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上田委員 いずれにしても、韓国と
日本で人的交流が多くあるにもかかわらず、そこに
一定の制限があるというようなことの中から密入国ということにもなってきておるわけであります。だから
法律そのもの、協定自身がいいのか悪いのかということにもかかわってくるだろう、こういうように思いますので、現実には取り締まってもそれは氷山の一角になってしまうということを考えた場合に、私はそこに柔軟な対処があってしかるべきであろうし、やはりこちらに来られている人自身、聞いてみればそれなりの事情があるということになるわけでありまして、私らの事務所にもそういう方が本当に泣きながら訴えてくるという場合もあるわけでございまして、ただ単に
法律がこうなっているから帰りなさいと言えないような
状況というのもあるわけであります。これは私だけでなく、多くの先生方も一つの頭痛の種というのですか、あるいは解決しなければならない問題として理解されていると思いますので、その点についてひとつ前向きに御
検討いただきたい。当然韓国
政府との
関係があるということは重々
承知しているわけでございますけれども、特に
日本政府としてそういう点について、
日本に現在住んでいるということで、その中で子供も生まれている、学校に行かなければならぬというふうな
状況のもとにもあるわけでありまして、そういう子供の教育をどうするかということもありますから、ひとつ十分考えていただきたい、こういうふうに思います。
時間の
関係もございますので、次に、
法務大臣も
御存じかと思いますが、いわゆる狭山
差別裁判の問題につきまして御
質問申し上げたい、こういうふうに思うわけでございます。
この
事件は、第二審の東京高裁の審理の過程で石川一雄さんの無実を示す数々の証拠なりあるいは客観的事実が明らかになるにつれて
国民の関心が大きく高められ、三百万を超える署名なりあるいは地方自治体の決議などが裁判所に届けられたことは、
御存じのことだと思うわけであります。また
国会でもしばしば取り上げられまして、昨年も私、予算の分科会でこの問題を取り上げたわけでございますが、
日本の裁判史上例を見ない
世論の盛り上がりがあったわけであります。東京高裁なりあるいは最高裁は、いずれも真実に目を向けようとせずに、この疑惑を残したまま有罪判決を維持したわけであります。これは、
日本の民主主義に大きな汚点を残したと言わざるを得ない、このように思うわけでありまして、真実を求める
国民の願いはこれで消えたわけではなく、現在再審を請求し、署名や集会や要請か引き続き、大きく
国民運動として盛り上がってきておるわけであります。
最高裁の上告棄却の後も、この狭山
事件にかかわる疑問が噴き出しておるわけでありまして、この
事件の特徴の一つは、先般も湯山先生なり井上泉先生からも予算
委員会で、分科会でお話があったわけでございますけれども、
事件の
関係者が相次いでなぞの死を遂げている。横溝正史の八つ墓村じゃございませんけれども、それ以上に奇々怪々な、非常になぞめいておるわけでございまして、そういう変死といいますか、そういうものに対してなぜか警察当局が狭山
事件と簡単に切り離して、もう
常識的に言うならば何か関連があるんじゃないかと思う方が正しいにもかかわらず、なぜかそれを切り離して処置している。そしてその変死の
事件について捜査も余りしないでこの捜査を打ち切っているということは、非常に心外であるわけであります。
多くの先生からも言われた問題でございますけれども、善枝ちゃんが三十八年の五月一日に誘拐されて四日の日に死体となってあらわれるわけでありますが、その二日後に、かつて中田善枝ちゃんの家に作男として勤めていた奥富玄二が自殺をしておるわけであります。彼女の体内から出てきた血液型がB型ということでありますが、奥富玄二君もB型ということで彼が犯人ではないのかというようなことも一時言われたわけでありますが、それが自殺する。当時の国家公安
委員長は、何としても草の根を分けてでも生きた犯人をつかまえよう、何か生きた犯人をつかまえようということは、犯人死んでしもうたからそれでは世間に申しわけない、こう言わんばかりの、そういうことすら想像されるような
状況があったわけですけれども、何も奥富玄二が私は犯人だと言っているわけじゃないのですが、やはり重要な人物であったことは間違いなかろう、こういうように思います。
さらに、
事件当時三人の犯人らしい男を見た、こう言われております田中登さんがこれまた亡くなっておるわけでございまして、あるいは身のしろ金を持っていた男増田秀雄でありますけれども、これは三十九年三月の十五日にこれも変死を遂げている、こういう
状況でございます。また三十九年七月四日には、善枝ちゃんのお姉さんが結婚を前にして農薬自殺。本当に警察が来たときにはもう奥座敷にあおむいて寝ていたというようなことでありまして、どういう形で死んだのかということをすべて解剖も含めて、そういうものが一体どうなっているのかということで、われわれ自身非常に疑問に感じているところでございます。あるいは四十一年の十月二十四日には、石川さんが以前に勤めておった、石川さんの前に怪しいという形でちょっと疑いをかけられておった方でもありますけれども、石田登利造さんが亡くなっておるわけであります。また四十五年の十月二十五日に、これはお医者さんでありますけれども、弁護団が重要な証人だ、こういうふうに思っておった方でありますけれども、この人も亡くなっておるわけでありまして、非常に多くの方が変死、怪死、自殺といっても非常に疑わしい
部分があるわけでございます。
それだけじゃなしに、去年の十月の四日には、今度は中田善枝さんの次の兄さんであります中田喜代治さんが首つり自殺をされて、経営難で云々ということも遺書の中に出ておるようでございますけれども、実際問題として
事件の真相を知っておったのではないかと言われるくらい、そういう点では多くの
方々が自殺、首つり自殺そのものに非常に大きな疑いをかけられているというのが
現状であるわけであります。また昨年の十二月二十日には、いわゆる狭山
事件を調べていたところのフリーライターであります片桐軍造さんがこれまた変死しておるわけでありまして、そういう点で、合わせて八人もそういう狭山
事件にまつわりついて
関係者が亡くなっているということでありまして、そういう点で、何とも不可解な
事件だと私は言わざるを得ないわけでありまして、そういう点で、こういうようなことを聞かれて
大臣は一体どのように考えておるか、御感想も含めてひとつ
お答えをいただきたい、このように思います。ちょっと
大臣から。