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工藤(晃)
分科員(新自) 最近のニュースに赤ちゃんあっせんで大変世論をにぎわしておりました菊田医師が起訴される、こういう報道がなされております。
冒頭、私は誤解を生まないために、まず私の
立場を明確にしながら、未成年養子の
基本的人権あるいは福祉について質疑をさしていただきたい、かように思うわけでございます。
まず第一番に、菊田
事件が起訴されるということは、これは
法治国家において違法行為をされた方は公平に裁かれるのは道理でございます。そういう
意味において、私は菊田さんを支援するとか応援するという
立場では毛頭ないわけでございます。しかし、菊田
事件が起訴され、それによる
判決が下って一応
事件は解決されたといたしましても、そういう問題の社会的背景にある未成年養子、もらわれっ子という、こういう子供たちの
基本的人権その他について、あるいは血縁のない親子のこういう福祉については何ら解決をする糸口すら見出し得ないのであります。そういう
立場から慎重に菊田
事件というものとそれから未成年養子という問題について、次元が全く異なるところで
考え、考慮なさらなければならない、こういうふうに私は
考えているし、また、菊田
事件によって、そういう問題まで含めて没し去られることのないように、あえて私はこの機会に発言をしたい、かように
考えるわけでございます。
実は、私も菊田
事件の起きました
昭和四十八年直後から、この社会的背景にあります未成年養子の
人権についていささか運動を続けてまいりました。そういうことについて、ここで改めて
法務大臣の御見解を伺いながら、こういう問題をどう処理すべきであるか、あるいは放置しておいていいものかどうか、こういう問題について、時間の許される限り質疑をさせていただきたい、かように思います。
その前に、私が運動をいたしておりました
昭和四十八年ごろに、私の手元に何百通というそういう方々からのいろいろな御
意見をお手紙でちょうだいいたしました。その中の数例を御披露申し上げたい、かように思います。
前略御免下さいませ。今朝のテレビで此の度の運動を知り、本当に良い事だと心より感謝して居ります。私も子供に恵まれず、長男は養子、長女はある医師の御厚意で実子として届出ました。長男は現在高校生で、長女は小学校でございます。長男に養子であると云ふ事を分らせない様にどれだけ心をくだきましたか、実の子をお持ちの方には分って戴けないと思います。お米の配給通帳にも「養子」と書かれてしまいます。ですからお米の配給を受けた事はございません。現在はまだ知らない様でございますが、もう少しで大学ですから、その折に話して聞かそうと思って居ります。私共は生活に少しゆとりもありますので、子供が小学校一年の折、御近所の方が「自分の子でもないのに、よくそれ程なさいますね」と言はれました。これは子供によくないと思い、現在の住所に移りました。戸籍さえ「養子」と書いてなければと、どんなに思ったか知れません。どうぞ小さな子供達の為に此の運動を実らせて下さいませ。私共には何も出来ませんが、唯々心より、主人共々声援させていただきます。
富山県のある主婦からです。
あとは、その中の
関係する部分だけ、時間の都合で割愛して読ませていただきます。
実は、私の家でも現在中学二年になる子を二歳の時に養子としました。この十一年の間、子供に養子であるといふことが知られたらと
考えますと、不安の気持がいっぱいで暮らしてきました。もし知れた時の子供の衝撃を思いますと、何んとかして知られたくないと願っております。今道は、幸いなことに、御近所の方からも遊び友達からも知れることもなくとおってきましたが、進学、就職、結婚等も控えて、いつまで現在の幸福な家庭が保っていかれるのか分りません。子供は親を慕い、親は子供を愛しておりましても、たった一枚の謄本のために人の一生をも狂わす様なことになってよいものなのでしょうか。私の姉も実子を病で失い、子供を頂いて育てましたが、お産婆さんの計いで、生れたときからですので戸籍も養子としないですみました。今はその子供も三十を越し、お嫁さんも迎え、高校の教師をして幸福な家庭をもっております。
法律では悪いことかも知れませんが、戸籍が実子としてあったため、小学校の時遊び友達から貰い子だと云われ泣いて帰った時にも、もらい子ではないよと云いきることができたそうです。うそはいけないことですが、真実を明かしてその人が不幸となるようなら、真実をかくすうそも貴いと思います。しかし、もし戸籍が養子としてあったら、姉の家も現在のようにはならなかったかもしれません。お願いします。早く
法律が定まって、養子の子を持つ親が安心して子供を慈しみ育てることが出来ますようにしてください。
第三番目の例です。
ほんとにだれしもが実の子をと思いますが、こればかりは神の授りものと言いきかせ、さびしい気持の中でかわいい赤ちゃんを貰い、縁あって育てた子はもう中学三年生です。本人は勿論顔こそ似てはいませんが、何の疑問ももたず、ほんとに良い子に育ちました。ただ、進学を控えて戸籍の事であと半年の間私はまだまだ胸を痛めなければなりません。担任の先生さえ知らぬ養子の事を如何に話しだそうかと時をきざむのが恐しいのです。ほんとに戸籍に養子とかきこまれている二字のために私達夫婦の事を先生始めこれを知った人達はどんな事を言ふでしょうか。私達夫婦はそんな事にはたえきっていきますけど、子供がこの入試を控えた大事な時に、しかも成績と言ふ競争の中で、もっともっと大きな愛情があるのではないかと疑いをもってよその父と母を眺めた時を思ふと、もう夫婦でいてもたってもいられず涙を浮べます。やっと入った高校も戸籍、大学も戸籍、自動車の免許も戸籍、就職も戸籍、考へただけでも戸籍がこんなにつきまとふなんて!!それに中三ともなると我が家の家系図を夏休みに作るんだと言ってます。原本、除籍を集める仕事からやり出す時……もう恐しくて毎日々々大弱りです。中学から高校の時はどうやらかくせると思ってます。学校でも一、二の成績の子故、当然
職員室での話題は覚悟ですが、ほんとに悲しい事です。良い子は我が子と自慢の子ですもの。“宗教的に子供に
説明しようか”“なるようにしかならない”とあれこれ思いわずらっての毎日です。
中略いたします。
ほんとに「法」と言ふものはむごいもので、一行あるなしによって官庁は冷めたく扱ふ所です。
こういうことが書かれております。
もう一例読ませていただきます。
私も長い間子供に恵まれず、生後一ケ月ほどの女児を養女として縁組して育てたのです。中学生頃迄は何事もなく本当に明るい心配のない幸福な日々を送ったのですが、ふとした事から身の上を知られ、詳しい事を教えろとせまられ苦労しました。その間に娘はすっかりグレてしまい、我が家の幸福は一ぺんに吹き飛んでしまいました。口を開けば「どうせ私は貰い子だから」の連発で、あげくの果ては産みの母を探せとか家出をして自分で探すとか情ない思いでした。とうとう私も根負けして産みの母に会はせれば素直さを取り戻してくれるかも知れない、グレた生活も元に戻してくるかも知れないと思い、若しかして再び戻らないかも知れぬ事を覚悟して、そんな事になるような娘ならもうあきらめようと思った時の私の気持ちは誰に解るでしょうか。死にたい死にたいと唯それだけでした。私は勇気とあきらめで産みの母を教え、会はせてやり、「本当のお母さんの所に行くなら行きなさい」と云ってあげました。娘は産みの母に会い暫らくそちらへ行っていたのか家へは帰って来ませんでした。しかしやはり私がよかつたのか帰って来たのですが、まるで不良少女を絵にかいたような娘になってしまいました。幾つか例を挙げましたが、数え上げれば切りのないこのような不幸な問題がこの中に含まれていると思うわけです。
それで、実は私が申し上げたいことは、こういう大きな社会的問題、ましていま叫びたくても叫べない、そういう精神的な苦痛をやはり社会が救済すべきではないだろうか、国が救済してあげなければならぬのではないか、こう私は
考えるわけです。こういうふうな問題で、たった一片の戸籍謄本あるいは抄本からこういう悲劇が生み出されるとするならば、これを放置していいものだろうか、こうも
考えるわけです。こういう方々は、私はそうだ、うちはそうなんだと声を大にして叫びたい、しかしながらその叫べないところに私は大きな悲劇があると思うのです。この文章にも書いてございましたが、経験のない
人たちに本当にわかるのだろうか、この悲しみがわかるのだろうか、この恐しさがわかるのだろうか、こういう不安を与え続けているのが、現在いまの戸籍のあり方だと思います。
同時に、いまの養子の問題についても、要するに、未成年養子の
基本的人権というのは決して嫡出子と同じではない。親子
関係も一方的に親の方から離縁されてしまうという不安定な
立場に立っているわけです。そしてまた、同じ養子であっても、父親についた子供は実子です。しかしながら、母親について別れて、再婚した場合には、それは養子になってしまう。その子供には何の罪もないのに、同じ子供でも父親についた場合には実子になり、母親について再婚した場合には養子になってしまう、こういう
差別も大きな
差別だろうと思います。何はさてあれ、菊田
事件の解決と一緒にこういう問題まで没し去られてはならない。こういう方々は日本全国に物すごくたくさんいらっしゃる。後で数字を挙げますが、そういうものから類推しても非常に大きな数だろうと思います。
同時に、不妊症を宣告されたという御家庭が
一般家庭の中で約一〇%から二〇%いるのではないか、こういうふうに言われております。子供のいない家庭、これは本当の家庭じゃないと思う。大変不幸だと思う。そういう方々がいつも求めるのは、恵まれない
自分たちに対して子供を与えていただきたい、子供が欲しい。また、親のない子供をただ保育所に入れて、施設に入れて、そして大きくすることが福祉ではないと私は思う。そういう親のない子供に与える最高の福祉は親だろうと思います。そういう親になりたい人がこんなにたくさんいる。しかしながら、その中で一番問題になってくるのは、戸籍の中に、
一般公開される謄本あるいは抄本の中に、養子という
差別が書かれるということによって大きな障害が起きている。こういう問題について私は、このままこれは仕方がないんだというふうに、あるいはこれは天の定めなんだというふうに
考えて、そういう方々の問題を放棄したまま、現在の問題を解決しないで先へ延ばしていくことは決していいことじゃないし、また福祉という
立場に立っても許せないことだ、こう思うのです。
ところで、まず第一番にお伺いいたしたいと思うのは、一体現在の戸籍というのはどういうものなのかということでございます。私が存じている限りでは、公的身分証明書であって、血縁をたどっていくということは不可能な状態になっている。だから、血統書ではなくて、公的身分証明書だというふうに
理解しておりますが、その点、
法務大臣、どのようにお
考えなのか、伺いたいと思います。