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上原委員 そういう信念でひとつやれれば結構だとは思いますが、しかし内部は必ずしもそういうふうには受取っていないところに、私は
シビリアンコントロールの問題があると思うのですね。
そこで、個人の名前を挙げてとやかくといいますか
議論をするのは、余り好きな方ではないのですが、現在統幕議長のポストにある栗栖氏の
発言なりあるいはお書きになったものがしばしば問題になるわけですね。これはすでに今年、
予算委員会でもわが党の前書記長の石橋先生がお取り上げになったのですが、一月四日の「ウイング」の問題、これなんかも「「
専守防衛」と「抑止力
保持」とは並存し難い
概念である。」さっきも
専守防衛の
基本は堅持なさるということをはっきり
法制局長官もおっしゃったのですが、これを真っ向から否定していますね。
このことは「ウイング」に書かれたことは何もその「ウィング」だけのことではないのですね。すでに一佐時代から、
昭和三十八年の六月あるいは十月の陸上
自衛隊幹部学校記事の中にもっとひどいのが出ているのですよ、栗栖さんの論文というは。これは十五年前の話だからいまさらというようなことで、私は見逃すわけにはいかないと思いますね。相当長文なんでこれ全部引用するわけにいきませんが、たとえばこういうことも書いてありますよ。
核問題ですが、「核に対する備えを無視して、単に、核の公算は少ないという簡単な前提の下に、
わが国将来の
防衛を想定するとすれば、これはきわめて危険なことではあるまいか。」こういう
表現とか、「特に近時の各国、特に隣国におけるCBR
兵器全体の開発度を注視すると、短期間における表面現象のみを追って、長期に亘る国防の
基本を設定することの不可なることを痛感する。」近隣諸国なり、これは明らかに仮想敵国を想定してこういうことをやっていると思うのですが、そういうことを
考えるならば、わが方も
核兵器もCBR
兵器も持つべきだという主張ですね。そういう
表現とか、あるいは「わが方に対する核
攻撃は、相手の発射
基地に対して、向うがやれば、こちらもいつでも報復できるだけの力を温存することによって、その
発動を躊躇せしめうる。」とか、方々でこういう論理で、いわゆる
核装備までもやるべきだ。そして最後の段階においては、こういうふうに言い切っていますよ。「戦術においてだけでなく、戦略においても、専守防御は成り立ち難い。」この「ウイング」だけに書いているのじゃないのですよ。戦術論からいっても、戦略論からいっても
専守防衛という論は成り立ちがたい、抑止力にならないのだ、「現時の
防衛力増強計画の本質的問題はここに存する。」したがって、
専守防衛ということではいかないから、
核装備を含めてやるべきだというふうにやって、これに対する反論も出たようですが、さすがに良識派もあるようで、そういったことは
憲法上も問題が出てくるのじゃないかという
議論に対しては、また反論をしているわけですね。「
日本の
防衛は、素朴な感情論(核停ムード)や敗北主義に委ねえないものがあるのである。」とか、核に対する
国民感情というものは敗北主義だとか、感情論だというふうに決めつけている。こういう思想の持ち主が
自衛隊の主要なポストにいるということは、果たして
シビリアンコントロールの実を上げているということが言えるのでしょうか、
長官。
この論文でも結びの段階においては、「数発の核弾頭を
日本の主権下に保有するか、少なくとも有時に際し使用上−わが領土及び領海上のみにても−の
発言権を有することは、適切な保管及び運搬
手段と相俟って、戦術的に敵の作戦行動を制約する絶大な力を具備することを
意味する。このようにして核・ロケット
装備は、特に
わが国にとり戦略、戦術二重に
戦争抑制たる働きをするのである。」そして「核をもてば核を呼ぶのではなくて、かえって相手の核
攻撃を抑制する。相手が核をもっている以上、こちらも核をもたねば、完全な
防衛は今日期待できないということを、戦略・戦術面から論じた。」さらに最後には、「核対応の研究訓練に瞬時も油断があってはならない。」
防衛局長も教育
局長もいらっしゃると思うのだが、
昭和三十八年の段階でこういうことを言い切っておられるのですよ。
あれから十五ヵ年間何をやっているのかべールに隠されて全くわからぬじゃないか。こういうことがまかり通っておるということは、もっともっと先へ進んだいろいろな
考え方なり研究というものが積み重ねられている、もういつでも対応できるところまで来ていると残念ながら私は疑わざるを得ないのです。皆さんは、そこに
国民の疑惑があるということをもう少しよく認識をしていただかないと困りますよ。こういう問題について、
防衛庁長官なりは一体どうお
考えですか。