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飯坂参考人 ただいまの両先生の
お話に続きまして、蛇足をつけ加えさせていただきたいと思います。お断りしておきたいと思いますのは、私は法学部に所属しておりますけれども、
法律の
専門家と申しますよりは政治学が専門でございます。そういう
意味におきまして、両先生の
法律の
専門家としてのお
立場からの
お話とやや趣を異にするやに思いますけれども、お許しを願いたいと存じます。
国政調査権の一環といたしまして、
証人を
喚問していろいろなことをお聞きになるということは、両先生の
お話にもございましたように、これは
国会といたしましてきわめて重要な権能でございます。ただ、現実にこの権能の行使の仕方におきましてこれが理想的に行われますならば、ただいま
堀部先生の
お話にございましたように、
国民の知る
権利というものを代表なさるという
意味においてきわめて重要でございます。特に、今日の国家が御
承知のように三権分立をたてまえにいたしておりますけれども、
行政国家の台頭とかあるいは執行権の優位と言われますように、現実には情報を握っております官僚の方が実は政策
決定に対しての
発言権を持っておる。したがいまして、議会は、しばしば官僚のなしますことに、いわばやさしく申しますとけちをつけるというか、あるいは官僚のやります政策
決定に対するチェック機能ということがせいぜいになってまいりまして、そして立法機能の実質は実は官僚に任されていくというのが全世界的な議会制の傾向でございます。
となりますと、なぜそのような変質が起こっておるかということの
一つは、
国会、そして具体的には議員の方々が情報を持ち合わせていない、
国政を
判断する情報をお持ち合わせにならない、あるいはそれの組織的な収集やあるいは評価がなされないということが実はあるのであろうと思います。その
意味におきまして、今日のような情報化社会におきましては、
国民の知る
権利、そして具体的には
国会の
国政調査権は、ますます
国会をして
国会たらしめる、つまり国権の最高機関たらしめるために必須の機能になってきておるわけでございます。
ところが、悪くこれはいたしますと、ウォルター・リップマンのパブリック・オピニオンという本からとったのでございますけれども、彼は、議員の
判断の材料となるべき情報というのは非常に限られておる——これは実は半世紀前の本でございますけれども、言っておることは御
参考になるかと思います。ただし、これはアメリカ議会についてでございまして、
先生方に直接御
関係するとは思いませんけれども、それによりますと、議会の
国政調査は「公認された残虐行為」である、こう警告的に言っております。そして続けまして「そこでは議員達は……野蛮で熱狂的な人間狩りを続け、人食い以上のことをする」こう語っております。何度も申し上げますが、これはウォルター・リップマンというジャーナリストの記載でございます。アメリカ議会に関して申しておることでございます。
ところが、これが下手をいたしますと、
国政調査権の最低限でございます。そして、同じようにウッドロー・ウィルソンが申しますには、
国政調査に関しまして「
国政のあらゆる部面に目を光らし、その見たことについて大いに語るのは代表機関」すなわち
国会でございますけれども「のしかるべき義務である。議会は選挙民の目となり口となり、選挙民の英知と意志とを体すべきものである」こう語っておりますが、これは
国政調査権が、特に今日の情報化社会において正しく行使された場合のことであろうと思います。私は、このいわば天使にもあらず野獣にもあらずという人間が、最も理想的な形と、最も実は怪しげな形とのはざまに、具体的な現実の
国政調査は揺れ動いておる、そういうふうに思うわけでございます。そうした
観点から、特に最近の一連の、人間狩りとも言わるべきマッカーシズムの旋風と言われました、われわれの記憶に新しいものがございますし、それから
国民の目となり口となるということで、ロッキード
事件やウオーターゲートの
証言がわれわれによく知られているわけでございます。
ただし、この場合も、政治心理学的な分析をしておる人たちから言わせますと、
証人を
喚問なすって御
質問をなさる議員の方々が、余りに張り切ってぎゃあぎゃあおやりになりますと、実はこれはマスコミの法則から申しますと逆効果だそうでございます。むしろ冷静に、しかも十分な事前の
調査に基づいてポイントをおつきになるということが、特にテレビのような視聴覚のメディアにおきましては絶対に必要なことだそうであります。つまり、
質問をなさる御
本人は相手の
証人しか念頭にないという、小集団の中のダイナミックスしか御存じない。しかし、テレビを見ている多分数十万、数百万の人たちという、その関連においてどういう効果が出てくるかということは、しばしば欠落をするわけであります。そういうときに
証人の
喚問、そして、それに対していろいろと聞いただしなさることの効果というようなものは、改めて政治心理学的に
考えられなければいけない、こういうふうなことも私は
考えるわけでございます。
ところで、私は必ずしも
法律の
専門家でございませんけれども、
議院証言法を拝見いたしまして、
一つは、私も気がつきましたことは、すでに
堀部先生が御指摘なすったことでございますが、
憲法六十二条では「並びに記録の提出」とございますけれども、この法におきましては「
書類の提出」になっております。この「記録」と「
書類」との相違は一体どういうふうに理解すべきであろうかということが私の
一つは疑問でございます。
そして、少なくとも
憲法六十二条の「記録」ということに関連いたしましては、すでに
昭和二十八年七月九日の衆
議院内閣委の
国会答弁の中でこれが問題にされておりまして、そのときの理解に基づきますと、たとえば「役所の文書として整理保存の対象とされ、たとえばその手段として文書簿に登録されているというようなものが、
一般に今まで記録と観念され、立法例にも使われて来ている。」ということですから、きわめて狭いのでございます。ところが先ほどの
堀部先生の
お話にもございましたように、今日の情報化社会になりますと、多様な記録メディアというものがございます。そういう
意味で、これまでの
憲法六十二条における「記録」という
概念にあてはまらないものがたくさん出てくるだろうと思います。
ところが、本法におきましては、これは「
書類」でございます。そうして、この「
書類」というものが「記録」よりもより大きな
範囲のものなのか、あるいは「
書類」というのは、先ほど
お話のございましたテープその他は、文言の上で素直に読みますと、どうも入らないような気もいたしますけれども、しかし、単なるお役所の文書というよりももう少し広いような、どなたかの走り書きであっても重要な
意味を持っているものがあるかもしれません、そういったものも一応カバーするような感じもいたしますので、私は
法律の素人といたしまして、むしろ「記録」そして「
書類」というこの文言の相違を指摘させていただいて、これがこれからの法改正のときの
一つの
問題点になりはせぬかということを申し上げたいと思ったわけであります。
次に、同じ第一条の後段でございますけれども「何人でも、これに応じなければならない。」という「何人」でございますけれども、実はロッキード
事件のように多国籍
企業の問題になってまいりますと、「何人」の中に外国人の問題が当然入ってまいります。そして、外国人を
証人に
喚問するときの問題というものが、法的にこれまたもう少し整備されておかなければいけないのではなかろうか。これも便宜私が調べてみましたところによりますと、この「何人」の中に入る外国人は、これまでは日本に在留しておる外国人でございまして、しかもその
出頭を求める場合には、外国人の所属
国政府の事前の了解なしには、強制的に
国政調査のための
証言を徴することは妥当ではない、こういう
国会答弁が、これは
昭和三十二年四月五日の衆
議院の外務委でなされておるわけでございます。詳しいことは別にいたしまして、少なくともこれからのこうした
証人喚問の問題におきましては「何人でも」というときに、外国人をどう取り扱うかということをもう少し法的に整備されてよろしいのではなかろうかということも私の疑問の
一つでございます。
ところで、
国政調査権に基づきますところのこの
法律に関連いたしまして、
幾つかの
問題点を私も申し上げさせていただきたいと思いますが、
一つは、ロッキード
事件に関連いたしまして並行
調査の問題がございます。一方で現に刑事訴追を行っておる
事件に対して、これについて
証人を
喚問するということがよろしいかどうかというようなことが最近もまたいろいろと言われているようでございますけれども、これも
昭和三十年の衆
議院の
行政監察特別委の
理事会の御発表といたしましては、現に刑事訴追を行っている
事件については取り上げないということをやっていらっしゃるように思いますが、私は、そうする必要はないのじゃなかろうか、つまり並行
調査はなされてよろしいのではなかろうか。もちろん、
裁判官の自由な心証に基づいての
裁判に影響を及ぼすような仕方でこちらの
証人の
喚問がなされることは望ましくないと思います。しかし、そうしない
範囲において並行
調査を行うということは、
技術的に多分可能であろうと思います。そういうことにおきまして、並行
調査はとにかく初めからこれはだめなんだという
考え方は果たしてどうであろうかということが、私の
一つの疑問でございます。
それから、それに関連いたしましては、したがいまして、ある場合には
公開、非
公開、
秘密会議等を自由に使うということも、これまた十分に考慮できることではなかろうかと思います。
守秘義務、特に国家
公務員の、国家の重大な利益に悪影響を及ぼすという問題についての
守秘義務につきましては、国家の重大な利益、バイタル・ナショナル・インタレストの問題は、政治学及び国際政治学におきましては実によく論ぜられておる問題でございます。そして、せんじ詰めますと、アメリカのモーゲンソーなどの言うところを分析いたしてみますと、結局は、時の政府が、これが国家の重大な利益だと
考えたところのものが実は国家の重大な利益になるという傾向がございます。ということは、つまり与党及び政府が、自分が教えたくないものは教えないということに乱用される危険性が絶えずございます。そういう
意味で、私は法
技術的な側面では
林先生がおっしゃいましたような配慮が必要かと思いますけれども、私は、国家の重大な利益あるいは国家機密とか防衛
秘密とか、こうしたものはなるべく狭く
解釈するということが、実は、
国民の知る
権利と
堀部先生がおっしゃいましたことにも関連いたしまして、必要なのではないかと思うわけでございます。
堀部先生がお挙げになりました沖縄密約の西山記者
事件、ベトナム機密文書のエルズバーグ
事件と俗に言われておりますこうした
事件などの経過を見るにつけましても、私は、国家機密というものはきわめて狭く
解釈をしなければいかね、そうしないとますます
国会そのものがつんぼさじきに置かれまして、執行権の優位をますます助長せしめる。そして、与党は知っておるけれども野党は知らないということで果たして
国政調査権が全うできるかどうか、そういうような疑問を抱くわけでございます。
先ほど両先生も
お話しになりました
補佐人ないし弁護人の立ち会いという点につきましては、私もこれはもっともな制度であろうと思います。ただ、
補佐人、弁護人にどこまで関与させるかということが
一つの大きな
問題点であろうと思います。私はその点で、
補佐人や弁護人がおりますことは、それ自身
証人にとりましては不必要な心理的な不安を取り除くことになるであろうとは思いますけれども、しかしちょうど大臣が、都合の悪いときにはすべて
技術的なことは政府
委員にかわって答弁をさせますように、それと同じような仕方で
補佐人ないし弁護人が
証人にかわるということは望ましくない。
証人はやはりその人の知っておることについて正直に言わなければいかぬのでございまして、弁護人がそれにかわっていろいろなことを言えるようであるといたしますならば、これはその前にございますところの
宣誓といったようなことと一体どういうふうにかかわってくるのかという問題が出てくるであろうと思うのであります。したがいまして、先ほど
堀部先生の
お話もございましたように、弁護人ないし
補佐人は、
助言をする程度、あるいは
質問者の側でこれは当を得ていない、外れておるというようなことについては、つまり法
技術的な
手続事項についての
発言は自分でできる、
あとは
助言をする程度で、自分で何か
証言の代行をするというようなことは望ましくないのではなかろうかというようなことを
考えるわけであります。
それから
臨床尋問、あるいは
堀部先生によりますと特に院外での審問と申しますか、これも私はなされてよろしい制度ではなかろうかと思うわけでございます。ただ、これは
林先生が御指摘くださいましたように、
臨床尋問の場合には、これが後の
偽証罪その他の問題と絡んでまいりますと、一体だれが審問をするのか。なるべく多い方がよろしい。一人ないし二人が行きまして、それで後でどうであったというようなことではやはり問題ではなかろうか。ただ、病気のところへどかどかとたくさん行くというのは、これはまた事実の問題といたしましていろいろ考慮しなければいかぬところがあるかと思いますけれども、基本的には
臨床尋問ということは
考えられてよろしいのではなかろうかと思います。
よくアメリカの例などを見ますと、罰則による
喚問やそれをつけない
喚問ということがあるようでございますけれども、私は、
証人が天地神明に恥じないことを述べるということにつきまして、それに偽証やうそをつくようなことがあれば、当然罰則に当たるというのが普通の
考え方であろうと思います。ただ、外国の
証人の場合の免責をどうするかというようなことが、ロッキード
事件に関連いたしましてございました。ただし、これは
刑事事件の場合の
証人だろうと思いますが、
国会の場合にも、偽証に関連して、外国の
証人を呼びます場合にそういった問題があるかもしれません。そういうときの手当てをどうしておくかということが罰則との関連で問題になるのではないかと思います。
それから召喚の
手続の問題といたしまして、定足数、あるいは
証人からのヒヤリングをいたしますときにどれだけの
出席者数が必要であるかというような問題が論ぜられているように思いますけれども、そしてある党の案としましては過半数、別の党としては三分の二、また別の党といたしましては全会一致というような御案が出ているようでございますけれども、私は少なくとも全会一致というのは無理だろうと思います。と申しますのは、御
承知のように、全会一致というのは、逆に申しますと一人の反対ですべてをつぶすことができるということでございますから、これは無理な話である。ですから、過半数か三分の二か、そのあたりのことが考慮に入れられてよろしいのではなかろうかというような気がいたします。
それから、
証人を
喚問する場合の猶予期間の問題でございますが、私は猶予期間は必要じゃないと思っております。とにかくその
証人が、われわれ
参考人のように——何か私もどろなわで勉強させていただいたわけでございますけれども、こういうときにはなるべく猶予期間をちょうだいいたした方がよろしいかと思いますが、そうでない
証人の場合には猶予期間は要らない。そのかわり
補佐人が、猶予期間がなくても、正直なことを述べておればよけいな人権侵害というものから守ってくれるということがあるとすれば、猶予期間は必要ではないのではなかろうか、こう思ったりいたします。
最後に、特別
調査委員会というようなものをお設けになるときには、与野党が同数の方がよろしいのではなかろうか。こういうふうにして、少しでもその
調査委員会が単にそのときの政治情勢に左右されないで良識ある
調査がなされるようにというためには、与野党の同数制が少なくとも特定の
調査委員会については望ましいのではなかろうかというようなことを
考えておるわけでございます。
私は、先ほど申し上げましたように政治学が専門でございまして、法的なことには暗うございますけれども、何かの御
参考になれば幸いと思います。
これで終わらせていただきます。ありがとうございました。