○工藤(晃)
委員(共) 時間が余りなくなりましたので、いま言われたことを一々私の感想を述べるわけにいきませんが、私は、何も経常収支を赤にしろといったような、
アメリカ政府みたいなことを言っておりませんから御心配なく。しかし、総合収支でも
日本は昨年は七十億ドルを超えてしまったですね。そういうことで、ともかくこの黒字は異常なんです。また、いわゆる輸出御三家の輸出の急伸は、これも異常なんです。最近の時点で数量的に少しどうかということはありますけれ
ども、しかし、ともかく異常で、その異常の底には、
先ほど言ったような
労働条件だとかあるいは下請の条件がある。それがどうやってつくられたかということを私はいま問題にしているわけなんです。
そこで、少なくともさっき言った
機電法までの体系でいくと、機械
産業に関して言うと、私は圧倒的に自動車だと思うのです。自動車は、必ずしも親
企業が使われるというかっこうでなしに、自動車部品という形でこれが大いに使われた。しかし、これは一口で言うと、
一つの大
企業本位ということを形づくるのじゃないか。それは二重の
意味ですね。
部品メーカーについて言っても、これは有澤さんが所長の機械振興協会・経済研究所で、「機械経済研究」の中に特に自動車部品工業の詳細な
調査報告があって、これが非常に参考になるし、貴重なものだと思いますが、これを見ると、たとえばこれまでの
法律に基づいて出された
政府融資、その大
部分は開銀融資なんだけれ
ども、それが一体どこへ融資されたかというと、たとえば昭和四十年から四十九年をとってみますと、この期間に十回も繰り返し融資を受けたところがある。そういうところはみんな大手なんです。厚木自動車部品、これは日産系ですね。それから
日本電装、これはトヨタ系。
日本発条、これは独立と言われますが、主としてトヨタ、日産に出しているわけでありますが、こういうこれまでの法体系のもとで出された融資は、いわゆる部品メーカーでも一番元請になるような大
企業、また一番大手の直接の系列下にあるこういう
企業にもう断然集中している。同じ期間十回も受けている。その前からずっとこういうことがフォローされるわけなんです。そういうことが一方にある。これが第一の大
企業本位という
意味なんです。
もう一方は、結局これがあったからこそトヨタ、日産の体制ができたということは、「トヨタ自動車三十年史」とか「日産自動車社史」、こういうものを見てくると実にありありとわかってきますし、またこの研究の
調査結果を見てもありありと出てくる。たとえば例のかんばん方式というのも一九六三年からトヨタが採用したということ、それから日産自動車についても、特にサニーの展開に当たって猛烈な部品の単価切り下げを押しつけてきたということが、社史の中でも
一つの成功の例としてこれがやられている。そしてこれらのかんばん方式などについては、もう私は繰り返しませんが、予算
委員会で共産党の不破書記局方式については、明らかにこれは下請代金法違反の問題、あるいはまた下請中小
企業振興法の振興基準の
方向に照らしてずいぶん問題がある、違反があるということが
指摘され、同時に
政府側もそれをいろいろ認めるということになったわけであります。ともかく書面なしで電話でどんどん翌日の注文をやらせる、そうして四回にも分けて持ってこさせる、こういうやり方や、単価の一方的切り下げや、ひどいクレームの補償契約、罰金制度、さまざまあるわけなんです。
そういうことで再び問題をもとへ戻しますと、そういうトヨタ、日産体制、その到達した異常な国際
競争力、そのもとにある部品メーカー、部品メーカーのまた下にある二次、三次の
関係、そういう大きな体系をつくり出すのに非常に役に立ったけれ
ども、それはだれのために役に立ったかというと、結局そのトヨタとか日産のために役に立ったと判断せざるを得ないし、またこれらの社史はそのことを事実上認めている、こういうふうに考えるわけなんです。
そういうことで、結局こういう機振法、
機電法などでやった合理化の結果どうなったかということで、やはりこの
調査結果に戻りますと、
一つの点は、結局かんばん方式なんかをとられるために、今度は部品メーカーの方で見込み生産しなければいけないのですね。いつ突然何を言ってくるかわからない、そうすると親の
企業がやるべき在庫管理、こちらが在庫を減らすために、そのしわ寄せでこちらが在庫を持たなければいけない、こういうしわ寄せになっているというのが
一つの結論なのであります。
それから、「「系列化」のコインの裏面には元請メーカーからの不断の単価切下げというデメリットがあった。」ということもこの
調査報告で
指摘されております。これはもう数量的には述べません。一方的に価格を押しつけられてきた、こういう問題。それから、二次下請がコストダウンを要請されると、結局今度は外注に出して、もっと安い単価で下請へ出そうとする、そういうことから一層零細の下請ができてしまう、こういう仕組みもつくり出されたわけなんです。
そういうことで、機振法にしろ
機電法にしろ、いろいろ合理化の
目標とかを掲げたけれ
ども、もし本当に機械
産業全体として中小零細
企業を含めて成り立たせようという考えならば、それこそ一番下請も含めてこれらの
法律が施行された期間に地位が一層高まるとか、あるいは経営条件が一層高まるということがあってしかるべきなんですが、その結果が違うということは、
一つの表として、たとえば昭和三十九年から四十一年の自動車の部品製造で、一人から三人、本当の零細ですね、これがこの期間にどうなったか、廃業になったのが一四・〇%、他の業種に移動した者が二四・九%、四人から九人が廃業が五・七%、他の業種に移動したものが二二・八%というように、まさに全体として発展させたのでなしに、大
企業はなるほど国際的
企業になったけれ
ども、一番下はこういう状態に入れられ、しかもかんばん方式などで前よりか一層前近代的と言われるような過酷な締めつけになっていったではないか。
こういうことを振り返ってみると、いまの黒字の問題、それからまた雇用の問題、中小
企業振興という問題から照らして、
かなり有害な役割りを果たしたと判断せざるを得ない。こういうことが今度の機情法において繰り返されない保証はどこにもないのではないかということを最後に私の意見として申し上げまして、時間が参りましたので終わろうと思います。