○川合委員
財政局長、私の言葉が足りないのかもしれないけれ
ども、あなたは悪いように悪いようにとって、余り積極的に乗ってくれないので残念なような気がするのですが、私は、
一つ一つの団体で、たとえば川崎市がことし
交付税が幾らだったから、その分を
計算して来年はあれだとか、その年々で税の配分を考えろというようなことは言ってない。しかし、
交付税が発足当時においてはほとんどの政令都市というものは不交付団体だったですね。だから、そういう政令都市については、数字の
計算はむずかしいかもしれないけれ
ども、そこはあなた方は専門家なんだから、一定のパーセントをお出しになって、政令都市くらいは
交付税に頼らないでも自主税源でやっていく、こういうことがあっていいのじゃないか。去年もらった額とびたり合うわけにいかないかもしれないけれ
ども、
一つの合理的な
基準といいますか、現時点においての合理的な
基準というものを考えてやっていくということも、自主税源というものが
地方自治と一番つながる問題であるならば、そういう
考え方も検討の
一つの材料にしてもらえないだろうか。あなたはきょうは何だかさっぱり乗ってくれなくて、身もふたもないような返事ばかりのような気がしますが、最後に御質問をいたします。
私は、先ほどから申しますように、
地方財政確立の基本の立場からはできるだけ自主税源を増強することが必要だ、こう思っております。そしてまた、
基準財政需要額が非常に緻密になってきておる。私はかねがねこれを簡素化すべきだというようなことも言いました。しかし、いまの現実を追っていくというためには、緻密化していくというのも、考えてみれば
基準財政需要額の持つ
一つの本質であるかもしれない、こうも思いますね。簡素化はいいけれ
ども、ずさんになってはいけないから、緻密になっていく一方、国庫補助金の
裏負担分を賄うために、それを裏づけるためにそれにきゅうきゅうというか、いわば中央統制の弊ありともこの
委員会でしょっちゅう
指摘されておるように、
基準財政需要額が、当初はあの
考え方は非常にいい
考え方であったかもしれないけれ
ども、いろいろな矛盾点というか不十分な点が出てきてしまっておるのじゃないか、こう思うのです。自治省があれだけ苦心してあれだけ緻密にやっていっても、あらゆる
地方団体から何だかんだぶつぶつ言われておる。割りが合わないような点もあるわけです。
基準財政需要額の歴史的な役割りは終わりつつあるのではないか、私はこういうような感じさえ持つのです。これは、はなから悪かったと私は決して言いません。いままで皆さん方がなさった努力がむだだったとも言いません。しかし、時の流れによって現実に歴史的な役割りは終わりつつあるような気がするのです。これは私の考えでございますから、十分に批判していただき、検討の材料にしていただきたいのですが、
地方交付税というのは、いまの日本の都市間の実情として税源の偏在が厳としてあるわけですから、それを調整するというその役割りだけにとどめるべきじゃなかろうか。
財源保障という役割りは、この
基準財政需要額を中心とする
交付税制度ではもはや無理なんじゃないか。そこに無理に無理を重ねていっても限界があるのじゃないか、こう思うのです。これは素朴な意見でございますし、あなた方知恵者であり、専門家である人はもっと考えていただきたいのですが、ただ、やはりいまのような
基準財政需要額は歴史的役割りが終わったといっても、何かそこに
基準財政需要額的なものがなければ、
交付税配分は言うまでもなく不可能でございます。しかし、それはたとえば、かつてのごとくというか、人口八割、面積二割ぐらいの
割合で、それに新しい問題については若干の補正を掛けて、そして、それは
財源保障とかなんとかといういまのような緻密なものでは確かになくなる。しかし、それはそうだとしても、いまのようなああいう緻密な
基準財政需要額でなくして、
一つの物差しは、いまのような人口と面積という上に若干の補正という
程度のものにして、そして税源の調整だけの役割りを
交付税制度が持つ、こういうことにした方がいいんじゃないか、
地方財政全体のためにいいんじゃないかという気がするのです。そして、自主税源の充実の方にまっしぐらにあらゆる努力を図ってもらいたいと、こう思うのですが、その点についての局長の考え、感想でも結構ですから、お聞きしてみたいと思います。