○稲嶺一郎君 ただいま政務次官初め郵政省、電電公社等の御
意見をお伺いいたしまして前向きの姿勢でこの問題を取り上げるということを聞きました。ぜひその線でこの問題の解決に当たってもらうように要望する次第でございます。
次に、教育の問題についてお伺いいたしたいと存じます。
昨年の十月に、
沖繩県教育
委員会の定例会議で、大浜
委員長が、学力の低下の責任は一体どこにあるんだということを話をされました。家庭や行政にも責任はあるが、最大の責任は学校現場にあり、この点をもっと打ち出すべきだと述べて、これが
沖繩の教育界それからまた家庭内においても社会の大きな教育論争のもとになっております。時間がないから余り触れませんが、私はこの点について特に文部省の方に
お話をしたいのは、高校進学率が低いこと、あるいは中学浪人が多いこと、それから国立琉球大学の入学者が非常に少なくなっていること、特にここで問題になるのは中学教員の国語科の問題ですが、今度県内の方から一人の合格者も出ていないということで各界に非常なショックが生まれているし、今後恐らく
沖繩の教育の問題についても大きな問題を提起するのじゃないかと、そういうことがございまして、私は、この際、だれが悪いとか、教師が悪いとか、父兄が悪いとか、社会が悪いとか、こういったことは言いたくありません。この際は、この現実を踏まえて、お互いに謙虚になって、文部省の方も、県の方も、父兄の方も、それから教師の方も、一緒になって、現実はこうなんだと、これは一体どういうふうにすれば打開できるんだということで取り組んで結論を出してそしてそれを実行に移す、
開発庁においてもその点を十分踏まえて
沖繩の教育の問題を
考えていただきたいということを私は要望したいのでございまして、答えは要りません。
それで、私
一つ提案があるんですが、教育というものは、その人間の持っておる特性というものを十分に引き出すという問題と、それからその
地域社会というものを発展させるという二つの要素があるのじゃないか。その
意味におきまして私は
沖繩の人間を
考えてみる場合に、こういう例があるのを知っております。実は戦前において
沖繩の漁師がシンガポールにいた。そのとき、大きな排日運動が起きて、日本人がもう家の中から一歩も外に出られない。ところが、
沖繩の漁民の連中はシンガポールで漁をして魚をとってきて堂々と市場に行って魚を売っている、こういう実情がございます。それから南洋群島におきましても、南洋の人たちと一緒になっていろいろな仕事をやってきた。これはほかの国民の中に簡単に入っていくという非常に特徴を持っている。こういうものを生かすということが今後の南北問題解決に日本人としての
一つの大きな打開策になるのじゃないか。こういうところを生かすような教育をやるということが大事じゃないかということを感じます。
それからあと一点でございますが、これで終わりますが、
先生の資質の向上の問題でございます。二十何カ年という異民族の支配という点もありましたし、それから学校の教職員の資質の点も私はあるのじゃないかと思っております。その点において、研修の問題もございますし、あと何年かたったらこの研修
制度をひとつやめようじゃないかということもございますが、しかし、この点につきましてはもっとむしろ積極的に研修
制度を活用して、あるいは
本土における研修はもちろん、外国の方にも派遣をいたしまして、できるだけ目を大きく開かせる。そして、国際的なよその方から
沖繩を見る、その見た目でもって
沖繩における教育をやる。どうも、現在の
沖繩の方を見ていると、みんなが非常に小さく固まっている。いまから六十年ぐらい前にはなかなか偉いのがおりまして、今後は五大州だというようなことでもってハワイに移民を引き連れていったようなのもおります。ところが、現在においては、何か海に親しむのもこわいぐらいのえらい小さなものになった。現在泳ぐのも非常に少なくなっておる。われわれのときなんかには大体五、六歳ぐらいからみんな海に入っていたものです。ですから、そういうふうな小さくなりつつあるところの
沖繩の若い諸君というのをどうすれば大きくできるか。今日まで、約十七、八万人ぐらいの
沖繩の人間が、あるいはハワイ、あるいは北米、あるいは南米等に行って、非常に広い視野からものを見るようなことがあったんだが、だんだん小さくなってきつつある。これは私は
沖繩の将来のために非常に寒心にたえない次第でございますので、私がいま申し上げたところをよく御勘案の上、文部省におかれましても、それから
開発庁におかれましても、ぜひこれを御参考にされながら
沖繩の教育の問題に対しても取り組んでいただきたいということを要望いたしまして、時間が足りませんので、きょうはごく簡単でございますが、これで私の
質問を終わりたいと存じます。