○瀬戸山国務大臣 いろいろ弁護士としての立場を持ちながら
栂野さんから御意見がございました。この問題についてもいろいろ御意見があることも当然であるし、またそれを
承知いたしておるつもりであります。私どもは、こういう特例法を設けなくてよろしいことを実は祈っており、願っておるわけでございます。私どもは、
わが国のいわゆる法治
国家のもとで、特に刑事裁判は裁判所、検察庁、検事それから弁護人、弁護士、三者一体でこの憲法下における法治
国家の実を上げることに
努力してもらいたいと祈っております。これは国民の期待であろうと思います。弁護士会あるいは弁護士さんほとんどの方々は、そういう気持ちでおられると私は確信をいたしております。
残念ながら、一部の過激派と言われる特殊の
考え方を持っておる、しかも過激な事件を起こした被告人の裁判において、これを弁護される弁護士の方の中に、率直に申し上げて現在のこの
制度を破壊しなければならない、こういう主張に立っておられる方があります。大体裁判にかけるということが間違いだ、殺人を犯し、放火を犯し、爆弾で多数の人を殺傷した被告人に対して、こういう裁判にかけることが間違いだ、こういう立場で弁論をしておられる弁護士もいらっしゃる。この種類の被告人は当然にそういう立場であらゆるいわゆる法廷闘争をしている。国民から法治
国家の維持のために
努力をせよということで負託を受けておる私どもの立場からすると、これを容認するわけにはいかないという考えに立っております。
御
承知のとおりに裁判官については、もし裁判官として不適当である、あるいは品位を汚している、裁判官にあるまじき裁判官があれば、国民の代表として国会がこれをチェックする
制度があるわけでございます。いわゆる訴追
委員会、弾劾裁判所、こういうのがあります。また検察官についても検察官適格審査会という、これもまた国民監視の
措置が講じられておる。不適当な検察官はチェックをする、こういうことになっておる。弁護人の立場に立たれる弁護士については、その
制度はありません。これは昭和二十四年に弁護士法ができたときに議論されておるわけでありますが、少なくとも最高の、と言ってもよろしいでしょう、見識を持たれておる
法律家の集団である。そういう方々は少なくとも自律によってそういうことのないように、いわゆる国民の負託にこたえる、人権を尊重し、また公正、社会正義のために尽くす、弁護士の品位を保てという弁護士法ができております。そういう方々の集団だから、もし非違があれば、弁護士としてあるまじき行動、行いがあれば弁護士会の中で処置をする、こういう
制度になっておりますが、あるいはお耳ざわりかもしれませんけれども、率直に申し上げて、いまの弁護士連合会あるいは弁護士会においてはその機能を十分に発揮されない姿になっておることは事実でございます。でありますから、先ほど刑事
局長が申し上げましたように、何らかそういう国民の監視あるいは国民のチェックのできる
制度ができればきわめて幸せである。これは率直に申し上げて、私は国会で考えていただくべきものだと思っております。
そういう点も考え、しかも先ほど申し上げましたように、人類の歴史は、
国家の
制度に対する、
国家の公権力に対してこれと闘うのが人類の歴史である、こういう主張に立っておられる人があります。また、いわゆる過激派の中にはそういう思想がずっと横断的にあります。それはまた、過去の長い人類の歴史を見ますると確かにそういう歴史があった。われわれの先輩がいろいろな苦心をして今日われわれの国のような人権を基本とした憲法、また裁判
制度、あらゆる
法律制度をつくって、それで国民の平和と安全と自由濶達な生活ができる組織をいま保とうとしておる。それにも過去の長い歴史がありますが、
国家をなすと、どうしてもやはり権力組織ということがなければ
国家の組織体としての姿はできません。これもやはり反権力として、これをたたきつぶさなければならぬという主張を現に法廷でなされておる弁護士がいらっしゃる。これは間違いありません。そういう姿では、決して
わが国のいわゆる法治
国家としての秩序を保っていけない。そういう一角からだんだん崩れていくということは国民の立場として許すべきではない。われわれは国民の負託を受けて法秩序の維持に専念しておる立場からいいますと、やはりそれには備えなければならない。
よく弁護士抜き、弁護士抜きと言われておりますが、そうではなくて、できるだけ法廷においていわゆる真実を発見するために被告人の人権を守り公正な裁判をするということに御尽力をいただきたい。そのためには法廷闘争として、いわゆる必要的弁護
制度を逆用して弁護士が法廷にいなければ裁判が進まないのだ、そういうことは憲法、刑事訴訟法、弁護士法は期待をしておらない。でありますから、そういう人はおられぬでもやれる
制度をつくらなければ裁判というものは絶対に進まぬ。また、進ませないのが目的であるということを主張しておられる方がある。その問題をわれわれは取り上げておるのであります。堂々と被告人を弁護し、公正な裁判が進むように
努力していただきたい。しかしいま申し上げましたように必要的弁護
制度の
法律を盾にとって、いなければ裁判が進まないのだ、しかも被告人と意思を通じたようなかっこうでやられる。この種の被告人は全部そういう立場でありますから、それでは法治
国家は成り立たないじゃないか。あの日航機のハイジャック事件のそういうものを防ぐためにやったのだというふうにいろいろ言われておりますが、もちろんこれを契機にしてこの
制度を考えたわけであります。ああいうことを一角でも逃がしておくということは、ひいては国民の法治
国家に対する認識がだんだん薄れていく、疑いを持つようになる、それではならないからということでやはりこういう
制度をこの際暫定的でもつくって正さなければならない、こういう立場でおりますということをここで申し上げて、いろいろ御議論があることも
承知しておりますが、御
理解をいただきたいと思います。