○西宮
委員 私は、そういう点について、さっき申し上げた鈴木一男君が、ごく最近でありますが、私も初めて会えたわけあります。彼は、大変に長い長い、これは大変な分量でありますが、こういうものを書いて、これは上申書のつもりで書いたのでありましょう。あるいは上申書として出したのかどうか私わかりませんが、それを見ると、彼がどんなにそういう点で苦しめられたか、あるいはまた、頑強に否認をしておったのが、いつとはなしに
自白に追い込まれてしまっていくという過程がよくわかるわけであります。
そこで、私は若干その点を披露させてもらいたいと思いますが、これは大変長いので、これは刑務所の中で書いたのでありますから、非常に不自由な中で、しかもその筆記の許可を求めてもなかなか筆記をさせてくれない。そして許可してくれない。そしてその刑務所の看守が「俺も長い間此の仕事をして居るが、お前の様にめんだうをかける者は無い、」こういうことで、筆記の許可を願い出てもなかなか応じてくれないというようなことなども書いております。そういう非常に不利な
状況の中で、これだけ長いものを書いたのですから、したがって相当な時間もかかっておりましょう。
最終的には三十四年の六月二十日に書き上げておりますけれども、相当な時間もかかっているとみえるので、前後したり重複したり、そういう点がたくさんあるわけであります。ちょっとこっけいだと思うことを御紹介したいと思う。たとえば、
警察の化学で
調査をしたら貴様達の車が極東商会の前に車を停止をして有った姿が写真に写つて居た
(余り化学々々と振り回す様に私に話した者は
稲葉刑事部長、鈴木亀吉の二人です)
と、こういうことを断っておりますが、
貴様達二人の姿と一緒に使用をした日野ヂーゼル車が極東商会前に停止をして居る様子が皆写つているからお前達と判ったと私に
警察官達は言うので、其の様にすばらしい写真が有るなら是非私に見せて呉れと言つたら、私の周囲に居る者達と共に鈴木亀吉、
稲葉の二人が大声を揚げて怒鳴りながら此の野郎
警察の化学を馬鹿にするのか 此の野郎飛でも無いやつだ、きさまたち二人でやったに間違いない、こういうことを言った、と書いておりますけれども、その
警察の化学化学と言われておる相手の鈴木一男君は、残念ながら子供のときに脳膜炎などを患ったというふうに言われておる人でありまして、そういう人に化学の権威をもって迫っていく。そういう点も少し読み上げますから、お聞きになっていただきたいと思います。
全々して居無い事特に強盗
殺人等と恐ろしい事を署員達は、私達二人が犯した事に仕様として、やつきになつています。私は此の様な恐しい事を聞かせられただけで、気持が昂奮をして仕舞い、話す言葉も上手に言えず、頭が大変混乱して此の様な場合には、どの様
にして話をしたら私の話を取り上げて呉る事かさつぱり判りません、午前も午後も同様にずーと私は正座をして居ますので、足の痛い事と此の様な出鱈目な恐しい強盗
殺人事件を私達二人がした事に仕様としている事を、私は思いますと本当に恐しくて、頭が混乱をしてぼーとして、何が何やら物を
考える事が出来ません、思えば思ふほど気持が乱れて来ます
警察官達は私が此の様
にして気地違の様になる事を待つて居た様に、後で私は思いました
私は余りひどい事なので、くやしくつて泣けて来ました、私が涙を流して泣て居たら
警察官達は、よく泣たもつと泣けと言って私がくやしくつて泣た事を大変によろこんでいました。
つまり、
自分の罪を反省をしている、あるいは良心に苦しんでいるというふうに恐らくとったのだろうと思いますけれども、
大変に混乱をして居る頭巾で種々と
考えていますが、私が
考えている事をわざと、わざわざぢやまをして、おい鈴木俺達が貴様に尋ねて居るが何故返事をせぬかと私に言いながら、私を側より強く突飛ばす私は足が痛いのでがまんをして座つて居る所を突かれるから、速かに元の座に座つて居た姿にはなりません、すると今度は反対の側の者が私を突飛ばす私の前に居る鈴木亀吉が私の頭の後に手を掛けて、
自分の方に私を強く引き無理におさえ付けて、おい早くお前の前に居るはぎり部長様に申訳有りませんとあやまれ、あやまれと言って私の頭を前におさえて力を入れておさえ付ける、ずーと正座をさせられて居るから足が痛いし、無理に私を前におさえ付けるので、私は亀吉
警察官の手を
自分の手で私の頭より取りましたら、亀吉
警察官は大声を張り上げて怒鳴り
警察官に手向をするのかと、私に言ふと、周囲の者が私に此の野郎飛でも無いやつだと、又大声で怒鳴りたてる。
こういうことであります。
〔保岡
委員長代理退席、
委員長着席〕
先ほどの
青森県の
米谷さん、私は正確な書面を読んでおりませんからわかりませんが、新聞によりますと、「連日
捜査官から、おまえがやった、おまえがやった言われ、精神状態がおかしくなった。」と
米谷さんはこの
判決があった後に語っております。これは
米谷さんの談話であります。
同じようなことが、つまりこういういま読み上げたようなやり方の中で、いつとはなしにその犯人にだんだん仕上げられてしまうという
経過が、私にはよくわかるような気がいたします。続けて、この鈴木一男君の書いたものを読みます。
私を半気地違の様
にして仕舞つて私がみとめた様
にしてしまったのです。私の周囲の者が互いに実演して見せました。
これは詳しい
説明がありまして、ほかの
警察官がいろいろ犯人を、殺したときの
状況その他をやってみせるわけであります。そして、しかもその
調べている場所は
警察署ではなしに、
警察署長の官舎の子供の勉強部屋、狭い子供の勉強部屋であります。
あのせまい子供の勉強室にて種々と実演をして見せ、私におぼえ込ませ様として居ました。余りな事に私は普断気が弱いものですから、此の様な事を眼前に見て居て署員が大勢で殺人を私達がした事
にして居ますので、恐しくつて、恐しくつて頭も心の中も大変に混乱して仕まつていたので、署員が大声にて何かを私に話をしたが、私にわ何の事やら昂奮をしていましたので、署員達に何時返事をした事やら判りませんが、首を二人で絞て居る時に署員達が私に
というのは、
警察官がいわゆる実演をしているわけですね。
お前此の様
にしてたのだらう、とか、他の者は「さうだ、さうだ」と、言つて、此の時に私は之をみとめて返事をしたおぼえは有りませんが、私が之をみとめた事に調書を造り上げて有ります。
余りの事に頭も心も混乱をして仕舞つたので私の思ふ事が其の儘に話が出来無く、唯気がせくので私が話す言葉も「ドモリ、ドモリ」に話すので余計に私の立場が悪く受け取られていました。
署員達はそれ見ろ貴様の話すことわ俺達にうそを話しているから、言葉が皆ドモリながら言つているではないか貴様が本当の話しを申上げるなら決してドモル事わないだらう、と私にきめ付けるのです。
というようなことを言っておるのでありますが、こういうことで、要するにそういう混乱した
状況の中で、いつか
自白したもののように調書がつくられてしまう。こういう
状況は、その
青森県の
米谷さんの場合、連日
捜査官がおまえがやったと言われて精神状態がおかしくなってしまったというのと全く共通だと思うのですね。そういう点が長々と鈴木一男君の場合には書いてあります。ですから、そういう環境の中でいつか犯人にされてしまっているということを、私はまことに重大問題だと言わざるを得ないと思うのであります。
ですから、外国にありますように、こういう
自白をとるという場合には、弁護士が立ち会っていなければそれは
自白として認めないというようなことが日本の制度として行われるということになれば、私はいまの冤罪
事件なんというのは恐らく起こらずに済むのだろうと思うのですが、そういうことがないと、全く密室のことでありますから、皆さんからお聞きになると、それは勝手なことを言っているのだと恐らく言われるだろうと思います。つまり、だれも証人になる人がいないのですから、そういうところで
自白が行わせられるということは実に私は重大問題だと思います。そうしてこういう
状況の中に置かれると、これは当然に
調べられた人間は非常に弱い立場ですから、もうどうしようもないのだ、そういう気持ちになっていくだろうと思います。一言だけそこのところを読んでみます。
唯々どうしようか、どうしようと、
自分で一生懸命で
考えて居ますが、私の味方は誰もして呉ません、回りに居る者は皆で敵で有る。回りに居る者達は
自分勝手に、私が承知をした事
にして仕舞つたのです。
大勢で私に無理無たいな事を言つて、私の心が乱れて居る所を見計らつて「窃盗と強盗殺人をして居るから、お前を此処で逮捕する。」と、私に口で言った切りで最初から現在迄も、私は
自分の逮捕状わ全然本当に見せて呉ませんでした。
こういうことなんですが、とにかく何を言っても相手
にしてもらえない。もうとにかくだれも聞いてはくれないのだ、こういう気持ちに追い込まれてしまうということが、私は、本人が全く絶望感に陥って、だんだんだんだん
警察官の言うとおりにそれに従っていってしまうということになるのだろうと思います。ですからこれはそういう状態の中で、要するに何を言ってもまともには受け取ってもらえない、もうどうしようもないのだというそういう絶望感が本心と違ったいわゆる
自白に追い込まれてしまうということになるに違いないので、私はそのことが、恐らくこの点はいまでも同じようじゃないかと思うのですけれども、どうですか。
これは
刑事局長にお尋ねいたしましょうかね。たとえば
捜査の、あるいはそういう取り
調べの途中で、いや私はそういうことをやりませんと言うと、一体きさまはここをどこだと
考えているのだ、このやろうとぼけるなとか、このおれたちをだませると思っているのか、しらを切る気か
——これはこの中の拾った言葉でありますが、そういうことを取り
調べの
警察官が言う。
警察官の指摘することを否認をすると、このやろう生意気だというようなことを言うということは、私はいまでも恐らくは改まっていないのじゃないか。無論、その被疑者になった人が相当な社会的の地位を持っているとかあるいは知識
程度の高い人であるとか、そういう場合にはそういうことはしないと思いますけれども、いま問題になっております
再審を請求している人たちというのは、全部ことごとくこの
米谷四郎さんのような、あるいは鈴木一男君のような、あるいは李得賢君のようなそういう人ばかりなんですよ。そういうたぐいの人ならばこういうことで威圧をされるということは、恐らく今日でも改まってはいないのではないかと思うのだけれども、どうですか。