○鈴木
公述人 鈴木でございます。時間の
関係がございますので、早速公述に入らせていただきます。
私は、まず本
年度予算の一般的な方針、性格という
ようなものについての所見を申し述べ、次に
国債管理問題、
国債管理政策と申しますか、この問題について若干、二、三点申し上げてみたいと思います。
本
年度の
予算は
政府の説明書を拝見しましても、臨時異例の
予算、
財政方針であるというふうにうたわれておる
ように、非常に困難な、苦悩に満ちたと申しますか、そういう性格の
予算であろうかと思う。それだけに問題も多い。しかし結局この
予算に期待されるものは、長引いた
不況を打開して対外的な不
調整を是正する。この対外的な不
調整の
拡大が、私は、これは結局は昨年秋以来問題になった対外不
調整の根本
原因だと思うわけであります。したがいまして、この
不況克服、これは一両年あるいはそれ以上もかかるプロセスかと思いますが、これのコースを誤りますと、対外不
調整というものがいつまでも残り、それに対する外国からの反応という
ようなものも起こってくる。円高、そういう
ようなものが悪循環となって将来の
経済発展をますます阻害していくという、非常にむずかしい、それだけに
予算の編成、
執行というのは重大な局面にあろうという
ような感じがいたしますわけでございます。
したがいまして、対策としましては、当然
財政主導型の内需の
拡大ということで、かねての懸案であった
財政再建の
課題を若干先へずらしてもこれをやろうというこの基本方針については、私、全面的に賛成でございます。
ただ、
予算の
内容について拝見しますと、
予算案の
内容でございますが、金森
公述人が言われました
ように、確かに一刀流である、
公共投資一刀流である。まあ一辺倒と申しますか、少し肩に力が入り過ぎている。情勢が複雑なだけに、
経済に
関係する者ならだれでも申しますとおり、多様な政策手段でもって対処するというのが現代
経済分析あるいは政策論の常識であろうかと思う。もちろん
減税と
公共投資と考えた場合に、需要創出
効果というものを紙の上で議論すれば、当然結果ははっきりしておりますが、現在の情勢でこれだけの急激な
公共投資の
伸びが、消化能力が果たして十分あるのか。私
ども見ておりまして非常に心配するのは、たとえば土地政策のごときがその問題の一つであります。住宅を拡充する、その他生活環境、道路、港湾、学校、あらゆることで土地問題が前面に出てくる。これに対して適切な
措置がとられているのかどうか、その辺の整合性についてかなり問題があるのではないかという感じがいたします。これは一例でありますが、政策の多様化という
観点から見るといろいろ申し上げたい点も出てくる。ごく簡単にいたしますけれ
ども、たとえば
福祉関係にしても老人の
年金のごとき、これは非常に
消費性向の高い部門であります。これあたりに力を注ごうという考えは当然であろうかと思う。
私が特に申し上げたいのは、対外
経済援助といった
ような費目であります。いかんせん、これは余り政治のレベルでは議論の対象になっていない
ようでありますが、今回非常な
努力で
伸び率も大きい。たしか二千六百億円でございますか、ということであったと思う。しかしこれも目標は、DACの目標であるODAで
GNPの〇・三%に、
ようやく人並みの線に到達できるかどうかという線である。こういう対外
経済調整の非常な困難な局面に直面している
日本が、後進国に対してどういう姿勢をとるかという政策の宣明としてははなはだ不十分であり、自分の哲学の乏しい
予算配当ではなかったかという
ような感じがいたします。
これらの点を述べればいろいろございますが、もう一つ行政機構改革の問題が、新聞等によりますと、実態的には、実質的にも見送られた、先に繰り延べられた、非常に残念なことだと思う。この困難な両三年の
経済調整過程において、企業といい家計といい大変な
調整努力であろうかと思う。そういった
国民に対してこの
予算を納得してもらい、
協力をしてもらう、で、将来は当然これは税負担の増加といった
ような展望もはっきり出ておることでございます。
政府がみずから機構を改革し、行政機能をもっと
効率化し、冗費を省き、しかしこれは公務員の人員整理という
ようなものは雇用問題にも衝突いたしましょうが、配置転換、より生産性の方向への人材の再配分、そして特に申し上げたいのは、過剰な行政関与、過剰な統制の廃止、縮小、見直しといった
ような
一連の意味での行政機構の
合理化というものが、どうもこの
予算と並行しては進んでいなかったというのが、私の、率直に申し上げて
批判点でございますし、御注文でもございます。
予算の性格、方針についての一般的な所感はこれぐらいにしまして、次の
国債管理の問題に移りたいと思います。
国債の
大量発行が必至になったということは、当然のプロセスであったと思う。
国債の
発行が歳入
予算の三二%になり、実質三七%だという
ようなこと、これも重大な問題であります。また、予想によりますと、地方債以下政保債、
政府関係機関債を含めた公共債という概念でとらまえますと、本年の
発行予定は二十兆円に上るだろう、
年度末の残高は恐らく九十五兆円であろう、これは
GNPの残高にして四五%になるという
ような数字が伝えられております。その
ような方向で事態は進んでいるかと思います。非常に驚くべき数字であります。
ただ、私は、この数字で
財政が破綻に瀕しているとか、したがって
減税ができないとかいう
ように簡単に処理すべき事態ではないという
ような感じがいたします。と申しますのは、
経済が
拡大するに従って、資本主義
経済であります以上は、投資主体と貯蓄主体とは、これは当然分化しておりますから、その間をつなぐものは金融であり、証券の
発行であります。つまり、
経済発展にほぼ即応しましてパラレルに、並行して金融
資産の蓄積というものは進む。債権債務の累増は進んでいくのであります。恐らく昨今の
経済情勢の大きな転換、つまり高度
成長から安定
成長への転換、公共部門の
拡大、そしてそれに対応いたしまして、企業の資金調達のパターンの変化、それから貯蓄主体としての家計のより多様な金融
資産に対する需要の
増大、これらを一体のものとして考えますと、
経済発展にほぼパラレルに進むであろう金融、債権債務の蓄積というものの
内容が変わっていく。従来は、高
成長時代は、これは民間債務が
中心であった。端的に言って銀行預金といった
ような間接金融と申しますか、
国民貯蓄の過半が、大半が銀行へ集中する。それからローンの形でこれが
投資部門にファイナンスされたというプロセスが、ここに大きく公共部門というものの出現によって変わっていく。
国民経済の発展に伴って債権債務の
増大は当然である。そのうち公共債だけを
中心にして
GNPに対して四五%、これが六割にもなりましょう、七割にもなりましょう。それ自体が危険だということにはならないというのが私の感じであります。
では、このままほうっておいていいか、決してそうではない。私は別のところに問題があると思うのです。それが私が申し上げたいこの債務管理、
国債管理の問題であります。
教科書流に言いまして、
赤字国債の
発行には二つの側面があるということはだれでも言っております。一つはフロー
効果と申しますか、端的に言って需要創出
効果だろうと思います。つまり事業をふやして、支出をふやして、それに対応して税金をふやさないというものでありますから、それだけ購買力の造出
効果がある、これがフロー
効果、これは一時的な
効果であります。もう一つ金融
効果あるいは
資産効果というものがあります。これは、
発行された
国債なり民間債務なりが償還されるまでの間長期にわたって市場に残る、つまり家計の金融
資産かあるいは企業の金融
資産、あるいは金融機関、広い意味での金融機関のバランスシートの債権債務勘定となって残る性質のものであります。
これをどう管理するかというのが
国債管理政策、債務管理政策の重要な
課題であろうと思います。従来は民間債務の陰に隠れて
国債というものは非常にウエートが小さかった。過去十年来公共債は漸増傾向にありましたけれ
ども、過去の高度
成長期においては
日本銀行の買いオペレーションというものがあった。
成長に即応して銀行券の
発行増大に対応して
日本銀行がこれを買いオペで賄うということは、これは引き締め緩和に
関係ない中立的な金融政策でありますが、幸いにしていままでの
国債発行のうちの八割以上は
発行後金融機関に保有されて、一年たてば
日本銀行の
成長通貨の買いオペの対象となって市場から姿を消していったということで、この問題が少なかった。
問題と申しますのは、前後しますけれ
ども、
国債の
発行政策というものは、あるべき適切な債務管理政策の
観点から見るとはなはだ不備であった。これはいろいろないきさつもあって、
財政当局としては
国債金利を低利に固定したいという
ようなことで、いろいろな形での、露骨に言えば強制保有制度という
ようなものがあり、金融機関にやや強制的にこれを持たす、したがって、金融機関はこれを処分できないという
ような事態が長く続いておった。そういう矛盾も先ほど申し上げた
日本銀行の買いオペレーションによって隠蔽されて表面化しなかった。ところが、今後はそういうことはできないということだろうと思います。
昨年一年間の公社債市場での売買総額は百十三兆円というふうに記憶しておりますが、このうちすでに地方債、縁故債も含めましてなんですが、最近急に売買量がふえております。たしか地方債の場合には全体の四分の一ぐらいになっているはずだろうと思います。流動性のない、回転の少ない
国債でさえ一〇%強の比重を占めてきた。これが恐らく一年、二年の間に公社債市場での売買証券の中で公共債が
中心になっていく、六割、七割が公共債だという事態がすぐ目の前に来ている。これに対して今後とも不自然な金利の固定化、それから流動を阻害する
ような政策をとってまいりますと、その結果は非常に憂慮すべき事態になる。
一、二例を挙げて申しますと、たとえば市場性を無視した
国債を金融機関に保有させた、その結果何が起こるのか。ごく短期的に考えますと、それによって
国債費が節約されたと考えるのは私は非常な短見であろうと思います。つまりそれは
日本銀行に買い取られる
国債でありますから、
日本銀行の
政府に対する上納金がそれだけ削減される。ネットでは決して
財政の削減になっておりません。その上問題なのは、これは決して金融機関の肩を持つわけではありませんけれ
ども、金融機関に採算上無理な
資産を持たせる結果、金融機関もこれは私
経済でありますから必ずそれを転嫁する。転嫁する先はどちらかと言えば弱い者に転嫁される。
消費者ローンの金利が高くなり歩積み両建て預金になってくる。これは
国債金利だけではない、金利統制全体の弊害だと思います。この段階で情勢は急速に変わってきておるので、この問題についてはひとつ抜本的に考えを検討され——私は端的にその
結論を申しますと、いろいろ技術的な問題はあろうかと思いますが、いまの情勢で
国債は短期債、中期債、長期債を含めて入札
発行へ一歩踏み出す絶好の機会だと思う。この機会を逃すと非常にむずかしくなってくると思うのです。なぜできないのか。従来この金融正常化論とか金利自由化論はいろいろ議論の展開がございました。十数年来の議論だろうと思います。しかし、今日に至るまでなぜ
国債の金利の自由化ができないのか、私は十分な納得のいく説明をどこからも伺っていない。これは重大な問題だろうと思うのです。
で、金融の秩序とか金利体系論というものがある。これは自由な公社債市場があり、そこに価格機能が働いておのずと形成されるものが金利の体系であろうと私は思いますし、情勢の変化に応じて体系の
内容が変わっていくのが当然である。それを行政的にあるいは統制的にあるべき金利体系はこうであるという
ようなことは非常におかしいことだ。最近の金利情勢がやや行き過ぎがあった
ようでありますが、事業債の流通利回りが非常に下がりまして、この二月からその金利の引き下げ改定が行われた。しかし、
国債金利を最低にするがためにその金利の下げ幅は最小限度にとどめられ、例の〇・一%の二畳半、四畳半の中にたくさんの公社債が並んでしまった。この結果を見て、地方債あたりでは公共債でありながら事業債を上回る金利を払うのはけしからぬという
ような議論があるやに聞いておりますが、これは金融市場の情勢、論理というものを無視した議論であろうかと思うのです。統制をするとそういう次から次に実情に即さない議論に発展していく。
私のこういった
国債金利の自由化論から言えば、これは公社債市場の金利にとどまるものではないのでありまして、当然金融市場全般の金利に及んでいく。金利の全面自由化論、実は私はそうでありますけれ
ども、もちろんそれには
順序がある。が、まず預金金利等についての言われております弾力化、金融制度
調査会もそういう
結論を出しておりますので、これを一層促進していただきたい。先ほど金森さんから金利の引き下げの必要という
ようなことも言われました。私も賛成であります。いま預金金利、公定歩合と連動というシステムには問題がありますが、公定歩合をてことして預金金利の引き下げを図るべき時期だ。これがないから先ほど申し上げた
ような金利体系論の無理な金利序列論と申しますか、そういうむだな論争があり、むだな混乱があるというふうに考える次第でございます。
もし時間がありますならばもう一つ……。
したがいまして、この金融面との関連において今後の
予算を
中心とした
経済政策の
運営についていろいろ問題があろうかと思います。
その一つは、
財政投融資計画がこの
ように年々膨大になってくる。いまや全国金融機関の中で郵貯の占める比重というものは非常に高くなっている。これは統計のとり方にもよりますが、出がけにちょっと調べてきたのでは、やや重複計算がありますが、全金融機関の預貯金の中で郵貯の比重はもう一八%になっている。
伸び率は銀行の預金よりも高い、税法上は先生方御
案内のいろいろ矛盾した問題がそこにある、こういうことであります。この
財政投融資機能を全体として考えますと、これを持っておりますことは
日本の
財政制度に非常な弾力性という妙味を与える制度かと思いますが、と同時に、昨今の
ようにこの
財政投融資の
財源である資金運用部資金の比重が高まってまいりますと、どうしてもこれは金融制度全体の
観点から、その合理性という
ようなものを見直さざるを得ないという情勢に直面している
ように思う。今回もいろいろ資金操作の必要もございましたでしょうが、財投資金の一部、資金運用部資金の一部が
地方財政にああいう形で運用されて、一兆五千億という数字があったと思いますけれ
ども……。先進諸国でこれに関連した制度を見ますと、私も詳細は承知しておりませんが、アメリカにはもちろん
財政投融資制度自体はありません。ヨーロッパに若干似た制度がある
ように思いますが、
日本ほど大きな、特に郵便貯金制度というものを
日本ほど大きなウェートを占めた形で持っている国はない。しかも末端では、金融市場で民間金融機関と競合をしております。いまのままですと、民営圧迫という非難も当たるという事態にある。これは預貯金
利子所得に対する税法上の優遇、マル優制度、それから預金の名寄せの問題、あらゆる問題が関連してくる、慎重な検討を要する問題だと思います。私もそう簡単にこういう解決があるとは、容易にあるとは申しませんけれ
ども、ぜひこれはしかるべき機関を通じて真剣に検討さるべき事項ではなかろうかと思います。
一応私の公述はこれで終わらせていただきます。(拍手)