○大出
委員 少しこの事の筋道を明らかにする意味で触れさせていただきますが、これは新聞社等が出しております韓国に関する大変大きな冊子の年表その他なんでありますが、細かく物が書いてあります。これを見ますと、さっき申し上げました四十五年七月二十一日の日韓閣僚
会議、この後いま申し上げました橋本・白会談、そして八月になりますと東京で日韓協力
委員会第四回常任
委員会というのが開かれた。このときの日韓協力
委員会というのは、できてそう長くない。ここに資料がございますが、岸信介さんが会長の時代の日韓協力
委員会であります。日韓協力
委員会というのは六九年二月に実は設立しておりますから、そういう意味で言いますとまだ二年くらいでございます。ここで地下鉄計画の具体的協力に乗り出すと、こういうことになった。そこで
調査団等が派遣をされるというふうな経過がございました。そして韓国側は内資分、内貨分ということで、こっちから借款で地下鉄の車両だとか地上に必要な施設などを送る。ところが土木工事やなんかは向こうでやらなければならぬ。その分を当初五千万ドルと言ったり、後三千万ドルと言ったりしたのでありますが、五千万ドルプラス三千万ドル、合計八千万ドル、これを何とかしてくれという話になってきた。
ここで非常に大きな問題は、後の問題と絡むから冒頭に申し上げておきますが、三菱さんその他の商社の側は一生懸命やっている時期でありますけれども、何が一番キーポイントかというと、ソウルの地下鉄というのは有償、無償あるいは
民間、つまり日韓条約に基づいてこちら側から借款供与する、これはおおむね決まりかかっていた。まだ幾らか残っている。地下鉄の順番というのは地の下の方、重工業の育成だとかたくさん上にある。この順番を上に引き上げて、韓国の方から地下鉄を上に持ってきて
日本側にぶつけてくる。そのことを日本がのむというかっこうにならないと借款が決まらない。借款が決まるとタイドローン、つまり日本の製品しか買えなくなりますから、いやでも日本の商社の手に落ちる。だから下の方にある地下鉄を上に持ってくる、この芸当をどこかでしなければならないことになった。前後の経緯を細かく後から申し上げますが、そういうことであります。結果的に上に持ってきて、いま申し上げたように五千万ドル、三千万ドルという要求が出てきた。市中銀行の金までかき集めて最後には貸してやった、
海外経済協力基金から貸した、こういうわけであります。そうすると、これはそのために韓国側の方で、つまり韓国が日本に要求するのですから、下の方にある地下鉄を上の方に持ってくる仕事をだれかがしてくれなければできない。ここに金成坤さんではないか、私はそうではないかと本当に思っておりますけれども、当時、民主共和党の財務
委員長をおやりになっておりましたね。当然その話が出てくるのはあたりまえだ。
そして、実は時期的に見ますと、朴大統領さんと金大中氏の選挙は四十六年四月二十七日だ。大統領六百四十万、金大中五百四十万ということで接戦だったわけですけれども、この同じ月、四十六年の四月初め、こういうふうに三菱の田部社長はおっしゃっているのですが、韓国の財界の有力者のおっしゃる指示に基づいて金を百二十万ドル払った。二百五十万ドルの約半分近い金を四十六年の四月の初めに払っている。大統領選挙は同じ四十六年の四月二十七日に投票が行われて、結果はわかった。この大統領選挙が始まる同じ月の直前に、実は百二十万ドルを韓国財界有力人の指示に従って先払いしているのですね。
ここに一つ資料がございますけれども、アメリカのマックロイ
報告その他でありますように、ちょうどガルフのボブ・ドーシー会長がチャーチ
委員会で証言をしているのでありますが、ここでは前後二回、四百万ドル、百万ドルと三百万ドル、七〇年三百万ドル、六六年百万ドル、四百万ドルを、金成坤氏から要求があって大統領選挙
資金ということで払った。ところが、六六年というのは前のとき、七一年になって大統領選挙に絡んで、民主共和党の財務
委員長から一千万ドル(三十億円)出してほしいと言われた。しかし私が自分でソウルに乗り込んで、結局三百万ドルで話をつけた。九億円ですね。ちょうど同じころに、チャーチ
委員会等の記録によりますと、ガルフ・オイルも同じように金を払っているわけであります。ちょうどこの時期であります。
つまりそのことによって急速に動いて、第五回日韓閣僚
会議、これは八月でありますけれども、その前の七月に佐藤
総理が朴大統領の就任式においでになったときに、地下鉄五千万ドルはまだ表へ出ていませんが内定をしていたように書かれておりますが、その上に内資分、韓国内で土木工事なんかやるために三千万ドルを乗せてくれということについて、佐藤
総理がここでその協力をお約束をされた。かくて八千万ドルが決まったことになった。正式には第五回日韓閣僚
会議で決まったわけですが、前にすでに明らかにされ、
手続として決まった、実はこういう事情にある。
だから私は、田部さんがそこのところを、私は商売でございますから仕事をとりたいと思った、したがってその政治の方のことはとお逃げになりましたが、時期的にはやはりそこに結びつく可能性が多分にあるのではないか。現段階はそこまでしか申し上げませんが、そういうふうに思われる。実はこういう経緯があるのでありますが、
総理は全く知らないというふうにまだおっしゃいますか、ちょっと一言だけお答えください。