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1978-03-03 第84回国会 衆議院 法務委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年二月二十八日(火曜日)委員長の指 名で、次のとおり小委員及び小委員長を選任した。  証人及び証言等に関する小委員       上村千一郎君    羽田野忠文君       濱野 清吾君    三池  信君       保岡 興治君    山崎武三郎君       渡辺美智雄君    稲葉 誠一君       横山 利秋君    飯田 忠雄君       高橋 高望君    正森 成二君       加地  和君  証人及び証言等に関する小委員長                 上村千一郎君 ————————————————————— 昭和五十三年三月三日(金曜日)     午前十時十八分開議  出席委員    委員長 鴨田 宗一君    理事 羽田野忠文君 理事 濱野 清吾君    理事 山崎武三郎君 理事 稲葉 誠一君    理事 横山 利秋君 理事 沖本 泰幸君       稻葉  修君    上村千一郎君       田中伊三次君    西宮  弘君       飯田 忠雄君    長谷雄幸久君       正森 成二君    鳩山 邦夫君  出席国務大臣         法 務 大 臣 瀬戸山三男君  出席政府委員         法務政務次官  青木 正久君         法務大臣官房長 前田  宏君         法務大臣官房司         法法制調査部長 枇杷田泰助君         法務省刑事局長 伊藤 榮樹君  委員外出席者         最高裁判所事務         総局総務局長  大西 勝也君         最高裁判所事務         総局人事局長  勝見 嘉美君         最高裁判所事務         総局民事局長  井口 牧郎君         最高裁判所事務         総局刑事局長  岡垣  勲君         法務委員会調査         室長      清水 達雄君     ————————————— 委員の異動 三月二日  辞任         補欠選任   西宮  弘君     岡田 春夫君   長谷雄幸久君     権藤 恒夫君   正森 成二君     不破 哲三君 同日  辞任         補欠選任   岡田 春夫君     西宮  弘君   権藤 恒夫君     長谷雄幸久君   不破 哲三君     正森 成二君 同月三日  辞任         補欠選任   飯田 忠雄君     権藤 恒夫君 同日  辞任         補欠選任   権藤 恒夫君     飯田 忠雄君     ————————————— 本日の会議に付した案件  裁判所職員定員法の一部を改正する法律案(内  閣提出第一四号)      ————◇—————
  2. 鴨田宗一

    鴨田委員長 これより会議を開きます。  お諮りいたします。  本日、最高裁判所大西総務局長勝見人事局長井口民事局長岡垣刑事局長から出席説明の要求がありますので、これを承認するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 鴨田宗一

    鴨田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。      ————◇—————
  4. 鴨田宗一

    鴨田委員長 内閣提出裁判所職員定員法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、これを順次許します。西宮弘君。
  5. 西宮弘

    西宮委員 最高裁お尋ねをいたしますが、検挙をされた事件で、裁判の結果無罪になるというのはどのくらいの割合になっておるのか、いわば無罪率といったようなものをお教えください。
  6. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。  通常第一審の無罪率、これは地方裁判所とそれから簡易裁判所と一緒にした通常の一審で申し上げますけれども昭和五十一年では、第一審の判決人員が七万九千七百六十三ということでございますが、全部無罪人員は三百九名、したがいまして、そのパーセンテージは〇・三九%ということになります。それから、五十年は、七万三千七百十八人の第一審の判決人員中三百四十一名、〇・四六%が無罪ということになります。それから、その前にさかのぼりますと、四十九年で七万一千二百二十二名、これに対する無罪判決人員が四百二十二名、したがいまして、このパーセンテージは〇・五九%ということになります。それから、四十八年は七万四千四百九十一人に対しまして四百五名の無罪でございまして、そのパーセンテージは〇・五四。それから四十七年にいきますと、七万九千二百十二名の判決に対しまして全部無罪が四百二十二名でございますので、パーセンテージでいきますと〇・五三%ということになります。  大体そんなところでございます。
  7. 西宮弘

    西宮委員 日本の裁判における無罪率が諸外国に比べて低いということは定評があると私ども伺っておりますけれども、これだけ無罪率が低いということはどういうふうにその原因考えておられるのか。  こういう質問はまことにやぼな質問だと思うのです。こうお尋ねしたならば、これは捜査段階においてきわめて周到綿密な的確な捜査が行われるためだという御返事があるだろうと思いますけれども、あるいはまたいわゆる起訴便宜主義ということで、起訴する段階においてそういうところは十分振り分けている、したがって裁判の結果無罪になる数が非常に少ないのだ、恐らくこういう御答弁だろうと思います。しかし必ずしもそうではないのではないか。無罪の数が非常に少ないのは、むしろシロであるべき者がクロにされてしまっているというケースも、率では大した数字ではないかもしれませんけれども相当数あるのじゃないかということを心配するわけですが、その辺はどういうふうに判断しておられますか。
  8. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 ただいまの点につきましては、先ほど御推察になりましたように、私どももやはり起訴がよく吟味してされているからだというふうに考えております。先ほどの御懸念の点につきましては、これは人間でございますから判断を間違うことは絶無とは言えませんけれども、そういうことはないというふうに私ども信じております。  と申しますのは、恐縮ですけれども、これは私がやっておったときの個人的な体験から申し上げるわけですけれども自分刑事事件を担当しておりますと、実はこれは無罪らしいとか、これは無罪だということになりますと、裁判官としては非常に仕事をした気になるわけであります。これは率直な感じでございまして、それは被告人人権ももちろん第一でございますし、本当に一生懸命有罪無罪かということは考えるわけでございまして、その点はどうぞ御信頼いただきたい、こう考えております。
  9. 西宮弘

    西宮委員 そういうことは全くない、人間だからたまに間違うことはあるかもしらぬけれども、十分信頼してもらいたい、こういういまの御答弁でありましたが、現にたびたび再審の結果無罪になるという例もあるのだし、あるいはまた藤野英一さんのいわゆる藤野報告と称する「事実認定における実検則実証的研究、特に再審となった刑事事件にあらわれた事実認定の過誤とその原因について」というのを見たのでありますけれども、これなどの中には、強盗窃盗犯で九件挙がっておりまして、ある一定の時間帯に起こった事件であります。九件挙がっておって、それが再審の結果いずれも無罪になっておるのですよ。自由刑の宣告を受けておったのが、再審の結果無罪になった。しかも、そのうちの七件は新たに真犯人発見されたという事件なんです。新たに真犯人発見されたという事件は、記録を見ると、交通違反事件、これにはずいぶん数が多いようですね。これは数が多いようだけれども、この藤野報告書に取り上げているのはそうではなしに、強窃盗事件。それで、九件の中で七件は新たに犯人発見された、こういうことで無罪になっている、こういうことが報告をされておるので、これは裁判所の方の御報告ですからきわめて権威のある報告だと思うのだけれども、こういう事実を見ておりますと、私は、いま局長の御答弁は、そのまま信頼してもらいたいと言われても、それだけでは少し納得できないと思うのですが、いかがですか。
  10. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 お答えを申し上げます。  これは先ほども申し上げましたとおりに、一審の裁判官が、やはり人間でございますから証拠認定による事実の認定を誤るという場合がないとは言えないわけでございまして、それは控訴審へ行って是正される。控訴上告というように参りまして、三審まで参りましたもの、これはもう本当に私は間違いないだろうと思います。  ところが、先ほど御指摘のありましたように、再審なら再審ということで、それで新しい証拠が出てくる。そういたしますと、これは新しい証拠が出れば判断基礎が違うわけでございまして、違った結論にならざるを得ない。つまり、判決をする場合に、基礎とする判断前提となる要素、これはそのときまでに法廷に出された証拠に基づいて判断するわけでございますので、その段階では、だれが考えてもそうなるであろうという判断をしているはずでございます。ですから、それが後で別の証拠が、思いがけない証拠が出て崩れるということは、人間である限りやむを得ないと考えておるわけでございます。
  11. 西宮弘

    西宮委員 その三審を重ねていく間にまたいろいろな証拠発見されるということで下級審判断が覆っていくということはあり得ることで、それはまた当然そうなければならぬと思うのです。しかし、いまの御答弁だと、三審までやるのだから絶対に間違いないと言ったけれども上告審まで経て、しかもなおかつ新しい事実が発見をされて、それで覆るという例もあるわけです。ことに、真犯人があらわれて、それで無罪になるというようなのはむしろきわめてレアケースだと私は思うのですね。  最近の例では、御承知のように弘前大学の教授夫人殺し事件というので、真犯人があらわれて那須隆という人が無罪になったわけですけれども、あの例などを見ても、あの真犯人があらわれてくる過程を見ると、全く劇的なのですね。つまり、あれは滝谷何がしというのが最後に真犯人ということを名乗って出たわけだけれども、その滝谷何がしは、たまたま自分も秋田の刑務所におった当時に、自分が否認をしたおかげでその身がわり那須という男が入っているということを風の便りに聞いた。しかも何かでちらっとその姿も見た。それから非常に良心がとがめて、彼はキリスト教に救いを求めて、それ以来マリアの像をいつもはだ身離さず身につけておった。そうして非常に良心に苦しんでおった。しかも、その間にたまたま知り合った、何か六カ月間の刑期で入っておったインテリ青年だったそうでありますが、その人とたまたま話をする機会にそういうことをちらっと漏らした。それで彼が、ちょっと名前は忘れましたが、いまの青年はそれを何とかして追及したいと考えておる。自分刑期を満了して出たところが、その滝谷が先に出ておる。先に出ておった滝谷がわざわざ刑務所にまで迎えにきておった。非常に驚いて、それから自分のうちに連れてっていろいろ話を聞いたところが、彼がしみじみ述懐して、私が実は犯人なんだ、こういうことを言って、それがきっかけでようやくその彼が真犯人であることが発見をされたわけですね。ですから、いまの那須隆さんが無罪になったその裏側には、滝谷何がしがみずから真犯人を名のって出る、これなどはきわめて異例なんですね。しかもまさに劇的な事件だったと思うのですね。  私は、真犯人があらわれてそれで無実が証明されるというようなことはきわめて例の少ない事件だと思うのでありますが、その犯人というか、犯人にされた人間から見れば、まことに得がたい幸運に恵まれたというほかないと思うのですけれども、そういうケースが、いま言ったように強盗殺人犯事件の中にも相当数ある。こういうことが報告書の中にも取り上げられておるということを見ると、さっきお話しのように、われわれを信頼してくれ、三審までやるんだから間違いはないんだ、こういうふうにいわば断定的に答弁をされるということは、私どもいささか心配なんですがね。  前に、これは田中最高裁長官だったでしょうかね、外部からいろいろ批判をされるのは迷惑千万だ、まあ言葉は若干違いますけれども、そういうことを言っておられたけれども、私はそういうことではいけない。あるいはあれは二、三年前の憲法記念日にも、あのときの最高裁長官も、われわれを信頼してほしい、こういうことで、はたからかれこれ言われることを非常に迷惑がった発言をしている。後で記録を持ってきてもよろしいのですけれども、いま手元に持っておりません。そういう態度では私は心配だと思うのですよ。裁判官にもいろんな方もあるのでしょうから、やはりそういう間違いがあるかもしらぬ、そういう認識で、慎重には慎重を期するということでないと、われわれのやっていることは間違いないんだ、だからあくまでも信用してくれということだけでは、私はまことに心配だというので、もう一遍御意見を伺いたいと思う。
  12. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 裁判官が事実を認定するに当たって慎重でなくてはならず、常に自戒自粛して、本当に神ならぬ身の人間が、ある事実がこうだというふうに言い切るわけでございますから、それを決めるについては本当に薄い氷の上を歩くような気持ちで、常に反省しながらやっていかなければならぬということ、そのためには、もうあらゆる方面からの勉強を重ねて、また人格を練りしていかなくてはならぬということ、これは全くお説のとおりであるというふうに考えております。
  13. 西宮弘

    西宮委員 瀬戸山法務大臣にちょっとお尋ねをいたしますが、実は前の福田法務大臣に私がお尋ねをしたときに、裁判には誤判もあり得る——あり得るって過去から現実にあるわけですから、少ない例ではありましょうけれども現実にあるわけですからこれはまあ当然でしょうけれども誤判もあり得る、それから、捜査段階においてでっち上げも絶無とは言えない、こういう答弁をされたわけです。これは速記録に明らかに載っているわけです。そういう点について、大臣は前大臣と同じような見解をお持ちであるかどうか、ちょっと一言だけ参考に伺っておきたいと思う。
  14. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私から申し上げるまでもないことでございますが、皆さんもそうお考えになっておるのであろうと思いますし、またさっき最高裁からも御答弁がありましたけれども、これはやはり裁判といえども人間の世界でありますから、人間裁判の職責を務めなければならない。でありますから、神ならぬ身のそれはたまには間違った認定をすることなしとしない。これはもう制度の上からいいましても、これはちょっと言い方が悪いかもしれませんけれども、そのために一審、二審、三審制度まで念には念を入れて間違わないようにしよう、しかもそれでも間違いということがないとも限らないから再審という制度まである。これを考えますと、絶対間違わないのだという前提はこれは成り立たない。しかし、先ほど来最高裁もお話がありましたように、これは、私は以前裁判官をしておったから個人的なことを申し上げて恐縮でありますが、これは全く人間人間裁判するということについては、悩みといいますか非常な苦しみを感じながらやるわけでございます。よく言われましたように、一人の無実、一人の無辜も出してはならないということが大原則でございますから、人の一生にかかわるものの判断が誤りますと人の一生にかかわる。最近で言うと人権の問題でございますが、これは本当に薄氷を踏むという言葉がありましたが、まさにそのとおり。私の個人的体験を言って申しわけございませんけれども、いまの裁判とわれわれの時代の終戦前の裁判制度が違いますから、その当時は刑事事件でありますと、あらかじめ警察から検察庁、あるいは予審を経るものは予審を経て、その記録は全部公判前に判事が見ることになっておる。調査をいたします。それにしても、これは全部が全部であるかどうか知りませんけれども、その気持ちとして申し上げるわけでございますが、それが全部これを信用していいかどうか、まず全部疑いをもってかかる、こういう前提裁判に向かった。これは私の体験を申し上げている。そのくらいに裁判官は私は慎重にやっておる。これはもう信頼してもらっていい。  しかし、重ねて申し上げますけれども人間のやることでありますから、たまにはどうしても、みずから調べた証拠によってはこうだと判断をいたしますけれども、その判断に、あるいは資料そご等がなきにしもあらず、それでたまにはやはり誤判が出る。そこで三審制度再審制度があるということでございますので、絶対ないのだということはこれは断言できない性格のもの、またそういう性質のものである。でありますから、それなればそれなるほど慎重にといいますか、周到な調査をし、判断をしなければならない。裁判ばかりではなくて、これは警察、検察から捜査段階から、そういう資料がやはり裁判に影響しますから、周到な調査、綿密な科学的捜査等も入れて間違わないようにすることは当然のことだと思っております。
  15. 西宮弘

    西宮委員 いま大臣の御答弁の中に、要するに三審制度である、さらにその上に再審制度があるのだ、したがって、間違いがあるかもしらないけれどもそれはきわめて少ない例外だという御答弁、私も特に大臣のおっしゃられた再審制度を加えてそういうふうに判断をされるということは正しいと思うのですね。その意味で、私は再審制度をぜひもっと門戸を開いてもらいたい。いわゆるあかずのとびらと言われている再審ももう少し条件を緩和してもらいたいということを切に願うわけです。例の白鳥判決以来、その点については若干緩和されておりますけれども、しかしまだまだ再審を願っている。そうして本当に、私どもは全くの素人でありますが、素人目に見てもこれはおかしいのじゃないかと思うような事件があって、熱心に再審を求めておるというような人たちが数多いわけであります。そういう人のためにぜひ再審の門を開いてもらいたいということが切なる願いでございまして、したがって、その意味において、大臣のいまの御答弁の中にありましたように再審まで加えて、ここまで来れば、人間のやる仕事ではあるけれどもまずまず間違いないんじゃないかという点については、私も同じような考えを持ちますので、ぜひそういう方向で再審の道を検討してもらいたいということを要望したいと思うのですが、もう一遍大臣、その点について。
  16. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私も長く実務を担当したわけでございませんから細かい点はよく記憶にございませんが、よく再審制度について門戸を開けという議論が以前からあるわけでございますけれども、いまの刑事訴訟法上の再審の規定は、相当周到にできておるのじゃないかと私は思っております。諸外国の例はよく知りませんけれども、決して諸外国再審制度に比べて、再審の事由について狭く認めているということにはなっておらないようでございます。ただしかし、いま私どもがこれは検討を要するのじゃないかと考え検討しておりますことは、再審に当たりましては、御承知のように確定裁判の後でございます。確定裁判でも、最近の事例ではすでに刑務所を放たれた人の再審もございました。そういうときにはそれほど感じないわけでございますが、現に収容中の確定判決に基づく人に対する再審の問題、こういうときには、これは場合によりますけれども、やはり弁護人選任制度とか国選弁護人制度考える必要があるんじゃないか、あるいは現在まだ再審請求中は弁護人選任制度がございませんから、収容者との交通が必ずしも便利にできておらない、その再審請求人意見をよく聞く機会を与える必要があるのじゃないか、弁護人との交通をもっと自由にする制度をつくる必要があるのではないか、こういう検討はしてみたい、こういう考えを持っております。
  17. 西宮弘

    西宮委員 これは大事な問題でありますから、簡単に大臣から御答弁いただくわけにもいかないと思いますけれども、私どもとしては、とにかく再審を開始して、さらに徹底した調査をしてもらうということを幾つかの事件についてぜひお願いしたいというふうに考えるわけです。あるいはさらに、制度として再審条件を緩和する、そういう制度の改正まで実行したい、そこまでぜひいきたいということがわれわれの切なる念願でございますから、どうぞその点だけは十分記憶にとどめておいていただきたいと思います。  最高裁お尋ねをいたしますが、いわゆる誤判ですね、どういう状況のもとで誤判というのが起こるか、つまり誤判の起る原因、そういう点について何か調査等がありませんか。
  18. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 誤判ということが意味する内容でございますけれども一つは典型的に普通考えられるのは、再審請求の結果、前の確定判決が覆って、いままで有罪とされていた人が無罪になったという場合が一つあると思います。それからもう一つは、一審で判決をした、ところが控訴したら控訴審でこれはいかぬといって破棄される、これを誤判といえば誤判になるわけでございますが、その二つの類型に分けて考えますと、最初申し上げました再審の場合、これはもう新しい証拠が出たということで、もとの判断基礎が変わってきたということになるわけでございますので、これはある意味ではどうしようもないと申しますか、判決が確定するまでの間にその証拠が出ておればそうはならなかったはずでございますので、裁判所としてはどうしようもない、こういうことになるわけでございます。  ところが、そういう再審になる事件ではなくて、一審の裁判所判断をいたしましてそれが間違っているという判断を受ける場合、この場合は二通りあります。一つは、法律解釈が違うという場合と、それからもう一つは、事実の認定が違うという場合があります。法律解釈が違うという方は、これは法律についてできるだけ勉強して、そういうことのないように判例、学説を研さんする、お互いに研究するという以外にはないわけでございますが、事実の認定という点は、これは経験と申しますか、その人の体験と同じ証拠がありました場合に、こういうことがあれば事実はこういうことが認められるであろうという、その経験則と申しますか、その判断と申しますか、結局帰するところはその裁判官の修養、研さんということで、できるだけそういう間違いの少ないように努力していくほかはないように考えております。
  19. 西宮弘

    西宮委員 私のお尋ねの仕方がまずかったのかもしれませんけれども、私はいわゆる誤判なるものがどういう経過、原因で起こるのか、つまり誤判原因というようなことでお尋ねをしたのですが、それでは私の方から申し上げます。これは大変にきざな質問の仕方で恐縮ですが、ドイツヒルスベルグという、「誤判」という大変貴重な文献雑誌に発表された人なんですが、私はその文献を見たのではなくて、それを紹介された雑誌を見ただけでありますけれども、この人が一九六〇年にこれを出版されると、早速ドイツの国会ではこの問題について大変な議論が沸騰したと言われるほど、問題を提供した学者だそうであります。  このヒルスベルグ分析によると、誤判原因として一、自白の無批判なる尊重、二、共同被告人有罪証言の無批判なる尊重、三、証人の供述の無批判なる尊重、四、間違いの犯人識別、五、鑑定人鑑定結果の無批判なる尊重、こういうふうに分類していると雑誌報告されているのです。このヒルスベルグなる人は大変に長い時間をかけていままでの誤判の例を分析をした結果だと言いますけれども、恐らく常識的にもこういうことじゃないかと思うわけです。  最初の自白の無批判なる尊重というところで、これはさっき申し上げた藤野報告書の中にもこういうふうに書かれております。少年を含め精神的に弱い者に虚偽の自白が起こりやすい、こういうことを言っているわけですね。いわゆる精神的に弱い、障害者ですね、そういう人の場合に自白が起こりやすい、これはいかにもそうらしいと感じますけれども、私はそれ以上に心配なのは、そういう精神的に薄弱な人に対しては捜査当局がねらい撃ちをする。これは裁判所の分野じゃないと思いますけれども、でっち上げる、あるいはねらい撃ちをする。そういうことで、えてしてでっち上げというようなケースに発展するという懸念が多分にある。つまり、そういう人は非常に暗示にかかりやすいわけですから、これを利用してまず自白を迫っていく、こういうことになりやすいという感じがするわけですが、これはむしろ法務省からお答えいただけますか。
  20. 伊藤榮樹

    ○伊藤(榮)政府委員 ただいまいろいろ御指摘になりましたが、要するに、おっしゃいますとおりに、自白を偏重して、それに寄りかかった捜査が行われました場合には、往々にして間違った道へ突き進む可能性があると思います。そういう意味で、御指摘のとおり自白を偏重する、また自白した者の精神状態とかいろいろなものを吟味しながら、ほかの証拠と関連させて慎重に検討すべきものだと思います。
  21. 西宮弘

    西宮委員 局長の御答弁のとおり、精神的に欠陥があるといったような人にはそれ相当な配慮をしながら、つまりそういう点を十分警戒しながら自白を評価するということであればこれは問題ない、ぜひそうなくてはならぬと考えるのです。しかし、私の言うのは、そしてまた世間で往々にして問題になるのは、そうではなしに、そういう人を目当てにまず自白をさせてしまう、つまりそういう人をねらい撃ちをする、そういうケースが十分考えられる。私はいつかも島田事件というので赤堀政夫という人の問題を取り上げたことがあるのですが、この人などは、私も何遍も会っておりますけれども、そういう点では明らかに障害者ですね。ところが、こういう人になりますと、あの記録を見ましても全く捜査官の思いのままに自白が行われる。捜査官の思いのままにという私の言い方は少し独断に過ぎるかもしれません。しかし、私どもそう判断する以外に判断しようがない。捜査官の意図に従って供述が行われる、こういうことがあの人の場合などは歴然としているというふうに考えるわけです。そういう点で、いま伊藤刑事局長の言われたように、そういう条件が本人にとって不利な、そういう身体的な欠陥を持ているというような人についてはむしろ逆な意味での考慮を払って、言っていることの内容を十分に評価をする。いま伊藤局長の言われたようなやり方で第一線の捜査官をそういうふうに教育訓練をしてもらわなければならぬと私どもは痛感をするので、ぜひそういうふうにしてもらいたいと思うのですが、もう一遍だけお答えください。
  22. 伊藤榮樹

    ○伊藤(榮)政府委員 具体的な事件はともかくとしまして、一般論として先生のおっしゃるとおりでございます。まさにそういう心構えですべての捜査官が捜査に当たるように、なお一層訓練、指導を徹底させなければならぬと思います。
  23. 西宮弘

    西宮委員 先ほどのヒルスベルグは第二番の原因として、共同被告人有罪証言の無批判尊重ということを言っております。つまり、共犯者の証言を無批判に採用してしまうということが誤判原因だと二番目に挙げているわけです。これは最高裁でもそういう点は無論注意をしておられると思いますけれども、さらに私はこの機会に注意を喚起しておきたいと思います。  なぜならば、ちょうどたまたまきょうの新聞に丸正事件のことが報道されておりました。これなどは、丸正事件の主犯とされております李得賢という人は終始一貫否認し続けたわけであります。しかし、その共犯と称された鈴木一男という人間をつかまえて、これから自白をさせてしまった。したがって、その鈴木さんの自白をもとにして李得賢さんも犯罪人にしてしまった、こういうことになっておる。だから、いわば鈴木さんの自白証拠としては唯一のものなんですよ。ところが、その鈴木一男という人が幼少のときから大変に精神的なマイナスを持っておったということで、これは小学校の成績でも、あるいは、姉さんがまだ健在ですけれども、鈴木孝枝さんという姉さんの話などを聞いても、その点は明白なんです。したがって、まず二人を——そのトラックに乗っておったのは運転手の李得賢さんと助手の鈴木さんと二人ですから、二人をつかまえてみたら、鈴木さんの方はそういう、いわばだれが見ても、世間でいういわゆるのろまであるとか愚鈍であるとか、そういうことは一見してわかるのでしょう。それで警察長官舎に連れていって、そこで署長官舎にかん詰めにして調べをした。これからしてすでに不自然だと思うのですが、だから、その後でいろいろ報告されておるのを見ると、その署長官舎で、あるいはだれもいないところで大分自白を強要したり、あるいは逆に大分優遇したり、いわばあめとむちを使って自白を迫っていった、こういうことが明らかになっている。これなら落とせるぞ、そういう見込みをつけた者をそういうふうにしてまず自白をさせてしまうということですね。  こういうことがあり得るので、そういう点を裁判所裁判官が厳しく見抜かなければ、誤判はこれから先も絶えないということを私は心から憂慮するのであります。ひとつ答えてください。
  24. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 委員御指摘のとおりに、共犯者の自白に安易に乗っかかるとか、あるいは共犯者のみならず一般にその自白と称せられるものに安易に乗っかかるということがきわめて危険であるということはおっしゃるとおりでございます。われわれとしては、事件を担当する場合には、みずからその点について大いに戒めていかなければならぬと思いますし、それからお互いにその点については気をつけ合わなければならぬというふうに考えております。
  25. 西宮弘

    西宮委員 たまたまきょう丸正事件がマスコミの一部に大きく報道された機会でありますから、ついでにもう少し述べさせていただきたいのですけれども、私ども、この事件は全く時間的にも空間的にも、常識的に考えて犯罪が起こり得る状況にはなかったというふうに確信をするわけです。まあわれわれ素人が確信をしてもどうにもならぬかもしれませんけれども、私どもはそう考えます。したがって、私はこの李得賢を救う会の会長をみずから引き受けておるわけです。それほど私は何としても彼の無罪を明らかにしていきたいという悲願に燃えているわけですけれども、そういう点から言うと、全く空間的にも、あの狭い、何か一畳半ぐらいの部屋だそうでありますけれども、その狭い部屋で、しかもそこに洋服のミシンの台が置いてある、そんな狭いところで犯罪が行われるはずがない。また、全くのぼろ家でありますから、二階にはその被害者の兄貴の夫婦が住んでいるわけですから、どこからでも少し大きな声を出したらすぐ聞こえる、そういうところに兄貴の夫婦がいた。そこでそういう犯罪が行われるということは、いわば空間的にも考えられないし、時間的にも全く同様であります。十五分ぐらいの間にそれだけの大事件が行われて、現金と預金通帳、判こ、そういうものを持って逃げた、こういうことになっておるわけです。これは時間的にも不可能だというふうに言われておることを、その方が正しいのじゃないかというふうに私自身は考えているわけです。  そういう事件でありますが、不思議なことに、これは裁判所にもぜひ考えてもらわなければならぬことですが、そのとき盗まれたと称する預金通帳三通と判こ、これが後から被害者の実家の仏壇の下から全く偶然の機会にあらわれたわけです。被害者のおっかさんなどは半狂乱になって、私は死にたい、死なせてくれ、こう言って泣き叫んだというふうに、これは明らかに裁判記録にもあるわけです。ところが、そういう肝心かなめの証拠があらわれたという点については全然判決に触れておらないわけです。そして、鈴木一男さんの自白をそのまま信用して、李得賢さんを犯人と断定してしまっている。そういうことで、せっかく後日あらわれた証拠物件等については一言も触れておらない。こういう判決が現に行われている。裁判所としても判断を誤っているのじゃないかという気が私は強くするわけです。具体的な、それがシロかクロかということを論議する場所ではありませんから、そういう意味でお答えをもらうことはできないと思いますけれども、しかし私は、そういう大事な証拠物件があらわれた、いわばまさにポイントになるべき物があらわれた、そういうことについて、判決が全く触れておらないというようなことはきわめて片手落ちだというふうに考えるので、抽象的で結構ですから、お答えください。
  26. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。  御指摘のとおりに、具体的事件についてここで私どもが、その判決がどうであるこうであるということは全く申し上げるわけにいかない立場にございますので、御了承願いたいと思います。  ただ、ごく抽象的に申し上げますれば、事件判決というものは、そのポイントについて判断するものであることは申すまでもないことでございます。
  27. 西宮弘

    西宮委員 こういう点は再審さえ開始をされればおのずから明らかになることでありますから、ぜひ再審が開始されるということを私は心から念願をするわけでございます。  さっき申し上げたヒルスベルグの第三の原因に「証人の供述の無批判尊重」というのがあるのですが、これなども私は証人の選び方が問題だと思うのです。いま申し上げたついでに丸正事件を例にして申し上げますと、被告人、つまり李得賢さんでありますが、いやあの男はそういうことをやる人間じゃないということを言った人の証言は、全然それを言ったきりで、あとは警察官が来もしない。これは本当を言えば、松下さんという床屋さんで食堂も兼ねておった人ですが、李得賢さんはそこに寝起きをしておったわけです。だから一番よく知っているはずなんです。ところが、いやあの人に限ってというようなことを言ったら、それっきり警察官は二度と調査にも来ない。そしてあと選んだ証人というのは、全部大一トラックの運転手あるいは会社の関係者です。つまり、証人の選択を誤ってはいかぬということを申し上げるのは、このトラック会社は、警察の非常に強い監督といいますか、あるいは時によりますと保護といいますか、要するに警察行政の中で自分の商売が成立をする、そういう会社であるわけであります。したがって、会社ぐるみでそういうことになると警察に協力をする。ですから、そういう人たちはみんな警察官のことをだんな、だんなと言っておって、警察官にできるだけ迎合する。そういうふうに会社全体がなってしまっておるというのですね。いま行っていろいろ現地の事情を聞いても、その辺は非常にはっきりするわけです。だからその中で、会社の従業員で同じ運転手ですけれども、いやあの男に限ってそういうことをするはずがないと言ったのは、直ちに会社を解雇されてしまっている。本人は一生勤めたいというので、会社の株を千株か二千株か、とにかく彼が一番多数の株を持っておった。一生涯会社といわば生死をともにしようというようなつもりで入っておった運転手も、それは首になってしまう。そして警察に迎合する、そういう証人だけが全部採用されている。こういう現実があるので、私はそういう点で、証人の証言、供述に安易に乗りかかってしまうという不安、その点はドイツの学者の指摘するとおりだと思うのです。  そういう点で、そういう立場の、つまり警察に御厄介になっていることが多い業者とか、あるいは特に警察の取り締まりを受けている飲食業者とか、昔ならばいわゆる赤線業者だとか、ああいう人などはもう何もかも警察の言うとおりに証言をする、警察の注文どおりの証言をする、こういうことがあの当時から明らかに言われておったのです。だから、そういう点については、裁判所として厳重な分別をしていくことが必要だということを私は痛感するので、ぜひこの点は裁判所としても考えていただきたい。ひとつ御見解を聞かせてください。
  28. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 事件を審理いたします場合に、いろいろな証拠が検察官側からも出ますし、弁護側からも出るわけでありますが、その場合に、どの程度のものを取り調べるかということは、裁判所の自由裁量に任されておるわけでございます。しかし、自由裁量といいましても、やはりそれは一定の経験則上、前後の関係から妥当と認められるようなやり方でいかなければいけない、これはもう当然のことでございます。ですから、裁判官としては、自分事件を担当しますと、果たしてこの証拠を採用するのが本当に必要なのだろうか、あるいは不必要なのだろうか、あるいは妥当なのだろうか、そういうことはいつも頭に置きながら考えていかなければいけないわけでございます。
  29. 西宮弘

    西宮委員 きょうは最高裁お尋ねをする場所ですから最高裁お尋ねをしたわけですが、私はむしろ第一線の捜査当局が、そういう安易なところから証言を集めてくるというようなことをやらないように、ぜひ第一線の捜査官がそういう心がけをしてもらいたいということを、これは捜査当局にお願いをしたいと思うのです。法務省の刑事局長の御答弁を聞いてもいいのですが、時間が足りなくなりますからお尋ねはいたしませんが、ぜひそういうことで第一線を指導していただきたいということをお願いしておきたいと思います。  私は、実はいまの丸正事件の李得賢さん、あるいはまた島田事件の赤堀政夫さん、もう何回か会っておりまして人も知っておりますけれども、何としても再審をもう一遍やってもらって、とにかく再審段階でシロかクロかをはっきりしてもらいたいということを非常に強く熱願しておるわけです。もし再審が開始されないなら、少し極端な言い方ですが、私は死んでも死に切れないというような気持ちさえしておるわけでございます。その証人の証言を無批判に受け入れてはならぬということを言いました。それにはさっき申し上げたように、藤野報告の中にも、年少者あるいは精神的に弱い者、そういう者の自白に間違いが起こりやすい、こういうことを言っているのだけれども、その適例は例の徳島のラジオ商殺し事件だと思うのですね。この間、半月ぐらい前でしょうか、何回目かの再審でしょうけれども請求をしたという新聞報道を見まして、私は思わず激励の電報を打った。私はもちろん一面識もありませんし、全然いままでだれからも話を聞いたことはないのだけれども、このあれは富士茂子さんという人ですね。この人などは、未成年者、若い人の二人の証言の結果ああいうことになってしまった。しかもそれが文字どおり、私をして判断せしめれば、検察あるいは警察の思いのままに少年の証言が左右されているというふうに思うわけです。訴えるたびごとにその少年がいろいろそういう点で圧力を受けている、そういう事実だけは私もいろいろ雑誌その他で見ております。この人は二審でしたか、みずから上告を取り下げて二審の判決に従ってたしか服罪してきた。とっくに刑期は満了して出ておる人ですけれども、しかし、無実であることを晴らしたい、その執念に燃えておるようであります。私も本当に気の毒な人だということを痛切に感ずるので、そういう子供の自白などを勝手に操作してしまうというようなことがあっては全く大変だという感じが強くするので、このことも取り上げて、ぜひこれからの参考にしていただきたい。あるいはまた、この人なども本当に命をかけて再審を願っておるのでしょうから、それがぜひ開始をされることを私も国民の一人として願っていきたいと思うわけでございます。  その次に、このヒルスベルグ犯人の識別を間違ったという点を挙げておるのです。これなどはイロハのイの字を間違ってしまったのです。私、ちょっと切り抜きをとっておいたのが見えなくなってしまったのですけれども、去年あたり警察も検察も裁判所も全部犯人を間違えて、人違いをして判決してしまった。これは、たしか私の記憶では略式で裁判をしておったと思います。だから事件そのものはまことに軽微なんだけれども、新聞記事は大きな記事が出ておったのですが、切り抜いておったのだけれどもなくしてしまったんだ。これなどは警察も検察も裁判所もその犯人をとり違えてしまったというので、まことにお粗末な事件だと思うのだが、御記憶ありませんか。あったらちょっと……。
  30. 伊藤榮樹

    ○伊藤(榮)政府委員 その事件は多分こういう事件だったと思います。交通違反か何か犯しました者が他人の名前をかたりまして、そして略式命令が確定してしまって、そのかたられた人の本籍地へ前科の通知が行った、罰金、犯歴の通知が行った、そのためにその人が非常に憤慨をして、調べてみると、裁判所も検察庁も警察もみんなすっかりだまされておった、こういうことで当時話題になったように記憶しております。
  31. 西宮弘

    西宮委員 ちょっと私の記憶と違うんじゃないかと思うのですが、さっきも申し上げたように、交通違反事件にはかなりそういう身がわりというようなのが多いようですね。私の記憶では、そういう意味での交通違反事件ではなかったように思うのです。いずれにしても、そういうことでは全く心もとないという気がいたします。能勢弘之教授の書かれた中にも、有名な事件で代表的な例として十三例を具体的に列挙しております。やはりこれは法律雑誌ですけれども、それを見ますと、十三例とも人を間違えているという事件です。決して交通事犯ではないのです。それなどを見ますと、全く人を間違えて判決を下してしまうというようなことが、全くお粗末きわまると思うのですけれども、そういう初歩的、全く初歩中の初歩というような問題があるわけです。  その次に、例のヒルスベルグ氏の、鑑定人鑑定の結果を無批判尊重するという問題がありますが、さっき私が、これが明らかにならなくては死んでも死に切れないと言った島田事件などは、例の古畑種基教授の鑑定ですね。私はどうも幾つかの事件を見て、りっぱな学者だそうでありますけれども、この古畑さんの鑑定は非常にたくさんの問題を残したのではないか。したがって、この間の弘前事件那須隆さんが無罪だというようなことが決定したその日に、岩波書店では岩波新書から絶版にしてしまったわけですね、古畑さんの書物を。それほどそういう意味では多くの問題を残した人ではないかと私は思いますけれども、そういうことがないように、本当に鑑定なんというのはむずかしいのでしょうから、いろいろな角度から取り上げるということをしてもらわなければならぬと思います。いまの弘前事件などは、那須隆さんを有罪にした仙台高裁の裁判長が次の年に転任をいたしました。昭和二十八年、そのときの新聞に載った談話でありますが、こう書いてある。「松永事件」というのは被害者の名前ですね。「松永事件は難解で思出になる。証拠といっても被害者の海軍シャツについている血痕をめぐる古畑教授の鑑定だけなんだ。それに被告を犯人とした場合の動機が判らない。物取り、怨恨そういった証拠は全然ないんです。起訴状では変態性欲者となっているが、東北大の教授陣に鑑定させたところ、変態性欲とは認められないという。しかし古畑教授の鑑定書は絶対的とは言えないまでも、一応これに従わねばならないし、他の状況証拠などで被告人犯人と断定した。ただ量刑の動機が判然としないので、重からず軽からずというところで懲役十五年を言い渡したのである。」こういう談話を述べているのです。私は、これなどはずいぶん無責任だと思うのです。その証拠は古畑鑑定以外には一つもない。動機も全然わからない。したがって量刑のしようもないので、重からず軽からずというので十五年にした。十五年程度ならばどっちに転んでも余り文句を言われないのじゃないかというようなことで判断をしたとしか言いようがないわけですね。こういうことが堂々と行われているんですよ。実際、無責任きわまると私は思う。だから、いまのドイツの学者ではないけれども鑑定に安易に訴えてはならぬということを言っているけれども、その古畑鑑定たった一つに乗っかって、しかも多くの点がわからないまま懲役十五年も言い渡している。彼は十五年の刑期を満了したわけです。こういうことがあってはいけないと思うんだ。最高裁として、この点につきましてどういうふうにお考えですか。
  32. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 具体的事件についての考え方というものは、これは私どもとしてはここでは申し上げるわけにはいきませんが、裁判官はやはり自分判決するからには証拠を十分に吟味して、その証拠の吟味の上で達する結論というものは自分個人の独断的な見解ではなくて、これこれの証拠があれば一般の人ならばこういうふうに考えるであろうという筋に乗って判断しなくてはならぬ、そういうふうに思います。
  33. 西宮弘

    西宮委員 そうだろうと思いますけれども、ところがその結果は全く誤判であったということが後日明らかになったわけですね。だから、こういう安易な、あえて言うならば無責任なそういう判断をして、それで事を済ましているというようなことは、私は断じて許すことのできないことだと思うのですね。私は、これはたまたま弘前事件についての一例を申し上げたのだけれども、こういうことが行われる可能性が決してなしとしない。さっき局長が、われわれを信頼してくれということを言われたので、私がそういうあなた方にこういうことを繰り返し申し上げることは大変お耳ざわりだと思いますけれども、そういうわれわれのやっていることを信頼してくれ、信頼してくれれば間違いないんだというような態度では、無事の罪人をつくって、その人にとってみればこれは一生涯を犠牲にするかしないかという大変恐るべき問題だと私は思う。そういうことに陥りやすいので、私はぜひこの点は後で大臣にも所見を伺っておきたいと思います。  最高裁お尋ねをいたしますが、量刑について、たとえば同じ殺人事件でもずいぶん量刑の幅が広いわけですね。むろん動機その他があるのでありましょうけれども、私が見た限りでは、そういう動機によって情状酌量されたというのではなしに、刑の軽いのは自分に自信がない、確信がない、ちょうどいまの仙台の判決と同じように。そういうことで、まあこの程度にしておこうじゃないかというような判決でああいうアンバランスが出ているのだと思うのであります。その点はどうですか。
  34. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。  刑の量定というのは、いろんな事情を考え合わせた上でやりますものですから、これはなかなかむずかしいわけでございます。それで、たとえば、これとこれとこれとあれば何年、これとこれとこれとあれば何年というふうな明確な基準というものはございません。もちろん本当の公平さということを考えて、たとえば道路交通事件などでスピード違反、六十キロなら幾ら、七十キロなら幾ら、これは大体事件の性質上ある程度基準ができている、したがって、そういうものについては、たとえばスピード違反であれば大体の全国的な基準が決まっている、大体皆さんそれを考えてやっておられるということになるわけですが、普通の事件になりますと、なかなかそれが、どういう要素があればどれだけにすればいいかということはきわめてむずかしゅうございます。したがいまして、考える場合に、裁判官によりましてある事情を非常に重く見る人と、それからある事情を軽く見る人と、これが一致するところはなかなかむずかしい、こういう事情が一つございます。  それからもう一つは、仮にそれが同じ基準の考えを持っておられるとしましても、同一の事件というものはほとんどございませんで、もうそれは被告人を取り巻く環境から、被告人の資質から、法廷の状況から、同一の事件というものは全くございません。これはそう断言申し上げていいと思います。したがいまして、それに応じた刑というものにも差ができるということがございます。したがいまして、私といたしましてはそういった事情から、個々の窃盗でも殺人でもいろいろの事件みんなそうでございますけれども、いろいろの差ができてくる、単純な道路交通事件みたいな機械的なものについては一定しております、しかし人間的な要素が加わってくればくるほど非常にむずかしい、こういうふうに考えておるわけでございます。先ほどおっしゃいましたような、これはどうも危なそうだからということで差をつけたりということは、いままでの私の経験としてはそういうことを知りませんし、そんなことはないと確信しております。
  35. 西宮弘

    西宮委員 たとえば、さっき申し上げた赤堀政夫なんという人は死刑ですね。それから、いまの弘前事件那須隆さんは十五年の判決、それから富士茂子さんの徳島ラジオ商殺しというのはたしか十二年だったと私は覚えておりますけれども、あるいは李得賢さんの場合は無期ですけれども事件そのものはいずれも残酷な殺人なんですよ。そしてそれが、仮にいまの丸正事件の李得賢さんの場合ならば、自分犯人だ、その動機はこういうことでやったのだ、こういうことになればその動機について酌量するということはあり得ると思うのだけれども、それは徹頭徹尾全然否認をしているわけですから、動機について酌量を求めるなんということはもちろんあり得ない。それはほかの事件もみんな同様です。だから、動機が違うとかそういうことでいろいろ刑に重い軽いが出てくるというのは当然だと思うのですよ。しかし、そうじゃない全く単純な強盗あるいは殺人、強殺という事件なんだけれども、それでいまのように差が出てくるというのは、私は十分な確信が持てないという結果ではないかと思うのですね。いまの弘前事件などは、たまたまこういうことを新聞に談話として発表しているからあるのだけれども、重からず軽からずというところで十五年というようなことを言っているので、確信を持てないでそういう犯罪を断定するという結果、量刑にこういうアンバランスが出てくるというふうにしか思われないわけですよ。そういうまことに無責任なやり方は、少なくともこれからは絶対になくしていかなければならないし、また同時に、いままでのそういう疑いのある事件については、再審の場所でもう一遍そのことを明らかにしてもらいたいということを心から願わずにはおれないわけでございます。  時間がありませんからこの辺で終わりにいたしますが、さっき最高裁局長は、われわれを信頼してくれということを言っておられる。私もそうありたいと思いますよ。恐らくいまの世の中で、国民全体が一番頼りになるのは裁判所だ、裁判官だというふうに考えていると思います。したがって、裁判官が神様であってほしいという、国民はむしろそういう祈るような気持ちでおるのだろうと思いますね。ところが現実にはそうでないというのがあると、私どもは本当に頼るものがなくなってしまう。だから、ぜひ裁判官は神様であってほしいということを願うのだが、ところが現実にはそうでない裁判官が数多いということは、岡垣局長はお聞きになったかどうか知りませんが、前の委員会では横山議員がたくさんの例を挙げたわけですね。ああいう裁判官もとにかく存在する。そうなると、要するに裁判官も、いい意味においても悪い意味においても一個の人間なんだ。皆さんの先輩であります斎藤朔郎さんの「裁判官随想」という書物を見ると、裁判官も平凡な人間であるということを前提にして考えなければならぬ、裁判官は平凡な通常人であることを自覚すべきであるというようなことをこの随想の中に書いておられますけれども、そういう謙虚な気持ちで事を処さないと大変な重大な誤りを来す。だから、われわれはぜひ神様であってほしいということを心から念願をいたしますが、しかし、裁判官たるあなた方は、むしろ、要するに平凡な人間なんだ、そういう自覚のもとに、十分誤らない判断をしてもらわなければならぬ、神様ではないのだということをあなた方が自覚をして事に当たってもらいたいというふうに私は希望したいと思いますね。  大臣、最後に、さっきるる申し上げてまいりましたが、どうも裁判の量刑一つをとってみても非常に恣意的な、つまり、あえて言うならば、十分な確信を持たないままに判断をしてしまって、したがって非常に安易な裁判が、判決が行われているというような現実があるので、そういう点についてどういうふうに考えておられるか、あるいはこれからどういうようにすべきであるか、ぜひひとつ大臣の御見解を伺いたいと思います。
  36. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 非常にむずかしい質問をされましたのですが、私は、自分経験は先ほども申し上げましたけれども、つたない経験でございますが、裁判官はそんなに安易な考えでやっている人はいないと断言すると、これはまた間違うかもしれませんけれども、いないと私は見ます。  いま量刑の話がありましたが、先ほど最高裁からもお話がありましたが、これは御承知のとおり、裁判官の恣意と言うとおかしゅうございますが、裁判官の見識、裁量に任されておるわけでございます。これはほかに方法がありません。きちんと規格を決めるということのできる性質のものじゃありません。その罪質なり態様なり、犯人の資質なり性格なり犯行の状況なり、また犯人の犯行後における改俊の情といいますか、そういうものをかみ合わせて、刑罰の意味考え判断するわけでございますから、これは一様にいくと、同じ人命を損傷したんだから同じでいいというわけにはまいらない。これはよけいなことでございますけれども、たとえば先年、最高裁の判例で非常に問題を提供いたしました、同じ人間でありますけれども、親殺しをした、しかし、それにはかくかくの事情がある、これを七年以上の刑期の中で判断するのは非常に無理があるという裁判もあったような状況でございますから、これは同じ人命だから大体似たような刑罰というわけにはまいらない。ここはいろいろ御意見がありましたけれども、そこはひとつ裁判官を信頼してもらう。そのかわり裁判官は、先ほど最高裁からお話がありましたが、あらゆる問題に身を慎みといいますか、社会の状況も研究しながら判断をする、神にかけて判断をするという修練をしなければならないと私は思います。また、そうしておる。特に経験の浅い裁判官等については、経験の深い先輩がそれぞれやはり指導といいますか、修業といいますか、これは当然のことであろうと思います。  これは余談でございますけれども、余談と言うと失礼でございますが、証拠のとり方等について一つ私の体験をここで、恐縮でございますが簡単に申し上げさせていただきます。これは私がまだ若い裁判官時代でございますが、昭和十九年ごろであったと思います。記憶が明確でございませんけれども、私が予審判事のとき——いまの制度と違いますから、予審起訴されている殺人事件でございます。犯人とされている者は朝鮮人の五十歳を超えた人だったと思います。これが殺人をしたと起訴されてまいりました。これはいまと違いまして、あらかじめ調書を見ますから、警察、検察の調べによると、一点の曇りもなくそれが犯人と認められる状況にあった。しかし、裁判官というのはそれだけで済むものじゃありません。殺人で、なたをもって、六十歳を超えた老婆であったと思いますが、それを惨殺をしたという事件で、その老婆が殺されておることも事実でした。これは池の中に、春先、いまごろでございましたが、氷が解けて浮かび上がってきて死体が発見された。それから殺人で調べて、いま申し上げました朝鮮人が犯人である、それには凶器もそろっておるし、また殺した場所においても血が散乱をしておる、こういうあらゆる状況が備わっておる。しかし裁判官は、それだけで、ああそうかというものじゃないと私は思います。そこで、その血液がたくさん散らばっているのを、私も現場検証したわけでございます。その人の家でございます。調べてみますと、なるほど血もあるし、凶器に血もついておる。そこで被害者の傷の状況を見ると、そのなたで惨殺をしたというような傷とはどうもちょっと趣を異にしている。そのなたで惨殺をすると、頭でございますから必ず頭蓋骨が相当割れるはずだ。これは当然の常識でございます。しかし割れておらない。傷だけで、割れておらない。そこに疑問を持った。そこで福岡の大学の法医学部に鑑定を求めた。それから、家庭の、いろいろ障子やガラス窓に散らばっておる血も、そういう資料も全部法医学部の鑑定を求めた。しかしその血は人間の血じゃなくて、いわゆるけだものの獣血である、こういう鑑定の結果でもありました。それから、この証拠物のなたで頭を強打したという傷に合わない。これは素人が見てもそういう感じがするけれども鑑定によっても合わない、こういう状況だった。これは、本人は当然自白をしていた。しかし、私のところへ来ましてから否認をし始めたから詳細に調べたわけでございます。いろいろ調べてみると、まさに全然違っておった。そこに子供が四人おりました。二十歳以上の長女、あとは十六、七歳の男の子と小学校の子供が二人、三人が男の子。簡単に申し上げますが、そういう連中も全部、父親が自分の家でそのばあさんを殺したという証言をしている。悲鳴を上げた、いろいろあるわけでございますが、いろいろ調べますと、実はその子供四人でやっておった。池のそばに連れていって、そしてそこで池に突き落として、これは原因があるわけですけれども、長くなりますから申し上げませんが、突き落とした。これは山の上の大きな貯水池でございますが、裸にしてほうり込んだわけでございますが、はい上がってきたから、みんなでびっくりして石を投げて、とうとう沈めてしまった。頭に大きな傷がたくさんありますけれども、なたで切った傷とは全然状況が違うと私は見たわけです。そういう事情が発見された。そしてまた、さらに浮かび上がってきたから、長いさお竹でそれを突っ込んで、石をつけて沈めたという供述が出てきた。そしてそのさお竹はどこに隠したか、山の中に隠した、現にありました。それから衣類はどうなっているか、それもまたまとめてどこかのやぶの中に隠したという供述もあった。それも調べますと、ちゃんとそこにあった。そして、わらなわに石をつけてやったというから、潜水夫を使って調べると、まさに石を二つ結んでそれにかけたものが浮かんできた、こういう事実があった。裁判官はそこまで調べるものであります。  最近は特にそうであります。いまの刑事訴訟法でも自白だけで罰することは禁じておる、そういうことでございますから、人間のやること、最初に申し上げたようにたまには間違いはありますけれども西宮さんからいろいろ個別の事件のお話がありましたが、それほど日本の裁判官は軽率にはやらないものだという信頼だけはひとつ持っていただきたいという私の願いでございます。
  37. 鴨田宗一

    鴨田委員長 次に、沖本泰幸君。
  38. 沖本泰幸

    ○沖本委員 私も裁判所職員定員法に関しまして御質問いたしますが、きょう持参いたしました資料だけに基づいて御質問いたしますので、まだ残っているものもありますから、その分は留保させていただきたいと思います。  それで、飛び飛びになるかもわかりませんが一応お伺いしたいことがあるわけですけれども、速記官の欠員についてです。私の知っている範囲内では、大まかに言いまして、過去十年ぐらい二百人前後の欠員のままになってずっと来ているようなわけで、それをそのまま考えると、そういう欠員がそれだけ続くのなら、大蔵省の方へ予算要求をやってもそれだけ人が要らないのじゃないかということになるわけですね。では仕事の量はどうなのかということになって、必要な人数が欠員であるということは、欠員分だけは現在いらっしゃる速記官にその分の負担がかかってきているということを考えなければならない。そうなると、少なくとも十年間欠員が続いているということになると、仕事の上に大きな負担が出てくれば自然に職業病も出てくるだろうし、無理も起こってくるのじゃないかと思うわけです。  そうすると、欠員がずっと続くということは、速記官という仕事が希望者がいないのか、希望する人がいないので養成ができない、だから欠員のままなのか。最近はテープをおとりになっていろいろと補助的なことをおやりになるわけですから、その分だけはある程度腕を動かしたりいろいろな点が軽減されるのじゃないかとも考えられますけれども、二百人分の欠員の負担ということになれば、精神的、肉体的に大きな負担がかかってくるということになるので、なぜそれだけの欠員がずっと存在しておるのか、その欠員は補充の要がないのか、補充できないのはどういう理由か、そういう点をお伺いしておきたいと思います。
  39. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 速記官の欠員でございますが、ただいま沖本委員御指摘のとおり、ここしばらくの間約二百名の欠員が続いておるということ、そのとおりでございます。それではそんなに欠員があるのであれば、もうそもそも定員を考えるべきではないかというような御指摘もございました。  これは沿革的なことを申し上げますと、当初速記官ができますときに、定員上の措置といたしましては、当時書記官補というのがございましたけれども、書記官補を主といたしまして若干の事務官を加えまして、そういう予算定員を速記官に組みかえた。約十年間にわたりまして順次組みかえまして、昭和三十九年なり昭和四十年ごろに、現在の予算定員、九百強でございますが、そういうふうに順次書記官補ないし事務官から組みかえていった、こういう経過がございます。組みかえております最中に順次養成も続けておったわけでございますが、完全に予算定員を充足するまでには養成ができなかったということがございます。組みかえが完了いたしました時点におきましても相当数の欠員がございまして、その後引き続き速記官の養成を続けていったわけでございます。  これはたびたび当委員会でも御指摘を受けまして御説明申し上げておることでございますが、裁判所の速記、いわゆる機械速記でございまして、ソクタイプというものを打ちまして、それから反訳するということにいたしておりますが、その養成はなかなか容易なことではございません。これも御承知と存じますが、書記官研修所に二年間入れまして、そこで養成をするということをやっております。最初適格があると認めて書記官研修所に入りましても、養成の途中で適格がないということで退所していく者もあったわけでございます。それで比較的最近まで部内の事務官等から書記官研修所に入れまして、採用するという措置々とっておったわけでございますが、それだけではなかなか人数的に十分な養成ができないということで、昭和五十年からは外部からも速記研修生というものを採用することにいたしまして、これも書記官研修所に一緒に入れまして養成をしてきたわけでございます。そうはいたしましても、なかなか予算定員に満つるまで養成するにはまだ当分の期間を要するのではないかというふうに思います。  そこで、速記官の足りない分だけ書記官にしわ寄せがいっておる、あるいは他の速記官にしわ寄せがいっているのではないかという御指摘でございますが、これも先ほど御説明いたしましたように、そもそもが供述を録取する職員といたしましては、最初は書記官だけがいた。それを、一部を速記官に組みかえましてやっておるということでございますから、その当時と比べまして、その後増員もございますから、全体としては供述を録取する職員の数というのは決して速記の欠員があるから少ないというわけではございません。全体としてはそれだけの戦力があるというふうに私どもは見ております。  ただ速記の需要、つまり逐語調書と申しますか、一語一語全部録取する、そういう速記の需要に対して十分足りておるかどうかと言われますと、これはいろいろ議論があるところであると存じます。ただ裁判所といたしましても、速記をすべき事件というものはどういうものかということをよく考えなければいかぬわけでございます。専門的な事項が問題になっておりますとか、技術的な事項が問題になっておりますとか、あるいは間接事実が非常に重要だというような証人につきましては、逐語的な調書をつくる必要があるわけでございますが、そうでない証人につきましては必ずしも一語一語逐一とらなくても、その要旨を書けば足りるということもあるわけでございます。それとともに、一人の証人につきましても、その証人がしゃべることを最初から最後まで全部逐語的にとらなければいけないかと申しますと、これは必ずしもそうでもございませんで、問題になるところだけとればいいということもございます。そういうようなこともいろいろ勘案しまして、いま沖本委員がちょっと御指摘になりましたけれども、最近は書記官も録音機を持って入っておりまして、従前は自分の手で手控えをつくって後で調書をつくるということにしておりましたが、そのかわりに、その手控をつくる補助的な手段といたしまして録音機も持ち込んで、後で調書をとるということをやっております。そういうふうにいたしますと、いま申しましたように、一人の証人の中で真に逐語的調書が必要な部分につきましては、録音を後で聞きまして逐語的調書をつくる、そういう必要のないところは要約調書をつくるというようなこともできるわけでございまして、そういうふうな措置を全体としては講じておりますので、速記官の欠員が約二百あるから他の職員、特に他の速記官にしわ寄せがいって、職業病がふえているのだというふうには必ずしも私どもとしては考えていない、こういうふうに申し上げられるかと存じます。
  40. 沖本泰幸

    ○沖本委員 いま、たとえば必要なところだけをとればいいのだということなのですけれども、その必要である、ないという判断裁判官がおやりになるのですか、書記官がおやりになるのですか。
  41. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 個々の事件の訴訟指揮の問題でございますので、逐一裁判官が書記官に指示するかどうかは必ずしもわかりませんが、その場で指示する場合もございましょうし、あらかじめ指示する場合もございましょうし、それとともに、熟練した書記官でありますれば、この事件の真の争点がどこにあるかということはよく準備して入っておるわけでございますから、書記官が判断することもできるわけでございます。
  42. 沖本泰幸

    ○沖本委員 きわめて素朴な質問になるのですが、たとえば原告なり被告なりが、民事事件ならことにそういう形になると思うのですが、被告の立場というふうな立場に立って法廷で述べる場合ですね。かわりに弁護士さんが述べていただくこととか、そのほかの代理の方が述べていただくことは別にいたしまして、本人が述べるような内容については、感覚的には裁判官が聞いてくれているという形で述べているわけですね。それが、自分で重要だと思って主張しているけれども、ところがそれが案外事務官によって、書記官によって、そこのところだけが要点筆記にされておったというふうに、具体的な話でそういう経過をたどっていきますね。そうすると、結局この陳述をやったり供述をやったりする被告なり原告なり証言に立つ人なりというものは、自分の述べていることすべてを、弁が立つ立たないは別にして、聞いてもらっているという形になるわけですから、それが要点だけ書かれているというところの信頼感の食い違いですね。そういうものを考えていきますと、国民の側に立って物事を考えますと、非常にめんどうな手数はかけるかもわかりませんけれども、細大漏らさず聞き取っていただいて、その上で判断をしていただきたいというのがやはり国民の真意ということになるわけですね。そういうことになりますと、やはりそのあるべき形は十分整えていただいて法廷の場をつくっていただく、そして十分録取していただいて、その上で十分な判断を示していただくということが重要なことになるのじゃないかと思うわけです。  そういう点から考えると、やはり充足していただく、むだであるでしょうけれども、またむだな費用がかかるかもわかりませんけれども、やはり十分なスタッフを整えていただいて、法廷をちゃんと整えていただくということが、国民の側からとってみれば必要な重大なことになると私は考えるわけなんです。ですから、速記官が足らない、法廷を務めるだけのスタッフが足りないというのは裁判所側の方の都合であって、国民が望んでいることではないということで、やはりそういう観点から物事をお考えになってやっていただかなければならない。私たちは、この委員会でしばしば書記官なり事務官なり速記官なりの立場に立って御質問したり、その処遇を変えていただくための御質問をいろいろやるわけですけれども、その反面、国民の側に立って十分なことをやっていただきたいと考える側からすれば、やはり私がいま申し上げたようなものを整えていただかなければならない。  その点、せんだっても、あれはたしか稲葉先生がおっしゃっていたのじゃないかと思いますけれども、法務省を通して予算要求を大蔵省になさるわけですから、そういう面からいくと、裁判所はずいぶん遠慮がちに予算要求をなさったり、あるいは裁判所の本当に大事な重要なものに対してやはり大蔵省に十分御要求をなさらない、そのために二百人なら二百人の欠員がそのまま残っていくというようなことになるのじゃないか。あるいは、後から申し上げるつもりでもおりますけれども、結局行政上の節約を政府に従ってやっていくために、人員を削っていくというふうなことの中にこういうものがはめ込められたまま存在しておるということになると、たとえばこの二百人足りないというものはそのままずっと続いていくのじゃないかということが考えられるわけです。そうすると、やはり国民に対して裁判所は十分おこたえになっていないということになるのじゃないかということが考えられるわけなんですけれども、この資料で見ますと、五十三年度三月速記修了する速記官の見込みは二十九名、五十二年度が三十一名だった。こういう人数で足りるのか足りないのか。この二百名を追っかけていく場合にはもっとこれが増員されなければならないのに、それがやはり書記官の中からそっちの方向へ転向させていくということであれば、書記官自体がしぼられてきて、いまの定数が足りない足りないである場合には、そこから割いて速記官に人材を持っていくということになれば、そこにまた無理が起こってくるということになりますし、また、その書記官の処遇と速記官の処遇と違うのかという点があれは——同じということになれは、無理なことをそっちの方へ行って勉強して仕事をしなければならぬということはないじゃないか。あるいは、いわゆるこれからどんどんどんどん年数がたって昇進していかなければならないけれども、速記官になれば昇進の道がある程度おくれていく、書記官の方が昇進の道がいい。あるいは書記官でおって仕事をやっておれば、今度一定の年数が来て書記官を終われば、そのほかの社会へ出て職業につけろ場合の資格というものが十分得られる。そういうようないろいろなものが介在していくとすれば、これは速記官になるのを好まないということが紀こるのじゃないかと考えるわけですけれども、そういう内容については私たち全然わからないわけです。ただ手探りでいま物を申し上げているだけなんですけれども、そういう関係はどういうふうになるのでしょうか。
  43. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 御質問が非常に多岐にわたっておりますので、あるいいは一部落とすことがあるかもしれませんので後でおっしゃっていただきたいと思いますが、まず、法廷へ出てまいります当事者、証人等の言うことを全部聞くかどうかという問題でございます。これは、御承知のとおり法廷での発言は裁判官が逐一全部聞いておるわけでございまして、しかも、特に速記との関係で申しますれば、いわゆる証人とか当事者本人等の証言、供述を速記をとるということはございますが、法廷のそれ以外のいわゆる訴訟手続、弁論手続等を逐一、逐語的に調書にとるということは実際上行われておりませんで、主として証言等をどういうふうにとるかという問題になるわけでございます。  確かに、しゃべったことを全部書く方がいい、そういう一つ考え方もあろうかと存じますが、逆に、あまり必要でないところまで全部とる、それをまた当事者及び特に上訴審の裁判官等が全部読まなければいけないという問題も生じまして、必ずしもすべてを逐語的にとるということがいいかどうかということについては、それぞれ識者の間に議論のあるところでございまして、やはり真に逐語的な調書を必要とするものについてだけとる、裁判官は全部聞いておるということによって処理せざるを得ないのではないかというふうに私ども考えておる次第でございます。  それから、欠員二百と予算要求との関係でございますが、予算要求は、御承知のとおり裁判所は直接内閣の方へ要求しておりまして、御承知のように二重予算の制度もございます。     〔委員長退席、羽田野委員長代理着席〕これは、常に裁判所はそのことを念頭に置きまして要求をしておるわけでございまして、速記官二百との関係で予算要求がどうこうということは決してございません。しかも速記については、いま申しましたように二百の欠員がございますために、そのために要求をしていないということでは必ずしもございませんで、まあ一応まず充足ということではございますが、欠員があるから要求をしないというものでも決してないわけでございます。一応その程度のお答えを申し上げておきたいと存じます。
  44. 沖本泰幸

    ○沖本委員 そうしますと、先ほどのお話で書記官の中から速記官をつくるという御説明があったわけですが、その書記官の中から速記官というものが養成されていくのか、その辺がよくわからないのですが……。
  45. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 ちょっと私の御説明が悪かったのかもしれませんが、先ほど申し上げましたのは、いわゆる予算上の速記官の定員が約九百ございますが、その定員がどういうふうにつくられてきたかということでお話し申し上げたわけでございまして、その当時それを増員したわけではなくて、むしろ書記官補とか一部事務官等から定員を組みかえたということを申し上げたわけでございます。実際上速記官になります者は書記官からなるわけではございませんで、裁判所に現在勤務しております事務官でございますとか、あるいは外部から高等学校を卒業して裁判所の初級職の試験を受けて、それから書記官研修所に入る、そういう機会がございまして、主として事務官等からなるというふうに御理解いただきたいと思います。
  46. 沖本泰幸

    ○沖本委員 それの処遇は、一般事務官、書記官と比べてどうなんでしょうか。
  47. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 重複するかもしれませんが、速記官として要求される素質、適応性というものと、書記官として要求される素質、適応性は、一応観念的には全く別個のものというふうにお考えいただきたいと思います。いま総務局長から申し上げましたように、したがいまして、その採用、養成は全く別個にやっておる。採用後の書記官と速記官との間のいわば交流といいますか、転官といいますか、そういうものも当然にはされていないというふうにお含みおきいただきたい。ただ、たとえば速記官の場合に、やはり書記官としても適応性がある者については書記官への道も開いておるというふうに御理解いただきたいと思います。  以上のようなことでございますが、処遇といたしましては、速記官は先ほどから御説明申し上げておりますように、非常に特殊な技能を要する職種でございますので、しかるべき処遇をしなければならないということで、昇格の年限を一般の他の職員と比べまして早めているというのが現状でございます。
  48. 沖本泰幸

    ○沖本委員 そうしますと、速記官を今度退職した場合に、社会的に十分有利な職業につけるというような利点は何かあるのですか。
  49. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 現在裁判所で採用しております速記の技術といいますか、形は裁判所独自のものでございまして、いわゆるソクタイプというものを用いて速記をやっているわけでございます。社会から要請されておる速記者の需要といいますか、これも相当あるというふうに思いますが、裁判所が独自に開発いたしましたソクタイプの普及が、当初思ったほどのいわば普及というものがなされておらないというのが現状だと思います。したがいまして、速記官を退官した場合に、当然に自分の能力を活用して第二の人生を歩むということにつきましては、相当むずかしい面があるようにも思います。しかし、裁判所で用いているソクタイプを用いて、いわば一般の速記の需要にこたえている人もあるようでございますが、一般のタイピストとかあるいは普通の速記者のようには、当然にいわば第二の人生を歩んでおられる方はそんなに多くないように思います。
  50. 沖本泰幸

    ○沖本委員 大体事務官とか書記官とかは、司法書士になったりというふうな一般社会的な職業につけるチャンスがあるわけですね。ですから、同じように機会均等ということを考えますと当然その辺ばしんしゃくしていただいて、何かの道が得られるような方向の出口がなかったら入ってこないということになるのじゃないかということもあるわけです。やる仕事はもう重たくて職業病になりやすい、そういう条件を整えておりながら、一たん定年が来るなり何かの都合で退職しなければならぬという立場に立ったときに、一般社会で再就職という道を全然別個に考えなければならないというようなことがあるとすれば、これはやはりなり手が少ないということになるのじゃないかということも考えられるわけですから、そういう点もひとつお考えになっていただきたいのです。  それと、職業病の点からいきますと、事務系統に携わる方と速記官とでは、いわゆる頸肩腕症であるとか、そういうふうな特定の職業によって起こってくる職業病にかかる率というのは差があるのでしょうか、同じような率で起こっておるのでしょうか。
  51. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 一応手指障害で公務上災害と認定された者について申し上げますと、昭和二十六年以来五十二年まで全体で公務上の認定件数が三十六件ございまして、そのうち速記官が二十六件でございます。ほかに手指の関係の障害といいますと、書記官にも若干、それからタイピストにも若干ございますが、裁判所の場合には手指障害の公務上災害の大多数が速記官であるということになっております。
  52. 沖本泰幸

    ○沖本委員 ですから、私がいま申し上げたような心配もそういうところに出てくると思うのですね。ですからやはりあわせて考えていただかなければならない。  お役所仕事ですから、これは例にはならないかもわかりませんけれども、たとえばずっと以前ですけれども、公務用に使う自動車、あれが消耗品的に考えられ出したのはよほど後になってからです。地方自治体の方ではどんどんどんどん消耗品で自動車を扱っておったのに、国の方では財産として扱っておったから、金がずいぶんかかってもオーバーホールしてその車をずっと使わなければならないというふうな隘路が以前あったわけです。これは車の例で言うわけなんですけれども。これと同じような物の考え方があるのではないか。ということは、職業病についての厳しい枠がいっぱいあって、それでなかなか認めてもらえないというのが一般的な考え方なんです。ですから、公務中の疾病であるというふうな認定を受ける機関はいろいろつくってもらっているけれども、そこで認めてもらって公務上の疾病や障害による補償を得られるというのが非常にむずかしい。一般の企業の中でもそういうものが多くあるということは聞いておりますけれども、少なくとも現代的な感覚から考えていくと、当然そういうものはうんと開いた感覚で物事を考えていかなければ、結局職業によって確かに公務による疾病をいろいろ起こしておるのに、なかなか国の方で認めてもらえないという事態があちこち起こっていると言えるわけです。  たとえば、いま申し上げた速記者が認定された過去五年間の数字を見てみますと、五十二年までに毎年一名ずつなんです、判で押したみたいに。偶然そうなったのか、あるいはそれしか認められなかったのか、それはわからないわけですけれども。二百人少ない、確かにその少ない分だけ仕事の量は肩にかかっているはずなんですけれども、そこから起こっておる職業病として認定された人は一名ずつである。それに限らないでもっとふやしなさいということではないのですけれども、その辺に働いている人たちの言っていらっしゃることと——これは前にもいろいろ議論いたしました。結局平行線みたいになっているわけなんですけれども、その辺をやはり考えていただかなければならないのではないかと考えるわけです。  ちまたの公害病による訴訟とかいろいろなものが起こって、いままでは個人が苦しんでおったものが、それぞれ社会的に害を与えた方の側から補償しなければならないという、いまそういうふうに物の考え方がずっと変わってきているときですから、やはり職業によって体にいろいろな疾病を生じたというものは十分考えていただくということでなければ、社会に出たって十分体が使えない状態に陥っている、五体満足でないという事態があるわけですから、そういうものもあわせて将来に対して心配のないようなものを十分つくっていただかなければならない。働いていらっしゃるところが裁判所であり、法務省である。一番そういうものを公平に判断する、国民が判断を求める場所ということになるわけですから、やはりそういうところでは模範的なものがあってしかるべきではないかと私は考えるわけです。そういう点についていかがですか。
  53. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 まず速記官の職業病の公務災害認定の関係でございますが、ただいま沖本委員御指摘のとおりでございます。昭和四十八年から五十二年の五カ年間につきまして、結局公務上の災害というふうに認定をした件数は六件でございます。  改めて最初から申し上げますと、頸肩腕症候群それから書けいの関係でございますが、実は四十八年から五十二年の五年間におきまして申請件数が九件でございました。その処理状況は、先ほど御指摘がございましたように公務上災害と認められたものが六件、公務外と認められたものが一件、調査中が二件でございます。その意味におきまして、数字面から見ますと、公務上災害としての認定の割合は相当高いというふうに考えておるわけでございます。なお、公務外の認定を受けたケースにつきましては、当人が慢性関節リューマチに罹患したというものであって、公務との因果関係がないというふうに判断されたものであります。  しかし、沖本委員御指摘のとおり、この種の職業にどうしても出てきますいわゆる職業病につきましては、私どもといたしましても十分その予防対策を講じておりますし、また、そういう症状を呈するようになりました者に対してはいろいろな対策を講じまして、職業病でいわば体を全然だめにしてしまうというようなことのないように心がけているつもりでございます。
  54. 沖本泰幸

    ○沖本委員 健康保険の制度もだんだん変わってきておるのですね。ですから国民健康保険でも、本人の負担であるとかあるいは診療を受ける場合の負担率というものがだんだん変わってきつつあるわけですから、それがいわゆる公けの機関に働く人たちだけがそこからおくれてきているというような扱いになったのでは困るわけですから、その辺も十分しんしゃくしていただきながら、絶えず向こうを向いて変わっていくという形でお考えになっておいていただかないと問題が残ってくると思います。  これはまた正確なものをうんと持ってきていろいろお話し合いしないといけないと思いますからこのくらいにしておきますが、現在の定員が九百三十五人に対して現在七百三十九名で、先ほど言ったとおり百九十六人の欠員なんですが、予算では九百三十五人分の支出だ。これはちまたで聞いたわけなんです。ではその欠員の百九十六人分はどこかで、関西弁で言うと、どうかなってんのと違いまっかというようなことをちらりちらり聞いたわけなんですが、その辺はいかがですか。
  55. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 決してそのようなことはございません。先ほど総務局長から申し上げましたように、現在の速記官の欠員が出ているいままでのいきさつと申しますか沿革を相当詳しく申し上げたわけでございますが、その欠員につきましては、先ほど総務局長からお話がありましたように、いわば事務官からの組みかえの途中であるというふうに御理解いただきます。いわゆる速記官分の人件費を事実上別な費目として使うわけにはもちろんまいりませんで、人件費として使われているというふうにお考えいただければと思います。
  56. 沖本泰幸

    ○沖本委員 このことはまた後に問題を置いておきます。  これは昨年の九月十八日の新聞で、単身赴任した家裁の判事さんが病弱を苦にして自殺したというのが出ておるわけなんですけれども、これは「十七日午後零時二十分ごろ、東京武蔵野市境一の一の二、国電武蔵境駅二番ホームから通過しようとした東京発高尾行き下り特別快速電車に階段から駆け降りてきた男の人が飛び込み、頭の骨などを折って即死した。」調べてみますと「岡山家裁家事審判部、渡瀬勲判事とわかった。調べでは、同判事はことし五月からうつ病にかかるなど、病弱気味で自宅に帰って療養しており、川崎市内の病院に通院していた。」遺書はないけれども、最近家族に死にたいということを漏らしておられた。  この渡瀬判事は「三十四年四月、高松地家裁判事補を振出しに、大阪地家裁、最高裁家庭局付、宮崎地家裁の判事補、判事を務め、鳥取地裁に転出の前は東京家裁の判事だった。」「岡山家裁へ転勤、単身赴任で岡山市いずみ町の裁判官宿舎に寝泊まりしていた。五月中旬ごろ「眠れない、自宅へ帰って休養したい」と申し出、東京・小金井の自宅に戻った後、同二十四日付で医師の診断書を付けて三カ月間長期欠勤すると病欠届を同家裁に郵送してきた。その後八月中旬にも同じく診断書付きで病欠届を郵送、長期欠勤中だった。」という内容なんですが、こういう裁判官の赴任について、宿舎の問題であるとか、あるいは子弟の教育の問題であるとか、これは別に裁判官に限ったことではないわけですけれども、転勤という条件が伴う方々の中に、いろいろと問題があるわけです。     〔羽田野委員長代理退席、委員長着席〕 たとえば、都内に住んでいる方が成田の飛行場に移らなければならない、子供はいままで住んでいたところで高校の教育を受けておる、今度赴任地へ行くと、子供の教育の状態が全部変わってくる、こういうふうなのは転勤する人たちの一番困る条件になっていくわけですね。  こういうことなんですけれども、ともすれば、裁判官の皆さん方は、何か社会から隔絶されたみないな生活をしていらっしゃるというふうに私は見ているんです。一般社会とおつき合いをしていけば、子供の教育もそういう中にまじってあるということなんですけれども、法務省の矯正局も同じことが言えるんじゃないかと思うのですが、矯正局の職員の方の宿舎も町の中で隔絶されているわけですね。あるいは裁判官宿舎も町から隔絶されている特殊地域みたいになっていて、そこには八百屋さんくらいしか入ってこない。あとは一切合財裁判所で全部賄われているというふうな状態が確かにあると思うのです。そうすると、年ごろになったお子さんのお嫁入りの問題だって心配しなければいけないということも起こってきますし、そういう内容のことでがんじがらめに身を縛ってしまって、それでいろいろなものを聞いて判断なさるということが、私はこれはちょっと筋違いじゃないかという考えでおるのですけれども、むしろ社会のことをいろいろと——いまはテレビ社会ですから、テレビを通して一般社会のことはいろいろよく知ることは知るわけですけれども、やっぱり一般社会の中にあって、そういう中で、一般社会人とのおつき合いをやっていきながら生活しておるということの方が、国民のために公平に物事を判断していただくという上からの判断力というものは、もっと養成されるんじゃないかというふうに考えます。  ずっと以前に九州の方を法務委員会で視察したときに、福岡の裁判所のお方のお話の中にも、いまのような質問を投げると、それはやっぱり頭が痛いのだというようなお答えが返ったこともあります。そういう点、ずっと引っ張ってくれば、病弱を苦に判事さんが自殺したという一つの事例で出てくるかもわかりませんが、その自殺を、体が病弱であったために精神的な問題にまで至って、それで自殺したということは言えますけれども、家庭的なそういう悩みを絶えず持っているということになれば、これはそれだけ精神的な負担が出てくるわけですから、そういうものを私は心配して、いまの御質問を申し上げているわけなんですが、内容についてはいかがですか。
  57. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 渡瀬判事の事故死につきましては、大変痛ましい限りだったと思いますが、渡瀬判事その方を直接の問題として云々することは、ある意味ではプライバシーに関することでございますので差し控えさせていただきたいと思いますが、渡瀬判事は前から神経性胃炎を病んでおりまして、大分体の調子は悪かったようでございます。その原因というものを必ずしもつまびらかにしているわけでではございませんが、冒頭に御指摘がございましたように、長期病休をとりまして、専心治療に努めておられたさなかの事故であったことでございます。  なお、その点に関しまして、ただいま御指摘のように裁判官宿舎というようなものも、大局的に見た場合に、一つ原因として、裁判官の意識に影響するのではないかというような御指摘がございました。確かに戦後裁判官の、公務員一般がそうでございますけれども、戦前ならば普通の借家をしておって、いわゆる市井の中に一般の市民の方々と一緒に住む、そういう形態が多かったと思いますが、戦後、どうしても宿舎事情というものが悪かったわけでありまして、そのために国の宿舎政策というものが順次進みまして、現在のところ、裁判官の場合をとってみますと、裁判官の数だけ宿舎はあるという状態にはなっておるわけでございます。ただ、そういういきさつから考えますと、どうしても裁判官の宿舎をアパート式に、ある一定区画のところに建てざるを得ない。横を向いても裁判官、上を向いても裁判官の家族ということになりますと、勢い交際というものも狭められざるを得ないと思いますが、そこはそれで、裁判官として少なくとも社会的な常識、教養というものを持っていなくちゃいけないわけでございますので、そこは家族も含めましてそれぞれの交際を求める、という言い方はおかしいと思いますが、やはり自分なりの考えでその辺の隘路を打開すべきだというふうに考えます。もちろん、私ども裁判官宿舎につきましては、いわゆる強制官舎、義務官舎ではございませんので、普通の家を借りている方もあるわけでございますが、ただいま御指摘のように、いわゆる裁判官官舎にかたまって住んでいるからこの種の事故というものにつながっているのではないかということにつきましては、私ども正確な分析をしているわけでございませんけれども、まずそういうことはないというふうに考えておるわけでございます。もしそういうことがあるとすれば、やはりそこは裁判官自身、裁判官の家族ともども考えていかなければならない問題だと思います。
  58. 沖本泰幸

    ○沖本委員 一般社会でも、商売をやるにしても企業を経営するにしても、人を使うことが一番大事な問題で、人の処遇ということが大きな成果を上げていく根本になるわけですね。そういうことですから、まああと一年、二年たてば自分の子供が高校を卒業するんだ、そういう最中に、順番が来たからおまえさんはほかの裁判所へ行きなさいというようなことになってくると、これはもう家庭的な大きな問題が起こってくるわけです。そういう面もありますし、また閉鎖されたような環境の中に置くと、たとえば、少年院なんかで非行少年なんかの扱いなんかを見てみますと、わりとお父さんが学校の先生であるとか公職についていたりすると、子供に枠をはめて押しつけてしまうのですね、そのために、押さえつけられた子供は反発力で非行に走ってしまうということも社会的に間々あるわけです。そういうこともありますから、後顧の憂いのないようにしてあげて、十分な裁判を行うためには、やはり家庭的な環境をよく考え条件を整えてあげるということが一番大きな力を持ってくるんじゃないかと私は考えるわけなんです。ですから、いまマーケットへ行って物を買えば幾らで買えるか、奥さんと一緒に裁判官自身がマーケットへ行って実際に物を買うような生活の中に置いて差し上げないと、裁判官は一体町で大根が幾らしているのかわからぬというようなことでは困るわけなんです。ですから、一足飛びの話をしましたけれども、そういう内容を考えていただかないと、私たち国民は十分りっぱな裁判官を得られない、こう考えますけれども、その点、いかがですか。
  59. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 まず前段は、転任と子弟の教育という問題の御指摘であろうかと思います。沖本委員承知のとおり、裁判所の場合に、全国にばらまかれておりますので、どうしても裁判官の人事が広域人事にならざるを得ないし、また反面、これを固定しておきますと、それなりの弊害が出てくるということで、現在のような裁判官の異動をさせていただいているわけでございます。ただいま御指摘のとおり、転勤によりましていろいろな不都合がそれぞれの方々に生じているわけでございます。現在単身赴任の裁判官の方も相当数おりますが、ただいま御指摘の子弟の教育ということで単身赴任しておられる方は、その約半数に近い比率でございます。反面、私どもといたしましては、個々の裁判官の方々の特殊な事情につきましては、できるだけ希望に沿うようにして異動計画を立てさせていただいているつもりでございますが、全面的に子弟の教育のためにということを理由として異動を断わられますと、いわゆる異動計画がにっちもさっちもいかなくなるという面もあることをひとつ御承知おきいただきたいと思います。  なお後段の、いわゆる閉鎖社会によって、いわば大根一本幾らぐらいするかわからないような生活をしているんじゃないかという御指摘でございますが、もしそうでありましたならば、裁判官としては私は適格じゃないと思いますが、先ほど申し上げましたように、それは裁判官自身が大いに社会勉強といいますか、社会の事情に通ずるように努めるべきであろうかと思っております。
  60. 沖本泰幸

    ○沖本委員 まあ当然のことを申し上げたのですけれども、案外それがそうでない場合が多いのですね。それであえてちょくちょくこういうことを申し上げるのですがね、こういう点も十分お考えになっていただきたいと思います。ただお国のためということで、そのために奥さんやお子さんの生活の自由というものがある程度犠牲にされてしまうということがないようにやっていただかなければならないと思います。俗に言えば、つまらぬことで夫婦げんかしたことでむしゃくしゃすると、法廷でその日ちょうど何かの決断をしなければならないことになると、点が辛かったり甘かったり、これは人間の常ですから、そういう点にも影響するわけですから、これは十分機微に応じた考え方をしていただくことが大事だと思うわけです。  もう二つほどありますが、一つは、二月十五日午前、東京地裁刑事四部で開かれた暴力団に対する有罪判決の開廷直前に  被告が所属する暴力団関係者ら約五十人が、法廷前に押しかけ、大声でどなりながら全員の傍聴を要求、警備員らと小ぜりあいとなるなど険悪な状況となった。このため、地裁側は、法廷を急きょ、大きな法廷に変更した。この法廷では、都内の小学生の社会科見学が行われており、小学生を“追い出す”形で、約二十分遅れて開廷した。これまで同地裁では傍聴人がどっと押しかける過激派の裁判をはじめ、どんな形であれ傍聴人の圧力で法廷を変更した例はない。厳しい訴訟指揮で知られる同地裁だが、この日ばかりは暴力団の言い分がまかり通る形となった。 という大きな記事が出ているわけなんですけれども、これに対して世論も大変厳しいものがあって、「東京地裁の暴力団員に対する判決公判で暴力団の威力により、大きな法廷に変更、見学の小学生まで追い出すとは、なんたることだ。こんな裁判長では、暴力団被告の判決も軽くしているのではないか。国民は裁判を疑いの目で見るようになるだろう。」「暴力団によって裁判所の尊厳がゆがめられるようでは、もう裁判所を信用できない。過激派が公判の傍聴をめぐって騒げば、すぐ機動隊を出すのに、暴力団だと言いなりになるのは一方的だ。」こういうのが出ているわけです。これは、そのほかもいろいろなことで出ております。「労組に辛く暴力に甘い法廷?」こういう世論も出ております。   東京地裁で暴力団員らが法廷が狭いといって騒いだので、判決公判を大きな法廷に変更した。   大きな法廷を使うこと自体は、憲法第八十二条の「裁判公開の原則」からみてよいことに違いない。しかし、私たちが労働組合関係の刑事事件や、解雇事件裁判では、どんなに礼儀正しく理由を説明して要請しても、絶対に大きな法廷を使おうとしない東京地裁である。そういう経験をした人は無数にいるし、具体例は枚挙枚挙にいとまがない。   ところが、今度のように暴力団の要求はいとも簡単に受けいれてしまう。一体、東京地裁は、なぜ私たち暴力をふるったことのない人間の要請について、あのように無視してきたのだろうか。こういう事態を放置してよいだろうか。   現在、大須、芦別両事件の関係者が、連日のように最高裁に対し「口頭弁論を開いて慎重審理を」と要請している。暴力とは無縁の平穏な行動である。   これに対し最高裁は門を固く閉ざし、寒風吹きすさぶ中で警備員に応対させる。代表数人だけを門内に入れる厳戒ぶりである。書記官が会うだけで、裁判官調査官も会おうとしない。暴力を絶対に使わない紳士的な要請行動に対し、かくも居丈高に対応する最高裁のもと、東京地裁は暴力団に対してはたちまち譲歩する。   こんなことで裁判所は、本当に正義を貫徹し得るだろうか。このあたりに、主権者たる国民に背をむけた司法反動の実態があるのではないかと、私は憂えずにいられない。 こういう記事も出ておるわけです。このことについてお答え願いたいと思います。
  61. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 では、いまの点について、私の所管の限りでお答え申し上げます。最初に、いろいろの問題点があると思いますが、一つは、こういう法廷の変更のために見学中の小学生が追い出されたではないかという問題、それから、法廷を変更したのは一体どういうわけだ、こういう二つの点について申し上げます。  最初の小学生の見学の問題でございますが、これは当日は、実は午前九時半から十時半までの組が一つと、それから十一時から十二時までの組が一つ、この二つの見学の予定がございました。これは目黒区の東山小学校の児童の裁判所見学ということでございます。ところが、この九時半に来る予定の組は国会の見学をしてから来る予定になっておったようでございますが、引率者の言うところによりますと、国会の方の御都合で裁判所に来る時間が大幅に早まったということで、午前八時五十分ごろに裁判所に来たわけでございます。それで、その日は朝から雪が降っているということで寒いものでございますので、広報係はすぐに当日の空き法廷を調べたところが、七〇三号という大法廷があいておる。この見学というのは傍聴ということではございませんで、要するに裁判所の建物を見て説明を聞くということのようでございます。それで、説明するのにそこを使おうということで七〇三号に児童を誘導しまして、九時五分ごろから説明を始めて、大体一時間ほど説明して終えようというふうに思っていたところへ、十時十分ごろに、この法廷をこの事件のために使うという連絡があったものでございますから、それで、じゃこれで終えますというわけで法廷の廊下に誘導して出ていった、こういうことでございます。第二班は九時三十分ごろ、やはりこれも予定が十一時からのが九時三十分ごろに裁判所に参りましたので、九時五十分ごろから、これもその当時あいておった七〇一号法廷を使用して十時五十分ごろまで一時間ほど説明して終えた、こういう形になっておるわけでございます。ですから、小学生を追い出して云々という点は、外から見ますと、ちょうどこちらの法廷から変更があってこちらへ来る、そして出ていくということになりますので、追い出したというふうな言い方をされたのにも無理からぬところがあったと思いますけれども、内容から言いますと、別に追い出したというわけではなくて、一時間の予定の説明を終えてそれぞれ帰っていったというのが真実でございます。  それからその次は、では大体法廷を直前になってから変えるのはどういうことかということでございます。この法廷を変更した経緯は、報告によりますとこういうことでございます。この事件についてはそれまでに三回開廷がかかりまして、大体傍聴人は七、八名ないし十一名程度で、法廷の審理はごく平穏なものであったようであります。こういうわけで、当日も傍聴人は大体十名前後であろうというふうに予想して、比較的小さな三〇八号法廷を使用した。この三〇八号法廷は傍聴席が十八席で、そのうち十を一般傍聴人用に、八席を報道関係者用にというふうに割り当てたわけでありまして、それまでの三回の法廷の状況でこれで十分だというふうに判断しておったわけであります。まあそれが甘かったということになるかと思いますが、当日の午前九時五十分ごろから係員が予定どおりの傍聴券配付を始めたところが、十枚の傍聴券の配付を終えた後で、玄関のホール付近に四十名ぐらいの組関係の者がおったようでございまして、それが、傍聴券が十枚では少な過ぎるということで騒ぎ出しまして、そのまま庁舎の三階の三〇八号法廷の前の廊下に行ったというわけであります。それで傍聴券なしに入ろうとしますから、法廷の前の廊下で係員から入廷を拒まれたわけです。そうすると口々に、こんなたくさんいるのに傍聴券が十枚とは何事であるか、家族が入れぬじゃないか、報道の者が多過ぎるんじゃないかというふうなことを言って食ってかかりまして、さらに、法廷の入口付近に報道関係者がいたわけでありますけれども、それに対して、おまえらがいるから法廷に入れないんだ、報道なんか関係ない、おまえら帰れ帰れ、ぶっ殺すぞとか、刺すぞとかいうふうな暴言を吐いて険悪な状態になったわけであります。こういう状況から、これはまあ私どもの方の推測になるわけでありますけれども裁判所に対する圧迫というよりも傍聴人同士のトラブルを心配したのだと思いますが、出廷した弁護人に対して、廊下にいる者の説得を依頼したわけであります。それから書記官に、大きい空き法廷がないかということを調べさしたところが、七階の七〇三号法廷があいているという連絡がありました。そしてこれは不測の事態を避けるために当日の三〇八号法廷を変えるというふうに決められた、こういう経過でございます。  私どもとしましては、最近のところでは実際のところ法廷を変更したという例は余りございません。では従来全然なかったかといいますとそういうわけでもないわけであります。私の個人的な体験になってあれですけれども、地裁におりました当時、私自身はございませんが、ほかの裁判官でたしか変えられたことがあったのじゃなかったか、これは確かな記憶でありませんが、ございました。しかし、これは警備でいろいろ手当てをしている、それが途中で急に変わりますと、その配置、連絡、いろいろな点で混雑いたしましてかえってぐあいが悪いということで、最近こういう法廷を変えるということは御指摘のとおりにほとんどなかったことは事実でございます。しかし、そのときそのときの具体的事情に応じて裁判長が法廷を変えるという判断をされる余地が全然ないかというと、それもそういうわけではございませんので、私たちとしては、このときの状況から見れば変えるという措置をとられたのもやむを得なかったのだろうというふうに思いますし、それから、それが暴力団の圧力に屈して変えられたというのではないと考えております。現にこのときの新聞記事をごらんになりましても、変えたというのを多少批判する言葉と同時に、そのときの暴力団の者に対して厳しく実刑を科したという記事も並んで出ておったと思います。  そういう状況でございます。
  62. 沖本泰幸

    ○沖本委員 御説明はあったわけですけれども、いずれにしても状況自体は新聞で指摘されているような状況ができ上がったわけです。それを新聞は報道した。報道を見ている一般国民というものは新聞をそのまま受け取って批判しているということになるわけですからね。少なくとも、報道関係者が入ってその場を取材する場面というものを、訴訟指揮をやる裁判官は想像できるはずなんです。ですから、やはりこういうことをやれば、当然暴力に屈したという指摘を国民から受けてもやむを得ないということになるのじゃないかと思います。ましてここにありますように、労働者へは門を閉じて最初から事を構えて中へ入れないのに、暴力団だけは広いところへ入れかえて急遽やったということは、どうしてもがまんできないという指摘があるわけです。ですから一面ではそういうことがあって、片面でそういうことが行われるということになれば、当然暴力団の威力に対して裁判所側が屈したということであり、事は結局暴力団員に対する厳罰の判決ですから、厳罰であれば、そのことについて傍聴に来た暴力団員の暴力まがいの言動というものはやはり裁判所の方が排除して、一般の市民が不安を感じないような法廷秩序あるいは裁判所の秩序というものを外からの力を呼んでも当然保つだけのことは、裁判所の権威にかけてやってもらわなければならなかったのじゃないかということが指摘できるのじゃないか、私はそういうふうに考えるわけです。この点いかがですか。
  63. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 私はそのときの具体的な措置に対してここでどうこう申し上げることはできないと思いますけれども、しかし御指摘のとおりに、一つの行為を裁判所がする場合に、それが小さな範囲だけの影響ではなくていろいろなところに広く影響を及ぼすということについて、広い立場からいろいろとよく考え判断しなければならぬ、これは御指摘のとおりだというふうに考えております。
  64. 沖本泰幸

    ○沖本委員 やはり裁判に対する国民の信頼というものは一番大きな問題ということになるわけですから、十分な国民の信頼がきちっと得られるような形を裁判所に絶えず整えてもらわなければならない、こういうふうに私は考えるわけです。一つの例があったわけですから、今後こういうことのないように、各裁判官に対して十分な徹底を図っていただきたいと思います。  それから、これも同じ姿勢で物が言えるのじゃないかと思いますし、私も同じ気持ちでおるわけですけれども、これも新聞に出ておったわけですが、   企業爆破事件以来、東京霞が関の官庁街では相変わらず厳しい検問が続けられている。その中でも、とくに神経質なのが最高裁だ。鉄サクを張りめぐらした通用門で、守衛から根掘り葉掘り〃尋問〃されるのはあまり愉快なことではない。元最高裁判事も例外ではなかった。十年以上も憲法の番人を務めた、その高名な裁判官は大いに自尊心を傷つけられ事務総局に厳重抗議したとか。   検問の腹いせに言うわけではないのだが、開放的だった赤レンガと比べて、新庁舎には民衆を威圧するような冷たさが感じられる。一万五百四十トンの花こう岩を使った豪壮な“石の城”に入ると、シャバの不況風なんかウソのようだ。   それよりも気になるのは、中身の変化である。ここ数年の間に、十五人の裁判官の顔ぶれががらりと変わった。昭和四十年代の前半は、官公労ストに理解を示すハト派が優勢。政府当局の不安をよそに、労働側に有利な判決が相次いだ。ところが、四十八年春の全農林事件判決から形勢逆転、タカ派が八対七で主導権を奪い返した。昨年五月の名古屋中郵事件判決に至っては十三対二の圧倒的大差。白熱の論議を展開した赤レンガ時代の大法廷合議は、もはや昔語りになろうとしている。   最高裁のタカ派支配は田中内閣の時代に完了したという。任期中、彼が任命した判事は六人。四十九年五月の最高裁落成式に列席した田中首相は自信に満ちた表情で祝辞を述べた。「法の尊厳を象徴するにふさわしい新庁舎を得られた最高裁が一層その使命を果たされるよう期待する」と。そのとき、新装なった最高裁が総理大臣の犯罪を裁く場になろうとは、だれが予想できただろうか。運命の女神は何とも皮肉である。 こういうふうなのが出ているわけです。お読みになったと思うのですがね。ですが、そばを通って、昔の最高裁と比べていまの最高裁は本当に近よりがたい感じを事実受けるのです。前は労働事件をなさる諸君が最高裁を訪れても、平面の地点でシュプレヒコールなり何なりで十分自分気持ち最高裁にぶっつけられるようなこともできたわけですけれども、いまの最高裁だとそれもなかなかできそうもない。呼べど叫べど声は届かぬように見える。それが反感になって出てくることもまずいという感じを私は得ますので、先ほどから申し上げましたとおり国民の裁判に対する信頼を得るため、開かれた裁判所的な感じが何らかの形で出てこなければまずいのじゃないかというふうに私には考えられます。ですから、あそこでぴしゃっと閉められて、いわゆるガードマンの方々に入れてもらえなくて、女神の辺でうろうろするというような状態が出てくるということになれば、裁判所に対する反発がより反発になってくると思いますので、どれがいいということは言えませんが、多少は国民の裁判所なんだというものが何らかの形で出てこないかという感じが非常にするのですけれども、その辺いかがですか。
  65. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 裁判所が開かれたものと申しますか、国民に密着したものでなければいけないという御指摘、まことにごもっともであると存じます。  最高裁判所の庁舎の警備の問題に限って申しますと、できるだけ国民の皆さんがどんどん来ていただくということは、それはそうしなければいけないことはおっしゃるとおりでございますけれども、御承知のとおり数年前から裁判所に対するいろいろなことがございました。現についこの間も最高裁判所庁舎に火炎びんが投げ込まれたという事件もございました。東京高裁の長官室へ乱入した事件もございました。そういうこともございまして、最高裁判所としては、基本的には沖本委員御指摘のとおり国民に密着したものでなければいけないことはよくわかっておりますけれども、事具体的に庁舎の出入りの問題となりますと、それ相応のことは考えなければならないということでございます。  ただその場合に、最高裁判所といたしまして、特定の人が来たからどうするということじゃなくて、その警備につきましては私どもも全く同様でございまして、すべての人に対して全く同様の措置をとっておるわけでございますから、その点はひとつ御了解いただきたいと存じます。  なお、陳情のことについてもちょっとお触れになりました。具体的な事件に関しましてその関係者がいろいろな連絡に来られるということは当然必要なことでございますけれども、ただ、たとえば特定の事件について無罪を要求するために大挙して押しかけたというふうな場合に、これを全部裁判所の中へお入りいただいてお話を聞くということは、もちろん裁判官がそういうことをするわけにもまいりませんし、事件調査をしております調査官もそういうことをするわけにはいきませんので、代表の方が書記官に書面を渡していただく、その程度のことで御勘弁いただかなければならない。もちろん国民には請願権があるわけでございますけれども、たとえば特定の無罪要求になりました場合に果たして全員にお会いしなければいけないかどうか、やはりこれは一つの問題であろうと存じております。  それはそれといたしまして、沖本委員おっしゃいましたとおり、裁判所は国民に密着したものでなければいけないということを十分考えまして、関係者ともできるだけトラブルを起こさないような形で運用していきたいと思っております。
  66. 沖本泰幸

    ○沖本委員 これで終わるわけですが、これがいいと御指摘を申し上げるものはないわけですけれども、少なくとも目の前にずっと高くそびえて威圧を感ずるわけですね。前は低くて平面であった。いまは前とは大分感じが違うわけですが、それがやはりいろいろなことの反発になって出てくるということも間違いないわけですから、何かの形で裁判所の扱いが民主化されて、裁判所と国民との間が非常に近くなったという感じを受けるようなものが出てくれば、国民のために非常にいいのじゃないかというふうに私は考えるわけです。これがいいというものを私持っているわけじゃありませんから、その辺は裁判所の方でよくお考えいただいて、今後の課題として御検討いただきたいと思います。  以上で終わります。
  67. 鴨田宗一

    鴨田委員長 午後一時十五分再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後一時二分休憩      ————◇—————     午後一時十八分開議
  68. 鴨田宗一

    鴨田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。鳩山邦夫君。
  69. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 きょうのお弁当はちらしずしでございましたけれども、たとえばにぎりずし一つ考えますと、にぎりずしを一どきに口に入れて食べればまことにおいしい。ところが、米粒一粒ずつ食べていったら余りうまいものじゃないのですよ。腹が減ったというので米を一粒食べた、やはり腹が減っているなと思ってもう一粒食べた、まことに手間暇もかかりますし、味もわからない。裁判所の定員法を毎年毎年少しずつ変えていくのは、何かおにぎりやおすしを米を一粒ずつ食べているような、そんな気がしてならないわけであります。一体このような形での定員のほんのわずかばかりの増員を毎年毎年何年間ぐらいすでに続けてこられているか、つまりことしが一体何年目であるかということをお答えいただきたいと思います。
  70. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 ちょっと正確に何年か覚えておりませんが、おおよそ二十年ぐらい続いておるだろうと思います。
  71. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 ここらで一どきにおすし一つをがぶっと食べてしまうような法改正をやった方がいいのではないか、これが私の結論でございます。  裁判所というのは、私どものような法曹資格のない人間から見ればまさに神様であり、生き神様の集まりが裁判所であるというイメージがあってこそ法秩序は保たれるのではないかと考えるわけであります。もちろん三権分立ということで、司法権は国会からも内閣からも独立をしているという原則もあるわけであります。その裁判所の判事補とはいえ、定員が毎年少しずつ変化していく。それも毎年毎年法務委員会で審議をして、本会議を通って初めて変わっていく。何かいかにも裁判所が権威がないようなイメージを与えることにはならないだろうか。そういう観点からも、私は、このような法案を毎年審議することはまことによくないことであると思うわけであります。  そこで提案理由によりますと、地方裁判所における特殊損害賠償事件、会社更生事件、差しとめ訴訟事件の迅速な処理のため、判事補を八人増加せしめようとする、提案理由にはまことに明確に書いてあるわけであります。そこで、いただいた資料によりますと、特殊損害賠償事件は一年間に大体三百件ずつぐらいふえている。会社更生事件は八十件ぐらいずつふえている。差しとめ訴訟はやはり三十件ずつぐらいふえている。このような増加傾向は当分続くとお考えでしょうか。
  72. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 事件の増減は、そのときどきの社会情勢、経済情勢に対応しておるものでございますので、一概にこれがふえるか減るかということを申し上げるのはなかなかむずかしいかと存じます。ただ、いま御指摘の差しとめ訴訟事件でございますとか特殊損害賠償事件でございますとか、これの手持ち事件は、事件そのものの複雑困難性から考えまして、やはり逐次ふえていくのではないであろうかというふうに考えております。ただ会社更生、会社整理事件につきましては、これはもう重々御承知と存じますが、経済情勢、特に現在の不況のもとにおきまして起きておるわけでございますが、その経済情勢の変動がどうなりますか、それによって増減するということに相なろうかと存じます。
  73. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 この三つの種類の事件だけを明確に列挙したという意味はどこにあるのでしょうか。
  74. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 最近におきまして、ここに掲げました三つの事件につきまして特に裁判所が処理に非常に困難していると申しますか、そういう状況があるからでございます。なお、そのほかにも調停事件、道路交通事件等についてもやはり同様の問題がございますので、それについても若干の増員をお願いしておるところでございます。
  75. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 昨年の同法案の審議のときに、新自由クラブの加地委員からお話がありました。人口が倍になると、人間関係というのは実は四倍になるんだ、倍になるのではない。人間関係がふえれば、それだけ事件が多くなる、訴訟が多くなると決まり切ったものではない、それはよくわかります。しかし、この計算はちょうど大学の入試問題に出たらぴったりぐらいという、ちょうど高校一、二年の数学で簡単に解ける。若干の近似計算をしましても、人口がP倍になれば、あり得る人間関係の数というのはPの自乗になっている。明治以降人口が何倍になっているか、あるいは裁判官の数が何倍ふえたかということを私は正確な資料は持っておりませんけれども、どうもいまの裁判官の数、判事補あるいは判事の皆様方の数というのは絶対的に不足しているのではないかと私は思うわけでありますが、いかがでございましょう。
  76. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 人口がふえました場合に、それに比例して人間関係がどういうふうにふえるかということは、ただいま鳩山委員御指摘のとおりでございます。ただ、事件数がそれに伴って同じようにふえるかどうかということにつきましても、やはり鳩山委員御指摘のとおり、そのとおりふえるものではない。そのときどきのいろいろな情勢によって増減するということでございます。  現在裁判官が絶対的に不足しているかどうかという御指摘でございますが、まず事件数について見ますと、特に戦前と戦後の事件数とを比較してみますと、刑事事件はかなりふえておりますが、民事事件につきましては、事件数のみから見ます限り、たとえば戦前の昭和九年ごろから十三年ごろまでと最近の五年間をとってみますと、必ずしも民事事件はふえていない、事件の数は絶対数は少し減っているという状況は出ております。ただ、そうは申しましても、裁判所の事務負担は数だけでいくものではございません、今度のこの定員法の中にも申し上げておりますとおり、特殊損害賠償事件ですとか差しとめ訴訟事件と申しますような、従前なかったような非常に困難な事件が起きているというふうなことを勘案いたしますと、絶対的不足と言えますかどうかは別といたしまして、やはりもう少し裁判官があった方がいいだろうということは申し上げることができると思います。
  77. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 先ほど沖本委員の御質問の中で、町で大根が幾らしているかわからないような裁判官が多いのではないかという御指摘があった。そのお答えの中で、大根が一本幾らしているか全くわからないような人間裁判官として必ずしも適格ではないというような意味のお答えがあったと記憶をしたわけであります。確かに町のことを全くわからない裁判官が、いわば常識的な判決を下せるとは思えない。そういった意味では、確かに大根の値段を知らなければ裁判官として必ずしも適格とは言えないと思いますが、それは実は裁判官がサボったり、町のことを知ろうとしないために大根の値段がわからないのではなくて、事件の数あるいは処理過程に対して裁判官の数が少な過ぎるために、朝から晩まで、起きてから寝るまでいろいろな事件のことばかり考えたり、書類を見ていなければならない、そういう生活を強いられた結果として、いわば町のことを知らない、常識的なことを理解できない裁判官が出てくる可能性がある、私はそのように思うものですから、いま全国であらゆる事件が起こって、まあ何とか一年間で処理できているという状況ではあっても、そうしたぎりぎりいっぱいの処理状況の中で適性を欠く裁判官というのが出てきはしないだろうか、そういう憂いを持つわけでございます。  それから、司法試験に受かって修習生となって、二回試験を通って法曹になっていくわけでありますけれども、その際の判事補の採用の仕方というものを大まかにお教えいただきたいと思います。
  78. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 すでに御承知かと存じますが、修習を終えるためには二回試験というものを行います。その二回試験の成績それから二年間の修習中のいわば成績、それから私ども事務総局のメンバーが面接をいたしまして、それを総合いたしまして判事補の採否を決定させていただいておる次第でございます。
  79. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 先ほどからいろいろな事件が、特殊な事件がふえてきたから判事補を八人ばかりふやすんだという提案理由について申し上げておりますけれども、実際には、ことし裁判官として採れるような方がこれくらいいそうだ、あるいは、裁判官というか判事補の道を希望なさる方がこれくらいいそうだ、そういう現在研修中の方々の実態の把握からして枠を八人ぐらい広げないとおさまりがつかない、そういう判断から八人の増員というのが出てきているのではないかと思いますが、いかがでございましょうか。
  80. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 ただいまの仰せのとおり、判事補八名の増員を最終的にお願いすることになったというその判断前提といたしまして、判事補八人ぐらいは充員できるということがあるというふうに申し上げた方がよかろうかと存じます。
  81. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 採りたい人を全部採ると八人ふえてしまうから、定員を八つふやすということじゃないのですか。重ねてお尋ねいたします。
  82. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 修習生の中から判事補を希望する者につきましては、二年目の年が明けましてから確定するわけでございます。御承知のとおり、予算要求の時期は八月末でございますので、当時の時点におきまして大体のめどを立てて、予算要求ないし増員要求案というものを出さしていただいているわけでございます。  ちなみに、今度出ます修習生は第三十期の修習生でございます。ちょうど現在二回試験を施行中でございますが、本日現在、裁判官志望者が八十二名ございます。そのうち判事補志望者が八十名、簡裁判事志望者が二名でございます。試験の結果につきましては、もちろんまだ承知しておりませんし、合否の決定は委員会を設けてやることになりますので、そういう希望者があって現在試験中でございますので、確定的に私どもとして何名採用できるかどうか、きょう現在のところは申し上げかねるような状況でございます。
  83. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 要するに、枠が非常に多くて幾らでも採れるという状況にしておいて、その中で毎年毎年最高裁判所独自の判断として、ことしはこれくらい採りましょうということであれば、毎年このような同じような審議を繰り返さなくても済む、そういう利点を私は感じるわけでございます。いわば裁判官の総定員法のような形で、あと内部のやりくりは最高裁で行う、しかもその総定員の枠は非常に大きなものにしておく、そういう御希望を最高裁としてはお持ちではございませんでしょうか。
  84. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 立法形式のことでございますのであるいは法務省からお答えいただいた方がよろしいかとも存じますが、いま鳩山委員御指摘の、総枠として大きい数を設定しておいて、あと最高裁判所が決めるという形を希望しないかという、そういうお尋ねでございますので、そういう希望はあるというふうに申し上げられるかと存じます。
  85. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 前にもそういう審議が国会でもあったようでございますが、そういう方向に向けて努力をしてまいりたいと私は思っております。  裁判官以外の方々の増員がプラス五名でございますが、実際にはこれがプラス三十七マイナス三十二イコール五というふうな計算になっております。その三十二名ばかり削られた意味はどこにおありでございましょうか。
  86. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 裁判官以外の裁判所職員の増員は合計四十二名でございまして、削減が三十二名ということに相なっております。これを職種別に申し上げますと、書記官が五名、それから事務官が三十七名でございますので、書記官五名、事務官五名が差し引き純増ということに相なります。  そこで、その三十二名の削減の問題でございますが、これは前回の当委員会でも御説明申し上げたのでございますが、政府の方でいわゆる行政整理——整理というのはちょっと言葉は適当ではないかもしれませんが、一応の計画をお立てになりまして、昭和五十一年に閣議決定が行われております。裁判所の方にもそれについて協力を依頼するという趣旨で、その閣議決定を参考送付してきておられるわけでございます。したがって、裁判所といたしましてもいろいろな事情を考慮いたしました結果、従前からも同様でございますが、ある程度の御協力を申し上げるということで昭和五十三年度も三十二名の削減ということに相なっておるわけでございます。
  87. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 その御説明はまことによくわかりました。しかしいま行政改革の必要性が叫ばれておりますし、私もそういう声に賛成をいたしておりますけれども裁判所の場合は一般の行政事務とは大変に異なった権威を与えられておりますので、必ずしもそうした世間での行政改革の声というものにとらわれる必要はなかったのではないか、これからもむしろとらわれてはいけない。裁判所として、最高裁として、日本の司法の一番正しいあり方というものを独自の方向で探っていかれることを期待するわけでございます。  裁判は正確であるということ、慎重であるということが必要でございますが、同時に迅速性というものも要求されていると思います。お与えいただいた二十四ページの資料に、民事、刑事の平均審理期間が書いてあります。これは外国と日本とでは裁判の仕組み自体が大変異なっておりますから、一般的な比較をすることはできないかと思いますが、あらましで結構でございますから、外国と比べまして裁判に非常に時間がかかっているのか、それともむしろ早い方なのか、お答えをいただきたいと思うのであります。
  88. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 諸外国の訴訟事件の審理期間でございますが、ただいま鳩山委員仰せになりましたとおり、そもそも統計のとり方も違っておりますし、手続構造が違っております関係上、なかなか単純に比較ができないという事情にございます。  ただ、私どもの方である程度わかっておりますものを少し申し上げてみたいと思いますが、たとえばアメリカの連邦の裁判所でございますが、民事事件について申しますと、アメリカの連邦の裁判所では大体半数くらいが九カ月以内に終結しておるというふうな統計が出ております。これをわが国の第一審の地方裁判所の民事事件で申しますと、大体四五%ぐらいが六カ月以内に終結しておる、こういう統計に相なっております。片方は九カ月以内に半数、片方が六カ月以内に四五%でございますから、これを比較しますとほとんど差がないというふうに言えるのではないかと思います。ただ、もう少し違った時点でとりますと、アメリカの連邦では九〇%が二年四カ月以内で終わっておりますが、わが国の裁判所では三年以内で終わっているものが八八%というふうな数字が出ておりますので、この辺で比較いたしますとアメリカの連邦の方がやや早いということが言えるのではなかろうかと思います。  一方、刑事事件について申し上げてみますと、刑事事件ではアメリカの連邦裁判所で半数が三・三カ月以内に終わっておるという統計がございますが、わが国では三カ月以内に五四%終わっておるということになっております。これだけ見るとほぼ同じではないか、そういうことになっております。ただ、これは連邦の裁判所でございますので、少しやっておる事件が異なりますからすぐには比較できないかと存じますが、州の裁判所の方はほとんど日本のような統計が実はございませんで、ちょっと余談になりますが、日本の統計は非常によくできておるわけでございます。そういう統計がございませんので、州の裁判所についてはちょっと比較ができないわけでございます。  もう一つ二つ、イギリスとドイツをちょっと簡単に申し上げますが、イギリスでは刑事事件についてちょっと統計がわかっておりますが、クラウンコートという刑事の一審の正式起訴犯罪をやっております裁判所がございます。ここでは公判の待ち時間、公判が始まるまでの時間でございますが、これが平均二・六カ月ということになっております。裁判所は、先ほど御指摘の資料にございますように全体で五・七カ月でございますから、イギリスの方で二・六カ月にプラスして公判時間、それから宣告の待ち時間を入れますとどうなるかということでございますが、この辺で比較しますと、ややイギリスの方が早いのではないかという感じでございます。ただ、ロンドンだけについて見ますと、ほぼ日本と同じぐらいというふうに統計から推察できるわけでございます。  西ドイツでございますけれども、西ドイツは、民事事件について申しますと、六月以内に既済となるものが六五・六%ございまして、一年以内で八七・三%。わが国は、いまので申しますと、六月以内が四五・一%、それから一年以内が六二・二%でございまして、西ドイツの方が審理期間は短いと言えるだろうと思います。刑事事件について見ますと、六月以内が西ドイツで七五・二%、一年以内が九〇・四%。わが国はそれぞれ八二・八%と九三・三%でございまして、これはわが国の方が少し早いというふうに言えるだろうと思います。  いずれにいたしましても、最初に申し上げましたとおり、手続構造等が違いますので単純に比較はできませんけれども、やはり西欧諸国におきましても訴訟遅延の問題はなかなか頭を悩ましておるようでございまして、基本的にはそれほど日本とは違うことはないというふうに言えるのではなかろうかと思います。
  89. 鳩山邦夫

    ○鳩山委員 この法案が、冒頭に申し上げましたように、恒例の行事になっておる。この定員法を審議する際に、最高裁の皆さん方に来ていただいていろいろと質問しよう、こういう慣例になっているように聞いておりますけれども、毎年毎年このようなことを繰り返すのは私は大変愚かなことだと思いますので、一般の行政改革の声とは全く別に、司法権の独立ということも考えて総定員という大きな枠を決める、それがベターだと思いますので、皆様方の御協力をお願い申し上げて、質問を終わります。ありがとうございました。
  90. 鴨田宗一

  91. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それでは、この前に引き続いて質問をいたしますが、最初に、ちょっと悪いのですけれども妙なことからお聞きするわけですが、東京地方裁判所の民事部というのは一体どこにあるのですか。
  92. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 どこにあるかというお尋ねでございますが、霞が関に幾つもの庁舎に分かれて存在するということでございます。
  93. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、幾つもの庁舎に分かれて存在するのですが、本庁というのはどこにあるのですか。
  94. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 本庁という言葉意味でございますが、日比谷公園に道路を隔てまして向かい側に赤れんがの建物と、それから祝田橋の角に高い建物がございます。あそこら辺のところが中心でございまして、赤れんがの方が主として民事でございます。祝田橋の方で刑事をやっておるというふうに申し上げられるかと思います。
  95. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、民事の方がいま言ったように幾つもありますね。どことどことどこにあるわけですか。それで、どこにあるのは何部なんですか。何をやっているのですか。
  96. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 稲葉委員も重々御承知と存じますが、赤れんがのところに非常に多くかたまっておりますが、その赤れんがと、ただいま申しました刑事庁舎との間にもう一つ建物がございまして、そこにもかなりの部がございますし、その赤れんがの裏側、弁護士会の裏側にも一部存在しておるような状況でございます。どこに何があるかということは、玄関のところに部が表示してございますし、守衛に聞けばわかる、こういうことに相なっておるわけでございます。
  97. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 大体東京地方裁判所の民事部というのは、本庁というのは一体どこにあるのかというので、ぼくもいろいろ調べたわけですよ。そうしたら、呼び出し状は東京高等裁判所の一階と二階が民事の本庁になっているのでしょう。これはどうなっているの。民事局長の方がよく知っているのかな。それからあとどことどこにあるのです。調停の裏にもあるし、それから供託の裏にもあるし、家庭裁判所のこっち側にもあるし、それからいま言った刑事裁判所との間の高い建物がありますね、あそこにも上の方にあるでしょう。——上の方ばかりじゃないか、下の方は競売か何かやっているかな、やっていますね。だから、素人の人は一体どこへ行ったらいいのかよくわからないですよ。あれは一つ一つを第何庁舎と呼んでいるのですか。
  98. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。  稲葉委員の御指摘の、いま赤れんがという答えがございましたが、正確には茶色のれんがの建物が本庁舎と申しますか、そのほかに、第二庁舎といいますのが刑事部と民事部の間に増築になりました建物、八階建てかと思いますが、そのほかに、第三新館と申しますのが、弁護士会の裏といいますか、厚生省の方に寄ったところに六階建ての建物がある、これのほぼ全部を使っております。それから一番古い、最高裁の建物をすでに取り壊しましたところに接着しております古い建物で二、三ヵ部がなお仕事をしておりますし、それから日比谷公園の角にございます昔の家庭裁判所庁舎を流用しておるものもございます。一応それで全部かと思います。
  99. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、第四庁舎というのはどこにあるの。
  100. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 ただいま申しました最高裁の建物を取り壊したところに接着しておりました一番古い建物をたしか第四庁舎と呼んでおると思います。
  101. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そのとおりですね。あれは何か倉庫の跡ではないですか、第四庁舎というのは。弁護士会の裏側の、下が共済組合か何かになっているところでしょう。汚いですね。どうしてああいうふうに裁判所の民事部があっちこっちにあるわけですか。一般の人にはわからないですね。ことに民事本庁舎というのはわからない。だれに聞いたって民事本庁舎というのはどこだかわからない、普通の人は。あれは高等裁判所の建物だと思いますよね。三階から上は高等裁判所でしょう。三、四、五と高等裁判所ですね。一階と二階だけが地方裁判所の民事部になっているけれども、しかし、一階だって高裁が使っているでしょう。会計課か何か、皆使っていますね。本当にわからないのですよ。どういうわけで、こういうふうにあっちこっちにあるわけですか。それから、二十七部なんか、あの交通部なんかの日比谷公園のこっちのところ、あれも汚いですね。ぶっ壊れそうじゃないですか。この前入管の話が出ましたけれども、あれも木造で、歩くと床が音がするようなところでしょう。二十七部は事件が減ったのかどうか知りませんが……。  どういうわけでああいうふうにばらばらになっているのですか。いつごろそれは統一されるわけですか。
  102. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 先ほど来お話しのように、庁舎があちこちに分かれておりまして、関係人の皆様方にも大変御迷惑をおかけしておりまして恐縮に存じておりますが、御承知のように最高裁判所の庁舎が取り壊されまして、現在あの跡に高裁、地裁、簡裁の合同庁舎を建築すべく準備中でございまして、ちょっと私直接の所管でございませんので何年とは申し上げられませんが、そう遠からずあそこに大きな建物が建つという予定に相なっております。
  103. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それは東京高裁だけが最高裁の跡へ移るというふうに聞いていたのですが、そうではないのですか。どちらでも構いませんけれども
  104. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 ただいま申し上げましたとおり、高裁、地裁、簡裁の合同庁舎として建設予定ということになっているようでございます。
  105. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 まあ余り関係がありませんから聞きませんけれども。  そこで、今度のこの定員法の中で、簡易裁判所判事補を八名ふやすということで、差しとめ訴訟事件の処理ということで三名ふやすということになっておるわけですね。この差しとめというのは、元来はどこから出てきた言葉なんですか。
  106. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 稲葉委員十分御承知のこととは存じますけれども、どこから出てきたかとおっしゃられますと、ちょっとお答えに窮するのでございますけれども、御承知のように、ある種の不法行為がありました場合に、これを事後的に金銭で賠償するというのがもともとの大原則でございますが、昨今のように非常に公害等の被害者がふえてまいりますと、事後に賠償を受けても救済が十分でないということから、事前にあるいは現に進行中の加害行為をとめるというような意味で、比較的近年この種の訴訟が多くなったわけでございますが、これを便宜、差しとめと言っておるだけで、別に公式の用語というわけでもございません。
  107. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 大臣、もうさっきお聞きになりましたように、これは大臣の方の所管でないかもわかりませんけれども、早く最高裁の跡をちゃんとした庁舎にするようにしないと、一般の人が、ことに民事関係がどこへ行っていいかわからないで非常に困っているのですよ。弁護士でも慣れないとわからないわけです。こんなところに地裁の庁舎があったかと私どもも思うくらいでして、そこら辺のところは、もう法務省の所管ではないのでしょうけれども、いろいろな面で協力を願いたいというふうに思うわけです。
  108. 瀬戸山三男

    瀬戸山国務大臣 私も最近裁判所に行ったことがありませんから、どこにどうなっておるのかよく知りませんが、おっしゃるとおりに、国民の皆さんには大変不便あるいは御迷惑をかけておる状況にあります。そこで、御承知だと思いますが、最高裁の跡に相当大規模な合同庁舎をつくろうということで、先年からずっと計画を進めておりまして、ことしあたりボーリングその他の地質調査をして、五十四年度あたりから建設にかかろう、こういう計画になっておると思います。できるだけ急ぐようにわれわれもしたいと思います。
  109. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そこで差しとめ訴訟事件ということについて。そうすると東京地裁では、差しとめ訴訟というのは仮処分の場合も含んで言っているわけなのですか、本案訴訟のことを言っているわけなのですか。
  110. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 その両方を総括して差しとめ訴訟と言えるかと思います。
  111. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そこで、差しとめ請求権というのは、特許権それから著作権——特許権の場合は特許法の百条、著作権の場合は著作権法の百十二条、商法の差しとめの場合は商法二十条、商標の場合は商標法の三十六条、不正競争行為は不正競争防止法一条、これは明文に規定してあるわけですね。それから明文に規定していないものもいろいろあるわけですが、そうすると、その内訳は、この資料だと全部まとめて二十七ぺ−ジに出ているのですが、これはちょっとよくわからないのですが、その内訳と、それからこれは仮処分と本案とを別々に見ておるのですか。どういうのですか、この資料は。
  112. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。  この数字は、公害に基づく差しとめを求める本案訴訟並びに仮処分事件の双方が含まっております。
  113. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、仮処分が出て、それから本案が出て両方出ておる場合と、恐らく普通の場合は仮処分だけで、そこで和解や何かがついて解決する場合が多いわけだと思うのですが、こういう場合に本案が出る割合ですね。どの程度が仮処分が出て、そこで和解なり何なりで解決しちゃっておるのか、それから本案までいって最終的に解決するのかというおおよその割合はわかりますか。     〔委員長退席、沖本委員長代理着席〕
  114. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 ただいまのお尋ねにぴったりする数字がうまくございませんが、一つ二つ申し上げますと、昨年十二月末現在でのこの種の本案訴訟、合計百三十九件、保全事件二百三十八件、これが現にその当時係属中ということでございます。それから別の観点から申し上げますと、昭和四十五年から五十二年末までのこの種の保全処分事件全体を一〇〇といたしますと、そのうちで和解で片づきますものが約五〇%弱というような数字に相なっております。
  115. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、いま言った明文にあるものは、これはもう問題ないわけですけれども、たとえば日照権侵害というのがわりあいに多いですね。そうすると、日照権というのは、条文上一体どこから出てくるのですか。そういう条文がありますか。
  116. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 この差しとめ請求の根拠というのが目下の実務並びに学界での一番の問題でございまして、強いて申し上げますならば、民法に物権的請求権という概念がございます。これは御存じのとおりだろうと思います。したがいまして、たとえば所有者から訴訟、仮処分をする、あるいはさらに多少モディファイされますが、漁業権者からその種の請求をする、これは物権に準ずることができるかと思います。ところが、必ずしも所有権、漁業権といった実体法にはっきりした権利として規定されない人たちも被害を受けるということになりますと、これをどう構成するかがまさに目下の論議の中心でございまして、あるいは人格権というような形で構成する場合もございますし、さらに進んで、近ごろは環境権というようなことも多く唱えられているところでございます。
  117. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 この点について、最高裁としては具体的な事案が下から上がってこなければ判断が出ないわけで、その上がってこないのに統一的な見解を示すということは、これは非常にむずかしいことだと私も思うのですが、よくわからないのですね。環境権といい人格権といい、あるいは日照権といい、それらのものを統一して一体どういうふうに理解していったらいいか。環境権なら環境権というものに全部が入ってしまうのか。一体人格権というものは何かとか、人格権に基づいて一体どういう差しとめができるのか。そういう点なんかはどういうふうになっているわけですか。
  118. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 仰せのように、最高裁判所はどう思うかという点についてはお答えはできません。ただ、申し上げられますことは、現在下級裁判所にかなり多くの事件が係属しておりまして、そこで処理されている状況を見ますと、ただいま私が申しましたような物権なり漁業権といったはっきりした権利のあるものは、もちろん優先的に——そもそも原告の方がそれを求め、裁判所もそれを優先的に取り上げるということになっておりますが、そういうものでない場合に、人格権によってやるかどうかというあたりがまず一つの問題だろうと思います。現在の実務の処理として、環境権に基づいて請求を立てたという事例は、どうも私ども承知しておりません。これは現在の状況でございます。
  119. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、たとえば入浜権という権利が俗に言われておる。こういうことについてはどうなんですか、それは。そういう権利をいわゆる権利として、あなた個人としても認められるというふうに考えられるのか、いやそんなのは権利じゃないんだというふうにお考えになっておるのでしょうかね。これは具体的に訴訟は出ていなかったですか、神戸の方かどこかで、どうでしたっけね。
  120. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 ちょっと正確にあれでございますが、たしか神戸地方裁判所にすでに具体的な案件が出ておるかと思います。  それから、入浜権をどう思うかとおっしゃられましてもちょっと困るわけでございますが、これは恐らく環境権の一つの態様としてとらえられているものと存じます。
  121. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 いや、それはなかなかむずかしい議論でして、いま係争中の事件ですから私もこれ以上わからないし、それから入浜権なら入浜権という言葉を使ったところで一体その具体的内容がどういうふうなものであるかということによっても内容が違うわけですからかれこれ言えないわけですが、そこで、実際にこういうような非常にむずかしい仮処分ですね、仮処分を判事補にやらせるということになってくるんですか。
  122. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 各地方裁判所の任務分配は地方裁判所裁判官会議でお決めになるわけでございますけれども、一般的に見まして五年未満と申しますか、単独で裁判をする権限のない判事補に余りむずかしい事件を単独でやらせるのは適当でなかろうというのは各裁判所との共通の御理解のように思います。私ども承知しておりますところでは、この種の困難な事件は、少なくとも五年以上の判事補あるいは合議体で処理するというような事務分配がほぼ行き渡りつつあるように存じております。
  123. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それは本庁の場合は確かにそうなんですよ。支部の場合に、甲支部において非常に困っている。この前、ある判事補の人と偶然会って話をしたら、支部でまだ判事補、未特例ですね、そこでそういう仮処分を非常にやらせられる、非常にむずかしい断行の仮処分、いままでの判例や何か引っ張ってみてもないというので困り切っているというふうな話をある人がしておったのです。本庁の場合はわりあいにいいのですけれども、支部の場合などでこういうようなむずかしいものを判事補の人に現実にやらせておるというのは、なかなか本人自身も非常に困るんじゃないか、こういうふうに思うわけです。そこで、何か最高裁事務総局で「公害等特殊損害賠償請求事件関係執務資料」(民事裁判資料一〇四号)というのがあって、四十七年六月末までに全国の裁判所で受理された公害関係差しとめ請求裁判例八十二件というものがあるようなんですね。     〔沖本委員長代理退席、委員長着席〕 それはそれでいいのですが、その後この公害問題が非常にやかましくなってきたのに、その後の調査というものが最高裁では何かちゃんとしたまとめたものになってされておられないわけですか。
  124. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 私ども、絶えずこの種の事件の係属状況には十分な関心を持ってやっておりまして、その種の形式でまとめたものはございませんけれども、そのほかにも法曹界の名義で発行になったものもございますし、その他部内では執務の参考にその種の事件を取りまとめて現実に使っておるわけでございます。
  125. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そういうような資料というものについてはこれは最高裁だけでなかなかできにくいかもわかりませんけれども、よくまとめておいていただきたい、こういうふうに思うのです。そこで、私もこの差しとめ請求の仮処分ということについて非常にむずかしいのでよくわからないのですけれども、一応経済活動の分野に関する事件というのが一つある、それから一般的な日常的な市民生活の分野に関する事件、こういうふうなものがあるというふうに大きく分けられてきて、その他にもいろんな分け方があると思うのですが、やっぱり東京と大阪が一番多いわけだ、こういうふうに思うのですが、こういうような差しとめ請求の仮処分というのは東京と大阪だけですか。特別な部をつくっておるんですか、あるいはつくっておらないでやっておるんですか。普通の保全部でやっておるんですか。
  126. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 差しとめ請求の仮処分と申しましてもやはり仮処分の一つでございまして、ただいま保全処分専門の部が東京、大阪以外のどこにあるかということをちょっと正確に記憶しておりませんけれども、そういう部のあります裁判所ではもちろんその部で処理していると存じております。
  127. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 その保全部というのは、東京と大阪にあるのはこれはいいのです。そのほかにもあるかもわかりませんが、地方の裁判所に行くと、ほとんどが判事補、合議体の陪席をやっている、民事の合議体の陪席をやっている判事補ですね、この人がやっておるわけですね。なかなか緊急性を要するということで非常に急ぐわけですけれども、なかなか苦労してやっておられる、こういうふうに思うのです。  そこで、審理の場合に審尋をやるのが普通の状態になっておるようですね。そこでその審尋について、これはよくわからないんですが、一体規定が民事訴訟法の中ではこれはどういうふうになっておるんですか。口頭弁論との関係で、口頭弁論を開くのが原則であって、差しとめ請求だからといってこれをしないのは許されないという見解もあるということも一部に言われておるわけですね。そうすると審尋の規定というのは民訴ではどこにどういうふうになっておるわけですか。
  128. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 民事訴訟法第四章の「口頭弁論」の頂に百二十五条がございまして、第二項の、前項の「規定ニ依リテ口頭弁論ヲ為ササル場合ニ於テハ裁判所ハ当事者ヲ審訊スルコトヲ得」、かような規定がございまして、仮処分、仮差し押さえの手続でも、その性質に反しない限りこれが準用になっておる、かように承知しております。
  129. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 しかし、ここにある裁判官の書いたものを私は引用しているんで、これはおわかりだと思うのですが、「民事訴訟法には特に保全訴訟の審尋手続に関する規定はなく、理論的にも未解決な問題が多く、実務の取扱もことなっている。」こういうふうに書いてあるのです。これはある裁判官が書いたものですが、これといまあなたの言われたことは同じなんですか、違うのですか。
  130. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 多少具体的に申しますと「当事者ヲ審訊スルコトヲ得」ということになっております関係上、これを保全処分に引き直して申しますれば、債権者、債務者を審尋することは明文ではっきり認められております。ところが実際問題として、口頭弁論を開けばまた格別でございますが、そうでない、緊急を要するために何とか決定手続でやるというのが、実は先生御承知のとおり大部分の事件の処理のあり方でございます。そうなりますと、当事者以外は審尋できないのではないかという考え方が当然出てまいりますし、そういう学説は有力に主張されております。しかし、それでは非常に動きがとれませんので、事実上当事者その者以外の者にも審尋をするという例が全国的にある程度行われているやに承知しております。
  131. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、審尋の場合は明文では当事者と書いてありますね。だから菊井さんなんかは当事者でない者はやってはいかぬとかいうことを言っておられるわけですが、これは古い学説と言うと語弊があるけれども、私も菊井さんに習いましたけれども、古いあれじゃないかと思うのですが、現実にはあなたのおっしゃったようにやっていますね。  それから、即時に取り調べをしなければいけないということで、そこへ証人なんかを連れてこいと言うわけでしょう。すると、証人なんかを連れてこいと言ったって連れてこられない場合なんかありますね。それから現地を見なければならない場合。仮処分の審尋の場合に一体検証ができるのかどうかということがいつでも一番大きな問題になります。だから、現場を見なくちゃよくわからないじゃないかと言うと、具体的に、ただ見に行くだけというわけにいかぬから、検証しなければならぬ。検証は一体どういうふうになっておるか。即時に取り調べるべきものの中に一体入るのか入らないのか。これはどういうふうに考えてやっておるわけですか。
  132. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 私、実は戦前のことは存じませんけれども、戦争直後住宅事情が非常に悪くなりました関係でこの関係の仮処分が数多く出てきたわけでございます。そういう場合に、現場を見たいということで事実上検証をする例が多くなってまいりました。ところが、ただいま委員御指摘のように、即時に取り調べる証拠でないのではないかということでかなり疑問の提出もございまして、現在のところ、先ほど申しました第三者審尋と同様に検証も事実上ある程度行われてはおりますけれども、これを正々堂々とやっていいのだという自信もまたないという大変中途半端な実情であるように承知しております。
  133. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 では鑑定はどうなんですか。
  134. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 お答えいたします。  口頭弁論が開かれます場合には、証人鑑定人といった証拠方法も即時に取り調べられる限りやる。実はこの即時に取り調べられる限りというのが明文と実際の運用との間に微妙な食い違いがございまして、先生御承知のように、期日を何度か重ねることになりますと、その期日ごとにそこに出てきている人を取り調べるという形で実際は行われているように承知しております。
  135. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 ですから、この点はもっと規定というか条文を明確にして拡大をして、できるだけ審尋が許されるような方向に持っていった方がいいのではないかと私は思うのですが、実際にはそこまで東京なんかではやってないのですか。かわりに図面なんか出させてやる場合の方が現実には多いわけですか。
  136. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 やはり、ただいま申しましたようにできる限り法律の規定には忠実にやりたいというのが裁判官の心情でございますので、どうしても現場を見ざるを得ないという場合のほかは、図面あるいは写真といったものを利用して事件を処理しているようでございます。
  137. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そこで、話がちょっと横へそれるのですが、独占禁止法による排除措置ですね。法律時報の昭和五十年四月号に「最近では、企業の不当な取引、独占行為に対する批判が高まるに従って、独占禁止法による排除措置が注目されているが、同法六七条には裁判所の緊急停止命令が規定されている。右の措置は、非訟事件手続により行なわれるもので仮処分ではないが、」云々と書いてあるわけです。竹田稔判事、私も知っていますが、この人の書いたものを引用しているわけです。ここで私が疑問に思いますのは、「仮処分ではない」というのはどういう意味ですか。
  138. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 お答えいたします。  仮処分であるかないかと申しますのは、簡単に申しますと、民事訴訟法の強制執行編の後にありますいわゆる仮差し押さえ、仮処分手続による緊急の処分を講学上正確な意味での仮処分と言っておるわけでございまして、御指摘の緊急停止命令はそれに当たらないということがこの法律の規定上そうなっておるということのように承知しております。
  139. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、非訟事件手続というのと普通の民訴とは一体どう違うのですか。その非訟事件手続の本質というのはどこにあるわけですか。なかなかむずかしいですね。ぼくもよくわからないのだけどね。
  140. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 どうも不勉強で恐縮でございますけれども、私の理解いたしますところ、権利義務の存否を確定するのが判決手続といいますか訴訟事件でございますし、これに比べまして裁判所の処理する広い意味での行政事件と申しますか、裁量によってある権利を設定したり変更したりすることを非訟事件というふうに大ざっぱに分けて述べられているのではないか、かように理解しております。
  141. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 これは司法研修所の所長をやっていた鈴木忠一さんの有名な論文がありますね。非常にむずかしい論文で私も読んだけれどもわからないのですけれども……。ある修習生が所長に、教養の時間に短歌の話を聞きたい、それにはアララギ派の落合京太郎という人の話を聞きたい、こう言ったら鈴木さんが、ああ、あの短歌はつまらないよと言ったという話があるのですが御案内でしょうか。鈴木忠一さんと落合京太郎さんと同じ人でしょう。鈴木さんはそういうしゃれたことを言ったようですけれども、非常にむずかしい論文で私もよくわからないのですが……。  落合京太郎の話は別として、境界確定の訴え、これは民訴なんですか、非訟事件なんですか。新たな権利を設定するし、いまあなたのおっしゃったところから言うと、本来非訟訴事件なんじゃないのですか。
  142. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 お説のとおり実質的には非訟事件と説明されておりますけれども、これはたしか旧裁判所構成法時代に、境界確定事件は区裁判所の訴訟として処理するというふうに決められておりましたいきさつもございまして、現在は形式的訴訟事件ということで訴訟事件として処理されている、かように承知しております。
  143. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 境界確定の訴えというのは、境界がはっきりしないときに境界を定めてくれという形成の訴えだ、こういう理解のされ方をしているわけですね。だから、請求の趣旨としては、甲の土地と乙の土地、甲の土地は原告、乙の土地は被告、その土地の境界を定めてくれという請求の趣旨、請求原因としては、何々番地は原告所有である、何々番地は乙所有である、その境界が分明でないから境界を定めてくれ、明らかでないから裁判所で定めてくれ、理屈から言うとこう言うだけでいいわけでしょう。あとのよけいなことは書かなくたっていいわけですか。
  144. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 理論的にはお説のとおりになろうかと思います。
  145. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そういうふうにやったら簡易裁判所はどうするのですか。
  146. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 多くの事件では、自分はこう思うという線を一応主張として掲げますけれども、結局それには拘束されないわけでございます。しょせん、裁判所は独自に得ました証拠によって線を引くということになりますから、自分はこう思うという線が仮に出ておりませんでも処理はできる、かようなことに相なろうかと思います。
  147. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 しかし、そういう裁判を次から次へと簡易裁判所へ出したら、簡易裁判所の判事はみんなまいっちゃうのじゃないですか。現在、簡易裁判所で十年も続いている事件というのは、ほとんどと言っていいくらい境界確定の裁判じゃないですか。境界確定の訴えがどの程度年月がかかっているか、これはもう現実問題として簡易裁判所裁判官にやらせるのは、失礼だけれども無理じゃないですか、もてあましているのじゃないですか。もてあましているという言葉は悪いのかもわからぬけれども、非常に熱心にやっておられるけれどもなかなか大変だということではないですか。
  148. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 先年、事物管轄の改正に関する法律改正の際に、国会で附帯決議でも御指示いただいたわけでございますが、非常に困難な事件はなるべく地方裁判所に裁量移送して処理するようにということで、私どもも全く同感でございますので、機会あるごとにそういうことをお願いしておりますし、私自身の経験でも、簡易裁判所で、いわば先生のおっしゃるもてあました事件を何度か処理したこともございます。したがいまして、境界確定事件の相当数は地方裁判所に移送によって処理されているものもあろうかと存じております。
  149. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 現実にはそうではなくて、簡易裁判所で係属しているのが非常に多いのじゃないですか。何か簡裁から地裁へ移送すると、地裁の方でもいやがるというか、そういうふうな点があるのじゃないですか。だけれども、それじゃ境界確定の訴えというのは、当事者間で和解をしてもそれは拘束力がないということが最高裁の判例にたしかありますね。それなのに裁判所では境界確定の訴えで一生懸命和解を勧めるのですね。これは一体どういうわけですか。裁判官が入ってでき上がった和解というのは境界としての効力が一体あるのですか。
  150. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 私どもの実務経験から申し上げるわけでございますけれども、先生のおっしゃる正確な意味での境界確定の訴訟と、それから隣接地間の所有権確認訴訟とややこんがらかる場合がございます。そういう意味で、これは所有権の確認という形で和解をすることは十分考えられると思います。それから、事実上合意ができれば、それをも一つの参考にして正しい意味での形成判決といいますか、境界確定の判決をすることも理論的には可能であろうかと考えます。
  151. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 所有権確認の訴えと境界確定の訴えとが確かにごちゃごちゃになっているんですね。どっちがどっちだかわからなくて、境界がはっきりわかっているというか、境界をこちらが主張している場合には所有権確認でいくのでしょう。境界がわからないからこそ境界確定の訴えで、形成の訴えでいくのじゃないですか。そこら辺のところはどういうふうに指導しているのですか。
  152. 井口牧郎

    井口最高裁判所長官代理者 大変むずかしいお尋ねでございまして、私ども、特段指導ということをしているわけではございませんけれども、やはりその事案によって、代理人の御主張になるところを十分そんたくいたしまして、いずれかにはっきり決めようというふうに、それぞれの事件ではおやりになっているのではないかと考えております。
  153. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 これは所有権確認でいけば原告敗訴にすれば簡単なんですからね、敗訴にばかりするわけじゃないでしょうけれども。とにかくそこら辺のところが実務上は非常に混乱しているというのか、よくわからないというのか、私らもわかりませんけれども裁判官によって非常に違うのです。それで、田舎に行くと境界確定の訴えが多いのです。それがたまっちゃっているというのが一番多いというふうに思うわけです。ここら辺のところはもう少しあれして、地裁でやるならやるというふうに、そういうふうな通達を出してあると言うのですけれども、実際には行われてないようですから、私もよく調べてみますけれども……。  この竹田判事のやつを見ても「審尋手続の具体的内容について将来の立法化を検討すると同時に、その適切な運用を慣行として確立していくことが裁判官の責任と考える。」こう言うのですが、それはよくわかりますが、「将来の立法化」ということをこの裁判官は言っているわけですね。審尋手続のことについての立法化、これは法務省かもわかりませんね、立法の問題だから。その点については調査部長の方でどうなんですか。
  154. 枇杷田泰助

    ○枇杷田政府委員 いま民事執行法の関係を検討しておりますけれども、まだ十分ここではっきり申し上げられるほどの煮詰まった案でございま、せんので、私もまだ十分には存じておりませんので、明確なお答えはできかねます。
  155. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 私も、仮処分のことについては非常にむずかしくてよくわからない点があるし、相当いろいろな問題を含んでいるということだと思うのですが、どうも審尋ということが若い判事補、ことに未特例の判事補によって行われ、非常に親切にやってくれて、そこで和解が進められてうまくいく場合もありますが、そうでない場合で判事補の人が非常に困っている場合もある、こういうふうなことなものですから、ちょっといまお聞きしたわけです。もっと聞きたいこともあるのですけれども、この程度にしておきます。  そこで、ここに裁判官懇話会報告というので「裁判の独立のために」という一冊の本があるわけですが、これは二百人前後に及ぶ裁判官が集まられたようですけれども、そこでいろいろ研究されたことで、最高裁判所長官をやられた横田正俊先生が講演や助言をされておられるようです。この中にいろいろな問題が出ておりますので、三、四点お聞きをしたいというふうに思います。  「司法の独立問題をめぐって」というところで、我妻さんが講演をされております。それは「裁判所の官僚化と最高裁事務総局」ということでありますが、官僚化というのはどういうことかということを言った後で、「しかし、そのうちの一つとして、最高裁の事務総局につとめている人が出世する。これは厳たる事実だ。私は、いろいろなところでいったが、それは司法省が裁判官の選任や任地の決定権を持っていた戦前の時代にも、陸上勤務と海上勤務というものがあった。司法省につとめている者が陸上勤務。そして裁判所から裁判所へと流れ歩いている者は、海上勤務。そして陸上勤務は出世して、海上勤務は出世しない。」ぼくは、海上勤務、陸上勤務という言葉をここで初めて聞いたんですが、前はこういう言葉があったんですかね。「ところが、戦後、司法省から離れて、最高裁が司法行政を握ることになった。そうすると、あそこに事務総局というものができた。あそこで局長になり、次長になり、総長になった人は、非常に大きなパーセンテージが、東京高裁長官か、大阪高裁長官になり、そして、最高裁裁判官になるということは事実である。その系統がおかしいといわれる。私もそうだと思う。これだけは、少なくともやめたらどうだと、私はいったのだが、さて、自分が静かに考えると、それでは一体だれが最高裁の事務総局の事務をとったらいいのか。いろいろなことがいわれる。」云々と、こういうふうなことを言っておられるのですが、これはこれとして一つ意見だ、こう思うのです。  それから、我妻さんがどの程度のことを知っておられるのかよくわかりませんけれども、これは法務省の顧問をやっておられて、ある程度最高裁のことも知っておられるんだと思いますが、「最高裁判所裁判官会議というものは、もっと実質に触れるべきだ。そうすれば事務総局は、かってなことをしない。」云々というようなことが書いてあるんですね。ぼくがいつも疑問に思いますのは、「最高裁判所裁判官会議というものはもっと実質に触れるべきだ。」ということがここでも一つ意見として——我妻さんの意見なのか、ほかの人の意見を紹介したのかちょっとわからないのですが、書いてあるんです。一体最高裁判所の十五人の裁判官会議というものが具体的にどういうふうに行われるのか。聞くところによると、その資料というものは全部事務総局でつくって、きわめて簡単に行われておるのだということを言う人もおるわけです。それから、裁判については、記録や何か全部見るのは調査官だ。調査官がそれを抜き書きした案をつくって、どうしましょうか、A案でいきましょうか、B案でいきましょうかということで両方の判決を書いて、そして裁判官会議にかけるというようなことで、現実最高裁裁判官というものは非常に忙しい、あれだけのたくさんのものをやっていけるわけないわけで、最高裁判所裁判官と事務総局との関係、最高裁判所裁判官調査官との関係、これらについてちょっと御説明を願いたい、こういうふうに思うのです。
  156. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 最高裁判所の事務総局は、裁判所法上、最高裁判所の司法行政に関して庶務をつかさどるということになっておるわけでございまして、したがっていま仰せのように、裁判官会議の議題となるべき事項についての資料等はやはり事務総局で準備をするわけでございますが、ただそれは資料の準備、それに伴う説明ということでございまして、その当該事項の決定自体は、裁判官会議自身が議論をされまして御決定になるということでございます。  裁判官調査官との関係でございますが、調査官はそれぞれの事件について調査をするというのが仕事でございますから、それぞれの事件について調査をいたしました上、その報告裁判官にいたしまして、裁判官はその報告を見、記録も見た上で議論をなさった上で最終の結論をお出しになる、こういう関係ということに相なるわけでございます。
  157. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 最高裁裁判官記録を見るというのは、その調査官がつくった記録を見るという意味ですか。
  158. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 私、調査官としての実務経験がないものですから、実際上どういうふうに行われているかということをここではっきり申し上げることはできませんが、たくさん事件がございますから、裁判官がすべての事件についてそれぞれの記録をすみからすみまでお読みになるかということ、そういう御質問だといたしましたら、必ずしもそうではないと言えるかもしれませんが、ただやはり問題となるところは記録に実際お当たりになりまして、報告も聞き、それで結論をお出しになるものというふうに私どもは理解しております。
  159. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 だから、その問題となるところというのは、調査官が読んで、それで問題となるところを摘出してそして報告書をつくるのですが、その報告書だけじゃなくて、判決書きも調査官が実際問題として書くのじゃないですか。そんな内部のことまでしゃべっちゃうと後で大変な問題になっちゃうかもわからないけれども、実際はそうじゃないの。書けっこないと言うと悪いけれども、余り失礼なことを申し上げたくないけれども、それは無理じゃないですか。元外交官をやった方とかそれからそうでないいろいろな方がおられて、そういう人がああいう膨大な判決を書けるわけがない、と言うと語弊があるけれども、書けるでしょうけれども、大変じゃないですかね。調査官が書くんだという説があるのですがね。
  160. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 調査官が判決を書くという意味では、そういうことはないだろうと存じますが、事件によりましては、裁判官の御命令によりまして判決の草案の全部または一部を起草するということはあるいはあるのではないか、これは推測でございますが、そういうこともあるのではないかというふうに思います。
  161. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 どうせだめな事件最高裁にいっぱい来ているわけですよね、だれが見たってだめな事件が。そんなものは簡単に書けばいいので、刑事の上告のあれなんか、そんなものは調査官が書いたっていいのですが、そうでない争いのある事件について、たとえば主任裁判官というものが最高裁判事の中におられて、その人がどの程度記録を読んでやられるのか、どうも疑問なんです。最高裁調査官に非常に優秀な方がおられるから、その人がやられるのじゃないか、こういうふうに思いますがね。そうすると、上告趣意書なんか見ると、それに基づくいろいろな資料を集めるのは調査官が全部集めるのでしょう。田原春衛という人の書いた「最高裁調査官の周辺」の中にそういうことが書いてあります。だから、調査官と裁判官とどういうふうにあれしているのかぼくはよくわからないので、いまあなたのおっしゃった程度のことしか私もよくわかりません。答弁はそれ以上要りません。  そこで、いろいろよけいなことばかり聞いていて、入っていきますが、ここに参加した裁判官の世話人の方で、これは私の知っている人もいるし、知らない人もいるわけですが、もうやめてしまわれた方もおられるし、現役の方もおられるわけですが、ここにこういうことが書いてあるのです。五十一ページ。「最高裁を信頼すべきか」ということで、これは大阪地方裁判所報告ですか、その中で「若い判事補の人や年輩の判事の方々からも活発な発言があった。」「最高裁を信頼しろというが、その後のいろいろの動きを見ると、無条件に信頼するわけにいかない」「最高裁を信頼しろということと、身分保障とは次元の違う問題だ」「人事権者を信頼しろといわれても、どういう資料に基づいて判断をするのか、そこに不信と不安がある。信用するだけの客観的な公正な判断が行われることについて保障がないところに問題がある。」それからまた「再任と新任が同じだというのも、事務総局の意見であって、最高裁裁判官の一致した意見ではないと思う。」これは例の再任拒否の問題があったときの問題ですからそういうように出ているんだ、こう思うのです。だから、若い判事補やその他の方の意見を聞いてみても、どういう資料に基づいて判断をするのか、そこに不信と不安があるということを盛んに言うのですね。  そこで、この前ある判事補の人と会って話をしたら、二号カードの問題なんか出てきたわけですが、二号カードの問題を聞いてみたら、所長から申告がありますね、それについてはそんなことは全然ないんだというようなことを言っておられたので、じゃあ二号カードのひな形を出してくれと言ったら出さないのです。いろいろあると思うのですが、どういう資料に基づいて判断をするのかということがまず第一点。  それから、最高裁の場合でなくて、高裁管内の人事の異動の場合、これは高裁の事務局長が案をつくるのですか。本来、条文上はこれは事務官がやるべきことですね。それをいま判事が全部やっているようですが、高裁管内の異動の場合には、高裁の事務局長が原案をつくることになるのですか、これはどういうふうになっているのですか。
  162. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 まず、最高裁に対する信頼の問題の点でございますが、拝見さしていただきましたが、恐らく人事の問題に対する関係であろうかと思います。いかにして公平、適正な人事を行うかにつきましては、何回も稲葉委員から御指摘があったとおりでございます。各裁判長から上がってくる意見を各所長が集約いたします。各所長から上がってまいります意見を高裁長官のもとで集約をいたしまして、私どもの方にそれなりの意見が出てまいるわけでございます。いわば非常に抽象的、観念的にならざるを得ないと思いますが、全人格的評価、具体的な各裁判官裁判実務に対するありよう等々を勘案いたしまして人事をやらしていただいている、人事の計画を立てさしていただいているつもりでございます。  なお、高裁管内異動につきましてだれが原案を作成するのか、こういうお尋ねでございますが、事実上高裁の事務局長がいわば事務的な立場で庶務をやっていることは事実でございますが、高裁管内の異動につきましては、各地家裁所長の意見を高裁で集約いたしまして、異動案を樹立しているような実情でございます。
  163. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 いまの所長のところでまとめて所長から高裁に上がってくるというのは、一体何が上がってくるのですか。
  164. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 毎年いわゆる定期異動をやっております。これにつきましては、年内に高裁の長官にお集まりいただきまして、まず各高裁長官の御意見を伺います。それから改めて事務的に私どもで計画を立てさせていただいて、さらに長官方の御意見をお伺いいたしまして、それでいわゆる事務局案をまとめまして裁判官会議にお諮りいたす、こういうような実情でございます。
  165. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 いまの所長がまとめて報告するというのは、ただこういう人がこういう転勤を希望しているというだけではなくて、この人の裁判事件処理が非常に遅いとか、事件処理の能力が落ちるとか、それから、たとえば刑事で言えば検事控訴があって事件が破棄されているとか、民事で言っても破棄されておるとか、こういうようなことまでちゃんと内容として報告されるのではないんですか。
  166. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 裁判の内容につきまして各所長がいわば各事件ごとの処理状況をにらんで、その結果をどうのこうのという形で私ども報告を求めているようなことはございません。先ほどから申し上げておりますように、全国の多数の裁判官のことでございますので、なかなか的確にどういう方をどういうポストに充てるかという問題はむずかしい問題でございますが、そこにやはりおのずからなる各裁判官に対する評価というものが出てまいるわけでございまして、その御意見を十分参照いたしまして計画案を樹立させていただいているわけでございます。
  167. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それでは別の問題に移ります。  この前質問したのに続くのでございますが、簡易裁判所の問題で、簡裁の判事の場合には、たとえば刑事事件で言えば取り扱う範囲が決まっているわけですね。窃盗とか臓物故買とか横領とか、刑事では決まっているわけですね。ところが、地裁事件の保釈の決定をしたり勾留状を出したり何かしますね。それは、どこに条文上は根拠があるわけですか。
  168. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 勾留手続は、刑事訴訟法二百五条から二百七条までの間に、被疑者の勾留に関する検察官の裁判官に対する請求がございまして、そういう処分の令状をどこに請求するかということについては、規則の二百九十九条に「検察官、検察事務官又は司法警察職員の裁判官に対する取調、処分又は令状の請求は、当該事件の管轄にかかわらず、これらの者の所属の官公署の所在地を管轄する地方裁判所又は簡易裁判所裁判官にこれをしなければならない。」ということで、簡易裁判所裁判官に請求すればよいわけでございます。これが公訴提起になりまして受訴裁判所が決まると、今度はその受訴裁判所ということに第一回公判期日後はなりますが、捜査段階では、どのような事件であれ、簡易裁判所裁判官が請求の対象になる、こういうわけでございます。
  169. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 急に聞いてこっちもちょっと申しわけないと思うのですけれども、それが弊害があるのじゃないですか。ということは、勾留状を出す場合でも、検察庁でよく話しているのを聞くと、きょうは一体だれが勾留当番か、どの判事が勾留当番かということを盛んにやっていますよ。東京なんかは十四部でやるからこれはあれでしょうけれども。そうすると、きょうは簡易裁判所の判事が勾留当番だとなると、あれならすぐ勾留状が出る、いやきょうは若い判事補が勾留当番だとなると、あれはとてもなかなか出さないということから、一日置いておけというようなことで係がやっています。ぼくはずいぶんそういう話を直接聞いたのですよ。だから、若い判事補の場合は、令状なんかも条件が整っていないということで却下する場合が相当あるわけですが、簡裁の判事となると、もうほとんど言うがままに出している。それから保釈の請求の場合でも、検事がだめだと言えば、ひどいのは記録なんか見たのか見ないのか知りませんけれども、検事の言うとおりで、だめだということにしてしまう。若い判事補なら、検事が不相当の意見をつけてきたところで、記録を取り寄せて——勾留に関係する記録だけでなくてほかの記録を取り寄せることが、これは勾留の場合できるのですか。これはどうでしたっけ。勾留じゃなくて保釈の場合ですね。勾留に関係する資料というものがついていますね、勾留の場合にね。そこで保釈請求するわけでしょう。そうすると、それ以外の資料を検事が手持ちしていますね。それを自分の方へよこせ、保釈許可するかしないかの参考にするんだからよこせということは、これはできるわけですか。
  170. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 保釈の決定の一つでございますから、決定するについて必要があれば、十分取り調べすることができるということになりますので、その取り調べの方法として、検察官のところにそれに関連する書類、証拠があれば、それを出してほしいということはもちろん言えるわけでございます。
  171. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それを若い判事補はよくやってくれるのですね。非常に人権意識に目覚めてよくやってくれるのですが、簡裁の判事になるとなかなかそこまでやらぬ、検事の言うとおりになっておる、こういうのが実情ではなかろうか、こういうふうに思うのです。訴訟を迅速化しなければいけないということを盛んに最高裁が言ってきてから、保釈の場合に、権利保釈の制度というものがありながら、実際にはその制度というものがだんだん形骸化してくる。これは弁護士の活動も悪いので、もっと準抗告するなりあるいは抗告するなりしてやればいいのでしょうけれども、そういう点が足りないからそうなってくるのかもわかりませんが、そういう傾向が近来非常にふえつつあるということが言える、こういうふうに私は思うのです。きのうもある検事正をやめた人といろいろ話をしたのですが、その人も、弁護士になってみて初めてわかったというふうなことを言っておりましたし、裁判官の訴訟指揮の問題についてもいろいろ言っておりました。これは後の話になりますが、そういうふうなことですね。  それからもう一つの問題として、近来刑事の裁判官が非常に気にするのは、検事控訴ですよ。検事控訴というのはまたなかなかラフにやるものじゃないから、立たないような検事控訴はわりあいに少ないのかもわかりませんけれども、検事控訴で立って、原判決が破棄されて、原審で執行猶予になったものが実刑になるというようなことになってくると、その裁判官は途端にそれ以後検事の控訴をこわがってというか、こわがってと言うと語弊がありますけれども、刑が重くなる、これは実情です。何回も私ども現実に扱う例から出てくるのですね。これはまず検事控訴を認めてない法制がたしかあったと思いますね。制度が違うかもわかりませんけれども、たしかイギリスですか、どこか検事控訴が認められてない法制があったと思うのですが、それが一つと、それから、検事控訴の場合にそれが高裁で破棄されて検事控訴が通った場合に、裁判官の成績と言うと語弊があるのですが、成績は関係ないのかもわかりませんが、心理的な影響ですね。こういうのもひとつ実証的な研究をしてみるとおもしろいと思うのですがね。その辺はなかなかむずかしいかもわかりませんが、とにかく検事控訴を非常にこわがりますね。検事控訴を非常にこわがって、検事が控訴しないか、しないかといって、弁護人に、検事の方に話をつけてくれとは言わぬけれども、そう言わんばかりの裁判官もいるわけですが、私も経験しましたが、いずれにいたしましても、いま言った検事控訴が一体どれだけ裁判官の心理というか、その後のいろいろな判決に影響するものなのか。どうなんですかね、これは。
  172. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 最初の法制の問題につきましては私は詳しく知りませんけれども、しかし、たとえば陪審員制度をとっているところであれば、陪審員の評決で無罪というものに対して、今度は検察側から控訴するというようなことはないだろうと思います。日本の場合、先ほどおっしゃったような、検事控訴すると裁判官がそれを非常に心配するというお話がありましたけれども、これは私は裁判官の名誉のために、そんなことはないと思います。  ただし、こういうことはございます。控訴されて破棄されます。そうすると、やっぱりそれは自分のやった判断がこういうふうに間違ったのだというふうに言われるわけでございますね。そうすると、やはりそれは考えなければいけないのです。私自身の体験で申し上げますと、私も若いときに道路交通事件というか、ぶつかって相手が死んだ、業務上過失致死ということで起訴された。調べてみますと、本当に一瞬のちょっとした過失でございますね。しかし、結果ば大きい。本人はもう運転手はやめた、できる限りの賠償もしているというふうな状況がございました。それで、これは普通の強盗窃盗等に比べたらというわけで、執行猶予にしたことがありました。そうしたら、検事控訴、それでやっぱり破棄ということになりました。それでもまだやはり一回では納得できませんで、同じようにまたやりました。そしたらまた破棄。そうすると、やはり二度やられますと、私もこれはいまの状況のもとでは、もう一遍、自分考えだけではいかぬ、考え直してみなければいかぬということで考えて、その後はそれに類するようなのは実刑にするというふうな扱いに変えたことがあります。しかし、そういうふうにしたことは、自分考えが一般、公平であるかないか、社会的に評価がどうかということを再評価した上でのことでありまして、別に検察官が控訴したからどうこう、そういうことは全然ございませんです。それはもう……。
  173. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それはもう——何だかよくわからないのですが……。
  174. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 言うまでもないことであります。
  175. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 よくわかりました。  ただ、検事控訴の場合は、率直に言って立つ率が非常に高いのです。どのくらい立ちますか、六割か七割以上立つでしょう。弁護人控訴の場合は、被告人控訴の場合はただ延ばしておくだけなものがありますから、実際にはそういうことをわかっててやる場合もありますから別ですけれども、しかし私の感じているのでは、検事控訴をされて通ると途端に刑がしばらく重くなる。ああ検事控訴であれされたなということもぼくらは考えるのです。それで、よくわかりませんけれども、その裁判官の成績という言葉は悪いのですが、それはいろんな諸般の状況を見て決めるのでしょうけれども、そのときに検事控訴でやられて破棄されて、検事控訴が通ったことも加味されて、そして検事側の意見というものも何か所長あたりは、あるいはどこですか、聞くようなことがあるのですか。はっきりは聞かないでしょうけれども、検察庁側の意見というふうなものが、あの判事についてはこうだというような意見が自然と耳に入ってくるのですか。所長のところには弁護人側からの意見も自然と入ってくるのでしょうね。検事側の意見というものも自然と所長の耳に入ってくる、そういうことなんですか、実際はどうなんですか。
  176. 岡垣勲

    岡垣最高裁判所長官代理者 いまのお話はどういう関係でということかちょっとわかりかねますので、人事関係ならばこれはまたあるいは人事局長の方からお話があると思いますが、刑事の事件の処理に関する限りそれは別に所長は全然関係ないわけでございますから、自分の思うとおりに事件をされる。しかし所長も弁護士さんも検察官も同じ法曹の中のあれでございますから、どこかでお会いになることもあるでしょう。そうするとそのときにそういうふうな、あの人はどうだというふな話は、それは出ることはあるかと存じますが、いずれにいたしましてもそれはそういう生活環境にあるというだけでありまして、裁判についてはもう全然関係ないことでございます。
  177. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 裁判については関係ないことはもうあたりまえの話で、私もそれはそのとおりだと思うのです。しかし高裁ではその一審でやったものの結果をまとめて、控訴したものの結果がどうなったか、原判決が破棄になったかあるいは控訴棄却になったか、全部まとめて表にして各裁判所に配っていますね。各判事に配っているでしょう。それはいろいろ統計とっていますよ。それはどういうわけですか。
  178. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 上訴された結果どうなったかという事件の通知でございますが、これは民事、刑事ともやはり原庁へ通知をしておると思います。
  179. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 先ほども申し上げましたとおり、私ども人事当局といたしましては裁判の内容につきましてどうのこうのという調査をしているわけでもございません。したがいまして、たとえば刑事事件の場合に、控訴されて無罪有罪になり、あるいは有罪無罪になった率が非常に高いといったような、いわゆる委員御指摘の成績というような形で私ども報告を求めているようなことは絶対ございません。
  180. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 しかしいま言った報告が原審へ行っていることは事実でしょう、統計が。各事件ごとに、この事件控訴棄却になったとか、この事件は原判決破棄になってどうなったかということが行っているということは、いま総務局長も認められたわけですね。これはどうしてそういうような報告をまとめて原審に出すのですか。
  181. 大西勝也

    大西最高裁判所長官代理者 どういう理由でと申されましてもちょっとお答えしにくいのでございますが、私の民事の裁判官としての経験では、大体その通知が来ますときには当該人がいないこともわりあいあるのですけれども、特に民事なんかの場合ですと、その事件、ほとんどが和解とか上訴取り下げで終わった場合が多いわけでございますが、私、東京地裁の経験では、たしかそれを一定期間のものをまとめまして事件番号を付しまして、上訴結果を、東京高等裁判所から東京地方裁判所の分につきまして何か通知があって、少なくとも私の部ではそれを回覧しておったという記憶はございます。それを稲葉委員、何か人事と関係づけてお考えのようでございますけれども、そんなことは全然ございませんで、ただ、原審の裁判官としては自分のやりました裁判の結果がどうなったかということは関心があるところでもございますし、また民事につきましては現に記録も当該裁判所へは返っていくわけでございますから、そういう記録の返送の関係でも当然通知があるわけでございます。そういう通知をすることが裁判官に心理的影響を及ぼすといったような形での影響はまずないものというふうに私は考えております。
  182. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 私もそれが人事に影響あると言っているのじゃありません。そんなこと、人事に影響ないですよ。なぜそういうことをする必要があるだろうかということを言っているだけの話で、それは自分のやった裁判の結果を知りたいのは、人間ですから、それは通ったろうか通らなかったろうか、控訴されてどうなったかということに関心を持つのはあたりまえですし、それから一審のときと控訴してからと事情が違う場合がありますからね。新たな証拠が出てきた場合もあるし、いろんな関係がありますから、量刑の問題にしたところで——一審で示談できなかったものが控訴へ来た間に示談できたというふうな場合も着るしするから、そのこと自身はどうこうということではないし、それ以上踏み入ってやるのも司法権の独立の問題にも影響しますから、それ以上のことは私は質問をいたしません。ただ、こういうことはありませんか。東京高裁で、東京高裁ばかりでなく各高裁で判決をする、そうすると上告して、上告審である最高裁と高裁との判決が食い違った場合で、原判決、高裁の判決を破棄する場合がありますね。そうした場合には最高裁裁判官に高裁の裁判官のあれは全部わかるわけですね。記録を見てわかるわけですわね。だから、たとえば高裁の裁判官の中から長官を選ぶという場合に、どうするかというようなときの一つの参考になっていくのではないのですか、これは現実問題としては。そういうこともないですか。
  183. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 最高裁判所まで具体的な事件が上がってまいりまして、現実に各裁判官方が記録をごらんになって、原判決あるいはもう一審判決をごらんになることもあろうかと思います。その際に当該裁判官に対する評価というものは当然お持ちになるはずでございますので、いま稲葉委員御指摘のようなことは当然あり得ると考えます。
  184. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 これはまた別な問題になってくるわけですが、書記官の場合に、人事で、このごろ広域人事をやるわけですね。それを断ると——たとえば主任にする場合に、その庁でしないでほかの庁へ行って主任になるということをやっているわけですね。ところがいろんな家庭の事情でとてもそこへは行けないということになってくると、その報復手段として、その本庁には置かないで支部へ出すという人事をやって、しかも主任にしないという人事をやる。私は実際にその書記官に会って名前も知っていますし、その書記官に聞いたら、そのことであなたの名前を出してもいいかと言ったら、いいですと言ったんですけれども、その名前を出すと、またその人にいろいろな問題が起きてもいけませんから名前は挙げませんけれども、そういうことを実際にやっているのではないですか。たとえば、一番困るのは宇都宮から新潟です。宇都宮から新潟へ転勤させられると、土曜、日曜に帰ってこられないのですね。そういうようなこともあって、まず主任書記官になるためにはほかの庁へ行かなければならないの、かどうか、それが一つ。それを断った場合に、本人は不利益な取り扱いを現実に受けるのかどうか、このことからお聞きしていきたいと思うのです。
  185. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 何回も申し上げておりますように、裁判所の人事につきましては、裁判所の数が非常に多うございます、その間にいろいろなポストがございます、これを適正に運用をしていくためには、やはりある程度の広域人事はある意味では避けて通るわけにはいかないわけでございます。もちろん裁判官も含めまして一般職の方々もそれぞれ家庭をお持ちになって、それぞれの御事情がおありになるわけでございます。しかし人事の都合でどうしてもこちらに行ってもらいたいということでありますれば、ある程度の無理は忍んでいただかなければいけないという場合もあろうかと思います。原則として、外へ出なければいわば昇進させないという大原則をとっているわけでもございませんが、多くの場合、適材適所という観点から考えまして、主任なら主任になるときに従前の庁からほかの庁に移っていただくというような計画もまた御指摘のとおり多かろうと思いますが、繰り返して申し上げますように、その庁を離れなければ昇進させないというような原則をとっているわけでもございません。できるだけ当該職員の事情というものをくんだ上で計画を立てているつもりでございます。
  186. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 いま人事局長も言われましたけれども、実際には主任書記官や首席になるときに、東京のようなたくさんいる場合は別かもしれませんけれども、ほかの地方裁判所では全部ほかへ行くのじゃないか。これをわれわれ遠征と称しているのですが、ずいぶん遠くへ行って、山手線じゃないけれどもぐるぐる回ってやっとこさ戻ってきて、そこで主任になるというのが実際上の原則になっているんじゃないですか。それで、それを断ったときに、主任になるのはずっとおくれるんじゃないですか、これは実際問題そうですよ。
  187. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 手元に統計がございますので、まず数字を申し上げさせていただきたいと思いますが、主任書記官に新たに任命された者について、その庁で昇進した者のパーセンテージを申し上げますと、たとえば名古屋高裁管内でございますと、これは五十一司法年度内でございますが、八割程度でございます。それに反しまして、東京高裁管内では一割強程度でございます。そのように、先ほど申し上げましたようによその庁に出なければ新規任命しないという原則をとっているわけでもございませんし、また何%ぐらい外に出して新規に任命するというような基準を立てているわけでもございません。その時点における適材を適所に配置していくということをやっておりますので、いま申し上げましたように、ある管内では八割が自庁昇進をしておる、ある管内では一割強しか自庁昇進していないというような数字に相なっているわけでございます。恐らくこの数字も年度によってはまた異なっているのではないかというふうに考えます。
  188. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 どこでどうしてそんなに東京高裁管内と名古屋の高裁管内とで違うわけですか。東京の一割というのは、自庁で主任書記官になったというのは、恐らく東京地裁のことを言っているんじゃないか。ほかの地裁ではそういうことはないのじゃないですか。それが一つ。  さっきから答えないのだけれども、それを断った場合、実際に昇進がおくれているんじゃないですか。これは具体的な例を挙げろと言えば挙げますけれども、その人が非常に困るからぼくは挙げませんが、それはやっていますよ。
  189. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 断りがありました場合に、いわば懲罰的と言うと大変言葉があれでございますが、(稲葉(誠)委員「報復だ」と呼ぶ)報復的な人事をやるというようなことは考えておりません。  先ほど申し上げましたように、欠員が生じた場合に、具体的にだれをどこに充てるかということはその時点における判断でございますので、あるAならAという具体的な職員に、どこそこの主任なら主任になってほしいと言われた場合に、その職員が家庭的な事情を述べてそれは困るということでありますれば、その時点においてはもうほかの人を充てざるを得ませんし、次の機会、あるいはその家庭の事情が解消したような場合に、さらに次の機会にその昇進ポストに充てるというようなことをやっておりまして、決して報復的な人事というようなことをやっているわけではございません。
  190. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 私の聞いたところでいまのお話をあれしますと、東京高裁管内では、そうすると十人に九人がほかへ出なければ主任書記官になれないという実際だ、こういうふうに承ってよろしいんでしょうか。名古屋の場合は十人に二人ですか、どうしてそういうふうに違うのですか。
  191. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 先ほどのお尋ねに対しまして答弁を落としましたので……。  まず東京管内における各庁別のものは手元にございませんので答弁いたしかねますが、ただ、各高裁管内で違う理由は何か、こういうお尋ねでございますが、先ほど申し上げましたように、欠員の生ずる状況が各高裁管内が同一でございませんので、ある年度ではこういうことになり、ある年度ではまた別な形になっているのではなかろうかというふうに思います。先ほど申し上げましたのは五十一司法年度だけの数字を持ってまいっただけでございますので、あるA高裁管内が常に高率で、B高裁管内が常に低率であるというふうになっているわけではないのではないかと思います。
  192. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 だけれども、一割と八割というのは余りに違い過ぎるのでして、これは欠員がたまたま生じたのではないですよ。ぐるぐる動かすからそういうふうになるんですよ。そんなことはわかり切っていることですよ。  それでは、裁判官の場合は転勤しても宿舎が全部あるのですか。それがまず第一点。それから、書記官の場合は官舎があるのですか。官舎がどの程度あるのですか。
  193. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 裁判官の場合は、宿舎の数は充足しております。なお、一般職員の場合につきまして、必ずしも常に一〇〇%いわゆる公務員宿舎を用意できるような状態にはないと思いますが、中都市以上の都市におきましては、まあまあのところの線まで行っているように思います。正確な数字を持ち合わせておりませんが、大体その希望に沿えるような状態に近づきつつあると思います。
  194. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 いや、その官舎というのか公舎というのか知りませんけれども裁判所では官舎や公舎というのはどの程度あるのですか。管轄が違う、経理局長かもわかりませんが。裁判官の官舎があるのはわかりますよ。これはアパート式の、何か余りぱっとしないものです。松戸の場合などは八十世帯ぐらいが入っているかもしれぬけれども、あとは十世帯ぐらい入っているのでしょう。ある裁判官に会ったら、国会でぜひ自分たちの宿舎を見てくれと言うのです。こんなところではとても宅調できるような状態ではないということを言っておられました。それは別として、書記官の場合はそんなにないですよ、事務局長などはありますけれども。一般の書記官にそんなにあるものですか。いまはっきりパーセンテージを言わなかった。そこまでの答えはいまはいいですが、それはそんなにありませんよ。大体、家族と別れて一人でどこかに下宿しているのです。土曜、日曜に帰ってこられないところへやるのです。そうでなければ朝四時ごろに起きなければ通えないところへやるのですね。とても無理な——それをまた断ったら上へ行けないものだから、がまんしてやっているのですね。そういうのが非常に多いのです。だから職員は非常に困っておるのです。  いずれにいたしましても、いまあなたの説明を聞くと、官庁でなるのが原則であるようなないようなはっきりしない話ですけれども、東京管内でそれが一割ぐらいしかないというのならば、ほかの庁へ行って主任書記官になるのが原則だ、しかも大原則だというふうに理解されざるを得ないのだと思うのです。  庁舎の管理権の場合はあれですか、地裁と家裁とが一緒にいる場合には、地裁の所長も庁舎の管理権を持っているのですか、どこでもそうですか。
  195. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 所管外でございますが、便宜私から答えさせていただきます。  裁判所には、裁判所の庁舎等の管理に関する規程という最高裁判所規則がございまして、その二条の二項に「同一の庁舎等に二人以上の管理者がある場合の管理の区分は、当該管理者が協議して定めなければならない。」こういうことになっております。したがいまして、たとえば浦和の裁判所のような場合に、地裁の所長と家裁の所長が協議してその管理区分を定めているというふうに相なっているわけでございます。
  196. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、管理権とは別かもわからぬけれども、自動車を使う場合でも地裁と家裁とで相談して使うのですか、どうなっているのですか。たとえば家裁の裁判官が自動車を使うことはなかなかできないと言うのです、地裁の方で使ってしまうから。全然別個のものだと思っていたのですが、そうでもないようなことを言うのですが、これは共通なのですか、どうなのです。
  197. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 これも所管外でございますので、あるいは正確を欠いているかも存じませんが、いわゆる独立家裁と言われている専任家裁所長がおる庁では会計課も独立しておりますので、それぞれの車を地裁、家裁別々に保有していると思います。したがいまして、その使用方法につきましては地家裁別々にやっているであろうというふうに推測いたしております。
  198. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 余り大した問題じゃないのですけれども、大体、地裁があれされていて、家裁の方が軽く見られて実際に扱われておる、こういうふうに私どもは聞いておるのです。  そこで、庁舎管理権かどうかわかりませんが、いろいろな会議に職員が使おうと思うと会議室を貸さないのですね。それはことに部外の講師を呼ぶというときになると貸さないというのはどういうわけですか。たとえば、こういう事実があったというふう出ているのです。普通の裁判所でも、たとえば学習会なんかやるときに、弁護士なんかが行ってやろうと思うと、それは部外の者だからだめだと言って断るという場合があるのですね。もう一つ、たとえば司法研修所主催でやる場合にはもちろん部屋を貸すのですが、研修所主催でなくて、二、三年前ですか、研修所の中の有志が元裁判官だった人を呼んで話を聞こうとしたら、それはいかぬと言って研修所が断ったというのです。その裁判官は高裁にいた方で、民事では近藤莞爾さん、刑事では三井明さんです。私はお二人とも裁判を受けたことがありますからよく知っていますが、非常にりっぱな方です。お二人とも最高裁の受けは余りよくない方かもわかりませんね。近藤さんは学者だし、非常にりっぱな方だし、国を相手にする裁判なんかで遠慮なく国を負かしたり何かしました。三井さんは若い人たちに理解のある人で、私は三井さんの裁判の説示を聞いたことがありますが、実にりっぱな説示で、温情あふれるいい説示をしておられて、りっぱな方だと思いましたが、こういう人たちを呼んで話を聞こうとしたら、修習生がそういうことをやるのはけしからぬと言って貸さなかったという話があるのですよ。だから一般の裁判所でも、外部というか、弁護士が講師か何かで行って話をするのすら会議室を貸さない。何かそういう訓令みたいな、達しみたいなものを出しておるのですか。司法研修所ではどういうふうに扱っているのですか。
  199. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 この問題も私が完全に所管していることではないかもしれませんが、答えさせていただきたいと思います。  先ほど申し上げましたように、裁判所の庁舎等の管理に関しましては最高裁規則がございまして、「秩序の維持については、とくに、裁判の公平に対する国民の信頼及び裁判所の威信と品位とを保持するよう運用しなければならない。」と、第一条に「趣旨及び運用」をうたっているわけでございます。まず、普通一般の裁判所の庁舎で外部講師を呼んで何か催しをやるということについての取り扱い方でございますが、これは職員組合等の問題もあろうかと思いますのでお答え申し上げます。稲葉委員に申し上げるまでもございませんが、庁舎は国有財産法にいうところの行政財産のうちのいわば公用財産でございます。これはあくまでも国の事務の用に供するものであることは申し上げるまでもないわけであります。先ほど申し上げましたように、庁舎の管理については、裁判所の特殊性からいって、先ほどの規則にうたわれているような方針で運用していかなければならないこと、これもまた申すまでもないところでございます。対職員組合との関係では、庁舎等を供与することはあくまでも便宜供与であるはずでございます。最小限度の便宜供与は現にやってもおりますし、やること自体に少しも反対の意向は持っておりません。ただ、外部の方が入った催しあるいは勉強会でもそうでございますが、果たして裁判所としていかがかと思われるような方が入られることもあるわけでございます。その講師の具体的な方々の評価によって、ある人の場合は許し、ある人の場合は許さないということになりますと、これこそまた問題でありますので、外部講師の入っておられる集まりに対しては庁舎の便宜供与をしないという方針をとっているわけでございます。  なお司法研修所におきます各教室あるいは講堂の使用につきましても、基本的には同じことでございまして、あくまでも研修所は研修の用に供する国の公有財産でございますので、それ以外の催しには一切貸さない。先ほど御指摘の、講師の方がこうであるとか、あるいはテーマがこうであるというから貸さないのじゃないのであって、あくまでも研修所の施設は研修のための施設であるから、それ以外には一切貸さないという取り扱いをしているわけでございます。
  200. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 司法研修所で研修生たちが自発的な研修をしたいからといって——元裁判官だった人ですよ、高裁の判事ですね。そういう人を呼んで話を聞きたいというのにそれを拒否するというのはどういうわけですかね。もっとも近藤さんの場合は研修所主催で一遍やったこともあるようですね。あるようですけれども、お二人を呼んで民刑の話を聞きたいということを断わるというのはどういうわけですかね。研修生、修習生の自発的な勉強ということもやっちゃいかぬということになるのですか。そんな旧時代的なことは必要ないんじゃないかと思いますが、これはいろいろな意見があるかもわかりませんけれども、そんなにかたくなになる必要がどうしてあるのですかね。だったら研修生は研修所の言うようにただ勉強してろというのですか、ほかのことを一切やっちゃいかぬということなんですか。どういうことなんですか。
  201. 勝見嘉美

    勝見最高裁判所長官代理者 修習生が自発的にあるグループの間で勉強すること自体を、してはいけないなどということは当然申しておるわけではございません。また修習生同士の勉強会にある場所を提供したということにあるようでございますが、いわば研修所でつくっておりますカリキュラム以外のいろいろな研究会、外部講師を招いてやる研究会、勉強会等につきましては、先ほど申し上げました庁舎の管理という観点から一律に貸していないというのが現状でございます。
  202. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 時間の関係もあってやめますけれども、庁舎の管理に、一体そういう人たちを呼んで——いまの、人によってはいろいろあるかもわからぬということを言われますけれども、それは別として、高裁の判事をやった人を呼んで民事については、あるいは刑事についてはということでいろいろ話を聞きたいというのを断って、しょうがないものだからどこか別のところに移してやったようですね。そうしたら二百人くらい集まったとか出ていましたけれども、そこまでかたくなにやる必要があるのかどうか。一体庁舎管理権というものをどういうふうに具体的に解しているのかということが非常に疑問なんです。庁舎管理権の問題は建設省でよく問題になることですよ。研修所、裁判所あたりでそんながたがた言う必要はないのではないか、こういうふうに思うのです。  それはそれとして、時間が来ましたので……。これで大体全部のどのくらい終わりましたかね。十分の二くらいかな。十分の二よりもう少し終わりましたね。半分くらいまで行ったかな。そこら辺のところですが、これは裁判所が悪いのじゃないのです。法務省が後から法案を出さないからで、法務省が後の法案を出していれば、ゆっくり楽しみながらやるわけじゃないんだけれども、後から法案が出てこないから、余り早く上げてはかえって失礼だからゆっくりやっているんだ。そういうわけです。大体半分くらい終わりましたかね。  終わります。
  203. 鴨田宗一

    鴨田委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時三十四分散会