、これはやっぱりこの確度の問題だと思いますがね、頻度というか、確度というかあるいは安全性の安全度というか。そういう安全性、安全度の上から言っても、仮想事故の頻度から言っても、原子力はそのほかの、たとえば飛行機だとか自動車だとかあるいは列車だとか船だとかそういうものに比べてはるかにこの安全度は問いと、確度は高いという認識を持っておるんですが、そういう点いかがでしょうか。
  50. 道家忠義

    参考人道家忠義君) 先ほどの自然放射線量の四分の一ということに関して初めに御説明いたしますと、これは非常に高いように言われましたけれども、初め注意しましたように、医療用ですね、診断、治療も含めて、それを全部含めて総合的にそういうようなレベルに抑えるように努力する、国がですね。そうしますと、もう正直言って、現在では医療用では、生殖腺に与える線量とか、それから骨髄線量ですね、骨髄に与える白血病の原因であるところの、そういう線量というのは特に日本では非常に高くて、もう自然放射線量に近いわけですよ。これはむだに使っているからそうなんであって、わずかな技術を少し駆使することによって、かなり低いところまで落ちるということは言われております。アメリカあたりでも年間十ミリレムぐらいには抑えられるであろうというふうに言っているわけですね。アメリカあたりで、たとえばどういうふうに考えているかというと、それは別に向こうで基準を考えるときに、そういう考え方を採用されたかどうか知りませんけれども、モルガンという保健物理の大家が、一応国民線量としてある線量を考えて、その中のたとえば毎年十ミリレムというものを、これは治療用の、診断用の線量としてとっておく。それから、その中の五ミリレムを、治療ですね、今度は治す方に使うと。それから職業人というのは年間五レムまで浴びるというような条件でやっておりますから、全体の、全人口の何%がそういう仕事に従事するかわかりませんけれども、全体平均として、国民線量として年間、五ミリレムぐらいになるだろう。そうすると、そういうものを全部足したもとの残りが原子力の方面に使ってもいい線量だということになるわけですよ。  ですから、そういう意味では、私が自然放射線量の四分の一と言ったのは非常に高いように見えますけれども、逆に非常に少ないんですね。ほとんど使うべき余裕はないというふうに、場合によってはなり縛るわけなんですよ。ですから、そういう点は、先ほど言いましたように、医療用に使われておるものがかなり無計画に使われておるものですから、これをある程度抑えていくように努力すれば、それはその残りが原子力の方に回るという、そういう考え方ですね、私の考え方は。ですから、そんなに高いんだという、高過ぎるような話ではないというふうに了解していただいた方がいいと思います。  それから、安全性の問題について何か質問があったわけですけれども、私は原子炉自身の専門家ではございませんので、それが従来の考えから見て、すでにでき上がった技術であるかどうかということに関しては、それほど自信を持ってお答えできません。ですけれども、私が一等心配しているのは、初めに申し上げましたように、その次の核融合なら核融合というエネルギーを引き出すまでに、いまのような軽水炉を使っていて、たまる放射性物質が一体どのぐらいの量になるのか。それが世界全体にばらまかれたり何かしたときにどうなるのか。たとえばクリプトン85というのは、結局気体となって外へ出ちゃうわけですね。これを捕捉してためておくことはできますけれども、現に自然の放射能と同じように、だんだんふえているわけですね。そういうものが千二百年ぐらいになるとどうなるかといいますと、もう年間二十何ミリレムというのは超えてしまうだろうというふうな推定があるわけですよ。ですから、そういうような将来のことを見通して、本当に無計画に現在のような技術のままで次の核融合に受け渡しするということ自身が非常に危険性を持ったものである。それで、結局、その間にできた放射性物質というのが大体千年ぐらいかからないともとの状態に戻らぬわけです。その間だれが一体責任を持ってその安全性を保障するのかということについては答えが出ていないと私は思っております。そういう観点で、そういう積極的な原子力発電の建設ということに対しては私は反対であるということを申し上げておるわけです。
  51. 中村利次

    ○中村利次君 ありがとうございました。
  52. 柿澤弘治

    ○柿沢弘治君 新自由クラブの柿沢弘治でございます。きょうは先生方ありがとうございます。  最初のお話と各委員からの質問に対するお答えで大変参考になる御意見を伺いました。瞬間も限られておりますので、一つだけ藤本参考人にお伺いをしたいと思います。  私も原子力の問題で一番大切なのは、先ほど有澤先生からお話がありましたように、対話を積み重ねていってアレルギーをどうやって解消していくかということだと思います。その意味で、いままでの行政サイド対応の姿勢の中に問題があったことも事実だと思いますし、できる限り公開の原則に立って虚心に国民に訴えかけていくということも大事だと思いますけれども、同町に、やはり受ける側についても、いままでの態度から改めていただく必要もあるのじゃないだろうかというふうに思うわけです。  先ほど、いまの道家参考人の御意見も同じなんですけれども一つ藤本参考人もカタストロフの可能性がないわけではないというお話がありました。それから、いま道家参考人からは、蓄積していった放射能というものが人数に大きな被害を及ぼすのではないかという心配が出されました。もしもその二つの問題を重要視することになると、原子力委員会から安全委員会を分けてみても、それから先ほど先生方のお話しになったような住民の要望を受け入れる窓口をつくれとか、補償基準をつくれといったような問題で解決しない、いわばイデオロギー的な差のようなものがあるのじゃないだろうか。そうなりますと、この問題はどうも対話でなかなか片づかないということになってしまうわけでございまして、そこのところは何としても私ども素人にはわからない部分で、学者の先生方に共通項というものをどうしてもつくっていただかざるを得ないというふうに思うわけでございます。その意味で、いまの越えがたいみぞがあるのかどうか、それとも、何らかの安全性を高めていけば許容できるといいますか、推進派なり慎重派の間に妥協できる余地があるのかどうか、その点を一つお伺いしたい。  それからもう一つ。それは学者の立場でお答えをいただきたいわけですが、同時に、いまの住民の要望の受け入れ、公開ヒヤリングの問題、公聴会の問題、そういう問題についても藤本先生から御意見が出されました。そうしたものをもしつくっていけば、いま有澤先生がお話しになったように、対話を続けていって、冷静な合意といいますか、妥協が成り立つ余地があるとお考えでしょうか。それとも、住民の要望を受け入れる窓口をつくる、補償基準をつくるということは、結果として見ると、原子力発露所がまるでできないという結論になるということになるのかどうか。先ほどの藤本先生の御発言の中からは、どうも結果として見ると安全性に完全に疑問が出て、できないということになるおそれがあって、全面ストップということになりそうな感じがするわけですけれども、それは私の誤解であるのかどうか、その点をお伺いをいたしておきたいと思います。
  53. 藤本陽一

    参考人藤本陽一君) いまのお話は、いろいろなポイントの質問がまじっておりますので、全部うまくお答えできるかどうかわかりませんけれども、まず一番最初に、アレルギーという問題でございますけれども、それはかなり用心して使っていただかなければならない言葉だと私は思うわけです。というのは、これは私たちにすれば、思い出せばビキニの爆発のときに、われわれ日本の者たちはそのビキニの灰が非常に大変だということを言ったときに、アメリカのサイエンテストたちが、日本人は原爆に対するアレルギーがあるんだと言ったわけですね。ところが、実際はどういうふうになっているかというのは、最近の新聞で御存じでしょうけれども、ビキニとかロンゲラップとか、ああいう島ではだんだんに原爆のフォールアウトの被害が大きくなっていて、決してアレルギーでないということが明瞭になってきたということも御存じだろうと思います。  それからまた、道家先生きょうは許容量のことを申されましたけれども、許容量も、ビキニのときの許容量といまの許容量と比べますと、ビキニのときには、いわば広島、長崎の経験によって、白血病、骨がんが一番大きなものだ、それだけが統計に出ていた時代でございますけれども、最近はそうでなしに、いろいろな種類のがんがやはり放射線によっても起こり得るということが出てきたわけで、だから必ずしもアレルギーという言葉だけでなしに、やっぱり科学的な事実が積み上がるに従って放射線の起こす障害の実態がだんだん明らかになってきたという面もあるということを考えていていただきたいと思います。  それから第二番目に、機構を変えても結局意見がなかなか合わないのではないかとか、それから公聴会を開いてもなかなか合意が得られないのではないかと、それは結局そこに横たわっているイデオロギーの違いではないかというふうにお話しになったと思いますけれども、そのイデオロギーの問題の以前に、やはり原子力発電についてある程度の事実がやはり出てきたというふうに私は見たいと思うんですけれども、それはたとえばPWRというような種類の発電炉であったならば蒸気細管の事故が軒並みに出てきて、それはいま一応おさまったように見えますけれども、その解決が果たしていいかどうか、これまたわからない問題だと私は申し上げます。  それから、この原子力行政懇談会のときにはBWRというタイプの炉はわりあいピンピンと動いていたわけですけれども、それがその後ひび割れの問題が起こって、それで稼働率が非常に下がっていることも、これまた御存じだろうと思います。私は、何遍も申し上げますように、原子力開発というのはしなければならないし、これは日本の将来のエネルギー源としては非常に大切なものだと思っているわけでございます。しかし、そうかといって、いまのようにすることが果たして最短コースであるかどうかということに疑いを持つものでございます。  たとえば、例を挙げますならば、一番最初日本が輸入した原子炉はコールダーホールというタイプの原子炉でございましたけれども、それは非常にいろいろな議論があったわけですけれども、その当時の原子力委員会は、改良コールダーホール型の原子炉を国内で十何台か何十台かつくって、それで巨大な発電をするという、そういう構想であったわけでございます。そのとき問題になったのは、たとえば耐震性の問題とか、それからそのほかいろいろな問題があったわけですけれども一つの問題は、コールダー改良型のその改良というところは、それまでの輸入する前のコールダーホールであった原型炉よりも温度を上げて運転しようと。温度を上げた方がそれは発電には非常にいいには決まっていますけれども、そういう未知のことを試みたわけでございます。そうすると、未知のことを試みればいろいろな問題が起こるのは、これは当然である。結局どういうことになったかというと、コールダーホール炉は一台でやめられたわけですね。そういう事実があるわけでございます。だから、ぼくも一番簡単な方法といえば、これはとりもなおさず、そのP型、B型について一番最初一台お入れになって、それを、これは発電の足しにするというよりも、それをいろいろ動かして、それでその問題点を出すだけ出して、それからその実用という段階を踏まれたらずいぶんよかったと思うんですけれども、そうであれば、たとえば出る灰の始末にしてもいまの炉とはけたが違いますし、それから軒並み何台もの炉が全部とまるということもないわけで、そういうやっぱりきっちりした段階を踏まなかったということを私は疑問に思っている次第でございます。だから、簡単に言えば、たとえばいまの原子力発電所の出力を落とせばそれは安全になるに決まっているわけです。それで動かされたらぼくはいいと思います。ただし、出力を落とせばそれは安全にはなりますけれども、そのかわり、経済性の問題については、これはそうそう当初のような経済性は成り立たないということになります。それはいまの段階では仕方がないことで、そういう段階だということはやっぱりぼくは主張したいと思います。  そういうふうに思っているわけでございます。
  54. 藤原房雄

    委員長藤原房雄君) 他に御発言がなければ、参考人方々に対する質疑はこれにて終了いたします。  参考人方々には御多用中長時間にわたり御出席をいただきまして、貴重な御意見を拝聴させていただきまして、まことにありがとうございました。委員一同を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十五分散会