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横山委員 要するに、この
国会のありようについて、私に言わせれば、遠慮しいしい
判決理由としておるわけでありますが、
国会の
責任を免れがたいという点を強く指摘している、こう感じられるわけであります。
国会がなすべきことを
国民が要求しておるのに、なすべきことをしない、そのことは
国会に
責任がある、立法府として
責任があるということが端的に言い得られるのではないかと私は思うのです。その点、この
刑法二百条の問題につきまして、もうこれで何回も言うておるわけでありますから、もう耳にたこのできるほど私
どもの主張は
法務大臣はおわかりだと思うのですが、私は改めて記録にも載せたいものですから、この際私
どもの主張というものを明白にしたいと思うのです。
最高裁判所大法廷は、
昭和四十八年四月四日、
刑法第二百条尊属殺の規定は違憲であるとの
判断を示した。これは、最高裁判所が法律について違憲の
判決をした最初のものである。
最高裁判所は、訂正申し立て期間の経過とともに、確定した違憲
判決について、最高裁判所裁判事務
処理規則第十四条の規定に基づき、その要旨を官報に公告するとともに、
国会及び内閣に裁判書の正本を送付し、
国会は同年四月十六日これを受領した。
最高裁判所が
最高裁判所事務処理規則に基づき裁判書の正本を
国会及び内閣に送付するのは、立法及び
行政上の処置を必要とするからである。民主主義的統治機構である権力分立制の原則からは当然のことである。
しかるに、本
改正案は、この最高裁判所の違憲
判決に対する
改正は行われていない。果たしてこれでよいのか問題である。違憲
判決がなされてから五年間も経過して、しかも
政府が
刑法の一部
改正案を提起しながらこれを放置することは重大な問題である。これは、行
政府の司法による違憲
審査に対する軽視であり、無視にほかならない。そのことは、司法の違憲
審査の拘束力を薄める結果となっている。違憲
判断の理由について、いかなる問題があっても、その結論を尊重しない限り、三権分立の制度は生かされない。
行
政府や
国会が国家の最高法規である憲法の規定をみずから無視することは、その国家の将来を
考えるとき、慄然たる思いがする。
昭和五十年四月三十日薬事法の違憲
判決については、
昭和五十年五月一日裁判書の正本を受領後、同年六月十三日
改正、公布されている。
立法は
国会が行うものであって
政府の
責任ではないのかもしれないが、しかし、これは問題である。
この違憲
判決の
処理については、
判決後、
野党三党から、それぞれ
刑法の
改正案が
提出(第七十一回
国会)されたにもかかわらず、これが議決されなかったからである。これを放置することは、三権分立の前提となる司法の独立性への不安となると同時に、憲法の尊重擁護義務にも反する結果となる。
なお、第八十回
国会では、社会党、公明党
国民会議、民社党、共産党・革新共同及び無党派クラブから、共同で
刑法第二百条等
刑法中の尊属に対する罪に関する規定を削除しようとする
刑法の一部を
改正する
法律案が
提出され、参議院においては、
自由民主党から、
刑法第二百条尊属殺の刑の下限を四年以上の懲役に
改正しようとする
刑法の一部を
改正する
法律案が
提出されたが、今日まで
成立するに至っていない。
尊属殺違憲
判決について
政府のとった処置
昭和四十八年八月五日最高検察庁は、同年同月四日付、次長検事から検事長及び地検検事正に対し、最高裁大法廷において、尊属殺人罪を定めた
刑法第二百条は、法のもとの平等を保障する憲法第十四条第一項に違反して無効である旨の
判決があったこと、各庁に対応する裁判所に係属中の尊属殺人、同未遂、同予備被告
事件につき、罪名及び罰条の変更手続をとること、また、求刑に当たっても、必要に応じ、十分配慮を加えられたいこと等を要旨とする「尊属殺人等被告
事件の公判遂行等について」と題する通達を発し、法律を誠実に執行する任務を負担する
政府としての最高裁大法廷の違憲
判断を尊重する態度を明らかにし、尊属殺人罪については、普通殺人罪の規定である
刑法第百九十九条が適用されて今日に至っている。
このことは、憲法尊重擁護の義務を負う
政府としては当然のことである。
しかし、法律の誠実な執行者としての
政府は、前記のごとく適切な
措置をとりながら、内閣法に基づき
国会に
法律案の
提出権を持つ内閣としては、最高裁判所から最高裁事務
処理規則第十四条によって違憲
判決の裁判書の正本の送付を受けたときは、直ちにこれに基づく法改年案を
国会に
提出する義務があるのではないか、最高裁規則が内閣に裁判書の正本を送付すべきことを規定したのも、法律執行に関する処置とともに、立法上の処置をも求めているものと解される。なるほど
国会は唯一の立法機関ではあるが、現在までの法律制定の過程を見るとき、その感を強くするものである。
しかるに、
政府は、違憲
判決後の
昭和四十八年五月十八日の閣議で重罰規定削除の
改正案を決定しながら、
自民党の了承を前提として、
国会に
政府提案をする旨の閣議決定であったため、
自民党の了承を得られず、今日まで
提案するに至っていない。これが
質疑応答抜きで今日までの事実を整理をしたわけであります。
そこで、私は、結論として、違憲だと言われてなおかつ五年間放置することについて、これは
与党であろうと
野党であろうと、立法府としての
責任を私は痛感をしておるわけであります。これを痛感しなければおかしいと、私は、私
ども法務委員の
立場として思っておるわけであります。違憲だと明白に言われて、その内容が二百条全部が違憲なのか、二百条が重過ぎるから違憲なのか、議論もあるであろう、しかし、いずれにしても違憲だと言われておる。違憲だと言われたから、
政府は通達を出してそれを死文化した。だから二百条は空文になっている。そして、いまそういう通達だけが生きておる。
検察行政の中で生きておる。
検察行政がやったことがこのままずっと放置されていったならば、どういう資格があるのか、どういう権限でそういうものを——法律にもちゃんと二百条は生きておるにかかわらず、検察陣がそれを無効なりとみずから宣言をしてとった
措置というものが未来永劫に生きていくとするならば、それは越権
行為ではないかという観点も生まれてくると私は思うのであります。しかし、いまのその是非論はいつかは問題になるとしても、いまわれわれがどうしてもやらなければならぬのは、
国会の立法
行為、これが不作意であろうとも、立法
行為について違憲という
判決骨子になった今度の札幌高裁の
判決を含めて見て、いまわれわれとしては、
刑法二百条について決断をしなければならぬときではないか。私は、二百条削除案、そして死体遺棄罪も、そのほか傷害罪も、尊属に関する問題は全部、これはわれわれの
野党共同
提案のようにしろと言っておるのですけれ
ども、そのほかにも案がないではないということはわかるが、いずれにしても、これはもう決断をしなければならぬのではないか、私は心からそう
考える。まさに、その
意味においては
法務大臣の
責任は実に重大ではないか。あなたが
大臣になられてから何回これを言っているかしれない。それは、ほっておけばほっておけることであろうけれ
ども、それは政治的にもう猶予を許さぬ問題だ。これは
大臣がやろうと思えば、ひざ詰め談判で
自民党と話をして結論を得ることができるはずです。何にもおやりにならぬとは私は大変遺憾だと思う。ひとつ所信のほどを聞きたいと思う。