○
瀬戸山国務大臣 非常にむずかしい
質問をされましたのですが、私は、
自分の
経験は先ほ
ども申し上げましたけれ
ども、つたない
経験でございますが、
裁判官はそんなに安易な
考えでやっている人はいないと断言すると、これはまた間違うかもしれませんけれ
ども、いないと私は見ます。
いま量刑の話がありましたが、先ほど
最高裁からもお話がありましたが、これは御
承知のとおり、
裁判官の恣意と言うとおかしゅうございますが、
裁判官の見識、裁量に任されておるわけでございます。これはほかに方法がありません。きちんと規格を決めるということのできる性質のものじゃありません。その罪質なり態様なり、
犯人の資質なり性格なり犯行の状況なり、また
犯人の犯行後における改俊の情といいますか、そういうものをかみ合わせて、刑罰の
意味を
考えて
判断するわけでございますから、これは一様にいくと、同じ人命を損傷したんだから同じでいいというわけにはまいらない。これはよけいなことでございますけれ
ども、たとえば先年、
最高裁の判例で非常に問題を提供いたしました、同じ
人間でありますけれ
ども、親殺しをした、しかし、それにはかくかくの事情がある、これを七年以上の
刑期の中で
判断するのは非常に無理があるという
裁判もあったような状況でございますから、これは同じ人命だから大体似たような刑罰というわけにはまいらない。ここはいろいろ御
意見がありましたけれ
ども、そこはひとつ
裁判官を信頼してもらう。そのかわり
裁判官は、先ほど
最高裁からお話がありましたが、あらゆる問題に身を慎みといいますか、社会の状況も研究しながら
判断をする、神にかけて
判断をするという修練をしなければならないと私は思います。また、そうしておる。特に
経験の浅い
裁判官等については、
経験の深い先輩がそれぞれやはり指導といいますか、修業といいますか、これは当然のことであろうと思います。
これは余談でございますけれ
ども、余談と言うと失礼でございますが、
証拠のとり方等について
一つ私の
体験をここで、恐縮でございますが簡単に申し上げさせていただきます。これは私がまだ若い
裁判官時代でございますが、
昭和十九年ごろであったと思います。
記憶が明確でございませんけれ
ども、私が
予審判事のとき——いまの
制度と違いますから、
予審に
起訴されている殺人
事件でございます。
犯人とされている者は朝鮮人の五十歳を超えた人だったと思います。これが殺人をしたと
起訴されてまいりました。これはいまと違いまして、あらかじめ調書を見ますから、
警察、検察の調べによると、一点の曇りもなくそれが
犯人と認められる状況にあった。しかし、
裁判官というのはそれだけで済むものじゃありません。殺人で、なたをもって、六十歳を超えた老婆であったと思いますが、それを惨殺をしたという
事件で、その老婆が殺されておることも事実でした。これは池の中に、春先、いまごろでございましたが、氷が解けて浮かび上がってきて死体が
発見された。それから殺人で調べて、いま申し上げました朝鮮人が
犯人である、それには凶器もそろっておるし、また殺した場所においても血が散乱をしておる、こういうあらゆる状況が備わっておる。しかし
裁判官は、それだけで、ああそうかというものじゃないと私は思います。そこで、その血液がたくさん散らばっているのを、私も現場検証したわけでございます。その人の家でございます。調べてみますと、なるほど血もあるし、凶器に血もついておる。そこで被害者の傷の状況を見ると、そのなたで惨殺をしたというような傷とはどうもちょっと趣を異にしている。そのなたで惨殺をすると、頭でございますから必ず頭蓋骨が相当割れるはずだ。これは当然の常識でございます。しかし割れておらない。傷だけで、割れておらない。そこに疑問を持った。そこで福岡の大学の法医学部に
鑑定を求めた。それから、家庭の、いろいろ障子やガラス窓に散らばっておる血も、そういう
資料も全部法医学部の
鑑定を求めた。しかしその血は
人間の血じゃなくて、いわゆるけだものの獣血である、こういう
鑑定の結果でもありました。それから、この
証拠物のなたで頭を強打したという傷に合わない。これは素人が見てもそういう感じがするけれ
ども、
鑑定によっても合わない、こういう状況だった。これは、本人は当然
自白をしていた。しかし、私のところへ来ましてから否認をし始めたから詳細に調べたわけでございます。いろいろ調べてみると、まさに全然違っておった。そこに子供が四人おりました。二十歳以上の長女、あとは十六、七歳の男の子と小学校の子供が二人、三人が男の子。簡単に申し上げますが、そういう連中も全部、父親が
自分の家でそのばあさんを殺したという証言をしている。悲鳴を上げた、いろいろあるわけでございますが、いろいろ調べますと、実はその子供四人でやっておった。池のそばに連れていって、そしてそこで池に突き落として、これは
原因があるわけですけれ
ども、長くなりますから申し上げませんが、突き落とした。これは山の上の大きな貯水池でございますが、裸にしてほうり込んだわけでございますが、はい上がってきたから、みんなでびっくりして石を投げて、とうとう沈めてしまった。頭に大きな傷がたくさんありますけれ
ども、なたで切った傷とは全然状況が違うと私は見たわけです。そういう事情が
発見された。そしてまた、さらに浮かび上がってきたから、長いさお竹でそれを突っ込んで、石をつけて沈めたという供述が出てきた。そしてそのさお竹はどこに隠したか、山の中に隠した、現にありました。それから衣類はどうなっているか、それもま
たまとめてどこかのやぶの中に隠したという供述もあった。それも調べますと、ちゃんとそこにあった。そして、わらなわに石をつけてやったというから、潜水夫を使って調べると、まさに石を二つ結んでそれにかけたものが浮かんできた、こういう事実があった。
裁判官はそこまで調べるものであります。
最近は特にそうであります。いまの
刑事訴訟法でも
自白だけで罰することは禁じておる、そういうことでございますから、
人間のやること、最初に申し上げたように
たまには間違いはありますけれ
ども、
西宮さんからいろいろ個別の
事件のお話がありましたが、それほど日本の
裁判官は軽率にはやらないものだという信頼だけはひとつ持っていただきたいという私の願いでございます。