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飯田委員 憲法制定当時に
刑法解釈を入れて
制定されたというお説でございますが、どうも私はこの点については疑問を持つわけでございます。本当に
アメリカの人たちが
ドイツ流の
無罪を考えておったかということでございます。
〔
委員長退席、保岡
委員長代理着席〕
憲法は御承知のように
日本国家において
立法したものではございますけれ
ども、その草案はGHQの、ほとんどの根本的な修正は許されないほどの強い要求に基づく御
提案であったはずでございます。この
アメリカ刑法においての
無罪という言葉と
ドイツ刑法における、
ドイツの学者が言う
無罪という言葉には、おのずから違いがあったはずでございまして、私
どもは
憲法四十条というのは
ドイツ刑法学で言う
犯罪構成
要件というものを考えておらないのではないかというふうに考えるわけでございます。これは当時の
立法事情をもっと詳しく調べていただかなければわかりませんので、後ほどぜひお調べになっていただきたいと思うわけです。
そこで、その
憲法問題は
憲法問題で
一つ宿題を残しまして、次に、時間の都合で
刑法問題に移りたいと思います。
憲法の
規定はそのようになっておるのだが、では
刑法ではどうなっておるかという問題につきまして、
わが国の
刑法は御承知のように第一編、第二編と分けまして、第二編の方において罪の
規定を設けております。この罪の
規定は、御承知のように罪と刑は
法律をもって定めなければならないという原則に基づいて書かれておるのでございまして、ここに掲げられた罪はすべてそれに該当すれば無
条件に罪なのであります。たとえば百九十九条の人を殺した者は、この概念に当てはまればそれは殺人なのでありまして、ただそれを罰するか罰しないかは別の
要件によって決めることになる、そういうたてまえを
日本の
刑法はとっておると思います。そして罰するか罰しないかを決める
要件は、これは主として第一編の第七章におきまして決めております。
そこでこの第七章に決められておる法令による行為とか正当防衛とか、あるいは緊急避難とか
責任無能力者の行為とか、こういうものの本質をどう考えるかという問題につきまして、これは学説が分かれておることは私も承知をいたしております。しかし、ここで考えなければなりませんのは、
行為者の主観的事情とそれから客観的に発生した事実、この問題は分けて考える必要があるのではないか。客観的に発生した事実の問題は、
刑法第二編の罪に該当する事実の実現であります。もちろんその中には
故意、
過失も入りましょうし、いろいろ入るでありましょうが、その第二編に決めてあることに該当した行為が実現すればそれで罪があるということになるわけであります。それを特にそれだけで罰したのでは
責任主義に反する。
わが国の
刑法は
責任なければ刑罰なしという
責任主義の伝統によっておるというふうに言われております。このことは非常に重大でございまして、
責任がなければ刑罰はないのだ、ということは、逆に言えば、
責任があれば刑罰があるかというとそうではないのであります。
責任はあっても刑罰はない。そういう
責任があるから必ず全部刑罰を科するということではない。要は
責任がない者を罰してはいけない、こういうことでありまして、それならばどのような場合に
責任がないかといいますと、
刑法の第一編第七章に書いてあることであります。あの第七章に書いてある法令による行為とか正当防衛とか緊急避難とか
責任無能力の行為、こういうようなものは
責任がない。つまりおまえのやったことはけしからぬではないかと言って責めることができない事情にある、だからそういう場合は罰しない、こういうたてまえで
刑法は現実に
制定されておると見ざるを得ないわけであります。
ドイツ刑法学者が何と言おうと、
日本の
刑法学者が何と言おうと、それは学説であります。少なくとも
刑法の現実の
規定はどうなっておるかという問題からいきますと、私はそう
理解せざるを得ないと思います。
そこで、罪というところに該当する行為が実現すれば罪はあるのであります。罪はあるのだけれ
ども正当防衛だから罰しない、緊急避難だから罰しない、あるいは
責任無能力者の行為だから罰しないというのは、そうした行為には
犯罪者としてきめつけるには適当でない事情があるからであります。少なくとも刑罰適用能力がないとされるか、あるいは社会
責任観念からいいまして加害者に違法意識がない場合である、だから
責任を問い得ないのだ、
責任を問い得ないから罰しない、これが現行
刑法の
立法のたてまえになっておるというふうに
理解せざるを得ないのであります。
そうしますと、ここで問題になりますのは、
無罪とは何であるかといいますと、これは
刑法の「第二編 罪」に掲げてあるそのことに該当する事実あるいは該当する行為を実現しなかった場合、これが
無罪だと言わざるを得ないのであります。
刑法第二編に決めてある行為を実現した場合あるいはそういう行為をした場合、行為がある場合、これを
無罪とは言い得ない、罪はあるのですから。それは
無罪ではなくて、明らかに罪はある場合であります。ただ、それを罰するか罰しないかは別の事情によって、
行為者の主観的事情を取り入れて罰しない、このように
刑法ではなっておるというふうに
理解されますが、この辺についていかがでございますか。